「担当」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 担当とは

2025-03-04

anond:20250304132640

RPA担当は社内業務を把握してる必要があるわけで経験年数がどうしても必要になるんだから

正社員として抱えておくのは正しい

そもそもRPA導入前から有能そうなのにあたりをつけてアサインしておかなかったのが失敗だ

anond:20250304132821

頑張って耐えてスキル磨いて大手に移れ

客が大手になれば、少しはまともになる

直接の担当がそうでなくても、相手チームの中にまともな人がいる割合が高くなる

そうしたらそこから話もってけるようになる

2025-03-03

虐待児曰く

こども家庭庁がAI導入断念ってニュース

虐待されてる子が言うには

そもそも児相担当者公務員から持ち回りで専門性がなく、専門性がないかミス6割どころじゃない

と憤慨されていた

自分担当は去年は職業紹介かなんかやってたとのこと

 

個人的には、ちゃんとやるなら「疑わしきは保護」が正解だと思うんだけど

一義保護施設が地獄なので、虐待児すら家のほうがマシと言う状況が生まれてるのが現実じゃないか

旦那家事負担を増やしたい

夫婦フルタイム共働き現在家計負担はほぼ折半(夫のほうが少し負担が多い程度)

年収は私が400万、夫が500万程度で、私がゆるいフルリモで夫はフル出社激務で通勤1時間

 

平日の家事はほぼ私が担当休日家事は夫が担当という割り振りなんだけど、一緒に出掛けて外食したり一緒にお昼寝したりしてなんだかんだ夫の負担が少ない。

片付けといてね、と言ったものを一向に片付けてくれてないとか(夫の趣味のものなので私が触れない)脱いだ服は投げっぱなしとか…夫が得意な料理や皿洗いをしてくれるのは助かるけど、やるよって言ってくれたことをしてくれてないのに腹が立つ。

その皿洗いだって油残ってて黙って洗い直したりしてるんだけどな…。

 

私が「家事やってくれてないよね?」と聞いたら「そんなことない!トイレットペーパーを補充したよ!」とかいう始末。それ家事じゃないだろ?

 

週5私が宅配取って買い出し行ってゴミ出して掃除機かけてご飯作って洗濯物回して畳んだり片付けすることと、休日にだけトイレ掃除してご飯作って皿洗って洗濯物回して、時々ゴミ出して…はけして同じ量の家事ではないと思うのだけど、夫は「俺もやってるもん!」面をやめてくれない。

生活費折半だしもう少し家事負担やすとかリビングを散らかすことをやめてほしいんだけど(私の家事を減らす)、どうしたら良いものか。

薬剤師裁量ってどのくらいあるもんなんだろう

医者の処方薬をジェネリックに切り替えるかどうか打診するのは担当業務だと思うんだが

処方薬が在庫切れなのでジェネリックor自己負担薬どちらにしますか?みたいなのをやってるのも見かける

これだと邪悪薬局なら自己負担誘導できてしまうし

そもそも薬局ごとに在庫切れ概念があるのがいけない

公営倉庫在庫共有であるべき

anond:20250303080436

担当外されたのか。

正常な思考ができる人間が上にいたということだな。

フェミニストが正しいということがはっきりした。

正義は勝つ。

東洋水産フォローした株式会社赤名酒造 担当が変わってしま

おはようございます社長です。
弊社はフェミニスト、反フェミニスト差別主義、いずれでもありません。女性には酒の味かわからないと書いたとの作り話も流れていますが一切そのような発言はしていません。以前より女性の多い職場でもあり女性蔑視はありえません。

担当交代につき 当分の間、SNS更新を日に1回程度とします。
また、他アカウントとのRP引用RP交流はしばらくの間取りやめます

https://megalodon.jp/2025-0303-0801-25/https://x.com:443/AkanaBrewing/status/1896312743306924514

フォローもらった(*^^*)ありがとうございます🍜 @toyosuisan_jp

https://megalodon.jp/2025-0302-2320-47/https://x.com:443/AkanaBrewing/status/1895056469286150648


開示請求します。刑事です。

https://megalodon.jp/2025-0302-2321-33/https://x.com:443/AkanaBrewing/status/1896129471696302196



