はてなキーワード: 新卒とは
友人とは大学からの付き合いで、卒業後も関係は途切れず続いていた。
俺は友人が少ないが、友人も友人が少なかった。
だから在学中はほぼ一緒に居て、いつも一緒に馬鹿をして遊んでいた。
やりたいこともないのに働くなんて馬鹿らしい
そんなことを酒の席で言っていたことを、俺は今でも覚えている。
俺は新卒で正社員となり、友人はぷらぷらと働いた。バイトやアルバイトを繰り返していたらしい。
20代の頃はそれでよかった。俺も友人もまだ若くて、仕事終わりでも全然疲れてなくて、合流して飲みに行くなんていうのもよくあった。
俺はしんどいだからもなんとか会社にしがみつき、辞めたくなることは何度もあったがそれでも耐えた。
友人は、好きでもない仕事をどうしてそんなに続づけるんだ?とよく聞いて来た。
俺は曖昧に答え続けた。実際、友人の言葉には真理があったのだ。だからこそ俺は深く考えようとは思わなかった。
なんとなくとか、喰ってくためには仕方がないことだろとか、大人なんだから毎日朝から働くのが当たり前なんだよと、俺は友人に行った。
友人はそんな言葉は馬鹿げている、と言わんばかりに笑う。大いに笑う。酒の席の言うこともあるだろうが、友人は俺の言葉に屈託のない笑みを浮かべ、、笑い声を上げ続けた。
つまんねぇ人生だな、それ。と友人は酔いつぶれる前に何度も何度も俺に言った。
友人は小説家になりたかったらしい。そんな話を聞いたのは20代も後半、アラサーに近づいてきた時の飯の席だった。
友人は本当は昔から小説家になりたかったのだということを酒の席で訥々と語った。
言い切った友人の目は、顔は輝き、自信に満ちていた。俺は友人の邪魔をするようなことをしたような覚えはない。
友人は引っ越した。他県。と言ってもそこまで遠くではない。その土地で、なんでもゲーム会社に採用試験を受けに行き、そこでポートフォリオとして渡した掌編小説の出来が良かったのか、彼はその場で入社が確約された。
友人は非常に驚いていたよ。そして喜んだ。嬉しい...とその声も表情も控えめながら、今後のことが気になっていた。
ものごとはトントン拍子に進んででいき、引越しを済ませるとその会社に勤めることとなった。
俺の方は相変わらず。同じ会社の、同じ職場で、今は経理の仕事を行っている。特筆するようなことはなく、トラブルなく日々安静に過ごせていてれば上出来だ。
それに給料も悪くない。年功序列のため俺の給料も今では結構もらっている。ボーナスだってある。金に対する不自由は、大人になるにつれますます減少していっている様に感じられた。
気付けば三十代。俺たちは三十代になっていた。
友人は入社したゲーム会社を3カ月ですぐに止めた。合わなかった、と友人は言った。そういうところだったんだよ、と友人は言い、同期で1カ月で辞めたやつも居たといった。
俺は友人が心配になり始める。
だがそれでも、彼はそこで結果を残すことが出来ず、何もやり遂げられなかった。
NULLといった箔がついただっけだ。
俺の方は一応は万事順調で、というのは目立ったトラブルがないと言っただけの意味なんだげ、それでもトラブルがないというのはいいものだ。
仕事は一応順風満帆で、役割も年収も上がり続けている。社内で頼られることも多くなり、悪い気分じゃない。
だが友人には友人が俺しかいない。友人はプロジェクトの遅延の責任を取らさせ、席が無くなり、休職した。
この頃から友人は精神的に不安定になり始め、以来ずっと睡眠導入剤を飲んでいたという。だだ薬のデメリットとして聞かされていた健忘の症状は面談のときに医者に行っても「大丈夫だから」として取り合ってもらえないとのことは何度も聞いた。
処方箋を受け取るときには薬剤師さんから薬について気になることがあるか、聞かれる。その時友人は例の、クリニックの先生に健忘的な少々があらわれているのですが、と話したところ大丈夫だからとそれだけでした、と話した。
薬剤師さんは神妙な顔をして、このドラックストアの向かいに立つビルの中にあるメンタルクリニックに対して目を向けるようにそっと向こうを見つめてから「別のお医者さんを探した方がいいですよ」と言ってくれたそうだ。
友人は休職していた。休職し続けていた。自律神経失調症。そう名付けられた病名は思いのほか厄介で情緒不安定、不眠、息苦しさなど、それらが友人の身体を蝕み、精神を追い詰めた。
彼は自宅では小説を書いているのだという。
今なら一人で、ゆっくりと、時間も気にせず本当に書きたいものが書ける。
友人には元々センスもあった。昔、彼が文藝賞に送った作品は最終選考まで残ったことがあった。
自分の掌編をポートフォリオにし、シナリオ会社の求人を受けるとすぐ受かった。
彼はリモートでアニメスマホゲーム、アニメ関連、映画の一部シーンについて、Vtube関連の仕事など、ごくよく知られている数多の作品と関わり、些細ではあるがそのごく一部を担当するようになっていた。
その話を聞かされた時、俺は素直にすげぇと思った。
自分が知っている作品も数多含まれていたし、未経験でここまでの作品と携われるとは。
小説書いてただろ、俺。と友人が自信混じりに言う。
それでもこれは…すげぇな。と俺が言うと、友人は「人間誰しもが一つは才能があるっていうだろ。だぶんおれはそのひとつがこれだったってだけの話だよ」
友人は笑っていた。快晴の天気の雲の下。夏のような水びやかな笑顔。
友人は休職を続けていた。既にシナリオ会社は辞めていた。今の、ゲーム会社に入るために退職したのだ。
彼は今、休職中に小説を書いている。中編、掌編も書き、それぞれのものに応募もしているという。
手応えはない。返信はない。何もない。あるのは惨めな自分とこの狭い1Rの部屋のみ。
他に何もない。
そんなことないだろ。
