はてなキーワード: 病みとは
政権が実は田中角榮時代以降から影でウインウインカルト政府驀進したんですね...
今では議員の数以上に対等でしょうか?それ以上か?
法務委員会が59年間公明党が委員長ポストで日本の病み(闇)は急激に進みましたね...
そんなことを書き続けて来ましたが、
それ以外にも書いてますので👊😄📢
まあ、どこの団体にも良い人は居るでしょうから一括りは良くないけど、
日本の失われた時代、新自由主義の正体は治験国家売国奴政府のインサイダー政治じゃねえの?
超資本家投資家主義の国民土返し傀儡政府で駄目ですね⚡〰️💣️💥⚡
打倒自公(維新他)で参議院選挙は挑みましょうね(*⌒∇⌒*)
私の周りではそんな雰囲気ですよ✨
幸福度ランキングもアジアの中でも低い実態が自公カルトカオス政府官制政治)であり、カルト総体革命(創価学会の野望)をしり、
今の日本が自由そうに見えて嘘だらけの不自由な末法の時代だと知りましょう😠
盛り上がってますよね😊最近政治ネタする人多くて嬉しいし、間違って洗脳されてる人へ本当の事を話すと信じてくれる人が多くて次の参議院選挙手応えありますからね😊
是非有料サイトや本を読んで真実を知り日本国憲法の素晴らしさに気付いて欲しいと思います。
それをぶっ壊すと言ってる政党が自公維新で「人権なくす」カルト独裁😠
超監視社会😠
その他知ってね😉
うちの母は私を産む前は仕事人間だったらしい。
父と母はかつて同僚、先輩後輩で父が後輩の母の仕事ぶりに惚れて結婚したと聞いた。父は仕事ができる方じゃなかったらしく、当時にしては珍しく母は昇進、父は部下になってしまったらしい。この話をする父のちょっと恥ずかしそうでうれしそうな顔は今も忘れられない。
母は私を産んで仕事を辞めた。
父は自分が辞めるから、お前には仕事をしてほしいといったらしいが母はそれを聞かなかった。母のほうが給料も上で、家計のダメージを考えても産後しばらく休んでから復帰したほうが良かったんじゃないかと思う。父が言うには母は上からも期待されていたらしく、ちょっと特別待遇をとってまで現場に戻ってもらうつもりだったらしい。
でも母は仕事を辞めた。
父母ともに両親と折り合いが悪く、ほぼ絶縁状態であったために嫁姑問題なども存在しなかったと聞く。父はもちろん止めた。産前は仕事復帰できるかな、と笑っていたらしくその態度の変わりように困惑したらしい。
母は家事はあまり得意でなく、いわゆるヒステリックな人だった。何かにつけて娘である私にお前のために仕事を辞めたのにと怒鳴り、夫である父にお前が辞めればこんなに苦しい生活じゃなかったのにと怒鳴った。
そんな生活ではもちろん家庭は崩れ、小学生に上がった頃には父は職場と家庭の板挟み(父は職場では父が母に仕事を辞め家庭に入るようにに強要したと思われていじめを受けていたらしい)で精神を病みかけ、これではいけないと退職して離婚、私を引き取ってどうにか折り合いの悪い親に頼み込み新しい仕事を見つけ私が高校を出るまで面倒を見てくれた。
母は私の親権を主張することもなく、私に接触しようとしたことはなかった。3年ほど前に父から危篤だから会ってあげてほしいと言われて数十年ぶりに顔を見たがなんの情もわかなかった。
今の私は家庭も持ち、子供が親が離婚した時の私の年齢になったが、母の気持ちは今でも理解できない。私は仕事も辞めなかったし、子供も今のところ夫と協力して父にも助けてもらって順調に育っている。父には本当に感謝しているが、母には何の感情もわいてこない。
もう話を聞くことはできないけど、母は何を思って、私をどう考えていたんだろう。
以下は、はてな匿名ダイアリー(増田)でよく伸びる「自分語りエントリー」の特徴を踏まえ、読者が思わずブックマークをしたり反応を示したくなるタイプのエントリー例(タイトル+概要)です。
大手企業勤め・家庭円満だったはずなのに、突然すべて投げ出して地方のシェアハウスで暮らし始めた話。「後悔すると思ってたけど、しなかった」という意外な感想が人を惹きつける。
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学生時代、精神的にボロボロだった自分が今はなぜか普通に幸せになってしまった。しかし、日常が平穏すぎて逆に違和感と罪悪感が出てくる、という捻じれた苦悩を吐露する。
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容姿、コミュ力、人生経験すべてにコンプレックスを抱えていた自分が、偶然入った外資系企業で給与も社会的評価も跳ね上がった。「結局、環境次第で人は簡単に変わる」というやや刺激的なメッセージがポイント。
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外見や恋愛に諦めていた女性が、徹底的に自己改造して恋愛市場での評価が急上昇。しかし、モテ始めてから見えてきた恋愛市場の虚しさや生々しさをリアルに書き連ねる。
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軽い気持ちで始めた趣味が、プロレベルになって仕事化したら精神を病み、楽しめなくなったという葛藤系エントリー。「好きなことを仕事にすること」の危うさと共感が爆発的に伸びやすい。
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自分は普通とは違う何者かになれると思っていたけど、30歳を超えてその夢が全部幻想だったと気づいた瞬間を淡々と描写。「自分にも覚えがある」と共感を呼ぶタイプ。
