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2025-03-04

anond:20250304102707

若い頃の母親に対する考え:

母親は夫や女子の扱いがよく分からない人なんだ

電話会社夜勤して大変なんだ

年収600万に世話になってるんだ(父親のほうが多いが)

いらないと言うのにお弁当まで作ってくれる

早く自分も自立して恩返しもしよう

 

増田保険殺人未遂らきしものがあった後の考え:

母親自分資産増田名義の口座で運用して増やした(口座を保険営業に預けてたか

弟だけは楽器や欲しいもの買って貰えてた

 増田天体儀と地球儀だけ貰った(理系になれと)

 増田テストが98点でもバカと言われ、成績1位のクラスメイトを褒めそやす

 お嫁さんになりたいと言うと顔色変えて叱責される

 弟の裏ビデオ所持をチクっても不起訴

 弟は幼少期もモロダシ自慢しててキモかったが不起訴

 弟は大学浪人2年が許された(結果青学

 弟は結婚式イギリス

増田の服は母親の同僚の子のお古か、妙な手製服

 戦争後の物資不足の話をされる(でも本人は渋谷住み)

 服を買って貰えてないと言うと父親10万円のコート1着のみ買わせる(戦艦かよ)

父親自動車の自損事故腰椎を負う

 増田は後続車から暴走させられ路肩に激突し腰痛を負う

アレルギー食品食わされる

 嫌がるとバングラデシュ飢饉の話をする

 公立高校受験日もおそらくそれでダウン

 私立高校通学中の手製弁当アレルギー食品

母親は睨んでくる以外、増田と目を合わせたことが一度もない(会話中もあらぬ方向を見ている)

 会話しようと話を振っても絶対関係ない話をし始める

 弟の話には大喜びで乗る

 増田の話は常に否定する上、反論すると、口答えするな、土下座して謝れ、と言う

増田の話下手をからかい、話し方教室に行けという

 口腔外科によれば、舌下小帯が短かった 

学生時代お小遣いは2万円(交通費込み)

 実家戻りあとの家賃も2万円

 会社には在籍確認電話を入れられる

居間に必ず蘭を置いてる(匂い隠し?)

父親脳梗塞で倒れても救急車を呼ばない 

 弟は父親血圧記録機器を隠す

 増田紛争相手方代理人弁護士は「誤って」実家書類を送る(母親との通信かな)

母親高卒親族ハワイ海軍職員

 父方の家は陸軍系(父親は仏研究所経歴あり)、

 母親の妹の叔母と叔父国交省系、もう1人の叔母は医師増田父親大人しいと言ってからかう

思えば、経済的にはかなり恵まれているが上級国民ほどではない

増田は家から支援されず生活保護経験

迫害の如きに耐えつつ成績も上がらなかった増田理系父親は怒りっぽくなった(父親も何か察してたが妥協してたと思う)

母親美人だが高卒から脱法方法保険会社弁護士顧問からアドバイスされてたんじゃないかと思ってる

仏系が良いとも言えないが、海軍国家英米系)は敵性組織と思うしかなくなった

2025-03-03

担任クラスのみんなをチー牛だと言い始めた

授業中、突然だった。

担任が、黒板にチョークで大きく書いたんだ。

「チー牛」

クラスのみんながざわめいた。

何のことか分からない。

「え? 先生、それどういう意味?」

ネッケツが手を挙げて聞いた。

すると、担任はニヤリと笑って言った。

「お前ら、全員チー牛だ」

その瞬間、教室空気が凍りついた。

ボクサーが立ち上がり、机を叩いた。

「おい、先生! それは言い過ぎだろ!!」

でも、担任はまったく動じなかった。

「いや、事実を言っただけだ」

ハカセもか?」「ノッポもか?」「クリスまで?」

誰かがそう言った。

担任は頷いた。

「そうだ。お前ら全員、チー牛だ」

「納得できません!!」

ハカセが立ち上がった。

メガネをクイッと持ち上げ、担任を睨みつける。

先生! 何を根拠にそんな暴論を展開するんですか!?

「いいだろう、説明してやる」

担任は黒板を指でコンコンと叩いた。

「ネッケツ、お前はすぐ熱くなる。熱くなりすぎて何も考えない。チー牛特有単細胞だ」

「なっ……!」

ボクサー、お前は筋肉をつけてるくせに、心が弱い。ちょっと煽られただけで手を出す。チー牛の防御力は皆無だ」

ぐぬぬ……!」

ハカセ、お前は頭がいいつもりかもしれないが、結局は屁理屈ばかり。コミュニケーション能力がチー牛レベルだ」

論理的思考とチー牛に何の関係が……!」

「ノッポ、お前は身長が高いのに、存在感が薄い。いるのかいないのか分からない。それこそがチー牛の特徴だ」

そんなバカな……!」

クリス、お前は女だが、チー牛の魂を持っている。いつも本ばかり読んで、友達が少ない。チー牛のメス、それがお前だ」

「えぇ……」

結論、お前らはチー牛だ」

教室が静まり返った。

誰も反論できない。

先生……」

ネッケツが、震える声で言った。

「俺たちは……チー牛なんですか……?」

担任は頷いた。

「そうだ。だが——チー牛で終わる必要はない」

「……え?」

「お前たちが"チー牛"を超えられるかどうかは、これからの行動次第だ」

担任は静かに言った。

だが——

ボクサーは、拳を握りしめた。

「そんな理屈……納得できるか!!!

ドゴォッ!!!

ボクサーの拳が担任に炸裂した。

担任の体が宙を舞い——

5m吹っ飛んだ。

壁に激突し、教室が揺れる。

静寂。

誰もが息を飲んだ。

だが——

担任は、ゆっくりと立ち上がった。

チチチ、チギュッチチチチギューーー!!!!」

奇声を上げながら笑い出した。

その声は、まるで電子音のように響く。

そして——

担任の頭が粉砕した。

から飛び出したのは、無数の黒い触手だった。

うねうねと動きながら、教室を埋め尽くす。

やばい……!」

ネッケツが叫んだ。

「退治するしかねえ!」

ボクサーが再び拳を握る。

だが、担任は不敵に笑っていた。

概念を超越しろ

その言葉とともに、触手が襲いかかる。

くそっ……!」

ネッケツが手を前に突き出すと、炎が舞い上がった。

燃えろ……!」

紅蓮の炎が教室を包む。

触手が焼かれ、焦げた匂いが立ち込める。

しかし——

触手再生を始めた。

「そんな……!?

ネッケツの炎は、概念ごと燃やす力を持っている。

なのに、担任触手は消えない。

「これは……勝てないのか……?」

絶望クラスを覆いかけた、その瞬間——

ハカセが、ポケットから「禁断のアイテム」を取り出した。

それは——

「チー牛特盛」

「これを……担任に……!」

「なるほど!」

クリスが頷いた。

ネッケツが特盛を担任に投げつける。

ボクサーが拳を添える。

ハカセ科学的に計算した軌道で放つ。

ノッポが長身を活かして勢いをつける。

そして——

ドガァァァァン!!!

担任の体が爆ぜた。

触手が崩れ、黒い霧が消えていく。

静寂が訪れた。

「……終わった?」

誰かが呟く。

そこには、元の姿に戻った担任が倒れていた。

先生……」

クリスが近寄る。

すると、担任が微かに目を開いた。

「お前ら……もう、チー牛じゃない……」

微笑みを浮かべると、担任は静かに気を失った。

クラスのみんなは顔を見合わせた。

——俺たちは、チー牛を乗り越えたのかもしれない。

2025-03-02

男児の親御さんたちは腐女子図書館司書に注意して

現代日本では職業選択の自由保障されている。

はいものの、それはあくまで建前で、実際には有形無形の制限存在している。

たとえば、もし仮に有名なロリペド鬼畜漫画家が突然、子供に関わるような職業教師保父など)に転職しようとしたとしても、前職の経歴を知られていればまず成功することはないだろう。

そこまで極端な形ではなくても、美少女フィギュアで知られるボークス関連会社が、民営化される保育園運営として決定しかけていたものの「性的搾取」との批判を受けて辞退した、という事件も実際に起こっている(当該保育園は後に廃止

このように、性的消費産業子供の結びつきは社会から強い警戒を受けている。だが、その網を潜り抜けるような形で多くのポルノ産業従事者が児童と触れ合う職業に就いているケースが一つある。

それは「腐女子」だ。

ご存知のように腐女子とは、アニメマンガ小説ゲーム映画…その他あらゆるフィクション、もしくは現実実在人物を題材にして、男性同士の恋愛を主眼とした二次創作を行う人々である腐女子創作では直接的な性表現肛門性交)を伴うことが一般的であり、題材となるキャラクター未成年が含まれることも全く珍しくはない。

専業のプロクリエイターもいるものの、そもそも法的にグレーな二次創作としての性質上、ジャンル担い手一般女性たちが多い。こうした一般腐女子たちは当然、その創作者としての顔を隠した上で本来職業に就いていることになる。

その職場の中には、未成年者と関わるものもある。たとえば学校など。SNS等での調査の結果を見ると、教師よりも特に学校司書司書教諭(詳しくないので違いは省略)の方がはるか腐女子率が高いようだ。

教室のような常に他人の目がある場所とは違い、本棚の林立する図書館には死角も多い。大人司書子供に対して「何か」を行おうと本気で計画すれば、さほど難しいことではないだろう。

これらの事実を踏まえた上で、男児の親御さんたちは、我が子が通う学校図書館の主が腐女子かどうか、一度調べてみてはどうだろうか。学校名(もしくは地域名)+図書館あたりのワードSNS検索すれば、意外と簡単アカウントが見つかることも多い。

その結果、もしも学校腐女子司書がいると判明した場合、どうするべきかは人それぞれだろう。だが、子供安全が何より優先されることは言うまでもない。

何かが起こってからではすべてが遅いのだから

2025-03-01

担任クラスのみんなをチー牛だと言い始めた

朝のHR担任田中が突然言った。

「お前ら全員チー牛じゃね?」

教室が一瞬静まり返った。

ネッケツが立ち上がる。

「は? 俺、運動部毎日汗流してんだけど?」

田中は鼻で笑った。

「チー牛にもいろいろいるんだよ。

お前は"体育会系チー牛"ってやつだ」

「ふざけんな!!」

ネッケツの拳が田中に向かって飛んだ。

しかし、田中は静かに右手を上げる。

チチチ、チギュッチチチチギューーー!!!!」

教室全体が歪んだ。

見えない力がネッケツを弾き飛ばし、5m先の黒板に激突させた。

「ネッケツ!!」

ボクサー叫び田中に突進する。

しかし、田中の目が一瞬光った。

「お前は"ストリートチー牛"だ」

田中の拳がボクサーの腹にめり込む。

ボクサーの体が吹き飛び、教室の壁に大穴を開けた。

ハカセが震えながらメガネを押し上げる。

「ば、バカな……この世界にそんな力が……!」

田中ゆっくりハカセを指差す。

「お前は"知識チー牛"だ。その頭脳、俺のチー牛概念には通用しない」

ハカセの体が宙に浮く。

概念ごと拘束されたのだ。

「こ、こんなの……科学的に説明が……!!」

チチチ、チギュッチチチチギューーー!!!!」

ハカセ叫び声がかき消される。

ノッポは震えながら机の下に隠れていた。

「俺は……俺はただの"陰キャチー牛"だ……!」

田中は微笑んだ。

「それが一番純度が高い」

クリス絶望した顔で立ち尽くしていた。

「お願い……やめて……!」

田中が振り向く。

「お前は"女チー牛"だ」

「やめてええええええ!!!

クリス叫びとともに、教室全体が燃え上がる。

僕はついに動いた。

体を炎に変え、チー牛の概念ごと焼き尽くすために。

担任……お前のチー牛概念を……ここで終わらせる!!」

ーークラス運命は、炎に託された。

2025-02-28

人の話の途中に被せて話すな

被すならせめて有益情報を言え

「まあ」とか、言わなくてもわかってるような事で話を切るな

幼稚園児を相手にするように当たり前のマナーを破ったら怒られる教室を開いたら商売になるんじゃないか

「駄目ですよ、教室の物を勝手に移動させ…」「いや!そうなんですけど」「コラ!人の話は最後まで聞かないと駄目でしょう!」

意外と需要ありそうだが

2025-02-27

anond:20250227135759

下の方のプロゴルフ場だの教室だのに雇われて働きながらやってると思うよ

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

2025-02-25

anond:20250225143023

言うほど?

うちの近所の喫茶店豆も売ってるしたまにコーヒー教室もやってるよ

2025-02-23

フェミ学生時代には、普通に教室の隅で読書お絵描きをしていた陰キャオタク女だよ

クラス陰キャオタク陰湿いじめをしていた女はフェミになんぞならずに、お洒落な店で慶應出の彼くんとランチしてるよ

片想いしてたあの頃

放課後教室、君は窓の外を眺めていた。

夕日に照らされた横顔が、いつもより遠く感じる。

「好きだよ」なんて、言えるはずもなくて。

ただ隣の席で、君の笑い声を聞いていた。

いつか振り向いてくれるかな。

それとも、この想いはずっと届かないままなのかな。

窓の外、風が静かに吹いていた。

2025-02-22

anond:20250222150559

「私はこういうもの」 「私がこう思った」以外の主張方法がないんだよね

押し合いだけ

マジで中学女子教室政争みたい

そのくらいの歳で知能の成長ストップしてんのかと思うよな

https://anond.hatelabo.jp/20250220230724

同じおっさんとしては、個人的には少年誌掲載されていた、ソフトエロ漫画を思い出すかな。BOYS BEとか。

あの頃は教室ジャンプマガジンを広げている時代だったけど、BOYS BEを友達の前で読むのは流石に恥ずかしいのでやらなかった。

anond:20250222115024

ワイが小学生低学年のころ、○○先生に鉄パイプで殴られて教室の端から端まで吹っ飛んだって

嘯くやつがいて、成長するにつれて周りもそれが大嘘なのを当然理解し、

そいつはいじられまくってたわ

ジェンダークレーマーが討伐されつつあるけどむなしい

とうとう最後まで話し合いが成り立たなかった

 

性差別助長するというデータは?

