はてなキーワード: ミニスカートとは
かつてTシャツ会談で世間からバッシングされたときは「何か問題でも?」って態度だったのにね
だいたい反論するときに「◯◯のため」なんて他人を理由をあげるパターンな時点で終わってるよな
「おばさんの癖にミニスカート」
「おばさんの癖に厚化粧」
「おばさんのの癖に若作り」
おばさんの癖に、おばさんの癖に、おばさんの癖に…
って散々言ってきた歴史を忘れているのもいただけない
今はそういう時代じゃないで一掃すべき話でもない
自分が言われたくないなら、、本気で自由な服装を望むのであれば
過去の行いは認めて、謝罪…まではいかずとも自分たちの過去の言動は受け止めるくらいはしないと辻褄が合わないよ
「俺たちは散々言ってきたけど、今はそういう時代じゃないんで黙れよ」で争いが無くなると思ってんの?
最初の体育で女子みんなでブルマの上にジャージはいてたら、男の体育教師が「何やってるさっさとジャージを脱げー!!」と怒鳴り散らして脱がされたの頭おかしい。
世間ではブルセラショップが流行ってるっつーのに、マラソンで下着みたいな服で町中走らされ足をジロジロ見られるクソみたいな思い出。
当時は風紀に厳しくて、スカートを短く改造してないかとか、たまに抜き打ちで体育館に並ばされて、おっさん教師どもが足元ジロジロ見て指導してきたけど、ミニスカートは許せないのに何でパンツみたいな体操服を強要するんだよ。
こういう話になると、ブルマは女が広げたんですーと騒ぐキモオタ男が居るけど、女性が考案して広げた当時の膝下丈のブルマと名前が同じなだけで全くの別物じゃん。
「ぬい活」というものをご存じだろうか。
公式のグッズ製作会社から販売されている「キャラクターを模したぬいぐるみ」を中心とした、一種のオタク活動である。
主に女性オタク界隈で多くみられ、「キャラクターを模したぬいぐるみ」は「ぬい」と略称される。
彼女らは「ぬい」を愛で、旅行先やテーマパーク、飲食店などに引き連れていく。ただし、鞄の中に仕舞いっぱなしというわけではない。取り出し、写真を撮る。そして、その写真をSNSにアップする。
私はこれら「ぬい活」を異常だと思っている。そんなことをしてはいけないと強く思う。
この文章をお読みくださっている方の中にも、「ぬい活」の現場に居合わせた経験をお持ちの方がいるかもしれない。
どう思われただろうか。
「かわいいな」「楽しそうだな」と思っただろうか。
それとも「恥ずかしいな」「痛いな」と思っただろうか。
予想するに、大半の人は「どうでもいい」と思ったのではないだろうか。
一瞬、「うわっ」となりながらも、さっと視線を逸らし、数秒後には忘れている。立ち止まって眉を顰めるほど暇ではないし、そもそも街の中は「うわっ」となるもので溢れている。
薄汚れた作業着を纏った無精ひげだらけの男性、ミニスカートを履いた中年女性、フリルのついた可愛いワンピースを着ているが骨格がどうみても男性の人、奇声をあげながらフラフラ歩く人。
彼らは他人に迷惑をかけているわけではない。ひどい臭いを発していたり、単純にうるさかったりするが、罪を犯しているわけではない。
しかし、視界に入れた瞬間、「うわっ」となる。慌てて視線を逸らし、「見なかった」ことにする。自分の人生から追い出し、登場しなかったことにするのだ。
そういう「うわっ」となる人たちの中に「ぬい活」をするオタクも含まれている。共通項は一般人とは異なる価値観を持ち、奇抜さを越え、そこはかとない嫌悪、恐怖を感じさせる点だろうか。
これがたとえば、「高校生が某テーマパークで、そのパークの公式キャラクターとなっているキャラのぬいぐるみを持ちながら写真を撮る」ならいいのだ。主体の属性・場所・行為に整合性がある。
「ぬい活」は違う。
その多くは成人しており、中には30歳を超えている人もいる。そういう人たちが、キャラとも作品とも関連性のない公共の場で「ぬい」を取り出しているから、「うわっ」となるのだ。
どうしてなんだ。どうしてそんなことができるんだ。
普通は年齢を重ねるごとに成熟していくはずの客観的視点がどうして退化しているんだ。自分を何歳だと思っている。大丈夫か。マジで。
そしてまた、彼女らは「ぬい」に服や靴などの装飾品を与え、自分好みにカスタマイズする。専用の服が売られているし、自分で作る人もいる。まんま幼少期に楽しんだ「お人形ごっこ」である。
ひとり、あるいは友人同士で、家の中で楽しむなら何も文句はない。何故、外で取り出すのだ。
人によっては「ぬい」を飲食店で取り出し、食事と一緒に写真を撮ったりする。
どうしてだ。衛生観念をドブに捨てたのか。人の手でべたべた触り、頻繁に洗うこともないであろう、ぬいぐるみをどうして食事の場に出す。子供でも親に注意されるぞ。
社会人として働いている人も多いだろうに、どうしてその程度のマナーが守れないのだ。お店の人も困ってるよ。
私は彼女らの行動が理解できない。そもそもの話、彼女らの目的は何なのだ。
『キャラが好きだから、キャラを模した「ぬい」と行動を共にし、写真を撮ったりなどして、思い出に残したい』
ぱっと思いつくのはこんなところだが、私には彼女らが本当の意味でキャラを愛しているとは思えない。
本当にそのキャラを愛しているのなら、「ぬい」を公共の場で取り出すなどという、恥ずべき行為に至るわけがないからだ。
「ぬい」はデフォルメされているとはいえ、知っている人がみたら「あのキャラだ」とわかる。そして、オタクが公共の場で「ぬい活」をすることで、「あのキャラのファンは、ああいうことやっちゃうのか」と思われる。冷えた視線を送られ、非常識のレッテルを貼られる。
「キャラ」と「ファン」は一体なのだ。グッズを手にしている以上、切り離してみられることはない。
一度だけでいい。一度だけでいいから、自分の行為をみつめ直して欲しい。
友人と一緒に好きなキャラの「ぬい」を持ち、画角や背景、光の当たり方などを工夫して写真を撮るのは楽しいだろう。その写真をSNSに上げ、いいねされ、コメントがつくのは嬉しいだろう。キラキラと輝く思い出になるだろう。
ただ、それらの行為をしている最中、周りにはあなた以外の人がいる。あなたの行為をみている人がいる。
海外よりは絶対治安はいいですが、女子が気を付けたほうが怖い目に合わずに過ごせるなと気づいたことをまとめました(一個人の意見です)
個人的にですが、
通学、通勤に公共交通機関を使わない(自転車、徒歩)方が明らかにQOLが高いです。特に一人暮らしで身軽な場合は。
毎朝パーソナルスペースにぎちぎちの人間がいるのは結構ストレスでしたので職場近くに物件を探して幸せになりました。
どうしても乗らなければならない場合に気を付けることです。
エスカレーターに乗る際は後ろをチラ見してから乗る(ビタ付けで盗撮してくる人はこれで防げる)
電車に乗るときは背後に男性がいない位置取りを心掛ける(痴漢の防止。男性の方も痴漢に間違われるの怖いと思うので)。
後ろになってしまったときはスマホは見ず、周囲を警戒しているようにふるまう(たまに振り返ったりするといいです)。
あやしい動きをされた場合はどうされましたか?と大きめの声を出す。
駅の個室トイレに入る場合は背後をつけられていないか警戒する。出るの時も確認したほうが良いですね。最近利用したら開けたときにおじさんが立ってて震えました。
個室では壁とウォシュレット部分に盗撮カメラがないか確認。ボールペン型やねじ型カメラが最近あるので不自然おいていないかチェックしましょう。
声をかけられた場合は愛想よく対応せず、最低限不愛想に対応する。
道を聞かれたら駅員さんが詳しいですよと言って立ち止まらない。
住居
共用部(廊下、階段、ゴミ捨て場)が汚い場合、居住者がやばかったり管理会社がずさんな場合が多くトラブルが起きやすいのでない件の際チェックする。
1階は覗かれるので住まない。
2階以上の場合でも付近の電柱や非常用梯子からベランダに侵入してくる場合があるので、内検の際はベランダに出で入ろうと思えば外部から入られてしまいそうかチェック。
鍵が容易に複製できるものかチェック。
近所のコンビニがトイレ貸出可能かチェック(治安が終わってると貸し出ししていない)。
コンビニの品揃えチェック(アダルト系漫画やストロングチューハイが多い地域は治安が不安な場合が多い)。
カーテンは透けないもの、さらに女子らしい色でないものを選ぶ。
洗濯物は外に干さない、ベランダに出ない(女子の部屋と特定されないため)。
帰宅したらチェーンと鍵両方をすぐ閉める。玄関を開けるときは背後を警戒する。
エレベーターに乗れなくても階段で登れる階の方がいざというときおすすめです。
生活習慣
マンション内にゴミ捨て場がある場合を除いて、夜にゴミ出しはしない。
女子っぽいアイテムをゴミに出す場合は外から見えないようにする。
飲み物をバックの外ポケットに入れない(薬を盛られた事例があるようです)。
ミニスカートは盗撮率が上がりがちなので基本履かない(ファッションは自己表現で自由ですが、私は自由より安全を選択しています)。
※近年性被害にあう方の服装が煽情的であるかと被害率は相関しないと示されているため明確な根拠はありません。
公共交通機関にのる日は下半身のラインがぴったり出る服や二の腕を露出する服は着ない(盗撮されやすくなる)。
ツインテールやハーフアップは舐められやすいのでしない(ショートカットのほうが嫌な目に合う確率が下がる気がする)。
ハイヒールはいざというとき逃げられないのでdoor to door移動日以外は履かない。
背後を定期的に振り返る。
防犯ブザーを握りしめておく。
車が止まっている場合、引っ張り込まれる恐れがあるのでドアが開いても引っ張り込まれない距離まで離れて歩く。
ウーバーなどのデリバリーは男の名前にして対面で受け取らない。
他にもあると思うので安全ハックがあったら教えてください。
自分は男。小学校の途中でブルマからハーフパンツに切り替わった。その当時の、うっすらとした記憶の前提。
togettorで https://togetter.com/li/2467625 が盛り上がってるけど、基本的に「今の価値観で過去の価値観を攻撃するのは控えるべき。
するなら、せめて当時の価値観で」派なので、あんまり名前を出して、この場に参戦したくないので、増田で細々と書く。
歴史研究した訳では無いけど、ネットに転がるブルマ研究者の資料を流し読みした感じ、以下みたいに自分は思ってる。
(自分の低学年の時の記憶はほぼ無いが、小学校高学年の時に低学年がスカートで運動して中が見えるのに抵抗が無かったような記憶があることから)
予備知識なし、会場前に着くなり横転した。びっくりするくらい平均年齢が高い。
ビジュアル系ファンの平均年齢が上がっているとはきいたことがあるが、まさにそれを体現しているようだ。
格別にパンチのきいた超ミニスカの高齢者に道を訊かれた学生スタッフの目は泳いでいた。70代くらいだろうか?ものすごい厚底にパンツが見えるくらいのミニスカート、非常に矍鑠として羨ましいまである。
あとは特筆すべきは子連れの多さ。こどもは親の好きなものに引きずられるし、母親のことが好きだから母親が好きだというものは好きな気がしたりするね。あの子たちが自主的に楽しめてたらいいなぁ。自分のあのころは洗脳だった。と幼少期を思い出して少し鬱になる。しかし鬱になっている場合ではない。楽しまねば。
会場内は、熱意の高いファンが多いのだろう、学園祭だというのに大半が学外の人間だった。
肝心のパフォーマンスだが、これはとてもよかった。歌がうまい。声がいい。音響の問題か歌詞やMCは聞き取りづらかったけど、なにやらにぎやかで楽しいバンドのようだった。
30年間無職72歳男性だと言われている老人が『「女性専用車」に嫌々乗ってるとわかりますが、化粧の臭いがキツイですし、「女の子の日」もわかります。女性は感じないのかなあ~🙄』とツイートしているのが流れてきた。
わたしの父より年上だ。
「女が挑発するような服を着ておいて痴漢にあったら捕まえるなんてハニトラだ!痴漢してしまう男は被害者だ!」「痴漢は軽微な犯罪だ!」「痴漢が嫌なら鎧を着ろ」「ミニスカート撲滅」等々1日中膨大な女叩きツイートをし続けていて、寿命が近くなってもこんな事をやっているのかと、とても辛い気持ちになった。
私は誰しもがそう望むように幸せになりたいと思っていた。それは我々の権利でさえある。しかしそれは法で定められなくてはならないほど、私たちに縁遠いものなのかもしれない。例えば社会的地位、経済的余裕、暖かな人との繋がり、夢や希望をこの地であくまで追求すること──。
これは生活に追われて疲れ果てたある女の手記だ。私はこんなくだらない文章を書くほど暇なのだ。それは決してゆとりではない。それに真実でもない。「何もすることがない」というのは恐怖なのだ。自分自身、もしくは人生の虚無と向き合うはめになる。それならこうやってスマホの白い画面に黒字を打ち続けるほうがよっぽどマシなのだ。
私はつねに漠然と死にたいと願っている。先に告白しておこう。私はうつ病者だ。だから歪んだ世界に生きている。そして発達障害(当事者)でもある。私の目に見えるものは本来の姿を留めていないのかもしれない。私は何重にも孤独なのだ。恋人も友人もいない。私は一人だ。いや、少なくともいま現在はと付け加えよう。
私には子どもが一人いる。
まだ幼い、母親の庇護を必要とするか弱い存在だ。私の苦悩の全般は子育てに起因するように思う。人より劣る私のような人間にはそもそも育児など不可能だったのだ。すでに夫だった(それ以前は恋人だった)男とは離別している。「孤育て」とは誰の造語かは知らないが、なんとも言いえて妙だ。
私の人生で誇れることがあるとすれば、それは離婚だ。自分で考え自分で行動し自分で決着を付けた。そして学びを得た。「私のことを粗末に扱う人間とはもう関わらない」夫はいわゆる“モラハラ”体質だった。デートDVもあった。でも私は気付けなかった。それを理解したのは最近のことだ。ということは私にもそれなりの成長があったのだ。しかし、もっと早くに気付いていれば傷は浅かったし、それから、それから、息子を産まずに済んだのだ。
私が心を病んだのは十代の頃だ。夫と出会う前だ。だから全面的に彼を非難することは出来ない。初めて行った産婦人科で、エコー写真を見た。モノクロのテレビ画面に不思議な抽象画のようなものが映し出された。そして写真を撮るカチッとした音が響いた。それで私にも分かったのだ、この腹のなかに何かが居るのだと。動揺して頬にしずくが伝ったのを覚えている。真っ白で消毒液臭い古びた院内。私にとって希死念慮は懐かしく親しみ深い欲求だ。だからこの一連の愚かで頓馬な騒動のなか、私は一つの結論に達した。つまり、子どもが産まれたあとに自殺しよう、と。私のその願い(この人生を終わりにしたい──)と胎児とはなんの関係もない。巻き込むにはしのびなかった。その程度の理性は持ち合わせていると自負している。
だが私は当初男に中絶を訴えた。私はまだ“女の子”でいたかったのだ。くたびれた子持ち女になるなんて、とんでもないことだ。子どもなんていらない、私には夢がある、そんな責任背負えない──などなど、私は空回りする言葉を口にした。男は泣いて反駁した。絶対後悔させない、幸せにする、土下座してもいい……。いずれにせよ上っ面な言葉が二人の間に投げ交わされた。その中で、男の涙も出産を決意した理由の一つになった。私たちの深刻で感情的な会話は回転寿司屋で耳目を集めた。あの人が泣くのを見たのはあれが最初で最後だ。希望のない結婚生活はすぐさま破綻し、ただの狂女と化した私を男は見切った。離婚は合意によるものだった。結婚は、結婚はといえば寄り切られただけだ。それに実家では死にたくなかった。「家」から出るための判断だったと今になって思う。
そして母親から望まれなかった子どもは今や四歳になる。つまり私は死ねなかった。ひどく臆病なのだ。だらだらした生を送り、日々は過ぎ去り、私は今日もただ生きているという苦痛に耐える。
16時半になると息子が帰って来る。彼には発達特性があり、療育と呼ばれる困りごとを抱えた子どもたちを支援する施設に通っている。青い車に乗った彼はたいていはご機嫌で帰宅する。そして「今日のご飯は? なんのおやつがある?」などと訊ねる。その都度私は答える。どうでもいいことを、どうでもいい感じで。
私たち親子をこの先待っているのはなんだろう、とふと考える。私の予想では、息子はグレるか引きこもるかのどちらかだろう。“軽度の発達遅滞”──、医者の言った言葉だ。
私が憂うのは──、また興味を惹くのは、私たち家族が年々機能不全家庭に成り下がってゆく事実だ。
曾祖母は戦争で夫を亡くしお茶お花の教室を開いては子ども二人を育て上げた、祖母は家業と家事育児を両立させ手作りの洋服を娘らに着せていた、私の父は男手一つで私を曲がりなりにも成人させた。では私はどうなのだろう。三十路の子持ち女、気ままなパート通い、充実した福祉政策にすがってその日暮らしをしている。闘病中だから仕方ないでしょ、が最大の言い訳だ。もちろん私は合理的配慮の必要を認める、国だってそう言ってる。だが私の怠惰と甘えはとどまることを知らず、日に日に心身が肥大していくのだ。もはや若くもなく、痩せてもいず、まぶたに色を添えるでもなく、唇はささくれだっている。元夫が愛した頃の可愛らしい私などとうに消失した。ミニスカートを履くことも今後この人生にはないだろう。
だがこの点において私は絶望していない。若さゆえの唯美主義とは残酷なものだ。それを脱して豚になるのだっていいだろう。“おばさん”にはセクハラも痴漢も起こり得ない、少なくとも私はそう考える。
閑話休題──と打ちかけて気付いた。この文の本論はどこにあるのだろうか。私の人生を言葉の力を借りて小説にし美化するため? それはそれで良いだろう。だが打開策にはならない。私は毎朝ダブルベットからのろのろと起き上がり息子を登園させる、夕方になれば電話が鳴り息子をアパートの外で出迎える。その間は私一人だけの時間だ。支援職の人々は「ゆっくり休んでください」と口を揃えて言う。でも物事を複雑化して自作の迷路に一人で迷い込んでゆくのは私の大得意だ。つまり安息などない。私は息子の帰宅を恐れる。逃げ出したいと思う。実際逃げ出したらどうなるか綿密に考えてみる。それもいいと時々思う。でもだいたいは「居続ける」ことを選ぶ。人生においてもそうだ。やめようか、どうしようか、でも面倒ごとは御免だ──結局私は生き続けることを選んで来た。それが正解だったのか、正しい判断なのか迷う。安易に出せる分かりやすい答えにはさほど価値がないように思う。あらゆる人間関係のなかで悩み苦しむこと、その明快な人生の定義を思い浮かべる時、もしかしたら私は幸福なのかもしれない。
2024/08/27 18:28
は????
そもそも俺は最初から支持も許容してないって何度も言ってんだろ?わざわざ馬鹿に付き合ってあげてこれ何回書いたっけ?文盲ここに極まれりって感じだわ
お前が馬鹿な誤読で説教してきたから指摘したらウダウダウダウダ粘り続けて、難癖付けてきた割に何もまともに言い返せず
どうじょう
【同情】
《名・ス自》
他人の気持、特に苦悩を、自分のことのように親身(しんみ)になって共に感じること。かわいそうに思うこと。あわれみ。おもいやり。
きょよう
【許容】
ある事をすること、ある状態にあることを、許して認めること。
許容はしてないということは
あなたは明確に「下着ほぼ見えているような極端なミニスカートを履いている女性に、自衛しろと言うような男性を許さない!」と考えているの?
それとはちょっと違うよね。
多少同情はしていると書いているし。
いや知らね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとで直していいならなんでもありやんけ
まぁそれはそれとして今の文面
→大半の男は女性がどんな服装であっても痴漢を非難する という文が入ってはいるけれど
それとは別に、ミニスカートなどの例を挙げて「自衛が足りない」と言う人のことに触れていて
でも俺には許容の気持ちはないよ
それこそ同情の気持ちは多少あるけどな。最初は自分で「同情」って書いてたくらいだから自分でも無理筋だってわかってるんでしょ?本当に見苦しい
あまりにも無条件に叩かれすぎて(特に痴漢とか一切の関係がない大半の男ほど)女性側への恨みみたいなのも相当に募らせてるから、その恨みの発露として自衛しろとか女性側に一言文句を言いたくなるみたいな構図はある
自衛しろと言う人は、例えば下着がほぼ見えてるようなミニスカートのような例の事を思い浮かべて、自衛しろと言っている。
→自衛しろと言う人は、女性への恨みを相当募らせているから、その恨みの発露として自衛しろなどと言いたくなる
→大半の男は女性がどんな服装であっても痴漢を非難する という文が入ってはいるけれど
それとは別に、ミニスカートなどの例を挙げて「自衛が足りない」と言う人のことに触れていて
やっぱここにいる大半の人間よりChatGPTのほうが賢いわ
とっくにシンギュラリティきてるでこれ
この文章から判断すると、話者は「ミニスカートは自衛が足りない」という考えを直接支持しているわけではありませんが、特定の状況ではその意見が持ち上がる理由を説明しています。つまり、「過剰なミニスカートを公共の場に着るな」という意見があることを認識し、その意見が過剰なものであるかもしれないが、必ずしも全ての男性がそれを支持しているわけではなく、むしろ痴漢行為自体は非難されるべきだという立場を示しています。
文章全体として、痴漢問題や男女間の対立の構図について観察を述べている印象が強いです。「自衛しろ」という意見が男性の一部から出てくる背景には、痴漢に無関係な大半の男性が社会的に叩かれることへの不満や疲れがあり、それが「自衛しろ」という発言につながっていると解釈しています。
したがって、この文章は「ミニスカートは自衛が足りない」という考えを支持しているというよりも、そうした考えが生まれる背景や複雑な感情の構造を説明しようとしている観察的な立場に近いと言えるでしょう。
まぁ君の現状は君が一番わかってるでしょ
自分たちで「いくらデータで否定されても・・・」とかそういう言説があることを認めておきながら、それはデフォルメではないとか自己矛盾をはらんだ言動を繰り返し
今まで痴漢に遭ったニュースで服装のことは何も書かれていないのに、服装に関する憶測でどれだけの人が批判されてきたか。
ニュースになる以外でも過去痴漢にあっている女性は多いし、女にヘイトが溜まってたとして、男側にも相当ヘイトは溜まってるんだよ。
横だけど「ミニスカートは自衛が足りない」論を支持するあなたが
痴漢の主な原因のひとつがミニスカートという、周回遅れの発言をしてしまう。
まさに「自衛が足りない」のでは……。
性犯罪に遭わない人が、俺が考えた性犯罪に遭う理由ミニスカート!自衛しない女が悪い!!!って無知で二次加害して、それは違うよとどれだけデータとかで示しても、未だに理解してなくて性犯罪でミニスカートとか言い出す君みたいなのがいるのもうんざりだ。
どっちも極端なんだよな
自衛しろってのも例えば下着ほぼ見えてるような過剰なミニスカートを公共の場に履いていくなよとかそういう話であって、それはそれとしても大半の男は痴漢があったら(女性が仮にどんな服装であったとしても)根幹の部分では痴漢を非難する側にいるだろ
ただこれまであまりにも無条件に叩かれすぎて(特に痴漢とか一切の関係がない大半の男ほど)女性側への恨みみたいなのも相当に募らせてるから、その恨みの発露として自衛しろとか女性側に一言文句を言いたくなるみたいな構図はある 大半の男は良くも悪くも痴漢とか一切関らず生きてきてるのに年中叩かれてて、今度は関わらないお前らが悪いとか叩かれててうんざりしてるんよ