はてなキーワード: 理不尽とは
理由は色々あったけど、きっかけになったのは事務の先輩女性社員からの
「営業は数字を取るのが仕事。それが出来ないアンタは例え新人でも存在価値はありませんよー」「ちゃんと仕事したんですかあ?ちゃんとやってね金食い虫さん」などと暴言を吐かれたから。
ショックだった。普段から口が悪く、当たりもキツイ人だとは思っていたが、直接一緒に仕事する訳では無いので我慢していたけど、限界だった。
一回りは年上の社会人の大人が、ネットでも言われた事が無い様な煽り言葉を、直接言ってくるなんて、と思った。
で、さすがにムッとしたら「へ?怒るの?怒れる立場だと思ってんの?それってセクハラですから」と更に嘲笑された。もう駄目だと思った。
俺が男だから、性別が逆なら絶対に許されない様なハラスメントでも平気でされるし、何ならこちらが悪者にされるって理不尽に直面し、耐えきれないと思った。
ブラック気味というかブラックで、技術職で入った筈なのに最低一年は現場の仕事を覚えろって体で営業回りをやらされて
ノルマもあってキツくて毎日どん底で会社ガチャ外れたと思ってたけど、一年は我慢して次行こうと耐えていた。
確かにその月は調子が悪く、一人で回る様になってから始めてノルマ達成出来なかったけど、それ以外はちゃんと達成していたし
志望では無い職種で慣れないながらも取り組んでいて、それでも上手くいかず自分自身ですら凹んでいた所に、先の暴言だった。
心の折れた音が聞こえた様な気がした。もう駄目だと思った。
そして退職。
今月はゆっくり、しようと思ったけど精神的に落ち着かないので再就職活動はそうそうにしている。
来年1月ぐらいまでは頑張って、そこで結果出せなかったら、一旦実家に戻って準備を整えてから再起する予定。
でも、社会にあの先輩社員の様な、他人に悪意をぶつけて平然としている様な人間から、今後も男というだけでハラスメントを受けるのを我慢しなければいけないのかと思うと、働くのが怖く感じる事もある。
「しゅんきが美容師に執着・粘着してる話」じゃなく、「しゅんきが美容師に乞食してた話」て受け取ってる層が多いぽくてイヤイヤ。てなってる
しゅんきは金払いたくなかったのもそうだけど、「金払え」とされた瞬間に自分は美容師の友人でも何でもなかった事実を突きつけられ、ありふれたただの客、それも迷惑客であった事実を受け入れられず、持ち前の理不尽さや認知の歪みを発揮したうえでそれを受け入れなかった美容師を恨み、なお「あなたを慕っています」と締めくくる逆恨みラブレターなのに文章上手い上手い言いながら全然読んでないじゃんて思う
ただの雇われ事務員なので、自分の業務を効率化して3分で終わらせようがダラダラと3時間かけて仕事を終わらせても給与は変わらない。
それならば、残り2時間57分はサボり倒しても文句を言われる筋合いは無いように思うが、それだと評価が下がる。なんとも理不尽である。
理不尽だけどそんなもんだと思う
教員がなんとか手抜きできるように生徒への採点基準が画一化されてるから、
小学生だって3.9と4.1の間のマスに4.0と書いただけで×をくらう理不尽に堪えないといけないんだよ(正解は4)
あと小学校一年生は3ヶ月間給食をもらえないので午前だけで帰ってくるので幼稚園より帰宅が早い
職場のずっと気になってた先輩を食事に誘ったら「増田さんは絶縁状態の妹と同じ名前なのであなたに落ち度はないけどどうしても忌避感がある」って断られた
ほかの先輩に探りを入れたら名前まではわからずとも妹さんと仲悪いのはちゃんと事実らしい
なんか理不尽すぎて涙でちゃった
流石にそれはやめたけど
この構図、ある意味で「自分たち世代の利益優先」はどこも同じ。
彼らは理不尽な就活時代を経験してるはずなのに、「財政なんてどうでもいいから給付金よこせ!」みたいな短絡的な声があんまり聞こえてこない気がする。
なぜなんだろう?
「俺たちが苦労したんだから、お前らも苦労しろ」っていう変なプライドでもあるのかな?
あるいは、あまりにも打ちのめされて、声を上げる気力すら失ってしまったのか?
