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はてなキーワード: 雑貨とは

2024-12-11

こどもの頃は何を欲しがっていいのか分からなかった

おもちゃや、可愛い服や、可愛い雑貨可愛い家具など、いいなあ、と思うものは色々あるんだけど、欲しがっていいのか分からず、「ほしい」とか「買って」とか口に出さな子供だった。

親の経済状況が分からなかったからなのか。

親は毒親とかではなく、なにかほしがって怒られた記憶もない。

なんで自分子供の時に、「あれほしい」と言うことができない人間だったのか40過ぎた今でもナゾ

子供の時にほしい物を買ってもらえなかった(そもそも、ほしいと言い出していない)反動で、今は、ちょっとでもいいな、と思ったものはすぐに買ってしまい、家が物だらけになっている。

自分小学生の子供が、頻繁に「あれほしい」と言うのをみて、「子供って普通こうだよな」「なんで自分は、ほしいなと思ったものを口に出せなかったんだろう」と考えてしまう。

2024-12-06

お前は病気から精神科に行け

業務として、今年何も残しててない。

書いたレポートの書き直しを7度も命じられて、まだ受領してもらえない。

「ヒトのことイラつかせる天才だな」

「やめちまえ、二度とくんな」

みたいなことばかり言われてもしがみつづけて、ついに辞めるといったら、

「お前はつかれてるだけだ。考え直せ。」

みたいなことを言われ、精神科に行くことに。

「君は鬱じゃない。君みたいなのはクリニックじゃなくて大きな病院じゃないとダメだよ。」と、つまり発達障害疑いらしい。

休職する運びになって、なんもしないで2週間遊んでる。

すごく大きな病院に紹介されたのだが、自分の親を連れてこないとダメと言うことらしい。

俺は43歳児かよ。

一応、自分の親に言ってみるも、週7で社交ダンス練習があるので無理とのこと。

そういうわけで、「じゃあ診断できません」

という話になった。

診断どうこうじゃなくて、俺は普通に生きられればなんでもいいんだけどさ。

で、俺はどうしろというのだ。

毎日俺を怒る妻。

妻の言い分としては、怒らせるお前が悪いということ。上司と同じことを言う。

子供が二人いるが、二人が二人とも自閉スペクトラム症知的障害

妻は、ハンドメイド雑貨を作って売ったり、教室で教えたりをしてる。

とにかく金にならないらしく、家に金を入れてもらったことは数度しかない。

スマホ代すら俺が払ってる。

専業主婦いいんじゃないかと思うが、専業主婦になると保育園が退園してしまうし、一緒にいるのが嫌なのだろう。

金を稼がないけれども、発達障碍児を二人育ててるだけで助かってるが、趣味が全く合わない。

妻の趣味は、ジャニーズAKB引き寄せの法則数秘術ネットワークビジネス、全部全部自分が苦手なジャンルだ。

自分の稼いだ金の範囲で遊んでるので何も言わないが。

妻も上司も同僚も、みんな、

「薬を貰ってくれば?」

というんだが、医者は診断がつかないと薬は出せないというし、なんだったら俺は自分が正常だと思ってる。

なぜこんなに会社でも家でも怒鳴られ続けても、人事考査での評価はいつもいい。

家はゴミ屋敷になりつつある。

もう限界だ。

2024-12-04

生成AI系で仕事ラフデザインやってるひといる?

こう書くとイラストと思われると絡まれそうでアレだけど…

現物雑貨や、プロダクトデザインまたはDTPまたはウェブ、被服もろもろの

開幕の案だしあたりで、ザクザクイメージ詰めた生成AIでなんかできないかと悩んでるんだけど

無料でできる系の画像生成だと、プロンプトに手直し入れてってもまだ全然出来なくて

自分手書きラフした方がまだマシだな…って状況

なんかい方法あるのかなぁ

自分でもやるんだがクライアントが数を求めてくるのと時間が足りなすぎて

なんとかしたいんだが…うーん

2024-12-03

会ったこともない他人嫉妬してしまう。

元々化け物になるなと薄々感じていたが、どうやら本当に化け物に片足を突っ込み始めたので誰かに聞いてほしい。

最近同人関係出会ったとある人を見ているとめちゃくちゃ腹が立ってしまうことに気づいてしまった。別に界隈で仲がいいわけでもなくて、お互いの作品を見てるかな〜ぐらいの距離感リプライDMしたことない。

でもそのとある人の鍵垢(エロ系を上げるために鍵垢を作る界隈)で自我がすごくて、自我垢と分けてほしいななんて思ってたけど、えっち作品を見るためにはその人の自我まで見ないといけない。

その自我が「パートナーが〇〇で私が××した」とか「ジェラピケをパートナーとお揃いにした」とか「ワンピ買った。このワンピが似合う女になりたいので」みたいな感じで、見ていると妙に腹が立ってしまう。

自分同人とか関係ない日常垢でワンピース買ったとか彼氏の話をされても腹が立たないのに、同人垢でフォローしているその人がそういう発言をするとめちゃくちゃに腹が立つ。腹が立って仕方がなくて、全く関係ないFF0のアカウントでずっと恨み辛みを吐いたりしてる。なんでこんなに腹が立つんだろう。腹が立つのに見に行ってしまうんだろう。インターネットお手軽自傷なのは分かってるんだけど本当にやめられない。見に行って、腹が立って、愚痴を鍵垢で誰にも見られないように吐いてを繰り返している。完全に化け物になっている。

両親の仲があまりよくないのを見て育ったので結婚願望はあまりないし孫は兄弟がすでに親に見せたので子供を作らなきゃみたいな気持ちもない。

でもその人が何かつぶやいていると本当に腹が立って仕方がない。

そのとある人は自分デザイナーなことをちょいちょいツイートで匂わせるので色々掘った結果アクセサリーデザイナーをしていることがわかって見ているけど、なんかそこも腹が立つ。なんで腹が立つのかはわからない。

どうしてこんなに腹が立つのかわからない。仲のいいフォロワーかれぴとジェラピケおそろっちしたンゴとか言ってても全然ええやんとしか思わないのに、会ったこともない、顔も見たことのない、知らない女が自我を出していると腹が立つ。

まだ毒マロは送ってないからセーフだと思うけど、いつか送りそうで怖い。自分がなんでこんなにその人を見てイライラするのかわからない。

誰か助けてほしい。見にいくのやめろって話なんだけど、作品は割と好きなので見るのをやめられない。

12/4

ごめんなさい追加してもいいですか?

色々掘ってついでにインスタアカウント本垢?)まで見つけたので見てたけどパートナー海外赴任についてきたのに偉そうに「この土地にも慣れてきた」とかつらつら書いてたり、読んだ本をいちいち上げたり、なんかごちゃごちゃした雑貨を雑にトレーに並べてバッグの中身紹介とかしてたり、アクセサリーデザイナーとやらなのでアクセサリーを見に行ってみたけどなーんかごちゃごちゃした色使いのおもちゃみたいな首輪を量産していて相容れねえ〜!wwwwwwwwwとなりました。雑貨類も作ったアクセサリーガチャガチャ雑然としてるのが好きなタイプなんだな〜と思いました。なんかこう、インスタでエモい感じ(別にえもくはない)ポエムとなんかちょっと色味加工したぼんやりした写真上げるタイプの女。びっくりするほど私が好きじゃない女でした自己顕示欲が強すぎる!インスタに上げる写真わざわざ用意して撮って上げてなんかシコシココメント書いて……アホくさ!

