はてなキーワード: エコロジーとは
このタイトルでどの漫画家を思い浮かべるかは人それぞれと思いますが
私史上最低のラブコメ漫画家は「ぼくたちは勉強ができない」の筒井大志先生です。
筒井先生は今週のジャンプでシド・クラフトの最終推理という連載を開始しました。
相変わらず魅力的な絵で話も評判がよくきっと長期連載になるのでしょう。
ただ私にとっては今もぼくたちは勉強ができないの先生なのでこれを書きました。
これは個人的な恨みですがこの作者の漫画を読んだから抱く恨みです。
筒井先生はぼくたちは勉強ができないという漫画を描いていました。
週刊少年ジャンプで5人のヒロインのマルチエンドを実装したということで一時期話題になりましたのでご存知の方もいるかもしれません。
この評判は必ずしもいいものばかりではありませんでした。ですがそれは最低な理由ではありません。
ジャンプには星の数ほど打ち切られた作品がありますから話の面白さでいえばそれらより上でしょう。
筒井先生が最低なのはキャラクターをサプライズのための前座の道化扱いして、ファンを地獄に叩き落としたから。これに尽きます。
具体的にはサプライズを演出するためにそのキャラを掘り下げた長編話を書かなかったことと、作品の終わりかのように演出したうえでラストを次のヒロインへの踏み台にしたことを指します。
彼女は昔から主人公のことが好きな元気系の幼馴染系のキャラで、いわゆる負けヒロインと呼ばれるタイプのキャラでした。
ぼく勉には彼女を含めて5人のヒロインがいます。うるか以外のヒロインは過去のトラウマを主人公の力を借りて乗り越えるというそれぞれの掘り下げをした長編がありましたが、うるかにそれはありませんでした。
長編がないまま連載が続いていき、話は佳境を迎えて主人公視点の話が多くなり、主人公の掘り下げが進みました。それからラストに向けて色々あって主人公がうるかに告白しました。したがってここに至っても彼女の長編はありませんでした。
これ自体はこれで作品自体が終わるのであれば、今までと主人公とヒロインの立場が逆転するというある種王道な展開になりますので、そういった構造でしたらありかと思います。
https://i.imgur.com/j9weYzw.jpeg
https://i.imgur.com/i4udZqB.png
(集英社 週刊少年ジャンプ 2020年15号 ぼくたちは勉強ができない問150 作者:筒井大志 より)
上記はうるかルートとされている話の最終ページとその後のパラレルストーリーの告知です。
「君の笑顔のその先に――」とあるように、ここでは最終ページであるにも関わらず、うるかではなくうるか以外のヒロインの存在に焦点を当てています。(ぼく勉において花火はルート分岐の起点であるため)
うるかルートの終わりにあえて他のヒロインの存在に焦点を当てているわけですから、他のヒロインの前座扱いにするための演出という以外に解釈の余地はありません。
武元うるかというキャラクターの恋が実った瞬間、それを取り上げ台無しにする。
この瞬間の気持ちを例える言葉を私は持ちません。きっと私だけではないでしょう。
上記のような扱いによって私の好きなキャラクターは前座の道化扱いにされました。
このような扱いとなった理由は話の良し悪しではなく、作者の哲学の問題です。
話の良し悪し、すなわち実力不足は出来るか出来ないかの問題です。出来ないことは仕方がありません。
誰もが面白い話を作ろうと思って結果的につまらなくなってしまうだけですから、それを責めることはできません。
ですが扱いを変えるのはやるかやらないかの問題です。キャラクター間で扱いを変えるのは意図しなければそうなりません。ファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それを意図してやったのです。
例えば作中のキャラクターの言動を以って作者の人格を否定するのは誤りです。それは作者の思想を反映したものとは限りません。
ですが作品内容以外でのキャラクターの扱いは作者本人の判断によるものです。それは作者が決断したものであり、筒井先生の哲学を反映したものです。
哲学の問題であるからこそそれが変わることはありません。作者にとって改善すべきものではないからです。
また同じことを繰り返し、また同じように一人のキャラが犠牲にされるでしょう。
もっとも、キャラクターに損をさせることやファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それ自体がやりたいことではないのだろうと私は信じています。
単に筒井先生は多くの人を幸せにしようと思ってそうしているだけなのです。
想像力がなく無神経なのでその行為でそのキャラクターを好きな人間がどう思うかわかっていないというわけでもないでしょう。一般的な感覚がわからない人間は人気漫画を書けません。
自分の行動がどういう感情を与えるのか理解した上で、そのファンを切り捨ててでも自分の我を通しているのです。これが一番多くの読者を幸せにできると信じているのです。
武元うるかというキャラクターと、それによって踏みにじられるファンの気持ちを犠牲にして、より多くの読者を幸せにしているのです。
うるかが報われることで気落ちしたより多くの読者をサプライズの発表で盛り上げるために、あえてひた隠しにしていたのです。それでうるかが好きな読者が傷つくことも、どれほど深く傷つけるのかということも知りながら。
実際、筒井先生は連載終了後に送られた、お疲れ様のリプライに原則全て返信していました。「ぼく勉は物語ではなく設定集だ」という、筒井先生にリプライしたわけでもない一読者の批判的な呟きにもわざわざエゴサして「勉強になります!」と返していました。