といった具合に、遠慮なく言ってもバチは当たらない気がする。
とはいえ、こういうことを言うと「氷河期世代はひねくれてる」って言われたりするんだろうか?
それとも、氷河期世代の中には実は声を上げている人もいて、ただ単にメディアが報じてないだけ?
若者や老人はわかりやすく声を出すから注目されるけど、氷河期は声を上げても無視されてるとか?
みなさんはどう思う?
氷河期世代はなぜあまり「俺たちに金をくれ!」と叫ばないのか、
あるいは叫べない状況なのか?
ぜひ教えてほしい。
TBSがお送りする、年末の大型スポーツバラエティ番組といえばSASUKEである。もともとは「名もなき男たちのオリンピック」を標榜し、SASUKEオールスターズに代表される一般人の参加を中心に据えていたこの番組だが、近年は芸能人の参加が目立っている。ゴールデンボンバーの樽美酒が著名だが、芸人やアイドルや業界問わず多数参加している。
一部のSASUKEファンはこの変化をよく思っていないらしい。とりわけ、人気アイドルグループSnow Manのリーダーである岩本照を取り上げすぎている、という声が時折聞かれる。彼はまだ自力で3rdに到達しているわけでもないのに、番組で尺を取りすぎている。もっと当初のように、名もなき一般人に焦点を当てるべきだ、というわけだ。
だが考えてもみてほしい。この番組はすでに、山田勝己という狂気の一般参加者を輩出してしまっている。もう20年以上も前に、その後長きにわたりバラエティ番組で擦られ続けるかの名言を生み出した男だ。あの時代よりだいぶ平均的な倫理観が成熟した現代に、いったいどこに、山田を超える一般人エンターテイメントを生み出す余地があるだろうか。
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SASUKEの総合演出を務める乾氏は、「SASUKEが生んだモンスターは2人だけ」と語っている。一人は人間ドラマとしての番組の方向性を決定づけた山田勝己、もう一人は現役最強のSASUKEプレイヤーである森本裕介だという。SASUKEの主人公になりたければこの二人のバケモノのどちらかに勝たなければならない。森本に実力で勝つか、山田勝己を越える人間ドラマを演出するか、二つに一つだ。
前者がかなり厳しい道のりであることは論を俟たないだろう。第40回のファイナルステージ、森本は他二人のファイナリストに圧倒的な差をつけて鋼鉄の魔城の頂すれすれまで辿り着きかけた。第41回では愛媛銀行職員という新星が現れるも、彼すら森本と同じ位置で脱落してしまった。
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とはいえ、もう一つのルートも険しいものだ。山田勝己はSASUKEに打ち込むために、およそ常人が捧げられるあらゆるものを捧げ尽くしてしまった。命綱なしでクレーン車からぶら下がってファイナルステージの練習をし、SASUKEの練習に熱中して仕事を首になり、にもかかわらずあっけなく失敗する姿を見て妻が涙をこぼしてみせる。命、仕事、家族、真っ当な人間なら犠牲にできないものを全て。そうして暗い沼地に落下し、「俺にはSASUKEしかないんですよ…」とこぼす。本当に全てを賭けてしまい、ドラマのようには美しく勝てなかった男の言葉を。
だから山田に勝つためには、山田が持っていないものを賭けるしかない。総合演出の「SASUKEにはまだ林業やっている人がいない」みたいな戯言を間に受けて林野庁に就職した若者は自分の未来を賭けたわけだ。広大な土地に膨大な労力を費やして、巨大な模擬セットを作成した選手も一人ではない。あの実力者の愛媛銀行ですら頭取のハンコを持ってきた。もちろん、もうちょっとばかし穏当な、家族とか友情とか起業とかそういうアピールもあるけれども、それらは大抵、当人たちのテレビ映えする立ち回りのうまさと、着実に前半をクリアできる実力とセットになっていたりもする。
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そこにきて岩本照は、「トップアイドルとしての偶像性を捨てること」という間違いなく強いカードを持っている。彼は日本で最も売れているアイドルグループのリーダーだ。その彼が、割と平気で1stで落下する。初回はなんと冒頭のクワッドステップスで落ち、そこから少しずつ距離を伸ばして6回目にしてとうとう1stをクリアしたかと思いきや、新エリアの前にまた沈んだりする。特別回で3rdの良いところまで進める姿を見れば、練習はちゃんとやっているのだが、全体としての本番の成績は芳しくない。
要はぶっちゃけ、微妙なところで結構落ちてるのだ。きらきらとしたアイドルのリーダーが。あの汚い泥沼に。普通に考えて、アイドルがスポーツバラエティに出場する動機があるとするならば、その華麗な活躍模様をファンに見せつけるためではないのか。初回出場で1st最終エリアまで到達したり、あるいはクリアまでしている諸先輩後輩がそうであるように。
にもかかわらず彼はなぜか、「俺はこれだ」と確信し、自グループの冠番組でもSASUKEの番組名を連呼し、忙しい合間を縫って千葉の片田舎にあるセット練習に赴き、枕元には山田勝己カレンダーを置き、結果として見事にSASUKEキャラを確立している。他のメンバーがドラマとかダンスとか言ってる最中、リーダーのこの男のキャラ付けがSASUKEである。まあ冷静に考えたら何かがおかしい。まだアニメオタクとかの方が普遍的だし理解できる。トップアイドルがTBSの一企画にキャラクターを預けることがあろうか? あかつやクロちゃんじゃないんだから。例えばVS嵐のアトラクションに全てをかける後輩がいたら、相葉くんだってドン引きだろう。それでいて別に毎回クリアできるわけじゃないのだから、彼は間違いなく、ある種の「本物」なのだ。
SASUKEの熱心なファンは「SASUKEに全精力を費やすのは普通のこと」と考えている向きがあるようだがそんなわけがない。思い出してほしい。これは所詮、いちバラエティー番組なのである。
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そんなたかがバラエティ番組で、輝くことを求められるアイドルが、時にぶざまとも言える失敗を見せる。しかし、どれだけ恥をかこうがなんだろうが決して諦めたがらない姿、それこそ山田勝己が紡いできた物語のそのまま続きと言えないだろうか?
