はてなキーワード: オフとは
お気軽に普段着でお越しください。そう書いてある企業説明会があった。
俺はそれを文字通りに受け取った。デニムにパーカーという完全オフモードで家を出た。
会場のドアを開けた瞬間、世界が静止した。
全員スーツ。黒。黒。黒。
受付の女性が微笑んだ瞬間、目が一瞬泳いだのを俺は見逃さなかった。
そのあと一時間半、スライドの内容はまったく頭に入らなかった。
帰り道、笑うしかなかった。トイレによって鏡に映る顔を見て、思わず笑った。これがやらかした人間の顔なのかって。
家に帰ってからもう一度メールを見返すと、そこにはこう書かれていた。
「お気軽に普段着でお越しください」
罠以外の何ものでもない。いや…よく見ろ。普段着って書いてあるだろ!!
あいつらの普段着はスーツなのか!?ネクタイ締めて寝てんのか!?
もう二度と信じない。“普段着”って言葉がある限り、世の中に普段着なんて存在しない。
見るたびに歯ぎしりする。
それ以来、俺は“お気軽に”って言葉が嫌いになった。
見るたびに歯ぎしりする。
https://president.jp/articles/-/103837
日本アニメにはまず濃密な人間関係がベースとしてあり、そこにファンタジーやSFや学園モノといった趣向が被さる二重構造になってるということでいいのだろうか。
いわば等身大の人間たちがお芝居をしている感じ。だからガッツリ自己投影・感情移入しやすいと。(かつ、それが欧米では新鮮に受け取られている。日本ではむしろ食傷だが)
翻ってハリウッド作劇術によるような一枚岩のよく整理された物語においては全てのキャラクターが特定の機能を帯びており、観客は完全に蚊帳の外、スクリーンの外である(まあ本来あたりまえだが)。
藤田和日郎作品にもこの“欧米”っぽさを感じる。おとぎ話として自己完結しており、キャラクターは話を進めることにそれぞれ真っ直ぐ奉仕してるので全体にしらんがなと思ってしまう。
巨大ロボットに乗って敵と闘いつつ中学生みたいな恋愛もする、そしてその恋愛が主たる任務の遂行にも絡んでくるというとっちらかった二重構造は日本のマンガ・アニメ独自のものなのだろうか。
ハリウッドヒーローも恋愛はするが、それはわちゃわちゃ近づいたり離れたりというものではなくて「さらわれた恋人を助ける」的な大目標であったり、あくまでオフの息抜きだったりする。
新しいPC
なんかスピーカーが遠く、高音域に合わせてショコショコ言う奴が耳元にいる感じ
安いっぽいスピーカーといったが、事実、使っているのは1,000円のヘッドホン
スピーカー周りのドライバが旧PCはRealtek High Definition Audio、新PCはRealtekだったんで、その辺が原因かなと思って色々調べてみたが全くと言っていいほど解決の糸口が見えてこない
色々ググってるときに「イコライザを使ってPCの音質改善」みたいな検索結果があったので、適当に目についたEqualizerAPOとかいうのをインストールしようとしたが、どういうわけかrealtekドライバが阻んでインストールができない
ジーザス!
サウンドドライバの一覧にあったからサウンドドライバなのだろうけど、何のために入ってるのかサッパリわからない一介のデバイスドライバかと思って気にも留めてなかったんだが、タスクトレイにアイコンがあるのを見つけたので色々設定できそうだとクリックして見てみたら、これにイコライザ機能があった!
ショコショコがホコホコになる程度
もぉおおおおおーーー、こうなったらホコホコで我慢してやる!一番マシなホコホコを割り出してやるぜ!と各音域を調整していたのだが、ふと調整前と後とで聴き比べがしたくなってNahimicの機能をオフにしてみたら、なぁんと耳元にいた奴がフイにこらえ難いクソでも催したみたいにどこかへ消えたのだ
犯人はお前かコンチキショーーー!
