はてなキーワード: 体育会系とは
昨今、職場では「着替えの時間も業務時間内に入れてよい」だとか、コピー用紙を足したり、ポットに水を足したりする「名もなき家事」のような仕事はやる必要ない、だとか言われているが、そういったいわゆる「下っ端がやるようなこと」に気づいて率先してできる体育会系メンタルも重要だと思う。
というのも、今の管理職世代が下っ端の時は、「下っ端仕事を新人がやるのは当たり前」だったからだ。今さら労務ガーハラスメントガーと騒がれてもなんだか腑に落ちないままの人が多いのではなかろうか。
辛いことに対して何でも「ハラスメント」として逃げるのではなく、それを試練として乗り越える大人に、弱い人を労わりつつ、悪いことやグレーな態度にはきちんとNOと言える人になりたい。
昨今、職場では「着替えの時間も業務時間内に入れてよい」だとか、コピー用紙を足したり、ポットに水を足したりする「名もなき家事」のような仕事はやる必要ない、だとか言われているが、そういったいわゆる「下っ端がやるようなこと」に気づいて率先してできる体育会系メンタルも重要だと思う。
というのも、今の管理職世代が下っ端の時は、「下っ端仕事を新人がやるのは当たり前」だったからだ。今さら労務ガーハラスメントガーと騒がれてもなんだか腑に落ちないままの人が多いのではなかろうか。
辛いことに対して何でも「ハラスメント」として逃げるのではなく、それを試練として乗り越える大人に、弱い人を労わりつつ、悪いことやグレーな態度にはきちんとNOと言える人になりたい。
みんな単なる戯れ言だと思うだろ? だけど彼女たちの中では色んな情動が渦巻いていて、これらのような内容も含まれることも確かなんよね
結局、一様には片付けられない面倒くさいといえば面倒くさいのが女たちなんだよな
「お前ら全員チー牛じゃね?」
ネッケツが立ち上がる。
田中は鼻で笑った。
「チー牛にもいろいろいるんだよ。
お前は"体育会系チー牛"ってやつだ」
「ふざけんな!!」
ネッケツの拳が田中に向かって飛んだ。
教室全体が歪んだ。
見えない力がネッケツを弾き飛ばし、5m先の黒板に激突させた。
「ネッケツ!!」
「お前は"ストリートチー牛"だ」
「お前は"知識チー牛"だ。その頭脳、俺のチー牛概念には通用しない」
ハカセの体が宙に浮く。
概念ごと拘束されたのだ。
ノッポは震えながら机の下に隠れていた。
「俺は……俺はただの"陰キャチー牛"だ……!」
田中は微笑んだ。
「それが一番純度が高い」
「お願い……やめて……!」
田中が振り向く。
「お前は"女チー牛"だ」
「やめてええええええ!!!」
僕はついに動いた。
体を炎に変え、チー牛の概念ごと焼き尽くすために。
残酷なこと言うけど、皮肉ではなく、本来の意味で地頭がいいやつは一般的に運動得意だぞ
あと、自分ができるようにプラン練って実行するのも、単純な頭の良しの話でしょ
なんていうか、発達障害で研究職や ITや経営でうまいことやってるのに夢でも見てるんじゃねぇかな
発達障害だからって必ずしも運動苦手とは限らないし(ダンサーや大工やシェフや運転手もいる)
典型的な協調性運動が死んでる人でも別に粗大運動は得意なんだよ
体育会系のノリや文化が嫌いって話であれば、発達障害&単なる運動不足と運動音痴は関係ない話なんじゃない?
「わたし、バリバリの体育会系なので、ガンガンしごいて下さい!」
と言って来たので、
「じゃあ、その下品な胸と、手でしごいて貰おうかな 笑」
と言ったら懲戒免職になった。
⭕️か❌か?
