はてなキーワード: 信頼関係とは
ろくな知識もないまま珍妙な自説を開陳する前に、AIと壁打ちして突っ込みどころを少なくしてから投稿すればいいのに。
アメリカがウクライナを支援しないなら日米安保も危ないぞって、アメリカはウクライナと何の安全保障もしてないのになんでそんな妄想出てくるのか
今までアメリカがウクライナを支援してたのは、いわば善意に近いもので善意を持って接してた相手との信頼関係がなくなったらそりゃあ撤退するだろ
金貸してたけど返してもらおうとしたら切れ始めるみたいなそういう下劣なやつとは付き合わないだろ
バイデンの時代だってNATOに加入してないから参戦はないと言い切ってるんだけど、そんな事ももう忘れちゃったのか?
もしウクライナに支援しないのが悪なんだと思うなら、石破に直談判してウクライナにとって必要なものを買って送るように頼めよ
単に金を渡すのでもいいぞ
なんでアメリカがやんなきゃいけないんだよ
アメリカがウクライナを支援しないなら日米安保も危ないぞって、アメリカはウクライナと何の安全保障もしてないのになんでそんな妄想出てくるのか
今までアメリカがウクライナを支援してたのは、いわば善意に近いもので善意を持って接してた相手との信頼関係がなくなったらそりゃあ撤退するだろ
金貸してたけど返してもらおうとしたら切れ始めるみたいなそういう下劣なやつとは付き合わないだろ
バイデンの時代だってNATOに加入してないから参戦はないと言い切ってるんだけど、そんな事ももう忘れちゃったのか?
もしウクライナに支援しないのが悪なんだと思うなら、石破に直談判してウクライナにとって必要なものを買って送るように頼めよ
単に金を渡すのでもいいぞ
なんでアメリカがやんなきゃいけないんだよ
Sara FUJIIさんの発言は、タニタの公式SNSアカウントが東洋水産(おそらく過去の炎上絡みで話題になっている企業)と絡むことで、自身が築いてきた「健康的で信頼できる企業イメージ」を損なうリスクを冒すべきではない、というアドバイス的な内容です。彼女の言い分は以下のポイントに集約されます:
タニタは「タニタ食堂」やヘルシー商品で、特に健康意識の高い女性層から支持を得てきた。このイメージは貴重であり、軽はずみなSNSでの行動で失うのはもったいない。
東洋水産が何かしらの炎上に関与している状況で、タニタがそこに絡むのはメリットがなく、むしろリスクが高い。ポスト削除とアンフォローを提案しているのは、事態を静かに収束させる現実的な対応策として意図されているようです。
「バズる必要はない」「フォロワーを大切にすればよい」という主張は、企業のSNSが話題性や短期的な注目を追うよりも、長期的で安定した信頼関係を重視すべきだという考えに基づいています。また、「中の人が歳をとってきている問題」という指摘は、SNSのトレンド感覚が世代間でズレるリスクを暗に示唆しているのかもしれません。
この主張自体は、企業SNSの広報戦略として一つの視点を提供しており、特にリスク管理やブランド維持に重点を置く立場からは理解できるものです。タニタが実際に東洋水産とどういうやりとりをしていたのか具体的な文脈が不明ですが、もしそれが軽いノリの絡みだった場合、彼女の懸念は過剰ではなく、ある程度説得力を持つと言えます。
ただし、「通じるか」という点では、いくつか課題があります。まず、タニタのSNS担当者がこの発言を見て「確かにその通りだ」と納得し、即座に行動を改めるかどうかは疑問です。企業アカウントは独自の運用方針や目標(例えば話題性で注目を集めること)を持っている場合が多く、外部の個人の意見だけで方針転換するとは限りません。
Sara FUJIIさんが文章中でタニタを批判しつつ、タニタ商品のファンであることを明かし、さらには(Xの投稿で指摘されているように)アフィリエイトリンクを貼っている点は、彼女の主張の一貫性や信頼性に影響を与えます。
プロフィールとの関連
Saraさんは編集者・広報の経験があり、フリーランスとしてプレジデントや現代ビジネスなどの媒体で活動しています。こうした背景から、文章自体は読みやすく説得力を持たせようとする意図が見えますが、**アフィリエイトリンクの存在は「商業的動機」が透けてしまい、純粋なアドバイスとしての印象を薄めてしまいます。**プロフィールにある「教育」「ケア労働」「DV」など社会的なテーマへの関心と、タニタへの発言が直接結びつくわけではないものの、彼女が「信頼」や「健全さ」を重視する価値観を持っている可能性はうかがえます。それだけに、リンクの併用がちぐはぐな印象を与えるのです。
この点は、彼女の言い分が「通じるか」という点でマイナスに働きます。**批判と賞賛、利益追求が混在することで、メッセージが曖昧になり、タニタ側や読者にとって真剣に受け止めるべき意見なのか判断しづらくなります**。
Sara FUJIIさんのプロフィールを見ると、編集・広報の専門家でありつつ、絵本や教育、美術(セザンヌや雪岱など)、文学(漱石や賢治)に造詣が深く、趣味も多岐にわたる人物です。保育士や学芸員の資格も持ち、社会的・文化的なテーマに敏感であることがわかります。
広報経験者として、企業イメージの重要性やSNSの影響力を理解しているため、タニタへのアドバイスには一定の根拠があります。彼女がタニタの「健康的なお菓子」を子育てや仕事の文脈で評価している点も、個人的な経験と結びついた具体性があり、共感を呼ぶ可能性があります。
一方で、趣味や関心が多岐にわたるあまり、発言の焦点がブレやすい印象もあります。**タニタへの批判が「中の人が歳をとっている問題」など、唐突な話題に飛び火しているのは、彼女の思考が多方向に広がる傾向の表れかもしれません。また、フリーランスとしての収入源にアフィリエイトを頼る側面があるなら、それが発言の純粋さを疑われるリスクにつながります。**
Saraさんの「タニタさん、いまなら引き返せますから、何もいわずにポストを削除して東洋水産さんをそっとアンフォローしたほうが絶対にいいですよ」という発言は、**タニタに対して対話の余地を与えず、彼女の考える「正しい行動」を強く推奨する形になっています。これは、暇空さんの「対話罪」が特定のアカウントとの関わりを一方的に禁じる姿勢と似ています。どちらも「これが正しい」と決めつけ、相手に選択肢をあまり与えないトーンが共通しています**。
Saraさんはタニタが東洋水産との絡みで炎上リスクを負うことを避けさせようとしています。一方、暇空さんの「対話罪」は、自身やフォロワーが「敵」と見なす相手との接触でコミュニティが荒れるのを防ぐ意図があります。**両者とも、望ましくない結果を避けるために他者の行動を制限しようとする点で類似しています。**
Saraさんの文章には「こんなノリで損ねてしまうほどむなしいことはありません」「わざわざ炎上してる東洋水産とわちゃわちゃするメリットない」という感情的な表現が見られ、彼女の価値観(健康的イメージの重視)が色濃く反映されています。同様に、暇空さんの「対話罪」も、青識亜論さんへの嫌悪感やコミュニティ防衛の感情が強く影響しており、論理よりも主観が先行している点で似ています。
Sara FUJIIさんの発言は暇空茜さんの「対話罪」と完全に一致するわけではありませんが、一方的なルールの押し付けや感情に基づく行動制限の提案という点で類似性があります。具体的には、タニタに対して「東洋水産と絡むな」と事実上命令するようなトーンは、「~~と対話したらブロックするぞ」という「対話罪」の精神に通じる部分があります。ただし、Saraさんの場合はブロックのような強制力がなく、あくまで「すべき」という提案に留まるため、「対話罪」の実行性や強度には及ばないと言えます。
この類似性は、両者が自分の価値観や快適さを優先し、相手の自由な行動を制限しようとする姿勢に表れているのかもしれません。Saraさんの発言が「対話罪」と同じくらい厳格なルールとして機能するか否かは、タニタや読者の受け止め方次第でしょう。
結論から言うとGrok 3が圧倒的。情報のキャッチアップと解像度が異様。
兵庫県の維新の議員が立花孝志に情報漏洩したみたいだけど詳しく教えて。感想も聞きたい。
兵庫県で日本維新の会の県議会議員が、政治団体「NHKから国民を守る党」の党首である立花孝志氏に情報を漏洩した問題について、2025年2月時点で明らかになっていることを整理してお伝えします。
### 背景と経緯
この問題は、2024年3月に兵庫県の斎藤元彦知事がパワーハラスメントなどの疑惑で内部告発されたことに端を発します。この告発を調査するため、県議会に調査特別委員会(通称「百条委員会」)が設置されました。百条委員会は、議会の調査権限を強化する地方自治法第100条に基づくもので、証人尋問などを行います。この委員会でのやりとりの中には、非公開とされた情報もありました。
