はてなキーワード: 1960年代とは
時は1960年代、アメリカは空前のランニングブーム。そこに目をつけた男がおりました。その名はフィル・ナイト。彼はオレゴン大学の陸上選手であり、彼のコーチであるビル・バウワーマンとともに、日本の優れたランニングシューズをアメリカに輸入することを思いついたのです。
二人は日本のオニツカ株式会社(現在の株式会社アシックス)と提携し、ブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立。そして、彼らが輸入したのが、オニツカタイガーブランドのランニングシューズでした。
その中でも、特に人気を博したのが「タイガーコルテッツ」でありました。軽量でクッション性に優れたこのシューズは、多くのランナーに愛用され、アメリカのランニングブームを牽引する存在となったのです。
しかし、順風満帆に見えたBRS社とオニツカの関係に、やがて亀裂が生じ始めます。フィル・ナイトは、自社ブランドのシューズを開発することを決意し、オニツカとの提携を解消。
そして1972年、フィル・ナイトは自社ブランド「ナイキ」を立ち上げ、満を持して「ナイキコルテッツ」を発表したのです。オニツカの「タイガーコルテッツ」と酷似したデザインでありましたが、ナイキのスウッシュロゴが燦然と輝いておりました。
オニツカは、ナイキによるコルテッツの販売差し止めを求め、訴訟を起こしました。しかし、裁判の結果、ナイキがコルテッツの商標使用権を獲得。オニツカは、「タイガーコルテッツ」の名称を「タイガーコルセア」に変更せざるを得なくなったのです。
こうして、同じルーツを持つ二つのシューズ、「コルテッツ」と「コルセア」が誕生したのであります。
コルテッツは、ナイキのアイコンとして、現在も世界中の人々に愛されています。一方のコルセアも、アシックスの定番モデルとして、根強い人気を誇っております。
連続波(Continuous Wave, CW)とは、一定の周波数と振幅を持つ連続的な電磁波(正弦波)のことを指します。
CWは、無線通信やレーダー、科学実験などで広く使われる基礎的な波形です。
無線通信の歴史において、CWは火花送信機の「パルス波」に代わる技術として登場し、音声通信(AM、FM)やデジタル無線通信の基礎となった 重要な概念です。
CWは、以下のように時間的に途切れず、一定の周波数を持つ波です。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
CWは一定の周波数で変化し続ける波であり、火花送信機のように短いパルスにならない。
📌 火花送信機(Spark Gap Transmitter)の波形
--- --- --- (パルス波)
瞬間的な高電圧パルスを発生させるため、波形が不安定で、周波数の制御が難しかった。
パルス波しか作れないため、音声のようなアナログ波形を送ることが不可能だった。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
周波数が正確に制御できるため、受信機がより効率よく信号を検出できる。
CWは、最初にモールス符号(CW電信)の送信に使われました。
送信機をON(CWを送信)すると「長音(トーン)」が発生する。
これを使って、「短点(・)」と「長点(-)」を表現する。
送信: CW ON - CW OFF - CW ON - CW OFF - (短点) 送信: CW ON ---- CW OFF (長点)
火花送信機と違い、電波が正確に送信できるため、遠距離通信が可能になった。
CWを使うことで、音声(アナログ信号)を送信できるようになった。
CWの振幅(強さ)を変化させることで、音声を無線で送る方式が生まれた(AM変調)。
CW: ~~~~~~~~~~~~~~~~ 音声: --- --- --- AM波: ~~~--~~--~~--~~~
振幅を音声に応じて変化させると、音声信号を無線で送ることができる。
CWを使えば、周波数を変化させて情報を送ることもできる(FM変調)。
基本CW: ~~~~~~~~~~~~~~~~ 音声: --- --- --- FM波: ~~ ~~~ ~~ ~~~~~ ~~~
CWの周波数を音声に応じて変化させると、よりノイズに強い通信ができる。
FMラジオ、携帯電話の音声通信(VoLTE)などに応用されている。
CWは、無線通信の基礎を築き、その後の技術革新に大きな影響を与えました。
19世紀 火花送信機 短いパルスのみ送信可能(モールス符号)
1900年代初頭 CW(連続波) 安定した信号を送信できるようになる
1960年代~ デジタル変調(ASK, FSK, PSK) CWをデジタル信号に変換して通信
現在でもCW(連続波)は、以下のような用途で使われています。
レーダー(CWレーダー) → 速度測定(ドップラー効果を利用)
光通信(レーザーCW) → 連続光波を使った通信(光ファイバー)
(1) 周波数の安定性が高い
CWは、一定の周波数で振動し続ける正弦波 であるため、周波数を正確に制御できる。
これにより、受信機が特定の周波数の信号を効率的に受信できる。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ (一定の周波数)
特定の周波数にチューニングして受信できるため、混信が少なく、長距離通信に向いている。
CWは、そのままでは単なるキャリア波(搬送波)に過ぎないが、振幅・周波数・位相を変えることで情報を載せることができる。
AM(振幅変調) → CWの強さ(振幅)を変化させて音声を送る。
FM(周波数変調) → CWの周波数を変化させて音声を送る。
デジタル変調(ASK, FSK, PSK) → CWをデジタル信号に変換してデータを送る。
~ ~ ~ ~ ~ ~ (小さい音) ~~ ~~ ~~ ~~ (大きい音)
音声をそのまま変調できるため、ラジオ放送や電話通信に適している。
CWは特定の周波数の電磁波を送り続けるため、受信機が「どの周波数を受信すべきか」を正確に特定できる。
受信機は、特定の周波数にフィルターを合わせるだけで、ノイズを除去して正しい信号を受け取ることができる。
送信:~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 受信:~~~ (ノイズを除去し、信号を復元)
パルス波では、瞬間的な信号なので、受信時にノイズの影響を受けやすい。
CWは、狭い帯域(ナローバンド)で効率的に伝送できるため、長距離通信に適している。
例えば、アマチュア無線のモールス符号通信(CWモード)は、数千km以上の距離を低出力で通信できる。
送信: - . -. - (TEST) 受信: - . -. - (遠距離でも受信可能)
火花送信機のようなパルス波では、周波数帯域が広がりすぎてエネルギーが拡散し、長距離伝送が難しくなる。
2. それでもパルス波が使われる場面
(1) レーダー
レーダーは、短いパルス波を発射し、反射波を受信することで距離や速度を測定する。
CWレーダー(連続波レーダー)もあるが、距離測定にはパルスレーダーが有利。
送信: --- (短いパルス) → 物体に反射 → 受信(時間差から距離を計算)
パルス波は「いつ送信したか」が明確なため、正確な距離測定が可能。
パルス波は、デジタル通信の基礎となる「1」と「0」を表現するのに適している。
例えば、光ファイバー通信では、光パルスのON/OFFでデータを伝送する。
光: --- --- --- (1) 無光: --- (0)
パルス波は、明確なON/OFF信号を作れるため、高速なデジタル通信に向いている。
UWB(Ultra-Wideband)通信では、非常に短いパルス波を使い、広い周波数帯域でデータを伝送する。
これにより、高精度の測距(GPS代替)や、低消費電力の通信が可能になる。
送信: --- --- --- --- (広帯域のパルス信号)
短距離・高精度の測距に使われる(例: スマートフォンのUWBチップ)。
3. まとめ
✅ 音声やデータ通信には「連続波(CW)」の方が適している。
✅ CWは安定した周波数を持ち、変調による情報伝達(AM、FM、デジタル変調)が可能。
✅ CWは受信機が信号を復元しやすく、長距離通信にも向いている。
周波数ホッピング方式の特許をハリウッド女優と作曲家が取ったって本当ですか!?
嘘ついてない?
