はてなキーワード: 再生回数とは
# 映されたい欲望
夏の終わりの日曜日、健太は会社の資料に目を通しながら、窓から差し込む陽光に苛立ちを覚えていた。32歳、平凡な会社員。毎朝同じネクタイを締め、同じ満員電車に揺られ、同じオフィスの同じ席でExcelと向き合う。帰宅後は同じソファで同じビールを飲む。その単調なリズムの中で、彼は自分の中に潜む別の自分を、長い間無視し続けてきた。
「こんな生活、何か足りない」
そう思いながらも、具体的に何が欠けているのか言葉にできない歯痒さが健太を苦しめていた。
その夜、いつものようにノートパソコンの画面が彼の顔を青白く照らしていた。ポルノサイトのページを無目的にスクロールする指先に、わずかな躊躇いが宿る。「アマチュア」というカテゴリに目が留まった瞬間、胸の奥で何かが震えた。
素人が自らの姿を晒す動画。プロの演出ではない、生々しい欲望の形。コメント欄には賞賛と嘲笑が混在している。画面の向こう側の見知らぬ誰かに見られ、評価される。その構図に、健太の心臓が早鐘を打ち始めた。
「これだ」
長年抑え込んできた欲望が、その一言と共に解き放たれた。見られること、晒されること、羞恥と快楽が混ざり合うあの感覚——それを合法的に、誰にも迷惑をかけずに体験する方法が、今彼の目の前にあった。
---
決意して立ち上がった健太の手は、わずかに震えていた。部屋の電気を消し、間接照明だけが柔らかな光を投げかける空間を作り出す。スマートフォンを三脚に固定し、何度も角度を調整する。顔は映さない、それだけは譲れなかった。しかし体は——体は見られたかった。
鏡の前に立ち、Tシャツの裾をつかむ。脱ぐという単純な動作に、今日は特別な意味がある。一枚一枚服を脱ぐたびに、健太の呼吸は少しずつ荒くなっていった。最後のボクサーパンツを下ろす瞬間、恥ずかしさと興奮が全身を駆け巡る。
全裸になった自分を鏡に映し出す。少し引き締まった腹、普通の体格。特筆すべき特徴のない、ごく平凡な体だ。それでも今日は、この体が主役になる。カメラの赤いランプが点滅を始めると、健太の喉が乾いた。
「これから、誰かが俺を見る」
ソファに腰を下ろし、両手で顔を覆う。恥ずかしさと期待が入り混じった独特の感情が、全身を波のように揺らす。ゆっくりと手を下ろし、自分自身と向き合う。
最初の触れは遠慮がちだった。自分の肌に触れる指先に、いつもと違う敏感さを感じる。カメラの存在を意識しながら、胸から腹へとなぞる。普段なら閉じるはずの目を、あえて開いたまま。見られているという意識が、彼の全感覚を研ぎ澄ませていく。
「誰かがこれを見る」という考えが、頭の中でこだまする。見知らぬ誰かの目に、自分の最も私的な瞬間が晒される。その羞恥の感覚が、逆説的に彼の興奮を高めていく。
やがて手が下半身に伸び、すでに硬さを増していた自身を握る。その瞬間、思わず漏れた小さな喘ぎ声に、自分でも驚いた。普段の自慰とは明らかに違う。カメラという第三者の視線が、全てを変えていた。
「ん…」
声が出ることさえ恥ずかしく、でもその恥ずかしさがまた快感に変わる不思議な循環。健太の動きは次第に大胆になっていった。右手でリズミカルに動かしながら、左手は胸を這い、乳首をつまむ。その感覚に背筋が震え、思わず腰が持ち上がる。
「見られてる…」
その言葉を心の中で繰り返すたびに、羞恥心が波のように押し寄せ、それが快感となって全身を巡る。健太は今まで味わったことのない高揚感に包まれていた。カメラに向かって、少しずつ素の自分を晒していく。
動きが加速するにつれ、彼の意識は次第にぼやけていく。頭の中では、この動画を見る未知の視聴者の反応が次々と浮かび上がる。
「小さい」と嘲笑う声。
「変態」と罵る声。
どんな評価でも、彼を見ているという事実だけが重要だった。見られることで初めて、自分の存在が確かなものになる感覚。
限界が近づき、太ももが震え始めた。喉からは制御できない呻き声が漏れる。羞恥と快楽の境界線が溶け、一つになっていく。
「あっ…」
絶頂の瞬間、健太の体は弓なりに反った。白濁した液体が放物線を描き、腹の上に、ソファの布地に飛び散る。その生々しい証拠が、彼の行為をより現実的に、よりみっともなく、そしてより興奮させるものにした。
数秒間、彼は放心状態で天井を見つめた。やがて現実に引き戻され、まだレンズが自分を捉えていることに気づく。震える手で録画を止める前に、最後にカメラを見つめた。その目には、解放された何かがあった。
---
数時間後、編集を終えた動画をアップロードする瞬間、健太は再び激しい心臓の鼓動を感じた。公開ボタンを押す指が、わずかに躊躇う。しかし欲望は理性を上回った。
「初めての露出オナニー」というシンプルなタイトルと共に、彼の秘密は世界へと放たれた。ベッドに横たわりながら、健太は胸の内に広がる不思議な解放感を噛みしめた。明日も同じスーツを着て、同じオフィスへ行く。しかし何かが変わった。彼の中の扉が、少しだけ開いたのだ。
翌朝、恐る恐るサイトをチェックすると、再生回数は既に50を超えていた。コメント欄には様々な反応が並ぶ。
「エロい体だね」
「もっと声出してよ」
「次は外でやってみて」
「みっともない」
どの言葉も、健太にとっては甘美な刺激だった。特に「みっともない」という言葉が、背筋に電流のような快感をもたらした。みっともない姿を晒す——それこそが彼の望みだったのだから。
会社のデスクに座りながら、健太はふとスマホを見た。今この瞬間も、誰かが彼の姿を見ているかもしれない。その考えに、静かな興奮が湧き上がった。
---
一週間後、健太の生活には微妙な変化が訪れていた。表面上は何も変わらない日常。しかし内側では、常に意識の一部がインターネット上の自分の分身に向けられていた。
会議中、電車内、スーパーのレジ——日常の様々な瞬間に、「今、誰かが俺の動画を見ているかもしれない」という思いが突然襲ってくる。その度に、健太の心臓は高鳴り、下腹部が熱くなった。
再生回数は500を超え、コメントも増えていった。健太は昼休み、トイレの個室に籠もってそれらを確認するのが日課となっていた。