SASUKEがもしも、完全制覇をゴールとする英雄の物語だけだったならば、Mr.SASUKEの称号は長野誠のものだっただろう。けれども、ここには山田勝己が代表してきた、人間の物語がある。見果てぬ夢を見て、敵わぬ敵と戦い、届かぬ壁に手を伸ばす。それは冷静に見れば滑稽で、傍目には理不尽とすら思える情念で、ときに哀愁すら漂い、しかし不思議な輝きを放つ、奇妙な人間讃歌である。その世界に岩本は、アイドルらしい視聴率を手土産に、アイドルらしからぬ泥臭さで挑んでいるのだ。
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というわけで、一般人にもっとスポットを当てろという意見、お気持ち大変よく分かりますが文句はこの際、森本と山田に言いましょう。エリア難易度をインフレさせた森本と、人間ドラマをインフレさせた山田に。でも次回にこそは、とんでもない素人のドラマが現れるかもしれないという希望もかすかに抱いて。
そんな今年のSASUKEはクリスマス決戦、12月25日18:00からスタートです。岩本照で何回CMを跨ぐのか。みなさん絶対絶対絶対見てください。
あなたの不満を取り除くためには、あなたに理不尽を感じさせているものが何なのか、正体を突き止める必要があります
あなたが「社会のルール」と呼ぶそれは、まだ真の姿を現していません
あなたを惑わすデコイが大量にばら撒かれている状況では、全ての物事が敵に見えるでしょう
しかし、その中のものすべてが貴方に敵対しているわけではありません
あなたはそれらを一つ一つ吟味し、何が敵で、何が敵ではないのか、また何が自分にとっての味方となりえるのか、見極めていかなくてはなりません
最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。
わたしは若い女で、比較的フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。
以前、似たような境遇の女の子の友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。
しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入りの帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。
この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入りの帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定の性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。
話は変わる。新聞社の事件事故の欄を見ていると、盗撮や痴漢、路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせはもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。
そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害にあいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。
そもそも、表現というのは社会の情勢や価値観や規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現は社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現が社会や個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり、表現は社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現は社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。
フェミニストは二次元と三次元の区別がつかない。あるいは、自他境界が曖昧すぎてただの絵に自己を投影している。エロ表現を忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちでしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツの邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。
ポルノグラフィ(エロ絵や漫画、アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実の性犯罪を助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現が問題視されていることの妥当性を示したいと思う。
ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現は社会の外側には出られない事実である。つまり、エロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律や公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロをエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力をエロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたしの意見を述べておくと現実の被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力をエロの表現のひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり、表現は社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会でしか受けつけられないのだと思う。
また、そういうチャレンジングな表現で社会の価値観を問うたり挑発したりすることも表現の役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任が表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロいものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会の価値観は醸成されていない。