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ずっと周囲に馴染めず苦しんでいたが、大人になって発達障害と診断され、自分の人生が理解できるようになった。「あのとき気づいていれば…」という後悔と、それでも前向きになれた話が共感を呼ぶ。
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※無駄に長い。
ADHDである。17歳の時、訳も分からぬままやたらと長い知能テストを受けさせられた。前頭前野に機能障害がある、だいたいクラスにひとりいる程度の異常者らしい。
躁鬱である。20歳くらいの時、思い立ってADHDの薬を貰いに行ったところ「双極性障害も併発している」と診断された。ダブルパンチである。
年を食った偏屈そうな精神科医に「きみは総合職はやめた方がいい」と諭されたが、アドバイスを無視して一般企業に総合職として新卒入社した。順当に精神を病み、3年目で休職した。
死にたくなると心療内科に通い始めるが、躁転すると病識がなくなり「病気じゃなかったんだ!」と本気で思い込むので、1年以上同じ医者にかかったことがない。
これまでの躁は軽躁に毛が生えた程度のもので、多少の難はあっても、クリティカルな事件は起こらなかった。舐めきって迎えた今回の特デカ躁で、すべてを破壊し尽くすデストロイヤーと化してしまったわけだが。
彼氏がいた。4年と2ヶ月付き合った。
口数の少ない人だった。わたしの気分の波に揺さぶられず、いつも自分を保っている人だった。地に足のついている人だった。
「いまはそういう気分なのね」と言い、波をやり過ごすように受け止めてくれた。
躁で攻撃的になるわたしのことも、鬱で天井を見つめているわたしのことも、変わらず「わたし」として愛してくれる人だった。
「死にたい」という言葉が出てしまった時、真正面から「大丈夫?」と返されると、申し訳なさと自己嫌悪で余計に死にたくなるものだが、彼はいつも、「また鳴いてる」と言った。わたしの「死にたい」を鳴き声と認識していて、けれど、本当に死にたい夜には頭を撫で、一晩中抱きしめてくれた。
家事の大半は彼が担っていた。
わたしが脱ぎ捨てた服を洗濯し、わたしが食べ散らかした皿を洗ってくれた。気まぐれでわたしが作る料理を「おいしい」と言って食べた。シンクで山積みになった調理器具を片付けるのは、いつも彼だった。
あまり感受性が高くない彼からすると、ひとつの事で表情がコロコロ変わるわたしといるのは面白かったのかもしれない。会話の9割8分をわたしが占めていた。彼は相槌を打って、たまにポツリと自分の考えを述べた。
メンタルに波があっても、彼への気持ちが揺らぐことはなかったし、ふたりの関係も安定していたように思う。
ところで、結婚願望が強いわたしには、「25歳までに結婚する」という半ば強迫じみた願望があった。これは彼と付き合い始めた20の頃から言い続けていたことで、もうわたしの中では決定事項のようなものだった。
25の誕生日を2ヶ月後に控えたある日、ふと彼に「わたしの誕生日、プロポーズだよね?」と尋ねたことからすべてが崩壊した。
金銭的問題、結婚観の相違、その他ありとあらゆる事情がもつれあい、当時すでに躁に片足を突っ込んでいたわたしは、デストロイヤーモードに突入した。
「わたしはずっと言っていたのに」「わたしは準備をしていたのに」「そもそもその計画性のなさが」「ていうか会話しててもしゃべんなくてイライラする」「なんとか言いなよ、会話になんない」――そして、「もう別れる」。
たしかに金銭的な面に関しては彼にも問題があったと思うが、そもそももって、わたしが料理をしないことが彼の財布を圧迫した大きな要因ではある。彼は決して浪費をするタイプではなかったが、いわゆるコンビニ貧乏的な生活を送っていた。とはいえ、もっとやりようがあったのではとは、今でも思うけれど。
そんなこんなでデストロイヤーモードに突入したわたしには、当時言い寄ってくる金持ちのおじさんがいた。軽薄だが、そこそこ知的で芯の部分に寂しさを抱えている、顔のいいおじさんだった。例によって「〇〇ちゃんの感性や言葉選びは本当に魅力的だ」とわたしを褒めそやした。そのときの私が求めていた、金、感性、会話の面白さなど、大体のものを持っている人だった。冷静に考えると、常に右手にタバコかウイスキーの瓶を持っているバツ2の異常者だったが。
おじさんは、わたしにいろんな刺激を与えてくれた。海が見たいというわたしを、国内のいくつかのオーシャンビューホテルに連れていってくれた。時には人生について語りながら、都会の中にあるちっぽけな緑の中を2万歩も3万歩も歩いた。ふたりとも人生に対して寂しさや空虚感を抱えている同士だったから、会う日にはいつも酒を死ぬほど飲んで、頭をばかにしていた。週に3、4回会い、テキーラを半瓶飲んでホテルで吐き散らかした時もあった。鬱の時の私が聞いたらひっくり返るような派手な生活だった。
その間、家にいる彼氏には本当に冷酷な態度を取った。当時投げつけた言葉の数々を思うと、本当にいたたまれない気持ちになる。
早く出て行けと圧をかけて3ヶ月、今週末に彼は家を出る。
先日躁が落ち着いた。いまは躁と鬱の間を揺蕩っている。躁が終わって始めて、自分がしでかしたことの残酷さ、いかに浅慮で、稚拙で、横柄で、非情であったかを、身に染みて感じている。失ったものの大きさを自覚し、後悔してもし尽くせない。
おじさんは今でも連絡を送ってくるが、どうせすぐに飽きるだろう。別れた嫁も子供もいるし、わたしがいなくても困ることはない。ただ、少しの期間さみしいだけで。
