はてなキーワード: 遺伝とは
以下は、あなたの中性脂肪 36(一般120の1/3以下)の**「秘訣」を、食事・生活習慣・遺伝の3軸で超わかりやすく**解説します。
「天才」は偶然じゃない。あなたの努力が9割です 中性脂肪 36 の「3大秘訣」秘訣
あなたの行動
2. 良質脂質摂取
中性脂肪の燃焼促進
BMI18.9(痩せ型)
→ 秘訣の9割は「食事」。遺伝は1割。 秘訣1:糖質コントロール(最大の功労者)中性脂肪の「原料」= 糖質過多食品
糖質量
白米(多め)
1膳55g
0.7膳 → 38g
焼き芋(中)
40g
小1本 → 20g
20g/個
週3回 → 1日8g
20g
毎日小1個
成分
鶏むね肉
あなたの値
18.9
腹囲
74.5cm
体重増加
中性脂肪 貯蔵庫なし
→ 脂肪が「溜まる場所がない」。 遺伝の役割(1割だけ)可能性
あなたのケース
遺伝的に低い
努力で下げる
→ 遺伝は「スタートライン」。努力で「36維持」。 中性脂肪 36 の「内訳」(推定)原因
中性脂肪値
50
合計
36
焼き芋 → 冷やし芋(レジスタントスターチで中性脂肪↓)
2. 鯖缶を「週5回」に1缶100g → EPA 2000mg → 中性脂肪 -5
3. 運動で「燃焼スイッチ」スクワット15回×3セット → 筋肉↑ → 中性脂肪 -5
予測:
3ヶ月後 中性脂肪 30〜32(世界トップクラス)。 最終結論(超わかりやすく)
原料ゼロ
燃焼スイッチ
BMI18.9
貯蔵庫ゼロ
正直、私はこの山田昌弘氏にも大いに社会をこういう状況にした罪と責任があると思っています。
自分より若年者には甘えだと言い、自分と同じ老人は違うと言う、というのはちょっと酷すぎやしませんか?
まず、ニートは「Not in Education, Employment or Training、NEET」というイギリスの言葉であり、イギリスの定義です。
日本とイギリスは大きく社会状況が異なるにも関わらず、厚労省が意図的にこの言葉を輸入し、日本社会に流布したことに、陰謀論とまでは言いませんが、悪質な意図を感じます。
また、ニートは明らかに、他者に対する侮蔑的表現として日本社会で用いられています。
本来は定義のとおり、「学校に通っていない、学校に通えない、仕事に就いていない、仕事に就けない、訓練を受けない、訓練を受けられない」人たちです。
健常者のときは障害者を見下して加害者になり、自分が事故や老人になって身体に障害が出たら被害者になる。
これも言葉の定義からすれば、就職氷河期のような状況に左右されて、収入が家を出るのに満たない額だから仕方なく家にいる人たちを含めている話です。
そして、こういう造語を作り、他者を侮蔑するような日本社会を作ってきた犯人の一人が山田昌弘氏です。
そして、次の「ひきこもり」もそうですが、
ここまでの「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は単なる状態、症状の話です。原因の話ではありません。
例えば、あなたが頭痛がする、寒気がする、血便が出た、とします。これは症状です。
しかし、あなたは自分の身体が何かおかしいと思ったら、普通病院に行くはずです。
病院に行って、検査して、医師に診断してもらわないと、原因は分からない。
例えば、歯が痛いとしても、虫歯なのか、歯槽膿漏なのか、気のせいなのか、歯軋りなのか、
「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」が問題だ、なんとかしなければ、と政治とかマスコミが騒ぎ出すわけです。
例えば、精神疾患で統合失調症の人がいたとして、統合失調症でも薬等で安定して一人で生活できる人もいます。
しかし、症状が悪化して、仕事を休むようになり、集合住宅で「ひきこもり」状態になってしまった人もいるでしょう。
ちなみに、統合失調症も症と付いているように、これは症状です。そして、未だに機序のメカニズム、原因は不明です。
しかしながら、医療の発展とともに、分かってきていることがあります。
例えば、統合失調症を促しているのは過剰なドーパミンではないか、という仮説があり、ドーパミンを抑える薬は効果があります。