意識が高くなるとプロフェッショナル系の考え方にいきがちでただやりたくてセックスしてるのがエロいというのが薄れるんかな
後半に言ってることはほぼ同感で性欲の雰囲気がエロいと感じるタイプだからなかなか癖が満たせなくて辛い、AVの性欲はキモさが勝って萎えることが多々ある
https://anond.hatelabo.jp/20250909213330
えええぇえええーーーーーーーーー!!!?
朝起きて、ぼんやりカタツムリの虫かごを確認したらビックリ横転。水分補給と湿度維持のためにと、ミニココットに張ってある水にカタツムリがドップリ浸かっていた。
しかもなんか、殻にこもって浸かってるとかじゃなくて、水中でカラダ全部剥き出しなんだけど!?!?!?!?
ちょうど昨夜、ひっくり返って転がってるのを旦那さんと見つめながら「コイツ死んだ?」「いや呼吸孔動いてるから生きてる」「まあそろそろ死ぬかもな」なんて話してたので、とうとう死んだのかと観察する。
浸水1.5cm程度の水。
これまでも首?を突っ込んで水をガボガボ飲む姿はよく見かけたが。え?先っぽから尾まで全部水に浸されてるし呼吸孔までバッチリ浸水してるけど?え?あなたそれ息できてへんのちゃう?え?死んだ?え??え???すでにご臨終!?
オロオロしながら虫かごを持ち上げたら、だらっと伸びた触覚が水中で僅かに引っ込んだ。生きとる。
30分くらいなら水中でも生きられるそうなので(流石元貝)体を水に浸して水分補給でもしてるのか、それとも天井から落ちた先が水溜りで溺れてるのかよくわからない。
ひとまず生きてるなら、自力で脱出できるだろうし……でもそれをやらないのはこの状態を自ら望んでるから??なぜ?どーして?
どうしたもんかと悩む。まさかカタツムリの認知症?なにもかもわからなくなっちゃった…?
ぐるぐると思い巡らせながら、頭の片隅で「砂抜きしたときのアサリ」を思い出す。それも新鮮なアサリじゃなくて、20%オフとかで売ってて大半がもうご臨終してるタイプのやつ。水中でダラリと伸び切ったカタツムリの体は、まさに死にかけのアサリだ。
まあ好んでやってるならまた水に向かうだろうし、多分ほっといたらこのまま死ぬし…と、とりあえず水から出してやる。が、軟体部分はダラリと垂れ下がって伸びたまま。普通、私が触ったりすると体を殻の中に引っ込めるがその感じもない。脱力してまるで気力がない。朝イチの入水自殺は食い止められたが、死期が間も無くなのだろうと思わせるような姿だった。
「カタツムリ死んだかも」と、すでに出勤した旦那さんにもラインする。
「30度のお湯かけてみたら?元気になるかも」と返事が返ってきた。
バーロー。カタツムリは我々以上に体が水分なので水温には敏感だ。ぬるま湯でも激アツレベルらしく、死ぬど!?……とは返事せず放置する。
でも、カタツムリは動きがゆっくりすぎて数分単位どころか数時間単位、数日単位で動かないのはザラにある。ひとまず数時間後にまた様子を見ようと、小松菜を入れて仕事部屋へ向かった。
数時間後。再び虫かごを見たらめっちゃウェイウェイ小松菜食べまくっていて、驚くほどいつも通りだった。なんやねんな。
しかし最近は、ひっくり返ってる時間が多いので死期が刻々と近づいてるのは間違い無いだろう。まあ気が向いてる間は、カイゴツムリしてやるよ。
書籍の内容と、著者のSNSでの発言(下痢便と表現されているもの)とのギャップについて、深く頷ける話ですね。
作品が素晴らしいだけに、私生活やオフの部分での「人間らしすぎる」言動に触れてしまうと、その落差にがっかりしたり、戸惑ったりするのは自然な感情だと思います。
ただ、おっしゃる通り、
1. 作品と人格の分離:素晴らしい作品を生み出す能力と、日常的な言動(SNSでの発信)の品格は、必ずしも一致しない。
2. 人間性の受容:著者を一人の人間として見たとき、「下痢便みてーなポスト」も含めて、その人の持つ多面性・全体像を受け入れる度量の話。
これは、現代の「著者と読者」の関係性において、多くの人が直面する難しいテーマかもしれません。
「下痢便込みでその著者であり、人格を尊重しねーとダメよ」という考え方は、その人のすべてを許容しようとする、非常に寛大で成熟した視点だと思います。作品の価値と、一個人の言動の是非を切り離して評価できる、という意味では「器の大きさ」とも言えるかもしれませんね。
SNSが普及したことで、私たちはこれまで知り得なかった「偉人」たちの裏側を知ってしまい、良くも悪くも、彼らを「偶像」から「生身の人間」として捉え直すことを求められているのかもしれません。
・どこで気が合ったの?