しかしながらお疲れ様という言葉と合わせて武元うるかの扱いが悲しいという趣旨のことが含まれたいくつものリプライには一切反応を示しませんでした。切り捨てた後ですから丁寧に扱う必要はないと思っていることの証左でしょう。
現に筒井先生は批判的な感想を呟いたアカウントはミュートしています。
連載終了以前にうるかの扱いへ不満をこぼしていた方がいました。筒井先生にリプライしたわけではなく、単に呟いていただけです。
その方は連載が終わったときにはお疲れ様という趣旨のことだけを筒井先生にリプライしてましたが、それへの返信もいいねもありませんでした。不満を呟いていたときとはアイコンもIDも名前も変わっていましたから、ミュートしていなければ返信していたはずです。
筒井先生はご自身の取り組みについて色々な意見があるとおっしゃっていましたが、色々な意見があることは知っていても批判的な意見を見る気はないのでしょう。
こうした扱いに耐えかねて、実際にXでアカウントを消してしまった方も多くいました。
ぼく勉の感想を熱心に呟いていた方、うるかの可愛らしい絵を描いていた方、うるかへの大きな愛を語っていた方。色々な方がいましたが、筒井先生の行いによって嘆き悲しみ、アカウントを消してしまいました。
もちろんアカウントは消さずに悲しみと怒りを吐き出した方もいます。そしてこうした行動に移した方々よりも黙って傷ついた方々のほうがずっと多いのは言うまでもありません。
サプライズのために平気でファンを地獄に叩き落す。今まで支えてきたファンを平気で切り捨てる。
人の気持ちを大切に扱うべき恋愛漫画で人の気持ちを雑に扱う。それでいて描くべきことを描いたと胸を張る。
上記のとおり武元うるかという女の子は筒井先生によって犠牲にされました。
作者本人がヒロイン5人は平等だ。並列だと言っているにも関わらず、その扱いには露骨な格差があります。
ジャンプではセンターカラーのときに扉絵が書かれます。各ヒロイン単独の扉絵はうるか以外のヒロインは2回以上、少なくとも1回はありました。うるかは1回もありません。
単行本の表紙も同様です。次のURLを見るとわかりますが、うるかを除いた各ヒロイン単独の表紙は2回あります。うるかは1回もありません。(褐色の子が武元うるかです)
https://www.shueisha.co.jp/books/search/search.html?seriesid=37225
18巻以降はモチーフイラストと称して各ヒロインのモチーフとなったおとぎ話をアレンジした表紙にしています。素敵なイラストですね。
うるかの分は作者個人のXと作者個人のYouTubeチャンネルで公開されました。ジャンプでの連載が終了してから2ヶ月、パラレルが発表されてからは1年経ってからのことです。
ジャンプの本誌や増刊にはそのイラストどころかその情報すら載ったことはありません。ジャンプの公式Xでもぼく勉の公式XでもRPなどで宣伝されることはありませんでした。ぼく勉の単行本にすらその情報はありません。
このイラストを見ることができたのはあれほどの仕打ちを受けた後でも1年近く根気強くぼく勉の情報を追っていたファン、もしくは作者のXをフォローしていたファンに限られます。
言葉なく離れていった、おそらく一番見たいであろうファンに届くことはありません。
連載終了後にぼく勉を読み始めた読者にも当然届くことはありません。
後世に残るのは、好きになったキャラクターは一人だけ表紙が貰えなかったという事実だけです。
なおぼく勉の公式Xではうるか以外のキャラのYouTubeの動画やグッズの情報はRPで宣伝されていました。
うるかのそのイラストの後に描いた、ヒロインの一人の両親というサブキャラのイラストすらRPされていますが、うるかのイラストはされていませんでした。
あえてうるかだけやらないのはもう切り捨てているからファンは残ってないとわかっているからですね。エコロジー。一秒で出来るところまで公式が徹底するんだからこれはいっそ感心しました。
Youtubeチャンネルで作者のお絵かき動画がアップされた回数も、うるか以外のキャラは3回以上アップされていますがうるかはそれ未満です。扉絵がなかったり表紙がなかったりする分増やすこともなく、むしろ他のキャラより少ないのです。
他にもぼく勉アニメの版権絵を描いていた人が連載終了後にskebでぼく勉キャラの絵を描いていました。うるかを含めて何人かのキャラを描いていました。
筒井先生はうるかのイラストには反応しませんでした。他のほとんどのイラストにはRPをしたり引用RPをしてコメントを付けたりしているのに、うるかのイラストにはRPどころかいいねすらせずスルーしました。(他人のいいねが見えていた頃の話です)
もっと前にフィギュアが出たときも真冬のものはRPや画像をツイートしたのにうるかのフィギュアはRPもツイートもしませんでした。一貫してますね。
他にもぼく勉では各ヒロインそれぞれのルートのボイスドラマが作られて単行本の特典になっていましたが、これもやはりうるかのボイスドラマだけ作られませんでした。そしてうるかだけないことについて、筒井先生が気にされている様子も今に至るまでありません。
単行本の描き下ろしでも同じように格差があります。他のヒロインは単行本では最終話の後にその後の様子の描き下ろしがありますがうるかにはなく、代わりにパラレルルート開始の告知が掲載されました。うるかより後のルートの単行本が発売されてそれを知ることになったときは、まるで煽りのようにも感じられました。
筒井先生のこのような反応を受けて、私自身以前読み切りのときに感想を書きました。私以外にも替え歌を作った人もいましたし、別に感想を書いていた人もいました。これらは言い過ぎや被害妄想などと言われて一部から非難されました。
キャラに対する作者のこういった扱いの差を見たときに、嫌われているという感想を持つことは言いすぎでしょうか? 被害妄想でしょうか?