びっくりするほど人間性合わない人種なんだと思います。私はインスタやらないしガチャガチャした色使いのアクセサリーよりシンプルアクセサリーが好きだし、自分の力で自立して他人に影響されずに生きていきたい。読んだ本は自分で覚えていたらいいからこの本よかったよとは人に言うけど感想をわざわざ伝える趣味もない、読んだ感想Twitterで一人壁打ち。いまちょっと転職中で自分に自信を持てない時期なので自己顕示欲強い女の私って幸せなのwという投稿に目がくらんでいただけです。私は私、あなたあなたあなた趣味いね!私好きじゃないわ!ガハハ

自己顕示欲の強さにオエーペッペとなっていたんだなと気づきました。コメントくれた増田たち、本当にありがとう正気に帰りました。もうツイートを見てもあー自己顕示欲抑えらんないねwwwうんうんパートナーあいされてるわたしって言いたいよねぇwwwと生ぬるい目で見られそうです。他人の芝生は青く見えるよね。

12/5

家族にも話したら自己顕示欲キモいね、フォローやめなと諭されたのでフォロー外してきました。

なんでこんなに執着してたんでしょうね。怖いですね。最後に見かけたツイート日本食パンを手に入れた話しててこれにも「海外にいる私は柔らかい日本食パン簡単に食べることができないんですよ、みなさんと違ってw」というのが滲んでいてああ本当に自己顕示欲すげえなぁ、本当に嫌いだなぁ!と思いました。作ってるアクセサリーキモいツイートキモい、本当になんでこんなに執着しちゃうんだろう。明日にはフォロー再開しそうで怖い。嫌いなものを見に行って嫌いと思って自分の心がちゃんと嫌いと思うのを確かめてるアレなのかな。

とりあえずフォローやめれたので頑張ったと思います。元気に生きるぞい!己の趣味を邁進して忘れようと思います

2024-11-29

祇園クラブで働いていた頃の思い出


大学卒業して社会人○年目。大阪で働いている。職種は……まぁ専門職だと思う。若い方だと信じたい笑

サービス現場仕事で、給料は安いけどやりがいだけはある。我ながら搾取されている。

年末に向けて部屋の中を掃除していたところ、学生時代の思い出の箱を見つけた。その中には、京都祇園にあるクラブで働いてた頃のグッズがまとめてある。ドレスとか、メイク道具とか、指名を沢山とった時の記念品とか、最初にお店を選んだ時の求人誌とか。当時、いわゆるキャストと呼ばれる仕事をしていた。

これから話すのは思い出を振り返ってるだけなので、散漫なことが多いです。ご了承ください。

祇園クラブでのお仕事とか、年上の男性との関係とか、様々な感情が入り混じった、心の奥底からくるようなお話に胸が締め付けられるような思いがする……ということはないです笑



夜のお店の種類、クラブとか、ラウンジとか、キャバクラとか、そのあたりの区別は今でもわかってない。4回生からの1年+半年(聞かないでほしい…)しか働いてなかったこともある。

短大から大学編入した関係で、単位を取るのに忙しかった。親ともケンカしてたから、大学学費自分で工面するしかなかった。奨学金ばかりというのも危ない気がしたので、面白いアルバイトいかな~と探していると、祇園クラブが見つかった。

リベンジのつもりもあった。

短大生の頃はYouTuberをしていた。顔はメイクを濃いめにして、男性向けに恋愛のことをおしゃべりする動画だった。始めは自分動画編集してたけど、そのうちやってくれる人が見つかって、女子男性に向けて恋愛ノウハウをおしゃべりする~というスタイル確立した。もう引退してるかもだけど、Baiand(バイアンド)さんの動画スタイルが近い。

それがあまり人気が出なくて、再生数は最後の方は1万もいかなかった。才能がないのかなと思って、そうしたら、チャンネル更新をしなくなって数か月経った頃に、コメント機能を通して隠れたファンが何人もいたことがわかった。みんな熱烈だった。

正直、後悔した。たった4~5人でもいいから、私の動画配信を好きな人がいてくれるなら、投稿を続けていればよかったと後悔した。

そんな気持ちがあったから、次のクラブアルバイトでは、誠心誠意、自分を贔屓してくれる人に尽くそうと思った。仕事なんだから、尽くすのは当たり前なんだけど…

最初の方はうまくいった。飲食店アルバイトしたことがあった。何をどうすればいいかは最低限わかる。お話をする相手も、コミュニケーションが通じない人はほぼいなかった。みんな常識のある人だった。

1セットにつき、最低でも2万円はかかるお店だった。つまらないサービスはしたくないと思った。けど……働き始めてひと月も経つと、ほかの従業員との関係とか、ノルマのことで考えることが多くなった。

明らかに変なお客さんもいたけど、それは我慢した。いや、我慢するんじゃなくて、その人と向き合って、一生懸命コミュニケーションをするのが正しい姿だ。それができないなら、キャストとして続かないことを学んだ日々。

かに働いてるキャストの人は、私に比べると、その……生活がカツカツな人が多かった。間違いないと思う。

学生は少なくて、いわゆるプロの人が多かった。それでも20代が多かったけど。

私たちのような学生バイト存在が軽かった。ヘルプで付いた時だと、ドリンクを欲しそうな態度を示すとウザがられる。とあるお客さんがシャンパンやニューボトルを入れた日だって、その人がトイレに行ってる間を縫って、「ほら、今のうちにもっと飲んで。早くボトル減らして」と無理やり飲まされることもあった。

インスタグラムで、系列店同士で売上競争をするイベントがあった時も、私たち学生はどうせ勝てないからと、先輩たちのヘルプとしてお店を勝たせるポジションだった。

苦しいこともあったけど、お店には感謝している。いい経験ができた。あそこで働いてなかったら、大学卒業時の借金額は片手で数えきれない本数になってた笑

あとは……ノルマのことが記憶に残っている。

祇園木屋町みたいな激戦区だと、求人面接時にノルマ説明がある。インターネット求人案内にもノルマの有無が書いてある。ノルマじゃなくて、「目標」「売上によって時給が変動」「時給・出勤日数保証期間○か月」みたいな書き方だ。

大阪なんば道頓堀、ダイナミックコードの『たこ焼き激戦区』ほどお店が密集してるわけじゃないけど、明らかに店舗間の競争がある。



ノルマ表示の例】※当時の求人情報

ポイント

ひと月に10ポイントを取ってください

・同伴3ポイント、お客を呼んだら1.5ポイント

・週3日以上出勤を基本としま

ドリンクバックはノルマとは別に計算

・未達成時は10,000円を給料から天引きしま

ペナルティ

遅刻  :日給の最大50%

当日欠勤:10,000円

無断欠勤20,000円

内引きなど不正行為:当店が認定した被害額の最大300%

※お店を通さずにお客からお金をもらうこと。買い物含む



私がノルマを達成できた月は……1年半のうち、半分もなかった。

最初半年は、初心者ということでお店が多めに見てくれるけど、しだいに厳しくなって……どうしても達成できないキャストの子で、黒服からも人気がなかった子は普通に辞めさせられた。もしくはシフトを干される。