はい、本当です!1941年、ハリウッド女優のヘディ・ラマー(Hedy Lamarr)と作曲家のジョージ・アンタイル(George Antheil)は、無線通信の「周波数ホッピング方式」に関する特許(US Patent 2,292,387)を取得しました。
彼らは専門家ではありませんでしたが、当時の無線通信の課題を見抜き、独自の発想で画期的な解決策を考案したのです。
第二次世界大戦中、アメリカは**無線で操縦する魚雷(無線誘導魚雷)**の開発を進めていました。しかし、敵に通信を妨害(ジャミング)されると、魚雷の制御が効かなくなるという問題がありました。
📌 問題点
当時の無線通信は固定周波数で行われており、敵がその周波数を特定すれば簡単に妨害できた。
もし通信が妨害されると、無線誘導魚雷は制御不能になってしまう。
📌 彼らのアイデア
周波数を短時間で次々に変えることで、敵の妨害を受けにくくする(周波数ホッピング方式)。
送信機と受信機が同期して同じパターンで周波数を切り替えることで、常に正しい通信を維持する。
(1) ヘディ・ラマーの背景
彼女は単なるハリウッド女優ではなく、非常に聡明で科学に興味があった。
彼女の元夫は、ドイツの兵器商人であり、彼を通じて軍事技術(無線通信や兵器システム)についての知識を得ていた。
📌 ヘディ・ラマーの発想
彼女は、「固定周波数の通信は妨害されやすい」という問題に気づき、「周波数を変えながら通信すればいいのでは?」と考えた。
彼はピアノのロール(自動演奏のための穴が空いた紙テープ)を応用して、無線の周波数を自動で変化させるアイデアを考えた。
📌 アンタイルの発想
「ピアノの鍵盤を自動で押すロールのように、無線の周波数を自動的に切り替えられないか?」
これが、周波数ホッピングを機械的に制御する方式のアイデアとなった。
3. 彼らの発明の仕組み
彼らの特許(US Patent 2,292,387)は、「**秘密通信システム(Secret Communication System)」という名称で、**以下のような仕組みを提案していました。
送信側と受信側で、同じ「周波数の切り替えパターン」を事前に決めておく。
敵が周波数を特定しようとしても、通信が瞬時に別の周波数へ移動するため、妨害しにくくなる。
ピアノの自動演奏のように、「どのタイミングでどの周波数に切り替えるか」を制御するシステムを考案。
これにより、送信機と受信機が完全に同期して周波数を変更することが可能になった。
4. 彼らの発明の影響
(1) 軍事技術としての発展
当時の軍はこの発明を採用しなかった(技術的に実装が難しかったため)。
しかし、後に電子回路の発展(トランジスタ・デジタル制御)が進むと、この技術が再評価された。
1960年代、アメリカ軍がこの技術を軍事通信(ミサイル誘導・レーダー通信)に採用した。
この周波数ホッピングのアイデアは、現代の無線通信技術の基礎となり、以下の技術に応用されている。
先生何でも知ってるな
(1) 口伝(くでん)と使者 (2) 狩猟・戦争における合図 (3) 狼煙(のろし)
(1) 楔形文字(メソポタミア)・ヒエログリフ(エジプト) (2) 郵便制度の発展
(1) 紀元5世紀~15世紀 (2) 烽火(ほうか)・のろし (3) 飛脚制度(日本)
(2) 交換機の導入
グリエルモ・マルコーニが無線通信(ラジオ通信)の実験に成功。
1901年、大西洋横断無線通信を達成し、船舶や遠距離通信で活躍。
1920年代にAMラジオ放送が開始され、大衆向けの放送メディアとして普及。
腕木通信の仕組みについて教えてください
1. 基本構造
通信塔(セマフォア塔) 高い場所に建てられ、見晴らしの良い地点に設置される。直線上に複数の塔が並び、情報をリレー方式で伝える。
腕木(アーム) 一般的には2本または3本の可動式の木製の腕。腕の角度を変えることで、異なる文字や数字を表現する。
制御機構 塔の内部には腕木を動かすためのハンドルやロープがあり、通信員が操作する。
2. 通信の流れ
腕木通信では、腕木の角度を組み合わせてアルファベットや数字を表す符号が決められていました。
例: ある位置の角度が「A」、別の角度が「B」を意味する。組み合わせることで単語や文章を伝達。
(2) 視認と伝達
発信者(通信員)が塔の上で腕木を特定の角度にセットする。隣の通信塔の通信員が望遠鏡でその信号を確認する。確認した通信員が同じ符号を自分の塔で再現する。これを繰り返し、情報が数十~数百km先までリレー方式で送られる。
3. 腕木通信の特徴
(1) 速さ
馬や飛脚より圧倒的に速く、良好な天候なら数百km先まで数分~数時間で伝達できた。例: フランスでは、パリ~リール間(約230km)を約3分で通信可能だった。
(2) 天候の影響
晴天時は遠くまで見えるため有効だったが、霧・雨・夜間は利用できなかった。これが電信の発明へとつながる大きな要因となった。
フランスではナポレオン戦争(1803-1815年)の際、軍事通信に活用された。ヨーロッパ各国でも行政・軍事目的で導入。
アルファベットや数字を表すために、腕木の角度を組み合わせた符号表(コードブック)が用意されていました。
ここでは、腕木通信で「HELLO」を送る具体的な手順を説明します。
腕木(アーム):通常、2本または3本の可動アームが使われる。
符号表(コードブック):各アルファベットや数字に特定のアームの角度が割り当てられている。
A = 10° / 30°
B = 20° / 40°
C = 30° / 50°
...
H = 80° / 120°
E = 50° / 90°
L = 70° / 110°
O = 90° / 130°
2. 「HELLO」を送る手順
腕木通信は 1文字ずつ順番に送信 し、隣の塔がそれを読み取り、次の塔に伝えるリレー方式で情報を伝達します。
(1) Hを送信 通信塔のオペレーターが腕木をHに対応する角度(80° / 120°)に設定。隣の塔の通信士が望遠鏡で確認し、同じ符号を再現。
(2) Eを送信 次に、腕木をEの角度(50° / 90°)に変更。これを隣の塔へリレー。
(4) Oを送信 最後に、Oの符号(90° / 130°)を送る。
文字ごとに送ると時間がかかるため、短縮コード(例:「HLO」で「HELLO」とする)を使うこともあった。軍事通信では暗号化された符号も使用。
エラーチェック
送信ミスを防ぐために「確認信号」を送ることがあった。受信者が「正しく受信した」ことを示す信号を返す方式も採用。
単なるアルファベットだけでなく、「数字」「特別な記号」も符号表で定義。
A = 10° / 30°
とはどういう意味なのですか?
10度のこと?30度のこと?
「A = 10° / 30°」という表記は、腕木(アーム)が複数ある場合に、それぞれの角度を指定する方式です。
通常、腕木通信には2本または3本の可動アームがあり、それぞれのアームを特定の角度にセットすることで、1つの文字や数字を表現します。
例えば、2本の腕木(上側と下側)がある場合:
上のアーム:10° 下のアーム:30°
>受信者が「正しく受信した」ことを示す信号を返す方式も採用。
これはどのような仕組みですか?