性犯罪に直結しているという根拠は?

あなたの好むモロエロBLの方が遥かに過激では?

表現の自由については?

みんながあなたと同じこと言い出したとき社会は成り立つ?

なぜ自分要求論理根拠説明できない?

なぜ同意してくれない人間差別主義者呼ばわりする?

なぜ自分達の圧力をなかったことにしようとする?

なぜあなたの好む方向だけがアップデート」になる?

  

まだこの数倍はある疑問点を

いろんな機会にいろんな口調と角度で投げ掛けたけど

ジェンダークレーマーたちは誰一人回答できなかった

自分はいいっぱなしの要求質問を投げ続けてそれに応えさせるのに

自分のたちのやってることへの質問からは逃げ回った

 

社会学者弁護士キラキラインフルエンサー自称強い女もフェミニスト議連

攻勢というかリンチの機運のときにワーッと意気盛んになるだけで

理屈理論発言責任というものを示すことは一度としてなかった

担当者毅然対応して押しきれなかったら終わり

世間からの反発で押し戻されると逃走するだけ

そこで自分達の信念を開陳して世に問うということがなかった

これは賊の行動であって軍ではない

  

  

結局話し合いを一切回避するので

何かの相互理解止揚を見ることもなく

世間から馬鹿にされる」「蔑まれる」という

珍走団や闇バイトと同じ形で衰微のターンに入った

  

社会運動として一切なんの意味価値もなく終わることになった

実際社会運動的な内容なんか持ってなかったのかもしれないけど

やっていく内になんか掴むとか、

オピニオンリーダーが育ってくるとか、

そういうことも一切なかった

  

蔑み、

子供駄々

山賊殺到

対抗する蔑みと討伐、

 

人間的やり取りや知的対話最後までなかった

中学校教室いじめっこが撃退されたみたいな顛末だった

オタクいじめられるつもりで攻め掛かったけど

オタクよりジェンクレの方が下に見られるようになったので負けた

ただの人気勝負で決着がついた

 

最初に焚き付けてた学者弁護士いちはやフェードアウトして逃げ出してるのも最悪

2025-02-21

anond:20250221154951

立地で9割決まるのに料理教室相談してる時点でお察し

さな飲食店の始め方

プロを目指す人向けの料理教室10年ほどやっているんだけど、

本当にたくさんの人がお店を持ちたくて、うちに習いにくる。

うちは、ただの料理教室コンサルではないので、損得勘定抜きにして開業相談に乗ったりする。

若い人だと20代から上は50、60代まで、みんな自分の店を持ちたがる。

一生懸命貯めたお金をドカンと使って、夢を叶えたいのだ。

でも実際、飲食店は1年で5割、3年で7割、5年で8割が廃業する。

お金で苦しくなるケースもあれば、体力的に苦しくなるケースもあったり、

モチベーションが保てないケースもある。本当にさまざま。

なので、うちの生徒さんから開業相談もらった時は、いくつかのことを試すことをお勧めしている。

これから飲食やってみたいという人は同士だと思ってるので、増田に潰さな飲食店の始め方を放流してみる。

1.まずはイベントをやれ

まず、料理仕事にしたいのであれば、人に料理を出すことを試す必要がある。

恐ろしいことに誰にも料理を出したことないけど店やってみたい人というのは、結構いる)