この業界が厳しいかと言ったら、そんなことはないと思う。私のような当時素人にも日給で2万円以上を出してくれた。ほとんど役に立たなかったのに。

先輩方は、あまり仕事のことを教えてくれなかったけど、背中で教えるタイプの先輩も確かにいた。「もし今日ヘルプに付いたら、うちのこと見とき~♪」と言って、売上を捨てて教科書通りの対応をしてくれる神先輩だった。



自分まさか、お客さんと恋愛するとは思ってなかった。本当に。可能性はないと思ってた。

うちに来店するお客さんは、ある程度お金を持った人が多い。いい会社勤めの人や、経営者公職に就いてる人や、お坊さんの人が多かった。

その中で、あるお客さん(増田なのでMさんにする。当時43歳くらい?)と最初に会った時は、なんだか面白い人だなとしか思ってなかった。ええと、私が最初に付いた時が、その日の二人目のキャストだったはず。

会話を始めると、優しそうな印象があった。もう彼と会うことはないと思うので、書いてもいいかな。名刺には「土地家屋調査士」とあった。京都市の北の方で営業していた。ちょっと話をして、何分か経った時に「よかったら……オレンジジュース飲む!?」って聞いてきた。

それを聞いて大笑いした。なにが面白いのかわからなかったけど、とにかく笑った。普通カクテルとかワインとか、ビールとか……そういうのを注文する。

お客さんも、カクテルだとリキュールを一滴しか入れないとわかってるからか、ワインの注文をする人が多かった(※ワインビールも、黒服の人が限界まで薄めてくれる。ほぼ水だった笑)。

あー、あの時は本当に楽しかった。まだ入って数か月だったのもあるけど、今でも楽しく思い出せる。

その日、お店を出る時に「ダメ元だけど、よかったら同伴する?」と言ってくれた。嬉しかった。最初接客でいきなり同伴っていうのは、珍しいことだと私でもわかってた。

最初の同伴のお店は……河原町通りの途中にある古いレストランだった。お手頃でおいしいところだった。壁に美大の人が書いたような風景画が何枚も飾ってあった。「俺が学生時代、たまにここに来てて。20年ぶり」とMさんは言っていた。

それからも、Mさんは月に1~2回のペースでお店に来てくれた。私を指名することもあったし、しないこともあった。同伴出勤は、月に一度あれば多い方だった。

あの人は多分、お金をたくさん持ってたと思う。でも、倹約……いや、ケチなのかな?? あまりお金を使おうとはしなかった。私の誕生日が近い時、黒服さん(店長)が私とMさんがいる席に来て、今度の誕生日イベント説明をしてくれた。

条件付きの特別サービスMさん提案したんだけど…普通にシャンパン注文を断ってた笑 店長さんは粘っていた。営業トークも。実際、Mさん特別サービスをするのは本当だった。

でも結局、Mさんは……

「ありがたいのですが、申し訳ありません。私には不要です」

だって。はっきり言ってた。

ほかのお客さんとの比較だと、大体みんな店長の考えたサービスを受けることが多い。実際にシャンパンの注文料金は相当お得だし、キャストだって本気でサービスをする。そういう「装い」だってする。身体接触だって、いつもより積極的のはず。本当に常連さん向けの特別だった。

でも、あの人はキッパリ断った。お店では、いつもハウスボトルだった。ほかのお客さんは、見せびらかすみたいにマイボトル名前入りのタグを何個もぶら下げている。けど、Mさんは本当にいつもハウスボトルだった。私には、私が希望するだけドリンクをくれたけど。

それにしても「不要です」だって……今でも思い出して笑うことがある。いまの私も冗談で、Mさんの口調を真似することがある。

あれは、夏から秋になる頃の同伴で、少し高めのレストランに入った時だった。ウェイターの人がトリュフ?(もう忘れちゃった…食後のケーキだったかも)を薦めに私たちテーブルに来た。その時も「私たちには不要です」とはっきり断った。

その後、祇園にあるお店まで行く時に、小さい橋を渡ることがあった。その時に、Mさんから笑えるアプローチがあった。

「ねえ、橋を渡るまでの間、手を繋いでいい?」

と言ってきた。

私は笑いを堪えた後、彼氏の顔が頭に浮かんだ。前に、ほかの男子学生が私にそういう目的で声をかけた時、彼氏が怒ってその学生を威嚇すると、そそくさと逃げていったことがあった。

その時、Mさんの顔を見上げると、何かが違った。大学生とは何か違う……見た目の若さもあったけど、とにかく自信にあふれていた。彼氏自信過剰タイプだったけど、それとは明らかに違う余裕だった。

「えー。じゃ、はい……どうぞ」

と手を出すと、Mさんが優しく握って、お店がある富永通りまでゆっくり歩いて行った。

その日は人がすごく多かった。道を歩いている時、私の手を優しく引いて、道の端の安全地帯誘導してくれた。

いい人だ。とは思ったかな? その日もお店に行くと、私を指名してドリンクを2杯注文して、それからいつもどおりすぐに帰った。料金は2万円少々だった。



ちょっとずつ、Mさんからアプローチがあった。

紅葉の頃に、「今度お昼に同伴しない?」と言われることがあった。夜じゃなくて、お昼に同伴すれば一緒に買い物ができる(≒プレゼント)ということだった。

正直、魅力はあった。ほかのお客さんだと、ただ昼とか夜にデートしようって言ってくるだけ。本当にそれだけ。論外だった。禁止事項だし。ただ、Mさんとなら。外を一緒に歩いても不自然に見えない。そういう見た目の人だった。

けど、断ることにした。同伴の場合、必ずお店の黒服が私を送迎して、お客さんのところに行く。車で待ち合わせ場所の近くに下ろすのだ。内引き防止のためと思われる。あとは防犯対策

でも結局、どうしようかと迷って、違う系列店のキャストに聞いてみたり、中学時代からお世話になっているYahoo!知恵袋で聞いてみたけど、直接の答えはなかった。Yahoo!知恵袋中の人は、「あなた大人なんだから善悪を秤にかけて自分で考えなさい」という回答をくれた。500知恵コインを渡した。

結局、同伴はナシで、私が勝手にお昼デートすることにした。Mさんには内引きの箝口令をお願いして、夜になると普通にお店に来てもらうことにした。

え?何を買ってもらったか?? 四条通りにある高島屋大丸で、雑貨のお店があって、そこで……ワンちゃんのためのペットフードを買ってもらった。小さいサイズの。ピアス指輪とか装飾品に興味はあったけど、別にいかと思った。

後はレストランご飯を食べて、近隣店舗グルグル周って、一緒にアイスクリームを食べて……あとはもう、覚えてない。

この日の写真スマホに保存してある。手も繋いだ。私が帰りにバス停まで行く時、四条通りを歩いている時だった。この日も人がすごかった。当時まだ、コロナウイルス流行ってない。

市バスに乗った後、車中でも、桂川のあたりを歩いている時も、Mさんのことを思い出した。

別に好きだったとか、そこまでの感情じゃなくて。彼氏と同じ場所(高島屋付近)をデートした時のことを思い出して、やっぱり大人社会人の人って、無駄がなくて、そつがなくて、しっかりしてて……と振り返っていた。