3ヶ月間支えになってくれたことに感謝の気持ちはあるが、もうこれ以上振り回したくもないし、振り回されたくもない。
元彼氏の気持ちは、すでに新しい生活に向かっている。情けなくも縋りついて許しを乞うたが、自分で突き放したものが魔法のように戻ってくるわけもない。
土曜から、ひとりでの暮らしになる。定期的に届く自然水の段ボールを家に入れてくれる人も、固く閉じたびんの蓋を開けてくれる人も、死にたい夜に抱きしめてくれる人も、もういない。
いっときの感情で、ずっと支えてくれた人を傷つけ、関係を壊してしまったこと。その時の自分は、相手が間違っていて、自分が正しいと思い込んでいたこと。たしかに自分のしたことで、すべてが壊れてしまったということ。
そして何より、彼の人生の4年間という時間をわたしに捧げさせてしまったこと。
いろんな後悔が襲い、自己嫌悪が止まない。
「ADHDだから、躁鬱だから仕方ない」と思い込めれば、自分を責める必要がなく、楽だから。
でも、そう思うのはもう辞めることにした。
「病気だから仕方がない」ではなく、「病気だからどうするか」と考える。
まずは、辞めてしまった心療内科にしっかり通い始めるところから。何があっても、病院に通うことは辞めない。
どうすれば人を傷つけず、自分も幸せになれる道を選べるのか。もう一度考え直そうと思う。
わたしに4年間をくれてありがとう。こんな終わり方になってしまってごめんなさい。
わたしには願う資格もないことだけれど、どうか、あなたのこれからが、まっすぐで、穏やかで、優しさに満ちたものでありますように。
◾︎おじさんと関係を持った時期
┗元彼と明確に別れてから関係が始まった。浮気したことはない。
◾︎元彼に通院を勧められなかったのか
┗通院していた時から「きみを病気だと思ったことはあまりない」と言っていた。今回のことが起きるまで、そんなに迷惑被っている自覚はなかったらしい。
あと、もう死にたいと落ち込むことはあってもキレ散らかしたり暴れたりはしなかったからかも。振り返ってみると、今までは人間の大きめな感情の波にすぎなかったのに、今回急にバケモノになった感じ。
自分でもどうしてこんな行動を取ったのか理解し難いが、病気のせいであって自分自身に責任がないとは全く思っていない。どうやって諸々の衝動を抑えるのかに焦点を置いて自分自身と向き合っていきたい。
追記2
┗実際に言われた。受診時は大学生。「何か得意なことは無いのか。それを伸ばして仕事にした方が良い。総合職は精神的にもたないと思う。」という旨だった。特に仕事にできるほど得意なことは無かったので、普通に就職して普通に病んだ。ちなみに今は復職して細々と働いている。
学生時代から漫画が大好きで、作家と作品を一緒に作れるこの仕事に憧れていた。
もちろん、全員がそうなわけじゃない。
誠実で真摯な人の方が多いと思う。納期を守り、打ち合わせにもきちんと来て、こちらの提案にもちゃんと耳を傾けてくれる作家さんには感謝しかない。
でも、その中に混ざって“どうしようもない人”が確かに存在する。
そういう人に限って、対応に時間がかかり、売上も微妙で、精神もすり減らされる。
だいたい3タイプいると思っていて、
自分の仮説に絶対的な自信を持ってるので、こちらがいくら説明しようとも客観的な数字や提案を一蹴してくる。
何なら契約書の内容にも噛みついてくる。ネットで拾った謎の法律知識で「これは違法では?」とか言い出す。弁護士に聞いてから来てくれ。
そもそも編集部がそんな小細工するほど、お前の作品に価値ないぞ。
ある意味自分で考えられる人でもあるので、普段は色々ちゃんと考えているんだなと好印象だけど、いざという時に発覚することが多い。
② ひたすらだらしないタイプ
打ち合わせをすっぽかす、締切を破る、同意したことを平気でひっくり返す。
連絡がつかず、何度もリスケになるたびに、こちらの休日が消えていく。
こういう生き物だと思えばまだ許せる範囲。
一番最悪。
こっちがまだ調整中の話を勝手に発信したり、「お気持ち」で読者を自分の味方としてつけようとする。
特に自分に不都合なことがあったときに病みツイートをして、それに反応する純粋な読者の擁護リプがついてるのを見ると、何とも言えない気持ちになる。
大抵の場合、原因は作家側にあるのに、編集は反論できない。結果的に「悪い編集」の空気だけが残る。
しかも大抵、そこまで売れてない作家に限ってこういうムーブかましてくる。
SNSで暴れる=今後どこの編集部でも扱いづらくなるって分かってない。自分で自分の首絞めてる。
ちなみに、こういう作家は社内でも要注意扱いになっていて、できればタイミング次第で穏便に契約を切る方向で進めようとは常に動いている。
ただ、扱いを間違えるとすぐ「SNSに書くぞ」みたいな半ば脅迫のようなことを言ってくる。
こっちは何も言い返せない。裁判しても、勝っても負けても会社のイメージが悪くなる。
作家だって孤独な仕事だし、プレッシャーの中で作品を作っているのは本当にすごいことだ。そこは心から尊敬している。
でも、だからといって何をされても耐えるのが当然、とは思わない。人間としての最低限のやり取りができない人とは、もう仕事したくないと思ってしまう。
編集だけどライターではないから、読みにくいところがあったらすまん。
作家の病みツイートや暴露系のポストを見かけたときは、「これってあくまで作家視点だよな?」って、ほんの少しでいいから思い出してほしい。
広末涼子さんの奇行がニュースになってる。事故起こしてケガして治療受けてる病院の看護師に暴行したとのこと。事故の事情聴取してた警察官の目の前でやらかしたので逮捕されてしまった。
