はてなキーワード: 留年とは
金づちで知人女性の両親を殴り、母親をベランダから落下させた疑い 殺人未遂容疑で大学生再逮捕 広島
https://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000027695.html
捜査関係者によりますと、津山容疑者は女性に対する好意を断られていて、大学の留年など生活面について「うまくいかないのはすべて女性のせいだ」という趣旨の供述をしているということです。
な、言った通りだったろ?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250202140509
↑のブコメに「ソースなし!増田の妄想!」って書いてた奴ら、弱者男性に対する解像度低すぎ
これは全世界共通です
https://anond.hatelabo.jp/20250228171018
それをやろうとして人生の前半を棒に振ったのでおすすめしない。
辛い時だけ自分を自分でなくして、必要な時だけ自分を呼び戻せればと思い高校時代にあれこれ画策したことがあったが、最終的に元の自分がわからなくなり、日常生活に齟齬が生じるようになってしまった。
きっかけは価値観が違いすぎて理解できない母親のことを、自分の人格を一時的に捨てることで理解できるかもしれないと思って始めたことだった。母は不満を罵声と暴力で解決し、そのことに私の共感や理解を求めるタイプだったが、私がたしなめると怒りの矛先を私に向けて罵声と暴力を浴びせてきた。これが辛すぎて、当時高校生の私は自身が計画的に上手くやれば回避できると思ったのだ。
自分と相容れない価値観について、口先だけでない心の底からの共感を示すために、まずは自身を真っ白にしなければならなかった。色々考えた結果、痛みを感じる一瞬はわずかに記憶や感情が飛ぶことに思い至り、母が理解不能な事を言い始めたときは手の甲を何度もきつくつねって、自身の困惑や不快感を飛ばすことから始めた。最初はうまくいかなかったが、私は習慣の力を強く信じていたので半年以上間毎日それを続け、うまく伝わるかわからないが、不快感を覚える瞬間にそれを飛ばして不快と感じた事実を薄れさせていった。何と最終的にはつねらなくても母の言動にあまり抵抗がなくなっていた。この段階までくると、あとは日常の母の言動をインストールするのみで、これは下地が真っ白になってしまうと案外簡単だった。
以前はできなかったことをできるようになった。母が他人に対して「〇〇死ねばいいのに」と平気で口にすることに対し、以前はそういう事言うのやめなよ、と窘めていたのが「わかる!生きてる価値ないよね」と秒で即答できるようになり、その理由すら詳らかに母に自ら話せるようになった。両親が夫婦喧嘩をしている時に私が皿を割ったりなどの悪いことをして両親の怒りをこちらに向け、喧嘩を止めることができるようになった。以前の自分では喧嘩を止めるために悪行に走るなど考えられないことだった。
母は私の変化に大層喜び、〇〇(私)しか理解者がいない、〇〇なら何でも話せる、わかってくれる、大人になったのねと大変満足したようだった。母は完璧な理解者を得て、毎日何時間も私を捕まえて話をした。受験勉強の時間が大幅に減ったが、そのことにも何ら抵抗がなくなり何時間でも無抵抗で話を聞いてあげられた。私はぼんやりした頭の片隅で、自身がこれを始めた動機が家庭平和であり、そのために必要なことだと理解していた。母のストレスがなくなったせいか、両親の喧嘩の頻度は激減し、表面的には私が渇望していた、極めて平和な家庭が訪れた。私の取り組みは一応の成果をあげたのだ。もはやそのことすらわからなくなりかけていたが、当時の支離滅裂な日記には「大成功」の文字がある。
私のこうした活動は家庭平和には寄与したものの、徐々に高校生活に支障をきたし始め、以前の人格ある(?)自分との齟齬が生じるようになった。まったく記憶にないのだが、私は中学の頃美術部だったのに、なぜか同級生に吹奏楽部だったと言い始めたらしい。他にも食べられなかったミニトマトが食べられるようになったり、嫌いだった先生をある日突然好きと言い始めたりしていたようで、周囲からは嘘つきとかかまちょと言われて完全に孤立し、便所飯をする生活になった。
自身が完全におかしくなっている自覚はあり、人と話してはいけないと思った。受験勉強をできず結局浪人したが、最初は宅浪を希望した。親は予備校を勧めたが人と会う生活は駄目だと思い、必要最低限の会話で済む東進の衛星予備校を選んだ。大学入学後に、双極性障害と対人恐怖症を発症し、留年をした。母親から手のひらを返したように産まなきゃよかった、一族の恥と罵倒されるのだが、それはまた別の話である。
なぜこんなことをしなければならなかったのか、ただ表面上気に入らない太客に合わせる営業マンのように上辺だけ話を合わせるのでは駄目だったのか。父は営業職であり、母に対してそのように接していたが、残念ながら全くうまくいっていなかった。合わせているだけというのは伝わるものである。そのため父は私によく「大人になって、お母さんに全部合わせるんだよ」と口癖のように言っていた。幼少期からずっとそうしてきたものの、母が求めているのは心からの共感であり、上辺だけ合わせているとすぐに察知してこちらを大声で非難してくるため、完全な共感でなければ駄目なことはわかっていた。普通にしていてはダメで、何か劇的な上手い方法を思いつかなければ解決しないと思った。私の対処法はある程度うまくいったものの、元の自分がわからなくなり、自身が狂人になってしまった。
大学時代に出会った恩師やカウンセラーの先生のおかげで、何とか自分を取り戻し、今は常人のふりをしてメーカーの研究職として働いている。病気も寛解した。でも以前ほど頭が働かないし、一番の趣味であった読書ができなくなった。集中できなくなったのもあるが、読んでいると自分が何処かに行ってしまう感覚が、まだほんの僅かだがある。
高校生だった当時、デスノートが流行っていた。夜神月が自身の記憶すらコントロールし、記憶のある自分、ない自分という2つの自分を計画に入れた頭脳戦に中二的憧れを抱いていたこともあり、うまいことやれば似たようなことができるのではと思っていたのだが自惚れだったようだ。自身の連続性を失い、自分が何者かわからなくなり、貴重な若い時間を失ってしまった。もう二度とあんなことはしたくないし、決しておすすめできない。
この1ヶ月間、再試験を受ける以外にほかに何もしてない(※)けど鬱気味だったのは、ほぼ確定(※)していた「留年」という名の死刑執行を待っていたからだと知った。というのも先程、
大学からメールが来ていて、別に今日が成績発表だとは知らなかったんだが、2月ももう終わるしヤッタルチャンと思っていた矢先、やはり極刑だった。死刑囚は刑の執行を当日の朝、知らされるらしい。
ひさしぶりの早起きで、起き抜けにパスタを作りコーヒーを淹れ、溜まっていた洗濯物を片付け、洗濯機を回している間はギターの練習をするなど、自分でも驚く快活さだった。
この結果が死刑の執行なのか、ただの宣告にすぎないのか、または禁固刑なのか執行猶予付きなのか、どう捉えるかは自分次第だけど、被告人とか受刑者とかってこんな感じなんだろうと思った。
※正確には週1程度でバイトをしていた。でもその程度じゃ家賃は払えないし、年始から増大した食欲と物欲のため出費がかさみ、現在クレカは使えない状況。
・ 『手品先輩』
・ 『留年!とどめ先輩』
・ 『三才山先輩は生きづらい』
私は「ヒロインは年上でなければならない」という宗教を信仰しているのですが、供給が少なくて大変困っています。
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(追記3)ブコメ「単におねショタや歳の差じゃないってことかな……」