少なくとも、彼氏みたいに店員さんに怒ったり、私や仲間に何かを自慢したり、立場の弱い人に大きく出たりすることはなかった。私の肩をいきなり抱いたりしなくて、体を触るときは優しくしてくれる。

同じ高島屋にある時計店で、彼氏店員さんに渋い対応を取られて悔しがっていた。けど、Mさんに対しては、私でも引きそうになるくらい、店員さんがウヤウヤしい対応だった。学生目線だと『神扱い』に見えた。



秋が過ぎて、冬になって……Mさんとお昼のデートは三回目だった。その日は夕方が近かった。烏丸通りのあたりの観光名所を見ていて、遅くなって、終わった後もなんとなく一緒にいた。

今日は一旦解散するんじゃなくて、一緒に居てからお店に行こうという話をしていた。ホテルオークラの前まで来た時、Mさんが「今日はここに泊まってる。仕事の都合で」とホテルを指さした。

当時の私は、オークラのことを知らなかった。大きいホテルしか認識してなかった。今では、リーズナブルなお値段の『一般向けの優良ホテル』だと思っている。京都市内には、一泊10万円以上のホテルがたくさんあるけど、実際に利用してみて……サービス÷宿泊料という観点では、元京都市民の視点では№1だ。

一緒にオークラの1階にあるカフェご飯を食べて、バーに行こうとしたけど、まだ営業してなかった。2階にある展示物を一緒に並んで見てると、彼の手が私に触れて、ぐいっと引っ張られて、私の顔がMさんの肩の近くにあった。

「一緒にいられる?」と言われた。考えるより前に頷くと、私の肩をぎゅうっと抱いて、手を繋いで、エレベーターカードをかざして、高い階に上がって、彼の部屋に入って……

暗い部屋に入った直後に、ゆっくりキスをされた。両手の位置がわからなくて、Mさんの両肩を触っていた。キスが終わると、一緒にベッドに座った。

部屋の中で夜の京都市内を見ながら、ベッドでくつろいだ。そしたら、Mさんが「一緒にシャワー浴びよう」って……恥ずかしかったので断って、それから間が空いて、「メイクだけ落としたよ」と報告すると、すぐに押し倒されて、キスがあって、始まった。

普通セックスだったと思う。お互いに体をくっつけたり、舐めたあったり。優しいキスだったり、激しいキスだったりした。唾液を飲ませるとか、変なことはしなかった。

私を抱きしめてくれた。優しい感じだった。私が彼氏にするみたいに、乳首とか舐めたりすると、彼はくすぐったいと笑っていた。その時の私は、すごく甘えていた。

お互い、あんまり動かなくて、くすぐったいことばかりした。

入れる時も、髪が痛くならないようにギュッと抱いてくれた。暖房のせいもあるけど、蒸し暑かった。汗が出ていて、体同士が液体で滑る感触気持ちよかった。Mさんの体はがっしりしてたけど、若々しくはなかったし、お腹ちょっと出てた。

でも、体なんてどうでもよかった。頭を撫でられると気持ちよくなって、Mさんの何でも愛しくなった。

Mさんは胸が好きみたいだった。バストを使って、特別な機会だと思っていろいろしてみた。彼はすごく照れていた。遠慮がちに行為をしてた。「もっと強くしていい」って言ったら、本当にすごく強くしてきて、胸のあたりが痛かった。でも、続けているうちに気持ちよくなって。

私は笑いながら、Mさん身体をくっつけていた。マグロじゃないよ、ちゃんと私も動いてたから笑

まっすぐの体位の時も、そうじゃない体位の時も、私のことを見てくれて、よそ見することはなかった。だから下半身が痛くても耐えられたし、痛くてもいいって思えた。入れてる最中、私はそんなに動かなかったかな?

正常位で、Mさんの胸板が顔の上にあって、熱くて、息ができなかった。窒息しそうだった。我慢してると、ようやく顔を抜くことができて、するとMさんが真上から口を塞いでキスをしてきた。また息ができない。

いろんな行為の中には痛いものがあった。けど、全部ちゃんと受け止めた。

最後に出し終わって、Mさんが正面から私を抱きかかえると、「あの……好きだよ」って恥ずかしそうに言った。私が笑うと、改まって「愛してますだってさらに笑った。ごまかす時に、私は笑いがちになる。

「これからも付き合ってくれる?」

目を閉じて、「はい」って答えると涙が出てきた。顔を上げて、Mさんキスをした。

それから何分も、ずっと口づけをしてたら……唾液が漏れるのがひどいことになって、また私が笑って吹き出して、それでセックスは終わった。

その日はお店を欠勤した。罰金1万円は痛かったけど、それはもういい。大事もの大事な人を手に入れた。ならもう、それでよかった。シングルの部屋だった。夜には出ないといけない。

深夜だったけど、寒空の下でMさんは、私の手を引いてタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。別れる時、タクシーに乗った瞬間に涙が零れた。



今は何をしてるんだろう。優しい人だから、今もずっと人の役に立つ仕事をしてるのかな。

社会人になった今では思うけど、仕事付き合いだけでも人間関係って大変だ。

でも、Mさんから学んだことは、教えてもらったことはたくさんあって。それが今でも仕事に活きてる。

あれから時間は経ったけど、今でもMさんとの思い出を記憶水槽仕舞っている。いつでも取り出せるつもりだ。

また、いつか会えたらいいと思う。ありがとうございました。

2024-11-22

anond:20241121203628

近くにあるか分からんが、HardOff(ブックoffの雑貨版)だと5~10分の1くらいのお値段で買えるよ

「買ったけど全然着なかった」で綺麗な状態のが売られてる事も多い

ただまぁ古着なのでサイズデザインも丁度いいのが見つからないという事もよくある

2024-11-12

最近迷惑メール、すげーわ

ヤマト運輸 配送状況のお知らせ

自分メールアドレス】 様

ヤマト運輸をご利用いただきありがとうございます

配送先住所に誤りがあったため、荷物配達できませんでした。

お届け予定:X月X日(火) 時間希望なし

※天候・交通事情等により、お届けが遅れる可能性がございます

送り状番号:【ヤマト荷物追跡番号】

サービス名:宅急便(置き配指定可能

品名:承り品(雑貨日用品食品等)

再配達を予約するには、以下のQRコードを長押しするか保存してください

QR

ご注意

・このメールへの返信は承れません。

・本メールの内容にお心あたりが無い方は、こちから「よくあるご質問」をご確認お願いします。

交通事情等により予定通りにお届けできない場合があります

・一部離島などの地域においては予定通りにお届けできない場合があります

ヤマト運輸を装った迷惑メール・通知にご注意ください

ヤマト運輸を装った不審メールや通知が発生しています

記載されたURL添付ファイルを開いたり、メールに返信したりされないようご注意ください。

また、ヤマト運輸SMSで通知を配信していません。

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ってのがこないだ来てさ。

配色や体裁普段ヤマトメールにかなり近い上に「不審メールにご注意ください」って警告まで丁寧に書かれてるもんだからつい信じちゃって、でもなんとなくQRコードは触らずに送り状番号の部分だけコピーして、別窓で開いた本物のヤマトの追跡サービスに突っ込んでみたんだよ。そしたらほんとに存在する荷物なの。

