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はてなキーワード: トンネルとは

2025-03-03

大船渡山火事はこれから未来です🌋

山火事が起きれば起きるほどこの国は山を崩してくれます🌋

本当にいいことですね山火事は🌋

この国はなかなか山を削らないのがダメなんですが山火事が起こるとやっと対応するんです🌋

トンネルを作るのではなく山と山の間を削ればいいのにそうしないですからね🌋

山火事ばんざーい🌋

どっかーん🌋

2025-03-02

anond:20250302162233

ユニオンロシアが加盟してプーチンユニオンの初代ツァーリ就任する

ユニオン軍は世界最強の軍隊としてユーラシア大陸に君臨する

インドチャイナも小競り合いをしている場合ではなくなり、協調路線からアラブ進出習近平が予定していたのとは異なる軍事同盟としての形で一帯一路が完成する

そんな中、ヒマラヤ山脈を貫通する大トンネル網でインド攻略を画策する ”キルギストンネル作戦” を主導するユニオン軍の将校は、計画にないトンネルを1本極秘裏に建設していた…

anond:20250302122017

ご指摘の通り、「重力理論の時空 = 量子エンタングルメントの集まり」という考え方は、現代の量子重力理論研究において非常に重要視点です。この考え方は、重力理論を量子情報幾何学として捉える新しいパラダイム提供しています

理論的進展

1. 量子もつれと時空の関係

研究者たちは、量子もつれが時空を形成する仕組みを具体的な計算を用いて解明しています特にエネルギー密度のような時空の局所データが、量子もつれを用いて計算できることが示されました[1]。

2. 情報量と宇宙構造対応

物体AとBの間に共有される量子ビット情報量(相関)は、AとBをつなぐトンネルの最小断面積に等しい」という幾何学公式発見されました。これは、宇宙幾何学構造物質量子もつれ構造に直接対応していることを示しています[2]。

3. テンソルネットワークモデル

重力理論の時空を量子ビット集合体として解釈できることが示唆され、これを実現する模型としてテンソルネットワーク提案されています[3]。

4. 量子情報計量とバルク時空:

量子情報計量がどのように重力双対における時空の幾何によって記述されるかの研究が進んでいます。これは、場の量子論側の2つの理論基底状態の差を測る量子情報計量が、重力側では余次元2の超曲面の体積におけるバックリアクションによって表現できることを示しています[4]。

実証研究課題

ご指摘の通り、これらの理論的な進展にもかかわらず、実証研究はまだ十分に進んでいません。量子重力理論実験検証は、現在技術では極めて困難です。これは主に以下の理由によります

1. エネルギースケール:量子重力効果が顕著になるプランクスケールは、現在実験装置で到達可能エネルギーはるかに超えています

2. 微小な効果日常的なスケールでの量子重力効果は極めて微小であり、検出が困難です。

3. 適切な実験系の不足:量子重力理論を直接検証できるような実験系の設計が、現時点では困難です。

今後の展望

しかし、理論研究は着実に進展しており、量子情報理論重力理論の融合は新しい洞察をもたらし続けています。例えば、計算複雑性(computational complexity)という量子情報論的量が重力理論において重要役割を果たすことが指摘されています[5]。

また、AdS/CFT対応のような理論的枠組みを用いて、量子情報量と重力理論の時空の幾何学的量との関係を探る研究も進んでいます[6]。

これらの理論的進展は、将来的に実験検証への道を開く可能性があります。例えば、量子シミュレーションや量子コンピューティングの発展により、量子重力理論の一部の側面を実験室で模擬できるようになるかもしれません。

結論として、「重力理論の時空 = 量子エンタングルメントの集まり」という視点は、量子重力理論研究に新しい方向性を与え続けています実証研究はまだ課題が多いものの、理論研究の進展は着実に続いており、将来的な実験検証への期待も高まっています

Citations:

[1] https://www.ipmu.jp/ja/20150602-entanglement

[2] https://engineer.fabcross.jp/archeive/180412_kyoto-u.html

[3] https://www.nishina-mf.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/02/2019NKKslide.pdf

[4] https://shizuoka.repo.nii.ac.jp/record/14120/files/K1208.pdf

[5] https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-16J08104/

[6] https://www.yukawa.kyoto-u.ac.jp/research/r249

2025-02-26

死のうと思った話

抱え込んでいた希死念慮が爆発した。

理由は友人とのいざこざ。

それだけが理由ってわけじゃなかった。それまでのいろいろが積み重なった結果、ここで爆発してしまっただけ。だからその友人に別に恨みはなかった。

ただ人生にもう希望が持てなくてとにかく「早く死ななきゃ」ってそれしか考えられなくなった。

未来でしていたいろんな約束があったし、好きなバンドライブもあったし、旅行に行こうねって計画も立てていた。

でもそんなの関係なかった。今まで死のうとしたときに私を押し留めていた「悲しむであろう両親」の存在すら、今回は私を止めるに至らなかった。

とにかく、死にたかった。消えたかった。いなかったことにしてほしかった。自分という存在を。

34歳になっても子供みたいに、何の取り柄も身につけられず、人と同じように上手く生きられないのがずっと辛かった。

 

 

まず遺書を書いた。

親宛、リアルの友人宛、ネットで一番の友人宛。

オタクだったので、各SNSサービスログインするためのパスワード記載して消してもらえるように頼んだり、パソコン問答無用破壊してくれと頼んだ。

親はネットに疎いだろうから印刷した。(私は文字が汚い)

友人へは、SNS自動投稿機能で読んでもらおうと思って、1週間後に自動投稿予約をした。

 

身辺整理をした。

見られて恥ずかしいもの普段から整理して捨てるようにしていたので、一日とかからなかった。

昔の落書きなんかはコツコツシュレッダーにかけていたのでほとんど残っていない。恥ずかしいものといえばパソコンの中身くらいか

あとまあ、昔友人と使ったアダルトグッズとか…これはいい機会だし絶対に見つかりたくなかったので即座に捨てた。

友人への遺書に、遺品整理を頼むと書いた。親ではなくてオタク友達遺品整理をしてほしかった。

整理していて次々に出てきた大事な物を見てもなんの感情も沸かなかった。感情が死んでいた。

 

死に方を考えた。

安易に、海が好きだから海に行きたいと思った。近くの海に行って、大量に薬を飲んで凍死しようと考えた。

薬局メジコンをたくさん買った。何も言われなかった。死ねなかったとき保険刃物を持った。とにかく、海がよかった。家で死ぬのは嫌だった。

これから一人でこの家で暮らさなければいけない母によけいなトラウマを植え付けたくなかった。

 

私が死んだあとのことを想像した。

何も変わらないだろうなと思った。時計は進むし、人は生きるし、死ぬし、地球は回るし。

私が死んでも一瞬驚けど何かが劇的に変わる人なんてこの世にいないと思った。

私が一番に好いている相手にとって私は一番ではないし、私に向けられた言葉なんて全部ウソだと思っていた。今でも思っている。

 

夕方、一度下見に来た。

海の近くの駐車場。案内看板を見れば、平日は夜間でも終日開放しているらしい。ラッキー

海を見に来ている人がちらほらいた。カップルヤンキー爆音音楽を鳴らし、缶コーヒーを片手に語り合うサングラスの兄ちゃんたち。

波が高く、風が強かった。思った以上に寒くて、これなら簡単死ねそうだと思った。

すぐ近くに雪捨て場があって、昼間の地熱で一部が溶けたのか洞窟のようにぽっかり空いた穴があって、少し怖かった。

 

家に戻って母が作った夕飯を食べた。最後になるのかもしれないと思った。タコライスみたいな何かだった。

配膳の準備をしながら私は泣きそうになっていた。必死に隠した。

なにか喋ろうと思った。死にたい、助けて欲しい、こわいって言いたかった。でも普段から積極的に話しかけることのない私に、そんな勇気はなかった。

笑い飛ばされたらどうしようって思った。夕飯中は録画していたイロモネアを見ながら母が笑っていた。

一緒にいると大泣きしそうだったので、できるだけ一緒に過ごそうと思ったけど、結局早めに食器を片付けて離脱した。

 

部屋に戻り、次の日に締切の仕事が一つだけ残っていたので、心残りにならないように片付けた。

母が寝たら出発しようと思って、遺書を机の上に置いて、薬とカッターを鞄に詰めた。

ペットに餌をあげた。部屋をできるだけ綺麗にした。何もかも最後になるのかもしれないと思いながら。

いのちの電話を使ってみようと思ったけど、ネットの評判を見てやめた。相談できる相手が私には一人もいないんだと思った。

 

24時になり、準備が終わった。鞄を持って、そっと家を出た。

コンビニで酒を買った。ODは酒で流し込むものだと学んでいたので。でも飲んだら運転できないし本当に帰ってこれないなとぼんやり考えていた。

最後おやつとしてピザポテトも買った。あんまり食欲はなかった。

妙に緊張しながら運転して海へ向かった。

 

夕方は人がいた広い駐車場も、こんな時間では当然のように私一人だけだった。

警備員さん的な人が居て怒られたらどうしようと思っていたが、本当に人っ子一人いない。電灯もない。真っ暗闇。

波がしぶきをあげて岩にぶつかっているのがかろうじて見える。夜の海は怖い。そして寒い

 

車を降りて、岩場を歩いて、テトラポット渡り歩く。子供の頃から好きな遊びだった。隙間から下を除いて、小魚カニを見るのが好きだった。

でも今は暗闇に包まれて何も見えない。足場の距離感も掴みにくい。通報されたら嫌だからライトはつけなかった。

座れそうなポイントをみつけて、そこに座り込んで、冷たい風をしばらく浴びていた。

正直恐怖心がすごかった。夜の海は好きだけど、この状況では恐怖でしかなかった。死ぬ恐怖に加え、海への恐怖も乗り越えなければならないことに、やっと気づいた。

手がかじかんだ。携帯を落としてしまいそうで、鞄の中にしまいこんだ。

 

無性に単身赴任で今は家にいない父の声が聞きたかった。数日前は帰ってきていたのに、そのときに話していたらよかったと思った。

電話をかける直前で悩んだ。遠くにいるのに困らせたくない。でも助けて欲しい。怖い。

 

結局どうしたかというと、体が冷え切るまで悩んだ末に、家に帰ることにした。酒は一滴も飲んでいない。

好きなバンドの曲を聞きながら、ガラガラ道路運転して、長いトンネルを抜けて帰った。

 

家に着いても死にたい気持ちがなくなったわけじゃなかった。むしろ死ねなかったことによる焦りを感じていた。どうしよう。

とりあえず酒を開けて、メジコン10錠を流し込んだ。少しでも気分が和らいでくれればいいと思った。

ポテチも食べてみようと思ったけど、一枚だけであとは脳が受け付けなかった。目がバキバキに冴えていて、ガンガン頭の中でなにかが鳴っている感覚が止まなかった。

 