正直、ヒロインが年上で人間的に嫌いじゃなければ何でもいいです(そういう病気なので)。でも「おねショタ」はエロ漫画以外ではあんま求めてないかもですね・・・
ちょっと愚痴書くけどさ、氷河期世代もこのパターンが多いと思うんだけど、
「◯歳、未経験ですが人並みの会社に就職したいです」で人並み以下の会社に就職すると大抵ブラック企業なんだよ…😟
だから、「20歳、未経験なので人並み以下の会社に就職しました」で精神病んで、退社しても若いからしばらくして回復するじゃん
で、「30歳、ちょっと経験あるけど、やっぱり人並み以下の会社しか雇ってくれないので、人並み以下の会社に就職しました」でまた精神病んで退職して、また回復して、
「40歳、もうちょっと経験あるけど、人並み以下の会社も雇ってくれなくなりました」で流石に再起不能になるみたいな…
新卒だと「22歳、未経験ですが人並みの環境の大手企業に就職できました」ができる「可能性がある」
あくまで可能性であって、つらい実験の授業落として留年したとか、病気で留年したとか、就職氷河期だったとか、もうそこでつまづいたらはい上がれないよ…😟
色々あって、運よく人に自慢できる実績とか、自営業としてやってた開発経験とかあるけど、まあでも基本そんなの人事に鼻で笑われるんだよね
自営業のつらさみたいなのがおまえに分かるのか、売掛金トラブルとか、ただ会社に勤めてるだけのてめーに経験ねーだろ💢みたいに思っちゃったりするけど、
まあ、ニコニコ笑って面接何度も落とされたり、そのうち書類も通らなくなるし、
精神障害者、身体障害者になったら、尚更スティグマが酷くなったようにしか思えない
会社のWebページとか、NHKみたいなサイトとか、SDGsとか、多様性とか、文字が躍ってるだけで、結局は新卒、上位層、金銭的に環境的に恵まれてる人が牛耳ってるだけじゃねーの?
その上、トランプになった途端にGoogleみたいな企業まで、いや、これまで多様性とか重視してもコストかかるだけでつらかったんですよー、だから、やめるねwwwみたいなの何なの?
俺、養老孟司があんまり好きじゃない、どちらかという嫌いなんだけど、YouTubeでオススメに出てきたから、ちょっといくつか観てみたんだけど、
相変わらずこいつ頓珍漢なこと言ってんなー、そうじゃねーだろ、と思いつつ眺めてて、ひとつだけ俺も全面同意する話があったんだけど、
これまでの国の教えてくれたこと、世間で正しいと言われてたことはすべて間違ってました、アメリカが持ってきた民主主義がこれからは正解になります、
ってそういうことなわけだけど、養老氏が、世の中なんてこんなもんなんだって思った、って言ってて、あー、それは同じこと思うし、俺は終戦なんかなくても普段からそう思ってますよ
だって、宮崎駿じゃないけど、朝令暮改な上司に振り回されたりとか、
そこまでいかなくても、技術的な話でも、こういう設計が正しい、みたいなのがあっても、その次に何かそれを覆すのが現れるわけですよ
例えば、Ruby on Rails以前と以降ってあると思うんだよね
Rails以降、みんなRailsっぽい、なんかRailsの影響を受けた設計になってる
でも、それ以前に、似たような設計を思ついて現場で提案しても、アホか、みたいな対応をされるわけですよ、上司とか同僚に
ところが、偏見だけど、どっちかというと日本人より英語圏とか、なんかイケてる宣伝とかカリスマ性とか、社会運動をどうやって起こすかみたいなもんで、
そうやって外部から受け入れられていくと、上司も同僚も、俺もそう思ってた、みたいな話になるわけですよ、アホかとバカかと
日本の外側から同じ発言を外圧されると、俺も私もそう思ってたんだー、って言って付き従うみたいなの、日本に生きてて子供の頃から何度も見てきた光景ですよ
ほんともうね…
えーと、何の話をしてたんだけっけ…😟
追記:
まあ、でも、とんでもなく💩なJavaコードを手伝わされたことがあるんだけど、誰もコアな部分を読まないで、みんな💩を再生産してる現場で辟易したんだけど、
金にもならないし、評価にもならないし、上司にちょっと遠回しに言ったら心証悪くされたり、仕事しろよ(💩再生産しろよ)みたいに言われたんだけど、
コアな部分読んでて、あれ?これって古いコードだけどRailsっぽいことしたかったのかな?と思ったんだよね
だけど、このコアな部分を誰が書いたか、もうとっくに退職した誰かなんじゃないか、みたいなところまで考えて、まあ、でもそれを言うとまた上司と揉めるんで黙ってたんだけど、
このJavaのコードを書き始めたとき、初期のメンバーの誰か、多分、発言権があるとか偉い人がRailsっぽい設計をしたかったんじゃないか、
とは思うんだけど、このオレオレJavaでRailsやろうとしました、のコードが色々と酷くて、それが延々と悪影響を尾が引いてる感じになってるんだよね
思うに、Webフレームワークって、技術というより、どっちかというと設計思想だと思うんで、統一されて一貫した設計思想がないと崩れちゃう
内製オレオレフレームワークにしないで、外部のフレームワークを使うといいのは、フレームワーク自体のメンテは当然外部がやってくれて、一貫した設計思想があって、ドキュメントもあってってとこだと思う
中途半端にオレオレするぐらいなら、敢えて古いアーキテクチャというか設計思想を使った方がいいと思わされたんだよね
だから、Rails以前にRailsっぽいことやりたい、オレオレフレームワークやりたい、って言うなら、ちゃんとしたコードになるまでフレームワークを突き詰めるべきだし、
ドキュメントもちゃんと書くべきだけど、なぜかExcelで書かれた?クソみたいなドキュメントしかないんだもん…😟どうせいちゅうのよ…
まあ、しかも、上司なのか、同僚なのか知らんけど、物理的な嫌がらせをされるようになったんだよね、どの開発現場で
物を隠されるとか、飲み物に変なものを混ぜられるとか、ニュースとかでもよく話題になったりするじゃない
ああいう嫌がらせとか、仕事を妨害されるような行為をされ始めたんで、その犯人には好都合に思われただろうけど、怖いんでその会社辞めたんだよね
辞めた、って言ったら、親とか親族にギャーギャー言われたんだけど、そのへんの気味の悪い話は自分は忘れたかったんで、あんまり言い訳しなかった
まあ、あんまりにも酷いコードだったんで、そもそもこれはどういう経緯でできたのか、最初はどうだったのか、みたいなのを探ったりしてたのは、
周囲の反感を買っただろうし、そうは言っても、今になって思い出しても、やっぱり酷い、これをそれなりの値段で客に売りつけてるのも詐欺とは言わないが酷い
そう思ったので、頼まれもいないのにコアな部分のソースコードを眺めてみたり、流石にこれはマズいだろ、これは変えたい、
と思っても、そのマズい仕様が前提になって、そのフレームワークの上にまたクソみたいな大量のコードが乗っかっているわけで、
そのクソみたいな仕様を変えたら、すべて変更になるし、そんなことはほぼ不可能、できたとしても、それを認めてもらえない職場だってことは、まあ最初から分かっていたわけだけど、
無い
生きる理由がない
趣味はないし楽しいことも好きな恋人もいるけどそのために数十年生活を送りたいとは思わない
留年してまで毎日大学行って単位取って卒論書いて就活同時にして卒業したら就職して毎日仕事してって何が楽しいん 何モチベに生きてるの世の中の皆さんは
生きたいと思えるほど 好きな漫画やアニメの続きは気にならないし 友達とも遊んだし 恋人も努力してまで生きて一緒にいるほどの価値は自分にない いつか捨てられるだろうし
死ぬことに対する恐怖はあるからどうせ生きるなら努力して豊かな生活送ろうってこと?
体力も気力もなくてメンタルカスだからバイトもまともに出来なかったのに毎日仕事とか出来る気せんわ
25卒目指してたときも就活上手くいかなくて一次面接すらどこも通らなかったし
あー努力しないで死にたい 生きてもいいけど努力はしたくない たまに激安通販で服買って毎日サイゼ食う生活で満足してるからさあ
そうか。大学生がねぇ…
大学生にもなって、自分が分からないことをChatGPTに答えさせて、それを卒論の一部に使うって行動、基本的な倫理観が欠けててどうしていいか分かんないね。
自分の場合は、講義で科学倫理?生命倫理?みたいなのあったけど、どうやってパスしたのか。
うーん、やっぱり、社会って嘘と欺瞞でどうとでもなるんだなぁ。
そして、そういう大学生を気軽に留年させれず、退学にもできない大学。
留年させたら、(言葉悪いけど)低い倫理観を持つ学生をまた来年も見なきゃいけないのは大変だろうね。だから、満足に…いや、6,7割も修了していないような、生半可な学生も卒業させて、社会に放出するんだよね、大学って。
しかし、偏差値40くらいの大学がないと、本当に頭の悪い人間を受け入れる受け皿がなくなる。それも良くないよなぁ。
まぁ、難しい話は偉い人が解決してくれ。
佐賀の公務員の件をみて急にある後輩ちゃんのことを思い出しちゃった。
ニュースのコメントを見て思い出したものだから、その事柄とはほぼ関係ないのだけど、少し書く。
その後輩ちゃん、詳しくは分からないし、あまりにもセンシティブ過ぎて聴くこともできないのだけど、話して応対してみた感じ発達特性を抱えてそうな子だった。
そんな感じの子だから、同学年の間でも浮いているらしく、ちょくちょくサークル中にやってきては先輩たちに助けを求めてくる。それも挨拶等の社交辞令もなくいきなり「○○について教えてください」といった感じで。それは浮くわ。せめて挨拶くらいしろよ。
いろいろ教えているとどうも前期の内に単位をそれなりに落として留年を確定させてしまったらしい。ちなみに弊校、単位認定のシステムがクッソざるで再々再試で単位認定を得た子もそれなりにいるから、そのような状況下で留年を確定させるなどよっぽどである。
教えていて感じたのだが、その子は物事を覚えることはできるのだけど、それをほんの少しでも変えてしまうと全く別の物と捉えてしまうらしく問題を解くことができなくなってしまう。ようは応用が全くできないって訳。こりゃ相当時間積まんと成長せんなと思いながら教えていると「これから先4年、6年と学年が進んでいくに従ってどの学年がキツいですか?」と聞かれた。うちの学部(6年制薬学部)の場合はセオリー通りに行けば2年と6年、あと人によっては4年のCBTがキツい。しかしこの子の場合は2年前期の時点で留年を決めているし、応用が全くできないところを鑑みるにずっとキツい思いをして実務実習もかなり大変そうに思えるし、国試も何度も受けることになりそう。だから、ぶっちゃけ言うとまだ2年という引き返せる(傷の浅い)うちに薬学部を辞めて他の学科に転学するなりした方がいいと思った。けどそんなことをいきなり言うのは酷だと思って「君はずっとキツい思いをすると思うよ」と少しオブラートに包んで言った。
彼が薬剤師の道を諦めて他の道を模索しようにも、多分なかなか厳しいものがある。なのでそうそう資格さえあれば職にあぶれることのない薬剤師の道を諦めろなんて言えない。まぁ彼の人生を負えないってのもあるが。最近、薬剤師の斜陽論出てるけど、地方だったら人手不足で引く手あまただからね。
うちの学部、限りなくFランに近い底辺薬学部だから、「あーこの子学修面においてハンデ抱えてそうだな」って子は各学年にチラホラいる。けど、ここまで大変な子は初めてみた。正直、仮に彼が薬剤師になれたとしても恐らく仕事はできないであろうと思う。けど、他にできることがあるかと考えても思い付かない。この社会は発達特性を抱えているだけでかなり生き抜くことが大変になる社会なのだなと痛感した。
少し前に、日本の医師がグアムで解剖学実習を行ったのをSNSに上げたことが炎上した。
投稿自体はすぐに消されて、数日後に謝罪の記事を出していたけど、謝罪の内容となかなかひどかった。
炎上の内容はここではあえて詳しくは書かないけれど、この件を受けて「自分が死んだら献体することを考えていたけど、今回の件でやっぱりやめようと思う」という書き込みが散見されて、非常に悲しい。
大多数の真面目な医師、医学生の真剣な学びが、たった1件のネット上の書き込みに邪魔されるのは耐えられないので、この記事を書こうと思いたった。
ここでは、医学部の解剖学実習がどのように行われるのか、医学生がどのようにご献体に敬意を払っているのか、また払うように教えられるのかということを書いていこうと思う。
大前提として、献体というのは100%本人と遺族の意思によって行われる。だから、あなたが今回の件を受けて、あるいはその他の理由でも、献体に出すことを不安に感じたのならば、その意思は確かに尊重されるべきだと思う。だけど、「医者や医学生はみんなあんな感じで解剖実習に取り組んでいる」「あれが業界のスタンダード」と思われたくはない。
最初に私の話を少しさせてもらうと、私は、とある大学医学部に入学したのち、3年目で中退している。だから医学教育は途中までしか受けていないし、今は一般の会社で働いていて医師ではない。中退の理由はお察しの通り成績不振で、留年して2年生を2回しているので2年生で行われる解剖学実習も2回受けている。
だからここでは、とある私立医学部で成績が下の下だった元医学生から見た「解剖学実習」というものについて書いていきたい。
なお、解剖学実習室で起こったことには、医師であろうとなかろうと、医学生であろうとなかろうと、中退した元医学生にも、守秘義務というものが発生する。だからここでは、個別具体的に起こったエピソードというよりは、一般論として「医学部では大体こういう感じ」というものとして読んでいただきたい。
解剖学実習は2年生の後期に行われる。他の教科は前期にあらかたやってしまって、2年生後期はほぼ毎日、1日中解剖学実習室に篭ることになる。だけど何も知らない中でいきなりご遺体を切るわけにはいかないので、前期には実習の準備講座のような授業がある。そこでは、まだ見ぬ人体の構造について、まずは教科書を見ながら勉強していくというもの。特に「骨学」と言って、骨の形や名前を覚えることは必須だった。
日本語と英語、余裕のある人はラテン語でも覚えるように勧められた。ちなみに上記の骨は順にラテン語で、Radius, Ulna, Femur, Clavicula, Costa, Mandibulaだ。
左右がある骨は左右まで同定するよう覚えさせられた。手や足の指の骨や、手のひらや足の甲を構成する小さい骨に至るまで、見ただけでわかるようにしなければならなかった。さて、骨学の実習にはもちろん骨の標本を使うのだけど、この標本は全て本物のヒトの骨を使ったものだと最初に説明があったのを覚えている。おそらく今同じ標本をヒトの骨から作ることはできないだろう。どうやって作ったのかは知らない。「人の骨の標本」と言われて、よく理科室にある骨格標本を想像する人もいるかもしれないが、骨学で使う標本は木箱に入っているもので、骨格標本のように組み立てられた状態にはなっていない。小さい骨もあるので「絶対に無くすなよ」と念を押されたのを覚えている。
「皆さんは後期に実際の人の体を使った実習を行います。これも本物の人の骨を使った標本です。こうなる前には、皆さんと同じように生きていた人たちのもので、非常に貴重なものです。くれぐれも粗末に扱ったり、乱暴に扱うことのないように」
目の前の骨が本物と聞いて、ビビる学生たち。いよいよか…という緊張感が走ったのはよく覚えている。
骨学の試験は、テーブルに一つ一つ置かれた骨の名前を解答欄に記入していくというものだった。回答は日本語または英語、ラテン語も可とされていたけど、ラテン語で書いた人っていたのかな。
ちなみに解剖学の先生(おだやかなおじいちゃん先生だった)が学生の頃は解剖学はラテン語で習ってたらしい。前期の終わりの暑くなってきた時期に、汗かきながら無言で骨学の試験を受けたのはよく覚えてる。
実習前には骨学の他にも、実際に遺体を目にする前に図録や教科書で人体の構造を理解する。いきなり人の体を切る前に、その準備段階として予習はしっかりやっておかなければならない。
解剖学実習は後期からグループで行われる。大体1グループ4−6人くらい。基本的に気の合う者同士で組むことが多いけど、人によっては仲の良さよりも成績が近い人同士とか、もっと戦略的なことを考えて組んでる人もいた。
各グループが1体ずつご遺体を担当し、学期の終わりまで解剖していく。1学年が大体100人ぐらいなので、20体前後のご遺体を1学年で解剖することになる。ご遺体がどのような過程で集められるのかについては後述する。
「解剖学においては、いま皆さんの目の前に横たわっているご遺体こそが最大の教科書です。そしてこの人たちは医者になる皆さんの最初の患者さんになります。多くのことをこの「患者さん」から学んでください。それこそが、彼らが自らを献体したことに対して皆さんができる最大の恩返しです」
実習はほぼ毎日、朝から晩まで行われるが、毎日実習の最初と最後には黙祷を行うのが常だった。班の中で持ち回りで毎週誰かが花を買ってきて、枕元に活けていた。
ご遺体はホルマリンで防腐処理を施されているので、実習室は揮発性のにおいで充満している。このにおいが苦手な学生は特別に換気のいい小部屋を与えられるが、その部屋は銭湯の半露天風呂のような構造で冬はとっても寒いので、その部屋の人たちは大変だなあと思って見ていた。またご遺体は血液も抜いてあるので、切っても血は出ない。ここが手術などとは大きく違う点かもしれない。
解剖学実習では、体のいかなる小さな部分も捨てることは許されない。遺体の一部でも規定外のやり方で「廃棄」することは法的な問題がある(たぶん下手したら「死体遺棄」とかになる)だけでなく、もちろん倫理的な意味でも絶対にやってはいけないことだ。
だから切り取った皮膚や脂肪などの組織片は細かいものも含めて全て別の箱に入れて、実習の最後まで取っておかなければいけない。
別の学年が実習していた時には、その組織片が実習室内の洗い場に捨てられていたのを先生が発見し、激怒。学年全員を落第させるぞといって大騒ぎになったそうだ。
組織片の扱いについてはそれほど厳しく慎重に取り扱われる。
森本梢子『研修医なな子』という漫画で、「解剖学実習中のなな子が、髪に脂肪の破片をつけたまま気づかずにいる」という描写があるけれど、これは少なくとも私が受けた解剖学実習ではありえないことだ。ていうか実習室で何したら脂肪片が髪につくの…?
実習では、本当にすべてを見る。
あらゆる臓器、あらゆる関節、あらゆる筋肉、あらゆる血管、あらゆる骨…。
場合によっては、色々な理由で普通とは違う構造をしたご遺体に当たることがある。手術で臓器を取っていたり、病気の痕跡があったり、先天的に他とは違う構造になっていたり。そんな時は他の班のご遺体を見せてもらったり、他の班からみんなが見にきたりする。
単純に腕が悪すぎて見ておくべき重要な神経や血管を見逃してしまい、他の班に見せてもらうこともある。「あの班はXX神経がすごく綺麗に出てるらしい」と話題になってみんなが見に言ったりもしていた。解剖学実習では、班ごとだけでなく学年みんなんで取り組む、みたいな意識が強かったように思える。
都市伝説的に、「遺体の耳を切り落として壁に当て『壁に耳あり』と言った学生がいた」「脳でサッカーをした」「大腿骨でチャンバラをした」といったエピソードが聞かれることがあるが、少なくとも私が参加していた解剖学実習では、みんな真面目に取り組んでいてそういう遊びをする空気ではなかった。別に空気がピリピリしている、というほどではなかったけど、ふざけたり大騒ぎするような人はいなかった。
上記の都市伝説について考えてみたのだけど、耳介(いわゆる外側に出てる『耳』の部分)は軟骨だから切るのはけっこう大変だし、解剖の過程で耳介を切り落とした覚えはないので、たぶん解剖学の普通の手順じゃないような気がする。耳介を切り落とす前にやることあるだろ普通に。ネットで検索した限りもしかしたら戦前とか、かなり昔の逸話のようだ。
ヒトの脳は蹴って遊べるほど硬くないのでこれは嘘だと思う。あと蹴って遊ぶ前にやることあるだろ普通に。
大腿骨チャンバラは現実に起こったとしたら骨学の実習中の話だと思うけど、行為の是非以前にまず授業中に何やってんだって話。
いずれにせよこんなことする学生は全員落第か退学になってると思う。なっていてほしい。
解剖学実習室では、時々遺族が見に来ることがある。もちろん実習室の中には入れないものの、壁一枚隔てたところにご遺族がいたりする。そういう日は朝にお知らせがあることもあるけど、何も言われないからって誰も来ていないとは限らない。だから言動には気をつけるようにいつも厳しく言われていた。
どこで誰が見ているか、聞いているか分からないので、実習室の外での会話にも気を付けるよう、注意もされていた。今回炎上した件で、「新鮮なご遺体」という表現に引っかかっていた人が多かったように、医師/医学生同士の会話で普通な言葉遣いでも、事情をよく知らない人が聞いたらビックリしてしまうことは往々にしてある。
「明日の実習でさ、ナントカ動脈の走行を確認したいからあそこ切ってここ開いて…」なんて話、一般の人に聞かせたらいけないよね。
同じように、解剖学の図表を公共の場所で開く時にも注意するように言われていた。私は『ネッター解剖学アトラス』という図表を使っていたけど、イラストなのに写真みたいに(何なら実物よりも)鮮やかに描かれているので、事情をよく知らない人が急に見たら確かにビックリすると思う。
今回炎上した件で問題になった写真撮影について、自分の時はどうだったかなと思い出してみたけど、当時はガラケーだったので少なくとも写真を撮る目的では携帯を実習室に持ち込むことはなかったはず。ロッカーに入れてたと思う。
実習室で遺体に触るときには手袋をするんだけど、途中で教科書を見たり他のことをするのに手袋を付けたり外したりを繰り返すので、そんな環境にわざわざ携帯を持ち込んでたとは思えない。
学年内で発表のために撮影が必要なときは、共有の小さなデジカメを使っていたと思う。もちろん、SDカード含めて外部への持ち出しは禁止で、実習室内の共有のパソコンでスライドを作って発表していたと思う。
スマホが普及した今では、当然スマホの持ち込みは禁止になっていると思う。
半年かけての解剖学実習が終わると、学生が自らの手で納棺を行う。
遺体と、遺体から切り取った組織片も、細かいものも含めて全て棺に収める。臓器などはできるだけ元の位置に置いておく。中には、遺族から預かった遺品を一緒に入れることもある。みんなで丁寧に納棺し、学生たちの手で釘を打つ。
遺族はこの納棺の時にも立ち会うことができないので、学生たちがご遺族の代わりに責任を持って納棺するのである。
学生の中には、ご遺体に手紙を書いて棺に納めていた者もいた。半年も一緒に過ごしたご遺体なので、親近感もあるし、感謝もある。文字通りの意味で「体の隅々まで見せてもらった」という点では、ある意味で家族よりも濃い関係を築いたものだと思うし、そういう自負が解剖を終えた学生にはある。
学生たちは、この段階で初めてご遺体のことを少しだけ聞くことができた。何歳で、どんな病気で亡くなった、とかぐらいだけど、それで「ああ、だからあんなに体格が良かったんだな」とか「あの臓器の状態はその病気のせいだったのか」などと少しだけ答え合わせをすることができる。
大抵の医学部附属病院では、年に1回解剖慰霊祭というものが行われる。解剖学実習のために献体した方や、医学部の研究施設で実験に使われた動物たちの慰霊祭である。解剖学実習をした学年(私のいた大学では2年生)の学生は全員参加で、あとは献体した方のご遺族、大学の研究者や関係者が参加する。もちろんスーツで来るよう求められるし、ここでも(なんたってご遺族が来ていることもあるし)ふざけた態度など取る人はいなかった。
一緒に実験動物の慰霊祭も行うんだけど、ネズミ何匹、ウサギ何羽…と当然ながら数が記録されていて、他にもあまり聞いたことない動物の名前も挙がっていたのが印象的だった。
献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)
大学病院にはこの献体を生前に受け付ける事務局があり、あなたがもし自分の死後に献体をしたいと思ったら、まずは最寄りの大学病院や自分が献体したいと思っている大学病院の事務局を訪ねることになる。
そこで、幾度かの面談を経て献体に登録することになるが、献体には通常、家族の同意も必須となる。面談にも家族と来ることを求められるし、死後に家族の反対があれば献体自体ができなくなる場合もある。
事前に面談に参加していて理解が得られていても、「いざその時」になって気が変わった家族の反対で献体が中止になる例もザラにあるらしい。
献体に登録していた人が亡くなると、病院内で弔いをしてから防腐処理に入る。具体的にどのような処理をするかはここでは割愛するが、普通はホルマリンを使った防腐処置を施す。
問題になった医師が参加していた解剖実習のご遺体は、ホルマリンで防腐処理をしていないものらしい。ホルマリン処理をしていないご遺体の解剖は日本では難しいだろう。防腐処理をしていないということは、亡くなって間もないということだ。それで『新鮮なご遺体』と表現していたらしいけれど、SNSで一般の人も見る状態でその言葉は使うべきではなかったよね。
ちなみによく都市伝説で、「防腐処理した遺体をホルマリンのプールに沈めていて、遺体が上がってきたらそれをつついて沈める高額バイト」の話があるが、私の知る限り大学にそんなプールはないし、昔はともかく今は嘘だと思う。
ご遺体は、そこから1~2年は家族のところに戻ってくることはない。戻ってくるのは実習が終わって、学生が納めた棺を火葬して灰になった後だ。「故人の意思とはいえちゃんと葬式ができていないまま年単位の時間が過ぎる」というのは、想像以上に家族の負担が大きいんじゃないだろうか。家族の中には「本人が献体したいというから同意したけど、こんなに長い時間遺体が戻ってこないとは思わなかった」と後悔する方もいると聞く。
だからこそ、あなたがもし将来献体したいと思っているなら、そのことについては早いうちから家族とよく話し合っておくべきだ。
今回の件、医師界隈からもかなり批判されているようだけど、それもそのはず。普通の医者はあんなことしないし、あれと一緒にされてあれが普通のことだと思われたら、普通の医者が一番とばっちりを受けることになってしまう。
この件で献体を考えてた人がその意思を変えたり、臓器提供を辞めたりすると、困るのは今批判されている医者本人ではなく、将来の若い医学生や将来臓器提供を必要とする患者さんだ。もちろん、考えを変えることは止められないし、それ自体批判されるべきことでは全くないけれど、普通の医師、医学生が解剖や献体についてどのように考えているのかを少しでも知ってもらえたら幸いである。
医者になれず、担当したご遺体に対して先生が言うような「恩返し」ができなかった身としては、せめて自分の経験や考えを通じて、解剖や献体に対する誤解や偏見が少しでも解消されればと願っている。
どうしよう、急に合宿行きたくなって切なくなってきた。
大学時代はそりゃもう楽しかった。すごく楽しかった。大学に入って本当に良かったと思っている。
学生時代に戻りたいみたいなの全然ないんだけど、軽音サークルの動画やインタビューを見てたら、急に合宿に行きたくなった。
4年間一度も。
私は躁鬱病を患っており、大人数での宿泊、合宿に行くとなぜだか必ず精神の体調を崩す。躁すぎて突拍子もない行動をしたり、鬱すぎて泣き喚いたりなど、とても通常とは言い難い状態になる。
高校生の頃はそれでもなんとか参加していたが(そのあとしばらく学校に休んだりした)大学では教授が精神科医として活動していることもあり、私の様子を見て、参加はやめておいた方がいいのではないかと、参加しなくても滞りなく学習が進む提案をしてくれた。
私もあんな目には空いたくない(&周りを巻き込みたくない)し、精神の体調を崩すことによる留年や中退のリスクを避けたい気持ちもあり、同意した。
仲のいいグループと楽しい時を過ごせなかったのは残念だったが、合宿中はグループLINEの通知をオフにしていたため寂しさを感じることはなかった。
合宿で得るはずの単位は他の授業で補完し、無事大学を卒業した。
今思えば、私が合宿中に寂しさを感じなかったのは、仲のいいグループのみんなが私に配慮してくれていたからだと思う。私の前では合宿の話をほとんどしなかった。
卒業旅行ではなくみんなで遠くにお出かけしよう!となったのも、宿泊ができない私のことを考えてくれていたのだった。
とても優しいメンバーだが、実はグループ内でのちょっとした不仲が発覚し、その後あの時のみんなで集まることは一切なくなった。(個人個人で会うことはある)だから、大人になって旅行しよう!!というのも今更できない。
合宿に行かないという選択をしたのは自分だけど、旅行じゃなくて合宿の一環としてみんなで海に行ったり花火したり、浴衣ではしゃいだり、今になってすごーく憧れる。飲みつぶれてフラフラとかさ(飲みつぶれるのはよくないけど)
並んで集合写真撮ったりとか
もうできないんだよなー
最近X界隈でとある委員の人が自分が委員をしていて聞いたことなどを投稿したら、子育て世代から相当たたかれているのを見た。
まあ、子育て世代の人にしてみれば若者代表と思われる委員が自分たちに不利益な政策に嬉々として賛成していたのが許せなかったのだろう。
叩かれた末、誹謗中傷に法的措置をとると言っているところまで見ていた。
自分が見るに、政策そのものへの批判と政策が副次的にもたらすものへの無理解への批判、それに加えて人格攻撃もあるので誹謗中傷と受け止めるのも不思議ではない。
「〇〇という問題があるけど、なんで賛成したんだ」は政策そのものの批判だと思うけれど、
「〇〇がわかってないやつが委員するな」は人格攻撃が入ってくるし、
「〇〇なんだから、自分たちのことなんか理解できない」みたいなのは人格攻撃という感じがする。
でも、これに対してのムーブで「女だから批判されるんだ。よし、これまで誹謗中傷されてきた女の人と対談しよう」となったのはかなり残念と思ってしまった。
学生の頃、こんな話を浪人・留年しているけれどバンバンと就職を決めていく先輩から聞いて、妙に納得したんだよな。
企業はあえて家族構成などについて聞くことがあるけれど、それで落とすことはない。
自分を振り返って改善することができないやつは自分がやったことを振り返ることなく、家族構成のせいで落とされたと勝手に考えてくれるから、
そういうやつを手軽に落とすために聞くんだ
とある人の女だからこんな目にあうんだムーブを見てまさにこれを思い出してしまったんだよな。
あの人が批判されるのは女だからじゃなくて、批判している人たちの不利益になることに賛成してしまったことを全く理解していないからなんだと思うんだな。
「私は正義」みたいなことを言い始めるあたりにも、この人はもう自分がやったことを振り返れない人なんだなって思ってしまった。
やっぱりさ、振り返れない人って成長がそこで止まるからさ、そこから伸びないんだよな。
自分は怪獣ちゃんになれるよう頑張ろう...そう思う。自分の思ったのと違うことを言われると、ムッとしちゃうからまだまだ怪獣ちゃんにはなれないけどさ。
俺、零細企業現場管理者&現場への応募者の面接をする現場猫。ついさっき朝一で終わった話でイライラしたので増田放流供養。
20代の応募猫がいるというので、わあい若者だあと思ったが、事務猫さんがなんかビミョーな雰囲気なので応募者書類を見せて貰ったら、ギリ20代だが大学時代には多重留年&正社員経歴無しバイト転々との、ダメな経歴としてはありきたりではあるが、それでもなかなかこのレベルのダメな経歴はいねーぞ程度にはキツイ経歴。
それでも20代の応募猫を書類で切り捨てるわけにはいかないような年齢構成だしそもそも実質学歴不問な現場職だしと、会ってみることにした。
いやあビックリしたね。
端的に言えば遠く離れた実家の親に卒業できるとか嘘ついて在籍可能年数ギリまで留年で引っ張った挙句に本人は一人暮らしで遊んでたという話で。
しかもそれを本当に反省しているという感じで正直に言ってくれればむしろマシだったのにすごい取り繕った言い方するもんだから、あーこれはクズ猫だわと。
何よりイライラさせられたのは、なんか仕送り額が少ないとか親がもっとサポートしてくれればよかったのにとか親への恨み言が出てきたこと。
親も親でどうかとは思うがお前が親に対して少なくとも金銭的な恨み言を言っていい立場じゃねえだろ。
あと「こんな経歴の俺ですがこの会社くらいに零細現場職なら当然雇ってくれるんだろ?」的な意思が見え隠れしたのもきつかった。いや学歴不問だしヤンキー上がりみたいな奴だっているけどさ、でもお前みたいな露骨なクズは願い下げなんだよ。
増田と完全に経験を共有できるわけではないが、似たような経歴を送った人間の吐露を見て一言口出さずにはいられなかった
自分もサブカル趣味があって、コロナ禍の最中は何もできず、鬱病になり、彼女ともうまくいかず、留年し、ギリギリの単位で卒業した
あの時間は一体なんだったんだろう、無駄だったと思うことは今でもある。うまくいった同期を見て自分はそうはなれなかったと比べてしまったり、コロナ後に入学した弟が大学生活を健全に謳歌している様を少し羨ましく思ったりしてしまうこともある
でもそれで自分の大学時代が戻ってくる訳ではないし、あの頃の自分に戻りたいとも思わない
少なくとも俺は今鬱病も寛解して働いてるし大学時代より社会人になってからの方が楽しいよ
増田は既にメンクリにはかかっているようだし人との繋がりを大切にしてゆっくり立ち直ってほしい
幸せになってくれ
声出た例文集
ヘラヘラしてる人たちが真面目にやってる人たちを「頑張りすぎ笑」みたいな感じで腐すノリ本当に嫌いだから遠野くんの好感度普通にアゲなんだけどコメ欄で叩かれてて声出た— じカ (@erubo_karamutyo) December 28, 2024
開始5秒で、あまりにも嫁過ぎて声出た。 pic.twitter.com/ZDJF3svzXZ— トゥ助。 (@suchisuchi0119) January 8, 2025
東大理3から面白い話を聞いた。「行動するのにやる気は必要ない。子供の頃に1人で乗れなかった電車に乗れるようになったのはやる気があったからではなく、“電車の乗り方”を覚えたからだ。必要なのはポジティブシンキングはなく、ロジカルシンキングだ。」あまりの説得力に、思わず声出た。— 留年@沼らせの本質 (@osushi_mitsu) January 5, 2025
全員ビジュえぐ良で声出た— ひいろ (@Eplaex) January 10, 2025
書いてあること全部ホントそれって声出たわ😔このタイミングとか、完全に都合よく法を盾にされた感ある…でもユーザーがやりすぎで胸糞なのもたしか…
てか漆黒暁月辺りにカスハラ対策してないくらいには遅れてるだろって思ったんだけど、スクエニってよっぽどクレーム少ないのかしら…?🤔純粋な疑問— しゅろ🩵🩷💜 (@XxShuroxX) January 10, 2025
小学生に雪玉ぶつけられて大きな声出た📣🐥
今日もまだ雪残ってるからみんな気をつけてお出かけしてね〜🐥‼️— 煌召希 ヒカリ🎖🐥🌏 (@Kirameki_Hikapi) January 10, 2025
長い!一行で:元増田、無理は禁物
とても興味深く読んだ。というのも、私自身も増田言うところの、「魂のない」ように見える人たちの存在を強く感じながら生きてきたので。
彼らはその瞬間の不快や怒られを回避するためなら嘘もごまかしも無理筋の言い訳も躊躇わない。その場しのぎの言い訳は短期間のうちにコロコロ内容が変わり、事に当たる際に仁徳やら規範やらの、自らの内にある判断基準を経由しているようには全く見えなかった。というかあまりに脊髄反射だけで生きているので、なんだか虫みたいだな……と思っていた。
「虫みたいな人たち」は、不思議と皆、行動原理の最上位に性欲を置いているらしかったので、それがまた、命尽きるまで鳴くのをやめないセミのようで、どうにも理解しがたかった。
また、もう一つ共通した特徴として、彼らは「関わらないでくれ」という言葉が通じなかった。
どんなに誠実に断ったつもりでも、女は「お前が私を寂しくさせた」「お前のせいで傷ついた」と泣き叫んだし、男は「俺にセックスさせないお前は極悪人だ」と喚き散らし、驚くほど必死に私を攻撃した。
ストーカー被害にも遭ったが、30代も半ばを過ぎた今では「私を特別な存在にしろ」という人からのオファーがぐんぐん減り、人生一番の安息を味わっている。
ここまででピンとくる人もいるだろうが、つい先日私は発達障害と診断された。どまんなかの孤立型ASD、知的に問題がなく擬態もそこそこ上手かったので診断が遅れたとのこと。
それについては特に驚きもない。それはそうだろう、「虫みたいな人たち」の方こそ動物としては正統の存在で、話の通じない障害者に傷つけられていたのであれば、申し訳ないことをした。というようなことを思ったぐらいだ。これから先も、「理解ある彼くん」という名の虫には現れてほしくない。
そのような立場から元増田の話を見ると、妹御とそのお子さんが困難な状況にあるのは間違いないが、それよりも増田の方に同情と共感を覚えた。
自分の経験を通して何か言うなら、妹さんとは、あまり正面から向き合わない方がいいかもしれない。絶対に理解できない相手を理解しようとしすぎると、人間は壊れる。
前述のストーカー被害に遭った大学生の頃、私は虫のように感じられる相手を対話を通して理解しようと努めた。努めて努めて適応障害を発症し、その結果2年留年した。分かり合えない相手が肉親であるという苦悩は察するに余りあるが、半身で向き合い、ある程度は受け流すことをお勧めして、この長文を終えたい。
ブラックだったりヘンな慣習があったりと、色々とめんどくさい日本の仕事習慣。
ふと思いついたので、何がめんどくさいか考えてみた。
先述した通り、日本では管理職は同じ組織の現場プレイヤーから引き上げていく。
当然ながら、MBAなどでマネジメントスキルを習得する機会もほぼない。
そして現場仕事は優秀でも管理業務は得意ではない、という場合が少なくない。
また昇進には拒否権がないかったり、逆に現場プレイヤーに戻ることもできない場合が多い。
これが災難を生むのである。そう、「自分の感覚で他人を管理しようとする」のである。
やる気も能力も体力も自分と同じと考えてしまうので、それを当たり前と思っていたり、ひどい時には部下に自分と同じパフォーマンスを強制するのである。
やる気・成長意欲といえば、それを押し付けがましく喧伝してくる管理職の存在がうっとうしい。
日本では、ある程度までは年齢や勤続年数に応じて自動で上がれるケースが多いが、
・それより先を目指したい
・早く出世したい
・昇進試験がある
なので、「やる気のある管理職」が生まれるが、これが問題なのだ。
当然だが、全員がやる気にみなぎっているわけではない。
やる気のない人はそれなりに多くおり、仮に当初はやる気があっても時間で低下することも大いにある。
やる気のない人を自己都合退職に誘導するなどして排除したとしても、環境などの変化でやる気のない人は一定数出る(要するに2:6:2の法則)。
ところが、日本の職場はこのような「やる気のない人」を認めないのである。
確かに、パワハラやセクハラ、機密漏洩、警察のお世話になるなど迷惑行為を繰り返す人は退場してもらった方が賢明だろう。
しかしながら、恐ろしいことに「みんながやる気を持っている」と錯覚しているのである。
日本型の管理職はただやる気がない人(指示されて与えられた仕事はする)もいないものどころか「あってはならないもの」として扱うのである。
あるいは、そのように見える人がいたとしても一時的にスランプに陥っているだけと思い違いをしている。
なので、やる気のない人に対しては「仕事のやりがいや楽しさを伝える」「責任感を出すよう指導する」ことしか考えていない。
何とかしてやる気を引き出そうと考えているようだが、ないものはない。
契約しているだけの時間は仕事をするから、その分の仕事だけ割り振って後は放置してくれた方がうれしいのだが、そうは思わないらしい。
このような人たちは、やる気のない人に対して必ずこう言う。
「でもこれはやったほうがいい」
と返す。なんなんだ。仕事の報酬は仕事というのもいただけない。
「面接では一生懸命やりますって言ったでしょ」…これもよく言われることだ。
だが、これは「言った」のではなく「言わされた」のだ。
となると、答えは「言わされましたが、あれは嘘です」となる。
ところで、やる気がないのを表現する場はどこにあるのだろうか。
年度初めの挨拶で「やる気がないし定時に帰りたいのであまり仕事は任せないでください」と公言すべきか。
やる気とほぼ同意義の言葉に「成長」というものがあり、その成果としての昇進があるそうな。
やる気がない人の存在が認められないのであれば、仕事を通じて成長したくない人や昇進したくない人の存在も認められなくなる。
言い換えると、金をもらうかわりに一定時間作業しているという労働の目的を理解しない人が多いのである。
もっというと、生活(と休んで遊ぶため)に必要な金が手に入ればそれ以上の労働は必要ないということが理解できないのである。
なぜか、労働にやりがいだの奉仕だのとよくわからないものを取りつけ、それを他にも強要するのである。
なので、早出や残業が推奨されるし、休憩時間も労働に励むなどの姿勢が好まれる。
逆にいえばon-offをはっきり分けて所定時間外は労働しないという姿勢は好まれない。
昇進についても同様だ。昇進することが唯一のアイデンティティとなっており、それ以外の価値観が認められない。
つまり、昇進はせず、仕事はそこそこにとどめて定時に帰り、家でのんびりするという価値観が認められにくいのである。
確かに欧米でもエリート層はバリバリ働き、ほとんど休みがないのは事実だ。
しかし、それは対価を十分に払った一部のメンバーに限られる話だ。そしてそれも始めのうちにどちらになるか決まっている。
日本の場合、全員がエリート層を目指す前提となっていることが問題なのである(人数が多くなるので、給与も低くなる)。
もちろん業績などによってどこかで昇進は止まるが、それは40-50代と遅い時期になる。
入社時か、せめて25-30歳でコース分けし、バリバリ働きたい人はどんどん昇進し、そうでない人はのんびりというわけにいかないのだろうか。
日本では「総合職」といった職種を限定しない枠組みで人を集める場合が多い。
このため、どこで勤務するか(そこまで通いやすいか、そこでの人間関係はどうか)は赴任直前までわからない。
業務も同様で、赴任して実際に割り振られるまで何をするかわからない。
業務内容は日によって変わることもあるし、突然降ってくるのが常態化していることも多い。
というか、各従業員に業務が割り振られていても、それは便宜的なものであるケースもしばしばある。
一応希望は聞くも「希望は通らないと思いますが自分の成長のためと思ってください」と。だったら聞くなよ。
一応労働契約書があり、業務内容も明記されてはいるものの、結構漠然としている。
また、「その他当社に関係する業務」などと記載し担当業務を無制限に広げることが横行している。
人を増やして業務を分散すればいいのに、なぜか限られた従業員に業務を集中させるのも不思議な点だ。
業務内容が全くわからない募集の段階ではなおさらで、「未来を作る仕事」「成長できる仕事」などとふざけたことを抜かす。
おそらく、業務外の飲み会など、「給料は出ないけど仕事のうち」という価値観もこれが原因と思われる。
年功序列もその結果の一つであり、新人や若年者に雑用やら難しいことやらを押し付けるのが流行っている。
やはりこれも「あなたの成長を期待してあえて難しい仕事を与えている」という建前がある。
管理職の項目にも書いたが、なぜか「与えられた仕事を時間だけする」という労働の本質が理解されにくいのも変なところだ。
「時間で仕事をする人」を見下し「成果で仕事をする人」が正しいと考えている。
雇用契約では時間で給与が出ている。成果で仕事するのは委任契約とかフリーランスの方だが。
なので、資格や専攻分野は法律で定められたものを除き参考程度にしかならず、やる気だのコミュニケーション能力だのと変なものばかり推すようになる。
転属もありいろいろな業務を浅く広く経験して管理職に上がるキャリアパスが一般的だ。本人の適性はほぼ考慮されない。
ちなみに、これに年齢と比較した経験値判定が加わってくるのが新卒偏重の原因となっているそうだ。
これは法律で資格保持者しか従事できないようになっている職種も同様だ。
資格に関係する業務のみ行っていればよいわけでなく、無資格者でも可能な業務をやらせるパターンが多い。
労働者の権利は権利である。行使する条件を満たしていれば行使して全く問題ない。
例えば有給休暇は、6カ月以上8割以上の出勤率で5日以上付与せねばならず、労働者は利用できるようになる。
もちろんそれ以前から付与したり定められている以上に付与した場合は労働者は自由に使える。
時季変更権はあるが、かなり条件は厳しい。
さて、労働者と経営者は利害が対立するのは当たり前だ。権利を行使されると人員調整をすることになるからだ。
だから経営者が嫌な顔をするのは理解できる。しかしながら、ここ日本ではなぜか同じ立場の労働者が足を引っ張ってくるのである。
有給休暇だけでなく病気休暇などあらゆる面でお互い足を引っ張っており、経営者に都合がよいようになっているのである。
色々な建前はあるが、要するに権利を使う人が妬ましいのだろう。「みんなで不幸になろうキャンペーン」とも呼ばれていたっけ。
下手すると「人間性」だのと持ち出して権利を使う人を批判するようになる。
これが行き過ぎると、「権利を使うのは仕事ができるようになってから」ととんでもない基準が出来上がってしまう。
この精神が、穴が開かないこと前提の無茶な計画を押し出すことになる。
誰でも病気にはなるし、機械は壊れる。なので計画に穴が開くことは避けられない。
しかし、日本ではなぜか全員が最大限稼働していることを前提とした計画が組まれてしまう。
当然この計画は簡単に破綻するのだが、破綻しないように監視しあったり、負担を強いるなどして無理やり押し切ろうとしている。
人を増やすか余裕を持った計画にすればいいのに。それで会社や社会が潰れるなら潰れてしまえばいいのに。
おそらく同じ原因だろうが、「社会は厳しくあらねばならない」という謎の価値観がある。
別に緩くても何も実害はないのに、勝手に厳しさを演出しては人を縛り付けて自己満足に浸る。
それだからか、労働環境の改善はリストラや格差社会の予兆と不安視しだす。
うるさいお客様、要するにクレーマーがいて会社側が折れてしまうことも原因といえる。
もちろん海外でもクレーマーや無茶な要求をするお客様はいる。しかし会社側が毅然と断り、ひどいようなら出禁にして対応している。
一方日本は長らく要求をのんできた経緯があるため、お客様が調子に乗るのである。結果、サービスの範疇にないことや無料サービスを強制されるのである。
労働者の権利を主張する最後の手段がストライキなのだが、それを迷惑行為と判断するのも日本人らしい。
というか、「権利を主張する人がしてくるサービスなんて嬉しくない」というお気持ちでしか考えられないのも不思議なところである。
あくまでサービスは対価にと交換で定められたことをするだけのはずで、そこに気持ちはないはずだが。
自分の適性がわからないうちからナビサイトが流布した与太話につられて手探りで自分史やら意図不明の面接やらがある就職活動を始める。
既卒者になったら一気に不利になる(だから意図的に留年することもある)のはよく知られた話だ。
他の分野が合いそうだからと別の大学に入りなおすのも認められない。
とにかく懲役40年(それ以上か)を過ごすことは日本人のステイタスらしい。
今はそうでもないが、昔は成人男性が平日昼間に外を出歩いていることがおかしいこととされていたらしい。
その証拠に団地ふもとの公園でビールをすすっていたら通報されたらしく職務質問にあった話があるとか。
おそらくみなさんが感じていることと大差ないと思うが、いつになったら改善するんだろうね。