で、8月9月に1回ずつ差し戻しになってて11月再配達したけど差し戻し……みたいな、見た感じ配達所でずっと止まってるようなやつでさ。

あーこれもしかして前の住所に間違って送っちゃったやつか? と思って問い合わせサービス電話したら、送り状番号を伝えた時点でオペレーターさんが「申し訳ございません、こちらは迷惑メールでして……」って答えてくれて、そこで初めて偽物だったのが分かったんだよ。

いやー騙された。最近迷惑メールってほんとよくできてる。ただ本物っぽく見せるだけじゃなく、こっちの行動までちゃんと先回りしてくるんだもんな。

こないだ増田でも丁度そんな話を見かけたけど、この世には1日中こういうメールの中身や動線を考え続けてるプロがいて、いつの間にか仕事の合間にぼんやりメール覗いてるおれらみたいな奴が引っかかってもおかしくないぐらいまで精度が上がってきてるんだよな。

QR触らなくてよかったー。ほんと気をつけような。

2024-11-10

今の時代汚い街の定食屋って生き残ってないよね

田舎暮らし、小さい頃は駅前にあった気もするが、今は片田舎には生き残ってない。

定食屋と言えば、イオンフードコート定食屋イオン大戸屋、あとは駅前の奥様方に大人気で開店と同時に満席のお洒落で美味しいのに1200円の定食屋田舎古民家カフェで2300円くらいでボリュームの有るお洒落定食ミニパフェが食べられる女の子たちに大人気でインスタ予約が即埋まる、作家物のおしゃれ雑貨が並ぶ定食屋、おしゃれな本とか出版してブランドみたいになってるカフェ定食屋

て感じで、イオンフードコート以外は女客が圧倒的に多くて定食屋=女人気店なイメージがある。

働くおっちゃんは国道沿いのランチ800円の喫茶店で朝飯昼メシ食べてる感じがある。

2024-11-05

anond:20241105122822

ありがとうございます自分は、自分の住む街の小さな新刊書店必要インフラだと思っていなく、基本的に専門書へのアクセスを確保したいと思っています。そのため大型書店が持続可能ビジネスであることが死活的に重要です(amazon重要)。自分読書好きになった経緯から子どもが本好きになるためには図書館へのアクセスの方が重要かなと思います古本屋一定数ある街は、それがインフラかどうかは別として、素敵だなと思います

頂いたご質問自分感覚で答えてみます:

リアル店舗web店舗を問わず在庫検索システムの構築にかかる費用書店単体で担うのか。

個人的には書店在庫APIがあれば、誰かがそういうサイトを作るのではと思います図書館の蔵書に関しては、calilがあるかと思います

会計列を短くする目的レジ台数を増やすとして、そのレジスペースを確保できるのか。またそのためのレジ要員の人件費はどうするのか。

店舗によると思います八重洲ブックセンター本店ときは、1Fにレジスペースがありましたが、最上階に銀行カウンターみたいな会計スペースがあったのでそこで座りながら数十冊・数万円の会計10分ぐらいでしてました。客単価によって、セルフレジ有人レジカウンターみたいに使い分けても良いと思います

新刊小売書店の付加サービスのもの訴求力必要なのか。

必要ないと思います書店での体験が全てです。ただ、「15000円以上のときに送料無料」のようなサービスがあると、(基本的に本を持って帰る自分のような)顧客対話できていない感を感じます。「ポイントx倍」とかのサービス本棚勝負できていない書店稚拙集客に走っている印象です。なお、八重洲ブックセンター物理的なポイントカードは結構好きでした。

書籍を取り寄せするために行われる口頭でのやりとりを短時間で済ませることがはたして可能なのか。

オンラインフォームのようなものがあれば、十分だと思います。参考までに、e-honだと注文は一瞬ですが、物理書店との連携中途半端です。丸善ジュンク堂のshopifyのサイトでも取り置き可能なので、取り寄せを可能にすることは出来るかもです。なお、その際、amazonサイトを見ているときがありますが、様々な理由により敢えて物理書店で買いたいときがあります

書籍を取り寄せするための流通システムamazone-honとでは流通システムが異なるが、その責は新刊小売書店が負うべきものなのか。

流通の細かな話は分からないですが、amazone-honを使わないで書籍を取り寄せしたいニーズもあるので、そうした潜在ニーズ新刊小売書店企業努力で発掘されたら良いと思います個人的には、敢えて物理書店で取り寄せする際は、10日後に納品とかで問題ないです。

しおりを作っているのは大半が出版社であり、自社でしおり制作している書店がどのくらいある(あった)のか。つまりコストカットしているのは本当に書店なのか。

八重洲ブックセンターではしおりがありました。ただ、トーハンが49%の株を持った2016年から、無くなりました。2024年オープンしたグランスタ八重洲店ではオープン当初はありました。神保町東京堂書店も昔あった記憶です。

本棚微妙につまらなくなったとして、それは取次のせいなのか。

→ これも細かな話は分からないですが、取次とのパワーバランス本棚書籍が決まっているような印象を受けるときがあります丸善日本橋丸善丸の内ジュンク堂池袋紀伊國屋書店本店自分比較的詳しい分野だと同じような本が並ぶ感覚が強くなっています神保町東京堂書店自分比較的詳しい分野だと結構厳しくなってきている印象です。

書籍以外を収益源にするのを少し危険に思う根拠

大型書店でx年前に入荷した数千円の本が売れた、みたいなのを積み上げるときに、数千円の文房具雑貨を売るのとオペレーションモチベーションも違うのかなと思います。また、文房具雑貨収入がメインの有隣堂を見ても、書店セレクトした文房具雑貨からといってそこまで面白くなく、中途半端に終わる気がします。丸善丸の内日本橋にあるような高級文房具絵画などは別かもしれませんが、自分がそうした商品を買うときは結局その専門店に行きました。なお、八重洲ブックセンタープレスマンシャーペンは良く購入してましたので、書店アクセントとしてあっても良いと思います

・書棚の回転率よりも客単価を意識するとなにが改善されるのか。

書店体験が変わると思います。今はレクサスを買うのに、カローラ販売店で購入している感覚があります

ブックカバーの付け方が凄く雑になったとして、それは取次のせいなのか。

→ 取次のせいではないと思います。なお、神保町東京堂書店はけっこうちゃんと付けてくれます外人外商に支えられている紀伊國屋書店微妙にこの辺が改善してきている気がします。

・「雑誌ベースインフラを全国に構築している」トーハンは同時に、書籍流通システムも構築していますが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わるのが危険する根拠はなにか。

一般論として、toBをメインの収益源にしている企業toCに関わるのは難しいと思いますtoB向けのコストカットkaizentoC向けに中途半端にすると安っぽくなるだけな印象もあります大型書店場合について考えると、ニッチ需要にどれだけ対応できるかが重要なので、書籍流通システムを維持するためにマス向けの本や雑誌毎日物流網に載せたい取次とはやや利益方向性が違い、結果として大型書店で数万円の本を買いたい顧客ニーズ対応する体制を整備することが難しくなるのだと思われます