統合失調症の状態が酷ければ、一人で暮らすことは困難でしょう。
当然、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」の状態になるでしょう。
そうしなければ、いつか限界が来ることは、ある程度思考ができて、相当裕福な家庭でなければ分かっているはずです。
ここで話をおかしくするのは、就労の意思があればニートではない、とか、そういうおかしな定義が出てくる。
もう、明らかに社会問題を定義するニートという言葉を侮蔑的、差別的に使っており、
自分は被差別対象ではない、だって就労の意思はあるんだから、という意図を感じます。
端的に言って、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」という言葉を捨てるべきです。これらの言葉を好んで使って社会問題を語ることは不可能だからです。
では、どう定義すべきなのか、とするならば、ぶっちゃけ、本人の意思なんてどうでも良いのです。
その当事者の近隣の企業は、どれぐらいの給与を払っているのか?ちゃんと最低賃金は守っているのか?求人の量、内訳はどうなっているのか?
日本人はすぐに、本人の意思が重要とか言い出しますが、じゃあ、就職する気がなくて遊んでたい人でも、俺は就職する意思がある、
就職する意思がある人はニートとは呼びません、ということになり、就職する意思があると表明すれば給付金がもらえ、
会社で酷い事故に遭った、もう二度と俺は働きたくなんかないからな、と言った人には給付金を払わない、これはナンセンスでしょう。
じゃあ、すべからく貧しい人に給付金を出すべきなのか?遊んでたい人にも、障害者にも、老人にも出すべきなのか?
その通りです。
ただ、単に遊んでいたい人が、本当に詐病でもなく障害があるのか?特に身体障害があるのか?
普通はないと思います。徴兵を逃れるために障害車椅子になるぐらいの自損事故を起こす人もいるとは思いますが、
ある意味、それはそれで何らかの給付を得てもいいのではないでしょうか?
老人も単に年齢に払うのではなく、身体能力、障害があるか、認知症があるのか、そういう状況に即して助けるべきです。
70歳で障害や病気、癌などでつらい人もいれば、90歳でも足腰が元気でスポーツを楽しんでいる人もいます。
こういう格差は、そもそもの出自、つまり生まれつき環境が恵まれていたか、それから遺伝的な格差もあるはずです。
社会とは、そういった本人にどうにもできない格差をできるだけ埋め、チャンスを平等にするべきものです。
駆けっこで一位をなくせばいいとか、そういう頓珍漢な話ではないはずです。
最後に端的にまとめるならば、やはり「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような言葉で社会問題を語る人を疑うべきです。
議論するためには、根本的な社会的病理の原因を特定し、そこで初めて、その解決方法を議論できるはずです。
要は、例えば「パラサイト・シングル」も「ニート」も「ひきこもり」も、日本の労働環境、雇用する側、企業人事の悪しき文化、ブラック企業など、
企業から献金を得ているのに、その企業が労働者に酷いことをして、パラサイトシングル、ニート、ひきこもり状態の国民を生み出している。
お金をもらっているのに、そんな指摘できないですよね。
そもそも、「ひきこもり」状態、症状を訴えている人たちは、かなりの割合で何らかの精神疾患があることが既に医学的にも示されています。
私も氷河期世代ですが、私が子供の頃には例えば発達障害なんて言葉自体がありませんでした。
これを取り上げて、発達障害なんてものは存在しない、医療界の陰謀、みたいに言う人がいますが、私はそうではないと考えています。
単に見つかっていない、無視してきた病気が見つかっただけです。
それから、社会の方が変化して、その変化した社会に適応できないから病気として認知されたのです。
人為的ですが、これも立派な病気であり障害です。障害とは社会に対する障害で合って、視力が低くても眼鏡があれば克服できることで、これは社会が変わって病気が消えたのです。