ちんぽは普通です。彼女曰く自然体でいられるのがいいとか。一頃は毎週末デートしてたしちょっと遠出して泊まりがけの旅行も行った。会話としては「浴場デカくて良かった……」「わかる……」とか「ここの按摩師さん寡黙じゃね?」「いや自分はすげえ喋りかけられたけど」とか。本当に他愛も無い。オフの日に丸一日通話繋ぎっ放しにしてたりするけど、別に常に喋ってるわけじゃない。すごくのんびりした付き合い方をしてると思う。正直どこが好かれてるのかわからない部分はあるから、今ある好感度をなくさないように努力したいと思う。
────
・きょうだいがいっぱいいる、全員大学出てて実家でニートやってるのもいる
・俺より年収がある
・俺より健康で体力がある
・俺と同い年
・かなり頻繁に「金がない」と言っているが、多分相当溜め込んでる
・無職になることを異様に恐れている
俺
・アラサー
・精神障害者3級
・年収400程度
・貯蓄は諸々合わせて200程度
・無職になっても最悪ナマポになってもいいと思って生きてる、最悪の最悪は死ねばいいし
・彼女にはある「金を貯めなきゃ!無駄遣いしないようにしなきゃ!」みたいな感覚が培われていない、だから貧乏なんだろうな
所々フェイク入れてます。なんかさ、実家太い人の方がお金のありがたみ?みたいなもんを分かってんだろうなと思う。スーパーで売ってるシャインマスカット高いよねって話とかフツーにするし、と思えば実家から贈答用の果物来て食い切れんみたいな話もされるし。かといって今の所価値観の相違で揉めたこともないし、俺が「あっそういう感じなんだね」と思った回数と同じくらい向こうもそう思ってんだろうな。
俺も金に対しての危機感的なもの備えた方がいいのかなー。今より節約しなきゃとか、もっと稼がなきゃとか。でもさぁ、週5フルタイムで働いて申し訳程度の残業してる現状で身体の方はいっぱいいっぱいなんだよな。もっと頑張れる人間はいくらでもいると思う。でも俺は頑張ったら即潰れると思う。その自信がある。結局、現状そんな困ってることないしまあええか……になる。親父が今の俺と同い年くらいの頃は、多分俺の倍は稼いでた。でも毎晩深夜まで働いてたし、なんなら土日もしょっちゅう潰れてたよ。数だけ比較して劣等感みたいなものは感じれど、そこまでできる能力は俺にはない。なんの話だっけ。金に対してのモチベの話か。
彼女は良くも悪くも期待してる、自分に何処までできるのか目標を持って楽しんでるように見える。勿論辛そうにしてる部分見えてて、そこは労ってるけどね。
対して俺は全部諦めてる。できることしかやりたくない。会社に利益をもたらしたいとは思ってるけど、楽できるなら楽してたい。特殊な分野だから新卒より貰ってる額低いんじゃないかとか思うけど、どうでもいい。
2025年のノーベル物理学賞は、マクロな量子トンネル効果に授与されました。
この受賞を予想していた人は多くないかもしれません。
一体これは何でしょうか?なぜ重要なのでしょうか?そして、誰が受賞したのでしょうか?