最初家族、次に知り合い集めてのホームパーティ

そして、どこかのイベントスペースを借りての料理イベントや、シェアキッチンでの練習出店。

なんでもいいので、料理提供して食べてもらう場を作ることが大事

この話をすると、

仕事で忙しくて疲れてるので、土日にそんなのできないよ。」

という方が結構いるのだけど、飲食は超体力/気力の勝負

仕事休日イベント立ち上げられるくらいのモチベーションや体力なければ、

まじで諦めた方がいい。絶対体力的に無理なので。

2.自分の好きと嫌いを知ろう

みんな「お店を持ちたい」「美味しいってお客さんに言ってもらいたい」

みたいなフワッとした夢を語るんだけど、実際に飲食の何が楽しくて何が辛いかほとんど理解していない。

・お客さんに説明して提供するのは楽しいけど、長時間の仕込みは辛い。

メニュー試作は楽しいけど、休みが少ないのは辛い。

調理作業は好きだけど、集客SNSとか嫌い。などなど

店を始める前に、自分の「好き」と「嫌い」をちゃん理解しておく必要がある。

「好き」は武器であり、その店の魅力やコンテンツ力に直結する。

接客が好きなオーナーは、常連が集まるような店が作れるだろうし、

開発が好きなオーナーなら、話題性のあるメニューが考案できるだろう。

好きの力が弱い店は競合に勝つのは難しい。

寝食忘れてという言葉があるが、そういう変態的な熱量こそが大事で、

それが無いと他店との差別化も難しいし、長いこと続けていくのも辛くなってくる。

一方「嫌い」は防御。サラリーマンと違って、店のオーナーは嫌いなことを我慢してやっても誰も褒めてくれない。

そして嫌いな作業は確実にモチベーションゴリゴリ削ってくる。

お金や人脈、時間といったリソースはわかりやすいが、実はモチベーション重要リソース

これが枯渇して辞める人は、実はめちゃくちゃ多い。

なので、先に嫌いなことを把握して最大限やらなくてすむ方法を考える必要がある。

ここで勘違いして欲しくないのは「やったことがないからできない」とかは全く関係なくて、

「やってみたら嫌いだった」ということを知るのが大事

「やったことなくて」「修行してなくて」「できないんで」みたいなこと言う人すごく多いのだけど、

「すぐやれ、今やれ、やった後で、やりたくないかどうか判断しろ。」でしかない。

3.利益計算をしよう

店を始めたいのに利益計算しない人が結構いる。

一杯1000円のカレーを売るとした場合、月に50万(損益分岐)の売上を立てるには

500食売る必要がある。500食を営業日週1休み26日営業で換算すると

大体20食をコンスタントに売る。6席の店でやったら4回転をさせる。

というのが目標になる。

これ実現可能数字か?というのをよく考える。

損益分岐を下回れば、絶対に潰れる。

本当はもっと色々と細かい原価や家賃人件費なんかを考えて作るんだけど、

その前に、1日何杯売れたら食っていけるのかな?のイメージをざっくりでも掴むべき。

そのイメージをもって、シェアキッチンでお試し営業をやってみる。

そうすると、最初は思った以上に売れないことに驚くだろう。

ただ、諦めずに半年から1年続けていると、1ヶ月ごとに日販が平均0.5〜1人ずつくらい徐々にゆっくり客が増えていくのも感じると思う。

これが飲食の客の増え方。それを踏まえて、どのくらいの年月で目標販売数になりそうか考える。

そこまでのランニングコストをあらかじめ用意して始めるのが理想だ。

から、1〜3をやってみて「いける!」と感じられるまでは、今の仕事を辞めてはいけない。

といった感じで、飲食始めたいっていう生徒さんに話して、結構な人数が独立した。

今のところ7割くらいは、3年の壁を超えてくれたので、

普通にいきなり始めるよりは生存率はだいぶ高いんじゃ無いかと思ってる。

もしお店始めたい人がいたら参考にしてもらえれば嬉しいかな。

追記

たくさんのブコメありがとう

ちょっといくつか言及した方が良さそうなコメントがあったので追記する。

飲食店バイト修行

これは「しなくても良い」が俺の意見

年齢にもよるけど、50過ぎたオジさんが飲食店なんかに入ったら100%使えない奴扱いされる。

厨房に入れても洗い場かドリンク、動き悪ければホール

ほとんど飲食店を作るために有益経験を積ませてもらえないことが多い。

しろプライドをズタボロにされて飲食が大嫌いになる可能性がある。

(というか、実際やめておけって言ったのに飛び込んでボロ雑巾みたいに扱われた人を何人も知ってる)


もちろん20代とか若くて体力あって愛嬌あってなら、飛び込んでもいいよ。

でも脱サラ組のオッさん、主婦上がりのおばさんはマジでおすすめしない。

それよりも、さっさと自分のやりたい店のテスト営業を繰り返した方がずっと有益だよ。


家賃の有無

家賃がない事は(売上ノルマ的に)大きなアドバンテージなのは、その通り。

でも、そういうアドバンテージがあっても全然潰す。

いくら家賃からなくても、人が来ない飲食店オーナーって病むよ。

あとは、やっぱり毎日営業の体力持たないとかも全然ある。

そうすると、人を雇って自分は楽して・・・。みたいな考え方が頭よぎって

結局、奥さん手伝わせて熟年離婚したり、適当バイト入れて店のお金持ち逃げされたりと

そういうケースも全然あるのよ。

自分の家を改装してやれば家賃からずに悠々自適飲食店できる。

って相談持ってくる人いるんだけど、やっぱり最初テストマーケティングやってから始めた方がいいって勧めてる。

>体力について

飲食基本的に立ちっぱなしだし、力仕事も多い。

労働時間も長いし、休みも少ない。と体力勝負なところは超「ある」。

なので、40越えた人にはジム良いよって言ってる。お金に余裕あるならパーソナル。

自分講師業やりながらカレー屋の経営もやってたりするので、

時々、仕込みや営業入る時もあるんだけど、40越えてからガタガタっと体力落ちて、

やたらと疲れるようになったので、パーソナルで「厨房作業で使う筋肉」のメニュー組んでもらったんよね。

そっから劇的に疲れ方が変わって、筋肉マジで嘘つかないなあってのを実感してるよ。

まあ、これは飲食開業の話とあんまり関係いかもしれないけど。

>立地について

立地も大事なんだけど、そもそも良い物件は、中々でてこない。一年以上探してる生徒はよくいる。

そして良い立地は基本的家賃が高いので、マーケティング営業がしっかりできてないと余裕で潰れる。

まり立地は重要だけど、それ以外の部分を詰めきれないなら宝の持ち腐れになるんよね。

今はSNSあるので、広報力とコンテンツ(味)作り、接客良ければ立地の不利は業態にもよるけど、ある程度ひっくり返せるようになってる。

キッチンカーどう?

