はてなキーワード: スティグマとは
定義: 個人の魅力・能力・選好に基づく「選ばれなさ」であり、特定属性への敵意や制度的排除を伴わないもの。不快ではあっても、差別とは質的に異なる。
この段階のポイント: 本人にとっては深刻な苦痛でありうるが、「属性を理由とした不当な扱い」ではないため、差別の文脈で扱うと議論が混乱する原因になる。「つらさ」と「差別」は別の軸である。
定義: 特定の属性に対する否定的なステレオタイプが社会に流通し、その属性を持つ個人が日常的に偏見にさらされる状態。法的権利は侵害されていないが、尊厳の毀損や心理的負荷が継続的に発生する。
この段階のポイント: 個々の言動は「悪意がない」「冗談」「褒めている」と弁明可能なものが多いが、当事者にとっては累積的に尊厳を削る。可視化されにくいため「大げさ」「被害妄想」と退けられやすい。
定義: 特定の集団・コミュニティにおいて、ある属性を持つ人々への攻撃・蔑視・性的対象化が文化として定着し、組織的・反復的に行われる段階。個人の偏見を超え、集団の規範として加害が正当化される。
この段階のポイント: ②との決定的な違いは、加害が集団の文化・規範として機能している点にある。「ノリ」「ネタ」「ジョーク」として正当化され、批判する側が「空気を読めない」「過剰反応」と攻撃される。脱人間化(dehumanization)の言語が定着すると、より深刻な段階への心理的障壁が下がる。
定義: 法律・制度・政策によって特定の属性を持つ人々が権利を制限され、または不利な立場に置かれる状態。国家権力が差別を正当化・執行する。
この段階のポイント: ②③が「社会の中の差別」であるのに対し、④は「国家による差別」である。法が差別を禁止するのではなく、法そのものが差別を構成する。被害者は法に訴えることができない(法自体が敵であるため)。制度的差別は撤廃後も長期にわたって構造的不平等として残存する。
定義: 特定の属性(人種・性別・性的指向・宗教・民族など)に対する憎悪を動機として、個人または小集団が行う身体的暴力・殺人・テロ行為。法制度は(少なくとも建前上は)これを禁止しているが、実効的に防止できていない、または暗黙に容認されている。
この段階のポイント: ③との違いは、言語的・心理的暴力から身体的暴力・殺人へと移行している点にある。ただし③の脱人間化言語が⑤への「許可」として機能するという連続性がある。加害者は個人でも、その動機は社会に流通する憎悪イデオロギーに根ざしている。国家は禁止しているが、捜査・処罰の不十分さが暗黙の容認として機能することがある。
定義: 国家またはそれに準ずる権力が、特定の属性を持つ集団を組織的に排除・追放・絶滅しようとする行為。④(法制度的差別)と⑤(暴力)が国家権力によって統合され、産業的規模で遂行される。
ギャル文化は、1980年代から現在まで続く日本の代表的な若者サブカルチャーです。しかし、その歴史を概観すると、特定のファッションスタイルや外見に「本質(エッセンス)」は存在しないという特徴が浮かび上がります。共通するのは、意識的かつ冒険主義的な自己表現の姿勢——すなわち、自分の身体を用いて社会的な美意識・規範に挑戦し続ける精神性のみです。以下に時代ごとに整理します。
バブル経済期に「ギャル」という言葉が若く活発な女性の総称として使われ始めました。
原宿・渋谷を中心に登場した集団。派手な色使いの衣装を着て街中でダンスをする文化。伝統的な「控えめな若者像」への視覚的な反発として注目されました。
ボディコン(身体のラインを強調したタイトドレス)や派手メイクのOL・女子大生層。ディスコ文化と結びつき、「楽しさ優先・自分軸」の精神が原型として芽生えました。
この時期はまだ散発的でしたが、身体を通じた規範への挑戦と「最新であること」の価値が、後のギャル文化の基調となりました。
1990年代にギャル文化は本格的に確立します。特にコギャルが象徴です。
ルーズソックス(ゆるく着崩した白いソックス)、ミニスカート、厚底ブーツ、茶髪・小麦肌が定番。
1995年創刊の読者参加型ファッション誌。読者モデル文化を育て、渋谷109を中心に商業的に巨大化しました。
ギャル同士の友人集団。プリクラ(プリントクラブ写真)やパラパラ(ダンス音楽)文化と融合。
この時代、学校空間の相対的地位(校内ヒエラルキー)が強く影響しました。
極端な日焼け(ほぼ黒肌)+白メイク+金銀髪+原色ファッション。自然で控えめな美意識を意図的に否定する、最も攻撃的な挑戦。
ガングロの派生形で、さらに過激化した白メイク・盛り髪スタイル。
雑誌『小悪魔ageha』由来のキャバクラ風盛り髪・セクシー路線。
商業メディアがトレンドを加速させましたが、社会的批判(援助交際イメージなど)も強まりました。この時期、「最新であること自体に価値がある」という性格が明確になり、特定のスタイルに安住すると次の世代から「古い」と見なされる傾向が顕在化します。
AKB48などの清楚ブームやスマートフォンの普及で一旦下火に。雑誌の相次ぐ休刊が象徴です。
プチプラ(安価・大量生産品)で揃えられる王道ガーリースタイル。フリル・レース・パステルカラー中心の「無難にかわいい」自称スタイル。
学校ヒエラルキーの影響が弱まり、多様な流派が並存するようになりました。
TikTok・InstagramなどのSNS普及により、逸脱の民主化が進みました。校内カーストを超え誰でも低コストで挑戦可能になりました。
外見より「自分軸・ポジティブ・冒険主義的マインド」を重視。Y2K(2000年代回帰)やルーズソックス再流行が見られます。
ギャル文化の歴史は、特定のファッションの継承ではなく、「意識的・冒険主義的に自己表現を更新し続ける姿勢」だけが一貫して受け継がれてきたと言えます。 身体を媒体とした規範への挑戦は「最新性」に価値を置くがゆえに、特定のアイコンに留まることができません。停滞した瞬間にギャル性を失うとさえ言えます。この流動性と矛盾こそが、文化を柔軟に存続させてきた理由です。
人権教育の現場では、被差別部落(同和地区)の歴史や差別問題が繰り返し取り上げられる。意図は「過去の身分制度による差別を正しく理解させ、現代社会から差別意識を根絶すること」にある。しかし、現実には教育の意図と効果の間に大きなズレが生じている。むしろ教育そのものが、「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調し、結果としてスティグマ(社会的烙印)を維持・強化している側面がある。本稿では、この現象を、結婚差別と私権の自由の衝突、圧力団体としての歴史的イメージという観点から論じる。
人権教育は、学校や職場、行政の啓発事業で実施される。内容の中心は、江戸時代の士農工商+穢多・非人という身分制度、明治4年(1871年)の解放令(穢多・非人等の称廃止令)による法的身分廃止、そして1969年から2002年まで続いた同和対策事業特別措置法による生活環境改善の歴史である。
これを学ぶことで、参加者が「差別は不合理で許されない」という価値観を内面化することを目指す。実際、法務省や自治体の意識調査では、講義を受けた人の多くが「部落差別は悪いことだと理解できた」と回答する。しかし、行動や深い意識変容まではつながりにくい。鳥取県の調査では「不合理であることが理解できた」と答えた人は58.5%に上る一方、「自分に直接関係がある」「何か行動を起こさなければならない」と感じた人はわずか18%程度だった。
特に効果が薄いのが、差別意識がすでに薄れている地域や世代だ。東北や沖縄、若い世代の中には「被差別部落」という概念自体をほとんど認識しておらず、「同じ日本人としか認識していない」人が増えている。そうした人々に改めて「特別な被差別集団」として教育することは、逆にそのカテゴリーを意識させ、想像上の区別を再生産する矛盾を生む。教育が「関係ないのに押しつけられている」という違和感を強め、逆効果になるケースも少なくない。
結婚は憲法第24条が保障する私権の核心である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」と定められたこの権利は、個人の価値判断に他者が強く介入することを原則として禁じている。
ところが人権教育では、「部落出身者との結婚に反対するべきでない」という規範が強く押し出される。これは、個人の私的領域——血統意識、家族の価値観、将来設計——に公的な道徳を突きつける形となりやすい。特に問題なのは、反対理由の多くが「純粋な血統意識」ではなく、「現実的な利害や圧力の懸念」である点だ。
法務省の令和2年(2020年)「部落差別の実態に係る調査」でも、結婚・交際での差別的取扱いが依然として存在すると明記されている。実際の相談事例では、「相手の親が部落出身者だと知って婚約を破棄された」「親族から『部落の団体と関わるのは面倒だ』と反対された」といった声が今も上がる。こうした心理は、単なる「差別意識」ではなく、合理的な懸念として存在しているケースが多い。
部落解放同盟(解同)は、戦後すぐに被差別部落の解放を掲げ、水平社運動の継承として大きな役割を果たした。しかし、運動の長期化とともに「圧力団体」としての側面が目立つようになった。
• 1969年から始まった同和対策事業特別措置法時代に、解同系団体が事業執行の優先権や予算獲得で強い影響力を持った。
• 一部自治体では随意契約や優先採用が問題化し、2000年代に「飛鳥会事件」などの不祥事が相次いだ。
• これらの歴史が、「結婚すると将来的に団体とのトラブルに巻き込まれるのではないか」という現実的な恐れを生み出す。
人権教育がこの歴史的背景を十分に語らず、「被害者」としての側面だけを強調すると、逆に「被害者利権」という批判を生む。結果、被差別部落は「過去の被害者集団」としてではなく、「今も特別な配慮を求める圧力団体」としてイメージされ続け、差別意識の再生産を招いている。
啓発教育を行うこと自体に利益がある——この感覚は、事業継続の正当性や予算の根拠として機能しやすい。結婚差別は私権の領域であり、血統意識や現実的な懸念が絡む極めて複雑な問題だ。人権教育がこの複雑さを十分に考慮せず、一律の「正しさ」を押しつける限り、被差別部落というカテゴリーは教育によってむしろ維持・再生産され続ける可能性が高い。
人権教育の意図は尊い。しかし、憲法第14条が定める「法の下の平等」という理念に照らして、その役割を冷静に検証する必要がある。教育によって差別意識が実際に緩和されているのか、それとも「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調することで、かえって区別意識を再生産しているのか——この問いは避けて通れない。
特に、差別意識がすでに薄れ、「同じ日本人としか認識していない」世代や地域が増えている中で、改めて特別な被差別集団として教育を繰り返す矛盾に、自覚的であるべきだ。結婚という私的な領域への介入、圧力団体としての歴史がもたらす現実的な懸念、そして教育そのものが持つ「利益構造」を直視しなければ、人権教育はスティグマを維持する装置ではとの疑念は拭えない。
被差別部落問題は、過去の身分制度の産物であると同時に、人権教育という現代の装置によって再定義され続けている。私たちはそのメカニズムを冷静に見つめ、改めてその意義を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
日本と海外(主に北米や西欧)では、「ゲイ」というラベルの貼られ方や、それに伴う社会的圧力(ゲイフォビア)の程度に顕著な違いがあることが読み取れます。
海外(特に欧米圏)では、男性の日常的な振る舞いや嗜好に対して、非常に厳格な「男性性」の規範が存在し、そこから少しでも外れると「ゲイ」であると決めつけられる傾向があります。
「男性が猫を飼うこと」に対する反応の差は、両者の違いを象徴しています。
海外におけるゲイフォビアは、しばしば女性嫌悪とセットで現れます。
このように、海外では「男性らしさ」から逸脱することへの恐怖心が、猫や女性といった特定の対象への攻撃性と強く結びついているのが特徴です。
総じて、北米や西欧のゲイフォビアは男性の些細な行動までをも監視・制限するほど範囲が広く、攻撃的であるのに対し、日本では個人の趣味嗜好に無関心であるという違いが浮き彫りになっています。
アメリカがイランの核開発を口実に戦争を始めた。ウクライナでロシアが戦術核を使うのではという懸念は大きな関心事になった。何か「核が使われたら何もかもおしまいなんだ」というようなタブー意識が社会に共有されている。
等々、本音ではただでかい爆弾としか思ってないくせにわざとらしく核兵器を「特別なタブー」として祭り上げてるとしか思えないのである。
何のためかと言えば「核保有クラブ」の既得権を維持するため、それ以外の国が核保有に動くことの政治的コストを吊り上げるためだろう。
つまり反核・平和活動家のたぐいはアメリカの手のひらの上で踊らされているのである。
同様の構図は元日本兵の戦争体験によるトラウマがタブーとして封殺されてきたことにも見て取れる。戦中は「単なる弱音」として体制側が圧殺した。そして戦後は左派が「悪者」たる日本兵に内面などないかのように、圧殺役を引き継いだ。左派のお気に召す形のナラティブしか言論空間に存在を許されなかった。
左翼のやることっていつも完全に裏目に出るよな。うっかり政権取って弱者のためと言ってみんなを貧しくするようなことしかできないし。
この意見は「零細企業では権力集中によりハラスメントが起きやすい」という点では一定の現実を反映しています。しかし「社会の下層=低学歴=地獄」という一般化は事実として過度であり、論理的にも社会学的にも問題があります。
【根拠】
まず妥当な点として、組織規模とハラスメント発生率の関係は一定程度の研究で示されています。日本の労働調査や労働局の相談統計では、従業員数の少ない企業ほど内部統制(人事部・コンプライアンス部門)が弱く、経営者や古参社員に権力が集中する傾向があります。そのため「50代の上位者が全権を握る」「私生活まで干渉する」といった封建的な人間関係が残るケースは実際に存在します。この点で、投稿者が感じた「江戸の長屋の大家と住人」という比喩は、近代的な企業制度よりも共同体型の人間関係に近いという意味では一定の説明力があります。
一方で、この意見の大きな問題点は原因の単純化と階層決めつけです。
社会の下層と言われる層で過酷な労働環境が多いのは事実として傾向はありますが、「だからね」で片づけるのは、構造的な問題(法令違反、人権侵害)を自己責任に押しつける雑な一般化です。
ハラスメントはどの階層・業種でも発生しうる問題であり、「下層だから仕方ない」とする見方は、被害者に対する二重の負担(環境+スティグマ)を与えます。
高学歴で大企業に入っても、パワハラ・セクハラ・アカハラ等の被害率が低くなるとは限らず、むしろ研究機関や大組織でもハラスメント経験の高さが指摘されています。
大企業・高学歴層でも、上司との力関係や長時間労働、評価・昇進を握られている構造の中では、決して「フェアな世界」が保証されているわけではありません。
学歴や企業ランクによる上下の固定観念を強化しており、「下にいる人は苦しんで当然」という発想は、差別的であり、政策的にも社会的にも危険です。
現代日本では、非正規雇用の拡大や格差の固定化が進み、「努力さえすれば上に行ける」というほど流動性は高くなく、家庭環境や健康、地域差など、個人の努力ではどうにもならない要因が大きく影響しています。
劣悪な労働環境や違法なハラスメントの存在は、制度設計や法執行、企業統治の問題であり、本来は「是正すべき社会的課題」です。
それを「勉強して一流企業に行けなかったお前が悪い」とするロジックは、加害側・加担側に都合がよい自己責任論で、構造的な改善(行政指導、法令遵守、相談窓口の整備など)を阻害します。
