はてなキーワード: 大学受験とは
こんにちは。増田に若者はいないと言われ続けながらも共通テストや私大の入試のたびに書き込みを続けてきた大学受験増田です。
色々試験を終えた結果、何故か共通テストを点数に利用する試験(併用型も利用型も)で合格をいただくことはできず、また国立の前期も諸事情により受験ができませんでした。もしかしたらマークミスがあったのかもしれません。
しかし、増田の皆さんの応援をいただき、一般受験型の私大はそれぞれ奏功し、主には、立教大学経営学部と、早稲田大学商学部から合格をいただくことができました。この春から僕は後者に進むことにしました。
あまりにも長い受験期でした。もう一回は僕には出来ないな、とおもいました。浪人の頭は狂ってるのだと思います。
Xには日東駒専やMARCH、はたまた早慶をバカにする投稿が溢れていたり、Instagramではおかしな大学Tier表などを作って大袈裟に間違った解説してみせるひとがいたり、その中で、増田ではフェミや三大増田、政治など、社会的でありながら学歴系の話題はあまり出て来ず、とても精神的に落ち着いて、快適に過ごせました。おそらく、増田では個人それぞれに最適化された投稿ではなく、みんなが見ている投稿がホッテントリするので、フィルターバブル的に学歴の話題が寄って来なかったというのもあると思います。情報の集まり方に偏りがない(中身には偏りがあったとしても)というのは、自分の知りたい情報で埋め尽くされる現代のSNSではとても大事で、貴重で、守られるべき要素だと感じさせられました。
長い受験期を増田と共に歩めたことは、自分にとっても最良の経過でした。これから新生活に向けて準備をしていきますが、その中でもくだらない投稿に返信して楽しんだり、クンニ✋👁️👅👁️🤚したりしたいと思います。
働き始めて数年の、会社員ビギナーなんだけど、7時間30分働くのキツすぎでは?
いやそりゃ働かなきゃいいなんてことは思ってなくて。金欲しいし仕事内容は好きな方だし。
7時間30分勤務なんだけど、15時前くらいにぷつんと集中力が限界になる。あ~~~~帰りて~~~~となる。頭が空っぽになって、風呂と飯と睡眠がめちゃくちゃほしくなる。早い時は昼くらいで風呂~になる。残業が1時間でもあった日なんて次の日に休み取りたくなるくらい疲れる。
睡眠も食事もしっかりとっていて、仕事に対して不満はないけど、それはそれとして集中力が持たない。
ぶっちゃけ学生時代も6限は集中できずにずっと外を見たり、教科書のどうでもいいところ見ていたりしていた。授業がつまらないとかではなくな~んか飽きみたいなのが来る。下校時も疲労困憊で途中の公園とかでブランコするくらい疲れてた。正直大学受験も相当限界で模試でも午後は頭痛くてやってられね~ってなった。2日に分けてほしかった。眠くないのに試験中寝落ちしてしまうくらい頭が強制シャットダウンする。これ以上頭を使うとオーバーヒートを起こしてしまうとなって頭が睡眠だ!となって意識が飛ぶ。
でもなぁ仕事だしなぁ嫌いではないからやる気はあるけども頭が疲れてやる気がない。煙草休憩の人みたいに15分くらい外出させてくれ~。な日々なんだが。
1日に4時間以上集中というか頭を動かす事なんてできね~よ~。どうやってすんだよ~。ちょっと会社近くの公園でブランコしてきていいっすかぁ~。居眠りじゃないんすよぉ。だって睡眠時間8時間で眠くないんすよ。疲れて電源落ちるみたいな感じで目が勝手に閉じて意識飛ぶんすよぉ~…
抗って茶を飲もうとしたら飲みながら脳内が停止してしまってこぼしてしまったり、飴やお菓子で糖を摂取しても集中力なんか戻んね~よ~。
何を伝えたいかもわからないが、私の人生を書き残す。私にはおそらくASDと注意欠陥がある。それにまつわるエピソードを順に記載する。
小・中学生
大学受験に差し掛かっている弟のことを「お前は怠けている。死ぬ気で勉強しろ。」と詰めて泣かせる。
仲良しグループを突然抜ける。(一度ではない)
相手の気持ちを考えない発言や行動が多かった。中学は運動部に入り、先輩からいじめられていた。
暗記科目系は得意だった。
自分の学力より高い学校に入ってしまい、周りとの差に絶望する。
集団行動ができない、勉強ができない、あまり華のない学生生活だった。
後回し癖があり、アトピーで肌がジュクジュクになっても病院に行かなかった。
過集中があり長期休みには1日10時間以上勉強し、そこそこの大学に入れた。
大学生
授業は最低限しか出ない、再テストに行かず再履修するなど、落ちこぼれ大学生の見本のような生活を送る。
ブスだが穴があるので、色んな男とヤリまくった。飲食店でバイトをしていたが、オーダーを忘れたり、「言われなくてもみんな当然やること」ができず居づらくなり辞めた。
医療系大学に通っていたが、一般企業で就職しようと思い夏インターンに申し込みまくる。大企業でもESは通過するが、面接で落とされる。スタートアップのインターンに参加するが、無能なので採用には至らず。