「この動画を見ながらイッてしまいました。もっと見たいです。」
ユーザー名は「Yuki_xx」。プロフィールには「女、28歳」と記されている。
健太の心臓が跳ねた。女性が——しかも若い女性が——彼の姿を見て、快感を得たというのか。その事実が、彼の脳内に爆発的な反応を引き起こした。
彼女がどんな場所で、どんな姿で、どんな表情で彼の動画を見ていたのか。細部は分からなくても、その曖昧さがかえって想像力を刺激した。彼女が下着の中に手を滑らせ、彼の姿を見ながら快感に震える姿。その想像だけで、健太の体は反応を示した。
会社の残りの時間、彼はほとんど仕事に集中できなかった。頭の中は彼女のコメントでいっぱいだった。「もっと見たいです」——その言葉が、彼の中の何かを決定的に変えた。
---
その夜、健太はいつもより早く帰宅した。玄関のドアを閉めるなり、彼は準備を始めた。今回はベッドを舞台にしようと決めていた。少し生活感のあるシーツの乱れが、リアルさを増すだろう。
カメラをセットし、照明を調整する。前回よりも落ち着いた手つきだが、それでも期待に胸が高鳴る。
服を脱ぎ捨て、全裸になった時、鏡に映る自分の姿に今回は違和感を覚えなかった。これが新しい自分なのかもしれない、と健太は思った。
録画ボタンを押し、ベッドに仰向けになる。今回は彼女のために、演出を加えることにした。ゆっくりと自分の体を愛撫し始める。指先が肌の上を滑る感触を、いつもより意識的に楽しむ。
「彼女がこれを見て…また…」
その考えが頭を占める。自分が誰かの性的欲望の対象になるという事実に、健太は深い満足感を覚えた。
乳首に触れると、前回よりも敏感に反応する。「あっ」と声が漏れる。今回は声を抑えない。むしろ、自分の声が彼女の耳に届くことを想像して、あえて声を出した。
「んっ…」
手を下に滑らせ、すでに硬くなったペニスを握る。先走りでぬめる感触が、指先に伝わる。目を閉じ、彼女の存在を想像する。彼女がスマホやパソコンの画面越しに自分を見ている。その目に映る自分は恥ずかしい姿だろうか、それとも魅力的に映るだろうか。
右手で激しく扱きながら、左手では太ももを掴み、爪を立てた。軽い痛みが快感を引き立てる。彼女にこんな姿を見せることで、どんな反応を引き出せるだろう。嫌悪か、興奮か、それとも同情か。どんな反応でも、彼女の心に何かを残せるなら、それで良かった。
「あぁ…見て…」
言葉が自然と漏れる。カメラに向かって、見えない彼女に向かって、健太は自分の欲望をさらけ出した。汗ばんだ肌、荒い呼吸、震える太もも——全てが生々しい証拠となり、カメラに捉えられていく。
動きが激しくなるにつれ、ベッドがきしむ音が部屋に響いた。そのリズムが彼の動きを加速させる。絶頂が近づき、頭の中で彼女のコメントが繰り返される。
「イッてしまいました」
今度は自分が彼女のためにイクのだ。彼女に捧げるように、彼の体が弓なりに反った。
「はぁっ…!」
大きな喘ぎ声と共に、白濁した液体が勢いよく飛び出した。胸に、腹に、シーツに飛び散る精液の飛沫。最後の一滴まで絞り出すように、健太は震える手で自身を扱き続けた。
放心状態で、彼はまだ回っているカメラを見つめた。このみっともない姿を、彼女に見てほしかった。自分が晒されることで初めて感じられる、この解放感を。
動画を編集し、「恥ずかしい姿をまた見てください」というタイトルでアップロードした。顔は映さず、身元が特定されないよう注意しながらも、彼の欲望は画面から溢れ出ていた。
ベッドに横たわり、健太は天井を見つめた。彼女がまた見てくれるなら、次は何をしようか。もっと恥ずかしいこと、もっと見られたいこと。その思考が、彼の中で大きくなっていく。
かつての平凡な会社員は、少しずつ自分の本当の姿を受け入れ始めていた。見られることで初めて、自分が自分であることを実感できる。健太の心に、新しい扉が開かれていった。
健太は32歳、平凡な会社員だ。日々スーツに身を包み、朝9時から夕方5時までオフィスでExcelを叩き、家に帰ればソファでビールを飲む。そんな単調な生活の中で、彼には誰にも言えない秘密があった。それは、露出願望と羞恥心が絡み合ったマゾヒスティックな欲望だ。人に見られること、辱められることに興奮を覚える自分を、彼は長い間抑え込んでいた。
ある晩、いつものようにアダルトサイトを徘徊していると、Pornhubの「アマチュア」カテゴリに目が留まった。素人が自分の性行為を撮影し、世界中に公開している。コメント欄には賞賛や嘲笑、時には罵倒が並ぶ。それを見た瞬間、健太の心臓がドクンと跳ねた。「これだ」と彼は思った。合法的で、誰にも直接迷惑をかけず、しかも自分の欲望を満たせる方法——自慰を撮影してアップロードする。
決意したのはいいが、初めてのことだ。緊張と興奮が混じり合い、彼の手は震えた。まずは準備だ。部屋の照明を調整し、少し暗めのムードを作り出す。スマホを三脚に固定し、アングルを何度も確認した。顔は映さない。身元がバレるのは嫌だったが、体を見せることには抵抗がなかった。むしろ、見られることを想像すると下半身が熱くなった。
服を脱ぐ。Tシャツを脱ぎ捨て、ジーンズを下ろし、最後にボクサーパンツをゆっくりと剥がした。全裸になった瞬間、鏡に映る自分の姿に少し恥ずかしさがこみ上げたが、それすら快感に変わる。カメラの赤い録画ランプが点滅を始めると、健太は深呼吸してソファに腰掛けた。
最初はぎこちなく手を動かした。普段なら目を閉じて妄想に耽るところだが、今日は違う。カメラに見られているという感覚が、全身を電流のように走る。彼は自分のペニスを握り、ゆっくりと上下に動かし始めた。硬くなっていく感触、溢れ出す先走り液が指に絡むぬめり。普段より敏感になっている気がした。
「誰かがこれを見るんだ」と考えると、羞恥心がさらに煽られた。見知らぬ誰かが、彼の勃起した性器を眺め、コメント欄に何かを書き込むかもしれない。「小さいな」と笑うのか、「気持ちよさそうだ」と共感するのか。それとも「変態」と罵るのか。想像するだけで頭がクラクラした。
動きが速くなる。右手で陰茎を激しく扱きながら、左手で乳首を弄った。普段はあまりしない行為だが、今日はカメラの前で全てをさらけ出したかった。喘ぎ声が漏れる。「あっ…んっ…」と我慢できずに声が出ると、それがまた自分を追い詰める。羞恥と快楽のループだ。
やがて限界が近づいた。腰が勝手に動き、太ももが震える。「見られてる、見られてる」と頭の中で繰り返しながら、彼は絶頂を迎えた。白濁した精液が勢いよく飛び出し、腹の上に、ソファに飛び散った。息を切らしながら、健太は放心状態でカメラを見つめた。録画停止ボタンを押す手がまだ震えていた。
数時間後、編集を終えた動画をPornhubにアップロードした。タイトルはシンプルに「初めての露出オナニー」。顔は映っていないし、違法なことは何もない。誰かを傷つけるわけでもない。ただ、自分の欲望を満たすための一歩だ。公開ボタンを押した瞬間、胃が締め付けられるような緊張と、解放感が同時に押し寄せた。
翌朝、恐る恐るサイトをチェックすると、再生回数はすでに50を超えていた。コメント欄には「エロい体だね」「もっと声出してよ」「次は外でやってみて」と書かれている。罵倒もあった。「みっともない」と。だが、それすら健太には甘美な刺激だった。羞恥心が満たされ、欲望が現実になった瞬間だった。
健太は笑みを浮かべた。次はどうしようか。もっと過激に、もっと辱められるような形で——彼の新しい趣味は、こうして始まったのだ。
健太が初めて動画をPornhubにアップロードしてから一週間が経った。あの日以来、彼の日常は微妙に変わっていた。会社での退屈な会議中や、電車での通勤時間に、ふと「今この瞬間にも誰かが俺の動画を見てるかもしれない」と考えると、胸がざわつき、下腹部が疼く。再生回数はすでに500を超え、コメントも20件以上ついていた。
その日、職場での昼休み。健太はいつものように弁当を食べ終え、同僚たちが雑談に興じる中、一人トイレの個室にこっそり籠もった。スマホを取り出し、Pornhubにログイン。自分の動画ページを開くと、再生回数が700近くに伸びていることに驚いた。そして、コメント欄をスクロールするうちに、一つのコメントに目が釘付けになった。
「この動画を見ながらイッてしまいました。もっと見たいです。」
投稿者は「Yuki_xx」というユーザー名で、プロフィールには「女、28歳」と書かれている。
健太の心臓が一瞬止まり、次の瞬間激しく鼓動し始めた。女性が——しかも自分より若いかもしれない女性が——あの動画を見て興奮し、オーガズムに達したというのか。彼女がどんな姿で、どんな表情で、どんな場所でそれを見ていたのか、想像が膨らむにつれて頭が熱くなった。
彼女が動画を見ながら手を下着の中に滑らせ、喘ぎ声を我慢しながら体を震わせたかもしれない。健太のペニスを眺めながら、彼女の指が濡れていく様子を想像すると、たまらなかった。彼女がどんな体型か、どんな下着を履いているか、どんな喘ぎ声なのか——具体的なイメージがなくても、その曖昧さが余計に興奮を増幅させた。
その夜、健太は帰宅するなり部屋の準備を始めた。昼休みの衝撃がまだ頭から離れず、全身に疼きが残っている。あのコメント——「この動画を見ながらイッてしまいました。もっと見たいです」——が、彼の欲望に新しい燃料を注いでいた。彼女が再び自分の姿を見て、同じように感じてくれることを想像するだけで、下半身が熱くなった。
前回と同じく、スマホを三脚にセットし、照明を微調整する。今回は少し趣向を変えようと思った。ソファではなく、ベッドの上に移動し、背景に乱れたシーツが見えるようにした。少し生活感のあるリアルさが、見る側の興奮を煽るかもしれない。そんなことを考えながら、彼は服を脱ぎ始めた。
Tシャツを脱ぎ、ズボンを下ろし、ボクサーパンツを剥がす。全裸になると、鏡に映る自分の体を一瞥した。前回より少し慣れた気がするが、それでもカメラのレンズが自分を捉えていると思うと、心臓がドクドクと鳴る。録画ボタンを押す。赤いランプが点滅を始めると、健太はベッドに仰向けに寝転がった。
最初は軽く自分の体を撫でた。腹から胸へ、指先でゆっくりと這わせる。彼女がこれを見ながら、また興奮してくれるかもしれない。自分の姿が、誰かの快楽の材料になる——その考えが羞恥心と快感を同時に呼び起こした。乳首に触れると、ピリッとした感覚が走り、思わず「あっ」と声が漏れた。前回より大胆に、声を我慢しないことにした。彼女に聞かせたい、というより、彼女に使われたいという欲望が彼を突き動かしていた。
やがて手を下に滑らせ、すでに硬くなり始めていたペニスを握った。ゆっくりと扱き始めると、先走り液が滲み出て指を濡らす。ぬるぬるとした感触が気持ちよく、彼は目を閉じて彼女のことを考えた。彼女が画面越しにこれを見て、息を荒げ、手を自分の体に這わせている姿を。自分が彼女のオカズになる瞬間を想像すると、ゾクゾクするような快感が背筋を駆け上がった。
「もっと見たい」と言った彼女のために、今回は少し演出を加えた。右手で陰茎を激しく扱きながら、左手で自分の太ももを強く掴み、爪を立てた。軽い痛みが快楽に混じる。彼女がこれを見て、「なんて変態なんだろう」と呆れながらも興奮してくれるかもしれない。そんな妄想に溺れながら、彼の動きがさらに速くなった。
喘ぎ声が自然に溢れ出す。「んっ…あぁ…」と、抑えきれずに漏れる声が部屋に響く。カメラに見られているという意識が、羞恥心を極限まで高めた。彼女がこの声を聞きながら、自分を慰める姿を想像すると、頭が真っ白になりそうだった。自分が誰かの欲望の道具になる感覚——それが健太を狂おしいほどに興奮させた。
腰が自然に動き始め、ベッドがきしむ音が加わる。シーツに擦れる肌の感触、汗ばんだ体の熱さ、全てが現実感を増し、彼を追い詰めた。絶頂が近づくにつれ、彼女のコメントが頭の中でリピートされる。「イッてしまいました」と彼女が書いたように、今度は自分が彼女のためにイクのだ。彼女に捧げるように、彼は限界を迎えた。
「はぁっ…!」と一声大きく喘ぎながら、健太の体が跳ねた。勢いよく飛び出した精液が腹に、胸に、シーツに飛び散る。脈打つペニスから最後の一滴まで搾り出すように扱き続け、彼は息を切らしてベッドに崩れ落ちた。カメラはまだ回っている。放心状態のまま、彼はレンズを見つめた。彼女に見てほしい、このみっともない姿を。
数分後、録画を止め、動画を編集した。タイトルは「恥ずかしい姿をまた見てください」。顔は映さず、身元が特定される要素は全てカットした。アップロードボタンを押すと、前回と同じ緊張と解放感が押し寄せた。
ベッドに横たわりながら、健太は思った。彼女がまたこれを見てくれるなら、次はもっと恥ずかしいことをしてみようか。羞恥と快楽の深みにはまりつつある自分に、彼は少しだけ笑った。
もちろん食べてる女性にスポットを当てるのは、商品の魅力を増す結果に繋がるとは限らない。
グルメ漫画の性表現と違うのはそこだが、しかし達成目標をどこに置くかは自由だ。
プロジェクトの目標として定量化しにくい商品の売り上げでなく、CMの再生回数を計るのは妥当。
だから女性性の性的消費に加担しても、コマーシャルの魅力を増すのは意図通りだった。
不運は、外部の事情によって偶然に男女の差異が出てしまいグロテスクさが具現化したことだ。
顧客は、アクシデントによる錯覚であることを考慮して、非実在の女性差別に憤らないこと。
事情を知らない人にはそれを教えてあげること。
性的消費に加担した咎はあるものの、それを指摘するならばグルメ漫画など他の性的消費材も問題視しないとダブルスタンダードになる。
タイトル通りの話だが、決して自分が頭が良いですと言いたいわけじゃない。
と言ってもアンチはいくらでも沸いてくるんだろうけど。どうでもいいや、もう。
好きな(と言うのも憚られるけれど、いったん)グループの周年ベストアルバムが発売された。
と言っても、ここ最近ずっとモチベーションが低下の一途を辿っていて。いつもなら発表されたと同時にほとんど脳死で三形態予約、フラゲ日には勝手に届く、その後なんか気が向いたら包装解いて視聴する、が常だったのに、今回は予約すらせず、発売されてからもしばらく手すら付けなかった。なんなら購入する気も起こらないほどだった。
それでもと重い腰を上げて購入に至ったのはひとえに、自担のソロ曲が収録されているからだ。それだけが購入の理由で、本当にそれだけしかない。
自担はグループ内においてかなり歌割りが少なく、デビューしてからそれは長らく継続している状態だ。私はいわゆるデビュー後の永遠新規オタクだが、好きになった頃から今現在、いやデビュー前を除いて遡っても歌割りが多い!となれた試しはほとんどない。強いて言えばユニット曲ぐらい。かなしい。
ここら辺の話も相当に根深いのだけれど、本題でないから今回はいったん置いておくとして。まあそういう状態なものだから、どうしてもソロ曲が収録されているとあってはさすがに聴きたかった。YouTubeで一部公開されたのを視聴した時、MVも曲も本当に良かったから、これと好きなメンバーくらいは見たいというその一心で、MVが収録されている1枚だけ購入することにした。
購入してから1週間くらいは、何度も何度も自担の曲を見て聴いていた。だって好きだから。
自分の好きなひとが、歌割りやカット割りを一切気にすることなく、外野の心ない言葉を気にすることなく、余すことなく堪能できる。ノーストレスで見られる、そんなしあわせをかみしめていた。やっぱり自担好きだな、他の好きなメンバーの曲も良いな。そうやって久しくなかった、ただ純粋な気持ちでアルバムを楽しんでいた。
だけど、それも長くは続かなかった。
少し視聴のペースが落ち着いてきて、車でも聴きたいからやっぱり通常盤も購入しようかな、と思い始めていた頃。
YouTubeの公式チャンネルにて、唯一にして最大の目当てであったソロ曲が、フルバージョンで、公開された。
その時の衝撃と言えばもう、とても形容しがたい。いくらなんでも早すぎる、いやアルバム買った意味。そういう感情も多分に沸いてきたけれど、何よりも何よりも頭を占めたのは、「好きな曲」が「それぞれのオタクによる再生回数争い」の道具になってしまったことだった。
令和になり、推し活なんて言葉が日常茶飯事的に使われるようになった昨今。企業側にもオタクの購買意欲はとっくに知れ渡っており、あの手この手でオタ活と経済を結びつけようと躍起になる世の中。
SNSの普及により、オタクは「ある一点において」めちゃくちゃ賢くなってしまった、と個人的には思っている。
一点というのはつまり、「CDや円盤を購入する、SNSで話題になる、動画を再生する」などといった行為が、いわゆる〝推し〟にどう還元されるかをある程度知ってしまっているということだ。
数字は良くも悪くも強い。何を進めるにも、何を決定するにも、数字というのはある種絶対的なソースであり力だ。数字があるから起用する、数字を持っているからBETする。当然だし、仮にも社会人として短くない年数を過ごしてきた自分としても、数字を無視して全てを通すなんてことはとてもじゃないができない。百聞は一見にしかず、まさに大きな数字の前にも言えることだ。
YouTubeに公開されたことで、案の定オタクたちは頑張った。自分の好きな人の再生回数が低いなんてあってはならない、脚光を浴びせたい、そのほか様々な意思により、オタクたちがどのようにすれば再生数にカウントされているのかを喚起するポストが瞬く間に散見された。私はそれを眺めていた。
「回す」。日本語というのは不思議なもので、一言でたくさんの意味を持つ。この一言もそうだ、この話の中で言えば「再生して数字を増やす」。私の視界に収まる決して少ないとは思えない人数が、この言葉を呟いていた。みんなで回そうね。無邪気な子どものような口ぶりで。
公開日がズレているのももちろんだし、MVでも客演があったりとそれぞれ条件が違う中で比べることなんて絶対に出来ないのに、何を争っているんだろう。