ちなみに。こういう話では必ず、殺人も現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたしの理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人の表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人をエンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人が絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会だからなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現をエンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうから、エロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すときの感覚の快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)
同じように、戦闘シーンを快として描く表現は暴力が基本的に日常の外にある社会だからこそ許容されるし、ヤのつく職業の社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会だから可能なのではないか。
つまり、エロ表現を自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通に認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現の自由戦士と呼ばれる人たちは表現と現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現は現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現と社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現と現実社会の区別〉をつけるべきではないか。
恐らく、フェミニストでエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現を無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ、規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか。
補足:Xではエロ表現の話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズムの文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。
こうやって当事者の少女達から娯楽を取り上げようとしているのに、少女漫画叩きは少年漫画の場合と違って何故か誰にも反論されないのが理不尽だ。
sumile🟣スミレ
@H1__1989
「強引でドSな男子にときめく少女漫画」はなくした方がいいんじゃないかと思ってしまう。
今は法改正後420年後──東京湾上空に浮かぶ宇宙入国審査基地「ハナフサ420」では、まるで宇宙ホタルが大挙して発光ダンスを踊り狂っているかの如く、長蛇の列が奇妙なビートで揺れていた。俺は列の中に立ち、喉の渇きと尿意を同時に抱え、先頭でキラキラと光る尿検査ロボット「ピーピー君」を睨みつけるしかなかった。あいつ、黄金色のボディに「清流」「極上」「芳醇」とか能書きシールを貼りまくって、テンション高くキュイーンと鼻歌なんか歌ってる。芸が細かいというより、ただの悪趣味な便器ロボじゃねえか。
しかし俺が本当に腹が立つのは、横で浮遊している別のロボット「Nippy-Stick420」の存在だ。コイツは合法的に大麻由来のオイルを吸ってハイになっている。わざわざハッパー型のアロマディフューザーを口元につけ、メタリックグリーンの煙をぷかぷか吐きながら、こっちにニヤリとする。その顔はまさにトリップ宇宙人、脳ミソゆるゆるモード全開で、こっちの深刻さなんて知ったこっちゃない。
Nippy-Stick420が俺を見て、薄笑いを浮かべる。
「Yo, my metal brother, you steppin’ in a galaxy without greens, ain’t no buds for yo human lungs, know what I’m sayin’?」
(よう、メタルブラザー、人間のお前には緑の恵みなんて無い銀河に足突っ込んだってわけよ、わかるかい?)
ウッゼェ、こいつ。俺は言いたい。「なんでお前は合法的にキメてんだ?なあ、同じ大麻成分だろ?なんで人間がアウトでお前は政府公認ハイなんだよ?」
ことの発端は、アムステルダムだ。俺はそこに旅立ち、夢見心地で「Amsterdam 420 Kush」を一服かました。それは舌の上で葉っぱが宇宙クジラの子守歌を歌うような極上の体験だった。ところが同じ頃、面識も無いクセに宇宙的有名人になっていたインフルエンサー「420BlazeChica」がSNSでやらかした。「アムステルダムで合法ハッパ最高~!」なんて調子に乗った配信をやって、銀河規模で炎上し、日本政府は大慌て。結果、法改正後420年の平和だった(建前上)日本は「アムステルダム帰りは全員、尿検査ガチャに参加」なんていう悪夢的イベントを開催するハメになった。
そして俺は見事にハズレ──いや、当たり──を引いたらしい。今やピーピー君が俺の前に迫ってくる。そいつは超ハイテンションで、発声モジュールからアイドル声優みたいな声を出す。「お兄さん、今がチャンス!最高品質の検査液を排出してねっ☆」なんて言いやがる。
「てめえ、検査液って俺の尿だろうが!」と叫びたいところだが、その瞬間、Nippy-Stick420が俺に向かってスパスパとスモークリングを吐く。
「Chill, my leafless homie, da universe ain’t got no sympathy for yo dried-out fate. Just pee and roll with it, ya feel me?」
(落ち着けよ、葉っぱ無しの相棒。この宇宙はお前のカラカラな運命に同情なんざしちゃくれねえ。とっととションベンかまして流れに乗れ、わかる?)