実習と就活の両立が困難になり、一般企業は諦め医療系の道に進むことにした。不注意で人をころす自信しかなかったため、できる限り医療から遠い職種を選んだ。興味がないことには一切やる気が起きないので、一か所しか受けず、落ちてから次を探すスタイルで自分の首を自分で絞めていた。
発達あるあるだと思うが、初めは真面目そうで頑張っている風に周りから見られるが、段々やばい人間であることがばれた。後回し癖があるので仕事を溜めまくる、よくわからないのに適当に処理する、何度も確認しているのに書類を間違えるなど、たくさんの人に迷惑をかけた。
仕事を手伝わない、ちょっとズレた発言をする、相手の気持ちを考えない発言、自分のこだわりを相手に押し付けて喧嘩になること多数で人間関係もうまくいかなかった。
所謂コンビニクリニックを受診し双極性障害と診断された。田舎に引越し転職するも、密な人間関係に疲れ、今に至る。
私は発達障害の診断はつかないが、一般就労では苦労するタイプの人間だと思う。
大学生でASD傾向に気づき、社会人生活では自分から喋らないように心がけた。しかし、最低限の会話でも特性はわかってしまうようで、どの職場でも浮いていたと思う。
後回し癖は甘えだと思う。肌が痒くて寝られないのに皮膚科に行かない、締切間近になって朝4時まで仕事をする、遊びの誘いの連絡を返さない、後で起こるデメリットを考えられずに今楽することだけを選んでしまう。直す気もない。
プライドだけは高いので一般就労にこだわった。専業主婦であれば生きていける気がするが、セルフネグレクト人間が子供の世話をやれる自信はないし、ママ友とうまくやれず、PTAや自治会の様な活動でも迷惑をかけまくるので田舎では住めなくなる気がする。
特性に対応しようと頑張ったこともあるが、今は何もかもが面倒くさい。夜お風呂に入ることさえ面倒くさいので、労働などできるわけがない。正直4は救済だと思う。
職場の先輩が、「若者の3割の人がしにたいと思ったことがあると知って、驚いたよー!」と話しかけてきた時、4にたい気持ちがない人がいると知って、本当に驚いた。このような人と、希死念慮がある人は分かり合えないと思った。
女はみんな楽な事務職についてると言い張る田舎のブルーカラーのおっさん
お前が大学受験も就職も資格取得も真面目にやってこなかったのが悪いんだろ女に当たるなよ
夫に養ってもらいながら、夫の悪口を言う。
会社で男に泥仕事やしんどいことを丸投げして、きらきらした仕事が来なければ
女性差別だと騒ぎ立てる。
荒唐無稽な主張でも派手に騒いで言うことを聞かせる。
そういう女性を横目に、女性がこういう生き物だと吐き出されるため息を、
どうしようもない気持ちで見つめてきた。
お前の幼稚なきもちわるいというお気持ち表明にフェミニズムを持ち出して騒ぐのをやめろ。
老後の面倒を政府に求めるな
全部自分でやれ。
私が増田なら、大学を1~2年休学してオーストラリアかカナダあたりにワーキングホリデーに行き、ガッツリ稼ぎつつ英語力を上げておく。
①オーストラリアやカナダでワーホリすると、ガッツリ稼げば年間100万円~200万円くらいは貯金できるようだ。
②これからの時代、英語力など必要とされなくなりそうだが、現段階では会社人は頭が固いので、英語力も就活を有利にする手札の一つにはなる。
③学生時代からワーホリを活用して自力で海外で1~2年暮らしたというのも、相手や語り方によってはアピールポイントになる。
帰国後は東大等、一流国立大の修士に学歴ロンダリングする。国立大修士の学費は2年分でトータル150万円も行かないので①のワーホリで稼いだ金で学費は事足りる(あるいは、足りるようにワーホリで頑張る)。生活費が足りなくても自分でバイトするか、奨学金を借りるか、親を泣き落として脛をかじらせてもらえばOK。大学受験と比べれば修士受験の難度は高くない。英語力はブーストされているので、英語に関しては特に楽だろう。
修士卒後は肩書で困ることは最早ない。就職先も日本ではなくても良い。
■受験の後悔
早慶理工指定校があったのに学費生活費を理由に使えず、地方旧帝大を受けて落ち、後期の条件にされていた家から通える駅弁大学へ入学
一生IFを考え続ける人生になってしまった。理系だから就活先が絶望的というわけでは無いけど。田舎から脱出したかったのに、無理だったし、このままメーカーとかに就職して僻地の工場発電所建設現場なんかで働くことになると思うと憂鬱な日々。
精神的な異常がみられる長文に対してプリントアウトして精神科医に見せろという人を見かける。
私は精神科にも皮膚科にも定期的にかかっているが、少なくともその医者たちはそういう手製の参考資料を見せても、読み上げても、適当な反応しかしないような人だった。
読み上げる場合は適当に聞いているふりして、chatgptのようにうわっつらの回答をされる感じだった。