と言ったやりとりを繰り返していた。週一で、友人とはスマホで通話をしていた。
まだ元気な様子だった。でも先日は少し違っていた。
少し働いてみたらしい。飲食の簡単なアルバイト。尤もきつかったのは休憩時間と、そのスペース。
一応楽屋のようなものがあり、周りは若い子ばかりで40前のおっさんとは当然話が合わず、向こうも何を話していいのか分からず、完全な場違い感。
話しかけてくれるやさしいこと友人はよく話すそうだが、たまに詰まると言葉が止み、帳が下りたように空気が一気にどっと暗くなる。
近くの子たちが週活動するか、新卒でどこに入る?と言った話をしており、全員がそれに加わって新卒、就活の話になる。給与の話になる。
友人は居た溜まれず、逃げ出すように外に出て、寒空の中コート一枚を羽織り歩く、
自分は今何をしているのだろうか。
本当であればこの歳の人間は結婚して子供もいて、それなりに裕福で、家庭があり、明かりがあり、そして愛があるはずなのだ。
自分はただ小説家として、世界を見る”目”になりたかった。それだけなのに、目のはずの自分を世界に入れてしまって幸せを得たい、なんてことを考えたのが間違いだったのかもしれない。
ただそれでも、敗北を認めることになるのであったとしても、一度はそういったものの悪くないなと思えたし、実際に結婚して子供をもうけてうるさくて静かに読書も出来ない環境で、でもそんな環境をこれまで溜めてきた何百、何千といった本からは、決して得られない、得ることのできない幸福が存在するのだと、俺は知ったよ。でもそれを知るには、遅すぎだ。そう,,,,本当にもう遅すぎたんだよ。だから、もう、疲れたんだ。
友人の死を知ったのは一昨日の事。
友人の遺書は突銭送られてきた。
未だ気持ちの整理がついていない。
どうしてこんなところにかいたのか。
俺も友人が少ない。だからはけ口がとにかく欲しかったのだと思う。
おそらく酷い文になっているだろう。
それでも書かない訳にはいかなかった。
これは現実で、実際に合った話で、俺はそれでもまだこの友人のことが忘れられない。
あと三ヶ月くらい働かされる。
繁忙期が年明けから年度末まであるから、今辞められたら職場が破綻すると言われている。
私は現職は2年半働いた。技術職の専門職で新卒で入社した。年収は500万台後半をもらえている。しかし、9月に限界が来た。
社内にノウハウのない業務をほぼ単独で任されて、その成果物をパートのおばちゃんでもできると発注者に詰められたからだ。
それまでの上司のフォローはあんまりなかった。提出する資料の確認を頼んでもいい加減で、そのくせ提出間際になってちゃんとチェックし出しボロクソにいい、深夜まで修正をさせられる。
そういったことが数回あった。また他にもいろいろとイライラすることがあった。例えばインターン生がきたら、業務に全く関係のないエクセルのデータを一週間させていた。私の後輩に対しその人の直属の上司が何時間詰めてても見ていないふりし私がそのことを訴えたらパワハラアンケートに書けばいいじゃんとかいっていた。自分以外の人間が辛い目に合っているのが辛かった。
そういうことがあり、勢いで転職活動を受けたらとんとん拍子に内定が決まった。しかも現職より売り上げもよく、優秀な人が多い職場に内定をもらえた。私は吃音があり学生時代まともに喋れなかった。またADHDがあり、会話が下手でケアレスミスが多かった。しかし、仕事をしていくうちにその辺が解消されてきて、なんならコミュ力もあるし技術力も高い優秀な人間になれたと思う。パートのおばちゃんでもできると言われた業務もなんとかこなせた。部署の飲み会の幹事もなんなくこなせるようになった。ADHDもなぜか改善された。そのおかげで有名企業に楽に内定をもらえた。嫌いな上司だったが、色々教えてもらうこともあり、また雑談が面白かったので、辞めると言い出す時心苦しかった。新しい職場に行くのにワクワクしていたが、転職を言い出すことが辛かった。
そして言い出したのだが、その後が辛い。
雰囲気の悪かった職場を急に改善しようとしたり、人間性が変わったように、いままで押し付けてきた意味不明な雑用を自分でするようになったりした。
私は転職をする理由は新しい仕事をしてみたいからの一点しか言ってないのだ。大学院の時にやっていた研究に未練があり、その仕事に転向したいとしか言ってない。
私がインターン生や部下が不憫な目に遭っていることを訴えてもまともに対策しないのに。
私が訴えてないことに対して対策を取ろうとした。
きっと上司は元から自分に無理をさせていたことや職場の雰囲気が悪かったことはわかっていたんだろう。しかし何もやらなかった。そして今急になんかやり出した。それに私はすごいイライラしている。
理由は色々あったけど、きっかけになったのは事務の先輩女性社員からの
「営業は数字を取るのが仕事。それが出来ないアンタは例え新人でも存在価値はありませんよー」「ちゃんと仕事したんですかあ?ちゃんとやってね金食い虫さん」などと暴言を吐かれたから。
ショックだった。普段から口が悪く、当たりもキツイ人だとは思っていたが、直接一緒に仕事する訳では無いので我慢していたけど、限界だった。
一回りは年上の社会人の大人が、ネットでも言われた事が無い様な煽り言葉を、直接言ってくるなんて、と思った。
で、さすがにムッとしたら「へ?怒るの?怒れる立場だと思ってんの?それってセクハラですから」と更に嘲笑された。もう駄目だと思った。
俺が男だから、性別が逆なら絶対に許されない様なハラスメントでも平気でされるし、何ならこちらが悪者にされるって理不尽に直面し、耐えきれないと思った。
ブラック気味というかブラックで、技術職で入った筈なのに最低一年は現場の仕事を覚えろって体で営業回りをやらされて