腕木を「A」に対応する 10° / 30° の位置にセットし、隣の塔に見せる。
確認信号(例:「了解」を示す特定の腕木角度、または短い「OK」信号)を送信する。
例えば「50° / 90°」のように、「受信しました」の意味を持つ角度が設定される。
受信者からの確認信号を見て、正しく受信されたことを確認 する。
もし確認信号が来ない場合、または誤りを示す信号が来た場合、もう一度「A」を送信し直す。
腕木通信には、以下のようなエラーチェックの方法も考案されました:
(1) 再送要求
受信者が符号を読み取れなかった場合、「もう一度送ってください」という特定の信号(リクエスト信号)を送る。
例:「不明瞭」や「再送」を示す角度(例:60° / 120°)を使用。
(2) 確認の二重チェック
受信者だけでなく、次の塔が再び「A」を送ることで、送信者が正しく伝わったことを確認できる。
これにより、1つの塔で間違いがあっても、別の塔で補正が可能。
電鍵(モールスキー) 手動のスイッチで、押すと電流が流れる。押す時間の長短で「短点(・)」や「長点(―)」を作る。
(2) 通信線
電線(単線または複数線)送信機と受信機をつなぐ導線。初期の電信機は1本の電線と地面(アース)を回路として利用。
電磁石
送信側でスイッチが押されると、電流が流れて磁場が発生。電磁石が作動し、紙に記録する装置が動く。記録装置(スタイラス & 紙テープ)スタイラス(針) が上下に動き、紙テープに「短点(・)」や「長点(―)」を記録。初期は音ではなく、紙テープに記録する方式が使われた。
モールス電信機の受信機は、以下の主要な部品で構成されています:
(1) 電磁石
送信者が電鍵(モールスキー)を押すと、電流が流れ、受信側の電磁石に電流が到達。電磁石が磁力を発生し、アームを引き寄せる。
電磁石の磁力によってアームが動く(電流が流れた瞬間に引き寄せられる)。電流が切れると、バネの力でアームが元の位置に戻る。
(3) スタイラス(記録針)
アームの先端には スタイラス(記録針) が付いている。アームが動くことで、スタイラスが紙テープに接触し、点や線を刻む。
(4) 紙送り装置
受信機には ロール状の紙テープ がセットされており、一定の速度で送られる。紙テープが一定の速度で進むことで、信号が「短点(・)」や「長点(―)」の形で記録される。
記録の流れ
(1) 短点(・)の記録
送信者が電鍵を短く押す(例:0.1秒)。受信機の電磁石が一瞬作動し、アームが紙に軽く接触。紙に小さな点が刻まれる(・)。電流が切れると、バネの力でアームが元の位置に戻る。
(2) 長点(―)の記録
送信者が電鍵を長く押す(例:0.3秒)。受信機の電磁石が長い間作動し、アームが長時間紙に押し付けられる。紙に長い線(―)が刻まれる。電流が切れると、バネの力でアームが元の位置に戻る。
(3) スペース(間隔)
電鍵を押さない時間が長いと、記録装置には何も刻まれず、文字の区切りが生まれる。一定時間(例:3単位)何も信号がなければ、単語の区切りとみなされる。
初期のモールス電信では、紙テープに記録された符号を手作業で解読していた。
しかし、受信機のアームが動くと「カチッ」という音がすることに気づき、オペレーターが耳で直接モールス符号を聞き取る方式(サウンドレシーバー方式)が生まれた。
これにより、紙に記録しなくてもリアルタイムでメッセージを受信できるようになった。
電線に電流を流す仕組みを聞いた限り距離が制限されそうに思えます
これについて詳しく教えてください
モールス電信機は電流を電線に流して情報を伝えるため、通信距離にはいくつかの制限がありました。特に、長距離になると電流が弱まり、信号が減衰(減少)するという問題がありました。
ここでは、電信の通信距離の制限と、それを克服するための技術について詳しく解説します。
長距離の電信通信において、電流の減衰(弱まる)原因として次のような要因がありました。
(1) 電気抵抗
電線の長さが長くなると、電気抵抗(電流の流れを妨げる力)が増えるため、電流が弱まる。銅や鉄などの導線を使用していたが、特に鉄線は抵抗が大きく、距離が長くなると信号が伝わりにくくなる。
19世紀の電信では、片側の導線+地面を電流の経路として使用(単線電信方式)していた。しかし、湿気や土壌の違いによって電流が地面に漏れ、信号が弱くなることがあった。
近くに他の電信線があると、電磁誘導によって信号が干渉することがあった。雷や電磁気の影響によって信号が乱れることもあった。
こうした問題を解決するために、いくつかの技術が導入されました。
「リレー(中継器)」を使って信号を増幅する方法が発明された。1835年、ジョゼフ・ヘンリーが電磁リレーを開発。リレーは、受信した信号を増幅して再送信することで、長距離通信を可能にした。例えば、100kmごとにリレーを設置すれば、電流の減衰を防ぎ、信号を遠くまで伝えられた。
初期の電信では低電圧(数V程度)だったが、より高い電圧(数十V~100V)を使うことで信号を強くし、距離を延ばした。ただし、高電圧は電線の絶縁性を高める必要があるため、ゴムやガラスを使った絶縁技術が発展した。
初期の電信では鉄線が多く使われていたが、鉄は抵抗が高いため、導電率の高い銅線が採用されるようになった。銅線の採用により、長距離でも電流の減衰が少なくなり、信号が安定。
長距離の海底電信ケーブルでは、さらに電流の漏れを防ぐ工夫が必要だった。1858年、最初の大西洋横断海底ケーブルが敷設されたが、当初は絶縁技術が未熟で、短期間で故障。1866年、改良された絶縁材(ガタパーチャ樹脂)を使用したケーブルが成功し、長距離通信が可能になった。
1844年 64km(ワシントンD.C. - ボルチモア) 初期の電信
1861年 約3,000km(アメリカ大陸横断電信) リレー技術の発展
1866年 約4,000km(大西洋横断海底ケーブル) 絶縁技術と増幅器の進化
1900年 数万km(グローバル電信網) 高電圧、改良ケーブル、無線通信の併用
電信通信において、距離が長くなると電流が減衰し、信号が弱くなる問題が発生しました。この問題を解決するために開発されたのが 「リレー(中継器)」 です。
リレーは、弱まった電流を利用して新しい電流を作り、信号を増幅して次の区間へ送る装置 です。ここでは、リレーの仕組みを詳しく説明します。
(1) 電磁石
入力側から微弱な電流が流れると、電磁石が作動 する。これにより、リレー内部のスイッチ(接点)がONになる。
電磁石の磁力でスイッチが閉じる(ON)と、新たな強い電流が流れる。つまり、弱い信号をトリガーとして、新しい電流を発生させる。
(3) 新しい電源
二酸化炭素による地球温暖化説は1950年代には既に広まっていました。
たとえば1956年の映画『空の大怪獣ラドン』の劇中でも地球温暖化への言及があります。
その後、1960年代になると逆に地球寒冷化説が広まりましたが、1970年代には再び地球温暖化説が唱えられるようになりました。
国際地球観測年であった1957年(昭和32年)、大気中のCO2濃度の定期的な測定が世界で初めてハワイ・マウナロア観測所で開始された。
このようなモニタリング結果の蓄積等を背景として、1970年代の終わり頃から地球温暖化に関する科学者の報告が活発に行われはじめた。
たとえばガンダム放送の一年前、1978年に刊行された『文明とは何か』では、
アメリカの気候学者のミッチェル博士が全世界的な規模で統計した大規模な調査結果によると、一九四〇年ころから最近三十年くらいは全地球的な気温は、確実に寒冷化している。
さて、これに対して現在のように石油その他の燃料を大量に消費し続けて、全世界の炭酸ガスが増加すると、炭酸ガスは太陽の放射エネルギーを捕捉し、その温室作用が嵩じて、その影響のために、地球大気の温度は相当に上昇するはずだとする学者も相当ある。(中略)ここ三十年位さきまでと限定すれば、前述の如く地球温暖化の傾向をもっているとする学者が、圧倒的に多くなってきた。
自分が子供の頃のようなお金持ちじゃないけど豊かな日本をみたいなことを言い、
それが多くの自民党議員の心を打ったみたいな記事があったけど、
あの頃の日本に戻したい人なんて本当にいるのかな?
何で下の世代にそういう豊かさを感じさせようって発想にならないのかな?