【追記】
AI乙というトラバがいくつかついてるが、これがAIが書いた文章なら文章力なさすぎだろwww 相当、そのAIポンコツだと思うwww
[【追記終】
もう30年前の話になるが、正直、僕は高校時代はいわゆるチー牛だった。ファッションもいけてなかったし、髪型も毛量が多いのでもっさりしていた。
当時はまだスクールカーストなんてものは可視化されてなかったが、それでも体育会系の部活のやつらはキラキラとまぶしくいけていて、女の子とも気軽に付き合ったりしていたけど、自分みたいなオタク臭い人間は女子と一緒に帰ることすらすさまじいハードルだった。
30年前の自分にとって、クリスマスとバレンタインが地獄のようだった。とりわけクリスマスなんて暗黒の一日もいいところだった。(当時はクリスマスはカップルで過ごすものという圧力が今よりももっともっと強かったのもある)
かといって、今の自分もそんなままで来ているかと言えば、そんなこともなく、もともとそこそこ勉強はできたので、上から数えた方がランキング上位な大学に入り、就職活動もそこそこうまくいって、30歳くらいには年収4桁万円くらいにはいけるような仕事をして、普通に恋愛結婚して、家を買って、子宝にも恵まれて、くらいのごく普通な生活はできている。
まあ、勉強ができた力のレバレッジで何とかした面は少なからずあるが、たぶん僕が高校時代のチー牛のままだったら、ここまで軌道修正はできなかったように思う。
親から大説教されて鬱→説教の内容が厳しい…親「独身を貫くスタンスでいると社会人の交友削るフェースで縁切りされる」「東大生でも就活で詰む。早く見た目を磨け」
https://posfie.com/@kalofollow/p/hPSIBxi
やさしいブクマカ連中は、「そんな毒親の言うことは聞くな」 「君はあるがままでも生きれるはず」 「友達も恋愛もなくたって生きていける」みたいなコメントをつけているが、この元ツイ(元ポス?)の人は、そういう自分を脱却しようとしてるけど、自我とプライドが邪魔をしてそういう脱却できていないようなので、親もこういう厳しいことを言ったんじゃないかなと思うんです。
で、ふと自分が少しだけ軌道修正できるようになったポイントがいくつかあるなと思って、それを書いてみようと思ったんです。
その競技が好きだったので入った部活だったが体が全然ついていかず、同級生の中でも一番できないやつどまりだった自分に同級生のキャプテンが言った一言。このキャプテンはまさにリア充を絵にかいたようなスクールカースト最上位で、彼女もいれば、応援団のリーダーもやれば、文化祭の劇の主人公もやるようなやつだった
「お前、うちの部活で一番頭いいんだから(これは一応事実)、人の話を聞いてるときに口を半開きにしてんじゃねえよ。そんなアホっぽい聞き方してると、相手から舐められてやられちまうんだよ。」
とある日の練習中に言われた。実は自分は長年喘息持ちで鼻も詰まってることが多く、鼻呼吸に息苦しさを感じていたから口を開けていたのだが、なんとなくその時は言うことを聞いてみようと思って、口を閉じてみたら息苦しいとは大して思わなかった。しばらく意識して閉じているようにしたら、そのうちごく自然に閉じるようになった。たぶんもとから鼻呼吸もできていたのに、習慣的に口呼吸にしていたんだと思う。
普段から口を閉じるようにしたら、なんとなくだが競技のパフォーマンスも向上したように思えた。相手から舐められにくくなったというか。
初めての人と話しててもこちらの要望が通りやすくなったように思った。
あと、風邪をひきにくくなった笑 たぶん、口呼吸だと鼻呼吸よりも大量に菌やウイルスが体内に侵入していたんだと思う。
ふだんよく見るチー牛のイラストなんかも、口が半開きなのが多い。やはり口を普段から開けているのは舐められる要素なのだと思う。
なので、普段、自分が何かをしているとき口が開いてるか閉じてるかちょっと確認してみよう。開いていたら意識して閉じてみよう。
社会人になって、最初についた先輩からエレベーター待ちの時に言われた一言。この先輩は仕事のやり方も優秀で派手ならば、お金の使い方も派手で、いつもイタリア製のスーツを着て、毎日飲み歩いているような先輩だった。いかにも社会人の先輩という感じの人だった。
ある時、昼飯帰りに会社のエレベーターを待っているとき、自分の立ち姿を見た先輩が「お前、その立ち方だともてねえから直しな」と言ってきた。
ん?と思って、先輩をみたら「その足をクロスする立ち方だよ、顔と体に似合わず、弱そうに見えて逆に気持ち悪いんだよ」と、今だとパワハラで電話されそうなことを言われた。
当時はなんとなくマンガやらなんかの影響だったのか、そういう立ち方がカッコよく思えてやっていたので、指摘されてちょっと恥ずかしくなり急いで戻した。
そして帰宅して、自宅の姿見で足をクロスした立ち方と普通の立ち方を比較してみたら、明らかに普通の立ち方のほうがカッコよかった。なんとなく重心がちゃんと乗ってるように思えた。
自分の脳内イメージと実際がここまで違うのかと実感する出来事だった。
チー牛の人には一度、自撮りしたり、姿見で全身を見たりして、自分の脳内イメージと実際の比較をしてみることをお勧めしたい。
その後、数年して仕事のポジションは中堅になりつつも、あまり目がでないでいた時期に、自分のプレゼンを聞いた上司が言ったアドバイス。この上司も会社の中ではかなりイケイケどんどんなタイプで、社内ではプレゼン巧者で有名な人だった。「お前のプレゼンは、あーとかえーとか多すぎる。そんなんだと、手元の資料を読んでる方が聞くよりもよっぽど早くなるから、お前に注目を向けてもらえなくなる。お前の資料は出来は悪くないんだから、もっと自信をもってはっきりとしゃべれ」と言われた。
「でも、言葉がでてこないことがあって」と返すと「だったら、文節の区切りをのばすか、無言で次の言葉を考えろ。その方が相手の頭にちゃんと残る。無言の空間を恐れるな」と言われて、そんなもんなのかねと思いながら、次のプレゼンでそういう意識で臨んでみたら、だんだん良い結果になってきた。
意外と自分が脳内で理路整然としゃべってるものと実際の発話には大きな差があるんだろうなというのは意識してもよいと思う。
どの人間も、部活や仕事みたいな強制された環境でなければ、得る機会がなかったアドバイスだったように思うので、今でもその指摘してくれた人たちには感謝している。
ウェブサービスのサポートのバイトをしていたとき、苦情の窓口に苦情ではなく、必要ないのにお礼と労いのコメントを送ってくるという本来の用途ではない使い方をしてくる人は女性ばかりだった
ジャンプ漫画にファンレター送るのも女性が多いと聞く、これは腐女子が展開を誘導しようとする悪質なケースもあるようだけど、楽しんでますありがとうございます的なことをコストかけてわざわざ言う人って女性率が高くなる
最近スーパーやドラッグストアなどの老若男女が訪れるタイプのお店ではほぼ店員が男性になっており(昔は主婦パートが多かったはず)、女性店員はカフェに集中しているという傾向があるけど、これは客層のせいだと思う
経験上客商売で凄い厄介なのって体育会系の男性の集団か一人の中高年男性で、カフェは若い女性や若い男性やカップルの客が多くて厄介群とは離れた客層をしている
カフェは時給が安い割に応募が多いから時給を上げる必要がないタイプのお店だけど客層によるストレスが少ないからそうなっているし店員に若い女性が多いのだと思う
昔は若い男性はレジ打ちとかしていなかったけど彼らはどういうところから移動してきたのかな、昔の時代だったら営業とかしていた人はそういう接客になっているんだろうか
経営者が友達から始まってて、途中で上手く行ってなんか大きくなったみたいな会社
・知名度がある、憧れられる
・派手さ、華美さがある
・下品、壊す、汚す、セクハラ、などなどでよく出禁になる(飲み会、社員旅行)
・男だけじゃなく女もそんなノリ
・人事が曖昧
・誰が誰と寝ただの、誰が誰を襲っただの、男女トラブルの噂が耐えない
こういう人らなんていうっけ、ウェイ勢?ネットの奴らが嫌いなタイプ
でもその中で勉強はめっちゃできるタイプ、案外居るには居るんだよね(特に私大にいる)
一部はそれでもボーダーラインを超えない、セーブした羽目の外し方をするんだけど
一部は暴走するんだよね(大学で羽目を外してなかった人がそうなりがちとかいうよね)
こういうノリ、まあオタク系の人は大嫌いだから社内で分断していくんだけど
経営層がそのタイプだった場合、あるいはそのタイプが社内政治に長けていた場合に地獄が発生する
昭和では有名企業でさえこんな会社山ほどあっただろうし、平成にも全然あったみたいだけど(自分が観測したのは10年前だから平成27年くらい?)
ようやくというか、流石に令和には風当たりが厳しくなってきているようで、じゃあどうなるんだろう?と思ってる
でも彼らが止まるわけ無いと思うんだよね、ハメ外したい勢ってあれ本能でしょ?怖いもん
自分が理系の大人しい奴らの中で生きてきたから、世の中の半分はこうなんだなと理解した
ちなみに俺が居たところは面白いことする系の会社だったけど、こういう会社って創作オタクとウェイ勢が集まってくるんだよね
テレビ局とか広告代理店はたぶんウェイ勢ばっかだと思う、正直女性・女子アナもほとんどそうだと思う
ノリだけで言えばフジに限らないでしょ当然
みんなビクビクして生きていくのかなあ
きっかけは唯一無二の親友が亡くなったことで、いつもできていた毎日3、4時間の残業ができなくなった。
正確には残業はできるのだが、効率が異常に悪くなり、夜中の1時・2時になっても終わらなくなった。
職場で泣いているところを見られるのが怖くなり、100%在宅にして引きこもるようになったし、
思えば、6年ほど社会人として働いているが、長期休暇で抜けた人の業務をフォローしたり、
体育会系上司の下についたり、激務部署に異動したり、ずっと仕事でもストレスはあった。
普通のメンタルなら乗り越えられていたことも、プライベートでメンタルをやられたら、ダメになった。
幸い、上司が優しい人で、いまは業務を三分の一に減らしてもらい、定時退社してる。
帰っても何をしたらいいかわからず、お金を無駄に浪費している。
メンタルが調子を崩しているのは、楽しいことがないからだと思い、ジムを契約し(1回しか行ってない)、
前から読みたかった本を3、4冊買って帰って(結局まだ読んでないし部屋に置いてある)、
高いキーボードとマウス(合計で5万円くらい)を買って帰ってきた。
30万円のゲーミングPCを買おうとしているところで、友達に「いったん落ち着け」といわれて我に返った。
長期休暇で抜けた人のフォローをしていた分、フォローする側の気持ちが痛いほどわかり、
こんなにダメになると思ってなかった。
自分が今まで「女性的」「男性的」だと思っていたものは、実は体力と想像力のバランスのことだったのではないか、と考えるようになった。
以下は、体力に偏った成長と、想像力に偏った成長の一例である。
体力がもともとあった場合
体力があると、それを活かす遊びや活動に自然と参加できるようになる。幼少期に外遊びやスポーツの機会が増え、自主的に体を動かすことが習慣となる。
たとえば、精神的に嫌なことがあったとき、相手を身体で制圧することを想像し、実行に移すこともできる。この場合、精神的な成長は妨げられるかもしれないが、身体は発達する(主に小学生までの話)。
成長過程で身体が強くなると、さらに鍛えようという意欲が湧く。そこでは、以下のような経験が得られる。
• 身体に覚えさせる訓練
このように身体能力を高める過程では、想像を抑え、目の前のことに集中する「体育会系的」な思考が身につく。そして最終的には、心と身体を切り離して考える能力が養われる。
これにより、以下のことが得意になるだろう。
しかし、身体的に無理を重ねると想像力が欠如し、自覚のないまま倒れることもある。また、精神的に辛いときに「心無い言葉」で相手を傷つける傾向が出るかもしれない。
体力がもともとなかった場合
体力が乏しいと、体を使う遊びへの参加機会が減り、結果として想像力を鍛えることに意識が向くようになる。
たとえば、精神的に嫌なことがあったとき、身体で相手を制圧することはできない。そのため、「なぜこんなことが起きたのか?」「どうして相手はこうしたのか?」と想像するしかない。これによって身体は育たないが、精神的な成長が促される(主に小学生までの話)。
精神が成長すると、それをさらに高めたいという意識が芽生え、次のような経験を通じて強くなる。
・馬鹿にされても芯を持ち、考えを折らない
これによって心と身体を繋げた戦い方が身につき、以下のことが得意になる。
・遅れている人へのサポートや気遣い、そしてそこから全体のバランス感や不満の改善
ただし、身体的に無理を感じたときも心で補おうとするため、気づいたときには倒れることがある。また、周囲に対して「もっと想像してほしい」と求めすぎてしまうこともある。