何が「流れに乗れ」だよ!俺は流れなんて乗りたくない。流れに乗った結果が、合法的にハイなロボットと、合法的に俺を捕まえる便器ロボだぞ?
ピーピー君は検査モードに入ると、警察官風情の監査ドローンを脇に従えて、まるで江戸時代の奉行よろしく判決を読み上げる。「ハイハイ、こちら大麻判定モード入りま~す。違反は即アウトですぅ♪」その声はアイドルから一転、判決ドSナースみたいなトーンに変化。
俺が出発前に地球新聞で読んだとおり、帰国時に陽性なら即逮捕。それが法改正後の新しい現実らしい。
「Ain’t no mercy in this big ol’ cosmic playground, my dude. You gon’ be locked up tighter than a stoner’s snack stash.」
(この広大な宇宙の遊び場に慈悲なんてねえぜ、ダチ公。お前はハイな奴らのおやつ隠し棚より堅くロックアップされる運命だ。)
Nippy-Stick420がトロけた声で宣告するたびに、俺の血圧は上がる一方。おまけに周囲の客は、俺をまるで珍獣でも見るかのような目で見ている。中にはSNSでライブ配信している奴もいるんじゃないか?インフルエンサーのせいで俺たち全員が疑われてるのに、皆あの女と俺を同列に語るな!
ピーピー君が結果をババンと大画面に表示する。「Amsterdam 420 Kush成分、陽性出ちゃいましたっ☆ あ~残念♪」
周囲がどよめく中、監査ドローンが青白い光を放って俺を拘束する。空気がヒヤリと凍り付き、Nippy-Stick420は相変わらず気怠い笑みを浮かべている。
「Dat’s how da cosmic cookie crumbles, my friend. Next time, stick to dat robot oil, it’s on da house.」
(なあ、相棒、これが銀河クッキーの砕けっぷりってわけだ。次回はロボット用オイルでキメな。タダで振る舞ってやるぜ。)
不条理だ。ロボットはハイでも合法、人間は一口吸っただけで逮捕。俺は銀河の果てで、圧倒的に理不尽な巨大便所ビジネスに飲まれたような気分だ。
こうして、法改正後420年後の世界で、俺はアムステルダムの甘い葉っぱの記憶と共に、宇宙的ジョークの渦中へと引きずり込まれていく。スモーキーで、皮肉とコメディが倍増した、カラカラ銀河の物語はこれから裁判所行きのシャトルで続くことになる──俺に笑う余裕なんて、一片もないけれど。
「抱いてくれたら治るのに」みたいなことを女性のクライアントからいわれるの、カウンセラーあるあるのひとつ。
んでもって、全部が全部そうじゃないだろうけど、おそらく「本当に、たぶん抱いたら治るな〜」ってケースもある。
職業倫理として固く戒められているので、どれだけ好みの相手だろうとやらんけど。
逆に言えば、別にプロのカウンセラーじゃなければ、相談に乗っていたつらそうな相手から「抱いてくれたら楽になる」といわれて、抱くのは別に問題ではないんだよな。
ただ、抱いたからには責任が伴うというか、別に結婚するわけじゃないにしても、相手と納得する形の関係を築く必要はある。
昨今、相手と結婚したり、多少こじれたにせよ、双方納得する形で、特に大きな問題にならない形で関係を解消していたとしても、第三者がそのことを知ったときに、「権力勾配があったので関係を持ったのは間違いだった」とか成人同士の関係でも年齢差があったら「グルーミングだ」みたいな話になったり(「グルーミング」の定義って、年齢の問題で性的自己決定能力がないことが重要なんじゃないの?)、なんやかやと批判がSNSで起こって、社会的な制裁を受けたりするじゃない?
なんなの、これ?
