はてなキーワード: 多様化とは
結論から言うと、「Macはウイルスが少ない」という認識は現在も“相対的には”正しいですが、状況は年々変化しています。
主な理由は以下の通りです:
Windowsは圧倒的なシェアを持つため、攻撃者にとって「効率の良い標的」でした。Macは長年シェアが少なかったため、ウイルス作者から狙われにくかったのです。
macOSはUNIXベースで、アクセス権限管理が厳格。さらに「Gatekeeper」や「XProtect」など、標準で強力なセキュリティ機能が搭載されています。これにより、不正なソフトの実行や既知のマルウェアの侵入を自動的に防ぐことができます。
App Storeで配布されるアプリはAppleの厳格な審査を経ているため、マルウェアが混入しにくい仕組みとなっています。
シェア拡大やサイバー攻撃の巧妙化により、Macを狙う攻撃も増えています。OSやアプリの脆弱性を突いた攻撃、Web経由やメール経由のマルウェア感染も確認されています。
標準のセキュリティ機能(Gatekeeper、XProtectなど)は強力ですが、未知のマルウェアやゼロデイ攻撃には対応しきれない場合もあります。実際に、Apple自身も定期的にセキュリティアップデートや脆弱性修正を行っています。
セキュリティソフトの導入やOS・アプリの最新化、怪しいサイトやメールのリンクを開かないなど、ユーザー自身の対策も重要です。
東京大学や早稲田・慶應などの「旧帝大」や有名私大は、伝統的に出版・マスコミ業界とのつながりが強く、以下のような利点があります:
文芸サークル(例:早稲田大学の「早稲田文学」)が活発で、編集者と学生の接点が多い。
難関大学合格者は、若い頃から読書量が多く、論理的な文章力や批評的思考力が鍛えられている場合が多いです。これは小説や評論を書く際の基盤になります。
特に東大や早慶の文系では古典文学、哲学、美術などの教養が重視されており、創作の深みにつながります。
3. 「期待される知性」のブランド性
出版社や読者は、著者の肩書きからある種の「知性」や「信頼性」を期待する傾向があります。特に文芸誌や純文学の世界ではこの傾向が強く、デビュー時に有利に働きます。
難関大学出身者は、比較的安定した家庭環境にあることが多く、就職せずに創作に打ち込む時間を持てる人もいます。また、アルバイトやフリーランスで食いつなぎながら執筆を続ける「余白」がある。
5. 歴史的な流れ
明治期から昭和初期にかけて、文士の多くは帝国大学や旧制高校の出身者で、これは制度上の選別の結果でした。
例えば夏目漱石(東大前身・帝大)、芥川龍之介(東大)、三島由紀夫(東大)、大江健三郎(東大)などがこの系譜にあります。
その後もその「系譜」が継承され、出版社側もその流れに沿った「発掘」をしてきた歴史があります。
例外や変化も増えている
近年では、非大学卒や地方大学出身の作家も増えており、多様化が進んでいます。
まとめ
> 日本の文壇に東大・早慶出身者が多いのは、単なる「学歴」ではなく、出版業界との接点、教養の蓄積、文化的ブランド、そして歴史的な慣習が複合的に影響しているためです。
ただし、これが必ずしも「よい作品を書く条件」ではなく、多様なバックグラウンドを持つ作家も今後さらに注目されていくでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20250617074316 の続き
2020年代に入ると、はてなブックマークの人気コメント欄にも徐々に変化の兆しが現れてきました。 リベラル派の根強い存在感は続いているものの、従来は埋もれがちだった保守・右翼寄りの意見や新世代の視点が目立つ場面も散見されるようになったのです。「リベラル一色」だった状況にやや揺らぎが生じ、思想的な多様化が進んできたとも言えます。 象徴的なのは、国際情勢や安全保障をめぐる議論における変化です。2022年にはロシアによるウクライナ侵攻という大事件が起き、日本国内でも安全保障論議が活発化しました。はてなブックマーク上でも当初はロシアを非難しウクライナを支持するコメントが大勢を占めましたが(これは保守・リベラルを問わず日本社会全体のコンセンサスでもありました)、次第にリベラル派内部の路線対立が表面化します。例えば「即時停戦・和平交渉を」というリベラル系知識人の声明に対し、ある人気コメントが「日本の自称リベラル勢は(中国の提案するような)領土放棄型停戦に呼応している感じですね。次は台湾有事だから良い予行演習かも」と皮肉りました。これに対し別のユーザーが「“日本の自称リベラル”って誰のこと?そんなの維新とれいわ(※保守系と左派系の新興政党)くらいでしょ」と反論するなど、リベラル陣営内での意見の食い違いが可視化されたのです。従来、平和主義的な姿勢が強かったはてな左派ですが、ウクライナ戦争を機に「現実的な安全保障」を訴える声にも一定の支持が集まるようになりました。これは従来なら埋もれていた保守・タカ派寄りの意見(=ウクライナを支援しつつ自衛力強化を主張する立場)が、2020年代には一部ユーザーの共感を得て表面化してきたことを示しています。 一方、国内政治や社会問題については依然としてリベラル優位の構図が続いています。2020年前後からはジェンダー平等や多様性をめぐる論争(いわゆる「ジェンダー論争」)が社会の大きなテーマとなりました。はてなでもフェミニズムやLGBTQに関する話題が頻出し、その度に進歩的価値観を擁護するコメントが多数のスターを集めています。例えば2021年、東京五輪組織委員会の森喜朗会長(当時)が「女性が多い会議は時間がかかる」など女性蔑視発言をして辞任に追い込まれましたが、関連ニュースのはてなブックマークでは「時代錯誤にも程がある」「森氏の発言は五輪憲章に反する差別だ」等のコメントが軒並み支持されました(国内外の批判報道を受けて森氏は辞任しました)。また2023年にはLGBT理解増進法を巡り与党内で紛糾がありましたが、この話題でも「性的少数者の権利擁護は当然」「差別発言をする政治家は許せない」といったリベラルな主張が人気コメントの大半を占めました。ジェンダー関連では相変わらず**「はてなフェミ」とも呼ばれる勢力が健在で、例えば選択的夫婦別姓の話題では「誰も困らない制度なのだから実現すべき」という趣旨のコメントが毎回スターを集めるのがお決まりになっています。実際、2025年1月に匿名ダイアリーへ投稿された「夫婦別姓の話題になると毎回『選択制なんだから選ぶも自由、選択肢が増えるだけ』ってブコメがスター集めてるけど本当か?」という問いかけにも、多くのブックマーカーが反応しました。注目コメントでは「9割方同意。人民の権利拡大として選択的別姓は望ましい制度」と、問いかけ主を支持しつつ制度導入を肯定する意見が示されています。
このようにジェンダー平等を推進するリベラルな姿勢**は2020年代でもはてな人気コメントの主流であり続けています。 もっとも、2020年代には上記のようなリベラル優位の中にも一部保守・右派的コメントが目立つケースが出てきました。特に外交・安全保障に絡むテーマや、一部のフェミニズム過熱への反発など、従来はてなでは埋もれがちだった声が表に出る場面が増えています。例を挙げると、2023年末に起きたM-1グランプリの漫才ネタ「中国揶揄」騒動があります。女性自身の記事によれば、とある漫才師がネタ中で中国政府や中国人を揶揄する表現を用いたため物議を醸しました。このニュースに対するはてなブックマークの人気コメント欄では、「最低…中国人の部下がいるけど皆誠実で頑張っている。こんなネタが耳に入ったら遣る瀬無い。私は個人としてこのネタの表現の自由を全力で否定する」という極めて厳しい批判コメントがトップに立ちました。他にも「中国人の友達がいるが皆真面目で優秀だ。だからこういう揶揄ネタは本当に嫌いだ」といった声も上位に並び、差別的表現への即座の拒絶反応を示しました。これらはいずれもリベラルな価値観(反人種差別)に基づくコメントですが、その表現はかなり過激で、漫才という芸術表現に対して「自由を否定する」とまで言い切る姿勢には賛否も分かれました。実際、この件を巡ってはてなユーザーのあり方自体を批判するブログ記事も登場し、「漫才の意図を理解せず反応するはてな民は抽象的思考が苦手だ」と揶揄されています。
このように、依然リベラル派の声は強いものの、その語気の強さや過激さに対して異議を唱える向きも出てきており、コミュニティ内の世代間・思想間ギャップが表面化していると言えるでしょう。 さらに2020年代には、経済・雇用問題に関する議論でも興味深い現象が見られます。従来、雇用の流動化や規制緩和にはリベラル派でも賛否が割れるテーマでしたが、はてなでは基本的に労働者寄りの視点が支持を得てきました。例えば2025年に入って注目を集めた派遣労働と雇用慣習を巡る議論では、マレーシア在住の日本人社長が「日本をダメにしたのは派遣労働だと叫ぶ人がいるが、それは短絡的。本当の問題は日本の腐った雇用習慣だ」と指摘したことに対し、はてなブックマークでも活発なコメント議論が展開されました(togetter経由の話題)。このエントリーの人気コメント筆頭には、「違いますよ。従業員に金を支払わない経営者の問題ですよ。雇用期間が限定される派遣は常時勤務の倍以上の給与を義務付けるのがスタート…(中略)今やってる経営者を実刑にして…」といった声が挙がりました。つまり、「派遣が問題なのではなく、正社員・派遣に関わらず労働者に正当な報酬を払わない企業側にこそ問題がある」という労働者擁護の左派的論点が強調され、これに多くのスターが付いたのです。他の注目コメントも「解雇規制緩和よりも同一労働同一賃金の方が重要では?」「労働市場の流動性を高める方策こそ優先」といった具合に、企業寄りの論理より労働者の権利や待遇向上を重視する意見が大半を占めていました。このケースは、2020年代に入ってもなお経済・雇用分野ではリベラル・左派的な視点(弱者救済、公平な待遇要求)が共感を集めていることを示しています。 以上のように、**2020〜2024年のはてなブックマーク政治談議は、「基本的にはリベラル優位だが、一部テーマで論調の多様化が進み、右派寄り意見や新しい視点も顔を出し始めた」**とまとめられます。依然としてリベラル派の牙城であることに変わりはありませんが、ユーザー層の世代交代や社会全体の論調変化を受け、人気コメントの傾向にも変化が生じています。特に安全保障や表現の自由を巡る問題では、従来の左派的コンセンサスを疑問視するコメントが現れたり、逆に従来以上にリベラル色を強めたコメントが物議を醸すなど、新旧勢力がせめぎ合う局面も見られます。もっとも、それらの意見対立自体が多くのユーザーの目に触れ活発に議論される点に、コミュニティの多様性拡大の兆しがうかがえます。はてなブックマークは長らく「左寄り」と見做されてきましたが、2020年代半ばの現在、その人気コメント欄には従来にはない思想的なコントラストも生まれつつあると言えるでしょう。
はてなブックマークの**「人気コメント」順位は、ユーザーから付与されるスター(★)の数と質によって決定**されています。スターは他ユーザーからの共感や支持を表す仕組みであり、この数が多いコメントほど「注目コメント」として上位に表示されやすくなります。しかし、スター機能にはコミュニティの思想的傾向を増幅する側面もありました。多数派のユーザーが支持するイデオロギーに沿ったコメントほどスターを集めやすくなるため、人気コメント欄が特定の思想に偏る要因となり得たのです。 実際これまで見てきたように、長年はてなではリベラル派ユーザーが多数を占めていたため、自然と左派的なコメントほどスターが集まりやすく、「人気コメント=リベラル寄り」という図式が生まれていました。例えば2010年頃の証言として、「妙に上から目線で断定口調のコメントがスターを集めていて、自分もそれが感染して嫌な人間になりつつあるのを感じた」というユーザーの声があります。この「断定口調の人気コメント」が指すものの多くは、当時の多数派であるリベラル層の賛同を得やすい論調(権威や対象を皮肉交じりに断罪するようなコメント)でした。スターという評価経済が働くことで、ユーザーはより多くの支持を得られる表現を無意識に模倣し、結果的に似たような価値観・文体のコメントが増幅される現象が起きていたわけです。 もっとも、運営側もこの問題を認識し、評価アルゴリズムの改善に取り組んできました。2021年6月には、はてなブックマークの人気コメント算出アルゴリズムが変更され、様々なコメントが表示されやすくなる施策が導入されています。さらに同年7月にはヤフー株式会社が開発した「建設的コメント順位付けモデル」を組み込むことを発表し、攻撃的・不適切なコメントが人気欄に露出しにくく、代わりに客観的で根拠を示す建設的なコメントが上位表示されやすくなるよう改良が加えられました。このモデルは機械学習を用いてコメント内容を評価するもので、「新たな見識を提供しているか」「冷静で有益か」といった点にスコアを付ける仕組みです。はてなはこれを取り入れることで、単純なスター数の多少だけでなくコメントの質を考慮した順位付けを開始しました。 この変更の効果として、従来であれば過激な表現ながら多数派の支持を集めたコメント(例えば「○○は○ねばいい」といった極端な意見)が上位に来ていた場面が抑制され、代わりに多少スター数は少なくても穏当で有意義なコメントが表示されるケースが増えました。つまり、スターによる多数決的な偏りをアルゴリズムで補正し、より多角的な意見が目に触れるよう工夫されてきたのです。この結果、思想的にも以前ほど一辺倒ではないコメント欄が実現しつつあります。実際2020年代半ばには、安全保障や外交の話題で以前なら埋もれていた少数派意見が注目コメントに現れるなど、多様化の兆しが見られました(前述のウクライナ情勢に関する意見対立の露出などもその一例です)。 もっとも、スターそのものの影響力が消えたわけではありません。現在でもやはり多くのユーザーからスターを集めるコメントは「注目コメント」として認識されやすく、コミュニティの多数派傾向を映す鏡であることに変わりありません。ただ、その多数派が時と共に入れ替わったり価値観をシフトさせれば、人気コメントの傾向も変わっていきます。はてなブックマークでは、スター機能がユーザー同士の共感ネットワークを可視化する役割を果たしてきましたが、運営のアルゴリズム調整によって極端な偏りは是正されつつあります。言い換えれば、スター経済はなお思想傾向に影響を及ぼすものの、その影響は以前より緩和され健全化しつつあると言えるでしょう。 以上を踏まえると、2005年から2025年にかけてのはてなブックマーク政治系人気コメントの思想的傾向は、ユーザー層や社会情勢の変化とともにリベラル優勢の成立→固定化→多様化への兆しという流れを辿ってきました。初期には玉石混交だったコメント欄も、やがてリベラル派コミュニティによる独特の言論空間を形成し、長らくそれが多数派として続きました。しかし2020年代に入り、社会全体の右傾化・左傾化議論の影響や評価アルゴリズムの改善もあって、はてな内でも「右寄り」のスタンスが目立つ場面が出現するなど、緩やかながら変化が起きているのが現状です。もっとも、依然として人気コメントの多くはリベラル的価値観に根ざしており、基本構図は維持されています。ただ、その表現スタイルや細部の論調は時代とともに移り変わっており、今後もユーザーコミュニティの動向次第で人気コメントの思想的傾向は変化し続けるでしょう。 最後に、年代ごとの傾向を簡潔にまとめた表を示します。
・ネット右翼的言説は少数派で、反権力・反体制の声が目立ち始める 郵政民営化(小泉改革)への評価、長期自民政権への批判、2009年の政権交代(民主党政権誕生)への期待
・フェミニズム・人権擁護の論調が強まり、保守派への批判が集中 2011年東日本大震災・原発事故(脱原発論の高まり)、民主党政権の迷走と崩壊、2012年第2次安倍政権発足(右傾化への反発)、ネット上のヘイトスピーチ問題の顕在化
Z世代全体に言える特徴として、とにかくローリスク志向なのは間違いない。責任を取る事を極端に怖がる人が多い。人生は1回失敗してしまったらそこで終わりのような謎の恐怖が常にあって、失敗した時のリスクが怖い。
閲覧数の伸びてるサイトや動画のタイトルに「絶対に失敗しない」という文言がよく含まれてるのがその証拠。就職先なんかでも大手に人が集まるのもそういうことだと思う。
SNSが生み出した行き過ぎた成果主義がこの息苦しさの原因にあるんだろうな。特にSNSだと失敗に対する世の中のバッシングの強さが目立つようになってて、それがZ世代にリスクを取ることへの恐怖を煽ってる。失敗話なんかもSNSのせいで大量に耳に入ってくるから、そうならないよう気をつけよう気をつけようで身動きが取れなくなってくる。特に恋愛はリスクだらけなのでZ世代が恋愛に奥手になるもよくわかる。
年上の世代に思うのは、若いうちの失敗に対して寛容であって欲しいなーって言うのと、Z世代は趣味嗜好がかなり多様化した世代なのであんまり一括りで扱わないで欲しいなとも思ってます。悩み方もみんなバラバラなのでそれぞれに対して向き合ってほしい。
自分も大学の4回生で同世代と関わってて考えるところがあったので、考え整理したくて書いてみました。普段文章書かないから駄文で申し訳ない。
俺が動物でもいけそうというだけで、それは負けに直結しない。
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炎上中の林原めぐみのブログ、色々と酷いのだけど、学生課の大学職員としてここのくだりが一番ガックリ来てしまった。
平たく言うと借金ね)」
確かに日本の奨学金は教育ローンとか2010年代のインターネットでは散々言われてきたし、自分もその奨学金なるものを返済中なのだが、さすがにこれは違う。
2020年から日本学生支援機構が給付型奨学金を開始している。
対象となる年収制限が270万円以下〜380万円以下とタイトなので、Xやはてなのお金持ちの人たちからはそんなに大勢いるのかという声もあるだろうが、普通に沢山いる。多いとは言わないが国立大学のうちだと2割程度が受給しているイメージだ(ただし晩婚化で定年で年収が下がったパターンも含まれている)。また、この給付型奨学金には授業料免除もセットなので、貧困家庭でも大学に進学できる大事な奨学金としてすでに定着している(多子世帯の授業料無償化をこの枠組みにつっこんだので、今春各地の大学で大騒動が起こったりもしたのたがそれはまた別の話)。
国家予算の規模としてすでにR6で2,525億円にもなっているようだ。
こんな大きなトピックを本当に真面目に日本人学生の支援について考えている人なら知らないわけないし、給付奨学金をどう拡充するというかではなく、未だに借金ね、という認識を堂々と語ることに彼女の主眼が日本人学生の支援ではなく排外主義にあることが見てとれてだいぶキツイ。
対して『一部の海外留学生に無償で補助」はどうだろう。おそらく国費留学生のことを指していると思われる。
国費留学生については下記文科省のHPがよくまとまっているが、日本の留学生のうち約3%が国費留学生のようだ。予算規模は182億円と給付奨学金に比べると1/10以下だ。
大学だと分野によっても違うが、1学科に対して数人いるぐらいかなぁ、ぐらいの割合である。
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1338568.htm
この国費留学生、大学においてどういう役割を持っているかというと主に留学生の国籍の多様化だ。留学生の中で最もマジョリティは経済力もあり人口も多く英語も日本語も上手な私費で来た中国人留学生だ。つまり国費留学生制度をやめるとそれこそ留学生はほぼほぼ中国人で占められてしまう(まあそれが本当の公平だ!という主張もあるだろうが)。
実際、上記のHPの表を見ても中国人は最も国費留学生に採用される確率が低い。ほっといても来るからだ(逆にいえば中国人なのに採用された人はめっちゃ優秀)。
国費留学生制度があるからこそ弊大学のような地方国立大学にも世界各地から留学生が来たりして、新たな交流や知見がもたらされているのだ。
これから多方面外交を進める上で各国にモンテネグロの首相のように日本留学経験のある知日派がいることは心強いだろう。予算規模としても大きいわけではないし、各国の優秀な留学生に奨学金を与えることが国益に充分かなうだろう。
という事情で本当に林原めぐみのブログは的外れ中の的外れなのだが、世の中の大抵のことには悪意のあるYouTuberが切り出した側面以外にも色々な背景がある。全てのことに詳しくなることは無理でも、さまざまな事象には複雑な背景があることを想像できる力を持っていって欲しい。
前提として
・2人で平均2人以上産まないと人は増えない
・婚姻率70%だと、1家庭平均3人生まないと人口が維持できない
って考えるともうとっくの昔に破綻してるんだよね
じゃあ未来の少子化対策はどうなってるのかって言えば、親と子の分離しかないよな
・子どもは自由に産んで良い(ただしこれのみだと合計特殊出生率が0.7くらいになる)
・不足分を自動的に産むことになる
・数人の義理の親で数人の子と関わるみたいなシステムにする(村の再構築)
やがて自然派vs人工派が起こり
人工派の方が子育てが理にかなってるとなり、自然派も育児は人工派みたいになる
ここまで行ったら安泰
ChatGPTに続き書いてもらった
それに正直、やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも悪い。マッチングアプリの月額利用料やカフェ・バーでの飲食代、ドタキャンされたときの無駄な移動時間・交通費を考慮すると、逆に風俗のほうが割り切って支出できる分、予算を組みやすいと感じるようになった。
遊びの過程では、相手の気持ちが見えにくく、一喜一憂を繰り返すことが多かった。誘いが成功した瞬間の高揚感はあるものの、それ以上に拒絶やブロックによる自己否定感が積み重なる。特に会う直前に連絡が途絶えると、「自分は本当に魅力がないのではないか」という強い劣等感に襲われ、仕事やプライベートにも影響が出るほどだった。夜遅くまで連絡を待って心配し、結局虚しい思いを抱えたまま帰宅する――そんな日々が続くと、次第に自尊心が削られ、冷静な判断ができなくなることに気づいた。
性感染症のリスクも無視できない。何度か相手の検査状況を確認したが、結局すべてを把握することは不可能だと悟った。「使える」と言っても、目に見えないウイルスや病原体は防ぎようがない。仮に相手が過去問で検査陰性を示していても、直前に他の相手と関わっていれば意味がない。それを考えると、精神的ストレス以上に、「身体を大事にできていない」と感じる瞬間が増えた。
また、万が一トラブルを起こしたときの社会的リスクも大きい。たとえば、相手とトラブルになって警察や裁判沙汰に発展した場合、自分のキャリアや今後の人生に致命的な影響を及ぼしかねない。これまで築いてきた「真面目に努力してきた自分」というアイデンティティが、一夜にして崩れるリスクは常に背後にあった。
遊び始めた当初は「楽しく経験を積めば、自分が成長できるはず」「これも自己研鑽の一部だ」と割り切っていた。しかし、実際に遊びが習慣化するにつれて、本来の目的だった「自己改善」ではなく、ただの「現状維持」になっていることに気づいた。経験学習の効果は頭打ちとなり、むしろ忙しさやストレスが増すだけで、結果的に自己肯定感が下がっていった。
さらに、自分はもともと「相手を大切にする誠実さ」が欲しくて遊びを始めたのに、その誠実さが遊びのルールに矛盾していることに苦しんだ。会うたびに相手の事情や心情を尊重しようと努力したが、それを続けることでかえって相手に本気になってしまうケースが増え、「遊びと誠実さ」のバランスを取るのが不可能だと悟った。
ビジネスパーソンとしての自分に求められるのは、安定した精神状態と健全な人間関係である。遊びを優先して夜遅くまで連絡を取り続ける生活は、翌日の仕事のパフォーマンスにも悪影響を及ぼした。特にプロジェクトの進行管理やチームメンバーとのコミュニケーションが必要な場面で、頭が回らずミスや遅延を引き起こしたことが何度かあった。仕事に穴を開けてしまうことは、自分の信頼にも関わる。これ以上、自分と同僚に迷惑をかけるわけにはいかないと痛感した。
結論として、半年の「ヤリチン計画」で得られたのは、一時的な自信と表面的なコミュニケーションスキルの向上だけだった。金銭的・精神的なコストが大きく、「半世紀を過ごすに値する自己肯定感の獲得」には到底至らない。むしろ、自分の価値観と矛盾した行為を続けたことで、心身ともに疲弊した。
遊びをやめたあとは、再び自分が本当に大切にしたいものを見つめ直すことにした。具体的には以下を意識した。
ストレス発散の手段として遊びに逃げるのではなく、読書や資格勉強、プログラミングなど、自分のキャリアや将来に直結する活動に時間を割く。これまでの遊びで得たコミュニケーションの断片的スキルは、ビジネスや友人関係に生かしていく。
異性との関係を「遊び」ではなく、「信頼と尊敬に基づく交際」にシフトする。サークルや勉強会、マッチングアプリも利用するが、相手に対して嘘をつかず、無理にフックアップを狙わず、互いの価値観を確かめ合う時間を大切にする。
遊びが唯一のストレス発散法になっていたが、それをランニングや瞑想、ヨガなどに置き換える。身体を動かすことで得られる爽快感や、静かに自分と向き合う時間でストレスを解消し、夜の時間帯に無駄な不安を抱えないようにする。
MBTIやエニアグラムなどの性格診断結果を再度確認し、自分の強み・弱みを客観視したうえで、仕事やプライベートの目標を立て直す。特に「真面目さ」「責任感」「完璧主義」といった特性が、自分を追い込む要因となっていることを自覚し、適度な手抜きと休息を意識する。
「今だけ」を満たす関係ではなく、将来的に家庭を築ける相手と出会うため、交際相手に求める条件(価値観、ライフプラン、金銭感覚など)を明確化し、それに合致するコミュニティやイベントを積極的に探す。
半年間のヤリチン活動を通じて、自分の弱点や社会の実態を多方面から知ることができた。しかし、得られたものは一時的な自己満足に過ぎず、長期的に見れば「自分らしさ」を損ないかねないものだった。遊びをやめることで、本当に大切な自己投資や誠実な人間関係に注力する余地が生まれた。今後は、遊びではなく、誠実さと責任感をもとにした人生を歩むことを選びたい。
その中で「古古(古古)米」なんてほとんど価値のない米であるという意見が農家を中心にある。
日本のお米は新米が美味しいとされるため、その意見は正しい面があると思う。
これは日本米が時間経過で資産価値が下がる食品であるということ。
そして、お米にもある。
バスマティライスはインディカ米の中でも高級なもので、香りが強くパラパラする(水分含有率が少ない)ものが良いとされるため、新米よりも古米の方が価値が高い食品だ。
備蓄米というのは緊急時に利用されるわけであり、基本的にはほとんどが一般の人に行き渡ることはないもののはずだ。(今回は色々意見はあれど、緊急時なのだろう)
しかし、備蓄米をバスマティライスにすれば新米時よりも価値が上がる。
安全に日本で管理された備蓄米が放出されたもの、ということがブランド価値になるわけだ。
ブランド米として店頭に並べることができるし、エスニック料理屋や食品メーカー等にも卸すことができる。
そうすることで、備蓄米の管理コストもペイできるどころか、国の収入になる可能性だってある。
そもそも今回の問題は食の多様化における米の需要減からの生産(減反含む)や流通のトラブルである。
食の多様化が進んだ今なら、インディカ米の美味しい食べ方を啓蒙することだって可能だろう。
資産価値の下がるものを管理するのではなく、一部でも資産価値が上がるものを管理して、それらを利益にしていくような方針も必要ではないだろうか。
バスマティライスを海外から仕入れる他、備蓄米向けに日本でバスマティライスを生産しても良いと思う。
香り高く、パラパラとしたことに価値のある日本米を作ればいいことだ。調理向けであれば需要はあるはず。
それらは、今までの日本米とは違う価値観なことをちゃんと啓蒙すれば、受け入れられる土壌は作れると思う。
どちらにしても、エスニック料理好きな私は一般スーパーにも美味しいバスマティライス(それに近いもの)が並ぶようになって欲しいと思う。
いいこと書いているなあと感心していたら、最後で何これ?
減反します流通量減らします消費者も減らします、って状況で投資する方が異常行動。
もうこれから死にゆくだけの産業、限られたパイを取り合うだけなのになぜ投資を行うのか。
だから減反政策は資本主義の政策として間違っている。拡大を志向しない限り死ぬんですよ。
米に限らず生活必需品は価格弾力性が低い、すなわち値上がりしても売れ行きはさほど落ちないけれど(高いからといって買わないわけにはいかない)、値下がりしたからといってたくさんは売れません(半額になっても普段の倍は消費できない)。算式を変形すれば量弾力性が高い、すなわちちょっとでも足りないとうんと値上がりする一方、少しでも余れば激しく値崩れします。50年ほど前に米の国内供給能力が消費量を上回って以降、供給能力がフルに稼働すると米価暴落不可避で米農家は廃業一択になってしまうので、供給能力をフルに稼働させないことで米農家が営農を継続できるようにする、ということで減反政策やその後継諸施策が約半世紀にわたり継続されてきたわけです。言うまでもありませんが、人口減少や食の選択肢の多様化で、米の消費量は減少する一方で、供給抑制もそれに伴い強化されてきています。拡大を志向する方が間違いなく死にますね。
以下は余談ですが、この供給能力の少なからぬ部分を零細農家が担っています。典型的には高齢者が、農機は昔買って減価償却なんてとっくに終わっているので固定費が低いことを前提に、売上げは変動費だけをカバーできればよいと営農を継続しているわけです。投資=固定費アップの障害としては、こうした農家の存在の方がよほど大きなものといえます。ただし、この問題は先が見えていて、団塊の世代がすべて後期高齢者となった以上、あと10年もすればこうした零細農家は激減せざるを得ません。高齢農業者が離農し供給が減ったからといって価格が青天井で上がれば、米需要がパンや麺に流れるので、中長期的にはそれなりの価格に落ち着くことまで見越して、まっとうな大規模農家はコスト削減のため投資を計画的に行っており、マクロの供給能力減少にかかわらず、ミクロではある程度の投資が進んでいるのです。
https://news.yahoo.co.jp/profile/news/comments/55918b24-51c3-4dd8-9c42-58494a5ff947
備蓄米のプロです。今回の放出は、米の需給バランスや物価安定の観点から見ても重要な一手です。アイリスオーヤマのように精米設備を持つ企業がスムーズに対応できるのは、備蓄米の流通におけるモデルケースと言えるでしょう。一方、自社で精米できない企業にとっては、物流と加工の壁が依然として高く、ここが今後の課題です。「備蓄米」と明示して販売されるのも評価ポイント。消費者の安心感を高め、信頼性のある買い物につながります。価格も5キロで税抜2000円と手頃で、コメ離れの進む中で家庭の炊飯率を再び高めるきっかけになるかもしれません。楽天やイオンなど販路が多様化すれば、備蓄米の「おいしくて頼れる存在」としてのイメージが浸透していくでしょう。
有名人になりたいと願う若者が増えている一方で、その狭き門や現実的な厳しさを見ずに突き進む姿勢には、疑問を感じる人も少なくないでしょう。
おっしゃる通り、プログラマーのように具体的なスキルを身につけ、着実に努力を積み重ねて目標を達成する道筋は、多くの場合、理解されやすいものです。
しかし、「有名コンテンツクリエイター」「YouTuber」「インフルエンサー」「芸人」といった職業は、個人の魅力や運に左右される部分が大きく、再現性が低いと見られがちです。
では、なぜ彼らはそのような道を選び、人生を「全振り」してしまうのでしょうか。
しかし、ご指摘の通り、実際にその夢を叶えられるのはごく一部の人間です。
もちろん、夢を追いかけること自体は素晴らしいことです。しかし、そこに「全振り」してしまうことのリスクを理解し、現実的な選択肢も視野に入れるバランス感覚が求められます。
例えば、
「誰もお前に興味がないのに、なんで有名になれると思うの?」という投げかけは、非常に本質を突いています。夢を追うことは尊いですが、それは「人に興味を持たれる努力」や「冷静な現実認識」とセットでなければ、ただの自己満足に終わってしまう危険性があるでしょう。
あなたのご意見は、まさに現代の若者が直面している「夢と現実のギャップ」を示唆しているように感じます。彼らがこのギャップをどのように埋めていくのか、社会全体で考えていくべき課題かもしれませんね。
● 背景と目的
財政負担の軽減、市場原理導入、民間金融との競争促進を狙った。
● 主張と実態
一部の反対派は「アメリカがゆうちょを狙っている」と主張したが、実際には米国企業の支配などは生じていない。
● メリット
● デメリット
● 再国営化
民主党政権期に見直し論が浮上したが、現在はその動きはなく、政府は完全民営化を目指す姿勢。
● 主な問題点
● 推移
2000年:約240万人 → 2023年:約116万人(半減)。
平均年齢:2000年 62歳 → 2023年 約68.7歳。
65歳以上が70%超、新規就農者の減少。
● 課題
中山間地支援、スマート農業、地域おこし協力隊、新規就農支援。
● 分断の構造
若年層を中心とした構造的不信の芽生え。
今後、農業が主体の地域=(地方の田舎)は人口減少で加速度的に衰退していく。農業だけでなくあらゆる産業、インフラで劣化が生じる。
現状のスタイルの農業を維持するということはこれらを丸ごと補助する必要があり、現実的には難しいと思われます。
米の一人あたりの年間摂取量も低下しており
1980年 約78.9
1990年 約70.0
2000年 約64.6
2020年 約50.8
2022年 50.9
将来的には米の自給に固執しない方向になるのではないでしょうか
世の中には、時代というものがあって、それは時にゆっくりと、時に急激に、人の心のありようや言葉の響き方を変えていく。2010年代の初め頃、私の書くものや語ることは、どこかで多くの人に「なるほど」と頷かれ、共感の輪を広げていたように思う。『日本辺境論』や『街場の教育論』が、ある種の教養を求める人々の心に響き、ブログ「内田樹の研究室」は、専門の知と日常の感覚を橋渡しする場として賑わっていた。しかし、2020年代に入り、世の風向きが変わった。私の言葉が、かつてのように多くの人に届かなくなった気がする。これは、私一人の問題ではない。日本の言論空間そのものが、大きく揺らいでいるのだ。この揺らぎを、時代と人の関わりの変化として捉え直し、知識人の役割がどう変わりつつあるのか、考えてみたい。
世の中は、技術と人の暮らしの変化によって、目に見えない形でその土台を揺さぶられる。2015年頃から、スマートフォンとSNSの普及は、まるで川の流れを変えるように、情報のやりとりを一変させた。XやYouTubeといった新しい「広場」では、短く、鋭く、心に刺さる言葉が求められる。私の書くような、じっくりと論を重ね、哲学や歴史を織り交ぜた文章は、こうした新しい場では、どこか「遠い話」に聞こえるのかもしれない。Xの投稿を見ると、「内田樹の話は高級すぎて実用的でない」との声がちらほら聞こえる。これは、言論が「消費財」となり、注目を奪い合う「経済」の一部になったことを示している。
この変化は、技術だけがもたらしたものではない。東日本大震災やコロナ禍という、世の中を揺さぶる出来事が、人々の心に「今、ここで生きる」ことへの切実さを植え付けた。経済の格差が広がり、若い世代は「明日をどう生きるか」を考えることに追われる。私の言う「脱成長」や「日本の辺境性」は、こうした現実を前にすると、どこか「悠長」に映るのだろう。たとえば、Xでは「内田は低所得層には冷淡だ」との批判も見られる。また、グローバルな課題——気候変動やAIの進化——に目を向ける若者たちにとって、私の日本中心の話は、どこか狭く感じられるのかもしれない。時代は、ゆっくり考えることより、即座に答えを出すことを求める風に変わった。
かつて、知識人とは、世の中の大きな流れを俯瞰し、歴史や哲学を糸口に、人の生き方を照らす存在だった。私も、レヴィナスの「他者への責任」など先人の智慧を借りながら、世の中のありようを解きほぐそうとしてきた。しかし、今、言論の場は多様化し、誰でもが発信者になれる時代になった。XやYouTubeで、専門家でもない人が、専門的な知をわかりやすく語り、共感を呼ぶ。こうした「インフルエンサー」と呼ばれる人々は、街場の語り部のように、身近な言葉で人々の心をつかむ。私のブログも、SNSの時代に適応しようとした試みだったが、短く鋭い言葉が求められる場では、どこか不器用だったのかもしれない。
この変化は、知識人の「権威」が揺らいでいることでもある。かつては、大学や本という「制度」が、知識人の言葉に重みを与えた。しかし、SNSでは、誰もが検証者となり、知識人の言葉もすぐに「それ本当?」と問われる。Xで「内田樹の論理は杜撰だ」との声が上がるのは、こうした「集合的検証」の時代の現れだ。言論は、権威から「共感」や「わかりやすさ」へと、その重心を移している。私の書く文章が、時に「高級な教養話」と揶揄されるのも、この新しい場のルールに合わないからだろう。
今の日本の言論空間は、まるでいくつもの島に分かれたように、バラバラになっている。政治的な立場、世代、使うSNSの種類、専門分野、そしてリアルとデジタルの世界——これらの「島」の間で、言葉は行き交いにくくなっている。私の主張は、リベラルな考えを持つ高齢層には響いたかもしれないが、若い世代や経済的に苦しい人々には「遠い」と感じられた。Xでは「高齢富裕左翼の代弁」との声もある。これは、世代や立場の分断が、言論の受け取り方を変えている証左だ。
だが、こうした分断を越える動きもある。学問の知を持ちながら、SNSで共感を呼ぶ新しい発信者たちが現れている。彼らは、専門と日常、グローバルとローカルの間を「翻訳」するような役割を果たす。私の試みも、どこかでその「翻訳」を目指していたが、SNSの速さと軽さに追いつけなかったのかもしれない。これからの知識人は、こうした「翻訳者」として、異なる島をつなぐ役割を担う必要があるだろう。たとえば、XやYouTubeを横断し、短い言葉で深い知を伝える試みが、言論の新しい形を作りつつある。
日本の言論空間には、独特の「空気」がある。タテマエとホンネ、集団の和を重んじる文化は、SNSの時代にも生きている。私の言葉は、この「空気」に寄り添いつつ、時に突き放すことで、考えるきっかけを提供しようとしてきた。しかし、SNSの場では、こうした微妙なバランスが伝わりにくい。政治的な議論が過熱する中、私の「中立」を志向する姿勢は、かえって「どっちつかず」と見られることもあった。また、少子高齢化で高齢層の発言力が強い日本では、若者や地方の声が埋もれがちだ。私の話が、都市部や教養層に偏りがちと見られたのも、この日本の文脈を映している。
私の支持が減ったのは、私の言葉が時代に合わなくなったからだ。だが、これは私だけの話ではない。知識人という存在自体が、時代に問われている。かつての知識人は、世の中を高みから見下ろし、導く存在だった。しかし、今は、共に考え、対話する「仲間」であることを求められる。SNSの時代に、専門の知を短く、共感を持って伝える。AIやメタバースが言論の場を変える中、知識人は、異なる世代や価値観の間をつなぐ「通訳者」として生きるべきだ。私の試みは、その一歩だったが、道半ばでつまずいたのかもしれない。
言論の場は、風に揺れる草原のようなものだ。私の言葉が、かつてのように多くの人に届かなくなったのは、その風の向きが変わったからだ。だが、風が変わっても、草原は枯れない。新しい知識人は、SNSの速さや共感の力を借りつつ、深い知を伝え、異なる人々をつなぐ役割を担うだろう。AIや新しい技術が、言論の場をさらに広げる中、私たちに求められるのは、ただ発信することではなく、共に考え、対話することだ。内田樹という一つの試みが終わりつつある今、新しい「語り部」たちが、草原に新たな種を蒔くことを願う。
JA(農業協同組合)の解体や民営化については長年議論されてきました。以下では、JAが解体・民営化された場合に想定される日本の農業および社会への影響について、複数の側面から詳しく説明します。
・民間企業が参入すれば、より効率的なサービスや低コストな資材供給が実現される可能性があります。
・JAに依存せず、自由に流通・販売ルートを開拓できる農家が増えるかもしれません。
・JAは農協資材を販売していますが、価格が割高との批判があります。自由化されれば、競争により価格が下がる可能性があります。
・JAは農業資材の共同購入、販売、融資、保険などを一括で提供しており、特に高齢者や小規模農家にとっては不可欠な存在です。これが解体されれば、自力でこうしたサービスを手配しなければならなくなり、結果として離農が進む可能性があります。
・現在、JAバンクは農家に対する貸し出しや農業関連の金融支援を担っています。民間銀行は農業をリスクが高いと見なす傾向があり、JAがなくなると農業への金融支援が減少し、資金繰りが困難になる恐れがあります。
・都市近郊の農業は企業参入で競争力を増すかもしれませんが、過疎地や中山間地域では民間事業者が採算が合わず撤退し、サービス空白地帯が増える可能性があります。
JAは単なる農業団体ではなく、地域の「金融機関」「共済(保険)」「購買・販売所」「福祉・介護」「生活支援」の機能を担っています。
農業者でない住民もJA共済やJAバンク、JAの直売所やイベントを利用しており、JAの存在は農村のインフラとして不可欠です。
◆ 解体による影響
・JAは地元での祭りや行事、介護サービス、買い物支援なども担っており、JAの撤退は「地域の支え合いシステム」の消失を意味します。
・地方ではJAの移動販売車や生活支援サービスに依存している高齢者も多く、これがなくなると生活が困難になるケースも。
JAは出荷物の品質管理や検査、統一ブランド化を担っており、「産地ブランドの維持」に重要な役割を果たしています。
解体後に農家が個別に流通を担えば、品質のばらつきや信頼性低下が起こる可能性があり、結果として日本農産物のブランド価値が低下するリスクがあります。
4. 国の食料安全保障への影響
農家の減少や産地の崩壊は、日本の食料自給率をさらに低下させる可能性があります。
輸入依存が強まると、海外情勢に左右されやすくなるリスク(価格高騰、輸出制限、戦争やパンデミック時の供給不安)も高まります。
郵便局の民営化では、都市部のサービスは多様化しましたが、地方では採算が合わず、郵便局の統廃合が進み「地域住民の不便」が増しました。
JAも同様に、民営化すれば利益優先になり、採算の合わない地方が切り捨てられる可能性が高いです。
JAの改革には課題も多いものの、以下のような視点でバランスの取れた改革が求められます:
・完全な解体ではなく、「機能ごとの再編」「地域による柔軟な対応」が望ましい。