ノルマもあってキツくて毎日どん底で会社ガチャ外れたと思ってたけど、一年は我慢して次行こうと耐えていた。
確かにその月は調子が悪く、一人で回る様になってから始めてノルマ達成出来なかったけど、それ以外はちゃんと達成していたし
志望では無い職種で慣れないながらも取り組んでいて、それでも上手くいかず自分自身ですら凹んでいた所に、先の暴言だった。
心の折れた音が聞こえた様な気がした。もう駄目だと思った。
そして退職。
今月はゆっくり、しようと思ったけど精神的に落ち着かないので再就職活動はそうそうにしている。
来年1月ぐらいまでは頑張って、そこで結果出せなかったら、一旦実家に戻って準備を整えてから再起する予定。
でも、社会にあの先輩社員の様な、他人に悪意をぶつけて平然としている様な人間から、今後も男というだけでハラスメントを受けるのを我慢しなければいけないのかと思うと、働くのが怖く感じる事もある。
既に本社の人事部には「パワハラ・セクハラされた」と通報されてるし、その上で名誉毀損?での告訴を検討しているんだとか。
実際に会社休んでた日には旦那と弁護士同伴で人事部に怒鳴り込んでいたらしく、凄い憂鬱。
確かに彼女は、ADHDの特性なのかそそっかしいしケアレスミスをすることが多い。
しかも衝動性が高く、思ったことはすぐ口にするし、喧嘩腰になって高圧的な物言いをする。
例えば彼女が他の同僚に「この提出物、こことここが間違っていますし、後添付のファイルはフォーマットが違いますよ」
と何度目かの同じ様な注意を受けたとする。
すると同僚は「はいはい、直せば良いんでしょ。細かい事ばっか指摘してネチネチして陰湿ですね!」みたいな事を言う。
課やチーム全体のチャットで「こんな酷い事言われました!」との体で上記の様な告発()をする事もあれば
本人に直接、大きな声で言う事もある。
そして、自己発電でイライラして、更にミスを連発するし、それでまでストレス溜めて
当然、周囲からはドン引きされるし、ハッキリ言って嫌われている。
当たり前の指摘をしただけで人格批判される方はストレスが酷い。
でも本人は「私はADHDなので、すみませんねー」って感じで、いくら勤務態度や言動を注意しても、一切対策を取ろうとしない。
ADHDだから(多少の失礼やおかしな言動は)許してよ、と言わんばかりだ。
「彼女(ADHDおばさん)は仕事ができない上に、輪を乱し人間関係を悪化させ、その癖自己主張が強すぎるので、使えない」
という評価で、色々な所をたらい回しされながら、ウチに来ている次第。
「嫌がらせで細かい注意をしてくる」「女性だからと自分を下に見ている、ロクな仕事を回してくれない」
って主張しているみたいだけれど、正直な所、提出物一つにしたって誤字脱字が酷すぎてどうにもならないんだよね……
こちらで勝手に修正する訳にもいかないものは彼女自身に修正をお願いする事になるが
「(俺が)歳下なのに高圧的に注意しないで下さい!」ともキレられた事もあった。
こちらからすれば、新卒の新人ですらちょっと間違えるぐらいで次からは直ってる報告書一つですら
何で誤字脱字盛り盛りの主観だらけで報告書の体を為して無いのか、まるで意味が分からない。
仕事の方もお察しなので、誰でも出来る且つ、ミスがあってもスルーしたり他の人間がささっと修正するか
彼女の担当分を適当に作って出しても問題無い、程度の雑用しか任せられない
なんで良い歳して、同じミスを繰り返して逆ギレして信用ゼロ状態になっている現状より
恐らく彼女は、ADHDも持ってるだろうけど、もっと別のタチの悪い何かの要素が大きいのと思う。
一緒の職場にいるだけでとにかくメンタルが削れるし、こちらがストレスで不眠になってきている。
実際彼女の元同僚や元上司の中には、メンタルやられて休職者や退職者もいた。
「あくまでも形式上で(パワハラやセクハラの告発を)受け付けているだから」
「事情は逐次説明している、(俺さん)に全く落ち度は無い、寧ろ問題なのは彼女だと言っている」
「どうしても何らかの処分をせざるを得なくなっても、あくまでも形式上の事になると思う。(俺さん)が会社辞めると非常に困るから…」
とは言ってくれてはいるが、たとえ形式上でもパワハラ・セクハラで処分を受けるのは嫌すぎる。
ストレスでこっちの仕事のパフォーマンスも落ちまくってるし、家族もいるけど退職したいぐらい。
彼女は人を嫌な気持ちにさせることを悪意無くやって気づきも反省もしないし
社会と折り合いをつけて生きているADHDの人達の方が多いと思うけど
会社の人間の中にはADHD=彼女(おばさん社員)みたいな人、と思っている人間も少なく無いだろう。
その上、最悪裁判で訴えられ被告になるかもしれない不安もある。
裁判なんてしたくない、が彼女の主張を丸呑みして慰謝料を払うのは、色々な意味で無理すぎる。
辛い。憂鬱……
新卒とかに「未経験でプログラマーになりたい?職業として後から身につけようだなんて…。本当に好きならもうできるようになってるはず。小学生の頃からみんな趣味でやってる、そういう世界なんだよ。俺の甥は遊びでPythonでゲーム作ってるぞ。この時点で小学生にも劣る」とか言ってる奴多すぎ
別の分野で、例えば絵で考えてみても
俺だって昔小学校の時とか「見て!ゾロ!描いたよ!」とか絵描いてたけど
もしその時に親戚のおっちゃんが年下に「絵描いたことないけど漫画描いてみたくて大学で漫研入った?ふざけるな、この世界はみんな小学生の頃から趣味でやってるんだよ。俺の甥はゾロの絵描いてるぞ。その時点で小学生にも劣る」とかイキってたらキツすぎ
いやいやその人の方が上手いだろ…って感じっすね
(大学でコンピュータサイエンス学んだかどうかとかはまだしも)
てか趣味でやってるだけのくせに自分のことプロゴルファーとか卓球ジュニアとかと同じだと思ってない?