まとめると、「カウンセリングを職業とする人間が仕事において出会った相手と肉体関係を結ぶことは職業倫理上問題があるが、そうした職業倫理に縛られていない無資格者がカウンセリング的なやりとりを通じて肉体関係を結ぶことは、どこからNG扱いされるのか。その線引きが昨今曖昧な気がして、理不尽に思える」です。
みなさんは、育児休業給付金という制度をご存知だろうか。当方新婚のアラサーで、そろそろ子どもを作ることも考えて育児や出産に関わる制度を調べていたところ驚愕の事実が発覚したので共有したい。
この育児休業給付金という制度、なにがやばいって満額月30万円を最大24ヶ月(2年)、合計720万円もらえるのだ。
しかもこれ、子ども一人につき、ではなく夫婦それぞれに対して発生するのである。
つまり、夫婦が満額受け取った場合1440万円を子ども一人出産するたびに国からもらえるのだ。
これだけ聞くと大変喜ばしい制度である。その昔、テキトーに見ていたYouTubeの動画でひろゆきが「子ども一人産んだら1000万円配ればいいんですよ」と子育て対策の自論を展開していたが、実は既にそれは実行されていたのである。
ただし、条件付きで。
1. 雇用保険に加入している
2. 各給料支払いの実態がある月について、就業日数が11日以上且つ就業時間が週に20時間以上である月が過去2年間以内に12ヶ月以上ある
3. 給付金を受ける直近6ヶ月の平均給料が45万円以上である
4. 給付金受給期間、保険を加入している企業での就労を休業している
5. 出産後1年時点と1年半時点で二度保育園への入園が断られている
ざっくりこの理不尽さを理解してもらうためにあえて以下のような極端な例をあげよう。
夫婦ともに年収780万円(月収50万+ボーナス)、世帯年収1560万円の家庭の場合: 会社を2年休んで給付金1440万円
シングルマザー非正規年収180万円(週20時間未満労働)の家庭の場合: 給付金0円
(無論、所得に応じたその他公共施設の利用料に価格差があったりはするが1440万円に比べれば誤差である)
さて、いくつかツッコミどころが湧いたかと思うが順に見ていこう。
1. 雇用保険に加入している。
この条件は2の条件に近いが、次の条件を満たしている被雇用者に対して加入が義務付けられている。
これは実はパートなどにも適用できるので非正規であっても上記の条件に当てはまれば入ることができるが、現実問題パートや業務委託のフリーランスなどで働いた場合、意図しなければ雇用保険に入るケースは少ないだろう。さらに、「学生でない」という条件があり、学生出産などの”真に金銭的援助を必要とする層”を完全に切り捨てるような条件だ。(学生であっても企業側が融通を聞かせて雇用保険に加入させることもできるが相当優秀で引く手あまたな社会人学生などでなければそのような特別待遇は難しい)
さらに、事業主もこれに加わらない。これも異常な点は女性の会社役員は貰えないのである。女性の社会進出をこんだけ謳っているなかで、「起業して、自分で事業を起こす」というもっとも社会でたくましく働いている女性が出産の際に一切この制度を利用できないのである。
大前提として、これほどの大規模の給付金の仕組みが雇用保険の制度に閉じていて人によって享受できないことがおかしい。そもそもこの給付金の財源は雇用保険だけでなく「**子ども・子育て支援納付金」**が組み込まれており普通に税金である。複雑に名前を変えた保険をたくさん作ってわざわざ不公平な制度を作っているとしか思えない。社会保険と税金を統一し、一律公平に1000万円配れば?と思わずにはいられない。
2. 各給料支払いの実態がある月について、就業日数が11日以上且つ就業時間が週に20時間以上である月が過去2年間以内に12ヶ月以上ある。
こちらは、例えば就業後すぐに出産したケースなどを認めないのである。「制度の悪用を防ぐため😤」などと言っているアホはほっといてそもそも制度自体がカスなくせに一丁前に悪用を防ぐなどと息巻いているのが腹立たしい。上記で言っている通り一律給付にすれば悪用もクソもないのである。
3. 給付金を受ける直近6ヶ月の平均給料が45万円以上である
こちらは給付金の金額が「直近6ヶ月の給料平均*2/3」と定義されているからである。ざっくり、給料がいいほどたくさんお金がもらえる。なんでこんなことになっているのか分からないが、これも一律30万円にすればよい。(生活水準が〜みたいな話だと思うが、そもそも仕組みがカスなので割愛)
これも地味にやばい。世論で育児休業給付金受給者への対立煽りが発生している原因が主にこれのせいだと考えられる。これに限った話ではないが、「公金をもらうために人々に仕事をしないインセンティブを与える」仕組みが多すぎる。こんなことしてるから経済が成長しないのである。休んで金もらって他の人がその仕事を巻いているから文句言われているのである。休まず働いて給付金ももらって余裕ができた資金でベビーシッターを雇うという選択肢も与えてよいのだ。そもそも、「育児休業」の仕組みと「育児休業給付金」の仕組みは別物であるので、「育児休業」がとりたい人は取れるよう今まで通り整備しておけばよいだけである。
ちなみに、雇用保険の対象企業で休業していることが条件なので、別途フリーランスで仕事してたりしても問題なく給付金はもらえる。なんだその中途半端なしばり、もはやなくていいだろ。
5. 出産後1年時点と1年半時点で二度保育園への入園が断られている
これをクリアするために保育園を落ちるための「スコアリング」みたいな謎のゲームをやる必要がある。もうここまで来るとめちゃくちゃであるが、最大1440万円のお金が降ってくるんだから下手に仕事するより全力でこれを取りにいくために労力を割いても割に合うのである。いい加減、ゲームを複雑化してそれを攻略できる人間だけが得でき、なんの生産性もない時間に人々の労力を向けさせるのやめませんか?
