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2024-12-13

anond:20241213111800

友達高校中退してずっと引きこもりフリーター繰り返してた所からアラサーくらいで専門学校理学療法士資格取って毎日楽しい仕事してる。

そりゃ一流企業行ってセレブになりたいならあれだけど、自分の食いぶち稼ぎたいとか結婚したいとかならくっそやり直しが効く年頃。

2024-12-11

ラーメンを注文しない客

さっきアルバイト終わった。今は家にいる。今日ちょっとおかしなことがあったのだ。当方フリーター

夜7時過ぎだったかな?とある男性客が来店した。家系ラーメンチェーン店なんだが、狭い出入口に食券機がある。アナログタイプで、音がデカい。

注文終わると、そのお客さんがのっそのっそとカウンター席の方まで来て、当方が食券を見たんだよ。そしたらさ、

餃子5ケ」

ほうれんそうトッピング

注文は以上だった。ラーメンがねえじゃん、ラーメンがさ。なんか頼めよ。

こんなのは2年以上も勤めて初だった。

しかトッピングほうれん草ラーメンもないのにどうやって出したらいいんだ??

そのうえ、このミントグリーン作業着男性客はな、な、なんと……無料サービス券(まくり券って呼ばれてる)を出して、「うずらの卵5個で」とか言い出した。

いや、それラーメン頼んだ人ようだからwwwwwwww

店長相談したら、やっぱりダメだってさ。それから時間が経って、店長餃子5ケのお皿に、一緒にほうれん草トッピングを乗っけて、俺がその人のところまで持っていったら……

すでにご飯を食べ始めていた。うちは白米食べ放題のお店だ。質の悪い米だけど、学生なんかがよく食べている。

それを、その作業着おっさんは、すでにショウガの切り身と、豆板醤ニンニクとか色々混ぜてさ、水飲みながら、丼にして食ってたよ。

もうすぐ2杯目のところだった。

こいつやべえ……と思ってアルバイトしてたんだが、結局その人はご飯3杯食べて、お会計は470円ポッチだった。

その人が帰った後で、「あいつやべえwwww」ってアルバイト仲間で盛り上がっていた。そしたら、

「客のこと笑うなや、考えて喋れ!!」

って、店長にクソ怒られてしまった。

まあ、いいけどさ。あのお客さん、ルールは守ってたし。ラーメンを頼まずに、ラーメン用の無料サービス券でうずらの卵を食べようとしてたこと以外は。

たまにアルバイトしてると、こういう面白いことがある。明日アルバイトである。面倒で憂鬱なこともあるけど、ちょっと増田に書き込んでみた。

みんなも、こんな経験はないだろうか。圧倒的に非常識だったり、圧倒的に規格外なお客さんの経験談があったら聞かせてほしいな。

anond:20241210132127

今まで見た知人の結婚の中で一番うわぁと思ったのは、

女: 幼稚園から有名女子大お嬢さん

男: 女が中学生の時に野外活動ボランティアで来て出会ったフリーターのおじさん(妻中学生当時30代後半)

大学を出ると同時に結婚しておじさんは定職につかないまま都内の妻実家に転がり込んで子供を二人作った所までは知ってるけどどうしてるかな〜〜

 

増田たちの見たうわぁ婚も教えて

2024-12-04

過去を懐かしみ後悔する刻

フランチャイズコンビニオーナーをやっている

数年前から人手不足が深刻過ぎてヤバい

募集かけても全然人来ないし、お金かけての募集もそうそうかけられないか

店内には年中バイト募集張り紙貼ってあるけど、客層とバイトで働いてくれる層が合ってないからか応募は殆どない

関東地方田舎なので、そもそも若者学生は元から少ない

ちょっと昔…といっても10年ぐらい前だとこんな事は無かった


こんな所でも募集かければ、一人の枠にはすぐ10人以上の応募がきていた

その中から若くてちゃんとしてそうな人や長年フリーターしてます、って人を厳選して、すぐに雇えたし

ちょっとでも「こいつ使えないなー」と思ったら、即クビ切って次の人にチェンジ出来た

バイトの代わりなんていくらでもいたか


それが今じゃ、若い人どころか、オッサン・オバサンすらロクに来ない

じいさんやばあさんすら、まともな人は自分仕事を持っているのか、応募して来ない


若者学生が元々少ない地方なのもあって

たまに応募に来ても、職歴が空白だらけのオッサンかオバサンが大半で

仕方なく雇っては見るものの、いる方が邪魔ぐらいのアホだったり(多分発達入ってる)

平気で当日連絡や無断欠勤シフト空けまくった挙げ句にバックレして、正直使い物以前の問題


後、外人からの応募はたまに来て、藁にも縋る思いで雇ったら

平気で店の商品パクるわ仲間呼んで騒ぐわで大変だった

そもそも日本語がロクに出来ないのに雇ったこっちも悪いんだけどさ


昔は「こいつちょっと使えないわー」とか「動き悪いなー」とか「覇気がなくて接客がなー」って感じで

さっさとクビにしてきた人達ですら今では凄く良い人材に思えるし

今なら絶対に大切にして教育していくのに、って思ってしま

数年前から10連勤ぐらいは当たり前、月の休みは取れても4~5日しかないし

今日もよく休む(サボる)アホおばちゃんパートの穴埋めに

貴重な休みだったのに急遽昼から夜まで店に出てストレス半端ない


それでもコロナ飲食関係バイト状況が一気に悪くなったのか、こんな店にもいろんな人が応募してくれて

やっとマシな時代に戻れるかも?って思ってたけど、コロナ回復するにつれて

まともなバイトパートはみんな他に行ってしまった

時給の割には覚える事多いし、仕方ないよね


自業自得だし、後悔してもしょうがないんだけど、どんだけ人を無駄遣いしてきて

上から目線だったんだろうなって、凄く後悔している……

2024-12-02

働くのが嫌で仕事辞めてフリーターになった

毎日朝早く起きて電車に乗って神経すり減らしながら、重圧に苛まれながら、休みの日まで仕事不安に感じながら生きるのが嫌になってしまった。

働きざかりの30代だが、仕事を辞めた。

しかし俺は貯金が1000万円ある。トランプ祝儀景気真っ盛りの時に積立NISAは解約した。バフェットも株から債券に移行してるそうなので、現金化した選択としては正しかったと思う。S&P500を盲信して積み立て続ける連中の何割がPER30超えたことを把握してるんだろうか。

話はそれたが、近所の配送倉庫ピッキングバイトを始めた。最低限の生活費を工面するためだ。

仕事に慣れるまでは大変だったが、仕事の流れと物の配置さえ把握してればあとはルーティンだ。休みの日は仕事の事を考えずに好きなことだけしてる。steamゲームしたり、平日の晩飯用のミールプレップを作ったり、のんびり過ごしている。正社員として都内勤務していた頃に比べればこの上ない平和だ。

ただ、50過ぎた愛想の悪いメガネかけたヒゲ面のベテランアルバイターが何故か俺によく突っかかる。仕事始めて4日目の時に「まだ終わってねえの?つっかえねえなァ!(クソデカ溜め息)」と言い放ってきた。なんだコイツ……と呆気にとられたが「あぁ、すみません」と平謝りだけした。またある日、俺は朝飯と昼飯を食わないので、昼休みお茶を飲みながら雑誌を読んでいた。仕事中にヒゲ面が「増田くん昼飯食べないの?」と聞いてきたので「そうなんですよー、食べると眠くなっちゃって」と返すと、「食も楽しめないなんて、可哀想な奴だなぁ」と言い放ってきた。なんだコイツ……、とまた呆気にとられた。何故か俺はこのヒゲ面に目の敵にされていて、「働きざかりの良い齢してアルバイトしてる、昼飯食べることすら困ってるアルバイター借金もあるし、どこの職場でも続かなくて金に困ってる人生終わってるやつ」みたいな言い方をされていた。(パートのおばさんにヒゲ面が零してるのを目の当たりにした)

パートお姉様達は大変よくしてくださるので問題はないが、その時に「このヒゲ面、コミュニケーションが下手くそなんじゃなくて、純粋に俺のこと嫌いなんだな」と察した。かといって今までの言動に怒り一つ湧いてこない。前の職場にこんな人がいたら、俺はノイローゼになってたろう。恐怖で職場にいけなくなってたかもしれない。でも、本当に何とも思わないのだ。凪のような気持ちだった。そのあたりで俺は鼻からこのヒゲ面を相手にしてなかった事に後から気づいた。だってお前、貯金1000万どころか200万も無さそうじゃん。お前が3時間残業して稼いだ1日分の給料、俺がFXで午前中に窓埋めするだけで稼いだよ。低レベルな言い返しならを想定してた時に、俺がヒゲ面を何とも思わなかったのは、仕事の重責がない解放感でヒゲヅラに対する不快感をまったく感じなかったのではなく、経済的余裕が精神的余裕に繋がっていた事を、恥ずかしながらこの歳で言葉ではなく心で理解できた。

とは言え、俺も本当に社会不適合者だと思う。50代のフリーター1人懐柔できないようなコミュニケーション能力の低さなのだ。そういう意味ではヒゲ面を馬鹿にできないし、俺もまたある意味ヒゲなのだろう。

冬場は良いけど夏場の倉庫ピッキング作業はまじでしんどいので、CCNAでもとってサーバー監視でもしようかな

2024-12-01

勇気出して女子高生声かけ


ここ半年、毎朝出勤中に気になってたことがある。

一応都内勤めなのだが、駅から会社まで歩いていく途中、付近にある女子校の生徒さん達がバス待ちをしている。

バス停留所の待ちスペースって、歩道の脇とかに設えてあったりするじゃん。

でも、歩道が狭い場所だと設備がないことがある。

毎朝、やや裏道気味の通りを抜けて会社に向かう。人があまりいないからだ。ぶつかりおじさんなど存在しようがない。田舎育ちなので人込みはニガテである

その通りにはバス停留所がひとつあるんだが、バス待ちのためのスペースがない。そのためか、近所の小さいお店の軒下で、みんなバスを待っている。

昔住んでいた田舎町を思い出した。雑貨屋のおばあさんがいてさ、お店のものを買うでもないのに、中高生が軒下でバスを待つのを許していた。そんな感慨が浮かんできた。

半年前だった。自分がそのお店の前を通る時、ふとバス待ちの女子高生が軒下で座ってるのを見た。

全体だと、ほぼ女子学生が十人ほど並んでいた。

「あ……」

と思った。ある子の下着が見えていたからだ。

その時は確か、ベージュ色のショーツで、端のところに黒い刺繍が縫ってあるやつだった。このデザインのは、ベッドで恋人ショーツを脱がす時に見たことがあった。

うーん、と考えて、「下着見えてるよ」と注意するのを断念した。ここは都会であるビル商店がなければ、皇居が近くに見えるレベル東京オブザ東京である(どうでもいいけど、子どもの頃は、マリオブラザーズマリ・オブ・ラザーズと呼んでいた)。

ここは東京だ。自分が生まれ育った岡山県西部の田園地帯じゃない(※ちなみに『のんのんびより』の聖地)。下着が見えてるとか、そういう注意はやめるべきだ。今回はそれが正義だと思った。



それから毎朝の習慣になってしまった(´;ω;`) バス待ちをしてるあの子達を見るのが。

女子中高生が大半だった。それ以外におじさんおばさんとか、高齢者は少ない。まあ、そういうものだろう。朝早い時間だし。自分高校生の時もそうだった。

男子学生が少ないのは、あいつらにとってはバスという交通手段惰弱認定を受けるおそれがあるからである。体力が十分なのも大きい。近場の学校なら、バスよりも自転車の印象がある。

さて、あの子たちの下着なんだが、もちろん見えないことが大半だった。ショーツが見えるようにしゃがみ込むって、そんなもん田舎町の女子学生くらいのものである

制服を見た感じ、お嬢様雰囲気学校だった。皇居の近くにあるところかな。そういう所作とか、雰囲気が漂ってくる感じである。いや、これは偏見だ。思い違いかもしれん。あの子達がド田舎高校制服を着てたら、そういう印象になるかもしれない。

でも、たまにだけど、彼女たちが一時的にしゃがんだり座ったりすると、パンチラをしてることがある。

え。見てはいけないって? そんなのわかってるよ。でも見ちゃうんだ。俺だけじゃない。

ほかの通行人だって、おじさんだっておばさんだってOLだって、あの子達の方を見てたよ。動機は知らないけどさ。

昔、TwitterドラえもんBotアカウントがあった。普段秘密道具の名前ツイートするんだけど、たまにボロンって言うんだよな。何がボロンなのかは置いといて。

でも、それが出るとなんかツイとる(ツイートだけに)気がして、あの頃フリーターだった自分は、今日パチンコで勝てるような気がしていた。



それが約半年も続いて、先月末だったかな。ついに決意した。

夏頃から、けっこうな頻度で下着が見えてる子がいた。この子だけおかしいやろってレベルだ。

イメージで言うと、スカートを履いた女子がしゃがむじゃん? すると、正面から見えるだろ。でも、スカートをうまくやるととガードできる。

でも、その子はガードできてるとでも思ってるのか、正面から見えてしまっていた。性行為経験がそれほどでもない自分ですらわかる――お上品な感じのレース下着。その日は白っぽいデザインだった。

で。俺はその子に近づいていった。以下、心のカメラで録画した内容である

「すいません。ちょっと

はい。私ですか。なんですか?」

 ※その子が立ち上がる

「あの、すいません。さっきから下着が見えてましたよ」

「あ! え……あー。ごめんなさい……」

 ※周りの子クスクス笑った

「見る人、いるからね。俺も人のこと言えないけど。ごめん」

「いえ全然。いいです。教えてくれてありがとうございました」

 ※隣の女学生が「やっさしー!」と笑顔でツッコんでいた

そのままテクテクテクテクと、会社に向かって歩き出した時、バス待ちで並んでいる子が皆自分の方を見ている気がした。

携帯電話を取り出して、モシモシモシモシ……と嘘の会話を始めた。後ろから、ほかの通行人が見てないかも気になった。

声をかけてよかったのか、今でもわからない。でも、声をかけてなかったら、もっと後悔することになったのかなって。

今回ちょっと増田でしたためてみようと思った。感想はご自由に。どんな意見でも全部読むよ。約束する。バッチコーイ……!!

追記

いい学校制服を着てるあの子らはお嬢様~というのは、やはり私の偏見でした。反省しています。あれからもう一度だけ、立っているあの子を見たのですが、家から持ってきたであろう、アルミホイルに包んだおにぎりを食べてるところでした。田舎暮らしの高校生の頃が懐かしくなりました 終

2024-11-29

地方公立に行って後悔している - 子供はできるだけ学費の高い学校に行かせたい

炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。

(前編)

私は小中高と地方公立を出て、浪人して都内医学部卒業している。

東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータ話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。

まず医学部では「親が医者なのは当たり前で、教授講師と話す時も、世間話最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。

ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化である。「マグル」は家系医者がいない学生が、自虐的苦笑いしながら使う単語だ。

しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。

出身高校ほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。

蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったかSAPIX鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。

私のように地方公立から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。

大学生お金がかかる。私も美容や服飾、外食旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死時間お金に変えた。

学費家賃生活費などは親持ちだったが、その他は自分バイト代で賄うように言われていた。

けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ禁止」される方が普通だ。特に家庭教師OKでも、高卒フリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。

そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。

この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。

こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。

限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。

当然、金額理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。

ここまでの話だけ聞くと、「地方出身庶民階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。

実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間ほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである普通暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。

尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日面白かった。

地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。

まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。

要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである

(中編)

私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。

先祖代々続く大病院家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親医者ではないので「半純血」だ。

金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味生活に困ったことはないと思う。

「全身脱毛費用自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。

そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。

よって親の学歴自分大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。

わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノヴァイオリン新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。

しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。

校内のヒエラルキートップにいたのは、我が家クローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカ卑猥言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。

一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。

外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。

まれからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。

ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。

何か作業をする時、見るから効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやす説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。

何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。

クラスナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。

その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。

「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう

たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言拡散された。

子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。

自分性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。

たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか

別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。

万事がそういった雰囲気だった。

まり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校テストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。

何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。

お金学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。

そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。

そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗差別的感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。

よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。

やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。

体力面の自信のなさからほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。

(後編)

立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員民度も低かった。

病院があるのは中途半端田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルゴシップしかない。

都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。

数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝他人悪口や噂話、そして「女性職員容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。

百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。

「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情ストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。

彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。

立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。

気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。

救急車がタダだから生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシー無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。

特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババアジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。

バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。

一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。

特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。

これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみませんちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばいからだ。

根本的な問題は、学歴収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。

きっとこれは、一生分かり合えない感覚なのだろう。

病院の同僚医師たちも、私立医学部卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。

地方にいた頃の私のように——。

医者政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。

しかし、ことの本質はそう単純なものではないように思える。

実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。

それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。

同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。

公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別偏見選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。

免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層人間存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか

からこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供絶対私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。

「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生もの財産だ。

社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。

しかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。

もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。

一生温室で、綺麗な世界だけ見ていられるように、可能な限り守ってあげたいと思う。

2024-11-28

口頭リアルタイムコミュニケーションが苦手すぎる

からから入る人の話がすぐ抜ける

雑談なら良いんだが、仕事だと致命的で、聞き逃したら不味いという身構えと過緊張が生じ、身体と頭の動きが鈍る

そんな話を友人にしたら「お前は人の話を聞き流すのがナチュラルに上手いんだよな。チャット文章問題ないしITこいよ、slackしかやり取りして無いぞ」って言われた

偏差値40の高卒33歳のフリーターだぜ……?もう、遅えよ……。という諦めと、マジでチャットベースで済むなら生き生きと過ごせるかもしれない……っていう期待と、そもそもそんな会社極僅かしかないんじゃないかっていう不安で、情緒が目茶苦茶になってる。

2024-11-27

メンタルオワオワリ

今年いっぱいで同僚のタメ(異性)が結婚を機に県外に引っ越すということで辞めるらしい。

元々恋愛感情を抱いていた自分ではあったが、結婚をするとのことでその子への恋愛感情は無くなったと同時にこれからも知人として仲良くしていきたいという感情が強く芽生えてしまった。

思い返すと小・中の時に毎日のように遊んでいた奴。

高校時代夜な夜なゲームをしたり、一緒に遠くへ遊びに行っていた奴。

大学生時代バイト先でバイト終わりによく呑みに行ったりしていた先輩や後輩。

社会人(実質フリーターみたいなもんだけど)に自分のことを可愛がってくれていた上司人達

こういう人達とは時が経って連絡先すら知らない人の方が大半、自分が住んでる県にまだ住んでいるかどうかすらも分からない。

インスタで繋がってる数少ない友人とも直接連絡を取ったりするわけもなく、投稿ストーリーを見て近況を知っている現状。

一方で自分の中で大小問わずトラウマや嫌な思いをした経験毎日のように夢に出てきたり、ぼーっとしてる時に突如脳内プレイバックされて気分が悪くなる日々。

アラサーに近づくにつれて今のこの状況がとても辛く感じる。

もっと仲良くしていたかった人達とはもう二度と会うことはないんだろうなって思うと、残りの人生でこういう辛い思いを何十回、何百回、何千回としていかないといけないんだなって。

だけど今回この機会にこういう状況を打破したい(少しでも辛い経験を軽減させたい)と思ったけど、どのような行動を移すのが正解かが分からない。

メンタルオワオワリすぎて文脈バラバラ

メンタルオワオワリ

今年いっぱいで同僚のタメ(異性)が結婚を機に県外に引っ越すということで辞めるらしい。

元々恋愛感情を抱いていた自分ではあったが、結婚をするとのことでその子への恋愛感情は無くなったと同時にこれからも知人として仲良くしていきたいという感情が強く芽生えてしまった。

思い返すと小・中の時に毎日のように遊んでいた奴。

高校時代夜な夜なゲームをしたり、一緒に遠くへ遊びに行っていた奴。

大学生時代バイト先でバイト終わりによく呑みに行ったりしていた先輩や後輩。

社会人(実質フリーターみたいなもんだけど)に自分のことを可愛がってくれていた上司人達

こういう人達とは時が経って連絡先すら知らない人の方が大半、自分が住んでる県にまだ住んでいるかどうかすらも分からない。

インスタで繋がってる数少ない友人とも直接連絡を取ったりするわけもなく、投稿ストーリーを見て近況を知っている現状。

一方で自分の中で大小問わずトラウマや嫌な思いをした経験毎日のように夢に出てきたり、ぼーっとしてる時に突如脳内プレイバックされて気分が悪くなる日々。

アラサーに近づくにつれて今のこの状況がとても辛く感じる。

もっと仲良くしていたかった人達とはもう二度と会うことはないんだろうなって思うと、残りの人生でこういう辛い思いを何十回、何百回、何千回としていかないといけないんだなって。

だけど今回この機会にこういう状況を打破したい(少しでも辛い経験を軽減させたい)と思ったけど、どのような行動を移すのが正解かが分からない。

メンタルオワオワリすぎて文脈バラバラ

メンタルオワオワリ

今年いっぱいで同僚のタメ(異性)が結婚を機に県外に引っ越すということで辞めるらしい。

元々恋愛感情を抱いていた自分ではあったが、結婚をするとのことでその子への恋愛感情は無くなったと同時にこれからも知人として仲良くしていきたいという感情が強く芽生えてしまった。

思い返すと小・中の時に毎日のように遊んでいた奴。

高校時代夜な夜なゲームをしたり、一緒に遠くへ遊びに行っていた奴。

大学生時代バイト先でバイト終わりによく呑みに行ったりしていた先輩や後輩。

社会人(実質フリーターみたいなもんだけど)に自分のことを可愛がってくれていた上司人達

こういう人達とは時が経って連絡先すら知らない人の方が大半、自分が住んでる県にまだ住んでいるかどうかすらも分からない。

インスタで繋がってる数少ない友人とも直接連絡を取ったりするわけもなく、投稿ストーリーを見て近況を知っている現状。

一方で自分の中で大小問わずトラウマや嫌な思いをした経験毎日のように夢に出てきたり、ぼーっとしてる時に突如脳内プレイバックされて気分が悪くなる日々。

アラサーに近づくにつれて今のこの状況がとても辛く感じる。

もっと仲良くしていたかった人達とはもう二度と会うことはないんだろうなって思うと、残りの人生でこういう辛い思いを何十回、何百回、何千回としていかないといけないんだなって。

だけど今回この機会にこういう状況を打破したい(少しでも辛い経験を軽減させたい)と思ったけど、どのような行動を移すのが正解かが分からない。

メンタルオワオワリすぎて文脈バラバラ

メンタルオワオワリ

今年いっぱいで同僚のタメ(異性)が結婚を機に県外に引っ越すということで辞めるらしい。

元々恋愛感情を抱いていた自分ではあったが、結婚をするとのことでその子への恋愛感情は無くなったと同時にこれからも知人として仲良くしていきたいという感情が強く芽生えてしまった。

思い返すと小・中の時に毎日のように遊んでいた奴。

高校時代夜な夜なゲームをしたり、一緒に遠くへ遊びに行っていた奴。

大学生時代バイト先でバイト終わりによく呑みに行ったりしていた先輩や後輩。

社会人(実質フリーターみたいなもんだけど)に自分のことを可愛がってくれていた上司人達

こういう人達とは時が経って連絡先すら知らない人の方が大半、自分が住んでる県にまだ住んでいるかどうかすらも分からない。

インスタで繋がってる数少ない友人とも直接連絡を取ったりするわけもなく、投稿ストーリーを見て近況を知っている現状。

一方で自分の中で大小問わずトラウマや嫌な思いをした経験毎日のように夢に出てきたり、ぼーっとしてる時に突如脳内プレイバックされて気分が悪くなる日々。

アラサーに近づくにつれて今のこの状況がとても辛く感じる。

もっと仲良くしていたかった人達とはもう二度と会うことはないんだろうなって思うと、残りの人生でこういう辛い思いを何十回、何百回、何千回としていかないといけないんだなって。

だけど今回この機会にこういう状況を打破したい(少しでも辛い経験を軽減させたい)と思ったけど、どのような行動を移すのが正解かが分からない。

メンタルオワオワリすぎて文脈バラバラ

仕事に追われるとその仕事に関する興味が損なわれるのマジで悩んでる

掲題通り。

とある業界に入るためにフリーターしながら勉強して一念発起してその業界に入った。入る前はその業界に関わる資格取得をしていたが、入ってから仕事に追われるともう仕事に関する一切を頭に入れたくなくなってしまった。次第に仕事への興味も完全に冷め、スキルアップへの意欲関心も損なわれてしまった。

俺は仕事責任が発生すると、なんというかネガティブな、負の感情を抱く。その嫌な感情が俺の中で仕事全体に波及してしまい、やる気が無くなってしまう。

率直に言って社会不適合者なんだと思う。良い齢して本当に終わっている。

仕事が完全に嫌になったため反動で、思いつきで通勤時間中に基本情報勉強をしはじめた。フリーター時代ITパスポートを取ったので、少し貯金もあるせいか結構面白い。今は学習材料豊富で、書籍よりどりみどりだし、YOUTUBE学習講座のような動画もあるし、とてもいい環境だ。

今年中に基本情報を取得して、来年IT派遣SESじゃなくて未経験歓迎のやつ)で働いてみようか考えたが、仕事に追われるとITへの関心が損なわれそうでまた怖いので、仕事に追われても関心がなくならない、もはや燃える方法教えて欲しい。

てか俺と同じ悩みの人いるんだろうか。

2024-11-26

恋人スマホでいっぱい自撮りしたら可愛いねって後でいってくれて嬉しかった

特に恋人であることを好評して顔を顰められるような事情はなく(しいていえば彼がフリーターなことぐらいだけど、若いのだし「問題」ではない) 、堂々を胸を張って良いはずなのにいまだに恋人という称号には慣れない

性差別的な婚姻制度のあり方にも馴染まない、積極的に反対したいと思う一方であれが幸せなのかなと思うときもある

規範距離をとりながらもあえて規範を演じる快楽というのもある(というのを、大学とき好きだった人が言ってた)

令和のストライキ無職待ったなし

んもおおおおおおお

ブチギレブチギレブチギレ

なんなんマジで

天引き8万円って頭おかしいんじゃねえの?

好きで働いてんじゃねーよ

毎日嫌な思いして週末も勉強してやりたくもねー努力して月40万ちょい稼いでも手取り30万ちょっとに減らされる!!

給料あげたくて転職したけどさ、前職はゆるゆる働いて月収32万手取り27万とかだった。そっちの方が良かったじゃん!!!

税金取りすぎ税金取りすぎ税金取りすぎ

マジで努力すんの嫌になってきた。

別に自分フリーターでも無職でも構わねえのよ

趣味とかないし、昼寝とyoutubeで週末過ごしてるし、もう中年だし。生活保護とかホームレスとか怖くねーの。

なんで稼ぎたかたかって少しだけ楽な生活たかっただけ。でも楽じゃねーーんだもん。

毎日毎日責任責任努力努力責任!!!

それで天引き8万円!!!

こっちはフリーターになっても構わねえんだぞ!!!!!!!!!

稼ぐのやめるぞコラ!!!!!!

俺は選挙権得てから全ての選挙に行ってるから文句言う権利あるからな。減税しねえなら働かねえぞ!!!生活保護受給してやる!!!!!!!!!!!!!!

今日は午後から休みとって定期のパパ活女子と会う

22歳専門卒フリーターギャル系で正直あんま頭は良くないけど愛嬌があって普通に良い子で健康リスカとか無く見た目も中の上くらいはある、という「こういう子と会うのが素人相手醍醐味だが滅多にこういう子はツモれない」レアキャラなので向こうから切られない限りは大事にしていきたい

2024-11-24

生活保護を抜けた。

生活保護を抜けた。抜けれた。

体調崩して、生活がままならなくなって。症状検索して病院行っても診断つかなくて、そのうち動けなくなって働けなくなった。

自分生活保護を受けることになるなんてちっとも思ってなかった。

親は助けてくれない、ガスも電気も止まってる。家賃大家さんに頭を下げて待ってもらってた。

明日食べるものにも困ってる、そんな状態申請した生活保護だった。

生活保護を受けて医療費がかからなくなって、病院行ってやっと診断ついて。数年かけて治療した。

完治じゃないけど、お薬飲んで上手に病気と付き合っていきましょうね。みたいな状態

生活保護を受けてるなんて誰にも言えなかった。私が生活保護を受けてるのを知ってるのは家族ぐらい。

友人たちには病気して今フリーターなんだー超貧乏だよーて言ってた。本当は生活保護受けてるって気付いてる友人もいると思う。何も聞かずにいてくれてすごく感謝してる。変わらずに接してくれてありがとう

保護期間は多分全部で10年ぐらい。

そのうち4.5年はバイトをしたり、フルタイムで働いてたりしているので、ずっと満額貰ってたわけじゃない。

バイトの時は差額分だけ。

フルタイムの時は停止と言って、生活保護費を貰わない、自分収入生活を回してるけど、このまま保護廃止しても大丈夫か、というのを見る期間を少し長めに設けてもらっていた。

最初はとにかく病気を受け入れることに時間がかかった。薬も色々試すし、体も心もしんどかった。自分生活保護を受けているんだという後ろめたさと申し訳なさもすごかった。

落ち着いて来たら就職活動し始めた。

病気があって、年単位で離職期間がある人に社会はめちゃくちゃ厳しかった。特別スキルもないしね。

なんとか見つけたフルタイム仕事して、体持たなくて辞めて。

メンタルおかしくて辞めて。

給料が安すぎて「医療費諸々とか計算たらこのお給料では生活保護廃止は厳しくない?」とかもあった。

最後の4.5年で、6回ぐらい職場変えてる。

その度に生活保護停止して、再開して、停止して、再開して。みたいな。

まりブラック会社を引くのでケースワーカーさんたちも「無理しないで…」と言うほどだった。

そんな感じで何度もケースワーカーさんたちがかわって、10年ぐらいお世話になってた生活保護を少し前に抜けた。

今までお世話になったケースワーカーさんたちももほとんどいなくて、最後担当さんと話して「廃止できそうですね」となった。

嫌なケースワーカーさんもいたけど、ほとんどがいい人だった。

増田さんは真面目だから、少し休んでください」とか「増田さんみたいに何か趣味がある人は絶対にいつか抜けて行くからその趣味は辞めないでください」とか。

個人を見てそれぞれの言葉をかけてくれていたと思う。

仕事続かなくて情けなくてめそめそしてる私に、厳しい言葉を言う人は一人もいなかった。

それだけでもすごくありがたかった。

向こうは仕事だろうけど、二人三脚してもらってるぐらいの気持ちだった。


職場休み申請して、事前に伝えていた平日に役所に行った。

既に停止はしていて、観察期間みたいなのはこの日までですよって通知は貰ったいた。

保護を抜けるぞ、このタイミングで抜けないときっといつまでたっても廃止ができないぞ、って唱えながら役所に向かった。

ケースワーカーさんと話して、廃止できそうですね。となって、書類を書いて終わってきた。

役所を出たあと、この先の生活への怖さと抜けれた嬉しさとで泣きながら家に帰った。


ネットでは不正受給問題になりがちだし、もしかしたらそのまま受けてたらよかったのに、って言う人たちもいるかもしれない。

でも私、ちゃん生活保護抜けたよ。

すごく時間がかかったけど、すごい額の税金を使ったことになるけど。

セーフティ社会必要だし、生活保護がなかったら無敵の人だった。生活苦で罪をおかし刑務所に行ってた可能だってあったんだと思う。


当たり前のことだけど、これからは私が働いて得たお給料ご飯を食べるし、欲しいものを買うよ。それで、ちゃん納税するよ。

生活保護を抜けたよって、誰かに聞いてほしかったんだ。

お世話になりました。ご迷惑おかけしました。ありがとうございました。

そしてこれからは、私も誰かを支える側へ回ります



2024/11/26 追記

たくさんのあたたか言葉ありがとうございます

この10生活保護に対しての言葉ほとんど強い言葉しか目に入らなかったから、皆さんの優しいコメントにいい年した大人だけど鼻水垂らしてお家で泣きました。笑

えらい、すごい、頑張ったね。って私にあたたか言葉をかけてくれた人たちはどうか自分にも同じ言葉をかけてあげてね。みんなは既に当たり前にやっていることだから


質問にあった趣味ハンドメイドです。

生活保護には収入申告というものがあるのだけど、時々ちょっとだけ売れたりするので、「この振込みは何?」と聞かれて「時々こうしてお金が発生することもあるかと思うのですが、保護を受けている立場だし、金銭のやり取りが発生する趣味は控えた方がよいですか?」と伝えた際に頂いた言葉でした。私の居住地ではちゃん収入申告をすれば問題ないとの返答でした。

金銭のやり取りが発生しない趣味まで根掘り葉掘り聞かれることはないと思います

ちなみに季節によって変動はあるけれど、単身世帯親族には助けて貰えなかったので一人暮らしです)受給額は家賃込み116,420円でした。

都道府県に寄って違いがあるかもしれないので、参考程度にしてください。


生活保護権利とはいえ、やはりいいイメージがない人がほとんどだと思います生活保護という制度にも、それを受給している人たちにも。どうしても不正受給の悪いイメージが強い気がして。

少なくとも私自身はそうでした。

生活保護は恥ずかしいし申し訳ない」という内容の言葉をぽつりと溢した際にケースワーカーさんが私に言った言葉を残しておきます

生活保護もね、色んな人がいるんですよ。満額貰ってる人、働いて足りない分だけ貰ってる人。病気障害で抜けられない人、療養してる人、全部に絶望しちゃった人、増田さんみたいに働こうと仕事を探している人。本当にね、色んな人がいるんですよ」とのことでした。



これを読んでくれた皆さんが心身共に健やかであることを祈っています

みんな少しでも体がおかしいなと思ったら早めに病院へ行ってね!

ありがとうございました!

2024-11-23

多分フリーターと呼ばれる人たちが減ってるんだろうバイト募集してもフルタイムでは来ない

氷河期フリーターはいるんだろうけど多分そいつらを取る気はないどこも

若い奴隷が欲しいか

若いバイト自分たち勝手が通るから普通に何も言わず欠勤しまくる

時代が変わったんだな

2024-11-19

仕事ができる子に嫉妬してた

人生に疲れてる感じがして、辛いかもしれない。

もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安しょうがない。

十年くらい、関西にある地元市役所臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。

部署の異動は一度だけ。最初水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。

会計年度任用職員略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員アルバイトパートだとすると、会任は契約社員位置づけである

ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。

私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般女性にとって大事なことだ。

私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ



不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。

不安の全体だと、恋愛結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分健康のこともある。

けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。

私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。

入庁当時の私は、25才だった。美容専門学校卒業したけど、リーマンショック関係で職が少なくて、フリーター転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷市役所だった。

月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。

数年前に会任制度スタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場感謝してる。

話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。

20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。

しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道部署から現在部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校中学校が一緒だった。

当時の私は、残業休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。

私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。



以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。

新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業代表者と同じ苗字だった。この子Sさん年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校出身だった。

直属の上司である係長(※蛇足だけど係長学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさん大学出たばかりで、最初全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味否定された。

Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子別に京都大学とか大阪大学とか、そういうレベル大学出じゃない。

けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。

あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。

関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。

反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。

Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。

結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。

上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃんあんなのイチイチ止めてたら、日本少子化待ったなしだよ~」だって……。

その係長だってSさんには甘々だった。この部署の中では、Sさん新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。

本来ベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年であるSさんに割り振っていた。イベントだってほとんど休みなくSさん休日出勤させていた。

「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもや一年以上、ずっと続いた。

Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。

 在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。



さらに、その次の年度だった。

季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからよろしく~」と皆の前で告げた。

A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。

まあみろ、ていう薄汚い感情自分の中にあった。でも、ここは職場から。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。

Sさん結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMP漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。

入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛アプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。

月給13万円台で、京都市内での一人暮らし不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。

私が好きな少年漫画で、「ドンまり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドンまり、という状況だった。若い頃の私は。

でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。

それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。

[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事正規職員登用の声がかかる気配なし

[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある

[趣味]…たまにアニメ漫画小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし



最後Sさんと会ったのは、同じ年だった。Sさん妊娠後、もうすぐ育児休業職場からいなくなるタイミング

うちの部署イベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。

バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式BBQだった。

私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん暗殺者かよ~」とツッコまれ

あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティサービスをしてるとのこと。

その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。

こんなことを、話していた。

(早く結婚できてよかったねと言われて)

「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定行事があって、そこで知り合って」

(仕事ができるねと言われて)

「ほかの人が協力してくれるので、自分は大したことないので」

(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)

係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」

 ※働かなくても共済組合から給料分相当額がもらえる期間

(Sさんが羨ましいと言われて)

幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」

嫌な感情が湧いた。

彼女は、Sさんは、私にはないもの絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって絶対にそう思っている。

そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさん自分が恵まれ環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。

Sさん自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。

Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。

すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎水割りします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさん職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。

あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。

保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでからテーブル真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。

水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想焼酎ソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。



流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ




何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。

あなただって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。

人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。

2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。

2人とも会釈だけして、Sさん獺祭ソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。

「え~、これ炭酸割じゃん!」

「いいじゃん。増田ちゃんサービスしてくれたのに」

10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。

翌週、Sさん職場にこなくなった。「体調不良です」と係長上司に報告していた。

産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。

昇給だって、年に三千円だけ。しか一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。



今年に入って、育児休業中のSさんベビーカー子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。

後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。

Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさん幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。

この、赤ちゃん職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。

でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから

同じ職場の仲間として、Sさん職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。

長文駄文、ここまでお読みいただきありがとうございました。

2024-11-17

anond:20241117200302

15年ニートしてたうつ既往歴のある37歳フリーターだけど、その年まで普通に働いてただけですげーんだから自信持てよ。

anond:20241117140103

美術系の大学女性が異常に多いのと同じなんだよね

男で社会的に役に立ってなさそうなことをのほほんとやってると、よっぽど成功していなければ社会的抑圧がすごい

俺の妻とかも大学で役に立たないことをのんびりと楽しんでて彼女としては良かったし、結果として今も俺と結婚して専業主婦やってるわけだが、

特に業界で目立っていたレベルでもなんでもなく、あれを男がやってたら誰も寄り付かず親も援助せず、食うに困ってフリーターになってたのが関の山だろうな

多くの場合、女にだけ足きりがない

2024-11-15

ラーメン店アルバイト愚痴

アルバイト身分であるラーメン屋で働いている。

いい店舗で働けてると思ってる。みんなイイ年してフリーターである自分に優しい。

まかないのラーメンが毎回同じ味で飽きることはないし、給料は近隣よりも僅かにいくらいだし、シフトは融通が利くし、早くこのバイトから抜け出したいなんてこともない。

愚痴なんだが、Googleマップクチコミあるじゃん

あれ、どうにかならんかな。お客様からって、上から目線すぎるだろ。

★1を付けるやつって、どういう趣味してるんだ?これもカスタマーハラスメントということになるんじゃ?

ちょっとだけ例を挙げよう。新しげなやつを3つだけ。

なお、うちは濃い味のラーメンを出してる。地元では有名になりかけてる。



クチコミ①】

★★★☆☆

家系。今時流行りのラーメン屋はごく稀に入店する。普段は老夫婦がやってるお店のラーメンを食べている。

こちらを利用して、良くも悪くも、感じたことがいくつかある。

● 味の濃さ

凄まじい濃さ。某有名ラーメン漫画でいうところの「ヒステリーな味」だ。ラーメン(特にスープ)は体に毒という情報は、若い方でもご存じと思われる。

ニュース番組で、毎日ラーメンを食べていたその道の評論家の人が若くしてお亡くなりになった~という報道が数年前にあった。

もし、週に何度もこういうお店のラーメンを食べると、冗談抜きで糖尿病高脂血症その他の生活習慣病罹患する。毎日利用したなら還暦前にお亡くなりになる。

機会があれば、冷えたラーメンを見てみよう。油脂が白く固まっている。まさに結晶。あれは分類上、一般ごみではなく産業廃棄物になる。

● 実際においしいのか

脱水症状とか、仕事でたくさん働いた後で~という留保を付けるなら、はっきりいっておいしい。凄まじい味の濃さで、そのうえ量が多い。若者向けだ。

スープが特濃なので、野菜と合わせると相性抜群である個人的にはホウレンソウをベジファースト気味に食べるのが◎だった。

ただし、ほかのレビュアーもおっしゃっているが、アルバイト主体であるためか、日によって品質が異なる。これは、こちらの店に限らず、新進気鋭のチェーン店ではどこもそうであるあなたけが不幸なわけじゃない。

どうしてもハズレを引きたくなければ、近所にあるジョリーパスタココイチに行こう。くら寿司ずんどう屋はダメである

最後

繰り返すが、ラーメン健康について。ラーメンは多くても2週間に1回に留めた方がいい。特に、私の隣でラーメン・肉・ご飯を貪っている若者を見て感じた。

若いうちはいいとか、そういうものではない。若くても生活習慣病になる。なってからでは遅いのだ。お米など炭水化物が食べられなくなってしまう。

スープまで完食すると、サービス券が出るようだが理解に苦しむ。なぜお客を病気へと導くサービスを行うのか?

(※廃棄スープを減らすため、あるいは心理学コミットメント狙いと思われる)

地元民として、こういうやり方は歓迎できない。

こちらのチェーン店に限らず、今時風のラーメン出汁最後まで飲んではいけません。肉体が塩と油にまみれてしまます

サービス

イートイン

食事の種類

ディナー

1 人あたりの料金

¥1,000~2,000

食事: 3

サービス: 3

雰囲気: 3

おすすめ料理

やさいラーメン

クチコミ②】

★★★☆☆

横浜家系ラーメンのお店です。

味の濃さ(味噌は除く)、脂の量、面の硬さを選べます

無料ライスもありがっつりいきたい人にもばっちりです。サイドには薬味類がありました。

私は今回ネギラーメン醤油)を選びましたが、見た目豚骨?かと思いました。

食べると醤油なのですがw

18時までに注文すると麺の大盛りは無料サービスになるそうです。

麺は意外と長くなく箸で一口分に掬えるようになっていましたね。

ご飯スープを浸して食べれば美味しそうですがその前にお腹いっぱいになり、辞めときました。

ただ、水を飲むときは氷と同時にでるためお代わりが欲しいときは切り替えがないので、氷のみが増えていきますので要注意です。

家系なので、がっつりいきたいひときは良いかもですね。

食事: 3

サービス: 4

雰囲気: 3

クチコミ③】

★★☆☆☆

初めての家系ラーメン

これまでここはラーメンちゃう敬遠してきたが22日は550円で食べれると並んでみた。13:30に来店し20分で入店。15分待って着丼。見た目は味噌醤油区別つかん。まずは一口スープをぐびっと。ヌル味噌醤油ともに油呑んでるみたいで区別つかん。麺も食感なく最後まで塩っぱい油漬け麺の印象。スープも麺も一口で大盛り無料に後悔。初めて残しそうになった。若い人にはご飯お代わり自由だしご馳走かもね。



うちに限らずだが、このへんの飲食店レビューって、★4★5が多数なんだが、あえて★1を付けるカスハラが多い。

なんていうか、Amazonサクラ商品みたいに、レビュー分布の図が弓形に反りかえっている。

こういうのって、なんとかならないんだろうか。

なお、★1のレビューの中で、店員個人名とか書き込んでるヤツは、きっちりGoogle様に削除申請をしている。

転職が決まって心の整理をした


当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである

社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。

妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らし人間結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグ狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収正規サラリマンとして紹介することがあった。

よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜たかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。

もし、この世界エロ漫画世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である

かつては弱者だった。※弱者男性という言葉は嫌い

大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代アルバイトばかりやっており、部活サークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。

「Fの就職チャンネル」で就活生の動画ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。

さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったかである関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである年収+はなんと約200万円。

今まで、この田舎にある小さい製造会社毎日毎日機械仕様書図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。

正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間であるマジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張であるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!

今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイト登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)



そんなこんなで、この田舎最後に何をしようか思案していた。

したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。

・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食

・年に5~6回通っていた居酒屋で高級シャンパンを注文

・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード進研ゼミ中学版、ガラケー写真など)

地元中学校での文化フェスティバルへの参加。中学生以来

地元小学校のサマフェスへの参加。高校生以来

地元神社奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了

あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。

なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あん標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。

自宅の裏から繋がる山道入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵樹木が生えてる感じだった。

亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。

昭和前半の空中写真を見たら一目瞭然

今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題であるてっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。

樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。

景色の一例≫※いずれも里山。道なき道を進んでいく

https://tadaup.jp/15183559802496/

https://d.kuku.lu/83gjgt5fb



高校時代卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。

高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。

なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初最後なんだからさ。



卒業記念色紙の部員コメント

部員一同)

同人誌コレクター増田さんへ

あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……

大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね

自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

増田さんは、□△高校相川さんがロリロリで好みなんですよね!!

相川さんを是非モノにしてください

応援しています

増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです

閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです

自分もあれがほしいです。現像したの1枚余ってたらくだいね

とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!

本当にありがとうございました

増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました

冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!

自分もああい柔道、できるようになりたいです

大学でも柔道続けるんですよね。心から応援してます

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

早く警察に捕まってください!!笑

カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド藤本より

ロリータ戦士 増田さんへ

あなたロリータっぷりにはびっくりでした。

あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。

ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。

ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

増田先輩へ

よく型の練習付き合ってくれたの感謝してます

先輩がいたので、二段の試験合格できました

今でも感謝してます

大学でもがんばってくださいね

増田先輩

お疲れ様でした!!

自分一年なんで、あまり絡みなかったです!!

けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます

いままでありがとうございました♡

柔道部監督

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください

女子マネ

・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください

・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑

・これからも今までみたいに頑張ってください



これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。

でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。



そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である

それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱テープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出であるトラウマと言っていい。

いや、大学卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である

マクドアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗から卒業である。毎年3月にある。

卒店式だけど、マクドナルドって経営店舗運営外資ルールからエリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。

それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館無料で借りて、ジュースお菓子テーブルに並べて卒店式をやる。

大学時代アルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。

当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。

そんな時、自分ひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイト社員仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。

でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。

結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。

の子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。

ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。

一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。

あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルものだった。しかし私の答えは……。

「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。

AJCCマクドナルド技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった

その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。

それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々仕事を終わらせて――いや違う、確か女性学生客がトイレゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルド終焉を迎えた。

帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)

しんみりしてしまった。

学生時代の思い出を開封するのは心理的キツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。

そんなのはちょっと想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱開封した。

そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。

その日記最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたかである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。

……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体ハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。

例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。

指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である

組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。

でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。

こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティ感触認識してるってことにもならないだろうか。

剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!

もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。

実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会のもの自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。



それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。

あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。

あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。

始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータ給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶改ざんするものである

ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。

長くなったけど、これでひと段落ついた。終わりである

長文読んでくれてありがとうな。明日から、また一増田ユーザーである

みんなの面白い日記を楽しみにしています

2024-11-10

anond:20241105184418

すげぇ歴史修正だな

バブルフリーターの方が儲かるってイキりまくった若者

「俺達に正当な報酬を」

と騒いだ挙げ句に、中途半端年功序列終身雇用剥奪されたのが今だよ

そもそも

ほとんどの凡愚にとって昔の社会主義国日本はいい国だったはずなのに

バブル期になんの保障もないのに、アホみたいに長時間働いたら初任給よりすごい、俺天才、みたいなバカが増殖して

まんまと資本側に踊らされた結果、あの頃の中年年功序列終身雇用剥奪されたのな

結果どうなるかと言えば、消費が冷え込むんだよ

当たり前だよな、ローンだってなんだって年功序列を期待したカーブになってたのが全部吹っ飛んだんだから、金なんか使えないんだよ

かばっかりだったんだよ

内需が支えてた日本で、そんな事やればどうなるか

誰ひとり考えなかった結果が今

anond:20241110165432

お前は世間で働いてるフリーターがみんな結婚してると思ってるの?

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