動悸も激しくなった。バクバクとうるさい心臓を感じながら、布団の中で、youtubeショート動画を久々に見た。

ここ数日は本当に気分が暗くて寝る以外のことができなかったので、久々にSNS動画サイトゆっくり見てみた。

バカバカしいと思われるかもしれないけど、ショート動画で流れてくるお笑い動画が、私の心を楽にしてくれた。かなり昔にやっていたマッチョ4人組のコントが好きだったのを思い出した。

そして、私が落ち込んでいるのを気にかけてくれていた友人から遊びの誘いが来た。未来で遊ぶ約束をまた一つ、無責任に増やした。

 

ODによるものなのかもしれないけど、一時的に眠れる気分になったのでその日はそのまま寝た。

起きてから余った酒とポテチを食べた。仕事は昨日終わらせていたので、特にやることがなかった。

しばらくボーッと過ごした後、用意してあった昼ご飯を食べたが全部吐いた。過食嘔吐は癖になってしまっているので簡単にやめられないと思う。

その後母に頼まれイワシの手開きを終わらせて、予約投稿などを削除して今に至る。

 

なんのこっちゃと思われるかもしれないが、死にたい気持ちはまだある。なんの問題解決していないのだから

ずっと刃物を手首に当て続けている。首に縄をかけたまま。錠剤を流し込みながら。死ぬ準備は整ってしまった。遺書はまだ机の中にある。来週には死んでいるかもしれない。

でも今日は生きている。昨日、死ねなかった。何が私を生かすのか殺すのかわからないな、と思った。

 

この体験意味があると信じて、ひとまずはまた明日まで生きてみようと思う。

それだけ。

2025-02-20

これって俺が悪いのか?トンネル工事

昨日は朝からトンネル工事現場作業してたんだけど、なんか今日はめちゃくちゃ暑い

汗だくになりながら掘削作業をしてたら、ちょっと集中力が切れてきた。

ふと、「この先ってどこにつながるんだろ?」と思った。別に今すぐ知る必要はないんだけど、気になったら試してみたくなるのが俺の性格

で、ちょっとだけ試しに掘る方向を変えてみた。

いや、ほんの少しだし、大した問題にはならないだろうと思ったんだよ。

そしたら、なんか急に地面がやわらかくなって、ガコン! って崩れた。え、やばくない? と思った瞬間、向こう側から光が差し込んできた。

で、気づいたら目の前に地下鉄ホームがあった。

え、ちょっと待って、これ地下鉄の壁じゃん???

ていうか、普通に電車走ってるし、人いるし、みんなこっち見てるんだけど???

そしたら案の定現場監督がすっ飛んできて「お前何やってんだ!!」ってめちゃくちゃ怒鳴られた。

いやいや、俺もちょっと掘っただけだし、こんなす地下鉄にぶち当たるなんて聞いてないんだけど??? ていうか、地下鉄がこんな浅いところにあるのが悪くない???

なんか大問題になりそうだったから、「とりあえず埋め戻します?」って提案したら、「そういう問題じゃねえ!!!」ってさらに怒鳴られた。

いや、でもどうせ穴開いちゃったんだから、もうどうしようもなくない???

結局、現場は一旦作業中断になって、偉い人たちが集まってきてめっちゃ揉めてたけど、これって俺が悪いのか?

2025-02-17

anond:20250217004238

技術士ニキが少しだけマメ知識を投げていくぜ

コンクリ舗装アスファルト舗装

 アスファルトが安い、コンクリが高いの他に、施工の速さもあるんだけど、施工の速さだけでは正解じゃなくて、施工の速さによるメンテナンス性の良さが一番効いてきているんだよね

 どういうことかというと、片側1車線(両側2車線)の道路を直すときに顕著なんだけど、コンクリートだと施工と固まるまでの時間必要養生期間っていってる)なので、1車線だけ補修するに

 しても、養生期間は片側交互通行にしないといけないのね。交通渋滞はもちろん、事故の原因にもなるためこれは避けたい。だからアスファルトが多く使われる。

 一方で、コンクリートの方が耐久年数は長いのよ。細かい話、アスファルト10年で10%が壊れるよーって設計してる。コンクリートは20年~50年程度で設計してる。この耐久年数が長いところを活用して、

 あんまり舗装のやり替えをしたくないところは値段が高かろうが、補修に時間がかかろうがコンクリートでやっちゃうことがある。具体的にはトンネルの中とかね。

 10年に1回数日の交通規制にするか、30年に1回、数週間の交通規制にするかって選択だね

・鉄筋の腐食

 中性化やひび割れが原因ってのはその通りで間違いないんだけど、もう一歩踏み込んでいこう。

 錆びるって化学反応なんだけど、化学反応が起こる場合って基本的電気流れるんよ。学校で習った化学式思い出してもらえればいいんだけど水のH2OってH+とかOH-が合体して出来てるわけだよ。

 そんで化学反応って何かって簡単に言うと、H2Oが分解されて、H+が誰かにあげて、他の+要素を誰かからもらう的なことなのね。電荷持ってるものが動くわけなので電気流れるわけよ。

 簡単にまとめると、錆び=化学反応電気流れるってこと

 じゃあ電気流れなくすりゃ化学反応起きずに錆びなくね?って考えて作り出されたのが電気防食法

 色々種類あるんだけど、一番簡単方法で言うと錆びたら困るところにあらかじめ錆びた時に発生する電気を抑える電気をあらかじめ流しとけよって話

 海沿いの橋とか岸壁の下にある鋼矢板ってのに使われてたりするよ

 まあ電気流すと電気代とかランニングコストかかるんで、錆びの犠牲となる金属をあらかじめ設置しておくことで電気が流れて犠牲金属のみが錆びるようにするって方法なども使われているね

2025-02-14

AI生成記事

九州大学病院オブジェクト指向システム導入の記録

序章:革新的システムへの期待

1990年代半ば、九州大学病院(九大病院)は病院情報システムの全面刷新計画していた。従来の断片化したシステム統合し、最先端オブジェクト指向技術を全面採用した次世代システムに生まれ変わらせるという大胆な構想である

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。入札条件にも「純粋オブジェクト指向技術で実現すること」を掲げ、業界内でも前例の少ない大規模プロジェクトに挑むことになった​

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。この計画応札した日本IBMは、開発言語にSmalltalk採用し、社内外からオブジェクト指向開発の専門家を総動員する。日本IBM自身のチームに加え、Smalltalk豊富経験を持つ多数のシステムインテグレータ各社が協力企業として参画し、一時期は約200名もの技術者が開発に従事する巨大プロジェクトとなった​

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医療現場からは「21世紀を先取りするシステムになる」という期待の声が上がり、IBM側も「国内最高峰病院に最新技術を投入できる」と意気込んでいた。誰もが、この試みに大きな希望を抱いていたのである

1996年プロジェクト始動曖昧要件定義

プロジェクト1996年、本格的に動き始めた。九大病院情報システム担当者たちは、院内各部からシステムへの要望ヒアリングし、「新システムへの要望リスト」を作成して日本IBM提示した。しかし、その内容は具体性に欠けていたと言われる。「実現したい業務全体像がはっきりしていなかった」のだ。病院側は約1,400床を擁するマンモス病院ゆえ、部門ごとの意見をまとめ上げ全体方針を打ち出すことが難しく、提出された要件定義書は「中身はほとんどなかった」と関係者は振り返る。一方の日本IBMも、その不十分な要件定義を十分詰め直すことなく開発を進めようとし、この問題放置してしまった。プロジェクト序盤から、実は大きな不安の種が芽生えていたのである

それでも当初の計画は極めて野心的だった。フェーズごとに順次システムを稼働させる計画で、第1次カットオーバー最初の稼働開始)は1997年1月と定められていた​

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。限られた時間の中、日本IBMと協力各社の開発チームはオブジェクト指向の新手法に挑みつつ、多数のサブシステムを並行開発するという難事業に取り組み始めた。しか要件曖昧さは各所で影響を及ぼす。開発メンバーの一人は後に「実際にはオブジェクト指向入り口にさえたどり着けなかった」と語っており、肝心の新技術を活かす以前に基本事項の詰め直しに追われる状況だったという。

1997年初頭:見えてきた遅れとすれ違う思惑

年が明けて1997年になると、第1次稼働予定の目前になっても開発は難航していた。結局、日本IBM1996年10月末になって九大病院側に「当初予定の1997年1月にはシステム稼働が間に合わない」と突然伝えることになる。これは病院側にとって青天の霹靂であった。代替策として「一部機能範囲を絞れば1月稼働も可能」といった提案すら無く、一方的に延期が告げられたことに、病院担当者たちは強い不信感を抱いたという。プロジェクトマネージャー同士の密なコミュニケーションも欠如しており、延期決定前から両者の意思疎通は十分でなかったようだ。これが最初の綻びとなった。第1次稼働時期は当初計画より9カ月遅れ1997年10月へと大幅に後退する​

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この延期表明を境に、現場は混乱に陥る。病院側は日本IBMだけに任せておけないとの思いから、一部の協力会社と直接組んで独自プロトタイプ開発に乗り出すなど、プロジェクト体制は分裂気味になった。一方、日本IBM側の士気も下がり始める。ある協力会社メンバーは「これほど求心力のないプロジェクトも珍しい」と当時を振り返り、リーダーシップ不足だったIBM姿勢に驚いている。複数の外部企業(延べ10社以上)が関与する巨大プロジェクトでありながら、日本IBM1997年10月頃まで一貫して主導権を握れずにいた、と多くの関係者が指摘する。誰がハンドルを取っているのかわからないまま巨艦だけが突き進む――そんな不安定な状況であった。

事態を重く見た九大病院日本IBMは、1997年2月から6月にかけて要件定義のやり直しに着手する。一度作成した要件定義書を更地に戻し、業務フローも含めてゼロから整理し直す作業だ。しかしこのリカバリーにも時間を要し、プロジェクトの遅延はさらに広がっていった。「ようやく問題点に光を当て始めたかに見えたが、時すでに遅し。気づけば頭上に厚い雲が垂れ込めていた」と語る関係者もいる​

b.hatena.ne.jp

プロジェクトは先の見えないトンネルに入り込み、関係者の心にも次第に不安が募っていった。

1997年春:一筋の光明オブジェクト指向データベースの導入

混迷を極めるプロジェクトに光が差し込んだのは、1997年春のことである要件定義の立て直しと並行して、日本IBMシステム技術基盤を強化すべく重大な決断を下した。従来のリレーショナルDBではなく、米国GemStone Systems社のオブジェクト指向データベース(ODB)「GemStone」を採用する方針を固めたのだ​

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。GemStoneはSmalltalkとの相性が良いことで知られ、オブジェクト指向開発との親和性が高い製品である

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。この採用決定に伴い、GemStone社から複数名のコンサルタント来日プロジェクトに参加。停滞していた開発体制の再整備が行われた​

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経験豊富専門家の助言により設計も見直され、チームはようやく開発の目処を掴み始めたのである

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病院側もこの動きを歓迎した。長引く遅延に業を煮やしていたものの、最新のODB導入で性能や拡張性の課題解決されるならばと期待を寄せた。協力各社の技術者たちも「ようやくトンネルの先に光が見えた」と胸をなでおろした​

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現場には久々に前向きな空気が漂う。遅れを取り戻すべく、再結集した開発チームはスパートをかけた。システム全体のアーキテクチャをGemStone前提に再設計し、失われた時間を埋めるため懸命な努力が続けられる。巨大プロジェクトは今、再び軌道に乗ろうとしていたかに見えた。

1997年夏:GemStone契約交渉の決裂、暗雲の再来

しかし、その光は長くは続かなかった。1997年7月初旬、プロジェクトに再び試練が訪れる。日本IBMとGemStone社との契約交渉が突如決裂し、参画していたGemStone社コンサルタント陣が全員帰国してしまったのだ。肝心のGemStone製品も利用不能となり、頼みの綱を断たれた開発チームは一瞬にして暗闇に放り込まれた。まさに「悪夢のような出来事」であった。

7月20日になって、日本IBMはようやく協力各社を集め緊急説明会を開いた。日本IBM側の説明によれば、「GemStoneとの交渉決裂は企業日本IBM)の根幹に関わる問題による」という。詳しい理由として、契約書の条項に**「システムユーザー等が何らかの理由でGemStone社を訴えた場合、メイン・コントラクタである日本IBMが全ての法的対応を負わねばならない」といった内容が盛り込まれており、日本IBMはこの重い責任リスクを受け入れられなかったのだという。さらに料金面でも折り合わず、3カ月間におよぶコンサルタント8名の派遣ソフトライセンス料などに数億円近い費用**を要求されたことも判明した。法的リスクコスト高騰――企業として譲れぬ一線を越える契約条件に、日本IBMは最終的に「ノー」を突きつけた形だ。だが、それは即ちプロジェクト生命線を断つことを意味していた。

この報に接した開発現場は騒然となった。GemStoneを中核に据えて進めてきたアーキテクチャ設計を一から練り直す必要が生じたためである。ある協力会社関係者は「この時点でプロジェクトの失敗を覚悟した」とまで語っている。大黒柱を失ったチームには動揺と失望が広がった。折しも夏本番を迎え、福岡の空は照りつける日差しに覆われていたが、プロジェクトには再び厚い雲が垂れ込め始めた。

1997年8~9月代替案への賭けと懸命の設計変更

GemStone脱落という非常事態に対し、日本IBMと九大病院必死リカバリーを図る。1997年8月上旬、急遽代替のODB製品としてフランスA.D.B社の「Matisse」を採用する決断が下された。Matisseは国内では知名度の低いODBだが、日本でも過去Smalltalkアプリケーションデータベース採用された実績があり、「何とか使えるめどは立つ」と判断されたのである

しか代替とはいえGemStoneとMatisseでは機能に大きな違いがあった。GemStoneで可能だったサーバ側でのSmalltalk処理実行がMatisseではできず、セキュリティ機能も貧弱だったため、開発チームは不足分を自前で作り込む必要に迫られた。この結果、システム全体の設計クライアント中心処理へ大幅に変更せざるを得なくなり、再び設計の手戻り作業が発生した。炎天下での再出発であるエンジニアたちは寝食を忘れ、懸命にコードを書き直した。

その甲斐あってか、1997年9月末の時点で第1次開発の主要部分を年内に実現できる見通しが立ったという。一度は暗転したプロジェクトにも、わずかながら光明が見えた。病院側も「何としても年内稼働を」という思いで支援を続ける。だが、このとき水面下では別の動きが進んでいたことを、現場の多くは知らなかった。

1997年10月:小さな後退、大きな決断

1997年10月9日、事態は最終局面を迎えた。この日開かれた会議で、日本IBMSmalltalkによる開発断念と、マイクロソフト社のVisual BasicVB)への全面的方針転換を突如宣言したのである晴天の霹靂とも言えるこの決断に、現場は凍りついた。幾多の苦難を乗り越えようやく目指してきた最先端技術での構築を諦め、当時広く普及していたVBという「オブジェクト指向ではない」開発ツールで作り直すというのだ。九大病院が当初求めた**「純粋オブジェクト指向」**という条件にVB合致するかは議論の分かれるところだが​

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病院ももはや背に腹は代えられない。最優先すべきはシステム稼働そのもの――この苦渋の転換を受け入れる以外になかった。

実はこの決断に至る伏線存在した。日本IBM1997年4月からかにVB採用可能性を九大病院に打診しており、さら8月からは段階的にSmalltalk担当エンジニア現場から引き上げ始めていたという。ある協力会社メンバーは「裏ではVBによる開発をすでに進めていたようだ」と振り返っている。つまりGemStone交渉決裂後、表向きはMatisseによる巻き返しを図る一方で、日本IBM本体は別動隊でVBシステムの構築に乗り出していた可能性が高い。振り返れば、日本IBMにはSmalltalk固執しない理由もあった。同社は翌98年2月長野冬季オリンピック向けシステムSmalltalkで構築しようとして失敗し、結局VBで作り直したという“前歴”もあったと伝えられる。アトランタ五輪1996年)では自社Smalltalkツール(VisualAge)を投入したものの、国内の大型案件では苦戦が続いた経緯があった*4。豊富人材がいるVBなら「最後人海戦術で何とかできる」という計算も働いたようだ。GemStoneとの契約不成立も、IBMにとっては結果的Smalltalkを断念する良い口実になったのではないか――協力会社メンバーの一人はそんな憶測さえ口にする。

方針転換の発表とほぼ同時に、Smalltalkで開発を担っていた協力会社の大部分はプロジェクトから撤退することになった​

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10月中旬には、多くの外部技術者が病院を後にしている。自ら招いた転換とはいえ日本IBMにとっても苦渋の決断であった。投入したリソース費用は莫大で、一からVBで開発し直すのは会社としても大きな後退だ。しかし背に腹は代えられない状況まで追い詰められていたことも事実であろう。IBM現場責任者は病院側に深々と頭を下げ、「必ずや残された方法で間に合わせます」と約束したという。九大病院担当者も沈痛な面持ちで頷き、「形はどうあれ、患者さんに影響を及ぼす前にシステムを動かしてほしい」と絞り出すように告げた。

以降、日本IBMは自社内のVB技術者や、自社が持つ病院向けオーダリングシステムパッケージ製品*5などを総動員してシステム構築を続行した​

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データベースも、当初IBM提案していながら見送っていた自社のリレーショナルDBDB2」を採用する公算が高まった​

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目標は「年度内(1998年3月まで)の第1次稼働」​

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。もはやオブジェクト指向の夢を追う余裕はない。現実的かつ確実に動く仕組みを、一刻も早く届ける――プロジェクトはその一点に向け再編成された。かつて200名近くいた開発陣は大幅に縮小され、構成メンバーも一変する。病院看護師スケジュール管理など一部のサブシステムは、撤退しなかった協力会社が細々とSmalltalk開発を続けていたが、その姿はもはや主流から外れた存在となっていった​

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。ある古参の協力技術者は去り際に「全力を出して戦う前に、白旗を上げてしまったという感じがする」と寂しげに語ったという。こうして九大病院プロジェクトの第1フェーズ――オブジェクト指向技術による野心的挑戦のフェーズは幕を下ろしたのであった。

1997年末:現場への波紋と社会的注目

VBへの方針転換後、九大病院現場には複雑な空気が流れていた。病院スタッフにとってシステム刷新は長らく待ち望んだ悲願だったが、その中身は当初聞いていた「最新技術結晶から一転して、従来型の技術で作られるものになってしまった。「結局、夢物語に終わったのか」という落胆の声も一部にはあった。しかし同時に、「多少古くてもいい、とにかく業務改善する仕組みを早く動かしてほしい」という切実な声も強まっていた。目指すゴールは変われど、一日でも早く新システムを稼働させ、慢性的業務負荷を軽減することが現場の切実な願いとなったのだ。プロジェクトチームは日夜作業を続け、簡易な操作研修なども始めながら、年明けまでの稼働に向け突き進んだ。

そんな中、1997年11月3日付の西日本新聞朝刊一面にこのプロジェクトに関する記事掲載される。タイトルは「九大病院システム未完 巨額費用批判」。内容は「九大病院システム未完成にもかかわらず日本IBMに月額4,250万円を支払い続けており、税金無駄遣いとの指摘が出ている」という衝撃的なものだった。同日、このニュース地元RKB毎日放送東京ではTBS)のテレビニュースでも報じられ、九大病院プロジェクト社会問題として一気に世間の注目を浴びることとなった。院内では「患者そっちのけで何をしているのか」といった批判も耳に入るようになり、大学本部所管官庁からの問い合わせも相次いだ。追い打ちをかけるように外部から視線が厳しくなる中、病院IBMはただひたすら開発を前に進めるしかなかった。

結末:プロジェクトの結末と残された教訓

1998年初頭、紆余曲折を経た九大病院の新システムは、当初の構想とは似ても似つかない形でようやく一部稼働に漕ぎつけた。日本IBMは多数のVBプログラマを投入して力技でシステムを完成させ、旧来システムの置き換えを順次進めていった。最終的に納入されたのはSmalltalkでもオブジェクト指向DBでもなく、Visual BasicリレーショナルDBによるシステムだった。かくして九大病院の「純粋オブジェクト指向システム」への挑戦は事実上の敗北に終わった。現場医師職員は、当初期待された華々しい先端技術恩恵を受けることはなかったが、ひとまず業務に支障のない情報システムが手に入ったことで安堵するより他なかった。プロジェクトは当初の理念を捨てて現実路線へ舵を切ることで、なんとか沈没だけは免れたと言えるだろう。

振り返れば、この失敗の背景には最新技術への挑戦ゆえの困難もあったが、それ以上に古典的とも言えるプロジェクト運営上のPermalink | 記事への反応(0) | 21:29

2025-02-11

ポンキッキーズでやってた昔のアニメを思い出したので備忘録

アラサーおっさんだけど子どもの頃に見たSLアニメトーマスではない)を唐突に思いだして元ネタ特定するのに成功したので残しておく

あらすじは↓の通り

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5673435.html

最初、暗い画面からまり、次第にそれがトンネルだということがわかり、そのトンネルから機関車が出てきます

機関車には物資客車などが繋がっていました。

トンネルを抜けたところは高い鉄橋のようになっていて、機関車はそこを進んでいきます

すると、鉄橋の一部が欠けていて進めなくなっていました。

CGアニメなので機関車や他の車両にも意思があるような描写がされていて、機関車目的を果たすためにはここを通らなくてはいけない、

しかし渡ろうとすればスクラップになるかもしれないという想像をしていたと思います

機関車は意を決してそこを渡ろうと試み、見事成功します。

そして機関車はまた鉄橋の上を走り始めて終わりという話でした。

んで結構頑張って調べたらまんまyoutubeであった。今見ても結構楽しいアニメだなと思ってちょっとあの頃に戻ったような気がした。

Locomotion (1989)

https://www.youtube.com/watch?v=468W7XW4Kpg

2025-02-10

かっこいいセリフを言いたい

「あー人生つまんねーな。なんか面白いことねぇーかなー」

「どうした?」

「どっかで人生変えてぇな。お前はさ、人生大事にしてるモットーっていうか、歴史上の偉人名言とか忍道とかある?」

「少なくとも忍道はないな。ナルトじゃないし。でも、俺、結構時代劇に詳しくてさ」

へぇ。意外だわ」

「んで、特にナポレオン尊敬してて、その人が言ったとされてる言葉なら好きかな」

ナポレオン時代劇じゃなくない?」

「え?そうなの?」

「俺も歴史あんま詳しくないけど、絶対、違うと思うわ。ちなみにどんなこと言ってたの?」

「なんだっけな」

「覚えてねーのかよ!なんなんだコイツ?」

「あ、アレだ。【もっとっと、恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である】」

「おっとっと みたいになってる!お菓子だなそれ。外パリパリ、中スカスカじゃん。それ【最も】じゃない?」

「あぁ、そうか。ごめんごめん。ソイツの言葉を」

「ソイツって言ってるよ。尊敬してるって言った人のことソイツって。ホント尊敬してんの?」

「し~て~る~よ~♡」

「なんでバカップルみたいなんだよ。俺もそれは聞いたことあるよ。有能なナポレオンは有能な敵を相手にしても、有能な相手は何を考えているか先が読めるんでしょ?でも、無能が味方にいたら、何をしでかすか分からないし、味方に問題ばかり起こすから無能な味方の方が怖いってことでしょ?」

「え、そうなの?」

「なんでわかんねーんだよ!お前が言い始めたことだろバカタレが!」

「俺も人生で一回はそういうカッコイ言葉言ってみたいなぁー」

へぇ、なんか言いたいセリフとかあんの?」

あるあるあーるね」

「ねるねるねーるね みたいになってる。またお菓子出てきたよ。お腹すいたの?なんか諸々間違ってるな。【ある】は 2回でいいんだよ」

はいはい。」

「それは1回でいい。【はい】は 1回だわ。1回までにしとけ?大人だろ?ふざけんな?で、どんなセリフ?教えてよ」

「例えば、映画とか漫画でよくある、急に解決策やアイディアとかが浮かんでくるときの【お前今、なんて言った?】が言いたいな」

「おぉ、カッコイイじゃん!頭がキレてる主人公感あっていいね!

ちょっとっと、やってみたい」

「また、おっとっと出てるって!」

-------------------------------------

しかし、こんなに問題が山積みじゃあなぁ…」

「そうですね…先生…」

「来週の土曜参観に間に合うかどうか…」

ちょっと待て。土曜参観!?なにしてんだテメー?」

「え?なにが?」

「そこは推理ものとかで、行き詰ったときでしょ?なんで土曜参観が問題になってんの?」

「いや、みんな主役やりたいって言うから

演劇幼稚園か!マジでガキ!!」

「うちの子を主役にしろって DNA がうるさいんだよ」

PTA な!なんでお前の遺伝子がうるさくなってるんだよ。意味わかんねーよ!そこはベタ探偵とかでやろうよ」

「……??? ッチ。しょーがねーな」

「なんで舌打ちしたの?お前がやりたいって言い出したんだよね?」

-------------------------------------

しかし、こんなに問題が山積みじゃあなぁ…」

「そうですね…先生…」

「なにか解決策のヒントはないのか…」

「これじゃあ、まるで自転車で真夜中を無灯火で走っているようなものですね…」

「あぁ、そうだな。問題を解こうとするとまた問題にぶち当たる。これじゃあ、まるで、その、なんだ……アレだ。目を閉じて 100m 走れって言われてるようなものだ…」

「同じだな!言ってること。全く同じ。無灯火と目を閉じてるの、言ってること同じだよそれ!例えが思い付かなかったら無理しなくていいわ」

「……………………えっ!?お前今、なんて言った?」

「違う違う!!使い方違う!今じゃない!!」

「違う?ハハッw よせやいwww」

「褒めてないから! 100 パー違うから!なんならお前の目を潰して 100m 走らせたっていい」

「わかったよ。じゃあ瞼は閉めたり閉じたりするよ」

「一緒だよ!どっちにしろ目開いてないの!ちゃんとやれよ」

「……??? ッチ。しょーがねーな」

「舌打ちすんなよ。なんなんだよコイツイラつくな…」

-------------------------------------

しかし、こんなに問題が山積みじゃあなぁ…」

「そうですね…先生…」

「なにか解決策のヒントはないのか…」

「これじゃあ、まるで自転車で真夜中を無灯火で走っているようなものですね…」

「あぁ、そうだな。問題を解こうとするとまた問題にぶち当たる」

問題が山積みかぁ。キリがないですね…どうせ山なら、砂場のすぐ崩れる小さい山だったらいいんですけどね…」

「あぁ、それが思ったよりデカい山だった。超えようとすると、山頂が離れていくように見える…」

「もういっそのこと、トンネル掘った方が早いんじゃないですか?まぁ、冗談ですけど。そんな簡単に…」

「お前、今なんて言った?」

「いや、どうせ超える山ならトンネル掘った方が早いかなって思って…」

「いや、その前だ!」

「どうせ山なら、砂場のすぐ崩れる小さい山だったらいいんですけどね…」

「いや、その前だ!」

「これじゃあ、まるで自転車で真夜中を無灯火で走っているようなものですね…って、先生もしかして、何か思い付いたん…」

「いや、その前だ!」

「えっと、、、そうですね…先生…」

「いや、その前だ!」

「その前………なんならお前の目を潰して…」

「そこだ!!お前、それはちょっと失礼じゃないか?」

「そこじゃねーよ!全然違う!なんなら過ぎてたわ!ヘタクソか?お前?なぁ?そのセリフ向いてないわ。セリフ変えようもう。お前じゃ無理だわ」

「えー、じゃあ、海外戦争映画とかでよくある、死に際に【これを俺の故郷にいる妻へ渡してくれ】って自分形見とかを渡すやつやりたいな」

「おぉ、いいじゃん!カッコイイね。ちょっとっと、やってみようぜ」

「おっとっと 出てるよ」

「うるせーよ!お前のせいだわ!

-------------------------------------

バァアアアン!!!!!

「うわぁぁあああ!!!

「おい!どうした!!お前、撃たれてんじゃねーか!大丈夫!!!!!」

先生…」

「違うわ。もう幼稚園クダリだいぶ前に終わったの。そこは【相棒】とか【兄弟】とかでいこう」

「キンメダイ?」

「言ってない。兄弟

「あ、兄弟か」

-------------------------------------

バァアアアン!!!!!

「うわぁぁあああ!!!

「おい!どうした!!お前、撃たれてんじゃねーか!大丈夫!!!おい!しっかりしろ!!」

「きょ…ブラザーw」

「お前、ちょっとウケ狙ったな?分かるぞそれ。恥ずかしがったな?黙って【兄弟】でいこう」

-------------------------------------

バァアアアン!!!!!

「うわぁぁあああ!!!

「おい!どうした!!お前、撃たれてんじゃねーか!大丈夫!!!おい!しっかりしろ!!」

穴兄弟…」

「なんか嫌だなそれ。すげー嫌だ。一緒に訓練して、同じ釜の飯を食ったただの兄弟でいこうぜ。穴兄弟やめよう」

アナコンダ?」

「言ってない。きょうだい!」

「あ、兄弟か」

-------------------------------------

バァアアアン!!!!!

「うわぁぁあああ!!!

「おい!どうした!!お前、撃たれてんじゃねーか!大丈夫!!!おい!しっかりしろ!!」

「タダの兄弟…」

「なんか違うな!なんか違うわそれ。なんか距離を感じるわ」

だってお前がそう言えって」

「言ったけどさ!あと、タダじゃないから!そんな軽い関係だと感情移入できないシーンになるから

「俺こう見えて、人見知りなんだよ」

「知るか!どう見えてだよ!ちゃんとやれ!」

「……??? ッチ。しょーがねーな」

「だからなんでさっきっからキレてんだよ!イラつくな!バーカ!」

「はぁ?うっせ!ヴァーカ!!!!」

ネイティブな V の発音すんな!海外の設定だけど!!俺もう助けないよ?ちゃんとやれ」

-------------------------------------

バァアアアン!!!!!

「うわぁぁあああ!!!

「おい!どうした!!お前、撃たれてんじゃねーか!大丈夫!!!おい!しっかりしろ!!」

兄弟…」

「おい!息しろ!ほら、ここ!傷口押さえろ!!!!」

「キャー!!」

「いや、お前の尻には興味ないってば」

「ケツの穴増えちゃったから…////」

「増えちゃったから…////じゃねーよ、普通兄弟で頼むわ」

-------------------------------------

バァアアアン!!!!!

バァアアアン!!!!!

「うわぁぁあああ!!!

「おい!どうした!!」

「割った!割った!開いてめっちゃロー!詰めて!!詰めて!!」

「お前なんか FPS ゲームやってない?」

「ローとか言わないと思うけどな。もう一回やり直して」

-------------------------------------

兄弟…」

「おい!息しろ!ほら、ここ!傷口押さえろ!!!!どこ撃たれた?頭か?」

「えぇ?頭?頭つーか胴だよ胴!」

「どっかで聞いたことあるわそれ………大丈夫だ!お前は俺が助けるから!」

「俺…分かるんだ…自分の……最後くらい…死ぬ前に…コレ…」

「お前……なんだよコレ……」

「チャ……」

「えっ!?おい!!しっかりしろ!!!!」

「パチャ……」

「おい!!!なんて言ったんだよ!!」

スパチャァ…」

VTuber!?やっぱ VTuber だよね?なんでお前、死に際に投げ銭してんの?他にやることあるだろ!」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないか!」

「そう…俺の胃カメラ写真……」

「それサロメ様の初配信だな!いいんだよ壱百満天サロメ様のマネしなくて。いったん VTuber から離れることできるか?」

健康だよって伝えたくて…」

「なんかお前の愛の伝え方すっごい歪んでない?大丈夫?どうやって育ててもらったの?心配になるわ。親の顔が見てみたいわ」

「お前、今なんて言った?」

「ごめん、これに関しては俺が悪いわ。ごめんな?ごめん」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないか!」

「裏にメッセージが書いて…ある……俺からの…最後言葉だ……」

「お前……【最も恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である】って…お前……」

「そう……お前のことだ…」

「うるせーよ!黙れ!今の状況、どっちかっていうとお前だわ!もっと伝えたいメッセージで頼むよ」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないか!」

「そうだ……納車式のときの…」

「お前、ニッコニコで草!確かに写真撮るけど!この写真だと車がメインになってっから!!もっと他の写真ないの?結婚式のやつとかない?しかも右下になんか書いてあるし。【提供】?なにこれ?スポンサーってこと」

「いや、誰もいないよ?」

「いま、あんま言うなって!そういうことを!去年から騒がしいんだから!知らねーぞどうなっても?無敵かお前?すげえな」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないか!」

「そう……コレは小学生ときの…俺」

「…お前」

「コレは中学生ときの……俺」

「……お前」

「そしてコレは高校生ときの………俺」

「………お前」

「そしてこれは浪人したときの………おr」

「お前だな?お前しか出てこない!アルバムめくってたもん!1ページ、1ページ、懇切丁寧に。俺も途中から薄々、もしかして、次もお前なんじゃねーかなって思ってたし。お前、最初からアルバム取り出してきたよね?おかしくね?ここ戦場よ?

なんでお前と走馬灯みたいにお前の人生振り返ってんの?しかもなんで大学落ちて笑ってんの?バカかお前?もっと最近のやつで頼むわ」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないか!」

「そう…こっちは俺が小学生ときから……」

「お前……そんな前から彼女こと…」

「………いじめてた女子

死ねば?最低じゃんお前!最低だよ!!助けたくねーよそんなやつ!小学生ときからいじめてたの?死んで欲しいわそんなやつ。俺がトドメ刺すわ。いまから撃ち殺してやるわ。地獄行きだわ!くたばれバカ野郎!」

俺もう疲れてきたわ。ちゃんとやろうよ?」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないか!」

「そう……………………」

「おい、しっかりしろ!」

隊長写真だ……」

隊長ぉぉぉおおおお!!!隊長写真!!なんでお前が持ってんだ!!お前全然関係ねーし!」

隊長10ハゲ面白いから盗撮したんだwwwあと持ってないのお前だけだから……w最後にと思って…www」

「いらねー。いらねーわそんなもん。お前死にかけてんだよ?なに笑ってんの?そんな余裕ないと思うけどね?しかもなんで俺以外みんな持ってんの?バラ撒きやめろ!隊長には良くしてもらってんだよ俺!」

-------------------------------------

「コレ…」

「お前これ…写真じゃないかしかもこれって…おい、エコー写真か…ッッッ!?じゃあお前、彼女との間に…」

「俺のだ…」

「またお前のかよ!!!!!彼女一回も出てこないじゃん!」

もっちょっと やるか」

「また、おっとっと 出てるって。いい加減にしろ

2025-02-08

anond:20250207220400

多摩のほうは多摩川の地下に下水トンネルがあって

八王子昭島ウンコを送りあうことができるらしいで

2025-02-06

今のあの事故の話

秘密の地下トンネル」を見られたから消されたとか言っている人、それを信じている人がいてワロタ

これが真実なら、そのトンネル計画設計した会社・人、工事をした会社・人、材料を運搬した会社・人の全員(1000人以上)が消されたということになる。

インプ稼ぎの煽り可能性が高いけど、いろいろ考えて金儲けをしている人は凄いなと思う。

2025-02-01

anond:20250201132206

土木工学的な安全率の考えで、理論値に対して誤差許容して安全に作りましょうねって発想を流用してるだけ

安全率は大体1から4位が多い

 仮定が違う可能

 将来的に情勢が変わる可能性(老朽進むとリスク大など)

 類似事故観測されていない可能

などを考慮して、割り増して余裕作っておきゃ安全やろって話だな

年に対しては安全率1.5位

→ 観測されてないことはなさそう、トンネル崩落いれる?入れない?微妙的なので低め

人数に関しては、仮定の精度が低すぎる、うえ、現在運転人口過去未来も同じという前提にしてるから、4から5位と大きめに設定って感じ

2025-01-30

メンテナンス業者義務としてインフラが壊れたら必ず責任取らせるべき

トンネル崩壊したり水源の水位低下させたり道路崩落させたり日本土木レベルが低すぎる

工事した業者がすべての賠償責任を負うように義務化して責任ある建設を行わせないといけない

2025-01-29

東京大地震が起きればあらゆるビルが倒壊し地面が陥没し液状化し橋脚が崩れ首都高が壊滅し何百台という車が高架から地面に叩きつけられドライバーが肉くずとなり地下鉄トンネルが崩落しグチャグチャのミンチになりホームなどで辛うじて生き延びた東京付近利用者容赦なく津波侵入我欲を洗い流すんだろうなあ

楽しみだね

他人批判しそうになったとき

F・スコット・フィッツジェラルド小説、「The Great Gatsby」は次のイントロで始まる。

 

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.

“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”

He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that.

 

訳:

昔々、父ちゃんが珍しくアドバイスくれたことがあってな、

彼はこう言うた「誰かを批判しそうになったら、、、思い出しなさい、みんながキミと同じ境遇能力、優位性を兼ね備えているわけではないことを」

普段あんまりかいことごちゃごちゃ言う人や無かったけど、これがなんか頭に残ってるねん、ワイまだ若くて繊細やったしな。

 

このセンテンスは日本人で言えば

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

吾輩は猫である

レベルの著名なフレーズで、同書はアメリカ高校生は必読で頻繁に引用もされるので知らないアメリカはいない

トランプ大統領コモンセンスをぶっ壊すというてるが、こいつは無理だろうってレベルアメリカ人に共有されたコモンセンスの一つである

多民族国家から日本ほどの普及率ではないがマトモな教育を受けたミドルクラスならほぼ100%だろう)

 

重要なのはhaven’t had the advantages that you’ve had.」だわね

 

日本人ってこの感覚が致命的に欠落してるのよね

学校で誤った平等教育を長年続けている弊害もある

教育者は「人の能力は生まれ持って同じ」と定義戦後教育の再設計をした。

アメリカ真逆なわけです。

 

日本ではしばし炎上暴走が起きる、ブレーキがかから対象者死ぬか没落するか、土下座するまで止まらない

その様を観察してて、おれはいつもグレート・ギャッツビーのこの一節を思い出すわけです

2025-01-22

anond:20250122150042

橋やトンネルを作る度にヒロイン人柱として死んでいくというのはどうだろうか?

2025-01-20

小田急線複々線化の遅れは反対運動のせいじゃない

元増田https://anond.hatelabo.jp/20250119141453

 

元増田が言うように小田急線複々線化が遅れ、ラッシュ時の酷い混雑率とノロノロ運転に悩まされていた。

線路脇には中途半端地上げした空き地が点在し、沿線の民家には複々線化反対の幟や横断幕。通常新宿町田間は急行で35分だったがラッシュ時は50分。こういう状態20年くらい続いていた。

ところが1990年代中頃になると一気に地上げは進み方々で工事開始、2000年代になると完成区間から供用されていったのである

何が起こったのか?反対運動側が折れたのか?

特定都市鉄道整備積立金制度

それは首記の「特定都市鉄道整備積立金制度」のせいである。ぶっちゃけて言うと鉄道会社複々線事業の原資を貯めるために運賃の値上げをしてよいという制度だ。

この制度根拠法の「特定都市鉄道整備促進特措法」は1986年施行なのだ活用が進んだのはバブル崩壊後の1990年代前半からであった。

 

鉄道運賃許可制

そもそも知っておくべきなのは鉄道運賃が国(運輸/国交大臣)の許可制で、勝手に値上げ出来ないという事である

バブル崩壊後にデフレが進行するという異常事態に陥ったが、通常の国民経済ではインフレ傾向が定常状態だ。すると鉄道会社バス会社運賃を値上げしたい。だが公共交通インフラであるので値上げは沿線住民が困る。また逆に平行路線との過競争運賃を値下げして競争会社を潰してしまうとその会社運行する別路線交通インフラが無くなってしまう。

なので運賃は国の許可が無いと変更する事が出来ない。運輸/国交大臣会社財務状況などを勘案して値上げの許可を出すのである

という事は、鉄道会社鉄道事業で金を貯め込んだり株主に高配当するという事が難しいのだ。

制度運賃値上げの理由として複々線事業の積立を認めるものである

 

租税回避

余剰収益を積み立てたらそこに法人税が掛かるものであるが、同制度により積み立て分への課税回避される。

 

金利回避

ずっとゼロ金利状態なのでピンと来にくいが、バブル以前は金利は高かった。しかバブル時はインフレ加熱を懼れて公定歩合を一気に引き上げた。事業をやっている人は常に公定歩合の上げ下げに気を留めていたのである。(現在基準貸付利率というが慣習的に公定歩合と言う人も多い)

ゼロ金利であっても、鉄道などの土木インフラ事業では償還期間が長いので利子の負担も重くなる。

だが非課税積立金であれば無利子なので経営を圧迫しない。

 

 

制度が動き出すまで私鉄はどこも複々線事業全然進展していなかった。例えば地下鉄有楽町線新桜台まりの支線がずっとそのままだった。これは乗り入れ先の西武池袋線練馬駅工事が手付かずのままだったからだが、同制度が動き出してから後には瞬く間に工事が開始されて一駅だけの無意味な支線は解消された。

 

一方、JRでは既に複々線工事昭和の中期に完了していた。これは国の金で工事が出来たからだ。具体的には工事自体鉄建公団負担して行い、完成後に国鉄負債転嫁するというスキームになっていた。

また、国鉄には地上げ専従の職員部署があった。新線、線路改良が定常的に行われていたという事である

例えばJR化後直ぐに東北新幹線上野東京間が開通したが、この区間国鉄が既に地上げをしてあったのでやったのは工事だけだった。

上野東京ライン開通時に「神田付近地上げが難しくて新幹線の上を通す構造にした」という話を聞いたことがあるかも知れないが、これは国鉄時代の事なのである新幹線線路上の三階建てにする高架構造も既にその時に決まっていたという事だ。

 

こうして同制度によって90年代には各社線で値上げと工事が一気に開始され、2000年代には完成して供用されるようになった。

 

利用者には辛い制度

だが利用者には結構キツイ制度ではあった。

増田90年代小田急利用者だったが、この為に運賃が値上げ、しかも通学運賃は2倍になった。

更に工事の為に急行退避駅の待避線が幾つか使えなくなった。成城学園前が退避不能になった場合は、経堂から向ケ丘遊園まで各停の追い越しが出来ない。故に急行各停にすぐに追いついて各駅手前停車列車と化した。大変なストレスであるしか運賃2倍なのだ。そして複々線完了する時には卒業していて利益還元ゼロ理不尽仕打ちであろう…。

 

制度による混雑緩和の限度

多数の私鉄線が同制度を利用して複々線化を行ったが、一つ事業キャンセルになった所がある。それは西武新宿線で、積み立てをしていたがバブル崩壊後の経済低迷で利用者増の見通しが下方修正となった。それで複々線化の必要なしとの判断になり、積立金は取り崩して運賃還元、つまり運賃値下げして利用者還元された。

故に西武新宿線の混雑程度が同制度による混雑緩和限度、つまり利用者受忍限度と見做す事が出来る。

 

連続立体交差事業との混同に注意

特定都市鉄道整備(特々)には複々線化だけじゃなくて連続立交化もある事に注意が必要だ。

複々線化は原資が運賃積立金、連続立交化は補助金が原資となる(それぞれ事業金の100%ではない。持ち出しや借入、社債発行もある)。

この二つは別事業なのだが、同時に行われる場合もある。小田急場合が将にそれで、高架化やトンネル化が複々線で行われた。この為に原資としては運賃積立金と補助金両方が入っている。

元増田は「騒音問題が」と何度も書いているが、これは高架化の事だ。同時に行われたから不可分に見えるが、制度と原資の面で違うのだ。

 

反対運動の核は地下化か高架化か

元増田勘違いしてるであろうのは反対運動の主張のコアだ。当時、沿線ベランダにたなびいていた幟や横断幕文言は専らが「複々線化は地下式で」だ。つまり複々線化は前提にして地下式を求め高架式を拒否している。

地下化なら騒音はないし日照問題も無い。工法によってはもしかしたら沿線住宅が立退きしなくても良くなるかもしれない。そういう見立てだ。

だが地下化は金が掛かるからちょっと困難である。但し東急池上線という都内ローカル線が地下化された事はあるのでそういうのを参考にしたのかもしれない。

元増田自分騒音問題忌避住民エゴ批判する事を書きながらそれを「複々線化反対」と断じていて筋違いである

 

地上げの各段階

線路道路計画段階では住民説明が行われ時に紛糾したりするが、その後の進捗というのは一直線ではない。計画説明会→地上げ工事と滞りなく進むものばかりではないのだ。計画のまま何十年も塩漬けになったり資金不足で地上げがチンタラ進まない場合もある。小田急複々線化は将にこれに該たる。

から反対運動の方も計画段階で反対している時と、事業側がやる気になって金突っ込んで工事内容を策定するような「詰めてきた」状態での反対では温度差がまるで違う。

また反対の内容も計画自体に反対から補償金や公共施設の築造を求める、曳家で引っ込めたいか工事業者銀行紹介してくれなどに変わったりする。その上で強行的に反対する場合もある。

でもネットフィルター通すとこういう各段階での温度差は見えなくなって、一律反対派住民となってしまう。土地とか持ってない人間が集まって集合意識を形成してしまうのだ。元増田もその気配がある。

 

自衛隊東富士演習場に食い込むように未収用の土地があるのをご存じだろうか?ここではやはり収用反対運動が展開された。

その未収用の土地一角を所有する人の下で働いたことがある。所有と言っても親戚兄弟姉妹で共有になってる山林だが、この人の家には収用の役人が一度も来た事が無いそうである。だから一見揉めてそうで全然揉めてもいないし交渉自体行われた事が無い。

だがネットではその辺の事が判らずに「反自衛隊的な人間がごねている」と書かれているのを見た事がある。そういう事を書く人は自分が住む家が何十年も前から再開発地域になっていて説明会がたまに開かれていても判らないであろう。

 

まとめ

鉄道会社運賃許可制により過剰な儲けが出せない仕組みになっており、また普通経営的にも蓄財には課税され借入は経営上のリスクになるので莫大なコストが掛かる複々線化はまるで進捗しなかった。

そこで特定都市鉄道整備積立金制度スタートして運賃値上げによる非課税積立が許されるようになり各社一気に工事が進捗しほぼ完成した。

同じ特々事業の高架化(連続立交化)と同時に行われて混同やすいが制度と原資の調達面で違うもの

反対運動と言っても地上げの各段階で温度差があり要求も変化する。

 

制度説明は以上で終わりだ。

その2→https://anond.hatelabo.jp/20250120181623

海老名の思い出

その昔、海老名に住んでいた頃を思い出した。

ダイクマファミコンソフトを買ってもらい嬉しかった。ポトラッチ洋画ビデオ邦楽CDを借りた。

厚木ナイロンの近くのドブで釣りをして、水道みちの水たまりザリガニを取りった。

ちかくのキャベツ畑には、理科で使う青虫を同じ班の子たちと取りに行った。

ニチイには、いつもアドバルーンがあがり、ひようたんやまの近くの崖からはそれがよく見えた。ピープルというスイミングに通い、ワーナー・マイカルはまだなく、スケートリンクだった。寒い中、自販機カップラーメンを食べる大人がうらやましかった。映画館厚木に行かないとなかった。

初めて食べたハンバーガーは、ニチイのロッテリアだった。反対側のステージには、戦隊モノの催しがきていた。

久保へむかうトンネルは未開通で、駅前に行くには細いクネクネ道を通り、歩くにはしんどかった。やがてバスが開通して、駅前には行きやすくなった。トンネルには右翼張り紙がたくさん張られていた。

相模線ディーゼル車両にはトイレがついていた。便器は覗くと地面見える、垂れ流しのトイレだった。踏切うんこをしたら車が踏むのではないか心配した。

市立図書館夏休みによく通い、最上階のプラネタリウムを何度もみた。なぜか担任先生がそこにいたこともあった。文化会館ではドラえもんや、ジブリの上映があった。

学校の校庭には焼却炉があり、掃除時間にはごみを持っていって燃やしてもらった。教室には灯油ストーブがあり、先生マッチで火をつけていた。煙突給食ストローを溶かして遊んで怒られた。夏休みに、学校へいったらプレハブの校舎が空いていたので、中に入っていたら警備員がやってきて、翌日先生からこっひどく怒られた。鍵をかけない先生がいけないのにと思った。

自販機コンビニなんてものは近所にはなく、酒屋がビール灯油を家まで運んでくれていた。ペットボトルをなく、ジュースといえば、瓶のバャリースオレンジだった。なぜ「ャ」が小文字なのか分からなかった。

駄菓子屋はなかったが、個人商店に行けば体に悪そうなオヤツがいろいろ売っていた。キョンシーのお札のガムがお気に入りだった。

海老名駅は自動改札なんてものはなく、駅員がパチパチ切符を切っていた。駅前にはテキ屋があり店主は知り合いの親だときいていたが、当時はなんとも思わなかった。

懐かしい40年前。仕事関係で住むには遠いがいつか帰りたい場所だと思っている。住んでいる人がうらやましい。

駄文で失礼しました。

2025-01-05

繋がれた月 - 螺旋の軌跡

兄の陽斗(はると)と妹の月菜(るな)は、幼い頃から常に寄り添うように生きてきた。両親は共働き多忙を極め、幼い二人はいつも家で二人きりだった。陽斗は明るく活発で、誰とでもすぐに打ち解ける人気者だったが、月菜は内向的で人見知りが激しく、陽斗以外の人と話すのを極端に避けた。陽斗はそんな妹をいつも気遣い、優しく守っていた。

月菜が小学校入学した頃、いじめに遭うようになった。休み時間になると、決まって数人の上級生に取り囲まれ、持ち物を隠されたり、からかわれたりした。誰にも相談できずに一人で抱え込む月菜にとって、唯一の救いは家に帰って陽斗に会うことだった。陽斗はいつも月菜の話を辛抱強く聞き、時には冗談を言って笑わせ、不安でいっぱいの月菜の心を温かく包み込んでくれた。陽斗の存在は、月菜にとって暗闇の中の一筋の光だった。

中学校に進学すると、月菜の陽斗への依存はより深刻になった。学校では常に一人で過ごし、友達を作ろうとしなかった。放課後になると、まっすぐ家に帰り、陽斗が帰ってくるのをひたすら待つの日課となった。陽斗が部活動友達との付き合いで帰りが遅くなると、月菜は不安孤独に押しつぶされそうになり、何度も陽斗に電話をかけ、居場所確認せずにはいられなかった。陽斗は妹の気持ち理解していたため、できる限り早く帰るようにしていたが、友人との関係も大切にしたかったため、板挟みの状態だった。

高校生になった月菜は、将来の進路を考える時期を迎えていた。周りの友達大学進学や就職など、具体的な目標を持ち始めていたが、月菜は何も考えられなかった。彼女の頭の中を占めているのは、ただ陽斗と一緒にいたい、という切実な願いだけだった。将来の夢も、目標も、月菜にとっては陽斗と一緒にいること以外、意味を持たなかった。

ある日、月菜は意を決して陽斗に相談した。「私、将来どうしたらいいんだろう?何もやりたいことがないんだ…」

陽斗は優しく微笑みながらも、どこか困った表情で言った。「月菜、自分のやりたいことを見つけるのは、すごく大切なことだよ。俺と一緒にいたいって気持ちは嬉しいけど、それだけじゃ…自分人生を生きられないよ」

陽斗の言葉は、月菜の胸に深く突き刺さった。陽斗もいつかは自分から離れていくかもしれない。その考えが頭をよぎると、月菜は激しい不安に襲われた。まるで足元の大地が崩れ落ちていくような、底知れない恐怖を感じた。

その夜、月菜は陽斗に懇願するように言った。「私、お兄ちゃんと一緒大学に行きたい。だから、お兄ちゃんと同じ学部を受けることにする」

陽斗は驚きを隠せない。「月菜、本当にそう思ってるのか?俺に合わせるんじゃなくて、自分の本当にやりたいことを考えた方が…」

しかし、月菜は聞く耳を持たなかった。「私はお兄ちゃんと一緒にいたい。それだけなの。お兄ちゃんがいないと、私は…」と言葉を詰まらせ、涙をこぼした。陽斗は妹のあまりの執着に、言葉を失った。

結局、月菜は陽斗と同じ大学の同じ学部受験し、合格した。大学に入ってからも、月菜は常に陽斗の影のように行動した。授業もいつも一緒に受け、昼食も必ず同じテーブルで食べた。陽斗が新しいサークル活動に参加しようとすると、月菜も同じサークルに入り、陽斗がアルバイトを始めると、月菜も同じアルバイト先を選んだ。月菜にとって、陽斗のいない世界存在しなかった。

陽斗は、妹の自分への過剰な依存に、内心では深く悩んでいた。友達と遊びに行こうと誘われても、月菜を一人にしておくのが心配で、なかなか出かけることができなかった。何度か恋人ができたこともあったが、月菜に紹介することができずに、関係が長続きしなかった。恋人たちは皆、月菜の存在に戸惑い、陽斗との間に見えない壁を感じて去っていった。

ある日、陽斗は意を決して月菜に真剣に話をした。「月菜、お前はもっと自分世界を持った方がいい。いつも俺のそばにいるんじゃなくて、自分のやりたいことを見つけて、自分友達を作って…」

月菜は悲しそうな顔で、震える声で言った。「お兄ちゃん…私を置いていくの?私、お兄ちゃんがいないと…何もできない…」

「置いていくわけじゃない。ただ、お前にはもっと自分人生を生きてほしいと思ってるんだ。俺がいなくても、ちゃんと生きていけるんだってことを、知ってほしいんだ」

陽斗の言葉に、月菜は何も言い返せなかった。しかし、月菜の心の中では、陽斗への依存ますます強まっていった。陽斗が自分から離れていくかもしれないという恐怖が、月菜をさらに陽斗に強く縛り付けようとしていた。それはまるで、螺旋階段を登るように、依存の度合いが日に日に増していくようだった。

大学3年生になった頃、陽斗は大学から留学の話を持ちかけられた。海外大学で1年間、自分の専門分野を深く学ぶことができるという、またとないチャンスだった。陽斗は迷ったが、自分の将来のためには、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかないと考えた。

留学することを月菜に伝えると、月菜は今まで見たことのないほど激しく動揺した。「お兄ちゃん、行かないで!私を置いて行かないで!お願いだから…」

「月菜、これは俺の将来のためなんだ。お前だっていつまでも俺に頼ってばかりじゃ…」

「私…お兄ちゃんがいないと…生きていけない…」月菜は泣き崩れ、陽斗にしがみついた。陽斗は、妹のあまり依存ぶりに、どうしたらいいのか分からなくなった。自分の夢と妹の未来の間で、深く苦悩した。

結局、陽斗は留学することを決めた。出発の日、月菜は空港まで見送りに来たが、ずっと泣いていた。陽斗は月菜を抱きしめ、「必ず帰ってくるから」と何度も言ったが、月菜の涙は止まらなかった。月菜にとって、陽斗との別れは、世界の終わりを意味していた。

陽斗が留学している間、月菜は完全に心を閉ざしてしまった。大学にもほとんど行かなくなり、薄暗い部屋に閉じこもってばかりいた。食事もろくに取らず、日に日に痩せていった。まるで魂が抜け落ちてしまたかのように、生気のない日々を送っていた。

心配した両親が月菜を病院に連れて行くと、月菜は重度の依存症と診断された。医師からは、専門のカウンセラーによるカウンセリングを受けることを強く勧められた。

カウンセリングを通して、月菜は過去トラウマや、陽斗への過剰な依存根本原因と向き合うことになった。幼い頃から陽斗に依存してきた理由、陽斗がいなくなることへの過剰な恐怖、そして、自分自身の弱さ…。カウンセラーとの対話を通して、月菜は少しずつ自分自身を見つめ直し、自分自身の足で立って生きていくことの大切さを学び始めた。それは、長く暗いトンネルの中で、かすかな光を見つけるような、希望兆しだった。

陽斗が留学から帰国した時、月菜は以前とは別人のように変わっていた。以前のような陰鬱さは消え、穏やかな表情を浮かべていた。以前は陽斗のそばから片時も離れなかった月菜だったが、空港では少し離れた場所から笑顔で陽斗を見つめていた。

空港で陽斗を出迎えた月菜は、少し照れくさそうに、でもはっきりと、笑顔で言った。「お兄ちゃん、おかえり!」

陽斗は、妹の劇的な変化に驚き、そして心から安堵した。月菜の瞳には、以前のような不安依存の色はなく、力強い光が宿っていた。

その後、月菜は自分の本当にやりたいことを見つけ、新たな目標に向かって力強く歩み始めた。陽斗との関係も、以前のような病的な依存関係ではなく、互いを尊重し、支え合う、健全な兄妹関係へと変わっていった。それは、まるで螺旋階段を降りて、地上に降り立ったような、解放感に満ちた変化だった。

二人は

多頭崩壊に陥っていた家庭から猫を三匹預かってきた話

 私がその「多頭崩壊」に関わるきっかけとなったのは、ある動物保護団体SNSで見かけた一枚の写真でした。そこには、暗い部屋の中で多数の猫たちが身を寄せ合いながら、不安げにこちらを見つめている姿が写っていました。一言に「多頭崩壊」といっても、当事者事情はさまざまです。飼い主自身も苦しみながら、増えすぎてしまった猫の世話を継続できず、助けを求める余裕すらないケースもあれば、元は保護のつもりが徐々に増えてしまい、最終的に身動きが取れなくなったパターンなど、理由は人それぞれです。けれども共通するのは、生活環境が極端に悪化し、猫たちも健康を損ないやすい状況に追い込まれしまうということ。どうしても胸が痛んでしまい、当初は「何か手伝えればいいな」という軽い気持ちでその投稿を読み進めました。

 ところが、具体的な保護の様子や猫たちの状態に関する記述を読むうちに、私は居ても立ってもいられなくなりました。そこには、劣悪な環境感染症に苦しむ猫たちの存在が綴られていたのです。何匹もの猫がいる狭い部屋には空気の流れも悪く、清掃が追いついておらず、糞尿の臭いが充満しているとのことでした。猫たちの中には極端にやせ細っている子もいれば、ストレスから脱毛している子、目やにで両目がふさがってしまっている子もいる。そんな中で、ボランティアスタッフは根気強くケアを続けているが、引き取り先が決まらないと満足な治療ができないケースも多い。とにかく人手と物資それから新しい受け入れ先が必要だ――こうした言葉を目にした瞬間、私の胸中では「何かしなくちゃ」という思いが大きく膨らんでいきました。

 私はすぐに保護団体に連絡を取り、状況を尋ねました。すると、現場には数十匹単位の猫がひしめいているらしく、飼い主である高齢女性限界を迎えているとのことでした。近隣からの苦情も多く、行政の介入も検討されているが、猫たちを全て一気に保護するのは物理的にも資金的にも厳しい状況。しかし一方で、いち早くケアしないと命にかかわる病気を患っている猫も少なくないという話でした。私はまだ猫を飼った経験は浅かったのですが、どうにか力になれないかと思い、「私にも里親としてできることはありますか」と尋ねました。保護団体担当者は少し驚いたようでしたが、心強く思ってくださったようで、「健康状態不安のある猫も多いですが、可能範囲で預かっていただけるなら本当に助かります」とおっしゃいました。

 こうして私は、最終的に三匹の猫を預かることになりました。いずれも生後1~2年ほどと見られる若い猫たちで、内訳は白黒のブチ猫、三毛猫、そして茶トラ猫。それぞれオスかメスかまだはっきりわからない状態でしたが、病院に連れて行って健康状態をチェックし、去勢避妊がまだであれば実施する必要があるとのことでした。保護団体スタッフからは、「栄養失調や目の感染症、皮膚病の疑いがあります特にブチ猫は呼吸器系が弱そうなので、なるべく早く病院に行ってあげてください」とアドバイスをもらいました。預かるにあたっての注意事項や飼育方法をたくさん聞き、不安がないといえば嘘になりますが、それ以上に命を繋いであげたいという気持ちが勝っていました。

 実際に三匹を迎えに行った日、私はその現場の一部始終を目にすることとなりました。かつては猫たちが自由に走り回っていたであろう部屋は、すでに掃除も追いつかず、床にはいくつものトイレ砂やゴミが散らばり、アンモニア臭が立ちこめています。窓は締め切られ、空気は淀んでいました。保護団体スタッフが部屋に入ると、驚いた猫たちがさっと散り散りに逃げていき、段ボールの陰や押入れの奥に身を隠します。あるスタッフが、「今度里親さんが決まった子たちはいる?」と声をかけると、「こっちにいます」とほかのスタッフが三匹をキャリーに移して連れてきました。その子たちは恐る恐るケージから顔を出し、心なしかホッとしたようにも見えましたが、環境の激変に戸惑っているのか震えていました。

 私が引き取る三匹は、一見すると命に直結する深刻な症状はなさそうですが、やせ細っていることが見て取れました。最初のブチ猫は痩せこけて体力が落ちており、くしゃみを繰り返していて呼吸も苦しそうです。続いて受け取った三毛猫は、被毛がパサパサしていて腰のあたりに脱毛箇所があります。皮膚病の疑いがあるので、早めに獣医師の診察を受ける必要がありました。そして最後にやってきた茶トラ猫は、目ヤニで片目がほとんど開かない状態でした。恐怖心からなのか、キャリーに入るとき必死抵抗していて、スタッフの腕に爪を立てていました。そんな様子を見ていると、「連れて帰ってちゃんとお世話してあげなきゃ」という気持ちさらに強くなりました。

 初めて我が家に三匹を連れて帰った夜は、私にとっても、そしてきっと猫たちにとっても長い夜でした。三匹は緊張で固まっており、最初キャリーから出てこようとしません。せめて安心して過ごせるよう、私は静かな一部屋を丸ごと「猫部屋」に整えておき、必要最低限の家具を配置していました。そこにキャリーを置き、ふかふかのタオルや、先住猫が使っていたクッションなどを用意しました。先住猫の匂いが混ざっていると不安が和らぐこともあると聞いていたからです。部屋の隅に食事と水、それから猫砂のトイレを置き、なるべく落ち着いた環境を整えたものの、彼らはそろって隅のほうでじっと様子をうかがっていました。私は部屋の中にしばらく座り込んで「大丈夫だよ」「怖くないよ」と声をかけましたが、三匹が自ら近寄ってくることはありませんでした。

 翌日、まずは一番症状が重そうだったブチ猫を動物病院へ連れて行きました。診断の結果は、呼吸器の感染症の疑いが強く、体力が落ちているため免疫力が低下しているらしいとのことでした。抗生剤免疫力を高めるサプリメントを処方してもらい、しばらくは安静に、十分な栄養補給をするようにと指示を受けました。病院から帰ってきてキャリーを開けると、ブチ猫は疲れたような表情を見せつつも、どこかほっとした様子。やはり医療の力は大きく、診察台で獣医師に静かに撫でられたのが安心できたのでしょうか。その日はゆっくり休ませ、私もできる範囲で声をかけ、必要なら毛布を替えてあげるなど細かい世話をしていました。

 三毛猫と茶トラ猫についても、翌日以降に順番に診察を受けさせました。三毛猫脱毛はやはり皮膚病の一種で、ストレス栄養不足も原因になっているそうです。抗真菌薬の塗り薬や、被毛を補修するフードなどを獣医師から勧められました。茶トラ猫は結膜炎が進んでおり、片目が塞がりかけていたのは膿が溜まっていたからだとわかりました。洗浄と点眼薬使用回復の見込みがあるとのことで、そこまで深刻ではないようでしたが、嫌がる茶トラ猫に目薬を差す作業はなかなか大変です。毎回「シャーッ」と威嚇されながらも、根気強くケアを続けるしかありません。「お世話するのは大変だけれど、ここで諦めたらこの子は一生目が開かないかもしれない」と思うと、不思議責任感が湧いてきました。

 それから数週間、私は三匹を中心とした生活を送りました。正直、先住猫も含めて家の中は猫でいっぱいなので、お互いの存在に慣れるまで気を使う場面も多かったです。先住猫は多少ストレスを感じたのか、最初は「フーッ」と威嚇していましたが、時間をかけて一緒に遊べるようになると、少しずつ打ち解けてきました。新入りの三匹は最初は警戒心が強かったものの、栄養状態改善し、薬の効果調子が上向くにつれ、目に見えて表情が変わっていったのです。最初ご飯を出しても目が合うと固まっていたのに、徐々に「ご飯はまだかな」と言わんばかりに足元にすり寄ってくるようになりました。被毛も少しずつツヤを取り戻し、ブチ猫のくしゃみも一日に何度か程度になり、茶トラ猫の目ヤニもだいぶ落ち着いてきました。

 医療的なケアが一段落すると、次は社会性の回復課題になりました。多頭崩壊現場暮らしていた猫たちは、人との関わり方を知らずに成長する場合が多いので、社会化が十分にできていないことがあります特に三匹とも体調不良で怯えていた期間が長かったため、人を怖がりやすい面が見られました。そこで私は、一緒に遊ぶ時間積極的に作るようにしました。いきなり手を伸ばすと驚かせてしまうので、最初はじゃらしやトンネル型のおもちゃなどを使い、猫たちが楽しめる距離感を保ちつつ触れ合いを試みるのです。最初は逃げ腰だった三毛猫が、じゃらしの先につられて少しずつ近づいてきたときの喜びはひとしおでした。近づいてきた瞬間を見逃さずに、「えらいね」「かわいいね」と優しく声をかけると、その声に安心してくれたのか、遊び終わった後も少しだけ私の側にいてくれるようになったのです。

 そして保護からおよそ二か月が経った頃、三匹はすっかり我が家に慣れ、ずいぶんリラックスして過ごせるようになりました。ブチ猫はもう呼吸が苦しそうな様子はなく、今ではおもちゃネズミを追いかけて部屋の中を走り回っています三毛猫脱毛部分は完全に毛が生え揃い、ときどき自分のしっぽを追いかけてはくるくる回って遊んでいます。茶トラ猫は最初のうちは人をひっかくこともありましたが、目の治療で痛みがなくなったのか、今では私が部屋に入ると先に鳴いて寄ってきてくれるようになりました。自分から頭をすり寄せてくれるときなど、あの警戒心の塊だった頃を思い出し、ついじんわりと胸が温かくなります

 今振り返ってみると、三匹を引き取ることに決めた当初は、それこそ手さぐり状態でした。医療費も含めて負担は決して小さくなく、何度も「これでよかったのだろうか」と悩む夜もありました。しかし、彼らが見せてくれる少しずつの変化や成長は私にとってかけがえのない喜びをもたらしてくれました。そして何より、一度は過酷環境の中で押しつぶされそうになった命が、こうして元気に暮らしている。その事実を見守れる幸せは、言葉で言い尽くせないほど大きいと感じています。多頭崩壊問題は決して他人事ではなく、動物を飼うということは終生責任を伴うのだと、改めて強く考えさせられました

 もちろん、三匹を迎えたからといって多頭崩壊問題根本的に解決するわけではありません。一匹でも多くの猫が適正な環境生活できるようにするには、飼い主の意識改革行政支援地域での協力体制など、取り組むべき課題は山積みです。それでも、私にできる範囲で猫たちを救うことはできました。今は三匹との日々に癒やされながらも、あの現場にはまだ引き取り先を待っている猫たちがいるのだという事実を時々思い出し、「もう少し何かできないだろうか」と考えています動物保護団体への寄付ボランティアなど、私一人の力は小さいかもしれませんが、一歩ずつ行動を積み重ねていけば、いつか大きな力になれるかもしれない。そんな希望を抱きながら、今日も三匹に声をかけるのです。「おはよう今日も元気そうだね」――私に向かって返してくれるか細い声が、いつも以上に愛おしく響きます

2025-01-04

北陸新幹線朽木コースを真面目に検討するべき

湖西線コース比良颪で止まるリスク含みだと言うなら、その裏の朽木谷を縦走する鯖街道コースを真面目に検討するべき。

敦賀マキノ朽木から比叡山の脇に出て、山科をかすめて七条京都駅に繋げば地下水問題ミニマムなはず。何よりトンネルが少なくて良いので工事費が安い。

湖西線が並走在来線になるけど、JR西日本マイルールしかない3セクルールを曲げて配慮すればいいだけなので無問題

唯一問題になるのは、朽木谷は江戸時代の大断層のものだということだけだけど、日本断層跡よけてたら何も作れんだろうから開き直って良いのでは(小浜コースだって、精査したら断層だらけの筈だ…)。

2025-01-03

[]2024年に読んだ本、前編

1月

読書(16冊)

フィリップウィルキンソンまぼろしの奇想建築 天才が夢みた不可能な挑戦 (NATIONAL GEOGRAPHIC)」

十三機兵防衛公式脚本集:Double Strand」

伊藤之雄元老 近代日本の真の指導者たち」★★

高木ケイガルシア・デ・マロネスによって救済された大地」

アマサワトキオラゴス生体都市

麦原遼「逆数宇宙

十三機兵防衛公式保存記録:Double Helix」

趙景達(チョ・キンダル)「植民地朝鮮日本」★★★

琴柱遥「枝角の冠」★

新藤尚典「推し三原則

榛見あきる「虹霓のかたがわ」

田場狩「秘伝隠岐七番歌合」

河野咲子「水溶性ダンス

齋藤雅典「菌根の世界:菌と植物のきってもきれない関係

高野秀行「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランド戦国南部ソマリア

ブライアン・インズ、クリス・マクナブブライアン・インズ、クリス・マクナブ「ビジュアル 世界の偽物大全 フェイク・詐欺捏造の全記録」

薄い本が多いので冊数はややチート

やはり高野秀行面白いし、SFは定期的に読みたくなる。

美術

キース・ヘリングアートストリートへ」

「開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築

併設「ルオー 家族のいる風景

スカイツリープラネタリウム

2月

読書11冊+α)

藤村シシン「古代ギリシャリアル」★★★

岸見一郎古賀史健嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」

齋藤雅典「もっと菌根の世界

芝崎みゆき古代マヤアステカ不可思議大全」

キャスリン・ペトラス、ロス・ペトラス 「人体ヒストリア その「体」が歴史を変えた」

高野秀行アヘン王国潜入記」★★

高野秀行西南シルクロードは密林に消える」

春画ール「春画の穴―あなたの知らない「奥の奥」―」★

岸見一郎古賀史健幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」

齋藤勝裕「「原子力」のことが一冊でまるごとわかる」

下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S5話 鳥は見えるか?」

下村智恵理「天網恢々アルケミー Project #34 黄泉から手紙

下村智恵理「天網恢々アルケミー Project #35 旧針金山トンネル悪霊

ヘシオドス神統記」

美術

マリー・ローランサン時代うつす眼」

石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 野見山暁治

(どちらもアーティゾン美術館)

3月

読書(13冊)

芝崎みゆきイースター島不可思議大全:モアイと孤島のミステリー

五十嵐ジャンヌ「なんで洞窟壁画を描いたの?―美術のはじまりを探る旅 (13歳から考古学) 」

ヘーシオドス仕事と日」

芝崎みゆき古代インカ・アンデス不可思議大全」★

布施英利「洞窟絵画を旅して ヒトの絵画の四万年

辻田真佐憲「「戦前」の正体 愛国神話日本近現代史」★★★

田辺聖子田辺聖子小倉百人一首」(再読)

イソップアイソーポス)「イソップ寓話集」

タイモン・スクリーチ大江戸異人往来」

ギリシア喜劇全集 1」

野坂昭如アメリカひじき火垂るの墓」★★

北杜夫幽霊 ――ある幼年と青春物語――」

アポロドーロス「ギリシア神話

美術

マティス 自由フォルム

遠距離現在 Universal / Remote」

4月

読書(13冊+α)

石黒達昌日本SF臨界石黒達昌 冬至草/雪女」

半藤一利保阪正康昭和の名将と愚将」(再読)

まっぷる 山形 鶴岡酒田蔵王米沢24

北杜夫「楡家の人びと 第一部」

北杜夫「楡家の人びと 第二部」

北杜夫「楡家の人びと 第三部」

ギリシア喜劇全集 2」

「蒸気駆動の男: 朝鮮王朝スチームパンク年代記

安達宏昭「大東亜共栄圏-帝国日本アジア支配構想」★

ギリシア喜劇全集 3」

ラリイ・ニーヴン無常の月」(旧版)★★

進士素丸「文豪どうかしてる逸話集」

北杜夫「木霊 或る青年期と追想物語」★

中井紀夫日本SF臨界中井紀夫 山の上の交響楽」

何となく東アジア歴史特に第二次世界大戦ばかり読んでいる。小説も含めて。

美術

テレビ朝日開局65周年記念『MUCA(ムカ)展 ICONS of Urban Artバンクシーからカウズまで~』

5月

読書(16冊)

加藤聖史「「大日本帝国崩壊 東アジア1945年」★★

「別冊日経サイエンスログラフィック宇宙 時空と重力起源に迫る」

酉島伝法「隔世遺傳(かくりよいでん)『皆勤の徒』設定資料集」

間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」★★★

田中空「未来観測員」

ギリシア喜劇全集 4」

ラリイ・ニーヴン魔法の国が消えていく」

安野貴博「サーキットスイッチャー」

竹田人造「AI法廷ハッカー弁護士

ラリー・ニーヴン他「魔法の国よ永遠なれ」

岸本惟「迷子の龍は夜明けを待ちわびる」

ギリシア喜劇全集 5」

梶尾真治地球プレイン・ヨーグルト」(旧版)★

鈴木理生江戸の町は骨だらけ」

沓掛良彦・訳「ホメーロスの諸神讚歌」

スティーヴン・バクスター「〈ジーリークロニクル①〉プランクゼロ

漫画

入江亜季「北北西に曇と往け」七巻

1000decillion「Morals under a pagoda I/II」(同人誌

1000decillion「Morals under a pagoda III/IV」(同人誌

美術

ブランクーシ 本質象る

石橋財団コレクション特集コーナー展示 清水多嘉示」

北欧神秘ノルウェースウェーデンフィンランド絵画

6月

読書(13冊)

スティーヴン・バクスター「〈ジーリークロニクル②〉真空ダイヤグラム

真貝寿明「宇宙検閲官仮説 「裸の特異点」は隠されるか」★

大村幸弘、篠原千絵ヒッタイト魅せられて: 考古学者に漫画家が質問!!」★★

津本英利「ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像

スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編」

スティーブン・キングゴールデン・ボーイ 恐怖の四季 春夏編」

安村敏信もっと知りたい 狩野派 探幽と江戸狩野派

アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」

藤村シシン「秘密古代ギリシャ、あるいは古代魔術史」★★★

山本健人「すばらしい医学――あなたの体の謎に迫る知的冒険

中野京子「怖い絵」

藤田正勝「日本哲学入門」

中野京子展覧会の「怖い絵」」

漫画

売野機子薔薇だって書けるよ: 売野機子作品集

高江洲弥「リボンと棘 高江洲弥作品集

1000decillion「Morals under a pagoda -Kama Sutra-」(同人誌

1000decillion「Morals under a pagoda -Egypt-」(同人誌

1000decillion「morals under a pagoda -Greece-」(同人誌

美術

「オープニング展 UESHIMA MUSEUM 一般公開

メサギャラリー(LG横浜イノベーションセンター

毎年月ごとの上位三冊を選んでいるが、ある月の四位が別の月の二位を上回って面白いことがある。つまり当たりの多かった月だ。すべての本に対して星の数で評価すべきかもしれない。

2024-12-13

抜歯後の選択肢で悩んでいる

インプラント

レンブラントと音の響きが似ている。

レンブラントといえば「夜警」が補修されていることがニュースになっているが、我が小さな政府は「たけー」と保留することを閣議決定しようとしている。

ブリッジ

両側の歯を削るということに強い抵抗がある。

橋をかけるという言葉の響きに反してやっていることはむしろトンネル工事に近いのでは?

若き日の己が不始末によって大事な歯を失った私の心もまた恩讐の彼方に思いを馳せているのだろうか。

入れ歯

ブリッジより削る部分が少ないが歯茎にかかる負担は大きいらしい。

結局の所はどの選択肢も不可逆的であり、抜歯が決定した時点で、もっといえば最初に歯を小さく削って被せ物をした時点で運命は動き出していたのだ。

こんなことなもっとちゃんと歯を磨いていれば……

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