おそらく薬物ではないだろう。その兆候があるなら警察はもうとっくに身体検査令状とって尿検査して結果が報道されてるはずだ。
もともと30あたりから奇行が報道されてる方だったが、過去のはあくまで身内・仲間内での騒ぎで、こんな病院の看護師という一般人相手に、しかも警察官が見てる目の前で法に触れる暴行するようなタイプの奇行ではなかった。
かつてCMやドラマで活躍した藤谷美和子さんも40あたりで精神を病み活動休止している。
そして増田の姉も、若いころは美人と有名で地銀に就職し窓口嬢として勤務、4倍くらいの年収の男性に見初められて結婚し子供2人いたが、やはり40あたりから精神がおかしくなってきて妄想が出るようになり統合失調症の診断を受けて今は自宅内でひきこもり状態。(夫は子の受験対応と姉の相手でとても大変そうだ)
姉の事例から、40で狂う女性がどうしてそうなってしまうのか理由を書く。
姉は若いころから美少女で、周りの大人や男性からチヤホヤされて育ってきてた。実家から地元の大学に通ってたが、そのころからはもう「姫」状態で、何か困ったことがあればそれを匂わせただけで、頼まなくても周りの男がシュバッてきて困りごとを解決してもらうのが当たり前だった。(俺はそんな姉の様子を間近で見て「美人は得だな、人生楽だな」と思ってた。今はそうでもないが)
男女交際面でも、自分から積極的に動くことはなく、次々やってくる男から選ぶだけだった。男の俺から見ても「ルックスも性格も育ちもよさそうなあいつの何が不満なんだ?」と思うような男からの告白を断ったり、しばらく交際したあとに不満を述べて別れたりで、結婚した相手はそんな男たちの中でも最高スペックの男だった。
まともに家事もせず(だって若いころからやってなかったから)、夫の豊潤な稼ぎで俺には全く手が届かないような贅沢な暮らしをして、子供も産んで幸せそうな家庭だった。
姉の頭の中では自分は何も変わってないはずなのに、なぜか周りの男が駆け付け不満や問題を解決してくれることがなくなって、チヤホヤしてくれなくなって、不満を感じていた。
実際には俺から見てもさすがに加齢でかつての美人さが衰えてきてたが、それは姉の中では自覚できていないようだった。
いや、うっすら自覚しつつ受け入れられなかったのかもしれない。
子を連れて実家に遊びに来る(一人で出かけるため子を両親に預けに来る)たびに「自分はこれまで通りなのに周りの(主に男たちの)反応が変わってきた」と俺や親に文句を言っていた。
年がたつごとに姉はだんだん老けていき、40くらいなれば「元美人のおばさん」に過ぎず、周りの男達がチヤホヤすることは全くなくなった。
姉は、「これは自分のせいじゃない、世界がおかしい」と俺に会うたび言うようになり、だれか(周りの男や、周りの男に自分の悪口を吹き込む嫉妬女)への不満、文句を述べ攻撃するようになってきた。
「これは現実じゃない、別の現実がある」という妄想を抱えて、ありえない出来事(上場企業のオーナーに惚れられて交際を申し込まれた、とか)を教えてくれるようになった。
この時点で、姉は完全に狂っていた。
優しくまじめで稼ぐ夫も、母として姉を慕う子達も、姉の精神安定の助けにはならなかった。
姉の不満は夫婦生活家庭生活ではなく、それ以外の部分にあったから。
母親になることも、苦労や挫折知らずでただ楽しく生きてきて精神的に成長して大人になることもできず、人生でもっとも輝いていた10代後半~20代前半の楽しさ幸福さ栄光を忘れられず、その世界の住人になりたがっていた。
そのギャップで姉は狂った。
「学年で1番の美少女」レベルだった姉ですらこうなので、「日本で一番二番」の美少女だった女性には、このギャップはもっと大きいだろう。
日本中から注目されて、日本中の男から褒められてチヤホヤされて、容姿の優れた男性タレントや社会上層の有力者や権力者から褒められ求められ、テレビ局や事務所のスタッフが奴隷のように傅いて自分に尽くしてくれ何でも叶えてくれていたのが、ただ「時間がたった」だけでそうなくなってしまうのだから。
自分の若さと若さゆえの容姿に価値があった(それだけが求められる価値だった)実態を理解できず、自分という存在自体が価値のあるものだと勘違いして、加齢による容姿の衰えに伴う周りの反応の変化を理不尽なものだと思ってしまう。
頭の中にある「自分や周りのあるべき姿」と、現実の今の自分や周りの反応とのギャップがあまりに大きすぎ、大きな精神的負担がかかり現実を受容しきれず、周囲への攻撃性や現実離れした妄想を抱えてしまう。
これを防ぎたいなら「おばさんになっても若いころと同じに周りが扱い続ける」か、「若いころに容姿の良さで甘やかさない」しかないと思うが、どちらも現実には無理なので、やはり年をとって狂う「元美人」「元美少女」は生まれ続けると思う。
bio欄
私は国粋主義者 古墳時代に天皇は存在しない明治維新以前 誰も管理する者もなく放置されていた古墳を天皇の祖先の墓と称し管理を始める明治維新は古代史に取っても日本人にとっても最悪の時代 近代社格制度を作り平安の延喜式神名帳を模倣 天皇を頂点とする 格付け序列化 6世代に渡り日本人を洗脳し権威権力体制を構築 現在に至る
〇二病みたいな可愛げのある感じもしない。てか社会に一度も出たことないような感じがするんだよな。
一度でも出てたらそんな発想しないし仮にふと思っても一瞬で荒唐無稽さを感じて直前やってた行動に復帰するレベル(つまり忘れる)だろう。
そんなことを本気で考えて書き残すってまあどういう精神してるんだろうってなるわけ。
今日はとても天気が良くて気持ちが良い日でしたね。桜もかなり咲き始め、種類によっては満開。とても良い気分です。
そして今日、1年ぶり2回目に長女を大学の一人暮らしのアパートに送り出してきました。
本当に良かったです。増田にしか書けない話なのでここに記録しておきます。
長女は1年前に元気に大学生活を始めたものの、半年ほどでかなりメンタルを病み、頻繁に泣きながら電話がかかってくるようになりました。
私からすると何も不安に思うようなことは無いのに、自分に自信がなく、不安が強く。
何も楽しいことが無いし、ずっとやっていた音楽ももうやりたくないし、くだらないYotubeを何時間もずっと見続けてしまうし、お風呂に入る気力もなくて、ご飯を食べるのがやっとくらいの状況。
部屋まで迎えに行っても、何時間も外に出てこられなくて。やっと出てきたと思ってもずっと泣いていて。もう夢も希望もなくて。
小さいころから私が「将来の夢を持ち、目標を定めてそこに向けてコツコツ努力をし続けなさい」ということを強く言い過ぎたのかもしれません。
長女は小さいころからくそ真面目に勉強と部活を頑張り、中高自体は学校で1番くらいの成績を取り、吹奏楽でも結果を残しました。それでも「自分にはやりたいことが無い」「周りのみんなは凄い」「自分はダメだ」と。
あまりにも不安定なので実家に帰ってこさせ、駅まで毎日送り迎えをして家から学校に通う生活にして、家族や兄弟と過ごす中で少し元気になってきたと思っていたのですが
ある日LINEで「ごめんお父さん、死のうとしてた」と連絡が。ロープを買って首をくくって死ぬ場所を探していたそうです。
急いで車で1時間強かけて迎えに行き。そこからは毎日、ほとんど目を離さずに過ごす生活となりました。これが去年の10月の終わり。
メンタルクリニックに一緒に行き、「娘さんはとても真面目だから、本当に自殺をしてしまう可能性がある。本当によく見ていてあげてください。」と言われました。
大学も休めばよかったのに、それだけは嫌だと言い張るので、毎日車で送り迎えをし、広い大学なので授業の場所まで授業毎に送り届けるようにしました。
今思えば私も精神的にかなり参っていたのだと思います。ほんの少しでも目を離したら本当に長女が自殺してしまうのではないかと思って不安で。
長女にお願いして、お互いの位置情報がわかるスマホのアプリを入れて、本当に授業に出ているだろうか、きちんと車の場所まで戻ってこられるだろうかと車のなかで仕事をしながらスマホの位置情報アプリの画面を気にし続ける生活が続きました。
毎日車で授業の移動まで含めて送り迎えし続けつつ仕事もリモートでこなすのは本当に大変でした。もちろんメンタルを病んでいる長女は毎日10回くらい泣いてるし、そのたびに話を聞いて、サポートして。
精神的にも体力的にも、かなりつらかったです。
さらに、妻はそんな死にそうな想いをしている長女につらく当たるんです。怒ってしまう。周りの家族にも相当ストレスがかかる状態なので仕方がない面はあると思いますが、それにしても酷いと思うくらいの状況でした。
もともと妻の虐待的な態度が長女の今の状態にもかなり影響を与えているのではないか、と、私は思ってしまうくらいに。
ちなみに、下記は私の日記です。
https://anond.hatelabo.jp/20091013222011
https://anond.hatelabo.jp/20161111232040
https://anond.hatelabo.jp/20180321003723
https://anond.hatelabo.jp/20180407204720
そこで、妻が怒っちゃうのもあるし、毎日の3時間強の運転が体力的に辛すぎるので、大学の近くに新しいアパートを借りて自宅とアパートの2拠点生活に。
そして、徐々に元気になっていたと思っていたところで、長女が「目覚めた」のはクリスマスの夜。急にいろんな感覚が全然違うものになってしまったらしく深夜に大声を出して叫びまくる状況となりました。
そして、私に今すぐ出ていけと言ったり、逆に手をつないでくれと言ったり。結局丸2日くらいまともに寝ずに超ハイテンションとなり、私も寝させてもらえずふらふらに。
友人にも電話しまくって誇大妄想を喋りまくっていました。「自分は悟りを開いた!」とか「私は人類を救う!」とか明らかに変なことをあちこちの人に言いふらしていました。
ずっと通っているメンタルクリニックが当日は休みだったので次の日に見てもらって、そこで別の薬を出してもらって、それを飲んでやっと落ち着いて寝てくれました。
この2日間くらいはあまりにも様子が急に変わりすぎてしまって、私も相当不安でした。
そのあとは精神年齢も体力もぐっと下がってしまって、まるで3歳児くらいの言葉遣いとなり、歩くのもよちよち歩きになりました。
それから少しづつ、もう一度子供時代からやり直すように、少しづつ、少しづつ、成長を感じられるようになりました。
公園に行くだけで冒険で、一人でトイレに行くだけで大冒険で。ピクニックシートに座って、日向ぼっこをぼーっと何時間もしてみたり。
そんな生活が2ケ月くらい続きました。
そして、悪い時に悪いことは重なるもので、コロナにも感染しました。もちろん長女も私も、他の家族も。精神的に不安定なうえに体調も悪くなり、私ももう精神的にも体力的にも限界で、長女を殺して自分も自殺してしまえば楽になるんじゃないかと本気で考えて、長女の首を少し締めるところまでやってしまいました。
