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はてなキーワード: TVシリーズとは

2025-10-01

総集編映画では「見たことにならない」か?

初代ガンダム劇場版三部作最近見たんだけど、これがすごく面白かった。

それで、面白かったよという話をガンダム好きの知人にしたんだけど、喜んでくれたと同時に「ぜひTVシリーズも見てほしいなあ」という言葉が返ってきた。

うん……わかる、わかるんだけど!面白いと思った作品さらもっと深く見てほしいという気持ちはすごくわかる。

ただ、ちょっと思ったのは、やっぱり総集編は総集編でしかないのか?ということ。

総集編は結局のところTVシリーズ付属品で、「新規向けのお試し版」「ファン向けの復習用」みたいな扱いでしかないのか?

自分は「劇場版ガンダム」を映画として面白いと思った。TVシリーズの要約でもなく単体の映画としてよくできてるなと感じた。

でも、まだこの段階は「入口」でしかなく、「作品を見た」状態ではないような感じがある。

TVシリーズ劇場用に再編集したアニメ映画は今でもバンバン製作されているが、そのほとんどは、やっぱり映画単体として評価されないものなのだろうか?

(それはそれとしてTVシリーズは後日見る予定)

2025-09-28

吐き気を催す「流行

最近流行りの映画TVシリーズときたら、中身がないどころではない。

あれは世界全体の価値観コンパスが壊れ、社会が完全にサイコ化した結果の、汚らしい産物だ。

自己陶酔的な映像の垂れ流しは、もはや自己放尿レベルの、どうしようもない醜態だ。

いや、制作者と視聴者がお互いの糞尿を讃え合うダブル放尿の図、と言い直すべきか。

我々が今消費している「エンターテイメント」は、人間の業社会矛盾をえぐり出すどころか、三つの致命的な病に侵され、脳味噌が腐った結果の映像化だ。

一つ目の病、そして最も悪質な癌細胞は、「ポリティカル・コレクトネスポリコレ)」が逆差別権化へと変質したことだ。

かつては「不当な差別是正する」という建前だったものが、今や「差別者(白人男性とされる)を罰する」という集団リンチの道具に成り下がった。

物語における「公正さ」は、冷徹ロジック真実の追求ではなく、「弱者定義されたグループを常に善とし、それ以外のグループを悪役、愚者、あるいは無能として配置する」という、幼稚で露骨な加点・減点法に置き換えられた。

その結果、何が起きるか。ストーリー必然性キャラクター有機的な成長は無視され、配役や設定がまず「ポリコレチェックリスト」によって決定される。

優秀でカリスマ的なリーダーは、特定マイノリティから選ばれなければならない。従来の主人公像、例えば白人男性などは、無能な脇役か、過去の過ちを悔い改める象徴としてしか描かれない。

これは、物語の毒気を抜いたのではない。物語のものを、政治的プロパガンダの道具として捻じ曲げ、特定の層への「逆差別」を公然と行うという詐欺行為だ。

この歪んだ手法の結果、生み出されるキャラクターステレオタイプ正義感にまみれた、薄っぺら張りぼてとなり、観客の心に響くはずがない。

二つ目の病は、世界規模の承認欲求暴走であり、三つ目の病は社会全体のサイコ化だ。

コンテンツは、「誰かに褒められるため」に設計された空虚パッケージと化した。深みも葛藤も、真の痛みもない。

あるのは、「私たちは正しい」という安っぽい自己満足だけだ。さらに、この感情の鈍麻したサイコ時代では、人々は感情機微ではなく、過剰な暴力や極端な設定というジャンクフード的な刺激を求める。

