はてなキーワード: 漠然とは
”AI絵師”というと、「ただAIにイラストを描かせているだけでしょ」とか、「盗作じゃん」なんて言われることがある。
ふざけんな!!!
あのね、普通描きたい絵があったら頭の中で構想するの。
こういう絵が描きたいなぁ…って。でもAIはそこまで万能じゃない。
頭の中で描いたイラストと全く同じになるなんてことは絶対ない。
質感だったり、唇の角度や大きさ。目の開き具合や髪の靡きかた。
あとちょっと屈んでほしかったり、後ろ脚をもう少しだけ後方に伸ばしてほしかったり。
時には修正に8時間かかることもあれば、それ以上掛かることだってある。
私の場合、AIが出力したイラストをそのまま公表したことは一度もない。
揶揄する意味で使われる”AI絵師”っていうのはおそらく、自分の中に「こういう絵が描きたい!」という漠然としたイメージしかなくて、ただAIに描いてもらったイラストそのままで満足する人たちのことを指しているんだと思う。
それでも基本はAIに描いてもらっているので一応AI絵師ということにしているんだけど…やはり一括りにするのは辞めてほしい。
勤続15年、大学を出てちょっとブラブラしてから入っているのでもう既に転職不可能点(ポイント・オブ・ノータリーン)は突破しているだろう。
ハッキリ言うが、自衛隊という組織にいる人間に本気で国防をする気の奴はいない。
トップに大局的な視野なんてないし、下っ端に愛国心なんてない。
自分のやってる仕事への責任感はなく、ただ漠然とした「怒られたくない」という子供じみた願望に追いやられながら皆働いている。
将官も佐官も、叩き上げの曹長だろうが皆して「なんとなく怒られるのはちょっと嫌だなあ」という気持ちだけで働いている。
重大事故が起きた時彼らが考えるのは「怒られたくないなあ」だ。
事故によって国家に与える影響も、仲間たちが受けた被害も、実際の被害者への罪悪感も、「怒られたくないなあ」に比べれば微々たるものだ。
談合や不正による数々の事案でさえも、現場の認識は「適当な仕事してたのがバレて怒られたら怖いなあ。言い訳頑張ろうね❤」だ。
◯ね。クソが。ゴミが。なんだテメーらは3佐や2佐や1佐がその感覚で仕事してんじゃねーよ舐めてんのかよ。
一納税者を代表して縊り殺したろうかと思うほどに、上から下まで「怒られるのはやだなあ」が仕事の中心になっているクソガキの集まりだ。
マジで嫌になってくる。
効率も結果も二の次で「これなら怒られずに済みそう」を定規にして仕事をしている自分がいる。
死にてえ……死にてえよ……。
その場しのぎを繰り返した人生なんて生きるんじゃなかったと毎日の後悔が止まらない。
クソガキみたいなお偉いさん、チンピラみたいなロートル、ガキそのものな新人、そういった連中に混じった真人間は体を壊したり転職したりで次々消える。
辛い。助けてくれ。心が折れそうだ。
ちゃんと勉強して、ちゃんと就活して、ちゃんと将来のことを考えて、ちゃんとした組織で働いて、ちゃんとした人間になって、ちゃんとした毎日を送る、ただそれだけでも幸せだったんだろうなあ。
全部が遠い話だ。
俺はこのまま「怒られるのは嫌だなあ」と言いながらダラダラ働いて、早めの定年を迎えて、ガキみたいなメンタルでもやれるような仕事(警備員とか)について、それでなんとか食いつないで、それで死ぬんだあ。
うわぁ……人生って辛い……
現在のジークアクスは主に、主人公のマチュと難民の少女ニャアンを対比するような形で話が進んでいる。
社会的地位が高い両親のもとで恵まれた生活を送りながらも満たされない漠然とした衝動を抱えていたマチュ。
難民として社会の下層に追いやられ非合法な活動に手を染めながらも安定した生活を求めて努力してきたニャアン。
2人の違いはたくさんあるが、現状で一つ決定的なものが存在する。
モビルスーツ同士の戦闘であるクランバトルに何度も参加しながらいまだにパイロットの命を奪ったことのないマチュに対し、ニャアンは黒い三連星との試合中にガイアだかオルテガだかを手にかけている。
そして最新の8話でも、今度は生身の人間、毒ケーキのミゲルをジークアクス2号機ジフレドの耳ビット?で蒸発させてしまった。
ミゲルを消す前後のニャアンの平然とした様子から、クラバ以前にも殺人経験があったのでは?という予想も視聴者から出ている。この推測は恐らく正しいだろうと俺も思う。
生き残るためには何でもやるしかない境遇にいれば、殺人ぐらい当然のものとなるだろう、というのはたしかにリアリズムである。
だが、排外主義の嵐が吹き荒れている現代日本発のコンテンツで、難民の少女を一方的に「殺す側」に置き、主人公の手はいまだ綺麗なまま、という構図にはどうしてもある種のグロテスクさを覚えてしまう。
さらに、ニャアンが乗るジフレドは、イオマグヌッソと呼ばれる「悪魔の機械」(恐らくは大量破壊兵器?)のキーとなる存在であることが示唆されている。
終盤では、キシリアに言われるがままイオマグヌッソで大量殺戮を行おうとするニャアンを、殺人未経験のまま、あるいは単なる生存のための手段ではない「価値ある殺人」を経て成長したマチュが、止める展開となるのだろう。
そこでは、「心まで難民になるな!」に類する一方的な説教が発せられることは想像に難くない。
今の日本でこのような内容のアニメが全国放送されてしまうことの影響を、作り手がどの程度考えたのかは分からない。あるいは、なんらかの思想的な扇動を積極的に意図した可能性もある。
20代前半は、それはもう気絶するくらい毎日眠かった。深夜2時に寝て12時に出勤することなんてザラだ。それでも昼飯を食ったら仮眠してた。
朝早起きするような仕事なんて、とてもじゃないができたもんじゃない。早起きできる仕事に就けている人間は人間じゃないとさえ思っていた。
でも家に帰った途端に眠気が覚め、死ぬほどゲームに熱中できる。そして気づいたら深夜2時。布団では寝付けず眠剤で強制シャットダウンする日々だ。
今宵は三十路。今は何時に寝ても8時台には起きられる。もちろん身体はしんどい。頭もぼんやりする。でも20代ほどしんどくはない。
仮眠も不要になった。成長したのか。いや違う。おそらく20代のときは軽い鬱だったのだろう。30代になってから仕事や人生に対して余裕が見いだせるようになってきた。
何よりも漠然とした不安も感じない。おそらく、あのときは精神が摩耗していたんだろう。現実逃避だったんだ。今は晴天の空の下で、子どもの笑い声を聞くだけで幸せである。
幸せな人間よりも、不幸な人間に対して劣等感を感じる。手首にうっすら傷があって、それなりの長さ希死念慮とも付き合ってきたので、辛い経験がないと言ったら嘘になる。しかしどれも、「その程度」のことだ。例えば、クラスで居場所がなく、陰口を言われたり、全く親しくない相手に〇〇のモノマネをしてと頼まれ困っている様子を見て複数で笑う、回ってくるプリントを飛ばされる、とかそういう事はあった。けれど、いじめ、と名のつくようなものは何もない。親に殴られ怒鳴られることはあったけれど、怪我をするほどではなかったし、そういうのは特別な時だけだった。甘やかされて育った。いつも温かいご飯が出ていたし、大学の学費も払ってもらえた。恵まれていることぐらいわかる。旧ツイッターの筆者のミュートワードは、「毒親」「奨学金」。それらの話題に触れるたび、申し訳なさと、死にたい気持ちと、劣等感とでいっぱいになる。「人それぞれの痛みがある」という言説を、頭では理解していて、環境に恵まれている人間に対して「勝ち組だから」といった批判をする人々に対しては、脳内でその言葉が適用されているが、自分に対してはそうもいかない。だって、代わってほしいと思う人なんていくらでもいると思うから。まあ簡単に言えば悲劇のヒロインへの憧れなのかもしれない。病院に行ったら何か変わるのかなと思いながら、希死念慮以外にはピンピンしていて、大丈夫だと言われるのが怖くてそれすらできない。死にたいというか、たぶん死んだほうがいいんだろうな、という漠然とした言葉が頭をいっぱいにして、苦しい。自分のそれが、大した事ないと分かっているから、助けてとも言えない。中途半端なのだ、何もかも。殴るくらいなら、いっそ殺せと泣きながら思っていた小さな自分を少しだけ憐れむことしかできない情けない人生だが、頭を支配する願望を実行に移すことすらままならないため、今日もちゃっかり生きている。
漠然とした温かい寒いではなく「何度」といってやりとりする会話が自然と理解できたり混じれるようになるような温度の概念は一体いつ頃習得するものなのだろう?
小学校一年生ですら体育でプールで泳ぐシーズンになると「今日は16度しかないから無理ー」とか先生が言うのを理解して当然だったような気がする。
しかし小1では理科がないのだから当然温度も習ってないはずだ。
これもまた、習ってなくても普通に生きてれば自ずと気づいたり学んだりしていくことはいくらでもあるってやつで、習ってないから温度わからないじゃハッタショってことになるんだろうか。
改まって定義を教えらてなくてもその会話を聞いているだけで温度を使った会話を自らもできるようになってしまうって普通にすごくないか。
そういえば入学初日教室に入るとみんなの机にどこに座ればいいかわかるようにみんなの名前が貼ってあったよな。
郵便受けに手紙が届いてて、差出人を見たら自分の名前があった。しかも送り主は高校の時の母校。
えっ?なにこれ?って思って一瞬固まったけど、高校のときに将来の自分へ手紙を書こうっていう授業があったのをじんわりと思い出してきた。
開けて読んでみると当時の心境がそのまま詰まってて、なんだか笑ってしまった。
今思えば、あの頃の私は友達も少なく、典型的な陰キャだったと思う。だから将来に対しては漠然とした不安をいつも抱えていた。
でも、そんな子が今や結婚して、子どもを授かって、立派に専業主婦やってるんだから人生って本当に分からない。
夫は優しいし、娘は本当に可愛い。毎日が完璧に幸せってわけじゃないけど、このままでいいと思える程には満ち足りている。
だから、あのとき不安でいっぱいだった私に言ってあげたい。心配しすぎなくていいよって。ちゃんと幸せになれるよって。
あの頃のは私は大人になるのを怖れていた。周りの大人が楽しくなさそうだったからかもしれない。
でも今だからはっきり言える。
大人になるのも、そんなに悪くないよ。
手紙の最後の方には、「ハンターハンターは完結してる?」って書いてあって、思わず笑ってしまった。
残念ながら、完結してません!
西暦3018年。
「情報に振り回されるのは、もうやめよう!」
自然回帰主義者の運動は日に日に過熱化し、ついに暴動にまで陥った。
アップル社をつぶせ!
そのうち、一人がタイムマシンに乗り逃げ伸びた。
数千年前。
そこでは人は言語を獲得し、ようやく喋ることでのコミュニケーションを獲得して間もないころ。
逃げ延びた敬虔なアップルユーザーは、ぼろぼろとなった自分の格好を見ながら、己の人生を振り返った。
エリート人生を送ってきて順風満帆だったはずなのに、今ではこの惨状…。
近くに、警戒しながらも原住民がその姿を注目して観察しており、そのうちの一人、長老がその投げ捨てられたノートパソコンを拾い上げて男に近づき、こう訊ねた。
「これは何かね?」
すると、男は長老を一瞥。それから地面に唾を吐き捨てるような視線を向けながら答えた。
「アップル?」
「ところで、そなたは誰じゃ?」
「へびー?」
「ああそうだ、そしてあなたが今、手に持っているのがアップル社のノートパソコンだ」
男はそれだけ言うと、今後の事を考え大きな溜め息を吐いた。
それを見た長老は気の毒に思い、男に声をかけた。
「もし行く所がないのなら、わしらの所に来るかね?」
「いいんですか!?」
長老は顔一杯に皺を作って頷いた。
後日。
「いいかい、種まきは……」
「まさか役に立つとはなあ。認めたくはないが、さすがアップル!」
投げ捨てたノートパソコンは未だバッテリーが生きており、そしてHDDにはウィキペティアよろしく生活に関する諸情報を保存してあったのだ。
するとそのデータからの助言はみな的確で、瞬く間に村は発展した。
しかし有用な情報はすべて、村に対して有用に働くわけではなった。
あまりの効率化により無駄は省かれ、すると労働量は以前に比べ必然的に減少した。生まれた余暇に若者はみな寝転び勤勉とならず、先代からすれば実に楽をしているように映った。
そうした声が次第に高まると長老も重い腰を上げ、とうとう例の男を村から追放した。
その後、長老は戒めを込める意味でも男の発言を思い出しては話をまとめ、
後世にこのことを話し伝えた。
Androidを使ってることが原因でいじめられる、みたいな話題の中でiPhone至上主義な人たちがネットで結構叩かれてるのを見て驚いた。
今27歳だが、自分が中高生だった当時の感覚としては、いじめまではいかないにしてもAndroid < iPhoneの空気はかなり強かったと思っているし、今も漠然とAndroidに対するマイナスイメージは拭えない。
● エアドロの存在
当時は今みたいなデータ使い放題のプランなんて全然普及してなく、月に◯GBまでみたいな制限が普通だった筈。
アプリのダウンロードやアップデートは家のWi-Fiでやる人が多かったと思う。
そんな中で、パケットを使わずに写真や動画を共有できるエアドロはよく使われていた。
代表的なのはLINE。長押しで既読つけずにメッセージが読める機能はしないAndroidにはない明らかな利点だった。
他にも細かい機能差や、iPhone版の方が先にアップデート来るとか、iPhoneだけ対応みたいなアプリも結構あった気がする。
具体例は全部思い出せないけど、アプリを使っていてiPhoneで良かったと思う場面はちょくちょくあった。
これに関しては正直偏見かもしれないが、Androidは動作が重かったり、画面がゴチャついてたりしている印象があった。
● 充電器の貸し借り問題
iPhoneユーザーが圧倒的多数だったから、みんなLightningケーブルを持ってた。
一方で、AndroidはマイクロUSBタイプBだったことが多くて、ケーブルを忘れるとコンビニまでケーブルを買いに行ってた印象。
誰か充電器を貸して欲しいときAndroidユーザーは苦労していた。
いままで脳内で1場面は思いつくけど、ちゃんとした物語にできないって眠らせてた一次創作の妄想がたくさん脳内にあって。
全部がとっちらかってたのでとりあえず思いつくままブン投げて、chatGPTに整理させて、そのまとめたものを読んでこれならいけそう!って小説を書いてみてたりする。
公開はしてないけど、自分の脳内の整理が出来たのでもうそれで満足ではある。
そして気づいたんだけど、普通の人ってこのchatGPTにやらせてる「情報の取捨、要約」の部分もちゃんと自分の脳みそで出来ているのでは?
やらせると楽だけど、出来ないわけではないというものなのでは?と考え、最終的に己の脳みそが足りない可能性があるのでは?というところに今います。
別に人生において何か、脳が足りなさそうで引っかかったりはないんだけど(メンタルはやられた過去あり〼)やっぱなんかあるのかな~~~~とか漠然と考えちゃうよ!
でもね、仮に脳みそが足りてなかったとして、現代の技術の発展のお陰で有能なサポート機能(AI)が無料で使えるっていうのは良いことですよね。
使えるもの、どんどん使っていこ!
元々太っててダイエットしてたんだけど、止め時がわからないというか止めたらリバウンドしそうなのが嫌で生活スタイルを変えずにいたら一度は体力がついたな〜って実感してたのが最近は逆に虚弱化してる気がする
虚弱化を感じるのはたとえば、
・立ち仕事してるとたまに心臓のあたりがドドドッと変な風にざわつくことがある
・夏日で周りがみんな暑い暑い言ってても全然暑くない。冷房効いた場所がすごく寒い
・何でもない日々でも朝起きてベッドから降りた時点で既にだるいし一日中うっすら倦怠感がある(前はそんなことなかった)
・家の階段を上がっただけで少し疲れるようになってる
・疲れを感じてるのに毎日朝の4時とか5時に勝手に目が覚めて寝付けない
という具合
それで久々に体重計のったら体重が軽すぎて(BMI値14.何とかだった)流石に不味いなあと思ってどうにか体重を増やそうとしてるんだけど、ここにきて健康的に太ることの難しさを感じてる
・たくさん食べる→胃もたれと気持ち悪さでその後食べられなくなる
・たくさん食べる代わりに間食を増やす→ヨーグルトとかナッツとか時々甘いものを食べてるけど、たまに「こんなに食べてていいのかな…」って漠然とした不安を感じる
・太るタイプの食べ物を食べる→気持ち悪くなったり消化不良を起こしてトイレに篭って太るどころか余計にやつれる
・運動量を減らす→今試みてるけどサボりっぽいから自己嫌悪気味になって辛い。自覚するくらいには体力が落ちてるので今まで通りに体を動かすとすごく疲れてしまうのに気持ちが切り替えられない感じ
体調的な難しさと気持ちの部分の難しさの両方があるんだけど、ダイエット経験があって健康的に体重を増やしたことがある人はどんな風に成功したんだろう
とはいえ特に何かがあったわけではないが、アラフォー独身Webエンジニアの今時点の金融資産(というかお金まわり)を棚卸ししてみる。
わざわざ晒してみる理由は、友人や家族ともお金の話をする機会ってなかなかないから。
この記事自体は参考にはならないかもしれないが、あわよくば誰かの目に留まると嬉しい。
地方出身、都内のIT企業に就職。転職もせず、そろそろ勤続20年が見えてきた。
趣味:
なお、この後のお金の話のほとんどは、Webエンジニアであることとはあまり関係ない。
◆楽天証券:4,000万円くらい(+30%)
2016年頃に金融の仕事に関わることになり、勉強のために自分でも始めたのが最初の投資きっかけ。
個別銘柄を売ったり買ったりして小銭を増やしていたが、色々調べるのが自分には向いてないと実感。
現在は投資信託と米国株ETFで毎月40万円(NISA含む)を積立投資がメイン、配当もちょっと意識している。
色んなところに証券口座を開いていた時期もあったが、集約したり貯金から移してきて今に至る。
投信が伸びているのはコロナショック以前からチマチマ積み立て(たまに100万くらい一気に買ったり)していたせいだし、米国株は1ドル120円の頃から買ってたのが大きい。
持ってる銘柄は評判良さそうなところを雰囲気で買い続けているだけ。
分散投資になっていないのは理解しているが、めんどくさくてやれていない……。
◆PayPay銀行(投資信託):180万円くらい(+70%)
◆THEO:53万円くらい(+79%)
◆合計:75万円/月
食費:12万円
ジム代:2.5万円
美容院・服飾:1.5万円
投資:40万円
雑費(電子書籍とか):5万円
うすうす気づいていたが、毎月の給料だと赤字で、ボーナス入れてなんとかって感じ。
いつも普通預金口座と証券口座の残高をみて、合算で減ってなきゃいいやくらいのガバガバすぎる管理……。
仕事でそれなりストレスも溜まるので、飲食や電子書籍のコミックとか買って細かく発散してるところがあるかもしれない。
支払いはほぼPayPay・クレカ(PayPayカード、ヒルトンオナーズカード)、モバイルsuica。
現金は2ヶ月に一度くらい数万円下ろすくらい。
正直自分の才覚だと昇給はそろそろ頭打ちだと思っていて、今のうちに投資に回しておきたい。
毎年150万円くらいの配当がもらえるようになったら、仮に役職降ろされたり今ほど働けなくなってもある程度安心材料にはなるかなと。
なんせ独り身だしね。
おそらく子どもを持つことはなく、仕事が社会との大事な接点なので、できるだけ長く働いていたい。
仕事の時間を減らせたら、自炊も増やして食費を抑えていきたい。
仕事もしたいけど、丁寧な暮らしってやつにちょっと憧れがある。家庭菜園をやったりとか。
犬の動画を見るのが好きでいつか飼いたいなと漠然と思っているけど、お金がかかるよな。今度調べてみよう。
親の片割れはまだ元気なんだけど、地元で一人暮らしでそろそろ後期高齢者。
現役時代バリバリ働いてた人だし、一定蓄えもあると思うけど、一人暮らしができなくなったらどうするかの相談をできていない。
いざとなったら面倒見れるか金を出せるようにしておきたいが、そのためにも親と話さないとと思ってる。
親の今の貯蓄がどのくらいで、年金収入がどれくらいかも知らない。やばいよね…。
そもそも親を一人暮らしさせておきながら、東京で飲んだくれている自分がちょっと恥ずかしくなってきた。もはやお金は関係ないけれども。
みんなどうやって親と老後について話してるんだろう。
なんとなく漫然と資産運用に回してきたけど、改めて残りの半生とそこに必要なお金を考えた方が良さそうだとここまで書いてきて気づいた。
FP相談する時の最初のステップのやつだ。棚卸ししてみるもんだな。
自分は小学2年生~小学5年生の時に、ピアノ教室で通ってピアノを習っていた。
ピアノ教室は、週1で水曜日の30分のレッスンだったはずで、月に何回か忘れたが毎週か隔週に通っていたと思う。
個人宅の一戸建ての1部屋をピアノ教室にしたような所で、自分と歳が近そうな息子がいる主婦な女性の先生だった。
ピアノ教室に通って1~2年間は、1回のレッスンで1曲をクリアしていくペースだった。教材がまだ簡単だったせいか、家であんまり練習しなくても6割程度を通しで弾けたと思う。
しかし、通って3年目頃から弾く曲がちょっとずつ難しくなるとつまづく事が多くなり、達成感も無くなり、モチベーションが下がっていった。なんで弾きたいかもよく分からなくなっていたと思う。
惰性でピアノ教室を通うようになっていって、ちょっとずつピアノ教室が楽しくなくなっていった。
小2からピアノ教室を始めたが、自宅にピアノとかまともな楽器が無かったので(お下がりの鍵盤ハーモニカやリコーダーや、あっても父親が昔の若い頃に使っていた置物状態の錆びかけたクラシックギターしかない)、小3の頃に父親からもらったお年玉で1~2万円程度のCASIOの電子キーボードを買ってもらった。(関係ない余談だが、ゲーム音楽を弾いてる芸人の「こまつ」が2000年代頃に所持していた電子キーボードとほぼ同じ種類の電子キーボードだった。)
しかしその電子キーボードは、5オクターブ(61鍵とか)程度しかないキーボードで、それでピアノの練習をするという、何だか今思うとおかしいというかケチった初期投資や環境だった。
電子キーボード購入当時はお金を気にしてか、なぜか電子ピアノを購入する発想にならなかった。自分も親も電子キーボードでピアノの代用ができると薄っすら思っていたようだった。
近場の家電量販店で電子キーボードを選んで購入時には気付かなかったが、使っていく内に弾き押した感覚がピアノと全く違う事に気付いた(鍵盤を押した重さやピアノの音色や響きや音質など、電子キーボードでは差がありすぎた)。とにかく漠然と「コレジャナイ」というのが頭のどこかの隅にありながら練習をしていた。「ピアノの感覚で弾きたいのに…」と地味に不満に思ってて、モチベーションが下がっていった地味に要因の一つだったと思う。
しかも自分が知らない間に、父親が何となくリビングに電子キーボードを設置してくれたが、自分はリビングで弾くのが恥ずかしかった(自分が弾いてる姿も)。どちらかというと自室とかにこもって独りで弾きたかった。恥ずかしさや迷惑さで親にも相談できなかった。そんな事もあってリビングに誰もいない時を狙って隠れて弾くため練習頻度が下がった。
友達にも「ピアノ教室に通ってるけど、何の曲を弾いてるの?」と聞かれたが、弾いてる曲も子供向けの曲(曲名も無名な曲)で恥ずかしくて、濁すしかなかった。
小5の頃には、練習をかなりサボるようになったりして先生の前で弾けなかったり、ピアノ教室に行く事をグズったり遅刻したりしていて、次男から「辞めろよピアノ教室」と軽蔑気味に言われて(※自分は末っ子)、ピアノ教室の日が来る度に内心苦しく困ったままで通って、妥協しながらやり過ごしていた。
先生から特にサボってる程の練習量について何も言われなかった。自分の動機とか音楽の好みとか自宅の練習環境とか理解されてなかったと思う。先生とも音楽の好みが合わなかったと思う。
小5の頃には、先生も教え方が余所余所しくなり、「躓いてるけど、自分で反復練習するものだから」と素っ気なくなっていた。
(自分は人見知りな事もあって、先生と打ち解けた事はほぼ無くて、レッスン中に「先生がトイレに行ってるから何か弾いててもいい」と言われたが、恥ずかしくて自分は何も弾けずに無音状態で待っていたら、トイレから戻った先生から「また静かだった」と言われて戸惑った程に人見知り。)
小5の頃からなぜか自分は勘繰りが起こるようになり「先生の教え方が手抜きになってないか?」「手抜きなのに親に月謝を払ってもらっている、つまり自分は鴨になっているのではないか?」と疑心が生まれて「どうせ自分へのレッスンは金蔓なんだろうな」という偏見や感情が芽生えていた。
元々自分は幼稚園生の頃からゲーム音楽が好きでDDRとかbeatmania(5鍵)やギタドラ初期などの音ゲーとかにも興味があって「楽譜を読めるようになりたい」とかで漠然なまま「音楽を習ってみるか」となってたが、レッスンを受けると訳分からない童謡みたいな子供向けの曲を弾かされて、演奏する曲の殆どがそもそも自分の好みの曲ではなかったし、好みでない曲はフラストレーションの要因でしかなかった。
当時は自覚していなかったが、どちらかというと自分は座学がやりたかった。座学はあったが30分のレッスン時間の内の10分間程度の座学で、座学だけをやるような選択はなく、座学には重点が置かれていなかった(「座学と実践」の割合は、3:7ぐらいだったと思う)。今ならコード進行とか学びたかった。
(一応、学習指導向けのピアノテキスト教本で、それに沿って演奏して実技が身に付くような教え方はされた。他には「バーナムピアノテクニック」の教本に沿って実技をしていた記憶がある。)
レッスンを受ける意義も分からなくなり、自分が好きな曲を弾きたいという動機は薄っすら残っていて、小5の時に「ゲーム音楽を弾きたい」とようやく相談して、自分が小4の頃に器楽クラブの顧問から運良く頂けた「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を、ピアノ教室の先生に見せたら何故かスルーされて、先生が所持してる楽譜の中から弾けるゲーム音楽を選ぶ事になった。
しかし今よりゲーム音楽は有名でないせいか、選べるゲーム音楽の楽譜が少なく、ドラクエ序曲のマーチアレンジ(子供向けな編曲)やFF10の「ザナルカンドにて (終末的な悲しい曲)」のピアノ楽譜があって自分としてはどちらかというと本望ではないが、それらをレッスンで弾く曲に選ばせてもらって弾いたが、なぜか楽しくなかった。どちらかというと恥ずかしさとか気まずさが強く、弾いてて感情移入してる感じがしなかった。
小5の時に同級生が、近所におじさんが教えてるパソコン教室があって、そこに通っている事を知った、それを母親に相談して自分もパソコン教室にも通わせてくれる頃に、自分はピアノ教室を辞めたいような意思になって辞める方向になった。
これまで送り迎えだけだった母と一緒にピアノ教室の部屋に入り、母親が先生に受講を辞める相談をしていってる最中に自分は、なぜか目から涙が流れてしまい止まらず、かなり気まずい雰囲気になってしまった。惨めや悔しさの涙だったと思う。
そもそもピアノ教室に通うようになった経緯は、「楽譜の読み方が知りたかった」とか「ピアノのドの鍵盤ってどこ?」というような素朴な疑問が動機で、それを母親に話したら適当なピアノ教室を勧められて、どういうピアノ教室か分からず吟味せずに何となくでピアノ教室を選んでしまっていた。
(ピアノ教室受講した後に知ったが、近所にも似たようなピアノ教室があったのに、なぜか近所から少し離れた町のそのピアノ教室が選ばれてしまって、親による送迎の負担が増えただけだった。まだ機会費用的に近所のピアノ教室の方が良かったのになんで?と思う。)
今思うと「インターネットで楽譜の読み方を知る」というのが「顧客が本当に必要だったもの」だったように思えた。(当時、親はIT関連に疎くPC購入やネット開通もかなり消極的だった。)
実は「ドラムがやりたかった」「まだピアノよりドラムの方がまだ才能が伸びていたのではないか?」という懐疑がある。
