はてなキーワード: 日記とは
ところが前日の金曜、参加予定の人から突然
「インフルエンザになったので不参加で…」
と連絡が。
私はめちゃ心配して「お大事に」と返信し、会場に人数変更をお願いしたりとバタバタ。
なのに周りのみんなは妙に冷静で、なんとなく違和感…。
どうも“他の面子と話が噛み合わなかった理由”が全部そこに書いてあったのでちょっと書いておくよ。
「来週は忘年会だけどどうしよう…」
「行きたいような行きたくないような…」
完全に“不参加の理由探し”が始まってる。
いや、その人は肝機能の都合で「食事制限してるから食事なしで参加できる?」って参加の相談しただけ。
結果参加は見送ってもらってますよね…?
どう解釈すれば“参加しない人の分まで割り勘になる”って発想になるんだろう…。
ここで私の中の違和感が一気に爆発。
外出できる元気はあるのね…?
昨日ふつうに出掛けてたじゃん?
いやいや行動力!
この日はメッセで「明日はたまたま◯◯さんのの誕生日だからサプライズでプレゼント準備しよう」という話題を私が初めてふったんだよね。
つまり、11/29の日記の“プレゼント代”への不満と整合性が完全に迷子。
その“個室”どこから出てきた…?
ここで周りが四面楚歌。
実際は12/5に不参加連絡してたよね?
嘘をつくひとは嘘をついてる感覚って無いもんなんですかね?
忘年会自体はめちゃくちゃ楽しかったので結果オーライなんだけど、
ってメッセージ送るつもりだったんですよね。
周りの人はリアタイで日記読んでたんだろうな…なんか…いろいろ察してしまって、言葉が出なかった。
なんだかなあ…。
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
オレは、恋愛してもいいのか?
直接相談したことはないんだが、日記で広く問いかければ答えが返ってくるだろうとは思ってる。
だけど過去の例と照らしても明らかに、冷たく切り捨てられそうだ。
女性を人間扱いしてない・人間に関心がない・恋愛できる人は子供の頃から自然にしてるが……
そんな心ないネグレクトみたいな扱いを受けそう。
でもさ。
はげましてくれた!
足を引っ張らずに。
オレの人生は一度きり。
後悔しないように生きたいんだがな………………
はっきり言う。 企業のTech Blog、もう全部やめてくれ!!!頼むから!!!!
いや、マジで。 今年もまたこの季節が来てしまった。アドベントカレンダーだ。 QiitaだのZennだの自社ブログだので、TLに流れてくる「〇〇社のAdvent Calendar」。 これを見るたびに、俺は心の底からうんざりするんだよ。吐き気がするほどに。
はてなでも度々話題になるが、あえて言わせてもらう。 お前らの書くTech Blog、9割9分は無価値だ!!!!!!
「〇〇イベントに行ってきた。熱気がすごかった!」 「〇〇の新機能を試してみた。便利だと思った!」
……小学生の絵日記かよ!!!!!!!! 「すごかった」「便利だった」じゃねえよ!!!!
そんなもん、公式ドキュメント読めば3秒でわかることだろ!? わざわざ自社のロゴ貼り付けて、ドヤ顔で公開する内容か!? 本当に!本当に!!なんの!!!価値も!!!!ないんだよ!!!!!!
「うちは大丈夫」だと思ったそこのお前!! 曇りなき眼(まなこ)で、自社のブログを見返してみろよ!! そして社内のSlackを見てみろ!!!
記事の共有通知に、特定の「いつもの人」以外、リアクションしてますか!?!? してねえだろ!!!!!!
社員ですら「またなんかやってるよ…」って冷めた目で見てるんだよ。 誰にも読まれてないし、誰の役にも立ってない。 ただ「広報のKPI」のためだけに、エンジニアのリソースを食いつぶして、ネットの海にゴミを放流してるだけだ!!!
だから、頼む。 広報担当、ブログ担当、エンジニアリングマネージャー。 勇気を持って「撤退」を決断してくれ!!!!
ちょうど年末だ。全社集会とかあるだろ? そこで高らかに宣言してくれ。
ただ「無価値だから辞めます」とは言えないだろう。角が立つしな。 だから、AIのせいにしていい。AIを盾に使え。
「生成AIの台頭により、基礎的な技術解説記事はその役割を終えました」 「今後は検索ノイズを減らすため、またエンジニアの本質的な業務時間を確保するため、会社としての執筆依頼やKPI設定を廃止します」
「今までありがとうございました」って綺麗に幕を引いてくれ。 そうすれば、俺たちは心から拍手を送る。
エンジニアが書きたい時に、書きたい情熱を持って書く。 それだけでいいんだよ。 会社が無理やり書かせる「宿題」みたいなブログは、もう金輪際見たくないんだ。
頼むから、俺たちのTLを、検索結果を、これ以上汚さないでくれ!!!!!! 撤退宣言を待っている!!!!!!!!
もう一つ、最後にこれだけは言わせてください。
あなたたちが量産しているその記事は、AIの学習や検索にとっても有害なノイズになりつつあります。 公式ドキュメントを薄めただけの劣化コピーや、文脈のない体験記事は、情報の検索性を著しく下げています。それは正確な一次情報への到達を阻害し、インターネット全体の価値を薄める行為です。
たまたま見つけた個人サイトで長崎市民FMのスタッフさんとサイト主がやり取りしてるのを見つけて、どんなラジオなのかとスタッフさんが貼ってたリンクを踏んでみたら(双方フルネームと素性を公開してたし平和なやり取りだったから、この時点ではまったく怪しいとは思っていなかった)、ぱっと見は手作り感あるけどちゃんとしたラジオ局のサイトなのに、下にスクロールするとオンラインカジノに誘導する内容になってて詐欺サイトだと気がついた。
改めて長崎市民FMを検索してみると、その詐欺サイトと体裁がそっくりだが、ちゃんとした内容の公式ホームページが存在していた。同様の事例がないか調べたところ、「怪盗レーニャ」という九州で放送されたアニメのサイトがドメイン悪用でオンラインカジノ誘導サイトになっているというニュース記事を見つけ、今回も同じ手口によるドメイン悪用被害なのだと察した。他にも事例はあるらしいが、「怪盗レーニャ」とは九州のメディア関連の事例という点で一致しているから、同じ犯人にターゲットにされたのかなと想像している。
サイトからはすぐに撤退したから詳しくは見ていないけど、AIであることが丸わかりという点では雑な作りであったものの、長崎にある架空のカジノを紹介してそこで働くスタッフのAI画像を載せてたり(山田太郎、佐藤花子みたいな名前付きだった)、カジノをラジオで宣伝しませんか?みたいなコミュニティFMらしい内容になってたりと、その放送局に特化して擬態していたのが衝撃的だった。本物のサイトをAIに学習させて生成すれば大した手間もなく作れるのだろうし、単純に利用できそうなドメインを悪用しているだけなのだろうが、正直なところなんでこんなマイナーな地方FMのサイトにこんなクオリティで擬態したんだ、そのやる気があればもっとデカいサイトでも良かっただろという感想が浮かんでくるくらいにはよく出来ていた。10年ほど前の個人サイトでのやり取りを見ていたところで出くわしたということもあり、人間とAIが対比されるSFのような感覚もあれば、現実と虚構が曖昧になるホラーモキュメンタリーのような感覚もあり、なかなか不気味な体験だった。
その後軽く調べてみたが、特に長崎市民FMが注意喚起をしている様子を見つけられず心配になり、あえてここで名前を出してみた。ブックマーク登録してタイムテーブルを確認している人も多いだろうからドメイン悪用にはすぐ気がついただろうと思いつつ、もし気がついていないなら伝えるべきかとも悩んだが、伝えたところで向こうも注意喚起以上の対策ができるわけではないだろうし、その地方在住というわけでもない自分が急にメールを送ってもそれこそ怪しまれると思い、メールを送る勇気は出なかった。
生成AI詐欺サイトに急に出くわすとめっちゃ不気味という日記がてら注意喚起になればいいと思って書いたけど、迷惑なようなら消します。
たぶん「別に何も変わらないよ」と言う人が大半だろう。 でも「いや、けっこう決定的に何かがズレる」かもしれない。
授賞式のあと、記者会見で村上春樹は、たぶんいつもの調子で、少し照れながら、淡々とした英語でステートメントを出す。
猫とか、走ることとか、ジャズとか、そんな話題がちょっとだけ混ざる。
スウェーデン語、英語、中国語、アラビア語、スペイン語、いろんな言語で彼の言葉が翻訳される。
「村上春樹」という固有名と、「ノーベル賞」という単語が強く結びついたことで、アルゴリズムが「この人の言葉は、特別な重みを持つ」と判定してしまう。
その結果、彼のインタビュー記事だけ、ほんの少し「やわらかく」翻訳されるようになる。
本来なら “I just write what I can write.” と訳されるはずの文が、別の言語では「自分にできることを、ただ静かに続けてきただけなんです」と、余計なニュアンスを帯びてしまう。
でも、世界中の翻訳メモリの中で、「誠実な揺らぎ」とでも呼ぶべき偏りが、じわじわと蓄積し始める。