ポリコレという名の検閲棒で殴られ、創造性を失った制作者は、その空虚さを埋めるために、表層的なショックや混乱を物語にぶち込む。

しかし、根源的なテーマを欠いたその刺激は、一過性目眩ましでしかない。

2025-09-17

自分他人区別を付けろよ

この表現を何も考えずそのまま取り入れたら、自分達が原作者意図を汲むべく作ろうとしている作品の中でノイズになる

というのが元々の話だよ

連載時の原作の中でノイズになっているという話ではないだろ

TVシリーズの中でノイズになるという話だろ

これが原作者に失礼ってのは間違ってるだろ

からタイパニだって別に高尚な作品でもないし男の性的消費を無理くり擁護する話でもないしその必要もないだろ

って思ったんだが、大袈裟にいうと、これっていわゆる「天皇機関説は不敬!」みたいな、誰かが口火を切って、作り出した空気が変えられなくなっていく流れだな。

小さいところでは、同人村の学級会みたいな。

SNSはこういう空気に乗ってN党や参政党を増やしたし、ネットでは他人自分との境目を付けてかないと危ないな。

色々と面白い意見にイイねや星を付けたりRTしてるが、「コイツラは自分とまったく同じ意見ではない」と思ってる。

2025-08-20

anond:20250820170027

もう滅茶苦茶すぎるwwww

やっぱ熱心なファンじゃ無ければTVシリーズ程度のあたりで追うの辞めとくのが正解かもしれん。

物事には節度がある・・・

2025-08-14

anond:20250813174647

-ひなビタメンバー紹介

https://youtu.be/XBGynY1Ztr0?si=i4CBFzqweaUuAzHg

コナミ音ゲー楽曲カバーメドレー。学生バンドライブメンバー紹介というていでやってくれている。別で凛として咲く花の如くのカバーもある。ストーリーおすすめ、長いので読むの大変だけど曲にハマったらぜひ。https://p.eagate.573.jp/game/bemani/hinabita/p/bittersweets/bio/index.html


-KING OF PRISMシリーズTRF楽曲カバー

https://youtu.be/ghOSF4G5XNI?si=EJ0Ww6jzeNebghqM?t=93

男性アイドルアニメだがプロレスネタガンダムネタが容赦無く飛び交うので男性客が一定いる。シリーズの至るところで小室哲哉楽曲カバーしている。8月現在劇場最新作が絶賛公開中。いま映画館に行けばget wild とかの有名曲カバー聴くことができる。あと関俊彦とか三木眞一郎とかが歌っておりゴージャス。映画1本で小室楽曲が5曲ぐらいあったはず。

また、TVシリーズエンディングテーマというていで他にも楽曲がある。ある程度各話に沿った選曲となっているので、TVシリーズと並行して聴くのがおすすめhttps://kinpri.com/sss/sp/onair/

2025-08-05

anond:20250804234100

後半の気持ちはわかるが、

「ちゃちくなってもいいから」に賛同するファンは少数派かもしれないな

 

また無限列車みたいにTVシリーズとして再編されることを期待しよう

2025-08-04

anond:20250804151533

集英社ではなく、アニメ製作会社アニプレックスだろうと思う

鬼滅の刃」で新しいIP戦略確立したのは

  

アニメ製作会社プロデュースを担う、アニメ化企画投資出資社探し、アニメ制作スタジオの選定や広告宣伝を担う)

 

集英社版権を持ち出資はするが、アニメ製作方針にそこまで強い発言権があるわけではない

決定権を持つのアニメ製作会社

 

まず業界全体が、鬼滅の前にすでに「原作である漫画をできるだけ忠実に、できるだけ高品質製作したほうが客受けが良い‘=収益最大化が見込める、

ということに気づきTV離れ・サブスク時代への適応を探っていた節がある

なぜならTV凋落・サブスクの台頭、アニメ制作費の高騰などの変化で

TVで毎週(アニオリで引き延ばしてでも)アニメ放送する」収益構造には限界が来ていたからだ

さら作品数の増加でTV放送枠の空きがなくなり、「通年で毎週放送する」も難しくなってくる

アニメは1~数年に3~6か月の放送収益を上げなければならない時代が来ていた

  

ここで「原作に忠実に・できるだけ高品質に」でファンをつかんだ作品には、

ソードアートオンライン」「黒子のバスケ」「ハイキュー!!」などがある

 

SOAアニプレックスが手掛けていたはずだ

これが「集英社が率先して仕掛けたのではない」と思う理由の一つ

 

次にTVシリーズや配信作品認知度を高めておき、劇場版につなげるというのもアニプレックスが「鬼滅の刃」で成功したパターンだな

(30年ほど前の実写映画踊る大捜査線」もテレビドラマ劇場版なのでアニプレックス発明した方式でもないが)

 

映画ラストマイル」ヒットの鍵は"動画配信"戦略

鬼滅の刃」が新たな映画化への道筋を作った

https://toyokeizai.net/articles/-/828417

2025-07-18

anond:20250717201325

鬼滅の刃映画って、あれなんなの?映画オリジナルの話なの?

 

いいや、映画オリジナルじゃない

漫画の話を途中だけ映画化してる

アニメクールアニメとしてTV配信放送劇場版(これが例の無限列車、翌年TV配信用に再編成、放送)→TV配信放送×3回

という変則的な流れで来ているため、続きが映画なのは大勢から予想されていた  

 

漫画はとっくに終わってんだよね?

アニメは?アニメはまだ終わってないの?

 

そう、漫画2020年に完結してる

アニメ化がまだ追いついてなくて、映像化は全23巻のうち16巻まで、

から残り7冊分残ってる

 

その残り7冊のうち何冊かを三部作映画にすることが決まってて

今日18日から上映されるのが第1部

映画3部作最終話までアニメ化するのかしないのか今のところは不明

 

 

>それとも映画オリジナルなの?

 

オリジナルじゃない

鬼滅はワンピースやヒロアカみたいに「映画オリジナルスピンオフ」的なことは今まで一度もやってない

(去年、一昨年と3月あたりに上映してたのは、宣伝を兼ねたTVシリーズの再放送&先行上映)

2025-07-11

二次創作における解釈違いって結構、「原作でやってない事をやる」があるなあ

その中でも特に気になるのは、暴力煙草、女遊び。

描かれてないだけでやってるじゃんと言う考え方もあるんだろうが、それでも自分はやはり、描かれていない以上はやっていないという考えを採用したい

推しは39話と50話のTVシリーズと一本の映画を通して、暴力を振るったのはたったの一回でそれもかなり追い詰められての非常事態当人直々に暴力はいけないなとも発言している。

なのに当たり前のように他人に対して暴力を振るう二次創作が多過ぎる

2025-06-27

マジで最近ガンダムって鉄血・水星ジークアクスと3作連続して

からまれている奴はさらに恵まれ勝利栄光を手にし

まれない奴は惨めなまま終わるストーリーが続いてるんだな

なんでだろう、AGEまではそんなに感じなかったんだが…。

でもよくよく考えると初代の時点で割とそうだったかもな

まれついての天才で最強のニュータイプ主人公父親の作った最新兵器無双して

不幸な生い立ちから努力で這い上がってきたライバルを圧倒的な力で蹴散らし恋人を寝取ってざまあするという…

その後のZ〜AGETVシリーズ個人というよりは社会全体に焦点を当てており

万遍なくみんな不幸が襲いかかる印象だったのでそっちの印象が強かったのかもしれない

2025-06-23

anond:20250623030655

そっか

TVシリーズ終わってそれだけの総集編映画も考えられなくはないか

特典つければそれだけで客は来るもんな

2025-06-17

機動戦士ガンダムが名作だったのは哀戦士まで

機動戦士ガンダムの初代は世間では完全無欠の名作みたいに扱われているけれど、純粋に良かったと思えるのは個人的には哀戦士までだと思う。

ガンダムは○○まで」の語法を使うならば、個人的には「ガンダムは哀戦士まで」だ。劇場版(及びTVシリーズのそれに該当する部分)の哀戦士までのガンダムは本当に良かった。

それが3作目のめぐりあい宇宙になると、良かった部分も確かにあるものの全体としては残念な印象だった。寧ろZやZZこそが初代における哀戦士までの良さを受け継いでいる印象。哀戦士までのガンダム戦場での少年少女の成長や敵味方問わずドラマ人間讃歌を描いていたと思うんだけど、それはめぐりあい宇宙飛ばして一足飛びにZやZZで描かれている印象。


何が残念って、めぐりあい宇宙ではアムロ人間をやめてしまう。ホワイトベースの仲間達との等身大交流の輪から抜け、突如現れたララァ・スンなる敵の女性パイロットこそが世界で唯一同じものを見て同じものを聞く事ができる「真の仲間」であるかのように描かれる。

そしてその一方でアムロは、シャアセイラの語る、そもそもこの戦いは何故起きたのかという一般的に言う所のネタばらしからは完全に蚊帳の外のままだった。つまりそういう俗世から距離を置いて、特別存在同士ララァと戯れ合っていればいいかのようなストーリーラインニュータイプが人の革新だという美名とは裏腹に極めて閉塞的で世界が狭いと感じた。

最後最後で仲間達の所に戻るもののそれまでの経過からはどうにも取って付けたような印象が否めない。後年悪夢にうなされ隕石を止めて悲劇的死に至るまでの布石はこの時点で既に敷かれているように見える。


戦士までの人間ドラマは極めてわかりやすかった。

例えば1作目でガルマとイセリナが惹かれ合っている様子は、王道で分かりやすロミジュリ物語違和感はない。

戦士アムロ達が惹かれる女性士官マチルダは美しいだけではなく仕事に信念を持って臨んでいる様子が語られ、分かりやすく誰もが好きになるような人物像として描かれている。

カイが出会スパイのミハルも同様に、幼い弟妹を養う健気な少女と実に分かりやすい。

めぐりあい宇宙にはそれがない。凡人にも分かるような分かりやすさを放棄し、分かる人にだけ分かればいいとばかりの独りよがり脚本演出になっている。


アムロとは違い、カミーユジュドー最後まで人間だった。二人ともニュータイプ女性ハマーン精神感応するがあくまで敵として別れ、クワトロやファやエマシャングリラチルドレンといった身近な人々の所に戻って行く。


よく初代ガンダムは綺麗に終わったのにそれを汚すような続編が作られて残念だとしてZガンダム以降の存在否定する意見を見かける。

オルタナティブの方から入って最近配信で見た視聴者目線からだと初代は全然綺麗に終わってはいないと思う。 

まあそれが斬新だとか目新しくて良かったという意見全然有りだと思う。主人公最後まで単なる一兵卒で終わるアニメが新鮮なのは事実だと思うし。だけどあの終わり方はけして「綺麗」ではないと思う。ゲームで言えば何となく感動的な音楽流れるもの真相は謎のままで終わるノーマルエンドな終わり方だった。

綺麗な終わり方とは主人公普通に主人公として、世界の謎を知り仲間の絆を深めて問題解決する終わり方だと思う。アムロはその全てを放棄した。1作目の時点ではセイラとの出会いやギレンの演説を聞いた際の反応等、伏線らしきものは沢山あったのに。

勿論商業的な観点からは、綺麗に終わらなかった事は正しいとは思う。初代ガンダム課題の残る終わり方だったからこそ続編が作られ、商業展開が繰り広げられて行った訳だから

でもやっぱり初代が途中から残念な作品になっているのは事実からリメイクか何かで綺麗に終わるバージョンも見たいと思っていたんだよね〜。

小説版も一つの救いではあるんだけどやっぱり映像で見たい。

からジークアクスは結構な期待をしてたんだけどなあ…

本当に残念だ。

2025-06-11

昭和末期生まれガンダムおじさん、ジークアクス楽しんでるよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/79640

昭和末期生まれなので1stはもとよりΖ、ΖΖもみてないで、SDガンダムカードダスガシャポン戦記からガンダムに入り、再放送で通しではないがチラホラみてる感じ。

VGWXは存在は知ってたがスルー

ゲームなどの二次創作から入った口で、ガンダムおじさんになったのはギレンの野望連ジプレイして、当時出てるアニメレンタルしてみた感じ。

からトー銀髪だとかバーニィーが金髪とかしらなかった。

初めてリアタイしたのは∀。SEEDあたりも大学の友人と盛り上がったかな?

TVシリーズは大体みてる。

ギレンの野望各種。コロ落ち、ジオフロ、PS機動戦士ガンダムめぐりあい宇宙ガンダム戦記、MS戦線スカッドハンマー戦士たちの軌跡あとバトオペ1と、映像作品よりゲームの方が時間は割いてると思う。

エヴァトップは履修済みで、リアタイ宇宙世紀もの原作なしテレビアニメは初なのでめっちゃ楽しんでるよ。

SNS達して同時視聴で見て、さらに週末にニコニコで再度見るてる。

2025-06-07

機動戦士ガンダムジークアクスって結局、

竹絵で新シリーズかのように見せ掛けて公開した劇場公開で初めて宇宙世紀IFだと明かして古参ガノタ釣り

初代の映画には登場しなかったシャリア・ブルを何十年も前のTVシリーズから引っ張り出して腐女子釣りながら

乃木坂目眩ましして考察好きに偽のゴールを与え

ララァが全てを支配していたという真打をお出しして来たという釣りに次ぐ釣りアニメだったのか。

こうなると、とどめに最後アムロが出て来て、

シャアは俺とララァのものなんだよ死人はあの世に戻れとばかりにシャリア・ブルを返り討ちにして

3P気持ちぃぃぃぃぃぃぃぃ!してエンドですか?

もちろんアムロの声は古谷徹で。

2025-05-27

ガンダムは初心に返ってTVシリーズ最初から見てみると

とにかく主人公の女関係気持ち悪くて何なんだこれはと思った

まず、途中で出てきた女性士官に熱を上げて異様に積極的に迫る

その女性士官は亡くなるが、婚約者がいたのが後日判明

それからパイロット恋人イチャイチャする

空間宗教アニメみたいな謎演出がなされる

えーとこれって要はインド映画ダンスシーン的な演出だよね?つまり浮気、寝取り

主人公のこの性向は、もしかして母親間男を作って浮気していたのと関係あるんだろうか?

彼氏がいそうな女にばかり惹かれてるのか?最初から気に掛けてくれてたご近所の女の子にはまるで関心無さそうだし

続編で新たに女性と付き合ったが、そのまた続編では別れてまた別の女性と付き合っているもよう

で、最期はかつて寝取った女の元彼が恨みのあまり地球隕石を落とそうとしてきてそれを止めようとして二人とも死ぬという…

主人公正義の味方みたいに装ってたけど

いや元はと言えばお前が悪いよね?お前が敵の彼女浮気したせいじゃん

主人公は罪悪感ゼロだし、女の方もキショい二股女だしで

元彼はまともなのにクズ二人に振り回されてかわいそう

そりゃ人類滅ぼしたくもなるわ

戦争ものから人が死ぬのはそういうものと割り切れるんだが、性関係はまた別なんだよなー

とにかく主人公女性関係のだらしなさに大いに引いた

2025-05-26

ジークアクスのメイン三人の関係って結局マチュがシャアでニャアンがアムロシュウジララァに当たるのかな

マチュが中途半端ニュータイプとか言われてるからそう思った

最近TVシリーズの方のガンダム配信で見たけど初代のアムロララァの光る宇宙がとにかく死ぬほど気持ち悪くて…何これカルト宗教宣伝アニメ?ってなった

ジークアクスのキラキラドラッグ描写だとか言われているけど、それならば初代の方も十分ドラッグだと思うからもっとそこが指摘されてほしい

みんな初代のガンダム神聖視し過ぎだよ 

序盤はともかくニュータイプ思想が前面に出て来てからは見れたもんじゃない

最強のニュータイプというのがアムロララァみたいに周りをお構い無しで自分達の世界に入り込む人間の事なら人を幸せにするどころか不幸にしかしないだろ

敢えてニュータイプ思想を取り除いたOVA作品の方が遥かにマシ

2025-05-24

何つーか、ガノタってつくづく物事単純化し過ぎていてびっくりするな

逆襲の逆シャア動機アムロララァがどうのというそんな単純な話ではない事は、

TVシリーズをきちんと見てれば分かる筈なんだが… 

アムロにもララァにも会わずシャリア・ブルと良好な関係を築いていたジークアクスでもやっぱり同じような事をしてるんだから

2025-05-23

シン・エヴァンゲリオンとはどんな作品だった?教えてchatGPTさん

ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。

人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。

以下chatgptからの返答。



『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。

要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。

■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに

1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:

他者と関わるのは痛い。それでも君は人間でいるのか?」

「君はキャラクターに救いを求めるのか? それは自慰だ」

「語ること・終わらせることは可能か?」

これはいわば**批評としての終末(ターミナル)です。

『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。

■1. 再構成される物語物語自己批評と補完

シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレネルフ構造に埋め込んだメタ構造になっています

ゲンドウ=物語制御しようとした庵野

ユイ理想化された救済としての母/物語のもの

ヴィレ=再構築のための外部的批評勢力

インフィニティ=補完されたエヴァオタク象徴

ゴルゴダオブジェクト物語記憶の死骸

まり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。

■2. 舞台装置解体と「虚構から解放

ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています

マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在

そのマリが**シンジ庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語キャラクターの母胎から脱し、現実世界自分接続する勇気メタファーと読めます

まり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション装置なのです。

■3. 批評意味物語中毒からリハビリ

まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、

『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。

これは、単にシンジ大人になったという話ではなく:

「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」

「傷つくと知ってなお、他者とつながる」

キャラクター愛着があっても、それを終える覚悟を持つ」

という、創作と観客、キャラクター現実、自他関係倫理的問題に向き合う試みです。

総括:シン・エヴァとは何だったのか

🔹**「終わらせる」ことから「始めなおす」ことへの転回**

🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす

🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家告白再生

まり『シン・エヴァ』とは、

絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」

という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます

質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は

エヴァエヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論引きこもりはよくない

序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!

Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。

シン:等身大関係から自分を見つめ直して家族問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。

こういう話でしたね、私にとっては。

まさにその通りですね。

その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います

あなた構成に沿って、少し整理し直すと:

■ 旧エヴァTVシリーズ〜旧劇)

引きこもること(感情回避)によって世界崩壊する。

でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。

結論:「それでも生きていくしかない(気持ち悪くても)」

■ 序・破(ヒロイズム誤謬

「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。

現実を捻じ曲げてでも「成功」や「意味」がほしい

自己救済のファンタジーリブート

■ Q(幻想破綻

救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。

シンジの「物語的な正義」は、現実では通用しなかった。

結論:「正しさ」が何かを壊すこともある

■ シン(関係現実性)