同列にする気はないけども、例えば霊感商法は自分の先祖や前世に悪い事があり、
そういう自分じゃどうにもできない、存在するかわからないことへの解決策として救済策を持ち出すんだと思うけど、
令和の時代に石破氏のノスタルジーの中にしかないかもしれない、
実在したのかわからない日本を追いかけないと行けない自民党議員や支持者ってそれで本当に納得してるの?
単純に疑問だ。
https://www.boj.or.jp/mopo/outline/bpreview/index.htm
昨年末、日本銀行が、25年間の金融政策を検証する「多角的レビュー」を発表した。これは、まるで長年の病に苦しむ患者が、ようやく自らの病状を詳細に記録し、分析を始めたかのようだ。しかし、オーストリア学派の経済学者デ・ソト氏の言葉を借りれば、これは「日本経済の病」と呼ばれる症状の分析に過ぎない。日銀は、過去の政策を検証するだけでなく、なぜ「病」が発症し、そして今もなおその症状が続いているのか、本質的な原因に目を向けるべきだ。
1960年代から1980年代初頭、日本経済は世界から羨望の眼差しで見られた。しかし、それは硬直した経済構造、過剰な規制、介入主義、そして何よりも、金融操作と信用拡大による巨大なバブルの上に築かれた虚構の繁栄に過ぎなかった。1990年代初頭、バブルが崩壊すると、日本経済は長期にわたるデフレに突入した。日銀は、量的緩和、ゼロ金利、マイナス金利など、あらゆる政策を試みたが、デフレから脱却することはできなかった。
バブル崩壊後の金融危機には、4つのシナリオが考えられる。①際限のない資金注入によるハイパーインフレ、②銀行システムの完全崩壊、③経済構造の自発的なリストラ、そして④経済の硬直化を温存したままの、大規模金融緩和と公共支出の継続による「日本化」。日本が選んだのは、残念ながら最後の道だった。日銀は、バブル崩壊後の混乱を収めるために、金融緩和という名の麻薬を使い続けた。結果、企業は自らリストラするインセンティブを失い、生産的な資源は旧態依然とした非効率な分野に滞留した。
これは、オーストリア学派がいう「投機バブルと信用膨張」がもたらす当然の結果だ。
アベノミクスは、日本経済を刺激するための最新の試みだったが、結局は過去の政策の焼き直しに過ぎなかった。異次元緩和、財政出動、そして円安誘導は、一時的な効果はあったものの、結局は根本的な問題には何も対処しなかった。その結果、日本は世界で最も債務を抱えた国となり、デフレは完全に払拭されなかった。
デ・ソト氏が指摘するように、これはまさに「経済の日本化」の症状そのものだ。問題は、経済の硬直性。すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。
オーストリア学派の視点から見れば、日本経済が回復するためには、マクロ的な金融操作ではなく、ミクロ的な構造改革こそが必要だ。それは、規制緩和、労働市場の自由化、税制改革、そして公共支出の削減である。利潤に課税する税制を改め、資本を蓄積し、生産性を向上させるための政策こそが求められる。
日銀は、大量の資金注入や金利操作に固執するのではなく、経済を自発的にリストラするインセンティブを創出することに注力すべきだ。
さらに、日銀が行ってきたゼロ金利やマイナス金利政策は、人為的に金利を操作しようとする試みに過ぎない。市場経済において、金利は資源配分を効率化するための重要な価格シグナルである。このシグナルを歪めることは、経済全体を歪めることに繋がる。デ・ソト氏が指摘するように、マイナス金利は、人々に「何もしないこと」を奨励し、経済の無気力をさらに助長する。
また、ゼロ金利政策は、財政赤字を無制限に自動的にファイナンスするために使われるため、政府が構造改革に取り組むインセンティブを奪い、ポピュリズムを蔓延させる。
中央銀行家たちは、自分たちが市場を動かせると思い込んでいる。しかし、過去の政策が示すように、それは幻想に過ぎない。
彼らは、金融緩和策という麻薬を使い続け、一時的な快楽を追求するうちに、経済を麻薬漬けにしてしまった。もはや、麻薬がなければ経済は立ち上がることができない。
この悪循環を断ち切るためには、金融政策万能という幻想を捨て、市場の自律的な回復力を信じるべきだ。
構造改革を断行し、企業家精神を解き放ち、経済のダイナミズムを取り戻すことこそが、真の解決策である。
日本銀行は、過去の金融政策を徹底的に見直し、その限界を認識すべきだ。日銀にできることは、物価を安定させ、市場の機能を維持することだけ。経済成長や雇用創出は、企業家精神と自由経済の世界に任せるべきである。
金融・財政刺激策は、一時的な痛みを和らげる効果はあるかもしれないが、根本的な問題を解決することはできない。根本的な問題とは、経済の硬直性、すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。これらの構造的な問題に正面から取り組まない限り、日本経済の病は癒えることはないだろう。
日銀が本当に経済の健全化を望むのであれば、金融政策の限界を認め、構造改革を促すようなメッセージを明確に示すべきだ。そして、デフレ脱却という短期的な目標を追いかけるのではなく、長期的な繁栄の実現に焦点を当てるべきである。
私たちが映画やドラマ、コミックなどのエンターテインメント作品を楽しむ際、その登場人物の多様性や社会的メッセージに注目する声が近年ますます大きくなっている。特に、ハリウッド映画を中心とするアメリカの大作作品では、女性ヒーローやマイノリティのヒーローを積極的に描く動きが顕著になってきているといえるだろう。こうした流れの中で、たとえば「アヴェンジャーズ」シリーズのような超大作ヒーローチームにも、より多様なバックグラウンドを持つキャラクターや社会的少数者の活躍を求める意見が増えているのだ。その一方で、こうした多様性の拡充を「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)に迎合しすぎだ」と批判する声も少なくない。では実際に、「ポリコレアヴェンジャーズ」を真に望んでいるのはどのような人々なのだろうか。そして、それを批判する人々は何を懸念し、何を恐れているのだろうか。本稿では、その背景や対立の構図を整理し、考えてみたい。
まず、「ポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)」とは、もともと差別や偏見のない公正な言葉遣い・考え方を目指す姿勢を指していた。人種や性別、性的指向、宗教、障がいの有無などに関わらず、できるだけ当事者を傷つけない表現や待遇をすることが重要だ、とする考え方である。やがて、社会全体の意識が多様性やインクルージョン(包摂)を尊重する方向へシフトする中で、エンターテインメント業界にも「差別や固定観念を助長するような内容は見直すべきだ」という声が波及していった。この動き自体は決して新しいものではないが、SNSの普及に伴い消費者の声が一気に可視化されるようになったことで、その影響力はかつてないほど増大している。
一方で、ヒーローものの代表格として、マーベルコミックスやその実写映画であるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の人気は世界的に揺るぎないものとなった。複雑なバックグラウンドを持つキャラクターや、女性ヒーロー、異なる人種・文化背景をもつヒーローの登場も少しずつ増えてきたとはいえ、シリーズ初期の中心ヒーローは白人男性が多かったことは否定できない。もともとコミックスの発行開始時期が1960年代前後であり、その頃のアメリカ社会の反映が作品に色濃く残っているため、やむを得ない面もあるだろう。しかし近年の映画シリーズでは、ブラックパンサーやキャプテン・マーベル、シャング・チーなど、多様なバックグラウンドをもつヒーローが次々と登場し、まさに「多様性を重視した新時代のヒーロー像」が打ち出されている。その流れに呼応して、「もっと女性やマイノリティのヒーローを活躍させてほしい」「既存のヒーローチームを抜本的にアップデートして、多様性を真に反映させる“アヴェンジャーズ”を観たい」というファンの声が高まりを見せているのだ。
では、「ポリコレアヴェンジャーズ」を望む人々とは、具体的にどのような層なのだろうか。第一に、SNSやコミュニティサイトなどのオンライン空間において多様性を積極的に支持するアクティビスト層や、その思想に共感するファンが挙げられる。彼らは作品の中における人種的ステレオタイプやジェンダー不平等を厳しく批判し、世の中の価値観がアップデートされた現代にふさわしいエンターテインメントを求めている。彼らにとっては、スーパーヒーローが男性・女性・その他多様な性や文化背景を横断し、最終的には誰もが活躍できる世界を提示することこそが理想なのだ。
第二に、エンターテインメント業界側もまた、多様性を重視する政策や市場の反応を見て、積極的に「ポリコレ」を取り入れる傾向がある。ハリウッドでは映画制作における人種構成やジェンダーバランスを考慮した「インクルージョン・ライダー」など、具体的な取り組みが話題になることも増えてきた。作品がグローバルに公開されるにあたっては、多様な視聴者の感情を考慮し、多くの国や地域で「受け入れられやすい」形を模索するようになっている。マーケティング上の戦略として見ても、マイノリティの視聴者を取り込むことは大きなビジネスチャンスに繋がると考えられるからだ。
こうした文脈の中で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を待ち望んでいるのは、言うなれば「これまで声が届きにくかった層の人々」や「多様性を当たり前だと考える若い世代のファン」、そして「マーケットの可能性を重視する映画スタジオ」などである。しかし、ここで見逃せないのは、こうした変化を歓迎する人々がいる一方で、「ポリコレが行き過ぎている」と感じる人々の声が根強いことだ。彼らは「エンターテインメントは政治的メッセージや社会運動のための道具ではない」と考えており、あくまで“娯楽”としての物語に集中したいのだという。また、中には既存キャラクターの性別変更や人種変更が行われることを「原作への冒涜だ」と批判する人たちもいる。
特に「伝統的なヒーロー像」に愛着をもつファンの中には、「長年培われてきたキャラクターのイメージやオリジンストーリーを、製作サイドが都合よく改変してしまうのはいかがなものか」という不満を持つ者がいる。ヒーローたちの本質は、その人種や性別を超えて「いかに困難を克服するか」や「いかに正義を貫くか」にあるのであって、「外見上のマイノリティ性」が強調されるあまり肝心の物語が薄れてしまうのではないか、と懸念しているのだ。こうした考えを持つ人々にとって、「ポリコレアヴェンジャーズ」はマーケティング重視の“お仕着せ”のようにも映ってしまう。
さらに、近年のSNSでは「作品の配役や表現が差別的だ」と糾弾されることで、過激な炎上が起こるケースも少なくない。こうした炎上や批判の応酬を見て、クリエイター側が過度に萎縮してしまう「萎縮効果」を危惧する声もある。結果として、作品の中身よりも「ポリコレ的に問題がないかどうか」が過剰に意識されてしまい、まるでチェックリストをこなすかのように「女性キャラクターを必ず何割入れる」「マイノリティを一定数登場させる」といった形式的な対応に陥るリスクが高まる。そのような機械的な設定に依存したキャラクター造形では、結果的に個々のキャラクターの個性や魅力が希薄になり、逆に多様性の本質が損なわれてしまうのではないか、とする批判も出てきているのだ。
一方で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を誠実に求めるファンやクリエイターたちは、「多様性を重視することは、より多くの視聴者に物語の共感や夢を与えるための必然である」と考えている。スーパーヒーローが“超人的”なのはもちろんだが、同時に人間的弱さや葛藤を抱えながら戦う姿こそが多くのファンを惹きつける。そこに人種や性的指向、あるいは障がいや貧困など、いろいろな背景を背負ったキャラクターが加わることで、より幅広い人々が「自分もヒーローと同じように闘える」と感じられるのではないだろうか。作品を通じて勇気をもらうだけでなく、社会が抱える不条理や差別の構造に一石を投じるきっかけにもなるかもしれないのだ。
以上のように、「ポリコレアヴェンジャーズ」を求める声と、それに対する反発や批判との間には大きな意識の隔たりがある。単純に「多様性を推進すべきかどうか」という価値観の相違だけでなく、作品の楽しみ方やヒーローという存在への捉え方、そして創作の自由と表現の責任のバランスという複数のレイヤーにわたる問題が絡み合っているといえる。作品を制作する側にとっても、ある層を満足させれば別の層が不満を覚えるといったジレンマがつきまとう。SNS時代ならではの炎上リスクを考慮すると、より慎重に「どのようなキャラクターをどのように描くか」を検討せざるを得なくなってきているのだ。
では、今後「ポリコレアヴェンジャーズ」と呼ばれるような、より多様性に富んだヒーローチームが実現した場合、どのような世界が広がるのだろうか。そこでは、性別や人種、障がいの有無、性的指向などを超えて、人々が互いの違いを尊重し合いながら協力し、世界を守るストーリーが展開されるだろう。それは、現実社会が抱える様々な対立を映し出す鏡ともなり得る。ヒーロー同士のぶつかり合いや、時に衝突を乗り越えて共に戦う姿は、現実の社会問題を考える上でも有用なメタファーとなるはずだ。多様性を持つキャラクターたちが、政治や文化の壁を超えて協力し合う様子は、観客に「自分自身や周囲の人々を見つめ直す」機会を与えてくれるかもしれない。
しかし、その道のりは決して平坦ではないだろう。過度な「ポリコレ」批判が続けば、表現者たちは自己規制に走り、本来の物語の面白さや挑戦的な要素が削がれてしまう恐れがある。一方で、多様性を取り入れようとするあまり、キャラクター造形が単純化されてしまえば、やはりファンはしらけてしまう。結局のところ、ファンが求めているのは「本物のドラマ」である。社会問題を扱うにしても、単なるマーケティングの道具としてではなく、しっかりと作品世界に根を下ろし、キャラクター一人ひとりに奥行きと葛藤が描かれているからこそ、「本当の意味での多様性」が花開くのではないだろうか。
つまり、「ポリコレアヴェンジャーズを望む人」と一口に言っても、その動機や期待値は様々である。現代社会の潮流として「多様性を重視しないと批判されるから」「市場拡大のためには必要だから」といった表層的な理由で支持する人もいれば、「自身がマイノリティであるがゆえに、自己を投影できるヒーローを探している」という切実な声もある。その双方を包含しながら、作品としての質や独創性を高めつつ多様性を反映していくには、制作者やファンコミュニティが相互に建設的な対話をする必要があるだろう。
最終的に、「ポリコレアヴェンジャーズ」が完成するかどうかは、単にスタジオの方針やファンの声だけでなく、社会全体の変化とも深く関わっている。今後、グローバルな社会情勢や世代交代、テクノロジーの発展などによって、エンターテインメントと政治・社会問題の距離感はますます近くなるかもしれない。その中でヒーロー映画は、単なる娯楽作品としてだけではなく「現代の神話」として、私たちが理想とする社会像や価値観を映し出す鏡となるだろう。多様性を重視するかどうかという論争は、ヒーロー映画の未来だけでなく、私たち自身の未来を照らす問いかけでもある。
結論として、「ポリコレアヴェンジャーズを望んでいるのは誰か」と問われれば、それは多様性を当然のものと考える新世代のファン、社会的マイノリティのRepresentation(表象)を切望する人々、そして市場を意識する製作サイドを含めた多くのステークホルダーたちであると言えよう。逆に、これまでの“伝統的”なヒーロー像や創作の自由を重んじ、「政治的メッセージや配慮が過剰になること」に抵抗を感じる人々からは、冷ややかな視線が向けられるかもしれない。いずれにしても、ヒーロー作品は私たちが抱く理想像や価値観、そして矛盾や課題を映し出す鏡としての役割を担い続ける。そうした意味で、ポリティカル・コレクトネスの議論が活発化する現代において、「ポリコレアヴェンジャーズ」は今まさに、私たちの社会の未来を映し出す一つの象徴なのかもしれない。
イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理「調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、
プロジェクト・ワタン事務局、2024年6月、2024年9月3日閲覧。
http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf
日本では、川口メフメトがこの地で家屋解体業を営んでいたため、後から来た人たちはそのままこの部門で働くことになりました。 しかし、クルド人が家屋解体業に従事する理由はそれだけではありません。一つは、家屋の解体作業では日本語を話す必要がないことです。また、仮放免の者たちがほとんどですので、他の業種に就けないことも理由の一つです。入国管理局による厳しいルールの一つとして、仮放免の者は就労が禁止されています。そのため、ほとんどの者たちが違法に働くことを余儀なくされています。また、近年では、日本人との結婚によって日本での在留資格を得たクルド人が、仮放免の親族を内々に雇用して、家屋解体業社を設立するケースも出てきています。
在日クルド人の労働条件についても触れておきましょう。労働安全の面では、世界的に大きな発展を遂げていますが、在日クルド人はいまだ中世のような条件のもとで働いています。ご存知のように、仮放免身分の者は就労を禁じられています。この禁止は、人々を餓死させることに等しいものです。この禁止令のせいで、クルド人は不法就労を強いられています。就労が解禁されれば、家屋解体工事に携わる者たちの労24 働安全を確保するための研修や検査が行われ、安全に作業を行うことができるようになります。仮放免の者は公的な医療サービスを受けることができません。そのため、仕事中に事故に遭った場合、治療をするにも莫大な費用がかかります。資本主義的な医療制度は、日本政府がクルド人に課している「仮放免」という奴隷制度をさらに深刻化させています。同じく仮放免身分のクルド人は、居住している都道府県の外への移動、つまり移動の自由が禁じられています。また、家屋解体以外の職に従事することもできません。
女性たち同士はほとんど家で会っていて、日常生活が家に「閉じこめられている」と言えます。男性たちは朝早く家を出て、家の解体作業をしますが、女性たちは家で育児や家事をして、社交も家でします。週末には夫や子どもたちと公園に行き、一緒に過ごします。したがって一部の例外を除いて、日本社会と在日クルド人の間には社会的な相互浸透がありません。 1960年代から70年代にかけて、欧米のフェミニストは家庭内暴力に対して女性が街頭に出ることを呼びかけましたが、アフリカン・アメリカンのフェミニスト作家のベル・フックスは、街頭に出ることは黒人女性にとって解決にならないと主張しました。黒人女性にとって街頭は人種差別にさらされる場所であり、路上での暴力や差別は、時に家庭内の暴力よりもはるかに激しいものでした。日本にいるクルド人女性にも同じことが言えると思います。
クルドの部族構造では、個人や家族の間の問題は、部族を治める家族や族長が介入して、問題がエスカレートする前に解決することができるのですが、在日クルド人同士の問題に介入して、反目し合っている人たちを和解させるには、超家族的、超部族的な構造がないために時間を要しがちです。家族間や個人間の緊張、恨み、喧嘩が数カ月、時には数年続くこともあります。 その一方で在日クルド人は、日本国家や日本社会の排他的な態度ゆえに、クルド人同士で問題があったとしてもその関係を解消することができません。「外部に対抗して団結する」というモチベーションが非常に高いのです。そのため、クルド人同士の紛争は、まさにこの理由で自然解決することもあります。お互いに問題を抱えたり、仲違いしたりした家族や個人が、共通の親族の結婚式や弔い事、週末のピクニックなどに集まり、そこで和解することもあります。
今更見ている人もいないだろうが、ブルマー増田として活動してた時に、調べた動画をすべて記事にできたわけではない。ここに記録しておくのは、何か役に立つかもしれないのと、傍証として記事に織り込めなかったのが、なんだかもったいないと感じるからである。
また、ブラウザのブックマークの整理整頓がされておらず、動画がごちゃごちゃ並んでいるばかりになってしまっている。増田をブックマーク代わりに使ってどうするのかと言えばそれまでだが、増田とはごった煮、チラシの裏、そういうところである。
https://www.youtube.com/@lulunoo3448
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U6itxVo4T5A&ab_channel=foolicus
https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU
https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek
これだけ大勢の人がレオタードを着て集まることは、もうないだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=TIfAkOBMf5A&ab_channel=EmilianoParizzi
https://www.youtube.com/watch?v=1SfP5qCdMUU&ab_channel=Kinolibrary
https://www.youtube.com/watch?v=tclUVSjXvbs&ab_channel=earomax
ttps://www.youtube.com/watch?v=WTflOuT_nPI&ab_channel=Hatsumi
以上。
ttps://www.youtube.com/watch?v=3pm3TC57lHI&ab_channel=uwatenage
(統一教会が背後にいることは知ってたけれども、
反共こそが最重要なので、そこは重要なものではなかったのでしょう)
「保守」の面々は勝共連合を活動の舞台の一つとして定着してたので
(靖国問題等も共産主義者の仕組んだものだとみなせば反共という点で変りません)
このあたりで関係を切っとけば良かったんでしょうが、その後も関係は続きました
靖国参拝問題その他は韓国民主化後は韓国も日本批判の声が大きくなりました
日本の「保守」は韓国のこのような主張に対して友好的ではありません
そんで日本の「保守」と相反する統一教会と、日本の「保守」が集結する勝共連合という
当然この問題を日本の「保守」は認識してたはずですが、不思議といえば不思議ですけど