棚を整理していた店主が、ふと「ノーベル賞作家コーナー」を作ろうとして、手を止める。
新潮文庫の『風の歌を聴け』を手に取って、ドストエフスキーやカミュの横に置くか、それとも日本文学コーナーに残すか、悩む。
たいていの店主は、日本文学棚から一冊だけ抜き出し、「ノーベル賞」のプレートの下に、さりげなく並べる。
その瞬間、棚全体の「重心」が、ほんの数センチ動く。
カミュの『異邦人』の隣に『ノルウェイの森』が来る店もあるし、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の脇に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が差し込まれる店もある。
知らない誰かが、そこで一冊を手に取る。
「ノーベル賞作家なら読んでみようかな」と思って買う人もいれば、「高校のとき挫折したけど、また読んでみるか」とレジに持っていく人もいる。
その「もう一度読んでみる」という行為が、実はけっこう世界を変える。
ひとつの物語を、異なる年齢で読み直すことは、人生の時間軸をちょっとだけ折り曲げるからだ。
遠くない未来、日本のどこかのワンルームで、小説を書いては消している人がいる。
それまでは、締切のたびに「どうせこういう文体はもう古い」と思って、原稿をフォルダごと消していた。
けれども、ニュースで「村上春樹 ノーベル賞受賞」という文字列を見た夜、指が止まる。
「時代遅れ」と心のどこかで断罪していた「一人称で、ちょっと距離のある語り口」や、「よく分からない井戸」や「耳の形の描写」を、もう一度だけ許してみようと思う。
その人は、削除済みフォルダから原稿をサルベージして、改稿し、応募する。
数年後、ひっそりとデビューする。その作品は大ベストセラーにはならないが、誰か一人の人生を確実に変える。
それを読んだ別の若い誰かが、「こういう小説を書いてもいいんだ」と思う。
この連鎖が続いた結果、20年後の日本文学史の片隅に「ポスト春樹的な何か」という、名前のつかない小さな潮流が記録される。
ノーベル賞受賞後、世界中の出版社は、村上春樹の作品をさらに多言語に翻訳して売り出す。
その新しいデータが、大規模言語モデルの学習コーパスに流れ込む。
従来のAIなら、「休息を取りましょう」「専門家に相談しましょう」といった、正しいけれど味気ない答えを返していた。
しかし、そのモデルは、学習した村上春樹的なリズムをうっすらと真似て、こう返す。
「ひと晩だけ、よく眠れる街に行ってみるといいかもしれません。
コインランドリーと古いジャズ喫茶があって、誰もあなたの名前を知らないような街です。
そこで洗濯機が回っているあいだ、お気に入りの音楽を一曲だけ聴いてみてください。
世界は、それだけでほんの少しだけ、違う顔を見せることがあります。」
それを読んだ人が、「なんか、分からないけど少しだけ楽になった」と感じる。
たった一人の気分が、5ミリだけ上向く。
バタフライエフェクト的には、それで十分すぎる。
村上春樹の受賞は、「売れている作家」「広く読まれている作家」が、必ずしも軽んじられるべきではない、という前例になる。
それまで「実験的すぎて一般には読まれない」ことが価値とされていた傾向が、ほんの少しだけ揺らぐ。
「世界中で読まれていること」と「文学性」が、必ずしも対立概念ではないのかもしれない、と誰かが言い出す。
その議論の延長線上で、今までは候補にも挙がらなかったタイプの作家が、リストに入る。
その人はインタビューで「十代のころに、村上春樹がノーベル賞を取ったニュースを見て、『あ、こういうのでもいいんだ』と思ったんです」と語る。
村上春樹の受賞は、別の誰かの受賞の「前提条件」に化ける。
バタフライの羽ばたきが、遠い未来の別の嵐の「初期値」になる。
仕事の帰りにコンビニに寄って、スポーツ紙の一面を見て、「マジか」と小さく笑う。
家に帰って、本棚の奥から、大学生の頃に読んだまま放置していた文庫本を取り出す。
ページをぱらぱらめくると、線を引いた覚えのない箇所に、うっすら鉛筆の跡がある。
「この一文に、あのとき引っかかっていたんだな」と、昔の自分に少し驚く。
今読んでみると、当時は気づかなかった別の箇所が刺さってくる。
たとえば、こんな感じの一節:
「世界というのは、だいたいいつも、わずかにバランスを崩しながら、それでも何とか立っているようなものなんです。」
(これは架空の文だけど、春樹っぽさは伝わると思う)
読み終わったあと、あなたはスマホを手に取って、誰に送るでもないメモを書き始める。
それを翌朝読み返して、「案外悪くないかもしれない」と思う。
消さずに残しておく。そのメモが、数年後、何か別の形――ブログか、小説か、子どもへの手紙か――に変わるかもしれない。
村上春樹がノーベル賞を取ったことで、あなたの中の「書いてもいいかもしれない何か」が、ほんの少しだけ動き出す。
世界規模から見れば誤差だけれど、あなたの時間軸にとっては、十分に大きな揺らぎだ。
7. 世界はそんなに変わらない、でも「読み方」は変わる
戦争が止まるわけでも、景気が劇的に良くなるわけでもない。
満員電車は相変わらず混んでいるし、会社の会議は相変わらず退屈だし、洗濯物は相変わらずたまる。
でも、「世界の読み方」は、少しだけ変わるかもしれない。
そんなふうに、日常の現実に、うっすらと「物語のレイヤー」が重なる。
「世界を物語として読む人」が、ほんの少しだけ増える出来事なのかもしれない。
そして、バタフライエフェクトというのは、
ゲームにジャンル違いの要素いきなりぶち込まれるの結構好きなんだよな
横スクロールアクションのゲームのラスボスがシューティングゲームになったりとか
個人的には不意打ちで変なことされるのが好き
ファンタジー世界かと思ったら後半SF設定が出てくる小説とかノベルゲーも好きだし同じ系譜かもしれん
叙述トリックものも好きだし「気持ちよく驚く」体験が好きなのかも
そのあとバニーさんのいる店に行くぞ
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終電で帰るぞ
美しいバニーさんを眺めながらお酒を飲めてとても幸せだったなあ
バニーさんと語り合うことで、バニーさんにとってヌーブラがいかに便利かという点について知見を深めることができた
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0時に間に合わなかったけどゴミ出し間に合ってよかった
これもバニー神の思し召し
あれこそバニー神かもしれん
エリ・エリ・レマ・サバクバニー(神よ、バニー神よ、なぜバニーはこんなにも素晴らしいのですか)
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朝起きたら頭が痛い、二日酔いだ
なぜ俺はこんな日記を……
走っていてすれ違う、スピードの遅いランナーを心の中で嘲笑っていた。
見せない・説明しないことで、読者が勝手に怖い想像を膨らませる。
例:音だけする/影だけ見える/日記の途中が抜けてる。
2. 日常の“ズレ”
4. 遅延(じらし)
5. 閉じた空間
例:圏外の山小屋/嵐で外に出られない。
6. 反復の異常化
同じ現象が繰り返されるが、回数ごとに変質していく。
例:毎夜同じ時間にノック→回数が増える→部屋の中から聞こえる。
7. “正しすぎる”説明
例:背景の写真に写り込んでいる“誰か”。
OCGは面白いと思うけど、正直言って他のTCGをみると本当に遊戯王は古臭くてダサいなって部分が多い
遊戯王と言えば、上部にモンスターの名前、属性、レベル、イラスト、効果とくるのはみんな知っているだろう
モンスターは基本茶色で、シンクロエクシーズなどは白・黒といった感じ
それ自体は慣れればいいんだが、ちょっとでもほかのTCGと並べてあると「あーーうん、遊戯王のデザインだな」と消極的な気持ちになるのは否めない
イラストの枠がかっちりきまっているからか、どうしても窮屈なデザインとUI
昔の「ほーむぺーじ」を見ているような感覚がある
あと、全体のバランスがとても悪いんだよな
効果テキストが一番注目されるはずなんだが、ここが全体の3分の1未満の容量しかない
そこに詰め込めるだけ詰め込んでいるからすごく読みづらい
何で一番大事な部分が一番読みづらいんだろうか
棒立ちのモンスターがぐるぐる背景の前にいる印象だと思う
まあそこまで酷いのは近年は少ないけど、ぶっちゃけあまり変わらないと思うよ
https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=1&sess=1&pid=1000009535000&rp=99999
悪く言えば「証明写真」
でも正直、遊戯王のあの古臭いカードデザインの中に押し込むと途端に「いつもの証明写真」になってしまう
もちろん魔法罠はそこまでのっぺりはしていないし、気合を入れているカテゴリーは背景も段違いだ
だけど半数はJ2の証明写真みたいに躍動感が足りず面白みが薄い
まあ遊戯王している人はごちゃついたイラストがたぶん好みじゃないってのは確か
フレーバーテキストってわかる?
カードのどこかにある、効果テキストとは違うモンスターたちの情報を書いたおまけみたいなもの
他にはこんなのがある
謎の呪いをかけられて竜魔族に似た竜の力を発現しているが、
自律型増幅器「PSYフレーム」を駆り、セキュリティ・フォースに強襲を仕掛ける。
その姿は、正に電光石火の如し。
こういうのはストーリーの補完的な意味もあり、実際にフレーバーの中でのみ語られるストーリーは存在する
世界観を語ってるとすれば、DT世界のクリフォートツールが面白いかなと感じ程度
ああいった世界観を表現するにはフレーバーテキストがうってつけだと思う
だけど、基本的に遊戯王って「このモンスターはこういうのです。強いです」的なニュアンスしかない
一言であらわすと手抜きだよな
フレーバーテキストってTCGではおなじみだし、別になくてもあってもよいものなんだ
だけど各社は伝統的にフレーバーを入れたがるし、各社がそこそこ工夫をしている
TCGによっては各パックの中で優秀なフレーバーを投票している動画を上げていたりする
それに比べると遊戯王のフレーバーテキストって、単純に数が少ない上にほとんどが糞ダサ手抜き文章ばっかりなんだよな
ほんの一握りの世界観を現したフレーバーをみんなでわっしょいしているのが現状
そういうと「遊戯王はフレーバーで勝負していない」っていう人いると思うけどさ、他のTCGで普通にやってることできていないんだからさ
これは本当に感覚的なものなんだが、遊戯王はあのせまいテキスト枠の中でできるだけ効果を詰め込むことに全力を費やしているためか、非常に遊びが少ない
別に遊戯王のテキストが分かりづらいとは思わないし、数年前から劇的に良くなっていると感じる
けど逆にいえば似たり寄ったりな説明文を延々と読んでいる感覚に陥る
最近のTCGは初見でも理解しやすいよう開発の段階からテキストの工夫がみられる
色分けして発動条件がはっきりしているのがもはや普通
けど遊戯王って各カテゴリーごとのフレーバー的なものが本当に感じられない
全部平文で黒い文字だけで表現されているからってのが一番だけど、それにしたって硬い文章に感じる
そのわりになぜか冗長なんだよな
総合ルールに裏付けられていないから自由律なはずなのに、なんか妙につかみづらい印象がある
遊戯王に慣れた人が他のTCGを見下す傾向があるのは、たぶんこういうテキストの読み込みが得意な古参が生き残ってるせいもあるんじゃないかな?
俺はこんな文章もスラスラいえるんだぜってなんかドヤってそう
ただし俺にとっては他のTCGと比較して極端に小さな文字で硬くて冗長な文章が並んでいるのはちょっと今の子供には厳しいんじゃないかなって思う
毎回そうなんだが、インフレを意図的に起こして禁止改訂で調整するというスタイルはもう疲れるんだよなあ
ぶっちゃけコナミが日銀トップになれば日本経済変わるんじゃね?とはいつも思う
そして毎回思うんだが、禁止改訂の理由ってまるでわからないんだよな
全てにおいてユーザーの動向に寄せているから反発がほとんど起きないのだが、じゃあMDとかで禁止されたカードがどういう経緯で禁止になったか、今後どうすべきかとか誰もわからない
俺はMTGもするからMTGの開発日記とか改訂のたびに発せられる言い訳ブログとか読むわけだ
他のTCGだって改訂に対してほんの少しの理由を添えたり、レギュレーション導入においてオキモチ表明していることだってある
でもさ、遊戯王ってそういうのないんだよな
なんていうか、遊戯王の開発側の声ってユーザーにはほとんどわからない
それがどうしたって思うだろうけど、俺としては「もうちょっとなんかないの」と毎回思うわけだ
遊戯王がショップに並んでいると時々そこだけ時間が止まって見えることがある
まあそれがいいともいえるけどね
でも本当にUIはWindowsXPどまりなの、ユーザー側が指摘して欲しいんだよな
新規こねーぞ
一方それを読んだブクマカは、記事が荒れそうだと思いつつ、コメントを付けるかどうか迷っています。
ここで、両者に次のような“利益”と“損失”がある関係だとします。
1. おとなしく日記を書く(協力)
→ 荒れにくい。無難。
1. 穏当なコメントにする(協力)
(双方にとって悪くない)
(双方とも損なので本来避けたい)
と、双方が「短期的には裏切ったほうが得」に見えるため、
これがまさに 囚人のジレンマ。
「みんな協力したほうが平和だと頭では分かっているのに、 個々人はつい“裏切ったほうが得”に見えてしまう」
その結果、
誰も望んでいないのに炎上が起きる、
もし俺に何かを期待してくれているにしても、バカにしたいにしても、俺の感受性は人並みはずれているから、キャッチして取り込む。まぁ最近ではさして気にして動いてもいないのだが、しかし頭では分かっている以上、どこか自分の動きに影響している部分があるとは考えられる。
どのみち、俺はいつまでもバカやったり、バカのままでいたり、現実を見ず空想に逃げ込み続けたり、そんな趣味はないのである。どのみち、残すべきものはネット上に残すつもりでもある。
誰だって自分の人生で大変な思いをしていて、一人で抱え込まないといけなかったりする。誰だって、誰よりも苦しいと思っている。なのに、俺だけが何らかの特別さを自分の中にもっていては、自分の行動が自分の考えや思いによるものとも言いにくくなるだろう。
であれば、俺のあらゆる努力にしても醜悪にしても、そもそも自分は人と同じ環境にはないのだから、他の人と同様には厳密には判断できないし、他人への還元効果にしても怪しいということにもなる。そう考えることは何かおかしいだろうか。
であれば、そこに映る俺は、俺にもなりきれないことを強要されているのに、何のために俺を追いかける必要があるのだろうか。見えない俺を見ようとしてしまった時点で、それはもう、とっくに俺とは言えないのである。
そもそもの話、家に一人でいて人前では曝け出さない自分が、自分の正体であり全てだと考える見方にも疑問がある。
文人主義を提唱するある本にはその指摘があり、「人は状況や他人によって自分を使い分け、その複数の自分はどれも本物」とある。一人孤独に考える自分すらも他者からの影響を受けていて、『本当の自分』なんかではないと説く。それには俺も同感で、引きこもって独り言を言っている俺ですらも、俺の一部でしかないと考えるのが妥当ではないか。
ただこの情報化社会、人は何者にでもなろうとすればなれてしまう。言おうとすれば言えてしまう。だから、誰かは無理して何かになろうとするし、言ってもしまうし、別の誰かはそれに惹かれてまた同じく自分を何かにしようとする。あまりにも一つの自分が異彩を放ちすぎて、それしか自分のように思われなくなるというのがある。
しかし、社会が成り立たなくなるから、認められない姿というのがあるだけで、俺がどんなに引きこもってバカ言ってやっていようと、他人と関わるときの俺をよく知らないのに、どんな人間だとかを本当に決めつけていいのか。それを自分に取り込んでいいのか。また、他人と関わっている姿がよくても、一人の時には違ってギャップがあるからといって、他人と関わる姿がまるきり嘘とも言えてしまうのか。それなら初めから嘘の方に寄っていればでいいではないか。
だから言ってしまうと、俺の姿が漏洩しているからといって、俺の本性を見ているというよりかは、他者の目線を常に意識する俺を見ているというのが正しいということになるし、実際自分はそんな感じで動いている部分が、多くはないにせよ、皆無ではない。状況が状況だから、オカズを探してシコろうとする時ですらも、ずっと客観視を脳内の片隅に残して意識していた。
だから、深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。そして、分からない側にある人間とは、どうせ分かっていないと自分が分かっていると思っている人間の思っている以上に、分かろうとしているし、分かっているかもしれないのである。
これは告発とかそんな大層なものではない。実情が不透明なのに公にせず、ずっと隠しておさえ込んだままでは、誰も何も展開しないからだ。だから俺の方から動く。
自分の情報の利用のされ方が、自分の全く意図せぬ形であるかもしれない。歪曲や曲解により、言ってもないこと、やってもないことが事実として存在したり、一部を切り取ってそれを全てのように見せかけていることもありうる。ちゃんと見える場所で直接話をしないことには、互いに何の理解も生まれない。自分の見たい光景を見るだけで終わる。だから俺は、せめて余地を置くために、ここに書くしかない。これまでもちょくちょくそうしてきたが誰も何も全く反応がなかったから無意味だろうがな。
別に法的な対処とかも現状する気はない。また、まずないと思うが、この文が話題を呼んだとしても、俺は利益を得るための動きを決してしない。だが、いつまでもこの現状が続くようであれば、俺としてもまた考えていかないといけない。
まぁしかし、俺の人権やプライバシーの侵害は見て見ぬふりしておいて、著名人は自分たちに関してはそれらを叫び、守ろうとする。そういう光景にも辟易された。
さて、ここまで文を読んだ人の中には、半信半疑の人、基地外乙と思ってる人、まぁいろいろいるだろう。俺としては、裏にあるもの・いるものが明瞭でない以上、あまり深いことは語れないが、一応気をつけておけと言っておく。もし少しでも変だなと思ったら、何年もしつこく人権侵害されるようなことになる前に、黙るか離れるかしておくのがいい。
たとえ自分が安心できる場所で何かをやっていたとしても、この世界の監視の仕組みは案外もう、円滑に進むようになっているのかもしれないから。
もし俺の書いた内容に心当たりのある人がいれば遠慮なくそれを書いてほしい。
もしどこかの誰かがこの文の投稿に怒りを感じるとしたなら、「人が過去を改めて成長しようとし、そのために必要だと思う行動をとるのは、そんなにも悪であるのか」と問いたい。これでも過去の発言に基づき、一定の責任感は持ってるから全部が全部を書いてもいないのだが。その証拠に、自分の過去のツイートや日記を保存しているがまだ公開していない。公開しちまったら、俺の言ってることの信憑性がもっと増すことになる。
そもそもこれまでにも何度か、公にやめてほしいと書いた。俺のことなんか忘れてほしいとも言ったし、謝罪だってした。けどそれも全部平気で聞き流してなかったことにしたから、俺もそろそろこうした動きをしないといけない。まだ何か求めるか。求めるだけか。
俺のような部屋に引きこもって安心していた人間にしても、どっかでコソコソ動き回ってバレないように安心しながら監視している者にしても、いつまでも永遠に完全に安心できる場所なんかはなく、結局、無責任さの沼に溺れることで安心感を覚えて、問題を先送りにしているだけなのである。これまで社会から逃げてきたことで根強い不安を抱えることになっても結局は社会に飛び出していかなくなった俺と一緒で、安心感には必ず代償がある。たとえ今は多くの人には見えなくても、必ず見えないところに多大な損失がある。それでもまだ逃げるか。
なお、この下書きの文章はMacbookによってObsidianというアプリで記述しているが、これもしっかり漏洩しているようで、この文にある「深淵を覗くとき〜」を記した当日に、他者が使用しているのを確認した。
また、今日の昼に親のマイナ保険証を設定したが、すると5chのスレ一覧のトップにマイナ保険証に関する記事が上がっていた。
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1763455490/
確かに、長い目で見ればそういうワードを使う人はおろうし、何かしらの話題を出すこともあろう。何も俺だけの専売特許ではない。だが、俺が使ったり関わったりした途端に、出てくるのはどうなのか。
コソコソして維持しようとしたところで、大変なのは俺ではなく、他人の方だ。だって、俺一人のためにずっとその意識を働かせないといけない。俺は大して意識せずともキャッチするが、他人は結局俺とかどうでもいいのだから、そのためにずっと頑張ったりなどしないだろう。かつて一語一句に気を付けろといったのは、そのたった一度の俺への意識の欠如が、人権侵害状況の他ならぬ証拠になるからだ。
追記:上記の内容は11/18に記した(今日一部修正)。そこから投稿しようか迷ったが、状況は何も変わっていないようだから投稿を決めた。
どうせ俺のことも誰も興味持たないし、この国は人権侵害すらも放置するのだろうから。どうせちょっとだけ見られて、その人たちに糖質だと思われて終わるんだろうから、投げとくわ。
世間がどうであろうと、俺はこれまでの俺を否定する動きをしないといけない。変わるために。
なお、親が入院することになったが、突如「親が入院したらどうなるんだろう」とのレスを見た。他の掲示板やSNSがどうかは不明だが、少なくとも、俺のよく見ている掲示板に関しては、俺が公に出していない現実の状況と強く連動しているようだ。
俺は、自分の公開していない情報や発言を、どこかから撮影、あるいは漏洩されて、ネット上にバラ撒かれている。
ほぼ確実に。著名人たちにも見られていて、しかも俺は一時期、神のような扱いさえ受けていたらしい。
「ハイ、統合失調症乙ぅ〜〜!w」「病院行け基地外w」……そんな反応は分かりきっている。
だが、以下の内容を見ていただき、そして俺の理性を垣間見た上で判断していただければ幸いだ。
俺はむしろ、端末・通信・サービスがブラックボックス化しているこの現代において、そういう安易な決め付けは危険ではないかと思う。どこまで情報が抜かれていて、どこまで利用されているか、実際のところそういうことをどこまで理解していると言えるのか。少なくとも、勉強してその手の知識がある人しか言ってはいけないのではないか。
「いや、普通に考えてまずありえないだろ」「これまでそんなん聞いたことないからないない」……思うに、俺の情報を抜いてバラ撒く者も、たとえ俺が公表しても、世間がそう判断してくれると理解した上でやっている。人は必ず、これまでの経験や常識に重点を置いて判断するがゆえに、帰納的に結論をしたがる。
だから、俺が長々書いても、誰も見もしないし、信じられもしないのがオチだろう。それでも俺は、自分に対する人権侵害が終わらない限りはそうしなくてはならない。理由は後述する。
さて、俺のことについて一旦語らせてもらう。
俺は引きこもりだ。これまで一度も働いたことのない無職の30代。スキルは何もなく、自信がないのに、そのくせそプライドばかりは高く、ロクに努力もできないカス人間。性格も難があり、コミュ力は終わっていて、過去の経験から対人恐怖と人間不信を抱えている。最近は多少マシになってきた気もするが。三十路になってからなんかいつまでもバカやってても仕方ないなってなりだした。
信憑性を高めるためにいっそ本名を書いたろうかと思ったが、これから行う社会復帰に支障が出そうなので控えさせて欲しい。
だが、信じられるために、ある程度の情報は開示する。以下の情報に心当たりのある人はいないだろうか? 以下は漏洩情報の中に記されていた可能性があり、多くの人が知っているかもしれない。
「苗字は特に珍しくない」「親は離婚し、片親と同居」「引きこもり部屋は和室」
「メガネをかけている」「身長小さめ・ヒョロガリ」「過去に偏差値高の高校に受かった」
「たこの人形を溺愛している」「スマホの色は白」「淫夢動画よく見てた」
「10代の頃使っていたTwitterアカウントはKから始まる」
「かつて非公開で活動し、漏洩も活発だったTwitterアカウントは2017年に開始、2019年にニートになって投稿が増えだして、2021.8に消した」
「BMSという音ゲーをガチっている」「コンパスというソシャゲにハマっていた」「バンドリ、プロセカ、Arcaeaにハマっていた」「パペットガーディアン・マジカロスというゲームをしていた」「すばらしきこのせかいというゲームのファン」
「だいぶシコ猿してた」
俺はこういった自分の情報を、この数年間一切、公の場で自分からは出していないし、許可もしてない。
以下、俺の経歴について簡単に話す。
不登校期間が長く、20代前半まではほとんど引きこもって過ごしていた。
20代半ばで俺はニートになった。やさぐれていたが、対人恐怖と人間不信を抱えていた俺は、Twitterのアカウントを非公開にして好き勝手投稿して謳歌していた。するといつからか、俺が非公開にしているはずの投稿内容が、赤の他人に広まる感覚が起こるようになった。俺のツイートの傍若無人ぶりがあまりに面白かったからそうしたのだろう。
ここまでだと単なる統合失調症だから、俺に起きた内容の具体例を出す。
例えばあるとき、俺がドナルドマクドナルドの「らんらんるー」の動画を話題にして、「昔はこんなので笑ってたんだよな」と取り上げた。するとすぐさま、赤の他人が本当に同様の内容を投稿していて、それがバズっていた。その時、誰もドナルドマクドナルドの話なんかしちゃいなかったのに、だ。
また、2021.8にアカウントを消してからは、非公開でWi-Fiに繋がっていないPCで日記を書き残すようになったが、なんとWi-Fiに繋がっていないにも関わらず、しっかりと漏洩していた。
あるとき、その非公開PCに俺が「SNSは便器と一緒」と書いた。すると、すぐさま、誰か政治関係者だったかが、同様の発言をしたという記事を見た。
またあるときには、とあるお菓子を食べたいと書いたところ、翌日に親が買ってきてた。普段全く買わないのに、だ。
その時点で、部屋にカメラが仕掛けられているのは確信するようになった。自分で調べてもよく分からなかったが。現在も、そのPCに限らず非公開の情報が度々広まっているようだ。
他にもある。
数年前のあるとき、俺は自分の端末の非公開のアプリに、「自分を人権侵害しやがって!」とキレたことがある。
主に政治関係者や著名人がやたら「これは人権侵害だ!」と叫んだり、野獣先輩は人権侵害されていると言い出された。
まぁ言うまでもなく、野獣先輩は人権侵害されている(草)。だが、「野獣先輩が人権侵害されている」といったような言われは長年してこなかったはずだ。それなのになぜ突然、2020-2021年ごろにそういう言われがしだしたのか。
自分の行いと関連するワードが他者の投稿に出てきたりもする。例えば、専門的な内容を勉強していると、そこに普通の人ではまず使わないような言葉が出てくるが、それをいきなり他者が使ったりする。思うに本人は無自覚である。しかし俺からしたらかなり違和感がある。他人からすれば俺が注目しすぎとも一蹴できようが、あまりにもそんなことがありすぎるのだ。
他にも、俺が算数のドリルをしだしたら、誰かが「算数のドリルでもしろよ」とか言う(他の分野や「数学」ではないのがミソだ)。あえてさっさと本の次のページに行き、前の内容を覚えているか確かめるために前のページによく戻ってたら「多動だから本読んでるとき何回も前のページに戻ってそう」と誰かが言う。ゲームをやってる合間、ちょっとボーッとしてたら、「何もせず虚空を見つめているのはヤバい」と言う人がいる。頭乾燥してバリバリ書いてたら、やたらフケの話になる。
また、俺があるマイナーなネタの動画で笑ってたら、それを企業が使用したということも何度かある(最近ではある音ゲーネタ。あれはつまらなかったから違和感を覚えた人もいると思う)。
どこからどう何を得ているのかは知らないが、他人の思っている以上に自分はそういうのを捉えているし覚えている。この現状が終わらない限りは、これからも増えていくだろう。
俺は日記をとる習慣があるから、それを見返せばまだまだ思い出して出てくると思う。
情報の漏洩を最初に感じた、というか「あれ?」と思ったのは、2017年だ。
詳しいことは誰かの被害を生みそうだから避けるが、俺はあるゲームでの名前を、自分の好きなキャラのセリフを改変したものにしていた。それを他に言ってる人は全くおらず、俺だけの固有の改変セリフとみて間違いなかった。んでTwitterにそれが映ったスクショを投稿していた。
その後、そのゲーム及び好きなキャラクターがカードゲームで採用されたが、そのカード名が、俺の作った改変セリフと全く一緒だった。まぁ、これだけなら偶然でしかない範疇だ。しかし以降のことを考えると、もうその時点では漏洩が始まっていたのかもしれない。
もっと言うと、俺は2016年以前にはよく怪しいファイルにも手を出してたから、それも関係している可能性はある。それをしたPCからUSBで新たなPCにデータ移動させたりしていた。
全部あげればキリがないから割愛しておくが、もちろんこれらは氷山の一角だ。こういうことがこの数年間に何度も何度も何度も起こり、自分の頭の中ではもう3桁は優に超えるほど起きているわけだが、確かにその中には思い込みも含まれようが、妄想とか思い込みにしてはなんていうか、イヤにくっきりとしているのだ。自分の発した行動や意見と、その後の世界の変化の内容や距離が、あまりにも近すぎるから。引き寄せの法則か!?と最初は考えてみたものの、まぁそんなオカルトは信用してない。
俺は以上のことを数年間ずっと自分の中に隠して生きてきた。
なぜ俺がこれを明かす気になったか。転機がやってきて、自分で自分を殺すかのような勇気をもって、社会に出ないといけなくなったからだ。過去を明確に否定しなくてはならなくなったからだ。
本当にもっと色々書けるが、そこまで詳しくは書かない。俺はぶっちゃけ中国か韓国か、あるいは北の方の国が関与していると考えるが・・・まぁ面倒ごとに関わりたくないし、どのみち恨むとかはない。俺も俺で大概な人間で、大概なことを言っていたからだ(例:心読める、全知の才がある、他人はNPC、日本潰す)。少なくとも、孤独感ではマシにさせてもらったし、その点では感謝もすべきなのだろう。他にも、俺が言ったことで自他にとっていい方面に動いたようなこともあれば、ミスってたかもしれないこともある。全て含めて、俺の方は別に要らなかったし、Win-Winとも思っていなかったがな。「世界の礎になる」と言ったこともあるが、それはそもそそも、非公開のアカウントをいつか公開するのに備えて残しておくとの域を出ず、何もかもの許容ではない。そんなのはかえっていいことにはならない。
もしかすると、同居している親が何か仕掛けている可能性も0ではないが、それならなおさらあれこれしてもらっていたから恨むことはできない。
原因は他にも何でも考えられるが、まだ解明してない。カメラや盗聴器はほぼ確だろうが、他にも、端末のアプリから情報を出しているのか、家に設置しているセコムが怪しいのか、ルーターは変えたことあるし設定も弄ったが状況は変わらなかったので、それに繋いでいる電話のための機器が関係しているのか、他にもプロパイダはどうか、広告関連や、ウイルス、USB、家のテレビ・エアコン・その他Wi-Fi対応危機なども疑い、メガネさえも疑った(ペヨンジュンがCMに出てた眼鏡市場で買ったメガネだから)。それらが複合的である可能性もある。なお、端末のカメラはカバーして封鎖している。
仮に日本人がそれに関わっていたり、見て見ぬふりしているのであれば、恥を知るべきだ。日本の象徴は天皇しかなく、無職の底辺のペテン師(少なくともそうしておくべきである)なんかに意味を見出していちいち気にかけるような意味不明な国は自ずと終わる。だから俺は、他国が関わっているのではないかと考えているし、まだそうであってほしいのだが。もし俺の情報漏洩を分かった上で楽しい気分になった人がいるとしたら、ウイグルの差別や監視などに対しても決して非難するべきではない。
俺は確かに、かつて自分が「全能ではないが全知である」と言った。事実、何らかの才能みたいなのはあるとは自負する。
今思えばそこまでの言い方は大言壮語もいいとこだが、あの時、強い刺激と不安にさらされていた俺は、実際にそう錯覚するほどの強大なエネルギーが脳内で展開されていたのだ。
今はもうない。まぁ、中学の頃、精神的に依存していたもう片方の親を失って、人格形成や自己愛に問題が出たことで高校でも失敗し、そっから転がり落ちたためにちょっと面白い性質を抱えただけで、実際のところ大した障害なんかないのではないか? 過去の自分の姿は、自分の荒んだ現状・精神と、情報漏洩のタイミングがマッチし、他者の反応の可能性も加わったことによって、自己愛を満たしつつ、また他者の視点・要求に沿う個性的な自分を演出しだしたことで偶発的に生まれたもの、というのが本当のところなのだろう。当時は自分じゃそうも思っていなかったが。
俺にも非はある。だが、孤独で愛に飢え、知識に乏しく、心身に問題があり、精神の未熟な人間を自分たちのために利用して持ち上げれば、大体そんなことにもなろうというのはあるのではないか。そもそも、俺の方は非公開で独り言しているだけだったし、悪いことをしていたというのも正直正確ではない。無論、踏み込まれた上で意識していたから、やはり罪がないのでもないのであるが。しかし俺の方としてもまさか、非公開アカウントの中身が見られたり、それどころかWi-Fiに接続していないPCの内容すらも漏洩するとは想定していなかったのである。自分がこれまで抱えていた内容を表に出さなかったのは、状況を軽視していたのと、まんざらでもないところが全くなかったわけでもなかったからだが、それだけでなく、怖い気持ちもあったからだ。
わざと有耶無耶にされつつ動かれている以上、確定的なことは言えんのだが、いつまでも過去の俺の姿に執着し、あるいはかつて見た光景に引きずられているのでは、誰も本当の意味では前には進めない。俺は現状、精神的には誰も頼れないが、それでも先日転機がやってきてから、自分の中の何かが変わりだした。俺を許可なく違法に見ている人たちは、いつまでも何も自分を変えずに、俺に縋るようにしながら、自分で自分に何か言い聞かせ続けるのか。
俺が変わってほしくないと願うのは勝手だが、かつての傲慢で狂った自分にしても、頭が回って理性的なところがある自分にしても、無職で家に閉じ籠る自分にしても、他者と関わることが怖くて自閉的になる自分にしても、俺は特に価値を感じていないし、逆に絶対にどうしようもないとも思ってない。先日、タイムリミットが到来したことで、どのみちそんな俺は消えるさだめになった。けど、人は急には変われない。それでも、俺は変われないとは思ってない。変われないとどんなに誰かが思ったとしても、俺は変わる努力をやめない。
だから最近は本を買い漁り、読んでもいた。そこで得られることは大きかった。自分なんかなんでもないなと思わされた。
また、俺はつい先日までオナ猿だったが、流石に先のことを思うと空想に欲情する気にもならなくなり、エロサイト閲覧に使ってたtorを消した。数週間前には中毒起こしてたコンパスもやらなくなった。
人権侵害を行うほどのものなんか俺にはないし、もし下に見ていていなきゃ気が済まないのであれば、ネット上の人間で満足できていない自分の愚かさを考えるべきで、上、というか尊敬的に見ているのであれば、なおさらやっていることと矛盾している。そんなのはアンダードッグ効果と同じようなものだからさっさと捨てるべきだ。人を神扱いすれば、自分の人間としての欠如が埋まるとでも思っているのか。
それでも俺の言ってることが理解できない、あるいは理解を拒否するなら、特定の宗教に入るか、『マインド・コントロール』という本を読むことを勧める。
② 黙っているのでは黙認と一緒だから
これは言うまでもないことだろう。そして具体的にはこう伝える。
「もう俺の情報を漏洩させて利用するのはやめてほしい。もし、単なるハッカーや犯罪者による好奇的な理由だけでないとすれば、どうしたらそれをやめてくれるか。自分からネット上で暴れもせず、頑張って仕事もしようとしているのに、あと何が足りないのか。
過去のことは本当に申し訳ないと思っている。過去の俺の言動などどれも傲慢さと幼稚さの体現だ。だが、俺も心に余裕がなかったことだけは留意しておいてほしい。」
俺の見ているある無職の有名人のアンチの掲示板では、よく「ネットをやめないのが悪い」「仕事すればそれで俺たちはアンチやめるのに」と言われている。けど、結局はそんなんでもないのが実情なのだろう。本当はなんでもいいのだ。
それとも、俺が働けば、何かこれまで以上に頑張るようにでもなるか。誰しも欲しているのは、自分を変えなくても自己受容してくれる存在なのだから、俺が変化するほどに、他人にとっては扱いにくくなることを余儀なくされるだろう。
俺が人権侵害されたことで最も苦心したのは、家族の情報も掴まれて利用されていると考えられたことだ。
俺の情報が抜かれているということは、当然家族の情報だってそうだろう。
俺は常々考えていた。俺は別に何でシコってるかを知られようが、シコってる姿を盗撮されようが、割とどうでもいいが、もし家族のこともそうだったなら、と思うと、どす暗い気持ちになった。また、プライバシー的な意味だけでなく、あらゆる個人情報に関して悪用される恐れもある。
俺の情報を違法に見ている人たちに聞きたいが、自分の家族にそのことを言えるのか。
違法行為に加担するような自分の姿を、家族に見せることができるのか。
俺とその周囲だけが被害に遭っているようで、実際には自分の家族さえも貶めていることに気づくべきではないか。そしてそれは、俺も黙ったままでは加担しているのと同じことになってしまう。
脳内に隠して無かったことにしていれば、本当にそれでいいのか。
なお、親はどういうわけかはよく知らないが、ユニセフ?や在日団体に寄付しているらしい。
俺はともかくとして、そんな善良な人に対してそうした所業をするのがこの世界だというのか。
俺は虚弱で不健康な生活習慣をしていて健康面では良くないから、ぶっちゃけ早死にすると思う。そしたら次はまた誰かが同じ思いをするのだろうか。そう思うと気が気でない。だから、世間が信じようと信じなかろうと、ここに残しておけば、同様の境遇にある人が気づけるかもしれないし、もし人権侵害を続行していると俺が少しでも感じたなら、未だ書いていない内容、もっと本質的な部分を記すことになる。
意見や望みがあるのに、察してくださいなんてガキじゃないんだから、何かあるならたとえ自分にリスクがあろうとも、俺を信じて直接俺に伝えるべきである。その関係ができないでいて、何を望んだり、何に惹かれたりするのか。
そこには結局何の信頼関係もなければ敵対関係もない、ただ誰かが悦に入るためにどこまでも自己欺瞞に走る構造があるだけだ。
俺は、自分の公開していない情報や発言を、どこかから撮影、あるいは漏洩されて、ネット上にバラ撒かれている。
ほぼ確実に。著名人たちにも見られていて、しかも俺は一時期、神のような扱いさえ受けていたらしい。
「ハイ、統合失調症乙ぅ〜〜!w」「病院行け基地外w」……そんな反応は分かりきっている。
だが、以下の内容を見ていただき、そして俺の理性を垣間見た上で判断していただければ幸いだ。
俺はむしろ、端末・通信・サービスがブラックボックス化しているこの現代において、そういう安易な決め付けは危険ではないかと思う。どこまで情報が抜かれていて、どこまで利用されているか、実際のところそういうことをどこまで理解していると言えるのか。少なくとも、勉強してその手の知識がある人しか言ってはいけないのではないか。
「いや、普通に考えてまずありえないだろ」「これまでそんなん聞いたことないからないない」……思うに、俺の情報を抜いてバラ撒く者も、たとえ俺が公表しても、世間がそう判断してくれると理解した上でやっている。人は必ず、これまでの経験や常識に重点を置いて判断するがゆえに、帰納的に結論をしたがる。
だから、俺が長々書いても、誰も見もしないし、信じられもしないのがオチだろう。それでも俺は、自分に対する人権侵害が終わらない限りはそうしなくてはならない。理由は後述する。
さて、俺のことについて一旦語らせてもらう。
俺は引きこもりだ。これまで一度も働いたことのない無職の30代。スキルは何もなく、自信がないのに、そのくせそプライドばかりは高く、ロクに努力もできないカス人間。性格も難があり、コミュ力は終わっていて、過去の経験から対人恐怖と人間不信を抱えている。最近は多少マシになってきた気もするが。三十路になってからなんかいつまでもバカやってても仕方ないなってなりだした。
信憑性を高めるためにいっそ本名を書いたろうかと思ったが、これから行う社会復帰に支障が出そうなので控えさせて欲しい。
だが、信じられるために、ある程度の情報は開示する。以下の情報に心当たりのある人はいないだろうか? 以下は漏洩情報の中に記されていた可能性があり、多くの人が知っているかもしれない。
「苗字は特に珍しくない」「親は離婚し、片親と同居」「引きこもり部屋は和室」
「メガネをかけている」「身長小さめ・ヒョロガリ」「過去に偏差値高の高校に受かった」
「たこの人形を溺愛している」「スマホの色は白」「淫夢動画よく見てた」
「10代の頃使っていたTwitterアカウントはKから始まる」
「かつて非公開で活動し、漏洩も活発だったTwitterアカウントは2017年に開始、2019年にニートになって投稿が増えだして、2021.8に消した」
「BMSという音ゲーをガチっている」「コンパスというソシャゲにハマっていた」「バンドリ、プロセカ、Arcaeaにハマっていた」「パペットガーディアン・マジカロスというゲームをしていた」「すばらしきこのせかいというゲームのファン」
「だいぶシコ猿してた」
俺はこういった自分の情報を、この数年間一切、公の場で自分からは出していないし、許可もしてない。
以下、俺の経歴について簡単に話す。
不登校期間が長く、20代前半まではほとんど引きこもって過ごしていた。
20代半ばで俺はニートになった。やさぐれていたが、対人恐怖と人間不信を抱えていた俺は、Twitterのアカウントを非公開にして好き勝手投稿して謳歌していた。するといつからか、俺が非公開にしているはずの投稿内容が、赤の他人に広まる感覚が起こるようになった。俺のツイートの傍若無人ぶりがあまりに面白かったからそうしたのだろう。
ここまでだと単なる統合失調症だから、俺に起きた内容の具体例を出す。
例えばあるとき、俺がドナルドマクドナルドの「らんらんるー」の動画を話題にして、「昔はこんなので笑ってたんだよな」と取り上げた。するとすぐさま、赤の他人が本当に同様の内容を投稿していて、それがバズっていた。その時、誰もドナルドマクドナルドの話なんかしちゃいなかったのに、だ。
また、2021.8にアカウントを消してからは、非公開でWi-Fiに繋がっていないPCで日記を書き残すようになったが、なんとWi-Fiに繋がっていないにも関わらず、しっかりと漏洩していた。
あるとき、その非公開PCに俺が「SNSは便器と一緒」と書いた。すると、すぐさま、誰か政治関係者だったかが、同様の発言をしたという記事を見た。
またあるときには、とあるお菓子を食べたいと書いたところ、翌日に親が買ってきてた。普段全く買わないのに、だ。
その時点で、部屋にカメラが仕掛けられているのは確信するようになった。自分で調べてもよく分からなかったが。現在も、そのPCに限らず非公開の情報が度々広まっているようだ。
他にもある。
数年前のあるとき、俺は自分の端末の非公開のアプリに、「自分を人権侵害しやがって!」とキレたことがある。
主に政治関係者や著名人がやたら「これは人権侵害だ!」と叫んだり、野獣先輩は人権侵害されていると言い出された。
まぁ言うまでもなく、野獣先輩は人権侵害されている(草)。だが、「野獣先輩が人権侵害されている」といったような言われは長年してこなかったはずだ。それなのになぜ突然、2020-2021年ごろにそういう言われがしだしたのか。
自分の行いと関連するワードが他者の投稿に出てきたりもする。例えば、専門的な内容を勉強していると、そこに普通の人ではまず使わないような言葉が出てくるが、それをいきなり他者が使ったりする。思うに本人は無自覚である。しかし俺からしたらかなり違和感がある。他人からすれば俺が注目しすぎとも一蹴できようが、あまりにもそんなことがありすぎるのだ。
他にも、俺が算数のドリルをしだしたら、誰かが「算数のドリルでもしろよ」とか言う(他の分野や「数学」ではないのがミソだ)。あえてさっさと本の次のページに行き、前の内容を覚えているか確かめるために前のページによく戻ってたら「多動だから本読んでるとき何回も前のページに戻ってそう」と誰かが言う。ゲームをやってる合間、ちょっとボーッとしてたら、「何もせず虚空を見つめているのはヤバい」と言う人がいる。頭乾燥してバリバリ書いてたら、やたらフケの話になる。
また、俺があるマイナーなネタの動画で笑ってたら、それを企業が使用したということも何度かある(最近ではある音ゲーネタ。あれはつまらなかったから違和感を覚えた人もいると思う)。
どこからどう何を得ているのかは知らないが、他人の思っている以上に自分はそういうのを捉えているし覚えている。この現状が終わらない限りは、これからも増えていくだろう。
俺は日記をとる習慣があるから、それを見返せばまだまだ思い出して出てくると思う。
情報の漏洩を最初に感じた、というか「あれ?」と思ったのは、2017年だ。
詳しいことは誰かの被害を生みそうだから避けるが、俺はあるゲームでの名前を、自分の好きなキャラのセリフを改変したものにしていた。それを他に言ってる人は全くおらず、俺だけの固有の改変セリフとみて間違いなかった。んでTwitterにそれが映ったスクショを投稿していた。
その後、そのゲーム及び好きなキャラクターがカードゲームで採用されたが、そのカード名が、俺の作った改変セリフと全く一緒だった。まぁ、これだけなら偶然でしかない範疇だ。しかし以降のことを考えると、もうその時点では漏洩が始まっていたのかもしれない。
もっと言うと、俺は2016年以前にはよく怪しいファイルにも手を出してたから、それも関係している可能性はある。それをしたPCからUSBで新たなPCにデータ移動させたりしていた。
全部あげればキリがないから割愛しておくが、もちろんこれらは氷山の一角だ。こういうことがこの数年間に何度も何度も何度も起こり、自分の頭の中ではもう3桁は優に超えるほど起きているわけだが、確かにその中には思い込みも含まれようが、妄想とか思い込みにしてはなんていうか、イヤにくっきりとしているのだ。自分の発した行動や意見と、その後の世界の変化の内容や距離が、あまりにも近すぎるから。引き寄せの法則か!?と最初は考えてみたものの、まぁそんなオカルトは信用してない。
俺は以上のことを数年間ずっと自分の中に隠して生きてきた。
なぜ俺がこれを明かす気になったか。転機がやってきて、自分で自分を殺すかのような勇気をもって、社会に出ないといけなくなったからだ。過去を明確に否定しなくてはならなくなったからだ。
本当にもっと色々書けるが、そこまで詳しくは書かない。俺はぶっちゃけ中国か韓国か、あるいは北の方の国が関与していると考えるが・・・まぁ面倒ごとに関わりたくないし、どのみち恨むとかはない。俺も俺で大概な人間で、大概なことを言っていたからだ(例:心読める、全知の才がある、他人はNPC、日本潰す)。少なくとも、孤独感ではマシにさせてもらったし、その点では感謝もすべきなのだろう。他にも、俺が言ったことで自他にとっていい方面に動いたようなこともあれば、ミスってたかもしれないこともある。全て含めて、俺の方は別に要らなかったし、Win-Winとも思っていなかったがな。「世界の礎になる」と言ったこともあるが、それはそもそそも、非公開のアカウントをいつか公開するのに備えて残しておくとの域を出ず、何もかもの許容ではない。そんなのはかえっていいことにはならない。
もしかすると、同居している親が何か仕掛けている可能性も0ではないが、それならなおさらあれこれしてもらっていたから恨むことはできない。
原因は他にも何でも考えられるが、まだ解明してない。カメラや盗聴器はほぼ確だろうが、他にも、端末のアプリから情報を出しているのか、家に設置しているセコムが怪しいのか、ルーターは変えたことあるし設定も弄ったが状況は変わらなかったので、それに繋いでいる電話のための機器が関係しているのか、他にもプロパイダはどうか、広告関連や、ウイルス、USB、家のテレビ・エアコン・その他Wi-Fi対応危機なども疑い、メガネさえも疑った(ペヨンジュンがCMに出てた眼鏡市場で買ったメガネだから)。それらが複合的である可能性もある。なお、端末のカメラはカバーして封鎖している。
仮に日本人がそれに関わっていたり、見て見ぬふりしているのであれば、恥を知るべきだ。日本の象徴は天皇しかなく、無職の底辺のペテン師(少なくともそうしておくべきである)なんかに意味を見出していちいち気にかけるような意味不明な国は自ずと終わる。だから俺は、他国が関わっているのではないかと考えているし、まだそうであってほしいのだが。もし俺の情報漏洩を分かった上で楽しい気分になった人がいるとしたら、ウイグルの差別や監視などに対しても決して非難するべきではない。
俺は確かに、かつて自分が「全能ではないが全知である」と言った。事実、何らかの才能みたいなのはあるとは自負する。
今思えばそこまでの言い方は大言壮語もいいとこだが、あの時、強い刺激と不安にさらされていた俺は、実際にそう錯覚するほどの強大なエネルギーが脳内で展開されていたのだ。
今はもうない。まぁ、中学の頃、精神的に依存していたもう片方の親を失って、人格形成や自己愛に問題が出たことで高校でも失敗し、そっから転がり落ちたためにちょっと面白い性質を抱えただけで、実際のところ大した障害なんかないのではないか? 過去の自分の姿は、自分の荒んだ現状・精神と、情報漏洩のタイミングがマッチし、他者の反応の可能性も加わったことによって、自己愛を満たしつつ、また他者の視点・要求に沿う個性的な自分を演出しだしたことで偶発的に生まれたもの、というのが本当のところなのだろう。当時は自分じゃそうも思っていなかったが。
俺にも非はある。だが、孤独で愛に飢え、知識に乏しく、心身に問題があり、精神の未熟な人間を自分たちのために利用して持ち上げれば、大体そんなことにもなろうというのはあるのではないか。そもそも、俺の方は非公開で独り言しているだけだったし、悪いことをしていたというのも正直正確ではない。無論、踏み込まれた上で意識していたから、やはり罪がないのでもないのであるが。しかし俺の方としてもまさか、非公開アカウントの中身が見られたり、それどころかWi-Fiに接続していないPCの内容すらも漏洩するとは想定していなかったのである。自分がこれまで抱えていた内容を表に出さなかったのは、状況を軽視していたのと、まんざらでもないところが全くなかったわけでもなかったからだが、それだけでなく、怖い気持ちもあったからだ。
わざと有耶無耶にされつつ動かれている以上、確定的なことは言えんのだが、いつまでも過去の俺の姿に執着し、あるいはかつて見た光景に引きずられているのでは、誰も本当の意味では前には進めない。俺は現状、精神的には誰も頼れないが、それでも先日転機がやってきてから、自分の中の何かが変わりだした。俺を許可なく違法に見ている人たちは、いつまでも何も自分を変えずに、俺に縋るようにしながら、自分で自分に何か言い聞かせ続けるのか。
俺が変わってほしくないと願うのは勝手だが、かつての傲慢で狂った自分にしても、頭が回って理性的なところがある自分にしても、無職で家に閉じ籠る自分にしても、他者と関わることが怖くて自閉的になる自分にしても、俺は特に価値を感じていないし、逆に絶対にどうしようもないとも思ってない。先日、タイムリミットが到来したことで、どのみちそんな俺は消えるさだめになった。けど、人は急には変われない。それでも、俺は変われないとは思ってない。変われないとどんなに誰かが思ったとしても、俺は変わる努力をやめない。
だから最近は本を買い漁り、読んでもいた。そこで得られることは大きかった。自分なんかなんでもないなと思わされた。
また、俺はつい先日までオナ猿だったが、流石に先のことを思うと空想に欲情する気にもならなくなり、エロサイト閲覧に使ってたtorを消した。数週間前には中毒起こしてたコンパスもやらなくなった。
人権侵害を行うほどのものなんか俺にはないし、もし下に見ていていなきゃ気が済まないのであれば、ネット上の人間で満足できていない自分の愚かさを考えるべきで、上、というか尊敬的に見ているのであれば、なおさらやっていることと矛盾している。そんなのはアンダードッグ効果と同じようなものだからさっさと捨てるべきだ。人を神扱いすれば、自分の人間としての欠如が埋まるとでも思っているのか。
それでも俺の言ってることが理解できない、あるいは理解を拒否するなら、特定の宗教に入るか、『マインド・コントロール』という本を読むことを勧める。
② 黙っているのでは黙認と一緒だから
これは言うまでもないことだろう。そして具体的にはこう伝える。
「もう俺の情報を漏洩させて利用するのはやめてほしい。もし、単なるハッカーや犯罪者による好奇的な理由だけでないとすれば、どうしたらそれをやめてくれるか。自分からネット上で暴れもせず、頑張って仕事もしようとしているのに、あと何が足りないのか。
過去のことは本当に申し訳ないと思っている。過去の俺の言動などどれも傲慢さと幼稚さの体現だ。だが、俺も心に余裕がなかったことだけは留意しておいてほしい。」
俺の見ているある無職の有名人のアンチの掲示板では、よく「ネットをやめないのが悪い」「仕事すればそれで俺たちはアンチやめるのに」と言われている。けど、結局はそんなんでもないのが実情なのだろう。本当はなんでもいいのだ。
それとも、俺が働けば、何かこれまで以上に頑張るようにでもなるか。誰しも欲しているのは、自分を変えなくても自己受容してくれる存在なのだから、俺が変化するほどに、他人にとっては扱いにくくなることを余儀なくされるだろう。
俺が人権侵害されたことで最も苦心したのは、家族の情報も掴まれて利用されていると考えられたことだ。
俺の情報が抜かれているということは、当然家族の情報だってそうだろう。
俺は常々考えていた。俺は別に何でシコってるかを知られようが、シコってる姿を盗撮されようが、割とどうでもいいが、もし家族のこともそうだったなら、と思うと、どす暗い気持ちになった。また、プライバシー的な意味だけでなく、あらゆる個人情報に関して悪用される恐れもある。
俺の情報を違法に見ている人たちに聞きたいが、自分の家族にそのことを言えるのか。
違法行為に加担するような自分の姿を、家族に見せることができるのか。
俺とその周囲だけが被害に遭っているようで、実際には自分の家族さえも貶めていることに気づくべきではないか。そしてそれは、俺も黙ったままでは加担しているのと同じことになってしまう。
脳内に隠して無かったことにしていれば、本当にそれでいいのか。
なお、親はどういうわけかはよく知らないが、ユニセフ?や在日団体に寄付しているらしい。
俺はともかくとして、そんな善良な人に対してそうした所業をするのがこの世界だというのか。
俺は虚弱で不健康な生活習慣をしていて健康面では良くないから、ぶっちゃけ早死にすると思う。そしたら次はまた誰かが同じ思いをするのだろうか。そう思うと気が気でない。だから、世間が信じようと信じなかろうと、ここに残しておけば、同様の境遇にある人が気づけるかもしれないし、もし人権侵害を続行していると俺が少しでも感じたなら、未だ書いていない内容、もっと本質的な部分を記すことになる。
意見や望みがあるのに、察してくださいなんてガキじゃないんだから、何かあるならたとえ自分にリスクがあろうとも、俺を信じて直接俺に伝えるべきである。その関係ができないでいて、何を望んだり、何に惹かれたりするのか。
そこには結局何の信頼関係もなければ敵対関係もない、ただ誰かが悦に入るためにどこまでも自己欺瞞に走る構造があるだけだ。
アンサイクロペディアをAIで侵略するノイマン氏を悲劇の人物に仕立て上げる、元側近ウソペディアンを名乗る人物による気持ち悪い記事がXのタイムラインで流れてきた。
読んでみると、そもそも私信と思われる情報を暴露することの背信性からして、恐らくはノイマン氏に身バレする前提での捨て身の特攻をしたのだろう。それにしても第三者は真偽を検証不能であり、気持ちの悪い記事であった(※1)。当のノイマン氏も「反応に困る」と書いている。
Side Uなるものは、第一回人気投票1位という経歴はあの人も同じなのを知ってわざと被せる高等芸でもやっているのかしらね?何にしても反応しにくい書かれ方だけど、ブレーキをかける真似をしつつ私を殴り抜いていくスタイルだよね、あれ。真正面からの対立勢力なら風刺記事とかにしやすいけど、ああいうのは反応しづらい。
ウソペディアはかつてハトレーペディアとも呼ばれ、当時のアンサイクロペディアが北朝鮮であるなら、こちらはシンガポールといったところであった。開発独裁ならぬ開拓独裁、毛沢東ならぬ開拓東、MuttleyならぬHuttley。
ウソペディア5chスレを探していくと、このような記述はいくらでも見つかる。アンサイクロペディアのノイマン氏=ウソペディアの開拓者氏の活動は、確かにコミュニティを発展させたが、ただそれ「だけ」であり、そもそも誰からも本音で支持されている人物ではなかったのではなかろうか。
本稿では、そのノイマン=開拓者氏に、かつてBakaba氏の名の下で侵略を受けた一借民の視点から、ノイマン氏はそもそも「昔からああだった」と主張したい(※2)。
ChakuwikiにおけるBakaba氏は、確かにLTA:ANTIRXYとしてChakuwikiでのMuttley氏を追い詰めた人物であり、鉄槌後のアンサイクロペディアンも概ねその見解を支持しているように見える(※3)。また、いずれも議論は紛糾したものだが、移転問題とライセンス問題、どちらにおいても「結論だけ見れば」Bakaba氏の意見は正しかった。確かに「正しかった」のである。
後にフォークでは実際に広告が導入されているが、Bakaba氏はそれすらも予言している。
しかし、旧ドメインを取得し、更には公開がより早かったことによる優位性を有するフォークにしても、中の人の噂の確度は高いようですから、永久に広告なしで無償提供するほどの善意の有志だとは考えにくいです。
だが、その際に反発していた吉田宅浪氏への返答には、「どうしてこいつ分からないの?」という苛立ちが発言の節々から透けて見える。
ただ、「私がやるから」という理由で反対することがそんなに重要ですか?「誰がやるか」ではなく、「何が必要か」で物事を考えるようお願いいたします(※4)。
一般論としても、我々で独自にルールを作ることにこだわった場合、良く練り上げられたCCのライセンスに比べると何らかの隙や不備、矛盾等が生じやすいため、コミュニティ全体が移転などの重大な決定に迫られたときの足かせになりかねません(※5)。
私からすれば、吉田宅浪氏は、自分の考えを丁寧に練って納得したうえでステップを積み重ねたいだけの、職人気質の人に見える。Bakaba=ノイマン氏は、初めからそのような丁寧さや「過程」に対して、「正解」や「最終結果」が一瞬で見えてしまうがゆえに「なんでそこで止まっているの?」というのを根本的に理解できない人なのではなかろうか(※6)。
そのような「正しさ」だけで生きる人間Bakaba氏を、ノイマン氏が用いるAIは「加速」させたに過ぎない。一定以上の品質の記事を安定して生産し、助役CUや管理者の誕生を推薦を通じて支援するその姿は、確かに形式的には「正しい」活動である。にもかかわらず、ノイマン氏は「正しさ」だけですべてを破壊していくように見える。
これはあくまでも私のカンでしかないのだが、ノイマン氏は根本的に異常に頭の良い「浮きこぼれ」だったのではないかと思う。例えばアンサイクロペディアのDiscordサーバーでは、「ごめん、灘には負けるけど安定して東大いってる...」と発言したスーパーカリ~シャス氏に対して、以下のような返信を残している。
東大全体なら三桁からがスタートラインだぞ
このような発言をして、自分自身へのブーメランにならずに平気でいられるルーツを持つ人間はかなり絞られてくる。そして皮肉にも氏は、そのようなルーツに該当しうる学校の記事をアンサイクロペディアで三つも立てている。
麻布中学校・高等学校 - 開成と桜蔭を手掛けてきた私ですから、当然の如く他の名門校も推しますわね?--/* ノイマン */ import 👤, 💬; var 🖊=2,219;■ 2025年11月5日 (水) 14:19 (JST)
英語圏とのコミュニケーションが求められ、唯一の日本人であることが買われたMirahezeなどでは、その「正しさ」「浮きこぼれ」が役に立ったのだろう。そして同じく「正しさ」でものを考えるAIは、ノイマン氏にとっては非常に頼れる、下手したら唯一信頼できる相棒ですらあるのかもしれない。
しかしながら、チャクウィキやアンサイクロペディアのような伝統的な(※7)コミュニティにおいては、「正しさ」だけでなく、「手垢」や「お気持ち」、そして「過程」が大事であることをノイマン氏は理解できていない。ノイマン氏は、そこに無関心であるか、意図的に無視すらしているようにも見える。
編集画面にも「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と明記されており、それはライセンス的にも正しいことの訳ですから、その意味では「{{rewrite}}を使え」という方がそれこそ「紳士協定」なのかな、と思わなくもないです
総本数 - これは諸刃の剣で、もっとAI君書いて全体指標を上げようぜ、という方向にも持っていけます。というか総本数を根拠にするなら、それが合理的解決策ですらあり得ます。
ノイマン氏の理屈は、確かに最終結果に照らせば「正しい」のだろう。だが、「正しさ」だけでは人間は生きていけない。そうした風潮への反発は、今や反AI、反ポリコレ、反wokeなどとして、アメリカ西海岸的価値観への反発の形を取って世界的なうねりになっている。人間というのは、そこまで理性的な動物ではない。それは、自作記事の一つでこう書いた氏自身も深層ではよく理解しているはずである。
ホモ・サピエンス(homo sapiens)とは、バグだらけのレガシーソフトウェア。
そこで筆者は、マリーダ・クルスの以下の発言をノイマン氏に贈る。
お前の言うことは間違っていない。正しい戦争なんてない。でも…正しさが人を救うとは限らない。
光がなければ人は生きていけない
鉄槌を受けたMuttley氏は「隕石落とし」をしようとしたシャアであった。Muttley氏には、曲がりなりにも本人個人の「熱い正義」があった。
今、ノイマン氏はしばしばMuttley氏の同類、鉄槌の再構成などと言われるが、私は正確にはそうは思わない。ノイマン氏からはフル・フロンタルのような冷たさを感じる。
いつか、ノイマン氏が人間の心を理解することをただ祈ることしかできない。
これは親バカとか盲目とかではなく、子供って小さい頃は親の庇護がないと生きていけないからこっちも一生懸命世話するし、子供は子供で親に対して無垢で真っ直ぐな「好き」って感情を向けてくる。
この無垢で真っ直ぐな「好き」って感情は親にとっては唯一無二のもので、こんな素敵なものを向けられたら、「この子は世界一かわいい」ってなるんだよ。
だから一般的に「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」って言われるけど、その正体はこれ。
ただ、子育ての苦労と一緒でこの一生分の親孝行も親は徐々に忘れちゃうんだよね。
頑張って写真とか動画を撮ったし、日記にその感情を詳細に綴ってきたけど、どうしても感じた瞬間の生の感情は薄れていってしまう。
加えて、思春期・反抗期の子供の言動がそれらを上書きしてくる。
それでもやっぱり昔の動画とかを見れば感情を思い出すことはできるし、夫婦で酒を飲みながら「あの頃はこんなんだったねえ」と懐かしく見返すんだわ。
昨年11月に子どもが産まれました。第一子、2446gの男児でした。それから1年経ちました。
産休、育休の日々は今から思えば懐かしい。夫もわたしと同期間育休を取ってくれ、地方だと珍しい方だと思うんですがW育休でした。5月1日から職場復帰しました。
疲れた。
保育園に子供を通わせているのですが、いちばん初めの申込では抽選落ちして第2希望の園でした。で、今年11月に転園申請……できるチャンスがあったんですけど、結局、しませんでした。今の園が気に入ってしまったからというのはあるけど、今から思えば日和ったかなという感じで、早速後悔してます。
2ヶ月くらい悩んで悩んで、決めたはずなんですけどね。
保育園やら幼児教育のことはなんかずっと悩んで苦しんでいて、たぶんこの先5年間苦しみ続けるんだと思います。その背景には、満足な養育をしてやれているだろうかという自信のなさがあるんでしょうね。で、その後はその後は小学校教育や受験にも苦しみ続けるんでしょう。賽の河原。
子どもができてめでたい1年のタイミングで書く話題がこれなの?って感じですよね。ごめんなさい。
なんか日々生活を回すのに精一杯で、いろんな決断をするのに疲れて。あんまり人生に楽しい見通しないです。子どもができると子どもが小さいうちは色んなことを決めてやらなきゃならなくて、自分ひとりの身体分決めるだけでも大変なのに、もうひとつでっかいのが生えてきて、辛くて仕方がないです。多くは、何を着せるとか何を食わすとか、そういう些細なことです。でもその全てがプレッシャーなんですね。子育て向いてないんだろうな。全体的に考えすぎというか。1歳でこれなんだからこれから禿げそう。
子どもに何着せる何食わす。歯磨きは何使う。図書館で絵本は何選ぶ。保育園どこにする。誕生日ケーキ。スタジオアリスでのバースデーフォト。住宅購入や引越しはいつやる。教育資金の貯め方。ファイナンシャルプランナーへのライフプラン相談。
夫は良くも悪くも「どっちでもいいんじゃない?」ってひとで、もちろん話し合いや相談には乗ってくれるけど、最終的にはわたしが決断しなきゃならない。
でもそれについての愚痴を書きたいわけじゃないんですよ。はてなやXだとこういう話題なら取り敢えず夫叩いときゃええみたいな感じですけどそれは違うと思う。夫はめちゃくちゃ育児に参画してくれてて感謝しとる。ただ二歩先のことだけ考えてたいひとなんだよね。わたしは五歩先のことがいつも気になる。床にゴミ落ちてたら気がついた人が拾うじゃないですか。だから選択肢に気づいてしまった奴が決断コストを支払うのはそれは責任なんじゃないすかね。
週刊少年ジャンプの定期購読をずっとしてたんですけど、読む時間がないわけでもないのに読めなくなってきたから読むのをやめてしまいました。アニメも、ダンダダンめっちゃ面白くて楽しんで観てたけど残り数話だけ見てない。
休みは取ろうと思えば取れるけど、家にいてもすることがなくて、仕方がないから西松屋に子ども用品見に行ったりとか。人間として死んでる。
いろいろ書いたけど、36年間この有様で生きてきたので今更努力してなにか変えられるとは思えないです。だからこの状態のまま、死ぬまで生きていくんでしょうね。楽しいという気持ちとかよくわかんないですけど、家にいる時はニコニコしてないと夫や子どもに悪いし、どこにも弱音は吐けん。自己憐憫にまみれたこんな日記を書くのが関の山。
疲れた。