はてなキーワード: 探偵とは
編集者なので恋愛ライターや恋愛コラムニストの知り合いがめちゃくちゃ多いんだけど、大抵みんな他に誇れるスキルがない。
会社員時代は事務職で大した仕事してませんでした、みたいな人ばっかり。
恋愛記事ってPV出るけど広告収入につながらないので、最近のWebメディアではあんまりやりたがらないんだよね。
現役仲人のありえないくらいヒドイ婚活男女とか、取材が得意なライターさんの不倫してる男女のリアルな体験談とか、探偵の浮気調査話とかじゃないと掲載しない。
とはいえ、自社媒体では恋愛記事やらないから適当に返事してる。
恋愛が生きがいでそれを記事にまでしてるんだから、異性に食べさせてもらえばいいじゃん、と思う。
それで幸せなんじゃないの?
テンポよく事件が進み伏線も充実。犯人候補がいないと言われればそれはそう
なんだかんだテンポがよくキャラも楽しいのでこの位置。犯人擦られすぎじゃないか?
蘭姉ちゃんが記憶を取り戻せば話は終わりなんだが、そこまで持っていくラストはすごい
展開は割ととんでも寄りなのにキャラの活躍バランスが良くて後味良くスッキリできる
黒の組織の恐ろしさと滑稽さがつまった名作。ウォッカ怖い!キール頑張ってるよ!
探偵団が活躍する映画ならこれ。犯人の動機が奇天烈なので面白い
犯人誰こいつ?で有名。今のところアレがアレするのは唯一なのでこの位置に置く
シンガポールが舞台で当然のように街がぶっ壊れる。悪人が多くて事件がよくわからなくなる
函館が舞台だけど街は全然ぶっ壊されない。ラストのオチで減点したい
前半サスペンス後半アクションだけど前半にもちょいちょいスーパー系描写が入ってくる。楽しいけどね
あれはゲームでしかやれない展開なんだが、表の殺人事件との繋がりが薄いような気がする
栗山さん!この映画はTier1にしてちょうだい!(しない)かっこいいおっちゃんでプラス、ラストの蘭姉ちゃんでマイナスです
殺人事件が起きない珍しい映画。終盤の謎バトルはまじで謎展開だけど人気らしい
10周年の記念作品だがメインの事件捜査が微妙なオチ。犯人も最低
黒の組織ものだが組織と事件が関係ないのがね…でもタイトルの反転は上手い
あほみたいな犯人のわりに被害総額がとんでもない。これも2つの事件が絡んでくるので視点がぶれる
ハンドリングノハンドダトオモウヨ
制作陣も公安の扱いに苦慮しているのが感じられる。終盤のカーアクションからはいいんだけど…
原作との整合性を取るためにキャラの使い方に縛りがあり、無理な展開が多めになってしまった
事件部分がすごい雑に処理されてしまい、後半は犯人の影がまったくなくなってしまうパニックものに
はっきり言ってテレビスペシャルレベルなんだけど、事件の起きない日常パートとして見るなら随一
今更キッドの正体が新一とかされても乗り切れない。事件が壮大な前振りの割に目的がショボくてがっかり
何回見ても犯人が誰なのか覚えられない。コナンのキャラもかなりぶれてしまっているよね
4月18日公開の劇場版「名探偵コナン 隻眼の残像」が10日間で観客動員430万人に達し、興行収入63億4000万円を突破したというニュースを見た。今回で第28弾だが、映画初だった「時計じかけの摩天楼」の興収はの合計は約11億円だったから、とんでもない急成長なのだろう。
さて先日40くらいの水商売の女性がここ数年女友達とコナンを観に行くのが年中行事になっているという話をしてくれた。実際、女性ファンの急増加は僕の肌感覚的にも合致していたので、その理由を考えてみた。
コナン映画ほど平成と令和の断絶を表象しているシリーズは珍しいと思う。これは通年必ず上映されているので分析しやすいだけでなく、「名探偵コナン」という作品の本筋はあくまでも漫画、映画はあくまでも傍流にあるというはっきりとしたスタンスがあるので、世間のトレンドに合わせやすいからだろう。わかりやすく言うと、小五郎のセクハラ発言が減り、喫煙シーンは皆無になった。
90年代〜00年代初頭のコナン映画、たとえばベイカー街の亡霊や14番目の標的にみられるように、基本的には、ひとつの大きな謎に挑む個人(コナン、少年探偵団などたち)と、犯人或いは世界全体を賭けた知恵比べという「個と世界の対決」が軸だった。しかし変質していく。令和のコナン映画では、犯人にも事情やドラマがあり、「ただの悪人」では済まされないことが増えた。「黒鉄の魚影」は、公安・FBI・黒の組織がそれぞれの「正義」がぶつかり合うようになった。
これが際立つようになったのは、「能力主義」が極まった点にある。本編にハイスペックな大人たち(安室透、赤井秀一ら)の存在感が高まったことで、少年探偵団が無力化していった。灰原哀も加えれば、安室・赤井といった超人だけで世界が動くようになった。令和の映画は、「一般人の成長」とか「みんなで協力」とかは描かない。「天国へのカウントダウン」で灰原を「ご飯一粒」に例えた元太は声だけは大きいものの空虚になり、光彦はその副役であり、歩美ちゃんに至ってはご飯一粒ですらなくなっている。
昔は少年探偵団でも、ちょっとした活躍が描かれた。子供でもがんばれば大人に勝てるという夢が確かにあった。しかし令和以降のコナンで必須なのは、探偵バッジを使った素人の「ごっこ」ではなく、専門家集団によるプロの追跡、爆発回避、ハッキング、格闘、狙撃といった映画の華だ。元太は安室透にはなれない。 「努力すれば報われる」ではなく、「生まれつき強い奴しか勝負の土俵に立てない」という令和においては自明の感覚が、むき出しのエンタメとして昇華されている。超ドライでリアリズムなシンクロ現象を無批判に楽しんでいるのが、430万人の大勢ということになる。
話を進める。何故女性に人気になっているのか。
かつてはサブテキストだった恋愛要素が、映画の「目玉」になっているのが第一だろう。
「平成コナン」は、新一(コナン)と蘭、キッドと園子の恋愛感情は、ほのめかしくらいだった。コナンの正体が新一だと蘭にばれるのではないかというハラハラも含め、読者に想像させる余地もあった。しかし令和は、新一×蘭のキス、安室の「君だけだよ」みたいに、あからさまなファン向けのサービスシーンが出てくる。これは、現代の「推し活」市場、つまりファン需要を直撃する供給する市場に、演出が傅いている。恋愛は物語の自然な副産物ではなく、「売るための商品」になったのは如何にも令和的だ。
やや脱線するが、ラブコメ市場に取り込まれたコナン映画はかつては、死者が出ると空気が変わった。令和では、爆発でビルが吹っ飛んでも、なんとなく「エンタメ」として処理される。『瞳の中の暗殺者』で佐藤刑事が撃たれる場面は非常に重くるしく、『14番目の標的』は被害者が主要人物に親しい人物で、世界の喪失感が強調された。しかし令和は、ビルが爆破されても、ヘリが墜落しても、もちろん一般人も死んでいるだろうが、その扱い方は余りにも軽い。今年公開の「隻眼のフラッシュバック」では冒頭で警察官が射殺されるが、その扱い方は「14番目~」と比べても軽薄だ。
死者は出るけど、「エモ消費」される。誰も絶対に正しくない世界を、能力ある者だけが滑空し、事件を解決する。これが令和のコナン映画になっている。
話を戻すと、何故これが女性に人気なのか。
令和のコナン映画最大の特徴は「選ばれし超人男性」が過剰供給されている点にある。これまでのコナン=工藤新一、服部平次、怪盗キッドに加え、安室透、赤井秀一、ジン、諸伏景光、松田陣平である。しかも彼らは、イケメン、有能でありながら、でも内側に影や矛盾を抱えている(=ギャップ萌え)点も惜しみなく強調されている。つまり、女性からしてみれば「手が届かないけど理解したい」対象として意図的に設計されているのである。さらに悪辣なのは、これらのキャラクターたちはリアルな恋愛対象には決してなり得ない点だ。現実に傷つくリスクなしに、完璧な男たちを「推す」ことができるというわけだ。
さて現実に目を当てると女性進出が進んだ令和という時代は、蓋を開けてみれば、就職、恋愛、SNSなど目に付くほとんどが競争や格差の地獄になっている。特に若い女性は、労働市場での非正規化
恋愛市場での「選別」圧に常に晒されている。だから、「現実で勝てない自分」を、「フィクションで勝者に仮託したい」って欲望が強化されている。だからこそ、コナン映画に登場する超スペックキャラたちは、彼女らの分身として機能する。直接ではないが、推すことで自分も「勝者側」の一員になれる感覚を、「推し活」に擬態して味わうことができるのだ。
自明ではあるが、令和のコナン映画は、単なるキャラ推しではなく、赤井&世良、安室&降谷、コナン&灰原(仲間であり、理解者)という、「分かる人には分かる濃密な関係性」前提に、ファンに提示して「関係性を推す」という、令和の消費スタイルにドンピシャにハマっている。しかしそれすらも、「コナンって面白いよね(含意するところは、いうて子ども向けだから)」というアリバイで覆い隠してしまうのである。
まとめます。
コナン映画の女性人気は、現実の男たちに絶望した結果にしかみえない。恋愛市場で「普通の男」すら減った。結婚はリスクであり、子育ては地獄。リアルな恋愛をする気力すら奪われた女性たちが、
「せめてフィクションでは最高の男に愛されたい」と願うのは、もはや生存本能に近い。だから僕は正直責めることはできない。なぜなら、コナン映画に群がる女性たちは、「現実の恋愛市場・労働市場で敗北した自分」を「フィクションの超人男性」と「疑似絆関係」に仮託して、かろうじて自己肯定をつなぎとめているからだ。
しかし、それでも、コナン映画が女性に人気であること自体が、令和という時代の病巣を一端を示しているようにしか思えない、という感覚だけは忘れないようにしたい。
ギャルちゃん: 「確かに言われてみれば…なんで『残念』が魅力なんだろう?」
オタクくん: 「説明するね! 要するにさ、あれってバラエティ番組みたいなもんなんだよ」
オタクくん: 「うん。くりぃむしちゅーとかマツコ・デラックスとか有吉みたいな感じで、ちょっと斜に構えたキャラがいて、他の人に対してリアクションする、みたいな。『バナナマンの日村って顔残念だけど面白いよなー』とか『壇蜜ってエロいけどババアじゃん、残念!』とか『ザ・たっちって芸がないけど顔が面白いだけ、残念!』みたいなさ。…あ、テレビ見ないからわかんない? じゃあ、もっとオタクっぽく言うと…」
ギャルちゃん: 「うんうん、なんとなくイメージは湧いたかも!」
オタクくん: 「『テニスの王子様』って漫画あるでしょ? あれってスポーツ漫画のフリしたギャグ漫画でさ、人間じゃできないような超すごいプレイが出てくるじゃん? それを楽しみにしてるファンが、毎回雑誌が出るとギャグシーンを切り抜いてブログに載せたりしてるんだよ。『俺ガイル』って、完全にそういう、他人の残念なところを上から目線で見て楽しむみたいな作品になっちゃってると思うんだ」
ギャルちゃん: 「あー! テニプリ! なんとなくわかったかも! 人をいじって笑う、みたいな感じなのかな?」
オタクくん: 「そうそう! しかも、自分から何かするっていう『主体性』さえ失って、完全に『メタ』、つまり上から物事を俯瞰してるだけの作品になっちゃってるんだよ」
ギャルちゃん: 「メタ…俯瞰…? ちょっと難しいけど、自分は動かないで見てるだけ、みたいな感じ?」
オタクくん: 「まさにそれ! だから、『面白い人が来るのをただ待ってるだけのノベルなんて…これじゃまるで徹子の部屋じゃないか!』って、僕は結構真面目に思ったんだよね」
ギャルちゃん: 「徹子の部屋!(笑) たしかにゲスト待ちだもんね!」
オタクくん: 「もちろんさ、今までも、受身だったり活動内容がおかしかったりする部活なのに、斜に構えて偉そうなこと言うノベルはあったよ。でも、そういう作品でも、斜に構えつつも、なんだかんだで自分なりに努力したりする姿を描くことで、キャラが成長していくっていう、少年漫画みたいな要素が時間とともに出てくるものなんだ」
オタクくん: 「例えば、『涼宮ハルヒ』だったら、破天荒なハルヒが、主人公のキョンを通じて、普通のやり方とか普通の世の中に少しずつ馴染んでいくっていう話になってて、斜に構えてる自分と、理想通りにいかない現実とのギャップを埋めようとしてる」
オタクくん: 「『僕は友達が少ない』だってそうだよ。友達作りたいっていう(まあ、実際は部員が楽しめる遊びを考えてるだけなんだけど)名目で、『それプライベートでやれよ』ってツッコミたくなるような活動だけど、それでもキャラクター同士の関係が変わったり、成長したりする様子は描かれてるんだ」
ギャルちゃん: 「うんうん、どっちもちゃんと変化があるんだね」
オタクくん: 「でも、『俺ガイル』は完全に受け身で、ただ出された問題に答えてるだけ。問題を繰り返すうちに成長するのかもしれないけど、それって自分で『成長しよう!』って選んでるんじゃなくて、ただ状況に流されてるだけじゃん? 部活動っていう、本来は自分から動いて社会性を身につけるはずの場所でやることじゃないと思うんだよね」
ギャルちゃん: 「そっか…自分から動いてないから、本当の意味での成長とは違うんじゃないかってこと?」
オタクくん: 「そうなんだよ! はっきり言って、そんなのカウンセラーとか探偵事務所でやればいいじゃんって思う。いっそ、主人公を教師にするとかにすればよかったのに、たぶん美少女とのラブコメ要素を入れたいっていう浅はかな理由で(※これは僕の推測ね)、意味もなく高校生が主人公で、意味もなく舞台が学校っていう、ふざけた設定になってる気がするんだ」
ギャルちゃん: 「ラブコメ要素のため…! うーん、それはちょっと安直かも…」
オタクくん: 「ファンタジーな世界を作る努力とか、その世界を能動的に楽しもうっていう姿勢とかがさ、どんなに意見が合わないライトノベルにだって最低限はあったと思うんだけど、このノベルはそれすら放棄しちゃってる。だから、『この主人公の自信満々なスクールカースト批判って、一体どこから来る自信なんだろう?』って不思議に思うわけ」
ギャルちゃん: 「たしかに、自分は何もしないのに批判だけしてるってなると、説得力ないかもね…」
オタクくん: 「スクールカーストを批判する作品って、例えば『灼熱の小早川さん』とか、『桐島、部活やめるってよ』みたいに、ちゃんと問題に向き合って、それを乗り越えようと努力したり、代わりの道を探したりするものでしょ? あるいは、『ハルヒ』や『はがない』みたいに、やってることは遊びでも、『部活動』っていう枠組みの中で、社会で生きていくための『立ち振る舞い』を、自分たちで選んで身につけていこうとしてる」
オタクくん: 「ところがさ、『俺ガイル』には、そのどっちもないんだよねぇ…。あれを『部活動』って呼んでいいのか? そもそも、主人公が高校生である理由とか必要性って、本当にあるのか?って、僕は思っちゃうんだよ」
ギャルちゃん: 「うーん、なるほどね…。オタクくんが『俺ガイル』に対してすごく批判的な理由が、なんとなくわかった気がする。ただ面白いだけじゃなくて、その作品がどんな影響を与えるかとか、どんなメッセージを持ってるかとか、そういうところまで深く考えてるんだね。すごいなぁ…!」
https://novelgame.jp/games/show/11499
実況でも数時間悩んで全クリできないのが普通だから詰まった人はさっさと答え見た方がいいかと
全部犯人→暴虐
9→平凡
489→お道具
15679→おしゃれ
9以外を犯人→逆張
7以外を全て犯人→お色気
69→純愛
26789→人情
2379→名探偵
14568→迷探偵
578→ 暗躍
全END回収後にタイトル画面で右下のリボンをクリック→?(コンプ)
一部のENDが難易度高いうえに納得感薄いのが残念ポイントやね。
人情が一番謎。1389とかで人情ならまだわかるんだがどういう繋がりだったのかわかる人教えて欲しい。(追記:多分、悪そうなやつら全部排除したらってことなのかね?助手が出すヒントとかと全然違うやん。重要参考人も引っ張れって言ってたから姉弟狙いなら姉弟入れちゃうよ。)
いやいや、「宣伝かぁ?」って感じしかないね、この投稿。なんかもう読んでるだけで怪しさ全開っていうか、どこから突っ込めばいいのか分からないくらい胡散臭さが漂ってるよ。リベルサスとかいう薬の名前とか、荒野なんちゃらってゲームのタイトルとか、やたら具体的に出してきてさ、何? 通販サイトとゲーム会社のタイアップでも狙ってんの? って思うくらい不自然すぎるわ。浮気性の妻がダイエット始めたとか、結婚15年で3回浮気されたとか、いちいち設定がドラマチックすぎてさ、逆にリアリティがゼロなんだよね。誓約書まで書かせたとか言ってるけど、そんな都合よく「次浮気したら離婚ね」なんて話がスムーズに進むわけないじゃん。で、毎回外見にこだわり始めたら浮気の兆候とか、エステだのプライベートジムだの急に通いだすとか、めっちゃ分かりやすいテンプレ行動させてるあたり、創作臭がプンプンしてくるよ。で、今回はそのリベルサスとかいう怪しい薬を飲んでるって呆れてるらしいけどさ、そんな怪しい薬の名前をわざわざ出す意味あんの? これ絶対どっかの通販サイトの宣伝絡んでるだろって勘ぐっちゃうよね。
んで、浮気相手がオンラインゲームで知り合った男とか、ディスコードで夜な夜な会話してるとか、また妙に具体的な設定が続くなぁって感じ。ゲーム始めて半年でそろそろ会う頃合いとか、あえぎ声が聞こえたとか、いちいちエピソードが過激すぎてさ、こんなん笑いものにしかならんわ。探偵雇って証拠押さえるとか、かっこいいこと言ってるけどさ、そんな金と時間かけてまで追い詰める価値あるのかねって思うし、そもそもこの話自体が本当かどうか怪しいもんだよ。15年専業主婦で月50万以上浪費して、家事は家政婦任せで何もしてないとか、生活力ゼロの妻が破滅する姿を想像して静かに準備してるって、なんかもうヒーロー気取りが痛々しいっていうか、こんな都合のいい悪役キャラみたいな妻がリアルに存在するわけないじゃんって思うわけ。いや、仮にいたとしてもさ、そんな女と15年も一緒にいて今さら「愛情薄れた」とか言われても、「お前何してたんだよ」ってツッコミしか入らないよね。
なんか全体的にさ、悲劇の主人公ぶってるけど、その実どっかの企業案件でも受けて書いてるんじゃないかってくらい不自然な話の流れなんだよ。薬の名前とかゲームの名前とか、妙にピンポイントで出てくるし、毎月50万浪費とかいう現実離れした数字もそう。家政婦雇ってるような暮らしで、なおかつそんな金がポンポン使えるなら、そもそもこんなドロドロの浮気劇なんかやらなくてもっと優雅に生きてそうじゃんって思うし。で、最後に「けじめつける準備」とかカッコつけて締めてるけどさ、これ読んでるこっちは「はいはい、宣伝お疲れ様」って冷めた目で見てるだけなんだよね。こんな長ったらしい話、誰が真剣に信じるんだよって感じだし、結局ステマか何かのネタ投稿かって疑いが消えないわ。まぁでも面白かったよ、フィクションとしてはそれなりに楽しめたから、そこだけは褒めてやるかな。
日曜の深夜に始まったLAZARUSを見て以来、毎日、何回もBoo RadleysのLazarusを聞いている。正確に言えばYouTubeでバンドのPVを見ている。
COWBOY BEBOPで有名なアニメ作家の新作アニメがLAZARUS(読みはラザロ)で、タイトルはBoo Radleysの30年以上前の曲からの引用でED曲にも使われると知り、急に興味がわいたのが金曜の夕方だったからギリギリ間に合ったのだ。
アニメには本当に疎いので、作品の出来の良しあしはわからないが途中のパルクールシーンの劇伴がかっこよかったので継続しようかなと思えた。
劇伴とOP曲はKamasi Washingtonなので、この監督のファン層であろうサブカルに敏いクラスター的にはそっちに注目してるようだが、僕としてはどうしてもED曲のLazarusのほうに注目してしまう。
EDの動画もYouTubeにアップされ、そこそこ見られてるようだが、本家のBoo RadleysのPVが数か月前に見たときの倍くらいまで再生数を稼ぎ出していて、コメントもこの数日から一か月くらいで新規がついてるのを見るとちょっとうれしくなった。
僕が90年代後半のBrit Popブームの中で、ほぼ唯一好きになりにいったバンドがBoo Radleysだった。
他にも好きだったバンドはいっぱいある。それこそBlur、Oasisの二大巨頭はもちろん来日公演を見に行っていたし、Kula Shaker、Dodgy、The Verve、Radiohead(当時はまだCREEPがヒットしたバンドみたいな扱いだった)、Supergrass、Mansun、Bluetones、etc...個々の曲で好きな曲は山ほどあった。ちょっと遡って、Stone RosesやHappy Mondays(どちらかと言えば好きだったのはBlack Grapeだったが)、James、Soup Dragonsあたりも好きだった。
そうしたバンドはだいたいが、何度か聞いたら普通にファンになっていったのだが、Boo Radleysはちょっと違って、このバンドはよくわからなくても何度も聞いて自分から好きになりにいったバンドだった。
Boo Radleysを知ったきっかけはちょうど30年前の今くらいの時期に吉祥寺のレコファンで聞いたWake Up Boo!だった。そう、Boo Radleysといえば、Wake Up Boo!なのだ。「史上もっとも気分が良くなる曲」に認定されたというあの陽気なホーンのイントロとさわやかなメロディの。
しかし、僕が聞いたWake Up Boo!はちょっと違った。曲が終わったとたん長くダビィなトリップホップのような展開が延々と続くバージョンだった。あとで購入した盤でWake Up Boo!: Music For Astronautsというバージョンだと知った。
とにかく陽気なのに突然薄暗くシリアスな面を見せてくるこのバンドは何かが変だ、これは聞いてみないとと思ってアルバムWAKE UPを買って聞いてみた。CREATIONというレーベルなのでそういうバンドだとは想像していたが思った以上に陽気でメロディアスな曲は多くなく、全体に違和感を感じるくらいに当時のBRIT POPにありがちな軽薄さが全然ない、むしろ、Wake Up Boo!は無理やり作ったんじゃないかと思えるくらいの根の暗さを無理やり押し隠したようなアルバムだった。(実際、Wake Up Boo!は録音時にギターのマーティン・カーの技量的にまだ厳しくて、通しでは弾ききれなかったらしい)
当時は大学生なりたてて、浪人時代を少し引きずっていて鬱屈気味なのに無理やり明るくなろうとしていたこともあったのか、なんとなくこのバンドのことをちゃんと知りたいと思うようになった。当時はまだ大学生の半数くらいが浪人だった時代でマジョリティまでいかなくても同級生の半分くらいは浪人を経験してきているので、そんなにコンプレックスを感じることもなかったのだが、それでも1年間の浪人経験は入学後もしばらく自分の人格に影響を与えていたのは否めない。
そうした自分にとってこのバンドは何か心に刺さるものを届けてくるように思えた。好きなバンドとは言い切れないが、でも何度となく聞き続けてファンになる必要があると思った。そういう意味でこのバンドは最初から好きだったわけではなく好きになりにいったバンドだったと思う。
アルバムのライナーノーツや音楽雑誌の批評を読みながらアルバムを聴いていたが、どの批評でも前作のGiant Stepsと収録曲のLazarusについて触れているのを目にして、それらも聞かないとならないと思い、たまたま大学の近くのディスクユニオンで見つけたGiant Stepsを購入して聞くことができたのはほどなくしてだった。全然わからなかった。正確に言えば、なんで1993年のベストアルバムとしてこのアルバムがあげられるのかわからなかった。当時の自分にいわゆるシューゲイザーバンドへの素養がなかったのもある。マイブラやRideがわからなかったのと同じだと思う。このアルバムを一聴で好きになるにはその素養が必要とされた。でも、何度も何度も聞き続けるうちにものすごく面白いアルバムではないかと思うようになっていた。
そしてLazarusが耳からこびりついてしばらく離れなくなった。突然始まる轟音ギターに重なるトランペットのフレーズの美しさ、メリハリをつけるように静かになった中でほとんど1フレーズのメロディが歌われ、ふたたびサビのようにトランペットが流れる。なぜか今でも思い出すこのころの大学周辺の天気は曇り空なのだが、そこのBGMとしてLazarusはぴったりだった。
まあ、とはいえLazarusやそのほかのBoo Radleysの曲ばかり聞いていたわけでもないし、むしろ他のバンドのほうがいっぱい聞いていたように思うが、なんとなく自分の大学時代の音楽と言われるとBoo Radleysが真っ先に思い出されるし、今でも聞くとちょっと内臓の奥の方がぎゅっとされる感じはある。
そんな僕も大学を卒業して就職し、たまたま出会った女性と結婚して、子供が生まれた。聞いてる音楽はBrit Popからトリップホップを経て、クラブミュージックに移行してロック方面はあまり詳しくなくなるうちにいつの間にかBoo Radleysも解散していた。
息子は僕にはなかった音楽の才能がそれなりにあったようで、ピアノをずっと習いつつ家ではボカロ曲なんかと弾いたりするような子になった。とはいえ、自己顕示欲がはなはだ薄いのでネットにアップするようなことはしなかったが。
そんな息子は高校に入り吹奏楽部に入った。サックスを吹くようになり、そこそこはまった彼は家でもYouTubeでいろいろな演奏動画を見るようになった。僕がクラブ文脈で好きだったロシュフォールの恋人たちのキャラバンの到着や、ルパンのテーマ、Sing Sing Singあたりを好んで聞いてるのはちょっと嬉しかった。息子にあれこれと教えたりもした。そうした中に息子が自分で動画あさりをしていく中で見つけた曲にCOWBOY BEBOPのTank!もあった。僕も聞いてなるほどこれはいい曲だと思った。
ルパン三世、というか、それが参考にしていたラロシフリンやエンニオモリコーネ、アルマンドトロバヨーリといった古き良き探偵、スパイ映画のような素晴らしくスリリングなテーマソング。アニメに熱狂的なファンがいるのもうなづけると思った。
あわせて息子は中学の終わりくらいから深夜のアニメを見始めるようになり、時折、リビングのテレビでも見るようになっていった。特にジャンプラ系のマンガ原作のアニメは僕がジャンプラを読んでることもあり、一緒に見ることが多かった。次第に息子の興味はこてこてのアニソンよりも、米津やKing Gnu、髭dan、ミセスあたりを経由してJ-POP方面になっていった。そして今度は息子の好きな音楽を通じて僕も最近のJ-POPがちょっとわかるようになったし、ちょっと好きになってきた。ちなみに今、息子が一番好きなのはサカナクションだったりする(もちろん、チ。経由)
そうした中でLAZARUSが始まった。息子はあまり体系的にアニメを見る方でもないこともありCOWBOY BEBOPも見ていないので、初回は見たのかわからない。僕はリビングで一人で見ていた。
僕は半信半疑でEDを待っていた。そして、EDが始まった。あの轟音ギターとトランペットがリビングに鳴り響いた。いや響くというほどの音量でもないが。正直、共感性羞恥のようなものが若干発動したが嬉しかった。死体のようになった登場人物を次々に画面に出すまるでワンカットのような映像、あまりにもはまっていた。僕が大学の始まりの年に感じていた微妙な心象風景のような映像だった。自分は生きているのだが周りは生きているのかわからないような。
すごく良かった。この映像がきっかけでBoo RadleysのLazarusが話題を集めたら面白いと思った。
そして、ちょうど大学生になった、つまり僕がBoo Radleysを好きになりに行った時と同じステータスになった息子とLAZARUSを見て感想を言い合いたいと思った。
普通の人が思い付かない、明後日の方向に推理が働くの、凄いと思う
思考が読めないの、安倍昭恵とか、山上の母親とか、ああいう類の人種だと思った
ただ、ちょっと計算高いところもあって、自分にヘイトを集めたいといいながら、
つまり、悪い女だからこんなことになったんだ、と主張したいのだと思われる
よって、悪い女じゃなければ問題なかったので、我こそは良い女と思う方はボクを助けてください、ということなのだろう
多分、自分自身でも自覚がないのかもしれない、本能レベルでヒモになれる女性をいつも探しているのである
しかし、その裏で感謝どころか、自分の無能さを棚に上げて激しい嫉妬が渦巻いているのが彼の本性であろう
キメセクするために女性に薬を飲ませたら女性が死んでしまい、その遺体を放置したあの押尾学である
あの事件の部屋はピーチジョンの女性社長名義だったことでも有名である
しかし、今回の自称婚約者はジョージオーウェルではないが、助けてくれた人を内心では激しく憎んでいるように思える
金づるとなる女性のおかげで生活できているのに、助けてくれる女性を内心では恨んでいるのである
そのアンビバレンツが彼を尚更おかしくしているのだと思われる
別にヒモ人生だって立派な人生なわけで、ヒモとして、女性の犬に徹すればいいだけなのに、プライドだけは常人よりも遥かに高いのである
だから、IT系社長で月収100万円とSNSで自慢するわけだが、その月収100万円は被害者がライブ配信で稼いだ金である
しかし、ホストに狂うようなタイプの女性は、トロフィーワイフならぬ、トロフィーとか鑑賞物としての男性を求めている
女性は若いうちはライブ配信であれば、男性は喋らなければ立ってるだけならば格好はいい、身長180cm以上である
多分、俳優とかやってたらしいが、台詞とかにも苦労するタイプなのではないだろうか
私も演劇をやっていたことがあるが、台詞はただ覚えればいいのではない
ド忘れしたときのためにも、物語の流れとして身体に叩き込み、本番はアドリブのオンパレードで乗り切ることもある
暇なので調べてみた。以下を準拠しようとはするが元増田とは別人なのでずれると思う。
◎はスゴイ能力者でかつその血縁が主人公の能力に深く結びついている父親
×は作品の世界観的にはすごくない父親(佃煮屋やサラリーマンへの職業差別ではない)
?は話には出てくる、もしくは話にも出てこない父親
〇 名探偵コナン:世界的に有名な推理小説家。探偵能力無いなら△なのかも。
× タッチ:細くて和の部屋着で髭の人だっけ?
〇 らんま1/2:そこそこ強いと思って読んでた。後天的で他にも多いが変身能力がある
△ 今日から俺は!!:同系統といえばそうなのかもだが〇ほどではない
◎ 犬夜叉:大妖怪。主人公かごめ? 記載順だと犬が先だった。
◎ うしおととら:最強クラスの法力使い。一族で槍を伝承してる。
? 葬送のフリーレン:読んだ限りではまだ出て来てない。エルフだからといってみんなが凄いわけでもなさそう
◎ 烈火の炎:火影忍軍六代目頭首。火竜・裂神
× 金色のガッシュ!!:考古学教授。ガッシュのお父さんは凄い◎
△ からくりサーカス:よくわからない。勝の生まれは影響大だが、実父は普通? 鳴海のほうも普通商社マン・
ARMS:義父母は凄い。血縁と言うか生まれが影響でかいといえばそう。
△ 史上最強の弟子ケンイチ:スナイパー(趣味)
× おそ松くん:イヤミに先駆けてシェーのポーズをしたらしい(セリフは別)
× 機動警察パトレイバー:酒屋さん。遊馬父は元工場の人で現大会社社長。
◎◯7 △×15 ?1
常識世界が多いので、普通でもないの評価は甘くなりがち(悟空父は〇だと思う)
1000万部以上のランキングから辿った人の情報を元にしたので、23作品となりました
犬夜叉、烈火はどう頑張っても強くなる。うしおは実はそうでもないのかも。命削ってた? 槍使えるだけで凄いのか。
マガジンはまた今度