日本における共産主義や社会主義に対する強い拒否反応は、戦後の歴史的・政治的な要因が複雑に絡み合って形成されたと考えられます。以下に、主要な背景を挙げて説明します。
戦後、日本はアメリカの占領下に置かれ、民主主義と市場経済が促進される一方、共産主義への警戒が強められました。1940年代末からの「レッドパージ」では、共産主義の思想を持つとされる労働組合活動家や知識人が公職から追放され、共産主義が社会に根付くことが制限されました。また、アメリカは冷戦の一環として、東アジアにおける共産主義拡大の阻止を重要視し、日本の安全保障や政策にも影響を与えました。この冷戦時代の米国の影響は、日本国内で共産主義や社会主義に対する不安やアレルギー的反応を助長したといえます。
1950年代以降、統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)と日本の保守勢力の支援により、「国際勝共連合」が設立され、共産主義に対する強い反対運動が展開されました。この運動は、反共産主義を掲げて政治活動や教育、家庭内の教化を行い、日本社会に共産主義への強い警戒心を植え付ける一因となりました。特に勝共連合は保守政治家や宗教団体と結びつき、社会的に大きな影響力を持ち、共産主義への否定的なイメージを形成しました。
1960年代から1970年代にかけて、日本国内では反政府や反戦を掲げた学生運動が活発化し、一部が共産主義や社会主義に基づく社会改革を訴えました。しかし、その中で一部の運動が過激化し、暴力事件やテロ行為に発展したため、社会全体で学生運動への拒否感が強まりました。特に「連合赤軍」や「日本赤軍」などが関与した事件は、共産主義と過激な暴力の結びつきを印象づけ、多くの日本人にとって共産主義は危険で過激な思想とされる要因となりました。
戦後のほとんどの期間を自民党が与党として支配し、保守的な政策が推進されてきました。自民党と保守的なメディアは共産主義や社会主義に対する批判的な論調を続け、国民の間に「共産主義=非現実的で危険」という認識を根付かせました。さらに、選挙時には「共産党支持は過激派の支持」などといったネガティブなキャンペーンが行われ、共産主義への警戒感が意図的に煽られた面もあります。
高度経済成長期において日本社会が急速に豊かになり、個人主義が浸透する中で、共産主義や社会主義が掲げる「平等」の理念が薄れた面もあります。日本人は生活の安定を重視し、「平等」よりも「自己実現」や「個人の自由」を求める傾向が強くなりました。その結果、共産主義や社会主義が目指す「平等」や「共同体意識」が社会的に受け入れられにくくなりました。
これらの要因が複合的に作用し、日本社会には共産主義・社会主義に対する強い警戒心や否定的なイメージが定着しました。改善策としては、共産主義や社会主義の理念が持つ利点を客観的に見つめる教育や、政治的思想に対する偏見を取り除くための対話が必要です。また、現代の多様な価値観を反映する中立的なメディア報道も重要でしょう。
スタートレック(現在の正式名はスター・トレック)は50年の歴史があるうえに、1話完結のエピソードが多い。シリーズの入門ガイドの意味もこめてやってみた。
はてな界隈でスタートレック全話追っかけてる人は少ないだろうし、シリアスなファンははてななんて見てないだろうから、自分の価値基準で好き勝手書かせてもらう。
すごく偏ってると思う人もいるだろう。私もそう思う。海外のこの手のランキングでは常連のエピソードも入ってない。思うところがあれば、ぜひ書いてほしい。
なお、全938話は2024年9月末時点での話で、10月から『ローワー・デッキ』の新シーズンが始まったので話数はまた増えている。
スタートレックがSFドラマとして最も輝きを放つのは、銀河に存在する人間以外の存在を通じて、人間とは何かを描くときだ。それはあらゆるSF作品の共通の魅力でもあるが。
本作は人間に造られたアンドロイド、データが、自らの子孫を造ろうとする物語。AIの子供との「ファーストコンタクト」を通じて、子供を持つということが、個人にとって、種にとってどういうことなのかが描かれる。
本作には、派手なアクションシーンもSFXもない。しかし、その物語は喜びとユーモア、発見に満ち溢れ、重い悲劇として幕を閉じる。それは家族を描くキャラクター劇であり、SFであり、力強い人間ドラマだ。
スタートレック立ち上げ最初の年に、スタートレックらしさというものを決定づけた重要な一篇。怪生物の住む惑星に不時着したクルーが脱出するために取る行動を描く。
スタートレックの原型は西部劇(幌馬車劇)と言われるが、これはまさにインディアンに囲まれた幌馬車の設定を宇宙にしたもの。
しかしポイントは、主役がミスタースポックであるという点。感情がなく論理で動くヴァルカン人(と地球人のダブル)である彼は、助かるために論理に従うか、あるいは……。
本作は異星人の視点で人間の感情と理性の葛藤を描き、このモチーフは以降繰り返されることとなる。また作品にシャトルのセットを導入し、物語の舞台を増やした一作でもある。
宇宙大作戦の打ち切り後、少々品質を落としたアニメで継続となった本シリーズだが、名作はいくつかあった。しかし本エピソードはちょっと違う視点で選出している。
これ、実はラリィ・ニーヴンというSF小説家が書いた『ノウン・スペース』というSF小説群のにある短編の一つを、そのまんま映像化しているのだ。出てくる異星人も借りてきたもの。
ニーヴンを知る人も少なくなっただろうが、アシモフやハインラインの後の世代で、ハードな科学設定とエンタメとしての面白さを融合した作品を書き、SF界の潮流を作った人と言える。
本作は、スタートレックの世界観が他作品をまるごと呑み込んでも成立しうる、緩く、包容力のあるものだと示した。ローワーデッキのハチャメチャコメディスタイルが可能になったのも、ある意味この作品のおかげ。
宇宙大作戦にはTV史上初めて白人と黒人とのキスシーンを描いた『キロナイドの魔力』という記念碑的作品があるが、人種問題を深く描いた作品というと、こちらを推したい。
黒人の天才科学者が自らの知能と感情を転写し開発した自動航行AI。それに船を委ね、演習に参加したエンタープライズだが、AIは次第に狂いだす。
本作のAIは自らの判断に絶対の自信を持ち、誤りを認めようとしない。博士もAIを擁護し、次第に我を失っていく……と言うプロット。
AIの恐怖を描いた先進性はともかく、本作が人種問題の作品であることは、日本に生きる我々には少々理解が難しい。
この物語が暗喩するのは、飛び抜けた能力で社会から評価を受け、地位を得たマイノリティの苦しみだ。常に完璧を求められ、ひとつの失敗で社会から振り落とされてしまう、隠れた差別を描いている。
この複雑な問題を1968年のTVドラマに持ち込んだことこそ、評価されるべきだと思う。
「タイムループもの」といえば誰もが1作ぐらい頭に浮かぶだろう。映画『恋はデ・ジャ・ヴ』など様々な傑作がある。
しかし、それらの作品の多くは、「なぜ」タイムループが起きるのかを説明しない。なぜか寝て起きるとループしてたり、なぜか恋が成就するとループを抜けたり……。
スタトレ世界でタイムループを描いた本作が優れているのは、その「なぜ」が明確に定義されており、それを解決することが物語の目的になっている点だ。
突如として起こる反物質爆発で時空ループが生成されると、キャラ達は過去に戻される(都合よく前のループの記憶を保持したりしない)。
そこから毎回、艦のクルーたちは僅かな違和感から少しずつ状況を理解し、「なぜ」かを探り、回避するための答えに近づいていく。
ご都合主義的な「ふしぎな現象」はなく、戦うべき悪役もいない。ハードSF的な状況で、知力に頼ってロジカルに物語を進めていく。しかしこれが最高に面白いのだ!
舞台は艦のセットのみ、登場人物もレギュラーのみというミニマルな作品だが、スタートレックのSF性、センス・オブ・ワンダーを代表する1作だと思う。
スタートレックのフランチャイズ化は、TNGによるリバイバルを経て実質このDS9から始まった。いままでと違ったスタトレを作ろうという意欲に富んでおり、非常に作家性の強いシリーズだ。
未知の世界を訪れる宇宙船でなく、未知の存在が訪れる宇宙ステーションを舞台とし、全7シーズンの後半では巨大な宇宙戦争を連作として描いた。最近の『ディスカバリー』などのシリーズも、本シリーズがなければ成立しなかった。
その総決算と言うべきこのシリーズ最終話は、単体で観るとなると評価が難しいが、173話の積み重ねの末の1話としてみると、ずっしりとしたものが心に残る。
DS9はシリーズで初めて黒人俳優を主役とし、戦争犯罪や植民地主義のもたらす被害をストレートに描き、舞台となる異星の宗教と重ね合わせることで人間の信仰心をも題材にした。
更には、「これは一人の狂った黒人の観た夢なのではないか……」というメタレベルの視点すら取り入れ、多様な視点と重層的な葛藤、その先にある善とは何かを描こうとした。
シリーズに長く付き合うことでもたらさせる重い感動を体験してほしい。
ヴォイジャーはハードSF的な物語よりも、キャラクターの成長やモラルに焦点を当てた傑作が多いが、敢えてSF的なセンス・オブ・ワンダーに満ちた本作を推す。
ネタバレしてしまうが、これは「恐竜人類」の物語であり、「ガリレオ・ガリレイ」の物語だ。
遥か昔に宇宙に出て進化したある種の恐竜と、銀河の反対で出会ってしまった宇宙船ヴォイジャー。それを、なんと恐竜人類側の視点で描く。
故郷の星に、自分たちとは異なる知的種族がいたという事実を知った科学者の知的興奮と、その発見を社会から拒絶され、迫害される恐怖。
SFの根幹である科学そのものを主題にし、人間と科学の関係性に向き合った、ひとつの到達点。深い感動をもたらしてくれる傑作だと思う。
『スタートレック:エンタープライズ』以降停止したTVシリーズを、配信に適した連続劇フォーマットで復活させ、『ピカード』などのシリーズの端緒になった『ディスカバリー』の最終話。
連続劇で見せるスタトレにはまだ課題が多く、特にディスカバリーのシーズン4,5、ピカードのシーズン2などは間延びして物語の行先がわかりづらいという批判があった。
しかし、それらの連続劇も、最終話に来ると、そこまで迷走していたテーマが急にシャンと鮮明になり、ああ、なるほどこういうことだったのか、という感動をもたらす。
特に本エピソードはディスカバリーのグランドフィナーレとなるだけあって、描かれるものも壮大だ。銀河の知的生命の発祥の謎を求めて行われるトレック(旅)である。
しかしその結末、謎は解明されることはない。その代わりに提示されるのは、「真実を求めるトレック」とは何なのか、という命題だ。
スター・ウォーズやマーヴェル作品、ガンダムのような複数作品がひとつの歴史を形作るシリーズの楽しみは、クロスオーバー、そして「設定の穴が埋まる瞬間」だろう。
子供向けのCGIアニメシリーズとして作られた最新作であるプロディジーは、この設定の穴埋めを、他のどんな作品よりも見事にやって見せた。
新スタートレック、ヴォイジャー、ディスカバリー、ピカードなどの実写作品の設定を少しずつ掬い上げ、時に大胆にプロットに取り込んで、独立して楽しめる作品になっている。
その頂点がこのエピソードだ。シリーズを通じてのマクガフィンであったヴォイジャーのキャラクター、チャコテイの姿が見えた時は、その絵だけで感涙してしまった。
実にオタク的な楽しみだが、フランチャイズ作品に長く付き合ってきたものだけが味わえる、究極の悦楽がここにある。
プロディジーの日本語版は、2024年10月時点では製作されていない。英語版だけならNetflixで子アカウントを作り、基本言語を「English」」に設定することで観られる。
はっきり言ってシナリオの全体的な完成度は高いとは言えない。その質についても、表現手法についても注文の付く作品である。しかしどうしても外すことができない一篇がこれ。
1960年代、宇宙大作戦で人種や性別による差別のない理想世界を描いたスタートレックは、1990年代になりその理想のほころびを正直に描くように変化した。
本作で暗喩されるのは、性的マイノリティの直面する差別であり、同時に女性の権利でもある。
物語では、両性具有の種族の星に生まれた「女性」が、女性であると言うだけで罪とされ、矯正を施されようとする。
それは90年代に入るまで見過ごされてきた同性愛者への差別と、「治療」という名の暴力の告発である。
矯正の場へと連れていかれる彼女が最後に、法廷の場で叫ぶ。「私は女だ!」と。
自らの性を自らの物として誇れない、自由に語ることもできない、あらゆる属性の、抑圧された人々の叫びが、そこに込められている。
新スタートレックの日本語吹き替えは名優揃いで品質が高いが、これだけは英語版で観てほしい。その叫びは、魂の演技だ。
今回入れていないランキング定番としては、タイムトラベルの古典的傑作『危険な過去への旅』(TOS)や、エミー賞にノミネートされた世界でもっとも儚いロケットの打ち上げシーンが見られる傑作『超時空惑星カターン』(TNG)がある。
SFらしさが感じられるエピソード中心なので、人気の高いボーグのような強大な敵との対決とか、クルー同士のファミリー劇的な人情エピソードはあまり入らなくなってしまった。
また、『エンタープライズ』(ENT)、『ローワーデッキ』(LD)、『ストレンジ・ニュー・ワールド』(SNW)の作品も入らなかったが、もちろん傑作、快作はいくつもある。
ENTはバルカン人の設定を完成させた『バルカンの夜明け』3部作、LDはアニメならではの手法で連邦、バルカン、クリンゴンの若者たちの生活を描き交錯させた『wej Duj』、SNWは過去作の設定を活かしつつ現実の21世紀の社会情勢を24世紀の世界へと繋いで見せた第1話『ストレンジ・ニュー・ワールド』や、アースラ・ル・グインの小説『オメラスから歩み去る人々』のオマージュである『苦しみの届かなぬ高さまで』を推す。
この表を見ると、出生数、合計特殊出生率ともに目に見えて減っているのは1966年の丙午なので、迷信が当時の人々の選択与えた影響が大きい事が分かる。
出生数、合計特殊出生率の推移
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html
あと、全体的な出生率は割と急に減っているのが1950年代全体と、
のが1970年代前半の終わり頃(第二次ベビーブームの終わり)なんだけど、
わざわざ1989年で1.57ショックとか書かれているのに違和感ある。
1989年頃ってそれ以前から続く微減の途中経過にすぎず、そこだけ特筆するようなものではないのでは。
1960年代には微増しているから、単純に女性の進学率や社会進出で下がった!ってものでもないように思うね。
2000年代半ばからも微増しているけれど、多分バブル世代の駆け込み出産じゃないか?2010年に40歳の女性は1970年のバブル世代生まれなので。
それと、2019年でデータが途切れているからよく分からんけれど、2019年でもガクッと落ちてるように見える。2019年に40歳の女性は1979年生まれの氷河期世代だから、氷河期の効果が出始めるのがこの辺って事なのでは?
先祖返りか
https://en.wikipedia.org/wiki/Social_liberalism
社会的自由主義[は、社会正義、社会サービス、混合経済、公民権と政治的権利の拡大を支持する政治哲学であり、自由主義の一種であり、限定的な政府と全体的に自由放任主義的な統治スタイルを支持する古典的自由主義とは対照的である。
どちらも個人の自由を重視しているが、社会的自由主義は、社会的不平等に対処し、公共の福祉を確保する政府の役割をより重視している。
■衰退
1960年代と1970年代の経済問題を受けて、自由主義思想はいくつかの変化を遂げた。
ケインズ派の財政運営は自由市場を妨害しているとして批判された。
同時に、増税で賄われた福祉支出の増加は、投資の減少、消費者支出の減少、そして「依存文化」の創出への懸念を引き起こした。
労働組合はしばしば高賃金と産業の混乱を引き起こし、総雇用は持続不可能であると考えられた。
フリードリヒ・ハイエクの影響を受けたミルトン・フリードマンやサミュエル・ブリッタンなどの作家は、社会自由主義の逆転を主張した。
彼らの政策(しばしば新自由主義と呼ばれる)は、西側諸国の政治、特にイギリスのマーガレット・サッチャー首相とアメリカのロナルド・レーガン大統領の政府に大きな影響を与えた。
彼らは経済の規制緩和と社会サービスへの支出削減の政策を追求した。
社会自由主義連合が崩壊した理由の1つは、1960年代と1970年代に国家政府から独立して活動できる金融利害関係者からの挑戦だった。
関連する理由としては、フランクリン・D・ルーズベルトなどの政治家が提唱した社会主義医療などのアイデアが、赤狩りの最中に保守派、特に前述のレーガンによって批判され、社会主義的とみなされたことが挙げられる。
もう1つの原因は、連合の一部を形成していた労働組合の衰退であり、労働組合は自由主義のコンセンサスに挑戦する左翼イデオロギーの支持でもあった。
これに関連して、労働者階級意識の没落と中流階級の成長があった。
社会自由主義を最も受け入れていなかった米国と英国による貿易自由化の推進は、支持をさらに弱めた。
20世紀末から、社会的自由主義は政治的影響力を失いつつあったが、ジョン・ロールズ(政治哲学)、アマルティア・セン(哲学と経済学)、ロナルド・ドゥオルキン(法哲学)、マーサ・ヌスバウム(哲学)、ブルース・アッカーマン(憲法)など、多くの著名な著者の登場により知的復興を遂げた。
って書いてあるけど?