この辺全部消えてる

前回の流れ↓

https://anond.hatelabo.jp/20250302232403

2025-03-02

遊戯王ゴーラッシュについて吐き出させてくれ

遊戯王アニメちゃんと見たことなく、カードゲームもやったことがなかった。

友人の強い勧めと、OP担当が好きなグループだったので途中から見始めた。

とあるキャラが大好きになり、アニメを見る習慣は無かったがそのキャラ目当てで見続けていた。

ラッシュデュエルもゆるく遊ぶ程度にはやるようになった。

見ている内に、他の視聴者がやたら前作の「SEVENS」の話をしているのが気になりセブンスも見てみた。途中モヤモヤする部分はあったが、全体的にまあ面白かったし楽しめた。

ゴーラッシュ視聴を続けていると、セブンスそっくりさんが話にガッツリ関わってくる上に、ゴーラッシュキャラよりも目立つ立場にいることが少しモヤッとした。

ルーグ編はそれが顕著で、ルーグはラッシュ初心者なのに何故か強いキャラだし、最終的に遊我がそのまま出てきて正直萎えた。

話の内容についても、最初はユウディアスラッシュデュエルについて学んで、楽しみながら闘っている感じが応援したくなって良いと思った。楽観的すぎる所はあったが、後々しっかりしていくんだろうなと。

でも途中から未来が〜過去が〜とか、把握が面倒くさい内容になってきてダルかった。

そもそもそこまでオーティスにこだわる流れになったのが謎すぎて、完全に置いてきぼりになってしまった。

遊我をここまでガッツリ話に組み込ませて、挙句前作のラスボス名前を急に出してくるとか意味がわからない。

子供達が「未来のために…」と奮闘しているのも感情移入できなさすぎた。未来のために頑張るのは大人だけで良い。

子供達は今、自分達が好きで楽しいと思えることに全力で取り組んで欲しいのに。

2年目も3年目も全然出てこない遊我がいつも話の片隅にチラついてるし。ゴーラッシュの話してくれよ。

遊我が「オーティスになる」とか言うからその後色んな人が代わりにオーティスになろうと躍起になったような流れだったので、そのせいで遊我も嫌いになりそうだった。

今ほぼ嫌い寄りなんだけど、遊我が悪いんじゃなくて話作ってる大人が悪いよな……という気持ちで乗り切ろうとしている。

前作のセブンスが恐らく消化不良だったんだろうが、制作陣のエゴが透けて見える感じが嫌だった。

セブンスちゃん面白かったし、そこまで繋げたいなら遊我がちゃんセブンス世界に帰った描写を何処かに入れるだけで良かったのでは?と思う。ここまで長く話数使うとは…。

ユウナもロヴィアン大好きだった筈なのに、途中から遊我の事しか見えなくなって、ロヴィアンを地下労働させるとか公式キャラ崩壊させてくるのもつらかった。

全体的にキャラクターの中身が浅すぎるというか、深みが感じられない。

話をそこまでゴチャゴチャにしておいて、デュエル終わったら綺麗に気持ちの整理もついて解決!とか。キャラクター舐めてんのか。

キャラ大人じゃないせいで、ヘイト向ける先が子供キャラになってしまうのも苦しかった。ホビアニなんだし悪者大人で良くないか

しか自分意見出来るほどホビアニを見ていないのでその点は深堀りしないでおく。

話の風呂敷を広げまくって、伏線?も張りまくって(あり過ぎて覚えてられない)、全然回収されないしモヤモヤけが溜まっていく一方だった。

3年目は本当にずっと見るのがツラかった。

ラッシュデュエルパート面白いのに。

というか大体一話につき一回デュエルするんだからそんなに話広げるなよ。回収しきれないに決まってるだろ。

地球に流れ着いた何も知らないユウディアスラッシュデュエル出会い宇宙で巻き起こっている闘いをラッシュデュエル解決しよう……みたい内容ならもっと単純だった気がする。遺跡に書かれていた〜とか過去が〜とか面倒くさい要素を入れたせいで何かゴチャッとしてる感じがした。

アニメを見る習慣がない自分が、話の内容把握するの下手すぎるだけかもしれないけれど(その点は申し訳ない)、見続けるとモヤモヤが溜まり続けてツラかったな。

途中で視聴やめてたけど終わるっぽいので頑張って最後まで追う。

キャラクター自体は良いし、ラッシュデュエルパート面白くて好きだし、実際のラッシュデュエル面白いのに、アニメの話がしんどすぎる。

ちゃんと終わらせる気ないなら必要以上にこねくり回さないでくれ。ファン馬鹿にするな。

推敲してないのでごちゃごちゃしていてすまない。でもどこかで吐き出さないとゴーラッシュを嫌いになってしまいそうで嫌だった。

最後まで「ゴーラッシュ好きだよ」って言いたい。

イーロンマスク(南アフリカ人)

イーロンマスク母(中国とべったりです)

拉致被害者担当で支持を集めながら北朝鮮献金してた統一協会とべったりだった安倍晋三と同じ波動を感じる

2025-03-01

Sexy Zoneはすべての道に通じていたが。

新生timeleszが本格的に動き始めた中で、反転アンチと化している自称セクラバ、あるいはオリジナルメンバー個人担がツイッターおすすめ欄に流れてくるたびに、はて?という声が脳内に響く。というのも、私がSexy Zoneそしてマリウス葉に興味を持った2014年からツイッター上で眺めていた、いまだに生き残っている古参セクガル(死語)たちは、みな新生timeleszの一挙手一投足に盛り上がり続けているからだ。

私が観測してる古参たちの大半がオーディション発起人である菊池風磨担当であることには留意すべきであるしかし、そもそも2014年時点で古参だったから私は眺めていたわけで、その当時の古参デビュー前後から追っていたオタクを指す。すると、デビュー前後からオタクを抱えていたのはふまけんのみで、そこから流動化や活動休止卒業や脱退や改名メンバー増員を経ても尚振り落とされていないのは、シンプルに腕っぷしの強さが感じられる。そして、盛り上がり続けている古参はみな別ジャンルオタクの顔も持っている。みんなどこからかやってきて、Sexy Zone担当個人活動が少なくなったら別ジャンルへと移っていく。たまにSexy Zoneが盛り上がるタイミングで戻ってくる。それを繰り返して今に至る。何かしらの施策が打たれるまでは別ジャンルで好き勝手遊んでいるファンダムだったため、真剣さに欠けていたのは確かであるグループ活動が少ないことに嘆きながらも、それは売上しか話題性しかりが作れてなかった結果であり、本来ならばその前からファン挽回姿勢を見せるべきなのであったが、じゃあ私もお暇させていただきますと言わんばかりに別ジャンルへ飛び出していく。2019年活動があまりにも少なすぎて、宝塚バーチャルジャニーズプロジェクト経由でなにわ男子、そして2.5次元舞台へと走っていた私がソースであり、Sexy Zoneが売れてなかった理由の一つがここにある。ただ、タイプロというコンテンツが投下されたことによって、私含め出戻ってきたセクガル一定存在するのではないか。そして運営側も本気となりこの機を逃すな!と供給を増やしているため今のところ離れるタイミングは無い。このまま供給さえ続いてくれれば、古参たちが別ジャンル軸足を移すことは無いように考えられる。ただ、この供給の元となっているのは、別ジャンルヘラついていた古参ではなく、勢いのあるタイプ新規たちの需要なので、そこらへんが飽きてこられたら下火となり先細りするだろうという漠然とした不安はある。

そもそも、このコンテンツ過多時代において一つのジャンルだけを見つめ続けることは到底無理なのである。飽きるのは仕方がない。現timeleszのバックグラウンド的にも、Sexy Zone時代からあった他ジャンルへの接続のしやすさ、親和性の高さは維持されているように思える。Sexy Zoneを見ていれば別ジャンル先でSexy Zoneらしさを見つけられる。そして別ジャンルから帰ってきた時に広い視野Sexy Zoneを見つめられる。別ジャンルオタクたちはハロプロ宝塚テニミュなどなどで卒業加入制度を学んできている人間が多く、今回の加入劇を楽しんでいるように見えた。このタイプロの人気も、タイプロが初めての推し活です!という層と同じぐらい別ジャンルから来た層がいて、後者はどこかで自ジャンルに通じる部分を感じてtimeleszに引き留められているのではないか、と考えられる。結成からたった2週間で毎日ありえない燃え方をしているが、だいたいいつかどこかで見覚えのある現象からそもそも燃やされる理由が分からない。燃やされる要因を理解したとしても、それに動じる必要がない。

一方、今までSexy Zoneにだけオタク活動をやってきた人間にとっては、受け入れられないことも多いだろうと推察される。そもそも、こんなにも魅力的なコンテンツが溢れかえっている世の中で、あの程度の活動量だけで手一杯になっていた時点で、単純にオタクとしての才能をお持ちでないのでは?と疑いの目を向けたくなるが。なので、もしtimeleszの言動ファンアンチ意見釈然としない感情を抱いているのなら、一旦timeleszから離れて別ジャンル留学することをオススメしたい。オタク活動で心を病めることほど愚かなことはない。そしてふとtimeleszを目にした時、腑に落ちる瞬間があると思う。

コンパニオンがいると人は集まるのか

IT系イベントで自社ブースコンパニオンを呼んだことがある。技術である自分解説員として参加していた。

結論として…と言いたいが自分マーケティング職ではないのでちゃんデータを見てはないし分析もしていない。なので、「体感として」人は集まる。

表立って「かわいい女の子と話したい」というオーラを出しながら来るような露悪的なやつはあまりいないけど、相手を見ないでぐいぐい声かけてくれるだけでもまあ強い。業界とかイベントとかで違うかもしれない。

観点1:男はだめなのか?

→男でもいいと思う。

結局のところ内容が良ければ集まるので男女は根本的には関係ない。解説員側としては、むしろ可愛い女の子目当てのちゃんと話を聞く気もないようなやつが来なくて時間を取られなくていいまであるが、数字の成果を出したいマーケ班的にはそういう集客必要なんだろうな…

観点2:女性社員はだめなのか?

女性社員でもいいと思う。

が、女性社員露出の多い格好をさせるのは、本人がそういう趣味でもない限り駄目だと思う。担当業務外だ。また女性社員だけだと、そっち系の客を直接相手しなければいけないことがある(言い方は悪いがコンパニオンがある程度壁になってくれる)。

真面目な客観点だと、男でも女でもいいか解説してくれる人がいてほしいので社員のほうがむしろありがたい。

観点3:コンパニオンはいたらだめなのか?

コンパニオンがいてもいいと思う。

ただ個人的にはあまり関係いか、むしろコンパニオンがいないブースのほうが寄りやすい。ちょっと足を止めただけですぐ声かけてくるから…あと男性社員コンパニオンのことニヤニヤして眺めてたりすると嫌な感じ。

書いてて思ったけど、いなくなるべきはコンパニオンじゃなくて変な客と変な社員じゃね?

2025-02-28

anond:20250228073801

単に担当が真面目すぎるね。

飛行機になりたいってコント目線が欲しい。未熟なところへのフォーカスにこだわってる人もいるよ。

40歳経験でもIT入れますか?

って質問

入れますよ私がそうです!!

 

って回答があって回答者がやってる業務内容が

「明らかにAIに置き換わるから未来ある若者には任せたくない死にポジション」もしくは「そのうち新しいシステムに置き換わるけどひとまず延命されてるだけの古いシステム担当(なお新しいシステムになった時は技術についていけずクビになる)」なの闇が深い

 

しろ回答者があと数年で失業しそう

それで5060まで仕事したいんだろうけど無理やろって

anond:20250228001714

人が足りないんだからそんなこと言ってられる時代じゃないんよ

採用担当じゃないからそんなこと言ってるんだろうけど

anond:20250228001509

GPTに聞けるからもはや単純作業しかない。

書籍ネット検索してた頃と比べたら、プログラミング学習はまじで楽になった。

流石に今、スクール通ってるやつは全員バカなので、2024年以降にスクール通ってる経歴あったらバカとして一発で落とすね、俺が採用担当なら

2025-02-27

anond:20250227185332

お前のゲームクリエイターとしての力を試してやろう

さあお前が作ったゲームの名を言ってみろ、何を担当したのかもだ

きょう 理容店店いけた

待ち時間なかった

担当が2人いた

よかった

TIKTOKYouTubeウケるなら若い層に届くけど

Xでどれだけ頑張っても運用担当してるジジイ世代しか届いてないんだよね

っていうか、普通CM作ってYouTubeで流してる方が影響ありそう

非モテパワハラいじめターゲット人間自己アピールを嫌う

モテがあるのに男が欲しいと思ったら何も言われずともヘアメイクや体型管理家事能力女子力アピールする女

ありのままの俺を受け入れる女が現れたら容姿や女相手コミュ力を磨くし家事担当専業主夫になってやるぞというスタンスガチで何もせず、当然売れ残ったら女を攻撃して人権を奪って結婚に追い込めと主張する非モテ男。