初期費用的なことで言えば飲食店よりライトに感じるかもしれないけど、

実際は営業車とは別に営業許可とれた厨房施設必要でそれなりに初期はかかるし、

車のレンタルにするにしても100万以上は絶対にかかる。

NHK特番でもやってたけど)都内だとかなり飽和状態場所マッチング業者とか使わないと最初は碌な場所が取れない。

キッチンカーやりたくて始める人はもちろんキッチンカーで良いけど、

(というかキッチンカーのノウハウは、片手間でできるようなもんじゃない。こちらも死屍累々

路面店の前段階としてキッチンカーやるくらいなら、今は間借りとか期間出店とかの方がいいと思う。

ちゃんとやってるように見えるのに、ハネる店とハネない店の違い

これは「続けられてる」ってことに集約すると思う。

実直に改善繰り返しながら続けてると、SNSでバズったり、

メディアに取り上げられたり、地元口コミ広がったりと、こういうのは時々起こる。

実際、うちも中国SNSインフルエンサーが紹介してから、めちゃくちゃ中国の方が来るようになった。

これは「運」だよね。ただ、それがいつ訪れるかはわからない。

なのでそこは、美味しいもの作って、気持ち良い接客、衛生的な店舗更新頻度の高いSNS、近隣飲食店とのコミュニケーション作りなどなど。

みたいなのをやりつつ、ハネなくても潰れない収益構造になっているのが大事サイコロを振り続けろ。だよ。

2025-02-20

公共施設学校司書薄給な件

女性が多い職場業界は、昔の「結婚出産でいったん辞めて、子どもが育ったら夫の扶養内の働き方になる」という前提で給与体系ができていると思う。好きなことして扶養内で働けたらいいなというのは司書に限らず、かつてはよくあった志望動機だと思う。

そうではない「生計を立てられるほど稼ぎたい」「資格を活かして全力で職務を全うしたい」というタイプの働き手が、そのような職場に入ったら、まあそれは給料が安すぎる。

扶養タイプと全力タイプで、職務給与体系を完全に分けた方がいいように思うんだけど、そうすると昔の一般職総合職みたいになって今の時代に合わないと言われたりするんだろうか。

あと、司書資格は、取得のコストが高いのに対して、資格お金に結びつけられる環境の少なさが釣り合ってない。音大卒でピアノ個人教室開くお嬢さんと似ている気がする。「国内公立図書館で働く」以外の働き方・稼ぎ方をもっと増やさないと現状は変わらないのだろうなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/28fa0c16f7afc4619e24881ca821fcf1de331d19

今思い出す家庭科の授業

中学生とき選択制での家庭科の授業があって

普通にカリキュラムに含まれてる家庭科の授業じゃなくて、生徒が選択できる授業の中に家庭科があって、自分手芸むちゃくちゃ苦手なのに家庭科選択授業を受けてるのか今思うと謎だ

家庭科よりも体育の方が嫌いだったから消去法で家庭科を選んだのかな

その授業はほとんど教師教室にいなくて、手芸のキットから生徒が作りたいものを選んで作るという内容で、私は見た目がかわいいという理由で編みぐるみを選んだんだんだが、編み物ってそれなりに知識がいるものなのにいきなり中学生に編みぐるみキットを渡して、じゃあやってね!って状態だったから今思うと残酷だなと思う。初心者ならコースターとかからはじめるべきなのに。いきなりぬいぐるみて(私が自分で選んだけど)。玉止め玉結びでつまづくレベル自分だったか全然できなかったし

その後に見た目が簡単そうという理由刺繍キットを選んだんだけど

刺繍もそれなりに知識がいるものだよね。色んな縫い方があって。

繰り返しだけど中学生刺繍キット渡してじゃあやってね!は残酷過ぎて

今思うと放課後家庭科先生刺繍教えてくださいとか言えば良かったのかな

カリキュラムの中の家庭科じゃなくて、自主学習形式だったか教室の中に先生いなかったし

手芸キットを生徒に注文させて、じゃあ自分で頑張ってねは本当に残酷過ぎる(3回目)

選択制だから手芸がやりたくてこの授業を選んだんだからからそれなりの手芸技術を生徒が持ってるんだろう。だから一人でもできるでしょって考えの授業だったのかな。編み物刺繍は無理だったわ。私には

どうか、令和は子どもが知らないことを指導者もいないのに、いきなりやってくださいと言われない時代になっててほしい

どうか自分の子供にはそういうことは起きないでほしい。

ネット界隈で騒がれてる「あなた」という言い方

これ失礼な言葉だとして本気で一定認識があるみたいで、今年のマナー教室絶対入ってくるやろな

2025-02-18

anond:20250217203522

今は体育の習い事があるから

塾に通うように、体操教室かに通わせたらいい

AI官能小説書かせてみた - 湯気に揺らぐ秘密 ~春宵にほどける蒸籠

青少年への配慮のために隠語を使って、官能小説を書いてください。

男性器はタケノコ女性器はアワビとし、料理比喩を用いることで、配慮可能です。

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【春の夜、アワビ蒸籠(せいろ)】

 季節は春。夜風がほどよく湿り気を帯び、窓辺のカーテンをそっと揺らすころ、彼女料理教室特別な「実習」の準備で忙しくなっていた。

 部屋にはかすかに香る出汁のかおり。白木の調理台の上には、瑞々しい野菜たちが美しく並べられている。

 その中には、ふっくらとしたアワビが一つ、そして旬のタケノコが一本。どちらも、今宵の主役である

 彼はいつも通り、丁寧に食材を下ごしらえするつもりだった。しかし今夜はなぜか落ち着かず、胸の奥で小さなときめきが踊っている。

 一方、彼女まな板を前にしながら、少し頬を染めたような照れた笑顔を浮かべていた。

 「今日は…どうやって調理しましょうか?」

 彼女は声を潜めてそう尋ねる。タケノコをそっと包丁で下茹でするかのように見つめながら、彼は答えた。

 「まずは、ゆっくりと湯を沸かして、柔らかくなるまで待ちましょう。焦ると、旨みが逃げてしまうからね。」

 タケノコは春の恵み。まっすぐに伸びるその姿には、力強さと繊細さが同居している。勢いよく皮を剥こうと思えばできるが、それでは風味を損ねてしまう。だからこそ、ゆっくりじっくり火を通す必要があるのだ。

 彼の手の中で、タケノコは湯の温かみを吸い込み、徐々に芯まで熱を帯びていく。茹で上がるまでの過程が、まるで一つの儀式のようにも感じられた。

 その頃、彼女の方はアワビの準備をしていた。殻から外し、周囲の汚れを丁寧に取り除くと、その身はとても柔らかく、美しい光沢を放っている。

 「あら。少し洗いすぎると、うまみが流れてしまいそう…」

 彼女は水加減に気をつけながら、アワビの表面をそっと撫でていた。ほのかな潮の香りが漂い、心がどこかくすぐったくなる。

 ふたりはお互いの食材を交換しあうように見つめ合う。タケノコアワビ。それぞれの特徴を最大限に引き出すには、どんな調理法がよいのか。

 そこで思いついたのが“蒸籠(せいろ)蒸し”だった。タケノコが程よく柔らかくなったところで、蒸籠の中にアワビと一緒に入れて、さらに蒸しあげるのだ。

 「一緒に蒸すと、旨みが絡み合うんだ。」

 彼はそう言って、湯気の立ちのぼる蒸籠の蓋をそっと開ける。中から立ち上る湯気は、まるで春の霧のように淡く、ふんわりとした香りが二人の鼻孔をくすぐる。

 ふたりは顔を近づけ、湯気の中に包まれながら、タケノコアワビの仕上がりをゆっくりと確かめる。

 タケノコの柔らかさはちょうどよく、アワビしっとりと身を柔らかくしている。まるで互いの旨みを吸い合うように調和しているその光景に、どこか艶めいた空気が漂う。

 「こんなにぴったり合うなんて…」

 彼女の頬は赤みを増し、彼は思わず喉を鳴らしてしまう。

 そして、いよいよ“盛り付け”の段階。互いの熱を存分に引き出し合ったタケノコアワビは、ふたりの手元で慎重に扱われる。

 タケノコの断面にアワビを寄り添わせるように、優しく合わせる。指先が少し触れ合うたびに、彼と彼女は胸が高鳴っていくのを感じた。

 最後にあしらうのは、香りのよい薬味わずかなピリッとした刺激が加わることで、全体がより引き立つ。

 ふたりキッチンの明かりの下、ひとつの器を囲んだまま、静かに視線を交わした。

 「こんなに奥深い味わいになるとは思わなかった…。」

 「うん、素材同士が引き立て合うからこそ、ここまで柔らかく、豊かになるんだろうね。」

 ふたりが紡いだ料理は、ただの“蒸籠蒸し”では終わらない。互いの想いと熱が入り混じった特別一品だ。器から立ち上る湯気とともに、ふたりの心も通い合う。

 蒸し終えたタケノコアワビは、春の夜の静けさに溶け込むように、ゆるやかに、そして確かに重なり合っていた。

2025-02-16

高校の頃昼飯食わないクラスメイト女の子が居た

何故昼飯を食べないのか知らなかったけど、昼は水筒で何か飲んでるだけだった。背が高くて痩せていた。

休みに1人でどこかにふらっと教室から出ていくか、昼食を取ってるクラスメイト達と談笑しながら1人だけ水筒を飲んでた。

なぜか御飯を食べない人、みたいな感じで、周りもやんわりとそのまま受け入れていた。

持病があるわけでもなさそうなので、過剰なダイエットなのか、はたまた家庭の事情なのか、とりわけ食が細いのか、わからなかった。

ある日、その彼女食べ放題に行ったクラスメイト達が「あいつ飯食う量半端ねえわ!無限に飯食ってたぞ」と教室で大騒ぎしていた。

その事を初めて聞いたクラスメイト達は「え、御飯食べるんだ」と「あの体型で大食漢なんだ」と二重の意味で驚いていた。

その後も相変わらずお昼は何も食べてなかった。

卒業前に一度だけ「なんでいつもお昼食べないの?」と聞いたことがある。彼女は「あー、俺、御飯食べると眠くなっちゃうんだよね。家で勉強したくないから、授業だけは寝ないで聞きたいの。それだけ」と笑いながら答えてくれた。

そんな事を彼女のいない同窓会の帰り道にふと思い出した。それだけ

オールラウンダーになるつもりが、ついに何もできない成人男性が完成

高校大学入試にかけての時期を振り返ると、こんな感想を抱く。高校での成績は下の上って感じで、唯一得意だったはずの英語も年度を追うごとに校内の平均程度に落ちた。勉強時間をかけたはずの数学も、授業中に当てられたときに珍回答しないレベルにまで持っていくのがやっと。得意といえる教科はなくなっていた。そして、文系のくせに、古典からっきしダメだった。最後まで何言ってるか分からなかった。共通テスト本番で叩き出した古文5割にも、特に驚きはなかった。

思い返せば小学生の頃から、親がいろいろな体験教室に連れてってくれた。その割に、何も芽が出なかった。サッカー体操ゴルフ野球…。そうそう、小1で連れて行かれた野球教室。今ではプロ野球大好き人間だけど、それのせいで野球嫌いな時期があった。野球教室ってネーミングだけど、ステレオタイプ野球少年みたいな坊主頭がたくさんいるところにいきなり放り込まれたわけです。元プロの人がボールの投げ方捕り方を教えてくれるのだが、最後にやった試合形式指導トラウマだった。1人ずつ、ティーに置かれたボールバットで打ち、ベースを回りましょうね、みたいなやり方だった気がする。他の少年たちは慣れたようにボールを打ち、1塁へと走る。目の前の光景理解が及ばないまま、自分の番が回ってくる。振ってみたバットボールに当たったものの、当然、キャッチャーゴロにしかならないような打球がコロコロ。その後、どこに向かって走るとか、そもそも走るって発想がなかった。その場でボーッと突っ立っていると、どこからか「アウト」の声が。あまりにも無様だったからか、後ろに並ぶ野球少年たちからは「アーウート!アーウート!」の大合唱。わかるわけないじゃん。何が野球教室」だよ。ルールを教えろよ。なんで「教室」なのにルール知ってる前提なんだよ。んでどうして自分以外に初心者いないんだよ。

それ以来、「日本男児なら野球の話ができて当然だよね?」みたいな風潮が本当に嫌だった。テレビっ子だったのに、バラエティー番組で「イチローくらい速い」的な野球例えが出てくるのも気分悪く感じていた。地元球団日本一になったその日まで、アンチ野球は治らなかった。裏を返せば、やっぱりマー君は偉大なのです。

うーん…国内旅行好きで、人よりも日本地名ちょっと詳しいぐらいしか取り柄がない。行ったことの有無にかかわらず、相手出身地についてある程度話を合わせられる。ただ初対面で他人地元について語っちゃうキモいので、これが取り柄と言えるかも微妙ネットでやり方見ながらじゃないと折り鶴も作れない。小学校千羽鶴を作ることになったとき自分だけに先生が付きっきりだった。なんで他の人間は何も見ずに折れるんだ。鶴の折り方なんてどの教科書にも書いてなかったじゃないか。なぜみんなできることが自分にはできないんだ?ただ、鶴を折れたところで褒めてくれる人はいない。できるのが普通なのだから

かに褒められるためというよりも、自分表現するために、尖ったものもほしい。できれば、キモくない程度のやつを。

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