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はてなキーワード: 目線とは

2024-12-12

anond:20241212214152

俺ら氷河期世代ってさ、社会に、お前らいらねーよ。みたいな扱い方されてきたわけじゃない。

社会からいらない扱いされてるのに、仕事を求めるって意味からなくてさ。

こっちくんな迷惑って言われてるのに、すり寄っていくってことじゃん。

他者目線で考える癖がついてるのかな?

自分生活のために働くと考えた方がいいんじゃないかな。

誰かのため社会のためになることをしたいのであれば、ボランティア福祉活動などあるよ。仕事しながらやってる人もいるよ。

anond:20241212101635

ざっと書いたので何かヒントになれば幸いです

メスなら懐かないことのほうが多いので懐く懐かない考えるのは諦めたほうが良い

タバコ/コーヒー/香水etcうさぎ的にNGだけど大丈夫だろうか

匂いの違いで判断されてる可能性も高いので、風呂とか洗濯とかで使っている香料を無くしてみるとか

うさぎ視力弱くて50cm程しか見えてないので、飼い主を有効的な生物だと認識してほしいなら

飼い主が地べた寝っ転がってうさぎ目線で接するのが早いと思う

信頼関係あるとうさぎ頭突きしてくるので、飼い主からうさぎの額に額を合わせるとか良いよ

撫でる箇所は耳付近から鼻にかけてで、頬や顎あたりは触っても喜ばない

撫でる時の手の出し方も上から触ろうとするんじゃなく、下から

抱っこは骨格的に負荷かかるのでしなくていいぐらい、慣れるというか我慢していることも多々あるのでその違いが分かってからが良いと思う

うさぎは穴掘りが好きなので布団のなかで遊ぶと機嫌良くなるし仲良くなれるかも

レアケースで触るところに病気怪我があって、それで怯えてる可能性も

2024-12-11

anond:20241211175102

オレのヤバい婚活女の話も書いておくからヤバいのは婚活男だけと思うな。

婚活女もヤバい奴は多い。

最初からぜんぜん話す気がない女とかざらにいるぞ。こっちが話のきっかけとしてわざわざ話をしてるのにバカにしたように苦笑して「まあ……はい」くらいしかさない女とか本当に嫌だった。そしてもちろんおごっても何も言わず目線も合わせず帰って行く。

そうかと思えば「前の彼氏中国人お金持ちで~」と言う女もいて、よくよく聞けば会ったこともなくアプリでやりとりしてただけとか。詳しくは聞かなかったが十中八九ロマンス詐欺バカかよ。ちなみに化粧が顔のパーツとズレ?ててバケモノじみてた。こわい。

他にも、ろくに自分のことは話してくれず、でも淡々デートの誘いには乗ってくるので三回までデートしたけど、さすがに何考えてるか分からなくてそこで連絡切った。ちょっと自己開示してくれ。怖いわ。

あとは街コンっぽいイベントで会った無職無職のくせにオレと隣の男が自己紹介したら「またIT(笑)」と笑いながら何を言ってもバカにしたように笑ってきたあげく、一緒に来てた友人に「無職から相手にされない」と言ってた。こいつ性格いか相手にされないのに気づかないのか?と呆れた。

3人きょうだいって

長女・長男次男(年齢順)の場合って、次男目線だと、"兄弟"と"姉弟"どっちを使うべきなんだ

調子が悪いので優先座席に座ってたら

ジジイ目線だけで席代われよみたいな態度とってきたので

「おいこっちは体調悪くて座っとんねん、なんか文句あるんか?」

「そら文句ないよなあ。俺も税金と今の老人が受け取ってる年金払ってるからなあ!!」

 

っていったらコソコソどっか行ったわ

怠け主義100人中50人がエンターテイナーの島では、労働時間が増える

 功利主義という言葉がある。どんな主義かというと、「全人類幸福を全て足し合わせた総量が最大になるように判断/行動していこう」という主義である。その主義を支持する人は一定数いる。

 それに似た考えで、私は「全人類労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」という主義を持っている。驚いたことに、どんなに調べてもその主義には名前がついていないのだ。誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ(私の調べ方が悪かっただけかもしれないので、名前を知っている方がいたら教えて欲しい)。これを「怠け主義」と名付ける。

 怠け主義意識することがいか重要か、例え話を通じて説明しよう。

 例えば、小さなさな島国があるとしよう。その島国には、労働力人口が100人いる。100人は、水汲み、漁、狩猟、農耕、調理林業、埋葬、建築製造、修理、流通、あらゆる「それがないと生きていけない労働」をこなしていて、おかげで生活が成り立っている。労働時間は一日あたり4時間程度。貨幣制度はあってもなくてもよい。

 やがて、彼らは日々に退屈し、エンタメを欲する……音楽家噺家大道芸人が現れた。エンタメ需要は高まり、やがてエンタメだけで食っていける人が続出する。楽器職人イベンター広告代理音楽教師も現れた。手の込んだ服の生産や、手の込んだ料理をする人も現れた。←なくても死にはしない職業という意味で、エンタメに含める。人々からエンタメ需要はどんどん高まっていったために、職業多様化した……気づくと労働力人口100人のうち、50人がエンタメ依存する職業になっていた。人々は、なぜか疲れを覚えていた。なぜかはわからないが、自分労働量が倍に増えた気がするのだ。彼らは一日あたり8時間働いていた。

 岡目八目である神目から見ると「そんなの、本来100人でやってたはずの ”死なないための労働” を、今は50人がやることになってるのだから労働力は倍くらいになるだろう」と思うかもしれない。でも、島民目線から見ると、「エンタメのために金を払う行為が、自分労働量を増やすことに繋がっている」というのは、気づかないのではないだろうか。その2つは一見繋がっていないように見える。

 現実世界も、この例え話と同じである。娯楽を消費することが自分労働時間を増やす事に繋がっているとは誰も思っていない。

 そう思っているので、皆が「趣味で消費すること」を「経済が回る」と呼称し、ポジティブイメージ付与しようとしていることには違和感がある。

 よく「人々が○○を消費しなくなると、所得が減るし、働き口が減る」と言われるが、冷静に考えて、減った所得というのは減った支出に等しいのでメリットデメリット釣り合っているし、働き口が減ったなら、それまで毎日8時間かけてやっていた仕事を6時間にすれば働き口が33%増えるだろう。

 趣味での消費なんてしなければしないほど労働時間が減って安らかな生活に近づくに決まっているじゃないか。←これが本記事のメインの主張である

 現代労働時間が長すぎて精神や体を壊す人間がたくさん観測される。私の友人知人にもたくさんいる。贅沢している場合ではない。皆、消費をするのを(=この世に発生する労働を増やすのを)やめてくれ。

 具体的にはどのように行動していけば労働総和を減らしていけるのか、それはこの記事への反応があったら詳しく追記したいけど、とりあえず一つだけ挙げておこうと思う。

・よく、課金に多額を費やす人は正気を疑われ、狂人かのように扱われる風潮がある。

 例えば旅行に毎年40万使う人と課金に毎年40万使う人を比べると、一般的には後者の方が疎ましい人に思えるのかもしれないけど、怠け主義的に考えると前者の方が疎ましい人に思える。後者の方が、その趣味を消費することによって世の中に追加で発生する労働が少ないと思われるためである

 私の趣味は古い名作をデジタルで鑑賞することだ。過去の人が作った本や映画デジタルコピーをしまくるだけで無限未来人類欲求を満たせるなら、それが一番楽じゃないか

2024-12-10

anond:20241209172537

誰かこれ彼女目線から増田書いてよ。これを読んだ彼女のアンサーでもいいし、読んでない体での心情吐露でもいい。変に穿った見方をせずに。彼女の心を覗いてみたい。

anond:20241209172537

誰かこれ彼女目線から増田書いてよ。これを読んだ彼女のアンサーでもいいし、読んでない体での心情吐露でもいい。変に穿った見方をせずに。彼女の心を覗いてみたい。

嘘乙としか言われないと思うけど愚痴

コンサル勤め年収2,000万Overなんだけど、ここしばらく暇してる。

下手したら日勤帯から夜まではてブとXでほとんど時間が潰れている。

まぁとはいえ、Up or OutOut組なので、後数ヶ月もすれば出る身分なんだけど。なんかズルズルと数年続けてしまった。

しばらく稼がせてもらって貯金投資はできたので金銭的にだいぶ余裕ができたのはよかった。

億は無いけど近い金額資産はできた。

次がとても不安。実力無いのに年収だけ高いから正直誰も雇ってくれないんじゃ無いだろうか。

エージェントとは話してるけど年収下げるなと言われるので結局次もコンサルやるしか無いのか?と思ってる

でもコンサルまらんのよね・・・

基本ミーティングしてるかパワポ作るかエクセル分析だし・・・もっと新しいテクノロジーかに触れていたい。

論点とか経営者目線とか正直どうでも良い・・・クライアントに振り回されない仕事がしたい・・・

2024-12-09

anond:20241105180510

ジャニーズってすでに客が加齢してて大半がおばさんなんだよ

疑似恋愛ではなく息子を見る目線なんで

チビは客のママ欲を発散する係

 

若いファンが疑似恋愛対象として推してるのは

普通に背が高いイケメンだよ

もっというとそれはジャニーズじゃなくて別の事務所アイドルなんだよ

 

母親目線ならチビの方が可愛いけど

恋人はいらねえって話よ

anond:20241209022739

身長高いとドキドキするけどやっぱり話してて目線合う人の方が好きかも。(ごめん隙自語!)

2024-12-08

アニメ化などでファンが増えるって本来作品にとって喜ばしい事なのに

どうしてわざわざファン排除して減らすような真似をしてしまうのか。

「パパじゃない我々」って何処目線?お前はただの読者であって、原作者でも制作会社でもないんだが…何か勘違いしていないか

作品にとって迷惑では?

とど丸@ウマ息子アグネスタキオン

@todomaru2

結局鬼滅にしてもヒロアカにしても呪術も今回のダンダダンも、アニメ化などで有名になったらフェミ活動家が噛みつき出したって事は、女性特有の試し行為「私のワガママはどこまで通るか?」の対社会であると容易に想像できる訳で

パパじゃない我々としては、甘やかす義理もないなという結論

https://x.com/todomaru2/status/1864574156555293183

新・表現の自由戦士提案

 最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。

 わたし若い女で、比較フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。

 以前、似たような境遇女の子友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。

 しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入り帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。

 この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入り帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。

 話は変わる。新聞社事件事故の欄を見ていると、盗撮痴漢路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。

 そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害あいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。

 そもそも表現というのは社会の情勢や価値観規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現社会個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり表現社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。

 フェミニスト二次元三次元区別がつかない。あるいは、自他境界曖昧すぎてただの絵に自己投影している。エロ表現忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツ邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。

 ポルノグラフィ(エロ絵や漫画アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実性犯罪助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現問題視されていることの妥当性を示したいと思う。

 ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現社会の外側には出られない事実である。つまりエロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力エロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたし意見を述べておくと現実被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力エロ表現ひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり表現社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会しか受けつけられないのだと思う。

 また、そういうチャレンジングな表現社会価値観を問うたり挑発したりすることも表現役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会価値観は醸成されていない。

 ちなみに。こういう話では必ず、殺人現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたし理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人エンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会からなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現エンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうからエロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すとき感覚快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)

 同じように、戦闘シーンを快として描く表現暴力基本的日常の外にある社会からこそ許容されるし、ヤのつく職業社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会から可能なのではないか

 つまりエロ表現自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現自由戦士と呼ばれる人たちは表現現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現現実社会区別〉をつけるべきではないか

 恐らく、フェミニストエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか

補足:Xではエロ表現話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズム文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。

2024-12-07

中3の時にいじめが原因と遺書を残して自殺した同級生がいた

中3の時にいじめが原因と遺書を残して自殺した同級生がいた。

いじめによる自殺問題になり始めた時期でかなりセンセーショナルにとりあげられた。

学校調査はいじめはなかったとされ、当時その同級生の両親がニュースに出ては「許せない」と語っていた。

私達はいじめをしていた同級生として、他学年や他校から好奇の目に晒された。

が、本当にいじめはなかったと、いまだに私は思っている。単純に性格が悪くて嫌われてさけられただけ。

言葉の端を取ってねちっこく言い始めたり、他人意見否定してばかり、そのくせ知識が浅く、楽しく話せる話題がない。避けてもしつこくレッテル貼りをしてくる神経のわからない子だった。

中学生だったので、物を取るだの、暴力だのって言う幼稚なことはしなかったけれど、みんな静かに避けるようになった。数人、話しかけられても無視という子たちもいたが、その子たちは変なレッテルを貼られたり嫌なことを言われたりとされた子達で、まあそりゃそうだよなって感じ。

性格の悪い子がいて、周りが「そういうこと言うのやめなよ」って言ってるうちに直せばいいのに「私は事実を~」と言い続けて嫌われて、最終的に命を粗末にした。っていうのが私目線の全容。

世の中には卑劣いじめがあると思う。危害を加えたり、物を隠したり、その子に辱めを加えたり。で、学校側がそれを隠そうとしてるって言うのがほとんどなんだと思う。

でも中にはあるいはって思ったりする。

老母がドコモたらい回しにされた件

老母(経歴)

・80近い

らくらくフォンしか使えず壊れたので、遠い代理店に行かざるをを得ない

ドコモ代理店に行って、その後、何故か、ドコモDカードゴールドカード(会員費が高い)を契約させられて、後から郵送で契約された事を知る。後から抗議のためにドコモ電話すると

コールセンター「解約なら、代理店に行け」

代理店「解約なら、ドコモに直接問い合わせろ」

(別の部署コールセンター代理店に行け」

一緒に別の代理店に行くと、雰囲気が森香澄的な若いムッチリしたミニスカートの女店員が出てきたので、スケベな目線オッパイとお尻を眺めてると

店員「既に解約されてますよ」

ニコレ?親は馬鹿にされたのか?

2024-12-06

今、インデックス投資を始めることが危険理由

インデックス投資は、確かに正解だった。少なくともこれまでは。

長い目線で見れば、株式投資は他のアセットクラスよりもリターンが大きい。これも確かにそうだ。

だけど今は、今だけは違うんじゃないか

ウォール街ランダムウォーカー」の初版が出たのは1973年

それから50年以上が経って、近年はすっかりインデックス投資メジャーになった。

インデックス投資をやっていれば、大きく失敗することはない。そう多くの人が信じるようになった。

その結果はどうだろう。

大手テクノロジー企業株価はとどまることを知らない。そりゃそうだろう。業績が良い上に、インデックス投資マネーが絶えず流れ込むのだ。それも世界中から

日本でも、ファーストリテイリングPERは40倍を超えた。ただの服屋にしては、流石に高すぎやしまいか

この祭りがいつ終わるかはわからない。一つ確実なのは株価の上昇は未来のリターンを先取りしているということだ。

株価が上がれば上がるほど、今後のリターンは小さくなる。経済はボチボチのペースでしか成長しない。

そして株式投資は、他の人よりも先に動いた場合に儲かる。インデックス投資が良いと将来考える、現時点ではまだ知らない人はどのくらいいるだろう?

かにインデックス投資をやっておけば、市場平均に負けることはない。

その安心感のためだけに、自分もそこそこ持ってはいる。資産の25%くらい。

だけど、いつか訪れるよ。みんなが一緒に負ける日が。市場全体が崩れ落ちて、半減するような日が。

米国金利は高いから、下げる余地はあるわけだけど。でも今の株価って、それを織り込んでるよね。金利を下げても株価が上がらなかったら、それこそ絶望だよね。

さて、どうなるやら。自分はぼちぼちの現金を残して、あまり見向きもされてない増配株をコツコツと拾っていく方が性に合っている。

少なくともこれでインデックスに勝ててるから、わざわざリスクの高い大通りを走る必要などない。

anond:20241206114813

しかに…😟

なんでだろう、子供の頃、水たまりでよく見ていたのは田舎だったからだろうか

それとも、目線が単に低かったからだろうか

2024-12-05

anond:20241201202854

話題になっていたこれを読んだけど、納得する部分と「そうじゃないんだよなあ…」という部分とがあった。

文学フリマ出展してみんな本当に楽しいですか?

https://anond.hatelabo.jp/20241201202854

◯「あそこに集ってるのはみんな『書きたい人』であって『読みたい人』ではない

一部では当たっている。この間の39はスペース数が1500、来場者が14967人。来場者にはサークル参加の人たちも含まれているので純粋な「買い専」の人は2/3もいない。これを少ないと見るか多いと見るか。

でもリアルイベントの楽しさは「交流」でもあるし、売ってる本がつまらなければ買わなければいいだけの話だろうと思う。それだけのコストを払う「付き合い」の価値があるか。

◯「そのコミュニティしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化

これはコミケとかティアとか評論同人イベントでも思うのだけど、結局話題になってそれなりに売れる本ってそれなりの切り口と目線必要になる。

から手掛けている人は実は本業出版業だったりして(フリー編集者だったりライターだったり)商業ではできないけど同人ならある程度ペイできるし、という感覚でやっている人が結構いる。文フリも年々、独立系書店や本格的な流通をやってるリトルプレスだったり、小さな出版社の参加が増えている印象。そうなると同人誌全体のレベルボトムアップする分、「素人情熱だけで作ったもの」は見向きもされなくなる。結局、「好きなものを作って売るのは自由だけど、“売れる”ためには別の努力必要だよね」という現実の話なんだよね。だから個人的には先鋭化というよりは「売れる本と売れない本が2極化していく」になるのではと。

ちなみに評論系界隈だと、最近は「コミケだと売れない」という話をよく聞く。固定客以外が他の専門イベントに流れてるんだろうけど、長く続いてる分「場」が飽和したんじゃないかなと思っている。

自分文フリに参加している側だけど、本業出版系。「赤字にならない程度のコストで作りたいもの、かつイベントで売れるだろうと見込んだ本」を作るスタンス

売上は毎回40〜50冊くらい。ちゃんと儲けも出るように作ってるので、いい(副)収入?にはなってます

から個人的に思うのは、商業トレンドからは大きく乖離してはいかないのではと。なぜならあの場には「プロ」が多くいるから。

でも「作りたい人の純粋情熱の発露の場」ではなくなっていく可能性がある。そしてそうなるとイベントとしてはつまらなくなる可能性がある。そうなったとき文フリがどういうスタンスを取るか、かなあ。

冷えたスペースを確保したいランチのお昼の増田酢魔乗る樋尾の珍ライタし北可をスーペス耐え日(回文

おはようございます

最近行かなくなった定食屋さんはテーブルが広くて、

独りでもそこに座らざる終えない相席を取らないタイプ形式なので、

ランチタイムの混み合ってくるピークのピーキーな時間になると

ちょっと店員さんがピリ付いてきてそのイライラが伝わってくる感じがなんてそれ伝導率良くない?ってそんな空気を感じながら、

時間いっぱいまで滞在するのは店員さんのそのピリ付き加減が気になって物書きが出来ないのよね。

そういった意味では!

いまもう食事のどうのこうのと言うより

快適にスペースを確保できつつ店員さんもピリ付いてなく快適なところにいつも行ってしまうのよね。

捗るわー!

以降行ってないその店員さんのピリ付きを感じてしまうお店には足繁く通う理由がなくなってしまったわ。

ここも日替わり定食メニューがの楽しみだったのに。

いいお店失ってしまった私が行くそのお店に勇気が100パーセントないだけなんだけどね。

あ!あと

餡掛け麺の美味しいお店もここ最近行ってないことに気付いたわ。

私は渡り鳥

寒くなると毎年熱々の最初箸が刺さらないぐらいのカチカチのハード餡掛けられた餡は丼の麺をぐるっと一周掻き混ぜるのも一苦労なハード餡掛け麺なのよね。

なので保温性抜群のそれは冬に持って来いドンと食べて元気になる冬のホットメニューラインナップの一つの私の楽しみでもあったんだけど、

そこもまだ今シーズン行ってないわ。

今は珍しいランチでもタバコが吸えるところなので

まあそういったおじさまが多いので、

ここの逸品も食べるのは私は本当の冬の渡り鳥みたいに冬しか行かないぐらいなのよね。

幸い隣でタバコを吸う人がいなかったらラッキーなんだけど。

ここも行けてないわ冬の餡掛け麺の名物のお店。

あー!

あとお饂飩屋さんも足繁く通いまくりまくりすてぃーだったんだけど、

ここは超絶インバウンドのお客さんが長蛇の列を毎日連ねて行くに行けないのよね。

こんなに混雑していてわざわざ並んでまでって感じね。

ここもランチのおうどんミニ丼が付いてて

その美味しいミニ丼に乗っている美味しい三つ葉を初めて食べて私三つ葉が食べられるようになったのよ!

そのぐらい三つ葉

ここもぜんぜん行けてないわー

人多すぎて行けてない問題

なので、

行くところが限られちゃっているお昼休みのなんか空間は確保したいのよね。

ゆっくり時間を過ごせるところ。

ランチ目線最近変わってきた意識していたことが私は日替わりランチを求めていたのに本当にお昼の休息を求めるようになっていたのよ。

食い気より休憩ってことよ。

で、

まあ仕方なく私はその日忙しくて十分お昼時間が取れなさそうなたまに巡り来る忙しさの時があったんだけど、

ちょっと30分でて事務所からケンケンパでちょうど5回ほどすればたどり着ける近いカレー店飛び込み前転でランチ入店したの。

着地は決まったわ!

そんで頼んだチキンカレーの柔らかさを遙かに凌ぐカレーの熱さを十分に冷ますぐらいのその鶏肉の芯まで冷えている状態に遭遇したの。

これあまりに冷えすぎていて

なにが正解か分からないわ。

一口囓ると鶏肉の芯が冷たいの。

外側も冷たい気配がして暖かいとは到底思えないの。

でもカレールーは超絶熱々でしょ?

これってつけ麺でよくある

つけ汁は熱くて麺は冷やして盛るタイプチキンカレー

そうなると理解は早いんだけど、

つけ麺タイプでその逆で

つけ汁は冷たくて麺を熱くして盛っているのもあるじゃない。

その合計の4通りの組合せを自由自在にできるタイプのお店もあるから

熱いに熱い

冷たいに冷たいって形式にも自由自在なのよ。

私はそのカレーチキンとのあまりにも温度差に冷静と情熱との間を感じてしまったわ。

冷静に考えたら冷たいチキンおかしいけれど

チキン好きの熱い情熱は忘れてはいけないってこと。

私改めて思ったの。

冷たい芯まで冷えているカレーにのっているチキンだけど、

チキンに罪はなく冷たいのが罪なの。

でもこれもチキンが冷たいのがその冷たさが本当の正解だったら私が無知なだけじゃない。

これが正式の売りのやり方です!ってカレー屋の大将に言われたらそれそうよね!って

熱いカレー盛りにキンキンに芯まで冷えたチキンを乗せるのがうち流!ってね。

そうなると

恥をさらして私が無知だってことをむちやくちや言っているタダの冷たいチキンが気に入らない人になっちゃってるじゃない。

から時としてチキン知識をこの際アップさせる良い機会だと思って、

へーこういうカレーもあるのね!って

カヒミカリィさんばりのウイスパーボイスで私はそう言ったのよ。

とすると!

逆のカレールーが冷たくてチキンが熱々でってタイプもありってことなのかしら?

私はその時、

カレールーで芯まで冷えたチキンを浸からせて温めるのに必死だったので、

そこまでカレー屋の大将には尋ねられなかったけれど。

それもまたよしとして、

冷えたチキンもそこのお店流なんだーって思うことにしたのよね。

でも本当に美事に美しく氷の結晶をも纏うほどに冷えていたチキン

もはやこれが正解なのか?って思うぐらいの堂々としたっぷりの冷え冷えを発揮していたのよね。

うーん、

これもしかして本当は温めるの忘れてない?

いやそう言ってしまえばタダのチキンもの凄いこだわりがあるチキン好きな人だと思われちゃうから

それは言わなかったけれど。

うーん、

何度そのチキンを囓っても

多少は熱々のカレールーに浸って温まってきたとは言え、

正解の温度が分からないまま

結局チキンは熱々のカレールー解凍されて

美味しくいや美味しいとは言えるのかこれは私たちが試されている美食家が美味しく無いもの無知だと思われるのは恥ずかしいから高貴に「美味しいですわ!」っていう感じなのかしら?試されているかしら?って思ったわ。

にしても冷えたチキン謎だわ。

私はなんとか熱々のカレールーで温めて食べられたチキンを、

平らげられたカレー皿をみてご馳走様でした!って元気よく言ってお店をあとにしたの。

冷えたチキン気を付けないとって、

そんな思いをもよそに私はお店を振り返ると店頭には

「冷やしチキンカレー始めました!」とその勢いは冷やし中華始めましたの勢いにも勝るとも劣らない貼り紙がしてあったの!

なーんだ、

冷やしチキンカレーだったのね。

芯まで冷えていたチキンで正解だったんだー!って

ていうか!

この時期に「冷やし」推し!?

でも、

正解を知れてモヤモヤスッキリと凍り付いていたものチキンと同じくして溶けたのと同時に

やっぱりチキンも熱々の方が美味しいかも!って

正直心の中でそう素直に思ってしまったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

今日もかな?

納豆巻きもはや食べ過ぎて私が納豆巻きになっちゃいそう!

ってさすがにならないかもだけど

気持ち納豆巻きなのよ!

朝の納豆って効くわよね!

美味しさ爆発ネバネバ炸裂!って感じが納豆なのよ。

納豆巻き手軽すぎるし美味しすぎるし最高よ!

デトックスウォーター

ホッツ白湯ストレートウォーラーが多い中、

とはいえ今日普通にホッツ白湯ストレートウォーラー

まあ芸がないので

ちょっとレモン果汁ポッカレモンレモン風味足すフレーバー的に。

ホッツレモン白湯ストレートウォーラーってところね。

ハチミツもお好みで入れてみてもいいかも知れないわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-12-02

感情を出さないやつが急に出したら怖いだろ

普段まったく感情を出さないでクールな振りをしてる大人

慣れてないかかいざというときパニックっぷりや慌て方がヤバくて怖すぎる

もっと普段から小出しに感情表現するってのやっておいたほうがいいと思う

ネットでイキるのもいいけどそんなのネット上でしかコントロールできない

リアルの場でちゃんと怒るとか悲しむとか嬉しさを伝えるってのやったほうがいい

別にカッコよくもないくせに無駄にカッコつけてないで

別に大事人間関係の中でやる必要もない

全然知らない人コンビニ店員でもいいか「ありがとう」って言ってみて

割と店員ちょっと「ん?」てなると思う

目線外しながらボソっとじゃなくて普通にまっすぐ伝えてみる

感謝を伝えるのが一番カンタンにできるからだけど、怒りでもいい

こんなことで怒るのは大人げないと思うことも多い

でも少しだけ私は怒っていると表現してみる

普段から怒りばかり表現してる人は別の感情バランスを取ってほしい

まあなんでもいいんだけど感情と体をすり合わせる

これをやらないから肝心な時にまったく頼りにならないくらい心の距離が離れてしま

心の距離が離れると全てがつまらなくなる

逆にちゃんとその距離が近ければなんでも楽しくなってくる

これはほんとなのだ

自分の心の距離感情が近づけたり遠ざけたりする

それを殺してはいけない

多少人に迷惑かけてでもいいどうせ嫌でもかかってる

anond:20241202192652

性的消費の根幹ってソレだよね

どんだけ言ってもあの人たちは理解できないだろうけど

女性ペット視が価値観の中心なんだと思う多分

何としてでもエロの中心教義正当化しようとする

性的目線で見る自分たちは正しくて女がエロいのが悪いとかい他責思考になる

その不自然な歪みは自己批判できない

脳内侵入禁止保護膜ができちゃってて自分でも破れない

麻酔科から見る最近産科関連ニュースについて

2024/12/3追記

コメントで厳しい指摘のある通り、つがる病院の件は裁判を経た賠償ではなく、「産科医療保障制度原因分析委員会や県外の複数産婦人科専門医意見等を踏まえ」て病院責任を認めて賠償金を支払ったものだった。

また、事態の詳細記事を寄せてくれた増田もいた。ありがたい限り。

以下の本文は自戒を込めて元記事のままにしておくので、該当部分は「コイツ日本語読めてねーわ」と思って読んでほしい。

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2024年11月だけで、産科とりまく嬉しくないニュースが続いてしまった。

双子出産時に医療事故・第2子に重い脳性まひ 「つがる総合病院」が責任を認め患者家族損害賠償金約9100万円を支払いへ 青森県

https://news.yahoo.co.jp/articles/2632e03d1c188d54560b78feb4a26de359d2c6f0?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20241128&ctg=loc&bt=tw_up

検討会で弁護士暴論「産科医は医療安全に前のめり」

https://reiwa-kawaraban.com/politics/20241116/

市中病院で、帝王切開という形で産科医療に関与する麻酔科医の目線から上記ニュースを考えてみる。

【前提】

まず話の根底として、妊娠から出産過程で低確率ながら母子の死亡が起こりえる。

厚労省データ(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001118039.pdf)によれば妊産婦の死亡事例は減少傾向にありつつも、令和3年で2.5/100000出産例とされる。(死亡の原因は様々だが、こちらのスライド(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2021/12/20211208_2.pdf)によると、「産科危機出血」「脳出血」「羊水塞栓」で半分近くを占める)

平成12年には6.3であったというから、およそ20年で半減してきている計算で、これは原因の究明や対応できる組織構築を行った医療従事者や、薬剤や機材の開発・流通を整備する関連企業不断努力の賜物に違いない。

日進月歩医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないもの妊娠出産である、という点がまず客観的事実として存在する。

そうした妊産婦死亡を防ぐ手段の1つに帝王切開がある。

経腟分娩でなく帝王切開選択する理由について信頼できる統計データネット上には見つけられなかったが、職務で見てきた中では「双子」「胎盤位置異常」「前回が帝王切開=今回の分娩がハイリスク」「合併症(妊娠血圧など)予防のためやむをえず」といった背景が多い。

胎盤位置異常や帝王切開歴などは妊婦検診の過程で分かることであり、予め調整して計画的帝王切開をすることで上記出血などによる死亡例を防ぐことができる。

問題は、全ての帝王切開が予定通りには進まないということだ。

予定帝王切開の日程を定めていたとしても、まったく予期せぬタイミング(予定の数週間前など)で破水したり陣痛が始まってしまうことは日常茶飯であるし、経腟分娩で予定されていたお産が胎児心拍低下などで緊急に帝王切開となる事態もよくある。帝王切開ではないが、経腟分娩を終えたもの出血が止まらないため緊急手術になる事例も時折ある。

短く纏めるなら「妊産婦死亡を防ぐには帝王切開がどうしても必要場合があり、そしてそれは緊急に起こりえる」となる。

現場実態

では、緊急帝王切開が決まったとして、手術はどのように進むのだろうか。

緊急という言葉から一分一秒を争う事態想像するかもしれないが、実は事情に応じてどの程度待てるか段階分けされている。

施設によって呼び方規定時間はある程度幅があるものの、こちらの資料(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/42/1/42_57/_pdf/-char/ja)に示されるものが一つの指標になるだろう。

日中に娩出すれば問題ないものは大きなトラブルになることはまずなく(見たことがない)、1-2時間以内に子供を出したいとなると手術室は忙しくなってくる。

そして、我々麻酔科医にとって最も恐ろしいものが、超緊急帝王切開、いわゆるGradeAの宣言だ。

資料中にもあるように、GradeAでは可及的速やかに胎児を出す必要があり、以前所属していた施設では「宣言から30分以内」を目標としていた。この30分という数字をどう受け取るかは人によって様々であろうが、手術室の動きと所要時間から考えてみたい。

帝王切開全身麻酔で行う場合、手術室看護師必要な器械(メス、各種鉗子、血液吸引機などなど)を準備し、麻酔科麻酔器のセットアップや薬剤・器具の準備を大急ぎで進めていく。

麻酔器のセットアップを全くゼロから行う場合は、機種にもよるが10分近く時間をとられる。どんなに短くても3-5分という印象だ。

また、使用する薬剤の種類は通常の全身麻酔とあまり変わらないものの、一部の薬剤は鍵付きの金庫で保管されているため、鍵の持ち主である看護師に持ってきてもらう必要があるのだが、看護師も器械の準備に全力を注いでいるのですぐにとはいかない。

全ての薬剤を準備するのに(鍵を無視しても)最速でも2-3分。人工呼吸のための気管挿管デバイスを準備するのにもう1-2分。麻酔器のセットアップと並行で行えるので単純に足し算ではないが、これに移動時間、各所へ電話連絡の時間、薬剤と道具をかき集める時間を加味すると、連絡を受けて10分後に独力で全ての準備を整えられるかは分の悪い勝負になりがちだ。

マンパワーがあれば多少改善するものの、夜間や休日であれば人員は最低限に留められているため、素早いヘルプも期待できない。

大抵の場合産科医も連絡をしてきた時点で手術室へ患者と向かっているので、慌てて手術室へ飛び込んだら患者が先に入室していた、ということも珍しくない。

全ての道具の準備を整え、産科医は滅菌ガウン手袋を装着し(これにも1-2分はかかる)、全身麻酔をかけると同時に執刀を初めて数分後に胎児を体外へ出す。

言葉だけ並べると案外間に合いそうに見えるが、必要検査結果を最低限確認したり、患者を手術台へ移動したりと無数の手順が間に挟まることで時間はどんどん圧迫され、時間が経過するごとに胎児(と場合によっては母体)の生命は目の前で消えようとしていく。

今まさに苦しむ母体と、見えないところで死に向かっていく胎児を目の前にして、正確に、安全に、迅速に全ての手順を協同して進めていく緊張感が伝わるだろうか。

そして上記描写は、近隣でも有数の規模の病院で、スタッフ経験値と各種対策が練り上げられた環境のものである比較的規模の小さい病院では経験値マニュアルも整備されておらず、これより時間がかかってしまうだろうことは想像に難くない。

記事の内容について】

こういった現状を踏まえた上で双子判決についての記事を読むと>> 10分以内に新生児を取り上げる超緊急帝王切開体制が取られておらず、重大な障がいに至ったなどとする判断を受けました <<とある

当時のつがる総合病院体制がどのようなもので、どこまで準備できた時点から計測された制限時間かは調べた範囲で詳細不明であったが、全くゼロから始めたとすればまず不可能時間であるし、ある程度準備が出来た状態(麻酔器はセットアップされていたなど)からでも厳しいだろう。

実際に病院側の落ち度があった可能性も無論あるが、ベストを尽くしても達成しうるかからない「10分以内」という数字をどこからか持ち出してきて賠償を命じられるというのは、あまり理不尽に感じられる。

10分以内に取り上げられたら後遺症を防げたか、あるいは程度が軽く済んだ可能性はもちろんあるが、それが現実に達成不可能数値目標だとしたら、処罰理由として据えられてはたまったものではない。

この記事から読み取れる法律サイドのスタンスは、「もっと安全対策をとるべきであった」とできるだろう。それが現実的なものかはさておいて。

翻ってもう一つの記事である

これは厚生労働省保険局での話し合いであり、その結論の着地点は広い範囲に影響することが予想される。

産科医療保険適用にした場合問題点はそれだけで独立した論点になってしまうため割愛するが、記事フォーカスしている井上弁護士発言は以下である

>> バランスを見ます産科医療安全にかなり前のめっていすぎるというふうに私自身は判断しまして(中略)結果が異常である可能性があるということで水準を簡単に上げすぎるために、産科世界バランスが他の診療科に比べて崩れているのではないかと(中略)医療安全、悪く言えば原理主義的になりすぎないように、ということを是非ご注意いただく <<

この発言に対して亀井氏が即座に怒りを感じさせるコメントを出しているが、むべなるかなと言わざるをえない。

関係各所が不断努力を続けていても妊産婦死亡はゼロではなく、突然で理不尽な不幸に見舞われたご家族の悲哀を想像するだに辛い気持ちになる。

にも関わらず、どれだけ真摯に取り組んでも、双子の事例にもあるように時として理不尽な法的判断を下されうるのが現状の産科医療実態だ。

無論この井上弁護士見解法曹会の総意でないことは理解しているし、記事執筆者がやはり弁護士非難的な論調であることからも間違いない。

とはいえ一部の弁護士(そしてそれ以外の人々)に、「産科医療医療安全コストをかけすぎではないか」という見解を持っている人が相応にいるだろうことが推測される。

【両記事共通点

双子記事厚労省記事は、個別に見るとかたや「医療安全をより追及せよ」であり、かたや「医療安全コストを割きすぎではないか」という真逆要求をつきつけている。

どうしろというのだ、という困惑から一歩引いて、何故このように食い違う見解が同一の業界から出てしまうのかを考えてみると、「妊娠出産に対するリスクの軽視または無理解」が両者の根底にあるのではないか個人的に考える。(業界が同じなだけで個人思想が違うだけだろうという結論は一旦置く)

出産安全に済むものから」という補助線を引くと、「(安全に済むものからその水準を当然満たすべく)医療安全をより追及せよ」「(安全に済むものからそんなにコストをかけなくても良いはずで)医療安全コストを割きすぎではないか」というように、一見相反する見解が綺麗にまとまる。

記事の冒頭に掲げた前提の「日進月歩医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないもの妊娠出産である」という事実が、過小評価されているかよく理解されていないことに原因があるのではないか、と考える次第である

これはある意味仕方のないことで、実際に超緊急帝王切開に直接関わる産科医・麻酔科医・看護師でもなければ医療職であってもそのリアリティにはピンとこないはずなので、一概に無理解批判することはナンセンスだ。

数字として見るデータ客観的事実として揺るがないとしても、起きてしまった不幸とそれを防ぐための緊張感は、両方を目の当たりにして初めてリアル根拠としてデータを活かす。

改善策としては実際の現場映像と音声で記録して周知と理解を促す手段も思いつくが、倫理的問題マンパワー的な問題が立ちはだかる。この点は医療サイドで働きかける余地があるだろう。

【今後の影響に対する推測】

産科医療における有名な出来事としては2006年の大野病院事件があり、そのあらましと影響についてはこれまで散々議論されているので割愛する。

最終的に産科医は無罪を勝ち取ったものの、福島県内における産科医療への影響として、事件前後産科医が減少したという分析がある。(https://keizemi-keio.info//wp-content/uploads/2017/01/bessyo_mitaron.pdf)

産婦人科医会の調査(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/02/48dc1841822ac2ca56d3d7ee4b107c28.pdf)では総数としての産科医は2006年から2022年にかけて19%増えているとあるが、厚労省データ(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/22/dl/R04_1gaikyo.pdf)から算出した同期間についての総医師数の伸び率が23%であることを合わせると、新たに産科医を志望する割合は減少していることが見て取れる。

産婦人科医会の資料中には産婦人科施設の推移も載っているが、婦人科病院が微増するもの一般病院診療所が明らかに減っていることが分かる。

ハイリスク妊娠出産を高次機能病院対応するために人員を集約することは理にかなっているものの、妊婦にとって移動はかなりの労力を伴うことから、集約によって移動距離が長くなることは身体的にも経済的にも負担が増す。

この推移に大野病院事件がどの程度影響したか評価が難しいが、無関係でないことは明らかだ。

そういった過去の事例があった上に今回のような事例が積み重なると、施設の減少と人員相対的な不足傾向が加速するリスクがある。

施設の減少は患者にとって負担であるし、人員の不足はスタッフ疲弊患者リスクを招く。

件のつがる総合病院事態が起きたのは2017年ということだが、2024年現在施設としては第二次救急医療機関指定を受けており、日本産科婦人科学会専門医制度専攻医指導施設としての教育施設指定を受けている(https://www.tsgren.jp/tsugaru-general-hospital/hospital/situation.html)ことから、緊急帝王切開を含む産科医療を行っているものと推察される。

産科医療資源の集約を考えた際に集約される側ということになるが、その医療水準を支えるスタッフHPによると産婦人科3名と麻酔科2名のみだ。

始めに述べた通り、帝王切開は通常の分娩でも突然発生しうるし、それは夜間も休日関係が無い。

当番制でシフトを回すと考えても、麻酔科は2日に1回は夜間呼び出しに備える必要があるし、産婦人科も1人で手術はできないので同程度以上の体制をしいていると推測される。

この通りであれば当然スタッフ疲弊するし、疲れた状態での医療危険を伴う(だからこそ働き方改革が叫ばれる)。そして、疲弊さらなるスタッフ離脱と不足を招く。

事態が進んで最終的に誰が不利益を被るのかというと、分娩をしたい妊婦胎児家族に他ならない。

冒頭の記事にある判断見解は、将来生まれてくる新生児生命リスク晒すもので、人命と健康を至上とする立場からは許容できない。(そうでない立場の人からはそうでもない、という批判はありうる)

【まとめ】

記事では2024年11月に公開された産科医療に関連する法的判断見解について、産科医療に関与する麻酔科医の立場から考察した。

医療安全の推進と削減という矛盾するような見解が同一の業界から出てくることについて、「妊娠出産が死亡リスクを伴う」という点の理解がされていないのではないか仮定することで1つにまとめ、現状の問題の発生源を推察した。

GradeA帝王切開いかに厳しい時間的制約のもとで行われるかや、妊婦胎児に起きうる不幸について一概に法曹側の無理解批判するものではないが、このような法的立場判断見解の影響が及びうる範囲を想定すると受け入れがたい。

現場をよく知る人々の意見が反映されることを祈りつつ、実際に1人の麻酔科から見た現場がどういった物かを誰かに共有できればと思い本記事作成した。

少しでも将来の妊婦胎児安全寄与できればと願う。

anond:20241202152346

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