その瞬間、「ああ、私が好きなものは、好きだったものは、ただの競う道具に変貌してしまったんだな」と。そう思ってしまった。
結局オタクの中で争ってオタクが頑張って再生回数を伸ばして、「オタク以外の人にも見て貰うため」なんていうお綺麗な言葉はしかし、実際再生回数のどれだけに当てはまるのだろう。そこから好きになってファンクラブに入って?ファンが増えていって、国民的アイドルに?ピンとこない、シンプルに何がゴールなんだろうこの争い。
考えれば考えるほど、空しさが広がっていく。
間違いじゃない。決して。あれを口にしていたうちのどれほどかなんてのは分からないが、本当に心から「好きな人を応援したい」という思いで「回して」いた人もきっとたくさんいるだろう。
なんなら、数字で証明することがスタンダードになった昨今、私の考えの方が間違い、というか古いんだろう。そこも理解している。
それを認めた上で、それでも私は、エンタメにおいてあまりそれを感じたくないというのが嘘偽りない本音だった。だってエンタメだ。娯楽だ。人ひとりの人生がかかった、超巨大なエンターテインメントコンテンツ。この場においてのアイドル。
それらに対して、基本的に「楽しみ」しか求めていない。圧倒的、面白い、格好良い、可愛い、美しい、眩しい。なんでもいい、とにかくそういう、普通に生きているだけでは得られない栄養というか、そういったものが見たくてアイドルを見ている。私の場合。
「好き」だから見ていたいし、「好き」だから買う。そこに「○○を応援したいから!」なんて殊勝な心がけなんて微塵もない、徹頭徹尾私の勝手だ。だって娯楽だから。
ただ好きだから聴いてる、見てる、現場に行ってる。シンプルにそれだけだ。
それだけでいいはずだろうと、老害よろしく懐古している。今もずっと。
自担の曲も、好きなメンバーの曲も、それぞれ本当に良い曲だ。それは今でも思ってる。
だけど、購入して見て、聴いた時の気持ちにはきっともう二度と帰らない。
じゃあ見なければ良いなんて人は言うけど、逆に問いたい、それって誰が出来てるの?
ここを見てる時点で、みんな同じ穴の狢だよ。
そう言っても無駄なんだろうけどね。SNSで議論をしようとする全ての人は私と解釈違い。
何度でも繰り返す。徹頭徹尾私の勝手だ。私の意見だ。アルバムを購入した、一消費者で名義的にはファンを名乗って良い立場の。
好きなものをどんどん嫌いになっていく。それを望む人なんているのだろうか。
勝手に嫌いになってるだけじゃん、そう思うだろう、そりゃそうだよ、勝手に好きになってるんだから。
でも。こんな人はファンじゃない、なんて、そんなもんはアイドル側しか下せないんだよ。
人に刃を向けるときは、全部自分の思いであり全部自分の勝手だと、承知してからやってほしい。
推しのことを思って、なんていうなら、こんな汚いところに手を突っ込む時に推しの名前を使うな。
これは推し活をする全てのオタクに対して思っていること。自戒でもあるけれど。
ただの呪詛だし、ただの泣き言だし、ただの弱音で、ただの悲鳴だ。
それでも、私にとっては計り知れない絶望だった。
を見ている。
真剣に好き!とかではなく、作業用BGMとして動画をずっと流してる感じ。
おそらく編集担当は専業で、他メンバーは別でメインの仕事がある。
10万人くらいで食べていけることを知らなかったのでちょっとびっくり。
10万人到達も相当大変なんだとは思うけど。
休みほぼなしでずっと編集してるみたいで大変だな〜と思いながら流し見してる。
ずっと見てるとメンバーのキャラクターや関係性が見えてきて好きになってくる。
10年後、この人たちはこのコンテンツを続けているのだろうか?
続けていて欲しいけど。
視聴者の年齢層も上がっていくだろうな。そうなると、今やってるような企画はやらなくなるんだろうか。
10数時間生配信で延々会話し続けてるの見ると体力すごいなと思う。
そういうのは無くなりそう。
10年前にテレビに出ていた芸能人で、現在もテレビに出ているタレントは本当に稀だ。
すごく売れていた人でも気がついたらいなくなっている。
アイドルなども、年齢が上がるとファンの熱量はあからさまに落ちる。
全盛期の売り上げは絶対に続かない。
※激重オチなし長文
※敬称たまに略
知らない人のために書くと、ストーム久保はストリートファイターの元選手だ。
いまは公称無職なので、「世界一格ゲーの上手い大人気無職」と呼んだ方がいいのかもしれない。
知らない人はググってほしい。
ついでに、ぜひ彼のYouTubeを見つけて楽しみ、再生回数を伸ばしてほしい。
特に好きなところは、繊細で複雑な感性を持った内向的な性質に見えるのに、何とか踏ん張ってがんばっているように見えるところだ。
久保さんは決して図太い神経はしていないように見えるので、プロ選手としてのメンタルの強さは充分じゃなかったかもしれない。
SFLでは重圧と自責の念に飲み込まれて、絶望しながら必死に尽力していたようにも見えた。
久保さんは決してメンタル鬼強系の超人選手ではない。格ゲーアイドル(?)のような綺麗な顔も、すごい学歴も持っていない。それどころか、陽キャでもなく、友達が多そうでもない。
けれど、いつも努力している。
努力の影には不安や自己肯定感の低さが隠れてもいるし、誰かの期待に応えようという気持ちや、反骨精神なんかも垣間見える。
もちろん動画も好きだ。
本職のディレクターかと思うような質の高い編集だが、本人が編集しているらしい。
何年も上手になり続けているので、どれだけ動画を勉強しているんだろうと舌を巻く。
喋る内容や、プレイの目のつけどころも独特で面白い。こんなに上手な人がこんなスーパークソプレイをしてくれるなんて!と思う。
更には文章も上手くて、コラムも楽しく読めるので、もともと物作りのセンスが豊かなのだろうと踏んでいる。
そんな彼が、最近選手ではなく、クリエイターとして事務所に所属をしたらしい。
事務所側が記念にグッズを作ってくれたようで、イベントで久保さん自身が手売りをするという。
久保さんと生で会える!