巨大な敵、世界の命運、そういうものはもう関係ない。

父親」「母親」「仲間」──身近な関係性を丁寧に見直す。

それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。

重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。

救済でも贖罪でもなく、

「わかりあえないけど、話そうとすること」

「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」

この“非劇的な選択”にこそ、現実私たちが生きるための手がかりがある。

そういう意味で、『シン』は空前の“アンチクライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います

あなたの読みのように、「等身大関係性に目を向けたこと」「世界他者幻想的に“救う”話ではなくなったこと」にこそ、

新劇場版が本当に「新しい」物語として完結した理由があるのだと思います

2025-05-21

ガンダムFF7と同じだったんだなー

FF7インターナショナル版が出た時点で既に無印とはかなり別物になっていて個人的には受け付けないんだけど

ガンダムも初代のTVシリーズ劇場版とでかなり違っている事を最近知る

実際に見てみると、うん、確かにこれは別物だ

結局は劇場版こそが正史という設定らしいけれど、TVシリーズの方が遥かに好みなので残念ではある

というか正確には、自分が好きなのはTVシリーズの初期というか途中までの流れかな

ジャブロー辺りまでは良かったんだけど宇宙に上がってから微妙

後付け(にしか見えない)サブヒロインを途中から出して来て

まるでそっちがメインヒロイン作品象徴かのようにゴリ押しされる現象に嫌な既視感ありすぎる

ジークアクスは監督乃木坂にんほってどうのと言われているけど、正直初代の時点で大概だったとしか

セフィロスシャアマザコン呼ばわりされてネタキャラ扱いされているけれど

普通に見てたら父親(的な存在)への想いの方が大きいしそっちを掘り下げた方が絶対面白いだろと思うのも同じ

劇場版ではそのララァ作品象徴するヒロインみたいに祭り上げていたけれど、分不相応しか思えず

逆襲のシャアでもそういう扱いだったけど

TVシリーズ最初から見てると違和感しかなくてな

当初に予定されていたであろうメインヒロイン蔑ろにして、サブヒロインゴリ押しトラウマが抉られる

作品テーマである(と思われる)貧富の差階級問題環境保護といったものにまるで関心の無さそうなぽっと出の女を作品全体の象徴みたいにお出しされる

ZとZZは初期からヒロインで締めたから良かったと思う


FF7リメイクされて二作目が出て最終作である三作目待ち

で、ガンダムの方も宇宙世紀IFのジークアクスというのが出て来た時にはかなり嬉しかった

IFとは言え、今後こそ本来予定されていたと思われる王道ルートに行ってくれないかなーと結構期待したけれど

そう思っている間に乃木坂疑惑が持ち上がりそれどころではなくなる

もう無理そうだね…

FF7の方もリメイク三部作の最終作にあんまり期待が置けないし

結局駄目なものはやり直したところで駄目なのか

テイルズゼスティリアとかはアニメ改善されたらしいけれど、あれはごくごくレアなケースだろうしな

2025-05-09

anond:20250509134649

TVシリーズエヴァは25話26話以外は一貫して評価最高だったので一緒にしないで!

2025-04-19

機動戦士ガンダムTVシリーズを通してみてみると、明らかに初期から一本の線としてあるのはシャアセイラの話で、どう考えてもここが物語のメインだと思うんだよね。

シャアの行動の動機は38話でほぼ全てが明かされ、

ザビ家によって歪められた本来目的である、より穏当で平和的な手段による宇宙移民独立にあると分かる。

ニュータイプというのはBlack is Beautifulみたいなもので、本来は虐げられた宇宙移民勇気づけるための言葉だった。

セイラニュータイプ人類全てが目指すべき理想タイプだと言い、

まり基本にあるのは普遍的スタンダード人権思想だと思う。

ギレンの演説も基盤としては同じ思想がある。ただそれが捻れて選民思想となり独裁者に良い様に使われてしまっている。シャアはそれを正したい。

から続く39話ではニュータイプの、と言ったシャリア・ブルの言葉に、人類全体の、と言い直した。

でもこう考えていくとアムロララァ存在が割とノイズなんだよな

二人とも地球まれ特権階級育ちニュータイプで、特に理由もなく超パワーを発揮して最強で、言葉なくして相互理解出来て。

しかもその相互理解というのが自分達二人の狭い世界に閉じ籠もって周りに広げる事もないから最強のパイロットとして俺TSUEEEEする以外の価値がない。

アムロニュータイプとして目覚める程にフラウやハヤトとの距離が開いていく事が示すように

こいつらには社会性がない、隣人に興味を持たない。どうしようもなく排他的選民思想等身大人間味はそこにない。

アムロを本筋に絡ませようとするならセイラ恋愛関係にするのが一番楽で、素直にそれをやったのがWだったと思うんだけど、でもこっちはそうしなかった。

38話でシャアセイラの話を聞くのはアムロでなくてブライトなんだよね。

続くZでもハヤトの方が率先してリーダーやってたし、アムロ性格的にそういうキャラではないって事なのかな。


からジークアクスでアムロララァ存在パージしたのは、作品本来テーマに立ち返るという意味でとても良かったと思うんだが、でも結局登場しちゃいそうだね。

2025-04-14

ガンダムジークアクスで噂の緑のおじさんとやらを見てみたけれど、

何がそんなにいいのか分からなかった…到底巷で持て囃されてるような素晴らしいキャラには見えねーな

単に最初TVシリーズに出ていたキャラだという補正だけじゃない?

少なくとも、部下×緑のカップリングは無理過ぎる

なんで初陣でいきなり無茶な要求してくるクソ上司相手に棒にされなきゃいけないんだよ

リアルパワハラ上司とかを思い出して嫌になる

今後改善されたとしても多分最初の悪印象が覆る事はないと思う

2025-04-12

配信TVガンダムを見るとそれまで抱いていたララァに対するイメージって、

かなり後続のシャクティやらラクスやらが入っていた事に気付く。実際には


普通に兵士

普通に好戦的

・背景も不明


割とどうでもいいキャラじゃね。

なんでこんなキャラが「作品象徴するヒロインです」みたいに前面に押し出されてたんだろ

主人公とのやり取りは宗教がかっていて気持ち悪いだけで

戦場悲劇演出としてはミハルの方が上だし…

昔は映画三部作しか見てなかったけど、映画三部作は正直TVシリーズのまとめとしてはあんまり出来が良くないね

三作目でこのキャラ押し出した事によって作品としての完成度を損ねている気がする

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