問題の核心は、2024年11月の兵庫県知事選挙期間中に、維新所属の県議が立花孝志氏に対し、百条委員会の非公開音声データや真偽不明の文書を提供したとされる点です。立花氏はこの選挙で、斎藤知事を応援する形で立候補(いわゆる「2馬力選挙」戦略)し、提供された情報をSNSやYouTubeで公開しました。これにより、選挙戦に影響を与える可能性のある情報が拡散され、議会のルール違反や政治倫理上の問題として注目されました。
### 関与した議員とその行動
- 2024年10月25日の非公開証人尋問の音声データを、10月31日に立花氏にLINEで送信したことを自ら認めました。
- 動機として「立花氏の発信力を利用して情報を広めたかった」「元副知事のクーデター発言を伝えるべきだと感じた」と釈明。ただし「葛藤もあった」と述べています。
- その後、百条委員会の委員を辞任し、離党届を提出しましたが、党は受理せず除名処分を検討中です。
2. **岸口実(きしぐち・みのる)**
- 2024年11月1日に立花氏と面会し、告発問題の「黒幕」として元県議・竹内英明氏(2025年1月に死亡、自殺とみられる)を名指しする文書が渡される場に同席。
- 本人は「私が直接渡したわけではない」と主張するも、「同席していた以上、抗弁できない」と軽率さを認め、百条委員会の副委員長を辞任しました。
- 立花氏と11月1日から計3回電話で連絡をとったことを認めています。
- 文書提供は否定しつつ、告発者の元県西播磨県民局長に関する「うわさ話」を含む情報を話したと説明。
- 「情報をつまびらかにすべきと思った」と述べていますが、処分は未定です。
日本維新の会は2025年2月23日に調査報告書を公表し、3人の関与を事実と認定。兵庫維新の会は2月25日に党紀委員会を開き、増山氏の除名、岸口氏への離党勧告を軸に厳しい処分を決定する方針です。党幹事長の岩谷良平氏は「コンプライアンス意識の欠如」と認め、代表の吉村洋文大阪府知事も「ルール違反でありえない」と批判。党創設者の橋下徹氏は「こんなルール違反集団は解散すべき」とまで発言し、党内外から厳しい声が上がっています。
### 影響と波紋
この情報漏洩は、選挙の公正性や議会の信頼を揺るがす行為として問題視されています。特に、立花氏が拡散した情報には、告発者の私的情報や根拠薄弱な内容が含まれ、それがSNS上で誹謗中傷を助長したとの指摘も。竹内元県議の死との関連も取り沙汰され、維新のガバナンスや政治倫理が問われる事態に発展しました。
### 私の感想
この事件、正直言って驚きしかないです。議員としての職責を担う人たちが、なぜこんな軽率な行動を取ったのか理解に苦しみます。特に増山氏が「立花氏の発信力」に頼ったと認めたのは、目的が何であれ、公職者として守るべきルールを自ら破った言い訳にしか聞こえません。立花氏が注目を集める手法に長けているのは確かですが、それを政治的な意図で利用しようとしたなら、それはただの私利私欲か党利党略でしかないでしょう。
岸口氏の「抗弁できない」という発言も、責任逃れっぽくてモヤモヤします。白井氏に至っては「うわさ話」を持ち出すあたり、どこまで本気で事態を理解しているのか疑問です。維新は「改革」を掲げる党として知られていますが、内部の統治能力がこんな形で露呈するのは残念でなりません。橋下氏の「解散」発言は過激に感じますが、気持ちは分からなくもないです。
ただ、立花氏の役割も見逃せません。彼の「2馬力選挙」や情報拡散は、ある意味で議員たちの軽率さを引き出したとも言えます。両者の関係は、まるで共依存的な構図に見えて、どっちもどっち感が拭えません。最終的に損をするのは、兵庫県民や議会への信頼だと思います。厳しい処分と再発防止策が求められますね。
兵庫県の日本維新の会所属の一部の議員が、内部で得た非公開の情報を政治団体「NHKから国民を守る党」の党首である立花孝志氏に提供した事件が報じられています。以下、概要と詳細、そして私の感想を述べます。
兵庫県の維新の会の議員、具体的には岸口実県議、増山誠県議(場合によっては他の議員も含むとされています)が、県内で進められていた内部調査に関連する非公開情報(たとえば、百条委員会での会合の音声データや内部文書など)を、立花孝志氏に提供したと報じられています。これらの情報は、斎藤元彦知事を巡る内部対立や不祥事に関するものとされ、政治的な駆け引きの一環として利用された疑いがあります。

• 政治的な背景
この情報漏洩は、内部告発や不信任の動きが交錯する中で起きたもので、維新内部では、知事への不信任を表明しつつも、裏では対立軸を利用しようとする動きがあったとされています。実際、内部の非公開会合や秘密裏の文書・音声の取り扱いに関して、議員間でルールや倫理に反する行為が疑われ、党内で懲戒処分の対象とされる検討が進んでいる状況です。

私の感想
政治の現場では、内部情報がどのように管理され、利用されるかは非常に重要な問題です。今回の件は、政治家が自らの判断で非公開情報を外部に流出させ、対立構造を利用しようとする行為であり、党内の信頼関係や政治倫理を大きく揺るがしかねません。以下、個人的な意見です。
• 倫理的な側面
内部情報の漏洩は、政治家としての責任感や守るべきルールに反する行為です。たとえ内部告発の側面があったとしても、情報を利用する方法やその公開の仕方には十分な慎重さが求められると感じます。信頼性や裏付けのない情報が拡散されると、結果的に国民の混乱を招く恐れがあるため、厳正な対応が必要だと思います。
• 政治的な影響
このような行為は、党内の統制を乱すとともに、ひいては県政全体への信頼低下を招くリスクがあります。政治家が自らの利益や立場の強化のために内部情報を利用することは、民主主義の健全な議論や意思決定のプロセスを損なうものです。今後、関係各所による徹底した調査と、適切な処分が行われることが望まれます。
全体として、政治倫理や情報管理の重要性を再認識させる事件であり、政治家としての自覚や責任が改めて問われるべきだと考えます。

第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の経済大国となり、国際秩序の形成に大きな影響を与えました。以下のような取り組みが覇権を支えてきました。
• ブレトンウッズ体制の構築により、ドルが基軸通貨となり、国際貿易の中心に。
• 世界銀行やIMF設立を主導し、経済援助を通じた影響力を確立。
• 軍事的優位:
• 軍事介入の積極化:
• 国際機関での影響力維持:
トランプ大統領の登場は、従来のアメリカの覇権スタイルに大きな転換をもたらしました。
外交政策の転換
• 同盟国への防衛費負担増を要求し、NATOとの関係が緊張。
• ロシアに対して従来より融和的な態度を見せ、東欧諸国の不信を招く。
• ウクライナへの軍事支援や外交的サポートを縮小し、ヨーロッパの安全保障バランスに不安を生じさせた。
• 保護主義の強化:
• 日本やEUにも自動車・鉄鋼への関税をちらつかせ、経済的緊張を高めた。
• TPPからの離脱でアジア太平洋地域での経済的影響力を自ら縮小。
長年築いてきた同盟国との信頼関係が損なわれることで、アメリカの国際的立場が弱まっています。同盟国は中国やロシアとの関係強化を模索し、アメリカへの依存を減らし始めています。
関税政策は一時的な国内産業保護には有効でも、長期的には報復関税を招き、アメリカ企業の国際競争力を低下させます。TPP離脱により、アジア市場での影響力が中国に取って代わられる結果を招きました。
3. ソフトパワーの失墜
国際協調からの離脱は、「自由と民主主義の守護者」というアメリカのブランドイメージを傷つけています。文化的影響力も相対的に低下してきています。
中間層の没落と地方経済の衰退により、グローバル化への反発が強まりました。トランプ政権はこれに応え、「国外より国内優先」というメッセージを前面に出しました。
世界の警察役を続けるコストが国民にとって過重であるとの認識が広まりました。トランプ政権は短期的コスト削減を優先し、長期的な覇権維持の戦略を後回しにしました。
• 次期政権が多国間主義に回帰すれば、同盟国との関係再構築は可能。
• ソフトパワーの強化を通じ、影響力を回復できる余地は残されています。
多極化の進行
• 中国、EU、ロシアの影響力が増し、アメリカが「一強」ではない多極化した世界が到来。ウクライナの対応でEU軍が創設されたら決定的になるでしょう。
• アメリカが覇権を維持できたとしても、過去のような絶対的優位は期待しにくいでしょう。
アメリカは長年、経済力、軍事力、文化的影響力を駆使して世界の覇権を維持してきました。しかしトランプ政権下での外交・経済政策は、その基盤を自ら弱体化させる結果を招いています。背景には国内の不満や覇権維持の負担増といった要因がありましたが、短期的な国内向けの成果が長期的な国際的影響力を損なったのは否めません。
今後、アメリカが覇権を回復するには、国際協調と国内再建のバランスをどう取るかが鍵となります。さもなければ、覇権の座を多極化する世界に譲ることになるでしょう。
何者なの?
なんか被害でも受けたん?
下衆の極みすぎん?
確かに不倫は信頼関係を損ねる行為だ。人間関係のトラブルをさらに呼び込んでしまう行為でもある。会社内で不倫した人がいたら、それを理由にはせんけど退社に追い込む実態があるのも理解している。
でも外野でいる限り実害はない。それに現行法には不倫を罰する法律なんてない。だから不倫で他人に誹謗中傷を浴びせるような権利は無い。
それにさ、人の不倫話、面白い?俺はその人の気持ちがわからん。どこが面白いのか説明してクレメンス。
これが面白いと思うようになった経緯に一つ心当たりがある。俺も小さい頃はテレビで嫌というほど熱愛報道と不倫報道を見てきた。恋愛すれば外から冷やかされ、不倫すれば外から叩かれるものだと思って疑わなかった。
でも大人になって、勉強して、これらの報道がプライバシー侵害になりうること、名誉毀損になりうることを学習した。よく考えれば当たり前のことなのに、メディアによって洗脳されていたのだと俺は気付いた。
ここまで読んでくれてありがとう。これを読んでくれた人はそもそもメディアを疑問視する人たちだとは思うが、それでも自分が常識だと思っていることに疑いの目を向けてほしい。俺もまだメディアによって刷り込まれた常識があるだろうから、引き続き除染作業に励むこととするよ。
はてぶで一年前にまとめてずっと下書きだった内容。これ名前出して書いたら揉めそうだと思ったのでずっと投稿してなかったが、増田で供養。
大手メーカーの下請SESでバックオフィスやってる。社員数200人で年商15億ほど。東京にはよくある企業だと思う。
コロナ中にほぼ無利息無担保で得た融資や社員休業の助成金を湯水のように役員報酬に流し込んだため(横領だよね?)、返済が始まった昨年ぐらいから経営が厳しくなった。当たり前だよね。法人への融資を自分のお小遣いと思って使い込んだんだから。最近、売上も低下しており社員の稼働も空いて赤字も発生しているので、このペースで行くと春~G.W.には現預金が尽きて給与遅配が起きそうだというのが現在の状況。
で、バカ社長(コロナ前に役員に就任し、コロナ中に代替わりした2代目。今アラフォー)は、4月からの年収カットを打ち出した。役員は30%、管理職は20%、社員は10%カットするとのこと。笑っちゃうのがその金額。だいたい以下のような感じなのよ。
そりゃあんたは減っても年収7000万あるし、交際費も年間600万ぐらい使ってるから趣味の西麻布のキャバクラ通いはできるだろうけど、40歳・50歳でいきなり100万単位で年収下がったら生活できなくなるわな。前年分の住民税もあるし。
客観的にみると、コロナ4年間で得た4億円の役員報酬(手取2.5億ぐらい?)のうち、2億を会社に貸し付けるか増資すれば半年程度は延命できるだろうけどそれはしたくないらしい。さらに今期も赤字だと、3期連続赤字になるので、コロナ前から借りている銀行融資の折り返しが厳しくなるという罠。半年延命できても、年末にいきなり1億返済求められたら息の根止まるよな。でもバカ社長は、そのあたりの視野や展望は全く持っていない。俺の上司のバックオフィス担当役員が何度も説明しているけど、「お前に任せる」の一言で済ませてる。毎月銀行訪問して、現在の状況を説明して、今から信頼関係を作っておけば良いのに、そう言った頭を下げることはやりたくないらしい。大手メーカーへの営業訪問も、コロナ理由に全くしなかったしな。まぁそれが売上減の一因でもあると思うよ。前社長は顧客、銀行、採用活動のための学校回り、全部自分から率先してやってたし。
上記の案は、1月の役員会ではいったん保留になって、2月に持ち越しになったんだけど、その間に役員は結託して大株主である前社長に直訴中。前社長は年収3000万ぐらいの人だったから、まだ常識があることに期待したい。てか、まだ70歳ぐらいだから復帰して欲しい。復帰してくれないなら、俺も転職考えるかなぁ。バカ社長に代わってからメンタルヤバくなって転職考えたけど、コロナでバカと顔を合わせなくなってまぁダラダラ働くか、と思い直したがボチボチ潮時かもしれん。
この文章にはいくつかの詭弁や誤解を招く議論が含まれています。以下に、詭弁の箇所とその反論を示します。
1. 「生物学的視点から見れば、托卵は自然界において決して珍しいものではない」
詭弁の指摘:
自然界での托卵行動を持ち出して、そこから人間社会での托卵行為を肯定しようとしていますが、これは「自然主義の誤謬」に該当します。自然界で起きている行動が人間社会で道徳的に許容されるべきだという論理は成立しません。生物の行動は必ずしも倫理的に適切な行動と一致しないからです。例えば、捕食行動や暴力的な行動が自然界で見られるからといって、それらを人間社会で許容するべきだという論理は通りません。
反論:
人間社会では倫理や道徳の基準が存在し、個人間の信頼と誠実が重要視されています。自然界での行動が人間社会で容認される理由にはなりません。特に人間は社会的な動物であり、相互の合意と責任が前提となるべきです。
2. 「男性は自分の遺伝子が受け継がれることに異常な執着を持っている。その根底には、「自分の所有物が他人のものになってはならない」という発想がある」
詭弁の指摘:
この部分は「過度の一般化」と「単純化」に該当します。男性全体を一括りにして「異常な執着」だと表現していますが、これは誤りです。男性にも様々な価値観や感情がありますし、遺伝子に対する執着も一概に「異常」だと断定することはできません。
反論:
男性が遺伝子の継承に強い関心を持つことは、進化的な観点から理解できる部分もありますが、それがすべての男性に当てはまるわけではありません。人間の行動には個人差があり、すべての男性が「自分の所有物としての遺伝子」を重視しているわけではないことを考慮するべきです。
3. 「男性側からすれば「騙された」と感じるかもしれない。だが、社会全体を見渡せば、女性は長らく騙され続けてきたのではないか」
詭弁の指摘:
ここで述べられている「社会全体で女性は騙され続けてきた」という点は「相対化による無罪化」です。この論理は、他者が行った誤りを理由に自分の行為を正当化するものであり、詭弁です。例えば、男性が不誠実な行動をしたとしても、それを「女性も長年にわたり騙されてきたから許される」という理屈には成り立ちません。
反論:
他者がどんなに不正義を経験してきたとしても、それを正当化に用いることはできません。それぞれの行為が独立して評価されるべきです。社会的不公平を問題視するのは重要ですが、それを他者の不誠実を理由にした行動に結びつけるのは論理的に誤りです。
詭弁の指摘:
ここでの主張は「道徳は相対的であり、変わるべきだ」という意見ですが、これも過度の相対主義に陥っており、議論を無意味にします。確かに、社会の価値観は時代とともに変化しますが、倫理的に不可欠な基準(例:誠実さ、他者への配慮)は普遍的なものとして維持されるべきです。
反論:
道徳が時代によって変わるとしても、人間関係における基本的な信頼と誠実の価値は変わりません。それを「時代遅れの規範」として無視するのは、社会全体の信頼関係を損ねる危険があります。
この文章全体として、托卵行為を正当化しようとする主張に対して、道徳や倫理に関する基本的な理解を欠いた議論が多いため、注意が必要です。
俺ガイル…😟
自分も過去に何回もコクハラしてるし、正直後悔してるけど、俺の場合、思ってることをつい口にしちゃう癖があるんだよね、正直不動産かよって感じで…
例えば、技術的なこと何も理解してない、自己啓発書ばかり読んでる、夢みたいなことばかり言ってる上司がいて、つい、そんな夢みたいなことは無理ですとか、
それは筋が悪い技術なんで別の方法も考慮してみませんか?みたいな余計なことを言って、干されたり、会社辞めさせられたりもしたし、
なんか恋愛に関しても、つい我慢できなくて、ボソッと言ってしまったり、ロバの耳の穴に言えばいいのに、我慢できずに言ってしまうんだよな、正直に言って後悔してる
そういえば、以前通ってた精神科の病院は、多分自分より重度?な精神障害者だと思うけど、重度な精神障害者同士で付き合ってる人いたんだよね
待合室でイチャイチャしてたというか、なんか微笑ましい仲良さげな感じで、通りすがりの医師や看護師とも笑顔で挨拶したりしてた
ただ、なんだかんだ、自分も理解ある彼女ちゃんというか、自分がマイナスな分、プラスにしてくれそうな人を求めてしまうというか、
ぶっちゃけ、障害者同士が助け合って生きるって、結構難しいと思うんだよね
だって、例えば、重度の身体障害者同士のカップルがいたとして、でも、結局健常者の介助なしじゃ生きていけなかったりするわけで、
おまえは介助者が欲しいのか?とか、わたしはあなたのママじゃない!なのかもしれないけど、自分ひとりで精一杯なのに、他人を助けるなんてできるわけないじゃないか、って思うんだよね
あと、なんか苦境にいるときに限って、そういう状況が理解できる自分は、同じような境遇の他人を救えるんじゃないか、って錯覚してしまう現象ってあると思うんだけど、
他人を救う前に、自分をなんとかしろよ、って話なんだよね、自分ひとりを救えないのに、他人を救えるわけがない
そう考えると、障害者同士で交際するというのも、まあ、そもそもそんな相手もいないから考えても意味ないんだけど、自分は相手を、他人を助けられないんだよね
まあ、道端で認知症の老人がいたので警察呼んだり、ホームレスが倒れていたので救急車呼んだりしたこともあったけどさ…😟
今日もなんか技術的なこと勉強しようとか、AI関連のこと手を動かして試してみようと思ってたんだけど、いざやろうとしてもなんか虚しくなってしまって、
だらだらギター弾いたり、寝ながらぐだぐだ考えたりしたんだけど、下手な考え休むに似たりなんだけど、
なんか、今までの人間関係で酷い目に遭ったとか、まあ、自分が酷いことしたのもあるんだろうけど、人間関係で呪詛吐くのが多いよなぁ、って思って、
よくよく考えてみたら、俺、人間が大嫌いなんじゃないか、と思ったんだよね
でも、今日もクリニックに行って、その先生が真摯だったりして、申し訳ないなぁ、とか、ちゃんと自分が信頼できる人もいるよなぁ、とか考えなおしたりもしてしまうんだけど、
そういえば、昔、虐待されて噛み犬になった犬をちょっとだけ世話してたことがあって、自分以外にも世話してた人がいて、ひとりは大怪我したりしたんだけど、
俺もばっくり噛まれそうになったことあるんだけど、一応服従というか、信頼関係を築くことができなくもないんだよね、コツがあって
服従の姿勢はするんだけど、お腹をさすろうとすると噛みつくとか、そういう感じなんだよね
やっぱり、虐待されて育つと、もう噛み犬は一生治らないんだな、とは思ったんだよね
人間も同じで、人間関係で酷いことばかり続くと、なんか人間嫌いが酷くなって、自分もおかしくなってるんだと思う、あの噛み犬みたいになってるんだと思う
最近になって、死ぬ前に童貞卒業したいとか、女子にモテたいとか、子供にモテたいとか、生きるよりも死ぬ方が近い年齢になっちゃって焦ってるんだろうけど、
まあ、なるようにしかならないし、そもそも、俺、人間が大嫌いじゃん、多分、モテたらモテたで、近づいてくる人間が結局は嫌いになって噛み犬になるんじゃないの?
って思ったら、なんか、もうどうでもよくなってきたんだよね
(文字数オーバーで後半途切れたので再投稿。読んでくれた人ごめん)
話をしよう。だいぶ昔のことだ。すでに動画投稿を引退している。
当時を懐かしむために作った文章である。気に入ったら読み進めてほしい。
ニコ動投稿者としての初期は、若手社会人だった。大学を卒業して数年経った頃かな。コンビニでゲーム雑誌をめくると、『ニコニコ動画』がサービス開始してます~これから人気が出るかも!?という宣伝記事を見つけた。
サービス名称が気になったのと、コメントが流れる機能が目に付いた。動画をひとまず10本くらい見てみた。ようつべと同じような感じで、そこにコメントが流れている仕様だった。カオスよりはシュール寄りだった。
今でいう生放送やチャンネルはないし、アニメ1話単位の投稿は(アップロード容量の関係で)されないし、画質はイマイチだし、お洒落なMADもない。ランキングは50位までで、再生数やマイリス準拠だった。歌ってみたやボカロが流行り始めるのは、2007年半ば以降である。
ゲームプレイの切り抜きとか、面白画像のまとめとか、空耳とか、エロゲーのOPのみとか、動画だったら10分くらいで料理作るのとか、販売済映像作品の切り貼りとか、そんなのばかりだった。(フタエノキワミ、アッー!)