・いち業界流通販売構造をはたして社会全体で考えるべきなのか。

新刊書籍流通市場で寡占状態により競争が少なくなっていることで、公益が損なわれているならば、社会全体で考えるべきだと思います。なお、再販制度独禁法適用除外となっていることとは別の論点ではあると思います

・「文化事業」でなければ大型書店運営はほんとうに難しいのか。

1978年オープンしたとき八重洲ブックセンターは「文化事業」として数年の赤字前提だったようですが、結局2年で黒字化したようです。オープンして数ヶ月で1000万人の来店者数みたいな記事もありましたが、潜在的ニーズを当時の経営陣が把握できたのは、それが彼らが自身ニーズであり一番の顧客であったからだと思いますが、同時に「文化事業」として大胆な投資を出来たかなのだと思います上記のしおりが必要なのかどうかや文房具雑貨で稼ぐことの問題点みたいな議論貧乏くさい気がしており、結局大型書店は「文化事業」としてすることで潜在的ニーズを中長期で発掘し持続可能ビジネスになるのかなと思います。なお、今の大型書店本棚を見ると、ただ大きなスペースに本を沢山並べているだけ感もあり、そもそも書店員や経営陣はその書店利用者なのかなと思うときがあります紀伊國屋書店みたいな外人向けの運営は良く分かりません。

以上です

2024-11-04

大型書店の「トーハン」化

休日に暇だったので、図書館行って東京商工リサーチデータベース神保町にある東京堂書店データを見てみたら、トーハンが25%株持っていた。歴史的には東京堂の株をずっと持っていたようだが、2011年東京堂東京堂書店合併したらしく、その頃からパワーバランスが変わったのかなと思ったりした(多分、東京堂不動産賃貸収入東京堂書店赤字節税やすくした)。トーハンは、2013年にはブックファーストの全株、2016年には八重洲ブックセンターの株を49%取得している。2023年には丸善ジュンク堂書店も裏側のシステムトーハンに合わせた。結果として、今の日本大型書店に行こうとすると、紀伊國屋書店三省堂書店(現在本店改装中)等々を除き、トーハンの影響圏のなかでしか選択肢がないようだ。

個人的には、東京堂書店株主データを見て、少し納得感があった。というのも、八重洲ブックセンタートーハンが関わってから良くなったと思える点が全く無かったので(旧本店)。あと、下記の点も多くの書店共通すると思う。

...

折角なので鹿島出版社データも見てみたが、近年は売上は3億円程度を推移しているようだった。昨今の書店文化の衰退は、どちらかというと雑誌不況であり、書籍はまだ底堅いニーズはあるのではないかという言説を支持出来る一つのデータに思えた。雑誌ベースインフラを全国に構築しているトーハンが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わることが良いことなのかは、もう少し社会全体で考えるべきだと思われる。確かに伊藤忠ファミリーマートに関わったことで、ファミリーマートクオリティーは上がったが、書店場合、取次が小売に関わることで本当にエンドユーザーにとって良いことなのか。少なくとも大型書店エンドユーザーにとって具体的に何が良くなったのか。八重洲ブックセンター鹿島卯女氏の遺産は数百億円あったが、そういう人の「文化事業」ではないと大型書店運営は難しいのではないか

鹿島卯女氏の遺産文化学術財団の基盤になったが、次の鹿島守之助が居るであろう新興企業への投資には流れなかった。アメリカワシントン・ポスト紙はグラハムからジェフ・ベゾス経営権が継承されたが、こういうところでも微妙に日米の差を感じる。

ちなみに、セブンイレブン鈴木敏文氏はトーハン出身

2024-10-21

すみません幸せって売ってますか?

そんなことを言いながら私は店員に話しかけた。

自分でも何を聞いているのか、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思ったけど、なんだか言わずはいられなかった。

疲れてたんだと思う。仕事人間関係もぐちゃぐちゃで、なんか心がカラカラになってた。いつもの帰り道、ふと目に入った雑貨屋に吸い寄せられるように入って、気づけばそんな言葉が口をついて出ていた。

「えっと…幸せですか?」店員女の子は、最初は少し戸惑ったような顔をしていた。でもその後すぐに、「あ~、そこにあると思います」と、雑貨の棚を指さしてきた。店員さん、面倒くさそうだな、と思いながらその方向を見ると、可愛らしいキャンドルや置物が並んでいた。

「そういうことか…」と、軽く自嘲する私。しかし、ふと店員さんの方に視線を戻した時、彼女の表情が変わっていた。さっきまでの面倒くさそうな感じが消えていて、真剣に、ちょっと考え込んでいるようだった。

そして、店員さんは私の目をじっと見つめ、「…あなたの心の中にないなら、ないですね」と、柔らかく微笑んで言った。

その瞬間、なんだか胸にズシンと響いたんだ。冗談で始めた会話だったのに、彼女言葉がまっすぐ心に突き刺さった。「あなたの心の中にないなら、ないですね。」彼女笑顔でそう言ったけど、その言葉の重さに気づかされた。

私はしばらくその場で立ち尽くした。頭の中で彼女言葉を繰り返している自分がいた。心の中に、幸せがない…確かに最近は、そんな感覚だったかもしれない。どこかに置き忘れてきたような感じ。目の前のことに追われて、自分自身を見失っていた。

でも、彼女一言で少しだけ目が覚めた気がした。

「そっか、心の中にないなら、ないよね」私は独り言のようにつぶやいた。

「そうですね。でも、いつかきっと、見つかりますよ。」店員さんが優しく言ってくれた。なんだか、それだけで心が少し軽くなった気がする。小さな笑顔自然と出た。

ありがとう。じゃあ、キャンドルでも買おうかな。」

私はそう言って、小さなアロマキャンドルを手に取った。

きっとこのキャンドルを灯す頃には、少しでも自分の心の中にある「幸せ」に気づけるかもしれない。

店員さんの言葉のおかげで、そんな希望が見えた気がする。

2024-10-20

ショッピングの楽しみ方が分からない

沢山お店がある地域とかショッピングモールとかを歩いていても結局何も買わずに帰ってきてしまうことが殆ど

と言っても買うのを我慢しているわけではなく、ぱっと見で何かを欲しいなと思ったり、それ以前に興味を持って面白そうとかおしゃれだなとか思うことも滅多に無い。

彼女と出かけると彼女はすぐに何か面白そうなものを見つけている。買う買わないは別として色々なものを見つけては凄く楽しそうにあちこち寄り道していて、凄く羨ましいなと思う。

お金が有るとか無いとか欲しいものが手に入るかどうか以前に、世の中から面白そうなものを見つけることが出来ない。物事に興味を持てないと言ってもいいのかもしれない。

全く物欲が無いわけではなくて、例えば「便利」なものに関しては欲しいなと思うこともある。普段使いするものでも機能や性能が優れている物は欲しいと思う。包丁なんかはちょっと良いものを買って研いで使っていたりする。

でも単純な物欲、要は「それが無くても何も困らないし、買ったとしても直接的に何かに役立つわけでもないけど、それを買えばたとえ一瞬だけだとしてもちょっと幸せになれそう」みたいな感じでモノを欲しいと思う事が出来ない。

洋服でも、食器でも、その他雑貨でも、必要機能さえ満たしていればそれでOKと思ってしまう。例えば同じ洋服色違いで売っていればその中で一番気に入った色のものを買うけど、でも「これを着ている自分想像するとちょっと嬉しくなる」みたいのが全く感じられない。

こういう感性の欠如が私をとてもつまらない人間にしていると感じる。周りから見てもつまらない人間だろうし、そもそも自分自身がつまらない。

どうすればそういう楽しみ方が出来るのか、本当に分からないけど分かるようになりたい。どうすればいいのだろうか。。。

2024-10-12

今日異世界行ってきた!