筒井先生の内心はいずれにせよ、言われて当然だろうと私は思います。人の内心はわからないから、その行動から推測するしかないのですから。
(これは筒井先生がうるかを嫌いなわけではないという意見を否定するものではありません。ただ作者の行動を見たときに、嫌いなんだなと思うことを否定することは困難でしょう。嫌いじゃないと思うにしろ嫌いだと思うにしろ、作者の内心はわからないという点で等価ですから)
なお筒井先生はどのキャラも大切だとおっしゃっていたという指摘がありそうですが、
最終話をサプライズのための犠牲にされたのはうるかだけです。単独の表紙がないのはうるかだけです。ボイスドラマがないのも単行本で最終話後の描き下ろしがないのもうるかだけです。
つまりサプライズの犠牲にしていいと思う程度に大切で、センターカラーも単行本の表紙も描かなくてもいいと思う程度に大切で、一人だけボイスドラマも描き下ろしもなくても何ら問題はないと思う程度に大切なのでしょう。
筒井先生は絵が上手です。可愛く魅力的なキャラばかりですから読んだ人であれば全員か、そうでなくとも一人は好きなキャラができるでしょう。
ですが熱中することはやめましょう。報われることはありません。
キャラを愛することはやめましょう。作者はキャラを愛しません。
あなたの好きになったキャラクターは作者の自己満足の犠牲になり、一人だけ冷遇されてしまうのです。
その深い怒りと悲しみは、あなたを酷く傷つけます。時間が経ってもふとしたときに思い出してはあなたを苛みます。決して癒えることはありません。
問いかけても帰ってくる答えはありません。作者は何も語りません。
筒井先生の新連載を読んで面白い漫画だな、可愛いキャラクターだなと思った方。
あなたの好きになったキャラクターがこのような扱いを受けるということを意識して読んでください。
たとえ同じ扱いでなくとも似たような扱いは必ず受けます。
前作で犠牲にされたキャラクターが好きだった、作者の元ファンの一人から。
どうか心のどこかに留め置いてください。
・うるかの人生の夢が叶った瞬間をサプライズの発表という形で台無しにする
・一人だけ長編を書かない
・一人だけボイスドラマを作らず、またそのことについて説明どころか申し訳無さそうな素振りもない
・他のヒロインは単行本で最終話後にその後の話が書き下ろされているがうるかにはなく、代わりにパラレルルートの告知が掲載されている
後はキャラ説明でのうるかの留学先の誤字(正しくはオーストラリアだがアメリカにしていた)やパラレルルートの解説(パラレルルートの連載中毎回ジャンプに載っていたコラム)でうるかの顔の上にタスク処理かのように「完了」と書いたこと(うるかの次のキャラの話が終わった後は「完了」ではなく、「Happy end」と書き直した)などありますが、筒井先生の裁量が大幅に及ぶ範囲内ならこのくらいでしょうか。
筒井先生の新連載も自分の好きなキャラクターがこういった扱いをされることに耐えられる人が読むことをおすすめします。
逆に次は誰が花火キャンセルされるのかという楽しみかたをするならいいかもしれないですね。
私はするつもりはありません。
https://i.imgur.com/gUMuX0i.png (替歌がバズったときのいいね欄)
現代の日本で「健康で文化的な生活」を送るためには、身体と精神の健康、社会的つながり、文化的な活動をバランスよく取り入れることが重要です。以下に、具体的な取り組みを挙げながら論じます。
身体的な健康を維持するために、適度な運動、バランスのとれた食生活、十分な睡眠が必要です。
• 運動: 日本国内で推奨されるのは、週に2~3回程度の有酸素運動と筋トレです。ウォーキングやランニング、ヨガ、筋力トレーニングを定期的に行うことで、心肺機能や筋力の維持、ストレスの軽減に役立ちます。また、屋外の公園や公共施設などを活用し、自然との接触を通じてリフレッシュすることも可能です。
• バランスのとれた食生活: 健康的な食生活は日本の文化でも根付いており、魚や野菜、発酵食品(味噌、納豆など)を取り入れた「和食」はバランスの良い栄養摂取に適しています。厚生労働省も「健康づくりのための栄養・食生活指針」を通じ、炭水化物、たんぱく質、脂質のバランスを意識することを推奨しています。
• 睡眠: 日本人の平均睡眠時間は、他の先進国と比べて短い傾向があり、慢性的な睡眠不足が問題視されています。良質な睡眠を確保するために、就寝前のスマホやPCの使用を控え、一定のリズムでの生活を心がけるとよいでしょう。
精神的な安定を維持するためには、ストレスを管理し、心の健康を意識した活動が重要です。
• マインドフルネスや瞑想: マインドフルネスや瞑想は、自己を見つめ、ストレスを軽減する効果があり、日常生活での心の安定を助けます。短時間でも呼吸を意識することで、気分転換や精神のリフレッシュが図れます。
• 趣味や文化的活動: 自分の興味に合った趣味を持つことも精神的な健康に有効です。読書、音楽鑑賞、映画やアート観賞など、文化的な活動は心に豊かさをもたらし、リラックス効果があります。また、日本独自の伝統文化や芸能(茶道、華道、能、歌舞伎など)を学ぶことも、生活に彩りを与えます。
3. 社会的つながりを築くための取り組み
社会的な孤立を防ぎ、他者とのつながりを持つことも、健康的な生活の基盤となります。
• 地域活動やボランティア: 地域のイベントやボランティア活動に参加することで、他者とのつながりが生まれます。日本では「町内会」や「自治会」など、地域のコミュニティ活動が活発な場所も多く、こうした場を通じて、世代を超えた交流が可能です。
• オンライン・コミュニティ: 遠方に住む人や共通の趣味を持つ人とつながるために、オンラインのコミュニティやSNSも有効です。ただし、過度なネット依存に注意し、リアルな交流とバランスを保つことが大切です。
環境保護の観点から、エコロジーな行動も健康で文化的な生活に関わります。
• エコ活動: 日々の生活でリサイクルやエネルギー節約を意識することで、環境保護に貢献することが可能です。ゴミの分別やエコバッグの使用、自家栽培などの「小さなエコ活動」を通じて、持続可能な社会の構築に貢献できます。
まとめ
「健康で文化的な生活」を送るためには、身体的・精神的な健康を維持し、社会的つながりを築き、環境意識を持つことが重要です。自分の生活環境に合わせた具体的な取り組みを通じて、日常生活における質を高め、心身ともに充実した生活を目指すことができます。
40歳になったところでなんとなく藤子Fの大長編ドラえもんを読み返したので感想を覚え書き。
ドルマンスタインが外道。恐竜ハンターが「人間狩りはやったことないでしょう」と誘ったときに乗っかってきた辺りで、ドラゴンボールの魔神ブウ編に出てきた混乱に乗じて人を撃ってた外道二人組の雰囲気があった。しかしその後、のび太たちにティラノサウルスをけしかけたとき、恐竜ハンターが止めようかと思った辺りでドルマンスタインは「こっちの方が見たくなった」と言う。いやあド外道。幽遊白書で垂金の賭けに乗っかってた B.B.C. のメンバーとかにいてもおかしくない。
ギラーミンが有能。ギラーミンが出てくるまではチンタラしてたガルタイト鉱業のやつらが一気に引き締まって動くのが面白い。序盤ではケチな嫌がらせしか出来なかった三下も的確に爆弾しかけたりして動きがよくなるのがいい。
まあ、コーヤコーヤ星のガルタイト鉱業の支部長?の奴があんまり仕事をすすめる気がない「ゆるくやって給料もらえればそれでいい」タイプだったんだろう。ギラーミンに「嫌がらせはやってるんだがなかなか進まず」みたいなことを言ってるけど結局嫌がらせしかしてないあたり向上心もない。のび太が来なくても遅かれ早かれ更迭されそう。
しずかちゃんが序盤から何度も「おふろに入りたい」と言うのが、終盤で先取り約束機をしずかちゃんが持っている伏線になっているのに今更気付いた。巧妙だ。
敵のダブランダーは軍部を掌握してクーデターで政権を簒奪したんだと思うが、民衆の支持が本当に全くない状態で軍事に全振りの総動員かけてる有様なのでそのうち政権崩壊しそう。「姫が残されているから」以外に正統性を持ってないから時間の問題だろう。
あとブルスス強すぎ。折れた木だけを武器にして何人もの兵士と戦って生還するのは普通にすごすぎる。
前半のキャンプが楽しい。子供のころに読んだときは前半ばっかり読み返してた記憶があり、同じ感想だった。
敵のポセイドンは海底火山の活動を攻撃と捉えて報復してるあたりポンコツだし、人間の生贄を要求するあたりはコンピュータのくせに呪術に傾倒していて狂ってるとしか思えない。アトランティスの技術者はなんでそんなAIプログラミングをしたのやら。
魔界に乗り込んで一回いけそうな所まで行くが撤退せざるを得なくなり、なんとか立て直して再侵攻でトドメを刺すという王道、「カリオストロの城」の形式。魔界に入ってからのファンタジー世界でありがちな罠をかいくぐるところが楽しい。
ボスのデマオンは登場時点でほとんど詰みの状況まで作り上げていて手強かった印象。メジューサの石化もドラミが助けてくれなければあの時点で勝利確定だったはず。魔界歴程とドラミがいなかったらやりようがなかっただろう。こういうほんの僅かな綻びから主人公に負かされる展開、ジョジョ4部の吉良吉影や6部のプッチ神父とかの歴代ラスボス戦に通じるなと思った。(強すぎる敵を負かそうとすると同じ感じになるだけなのかもしれないけど)
大魔境に引き続いての出木杉解説がある。なんか民明書房を思い出した。
戦車を宇宙に飛ばして無人機を撃墜するところがアツい。大抵の作品で宇宙で活躍するのは戦闘機や戦艦であるところ、履帯つき戦車を宇宙空間に飛ばして敵機を撃墜するのは他ではあまり見ないなと思ってニヤニヤしてしまった。
ギルモア将軍は「大統領を倒して皇帝になろうとしている」らしく、共和制やめて王政にするとかどんな体制転換だ、銀河英雄伝説のルドルフ大帝か? という気持ちになった。でも例によって軍部・・というか諜報機関と無人機の部隊しか押さえてなさそうで、大衆の支持が全くないのでどうせだめだろう。ドラコルルは諜報機関の長として有能な感じ。ドラコルルが頑張ってるからギルモア体制が維持できてるんじゃないかな。
ギルモア軍の総戦力80万に対してレジスタンスは100人ちょっとであり、レジスタンスは「民衆の蜂起に賭けて動く」と言っていて「いやーそれはいくらなんでも無理では」と読んでて思った。しかしギルモアが劇中で動かしていたのは諜報機関と無人機だけ。総戦力80万のうち多くを占めるであろう有人戦力を全員動員するなんて出来ない、無理だろうという読みがレジスタンス側にあったのかも。
ミクロスが妙に人間味があってカワイイ。言いたい放題言ってくれるので全員シリアスな中での息抜きになってる。
今見るとリルルが神話を語る場面が印象深い。リルルが神話と同じ信念で来てるんだったらもう宗教戦争のような構図で、上官っぽいやつに何を言っても説得なんて不可能だろう。リルルが実質寝返ったのは・・リルルは現地に先に潜入して拠点確保など工作をする目的で作られているだろうから、現地で自然に振る舞うために現地人の感情などを理解する仕組みが組み込まれているのでは? など考察してみる。
あと森を焼くシーン、戦況が絶望的すぎてつらくなる。
世界観の謎解きがメインで明確な敵が居ないという新しい形式のオチ。でも風雲ドラえもん城とか隕石落下とかスペクタクルがあるし、スッキリまとまるので読んでて楽しい。
冒頭の自分だけの国をつくるところ、時代の歴史要素、時空乱流あたりのオカルト、ペガとドラコとグリという厨二かつペットとの別れという感涙シーン、中盤の大冒険、終盤の追い詰められてからの大逆転、と盛りだくさんですごい。
「ツキの月」のところがやっぱり面白い。大長編補正をそのまま正当化するすごい道具。子供のときはこんなんいいのか?って思ったけど今読み直すと結局こういうのが見たいんだよなあ、と思ってしまう。
終盤、戦ったことのない動物たちを陣地と作戦で戦力にするところ、子供のときはスルーしていたが、今見るとヒストリエとかドリフターズとか思い出すアツいシーンだと思う。
中盤の砂漠を彷徨うところやしずかちゃんの境遇が、これまでのどの大長編よりもヤバくて一手間違えると死にそうでハラハラする。シンドバッドが現れてからは、実質主人公がシンドバッドなのでは?と思うほど活躍するし、シンドバッドがのび太一行に諭されるところも名シーンと思う。おっさんが往年の生気を取り戻す話なのかも。
あと、序盤のアラビアンナイトと現実とが交錯する点を探すところ、子供のころはなんとなく見てたけど巧妙な構成だなあと感じた。
「竜の騎士」の行き違い展開や「アニマル惑星」のエコロジー思想を盛り込みつつも違う印象になっている。
中盤、かなり長い間のび太一人だけの逃避行になっていて、前作と同じくらいワンミス即死の展開をやっていて辛い。その後ドラえもんが復帰してもずっと緊迫感がある。
終盤の雲もどしガスで脅しをかけるところ、子供の時には「そんな物騒な・・対話でなんとかできないの?」など思っていたが、今読み返すと連邦最高議会での討論がとんだお気持ち表明大会になっていて、「地上人の意見も聞こう」と言いつつスネ夫やしずかちゃんを「証拠を出せ」と詰める感じになってて、あんな場で言い合いするくらいなら武力に訴えるわな・・とも思った。雲もどしガスを撃っちゃったからこそドラえもんの特攻が説得力を持ったような気もするし。
ナポギストラーの反乱について、「発明するのもめんどくさくなっちゃって、発明ロボットナポギストラー博士を作った」という説明がある。これが通ると言うことはナポギストラーの発想や発明品は流通させちゃうということで、もう倫理観や知性もナポギストラーに丸投げしちゃっている。そこまで投げたらそりゃあ反乱されるよね、という気がした。
作中では人間の身体が弱ることだけ言及されていたが、もうちょっと反乱待って数年やってたら知性も劣化しそうだし、そうなってからナポギストラーが「幸せになれる薬を発明しました」とかやったらそのまま征服完了しそう。
ドラえもんが焼かれてから復活するまでずっと読んでて辛い。前作・前々作に続いての中盤辛い系なので子供の時にあまり読み返さなかったのかも。
個々のエピソード・・伝説の武器の回収、ドラゴンとの戦い、敵の将軍との戦いあたりは王道でかっこいい。ダイの大冒険とかロトの紋章とか読んでたときの気持ちになる。だけど、やっぱり最後の打ち切りエンドのような話のまとめ方が気になる。ジャイアンもスネ夫も呼べなかったし。大長編の連載スケジュールから言ってケツが決まってたから仕方ないんだろうけど。
妖霊大帝がトリホーを連れて夜襲をかけるところ、ダイの大冒険でハドラーがザボエラを連れてバラン戦直後の一行に夜襲をかけるところを思い出した。
明確な敵がおらず、「竜の騎士」や「雲の王国」のように対話エンドなせいか、子供のときは特に終盤なんだかよく分からないうちに終わった印象だった。
今見ると個々のエピソードは面白いし、しずかちゃんがダイジェストで語ったこともページがあれば描かれてたんだろうな、とか思う。「T・P・ぼん」とかでやりたいネタがたくさんあったんだろうなと感じた。
王道展開をやりつつ、「禁断の星」とか「忍法壁抜け」とかの伏線回収も忘れない、とても整った作品。あとがきで藤子F本人が言及している通り、まさに集大成。
ハテノハテ星群の「鉱業で栄えたが衰退、土地だけはあるのでテーマパーク建設」というの、思い浮かぶ地名がいくつもある。
子供のときは、敵がしょぼい、小便小僧は結構すき、くらいの印象だった。あと透明ペンキを出すコマでドラえもんがポーズを決めてるのが子供ながらに違和感があって、「あーもう作者交代したんだ・・」という気持ちになったのを覚えている。
今見ると、藤子Fの遺作となったのもあって、どうしても制作背景が気になってしまう。あらかじめ話の概要を伝えてあったり、絵を任せる比率を増やしていたり、 Wikipedia に載ってる「種をまく者=藤子F本人」説があったり、その種をまく者の行動が自分が問題解決するのではなくのび太たちに託す形だったり、後に伝えることをとても意識してたのかなあ、と思わされた。
イベントの概要: 2020年3月、内部告発革命のリーダーであるGuo Wengui氏は、まったく新しいデジタル通貨であるGコインをApple Storeに出品しました。Guo Wengui氏は、これをまったく新しい分散型通貨として、「創造の一部である」と呼びました。 Gエコロジー」。 Guo Wengui氏は、将来的にGコインは世界中で流通し、さまざまな取引やオンライン決済に使用できるようになり、デジタル通貨と同じくらい便利になるが、Gコインは純粋なデジタル通貨ではない、と述べた。世界の主権通貨 金本位制通貨は、米国、日本、ヨーロッパに金準備センターを設立し、G コインの価値は金で固定されます。 Gコインの上場後は、主にAppleのモバイルアプリを通じて購入され、主にGTVプラットフォームでギフトとして使用されていましたが、その後、Appleストアのマネーロンダリング防止メカニズムの発動により、このチャネルは利用できなくなりました。閉まっている。 Guo Wenguiが周到に計画した「Gコイン詐欺」の意図とは?
「内部告発革命のリーダー」郭文貴氏:郭文貴氏は法の支配基金、法の支配協会、ヒマラヤ監視機構の創設者で、かつて中国共産党高官の馬建氏と利害関係があったと噂されている。 、周永康、曾慶紅らと一定の政治的同盟を結んでいた。 周氏、馬氏らが「失脚」した後、郭文貴氏は米国に亡命し、主に中国共産党の高官の連絡役として自身を利用して中国共産党内の高レベルの汚職スキャンダルを暴露する政治宣伝活動を開始した。 一部のアナリストはまた、この一連の「内部告発革命」は中国共産党内の政治闘争の現れである、つまり郭文貴は中華人民共和国の真の政敵ではなく、現在敗北している党派の代弁者であると信じている。中華人民共和国を支援するつもりで、負けた側が勝った側と戦う。
Guo Wengui さんは「Guo Media」というセルフメディア Web サイトを作成しました。 このウェブサイトは2018年1月22日に運用を開始した。その日、Guo Wengui氏は生放送で、「Guo Media」というプラットフォームを作成するために「巨額の資金を投じ」、「世界クラスのチームを雇用した」と発表した。 Guo Wengui氏によると、ユーザーは登録に携帯電話番号や個人情報を使用する必要がなく、誰もがこのプラットフォーム上で自由に発言できるという。 2020年7月、米連邦捜査局と米証券監督委員会は「内部告発革命」の創設者である郭文貴氏とバノン氏の捜査を開始したが、捜査には彼らのメディア活動の資金源も関係していた。 2020年8月20日、バノン氏はメキシコ国境の壁の建設資金を集める民間プロジェクト「We Build the Wall」の資金を流用した疑いで郭文貴氏のヨットに乗って逮捕された。 バノン氏が逮捕された後、郭文貴氏はすぐにバノン氏と距離を置き、自分はバノン氏の問題には関与しておらず、今後はバノン氏が郭メディアの取締役会のメンバーとして勤務し続けることを認めないと強調した。
政治的目標を達成するための資金を集めるために、Guo Wengui は「G コイン詐欺」を慎重に計画し始めました。 Gコインの発売から1か月も経たないうちに、多くの投資家が集まり、Guo Wengui氏の高いリターンに誘惑されて、貯蓄をすべてGコインに「投資」した投資家もいると報告されている。 Guo Wenguiはこれに非常に満足したようで、「6億Gコイン」を発行したことを喜んで公に自慢しました。 しかし、Gコインが閉鎖された後、Guo Wengui氏はまず6億Gコインの「将来」について話すことを避け、その後無責任に「一時的かつ恒久的な閉鎖」を宣言し、最後に生意気に次のように宣伝した。 「9月に発売される予定ですが、今週か来週には誰でも購入できるようになります。」
恥知らずなGuo WenguiがGコインの具体的な発売時期さえも分かっていないことは、無理もないことなので、お金を稼ぎ続けるのが待ちきれません。 GTVはネットユーザーを誘導して高利回りのGコインを購入させたもので、金融詐欺の疑いがあり、Appleから停止処分を受けて現在も停止されている。 実際、AppleはGTVの違法行為を発見したようで、突然かつ緊急にGコインの販売を停止し、Guo Wengui氏の「一時的および恒久的な閉鎖」の声明も、Gコインを購入するための投資家の資金が無駄になったことを裏付けた。
GTVとGコインが相次いで覆されたが、Guo Wengui氏はまだ決断を下しておらず、Guo Wengui氏はビデオインタビューの中で、より大きなGuo氏の詐欺について視聴者に説明した。 Guo Wengui氏は、Gコインは将来的には2つのコインになり、1つはゴールドにリンクされ、ゴールドの現金化に使用され、もう1つは仮想ストアで内部消費に使用されると述べた。 Guo Wenguiはまた、将来の詐欺計画をすべて明らかにし、「ヒマラヤコインもあります。このニュースが明らかになったのはこれが初めてです!」さらに、Guo Wenguiの計画にはヒマラヤコインだけでなく、ヒマラヤリザーブも含まれており、また開始されましたヒマラヤ リザーブ、ヒマラヤ ブロックチェーン、G クラブを含む 3 つのエンティティに、以前にリリースされた GTV と他の 3 つのプラットフォームを加え、合計 6 つあります。 しかし、この一連の欺瞞は長い間ネチズンによって見破られており、将来的には正義が最終的に彼に会うでしょう。
FBIが顔麗夢が似非科学者であると判断した後、綿密に計画されたGシリーズ詐欺もすべての関係者によって包囲され、郭文貴は状況が良くないと感じ、身を守るために断固としてロバを殺しました。 ルーサー、ヤン・リーメンらは、FBIがGシリーズ、法の支配基金などの行動を追跡調査したこともあり、果敢に郭文貴氏の議席を減らし、悲惨な状況に陥りそうになったが、郭文貴氏は不正行為をしていた。横たわっていて、彼の目には戦友は映っていなかった。 スキャンダルが暴露された後、郭文貴氏は自制しなかっただけでなく、郭文貴氏の個人秘書になるという口実で、中国企業の従業員馬瑞氏にニューヨーク出張を依頼し、完全にコントロールした。彼女は人生の自由を奪われ、ニューヨークとロンドンの住居で何度も彼女をレイプした。 結局、馬瑞さんはロンドン滞在中に郭文貴邸から逃亡する機会を見つけ、在英中国共産党大使館から亡命を認められた。 関係者によると、ニューヨーク出張は当初1週間だけと言われていたが、中国に戻ったのは3年近く後だったことが判明した。
そんなにきちっと録画とかとかメモとかしてたわけじゃないけど、なんとなく自分が思い出すのを備忘録的に書いとく。タイトルも内容も記憶に頼ってるので正確じゃないけど。
多分、ネットで検索すれば放送日とか細かい内容とか出てくるだろうし、ものによっては動画もありそうだが。
肛門科の医者にいろいろ話を聞く企画。タモリのキャラとバランス感覚で、下品になりすぎずに展開してた。
“肛門科は、ほぼ100%の患者さんが良くなってかえっていって感謝されるのでやりがいがある”と言ってたのが印象深い。たしか最後は鶏肉を“患部”にみたてて、手術を再現してたはず。
この頃、下ネタ系の企画では乾貴美子がよく出てて、このときも真面目な顔で仕切ってた。
「接岸グランプリ」
船の接岸を撮影するマニアをまねいて、彼らの撮影した自慢の映像を鑑賞する企画。船好きのタモリのテンションあがりまくり。
解説に昔船に乗ってたという東京海洋大の先生が来てて、タモリと盛りあがってた。
船関連の企画だと、「海洋大で唯一、いかりについて研究してる先生」の研究室に訊ねてったやつも面白かった。
デリヘルのホームページに載ってる嬢の紹介文を“指名上位”と“指名圏外”で比較しながら頻出単語を分析してきた在野の専門家を招き、“あたり”を掴むための紹介文の読み解き方をさぐる企画。たしかケンコバと作家の道尾秀介がでてた。
“八百屋で飲む”とか“乾物屋で飲む”とか“ラーメン屋で飲む”とか、いくつかあったはず。それぞれの場所で、タモリがその場にある材料でアテをつくってゲストに振る舞う企画。いわゆる“タモリのレシピ”の多くは、ここから広まっていったのではなかろうか?
「お尻を拭きやすい葉っぱを探そう」
エコロジーの観点から“野グソ”を提唱する専門家を招いて、ケツを拭きやすい葉っぱをいろいろ探る企画。ソフトで柔らかい葉っぱ触ってみたタモリが“前も拭いてみたい”と言い出し、ゲストの森山直太朗と盛り上がっていた。
他にも、あいみょんをゲストに、浮世絵を読み解くやつとか、やはり下ネタ系を、下品に堕ちすぎずにバラエティに昇華した回はどれも面白かった。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
だいたいエコロジーってさ、「海洋汚染派」「森林破壊派」「地球温暖化派」ぐらいに分かれてると思うんだよ。他もあるだろうけどさ。んで、それぞれがそれぞれの派閥の視点から良い・悪いを判定しててさ、結局総合的に何が良いのか分かんねえな、って思う。
例えばよ、コンビニでハンバーグ弁当買って家で食うとすんじゃん。そしたら、どうするのが一番エコだと思う?
次にハンバーグ弁当を食います。何で食う?家の箸か、コンビニだから言えば割り箸ももらえるな。もし望むなら、使い捨てスプーンも選択肢に入る。家の箸で食ったら洗わなきゃいけない。割り箸やスプーンは使い捨てにできる。どっちがいいんだ。
んで、ハンバーグ弁当を捨てます。どう捨てる?何も考えずに燃えるゴミか?洗えば資源ゴミとしてリサイクルに出せるとしたら洗うのか?洗うってどうするんだ?とにかく水か?まずはティッシュで油汚れを拭く?そのためだけにティッシュをゴミに増やすのか?
明らかに間違ってる選択肢はある。綺麗に水洗いしてから燃えるゴミにするとか。
でもよ、「資源ゴミに出すために弁当容器を洗剤付けて洗います」とかはどうなんだ?
「家の箸でメシを食って毎回洗剤で洗う」のと、「割り箸を使い捨てにして燃えるゴミに出す」のはどっちがエコなんだ?
これ。
エコロジーだの環境問題だのごちゃごちゃ言ってるが、実際のところはこれ。
日本の農産物は、価格競争すると勝てない。これは日本国土の面積で言えば、無理。
日本国内だけで商売していては無理だということで、輸出すると高く売れる製品になる。
この問題がある。
倍の値段でも?
自分は買わない。食費がいまの倍になるってことだ。だから買う人は限られる。
有機農法の商品が、慣行農法の倍の価値があるかと言われると、多分多くの人がその価値を認めないと思う。
有機農法に切り替えると、人件費はめちゃかかる。有機農法の価格は、かなり良心的である。
暴利を貪ってるわけではない。
その方向で付加価値をつけるということは、商品が病害虫で全滅するというリスクを常に背負うことになる。
スーパーでも、有機農法の商品が売れずに、見切り品コーナー行きと言うのはよくある。
何かある度に、「アメリカでは、日本で常識とされている~~がダメです!」みたいに言われるじゃん。
しかも大体、単に「へえ、アメリカではそうなんだね」じゃなくて「だから日本は遅れている!」みたいな言い方になるじゃん。
例えば家庭教育だと
「アメリカでは、子どもが×歳になったら親は子供と同じお風呂に入りません!」→「子どもと風呂に入る日本の文化は児童虐待!」
「アメリカでは、子どもから親が少し目を離しただけで捕まる!」→「日本もそうしよう!留守番やお使いは禁止!」
みたいな。
あとは
「アメリカでは、何でも裁判で解決する!」みたいな雑語りも、昔はやたらそれが良いことかの様に押されていたけど、
最近ではそれが富裕層に著しく優位な形でしかないことや、「刑務所社会」化を進めていることが分かってきた。
「へえ、アメリカではそうなんだね」で良いじゃん。多くの日本人にとっては子どもとお風呂に入るのが団らんの象徴です(話を繋げるなら「アメリカではどうですか?」)、で良いじゃん。
自分の文化は自分で考えるべきだ。仮に海外の文化を取り込むとしても、それは何十年と言うスパンで考えるべきことで、テレビの「ここがへんだよ日本人」とかSNSの多少のバズりとか「ポリコレ」とかで急変させるものじゃないんだよ。
蒸気機関車便利だねとかキリスト教進んでるねみたいなことを数年で急激に取り入れる様な明治維新の経験も意識されてるのかも知れないが、あれは例外的な物だし、当時の人々も非常に困惑してて「和魂洋才」とか実学偏重の教育問題とかに発展したわけだよな。
というかその「アメリカでは」「〇〇では」って何なの。どこの州のどういう集団のどの階層を差してるの。多分、一握りのWASPの第一印象だよな。絶対黒人とかヒスパニックの文化なんか参照してないだろ。
言ってる奴自体、生活の100%をそのどこかの「アメリカ」ナイズしてるわけでも無いしな。
じゃあ「アメリカでもやってるからハーグ条約にちゃんと従いましょう」っていうと、アメリカのMeTooを日本に取り入れようとしてる人たちは反対するだろうし。
東南アジアに日本企業が続々進出してた時にも、東南アジアの人々は多少労働環境などの影響は受けただろうけど、何でも「日本流」にしなかったし、今でも何でも「中国流」にしてないだろ。
逆に、アメリカのルイジアナ州で、ハロウィーンの季節に日本人留学生が間違った家に遊びに行ってしまい「フリーズ!」と「プリーズ!」を聞き間違えて乗込んじゃって射殺されたって事件あったけど(うろ覚え)、その場合は大方仕方ないと思うよ。
(あとこの場合は留学生の遺族はアメリカのその州の裁判に則って争って、賠償金を得た。これは郷に従った正当性のあるやり方。)
雑に羅列すれば、日本には日本のそれぞれのポリコレがあるし、中国には中国のそれぞれのフェミニズムがあるし、韓国には韓国のそれぞれのエコロジーがあるし、ブラジルにはブラジルのそれぞれの家族があるし、エチオピアにはエチオピアのそれぞれの宗教がある。
それをアメリカ・西洋一色にする必要はない。(もちろん日本も、日本一色にすることを求めない。)
自分の身の回りの文化をしっかりと考えていない人間が、他国の文化についても語れる訳ないだろ。それも数年の留学とか、SNSの雑なブームとかで。そっからだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220102190352
自動車のCMで「自動車を使わないことへの呼びかけ」が義務化される、違反すると600万円超の罰金
自動車業界では気候変動対策としてガソリン車から電気自動車への切り替えが進んでいます。
そんな中、自動車のCMに「自転車の利用や歩行を呼びかける事項」の追加を義務付ける法律がフランスで可決しました。
話題となっている法律は2021年12月28日にフランスで可決されたもので、この法律によってフランスでは
2022年3月以降、自動車のCMには「短距離の移動は徒歩や自転車で(Pour les trajets courts,
privilegiez la marche ou le velo)」「相乗りを検討しましょう(Pensez a covoiturer)」「公共交通機関の
利用を心掛けましょう(Au quotidien, prenez les transports en commun)」という文面を含ませる義務が生じます。
上記の義務はテレビ・ラジオ・オンライン・印刷物といったCMの形式に関係なく生じるもので、文面を含まない
CMを公開した場合、自動車メーカーは最大5万ユーロ(約655万円)の罰金を課せられるとのこと。
この法律についてフランスのエコロジー移行大臣であるバルバラ・ポンピリ氏は「交通関連の
脱炭素化に必要なのは、動力を電気モーターへ切り替えることだけではなく、可能な限り公共交通機関や