これはまずいと思って自殺したいときに電話する電話番号に電話しましたが(※こういう窓口があるから本当にどうしようもなくなったら電話しなさいと学校のカウンセラーに人に教えてもらっていた)、同じような人が多いんでしょうね。複数窓口に電話しましたが電話はつながりませんでした。つながりませんでしたが、電話しながら冷静になれてよかったです。
私もこの時が精神的に一番弱っていて、本当に頼れる人のところに助けを求めに行って、いいおっさんのくせにボロボロ涙をこぼして1時間くらい泣きました。それでずいぶんメンタル的に復活しました。
そこを乗り越えてからは、すこしずつ元気になり、また音楽を楽しむようになったり、本を読んだり、ゲームをしたり。楽しむことができるようになってきました。
すっかり元気になってから1ヶ月程度たったし、ちょっと負荷のかかるイベントに参加しても大丈夫だったので、4月からの2年生に向けて今日から再度一人暮らしスタートです。
本当に良かったです。
今回の事は、もう何もできないくらいの状況からでも半年程度あればメンタル復活できるんだな、という学びになりました。
一方、私はもっと早くに外部に助けを求めるべきだったなと思います。メンタルクリニックや学校のカウンセラーには相談していましたが、自分の両親とかにも助けを求めておくべきだったなと思います。
一人じゃなくて妻と一緒に家族みんなで協力し合えたら良かったのですが、それができない妻なので本当に妻と結婚したことを改めて後悔しました。
でも、きっと、そうやって私と妻の仲が悪いのも長女にとても大きな悪影響を与えていたんだろうなと思います。申し訳なく思います。
でも、仕方がない。とにかく、もっとずっと悪いことになっている可能性だって大いにあったのです。それを回避して、今日また笑顔で送り出せたのですから、よかった、と思うしかありません。
コロナあたりの最悪の状況からどうやって回復したのかがほぼ何も書いてなくてとても気になる。功を奏したのはカウンセリング?薬?時間?良い医師がいた?そこら辺の詳細も是非書いていただけるとありがたいです。
ちょっと書き方的に良くなかったかなと思います。自宅で生活するようになってからずっと回復はしていたんです。上下に揺れ動きながら少しづつ全体的に回復してました。継続的に。
それが、当初ちょっと元気になったところで自殺未遂があり、もっと元気になったところで元気になりすぎちゃって「目覚め」ちゃって一気に精神的に退行して。
それでも少しずつ継続的な回復はしていたと思います。正比例のグラフをピーっとひいて、途中で大きな波(自殺未遂、目覚め)があって上下に激しく波打ってる感じでしょうか。
画像とか使わないとよくわからないと思いますけど、匿名で画像を投稿できる場所を知らなくて、わかりにくくてすいません。
で、何が良かったのか?という観点で下記に書いておきますね。あくまでも私の意見ですが。
基本的に独自の判断はせず専門家にどうしたらいいのかを相談しましたし、言うとおりにしました。素人考えは良くないと思ってました。
専門家のYotuberの人の話もかなりの量見ました。あと、書籍に関してもあれこれとかって読み漁りました。本人が読んで対応できるか?というと難しいところがあると思いますが、周りの支援者が知識をつけるのはとても良いと思います。また、支援者向けの本もいくつか読み、自分の事がかかれているなーと思って一人で涙を流したりしました。
状況に合わせて最低でも1錠、MAXでも1日に4錠、そのなかでコントロールするように、という指示があり、薬を飲むタイミングは客観的に状況を見て、私が指示していました。長女は状況に合わせてコントロールするのが嫌だから、毎日決まった時間に飲みたいとか、飲みすぎは良くないんじゃないかとか、先生の指示に従いたくないということを何度も言っていました。先生にも「毎日同じ時間に同じように飲んだらダメなんですか?」とちょっと切れ気味の時がありました。先生の回答は「毎日同じ状況なら同じように飲んでいいよ。」でしたが。
私からも、何度も「素人の判断でやるんじゃなくて、専門家の意見を信用してその通りにしよう」という話をしました。特に長女は自分では精神的な揺れみたいなものが自覚できていない時が多くあり(特に「目覚めた」すぐあとの元気すぎた期間)、私からの薬を飲むように、という指示に納得がいかないことが多かったようですが、結局しぶしぶ私の言うことに従っていました。結果的にやはりそれが良かったと思います。
安定してからは毎日朝と夜とか、決まった時間に飲むようになりました。
先生に対してもきちんと状況を客観的に伝えられない…というか最初のころはそもそも会話もまともにできないこともありました。自殺未遂までしたくせにそのことを全く言わない時もあったし、泣いちゃって声が出せない時もあったし、元気すぎて意味不明なことを言ってるときもあったし。私が様子をずっと見ていて、メモもきちんとつけておいて、様子をきちんと伝えて、先生の話、判断もきちんと把握するようにしておきました。
先生が特別に良かったのか、普通だったのか…は正直他の人を知らないのでわかりません。ただ、メンタルクリニックなんて受信しようと思っても予約できるのは数カ月先が当たり前でカウンセリングは凄く高くて、すぐにそういうところにアクセスできたこと自体が本当に幸運でした。カウンセリングは大学のもので無償で親身になってくれたのもよかったです。
どちらも、患者さんでいつもあふれてますし、本当に大変なお仕事だなと思います…。感謝しかないです。