今日仕事休みで、やらなきゃいけないことは山積みだけどやりたいことは特になくて暇だったか異世界探して行ってみることにした。

(実は異世界は実は気軽に行けるのだ。車がなくても自転車がなくても。その気さえあればだけど)

外に出たらほどよい日差しが降り注いでて、透き通っててどこまでも遠くに見える青空の下で爽やかな風が吹いていた。いい日和だ。夏といえば海だけど、秋といえば異世界だと思う。

20分ぐらい調べて見つけた異世界場所Google Map上で車で15分、徒歩48分の距離だった。車で行ったら折角の旅が勿体無いので歩くことにした。

道案内はGoogle先生に任せて、Apple Watchに進む方向を指示されるまで周囲を見渡しながらのんびり歩いた。

道中、普段は気に留めていなかったような場所に「神と和解せよ」とか書いてある謎のブリキ看板を見つけたり、知らない和菓子屋のぼりに「◯◯町の銘菓!おもちバー」って書いてあるの見つけて、聞いたことね〜って思いながら店先を覗いてみたりした。見てみたけどやっぱり知らなかったし、何だったら検索しても出てこなかった。もう既に異世界に足を踏み入れていたらしい。

しばらく歩くと畑が続くようになって、腰ぐらいの高さのあるハスの葉の群れを横目に、半分透き通った若草色の川の側の農道を歩きながら、うっかり風に乗ってきた堆肥匂いダイレクトかいじゃって、うわ臭っ、なんて思いながらも、故郷の川の近くにもヤギ小屋があって通りがかったりするとこの匂いしたな〜なんて思い出したりした。やっぱりどこの世界似てるところはあるもんだよね。

それから歩き続けたらよく分からんドームみたいな施設見つけて、小学校ジムかな〜なんて思いながら調べたらまあまあ大きな宗教施設で、ウワッって思ったけど、神社なんてどこにでもあるし、それぞれ何宗かなんて気にしたこともないのにわざわざウワッてなるのも変かと思い直した。あ、そういえば塾で一緒だった違う中学校同級生、親が何かしらの宗教信仰してて、高校受験と同時並行で自分信者になってコミューンの一部として生活するか決めなきゃいけないらしくて忙しいらしかったな。話したこともなかったけれど、君は今どんな世界に住んでるんだろうね。

目的地が近くになって、次第に道ゆく人が増えてきた。たくさんの人が自分と同じ方向に向かって歩いていた。この中の何人が異世界人なんだろうか。それとも全員皆んな異世界人なのか。

(まあでも、今はこうして同じ場所にいるんだからなんでもいいんだけど。)

そうして、みんなで3m幅ぐらいしかない踏切ベビーカーに道を開けたりしながら渡った。

目的地は神社境内でやってたマルシェキッチンカーとかテントが集まって、雑貨やら食べ物やらアクセサリーやら売ってた。

一先ず入り口付近キッチンカーカフェラテを注文した。700円の消費活動ハンチング帽被ってて半分だけ金髪に染めた人が、鮮やかなプールの色したケトルとコップでコーヒーを淹れて、プラスチックの容器に明治おいしい牛乳と混ぜながら入れてくれた。ストロープラスチックだった。こっちの世界じゃ紙ストローは普及しなかったらしい。羨ましい。

カフェオレ飲みながらぶらぶら歩く。果物野菜が安く売ってたり、パフェグラスから無農薬黒米までとにかく色々売っている店があったり、マリンバ売ってたり、中華料理弁当屋があったりした。インスタ映えしそうなオシャレなケーキ屋やソフトクリーム屋もあって、カップル家族が列をなしてた。中華料理と印象の残らないオシャレスイーツがあるのはどの世界でも共通っぽい。

ああでも、まさジイの盆栽、みたいな店名で芝生が生い茂った丸い植物みたいなのが売ってて、そこにも列ができてたのにはちょっとびっくりした。まさジイはワクワクさんみたいな丸メガネかけたおじいちゃんで、商品の置いてある棚に自分写真印刷してPOPにしてあった。かわいかった。こっちだとこういうのもウケるんだな。

更に歩くとニンニク匂いがして、ニンニクチップスのキッチンカー神社の門の前に鎮座してて、そこで買い物したらしき人がニンニク匂いを漂わせながら神社境内を歩いていた。神様自分を祀る施設ニンニク臭くなっても怒って祟らないんだろうか?まあなろう系の転生もので見かける神様とか大分適当だし、異世界ならそこら辺もゆるいのかもしれない。

しばらくうろうろして、気も済んだので帰ることにした。帰り際にイヤーカフを一つ買った。800円の消費活動。こうして異世界に行く度、行った証拠として何か一つ買うことにしている。証拠は消えないものがいい。身につけられるものだと尚いい。戦利品というか、身につけていると自分のし冒険を思い出せるので楽しいのだ。

そうして帰りもGoogle mapApple watchに任せて歩く。とんでもない方向音痴なのでこの二つがないと無事帰れる自信がない。残り充電18%の中、先ほど通った農道が農耕車で塞がれていたり柵の向こうからヨボヨボのチワワにじっと見つめられたりしながらも無事見覚えのある道に辿り着く。その頃にはもう、ふと振り返ってもやっぱりもう自分がいる世界しかない。異世界旅は楽しいけれど、この瞬間だけは少し寂しくなる。一度行った異世界にはもう二度と行けない。出会いはその時々で一度きりで、同じものは二つとないから。

それでも、異世界から持ち帰ってきたイヤーカフを見る度、あの日のことを思い出せるからそれでいいとも思える。

異世界ってやっぱりそういうものだし。

2024-09-26

anond:20240925182241

感情話題しろ

・大好きな雑貨はありますか?

・今まで一番美味しかったラーメン屋はどこですか?

・汗かくとなんであんなに気持ち悪いんでしょうね

今の感情ならなお良い。

・この雑貨、素敵だと思いませんか?

・今、行ってみたいラーメン屋ありますか?

・汗かいちゃいましたね。早く涼しいところ行きたいですね

anond:20240925182241

増田はさすがに釣りっぽいけど、そうじゃなかったら空回りしてるのが気の毒だから一応書く

質問内容が悪いんじゃなくて、一方的質問をすることが悪いんじゃないか

開示とセットなら普通に大人同士の雑談

「先週100均でhogehoge買ったら意外と便利で、アイデアグッズ探しにハマりそうです。piyopiyoさんは何か気に入ってる雑貨あります?」

ラーメン好きなのに最近あんまり新しい店に行けてないんです。好きだからこそ冒険できないことってありますよね〜」

→反応が「えっ?」って感じなら「バーとか(下戸ならカフェでもギャラリーでも本屋いい。相手趣味次第)一見さんお断りって書いてなくてもしり込みしませんか?」みたいに補完

反応が共感的だったら「piyopiyoさんもですか!ちょっと似ていて嬉しいです」「新規開拓が難しいタイプと聞いて、勝手に親近感をおぼえちゃいました笑」

反応が非共感的だったら「そうなんですか。アクティブですね!」

「見倣って勇気出してみようかな…どうやって探してます?」と寄せてもいいし、

自分は狭く深くタイプなので楽しむ間口が広い方の話って新鮮です」と

自分はしない発想で興味深い」「(自分は実行しないけど)話を聞いていて楽しい」系の表現を選べば、無理に相手と行動タイプを揃えなくても気まずくならない

「piyopiyoさんのところは暑いですか?こちらは猛暑続きで毎日必死です」

→涼しそうなら「汗が止まらなくて困っているので羨ましいです…笑」とか

暑いなら「お互い熱中症に気をつけましょう!」「汗は体温を下げるために必要と分かっていても、止まらなすぎて最近の悩みのタネです」とか


マッチングアプリはやり取りに金がかかるらしいし出会い系以外の場面で雑談する経験積んでからの方が後がスムーズに進みそうだなと思った

anond:20240925182241

雑貨集めが趣味だったりラーメン屋巡りが趣味だったり仕事鍼灸やってる人だったりする場合に限れば問題ないよ

2024-09-25

anond:20240925182241

あなた最近買った便利な雑貨はありますか?

あなたにとって美味しいラーメン屋ありますか?

・私の汗を引かせる方法ありますか?

こんな感じで、ネットで調べられない感じの質問に置き換えるんだよ。

女性は頭を使いたくないのか?

マッチングアプリメッセージのやり取りをする中で、話題提供として女性質問していたら「そんなに色々聞かれても困りますネットで調べてください」と言われたんだが俺が悪いのか?

どんな質問をしたか一部を挙げると

・便利な雑貨はありますか?

・美味しいラーメン屋知ってますか?

・汗を引かせる方法ありますか?

こんなかんじだ。

その女性曰く「知識を試されてる気分になる」らしいのだが、そこまで難しいことを聞いているわけでもないのに、女性は会話をする時はほんの少しも頭を使いたくないということなのだろうか?

じゃあどんな話をすればいいんだ?




追記:会話を盛り上げるためには質問するといいんじゃなかったのかよ…

ていうか質問しなかったら受け身でつまらん奴にならないか

2024-09-24

anond:20240923210018

おつかれさま。

せめて部屋着だけでも憧れのかわいい服にしてみるのはどうかな。

フリルがふりふりしたパジャマとか、煌びやかなネグリジェとか。

下着ブランドものちょっといいやつにしてみたりさ。

かわいい雑貨とかも、なかなかいいよね。

人の目怖いししんどいけど、家の中では自由だよ。

わたしアラサーだけど、長らく部屋着はピンク色縛りだよ。家の外じゃナチュラルカラーしか着ない。家に帰るのかわいいピンクのお洋服があると思うと元気でるよ。

2024-09-16

メルカリ中毒者の気持ちが少しわかった

部屋の片づけのために書籍ゲーム雑貨メルカリで売る事にした。

目的は片づけだから儲けとかは考えず、販売中の同じ物の中で最低価格で出品した。

飛ぶように、とは行かないけど、いいね価格交渉コメントは1日数件有り、ほぼ毎日何かが売れている状態が2週間くらい続いた。

梱包配送にも慣れ、売上げで少し贅沢も出来たし、部屋も少し片付いた。

ここで終わればメルカリ万歳だが、2週間で部屋の様子だけでなく自分メンタルにも変化が有った。

今まですき間時間が有ればSNSやココ、動画ゲームなどで時間を潰していた私が、

メルカリで出品した物が売れていないかいいねコメントが来てないか」を確認せずにはいられなくなった。

更に家に居ても、「メルカリで売れる物は無いか」を常に考えるようになった。

そして遂に血眼で探した不用品を300円で出品・・・しようとした所で我に返った。

メルカリの仕組みは良く出来ている。

金銭的な利益に加え、いいねコメントのやり取りで承認欲や社会的な繋がり(貢献欲)まで満たすようにデザインされている。

しか配送金銭のやり取りも全て匿名で行う事が可能

本質的な所はSNSと一緒で、+αの中毒性が有ると思う。

格安出品者は薄利多売で稼ぐ業者だけではなく、メルカリ中毒になった一般人が相当数居るんじゃないか、と思う今日この頃

2024-09-03

anond:20240902125427

から2番目について。

マイカルダイエーが立ち行かなくなったたのは知ってると思うけど、マイカルダイエー駅前などに多層階のビルを建て、そこに食品のほか衣料や生活雑貨場所によっては家電を加えてワンストアで済むように作った店が多かった。でも平成になってロードサイド専門店、たとえばユニクロしまむら洋服の青山あたりの専門店カジュアル衣料やスーツなどの顧客を奪うようになり、くわえてヤマダやケーズのような家電量販店が家電顧客を奪いはじめた。特にダイエー家電販売では有数の存在だったんだけど、価格競争についていけずあれよあれよと傾いていった。一言で云えばダイエーマイカル専門店に勝てなかった。それが90年代後半から2005年くらいまで。

ヨーカドー創業者がうるさい人で財務体質がよく同時にロードサイド専門店が攻めにくい首都圏の肥沃な市場を押さえてて、イオン創業家が「大黒柱に柱をつけろ」と店の閉鎖と移転を厭わない家風で号令をかけて地方競争の少ないところにバカかいSCを作っててそこにテナントを入れ賃料収入があった。ので専門店の攻勢を受けても自社の店の売り場を再構築する余資があってマイカルダイエーとは違う道を行くことが出来て、ヨーカドー赤ちゃん本舗ロフトを自陣営引き込みイオンウエルシアを拡大できた。

増田のいう中型スーパーというのがイマイチよくわかんないんだけど、食品いくらかの生活雑貨肌着などの実用衣料を売ってる店を指すのだとしたら、ヤマダやユニクロなどの専門店に勝てない分野を削ぎ落したらああなったにすぎない。

食品は日銭が入るからどこも強化したい。問屋に対してはやはり規模がデカいと値引きしてくれるから和歌山地盤オークワ名古屋名鉄パレを買ったり、新潟原信ナルス群馬のフレッセイと統合したりしている。この流れはしばらく続くと思う。

2024-08-31

anond:20240831151805

ワイはtemu1回だけ買い物したことあるけど雑貨みたいなのしかなくて買うもんないから2回目買い物するつもりはないやで。

2024-08-30

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-08-20

カスミ草が好きって言う女

カスミ草が好きって言う女は

カスミ草が好きなんじゃなくて、「カスミ草が好きな私」が好きな女

因みにこのタイプ自称「お花好き」だけど自分で花買ったこと無い

ダイソーでたまに観葉植物買うけど、雑貨みたいに扱うから日光不足とかですぐダメにする

ガーベラが好きって言う女も同類

でもこっちはたまに花屋ガーベラカーネーションを一本だけ買う

そう、こっちは「時々お花屋さんで花を買う私」が好きなタイプ

因みに、その一本を買うのに、どの色がいいか店員相談して長考する

帰ってインスタに写真も載せる

ダイソーで買った観葉植物はあまり世話をしないわりに何故かうまく育っている

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