親も精神科ではないがADHDの気を自覚していて、自分の病状について気になっていることを正確を期そうと長ったらしく質問するくせがあるが、結局細部はほとんど聞いていないような答えをされているのを感じるそうだ。
知っているかもしれないが精神科は一人に対して時間を多くとればそれだけ多くの診療報酬が得られる制度なのに対し、皮膚科はそうなっていない。
よって皮膚科はより回転数を上げるためか、診察室に入るやいなや、事前に決めていた問診をさっさと消化しようと前のめりに発言してくるような態度が顕著だ。
こちらはこちらで診察室に入った瞬間質問してもそれとほぼ同時にあちらは自分の言いたいことを言ってくるので、話がかみ合わずあちらの異常がみられる長文に対してプリントアウトして精神科医に見せろという人を見かける。
私は精神科にも皮膚科にも定期的にかかっているが、少なくともその医者たちはそういう手製の参考資料を見せても、読み上げても、適当な反応しかしないような人だった。
読み上げる場合は適当に聞いているふりして、chatgptのようにうわっつらの回答をされる感じだった。
親も精神科ではないがADHDの気を自覚していて、自分の病状について気になっていることを正確を期そうと長ったらしく質問するくせがあるが、結局細部はほとんど聞いていないような答えをされているのを感じるそうだ。
知っているかもしれないが精神科は一人に対して時間を多くとればそれだけ多くの診療報酬が得られる制度なのに対し、皮膚科はそうなっていない。
よって皮膚科はより回転数を上げるためか、診察室に入るやいなや、事前に決めていた問診をさっさと消化しようと前のめりに発言してくるような態度が顕著だ。
こちらはこちらで診察室に入った瞬間質問してもそれとほぼ同時にあちらは自分の言いたいことを言ってくるので、話がかみ合わずあちらのペースになってしまう。
精神科のほうがまだましなはずなのだが、大学受験の国語の問題ようには一生懸命向き合ってくれてなそうな部分は変わらない。
プリントアウトして見せればより治療が最適化されるという考えはあまり適切とは思われない。
病院も慈善事業ではないので、素人の長文を熱心に分析してくれるほどの赤ひげ先生並みの聖人があまり期待できないのは仕方のないことなのかもしれない。
とりあえずお疲れ。
疲れたよな。
笑顔でも泣き顔でも怒り顔でもどんな顔でも、最後の結果が出たときの親の顔が頭から離れないよな。
分かる。
恐らく君は志望度の低い私立か、もしくは公立に進学するのだろう。
どちらにしろ辛いよな。
なんのためにあんなに頑張ったのだろうって思うよな。
中学受験の罪深さって、積み上げたプリントの高さだけ、本来なら見なくていい先の景色を見せちゃうところなんだよな。
しかもその景色は受験の合否に関係なく、サピや早稲アカで課題を積み上げたという経験だけで強制視聴させられてしまう。
医者?弁護士?研究者?外資系金融?コンサル?財閥系企業の総合職?
芦田愛菜みたいなキラキラした目の偏差値70が語る理想は、ちょっとだけ成功した親を熱狂させ子供を必死に神輿に担ぐ。
とりあえずさ、今は何も考えられないかもしれない。
それでもいいよ。
自分の時間の流れをもとに戻すまで時間がかかると思うのだったら、好きなだけ好きなようにして過ごしな。
大丈夫。
君の「良い親」はそれくらいのスネはいくらでもかじらせてくれる。
そしてやっと今いる場所を冷静に見回せる心境になったら、自分にとって「気持ちいい事」はなにか真剣に考えてみな。
思春期に絶対に抑えておかないといけないのは、礼儀でも経験でも、もちろん勉強でもない。
自分のツボを抑えるということだ。
自分が何を気持ちいいと感じるか把握していることは、まともな大人になる必須条件だ。
自分の欲と向き合うことが出来る大人はどんな世界に行っても生きていける。
好きなことはあとでいくらでも見つかるが、仕事や人生は「気持ちいいこと」を優先して決めるんだ。
自分の気持ちいいことを把握していれば、仕事も仲間もすぐに見つかる。
その上で、もしどうしても受験に未練があるのなら必ず大学受験でリベンジしろ。
大学受験は何十歳になっても受けていいのだから合格するまで何度でも受験しなさい。
その時「気持ちいいこと」を見つけた君は、きっと本当に楽しい人生が送れているよ。
中学受験のプリントの分だけ背伸びした時に見えた偽物の理想的な景色ではない。
自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手で掴んだ本当に理想の未来に行ける。
大丈夫、まだまだはじまったばかりだ。
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害や統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより