「気づき」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 気づきとは

2025-12-09

anond:20251208231242

こういう話をしつっこく投稿してるのってあきら性癖なんだけど、これってマゾなの?(AVでヌクときに「あ!オレって女優のほうに感情移入してる?!」って相原コージが大昔に一コマ漫画で描いたような気づき)

2025-12-08

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

---

第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1. システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2. 感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

---

第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(Embodied Cognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2. 老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

---

第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2. 想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

---

第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1. 複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

---

第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2. 共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

---

結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1. 効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、Cold Intelligence(処理能力から Warm Intelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

2025-12-07

35歳、実質的人生の大部分が既に過ぎ去ったことに気づき恐怖を覚

辛い。

人生を戦う準備を整えることが出来ないまま人生が引き返せない所まで来てしまった。

たまたまアスペ気質の両親からそれを受け継いだ状態で生まれた時点でもう半分詰んでたんだと思う。

更には3月後半という最悪すぎるタイミングだったのもエグい。

まれからずっと「人より一歩出遅れているのが自分にとっては当たり前」という感覚で生きてきた。

その感覚は根強く、大学受験の時に一浪して生まれタイミングによる遅れを周回を変えることで取り戻してもその感覚は変わらなかった。

染み付いた週刊による複利のようなものが積み上がっていたんだと思う。

就活でも見事に出遅れ、色々と引き伸ばしながら、この年になってようやく事務職としてそれなりに安定した人生を手に入れた。

いや、手に入れてなんていない。

事務職しか出来ないままアラフォーの壁を超えてしまったんだから不安定職歴のまま常に詰みと隣り合わせで生きる人生のレールに乗っているだけだ。

まともな職歴がない。

ポータブルスキルがない。

平の経験しかない35歳。

マクロもロクに使えないし興味のある分野もない事務職オッサン

人生は生まれた瞬間に1/4が決まると思う。

そして学生時代に1/4が。

35歳までにどこで何をするかで1/4が決まる。

俺の積み上げてきた3/4は、出遅れアスペが、十二分な学歴もなく、まともな職歴もないまま年だけ取った、そんなかなり酷いものだ。

犯罪歴はない。

重い病気もない。

結婚歴がないのは最悪を想定するならある意味幸福かも知れない。

かなり悪いが、最悪ではない。

10段階で3ぐらいの所にいる自覚がある。

から下が最悪の地獄なので、それに比べたら全然マシだ。

全然マシなだけで幸せを感じるのが難しすぎる。

この人生があと50年続く。

人生は頭の方に重要なことがやってきて、それから先はその複利で回る。

俺はそれに失敗した。

苦しい。

こういう話をすると「チャップリンは~~~」何て言う人がいるけど、勘弁して欲しい。

チャップリンには5歳から始まる長い下積みがあっただろうが。

それを無視してスターとして光り始めた年齢だけを語る無知な連中は本当にクソッタレだ。

積み上げてねえんだよ俺は。

でも積み上げてこなかったというだけで「はい。お前の人生残り50年ゴミね」と言われて受け入れられねえんだよ。

辛いよ。

こっからどうしたらいいんだろうな。

なんかもう全部忘れて気楽に生きるか。

たとえばインターネットにいるアホ共みたいに生きるか。

よっしやるぞ。










ちょwwwwwwwwwwwwwwひびめし続編キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!これは期待wwwwwwwwwwww

はぁ・・・

そもそもあのアニメ見てねーし・・・

クチャラー不快」が不快

友達外食したときのこと。

それまで楽しく会話していた友人が、話の内容とはまったく関係なく、急にものすごいしかめっ面をして口を閉じてしまった

ビビりつつ、どうかしたのかと聞くと、友人は顎で増田の背後を示しながら、小声で

クチャラー

と短く吐き捨てた

からさまにならないよう慎重に後ろを確認すると、中年男性が一人で食事していた。よく耳を澄ませてみると、たしか咀嚼音が通常より大きい。世間的に“クチャラー”と呼ばれる範疇だろう

クチャラー存在確認したので俺は、ああ、クチャラーだね。嫌だね。と素直に言った。正直、それで話は終わりだと思っていた。

ところが友人は、その後の食事が終わるまで、クチャラーいかに全人類にとって有害存在なのかを延々と語り続けたのだった……

しかクチャラー不快だ。俺だって、なるべく清潔感のある空間食事をしたい(クチャラー=不潔ではないかもしれないが、問題あくまで“清潔感”のほうだ)

だが今回に限って言えば、どちらがより不快だったかといえば、明らかに友人のほうだった。

俺が気づきもしなかったクチャラー存在を、わざわざ指摘して咀嚼音を認識させてきた(そもそも、より距離が近いはずの俺が気づかない音に反応してしまうあたり、敏感すぎる)

さらに不機嫌な態度を隠そうともせず、クチャラーの話を引っ張り続け、目の前の相手との会話を楽しもうとする努力放棄していた

こういう人と一緒に食事をするのは、無駄不快気持ちになるリスクが高すぎる

そして、偶然クチャラーに遭遇するリスクは避けようがないが、過敏な友人と食卓を囲むリスクは避けることができる

まだ縁を切るところまではいかないが、この友人とは二度と一緒に飯を食いたくない

anond:20251207095432


🟥 第6章:タタルスキー、“消費の神話から政治神話

第6章は、タタルスキー広告の力を社会的政治文脈意識し始める章 です。

ここから物語は単なる広告業界の描写を越え、

イメージ権力神話交差点 に踏み込んでいきます

◆ 1. 新しいクライアントの登場

タタルスキー代理店に 大規模なクライアント が登場します。

外資ブランドではあるが、ロシア国内向けの政治的・社会的メッセージも含む

要求は単純な商品の売上向上ではなく、

ブランドイメージ社会的影響力を同時に拡張すること」

この時点でタタルスキー

広告コピーの力が社会全体に作用し得る

という現実を目の当たりにします。

◆ 2. コピー制作の“高度な戦略化”