ぶっちゃけ推しと生で会っても、根暗なので何を話せばいいかわからない。何なら推しの目の前で地蔵になってしまいそうな気がする。
けど、少しでも人が多い方が応援になるはずだ…と思ったため、勇気を出して行くことにした。
正直、行くまでは怖かった。
実は、2023年の魚群イベントに行ったことがある。魚群のイベントは、友達と来ている明るい参加者たちが多かった。
待ち時間は皆わいわい楽しそうに喋っていたし、キャーキャー叫んで手作りのアイドルうちわを振っている女子達すらいた。
自分はひとりぼっちの参加で、知り合いもいなかったので所在なかった。
ウェーイ勢や夜中のドンキにいそうな人ばかりが集まって騒いでいたらどうしよう。
実はすごくモテていて、女子ばかりいたらどうしよう。自分が歯ぎしりしそうで怖い。
渋谷パルコという若い女子が沢山いる場違い極まりない場所に入りさらに緊張が高まったが、
大丈夫だ!
ここにいても大丈夫だ!!
さすが陰なる者達、圧倒的なシングルライダー率だった。そして皆下向いてるか、携帯を見て黙っている。あんたら最高だよ!
ポケモンショップのすぐ近くで、50人くらいのおっさんポケモン(陰属性)が、静かに並んでジッとしているさまは壮観ですらあった。
こんなしっとりメロウで大人しそうな男達が、ローション相撲だの相撲イリュージョンだのオフィシャルボンバーだのロクでもない技をたしなんでいると思うと、人間って本当に底が知れない。
さて、生で会った久保さんは割と印象通りだった。
具体的に言うと、
「本来、慣れない人との会話はあまり得意ではないが、多少無理して社会性を駆使し『しっかりしなくちゃ』と一生懸命接客をがんばっている」ような、ピンと気を張った雰囲気があり、初対面のおっさん達とお互いに微妙にぎくしゃくしながら感謝の会話を繰り広げていた。
並んで写真撮影もできたが、ファン達との物理的な距離がなぜか微妙に遠く(隣で写真撮れるのになぜか一歩半くらい離れている)、
そこに絶妙な初対面感があらわれており、とっても面白くてちょっと笑ってしまった。
けれど、内気そうなおっさん達が、久保と喋った後にホクホクとっても嬉しそうに帰る姿は可愛らしく、待ち時間に眺めているだけでも嬉しくなった。
そして自分も例に漏れずぎくしゃく当たりさわりのないことを話し、微妙に距離のあいた写真を撮ってもらった。とっても楽しかった。
部屋の中でも寒かったが、あのファン達の一員になれたみたいでちょっと嬉しかった。
M365 E5入れといてウイルスバスター残しまァァァすとか言ったらぶっ飛ばされると思うよ
外部ネットワークを完全に遮断してるエリアでのみ残すとかならまぁ・・・だが
それ以外はDefenderに統一するのが基本だと思うの
5chのジャニヲタ雑談スレも高齢女性しかおらず、娘達はテレビ見ないから芸能人を知らない、美容師のおしゃれな若い子もアニメの話はするけどアイドルや芸能人の話はしないと普通に言ってるしな
https://anond.hatelabo.jp/20221115202042
■ジャニーズが若い女子の話題の的だった時代は終わったんだ、ホビット老人はその事実を認めよう
https://anond.hatelabo.jp/20241225101215
SnowMan以外のジャニーズグループは動画再生回数やCD売り上げ等各指標で数字を落とし続けている
一方で数種類出ているジャニーズ専門雑誌も、性加害騒動前年から部数も検索ユーザーも激減している
2年くらい前までは、ジャニーズのコンサートや舞台のチケットはファンクラブ会員でも中々取れないというのが定説だった
しかし今では、暇アノンからジャニヲタのチン騎士になったホットケーキくんという部外者かつ新規でも、旧関ジャニ∞の東京2公演や堂本光一のSHOCKの千穐楽のチケットがあっさり買えてしまう
ジャニーズという箱の求心力が落ちる一方、SnowManは好きだがジャニーズには興味がないという層だけが増え続けている
更にジュニアから見守り育てるというシステムもNHKの番組終了で瓦解
匿名のネット空間では、光GENJIやらたのきんトリオやら女子中高生がジャニーズの話題で持ちきりだった時代に青春を過ごしてきた爺さんが「ジャニがモテるから日本の女はチビイケメンが好き、男は身長より顔で選ばれる」とブツブツ唱えながら精神を保ってきたのに
悲惨ですね
立花孝志がデマで人を死に追い込むことをなんとも思っていない人物であることは明らかだが、より恐ろしいのは、立花のデマを信じる人や、デマとわかっていて乗っかっている人が、それになりの肩書きを持った人にも見られることである(例えば高橋洋一や堀江貴文)。この理由について、思いついたところを簡単に述べてみたい。
一つにはやはり、テレビなど「オールドメディア」への対決姿勢であろう。そもそも立花が兵庫県知事選に目をつけ、斎藤知事を擁護するようなったのは、彼がテレビで連日のように大きくバッシングされていたからである。立花だけではなく、もともとテレビ報道やテレビ局の権力構造を批判していた多くのユーチューバーも「テレビが伝えない真実」という文脈で、テレビや既存のマスメディアをバッシングするという目的で、立花のデマに乗っかって斎藤知事を擁護する動画を積極的に配信するようになった。
そしてこの数年、ジャニー喜多川、松本人志、中居正広と、メディアに大きな影響力を持つ芸能事務所や大物芸能人の性加害スキャンダルが明らかになり、それを少なくとも当初テレビ・新聞は全く報じなかったことで、「立花よりはさすがに新聞やテレビの方がまともだろ」と言っても、全く説得力を持たなくなってしまった。このように、「テレビはもう信じられない、どの情報を信じたらいいのかわからない」という、ぽっかり空いた大きな隙間に、立花が全力で入り込んでいるわけである。