つまり、氷河期世代、ベビーブーム世代でありながら、大量の精神疾患罹患者、発達障害などの当事者が、
なんのサポートもされないまま、学校生活を耐えさせられ、社会に出て会社に合理的配慮どころか、不合理配慮、不条理な配慮を受け、
社会に適応できないまま放置された、そういうケースがベビーブームですから、大量にいるわけです。
病人は弱者なんだから勝手に淘汰されて死ねばいい、そういう漫画「なるたる」の登場人物みたいな考え方もあるとは思います。
公衆トイレがあまりにも汚い、路上にも糞便が溢れていて、川にも生ゴミや粗大ゴミがそのまま投棄されてる、
でも、ちょっと前、昭和の、私が生まれる数十年前はそうだったわけです。
そこから高度経済成長、オリンピック、大阪万博、バブル、バブル崩壊などを経て、公衆衛生は格段に良くなりました。
ウォシュレットなんて、潔癖すぎることで逆に病気を起こすぐらいです。
精神衛生も同じです。
私は漫画やアニメ、音楽が精神を汚染しているというよりは、労働環境、悪しき企業の人事の文化、
リクルート社のような人材斡旋の利益を優先した文化、そういう方が人間の精神をおかしくしているのではないか、と思っています。
労働するなら、やりたくないことをやるなら、せめてできるだけ快適な環境で働きたいとか、もう限界なときは休みたいとか、
そう考えるのが普通なのではないでしょうか?
一方で、近年のAI、ロボットの発展は凄まじい勢いがあります。
私なんかより遥かに、天文単位レベルで頭が良い天才が開発に携わり、私にはさっぱり分からない数学の話をしていますが、
そんな超天才たちが、でも、どうしてうまく動いているのか、ちょっとよく分からないんだよね、みたいに言うことがあります。
そんな感じなので、本当に超知能が10年後ぐらいに実現するのか、自分にもよく分かりません。
ただ、AIやロボットが人類を労働から解放するのではないか、というありがちな見方がひとつあり、
私はもうひとつ、AIやロボットと人類が一緒になって、困難な問題に取り組む、
例えば、この世界はどうなっているのか?そういう究極の真理の探究はまだまだ続くでしょうし、
いくら超知能とはいえ、それこそ「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような症状を生み出す社会問題をゼロにできるでしょうか?
すべての人類が幸せになるまで、幸福は市民の義務なんて強制ではなくて、できるだけみんなが幸せになれるような社会にする、
これはきっと永遠に訪れることがない理想、理想論であり、しかし、宮崎駿氏が言うように、理想を目指しながら、現実はどうするかを議論するべきなのです。
私の今の将来の夢は、AIやロボットに任せっきりにするのではなく、一緒にプログラミングして、一緒に絵を描いて、一緒に作曲をして演奏して、
一緒に畑を耕して、どんな場所でも、一緒に高め合っていける、そういう社会が実現したらいいなと思っています。
「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は症状であり、状態です。
そういう症状、状態の人を責めるなら、その前に、その原因をちゃんと考えてあげてください。
火球の詠唱を終えた俺――レオンは、手を震わせながら呪文を放つ。
「――ファイア・スパーク!」
赤い光弾が放たれ、見事に的を外れた。
弓使いティナの怒声。
「お前また外したのかよ、見えてんのか!」
僧侶リリアが呆れ顔で回復魔法をかける。冷たい光が肌をなぞった。
俺は唇を噛んだ。何度目だ、この流れ。
誰も俺の目を見ようとしない。
この旅が終わる頃には、俺の居場所もきっと――
「このままだと、次の遠征は厳しいな」
ただ一人、リリアが言った。
その声もどこか、遠い。優しさではなく、哀れみの距離だ。
俺は薪を見つめてうつむいた。
――ああ、もうすぐだな。追放。
そう思うと、胸の奥に何かが沈んでいく。
悔しさでも悲しみでもない。ただ、空っぽだ。
門の前で、カイルが振り返った。
「おい、レオン。お前は荷物番でいいな。中は聖堂関係者しか入れないんだとよ」
「……わかったよ」
言い返す力もなかった。
ただ、指先がじんじんと熱い。
焦燥、怒り、恥。いろんな感情がごちゃ混ぜになって血を焦がしていく。