今から卓球初めて朝から晩まで泣きながらやらされてる人たちと並ぼうとはさらさら思えないけど
1ヶ月で俺より絵上手くなる奴はゴロゴロいるだろ
名古屋を出て都内のベンチャーを転々としながら5年ぐらいふらふらしてたけど結婚を機に地元に戻ることにした。
結果として通勤時間が1時間半から30分になって家賃が2万下がって年収が200万増えた。
都内に比べて土地の値段も半額ぐらいなので、そう遠くないうちに家を買って子供を持とうと思う。
東京に出てみたこと自体は間違いじゃなかったと思うものの、都内に居続けることにこだわる必要もなかったな~とつくづく実感したため、そう感じるに至った経緯を具体的に書いてみる。
まず感じてることとして、東京は仕事は多いがそれ以上に人間が増えすぎて人間の値段がかなり安くなっていると思う。
自分は大まかにはITエンジニアに分類されるキャリアを進んできたものの、世間で言われるほどエンジニアの待遇がいいと感じていない。
(もちろん小規模なベンチャーで働いていたことも理由の大半ではあるんだけど)
独学である程度VagrantだのDockerだのGithubだのAWSだのを覚えながら頑張って仕事をしてはきたものの、東京基準では「そのぐらい今どき新卒でもできる」「誰でもできて当たり前」ぐらいの温度感で、手取りは上がらないのに要求スキルだけが加速度的にガンガン上がっていく。
ところが名古屋で転職してみたところ、それなりの大きなジャパニーズトラディショナルカンパニーで簡単に採用が決まり、「なんでもできるスーパーハイスキル人材」みたいな扱いになってしまった。
おそらく名古屋はそこそこ全国規模のメーカーや商社が多い割に、いわゆるIT人材が根こそぎ東京に流出してしまったことで、ポストはいくらでもあるのに人材が居ないといった空洞化が発生しているのではないかと思う。
もっとも自分が東京に出ていった理由が、ITと呼ばれる仕事が根こそぎ人材派遣だらけになってしまったことや、メーカーの採用が市外の僻地の車通勤しか選択肢がないド田舎ばかりだったため、そりゃ流出するだろうという感想だが。
だがようやく地元企業も自分たちが置かれた状況を理解してきたのか、本社機能をド田舎の工場併設のボロい自社ビルから駅前の高層ビルのフロアに移したり、プロパー人材の確保に必死になってる感が窺える。
もちろん自分が東京で経験を積んだことで転職できる応募のレンジが広がったことも少なからず理由にはあるが。
生まれも育ちも名古屋市の自分にとって名古屋はとにかく「狭くてダサい」という印象しかなかった。
最初は広大なマップと思えたオープンワールドゲームがクリアする頃には狭く感じてしまうように、大学生を過ごすあたりで「もう名古屋は知っている場所しかない」という絶望感を抱き始める。
また、昭和から平成初期に建てられた施設や建物が異様に長く生き延びており、子どもの頃から一度も張り替えられない地下鉄のタイルを見ながら、この街の風景は生まれてから死ぬまで変わらないのではないかという恐怖に駆られたこともあった。
だが東京から戻ってきた結果、この狭さとダサさが結局は暮らしやすさと表裏一体だと気づくことになる。
例えば都内でどこかに出かけようとすると、数日前から予定を立ててあれこれ予約をし、一瞬で埋まるチケットを何とか確保し、満員電車や人混みを掻き分けながら目的地にたどり着くような毎日だった。
ところが名古屋では地下鉄一本で大体市内のどこにでも30分あればたどり着けるし、予約さえしておけばだいたい予定通りに過ごせるどころか、大抵の行列も現実的な待ち時間しか発生しないので最悪予約とかしなくてもどうにかなる。
また、東京や大阪や福岡といった日本の都市群は、近年海外からの観光客による観光公害にも悩まされているそうだが、名古屋は幸いなことにしてそういった被害に全くの無縁である。
以前ためしに海外の日本旅行者向けのコミュニティサイトで「nagoya」で検索してみたところ、「Is Nagoya worth visiting?(名古屋には訪れる価値がありますか?)」というタイトルのスレッドがヒットして苦笑いしてしまった。
いや、都市とはあくまでそこで生活する人々が満足して暮らせることが存在価値であり、決して外貨獲得のために現地民族を展示するテーマパークではない。そういう意味で名古屋はむしろ都市としてはこれ以上なく優れている。
また、名古屋に戻ってきてから嫁と一緒に三重の伊勢志摩や岐阜の中津川に旅行に行ってみたが、子供の頃漠然と「ダサい」と感じていた観光地の数々が、程々の行きやすさと気軽さでかなり満足感があった。
ダサさの局地とすら思っていた志摩スペイン村の「♪デデデデデン!エスパーニャー」のCMも、実際に自分の足で行ってみると結構いい場所だったように思う。
東京にはディズニーランドもピューロランドもあるが、人が多すぎる。でも名古屋にはスペイン村がある。いや、伊勢志摩は名古屋ではないのだが、三重と岐阜があることが名古屋のいいところなのだ。
東京から名古屋に戻って感じていることの一つに、「道行く全ての人々が自分と同じぐらいの生活レベルに見える」「街中にあるあらゆる店が自分が入ろうと思えば入れる店しかない」という感覚がある。
逆にいうと東京は「一体どんな人生を生きたらこんな生活ができるかわからない」「一生縁がなさそうな高級な店ばかりで疎外感ばかりがある」という感覚が漠然とあった。
たしかに手の届かないぐらい高い店や高い品があることが向上心や刺激を与えることもあるのだろうが、過度な競争を煽られて疲弊している部分も大きいと思う。
東京に住んでる間はそれらが都市の当たり前だと思っていたが、今はむしろ「東京だけが日本の中で過剰に資本主義を内面化した特殊な都市でしかなかった」と思う部分がある。
名古屋は良くも悪くも平成初期の一億総中流社会の余韻を色濃く残していて、保守的な中流層がちょうどよく生きやすい地方都市を維持しているのではないかと思う。
土地も家賃も物価もそこそこのレベルでありながら、都内と変わらないぐらいの条件の仕事があちこちにあるため、中流がちょうど生きやすい都市設計になっているのではないだろうか。
(国の統計データで可処分所得は名古屋の方が東京に比べて高いみたいなデータも見たことある気がする)
前回の選挙でも、愛知県内では河村たかしや国民民主の候補が多く勝っていた印象があるが、あれらの「現役の中流層を大事にする」という政党の方針と名古屋の中流層の厚さが合致した結果だと思うと納得が行く結果だった。
もちろん都内にだって中流の生活をしている人たちはたくさんいるだろうが、彼らは結局のところ立川や武蔵浦和や船橋といった東京の衛星都市にしか住めておらず、一時間以上の長い通勤時間をかけて都内の一員になったと思い込んでいるだけではなかろうか。
越谷のレイクタウンで週末を過ごして1時間半かけて通勤している人たちは、千種のイオンモールで買い物をして名駅のオフィスで仕事をしたほうが幸せになれるのではないだろうか。
もちろん名古屋が全てにおいていいと思っているわけではない。
例えば飲食店のレパートリーや、ちょっと尖った趣味の店や、チェーン店に押し流されず地元の顧客を掴んだ老舗の個人経営店とかは、やっぱり東京にしかない独特の良さだったと思う。
ただ、そういった場所の知識と思い出は残っているので、たまに東京に出張に行ったときとかに立ち寄ってみるぐらいでちょうどいい。
もうすぐ生理が来る。
高校生の頃は、生理痛なんて全く無くて、ただ血が出る日ってだけだったのに。
20代後半に差し掛かる今は、生理が来る数日前からお腹が痛くなって、悲しくもないのに勝手に涙が出る。PMSだろう。
いざ生理が来たら、メンタルは安定する代わりに、体調がどん底だ。
特に1〜3日目は、腹痛と下痢で歩くのも嫌。前、オフィス内を歩いていたとき、不意に腹痛に耐えられなくて座り込んでしまったこともあった。加えて過多月経なので、仕事で会議が入っていて数時間トイレに行けないときは漏れないかヒヤヒヤする。しかも過長月経なので、生理が9〜10日間続く。怠い。
(※過多、過長月経については病院で診察及び検査済み。異常なしらしい。信じてないから来月も病院に行く)
お酒を飲むことが好きだけど、生理の時は我慢する。鎮痛剤を飲んでる時に飲酒したくないから。
新卒で入社した時、制度を知って便利だなと思った。でも、たまたま配属された部署が30〜50代の男性が8割で、直属の上長も男性。
新卒で通常の有休の申請の仕方もわからなかった私は、しばらく申請する機会がなかった。
内定者時代からよくしていただいた30代の女性社員さんだったので、生理休暇について聞いてみた。
そしたら、生理休暇は当日申請はダメで前々から申請が必要、直属の上長に申告しないといけないらしい。
は?と思った。
全員が生理が来る日ドンピシャで休暇申請できるわけなくないか。
しかも休むとしたら1〜3日目がいいのに、事前になんて無理だろう。
しかも直属の男性上長に申告するのは抵抗がありすぎる。上長は50代で、優しく、おおらかな方だ。でも、その世代の男性に対して生理という理由で休みたいと言うのは怖すぎる。だって、その世代って、そう言うの許されないでしょ?
結局生理休暇は入社して数年経った今も使っていない。社内で使っている人も見たことがない。
そういえば、こんなこともあった。
ある生理2日目、別の部署の女性社員方と複数でお昼を食べてきた。その日は案の定朝からひどい腹痛だった。そんな私を見て心配していただいたのか、顔色悪いよ?と声をかけられた。女性しかいないだろうし、と軽い気持ちで「生理2日目なんで」と答えた。私の意図としては、何か病気を患った訳ではなく、毎月の恒例行事なんでと言いたいだけだった。(とはいえ辛いけど。)
その時の返事は、「そんなこと、わざわざ言わなくて大丈夫だよ」だった。それでその話は終わった。
女性同士でも生理の話題がタブーになる。こんな会社で生理休暇なんて申請できるわけなくないか?