男は棒モテ生殖能力もないか殆どの男は何もしないと女から見向きもされないまま生涯を終える

男が選ばれるには女が一緒にいても苦にならない容姿言動を取得して選ばれるアピールするか、リアル生活でまめに周囲とコミュニケーションをとって「こいついい奴」という評価を手に入れるしかないんですよ。

https://anond.hatelabo.jp/20200405130053

2025-02-26

anond:20250226214237

中身隠して交代したら伸びないかもしれないけど、ホロライブ入って、中身はうさだぺこらと宝鐘マリン担当しまーす!

ってプレスリリースしたら今より伸びるやろ。

おすすめの痩身エステ行って痩せたけどどうにも解せない【体験談

友人におすすめされた痩身エステに行ってきたんですよ。半年ほど通って結果12キロほど痩せました。(63キロ→51キロ)

この結果だけ見れば痩身エステすげー、やっぱり高いお金出すと痩せるんだね!友人グッジョブ!ってな感じになると思います

でも、私貧乏性なのかどうにも解せません。その理由をこれからお話していきます

【友人おすすめの痩身エステに行くようになった理由

これはシンプルです。ブライダルエステだかで友人が、このおすすめしてきたエステに通って、半年ほどで8キロくらいダイエット成功して良かったから私にすすめてきたという、本当にシンプル理由です。

から聞いたら、友人紹介だかで1万円分のクーポン券がもらえるとのことでしたが、それについては、未だにだんまり決め込んでいます。まーそれは心の広い私なので許すこととします。

【痩身エステ費用

確か、半年ほど通って毎月50,000円くらいかかっていました。総額30万円弱くらいかかりましたが、プライベートジム行くのとさほど変わらないし、痩せるのにほぼほぼ苦労しないで痩せれたのでまーいいかと思っていました。はじめのうちは・・・

【痩身エステ体験談

さて、ここからが話の本番なのですが、最初の1か月くらいはリンパマッサージみたいなので血流をよくするとかいって、ただただ、気持ちのいいマッサージを受けている感じでした。その間特に食事制限もしていなかったので全く痩せませんでした。

1か月も経過して全く体重が変わらなかったので、少し不安になって担当の方に話したら、2か月目から1日1錠飲むようにと錠剤を渡されました。決まった時間ちゃん毎日飲むように言われました。

そして、言われた通りちゃんと決まった時間毎日飲んでいたら、2か月目でなんと6キロダイエット成功しました。そして、3か月目、4か月目、5か月目、6か月目と毎日毎日薬を飲み続けたら、結果半年で12キロも痩せたのです。

特に食事制限をした覚えはありません。ただ・・・薬を飲んでから明らかに食事の量、回数が減りました。特に意識はしていないのですが食欲が勝手になくなっていく感じでした。

さすがに怖くなって薬のことを調べてみました。

薬の名前はリベルサスと呼ばれているものでした

え?これサプリじゃなくて、薬だったの?というか薬とか飲ませて大丈夫なの?と思いましたが、そういえばここは、美容サロンではなく美容クリニックでした。

そして、このリベルサスというのは糖尿病患者が飲むような薬で、それがここ2,3年でダイエットにも使われるようになって、かなり普及しているのだとか・・・

私が飲まされていたのは、リベルサスの3mmで一番少ないタイプのリベルサスで、副作用もあまりないらしいです。実際、私も半年飲んでいましたが全くと言っていいほど副作用はありませんでした。個人差はあると思います・・・

ただ、私がびっくりしたのはその値段です!!!