しかし、SNS対テレビという文脈だけでは、立花のデマに乗っかる人たちの存在を理解できない。岸田前首相は、テレビで「増税メガネ」と悪質なレッテルを貼られて散々バッシングされていたが、外交やベアの復活など擁護するためのネタは豊富にあったにもかかわらず、岸田首相を擁護するインフルエンサーやユーチューバーはほとんどゼロだった。テレビでいじめられているなら誰でもいい、というわけでは明らかにない。
そこで、もう一つの文脈である、「改革派vs.既得権益層」という、政治を解釈するストーリーの吸引力の強さを指摘する必要がある。「改革派vs.既得権益層」は、もともとはテレビなどオールドメディアが作り出し、定着させたストーリーであり、2000年代の小泉郵政解散選挙や民主党政権の成立においては、こうしたストーリーが強力な役割を果たした。
「改革派vs.既得権益層」のストーリーは、主に税金をめぐって語られることが多い。つまり、既得権益層とは、要は「俺たちの税金をむしり取って食っている連中」であり、改革派とはそれに戦って「税金を自分たちに取り戻す」側と認識されている。内容的には「新自由主義」そのものだが、日本では新自由主義を批判する左翼の多数も、なぜだかこのストーリーが大好きである。「減税」を掲げながら「福祉や教育の予算を増やせ」を主張するという支離滅裂を全く矛盾と感じていないくらい、このストーリーの日本における吸引力は強い。
実際のところは、ある人物が改革派なのか既得権益層なのかは、簡単に分けられるわけではない。斎藤知事も、総務省官僚出身の既得権益層としてみられても全く不思議ではない。しかし立花が、斎藤知事は「改革派」で、兵庫県議会や県職員は「既得権益層」であるというイメージを構築すると、それがYoutube視聴者に「なるほど!わかりやすい!」として、急激な勢いで拡散していくことになった。斎藤知事をバッシングしていたテレビも、SNSでは当然ながら既得権益層の側として位置付けられるようになっている。
堀江貴文など立花の支持者・容認派の大多数は、彼の嘘やデマを知らないわけではない。むしろデマであることはとっくの昔にわかっているのだが、「テレビ局や増税派など既得権益層と戦っているなら、デマなどたいした問題ではない」とか、「テレビが流してきたデマや情報隠蔽の方がよっぽどひどい」などと考えているのである。コアな支持者に至っては、「デマも立花さんの戦術」などと開き直っている。
たとえ立花が逮捕されても、彼がゾンビのように蘇らせてしまった、「改革派vs.既得権益層」というストーリーの影響力はますます強まっていくことになるだろう。SNSだと年金でなんとか生活している高齢者も「既得権益層」になりそうな雰囲気がある。日本が最悪の時代へと向かう入り口にあるという悲観的な将来しか思い付かない。
(追記)
元々人にわかりやすく読ませるようには書いてなかったが、「ながい」「わかりくにい」という感想があったので、要約。
立花のデマを信じる(乗っかる)人がいる理由は、(1)身内の性加害問題をまともに報じないオールドメディアへの失望や不信感の高まりと、(2)税金を食い物にしている既得権益層に対する改革派の闘いという、20年以上前から定着している、日本の有権者にとって最も人気のあるわかりやすい政治のストーリーが組み合わさった結果。
立花は中居・フジテレビ問題の動画をものすごい勢いで連投している。中には100万再生回数を超えているものもあり、文春公式や立花を批判するリベラル派のチャンネルよりも圧倒的に多く、目下タッグを組んでいる堀江貴文に次いで最も視聴されているチャンネルになってしまっている。
この膨大な視聴者を、そのままそっくり「オールドメディアと癒着した既得権益層に対して闘いを挑む改革派」というストーリーの政治に動員しよう、というのが立花の目論見であろう。まずは早く逮捕されてほしい。
SnowMan以外のジャニーズグループは動画再生回数やCD売り上げ等各指標で数字を落とし続けている
一方で数種類出ているジャニーズ専門雑誌も、性加害騒動前年から部数も検索ユーザーも激減している
2年くらい前までは、ジャニーズのコンサートや舞台のチケットはファンクラブ会員でも中々取れないというのが定説だった
しかし今では、暇アノンからジャニヲタのチン騎士になったホットケーキくんという部外者かつ新規でも、旧関ジャニ∞の東京2公演や堂本光一のSHOCKの千穐楽のチケットがあっさり買えてしまう
ジャニーズという箱の求心力が落ちる一方、SnowManは好きだがジャニーズには興味がないという層だけが増え続けている
更にジュニアから見守り育てるというシステムもNHKの番組終了で瓦解
匿名のネット空間では、光GENJIやらたのきんトリオやら女子中高生がジャニーズの話題で持ちきりだった時代に青春を過ごしてきた爺さんが「ジャニがモテるから日本の女はチビイケメンが好き、男は身長より顔で選ばれる」とブツブツ唱えながら精神を保ってきたのに
悲惨ですね
今のNHK紅白、選出された歌手を見ると「日本に生まれ育った視聴者だけの為の紅白歌合戦」のようで。百歩譲って+韓国。
もっとベトナムで人気の歌手やヒットした曲やインドネシアやフィリピンのそれを採り上げれば、日本に暮らす皆で盛り上がれるのじゃかなろうか。
と書いてみたものの「ベトナムで人気の歌手やヒットした曲やインドネシアやフィリピンのそれ」を全然知らないな。
インドネシア人のYoutuber、Rainych(レイニッチ)がDoja Catの“Say So”を日本語カバーしバズったのくらいしか知らん。
それももう4年前の話か。
調べながら書こう。
ビルボードが2022年にベトナム版を始めたらしいので、これ見られたら簡単なんだけど有料会員登録必要で断念。
引っ掛かった個人ブログを辿りつつ参考に。今は個人ブログの中心地ってnoteなのね。
“「An Thần" (ft. Thắng)」は、Low Gの代表曲の一つ。
ローファイ好きならハマるかも?”