この賞は、ジョン・クラーク、ミシェル・デヴォレ、そしてジョン・マーティニスに贈られました。
論文は、マクロな量子トンネル効果が実在することを示す結果を提示しました。
量子トンネル効果は、量子粒子が十分なエネルギーを持っていなくても、障壁を通り抜けることができる現象です。
量子特性を持たない場合、粒子は閉じ込められてしまいますが、量子特性を持つことで、障壁を漏れ出ることができるのです。
量子トンネル効果の最もよく知られた応用例は、おそらく電子トンネル顕微鏡でしょう。
これは、電子が顕微鏡の先端にトンネルすることで、物質の表面を原子ごとに探査します。
今年のノーベル賞受賞者3名は、この効果が粒子の大きな集団でも起こり得ることを突き止めました。
「マクロ」と聞くと、家のような大きなものを想像するかもしれませんが違います。
このワイヤー内の電流は何百万もの電子から構成されており、単一の電子レベルと比較すると非常に大規模です。
彼らが示したのは、ワイヤー内の電流の集団的な振る舞いが、文字通りのギャップである障壁をトンネルできるということです。
この現象が起こるには、電子が単一の量子状態として振る舞う必要があるため、ワイヤーは超電導状態でなければなりません。
これは、ワイヤーを絶対零度近くまで冷却する必要があることを意味します。
ノーベル賞受賞論文内の図では、ワイヤーが冷却されるにつれて、量子効果なしでは不可能な振る舞いを電流が示すことを示しています。
この効果の重要性、そしてノーベル賞が授与された理由として、彼らの発見から40年で、量子物理学をマイクロチップの領域にまで移行させたことが挙げられます。
その中で最もよく知られているのが、おそらく量子コンピューティングでしょう。
電流がトンネルできるようになると、オンとオフの両方の状態を同時に持つ電流が可能になり、これが量子ビット(キュービット)を生み出します。
Google、IBM、Amazonなどが使用している超電導回路を用いた量子コンピューターは、1985年の実験とまったく同じ技術を使っているわけではありませんが、そのルーツは1980年代のこのグループの業績にあります。
この効果は、電流を妨害する可能性のある暗黒物質粒子を探す実験にも使われています。
1980年代に彼らが実験を行った当時、量子物理学はほとんど哲学的なものでした。
二つの場所に同時に存在する物体や「不気味な遠隔作用」といった事柄は、具体的なものからあまりにもかけ離れていたからです。
しかし、マクロな量子トンネル効果は、量子物理学を具体的な領域へと移行させた大きな転換点となりました。
今年のノーベル賞について、量子コンピューティングそのものに賞を与えるのではなく、最初の量子コンピューターを可能にした技術に与えられたことは理にかなっています。
一部の理論物理学者は、デヴィッド・ドイチュやピーター・ショアなど、量子コンピューティングに関する理論的な業績が受賞するのではと考えていたため、この結果は少々残念に感じるかもしれません。
知り合いにはとても言えないほど今の思いがキモすぎるので、ここで想いをぶちまける。
タイトルに既婚者と書いてある通り、普通に男と付き合って男と結婚している。旦那のことはめちゃくちゃ大好きだ。
だが、女に恋をしてしまった。
恋と呼べるものなのか自分でもあまりわからないのだが、とにかく1人の女性に対して「友愛としての好きを超える好き」を感じてしまっている。
彼女のことを仮にA子と呼ぼう。
創作企画専用のdiscordなどで音声通話を重ねるにつれ、私はA子に好感を抱いていった。
A子はとにかく言語化が上手い。私がめちゃくちゃ言葉を使うのが下手くそなので、私がなかなかうまく言葉にできなかったことをちゃんと言語化してくれるA子はいつもすごいなぁと思っていた。