あとは「もしピアノ教室の先生がゲーム音楽や電子音楽に興味があったらまだ変わっていたのではないか?」と思う。もし当時の小学生時代にKraftwerkとかYMOとか勧められて知っていたら多分今より音楽の知識が身に付いていたと思う。(YMOが自分に刺さったきっかけは中2の頃に見たYouTubeのMV動画だったと思う。ちなみにJ-POPとか邦楽の流行歌には興味がない。)
(ちなみに器楽クラブの顧問も女性の教師で、たまたま「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を教師が偶然に持っていただけで、ゲーム音楽や電子音楽には興味無いようだった。)
当時から言語化できないような無自覚的なフラストレーションや水面下な問題が溜まってたばかりで、今でも地続きで機会損失が大きくなってると思うと、今は後悔でしかない。黒歴史。
小4の時に小学校のクラブ活動で、グループに分かれて合奏をするような器楽クラブに入ったが、自分だけが落ちこぼれでクラブは女子しかいなくて女子と打ち解けれないし助けを求められず割と浮いてて孤独で、上級生だけでなく同学年の女子も普通に楽譜通りスラスラ楽器が弾ける人ばかりだった。
自分はピアノを習っていて楽譜が読めていたと思っていたはずが、弾きながらも楽譜が読めない・まず大体を暗譜しないと読めない状況で(オーケストラ用の楽譜で見慣れない程に楽譜も小さくどこのパートの楽譜か迷子になったり、ヘ音記号の楽譜なのにト音記号の楽譜であると思い違いして読み間違えにしばらく気付かなかったり)、
その弱点に気付かず能力の無さに内心焦りながら、自分の雰囲気だけは皆と演奏してやってるという感じを醸したクラブ活動をしていて、クラブ活動も尻込みになった。
学校でそういうさり気ない悩みがあっても、器楽クラブに入ってる事をピアノ教室の先生に言えてない、親も自分が器楽クラブに入ってる事を知っていないと思う。
(ちなみに小5からは科学部(科学クラブ)に入った。ほぼ遊びみたいで楽しかった。小6になって別のクラブに入ったけど。あと、その頃に受講を始めたパソコン教室は最終的には円満的に通い切った。) (中学生時代の部活はほぼ3年間は帰宅部。器楽クラブの影響で、地味に部活動というのがトラウマや無力感になってると思う。)
「才能が無い自分のせい」と言われればそれまでだが、マッチング的に「自分の嗜好や動機などを理解されず能力のようなものを引き出せられなかった周囲も残念な環境だったのでは」と思う。巡り合わせの問題とか。
自分は歳を重ねるに連れて自分が好きだった音楽を耳にする度に「絶対音感の能力があれば…」ぐらいの無念さ劣等感が大きくなってくる。「絶対音感があれば、好きな音楽の耳コピとか分析が高精度で確実にできて、人生が変わっていただろうな」と。好きなはずなのに馬の耳に念仏で溜息しか出ない。山月記みたいになりそう。
自分は本当に音楽が好きなんだろうか…。単純接触効果的な大きな勘違いでなければいいが…。
余談だが、音ゲーについての自分の腕前は、家庭用IIDX HAPPY SKYの段位認定10段をアナコンでクリアしたのが限界で、高1がピークだったと思う。高2の頃からほとんど音ゲーには触ってない。自分は音ゲーやゲームも才能が無いと強く気付き始めていったのはその頃だった。
自分は音ゲーの楽曲についての話をピアノ教室やクラブ活動などでも話す機会は一切無く、幼小から自分が好きだった音楽は誰にも繋がらず糧にもならなかったのであった。
けれど、他の人が言っているような、未知の扉を開いてハマるわけでもなく、美人局にも合うでもなく、ただいつもと同じようにご飯を食べて仕事をしてスマホをみてダラダラするような同じ日常が続いている。
振り返ると、高校生くらいの頃から、ずっと風俗への漠然としたドキドキした気持ちがあった。並外れた性欲があったわけでない。
男ならわかるかもしれないけど、時々無性にムラムラすることがある。そういったときには、AVを見たりエロサイトを見るかもしれない。そうしていわゆるオナネタを見つけて一発スッキリする感じだ。
そして出した3秒後くらいに正気に戻る。ああ無駄な時間を過ごしてしまったなと。逆に言えば出すまではちょっと正気じゃない。
だからといって性犯罪をするわけではなく、なんならしたいとも思っていない。
自分の場合はそんなムラムラした拍子に、風俗のサイトを巡回して妄想することが時々あった。エロいサービスを見たりしてドキドキするのだ。
とはいえ衝動的なものなので、予約するまでは辿り着かない。普通に90分3万くらいという数字を見て高いなーと思うくらいだ。でも数時間サイトをネットサーフィンなどはして費やしたりはしてた。
しかし、今回はついに思い切ってしまったというか、あるいは道を踏み外してしまったというか。予約をしてしまった。
自分で予約しておいてなんだが、10分ほどで若干後悔していた。エロいことは普通に嬉しいけど、高くない?何なら行ったことないので何が起こるか分からなくて不安でもある。美人局とかあるってネットに書かれてたし。本当か知らないけど。
ただ、予約をしたからには行ってみようと思った。キャンセル金と好奇心を天秤に書けた結果だ。
そして実際に店から連絡が来て、指定された方法でサービスをしてくれる女性と会って、実際にサービスを受けた。
綺麗ではあった。勃ちもした。なんなら出もした。
特に女性の手際に不備があったわけでもなく、違法なことも起こらなかった。風営法に詳しくないので多分だけど。少なくともホームページに書かれている通りだった。
ただなんだろう。こんなものか、とあっけない気持ちになってしまい、なにかが終わった音がした。
サービスを受けて10分くらいはかなりドキドキしたし、際どい格好や手際でギンギンになったりした。
でも、そこからはだんだんと冷静になるというか、ドキドキやワクワクが失われていったように思う。
トップレスの姿を見てて寒そうだなーと思ったり、人様にこんなことをさせてて申し訳ないな、という気持ちが湧いてきた。
思えば、漠然としたインモラル感や未知の快感への好奇心、自分が会ったこともないようなドエロイ美女という、ファンタジーにドキドキしていたのかもしれない。
気持ちいいことをされれば気持ちいいし、女性に触れられるとドキドキする。ただなんというか、普通に女性と付き合ってそういうことをするのとあまり変わらない感じ、あるいは延長線上にいる感じだ。
人によっては、気持ちを醒めさせないであったり、とんでもなく気持ちよく技術がなかった、いい風俗を紹介してやるよと言い出す人もいるかも知れない。それもひょっとしたら一理あるかもしれない。
でもなんというか、どれだけ探しても、所詮感度3000倍になるでもない。当然の話として手が2本生えていて、同じ考え方をする、人間が頑張ってできるサービスの域は出ない気がするのだ。
スッキリしたければトイレで一人ですれば良い、セクシーな美女を見たければYouTubeでも見ればいい、マッサージして欲しければ整体に行けばいい、体を洗って欲しければアカスリでも行けばいい。
そんな当たり前のことを、ああやっぱりそうだったんだな、と思った次第だ。
3万ほど払ってサービスをしてもらった女性にはこんなことに付き合ってくれてありがとうと申し訳なかったな、という気持ちを感じている。
自分にとって3万円という金額は、高すぎるほどでもないがちょっと高いな、というくらいの出費だ。
風俗に行ってしまったことには誇らしい気持ちはなく、ちょっとした後ろめたさはある。ただ、今までの人生の憧れやファンタジーが、そんなものはなかったんだよ、と知れたことにはスッキリした気持ちがある。たぶん自分には風俗にハマる才能がなかった。
言ってしまえば高校生からの夏休みの宿題が終わったような気持ちだ。汚すぎるしそんな綺麗でもないけど。
風俗にハマる人を見下すわけでもなく、好きにすればという気持ちではある。
うーむ、事例のどれもピンと来ない
俺は氷河期世代の最後の方で、地方出身で大学に入ってできたオタ友にMTGやってたのが何人もいたから漠然と思ったことを書いたんだが、増田の言うエピソードは都会に住んでた中高生に当て嵌まったものなのだろうな
最近政府が就職氷河期世代対策を検討していて良い傾向だと思う。
経済的に恵まれなかったり進学就職がうまくいかなかったりパートナーに巡り合えなかったり様々な苦境にあえいでいる方がいる。
自分は頭も悪く容量も良くなかったが親はそれなりに金を持っていた。
運良くそれなりの企業に就職できパートナーと運よく出会い家族に恵まれた。
そんなふうに漠然と考えていたが、ふと自分が思っていた以上に就職氷河期の上澄みは時代の恩恵を受けていると気付いた。
学生~20代って人生で一番金を使いたいときじゃないだろうか。
普通の学生、普通の20代のサラリーマンが享受できるもののワンランクツーランク上のものを手に入れた、体験した。
子育ても金は当然かかったが食費は安いし家庭内のことを外部委託するにしても費用は今考えると法外な安さだった。
金を使いたい時期と金のかかる時期にデフレだったのは個人としてはとてもいい思いをしたのだと思う。
もちろん日本全体にとっては別の話だが。