自分的にもツボな音だ。
「インドネシア 2024年 ヒットした楽曲」でググってみる。
インドネシア音楽について熱心に書いてる人がはてなブログにいらっしゃった。
インドネシア音楽大賞Anugerah Musik Indonesia 2024ダンドゥット関係まとめ - 世界の果てでダンドゥット
それを参考に歌手選び、つべで今年公開された楽曲で再生回数伸びてるのをチョイス。
本当にただの失業者
まだ収入はない
てな歌詞らしい。
機械的に生成されたものを除いて日本語で言及された記事が見付からないな、と思ったらちょろっと触れたのがあった。
太陽が“ジュッ”と音を立てそうな夕日の名所も。フィリピンの首都「マニラ」を巡る | 無料のアプリでラジオを聴こう! | radiko news(ラジコニュース)
これ書く為に色々見てたら、つべのレコメンが一気にワールドミュージックと言うか東南アジアミュージックっぽくなっちゃった。楽しい。
タイトルの通りです。
色々な意見や考え方を知りたいので、コメントを残してもらえるとありがたいです。
自分の意見や考え方について他の人がどう感じるか、あるいは自分と同じように感じた人がどう対処しているかを参考にさせてほしいため、この文章を書きます。
「男だからそう思うんだろう」「女だからこういうことを言うんだろう」というバイアスを避けたいため、
できる限りフラットな文章を心掛けて書きます。また、筆者の性別は言及しません。
(本題)
例えばの話ですが、一人の映画監督が作った映画がとても好きだとします
その映画監督が、例えばセクハラやパワハラで告発されたとき、皆さんはその作品を今後の人生二度と見ないようにしますか?
映画に限らず、近頃では宝塚の先輩から後輩へのパワハラがありましたが、自分の好きな物に関わる人間にそのような事実が発覚したら、どんなに好きなものであっても二度と足を運ばない、お金を払わない、手に取らないようにしますか?
自分は、ハラスメント加害者を応援することはないし、起こったことに対してすごく気分が悪くなります。映画監督ならもう二度と映画を撮らなくていいと思います。
ですが、例えばその加害者が作った映画や漫画、音楽、物語などが自分にとってとても思い出深く、かつ作品自体もとてもいいものだとずっと思ってきた場合、もう見ないという選択をすることは自分にはとても難しいです。
先に書いている「もう映画を撮らなくていい」という思いはありますが、これまでの映画が見たいという気持ちもある。
でも、例えばサブスクリプションなどで自分が見ることによって映画監督の収入になるのは嫌だと思うし、「再生数が多いから大衆からは許されているだろう」という裏付けにされるのは心底嫌だとも思います。
そういう考えと同時に、「あの作品また見たい」という気持ちが生まれることもあります。「あの人のあの作品、見たことなかったから見てみたかったな」という気持ちになるときもあります。
要するに、自分が復帰などの言い訳(再生回数の一因とか)にされるのが嫌だけど、でもその作品は楽しみたいという非常に自分勝手な気持ちです。
ハラスメント加害者が関わったものは絶対見ないという強い意志を持っている人たちに「そういう行動を取るから復帰できるかもしれないという幻想を抱かせる、実際に復帰させてしまう」と言われるとぐうの音も出ないです。
そういう人たちに批判されるのが嫌だから、表面上は絶対見ない、見たくもないと思うようにしている気がします。
ちなみに、自分はハラスメント加害者や性犯罪者が更生するのは無理だと思っています。多少の反省はするかもしれないけど、そう簡単に変わらないと思います。だから、ハラスメントで告発されたらもうその人にその仕事はできないと思うし、それでいいと思っています。
でも、現実として「金になる」と判断されればどんなにこちらが反対してもまた出てくるだろうと思います。
それを防ぐためには、やはり加害者のプラスになる行動を取らないことが自分達に求められていると思います
それを頭で理解しながら、性懲りもなくその作品を見ようとする自分が最低な奴だと思い、もし自分と同じように考えたことがある人がいたら、どう考えて行動しているのか、どう考えるようにしているかを聞かせてもらえるとありがたいと思い、これを書きました。
で、またユーチュバーは再生回数を求めて兵庫にやってくるわけでしょ?
で、今度はオールドメディアも手ぐすね引いて待ってるよね。
で、結局、今回斎藤さんに票を入れた人はもう一回票入れるんだろうな。
なんか馬鹿みたい。
還暦過ぎた親がスカッと系のコピペ読み上げ動画にハマったことに危機感を覚え、折に触れYouTubeの動画の言うことがいかに信用ならないかを説明している。
増田「この手の出所不明の話は嘘だと思って聞いた方がいいよ、政治的なものや歴史関係は特に気をつけて。センセーショナルな見出しで再生回数を稼いでるんだよ、儲けのために」
親「再生回数?」
増田「動画が見られた回数のこと。見てたら“コマーシャル”流れるでしょ?あれを視聴者が再生すると、一回いくらのお金が動画投稿者に入ってくる。“コマーシャル”を見せるために平気で嘘を流す動画がいっぱいあるんだよ」
親「ふぅん(わかってない)」
これをもう20回は繰り返した。過保護かもしれないが、親がネット狂老人になる可能性を思うとどうしても小うるさく言ってしまう。
親は低学力であることにコンプレックスを抱いており、その反動か露骨な反知性主義をのぞかせる場面が多々ある。エリートが失脚すると「スカッと」してしまうタイプだ。
つまりは狂老人の素質十分なのだ。絶対に阻止せねばならない。余生をヘイト感情で消費して欲しくない。
老人用スマホがあるなら、老人用フィルタリングがあってもいいのではないか、と思う。
合成音声が政治の話をする動画、旧日本軍はいいこともした系動画、中韓を嘲笑する動画、誰かが誰かを強く非難する動画は見られないようにしてほしい。
TikTokは問題の動画を削除したが、すでにX(旧Twitter)、Reddit、Threads、FacebookやInstagramなどほかのSNSプラットフォームに転載され、再生回数は数百万回に達している。
なんだから、各SNSの転載動画の再生数の合計が数百万回だという話でしょう。
一つあたりは数十万程度ではないでしょうか。
そもそも、再生数がそのまま支持者の数になるわけがないのは当然の話ですよね。
ハッシュタグの話も同様。
一人が何回も投稿していたり、批判するためにそのハッシュタグを使っていたりするのを含めても、なお100万件しかないということは、つまり「本当に陰謀論を信じているリベラル」は100万人に到底満たない数だということですよね。
以下の記述によれば、肯定否定を問わずstarlinkに言及したツイートが「急増した」後でもたった28万件/日だというのだから、
NewsGuardが『WIRED』に提供した分析によると、X上でのStarlinkへの言及数は、11月5日から9日までは1日平均4万100件だったのに対し、10日には28万1,644件にまで急増したという。
英語圏の人口も考慮すれば、本当にその陰謀論を信じているのはごくわずかだと言えるでしょう。多くてもせいぜい数万人程度では。