この値段こそが、私はこの痩身エステで解せない理由です。なんと私が飲んでいた3mmのリベルサスは1か月分で7000円前後で購入出来るみたいなのです!!!高いところでも1万円もしないくらいで購入出来ます。(リベルサス通販購入価格一覧:https://dr-land-omiya.com/articles/rybelsustsuhan/)リベルサス 通販購入、痩せる薬などで検索するといっぱい出てきます

今回通った痩身エステなんて、12キロ痩せられたけどその効果ほとんどはこのリベルサスのおかげじゃん!これ飲んでなかったら、全く痩せてなかったでしょう!!!

というか、エステかいって、結局薬飲ませて痩せさせるとかいいの?ありなの?

それなら、このリベルサスを買って飲んでおけば毎月7000円で済むじゃん!しかも、通わなくていいか時間も取られないし、交通費も掛からない。

きっと友人もこの事実を知っていたはず!!

それを知っていて1万円のクーポン券欲しさに私を売ったんだ・・・

というどす黒い感情が私の中に渦巻いていましたが、なんとか今は落ち着いています

このどす黒い感情を押し殺して、今でもその友人とは付き合いがありますしかも、あなたのおかげで痩せられたありがとうっていう感じで・・・

女って本当に怖い生き物です。

anond:20250226141056

10を超える市役所利用者として、4つの市役所を内部から見てきたものとして、職員レベル割合はこうなる

優:1割:役所制度について熟知しており自分担当外でも適切かつ迅速に当該箇所に引き継いでくれる。利用者の利になる提案職員からしてくれる。

良:1割:役所制度について大まかな触りを理解しており、確認などに多少の時間を要するが最終的には利用客の希望が叶う形に誘導してくれる。

可:3割:自分担当分はそつなくこなせる。担当外のことについては、ここだと思いますのでそちらで確認を~ぐらいの誘導誘導先があっている率4割

不可:3割:分の担当分はギリギリこなせる。担当外のことについては、わからないです。ここじゃないです。しか言えないロボット

ゴミ:2割:何もできない。まともな言葉遣いもできない。基本的に表に出てこないが、他の職員が忙しい際にレアキャラとして登場する。登場したら利用客からひんしゅくを買うだけなので一生封印しておいてほしい

確率論的に可、不可に当たる割合が多いのだからこちから積極的要望を伝えていかないと対応できるわけがないってことです

さらに、良以上は当たり前のように市役所内で重宝されるので窓口業務担当するということもほぼない

赤いきつねCMの件で一番辛い人って

CM制作担当したクリエイター本人だと思う

もしあの手の仕事自分担当していたらと思うと、ショックと責任CM取り下げて欲しいと直訴している

まあ担当者の一存で取り下げられるかどうかは微妙だろうし、せめて責任取って退職するしか無いなって思う


自分が良かれと思って制作した、何ら悪意も無い表現を、沢山の人々に悪意的に解釈され、企業に大迷惑をかけて

自分どころか関わった人達(声優さんとか)まで、人格や外見を誹謗中傷されているとか、絶対責任感じて潰れている

自分みたいなメンタル弱めな人だと、ハッキリ言って自◯を考えるとすら思う

セクシー田中さんの作者さんが、騒動が広がった事に心を痛めて、最終的に悲しい選択肢を選んでしまった様に


今は既に、一企業炎上を超えて、悪意と中傷の火は各所に飛び火している


例えばある所では、擁護派の女性が、批判派のグラドルインフルエンサー?みたいな人に

結婚式写真を晒されて「こんな可哀想な顔だから擁護して男に媚びるしか無いww」

みたいな感じで叩かれて、怒った夫が叩いた中傷者達を訴える、といった流れも発生していて

もう炎上どころか、別の所ですら血肉の争いが発生しているというのが本当にやるせない


批判派の(主に)女性達は、これが本当にやりたかった事なのだろうか?

様々な人を誹謗中傷して、時には社会的若しくは人生破滅する程の追い込みをかけて、平気なのだろうか?

先の晒され虐めリンチの件だって、追い詰められて自◯を選んでも仕方ないぐらいの中傷を受けていた

これも全て、あのCM制作した罰なのだろうか?

それ程までに、罪の重い事を、彼女達は犯したとでも言うのか


「そんなつもりじゃなかった」「私達は意見を言っただけ」では、済まされない

まりにも無責任過ぎる

異常なまでに執着し、批判している女性達、及び彼女らを持ち上げ一緒に石を投げているゴミクズ野郎

お前たちは、人◯しに加担しているのと一緒だ

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん