はてなキーワード: 主人公とは
初号機がキャノン型
弐号機でようやくガンダム登場
第三新サイドコロニー。
使徒と呼ばれる巨大な小惑星アクシズと一体化した鶴巻は庵野秀明政府に独立戦争を挑んだ。
しかし戦争は膠着状態を迎え結局は脚本に庵野秀明が入らないわけにはいかないのであった。
よーし、としお大先生が言ってた庵野秀明の創作手法を僕なりに取りれてボクチンも自分の大好きなもので自分の創作物を埋めてくぞ!!
アクシズはとしおからヒントを得るのが大好きですがそのヒントをうまく理解が出来ません。
せっかくのトップ2を「主人公が概念と化す」というエンディングまとめるための画期的なヒントも活かすことが出来ませんでした。
そしてその手法はある大ヒットアニメにいただきされることになるのです。
たぶんアクシズはそれを見て、あああのときとしお言ってたのこういうことだったのかあ、と思ったのかどうかはしりません。
という夢をみていました。
長い昼寝でした。
まず最初に真面目で誠実でめっちゃいい映画でアホな感想しづらいからこんなとこに書くんだが、激渋中年祭り。もう出てくるキャラが良すぎる。
見た人も多分同じように思ってるはずだけど、多分内容が真面目すぎて言えないだろうから、代わりに言う。
小栗旬(のキャラ)はちゃんとした大人になって責任感もその取り方も知ってる感じ。いい感じに疲れてて「ああこの人所属俳優のせいで大変だもんな」って同情も相まってキャラに深みが出てる。
窪塚洋介はキングが更生して医者になってDMAT仕切ってる感じが出ててキャラ立ちしすぎ。こいつだけ漫画だろ。小栗のこと「結城ちゃん」呼びしてるのも含めて最高。でもそれも史実なんですか!?
池松壮亮は、まじ普通。こう言うとアンチみたいだけど、普通の人を普通に演じるのって凄いと思うし、一般的に普通の感覚の人がこの場所にいることがあまりにも過酷で泣けてくる。演技が馬鹿うまい。劇場の観客一旦みんな感情移入しすぎて池松壮亮になってたわ。池松壮亮は100通りあるねん。
松坂桃李は………なんだこいつは!!最高の萌キャラが出てきたぞ。お前はシン・ゴジラにも居ただろ!?って官僚で、ツンデレ激かわいいのに仕事ができまくる。ただ史実はもっととんでもない動きしてたって聞いて、ちょっと現実が怖くなりましたね。
森七菜は!君は!ポスターの真ん中に居ていい主人公ではないか!!!と訴えたくなるくらい、主人公してる。(まあ医療従事者じゃないからあれだが)ていうか英語うまい。喋れなかったとは思えない。もうみんな森七菜の味方だから。あなたの笑顔を守りたい。制服とパンプスで走り回る森七菜、ありがとう。
桜井ユキはまーーじでムカつく役してる!!!でも桜井ユキは鑑賞者とも一体だから。俺達私達は実は桜井ユキってこと。え、桜井ユキになれるんですか?ありがとうございます…。ヒール的位置を引き受けてさらに感情の揺れがあんなに繊細に出せる桜井ユキ、もう名俳優ですよ。
滝藤賢一は出番は後半だけ、なのに印象に強く残って、いつもどおりムカつくのに全員から好かれるようなキャラを好演してムカつく。
光石研もまた桜井ユキと同じかそれ以上にムカつく役なのに光石研のこと嫌いになれないのなぁぜなぁぜ?まあみんな、そばには1人くらい光石研がいるからな…ああいうやつ味方につけたら強いんだよな…。
まじで題材的にこういう目で見てごめんだけど、そういう目でも楽しませてくれるように作った制作チーム、強い。
SNSでわかりやすく真面目に感想しなきゃとか、あんま思わなくていいので。気ままに見に行ってくれ。
本当にいい映画なので。
主人公ってゲーツ殺してたんだ
ニャアンは全体的に会話も通じてないというか、
前回の会話があって今の会話があるという連続性が途絶えてる感じあるよな
途中の引け目を感じてたシーンも、引け目というより存在感を示せないと捨てられる世界にいたから保身の意味で焦ってるだけに見えた
いやラーゼフォンはつまんなくねえよ
OPカッコいいしキャラクターデザインも素晴らしい
エヴァフォローな作品だからって指揮官の三石琴乃(セーラームーン)に対して久川綾(セーラーマーキュリー)という安易なキャスティング
Q.
「ポケ戦」とは何のことでしょう?名作らしいのですが。
A.
「ポケ戦」とは、多くの場合、1989年にOVA(オリジナルビデオアニメーション)としてリリースされたアニメ作品**『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』**のことを指します。 ガンダムシリーズの中でも特に名作として評価されており、その理由はいくつかあります。 戦争の悲劇を深く描いている: 本作は、少年アルフレッド・イズルハ(アル)の視点を通して、戦争がいかに無益で、幼い心を傷つけるものであるかを描いています。ガンダム作品の多くがMS(モビルスーツ)同士の戦闘を主軸に置くのに対し、『ポケ戦』はMSパイロットではない少年が戦争の現実を体験していく過程に焦点を当てています。 MSパイロットではない主人公: 主人公が一般的なガンダムシリーズの主人公(MSパイロット)とは異なり、ごく普通の少年である点が新鮮です。彼の目を通して描かれる戦争は、より視聴者に身近なものとして感じられます。 MSの魅力: 主役機であるガンダムNT-1(アレックス)や、サイクロプス隊が運用するザクII改、ケンプファーなど、メカニックデザインの面でも非常に人気が高いモビルスーツが登場します。特にケンプファーはその登場シーンのインパクトと強さで多くのファンを魅了しました。 短いながらも濃密なストーリー: 全6話という短い話数の中に、キャラクターの心情描写、MS戦、そして戦争の悲劇が凝縮されており、非常に完成度が高いと評価されています。 悲劇的な結末: 多くのガンダム作品が最終的に希望や未来を描くのに対し、『ポケ戦』の結末は非常に悲劇的であり、戦争の厳しさを痛感させられます。この結末が、作品のメッセージ性をより強くしています。 もしガンダムシリーズをご覧になったことがない方でも、単体で十分に楽しめる作品ですので、機会があればぜひご覧になることをお勧めします。戦争のあり方や、人の心のあり方について深く考えさせられる名作です。
クオリティの高い映画なんだけど、自分には刺さりきらなかった。すごい、んだけどうーんというか。
まず歌舞伎世界で起きる芸か血かってテーマが別世界すぎて(いや他にも色んなものを含んでいるのかもしれないけど)(それゆえに分かりにくいのかもしれんが)感情移入できるところが少なかった、ラストにカタルシスがあるわけでもなく。。。
ただ歌舞伎は美しいし、劇中の主人公たち演じる、重要な二つの演目。曽根崎心中の「この世の無条理と逃避」「世間への抵抗」鷺娘の「執念や未練、断ち切れぬ愛」の歌舞伎が彼らの境遇心情とラップしている点でも美しかった。
でも女性陣の描き方が雑で芸の世界の美学と男社会の絆=ブロマンスって側面が印象に残る映画だったのが個人的には刺さらなかったかな。
しかし芸達者な俳優達のなかで女形のおじいちゃんが一番ど迫力で目を引いた、なんか惑わされそうなバケモノじみた快演だった。
観るなら劇場で観るのが良いと思う。
ホストにハマって体売りそうになってる女が主人公なの草なんだよな
社会を5年遅れでしか見れてない上にガンダムである必要性すら無い駄作
FFTの何が良いって、最後まで「ラムザとディリータが戦わなかった」事にあると思っている
最初にOPを見た時にはてっきり、「表の英雄」であるディリータは実は悪人で、真の英雄である主人公ラムザを陥れて葬ったとか
そういう感じのオチが付くんだろうと思っていた
それが実際には1章の最後でディリータから「次はお前だ」的な事を言われはするものの、二人が本当に殺し合う事はなく、
最後まで交わらない平行な道を行くものの最後までお互い親友同士という意識は変わらずに終わった
これが新鮮で良かったんだよなあ
主人公はラムザながらも自分はどちらかというと平民出身のディリータの方に感情移入していたから、彼が主人公に対立する「悪」として倒されて終わったりしなかったのが良かった
で、「決定版」が出るらしいけれど。
自分が好きだった点は変わらずにいてくれるかちょっと不安。ラムザがディリータと決闘してディリータを倒すみたいなありきたりな話にならないでいてくれると嬉しい。
機動戦士ガンダムの初代は世間では完全無欠の名作みたいに扱われているけれど、純粋に良かったと思えるのは個人的には哀戦士までだと思う。
「ガンダムは○○まで」の語法を使うならば、個人的には「ガンダムは哀戦士まで」だ。劇場版(及びTVシリーズのそれに該当する部分)の哀戦士までのガンダムは本当に良かった。
それが3作目のめぐりあい宇宙になると、良かった部分も確かにあるものの全体としては残念な印象だった。寧ろZやZZこそが初代における哀戦士までの良さを受け継いでいる印象。哀戦士までのガンダムは戦場での少年少女の成長や敵味方問わずのドラマと人間讃歌を描いていたと思うんだけど、それはめぐりあい宇宙を飛ばして一足飛びにZやZZで描かれている印象。
何が残念って、めぐりあい宇宙ではアムロが人間をやめてしまう。ホワイトベースの仲間達との等身大の交流の輪から抜け、突如現れたララァ・スンなる敵の女性パイロットこそが世界で唯一同じものを見て同じものを聞く事ができる「真の仲間」であるかのように描かれる。
そしてその一方でアムロは、シャアとセイラの語る、そもそもこの戦いは何故起きたのかという一般的に言う所のネタばらしからは完全に蚊帳の外のままだった。つまりそういう俗世からは距離を置いて、特別な存在同士ララァと戯れ合っていればいいかのようなストーリーライン。ニュータイプが人の革新だという美名とは裏腹に極めて閉塞的で世界が狭いと感じた。
最後の最後で仲間達の所に戻るもののそれまでの経過からはどうにも取って付けたような印象が否めない。後年悪夢にうなされ隕石を止めて悲劇的死に至るまでの布石はこの時点で既に敷かれているように見える。
例えば1作目でガルマとイセリナが惹かれ合っている様子は、王道で分かりやすいロミジュリ物語で違和感はない。
哀戦士でアムロ達が惹かれる女性士官マチルダは美しいだけではなく仕事に信念を持って臨んでいる様子が語られ、分かりやすく誰もが好きになるような人物像として描かれている。
カイが出会うスパイのミハルも同様に、幼い弟妹を養う健気な少女と実に分かりやすい。
めぐりあい宇宙にはそれがない。凡人にも分かるような分かりやすさを放棄し、分かる人にだけ分かればいいとばかりの独りよがりな脚本と演出になっている。
アムロとは違い、カミーユもジュドーも最後まで人間だった。二人ともニュータイプの女性ハマーンと精神感応するがあくまで敵として別れ、クワトロやファやエマ、シャングリラチルドレンといった身近な人々の所に戻って行く。
よく初代ガンダムは綺麗に終わったのにそれを汚すような続編が作られて残念だとしてZガンダム以降の存在を否定する意見を見かける。
オルタナティブの方から入って最近配信で見た視聴者の目線からだと初代は全然綺麗に終わってはいないと思う。
まあそれが斬新だとか目新しくて良かったという意見は全然有りだと思う。主人公が最後まで単なる一兵卒で終わるアニメが新鮮なのは事実だと思うし。だけどあの終わり方はけして「綺麗」ではないと思う。ゲームで言えば何となく感動的な音楽は流れるものの真相は謎のままで終わるノーマルエンドな終わり方だった。
綺麗な終わり方とは主人公が普通に主人公として、世界の謎を知り仲間の絆を深めて問題を解決する終わり方だと思う。アムロはその全てを放棄した。1作目の時点ではセイラとの出会いやギレンの演説を聞いた際の反応等、伏線らしきものは沢山あったのに。
勿論商業的な観点からは、綺麗に終わらなかった事は正しいとは思う。初代ガンダムは課題の残る終わり方だったからこそ続編が作られ、商業展開が繰り広げられて行った訳だから。
でもやっぱり初代が途中から残念な作品になっているのは事実だから、リメイクか何かで綺麗に終わるバージョンも見たいと思っていたんだよね〜。
本当に残念だ。