つまり、「低学歴だから地獄」という説明は統計的裏付けが弱く、組織設計の問題を個人属性に転嫁している点が論理的に問題です。実際には大企業でもパワハラ・セクハラは多数報告されており、むしろ問題が隠蔽されるケースもあります。
【注意点・例外】
ただし現実として、大企業のほうが制度的な安全装置(労組・コンプライアンス窓口・内部通報制度)が多いため、平均的な労働環境は安定しやすい傾向があります。このため「制度的安全性」という意味で大企業志向が合理的という部分はありますが、それは学歴ではなく企業規模とガバナンスの問題です。また零細企業でも経営者の価値観が近代的であれば非常に良い環境の会社も存在するため、単純な階層化は現実を歪めます
iPhoneSE系は業務用はともかく個人で使うとなると、皆エントリー向けとか言葉選んでるけど要は「貧乏人向け」ってことじゃん。
それが16e以降はノッチになったわけだ。
いうてホームボタンはコロナ禍のマスク着用のタイミングに当たったこともあって、まだ意味というか便利なとこも少なからずあったが、ノッチはひたすらダサいだけ。
マジであのノッチのダサい形状、iPhoneユーザはよく我慢して使ってきたと感心するわ。その意味でもホームボタンのが断然マシまである。
だからDynamic Islandが登場してやっとデザインまともになったと思ったら、貧乏人はノッチのiPhoneで我慢しとけと来やがった。
日本の自殺率が「世界全体で中位〜やや上位」に位置する理由は、単一要因ではなく構造的要因の重なりです。主な論点を整理します。
日本は中高年男性の自殺率が相対的に高いという特徴があります。
統計上、男性自殺率は女性の約2倍前後です。これが全体値を押し上げます。
非正規雇用の増加
地方経済の弱体化
バブル崩壊後の長期停滞期に自殺者数が急増(2003年は3万人超)。景気変動と自殺率には一定の相関が確認されています。
単身世帯の増加
未婚率上昇
孤立は自殺リスク要因の一つ。特に高齢男性の孤独死・孤立問題と重なります。
うつ病の受診率は改善しているが、依然として心理的ハードルあり
「弱音を吐きにくい」文化的傾向
早期介入の遅れ
精神疾患は自殺の最大リスク因子ですが、治療開始が遅れるケースがあります。
5. 文化的要素
歴史的に「自己犠牲」や「責任を取る」という観念が強い社会です。
ただし、現代日本の自殺は文化よりも経済・孤立・メンタルヘルス要因のほうが説明力が高いと研究では示されています。
日本は「高すぎる国」ではないが、「低い国」でもない
先進国の中ではやや高い部類
補足:改善傾向
2000年代前半をピークに、政府の自殺対策強化により長期的には減少傾向です。
ただし、若年女性など一部層ではコロナ禍で一時的増加も見られました。
結論:
日本の自殺率がやや上位なのは、中高年男性リスク、経済停滞、社会的孤立、支援利用の遅れが組み合わさった結果と考えられます。単純に「文化の問題」と断定できるものではありません。
最近発達障害ないし知的障害を持つ、またはグレーゾーンにある女性のことをみいちゃんと呼ぶことについて、当事者の1人が声を上げたことで、SNS上でさまざまな意見が飛び交っている。
https://x.com/i/status/2022847696424644921
私も当事者(言語性IQと動作性IQの差が40ある)なのでこの件について考えてみたが、私の結論としては『真面目に対処する必要はない』だ。
そもそもなぜみいちゃんと言う呼称が差別に当たるかと言うと、みいちゃんは漫画内で『救いたいと思えない弱者』のシンボルとして、自己中でクソ迷惑な障害者として描かれており、それと等しいとみなす行為だからである。
ショッキングな展開やグロテスクな切り抜きが何度もバズり作品とキャラの認知度が上がった結果、いまや"みいちゃん"は社会的に必要とされないどころか周囲に害をなす敵と言う共通認識が形成されており、その文脈を踏まえたうえで悪意を持って障害者ないしグレーゾーンの女性らをみいちゃんと呼ばないでほしい、という意見は真っ当に思える。
しかし私としては、みいちゃん呼ばわりを取り締まったところで言葉狩りに過ぎず、また第二第三のみいちゃんに代わる侮蔑語が産まれるだけで、意味がないと考える。
これは白痴、足らず、低能、池沼、でんちゃ、ガイジ、ハッタショ、🫚👨⚕️、ジンドクと、差別用語が禁止されるたびに新しい差別用語が生まれてきた歴史的事実から見ても明らかだ。
かの金田一先生も、差別用語そのものを取り締まったところで悪意的に言葉を用いる人間がいる限り、いたちごっこになるだけだと対談で話されている。
では差別的に言葉を使うこと自体を取り締まれるか、と言ったら無理だろう。
そもそも差別しているという意識すらなくほんのジョークや事実確認のつもりでとんでもない侮蔑語をこぼす人など山ほどいるし、それらに道徳的振る舞いや理性を求めるのも難しい。
また平均的な健常者視点では『公的支援の存在またはつながり方を知らず、無治療または全額自腹で社会適応を頑張っている障害者』ですら自分たちの税金で養っているという認識は大なり小なりあり、障害者と健常者の立場が本来は平等であるという認識もそこまで広がっているとは思えない。
もちろん傷つくという声明を上げること自体は否定しないが、差別そのものをなくすことが困難である以上、『来店中はその手の発言を控えてほしい』や、『店の評判を落とす発信は辞めてほしい』以上のことを求めるのは現実的とは言えないのではなかろうか。
そして個人的に気にかかるのが、『性逸脱をせず、倫理観を持ち、指導教育環境を当店では整えており、真面目に働いている私達や他の発達障害の女性にむけて「みいちゃんだ」という言葉を浴びせられることは、とても悲しいことです。』という点だ。
みいちゃんも一応作中では真面目に働いているし、みいちゃんに倫理観がないというのはそもそも作中の描写的に、生育環境や知能の限界で身につけられなかった結果であり、みいちゃんの落ち度と認識することは難しい。
これは恐らく『みいちゃんは努力を怠る自己中で無能な障害者』と認識していて、その意でみいちゃん呼びを好む層に向けての発信かもしれないが、この書き方はさすがに誤解を招くというか、私は初見で『あなたもその立場で能力が不足している障害者をかなり差別してないか!?』と読んでしまった。
もちろん店のサービス品質や従業員の評判を下げないのも店長の仕事とは言え、他を下げて自分たちを上げるような印象を受けてしまうので、それこそ『みいちゃん』という呼び名のスティグマ化に加担していないだろうか……。
この投稿のツリーにて他のスティグマ化する侮蔑語について言及を控え、当事者が声を上げろと言っているあたり、他のスティグマ用語を用いた差別を軽んじているような印象を受けてしまうのも、また……。
https://x.com/i/status/2022937994668487107
筋異常愛者の弱者女性としては、同じく社会的に弱い立場にある人への差別発言にも平等に反駁すべきだと思うし、そこを誤魔化して自分が属する集団への偏見にのみ声を上げるのは、自己中心的な発信に思えてしまう……。
(みいちゃんよりも悪辣かつ人非人かのように描写されているつばさくんあたりにノータッチなのも思うところはある)
(これだから『発達でも女はチン騎士理彼湧いてヌルゲー、男は自殺しかない』って認識が強固になるんだよ!でも実際そうだしな……)
作中のみいちゃんやその他障害者と見なされる文脈で登場するキャラたちの描写について色々とツッコミどころはあるが、ひとまず呼び方の問題については以上とする。
https://x.com/mgram1030/status/2020771097659245050
サークル側がいくら表記や年齢確認頑張っても親が子に渡してしまうような事をされるとこちらも防ぎようがありません。
この話さあ、眉唾じゃね?
だって何年か前にも同じような話がSNSで出てた覚えあんだけど、そんなに頻繁に起こるようなことなのか?
親がエロ同人を代理購入して、未成年の子供に目の前で渡すなんて、そんな何度も起こるようなことかよ。
なんつーか、「アテクシは規律を重んじる人間でございますザマス」ってアピールしたいがための、女オタク特有の自己顕示欲の発露でこういう嘘話こしらえてるようにしか思えねえんだけど。
ていうか、人を見た目で判断するなよ。
その親らしき男がエロ同人を渡した「子供らしき女」が、本当に未成年なのかどうかちゃんと確認取ったのか?
小人病の成人女性が買いに行きづらいから、代わりにパートナーの男性に買ってきてもらったって可能性も、なきにしもあらずじゃないのか?
俺はスーパーでアルバイトしてた頃、くる病(いわゆるせむし)のおっちゃん上司と働いてたんだけど、遠くから見るとそのおっちゃん、一瞬子供と見間違えるような風貌だったんだよね。
それを見て「人を見た目で判断しちゃいけないな」と思ったんよ。
それと即売会で「私は18歳までちゃんと我慢して、今日ようやく来れました」っていうクソ美談もよく聞くけどさ、それも絶対嘘だろ。
んなわけねーだろ。そんな奴いるわけねえよ。絶対こっそり18禁を摂取しながら生きてきたに決まってんだろ。仮に本当にそんなこと言う奴が目の前に現れたとしても、そいつは絶対嘘つきだ。天が認めても俺は認めねえよ。
こういう女オタクって、自分たちだって未成年の頃から隠れて18禁表現に触れてきたに決まってんのに、どうして18歳未満なのがバレた相手には、そこまで過剰に追い込んで攻撃できるんだろうね。
肌感覚として、18歳まで18禁に一切触れずに我慢できてた人間が(そんな奴が実在したらの前提だけど)、18禁のエロ漫画を執筆できるとはどうしても思えないんだよな。
男だろうが女だろうが、18禁漫画描いてる時点で、そいつは絶対どこかで18歳未満から触れてないと描けないと本気で思うよ。リビドーってそういうもんだろ。
それを棚に上げて、他人の18禁破りをよくもまあ咎められるなと思うよ。特に女。
男だったら、未成年の18禁破りが発覚しても注意くらいはするだろうけど、それだけで過剰に追い詰めたりはしないだろうよ。自分だって後ろめたいものがあるんだから。
だけど女オタクは自分のことを棚に上げて、徒党を組んでスクラム組んで、対象の特徴を周囲に吹聴してネットリンチにかけ、袋叩きにするんだよな。異常すぎるよ。
それは「成人」のやる事なのか?
「この親子の特徴はこうです!買いに来たら注意!」って、もしその特徴とやらが人違いだったらどうすんの?
まさかとは思うけど、顔写真とか撮ってバラまいてたりしないよね? それ、盗撮だよ?
件の親子が実在しない事を本気で祈るよ。
これはミソジニーだと思われても構わないんだけど、やっぱ女オタクって男のそれと比べても異常性が際立ってると思うよ。因習の中で生きてるっつーか。
男オタクにも異常者はいるけど、女オタクの異常性はそれを大きく凌駕すると思うね。
『ユーリ!!!』界隈で実際にあった話だけど、公式に迷惑な凸をしてる異常な女オタクを、良識的なファンが注意したら、その矛先が注意した相手に向かっちゃってさ。
数千件近い中傷を繰り返し、結果数年がかりの裁判沙汰になって被告側は敗訴。賠償請求を受けたのに、それでも中傷をやめずに追徴金を負わされてまで、最後の最後まで謝罪しなかった恐ろしい話があるんだよ(それどころか公判中、被告側から原告側に謝罪を要求するなどの奇行をしていた。賠償金は家族が代わりに支払ったらしい)。
過度に罪悪感を与えて、性的なものに対するスティグマを植え付けるような追い詰め方には、俺は反対だね。
俺個人の意見だけど、未成年が18禁コンテンツに触れること自体が悪いとは思わない。ただ、未成年が18禁に触れてるのが「バレる」のは悪いと思うね。
だって普通、隠れてこっそりやってりゃバレねえもんなんだよ。じゃあなんでバレるかって言ったら、自分からバラしてるからなんだよ。ガキが馬鹿だからバラすんだよ……。
ヤンキースピリットっていうか、「18歳じゃないのにエロ本持ってんぜーw」って誇示したがっちゃうんだよ、ガキは。それに関してはガキが悪いと思う。俺だって思い返せば人のこと言えないし。
だから親を利用して18禁同人を入手しようとしたその子供(実在したらの前提だけど)は、詰めが甘いし浅はかだから非難されても仕方ねえけど、でもガキが18禁に触れようとするマインド自体までは否定したくないんだよね。
でもね、大人がそういう時「成人まで我慢しようね」って言うだけで、それ以上のケアはろくにしないでしょ。
真剣に、未成年の子供でもそういう欲求を満たすための「別角度からのアプローチ」を、マジで誰も提示しようとしない。言うだけ言ったらあとは放置。それは大人の欺瞞だと思うよ。
要は、18歳未満のガキの身の丈に合ったエロ表現の供給に、ちゃんと向き合ってやれってことですよ。
18禁ポルノを欲しがる未成年に対して「成人するまで我慢」と紋切り型に言うだけで、それ以外のケアを一切行わないのは、大人としていささか無責任じゃないか?