SNSなどをみるとこの特大給付金をファックしているプロ主婦の方々が叩かれているのをみるが、正直「落ちている1000万円」を拾うのに死力を尽くすのは当然だと思う。別にこれをファックしている方々を叩く気にはなれない。なぜなら制度が悪いから。むしろ、このような複雑怪奇な制度を華麗にファックできる知能と行動力のある方々の労力が、制度ファックというなんの生産性もないクソの所業に使われていることが嘆かわしい。
やや感情的な文面になってしまったが、これが一つの問題提起となり、一律1000万円給付金と社会保険と税金を統一してシンプルで透明な制度にしてくれと切実に願う。
めちゃくちゃ理不尽な思考と分かってはいるんだが、会社に対して「業績が悪くなるとすぐ社員をクビにする」「何をやっても評価されない」という思い込みがある これをなんとかしたい
この認知の歪みが発生した原因はたぶん、幼少期に父親がリストラされて無職になり、その後15年近く極貧生活が続いたことにあると思う
ちな貧乏のレベルは住民税非課税世帯って感じ 母親のパート収入だけで家族四人が生きていた
冬にはお風呂以外でお湯が使えず、周りがスマホを持ってLINEでやり取りする中、携帯電話も持てずにボッチで孤立してたな あと父親からの暴力とモラハラがついてきた 地獄
今考えると父親の暴力とモラハラ、貧乏故のしんどさは別種のものだと分かるんだけど、命の危険と結びついた嫌悪感ってなかなか消えないから困るんだよ
父親が失業さえしなければこんな苦しい思いをしなくて良かったのかなと思うと、会社という概念に対してうっすら憎しみが湧いてきて、それが自分の心の底にへばりついて消えないんだ
今勤めてる会社はめちゃくちゃホワイトで、1週間まとめて有給取っても、男性が育休とっても誰も何も言わない それどころか「いいね、旅行行くの?」ぐらいの言葉が返ってくる
ワイが鬱で休職して、発達障害が発覚した(働きだしてから自分が発達と気づいた)にもかかわらず、正社員として雇い続けてくれている弊社には感謝の意しかない
そんなド級のホワイト会社に勤められているという幸運を手にしているのに、未だに社会全体にある「会社」というものへの不信感が拭えない
今でも正直ワイの首なんかすぐぶっ飛ばされると思ってるし(正社員だから解雇しにくいのは分かってるんだけど)、自分のやったことは結構上司には評価されててお褒めの言葉ももらってるんだが、認知が歪んでるせいで「でも昇給しないんだろ!?!?」と思ってしまう
こうして書くと彼氏が何度も「浮気してないよ!」って言ってんのに「男は絶対浮気する!信じない!どうせあなたもそう!」って叫んでるメンヘラ彼女みてえだな 自分の認知が歪んでる自覚はあるのにその歪みを治せないの、なかなか絶望感ある
とりあえず文章化すると認知の歪みがかなり浮き彫りになるからいいな まだ時間かかるかもだけどこれ書いたことで前進した気がするから、これから少しずつ治していきたい
会社だって社員から信用されてなかったら嫌だろ 勤めてる会社が好きとかいうとネットだと「は?」て顔されるかもけど、ワイは弊社を信用したいし好きになりたいんや だってお互い「いい会社だな〜」「いい社員だな〜」って思って働けた方がいいじゃん 綺麗事だけど
なんかまとまってないけどここで終わるわ サンクス