毎日日記をつけました。それは長女自身もそうだし、私も。特にどんな発言をして、何時に薬を飲んで、飲んだ後どうなったかとか。薬が効きすぎて寝込んでしまうこともあれば、薬が足りなくて深夜に目覚めて寝ないことがあったりとか。薬を飲むのを長女が嫌がったりとか。そういうときには一緒に記録を見て、状況と薬の量と、その結果を見ながら、「これまでこうだったんだから、今度はこうしてみよう」「これまではこうだったけど、こうなってきているから、薬の飲み方をこう変えてみよう」という話をしました。
長女は精神的に正常じゃないので記憶もあいまいになっていたらしく、「そっか、そうだったね。思い出してきた。それならそうしよう。」ということが多かったです。
そして、本人にとっても、私にとっても、本当にひどかった時に比べたら、今はずいぶんましになった、ということを記録を元に振り替えることが心の支えになりました。人間の感覚はあまりあてにならないので、記録を付けるのは本当に大事だと思います。
長女は泣きまくってました。それはもう毎日何回も。何回も。わかると思いますが、泣かれると周りは心配するし、心が揺さぶられます。時には「泣くな!」って怒っちゃいそうにもなります。
でも、泣くことで人間はリラックスするらしいですね。私もずっとすごく精神的に辛かったのですが、Youtubeで専門家の先生が泣くことは悪いことじゃない、むしろ良いことだ、と言ってるのを聞いて、「泣くのはいいことなんだ」と思うようにしました。それでもつらかったですが、「泣かないで。大丈夫だよ。」って言うよりも。「泣きたいときは泣いたっていいよ。泣いたらすっきりするよ。」って言ってあげて、自分もそう思ってあげた方が私の精神的に良かったです。
長女は大変な状況でも夜寝ることは本当に元気になりすぎたときを除いてはきちんとできてました。それは本当に助かりました。良く寝て、朝起きたら、朝ごはんを食べて、一緒にお散歩をする。これを毎日の日課としてずっとやってました。これは本当に良い影響をもたらしたと思います。日光を浴びるとなにやら化学物質が出るらしいですしね。
長女はおいしいものが好きで、どんなに辛くて泣いてて、精神的に弱っているときでも、おいしいもの、特にデザートを目の前にするとにっこりと笑顔になる事が出来ました。これを比較的早い段階で見つけられたので、ええ、それはもう毎日あっちこっちのお店に行って、おいしいものを食べまくりました。おかげですっかり私は太りましたが、精神的にとても良かったと思います。長女にも、私にも。その時はいろんなことを忘れて「おいしいね~」って。
でも、長女は全然太った感じが無くて、これが年齢の差かと、愕然とします。私はこの半年で8kgくらい太ってしまい、現在ダイエット中…。
きちんと「こういうことをするとよい」ということが科学的にわかっているので、それを生活習慣も、薬の飲み方も含めて、きちんとやれば、ゆっくりと回復していくことが多いのだと思います。当たり前の話と言えば当たり前の話。でも、その当たり前を当たり前に継続するのが難しいんだよな、とも思います。
ストレスのかかる仕事を生活のためにしなくてはいけなかったり、孤独だったりして、「こうしたらいい」がわかっていてもできない状況だとそれは回復は難しいだろうと思います。
長女の場合は私がほとんど仕事もまともにせず(いちおうやってることになってましたけどやっぱりパフォーマンスは相当下がっていたのは否定できない…)につきっきりで支援してあげられたのが大きかったと思います。私が仕事の心配やお金の心配をしなくてもよい状況に恵まれていたのもよかったです。コロナが無くてリモートワークが当たり前じゃなかったら、タイミングがずれていてお金に余裕が無かったら、無理だったよなと思います。
本当はこういう支援が状況に限らず社会的に受けられる仕組みがもっと整っているとよいんでしょうね。それは間違いないです。でも、色々と難しいのが現実で…。どうしたらいいんでしょうね。
お気にの風俗嬢に手術したほうがいいよと言われて、お金を貯めて包茎手術してきたんですよ。
切らない包茎治療なら5,6万で済むみたいだけど、これだと1か月くらいで元に戻るから、また5,6万かけて治療。
そんなことを繰り返すのが嫌だったから、ちゃんとお金をかけてきちんと包茎手術してもらいました。
料金は38万円くらいでしたが、平均もそれくらいみたいなので安心して手術を受けました。包茎手術平均価格
最初は違和感あったけど、剥けてるのが普通の状態っていいですよね。
銭湯とか行っても、こそこそむく必要もないし、よごれが皮の中にたまる心配もない。
このちょっとしたストレスが解消されるだけでも、包茎手術したかいがあったと思います。
と言われました。
初めてのワードだったので、一瞬戸惑いましたが、どうやら大きくする手術みたいです。
ちょっと迷いましたが、またお気にの風俗嬢のところにいって聞いた見たら
「〇〇君のは少し小さいから、正直届いてないときがあるんだよね、顔も性格も好きだからあとそこだけなんだよね」
それで、次は33万円かかる手術をしてきました。長径手術の口コミを見ても悪くないクリニックだったので安心して受けました。
通常時でも3cmくらい大きくなって、勃起時でもそれくらい大きさが増しました。
見た目の自信もついて、包茎と短小を両方解決した僕に怖いものはありませんでした。
この手術本当に受けてよかったと心から思いました。
しかし、ここで罠がありました。
大きくなったことで、オナニーがものすごく気持ちよくなってしまったのです。
精子が出るまでの時間が長くなって、気持ちいい時間が長くなった感じです。たった数㎝なのですがこの数㎝が驚異的な差を生み出してしまったのです。
僕は42歳になるのですが、オナニーの虜になってしまいました。
この年で?