これらは、体力の有無による精神の成長の仕方を大まかに分けたものだ。これまで自分はこうした違いを「男女差」と考えていたが、それは誤りだった。これは性別ではなく、先天的な体力の差に起因する問題である。たしかに、男女には平均的な体力差が存在する。しかし、議論すべきなのは体力と想像力のバランスの問題であって、性別の問題ではない。
社会は、身体能力過多を「男性的」、想像力過多を「女性的」と呼びがちだ。しかし、本来重要なのは、それぞれの差を埋め合い、支え合うことである。
・体力が強い人は、体力が弱い人ができないことを率先して行う。それが相手の心を守ることになる。そして決して相手を見下してはならない。
・心が強い人は、体力が強い人が無理をしているときにそれを察し、休ませるべきだ。それが相手の体力を守ることになる。そして決して相手を見下してはならない。
これを「男女」という枠組みで考えると、以下のような問題が生じる。
・体力のない男性が、「体力で頼られる」ことで無理を強いられる。
・体力のある女性が、「後方支援を期待される」ことで能力を発揮できない。
重要なのは、個々人が自分の特性を理解し、それを最大限活かすことである。体力がない人は想像力を武器に、体力がある人はフィジカルを磨き、互いを補い合うべきなのだ。
男女論ではない。これは体力と想像力の話だ。互いの偏りを認識し、補い合うことで、人としての可能性を広げていけると信じている。
(当然、例えば身体が強くて、誰かを傷つけて、想像力を鍛えようと努力した人も居るはずだし。身体が弱くて、それに気付けて、身体を鍛えた人もいるだろう。どちらも強くしようと意識している人もいるだろう。どちらもマジで強いひとも居るだろう。今回それは割愛している。)
今の私の肉体の状態を、言葉にして東京に観察させる、というのがこの本のコンセプトだ。
さあ、聞きなさい私の街。
私の肉の言葉を。
じわじわと滲む汗。
こんなに人がいて良いはずがないのである、ひとつの、小さな箱型の部屋に!
それは電車という名前で呼ばれているが、羊羹箱の方が多分正しい。カステラ箱とか。
我々乗客はお行儀良く並び、スマホをカステラの白い紙みたいにぴったり身体にひっつけて、何か心理的なしんどいものから身を守っているつもりらしい。
いやいや、それは自傷行為だ。
こんな狭い箱に乗り込まないと、生活が成り立たないって?東京よ、あなたの上に築かれたこの都市、それはあなたとは縁深く、しかし異ななった存在だけれど、あまりにも罪なものだ。
かわいそうな都会生活者たち。
私の身体は逼迫し、今すぐここから出してくれとドンドンと我が胸を内側から殴って抗議しているようではないか。ここは、動物の居場所ではない!出せ!不当だ!扱いの改善を要求するぞ!と。
いやはや身体よ、まったくその通りである。しかし我々はこの小箱に乗り込まないことには生活というものをやっていけなくてね?…と、胡乱な紳士のようなでっぷりした「運営者」なんかが、葉巻を燻らせながら私の肉体に応じるが、まったく持ってコイツの言うことなんざ聞く必要はない。往々にしてするべきこと、正しいこと、生きること、定め、そんなものはクソである。しこうして美しい。だから大抵人生はクソッタレで震えるほど美しい。やるせないな。
美女が電車のサイネージに現れて、私を窒息させる。微笑みは商品として完璧な等級だ。
ありえないくらい憎らしい。
そうそう東京、何度も言うが君の上に築かれている街は最悪の代物だよ。
そうして私は生活するための目的地に辿り着く。池袋という駅だ。降りるので筆を止める。
13:19
東京よ
私の思いを聞いてくれるかい
美しい歌を一息に歌ったあとの、胸の激しい息切れ、幸せを含む苦しさ、風が冷たく汗を冷やして吹き渡る、大変、大変schönなお時間
和声は体育会系なのだよ、と先生は言って、私は押忍と袂を締めて…schön!
冷たく美しい高原の風!せせらぎと同じ色の、風
schönで爽快な、たまらない快適さ 人生と言う舟はその風を帆に受けてえっちらおっちら、筋肉を糧にじりじり泥臭く進んでいくべきものなのだ
そうだ、和声は体育会系なのだからね!頑張っていこう、この風はずっと吹いていてほしいな
13:29
大変不思議だ 時はなぜ移ろう
それなのに同じ時はない 一度も同じにはならない
私はもうサイネージを憎まない なぜなら和声への希望と走り出したいこの身体を一心に持って電車に乗っているから