思うんだけど、生理休暇って女性のための休暇制度じゃなくて、会社が福利厚生アピールするための体のいいフレーズにすぎないだろ。
多分、生理と会社の忘年会が被りそう。普段お酒をよく飲むせいで、鎮痛剤を理由にお酒を控えたら余計な心配されるから、薬は飲めない。今の部署も男性が多いから生理の話題なんてだしたらみんな黙っちゃうんだろうな。そういう時適当に理由つけれない自分の要領の悪さも嫌い。
あー、嫌だなあ。
昨日面接した人は機械設計の応募できたんだけど、大学卒業後▲▲の設計を8年やってきました!って言うんだよね。
けど所詮▲▲じゃん。基本的な、鉄の種類や焼入・表面処理、自分が描いた部品を実際どのような機械でどのように製造するのか聞いても、それはまったく知らないと。新車でるたびに、すでにある過去の▲▲のモデルを▲▲で寸法変更して構造解析して対応してましたと
構造解析っていうけど、それって▲▲とか見てるだけで、解析ソフトに▲▲入れるだけやん。で弱いところのR面を増やしたりするだけ。R1をR1.5にするとか。てことは君は8年R面を増やしたり減らしたらする仕事だけさせられてたの??どこの会社やねん!そんな酷いところはって聞いたら☓☓☓☓☓☓☓☓だと・・・。
これねえ、すっごい罠なんよね。
この手の技術者派遣会社に知らんと新卒で入ると、こんん感じでなんの技術的成長も得られないまま時間だけ消費して転職するとき死ぬんだよね。
就職氷河期の頃、仕事が楽しいなんて言ってる奴はやりがい搾取された惨めな敗北者だと皆が言い合っていた。
やりがい搾取された奴らが意識の高さからダンピングを繰り返し、それによって労働者全体の待遇が悪化するという言説が世間を飛び交っていたのを今でも覚えている。
就職に失敗し続けた俺はそういったダンピング野郎をとことん憎んでいたし、ようやく入った会社で自分がボロ雑巾みたいに使われるのもソイツらのせいだと思っていた。
転職市場に熱が戻ったタイミングで、俺は公務員に転身することに成功した。
これでもう安心だと信じていた。
公務員になってから、俺が仕事にやりがいを感じたことも、やっていて良かったと思ったことも一度もない。
前職の頃でさえも時折は「俺達が消えても他のサービスが生まれてくるだけだけど、それでも俺達が全滅したらこういったサービスが市場から消えるから皆困るんだよな。たとえばド田舎の商店街でしょーもないスーパーが全部消えたら、醤油が切れてることに気づいた婆さんが車を1時間走らせて郊外のスーパーやデパートを目指すことになったりするわけだ。つまり、競合他社がいるからって俺達の存在価値が0かっていうとそうじゃないんだ」と自分を慰めることは出来た。
今は違う。
俺達が消えたら一つの市民サービスが丸々消滅するのは分かりきっているし、それが必要な人にとっては致命的な時さえあると分かってるのに、この仕事をやっていることを通じて社会の役に立っていると信じることが全く出来ない。
公共サービスっていうのは大部分の人からスレば行政からの押し売りによって行われているものでしかない。
引っ越して一月もしないうちにやってくるNHKの集金者と同類の存在であり、「うちはNHK見ないんで受信料払いたくないです」と言っても「テレビがあるなら払わないと駄目ですよ。受信料は義務ですよ市民」と語ってくるのと同じかそれ以上の邪悪さを持って、あらゆる行政サービスを丸ごと一括で押し売りして、そのランニングコストを税金として徴収している。
もちろん、俺の給料の何割かだって税金として収めることになるし、自分の給与明細を見るたびに「使ってないサービスがクソほどあるのにこんだけボラれるのキツいなあ」と感じてしまう。
不条理なほどのボッタクリサービスを押し売りする行為に加担しているだけではないかという疑問を頭の中でグルグルさせながら働く日々に、労働の喜びなんてものはない。
公務員という仕事には公務員という仕事にしかないしんどい所が確実にある。
たとえば「業績が良くなったから給料が突然ドカンと増えた。自分がそれに貢献したことになったのでボーナスが沢山出た」なんてことはありえない。
ボーナスの半分は半年間かけて積み立てた分が払われるだけで、もう半分の査定についてはやらかしまくった奴と完璧に貢献した奴との差は倍もない。
つまり、普通のやつが40万なら、やらかしまくっても35万ぐらいだし、最高に評価されても45万ぐらいでしかなく、頑張ったことによる差は号俸の昇給という形でのジワジワでしか得られないということだ。
頑張ったことに対してその実感が薄れないうちに結果が返ってくるというのは脳の報酬系にとって大事なことだが、公務員という仕事にはそれがない。
むしろ「コイツならこれぐらい負荷かけても平気なのか。じゃあ仕事増やしたろ。仕事増えた分が回らない?なんで?俺を舐めてんのか?今更他の人に振れないから休日に出てこいよ」という最高にファックな結末が待ってるだけでさえある。
やる気が湧いてくるかどうかという点だけで考えれば、あれほどブラックだった前職の方が数倍はマシだったように思える。
ネットにいると世間ではブラックと言われるITや飲食の人間が「仕事楽しい!やりがいがあります!」みたいに言ってるのをよく見かける。
世間でブラックと言われているわけじゃない業界の人だったらもっと高い頻度で「なんだかんだ仕事って面白いよね。少なくとも感謝して貰えたり社会貢献してたりする感じはある」だの「仕事自体はつまらんが自分の技術を磨くことにゲーム的楽しみはある。もうちょい上手くなったら転職でもするわ」みたいな感じで日常や人生に希望を見出している。
俺にはない光だ。
黒澤明の例の映画が題名に「生きる」を選んだことの意味が何となくわかってくる。
公務員という仕事をしている連中が軒並み概ね「死んでいる」からこそのネーミングだったのだ。
海外のリメイク版タイトルは「LIVING」であり、つまりは世界共通の概念として公務員は生きていないということだ。
前職での苦しみから心が折れ、とにかく生き延びたい一新で公務員へと転職した俺だったが、待ち受けていた人生はリビングデッドとしてのものだったわけだ。
泣けてくる。
とにかく生きられればいいと思っているだけの奴は生きる屍としての余生が待っているってことか。
辛い。
公務員の定年は伸びているから俺はあと30年ぐらいはこの何も楽しくない仕事を片付けるだけの日々を送ることになる。
毎年、職場にやってくる後輩の1割ぐらいが辞めていくが、そのたびに思うのは残った9割の奴らはなんで辞めないのだろうかという疑問だ。
ここは墓場だぞ。
いい大学を出たような奴らが何を血迷ったのかこんな所に自分の人生を埋めに来る理由が全く理解できない。
高卒で入った連中が「うひょひょwww高卒のボクチンに東大卒の先生が論破されちゃうの本当哀れwwwこの仕事でこれだけは凄い楽しいのよねwww」とルサンチマンを拗らせているのを見れば、お前らのようなちゃんとした人間が来るべきじゃないって分かるだろ!
そう言いたい気持ちを堪えて後輩を指導する人生をあと30年続けるんだ。
辛い。
俺だって後輩に「何やってるのか分かってきたらこの仕事も楽しいと思うよ」ってイキりたかった。
世の中の普通の仕事で普通に存在意義があって普通にビジネスをしてて普通に論理的で普通に競争原理が働いてる会社のサラリーマンが当たり前みたいに感じている「なんとなく分かってくれば楽しい」という感覚と無縁すぎる。
分かれば分かるほどにブルシットの奥深くへと頭を突っ込んでいく以外の結末が存在しない。
キチガイのフリをして飛び切り楽な部署に飛べばいいなんて話じゃないんだ。
既にそれをやってる連中が「キチガイのフリ選手権〇〇県大会決勝戦」を日夜繰り広げている場所に行ったら本当に頭がおかしくなってしまう。
逃げ道がない。
滅茶苦茶頑張ってるんだからもっと沢山あってもいいだろとは思うが、残業代を平気でチョロまかされていた頃と違って最近は残業代が出るおかげでかなりマシになった。
休日出勤してるのに残業代も手当も出ないことは相変わらずあるし、まともに倍率補正の計算がされているとは思えないけど、それでも給料はかなり増えてきてる。
今の仕事を飛び出して日雇いの引越バイトなんかをするよりは、今の事務所で毎日絶望感に押しつぶされそうになるのを必死にこらえている方が給料はいいだろう。
休日まともに取れなくて毎年有給を捨ててはいるが、基本的に(8割方の)土日は普通に休めているから、週休6日を基本としているような所よりは人間らしい暮らしが出来てる。
現代人が得られる待遇としては中の下ぐらいだが、それでもあくまで中の下ではあるので「待遇がめっちゃ悪いんです!」と言って転職しに言っても「まあ君のスキルが低いからだよね」で一蹴されると思う。
つまり、俺が転職するならその理由は「この仕事なら仕事の中に希望を見いだせると思うんです!」という大学時代に勉強をちゃんとしてこなかった新卒の自己PRみたいなものになるわけだ。
俺は思わない。
じゃあ俺が来て雇ってくれるようなまともじゃない会社で働いて「仕事って面白いな」と感じられるのだろうか?
分からない。
まともではないが俺とは気質があっている会社だったら俺は仕事をちゃんと楽しめると思う。たとえその過程で残業代のちょろまかしがあっても「まあ仕事楽しいしな」で割り切れるかも。
でもそれは本当に運によるものだ。
人生を運試しに賭けるには歳を取りすぎた。
仕事にクソほど意味も面白みも見いだせないだけで、待遇自体は中の下だ。そして俺には外の世界でアピール出来るようなスキルはない。
今いる職場だったらITオンチの老人たちに「エクセル壊れた?ちょっと見てもいいですか?あっ、ここの数式がベタ打ちに置き換わってるんすねー。他からコピペしてきたんで治ってますよ」とやるだけで「いやー増田くんにはいつも助けられてるなあ」みたいな評価が受けられなくはないが、外においてはマクロもろくに組めん奴が「エクセルなら出来ます」と言ったら詐欺師扱いだろうな。
うん、とにかく、俺は転職するにはあまりにも無能で、そして人生を再びルーレットに突っ込むにはチキンで、最低限プラスαの給料はもらっているんだ。
ここから抜け出せないままであと30年働いて、ボロボロになった体で何かが出来るわけでもなく老眼と難聴と腰痛のせいでまともに楽しめる趣味もないからと近所の銭湯でダラダラと時間を潰して過ごすんだ。
しんどいぜ。
これが人生なんだな。
公務員なんてやってたらこうやって地下室の手記の劣化コピーみたいな意味不明な言葉を書き散らしてるだけの人生しか待ってないんだ。
助けてくれ。
上司に「他の人に教えてあげて」って指示されたり同僚に「増田さんみたいになりたい」って言われる程度のITエンジニア俺氏本業の傍らまじめに教育に取り組んで心折れそうwww
基礎もまともに出来てないやつが多くて、本来なら1カ月は使ってがっつり知識仕込みたいところだけど本来の業務があってそんな時間ないから一時間でエッセンスだけ教えてあとは自力で頑張ってね、ってせざるを得ないわけよ
作った資料→読んでこない
おすすめした本→読まない
Udemy→受講しない
やる気なくて心折れそうwww
やる気さえまともにあるならいくらでも教えてやるのになあ…副業申請とか確定申告とか面倒だから金も取らないし
けどそういうやつは自力で登ってくるんだよな
身バレしたらちょっと困るので全てがノンフィクションだと思わないでください(年齢職業は真実です)。
もしかして、と気づいた方はそっと胸の中に閉まってください。
新卒で小さな出版社に入り雑誌編集者のキャリアをスタートしたものの、そこがいろんな面でクリーンな会社ではないことに気がついたので2年半ほどで退職。
その次に入った別の小さな出版社に入社してから丸3年経ったんだけど、もう限界がきているのかもしれない。
まず、希望した編集部ではない部署(なんでも屋のような部署で、会社で出版しているいろんな雑誌を横断した仕事をしたりする。単純に制作のみの仕事などもあったりする)に配属され、約1ヶ月くらい経って「このままだと雑用係として利用されて終わる」と思ってたところ、希望してた編集部の仕事をやってくれないかとお願いされやることに。この調子で編集部の仕事を増やそうと思い、人手不足で中断していた連載企画を担当させてくれと申し出て、それも任せてもらえることに。部署は違うものの仕事内容はほとんど希望していた編集部の仕事だったので、結果的にまあ編集部配属ではないがいいかと思っていた。
それから1年半くらいは割と余裕をもって仕事できていたものの、自分で何かをつくりたいという気持ちが芽生えて、新しい雑誌の企画書を社長に提出。ほぼ二つ返事でOKをもらい、自分で雑誌を作ることになった。
うちの会社はやりたいことは割とやらせてもらえるけど、その代わりそっちに人手はやらないよという方針?なので、編集は自分一人。予算もそんなにないためライターを起用することもできず(自分で全部やりたいというのもあったけど)、取材から原稿まで全部一人でやった。
その雑誌がありがたいことにそこそこ好評で、続刊を制作するなかでついに広告主が現れた。
タイアップということで雑誌以外にも色々な制作を行わなければならず、さすがに営業担当が一人ついてくれることになった。がしかし、営業なので編集業務は変わらず一人、さすがに予算があるのでライターを起用したが、クライアントがいる仕事ということで普段とは違う神経を使う。そして単純に作業量も多い。
夏頃から明らかに忙しくなり、夜中の2時3時まで作業することもしばしば。そんな中いよいよ精神的にボロボロになり、9月あたりに初めてメンタルクリニックを受診した。
薬のおかげである程度回復し、撮影も取材もなんとかこなせるようになった。が、どうしてもマンパワーが限界で、連載企画をその雑誌の編集部の人にお願いしたところ、後日実質編集長的なボスから怒りの電話が。
「相談してくれればよかったのに、部署超えて仕事頼むなんて本当にありえない。あなたはこの編集部員ではなくて、××部署の社員なんだよ? それをわきまえて」という内容のことを言われ、仕事で初めて泣いてしまった。
たしかに私がやったことはありえないのでまず100%自分に非がある。けど、編集部の仕事を一生懸命やってきたし、少なからず貢献もしている。実際に目にみえる数字として利益を出すこともしている。なんならその雑誌のタイアップ企画だって何度かやったことがある、直属の上司からの指示ではなくボスからの指示で。連載以外にも編集部の仕事だけでフル稼働していたところに自分の雑誌の制作期間が訪れて壊れかけていたところにこの言葉を言われ、それ以来なんとなくまた心が落ち着かなくなってしまった。冷静に考えると、そもそもこの話をボスが直接私にしていることも筋が通ってないのだけれど、私の直属の上司(ボスより役職は上)もボスに尻に敷かれているというねじれた構造なので、受け入れるしかなかった。ちなみにこの件、ボスは私の上司に話してたそうだが、私は上司から直接怒られたり話を出されたりもしていない。
編集部の中でも私は撮影や取材の稼働がかなり多い方なのに。私が仕事を振った編集部の人は「いつでも手伝うよ! 私暇だし」と言っていたのに。自分の雑誌のタイアップも結局誰も手伝ってくれなかったのに。クライアント4人でこの企画をやっているところ、私は一人で全てに対応してきたのに。会社に利益をもたらしているのに。必死に頑張ってやってきたけど「あなたは編集部の人間じゃない」と言われて、月40時間近く残業している私は、契約社員。なんというか、どこに帰属意識を向ければいいのかわからなくなってしまった。そしてこの薄給でこの仕事量。どうすればいいんだろう、全てが辛いと思っていたタイミングで山場を越えた今週、ついに体調を崩した。
心だけ追いついていなかったのが、とうとう体も追いつかなくなってしまった。
体調をくずして、久しぶりに4日くらい休めた。その時間で色々考えた。私はこのまま今の会社にいていいのだろうかとか。
正直、新しく自分で立ち上げた雑誌がなければ辞めてる。けど、自分で立ち上げた雑誌は自分以外に作る人がいない(作れる人もいない)から、私が辞めたら雑誌も終わる。それほど多くはないけれど、楽しみにしてくれている読者がいるのに作るのをやめるのはありえない。でも編集部の仕事を減らしてもらわなきゃ本当に体がもたない。
さすがにそれは言うとして、すでに新しい別の制作案件も頼まれている。振った仕事は基本やりなさいというムードなので断れないし、断ったらクビを切られる可能性だってある。これだけ頑張っていても私は編集部の人間ではないし、たかが契約社員なんだと、ことあるごとに思うようになった。
今後のことを考えると編集部配属にはなりたくない(今よりさらに仕事量増えると、自分の雑誌の仕事ができなくなるのが目に見えている)、でも契約社員という立場は不安定だから嫌だ、自分の雑誌は続けたい、と、これって相当なわがままだな。
文字通り身を粉にして働いたからわがままも聞いて欲しいと思ってしまうが、もうどうしようもないのかな。
悩み相談するつもりで書き始めたけど、結局ただ愚痴を書きたいだけだったのかも。
あーあ、フリーとして同じ量の仕事してたら月100万円は稼げるのにな。
少しわがままを言ってこのままこの会社で仕事を続けるか、自分の雑誌を捨てて別の会社に行くか、迷うようになった。迷うようになってからみんなはどうしていますか?
新卒の初任給20万円から比べて、20年で給与は2倍以上になった。
だから20年前に比べて、物価が1.5倍~2倍になったとしても、相対的・感覚的には安くなっている。
マクドナルドの60円バーガー、はなまるの100円うどん、ドトールの200円コーヒー、さくら水産の500円定食…
新刊の文庫500円、ブックオフの105円コーナー、ユニクロの2000円フリース…はいいや。みんな着ていて被りまくりだったし
チェーン居酒屋は今でも安いね。最安のコース+2H飲み放題は、今も昔も3000円+税金だ。
シーザーサラダ、冷凍ピザや冷凍から揚げ冷凍フライドポテト、鍋、うどん、発泡酒によくわからん甲類のサワー…