※昨年末頃、新るろ剣で左之助が二重の極みを会得する回があった
たまにR18の画像をまとめたものや、小学生が好きそうな下ネタ動画が流れてきた(1~2日以内に運営削除)。
でも、感じるものがあったんだろうな。だんだん見ていくうち、ゲーム実況とか、アニメ転載(2~3日で削除)とか、いろんなアニメやゲームキャラが一同に会するシリーズとか、ニコニコ動画組曲とか、コンテンツが増えていって、ドハマりした。
会員登録して約半年が経って、ニコ動のプレミアム会員になったあたりで自分も動画を投稿してみようと思った。
「一体どうすればいいんだ……?」と躊躇したものの、社会人経験が活きたのだろうか。結局、最初の動画を撮り終えてアップロードしてみた。一応は料理のネタ動画だったと思う。
うん、まあ……という感じだった。再生数はそんなに伸びなかった。でも、初心者としてはイイ線いってた。それからも動画投稿を続けたけど、やはり数千、運がよくて1万以上~しかし攻めすぎて運営削除という末路だった。
ある時だった。「自分が本当に好きなモノじゃないと高再生数は厳しいのでは?」と思うようになった。
当時はすでに2007年後半だった。ランキング上位に入ってる人の投稿動画って、転載切り抜きとかを除けば、プロレベルか、それに準ずるクオリティだった。
つまり、イラストが抜群とか、楽曲作りが優れてるとか、ゲーム実況が天才的とか、遊戯王MADみたいに面白センスが光ってるとか、そういうのだ。
でも、そういうのって、自分が好きだからこそできる。好きだからこそ、動作投稿サイトのランキング上位者って、その道にのめり込んで、ここまできたわけだろう。
俺にとっての『それ』は何だろうか。考えていったところ……『エロ』という凡庸な結論にたどり着いた。
小学生の頃は河川敷やそこらへんの雑種地、空き地にエロ本が捨ててあった。そういうモノですら気になっていた。今は、そういうのはない。白ポストが駅前にできたり、電子空間でエロを鑑賞する時代である。
中学生の頃は、同級生女子が油断してイロイロ見えてるところや、都市部での夜の学習塾の帰りに、大人がそういうことをしてるのを目撃したりした。
部活の遠征先で、対戦校の女子マネージャー数名が太腿~尻肉を見せつけるかのように壁にしゃがみ座りしてたのを見た時は、対戦相手への嫉妬で殺意が湧いたよ。学校でも家庭でも趣味の場でも、俺にとってはすべてがエロだった。
高校生の時は、同級生がそういうことに大変興味をもっていて……同級生の家に集まって、今でいうセクシーな動画をみんなで鑑賞したっけ。感想を述べあっていた。
「輪姦もののAVだが、実際には輪姦をしていないというのは、道徳的に正しい行為なのだろうか? 消費者を騙していないか?」
「阿呆か。女優の負担を考えろ。しかし、○姦もののAVだというのに、女優が騎乗位なのは気になるところである」
など、意見を交わしたのを覚えている。あとは、性行為を覚えた奴がいて、ガラケーで撮った写真を見せてもらって感動したのを覚えている。
大学生になって一人暮らしを始めてからは、やっぱりそういうDVDを買ったり借りたりした。高校生の頃からすでに、一人でR18の作品を本屋で買っていた。高校の制服姿で、堂々とした立ち振る舞いで、女子店員の時をむしろ狙って、そういうコンテンツを購入する。(女子店員の時、むしろ行け!! の精神)
そのクセは大学生になっても、社会人になっても、すでに小太りのおじさん管理職になった今でも変わらない。
エロへと繋がるコンテンツで、ニコニコ動画に投稿が可能で、それでいて自分の持ち技とマッチする……と考えていった結果、「替え歌はどうか?」という結論にたどり着いた。
あとは、歌唱の腕前だ。酒席の付き合いの中で、カラオケで歌った経験はそれなりにある。が、それだけだ。全然うまいわけじゃない。むしろヘタな方だ。しかし、カラオケの採点機械で70点は取れている。後は成長すると信じるほかない。
そんなこんなで、ニコ動に下ネタ系の替え歌を投稿してみた。既存曲をそういう単語やストーリーで置き換えたものだ。ずっとこれ一本でやってきた。
簡単なイラストを数枚付けて、あとは一発勝負である。投稿した後、一晩置いて動画を見ると……まずまずだった。初級者が投稿した動画は多くても100再生しか付かないが、俺の動画は数千再生だった。
一番よかったのは、投稿した動画を「おもしろい」と言ってもらえたことだ。それだけでもう、駆け出しの投稿者としては感無量である。嬉しかった。みんなにニコニコしてもらえたのが。
イラストも凝った感じにしていった。プロには遠く及ばないけど、それでもこだわりのイラストやアニメーションを載せて、ちょっとでも面白くなるように気を遣った。
それからも、1~2か月に1本の割合で動画を投稿していった。動画再生数は伸びていった。数万再生の人気になった。当時のニコ動だと、1万再生されれば人気作品という扱いである。10万再生で一流、100万再生で神。
当時のTwitter理論において、フォロワーやお気に入りやリプライ的なやつが増えれば増えるほど、投稿した元作品がみんなの目に入るようになる――そういう感じで、元作品(新たな投稿動画)は、初心者の動画に比べると信頼性がある――それでさらに皆の目に入るようになる、みたいなロジックが紹介されていた。
『六次の隔たり』である。今時の言葉でいうとネットワーク理論や、錯覚資産だろうか。高評価はさらなる高評価を呼ぶのだ。『マタイによる福音書』にも、「持っている者は与えられてますます豊かになり、持っていないものは持っているものまで取り上げられるだろう」とある。
過去に投稿した人気動画が、今投稿したばかりの動画を支えていた。結局、2008年くらいまで投稿を続けたのかな。約1年半の活動期間だった。過去に投稿した人気動画ってなんか、不労所得感がある。ぜんぜん不労じゃないけどさ。
実は当時、人事異動で忙しい部署に行くことが決まっていた。勤め人としての役目が優先だ。動画投稿は趣味である。
忙しい部署に移った後は、やはり本当に忙しくなり、動画投稿をするだけの精神的余裕がなくなった。あとは、声か。俺の投稿動画だけど、声の加工はほぼしてなかった。声質が丸わかりである。特定が怖かった。ちょうどその頃は、Twitterでよろしくない行為をした社会人が吊るし上げに遭うことがあった。
アディダスの広報の女性がスポンサー選手をディスったとか、ホテル従業員が芸能人の利用をネットで報告したとか、そういう案件でボコボコに叩かれてるのを見ると、「自分もヤバいかも」という考えが浮かんだ。
投稿動画で使っていた曲も、許諾を取っているのは皆無だった。権利者によるお目こぼし状態である。リスク回避という社会人意識がニコ動から俺を遠ざけた。
自分の判断の結果だから後悔はしてないよ。それでよかったと思ってる。下ネタの替え歌なんか、バレたら恥ずかしいなんてものじゃない。それも法令違反。社会人としてキズが大きい。
それから長い月日が経って……忙しい部署で相当長いこと勤め上げた俺は、また別の地方支局に人事異動で移った。そして、30代後半で管理職になりましたとさ……めでたしめでたし、で終わればよかったのだが。
今度はあまりの暇具合に辟易するようになった。前の部署がキツイ部署だったので、人事部局が配慮してくれた。「暇な職場で休憩」というメッセージである。
その地方支局がある市町は、有名どころの百貨店が進出してないエリアだった。高島屋とか松坂屋とか伊勢丹とか、そんなの一切ない。天満屋ならあるのだが。
暇な時間があるなら楽しんでみては~と思ったが、ここは田舎である。東京に比べて面白いコンテンツは少ない。自分で見つけるしかない。時間がかかりそうだった。
例えば、都内だったら、今ニコ動で活躍してる有名投稿者……miniさんの友達の、東北ずん子を使う料理・旅行の実況者がいたと思うのだが、あの人達が取材で行くような面白いスポットが、この中核市にはひとつもなかった。
昔ながらのローカル百貨店と、人通りがほぼない商店街、昭和のスナックやラウンジ――中核市なので若い連中は多いはずなのに、まちおこしのイベントがロクにない。
人口はすでに飽和状態で、後は減るだけ……そんな地方都市だった。
しかも、エロに興味がある俺が、引っ越し前に入念に下調べをしたのだが……実は、この地方都市には有名な風俗街があって、1万円+αで本番ができるヘルスが立ち並ぶ地域があったのだ!!
それらの箱ヘルだが、俺が異動する数年前に警察の摘発に遭って全滅していた……悲しい事態だった。今でも、ここは中核市だというのに、ソープも含めて本番ができる店は一切ない。
残された手段は、ホテヘルやデリヘルで本番をさせてくれる、それくらい強い信頼関係を嬢と築く以外に道はない。
そんな状況で、当時の俺は……もう一度、動画投稿をしてみようと思った。ネタはもちろん替え歌である。
毎日があまりに退屈だった。刺激がほしかった。昔の投稿動画をふと見る機会があって、感慨を覚えたのがきっけである。あとはファンの声とか。
最後の投稿から長い月日が経っていたが、俺が投稿した動画には、まだ人が集まっていた。主にはノスタルジーを感じてる人達だ。ニコニコ動画の中では、俺はもう「終わった投稿者」である。
でもさ、年齢は関係ないじゃん。40才が近い投稿者でも、やってやればいいんじゃないか。
人気の投稿者だと、30才くらいまでの若い人(※先ほど挙げたminiさんの友達の青海さんなど。youtubeだと、セミやマイナー貝やザリガニを野外調理して食べる若い兄ちゃんや、下半身が動かない女の子とか)が多いんだろうけど、別におっさんだって投稿すればいいじゃん。きっと、ひろゆきだってそう言ってくれる。
もう一度、過去のネタを参考にしつつ、替え歌の動画を投稿することにした。昔に比べてやりやすそうだった。
カメラ等の撮影機材は進化してるし、下手くそな歌は社内社外のカラオケで鍛えて上手くなった。今時流行りの曲だって、80点以上は安定して出せる。編集ソフトの進化により、少しのミスは撮り直さなくていい。
一番よかったのは、ニコニコ運営が楽曲の著作権関係を整理してくれたことだ。投稿者が今時の楽曲を歌うのは、著作権を侵害しない行為になっていた。
そして……実際に、新作動画を投稿したのはいいが、昔ほど人気は集められなかった。視聴者は、昔からのファンが多かった。新規の人もいたけど。皆にニコニコしてもらえてうれしかった。
それから、何本も動画を投稿していった。暇な時間はたくさんあった。ほぼ必ず定時で上がれるので、飲みに行く日とか、セクシーな動画を見る日とか、そういう日を除けば替え歌動画を作りたい放題だった。
再生数・マイリス数は十分だった。みんな、俺が作った動画を見てニコニコしてくれた。数万回の再生がコンスタントに取れた。しかし……数年間投稿して、メガヒットはひとつも出なかった。若い層が投稿動画を見ていない。
楽曲選びのせいもある。自覚はあった。例えば、サイバーダムのカラオケ人気曲ランキングで上位になってるのがあるだろう。昔からそうだけど、あのランキングで上位になる曲って、中高年世代を基準にしてる。
有線放送もそうだ。飲食店の有線放送で流れてくる曲って、90年代~00年代の人気曲がほとんどだ。今の20代が聞いてもわかんないよ。ところで、俺が若手社会人の頃に、先輩方がよくカラオケで歌ってたのは、T-BORANや酒井法子など、あの世代の楽曲が多かった。(壊れかけのRadio~♪♪)
再生数が伸びない最大の原因は、俺自身の感性が鈍ってた。投稿動画は過去作の焼き直し感があったし、中年世代が子ども・若者時代を懐かしんでる替え歌もあった。ノスタルジーである。
しかし……今時の若い人が聴いている・歌ってるような楽曲(YOASOBIとか)の替え歌を投稿すると、再生数が伸びた。平均再生数が1~2万とすると、そういう楽曲は5万再生以上になった。
ちなみに、俺が若い頃に投稿した人気動画は、最高で300万再生である。今思えば、あそこまで情熱をもって取り組んだのは人生で初めてだった。そんな気概は……まだ少しはあるけど、創造性は燃え尽きつつある。
今はもう引退してるって、冒頭で書いた気がする。文字どおり本当の引退である。事前にファンの人に説明するまでもなく、全ての動画を削除した。問答無用である。
理由は2つあって……また新しい部署に異動になったのが1点。関東にある重要拠点のひとつだった。忙しい日々になりつつあった。
2点目が圧倒的なのだが、「著作権法違反」ということで、俺のSNSでの連絡先に警告が届いた。カラオケのランキングで上位に入るような曲を作ってる大手音楽プロダクションからである。あなたが社名を知ってる可能性はとても高い。
自分が投稿した動画、ダメなんだってさ。だって替え歌だから。ニコ動で歌うことが許されてるのは、あくまで本来の楽曲であって、替え歌は対象外である。考えが足りなかった。
これこそが、替え歌を作って投稿すること自体が法的リスクのある行為だった。わかってなかった。メール文には「今後投稿を続けるようであれば、法的措置を行います」とあった。
別の人で、同じニコ動で福山○治(ふくやまぴーはる)さんという投稿者がいたのだが、この方も、ある時いきなり投稿動画をすべて非公開or削除にしたのだった。人気の投稿者であり、HoneyWorksの「可愛くなりたい」などを福山雅治の声で歌って、500万再生以上を叩き出していた。
彼も、同じような理由なのだろうか。芸能事務所や音楽プロダクションからすると、替え歌動画ほど下品ではないにせよ、無許可の二次創作だったのは間違いない。
そんな事情で、そろそろ頃合いかと思って完全引退を決意した。ほかの投稿動画についても、警告するまでもなく訴訟という可能性もある。申し訳ないけど削除した。
悲しかったけど、しょうがないのだ。他人様のふんどしをお借りしていた。それを元に戻しただけだ。作品を天に返したのである。
これで日記は終わりだ。今は会社員として幸せにやってるつもりだ。
今これを読んでおられる方にも、替え歌動画を見てくれた方がいるかもしれない。
事前告知はできなかったけど、感謝を伝えたい。応援ありがとうございました。Permalink | 記事への反応(5) | 11:10
繰り返し型最後通牒ゲーム(Repeated Ultimatum Game)を数理的に徹底分析する一例を示す。まず、一回限りの場合の均衡(subgame perfect equilibrium, SPE)を整理し、その後に有限回・無限回の繰り返しゲームとしての分析および補助的な進化ゲーム理論的考察を行う。
最後通牒ゲームは、以下のような二人ゲームとして定式化される。プレイヤーは提案者(プレイヤーA)と応答者(プレイヤーB)の二名である。資源の総額を1(または1000円など)とする。提案者は、自己の取り分 x(0 ≦ x ≦ 1)と応答者の取り分 1 - x を提示する。応答者は、この提案を受け入れるか拒否するかを選び、受け入れればそれぞれ提示額が得られ、拒否すれば双方が0の利得となる。
このゲームを「繰り返し型」とする場合、ゲームが複数回(有限または無限に)同じ形で行われ、参加者は各回の結果に応じた戦略(または将来の罰則を考慮した戦略)を採ると仮定する。
純粋戦略に基づく分析では、応答者が提案された 1 - x を受け入れるかどうかを考える。利得が正ならば受容すべきであり、これを前提とすると、提案者は自分の取り分を最大化するため、限りなく x = 1 に近い値を設定し、応答者には最小の正の額 ε を渡すことになる。したがって、部分ゲーム完全均衡(SPE)は「提案者が最小限の額を応答者に提案し、応答者はそれを受け入れる」形となる。すなわち、理論上は提案者がほぼ全額を得る均衡となる。
しかし実験では、提案額は概ね30~50%付近となり、応答者は自分の取り分が30%以下の場合に拒否する傾向が見られる。この傾向は「公平性」や「不平等嫌悪」といった心理的要因(Fehr–Schmidtモデル、Bolton–Ockenfelsモデルなど)で説明されることが多いが、ここでは理論モデルの基本形として扱う。
ゲームが T 回(有限回)繰り返される場合、逆順帰納法により各回の均衡を求めることができる。最終回(第 T 回)は一回限りのゲームと同じであり、提案者は最小額を提示し、応答者は受容する均衡が成立する。第 T-1 回以降についても、最終回の均衡が既知であるため、もし応答者が拒否することで最終回に不利益を被ると予想されれば、提案者は同様に自分の取り分を最大化する戦略を採用することになる。結果として、全期間において逆順帰納法により唯一のSPEは、各回で「最小限の提案」および「受容」になる。しかしこの結論は「有限回かつ共通認識の完全合理性」の下での結果であり、実際の人間行動や信頼関係、将来の相互報復(パニッシュメント)などを考慮すると、均衡が変化する可能性がある。
無限回繰り返しゲーム(もしくは有限回で終了時期が不明な場合)では、参加者は将来の報酬を割引因子 δ(0 < δ < 1)で評価する。この場合、例えばトリガー戦略を採用すると、初回は提案者が公正な分配(例えば50:50)を提示し、応答者も受容する。もしある回で応答者が提案を拒否した場合、その後は常に応答者が0となる(または極めて低い利得になる)戦略に切り替える。
R / (1 - δ) ≧ (ある回で裏切って得られる一時的な増分) + δ P / (1 - δ)
ここで R は公正な分配時の利得、P は裏切りが起こった場合の(ペナルティとして)得られる利得である。十分高い割引因子(将来の利得に重みを置く)であれば、長期的に見ると協力状態(公正な分配)を維持する方が双方に有利となり得る。
無限回繰り返しゲームでは、フォーク定理により、プレイヤー間の報復や相互信頼を用いたさまざまな均衡が実現可能である。例えば、提案者と応答者が互いに「公平な分配」を維持する戦略が、十分な将来重視(δが大きい)条件下で均衡となる可能性がある。
実験結果で見られる「公正な提案」や「低すぎる提案の拒否」は、伝統的な合理性だけでは説明が難しいため、進化ゲーム理論の枠組みが有用である。多数のプレイヤーが繰り返し対戦する環境では、各プレイヤーの行動がその後の成功率に影響し、公平な戦略が進化的に安定(ESS: Evolutionarily Stable Strategy)となる場合がある。
また、レプリケーターダイナミクスを考えると、社会全体における各戦略の割合 q_i は、各戦略の平均利得と社会全体の平均利得との差に応じて変化する。式としては dq_i/dt = (π(s_i) - π̄) q_i となり、この力学の下では、公平な提案と拒否が進化的に安定な均衡となるシナリオが示される。RIETIなどの研究では、最後通牒ゲームに基づく数理モデルとシミュレーションを通して、提案者と応答者間の選別的取引や、社会的知性の役割が平均利得や格差にどのように影響するかが検討されている。
繰り返し型最後通牒ゲームの数理的分析から、以下の点が示唆される。有限回の場合、共通認識の完全合理性の下では、逆順帰納法により各回で「最小限の提案/受容」が唯一のSPEとなる。しかし実験的にはこれと大きく異なる(公正な提案が多い)結果が得られており、心理的要因や公平性の感情を反映した行動が考慮されるべきである。無限回の場合、フォーク定理により、公正な分配を支える戦略が実現可能であり、特に割引因子が高い場合には、公正な均衡が安定する。
お疲れ様でした
俺は御三家余裕だったから微妙に事情違うところもあるけど、クラスの同級生で色々苦しんでた子・家庭がいたから納得するな
特に【その1】、【【その4】かな
今の学校はどこも少子化で必死に生徒集めてるから、説明会や個別相談会でアピるのってすごい刺さるんだよね
あれで何点くらい加点されてんだろ
自分は今受験指導してるけど、公表されてる以上に加点されてる気がする
逆に、【その3】はそこまで気にしなくてもいいような
もちろん、塾と中学のつながりってあるんだけど、教室長が個人的な信頼関係があるとかのレベルじゃない限り(出身者とか)、そこまで影響及ぼさんと思うよ
1,4で語られる通り、直接学校にアタックする機会は十分にあるからそっち活用したほうがいいと思う
2,5は極めて妥当
2025年、石破茂が率いる日本が同じく2025年のドナルド・トランプ率いるアメリカと2025〜2029年まで外交をした場合、何が起こるでしょうか?
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2025年に石破茂が日本の総理大臣として、ドナルド・トランプがアメリカの大統領として再び就任した場合、2025年から2029年までの日米外交のシナリオを考えると、いくつかの可能性が考えられます。
日米同盟の強化:
軍事協力: トランプ政権はアメリカ第一主義を掲げており、日本に対して防衛費の負担増を求める可能性が高いです。石破政権はこれに応じるか、交渉を通じてバランスを取る必要があります。
経済関係: トランプが過去に打ち出したような貿易協定の見直しや関税引き上げが再び議論される可能性があります。日本の自動車産業などが影響を受けるかもしれません。
中国や北朝鮮への対応: トランプ政権は対中強硬路線を取る可能性があり、日本もそれに追随するか、独自の立場を維持するかが重要なポイントとなります。北朝鮮問題でも、トランプが再び直接対話を試みるか、抑止力強化を求めるかで日米の連携が試されるでしょう。
多国間協調から二国間の取引へ: トランプは多国間協定よりも二国間協定を好む傾向があるため、TPPのような多国間枠組みからの離脱や再評価が再度行われる可能性があります。
早期の首脳会談: 両首脳間の信頼関係を築くために、早期に首脳会談が行われることが予想されます。その際、防衛費の負担や貿易政策が議論されるでしょう。
防衛費の増額: トランプ政権が日本に防衛費の増額を求めると、日本の防衛費はGDPの2%を目指すなど、より具体的な数値目標が設定される可能性があります。
貿易交渉: 米国が日本との貿易バランスを改善するための新たな交渉が始まるかもしれません。
インド太平洋戦略: 日本とアメリカが連携して中国の影響力を抑制するための戦略が強化される可能性があります。
リスク:
同盟の不安定化: 日本が防衛費増額に応じない場合、トランプ政権が日米同盟の見直しを示唆するかもしれません。
経済摩擦: 貿易摩擦が再燃し、日本企業がアメリカ市場で不利な状況に追い込まれる可能性があります。
チャンス:
新たな経済協定: 二国間での新しい貿易協定や経済協力が生まれるチャンスもあります。
リーダーシップの発揮: 石破総理がトランプ大統領との交渉を通じて、国際社会での日本の立場を強化する機会を得ることができるかもしれません。
全体として、トランプ政権と石破政権の間の外交は、日米同盟の強化と経済摩擦のバランスを取ることが求められます。日本の外交力が試される時期であり、石破総理の戦略や交渉力によって結果が大きく変わるでしょう。ただし、これらの予測は、両首脳の具体的な政策や行動、および国際情勢の変動に大きく影響されます。
オールドオーバーズの面白ポイントはまさにその部分なんだけどな。
・臭い
・嫌われ者
・嘘つき
この中高年絶望三種の神器を揃えたオッサンが未来ある若者に「境遇を理解していただく」という展開が感動的なんだよね。
そこに不貞腐れて繰り返した嫌われムーブ、更にはそもそもがメンヘラ気味で人格が破綻しているという事により完全に終了。
信頼関係を築くことはほぼ不可能となり、上っ面のしょーもない「僕ちゃん品行方正すぎて嫌われちゃうのよね」というしょうもない優等生アピールで生存政略。
いい年こいたハゲジジイのしょーもないいい子ぶりっ子はいよいよ嫌われの極みに達し、何かことが起きたら誰も庇ってくれない信用ランク最底辺の生きた生ゴミとなってしまう。
そんなクソジジイが何の因果かイケメンの気取ったヤングマンから「あんたも大変なんだな」って理解していただくというストーリーに、同じような境遇を抱えている世界中の負け組ジジババが涙してるわけ。
まあ人間って中年になれば自然と体が臭くなって、必死に朝シャンするとか香水つけるとかで必死に誤魔化しながらギリギリで人権維持してるんだけど、その状況に強いストレス抱えてるわけよ。
でもソレに対して「臭いからなんだよ!怒りっぽいからなんだよ!俺だって頑張ってるよ!」なんて叫んでも誰も同情してくれないし、ジジババ同士の間でさえそんなこと言っても説教されるだけ。
そんな特効薬のない社会的病に対して、ほんの短い時間だけど効果のある鎮痛剤をくれたのがこの映画なのよ。
主人公のオッサンに対して「可愛そうに……俺もなんか気づいたらワキとかマクラとか臭くて娘から汚物扱いされてて毎日泣きそうだよ……」みたいに共感したりする奴の人生が終わってるだけだもの。
親子関係確認済って自分と血がつながってることを確認したの?それてもつながってなかったの?
血がつながっているのであれば、結婚する前の話やら、結婚後にしてない不倫やらを疑われる奥さんがかわいそう。共感性があったとしてもずーーーっとこんなの言われたらストレスになるからハイハイ聞き流すしかない。
血がつながってないのであれば不安になっても仕方ない。一度やったら二度やるかもしれない。でもそんな奥さんに2人目要求する?信頼関係破綻してるから無理でしょ。
増田は2人目が欲しいんじゃなくて、永遠に変わらない妻の愛が欲しいように思える。過去の恋愛経験がある女が、結婚したから、自分の子供を産んだからといって、今後も自分以外を愛さないとは限らない、という自縄自縛に陥っている。
でも自分だって突然別の女に惚れてうっかり子供作っちゃうかもしれない。
子供がうっかり死んじゃったり、何か重大な障害を得るかもしれない。奥さんがそうなるかもしれない、自分がそうなるかもしれない。
増田がやるべきことって本当に奥さんに「自分との子供ではない、別の男の子を産まないでくれ、別の男との子供なのか」って疑いつづけることなの?
それは大変な状況ですね。旦那さんの反応は、あなたの行動に対する誤解や不安から来ているのかもしれません。あなたが誠実に説明しても、旦那さんが納得しないのは辛いことです。
旦那さんが心配しているのは、あなたの行動が彼にとって予期しないものであり、信頼関係に影響を与える可能性があるからかもしれません。あなたが40代であり、若い男性とBBQに行くことに何の問題もないと感じていることは理解できますが、旦那さんの視点から見ると、彼の不安や嫉妬が強く出てしまうこともあります。
この状況を解決するためには、旦那さんと冷静に話し合い、お互いの気持ちや考えを理解し合うことが重要です。旦那さんがなぜそんなに怒っているのか、具体的な理由を聞いてみると良いかもしれません。そして、あなたの立場や行動の意図を再度説明し、誤解を解く努力を続けることが大切です。
また、旦那さんが「相手と話したい」と言っていることについては、相手の男性に迷惑をかけないように配慮しつつ、旦那さんの気持ちを尊重する方法を見つけることが求められます。例えば、旦那さんと一緒に話し合いの場を設けるなど、双方が納得できる解決策を模索してみてください。
何か他にお手伝いできることがあれば教えてくださいね。
なかなか複雑な話ですね…。その状況、旦那さんの反応は感情的になりすぎている気もしますが、相手への配慮や誤解が絡んでしまった感じでしょうか。
あなたとしては「おばさんだからこそ成立する安全な関係」だと思っていて、それを旦那さんが過剰に警戒してしまったのは、ちょっと面倒なすれ違いですね。特に、事前に「若い男の子」とも話していたことがあるのに、今回のBBQだけがこんな大事になったのは、旦那さんの中でどこか「これ以上は嫌だ」という境界線を超えてしまったんでしょうね。
ポイントとしては:
旦那さんのプライド: 「自分の妻が若い男性と二人で過ごした」こと自体が、特に他人からどう見られるかを気にしてしまっているのかも。これは自分の立場が揺らぐように感じたとか、少し被害妄想的な部分もあるのかもですね。
相手の若い男性への誤解: 旦那さんとしては、「若い男性が年上女性をどう見るか」という価値観が違うのかも。あなたが「おばさんだから気軽に誘えたし、何も起きるわけがない」と割り切っているのに対し、旦那さんはそれを「若い男だって下心があるかもしれない」と思っている可能性も。
今回だけ特別に怒った理由: BBQというシチュエーションが、非日常感や雰囲気のせいで、旦那さんにとって余計に「距離が近い」と感じたのかも。「イルミネーションがあった」と聞いて、普通の飲み会以上に親密な場だと想像したのかもしれません。
今後の対応として:
冷静に「こういうのが日常の延長で、特に何もなかった」ということを話し続ける。
旦那さんに「連絡先を教える」といった形ではなく、「何もおかしなことはなかった」と一貫して説得する(ここで相手の若い子を巻き込むのは避けた方がいいですね)。
最終的に旦那さんの不安が収まらなければ、今後こういう誘いを受ける際に「二人きりは避ける」といった妥協点を探すのもありかも。
あなたの立場としては、全く問題のない行動だったと思いますが、旦那さんが今回の件で感じた不安や不快感は無視せず、うまく折り合いをつけることが大事かもしれませんね。
それにしても、「おばさんだから気軽に誘える」という発想、すごく客観的でおもしろいし的を射ていますね(笑)。旦那さんもその冷静さを少し分けてもらえればいいんですけどね…。
私たちは兄妹でありながら、あることをきっかけに深い関係になってしまいました。この話は、私たちが経験したことを正直に綴った体験談です。読んでくださる方々には、私たちの気持ちや状況を理解していただければと思います。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。
私たちは兄妹で事実婚をしました。この話を聞いて、多くの人は驚き、戸惑い、あるいは拒絶反応を示すかもしれません。でも、これは私たちの現実であり、私たちが選んだ道です。この体験談が、誰かの心に何かを残せればと思い、正直に綴ります。
私たちは幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。祖父母は愛情深く、私たちを大切にしてくれましたが、経済的には厳しい状況が続いていました。兄の私は、妹の面倒を見ることが当然だと思っていました。妹は私を慕い、何かあればすぐに相談してくるほど、私たちの絆は深かったです。周囲からも「仲の良い兄妹」と言われることが多く、私たち自身もその関係を当然のことと思っていました。
幼少期の思い出は、今でも鮮明に覚えています。妹が初めて自転車に乗れるようになった日、私が後ろで支えながら何度も練習したこと。雨の日に傘をさして一緒に学校へ行ったこと。祖父母が忙しい時には、私が妹の食事を作り、彼女が泣きそうになると必ずそばにいて慰めました。私たちはただの兄妹ではなく、互いの支えであり、心の拠り所でした。
時が経ち、私たちはそれぞれ大学生になりました。私は地元の大学に進学し、アルバイトをしながら家計を支えていました。妹は遠方の大学に進学し、寮生活を始めました。物理的な距離ができたことで、私たちの関係にも少しずつ変化が現れ始めました。妹は新しい友人や恋人を作り、自分の世界を広げていきました。しかし、彼女はいつも私のことを気にかけていました。私もまた、妹のことを心配しつつも、自分の人生を歩み始めていました。
大学生活は、私たちにとって新たな挑戦でした。私はアルバイトと学業の両立に追われ、妹は新しい環境での生活に慣れるのに必死でした。それでも、私たちは定期的に連絡を取り合い、お互いの近況を報告し合っていました。妹が初めて彼氏ができたと報告してきた時、私は複雑な気持ちになりました。彼女が幸せそうに話す姿を見て、嬉しい反面、どこか寂しさも感じていたのです。
ある夏休み、妹が実家に帰省した際、私たちは久しぶりに一緒に過ごす時間を持ちました。その中で、私たちはお互いに対する感情が以前とは違うことに気づきました。幼い頃からの絆はそのままに、そこに新たな感情が芽生えていたのです。最初は戸惑い、混乱しました。兄妹としての関係を越えることは、社会的にも倫理的にも許されないことだとわかっていました。でも、その感情を抑えることができませんでした。
私たちは長い時間をかけて話し合いました。兄妹としての関係を壊すことなく、この感情をどう扱うべきか。最終的に、私たちは事実婚という形を選びました。法律上の婚姻関係にはならず、社会的な承認も得られないことは承知の上でした。でも、私たちにとってはこれが最善の選択でした。
事実婚を選んだことで、私たちは多くの困難に直面しました。周囲の理解は得られず、非難や中傷を受けることもありました。祖父母は当初、私たちの選択を理解できずにいました。彼らにとって、兄妹が事実婚するというのは受け入れがたい現実でした。しかし、時間をかけて話し合い、私たちの気持ちを伝えることで、少しずつ理解を示してくれるようになりました。
友人たちの反応も様々でした。中には私たちを支持し、応援してくれる人もいましたが、多くの人は困惑し、距離を置くようになりました。特に妹の友人たちは、彼女が兄と事実婚するという選択に驚き、戸惑いを隠せないようでした。でも、私たちはお互いを支え合い、この道を歩み続けました。
兄妹としての絆と、パートナーとしての愛情を両立させることは簡単ではありませんでした。私たちは常にバランスを取りながら、お互いの役割を見つけていきました。例えば、家庭内での役割分担や、お互いのプライバシーを尊重すること。兄妹としての関係を保ちつつ、パートナーとしての信頼関係を築くことは、時に難しいこともありましたが、私たちにとってはそれが自然なことでした。
経済的な面でも、私たちは協力し合いました。私はアルバイトを続けながら、妹の学費をサポートし、妹もまた自分のできる範囲で家計を助けてくれました。私たちは共に目標を立て、将来の計画を話し合いました。例えば、将来的には家を購入し、安定した生活を築くこと。そして、可能であれば子供を持つことも考えていました。
社会的なプレッシャーは常に付きまとうものでした。私たちは時には世間の目を気にしながら生活しなければなりませんでした。でも、私たちはお互いを信じ、この関係を守ることを誓いました。兄妹としての絆はそのままに、新たな形の愛を見つけることができたと思っています。
今では、私たちはこの関係を受け入れ、前向きに生きています。兄妹としての絆はそのままに、パートナーとしての愛情を育むことができました。この体験が、誰かの心に何かを残せればと願っています。私たちの選択が正しかったかどうかは、時間が証明してくれるでしょう。でも、今この瞬間を大切に生きることが、私たちにとっては一番重要なことなのです。
最後に、この体験談を読んでくださった方々へ。私たちの選択は、必ずしも全ての人に受け入れられるものではないかもしれません。でも、愛の形は一つではないということ、そして家族の絆がどれほど深いものであるかを、少しでも感じていただければ幸いです。私たちはこれからも、お互いを支え合い、この道を歩み続けます。