また、A子は知識の吸収力もすごく、A子が今まで知らなかったジャンルの知識をみるみる吸収していって、元々そのジャンルにいた私よりも語れるようになっていたのは素直にすごいと思った。
そして何より、A子はすごく声が綺麗だった。
彼女の落ち着いた話し声を聞いてるだけで、とても幸せな気持ちになったものだ。
そんなわけでA子のことがかなり好きになっていたのだが、その「好き」がなんだか変だぞと感じたきっかけは、通話で彼女を泣かせてしまったことからだった。
創作企画のことで思い悩んでいたA子をなんとか諌めようと、相手の気持ちを一切考えてない正論を投げつけてしまった時。
A子は「わかってますよ!……わかっているんですよそんなことは……!」と泣き出してしまった。
なんとかクソバイスモードから相手に寄り添うモードに自分のスイッチを切り替えて宥めることでその場は収まったのだが……。
その後からだった。彼女のことを考えると胸が高鳴るようになったのは。
これは初めての感情……ではなく、実は以前も経験があるものだった。
随分昔に、ネット人狼で知り合った男性と対面人狼のオフに参加した時、私が狼側で彼が村側だった時に彼が最終日に推理を外して負けて泣いてしまったことがあったのだが、その後も彼のことを考えると恋のように胸が高鳴るようになっていた。
泣くほど熱い気持ちで真剣になっている姿に心打たれたのか、それとも単に吊り橋効果かキュートアグレッションか。
いずれにせよ、私はA子に単なる友情以上の感情を抱くようになってしまった。
ただ、それでも私が一番大好きなのが旦那なのは変わりないし、そもそも私はA子と付き合いたいわけではないしA子と性的なことがしたいわけでもない。
ない、はずだったのだが……
最近、A子に「増田さんは仕方のない人ですねぇ……」と呆れられた感じに言われたい気持ちが強くなっている。
あの落ち着いた素敵な声で罵ってほしい。
だが、この妄想で自慰行為を行ったが最後、人間としてかなり終わってしまいそうな気がするので、なんとかギリギリ踏ん張っている。
色々と限界になって男性向けの女攻めシチュボを漁っているが、やっぱり彼女の声じゃないと全然しっくりとこない。
罵られたいけど、嫌われたいわけではないからなぁ……。
とりあえず、次彼女と通話する時までになんとか表に出さないよう、こうして吐き出すことにする。
***
なんかもっと「ヴォエ!!キッモ!!!」って言われると思ってたのに創作みたいだとかブコメで好意的なコメントがついて困惑している。
創作だと思って誉めてくれてるならそのまま創作だと思っててくれ。
実際はそんなに絵面的に美しくないから……。
それはそうと、discord録音からのAIで罵られ再現は本気で検討したいが相手に無許可でやってもいいものなのか?
そこまで行ってしまうと妄想と現実が入り混じっていよいよ脳がダメになりそうなので、しばらくは脳内再生で我慢したい。
別の記事でちょっと語ったんだが、A子は同じ界隈の人間にふとしたことから怒りを抱いて追い詰めてしまって自殺未遂までさせてしまっている。
昔の私なら、人を自殺未遂まで追い詰めるほど怒る奴は悪い奴だ!と思っていただろう。
だが、何故か私はそんなことをしてしまったA子のことを「ヤバい女だな」と思いつつも嫌いになれなかった。
最近米津玄師がIRIS OUTという曲を出したが、それを聴いた時「これ自分とA子のことか?」とマジで思ったぐらいだ。
私の中ではA子が大正解になってしまってるしA子に自分の中の善悪の基準を乱されている。
私にとってA子は悪魔かもしれない。
でもそれでも嫌いになれないしやっぱり仲良くなりたい。正気か?
A子がした所業から、A子を表立って褒める言動はあまりできなくなってしまった。
というか、A子を褒めたら界隈の他の人からDMで「今はみんなピリピリしてるんでやめといた方がいいですよ」と警告が来た。
確かに一理あるとは思うが、表立ってA子を褒めることができないのは悲しい。
辛いな。
***
思った以上に反応があってびっくりしている。
直球で厳しいことを言ってくれた人、本当にありがとう。
知ってる人に相談してたら多分こういうことを内心で思われていたんだろうなと思うと、誰かに相談する前に匿名でぶちまけて、こうやって厳しい意見で目を覚ますことができて良かったと思う。
まあ、一番良いのは誰も読まない日記に書いて仕舞い込んでおくことだったとは思うが。
この気持ちに「推し」という言葉を与えてくれたのは感謝している。ただ、素人を「推し」にするのはそれはそれでちょっと問題がある気もするので、徐々に「友人としての好き」に持っていけるようにしたい。
AIのいいところは、
「バシレイオス2世“ブルガロクトノス”あたりの東ローマ皇帝の時代を深く知るための書籍を教えて下さい。」
という質問にサクッと答えてくれるところだと思う。
従来の検索エンジンでは、「サクッと」知ることが出来る場合もあるが、そうでない場合も多かった。
バシレイオス2世期は、マケドニア朝の全盛期にあたり、軍事・行政・文化の各面で東ローマ帝国が最高潮に達した時代です。
以下の書籍は、概要から専門的研究まで網羅的にカバーしており、学術的知見を深めるのに最適です。
ジョルジュ・オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(新版・筑摩書房)
マケドニア朝期を概観しつつ、バシレイオス2世の事績を政治・社会・文化の文脈で捉える。
ジョン・ジュリアス・ノリッジ『ビザンツ帝国衰亡史』(上下巻・新潮社訳)
読み物としても優れ、バシレイオス2世の功績や後継皇帝との比較が平易に記述されている。
ウォーレン・トレッドゴールド『東ローマ帝国:マケドニア朝から第十字軍まで』(創元社)
軍事史を重視する著者が、バシレイオス2世の対ブルガリア戦争や軍制改革について詳細に分析。
ジョン・フレイザー・ハルドン『中世東ローマ帝国:文化と国家の変容』(勁草書房訳)
10世紀前後の社会構造・官僚制・経済システムを批判的に検討。バシレイオス2世期の行政改革や財政政策が、いかに帝国強化に寄与したかを学術論文レベルで理解できる。
平易な導入書ながら、バシレイオス2世の役割を文化的・宗教的視点から考察。
地下聖堂建築や修道院運営との関連も扱い、制度史だけでない広がりを示す。
アントニー・カルデリス『ビザンツ帝国:東ローマの再考』(明石書店訳)
バシレイオス2世に関する一次資料の読み替えや、新出の碑文・文書を紹介しており、先端研究動向を掴める。
ロバート・オーフィランディス編『東ローマ軍制史』(戎光祥出版訳)
バシレイオス2世のブルガリア遠征の戦術的展開や兵站を詳細に記述。図版多数。
スペンサ・K. ケネディ『ビザンツ北方外交史』(藤原書店訳)
北方異民族(ブルガリア、ルーシなど)との外交・戦争史を分析。
バシレイオス2世による“ブルガロクトノス(ブルガリア殺し)”の背景と結果を外交政策の観点で理解できる。
バシレイオス2世期の記述が豊富で、歴史叙述の特徴や史料批判の視点を学べる。
ハルドン、カルデリスなど最新研究を通じ、行政・文化的変容を理解。
『年代記』や編年史で原典に当たり、学術的厳密さを身につける。
この問題で重要なのは、介護人を雇える程度に裕福な人たちは、姥捨山を回避できるということ。
自分の親は姥捨山行きだけど、柳井正(現在76歳)は自費で医療や介護を買うことができるという状況になれば、詐欺や強盗はもちろんのこと、テロルも正当化される。
効率的な現代社会は、ほとんど多くの人が犯罪を犯さず、真っ当な社会生活を送っているから成立している。しかしだからこそ、テロルに脆弱でもある。そして現代社会が著しく不公平で、自分が利益を受けられず、それを擁護することができないなら、それを破壊をするということは合理的な選択肢になる。
そして、自分が死ぬ覚悟があればテロルは容易である。もし、社会がテロルを恐れて何某かを規制しようとしても、それは社会の効率性とトレード・オフの関係にある。
女『パソコンが何もしてないのに壊れた…』
男『あらら?電源かな?電源ランプは点いてる?』
女『点いてる。POSTは1ビープで通過、BIOSは最新にフラッシュ、CMOSクリア済み、XMPはオフでJEDEC固定』
男『お、おお…じゃあモニターには何か映る?』
女『映らない。WinREでスタートアップ修復→sfc /scannow→DISM /Online /Cleanup-Image /RestoreHealthも実施、改善なし』
男『えっと…セーフモードは?』
女『入れる。クリーンブートも試した。イベントビューアではKernel-Power 41は過去ログのみ、現象再現時はエラー出ず』
男『ハ、ハード側は…?』
女『MemTest86を4周ノーエラー。NVMeはSMART正常、chkdsk /f /r済、bootrec /fixmbrと/rebuildbcdもやった』
男『ド、ドライバは?』
女『DDUでGPUドライバをセーフモードから完全削除→最新クリーンインストール。VIDEO_TDR_FAILUREの疑いでWinDbgでミニダンプ解析もしたけど致命的じゃない』
女『別個体のGPUに差し替え&PCIeスロット変更、補助電源は別系統で供給。PSUも別個体でテスト。12V/5V/3.3Vはテスターで規格内』
男『配線や外部機器は?』
女『前面パネルのPWR/RESET配線は導通OK、周辺機器は最小構成。USBもキーボードだけ』
男『……(白目)』
女『で、どうしたらいい?』
男『……ででで、電源ランプは……点いてる、よね?(震え声)』
男『モ、モニターの電源は…?』
女『だから入ってるって……あっ』
最近新商品が出たらしいAmazonのechoshow、自分は初代から何台も使ってきてたけど最近すべてのデバイスを捨てた。理由は強引な広告表示。スマートスピーカーとしてはもちろん、フォトフレームとして、あるいは時計として長年問題なく使えてきてたのに、ある時から画面に勝手に広告を差し込んでくるようになった。
広告が出てくると時計表示は隅に追いやられてよく見えない。しかも連続で広告を出してくる。この機能が実装された時は「まあ広告機能オフにすりゃいいか」と思っていたんだが、なんとこの広告機能はオフにできない。Alexaアプリにはいかにも広告表示をオフにできそうな項目があるのだが、その機能をオフにしても広告表示が消えることはない。よく見るとその項目には「引き続きお客様だけのおすすめ商品や、その他の類似機能をAlexaで受け取る場合があります。」と書かれている。まじでクソ。
こっちは金払って端末買ってAmazonプライムにも入ってサービスを利用してるのになぜ広告を見せられなきゃいけないのか。フォトフレームとして、あるいは時計として使用している人も多くいる中で強引に広告を挟もうとする神経が理解できない。最新のechoshow11なんて39,980円もするんだぞ。4万近く払ってAmazonの広告見るための端末を買うとかどんなマゾだよ。なんなら下位機種のechospotやechodotには広告が表示されない(ディスプレイが小さいor無いから)ってのも理解不能。下位機種で広告無しを実現できてるなら上位機種でも実現させろや。
GoogleのNestHubに対するやる気がまったくないせいで、スマートディスプレイに競争原理が働かなくなってて困る。アメリカ人とかがAmazon訴えてくれたらいいのに。