俺だったらもっと子供の目線に合わせて、「今は18禁じゃなくても十分エロい全年齢作品は溢れてるから、お前の年齢ならそっちで十分実用に耐えうるぞ。とりあえず今なら週マガのエロコメ枠がめちゃ熱いぞ」って言って、『よわよわ先生』あたりを勧めてやるくらいの思いやりを持っておきたいがな。
(注:週刊ジャンプは性嫌悪型の女性読者が幅を利かせたせいで、エロコメ枠がなくなって久しいが、最近は徐々に揺り戻しが起こってる様子)
「トンカツ慕情」じゃないけど、「身の丈に合ったエロってもんがあらあな」ってこと。
思い返せば、性的なものに目覚めたガキの頃って、18禁のガチなセックス表現に興奮できてたか? って話よ。
俺は無理だった。精通して女の裸やエロいものに興味を持ち始めた頃でも、ストレートなセックス表現(実写・二次元問わず)を受け止められるマインドなんて持ち合わせてなかった。
だいたい、精通も来てないようなガキがエロ本やAVを見て、純粋な性的興奮を覚えるとは考えづらいんだよね。
じゃあなんでガキがAVを見たがるかっていうと、ガキは「気持ち悪いもの」に興味を持っちゃうからなんだよ。
ガキの心にとってセックスの映像や写真ってのは、道路で轢かれたヒキガエルの死骸を見に行くようなもんなんだよ。
そんな気持ち悪いもの、一人で見るわけがない。だからグループで見る。一人じゃ見てらんないから。
こっそり親や兄貴が隠してたAVを見る小学生グループは、口では「うひょー」とか言いながら、内心は(気持ち悪い……)って思ってるはず。
でもビビったらヘタレだと思われるから、みんなそれを隠して興奮してるフリをすんだよね。
映画『スタンド・バイ・ミー』はガキ共が死体を見に行く話だったけど、あの死体って要はポルノの隠喩でしょ?「線路の向こうにエロ本あるから見に行こうぜ」ってことでしょ。でもそれじゃ身も蓋もないから、ポルノを「死体」に置き換えてる。スティーブン・キングは絶対そう考えてるって。
漫画『行け!稲中卓球部』で、前野と井沢が裏ビデオで無修正の女性器を目撃して、あまりのグロさにショックを受ける回があったじゃん。あれは実はものすごくリアリティのある描写なんだよ。本当に小中学生マインドだと、女性器って気持ち悪いもん。
俺自身もオナニーを覚えた頃は、セックスの映像や描写で抜ける気がしなかった。気持ち悪くて。
精通後、オナニー覚えたての小学生の頃に最も使ったオカズは、『突撃!パッパラ隊』にたまにある温泉回とかの、少年誌的なちょいエロ描写だった。
ハタチ越えるまで、パンチラや裸に興奮できても、セックスの映像や絵で興奮するという感覚が理解できなかったんだよね。
でも時間が経つにつれて、そういうものも理解できるようになって、気がついたらガチガチのハードプレイで抜けるようになってた。
子供の性的な要望が本当に「性的な感情」によるものなのか、それとも別の何かなのか。みんな「性」に結びつけすぎてやしないか一旦考えてほしい。
それでもなお本当に性的な由来によるものなら、性的感情を排斥するんじゃなく、まずは全年齢でも読める「身の丈に合ったエロ」を与えて、黙ってオナニーさせておいてやれよって思う。
ガキがエロ本やポルノ映像を公に見せびらかしてイキってたら、大人はちゃんとカミナリを落としてやったほうがいい。でも隠れてこっそり堪能してる分には、こちらは無闇に詮索するべきじゃないし、法令遵守よりも子供のプライバシーを優先したほうが予後はいいと思うよ。ましてや親の権限で家宅捜索なんかしちゃあかん。
仮に何かの拍子で、子供がエロ本やエロ映像を隠し持ってるのを見つけてしまっても、生育状況によっては、あえて見過ごしてやるのも大人の取るべき対応ってもんだろ。
最後に。
こういう話をすると「未成年にR18を売ったら作者が逮捕されるの!だから強く言うしかないの!」という誤解について、有識者が説明してくれている。
https://x.com/kimirito/status/2021033140538704148
稀見理都@kimirito
三崎さんが先に言ってくれたw
補足すると、東京都の条例では「何人も、青少年に表示図書類を閲覧させ、又は観覧させないように努めなければならない。」という条項があります。
表示図書とは、R18表示の図書を示します。違反配布者は必要に応じて都から勧告や措置を課す、とありますが捕まることはないです。また、勧告や措置に関しても過去そのような例は一度もないですね。配布後の責任まで問われることもないです。
他の都道府県においてもほぼ同じような条例がありますので、それぞれ確認を!
https://x.com/nmisaki/status/2021026307417805061
三崎尚人@nmisaki
刑法175条が関わるワイセツとは違い、R18は自主規制です。売る側が逮捕されることなどありませんし、正しく売った先で何が起きてもサークルの責任にはなりません。18歳未満か判断がつきにくい場合には身分証等で年齢確認を行えばいいものです。お子様には過剰な話ではなく正しい情報を。
https://x.com/koge_dobo/status/2020812793386090528
こげどんぼ*🦹♀️🥋💜2/22コミティア_し43a@koge_dobo
うちの子供もまんまとオタクになって最近同人誌買いはじめたけど「年齢制限ものは、お前が良くてもサークルが逮捕されるから、絶対近づくなよ。迷惑。」と言ってある。
割と聞いてくれる。
三崎尚人氏や稀見理都氏がちゃんと説明してくれているのにも関わらず、引用リプで「子供の躾のためにはこれくらいの嘘は必要なの!」と逆ギレしてるアカウントが多くてゲンナリした。
「正しい知識を教えましょう」という至極真っ当な意見に対して、「嘘を教えたほうがいい」なんて、教育をナメてるんじゃないのか。
よしんば子供にそういう呪いをかけるなら、ちゃんと「解呪」もセットで考えてるんだろうね? まさか「逮捕される」と勘違いさせたまま、成人させて世に送り出すの?
成人した段階で「実はあなたのためを思って嘘を教えていたのよ」なんて言われても、子が納得するとは思えないけどね。
それと、偉大なる『デ・ジ・キャラット』の生みの親であり、オタクの星であるこげどんぼ先生に言うのも気が引けるけど、子供をダシにして「うちは適切に躾けられている」とアピールするのは、やめたほうがいいよ。規制派フェミの「はなびら葵」も同じことやってたけど、見てられんかった。
「割と聞いてくれる」なんて主張してるけど、たぶん子供は、表向きは言うことを聞いていても、隠れてこっそりアクセスしたりすると思うよ。
2.発達障害は親の育て方によっても発生する
3.発達障害は大人になってからの職場環境などによっても発生する
さて、このうち、発達障害に対する偏見を最も煽るのはどれでしょう?