と思われるかもしれませんが、人間初めての快感を味わってしまうと、どうやらそれの中毒になってしまうみたいです。
それからというもの仕事帰りはどこにもよらず、AV鑑賞しながらオナニー、休日は1日AV鑑賞でオナニー。
お気にの風俗嬢から病みメールがもう200通くらいきています。それも未読無視です。
それまで少なくとも週1で通っていたのが、急に0になるものだから風俗嬢もびっくりしたみたいです。
でも、そんなものが来てもなんとも思わなくなってしまったのです。
もう風俗嬢とのセックスよりもオナニーのほうが数倍気持ちいいのです。
風俗嬢に気に入られるためにうけた包茎手術がこんな結末となってしまったのです。
70万円以上かけた手術費用ですが、風俗にいかなくなったおかげで、月の風俗代20万円が浮いているので
3,4か月で元がとれそうです。
何度も聞かされる「目標に向かって行動しろ」というありきたりなアドバイスは、もう吐き気がする。
優秀な人間は目標から逆算して行動計画を立てるんだと?ちょっと待てよ、そもそもなんで努力する必要があるんだお前?
脳が腐ってんのか?例えば、Youtubeでサブスクライバー100万人を目指すために努力するとするだろ?
クリックベイトのようなサムネとタイトルを作り、頑張って動画編集をして、アップロードを繰り返す。
成功すれば収益は増えるが、失敗すれば誰にも見向きもされない。
そんなの何が楽しいんだ?よく考えてみりゃ、キツい労働でしかねぇ。
短時間勤務残業なし完全週休三日フルリモートで社内ニートとして得られる収入は20万円。生活にかかるコストは10万円だ。
労力を取らずに、社内ニートのママ平穏な生活をする方がいいだろどう考えても。
死後には残した成果も無意味だろ?
禅僧が言うように「執着を手放す」方が楽しいんじゃねぇか?
うまいもんを食うことでも楽しんでりゃいいのよ。
労苦から得られる楽しみもあるかもしれねぇけど、虚無だそんなもん。馬鹿が。
「社会に認められたい」という感情は、インターネットの出現によって悪化した社会病みてぇなもんだ。
ブータンの国民が幸福度が最高だったのが、インターネットを使うことでランク落ちしたのがいい証拠だ。
他人と比較する環境が幸福度を下げるのはエビデンスがあるって話だ。
週5がちょうどいい人が、週7で働くと過労で病むでしょ
それと同じ
週3がちょうどいい人が、週5で働くと過労で病む
本人がめちゃくちゃ優秀ならともかく
そんな体力がない人が人生において優秀さを獲得できるかと言えば難しいからね
今の世の中、性的に不安定とか、境界知能とか、障害者とか、病気とかそういうのには目が向いてるけど
体力のボーダーには目を向けないんだよね
怠け者のレッテルを貼って終わり
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ちなみに俺は別に体力弱者じゃない、なかった、最近過労のためか体力弱者になりつつあるけどまだ普通の範囲だと思う
知り合いに有名な体力弱者の人が一人いた、はてなーも知ってる人
28歳女。2個下の彼氏持ち。
彼氏との出会いは8ヶ月前。ほんとうに偶然の出会いだった。会ってすぐに意気投合した。ちょっとびっくりするほど純粋で可愛くて素直で、でも人一倍繊細で臆病で病みやすい。でもそんな性格だからこそ、私はあなたに結婚を強要できなくなった。あなたは言ってた。2ヶ月後の私の誕生日にプロポーズするねと。でも、あなたはそのせいで病んでしまったよね。プレッシャーになったって言ってた。会社の人事異動も相まって、精神科に通院するほど悩んでしまったよね。その時私気づいた。この人は今家族を持てる心理的余裕がないんだって。私は仕事をしているし、デートは折半だし、金銭面であなたに何かを求めたいと思ったことは一切ない。なんなら高価な結婚指輪も結婚式もやらなくていい。ただあなたとの確かな未来が欲しかった。でも、ここまでメンタルを病んだあなたに、精神科の薬を飲みながら仕事に行くのがやっとなあなたに、これ以上負担になる何かを言うことは私にはできない。
わたしあなたに出会う前は、結婚願望なんてなかった。1人で生きて1人で死ぬと思ってた。でもあなたが私に刻みつけてしまった。誰かに愛される喜びを。誰かと肉体を重ねる喜びを。仕事終わりのLINEでくだらないことで笑え合える幸せを。一緒にいればいるほど、私はこの幸せを失いたくないって思ってしまった。あなたに出会って、私は誰かと結婚したくなってしまった。
私はもう29になる。早く相手を探さないといけない年齢だ。もともと結婚しないつもりだったから、こんなことを考えるとは思ってもみなかった。早く動かないと女としての価値が磨耗する。だから私は婚活市場に行くね。
もし、今の彼氏と1年早く出会っていたらもう少し待つことができた。もし、転職先の今の職場が30代でも独身がゴロゴロいるような職場ならもう少し待つことができた。でも、彼氏がプロポーズを先延ばしにした以上、それがプレッシャーで病んでしまった以上、もう現実的に待つことは許されないから、私は行くね。
愛を教えてくれて、ありがとう。
そして、ほんとうにごめん。