はてなキーワード: あるあるネタとは
もちろん俺だけじゃなく生徒全員飛ばされてた
やってた種目は、 https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/stamina/05030101/002.pdf とだいたい同じ
ハンドボール投げは小学校のころやってた記憶あるが、中高ではどうだったか自信がない
でも握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、持久走、50m走、立ち幅とびはやってた
なぜシャトルランをやってないと言い切れるのかというと、もちろんやった記憶がないというのが一番なのだが、「シャトルランの音が不快」というあるあるネタが出るたび、ずっと「やったことないからわからん」となってたから
シャトルランだけはまじでやってない
こうやってテレビで維新ばっかりという人は具体的な番組名や内容を挙げないしぶっちゃけエアプなんだよなぁ。
地方が地方政治を語るのは当たり前でそりゃ維新の報道はあるけど本当に毎日見てたらこういった感想にはならん。
政治も万博も普通に叩くし、芸人タレントと同様の扱いではないよ。本当にタレント化するならたとえばよ~いドン!にレギュラー獲得してから言って欲しい。ズブズブならできるだろ?人間国宝を維新議員が褒めちぎったら人気爆上がりでしょ。
あと非関西人ほどよく吉本新喜劇を持ち上げるけどぶっちゃけ影響力は高くないし若い人はなおさら。イマジナリー関西観で語りすぎ。日常で新喜劇見たね~面白かったね~とかいっさいないから。マンネリでつまんねならあるあるネタでたまにあるけど。
維新が支持されている「おかしい」理由を考える非関西人はテレビ露出と吉本だけを語るけど、滑稽すぎて逆に見てないのが分かりやすいんだよね。
それは特にO-1グランプリ(沖縄1グランプリ)なる、沖縄ご当地お笑いコンテストを見ているときに感じる。そこで行われている惨状は、恥ずかしくて見ていられない時すらあるほどだ。
そんなひどい感想には、あまりにも個人的な偏見が含まれていると思っているそこの心優しき人も、「ありんくりん」というお笑い芸人は存じあげないであろう。なんとその得体のしれないコンビが0−1グランプリを3度も制覇しているのである。由々しき事態だ。
「ありんくりん」はよしもと沖縄所属のお笑い芸人だ。そもそも沖縄にも吉本があったことに驚かれる方も多いと思う。「ガレッジセール」や「スリムクラブ」などの、世間一般にも認知された沖縄芸人はともに東京吉本所属である。結局のところ、沖縄の才能がある人たちは活動拠点を本土に移してしまうことが多い。
この事実を踏まえると、大阪・東京のどちらでもなく、敢えてよしもと沖縄に所属するということは、よくてご当地テレビお抱え芸人に甘んじる選択に他ならない。歴史が浅いこともあるが、よしもと沖縄から全国に羽ばたいた芸人は存在しないし、今の若手にもその萌芽すら見受けられない。
「ありんくりん」はもともとトリオだったが、一人のメンバーが脱退し、今のコンビになったそうだ。トリオから抜けたメンバーは本土風の笑いがしたかったらしいが、残りのメンバー、つまり現ありんくりんの二人は、沖縄らしいお笑いに拘ったそうだ。
O-1グランプリに出場している多くの芸人が、本家のM-1グランプリにも殆どがネタを使い回しの上で出場している。沖縄芸人は本土風のお笑いをするにしても、沖縄らしいお笑いをするにしても、どちらにせよ、すべてが中途半端に見える。
まず第一に、東京や大阪の芸人がやるようなスタンダードなネタを沖縄芸人がやると、積み上げてきた経験の差が如実に現れ、ただ芸人っぽいものを集めてまとめたようなネタが見られる。それはプロを名乗りつつも、芸人の真似をしているだけだ。これは養成所のライブや大学の学園祭のお笑いライブにも同じ感想になるので、沖縄の芸人特有のものではなく、単純な技術不足と恥ずかしさを捨てきれていない情けなさからくるものだろう。売れている芸人でも養成所時代のネタなんて黒歴史として封印していることのほうが多い。
誰しもはじめから立派な漫才はできない。出来ないことは問題ではない。失敗をしないと成長もない。沖縄の芸人が問題なのは、東京や大阪の芸人がやるようなスタンダードのネタから逃げて、安易に沖縄にすがることだ。それが非常にダサい。
自分たちの個性を模索するのは結構なことだが、彼らの選択はただ勝負から逃げているように見えてしまう。それはおそらく、本人たちも自覚していないことだろう。彼らにこんなことを言うと、顔を真っ赤にし、自分たちは沖縄を愛しているから、沖縄らしいお笑いをすると言うだろう。もしかしたら、匿名で攻撃している私に向かって、「この内地かぶれは黙ってろ!」と叫びだすかもしれない。
「ありんくりん」本人でもないし、何ならファンですらない私が、彼らのネタから彼らがいう沖縄らしさを抽出したところ、
・強烈な訛りと方言(ボケが典型的な沖縄訛りで多くの若者が普通は使わない方言を多用。ツッコミはアメリカとのハーフでこちらも訛っている)
・どこの地元にも存在するような、県民だけに伝わる細かなあるあるネタ(どこどこの交差点は交通ルールが分かりづらい、地元のスーパーは台風でもいつも空いてる、など)
しかない。
絵師に納期守れずに連絡とれなくなる社会不適合者が多いのは依頼した事ある人からしたら共通事項でもはやあるあるネタでしかないんだけど、世間は絵師の味方多いからなかなか広がらなかった。
でも今は「だからAIが必要なんだよね」って結論に持っていくと勝手に広がっていくからいい時代になったなって思う。
反AIの人が創作だとか言ってるけど今まではクライアントが企業だったから裏で粛々と処理されてきただけ。
依頼者が企業からVTuberやってる個人とかが多くなってきたことで絵師への告発が増えてるのが事実としてある。
前金もらいながらばっくれたのを暴露されてほとぼりが冷めた頃に復活しようとするも、被害者が多すぎて新たな告発者が現れる寧々あのねとかいう実在するほとんど詐欺師に近い絵師とかがいるわけだし。
AI推進派が絵師憎しで創作しているとか言ってる絵師がいるけど、反AIの人もよー清水も過去にこういうポストしてるくらいには社会性のある絵師が少ない
絵が上手い人は結構たくさんいるんですけど、絵が上手い+納期を守れる+相手の要求を汲み取れる+交渉できる+安定したクオリティを出せる…と絵のお仕事を頼むことを考えるとすごく少なくなるんですよね。
https://x.com/you629/status/1447852912839856128
お仕事慣れてない絵描きさんにアドバイスですが、連絡が取れなくなるのだけは勘弁してください。納期に間に合わなそうだったり、思うように描けなくてもいいですから、連絡が取れないのだけはやめてください。まじてやめてください。まずは相談してください。泣いてる人もたくさんいるんですよ!!
https://x.com/you629/status/1338983895383961600
もう40代も半ばだというのに生涯一度たりともミルメークを飲んだ事がない。
この話をすると「そんな場所が日本にある訳ねー」とか「実は帰国子女なの?」とか言われるのだけれど、こちとら日本産まれの日本育ち。
在日外国人でもない。
育った場所は東京某区なのだが、その話をすると今度は「何? 都会産まれ自慢?」などと言われる始末。
違う、お前らは何も分かっていない。
「おいしい給食」などと言うタイトルのドラマであるある話の様に語られるほどメジャーなものを、俺は『飲んだことがない』のだ。
この疎外感たるや、幼少期にミルメーク童貞を簡単に捨てられた奴等には理解出来まい。
今からこれを捨てようとしたらわざわざ専門店に行かないといけないんだぞ?!
失意のまま「おいしい給食」を観ていて更に気付いたが、ソフトめんも食べたことがない。
何と言う事か!
俺も数年前まではそうだったふと見た切り抜きからそこそこvを見るようになった
好きになりたいならまずは切り抜きを見ろ
いろんなvの切り抜きを
最初から雑談とかゲーム配信とかの長時間のを見ようとするのは無理だしタイパ悪すぎる
俺がみるようになったきっかけはつきのみとの切り抜きだった 増田でもつきのみとからはまったって人いたけどあんな感じだった
ふみのたまきも切り抜きから入った こいつはいろいろ常識とか衛生観念やばいのが面白くてみるようになった
でも一線こえるとかvtuberの世界観・キャラ設定をぶっちゃけるほどではなくてそこはわきまえてる
雑談でもほんとにてきとーに話す奴もあるけど、きっちり話すネタをいくつも用意してきて話すこともあるから、きいてて面白い
着眼点も新鮮で、ありきたりな観点とずれてるからきいてておもろい
6年目とからしいけど、最近の配信は声に元気なくて引退しそうだなって思ってる
ユーチューバーあるあるネタをやるんじゃなくてこいつ独自の観点でいろいろ工作したり考察したり語ったりするからすげーおもろい
配信でしゃべってる内容からするとまだはたちそこそこみたいなんだけど生物に関する知識もやばい
昔からYouTubeでそういう工作系のやつとか見るのが好きだったらしいけど
着眼点とそこからの考察 実験 反省とかの流れは子供に見せたくなるレベル
はははしにたい
ホモソーシャルとは、女性及び同性愛を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学の用語。
フェミニズムの議論でよく話題になる「ホモソ」なる概念だが、むしろ男性を排除した女性同士の結びつきの方がよっぽど周りの人に害をなしてない?っていつも疑問に思っている
最近職場で女性版ホモソ集団のせいで色々と不愉快な思いさせられたので、ストレス解消に女性版ホモソ仕草と害悪のあるあるネタをここに羅列していこうと思う
女性は自身の彼氏や旦那の惚気話や愚痴を吐きあうことで連帯感を強めることをよくする
このとき彼氏や旦那のプライベートな情報を躊躇なく暴露する女が多すぎる
特に最悪なのはセックスの上手下手、セックスレスの不満などのシモに関する話のとき
男性同士ならば自身のパートナーの性事情なんて一切口にしないだろうが(相手への配慮もあるし自分のパートナーへの独占欲もある)、女性同士だとためらいもなく口にする
あるある1にも共通するが、女性のホモソ社会はとにかく人の噂話が好きすぎる
人のプライバシーに関わることを仲間内で拡散しまくってあれこれ感想を言い合うことで連帯を強めるっていう醜悪としか言いようのないホモソ仕草をみんな当然のように行っている
しかも大抵グループの中で出てくる話題は自分が嫌っている人の傷を晒すような代物ばかり
それでいて当の本人に不平を訴えることはせず非生産的な仲間内での愚痴の言い合いに終止するから手に負えない
女友達の多い男は普通に同性からも好かれている場合が多いと思うけど、男友達の多い女は100%同性からは嫌われている
男のホモソの特徴は女性蔑視と同性愛嫌悪とのことだけど、女版ホモソの方がこの病理は根深いと思う
男友達が数人いるだけでビッチ認定して誰も友達にはなりたがらない
そのくせ恋愛ごとについては異様に興味関心があってグループないで誰か彼氏ができたりしたら「おめでとー」なんて盛り上がってみせる
一体どういう宗教観してんだろあれ
女のホモソはグループ内の意に沿わない人間に対する攻撃性が極端に高い
これはよく学校で起こりがちなことだしみんなも普通に経験していることだと思う
とあるグループのリーダー格の女の子(A子)がある男子を好きになって、グループ皆でその子の恋愛を応援していた
その男子は恋愛に興味ないって言ってA子を振ったんだけど、そのことにグループの女の子みんなが大激怒
女のホモソはとにかく自他境界がガバガバすぎるうえに感情的に喚き散らすことに躊躇いもないから人様に迷惑をかけまくることになる
なにも悪いことをしていない人も「私たちの気分を害した」という理由で吊し上げるし、醜悪なことに本人たちはそれが正義だと思い込んでいる
お局様がいる職場で、かつそのお局が上長から腫れ物を触るようにあつかわれているときに起こりがちな女版ホモソ
システム改修でこれまでやってた手続きのやり方が変更になるよーといった事態のときにとにかく女は徒党を組んで反抗しまくる
業務命令なんだから大人しく受け入れるしかないのにいい歳して「〇〇さんもそうだよね!?」「ねー!絶対嫌だよね!」みたいな連帯をして意見しまくる
特にその命令を下したのが男だったりすると職場内いじめをしかけて疲弊させようとしてくる(実話)
職場の女ホモソグループは社会人として当たり前に備わっているべき社会性が欠落している上に感情で動くし女だからって理由で詰められることもない
女のホモソに苦しめられている人って世の中にはもっとたくさんいるはず
正直自分は男のグループより女のグループに不愉快にさせられることのほうが多かった
積極的に楽しもうとする姿勢を持つよう努めよう、面白いと感じられるものを主体的に探していこう、そうやってその楽しみを糧にちょっとずつでもやる気を出していこう。
なんて原因の分析に基づいた解決策はとっくの昔に分かりきってるけど、それを実行するやる気がない。
やる気なんてやってる内に出てくる、やりながら出すしかないんだよとか言われた所で、そのやり始めるやる気がない。
面白くないからやる気が出ないし、やる気が出ないから面白いことを探せないし、面白くないから生きている意味がない。
ちょっとした刹那的な楽しみはあるけど、こう人生の意義を感じられるような、人生の芯になってくるようなものを持ってない。そんな快楽の区別に意味があるのか、そもそも妥当な区別かどうかだって分かりゃしない。
面白くもないなら死んだ方がマジだろ、とどうせ死ぬ根性もないしな、を無限に反復横跳びしてる気がする。身体を動かしてみたらまあ少しはスッキリするけど、それはそれとして頭にまとわりつく実存的不安が解消されるかと言ったら全くそんな事はない。
人生の本当の面白みは家庭でも持って他人の人生に食い込んでみたり、他人との関わりの中でしか見つからない。なんてありきたりなものが自分にも当てはまるかどうかなんて分からない。
まあ何やかんや言っても自分にもそれが当てはまる蓋然性は高いような気もするが、そういう生き方を志向して実行に移すほどのやる気がない。
出来ないと諦めてかかって逃げてるだけだろ、なんてありきたりな言葉もあるけど、そういう出来そう出来なさそうとかの問題ではなくマジでやる気が出ない。
鬱病とか学習性無気力とか色々と言葉はあるけど、そんなのはただの言葉で何の解決にもならない。 あるあるネタにラベルを貼るだけだ。ロクな取扱説明書がついてない。
https://anond.hatelabo.jp/20240506061423
短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。
多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。
なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。
短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列に独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念を31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というものの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識の純粋培養物なのである。
それに対して俳句を作るということは、言葉で風景をカットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械でしかない。俳句にとって情念はノイズでしかないのである。
このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなたの情念をしまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクましましラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなたが後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか?
そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界中から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。
という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するときに自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句の精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。
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一茶の句は反例にならない。
https://anond.hatelabo.jp/20240506233546
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https://anond.hatelabo.jp/20240508195326
俳句に情念は込められないという主張について、上の増田より鮮やかな反例を挙げていただいた。俳句への理解を深める契機をいただけたことに感謝する。
会話について、とくに日常会話が苦手なのでそういった他人同士の会話を記憶するように覚えるようにしてる時があるんだけど
この前の初対面の老人の会話のスタイルはあるあるネタで進むというやつだった
簡単にこんにちはの挨拶があり、開店までまだ少し時間があるので会話の必要ありの判断、だと思う
地元ですか?からスタートして今日はどこから?とそれぞれのざっくりとした育ちのエリアを確認して、そこ出身ならあのへんになんとかっていう建物ありましたよね、とかあのへんのあの店にはこんな思い出が〜とか、あのへんだとどこそこ中学?合同練習でこんなことがあって〜などなどの話の展開があって、盗み聞きしてても展開の豊富さに感心してしまった
(そこそこ長いので、さっさと結論の説明してほしい人は本論まで飛ばしてください)
僕はブラック企業で追い詰められて精神科に通い出した、典型的なうつ病患者。
手帳も貰ってるよ。
3級だからポリコレカードバトルだとあんまり環境に刺さってないけど。
会社に行くために電車に乗ってたら突然心臓がバクバクし、まだ秋口なのに全身に悪寒が走り手が震え出した。
近くにあった神経科のクリニックに行くと「新しい環境に馴染めないストレスから出た自律神経失調症」と診断された。
その日から会社は週に2回勤務できたら頑張った方で、基本的に布団から動けない。
動かないんじゃなくてな。
幸いにも手首から先と腰だけは動いたので、トイレに行って戻ったら寝る、そしてまた起きてトイレに行くの繰り返し。
手が震えて×ボタンが正確に押せねぇから広告の嵐を呼ぶジャングルよ。
いやお前らの言う事は分かる。
全くもってその通り。
日光浴してランニングして筋トレして風呂掃除してお湯張って浸かればうつは軽減されるだろうな。
毎朝6時に起きて日光浴して、9時から18時まで、残業も考えたら20時までかな。
それで退勤してからジムで汗流して入浴をこれから数年間続けられる?
あ、出来る人はここでお帰りください。
あなたは強い人なので、弱者の事は気にせず元気に幸せな人生を歩んでください。
比較的マシな日に、どうにかこうにか顔洗って身支度して、さあ出社しようとしたらな、
いや理屈では分かるよ、鍵開けてドアノブ回して前に押し込めば開くよな。
MAXの力を出してドアノブに手をかけたまではいいんだけど、次何すれば良いんだっけってなっちゃうのよ。
そのうち頭が真っ白になって30分以上そのままの体勢を取り続ける。
なぜならもうこれ以上、思考と行動のための脳のリソースが無くなっているから。
全力で100m走ってる人は「ユニフォーム汗でビチャビチャやから後でシャワー浴びよ」なんて考えてないでしょ?
そんな事してたら当然クビだわな。
そりゃそうだ、週に2回来れるか来れないかの人間雇う余裕なんてないもんな。
そうなると、元々少ない給料が無くなって、貯金残高がみるみるうちに減るわけだ。
自立支援医療とかのおかげで病院代と薬代は1割負担になったけど、それ以外の生活コストは減らせない。
自炊して食費を削る?
じゃあ生活保護貰うために役所のどの受付に行ってどんな書類書かないといけないのか、何を提出すればいいのか調べて思考しないとね。
「止まない雨はない」に対して「今降ってるこの雨が耐えられないって言ってんの」状態なんだよ。
僕だって何かを変えようとして、インフォームドコンセントを目的に神経科から精神科に移ろうと初診の予約で電話したよ。
そしたらどの病院やクリニックでも「最短でも1〜2ヶ月後になります」って言われちゃうもんな。
明日の事も考える余裕がない人間が明後日より先の事考えられるワケねぇだろ!
僕の場合は地元の先輩が心配してくれて、引越しの手伝いから生活費を援助してもらったりなど、生きるために必要な事をほとんど支援してくれたから今生きてるけど、大半のうつ病持ちはそんな都合の良い人居ないわな。
引越し先でようやく精神科に通ったら即うつ病認定されて、手帳の交付に必要な診断書とかの支援もしてもらえた。
手帳持ってると便利だぞ、電車の路線によっては半額で定期券が買えたりするからな。
そんなこんなで療養期間を設けて、何とか非正規雇用だけど雇ってくれるところを見つけた。
障害者雇用枠の求人と合わせて200社くらい受けて、9割以上は書類選考で落とされたけどな!
そう、障害者雇用枠における精神障害者の割合は身体障害者の半分以下なのである。
なぜならオフィスをバリアフリーにする等、身体的に関わる問題を解決すれば中身は健常者と同じなのでちゃんと働いてくれる。
しかし精神障害者は朝起きる瞬間まで出勤できるか分からないし、出社しても仕事が大変だとやれ「早退します」だの「身体が動かないので休ませてください」だのカスみたいな事を言い散らかすからである。
僕の場合は「雨が降ってて気分が沈んでいるので休みます」と連絡したのが1番パンチの効いた欠勤理由だったなぁと思う。
これで僕は「障害者と健常者、両方の性質を併せ持つ♡」というヒソカ状態になった。
勿論、就職が決まったからと言ってうつは治ってくれないし、手足の震えも止まらない。
様々な抗うつ薬(うつエアプ勢が分かりやすくする為にまとめて「抗うつ薬」として表記してます)や、普通はパーキンソン病患者に出す震え止め薬を通常使用量の3倍近く常飲し、急な不安が湧き出した時用に頓服の薬も処方された。
軽い運動や入浴など、どんなにセルフマネジメントを重ねてもダメな日はダメなのである。
職場にたどり着く事がまず困難なのに、仕事なんてできないわな。
「いやお前ガイジなんだから普通の人と同じ生活なんて出来るわけないじゃん(※超意訳)」
って言われた。まさに然もありなん。
前置きが長過ぎて既にページ滞在率は激減してると思うが、同じ精神疾患の人にはあるあるネタとして、シンプルに興味を持ってくれた人には感謝として本論書きます。
もう30%は寝てる時間なので何もできません。
人生の自由時間が30%以下なんてどう考えてもおかしいでしょ。
しかも若いうちに取れる自由時間は少なく、本当に自由を満喫できるのが65歳になってからなんて嫌すぎない?
ナウル共和国見てみろよ、生きてるだけで国からお金もらって公共料金全部タダだぜ?
(当然その姿勢が問題になっているのは承知の上で、国や人によって仕事の捉え方って違うよねって話です)
趣味に没頭するために、お金を稼ぐ手段として仕事をしている人も居るでしょう。
何年も無遅刻無欠席で出勤する。
それらをこなしている時点で、少なくとも僕は「貴方は狂ってます」と言います。
だって僕は趣味や好きだったことが全部できなくなったからです。
料理が好きでした。
自分しか食べないものを作る気力が湧かないから全部冷凍食品にしました。
編集画面を開くどころかパソコンの電源ボタンに触れることすら激減しました。
人生の意味なんて人によってあったりなかったり全然違ったりします。
でも意志がなくなってしまうと、もう何もかもができないんです。
毎日「通勤電車にジョーカーが乗ってきて銃で瞬殺してくれないかな」と思ってます。
「心という器は、ひとたび、ひとたび ひびが入れば二度とは 二度とは」
きっとその「何か」が漏れきった時、僕は押入れにしまっている縄と子供用プールを広げる日が来ると思ってます。