私は最も偏見を煽るのは1だと思う。だって先天性だとどうやっても根本的に違う存在であり、変わる事がないのだから。健常者とは「違う存在」として、隔離や排除をする正当性が出てしまう。
2は1と比べたらかなりマシなんだけど、実家が太い細いという言葉が流行り、育ちで人を選別する風潮が強くなった現在では危険だ。
3だとうつ病と同じようなもので、スティグマ感はかなり薄くなる。
私は「大人の発達障害」として括られてるやつは、かなりの部分が職場環境起因だと思う。
職場で監視されてプレッシャーをかけられるとミスが増えたり表情がぎこちなくなったりなんてのはごくありふれた話なのに、
YOASOBIを皮肉ってるのか?
チェーンソーマンのオープニングでハリーポッターのイメージソング書いて紅白で歌うとか狂ってんじゃん。
該当の箇所
【君が笑顔で放ったアバダケダブラ】
もうまずここで言い逃れできないよね?
アバダケダブラってハリーポッター以外有り得ないよね?
で、その次の歌詞も
なんか無理やり【偶然の一致だ】とか言ってるネタじゃなくてさ
『君が笑顔で放ったアバダケダブラ
🦌
これが世界中でヒットしてて、誰も指摘してないの?
この2行だけでもう確定じゃん?!
んで、この2行で確定させると、もう他の歌詞も全部ハリーポッターだよね?
『この世に産まれた君が悪い』
『なにがし法に触れるくらい』
『ばら撒く乱心 気付けば放蕩』
ロックハートとかかな? 闇の防衛術の先生ね。あたまパーになっちゃった人
『ひっくり返っても勝ちようがない』
これも色々なシーンに当てはまりまくるけど
もう、なんかわざわざ実例書くのも馬鹿らしいくらい、全て、一言一句、全部ハリーポッターじゃん!
わざわざ書いてない他の部分も全部ね。
2026年1月9日の高市首相の以下の投稿が話題になっている。
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高市早苗
@takaichi_sanae
私達の公邸への転居に関する報道を目にした夫は、落ち込んでいる様子でした。
それは、大手報道機関も含めて、「転居を前に公邸はバリアフリー対応の改修も実施された」という誤った報道を目にしたからです。
「僕のせいで、多額の公金が使われたのか」と。
仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。
念のため、公邸の管理をしている官邸事務所に確認いたしました。
そうしましたところ、やはり、石破総理がお住まいになられていた時期から私の転居までの間に行われた作業は、室内清掃など、居住者が替わることに伴う通常の修繕であり、バリアフリー工事は一切含まれていないということでした。
夫にも伝えて、明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。早く調理師資格を持つ夫の得意料理も食べたいし・・・。
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現時点(2026年1月10日11時30分)ですでに1800万ビューを超えている。
この投稿は一見すると、マスコミの誤報によって苦しめられる障害者の夫と、それと戦い夫を支える家族思いの高市首相の献身という「美談」のようにも見える。
しかし、この投稿には極めて大きな問題が見られる。それをまとめておきたい。
「障害の社会モデル」という考え方がある。これは障害を個人の特性(身体的な機能不全)ではなく、主に社会(制度的・物理的障壁や偏見、社会的排除)の側の問題と捉える考え方である。この考え方のもとでは、何が障害となるかはその社会を構成する個人と社会の相互作用によって決まる。社会の構造や環境をアップデートし、個人の特性に合わせることが障害への対応であるとされる。
これに対し、「障害の医学モデル」という考え方がある。これは障害は個人の身体機能の不全と捉える立場である。障害は個人の問題であり、個人の自助努力によって克服されるべきだという理解である。逆に言えば、そうした努力を放棄し、他人や世間に頼ることは甘えであり忌避されるべきだという考え方につながりやすい。
歴史的には障害の医学モデルが主流であったが、現在は障害の社会モデルへと大きくシフトしている。
「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」
と規定し「社会的障壁」という障害の社会モデルを下敷きにした文言を用いて説明している。
高市首相の夫は「転居を前に公邸はバリアフリー対応の改修も実施された」との報道に接し、落ち込んだ。その理由を「僕のせいで、多額の公金が使われた」と説明している。
高市首相の夫の考え方では、自分の障害のために公金を使用することは受け入れられないことのようだ。「僕のせいで」という言葉からは、「障害とは個人の努力や頑張りや根性によって『乗り越え』なければならないものだ、ここに公金を投入することは税金の無駄遣いであり、甘えであり、努力の放棄なのだ」という負い目が透けて見える。
本当は自分の努力で乗り越えなければならない「試練」を税金で支援してもらうことは「施し」であり、「社会のお荷物」である自分が世間様に「迷惑」を掛けてしまったという「恥ずべき負い目」として理解されている。
高市首相も同じ考えだ。「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。」「明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。」との投稿は、そのことを端的に表している。
ここからうかがえることは、高市首相もその夫も障害の医学モデルの考え方を深く内面化しているということである。そして、その根源にあるのは「夫は社会のお荷物なのではないか」「夫は社会に迷惑を掛けているのではないか」という恐怖である。
「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。」との記載は、「施しを受ける立場になってたまるか」という高市首相の高貴で歪んだプライドの表明である。それはその後の高市首相の言動からも明らかだ。
投稿では、官邸事務所に問い合わせ、転居に当たってのバリアフリー工事は行われていないことを確認し夫に伝えた、とある。
高市首相の取った解決方法は「私たちは世間様に迷惑はかけていない、公金からの施しも受けていない」という「身の潔白」を証明することだった。
高市首相がこの投稿に込めたのは「障害を持つ者が、その生活のために公金を使うことは申し訳ないことであり、我々はそれを徹底的に拒否することで身の潔白を証明する」というメッセージである。
この投稿は社会一般に「障害者は特別な金がかかる」「障害者が世間様に配慮を求めることは本来慎むべきことである」というスティグマ(負の烙印)を強化する効果を持つ。
マスコミの報道が事実誤認であるか否かはここでは重要ではない。高市首相がどのような意図で発信したものかという主観面も関係ない。客観的事実としてそのようなスティグマを強化する効果を有するという点が問題なのである。
高市首相の夫は、誰かに面と向かって「税金の無駄だ」と非難されたわけではない。誤報ではあったが報道に接しただけである。
しかし、彼は萎縮した。「きっとそのように言われるだろう」「世間様は自分のことをそのような目で見ているだろう」と予期して自ら萎縮し、落ち込んだ。
これはこの社会に蔓延している呪いである。「障害者は社会から非難されないよう常にわきまえて生きなければならない」という呪いである。
「あなたが官邸に入居することでバリアフリー化が進み、この建物が誰にとっても使いやすくアップデートされる」
「税金を使うなという批判は的外れ。私達が胸を張って環境を整えることで、後に続く人たちが『申し訳ない』と思わなくてすむ道をつくることになる」
しかし、高市首相はこの呪いを解こうとしなかった。むしろ無自覚にもこの呪いを強化してしまった。それは高市首相自身もまたこの呪いにからめとられており、かつ、その事実を認識できていないからである。
それは妻と夫が「自助こそが尊く、公助に頼ることは恥である」という強固な政治信条をあまりにも深く共有し、自分たちをも断罪しているからである。
この政治信条のもとでは二人は今の自分たちをありのままに受け入れることができない。この自己受容の欠如は、社会から断罪されるという幻影を生み、底知れぬ恐怖となって二人を襲っている。
今より文明が発展していなかった大昔、人間はちょっとした不運で簡単に弱者に転落した
安全衛生なんて概念がなかったから、働いていてもすぐ事故が起こって不具になった
治安も悪かったから、悪人に襲われたり騙されたりして財産を失うこともザラだった
こんな時代では、仮に有能で本当は社会に貢献できる人材であっても、うっかり不運にぶち当たって弱者に堕ちてる可能性がある
犯罪もなくなってないが、犯人を捕まえて賠償させる制度は整ったし、捜査技術も発展した
義務教育は全国民受けられるし、その先の教育も奨学金や学費減免の制度が充実したことで道が開けた
努力でどうにかしようと思ったらどうにかなるような制度が世の中に満載だからだ
すると自然と「福祉のお世話になる人」にはどんなに頑張ってもどうにもならない、どうしようもない人の濃度が上がる
今や「福祉」とは一生何かの役に立つことが見込めない人間、家族や友達や恋人や同僚や客にいてほしくない人間を示すスティグマになったんだよな
提供されたポストは、ドイツの売春合法化(2002年のProstitutionsgesetz施行)を批判的にまとめています。以下で、各主張を信頼できるソースに基づいて検証します。検証は、ドイツ政府の統計(Destatis)、連邦警察(BKA)の報告、EU機関、NGO、研究論文などを基にしています。全体として、ポストの主張は**大部分が正確または支持される**ものの、一部(例: 強姦増加)は証拠が不十分で、合法化の影響は複雑です。合法化は人身売買を減らすどころか増加させ、労働者保護の目標を達成しきれていないという評価が主流です。
| 主張 | 検証結果 | 根拠・詳細 |
| ------ | ---------- | ------------ |
| **20年以上経っても「課題残りまくりー」って評価だぞ** | **正確** | 2002年の合法化から20年以上経過し、CDU/CSUなどの政党やNGO(例: France24報告)は「目標未達で逆効果」と評価。性労働者の状況改善と人身売買抑制の目的が達成されず、搾取が増加したとされる。2024年の連邦警察報告でも課題が指摘されている。 |
| **そもそも労働者登録してくれない** | **正確** | 2017年のProstituiertenschutzgesetzで登録義務化されたが、登録率は低く、性労働者の多くが登録を避けている。理由: スティグマ、移民の不安、官僚主義。NGOは「登録が保護ではなく監視を生む」と批判。 |
| **20万人以上いる売春婦のうち、2万人程度の登録に留まっている** | **ほぼ正確(数字は更新)** | 推定総数: 20-40万人(Destatis/NGO推定)。登録数: 2023年末で約30,600人、2024年末で約32,300人(前年比8.3%増だがパンデミック前水準未達)。未登録者が大半で、被害者の16%しか登録していない。 |
| **人身取引の温床化** | **正確** | 合法化後、人身売買ケースが増加(BKA報告: 2022年に前年比大幅増)。NGO(例: US State Dept.)は合法化が市場拡大を招き、搾取を助長したと指摘。90%以上の性労働者が人身売買被害者という研究も。 |
| **合法化により、ヨーロッパ各国からのワーカーの流入が増加した結果、貧困につけこんだ組織的な搾取や人身取引が増加した** | **正確** | EU拡大と合法化で東欧(ルーマニア、ブルガリアなど)からの流入急増。貧困移民の搾取が組織化され、人身売買被害者が主に女性・少女(BKA: 2022年多数)。合法化が「ヨーロッパの売春宿」を生んだと批判。 |
| **セックスワークが「労働」として認められたことで、警察が介入しにくくなった** | **正確** | 合法化で売春が「普通の仕事」扱いになり、警察の捜査権限が制限(例: 令状なしの家宅捜索禁止)。人身売買の立証が難しく、警察は「無力」と報告。2017年法で一部強化されたが、効果薄い。 |
| **「ヨーロッパの売春宿」という称号も得た** | **正確(比喩的)** | 合法化後、性観光が増加し、「ヨーロッパの売春宿」「El Dorado for sex tourism」とメディア/NGOで呼ばれる。ハンブルクやベルリンのメガブロthelが象徴。 |
| **客単価が下がった** | **正確** | 市場拡大で供給過多、価格が33%低下(例: 1時間€30未満)。メガブロthelのフラットレートが要因。日本(平均€100以上)より安い。 |
| **ヨーロッパ内でも安いし、当然日本よりも安い** | **正確** | 欧州平均より低価格(例: オランダ€50-100 vs. ドイツ€20-50)。日本は高級志向で€100以上。 |
| **店での待遇の悪化** | **正確** | 価格低下で労働条件悪化(例: 24時間待機、部屋代€50-160/日)。35%のみ改善、残りはリスク増(TAMPEP研究)。 |
| **儲からないならそうなるよね** | **正確(論理的帰結)** | 上記の価格低下と条件悪化の因果関係が研究で確認。儲け減少で搾取強化。 |
| **強姦は減っていない** | **部分的に正確** | 強姦報告数は2002年以降増加傾向(例: 2016年法改正前8%有罪率、2024年ピーク)。しかし、合法化との直接因果は不明(報告増加要因: 法改正、社会意識向上)。性労働者内では暴力継続。 |
| **むしろ増えた** | **証拠不十分** | 全体強姦率は安定/微増だが、合法化が直接原因のデータなし。一部研究(例: JLE)は合法化で強姦減少の可能性を示唆。性労働者被害は増加傾向。 |
| **2017年に規制を強化した** | **正確** | Prostituiertenschutzgesetz施行。登録・健康相談義務、コンドーム強制、ブロthelライセンス化。 |
| **セックスワーカーの権利保護から逸脱して、他の職業より義務、監視が増えてしまった** | **正確** | 登録・年次健康チェック・相談義務が「監視的」と批判(BesD/Amnesty)。他の職業にないスティグマを生み、移民の登録回避を招く。警察の私宅検査も可能。 |
詳細なソースは上記引用を参照。追加質問があればお知らせください。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_546d7dd1-24e3-4743-8706-b4f81f2f16bd
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。
注:この日記は、AI生成ではない。スマホでポチポチ打ってる。オッサンが実在してるし、可能な限り返信する。AI生成ではないという証拠はないが、信じてくれ。以下、本文。
誘拐犯、空き巣、窃盗犯、強盗など過去の犯罪者とプロファイルが被るから、社会から警戒される。
過去の犯罪者による社会への刷り込みが、現在のおっさん排除に繋がっている。
特に行楽地、都市部の公園とかにおっさんがいると、住人にとっては、不自然に感じるから、通報してしまう。
追記:「犯罪者のほとんどはパンを食べていた」←それは、そうなんだが、腕力の弱い女性よりも、男性を警戒することは、防犯対策として、一定程度の合理性があるという意見も無視できない。
追記:ニュースで見たけど、「オッサンカード」の発行は、たしかに、有効だな。地元住人である「オッサン」の素性が明らかになるから、地元の人達は、警戒すべき中年男性とそれ以外を区別できる。
追記:おっさんが、単独行動して警戒されないようにするには、住宅街にある子供の多い公園には、いかない。ビジネス街が近くにあれば、許される。
田舎に行ったときは、地元の人達と会話する。なぜなら、犯罪者の行動としては、他人に覚えられる行動を取らないから、それと真逆の行動を取ると警戒感が薄れる。
追記:ここまで書いて思ってたけど、容姿のいけてない男性は、スティグマを負ってるな。社会から排除されるという圧を解消するための能動的な工夫が必要になる。
実は、アファーマティブ・アクション(AA)やそれに類する「優遇政策」は、経済学的にも長い議論の対象で、労働市場の効率性・インセンティブ構造・社会的資本の形成といった観点から、かなり深く分析されています。
AAによって採用・昇進などで属性が重視されると、「最適な人材配置」が歪むことがあります。
本来、最も生産性が高い候補者を選ぶべきところで、**別の基準(性別・人種・出身など)**が介入する。
結果として、全体の生産効率(total factor productivity)が低下する可能性がある。
たとえば:
Loury (1998), “Discrimination in the Post-Civil Rights Era”
→ AAは短期的な公平性を実現するが、長期的には人的資本(human capital)の最適配分を阻害する。
Coate & Loury (1993), Quarterly Journal of Economics
→ 「低評価リスク」仮説:制度的優遇があると、企業側が「優遇枠の人は平均的に能力が低いかもしれない」と予期し、全体の採用評価を下げる。
→ つまり、恩恵を受ける人自身が市場で過小評価される逆効果が生じる。
経済学では、個人が努力する動機=「期待される報酬 × 確率」。
AAによって「結果の平等」が保証されると、努力のリターンが減少する可能性がある。
Phelps (1972), “The Statistical Theory of Racism and Sexism”
→ もし企業が属性を基準に期待値を修正する(例:「女性は平均的に○○が低い」など)と、
個人が努力しても評価が改善されにくく、人間資本投資のインセンティブが下がる。
Becker (1957), The Economics of Discrimination
→ 市場競争の中では、長期的には差別はコストになる(=差別する企業が淘汰される)。
つまり、市場メカニズムに任せた方が、平等を促す方向に進む可能性がある。
🔹 3. スティグマ効果(signal distortion)
「AAによる採用・昇進=能力より制度的配慮」と見られることで、
これはゲーム理論的には「シグナリング(signaling)」の問題として扱われます。
Coate & Loury (1993)モデルでは、AA導入後、採用者が「優遇されているグループ」に対して
“平均的に能力が低い”という信念を形成 → 雇用主が訓練投資を減らす。
→ その結果、実際に能力格差が固定化されるという自己成就的な悪循環が起きる。
市場の信号構造を歪め、差別を制度的に固定化するという逆効果が生まれる。
経済学では信頼・ネットワーク・協調といった“社会的資本”も重要な生産要素とされています。
グループ間の信頼が低下
成功の原因が「努力」ではなく「制度」に帰属される(=相互尊重の低下)
→ 結果的に、社会全体の協力効率(cooperative efficiency)が下がる。
この点は、Putnam(2000)『Bowling Alone』や Fukuyama(1995)『Trust』などでも、
“制度的な平等の押し付け”が社会的信頼を損なうという形で議論されています。
AAを受けて育った世代が、次の世代に「努力よりも制度を頼る文化」を引き継ぐ可能性があります。
→ これを “policy dependence equilibrium”(政策依存均衡)と呼ぶモデルがあります。
例:
Cass Sunstein (1991) “Why Markets Don’t Stop Discrimination”
→ 政策が続く限り、民間の慣習変化(文化的進化)が進まない。
🔹 総合すると…
アファーマティブ・アクションは短期的には平等を“見かけ上”実現するけれど、
長期的には:
生産性の低下(misallocation)
これって完全に「去勢」の発想だよね
子供が自分の意思を持ち、その年齢らしい反抗や試行錯誤をする事を認めない
聞き分けが良く素直で可愛く障害者になり媚び諂ってペットや2級市民としてお情けで生かしてもらう事を言ってる?
何ともグロテスクな話だ
で、そうやって小学校に入学する前からお前は発達障害者だとスティグマを植え付けて育てられた子供は
早期に「わきまえて」セルフ断種を選び恋愛や結婚を諦めるだろうから、孫の顔は見れないね
いまだ だいすけ
@QSeSlEN6j1YAKO
発達障害は早期診断した方がいい
できれば小学生になる前に
そうすれば、まだ頭が柔らかいから、特技を身につけさせる(絵や楽器演奏、演劇、作文など)とか、療育をして健常者の世界で生きれるように訓練するとかができる。思春期以降になり自我が固定されたら手遅れなんだよ。
こいつといい、
https://anond.hatelabo.jp/20251015112650
ブクマ米といい、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251015112650
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251013192216
なんで個人のコミュ力や意識の問題に矮小化したがる人がこうも多いのかねえ。
統計からはまず何よりも、「経済的に余裕がなくて将来にも希望が持てないから恋愛どころではない」という事実が明らかなんだが。
それに対して有効なのは賃上げや労働環境の改善、子育て支援ではない全般的な社会保障の充実であって、個々人が清潔感だのコミュ力だのを磨いて対応したところでそんなの焼け石に水なんだよ。
石破氏の作文に「涙が出る」とか言ってる人がいるが、いま80年前の戦争にまつわる概説的な文章読んでそんな感動したりするか?別段、口にすることも許されなかった真実が初めて明るみに出されたわけでもない。歴史の授業はまいたび阿鼻叫喚だったか?
翻って、高市新総裁に対する印象操作のチマチマした工作が止まらない。
高市がワークライフバランス無視すると言った!
批判するのは別にいい。日本で一番批判を受け止めなければならないポジション(に就任見込み)なのだから。でも内輪で気勢上げるためのカスみたいな難癖はダメだ。それはジャーナリズムが本来担うべき「権力の監視」という仕事をサボって遊んでるだけである。
ごく冷静に言って石破も高市も政治家として大したタマではない。ずっと手を挙げ続けてきた結果、あんまりおいしくないタイミングでお鉢が回ってきただけの並の人物である。その並のおっさんおばはんを泣くほど持ち上げたり蛇蝎のごとく忌み嫌ったりするのは何故か?
今後、高市氏へのネガキャンは「女性なのに別姓を阻止しようとする裏切り者」というスティグマを軸に行われるだろう。
しかし氏姓なんて今やただの識別符号である。同姓絶対派が言うような国と社会の根幹でもないし、別姓派が言うようなスバラシイもんでもない。
みんな【ほんとうはどうだっていい】からこそ熱くなれるんだろ。サッカーワールドカップでボールがライン割った割ってないで大騒ぎするように。
本当に一つ一つの言動や選択に自分や家族の生命財産がかかってる時には、人間はそんなワーキャー言わない。
年中無休でバカなことを言ってる内田樹はたまに普通のことを言う。その一つが「知ったかぶりや受け売りでモノ言ってる奴こそ一歩も譲れない」というものだ。