はてなキーワード: 思春期とは
中学生の頃に白人のドイツ人の友達がいた。近所に同世代の子供が自分しかいなかった事もあり、よく遊んでいたのでかなり仲が良かった。
小学生の頃に大学の先生だった父親に連れられて日本に来ていた。まあまあな田舎だった地元では結構目立つ存在だった
彼は消臭力のミゲルくんみたいな美少年(美青年?)で、とにかくモテた。(以下ミゲルくんと呼ぶ)
同学年はもちろん上下の学年にもモテてたし、話しかける勇気がない層も含めるとかなりの数のファンがいただろう。
一緒に電車に乗って街に遊びに行ったときには社会人らしき成人女性から話掛けられて連絡先を貰っていた(もちろん自分は無視されていた)。まぁそれについては今考えるとヤバいなと思うけど
そんなモテモテの彼だからバレンタインデーにはとんでもないことになる。学校にチョコを持っていくのが固く禁じられている為、放課後に彼の家にチョコを渡しに来る女子が大挙して押し寄せるのだ。田舎で1つの家に人だかりが出来るのは餅まきの時ぐらいしかないのだが、それに匹敵するほど女子の群れが出来ていた。
もちろん自分は蚊帳の外なのだが、自分の家のチャイムを鳴らす女子が現れた。
母親もミゲルくんの家の盛況に気づいていたのだろう。そしてその中でもミゲルくんではなく自分の息子にチョコを渡してくれる女子が現れたのだと思ったのだろう。
母が嬉しそうに呼びに来る。
でも自分は気づいていた。彼女たちは自分にチョコを渡しに来たのではないのだろうと。
「これミゲルくんに渡してくれる?」
目立たないタイプの女子2人組から、きれいに包装された小箱を受け取る。
ミゲルくんに直接渡す度胸のない女子からチョコの配達係に任命されたのだ。
2人が帰った後、自室の学習机に備え付けてあるの一番広い収納スペースに小箱を保管し、夜になってからミゲルくんに渡した。
その日一日母はご機嫌だった。けれど何をもらったのとかは聞いてこなかった。思春期で恥ずかしがるだろうからとの気遣いだろう。
それが苦しかった。母に申し訳なかった。異性から見向きもされない息子でごめんって。(ちなみに裏で一部の女子からは金魚のフンと呼ばれていた)
イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理「調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、
プロジェクト・ワタン事務局、2024年6月、2024年9月3日。
http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf
特に男の子は、小中学校で直面する言葉の壁や人種差別的な経験もあって、しばらくすると学校を退学し、高校にも進学しません。思春期以降、18 歳になる前から、父親や親戚と一緒に家屋解体の仕事に就く者もいます。一方、仮放免の女子は、男子に比べて働く機会が少ないので、どんなに困難があっても教育の場に残ろうとします。「学校をやめたら、結婚するしかない」と蕨のカフェで勉強していたクルド人女子高生 2 人は口を揃えて言いました。
また、学業が非常に優秀だったり大学卒であったりしても、仮放免者の就職を保証するものではありません。ビザがなければ教育もほとんど役立ちません。例えば、映画『東京クルド』に登場するラマザンというクルド人青年は、専門教育を受けたものの、ビザの発給を待つ間仕事が見つからず、家屋解体の仕事を始めました。のちにビザを取得したのですが、今も家屋解体の仕事を続けています。おそらく親族関係のなかで働くことが、彼に安心感を与えているのかもしれません。同様に、シリア出身のクルド人青年も、大学を卒業し日本で修士号を取得したにもかかわらず、現在、家屋解体の仕事に従事しています。
先月(2022 年 6 月)、大変痛ましい一家離散のケースに遭遇しました。あるクルド人高校生が、学校での差別や言葉の壁から「トルコに帰りたい」とずっと両親に訴えていました。トルコに戻りたい一心で、彼は学校の試験も白紙答案を提出し、わざと成績が悪くなるようにしていたと父親から聞きました。その結果、彼は学校を辞め、母親は泣く泣く息子を連れてトルコに帰国しました。
(中略)その家族は、日本が幼い子供たちを追い出し、一家の崩壊につながったと考えています。母と息子はトルコに戻りましたが、父親は政治的、経済的な理由で日本に残ったからです。日本で働いて得たお金でトルコの家族を養わなければならない父親は、今、川口の小さな家で一人、家族を恋しく思いながら、先行きの分からない生活を送っています。
マフキャン人と心ならずも共生を余儀なくされている他地域出身のクルド人もいます。マフキャン人が家屋解体業を営んでいるため、他地域出身のクルド人はマフキャン人の雇い主に雇ってもらうことが多くなります。仮放免のクルド人は、他の業種で仕事に就くことができないため、マフキャン人と一緒に働くしかなく、彼らとうまく付き合っていかなければなりません。時には男女関係から生じる問題や、ハラスメントや不倫事件、労使間の緊張から、コミュニティの男性同士の喧嘩、家族間の問題が起こり、共同体から個人が排除されることもあります。
マフキャンの出身ではないあるクルド人青年は、「マフキャン人同士で争ってもしばらくすれば和解するが、自分が彼らと争うとなると行き場がない。だから、私たちはとても注意しなければならない」と語っています。
労働災害で障害を負い、再就職できなくても、仮放免のクルド人は、健康保険に加入できないため何の保障もありません。それがもうひとつの不安感につながっていきます。あるクルド人労働者は、「若いうちに一生懸命働いてお金を貯めておけば、もし自分が障害者になったり、明日死んだりしても、子どもたちが飢えることはないだろう」と語っていました。また、高齢で病気を抱える仮放免者は、年金の保障がないため飢餓に直面しています。心臓疾患のある仮放免のクルド人は、マフキャン部族の親戚の経済的支援を受けて家族を養っています。つまり、日本に暮らす高齢のクルド人が安心して暮らせるのは、日本政府ではなく、マフキャンの部族主義、氏族、親族関係のおかげなのです。そのため、当人はつねにクルド社会内部のバランスを観察し、争いに与らず、必要に応じて強者の側につくようにしています。
今日、この会場で私の話を聞いてくださっている日本のみなさまに申し上げます。毎日、前を通っている家の中で悲惨な事件が起こり、子供が虐待され、女性が暴力を受けていると想像してください。その家の前を通りかかるだけでは、何が起こっているのかは分からない。しかし、虐待の被害にあった子どもや暴力の被害にあった女性がその家の窓から外を見たとき、あなたの姿が目に入るのです。その窓の前を通り過ぎるとき、あなたは楽しそうに笑っていることもあるでしょう。その家の中で起こっている悲劇を知らないのだから、あなたには責任はない。しかし、その家で起こっていることを誰かに言われてもなお無関心でいれば、暴力を振るう加害者の共犯者になってしまいます。
時期 | 批判対象 | 批判者 | 批判理由 | 擁護者 | 擁護理由 | その後 |
00~10年代 | 雅子妃 | 女性週刊誌(婆世代) | 従来の慣習にならわず外交だけ選り好みするのは甘え。 | -- | 人格批判があった(徳仁)・実存的うつ(斎藤環) | 公務復帰で見直され出す |
00~10年代 | 愛子さま | 2chの婆 | ガイジ | 右翼 | 女性天皇論 | 思春期頃からの透明感や気品、堅実さで見直され出す |
2017~2021 | 秋篠宮家+小室家 | マスメディア世代・ネット世代 | 血税を小室親子に使うな・圭さん特例措置ズルい許せない | 圭さんと同階級の男性 | 圭さんも努力した | 眞子さんが一般人になったので批判できなくなる |
20年代~ | 秋篠宮家 | ネット世代 | 悠仁さま入試特例措置ズルい許せない・秋篠宮家は国民を加害者扱いしている(眞子さんPTSD発表・皇嗣イジメ発言) | -- | -- | -- |
20年代~ | 天皇制 | 左翼 | もう皇室要らない | 右翼 | 皇室はもちろん必要 | -- |
うちの母親は明らかに発達障害で、家をとにかくすぐにゴミ屋敷にする。引越しする先々でどんなに広い家もゴミ屋敷にしてきた。どうやら母親の母親もそうだったらしく半分遺伝と小さい頃からゴミ屋敷だったから片付けの方法を知らないまま大人になったんだろうなと思う。
家が汚くて思春期の頃から何回も揉めた。それでとうとう家にネズミがでるようになって(かなり古い木造建築だったからなのもあるが)、大学の途中で家を出た。けど今は来年結婚するから、その前に実家を清算するために今年4月から実家に戻っている。
最初は仕事前に掃除してねと声をかけて、結局してなくて何度も喧嘩になった。それで気づいたのは、母親と自分とではみているものが違うのではないかということ。正確には自分にとってゴミが母親にとっては必要なものではないがゴミではないというものと見えているんじゃないかと思うようになった。
また今まで勝手に掃除していたら母親がヒステリーを起こすため掃除出来なかったが、それもこちらが「これゴミ?捨てていい?」と聞くからヒステリーになるだけで黙って捨てたり整理して事後報告にすればヒステリーにならないとわかった(やりすぎたらそれでもなるが)
掃除していく中で、これどこに置いたらいいんだろってものが多いとわかった。今すぐいるものじゃないけど、捨てたら困るものや捨てても困らないけど保管しておきたいもの。そういったものの置き場を作ってこなかったので、整理するための箱やスペースが必要と感じた。ただわかりやすい配置にしないと母親は自分で片付けられないため、そこも工夫が必要と感じている。
正直4月から全く片付いていないが、そろそろプロポーズしようと思っているし来年から異動になり実家を離れなければならず、今年の年末9連休が勝負と思っている。
『炎に舞う花びら 上』再読し終わった
ドラマでは『炎〜』もやってるが、残念ながらドラマは日本語ローカライズがない
17歳時の主人公が42歳のおっさんを誘惑してセックスするくだりは歳食ってから読むと年齢差だいぶヤバイ
主人公は前作で家庭の都合で4人兄弟全員屋根裏部屋に閉じ込められて3年以上暮らし、その中で思春期も迎え、他に年頃の異性がいない環境で実兄とセックスしてしまう
主人公としては1発だけの過ちにしておきたいが、兄は監禁生活を分かち合った主人公としかもう恋はできないと、ただの兄妹に戻るつもりがない
兄を振り切るために新しい男作らんと、という思惑が主人公にはあったのだが、それにしても42歳は歳の差がゴツい
主人公がガンガン42歳を誘惑して、断り続けていた42歳がとうとう主人公を抱いてしまう
誘惑方法は本能的に分かってるのにそんなに性知識のない主人公が、「イけ、イくんだ」という42歳の睦言に「どこに行けというの?」とお目目パチクリしてる下りは、やってることのわりに幼くて背徳感がググッと増す
歳の差はあっても流石に実兄と比べるとだいぶ社会的にはマシな相手だし、42歳は性格が良くて収入もあるいいおっさんなので、このまま42歳のプロポーズ受け入れて結婚してたら何もかも丸く収まったんだよな
閉鎖環境でのスリラーを描く一作目に比べて二作目は主人公がキチガイじみててキチガイ乙女ゲーになっている
・実兄
・42歳
・カス
で、この中じゃ42歳エンドが一番マシだったのに、そうなりかけたところでカスルートに突入してしまい、最終的に実兄エンドになっちゃうからもうどうしようもない
実兄と42歳はキャラとしての魅力があるが、カスはもう本当カスでこいついらねえわ
42歳が誘惑されて胸触るところまではいくが、やっぱダメ〜と誘惑を断ち切りお断りってのを何度かやった後で、42歳になる誕生日に主人公に祝われて私をもらって欲しいと言われてグッときってついにやっちゃうの42歳なのにチョロすぎんよ〜
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80884
「性別違和」や「性同一性障害」という特性(症状)については、基本的には生まれつきのものであり、多くの場合、就学し始める段階ではすでに、本人はこの違和感を認識しています。ところが、この本の対象である性的違和を感じる人々は、その感覚を思春期以降になって持ち始め、突然「自分はトランスジェンダーだ」と気づくのです。
本書にも書かれていますが、これには思春期の女性特有の不安定さが重要な要因として存在し、それを解消する一つの手段として「トランスジェンダーが用いられた」と考えられます。
ひっかかりニーチェ最新回「友達3人でスノボ行く約束して現地に行ったら友達の友達が8人居て、自分は彼等と交われずにずっとアウェーだった」というお題
ひでえ話だ
これに対し高比良くるまが「34歳という年齢で『告知なしで知らない奴等を連れてくる様なヤバい奴』と友人関係を結んでいる自分のヤバさに気付いた方が良い」と言ってて笑った
ほんとな
相手がどうとかいうよりも「こんな扱いしてくる奴と付き合ってるってどうなんだ。人を見る目がなさ過ぎるだろ」と思うわな
まあ「え?どういうつもり?」って思わない大人も結構居るんだろうけど。なんなら「知らない人に合わせて楽しめない自分が駄目なんだ」まであるかもね
自分だったら「やりに来てるな」って思うね。ネガティブだから。普通に「嫌がらせだよね」って思う
嫌がらせする様な奴とホイホイ遊びに来てしまった己の馬鹿さ加減に臍を噛むし
そして何なら途中で「急用出来ちゃったから帰るわ」つって消えるね
愛想笑いしながら知らない面白くもない奴らとつるむ意味が無い。10分かそこらのことなら我慢出来るけど、数時間とか無理
空気扱いされるなら居る必要無いしね。かと言って無理して構って欲しいわけでもないしね
(承認欲求が強いとか思われたら心外だ。誰だって自分がスポイルされてる様な状況を楽しめるわけないよな
人間観察宜しく、そういった状況を超越的立場から俯瞰するのが楽しいとかいう変わった人でもない限り)
そもそも人に興味がないのに知らない人なんか通りすがりの人と同じだよ。一緒に遊ぶとか無理
こういう意見に対して「人生つまらないだろ」とか言ってくる奴も「無告知で知らない人連れてくる無神経な奴」と同じだからな。自覚しとけよ
もういっこ。今回の話の中で「恋リア」について語られていたのだが
永野が「そんなもんを見てる奴らばかりの世の中で、よくも俺に説法を垂れたよな」って言ってて笑った
わかる
世間は自分が思っている以上に「恋愛脳の奴らばかりである」ことに驚きを隠せない
びっくりするくらい、恋だの愛だの結婚だの不倫だのにうつつを抜かしている
だが、ソレ以上の年齢って「人生」や「自分」に対して向き合う時期なんじゃないっすか
(勿論思春期だって激しく自分に向き合っているが、それは「己の礎を形成する時期」という感覚であり、人生の1/4弱過ぎたら違うステージで物事を考えるもんじゃないですか)
よくわかりもしない誰かを盲目的に崇拝する暇なんぞあるのか?
ましてや結婚とかした後に「仕事してて家庭もあって子供も居て」なんてことになったらもう、それだけで手一杯じゃあないんですか
つーか、幼い頃から20代まで経験してきて「まだまだ足りないぜ」っていうのはどういう?
他に考えることは無いのかい?
謎過ぎる
去年の2月くらい。職場がノーマスク解禁になるらしいぜ的な感じになって、あらためてマスク無い状態の自分のツラを眺めていたら青髭がまあきつい。
髭に限らず元々が全身剛毛で、脱毛に興味はあったのだが、金額がネックでやってなかった。
そんな時、あらためて脱毛についてググっていたら家庭用の機械があると知った。
そのままAmazonで検索してみると、ちょうどタイムセールで定価8000円くらいの家庭用光脱毛器が2980円になってたんで、この値段なら効き目なくてもまあ許せるかと買ってみた。
やり始めて2カ月くらい経ったところで、「見た目的にはほとんど変化が無いが、毎朝髭剃りする自分の感覚的にちょっとだけ髭が薄くなった」ことを実感した。
半年経ったところで、朝一の髭剃り前の状態を見た妻から「髭薄くなったよね」とコメントされた。
それでも生えてはきてるんだけど、効いてる効いてると気を良くして、なんとなく腋毛と股間もやってやろうという気になって、まずボディトリマーを買った。
それ以来、腋毛と股間を隔週~月一程度の頻度で剃っているし、ついでに腹毛(これまで一緒に銭湯とか行った友達や歴代彼女全員から、初見ではビビられたくらいにはモジャモジャ剛毛)とか足の毛のトリミングを始めた。
具体的にはボディトリマー付属のアタッチメントで長さ1㎝くらいに刈るってことね。
その結果として妻から「風呂に毛が浮かなくなった!」と大喜びされた。
そして約1年後の今、髭とか腋毛とかまだ全然生えてはくるんだけど本当にゆっくりペースではあるが確実に薄くなってきてるし、定期的にトリミングしてるおかげで腹毛も前と比べて見た目スッキリ感が雲泥万里。
思春期以来、自分の全身の剛毛がなんとなく嫌だったが、かと言って普段誰かに見せる部分でもないしまあ良いか……と放置していたけど、嫌ならトリミングすりゃ良いんじゃんという当たり前の事実に気づくまで約25年かかった。
快適です。
死ぬのが怖い(痛そう)
死ぬのが怖い(地獄とかあったら嫌じゃね?/「無」って怖くね?)
死ぬのが怖い(自分の存在や生きた痕跡が忘れられるって恐ろしくね?)
意識とは何なのか?死とは?知りたい
自分の満足と納得を追求したい、この気持ちだけは本物だと信じてみよう
サウナ気持ち良すぎワロタ 夜中のお出かけ楽しすぎワロタ 暇を持て余して抽象的な事ばっか考えてる人、バカですw
ゴチャゴチャと理屈を捏ねるまでもなく、人生とは何らかの熱狂的な情熱を放てるか否かが全てではないか?
生きるのが怖い、腰抜けには死ぬことすらままならないのが心底恐ろしい
自分が何を悩もうとも運命が存在するのならそれもまた予定調和に過ぎないが、もし人の意志に聖域があるのだとしたら?その源が神なのか自然の摂理の偶然性にあるのかは分からないが、今まで確信や納得だと思っていたものよりもより純度の高い信仰がそこにはあるのではないか?
それを実証的に明らかに出来そうな気はしないし、無根拠に信じるというのは蓋をするのと同義でもあるかもしれない
記憶にある限り、こんな感じで興味関心が移ろいでるな。マジで他人が登場しない。
般教の思想史でも似たようなトピックと似たような理屈が出てきたりして面白い。やっぱ人の考える事って似通うんだな。人類、歴史を伝って思春期やってるじゃん。
というよりその歴史が何らかの形で自分の考えに影響を与えたのかも分からんけど。思想史的に時代が進んだり戻ったりしてるような気がする。
車輪の再発明というやつか。自分で捏ねくり回して得たからこその納得というやつが人生に対する実感をもたらすと思えてならねえ。
本でも読めば近道出来たかもしれない事から目を逸らすような自己弁護なのかもしれないけども、まあ別にいいや。長い人生始まったばっかだし。
映画を観るにしても音楽を聴くにしても、裸一貫でぶつかって得られる生身の感動というやつがなんだか薄まってきた。
ぼちぼち受け売りの視点やトリビアを仕入れたり、他人の感想を参照したりしつつ、手前の知識と鑑賞対象を見比べてパズルでもするかのような楽しみ方を始めてみようか、という気持ちが無い訳でもない。
以前よりかはそういう姿勢への忌避感が少し薄れてきた気もする。既に多少なりともそういう姿勢はあるんだろうし。
それでもやっぱり、商売女に音楽の講釈垂れながらも、全てに対して感じる虚しさを禁じ得ないアメリカン・サイコのベールがチラつくんスよね。
私は彼のような立場にはないし、それを実際に手にしてみなければそこに納得はなく恐れでしかないし、仮にいつかは虚しくなろうとも満足と思える瞬間があるなら自分はそれで良いとも思うけれど。
なんか、あの手の楽しみ方って「ああ、それは誰々の思想に近いですね」的な発言のナンセンスさに近いものがある。
いやまあそういうパズルゲーム的な類型に気持ちよさはあるけど、近かったら何やねんっていう。
ビームの剣を振り回すクールな世界観のアクションに痺れるとか。色んな宇宙人が歩き回ってるような、見たこともないしこれからもきっと永遠に見られない嘘の世界への憧憬だとか。
この世が仮想現実だとか、三流タブロイドに載ってるような宇宙人の存在だとか、そんな荒唐無稽な陰謀論が実は真実で、そんな妄想をイカした映像として具現化させる現実からの離陸だとか。
どこかにありそうな世知辛い話や思春期めいたモヤモヤだったりに劇的なウソを一つまみ足して、人生の光を感じさせてくれたりだとか。
夢みたいな不条理が連続する映像にトリップ感を感じてみたりだとか。
やっぱそういうのを求めちゃうんすよねぇ。
別に二項対立ではないのかもしれんし、蘊蓄の一つや二つ仕入れても良いのかもしれんけど。というか映画を何本も観る事自体、それをしてる側面もある気がする。
20代バツイチ女。昔からコミュニティ内で人気の女子みたいな存在になったことはない。身なりには気を遣ってるが、顔はネットにあげたらブスと言われそうなレベル。一重蒙古襞口ゴボ。
だけど、なぜか本命彼女や結婚相手にされやすい。いままで付き合ってきた4人の人とは毎回結婚前提だったし、付き合ってすぐに相手が、親に挨拶!婚約!結婚!みたいになりやすい。
小さい時から趣味は盆栽、ウィスキー、ミリタリーなど比較的男性がハマるものが好き。中高生のころは常にクラスで浮いてて、本ばかり読んでいて友達は少なかった。男にも女にも好かれてなかった。
大学生になってからは、高学歴オタクの集まるコミュニティに行くようになって、そういう浮いているところが思春期よりも評価されるようになって、少しおかしい面白い人として扱われるようになった。社会人になったいまも特殊な専門職みたいなところにいるのでなんとかなっている。
いろいろあって夫と合わなくなり一昨年離婚してから、さすがにバツイチは厳しいかなとおもってたんだけど、わりとすぐに「ずっと前から好きだった」と知り合いに言われてとんとん拍子に婚約した。
理由はわからないんだけど、周囲の同世代の友人が結婚したいのにできないと悩んでいるなかで結婚相手だけはめっちゃ見つかる。よく言われるのは、「あなたに似た人は今後絶対自分は出会えないと思うからあなたと結婚したい」ということだ。