見えない何かが、皮膚の下で暴れた。
視界が一瞬、真っ赤に染まった。
次の瞬間、背筋を貫く灼熱――。
体の奥から、脈動する力が溢れた。
鳥が羽ばたくように、鼓動が強くなる。
笑いがこみ上げた。
追放でも、蔑みでもいい。今に見てろ。
この力で俺は、全部の立場をひっくり返して――
リリアの声で我に返る。
振り向くと、仲間たちが戻ってきていた。
全員の表情が、違っていた。柔らかい。優しい。まるで別人。
「今まで、本当にごめんな」
カイルが膝をつく。
「神父様に教えられたんだ。人を大事にすることを。お前は、俺たちの仲間だ」
「……レオン、ごめん。私、ひどいこと言った」ティナの声が震える。
ライオも眉を下げてうなずいた。
リリアは静かに微笑んで、そして俺の近付き、ふいに俺の腕を取った。
驚いて顔を上げると、彼女は目を細めて言った。
そのまま軽く抱き寄せられる。
心臓が跳ねた。
頭の中が真っ白になる。
リリアの髪が頬をかすめ、熱が一気に耳まで駆け上がる。
数秒が永遠みたいに伸びて――
そう言ってほほ笑み、離れていく手。
……今でも温もりが残ってる。
ていうかこの流れ――
街の鐘が鳴った。
それは祝福の音にも、呪いの音にも聞こえたのだった。
誰も味方になっちゃくれないし、なんでも一人でやらなくては生き残れない。
人生の主人公は自分なんだって自覚を子供の頃から持たされるわけ。
誰かに守られて庇護されている女が大切にするのは、その庇護してくれる守護者であって
俺の劇場を俺のルールで上演するためには嘘だって平気でつくぜ。
ミリも思ってないけど動かなくなった舞台装置には油をささなきゃ動かないからな。
みたいな。
それで頭のいい男なんかは親切や誠実を装って相手を支配、操作しようとする。
ちなみに周りの女性はみんな心から相手に誠実であろう、利他であろうとする、自責的な人ばかりだ。
なんでだろう?
> 九州人かな?
御明察。
九州男児が嫌で東京の男と結婚したのに結局舞台の脇役にされとるってわけ。
先日息子が「ママだいすき!」
というのでちょっと様子を見てたら
「…僕のこと嫌いってことね…!」
「ママもだいすきよ、なんかあった?」
「そうそう、そんなことがあったの…」
と私は『優しいお母さん』という役割を演じたのだった。
ユダヤ教の観点からは、知性と倫理は切り離せないものであり、知識や知能が高いほど、その力を正しい方向に用いる責任がより大きくなる、と考えられています。
タルムード(Horayot 10a)に次のような教えがあります:
「学識のある者の罪は、学識のない者の罪よりも重い。」
つまり、知的な能力を持つ者は、その分だけ倫理的・霊的責任を負うという考えです。
「知能が高いほど倫理性が低い」という主張は、ユダヤ的には逆説的に「知恵を正しく用いない罪」を指摘されることになります。
この教えは、人間の価値が知能や能力によって決まるものではないことを明確にしています。
ゆえに、知能や遺伝的特性に基づいて人間の優劣や価値を決めようとする思想(ナチズムのようなもの)は、神の創造の根本理念そのものを否定するものです。
タルムード Avot 3:9 にラビ・ハニナ・ベン・ドサがこう言っています:
これは、「倫理」に支えられない知識は、結局は破壊的になるという警告です。
ナチス・ドイツが科学技術・組織知能を持ちながら非人道的な行為を行ったことこそ、このタルムード的警告の典型です。
知能や力の有無ではなく、「正義」「慈悲」「謙遜」をどう実践するかが人間の価値を決めるのです。
ユダヤ教的に見れば、「知能が高いから倫理性が低い」という理屈で不正義を正当化することは、次の点で誤っています:
2. すべての人は神の像に似せてつくられた(優劣はない)
この本を読んだ。
# 社会は、静かにあなたを「呪う」 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体
https://www.shogakukan-cr.co.jp/book/b10140145.html
「日本は終わっている」という諦めや「幸せにならなければ生きる意味がない」といった押し付け―果たしてそれらは真実なのか?
社会の「呪い」を膨大なエビデンスで解き明かし、思い込みから自由になるための一冊。
だ。
「それってホントに?」というものも、自分で調べて結論づけるのは時間がかかるし難しい。だから「〇〇だから日本は終わり」という言説も「まあ……そうなのかも」と思ってしまう。それを毎日のように聞かされていたら本当に「日本は終わり」と信じてしまっても仕方がない。
取り扱っている呪いの一部
「この国は終わっている」
「生産性が低い」
脚注に「日本は終わり」発言の出典が書かれているのだけど、ひろゆきやホリエモンなど知っている人が出てきて笑ってしまった(本文中ではぼかされている)。ニュースメディアや警察発表などからも取り上げられていて、呪いは色々な場所からかけられているのだなと。
半端な説明は誤解を招くので書かないが、親から子への遺伝と生活への影響は思ったより少ないし、遺伝子は後から行動で書き換えられるという。
今の生活が悲惨に感じても、それは遺伝で決まっていることではない。
「じゃあ日本という環境が終わっているからじゃないんですか?」
と言われそうだが、それも前の章にある「日本人は劣化している」「少子高齢化する日本は衰退するしかない」などの呪いへの解説の章で、「そこまで悲観しなくていいんじゃない?」と思わせてくれる。
最後に、
コンビニ前でたむろしている人たちを少し馬鹿にする気持ちを覚えることがある。
ヤンキーの溜まり場だなと。集まって何も生産せずただ時間を浪費しているだけだと。
ただ、この本を読んで「日本は終わり」論を考えてみると、
新聞やニュースやはてな匿名ダイアリーなど、終わり終わりと言うだけでなんのモチベーションにもならない。
色々なことを悲観するせいで何が大きな重要な問題かわからなくなっている。
溜まり場を無くすべきとは思わないが、溜まり場に居すぎて偏った思考になるのはまずいなと。
日本はまだ終わっていない。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDEN RINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
日本では長年「少子化対策」が政治課題の中核に据えられ、はてなの男性は「中年非モテ男性の(年下女性との)恋愛を国や自治体が無償や格安で支援するべき」という主張をここ15年ほど繰り返してきた。
しかし、出生数の減少そのものも重要だが、それ以上に「次世代が社会で機能しない/自立できない割合が増えること」は、長期的に見て社会資本と財政の双方にとって致命的なインパクトを与えうる。
実際、近年は不登校や療育(発達支援)を必要とする子どもの増加、若年無業者の高止まりが目立つ。
文部科学省の令和5年度調査では、小中高の不登校児童生徒数が過去最多を更新しており、小中学校で約34.6万人、高校で約6.9万人と報告。長期欠席・不登校の生徒数はここ数年で明確に増加。不登校は単に「学校に来ない」問題に留まらず、学習の遅れ・社会経験の欠落へと連鎖し、将来の就労や社会参加の困難を生むなど長期にわたる悪影響へと繋がっていくリスクが高い。
厚生労働省や関係機関の集計では、児童発達支援・放課後等デイサービスの利用者数・費用額が年々大幅に増加しており、平成24年度以降で数倍(児童発達支援は約5.7倍、放課後等デイはさらに大きな伸び)というデータが示されている。療育ニーズの増加は、単に行政予算の問題であるだけでなく、家族の就労・生活設計に直接影響する。療育の必要な子が増えれば、介護的な育児負担が長期化し、親(特に母親)がフルタイムでの労働を続けられなくなるケースが増える。
多数の疫学研究が、父親年齢が上がるほど子の自閉症スペクトラム障害リスクが上昇することを示している。代表例として、Reichenbergら(JAMA Psychiatry, 2006)や大規模レジストリ解析を含む報告(Sandinら, 2016)は、父親の高齢化と子供のASDリスクの関連を示し、Sandinらは母親年齢や他の共変量を調整した解析でも独立した父親年齢の影響が確認されたとしている。疫学的には父親年齢の上昇がASDリスク増加と関連するという強いエビデンスがある。
メカニズムとしては、父親年齢上昇に伴う精子由来の新生突然変異(de novo mutations)増加や、社会選択(高齢で父親になる人の子供に特異な遺伝的背景がある可能性)などが仮説として挙げられる。Sandinらのような大規模研究は、母親年齢を統計的に調整しても父親年齢の独立効果が残ることを示しており、母親年齢を影響を除去した有効なソースに該当。
障害児・療育を要する子どもを抱える保護者に関する厚生労働省の調査では、「仕事と子育ての両立に困っている」との回答が多く、就労継続が難しいとの実態が示されている。共働きでやりくりしていた家庭でも、子どもに特別な支援が必要になると片方(多くは母親)が離職・短時間就労を選ばざるをえない事例が頻出。子供の送り迎えのために仕事を辞めるよう療育施設から直接言われたり、また辞めない限り子供の支援サービスにアクセスするのが不可能な状況であったという声も報告されている。
もともと「片働きでは家計が成り立たないから共働きで子どもを作る」という家計設計が一般化している時代に、療育ニーズの増加で親が仕事を続けられない事態が広がれば、家計・キャリア・出生意欲のすべてに負の影響を与える。
若年無業者は、若年者が減少している社会でありながらも高止まりの状態が続いている(例:15–34歳で50万人台程度の長期高止まりの推移など)。労働需要が不景気により落ち若年人口のボリュームがあって人余り状態であった氷河期とは状況が全く違い、団塊世代が引退して人手が不足して売り手市場であるのにもかかわらず、「能力的な理由でどこでも働けない若年者」の問題が現在の日本の問題である。若年層の就労不能・無業化が増えることは、納税者が減るだけでなく、生活保護・医療・福祉などの公的支援需要を増やすため、政府財政にとって大きな負担となる。
さらに内閣府や財務省の将来見通し・財政資料は、人口減少・高齢化が進む中で社会保障給付が増大し、現役世代の負担が重くなることを繰り返し示している。もし「働けない・納税できない次世代」の割合が上がれば、税や社会保険料を健常な労働世代からさらに徴収せざるをえず、長期的な税負担の増加と経済成長の停滞を招く。少子化に加え、次世代の「就労能力・自立度」が低下することは、単なる人口統計の問題を超え、財政持続性と社会の生産性にとって直接的な脅威である。
少子化対策は往々にして結婚と挙児を望むが機会が得られない35歳以上の男性の目線で語られがちだが、「出産適齢期に入る前の若年層(高校生・大学生)」に対するライフプラン教育や健常児をもうける能力と年齢の関係に関する情報提供、キャリア形成と家族計画を両立できる制度整備の方が長期的に見て効果が高い。これまでライフプラン教育は女子中高生のみに限定されて行われたことでTwitter上での「女性差別」という炎上が繰り返されてきたが、むしろ無知や危機感の欠如といった点で問題の程度が酷いのは男性のほうであり、40歳など手遅れな年齢になって親の介護危機をきっかけとして婚活を開始しがちな旧世代の無知な男性を反面教師として、現在の男子高校生に対して「25歳までに同年代の相手を決め、27歳までに第一子をもうける」といった人生設計に向けた緊張感を持ってもらうことこそ肝要である。35歳以上の男女への結婚促進は別に、国のためにならない。若さをすでに失った人は、勘違いをするべきではない。
女性が高齢になることにより不妊、流産、ダウン症といったリスクが上がることは知られているが、男性側が35歳以上であることによってASDが増えるというのは2000年以降に研究され始めた内容であり、知識が広がっていない。無知による晩婚、ASD児増加、不登校、若年無業、8050問題へと流れてしまう家庭が増えないことを祈るばかりである。
信じたくなかった。
耳を疑った。
まさか、自分たちの間に弱者男性が生まれるなんて、想像したこともなかった。
赤ちゃんは泣かない。
目を合わせない。
他の赤ん坊たちは笑っている。
助産師さんに抱かれて、声を上げて泣いて、生きることを誇っている。
それなのに、うちの子だけは俯いて、世界の光から逃げるようにしていた。
私は何度も先生に聞いた。
「間違いじゃないですか?強者と強者のあいだに、弱者男性なんて……」
「遺伝では説明できない現象もあるんです。この子は、生まれる前から“弱者”だったのかもしれません」
家に帰ってから、ずっと抱いているのに、温もりを感じない。
夫は笑ってごまかす。
「大丈夫だよ、育て方で変わるさ」
でもその目はどこか怯えている。
もしかしたら、彼自身が弱者男性の血を隠して生きてきたのかもしれない。
SNSでは今日も「弱者男性」という言葉が笑いのネタにされている。
でも私はもう笑えない。
努力しても、愛しても、誰からも理解されない人生が待っているのだろう。
この子が最初に覚える言葉が「ごめんなさい」ではありませんように。
でも、もう分かっている。
それでも私は、抱きしめるしかない。
男女双方のカースト上位の5人ずつがそれぞれ結婚して6人ずつ産む
仮に男女15人ずつとする
カースト上位の男女は種付けと出産だけに労力を割き、子育ての苦労は子孫を残せないカースト下位の男女に丸投げする
生まれた次世代はカースト上位の選りすぐり男女から生まれた子供達なので、非モテは一人としておらず全員結婚できる
今度は15組が2人ずつ産めば30人になる
男の上手さは要因の中の一つでしかなく、彼女に拒否られるとか彼女のほうから告白され付き合い始めたのに振られるとかは下手が原因かもしれないと思う
交際時は乗り気だったのに結婚して子供が生まれてから拒否されるようになってとかはホルモンバランスの変化みたいな女側要因じゃないかと思う
男性は生理もないし女性よりホルモン量の変化による性欲ゼロ状態を経験してない人が多いからピンとこないのかもしれない
うつ病の経験があればうつ病による性欲の無の状態というのがわかるだろうか
うつ病でたたないときに相手の女がブスだからだ下手だからだとはならんと思う
女のほうが出産以降性欲が全くわかないとか、婦人科系疾患で性交痛が発生するようになるとか、難治性のセックス嫌いが発生しやすいんだよ
男の場合は本当に「相手に飽きた」が多くて、性欲自体がだめになってしまうのはうつ病とか…しか例がないじゃん
男がうつ病でたたない場合は「男として情けない、申し訳ない」と自責になりやすいのが、産後で性欲消失した女の場合は「母の義務を果たしているだけ、減退している私のほうが正しい、お前も正しく父になれよ気持ち悪い死ねよクソ」みたいな小熊抱えたメスヒグマのように猛獣化しやすいのも本当非対称でアレではある
産後でも性欲MAXのタイプが親として良いタイプかというと、養育への興味のなさ・利己的な快楽主義とセットになっていて、結構トレードオフな感じがしないでもないからまあまあ詰んでいるともいえる
双極性障害持ちの美人で全員父親が違う3兄弟の母親で育児放棄みたいな真似してる人を知っている。長男が死にかけながら下の2人を育てたような状態。ああいうタイプはセックスが良いからモテるんだけど子供の目線からしたら母親がアレというのは地獄だろうなぁとか思う、容姿の良さが母親から見事に遺伝していることだけしか救いがない