タタルスキーは単なる文章ではなく、広告キャンペーン全体を設計する任務を負います

商品機能や利点ではなく、消費者心理的感情的反応を操作

イメージ象徴性が最優先

• 「人々の無意識の願望を喚起すること」が目的

この章で描かれるのは、広告の 「戦略的魔術性」 です。

コピーはただの言葉ではない。

世界を改変する道具だ。」

ここで、タタルスキー広告社会操作の相似性に気づき始めます

◆ 3. 消費者心理の徹底分析

代理店では、タタルスキー消費者心理分析が課されます

• どのイメージが購買欲を刺激するか

• どの色彩・形態リズム無意識作用するか

社会階層や世代によって異なる無意識の反応

タタルスキーは、詩人としての直感を駆使して無意識を“読み解く”。

• これまでのコピーは単純な文章だったが、今や「人間心理操作する設計図」となる

• ここで彼は広告と魔術・儀式類似性さらに深く体感

◆ 4. 広告虚構現実齟齬

広告現場では、現実虚構ギャップが強調されます

モデル映像理想化され、現実とは異なる

商品の魅力は誇張され、消費者はそれを真実として受け入れる

• タタルスキーはこの操作の恐ろしさと快感を同時に味わう

ここでペレーヴィンは、広告の**「現実超越的な力」**を象徴的に描写します。

◆ 5. 政治イメージ操作兆候

第6章の後半で、タタルスキーは初めて 政治権力広告の接点 に触れます

政治家や役人広告手法に興味を示す

• 目指すのは国民意識操作

• 「ブランド国家イメージ」の同一化という概念が暗示される

タタルスキーはここで、

広告の才能は単なる消費社会だけでなく、国家規模のイメージ操作に応用可能

だと悟ります

◆ 6. タタルスキー心理的変化

第6章では、彼の内面が大きく変化します。

1. 自己意識進化

広告コピーは“社会認知を操る魔術”

• これまでの詩的直感が新しい力として具現化

2. 倫理的葛藤

• 人々を意図的操作することの罪悪感

しかし、その力を放棄すれば“無力”

3. 野望の芽生え

広告技術政治権力に応用できる可能性を感じる

自分が“現実神話を作る存在”になり得ることを認識

◆ 7. 第6章の象徴的整理

項目 内容

主要イベント 高度な広告戦略に携わり、政治的応用の兆しを掴む

象徴 広告=魔術/消費者心理無意識ブランド神話

心理 快感・陶酔・罪悪感・覚醒・野望

物語役割 タタルスキーが“広告社会政治”の拡張を初めて意識する章

第6章は、

タタルスキー個人消費魔術師から社会的政治魔術師へと意識拡張する重要な章

です。

ここで物語は、単なる広告業界の描写から

権力国家神話生成の物語へと確実に接続されます

anond:20251207095345


🟥 第5章:タタルスキー広告権力の接点に気づく章

第5章は、タタルスキー広告コピーライターとしてのスキルを活かし、初めて“消費者だけでなく政治社会”に影響を与える可能性 を感じる章です。

ここで彼の物語は単なる広告業界のサクセスストーリーから

イメージ権力交差点物語 へと進化します。

◆ 1. タタルスキーの成長:コピーライターとしての自信

広告代理店での仕事は順調に進み、タタルスキーは次第に自信をつける。

• 短時間で質の高いコピーを作れる

言葉リズムや語感を自由操作できる

さらに“消費者心理”を見抜く感覚も鋭くなる

彼はこれまで詩人としての自己を捨てたつもりだったが、

実は詩的感覚広告転用していたことに気づく。

「詩と広告は違うようで、根底では同じだ。

世界の人々を操作する方法なのだ。」

◆ 2. クライアント要求と“虚構の力”

この章では、タタルスキー担当するブランドの一つに、

“売上が落ちている高級飲料” がある。

クライアントは売上の回復を求める

• タタルスキーコピーだけでなく、広告キャンペーン全体を企画することに

• ここで彼は初めて“広告現実を作る”という実感を得る

具体的には:

• 「商品の味ではなく、生活幻想を売る」

• 「消費者に“自分成功者であるかのような錯覚”を与える」

• 「広告提示するイメージを信じると、人は商品を買う」

この経験を通して、タタルスキー

イメージ操作現実操作” という重大な原理に気づく。

◆ 3. “権力者の介入”の予兆

ある日、代理店政治家や国家関係者接触してくる。

目的は、政治キャンペーンや国のイメージ操作

• 彼らは広告手法国家的規模で利用したいと考えている

• タタルスキーは初めて、自分コピー個人の購買だけでなく、社会全体に影響を与える可能性を知る

これが後に、タタルスキー国家プロジェクトに関わる伏線になる。

◆ 4. 広告宗教神話類似性自覚

タタルスキーは、自分が作る広告構造分析する。

キャッチコピー映像は、古代神話宗教儀式と似ている

• 人々は「物語」を信じることで行動する

広告商品神格化する手段であり、現代の“新しい宗教”のようだ

この理解により、彼は 広告の魔術性 をさらに深く自覚する。

◆ 5. 金銭快楽快感

代理店での仕事に慣れてくると、タタルスキー金銭的な快感を覚える。

• 短時間大金を得られる

言葉他人を動かす力が直接的に収入に結びつく

社会的地位が少しずつ上がる

しかし、この快感には 同時に罪悪感や恐怖 も伴う。

言葉で人を操作する快楽は、詩では味わえなかった。

しかし、それは危険でもある。」

この心理描写は、第5章の重要テーマひとつ

◆ 6. タタルスキー心理的変化

第5章では、タタルスキー心理が大きく変化する。

1. 自己認識の変化

詩人から現実操作魔術師”へ

広告が人々の心理を左右する道具であることを理解

2. 倫理的ジレンマ

言葉イメージで人を操ることの倫理的葛藤

しかし、現実世界ではそれが強力な権力手段になることを自覚

3. 未来の予感

広告技術個人消費だけでなく、政治社会操作にも応用できる

自分の才能が“国家レベルイメージ戦略”で試される日が来るかもしれない

◆ 7. 第5章の象徴的整理

項目 内容

主要イベント タタルスキー広告現実操作力に気づき政治的応用の可能性を意識する

象徴 広告現代宗教イメージ=新しい権力

心理 快楽・陶酔・罪悪感・覚醒・野望

物語役割 タタルスキーが“個人消費から社会政治操作へ”視野を広げる章

第5章は、

広告の魔術的力を自覚しつつ、政治権力接続する兆候を掴む重要な章

です。

ここでタタルスキー物語は、単なる広告コピーライターの話から

イメージ権力社会操作を扱う大きな物語へと移行します。

anond:20251207095008

第1章の超詳細解説です。

(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキー物語最初区切りとして扱います。)

🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義匂い”との最初接触

概要

タタルスキーソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。

彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。

物語全体の導入として、

・旧世界崩壊

新世界への戸惑い

・彼自身アイデンティティ喪失

が非常に濃く提示される。

◆ 1. タタルスキー現在生活崩壊

90年代半ば。モスクワ

かつて文学青年として詩を書いていたタタルスキーは、

ソ連崩壊後の大混乱の中、食えない貧乏人に転落している。

学歴や詩の才能は通用しない

市場経済論理に何も適応できていない

毎日ただなんとなく過ぎていく

• 国全体が“意味喪失状態

• 人々は突然現れた富裕層貧困層に分裂している

この世界観が彼の生活の全てに染み込んでおり、

彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観適応できない。

象徴ポイント

• 彼の名前 Vavilen(ヴァヴィレン) は

「Vladimir Ilyich Lenin」の略 = ソ連遺物

• 名付けそのもの皮肉な“歴史遺産である

• それが今、何の役にも立たない

旧ソ連精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調

◆ 2. タタルスキー、知人と再会

物語の転機は突然訪れる。

タタルスキーは偶然、大学時代の知人である ゴリスキー と再会する。

ゴリスキーはすっかり“新世界の住人”らしく、

• 良い服

• 太った財布

• 余裕のある態度

を身につけている。

タタルスキーからすれば、

昨日まで同じ世界にいた人間が突如として金持ちに変わる

90年代ロシア特有現象象徴している。

この再会は、タタルスキーの“観念崩壊”をさらに加速させる。

◆ 3. ゴリスキーが語る「広告世界

ゴリスキーはタタルスキーの近況を聞き、

彼が困窮していることを察すると、こう言う――

コピーライターをやってみろ。

いまのロシアでは広告がすべてだ。」

タタルスキーには意味がわからない。

広告”などソ連では軽視されていたし、

詩人としての自意識も捨てきれない。

しかゴリスキーは続ける。

外資系ブランド殺到している

• とにかく広告が足りない

言葉を操れるやつが必要

給料は今の何倍にもなる

タタルスキー半信半疑だが、

詩を書くための言語感覚広告転用できる

というゴリスキーの指摘は、彼の自尊心をくすぐる。

◆ 4. 喫茶店(またはバー)での象徴的シーン

この章のクライマックスは、タタルスキーゴリスキーと座る店の描写

周囲に溢れる商品、怪しげな看板西側ブランドロゴ

ソ連には存在しなかった“イメージ洪水”。

タタルスキーはそこではじめて、

資本主義の“匂い”=イメージ欲望、金の気配

を肌で感じる。

世界のもの広告に変わりつつある」

という直観が、ここで初めて心の中に生まれる。

この「世界広告になる」という感覚は、後半で国家レベルメディア操作へ発展していく伏線

◆ 5. タタルスキー決断

タタルスキー生活破綻しているため、

広告仕事に飛びつかざるを得ない。

しかし彼の内面には二重の感情がある。

不安自分資本主義世界に向いていない

• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない

• 罪悪感:詩人としての自尊心を裏切るのでは?

好奇心広告とは何なのか?

タタルスキーは、

言語を操る人間”としての自己が、別の場所価値を持つ

という可能性に気づき始める。

この瞬間、彼は旧世界から足を踏み出し、

イメージ世界」に入る最初の一歩を踏む。

◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)

項目 内容

テーマ 旧ソ連アイデンティティ破綻広告への入口

タタルスキー状態 貧困無力感意味喪失

重要人物 ゴリスキー資本主義世界先行者

象徴 名前ソ連遺産広告=新しい“宗教”の匂い

物語機能 序章:タタルスキー広告世界へ入る“きっかけ”

タタルスキーはこの章で、

広告現代神話となる」 という世界接触する。

これが全編を貫くテーマの萌芽となる。

anond:20251207095008

第1章の超詳細解説です。

(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキー物語最初区切りとして扱います。)

🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義匂い”との最初接触

概要

タタルスキーソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。

彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。

物語全体の導入として、

・旧世界崩壊

新世界への戸惑い

・彼自身アイデンティティ喪失

が非常に濃く提示される。

◆ 1. タタルスキー現在生活崩壊

90年代半ば。モスクワ

かつて文学青年として詩を書いていたタタルスキーは、

ソ連崩壊後の大混乱の中、食えない貧乏人に転落している。

学歴や詩の才能は通用しない

市場経済論理に何も適応できていない

毎日ただなんとなく過ぎていく

• 国全体が“意味喪失状態

• 人々は突然現れた富裕層貧困層に分裂している

この世界観が彼の生活の全てに染み込んでおり、

彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観適応できない。

象徴ポイント

• 彼の名前 Vavilen(ヴァヴィレン) は

「Vladimir Ilyich Lenin」の略 = ソ連遺物

• 名付けそのもの皮肉な“歴史遺産である

• それが今、何の役にも立たない

旧ソ連精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調

◆ 2. タタルスキー、知人と再会

物語の転機は突然訪れる。

タタルスキーは偶然、大学時代の知人である ゴリスキー と再会する。

ゴリスキーはすっかり“新世界の住人”らしく、

• 良い服

• 太った財布

• 余裕のある態度

を身につけている。

タタルスキーからすれば、

昨日まで同じ世界にいた人間が突如として金持ちに変わる

90年代ロシア特有現象象徴している。

この再会は、タタルスキーの“観念崩壊”をさらに加速させる。

◆ 3. ゴリスキーが語る「広告世界

ゴリスキーはタタルスキーの近況を聞き、

彼が困窮していることを察すると、こう言う――

コピーライターをやってみろ。

いまのロシアでは広告がすべてだ。」

タタルスキーには意味がわからない。

広告”などソ連では軽視されていたし、

詩人としての自意識も捨てきれない。

しかゴリスキーは続ける。

外資系ブランド殺到している

• とにかく広告が足りない

言葉を操れるやつが必要

給料は今の何倍にもなる

タタルスキー半信半疑だが、

詩を書くための言語感覚広告転用できる

というゴリスキーの指摘は、彼の自尊心をくすぐる。

◆ 4. 喫茶店(またはバー)での象徴的シーン

この章のクライマックスは、タタルスキーゴリスキーと座る店の描写

周囲に溢れる商品、怪しげな看板西側ブランドロゴ

ソ連には存在しなかった“イメージ洪水”。

タタルスキーはそこではじめて、

資本主義の“匂い”=イメージ欲望、金の気配

を肌で感じる。

世界のもの広告に変わりつつある」

という直観が、ここで初めて心の中に生まれる。

この「世界広告になる」という感覚は、後半で国家レベルメディア操作へ発展していく伏線

◆ 5. タタルスキー決断

タタルスキー生活破綻しているため、

広告仕事に飛びつかざるを得ない。

しかし彼の内面には二重の感情がある。

不安自分資本主義世界に向いていない

• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない

• 罪悪感:詩人としての自尊心を裏切るのでは?

好奇心広告とは何なのか?

タタルスキーは、

言語を操る人間”としての自己が、別の場所価値を持つ

という可能性に気づき始める。

この瞬間、彼は旧世界から足を踏み出し、

イメージ世界」に入る最初の一歩を踏む。

◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)

項目 内容

テーマ 旧ソ連アイデンティティ破綻広告への入口

タタルスキー状態 貧困無力感意味喪失

重要人物 ゴリスキー資本主義世界先行者

象徴 名前ソ連遺産広告=新しい“宗教”の匂い

物語機能 序章:タタルスキー広告世界へ入る“きっかけ”

タタルスキーはこの章で、

広告現代神話となる」 という世界接触する。

これが全編を貫くテーマの萌芽となる。

2025-12-06

障害者マッチングアプリをやるな

タイトルが強い言葉になってしまって恐縮ではあるが、現実的障害者マッチングアプリは厳しい。

筆者は男なので女性場合不明申し訳ないが、少なくとも男性場合はそうだと思う。

筆者自身障害者であり、その備忘録を兼ねて記す。

 

マッチングアプリを始めた経緯:

歳も歳であるし前々から結婚したいと思っていたが、直近で好意を寄せていた女性に振られた。

そこで漸く結婚相談所に入る決心をつけたが、私的事情により今年中は入ることができないため、お試しで一ヶ月やってみることにした。

無論遊び目的ではないし、彼女ができたのであれば真剣に付き合うつもりではあった。

 

利用したアプリ:

with

 

著者のスペック:

性別: 男

年齢: 32

居住地: 5大都市のどこか

学歴: 旧帝院卒

職種: 大手企業

年収: 800万円

身長: 160cm

体型: スリム

同居人: 実家暮らし

顔: チー牛の系統だが最低限の毎日スキンケア眉毛サロン等は済

病気: 筋力低下により人工呼吸器と車椅子

 

活動内容:

課金額は有料会員と1万円分のポイント

自分スペック身長病気実家暮らしの部分で他の男性会員と比較して劣後しているため、選ばれにくい状況ではあると推測。

競合の少ない(=いいねの少ない)女性会員を中心にいいねメッセージ付きいいね(ポイントにも限りがある為、こちらは特に好みの女性に絞って)を送信巡回して足跡付け。

検索した際の女性の条件は27〜35歳、近辺の都道府県子供なし、タバコ吸わない。

 

結果:

マッチ0。

足跡毎日平均して80程ついたが、0。

調べたところによると足跡の平均は筆者の地域×男性で40程度であるし、確かに他の同性会員より多めとアプリ上で表記がなされている。

プロフィール盛ることも一瞬考えたが、筆者は嘘をつけない性分な為にせず、自己紹介文や写真も色々変えてみたがすべて空振り。

彼女過去3人おり、それ故コミュ力はそれほど悪くないと自負していたが、そこまでのメッセージのやり取りできる土俵にすら立てなかった。

 

雑多な感想:

マッチングアプリハイスペ恋愛強者のためにあるというのはどうやら正しいらしい。

結婚するだけなら結婚相談所に行ったほうが近道ではあるのだろう。

結婚相談所に行ったところで果たしてできるのかは不明だが。

ここまで辛辣に書いてきたが、逆に良い面もあった。

女性検索条件を設定する上で、自分がお相手に対して本当に求めていることを見出すことができたし、プロフィール表現する中で自分でも気づきは多く、また男女問わず友人たちにアドバイスいただき自己客観視することができた。

自己認知を行うことができるという点では素晴らしい物であると思う。

さぁ〜頑張ろ(笑)

 

すべての者に幸あれ…!

 

追記

建設的なご意見いただいた皆様ありがとうございます

女性には選ぶ権利があり、相手の素性や内面も分からない、殊マッチングアプリではリスクがある人を避けるのは自然な行動かと自分も思います

タイトルは注目を引いて様々な意見を頂戴するために粗暴な言葉使用しましたが、内容はすべて事実です。

個人的には障害者恋愛をするならリアル世界で行うのが一番だと思った次第でございます

2025-12-05

映画】決戦は日曜日を見た

ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。

 

衆議院解散直前に地盤ガチガチ大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10秘書を務める窪田正孝政治世界世間も知らない素人娘のサポートてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……

というお話

 

個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。

作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。

政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。

政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。

政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないか政治のこともわからない。

は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。

いちおうネイルサロン従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的炎上政治リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。

それくらい宮沢りえ過去バカ政治炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話

ただ宮沢りえ自体バカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治世界の波にもまれワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。

 

ポリティカルコメディとしては面白くも何気に先進的。

例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年参政党の神谷街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう2022年映画なのに。

また、途中で目的が変わって意図的炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年補選つばさの党がやって大問題になったことと類似する。

今見て面白映画だと思う。

 

気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプ作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。

地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえ世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ宮沢りえ政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。

そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。

 

また非常にシニカルにかつ現実的政治世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。

 

後半の展開としては父親政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治世界に嫌気がさした宮沢落選することを決意する。

また窪田も病院自分生き方を振り返っていた宮沢父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分幸せ押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。

ここから政治スキャンダル証拠暴露したり、さら自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。

このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人意思など問題にならないのだ。

そして最終的に宮沢当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。

特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。

特によかったのは宮沢選挙の裏側の汚さをマスコミ暴露すると騒ぐシーン。

宮沢に対して「たぶんメディア相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去あなたスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。

こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。

宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言宮沢ともめた後に事務所屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治世界おかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治うねりの中にいる人物として言外にシステム冷徹さを示し、宮沢ビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分飛び降りるシーン。

最後自分飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人やらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。

 

全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間常識永田町非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ

なんとなく伊丹十三スーパーの女とか思い出した。あっちのほうがもうちょっとコミカルだったけど。

政治大好き増田オススメ

2025-12-03

数字で絵を描いてる

自分AIイラストを描くようになったのは、一昨年くらいからだ。

Stable Diffusionを使って、LoRAを追加して、ControlNetも入れて、MidjourneyやNovelAIも試した。

出力されるイラストを見る都度アートだと思っていたし、創造だと信じていた。

でもある日、ふと気づいた。

これ、突き詰めたら全部データじゃね?

じゃあ数字で絵って描けるんじゃね?

思ったら試したくなるタイプなんだ。

まずPNG画像バイナリエディタで開いた。

使ったのは HxD。

Windowsで動く、定番のアレ。

画像を開くと――

そこに出てくるのは、色でも形でも影でもなく、

89 50 4E 47 0D 0A 1A 0A 00 00 00 0D


とか、

49 44 41 54 78 9C EC DD 07


とかの、数字アルファベットの羅列。

最初意味がわからない。

でも調べると全部意味がある。

89 50 4E 47 → PNGのヘッダ

IHDR → イメージ属性

IDAT → ピクセルデータ

IEND → 終端

一個ずつ追っていくと、

全部、0と1の変換でしかない。

そこで、自分で書き換えてみた。

実験

目の色を変えてみたい

まず元画像の中で瞳のRGB値の近いものを探す。

Pythonで以下のスクリプトを書いた。

from PIL import Image
import numpy as np
:img = Image.open("mina.png")
:arr = np.array(img)
arr[(arr[:,:,0]<80) & (arr[:,:,1]<80) & (arr[:,:,2]>120)] = [200, 50, 50]
Image.fromarray(arr).save("mina_edit.png")


すると、青い目がボルドーっぽい赤に変わった。

実験

線画を太らせたい

GIMPでもPhotoshopでもなく、

コードだけでいく。

import cv2
img = cv2.imread("mina.png")
gray = cv2.cvtColor(img, cv2.COLOR_BGR2GRAY)
edges = cv2.Canny(gray, 80, 150)
dilated = cv2.dilate(edges, None, iterations=2)


線が、太った。

ここで不思議感覚が生まれた。

ペンを使って描いたわけじゃない。

ブラシで塗ったわけでもない。

数字で絵を動かしてる感覚

実験

影を深くする

shadow = arr.copy()
shadow[:,:,0] = shadow[:,:,0] * 0.7
shadow[:,:,1] = shadow[:,:,1] * 0.7
shadow[:,:,2] = shadow[:,:,2] * 0.7


これだけで影が落ちる。

この作業を続けて気づいたこと。

ブラシやペンで絵を描くのは、画家としての思考

レイヤーフィルタで絵を描くのは、デザイナーとしての思考

コードで絵を描くのは、エンジニアとしての思考なんだ。

同じ絵でも思考フレーム全然違う。

そして、さらに深い気づき

画像って「絵」じゃない。

絵に見える何かであって、本質配列

[[34, 55, 88], [36, 60, 90], [40, 75, 120], …]


RGB値の行列

それに

・ガンマ補正をかける

・ローパスフィルタをかける

シャープネスをかける

ベクトル変換をする。

その操作は全部、数字を変換してるだけ。

“色を塗っている”んじゃない。

数字操作している”。

そう気づいた瞬間から、絵を描くのが楽しくなった。

だってペンを握ってるんじゃなくて数学を握ってる感覚なんだ。

最近好きな音楽FFT解析して、その周波数スペクトル画素に変換して、色を割り当てて絵を生成することもある。

まりから絵を描くことも可能になった。

最後

自分は、数字世界を描く人間だ。

から今日も、ディスプレイの前でコードを走らせながら微笑んでる。

絵は美しい。

そしてそれよりも、数字は美しい。

2025-12-02

年収3000万って実際どうなんだろう?

最近、よく聴いているポッドキャストがある。スタートアップ経営者ホストを務めるもので、その内容はビジネス経済に関するものではなく、彼の個人的視点からとある文系ジャンルについて語られるものだ。

ビジネス畑の人のラジオなんてと思って、正直言って最初はあまり期待していなかった。しかし、聴いているうちに彼の語り口にどんどん引きまれていった。

 

最近、彼が別のビジネス系のポッドキャストゲストとして出演し

年収3000万以上はいらない。正直3000万くらいで全然いい。それ以上貰っても不幸にしかならない」

というような趣旨のことを言った。

 

一瞬、耳を疑った。

年収3000万って、私にとっては信じられない金額だ。普段生活圏内でそんなお金を得ている人なんて見たことがない。

友人、親戚、夫の親戚、クラスの子供の保護者すべてを含めても、だ。

そんな私にとって、年収3000万という額は別世界の話のように感じられる。ましてや、それを「それくらいでいい」と言える感覚が、まったく理解できなかった。

私は思わずその発言を繰り返し聞き直してしまった。

1000万とか1500万じゃないんだ?

3000万で十分だという感覚理解できない自分が情けなくなるほどだ。

これが金銭感覚が狂わない範疇だと感じる人もいるんだなと改めて思い知らされた。

 

多分、はてなでもこういった価値観を持っている人はいるんだろうな、とは思う。

経済的に豊かで、自己肯定感も高い人たちの中には「3000万で十分なんて謙虚だね」と思える人もいるんだろう。

しかし、私は地方に住む庶民として、この金額がどれだけ異次元のものなのかを実感として理解している。

この金額に「それくらいでいい」という発言が出るということは、その人たちのいる世界が、私の世界とは完全に違うということだ。

 

今まで聴いてきた彼の話は、自分にとっては気づきや刺激を与えてくれるものであり、尊敬の念を抱いていた。

その言葉価値を感じていた。

しかし、年収3000万が「それくらい」と感じる感覚が彼にあると知って、私はそれまでの彼の話が一気に色あせてしまった気がした。

 

もちろん、彼の言っていることを批判したいわけではない。むしろ、そういった感覚を持つことができるほど彼は安定した経済基盤や、物質的に豊かな生活を手にしているのだろう。

その余裕や価値観が反映された発言だとは思う。

しかし、それを私が共感できるかというととても難しい。

私が楽しんで聴いていた彼のポッドキャストも、もしかすると、私が想像している以上に「別世界」の人々に向けたメッセージだったのかもしれない。

私が楽しみに聴いているその番組の内容が急に色褪せていく。

これまでは、彼の言葉自分現実にどこかでリンクする感覚があったが、その感覚が突然切り離されたように感じてしまった。

 

結局のところ、私は勝手に彼を自分と近しい感覚を持った人だと期待していただ。

そのポッドキャスターが完全に異次元存在であり、私が考えるような生活価値観とは全く違う世界の人だったことを、今回の一言で痛感させられた。

 

でも、こうした感覚のズレを感じることこそが、価値観の違いに気づくきっかなのだと思う。

自分が持っているもの価値や、自分がどういう立場にいるのかを再確認できた気がする。

そして、今後はそのギャップをどう受け入れていくかが大切なのだろう。

私は一生ラーメントッピングを追加するかどうか、迷いながら生きていくのだろう。

anond:20251202024654

自分相対的自分位置って、新卒から務めた会社では特に気にしていたな

実際、周りを見ることを完全にやめられたわけではないのだけど、退職したことで以前よりは気にしなくなったよ

あと、転職してからはとても気を遣うので、その分周囲をよく観察するようになったし、いろいろな気づきがあった

そのまま会社に残っていたら絶対に得られない経験はできていると断言できるし、それは自分人生にとってはプラスになっていると今では思う

2025-12-01

1日中モヤモヤした気持ちを抱えながら生きるってとてもまったいないことだと気づいた

モヤモヤという言葉ほど便利で、同時に無責任言葉はないのだと、最近気づきました。

それはおそらく、朝起きて夜寝るまで、ずっと心の片隅に何かが引っかかったままの状態で生きてきたからだと思います。その何かを、「モヤモヤ」と呼ぶことで、あたか自分がそれを認識して、向き合っているつもりになっていたのかもしれません。

でも、実際には、何も向き合っていなかった。ただ、その感覚をそのまま抱えて、毎日を過ごしていたのです。

何かがあるのに、言葉にならない

昼間、仕事をしているときに、ふと「今、楽しいのか?」と思うことがありました。楽しいとも言えず、つまらないとも言えない。その中間のような、グレーのような何か。

友人と話しているときも、食事をしているときも、好きなものを食べているときも、その「モヤモヤはいつもそこにありました。

その感覚が何なのか、ずっと言葉にできませんでした。「なんだか気分が悪い」「なんだか疲れている」「なんだか不安」。そうした言葉を試してみても、しっくり来ないのです。

結局、「モヤモヤしている」という言葉けが残りました。その言葉を使うことで、自分は「感覚認識している」という錯覚に陥っていたのだと思います

時間が過ぎていくことの怖さ

ある日、ふと気づきました。

そのモヤモヤの中で、私は何か大事ものを失い続けているのではないかということに。

朝起きて、モヤモヤしたまま会社に行き、モヤモヤしたまま帰宅し、モヤモヤしたまま寝る。その繰り返しの中で、日々が過ぎていきます

その過程で、喜びも、悲しみも、怒りも、そのはっきりとした感覚が薄れていくのを感じます。全てが「モヤモヤ」という灰色で覆われていくような感覚

そのときに思ったのです。

「あ、私は、人生無駄にしているのではないか」と。

モヤモヤは、麻酔のようなもの

考えてみると、モヤモヤというのは、実はとても便利な感覚なのだ気づきます

かに直面しなくてもいい。何かに決断しなくてもいい。何かに行動しなくてもいい。ただ「モヤモヤしている」という言葉ひとつで、全てが説明できてしまうのです。

それは、麻酔のようなものなのではないか。痛みを感じずに済むので、その場は楽です。でも、その痛みを治療することなく、ずっと麻酔を打ち続けていたら、いつか身体は壊れていくのではないか

そのような感覚を、何日も抱えたままでいたら、やはり人生は色あせていくのではないか

一瞬一瞬を取り戻す

そう気づいてから、私は、ほんの少し変わったような気がします。

朝、目を覚ましたとき。その瞬間に「今、私は何を感じているのか」と問いかけるようにしました。

悲しいのか、楽しいのか、不安なのか、望みをもったのか。そのはっきりとした感覚に目を向けるようにしました。

ずっと「モヤモヤ」という言葉で覆い隠していたのは、実はこうしたはっきりとした感情だったのかもしれません。

時間の重さ

24時間というのは、本当に長いものです。

その時間を、モヤモヤという灰色の中で過ごすということは、本当にもったいないことだと思うのです。

一日一日が、本当に貴重な時間なのだということに気づくと、その時間を何に使うかが、今までとは違って見えてきます

モヤモヤとともに過ごすのではなく、そのモヤモヤの正体を見つめて、それでも何かを感じることの方が、ずっと豊かではないか

そう思えるようになってから、日々が少しだけ違う色で見えるようになりました。

2025-11-30

AI技術革新共産主義の夢を見るか

という釣りタイトルを思いついたので書いてみる。

まず共産主義は言いすぎで、「ポスト資本主義」が妥当かもしれない。

前提として、マルクスは高度に発達した資本主義共産主義に転化すると問いたわけだが、AI技術革新によりその傾向が強まる可能性みたいなものは、理論上は考えられる。

 

まず日本って、もともと共産主義っぽいというか社会主義っぽいというか、そういう素地がちょっとある。

人材不足が深刻で、自動化圧力がめちゃ強いし、工場FAとかロボット技術世界的に見ても厚い。

社会保障も「バリバリ自由競争!」って感じじゃなくて、中程度の再分配がすでに組み込まれてる。

鉄道・電力・通信みたいなインフラは半公共みたいな企業が多いから、生産手段の「半社会化」も実はやりやす構造

 

で、AI投資を進めると、段階を置いて社会は変わり得る。

まず、AI企業の中にガンガン入って、単純労働事務仕事が真っ先に消えていく。

正社員は残るけど、非正規がまとめてしんどくなる。企業利益は出るけど賃金は上がらず、格差は広がる。

このへんで「AI税」「ロボット税」「BIどうする?」みたいな議論が出るけど、一気に改革は無理で、リスキリングとか失業給付の強化くらいが関の山

 

次に、AIホワイトカラーにも本気で食い込み、働きたくても職がない層が固定化してくる。

ここで「完全雇用って無理では?」と社会が薄々気づき始める。

AI企業の超利益に対して「もうちょっと分けろよ」という空気が高まり特別課税や最低所得保障が広がる。

このあたりから労働で稼ぐ社会から、「AI資本の成果をみんなで分ける社会」へ、じりじりシフト

 

さらに、AIのもの電気水道みたいな公共インフラになっていく。

巨大モデル民間だけで維持するのが非効率になり、国や自治体が「国民AIクラウド」を持つようになる。

これって実質、生産手段社会的所有なんですよね。

生活の基礎はほとんど低負担無料に近づいて、労働は「生きるため」じゃなく「やりたいからする」に変わっていく。

マルクス的に言うと「労働苦役じゃなく自己実現になる」方向。

 

ただ、日本には超デカハードルがある。

既得権にすごく気を使うし、変化はちょっとずつしか進めない文化だし、世代対立露骨に表に出さない。(ちょっとその辺は現在進行形で変わっているかもしれないが。)

からダイナミックなBIとかAI課税は、基本めちゃ抵抗される。

たぶん実際に進む順番は「行政効率化 → 高齢者ケア支援年金防衛若者にも最低所得保障つけるね」みたいな、「高齢者安心」を前面に出した形。

 

最終的に日本共産主義っぽい条件に近づくとしたら、

インフラAIは半公共生活の基本はほぼ無料、みんなが国民AI基金受益者で、フルタイム労働は今より少ない。

でも看板上は「資本主義民主制福祉国家」のまま、という中身だけ変わった社会になりそう。

逆に、悪い方向に振れると、AIの実権を巨大企業官僚が独占して超格差社会突入し、アルゴリズム管理がキツい「テクノ封建制」になる可能性もある。

 

分岐点は、

AIインフラをどれだけ公共化できるか

AI利益をどれだけ公平に分配できるか

・「全員正社員」みたいな幻想を手放せるか

このへん。

2025-11-29

anond:20251129104030

自分でも女性と楽しく喋れるという自信になるし

女性と付き合うなら楽しく喋れる子がいいなという

気づきにもなる

anond:20251129035722

そもそも日本素人に絵の技術いちばん叩き込んでくれるところは美大受験用の美術予備校だ。

専門学校でも大して教わらない。2〜3年で全員を現場に出せるほど描ける人間にすることは不可能から、元々基礎技術がある生徒や、在学中に自宅で腐るほど自主練出来る生徒にだけより専門的な技術を叩き込んでくれるのが専門学校だ。元々描けないし努力も出来ない人は、専門学校では生徒ではなくお客様として扱われる。適当におだてて辞めずに満期の学費を払ってもらって卒業後のことは知らんぷりの存在お客様

一番価値ありそうな情報

水は低きに流れるし、人間モチベと実力の高い集団にいると自然レベルが上がる。

子供をいい学校に入れるべき理由の一つ

でも絵が上手くなるのに必要なのは自分の絵のダメさへの気づきだ。

上手い絵と自分の絵を見比べて、ここがこんなに違う、自分はこんなに描けてない、そう気づけることだ。

美術予備校とか美術高校で繰り返しやってもらうのはこれの訓練だ。

毎日あるいは毎週講評で並べられて比較される、点数をつけられる、先生が指示棒で指差しながら「ここ形狂ってない?」とか言ってくる。そういう経験がど素人を気づける人にする。

自分で気づけるようになってようやく絵が上手くなり始める。

フィードバック自分で出来るようにする的な話しね。

あとインターネットに転がってるイラストハウツーってまじで実際ヘタな人がしょうもないハウツー描いてバズったりしてるから自分がある程度描けるようになるまで無料ハウツーは信用しないほうがいい。

しょうもなハウツー描いてる絵師は滅びてください。いたいけな小中学生に変なこと教えないで。

それはええと思うけどな。全員がガチでやってるわけやないしそれっぽいものを手っ取り早く描けるものとかはそれはそれでええと思うけど。キャラの絵書きたいだけなのに人物デッサンとかそんなの教えるのもモチベを削るというか的外れだし。

通信制高校イラストコースに行くな

通信制高校イラストコースに行くな。

通信制高校イラストコースの授業は、ご褒美みたいな授業が無いと学校に通えない子のためのお楽しみ授業だ。

①まず通信制高校に行くな。

本当に中学の出席日数が全然無くて入学出来る高校通信制しかない、毎日登校する体力がない、そういう子供以外は通信制高校には行かないほうがいい。

コロナ禍でのオンライン授業を小中で経験したせいか、親も子も授業ってオンラインいいんじゃない?って空気がある。よくない。

オンライン授業は子供にとってはサボりたい放題、ろくなテストもなく赤点や追試もない。結果通信制高校卒業の頃には中3時点と大して学力の差がない18歳になるか、もっとバカな18歳になる。

リモートワークもあるしこれからは家で授業受けて家で仕事する時代!って?

じゃあ親のあなた方はみんなリモートワーク出来てるんですか?結局出社を強いられてる方が大半じゃないですか?

お母さん方、子どもを家で見ながらできる仕事はないか…って考えたけど大変だった時代経験しているでしょう?

結局大人になっても毎日出社できる体力気力時間がある人間のほうが仕事がある。

全日高校に行ける出席日数があるなら頑張って全日制に行って、働ける体力気力と、学力をつけたほうがいい。

イラストコースで絵は上手くならない。

通信制高校イラストコース出身イラストレーターを知っています!絵が上手い人を知っています!という意見もあると思う。その人はイラストコースに行かなくても絵が上手かったしイラストレーターになれたタイプの人だ。

まずイラストコースではデッサンパースもろくに教わらない。人物クロッキーも数回あれば良い方だ。なんとなく、さわりだけ、お試しみたいな授業があるだけだ。あとはなんかアニメ関連の会社見学とかがいっぱいある。会社見学で絵は上手くならない。

そもそも日本素人に絵の技術いちばん叩き込んでくれるところは美大受験用の美術予備校だ。

美大では絵の基礎技術は教わらない。受験前に予備校で教わってるのが前提だから

専門学校でも大して教わらない。2〜3年で全員を現場に出せるほど描ける人間にすることは不可能から、元々基礎技術がある生徒や、在学中に自宅で腐るほど自主練出来る生徒にだけより専門的な技術を叩き込んでくれるのが専門学校だ。元々描けないし努力も出来ない人は、専門学校では生徒ではなくお客様として扱われる。適当におだてて辞めずに満期の学費を払ってもらって卒業後のことは知らんぷりの存在お客様

③それでも高校から絵の勉強がしたいなら

公立高校芸術科、美術科。

全国に50校くらいある。地域によって偏りがあって残念ながら公立美術科が無い県も存在するが、もし住んでる県にあるならラッキー学費も安い。入学時にデッサン試験があるのである程度描ける人、やる気がある人だけが選抜されてる可能性が高い。

水は低きに流れるし、人間モチベと実力の高い集団にいると自然レベルが上がる。

私立全日高校美術

公立に比べると学費がかかるかもしれない。学校によっては絵の上手い子には特待生制度など用意してくれてる。これもだいたい入試デッサンがあるのである程度人間選抜されてる。でも中には倍率が1倍切ってるところもあるので、入試の倍率と卒業生の進路実績(東京藝大武蔵美多摩美あたりが数人でもいればレベル高い可能性あり)をよく調べよう。

普通科高校に通いつつ美術予備校

予備校代がかなりかかるし、そもそも親が子供大学進学を考えてない家庭では厳しい選択肢だが、夜間部に三年間通えば基礎的な力はかなりつく。

普通科高校に通いつつ町の絵画教室

有閑主婦退職じいさんが油絵とか描いてるところでしょ?そういう絵じゃないんだよな描きたいのって…と思うかもしれないが、大抵どこも教えてるのは藝大美大を出た人間なので基礎を教わるだけなら問題ない。

ただ美術高校予備校と違って毎日描く環境ではないから家でやる課題を頼んで出してもらうといい。

④誰にも教わらなくても絵が上手い人間もいるが……

上にあげたようなところで絵を教わらなくてもイラストレーターとか漫画家とか画家になる人はいる。でもそういう人はごく一部だ。

大抵どこかで教育を受けている。

でも今の時代ってインターネット知識が転がってるし専門書もいっぱいあるからひとりで上手くなれるんじゃない?そう思う人もいると思う。

かにネットで上手い絵はいくらでも見れる、YouTubeで絵を描く過程を全部見せてくれる人も大勢いる。

でも絵が上手くなるのに必要なのは自分の絵のダメさへの気づきだ。

上手い絵と自分の絵を見比べて、ここがこんなに違う、自分はこんなに描けてない、そう気づけることだ。

美術予備校とか美術高校で繰り返しやってもらうのはこれの訓練だ。

毎日あるいは毎週講評で並べられて比較される、点数をつけられる、先生が指示棒で指差しながら「ここ形狂ってない?」とか言ってくる。そういう経験がど素人を気づける人にする。

自分で気づけるようになってようやく絵が上手くなり始める。

みんなそのために絵を習う。

あとインターネットに転がってるイラストハウツーってまじで実際ヘタな人がしょうもないハウツー描いてバズったりしてるから自分がある程度描けるようになるまで無料ハウツーは信用しないほうがいい。

しょうもなハウツー描いてる絵師は滅びてください。いたいけな小中学生に変なこと教えないで。

⑤親御さんへ

絵を描くのが好きで将来に夢もあって中学はそれなりに通えてた、そういう子が通信制高校イラストコースに行って、たいした鍛錬もされずに本人も不完全燃焼を抱えながら貴重な高校三年間という時間けが過ぎていくのを見てきました。あれは見ていて大変きついものがあります

子供の言う「プロ指導も受けれるんだって!」「ここならやりたいことが出来る、楽しく通える!」をあんまり信じないでください。

15歳はまだかなり子供です。世間を知りません。楽ができるのと楽しいのとの区別も知りません。

子供が行きたがってる学校の評判はよく調べて、可能なら実際に目で見て、社会経験のある大人の目で判断してあげてください。

あと、美術業界イラスト業界の人の言う「子供の頃から絵が好きで、好きだから頑張ってこれた、プロになれた」みたいなのの「好き」のレベルって、朝起きたらご飯の前に絵を描いてる、授業中も絵を描くのがやめられなくてノート落書きだらけ、放課後友達と遊ぶよりゲームするより絵を描くのが好き、絵を描きすぎて夜更かしする、そういうレベルです。

学校の授業の中じゃ音楽体育よりも図工や美術が好きとか、ゲームiPadも取り上げたら暇つぶしお絵描きしてるとかじゃないです。

お子さんが一度絵を描く道に進むと競争相手はそれくらい絵にガチ人達ってことも知っていてください。

子供簡単に夢を見るので、保険をかけてあげるのも親の役目かと思います

2025-11-28

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

世界の鼓動を捉える、ガーディアン最新レビュー

ガーディアン紙は、世界情勢から文化スポーツビジネスまで、幅広い分野を深く掘り下げる報道で知られています特に社会問題政治に対する鋭い視点は、国際的にも信頼を集めており、徹底した調査報道は読者に新たな気づきを与え続けています

スポーツの分野では、国内外の激戦や選手の動向を人間味ある視点で描き、単なる結果報告にとどまらない臨場感を届けますビジネス経済に関しては、世界市場の変化を丁寧に分析し、複雑な流れを理解やすい形で伝える点が高く評価されています

また文化面では、映画音楽アートレビュー特に人気で、個性的表現と確かな批評眼が多くの読者を魅了しています環境問題社会的テーマにも積極的に向き合い、世界が直面する課題に光を当てる姿勢は、ガーディアン紙ならではの特徴と言えるでしょう。

多角的視点独自の深さを兼ね備えた報道は、グローバル社会理解する上で欠かせない存在として支持されています

https://kam1l-m15hara.servegame.com/kafq

https://kam1l-m15hara.servegame.com/8har

https://kam1l-m15hara.servegame.com/mjse

https://kam1l-m15hara.servegame.com/o5yk

https://kam1l-m15hara.servegame.com/zmdf

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん