はてなキーワード: 全般的とは
経済産業省が2025年5月に公表した54頁にわたるこの報告書は、戦後日本の行政史において、これほどまでに学術的欺瞞と知的堕落を赤裸々に晒した文書の存在を他に見出すことは絶対的に不可能である。「アジャイル・ガバナンス」なる意味不明かつ内容空疎な造語を濫用して人類の法的遺産を冒瀆するこの文書は、現代日本の官僚機構における知的能力の壊滅的崩壊を記録した、まさに知的考古学の貴重な標本として永久保存されるべき価値を持っている。
この報告書は表面的には学術的装いを凝らしているが、その本質は法学への絶望的無知、歴史的思考の完全な欠如、そして論理的一貫性の破綻に貫かれた反知性主義の純粋結晶である。人類が二千年にわたって血と涙で築き上げた「法の支配」という至高の知的遺産を、流行語の羅列と概念操作によって破壊しようとする企ては、知的野蛮主義の極致として後世の研究者によって詳細に分析されるであろう。
報告書冒頭で展開される「法の支配」論は、法学的思考の完全な崩壊を示す実例として、将来の反面教師的価値においてのみ意義を見出しうる代物である。作成者たちが提示する「理に基づく法による一貫した統治」という空虚な定式は、この概念の歴史的重厚さと哲学的深度に対する理解の絶望的欠如を露骨に証明している。
法の支配とは、専制的権力の恣意的行使から市民の生命と自由を守る人類最高の政治的発明である。1215年のマグナ・カルタに始まり、絶対王政への抵抗、市民革命の理念、立憲主義の発展、そして20世紀全体主義との血塗られた闘争を経て到達した、人類知性の最高峰である。この荘厳な歴史的蓄積に対する理解の完全な欠如は、単なる無知を超えて知的能力の根本的欠陥を意味している。
報告書の作成者たちは、この比類なき知的遺産を「伝統的ガバナンスモデル」として軽蔑的に扱い、「サイバー・フィジカルシステム」なる技術的流行語を振りかざして根本的破壊を正当化しようとしている。これは、モーツァルトのレクイエムを「古臭い音楽」として廃棄し、着信音に置き換えることを提案するのと同程度の文化的蛮行である。
なぜ従来の法制度では技術革新に対応できないのかという根本的問いに対して、報告書は「複雑で動態的」という意味不明な呪文を唱えるのみで、いかなる論理的説明も提供していない。これは論証の放棄であり、学術的議論の最低限の条件すら満たしていない証拠である。
報告書の中核的欺瞞である「法の支配から<法>の支配へ」という主張は、概念操作による詐術の完璧な実例として、詐欺学や欺瞞術の教材的価値においてのみ存在意義を認めうる代物である。山括弧で装飾された「法」に「アルゴリズムや各種コード」を含めるという設定は、法概念に対する破壊的攻撃の決定版である。
民主的正統性を有する法規範と、企業の営利的目的で作成されたプログラムコードを同一視する発想は、法学的思考の完全な死滅を意味している。これは、ダンテの『神曲』と取扱説明書を同じ「文学作品」として分類するのと同程度の知的混乱である。法と非法の基本的区別すら理解できない知的水準では、法制度論議への参加資格は最初から存在しない。
この概念破壊は決して偶然の産物ではない。既存の民主的法制度を無効化し、非民主的な私的統治を正当化するための計画的な言語テロリズムである。オーウェルの『1984年』で描かれた「ニュースピーク」の現実版として、全体主義的言語統制の教科書的事例を提供している。
このような言語破壊によって構築された疑似理論の上に築かれる制度設計など、根本的に無意味である。基礎概念の定義すら不可能な知的水準では、学術的検討の対象として認識される資格が皆無である。
報告書が革新的理論として提示する「応答責任」概念は、その見せかけの新奇性の背後に隠された論理的破綻の完璧な標本である。従来の予見可能性と注意義務に基づく責任体系を破壊し、事後的な「説明」による免責を可能にしようとするこの提案は、法的責任概念の完全な空洞化を意図している。
「アジャイル・ガバナンスの誠実な実施」による責任軽減という発想の恐るべき恣意性は、その判断基準の完全な欠如にある。何が「誠実な実施」に該当するのか、誰がいかなる基準で判断するのかについて、報告書は一切の明確な回答を提供していない。これは法的予測可能性の完全な破壊であり、法治主義の根本的否定である。
この提案に内在する「賢い失敗の許容」という思想は、失敗による被害の社会的転嫁メカニズムの露骨な表現である。しかし、誰の失敗が「賢い」と判定され、誰の判断が「愚か」と断罪されるのかについての客観的基準は一切示されていない。これは恣意的な価値判断の制度化であり、法の客観性への挑戦である。
さらに「応答責任を果たさない主体への厳格な制裁」という記述は、この制度の真の恐ろしさを露呈している。従順な者には寛大に、反抗的な者には苛酷にという、差別的処罰の制度化に他ならない。これは法の下の平等という近代法の根本原則への正面攻撃である。
この報告書が展開する「マルチステークホルダー」論は、民主主義に対する知的テロリズムの宣言書として、反民主主義思想史における重要な位置を占めるであろう。選挙による民主的正統性を完全に無視し、自称「専門家」による寡頭制的支配を正当化しようとするこの企ては、民主主義の根本的否定である。
これらの「ステークホルダー」なる存在に、いかなる民主的正統性が存在するというのか。国民の信託を受けたわけでもなく、国民に対する責任も負わない私的主体が、公共政策決定に関与する根拠は何か。この最も基本的な問いに対して、報告書は完全な沈黙を貫いている。これは論証の放棄であり、学術的誠実性の完全な欠如である。
「熟議」や「対話」といった装飾的言辞の欺瞞性も見過ごすことはできない。発言力と影響力において絶対的格差が存在する状況での「対話」など、強者による弱者の操作にすぎない。しかも、この「対話」の参加者選定が完全に恣意的であることを考えれば、これは民主的審議の偽装にすぎない。
「適切な範囲のステークホルダーの暫定的画定」という記述の傲慢さは、言語の限界を超えている。誰が「適切性」を判定し、誰が「暫定性」の期間を決定するのか。このような恣意的排除と包摂のメカニズムは、あらゆる全体主義体制における権力技術の核心である。
報告書を汚染している「アップデート」という語の病的濫用(22回の出現)は、この文書の知的貧困と操作的意図の決定的証拠である。法制度をソフトウェアの更新と同一視するこの冒瀆的比喩は、制度の歴史性と社会性に対する理解の絶対的欠如を示している。
「新奇性=進歩性」という原始的等式は、人類の知的発展に対する根本的誤解を露呈している。真の知的進歩とは、既存の知的蓄積を深く理解した上での慎重な発展であり、表面的な目新しさとは正反対の概念である。この基本的区別すら理解できない知的水準では、文明論的議論への参加は不可能である。
この種の軽薄な革新主義は、歴史上のあらゆる破壊的思想運動の共通特徴である。伝統的制度や慣習を「古臭い」として一方的に否定し、「新しさ」それ自体を絶対的価値として崇拝する態度は、知的幼稚性の典型的症状である。
「アップデート」連発による印象操作は、内容の空虚さを隠蔽する詐術的技法である。真の学術的議論では、概念の新奇性ではなく論理的一貫性と実証的根拠が問題となる。この基本的学術的作法を無視した修辞的操作は、知的誠実性の完全な放棄を意味している。
この報告書の背後にある動機の醜悪さは、それが専門的権威の不当な僭称に基づいていることにある。法制度の根幹に関わる高度に専門的な問題について、該当分野の専門的訓練を受けていない者が権威的に論じる態度は、学術的詐欺の典型例である。
法学、憲法学、法哲学といった高度に専門化された学問分野における数世紀の知的蓄積を無視し、素人的理解に基づいて根本的変革を提案する傲慢さは、知的謙虚性の完全な欠如を示している。真の専門家であれば、自らの知識の限界を認識し、他分野の専門性を尊重するはずである。
この種の専門性僭称は、現代社会における知的権威の危機を象徴している。真の専門知識と見せかけの専門性を区別する能力の衰退は、社会全体の知的水準の低下を意味している。
法務省や内閣法制局といった法制専門機関との調整の完全な欠如は、この越権行為の意図的性格を明確に示している。真摯な政策提案であれば、関連分野の専門機関との緊密な協議が不可欠である。その手続きを意図的に回避した事実は、この提案の非学術的性格を決定的に証明している。
報告書に蔓延するカタカナ語の異常な濫用は、概念的思考能力の壊滅的崩壊を示す臨床的症例として、言語病理学の研究対象となるべき価値を持っている。「アジャイル」「ガバナンス」「ステークホルダー」「マルチレイヤー」等の外来語を無意味に羅列することで、内容の空虚さを糊塗しようとする手法は、思考の怠惰と欺瞞の完璧な融合である。
日本語による適切な概念規定の不可能性は、そもそもその概念を理解していないことの決定的証明である。真に意味のある概念であれば、必ず明確で正確な日本語表現が可能である。外来語への逃避は、概念的明晰性の放棄と知的怠慢の隠蔽手段にすぎない。
この言語的堕落は、現代日本における思考力の全般的衰退を反映している。概念の正確な理解なくして学術的議論は不可能であり、言語の精確性なくして概念の理解は達成されない。この基本的原則を無視した議論は、最初から学術的価値を持たない。
カタカナ語濫用による思考の曖昧化は、批判的検討の回避を目的とした意図的操作である。明確に定義された概念であれば論理的批判が可能であるが、曖昧な外来語の羅列は批判の対象を無効化する効果を持つ。これは学術的議論の意図的破壊行為である。
報告書が権威的に論じる訴追延期合意(DPA)論は、比較法学的研究の素人性を露骨に示す恥ずべき実例である。アメリカ法制度の表面的模倣への幼稚な憧憬と、制度移植の複雑性に対する絶望的無理解が完璧に融合した、比較法学の反面教師的標本である。
アメリカでDPAが一定の機能を果たしているのは、広範で厳格な刑事法体系、強力な執行機関、独立した司法制度、発達した法曹制度といった包括的制度環境の産物である。この複雑な制度的生態系を完全に無視して、表面的制度のみを移植しようとする発想は、比較法学の初歩的原則に対する無知を露呈している。
制度の機能は、それが埋め込まれた法文化と社会的文脈の全体性において初めて理解可能になる。制度の断片的切り取りと機械的移植は、必然的に機能不全と予期せぬ副作用をもたらす。この基本的理解の欠如は、比較法学的素養の完全な欠如を意味している。
しかも報告書の提案は、DPAの制約的側面を意図的に無視し、都合の良い部分のみを抽出している。これは学術的考察ではなく、予断に基づく恣意的制度設計である。真の比較法研究であれば、制度の全体的機能と副作用の両面を公正に検討するはずである。
ああいう仕事をしている人ってだいたいが派遣とかバイトとかの、別に商品を本当に良いと思って勧めているわけではない人たちが主だろうなと考えていたから、(嫌な仕事を頑張ってやっている人を)ぞんざいにするのが憚られて今まではなるべく話を聞くようにしていたが、もうやめる。ひたむきにその仕事に取り組んでいる人には申し訳ないが相手をすることが本当にあほくさくなった。
今日某施設の前で勧誘していた人にくじを引かされたと思ったら、別の男が「くじの引き換えそっちの人がやると思ったの~?こっちだよん」みたいなことを言ってきた。
前にもくじを引いた人がおり、そこに立ち止まっていたのでその後ろに立っていただけなのにだ。この状況でなにを言っているのか理解ができなかったのだが小馬鹿にされたのはたしかだと思う。
仕事と人をなめすぎだろ。非常識すぎる態度にあっけに取られている間に勧誘の話をサラっとして結局流されて帰宅したのだが、腹立たしさが収まらなかった。
くじをぐしゃぐしゃにして捨てるか完全に無視して立ち去ればよかったと思った。そういう行動を直ぐ起こせなかった自分にも腹が立った。
相手にされなかったりしてストレスの溜まるだろう仕事なのはわかるが、関係ない人間で発散するのは違うだろ。こっちが屈強な外国人男性だったら言ってたのかよ。ちゃんと話を聞こうとしている相手に対してなんて猶更ダメだろ。ていうか仕事全般的にストレスなんてあるし人にあたっていいことなんてないから皆我慢して生きているんだろうがクソが。あのクソガキに天罰が下ることを祈っている。
三菱系企業は戦前から東大、一橋、慶應義塾が強いと言われてきましたが
三菱重工業では伝統的に三菱長崎造船所や下関造船所の関係で九大(九州帝國大學)工学部も強い(三菱重工業第10代社長は九大工卒の増田信行)ですし、京大(京都帝國大學)も三菱系には全般的に強いです。
三菱銀行や三菱信託や東京海上火災保険や明治生命保険の三菱系の金融会社では伝統的に東大と一橋と慶應義塾が強く特に三菱銀行では三菱合資會社社長の三菱財閥四代目の岩崎小弥太(岩崎弥之助の長男)に厚く信頼されていた加藤武男(吉田茂内閣経済最高顧問)の影響で慶應義塾が東大と並ぶ学閥が強いことで有名でした。
戦後の三菱銀行でも加藤武男(慶大理財)、千金良宗三郎(慶大理財)、宇佐美洵(慶大経済・佐藤栄作内閣で池田勇人内閣からの引き継ぎ人事として戦後初の民間銀行出身者として第21代日銀総裁に就任)の3名が慶大卒業生で小笠原光雄(東京帝大法)、中谷一雄(東京帝大法)、田実渉(東京帝大経済)、中村俊男(東京帝大法)、山田春(東京帝大法)、伊夫伎一雄(東京帝大経済)、若井恒雄(東京帝大法)の東大卒業生7名に次ぐ頭取を輩出しています。
三菱商事は伝統的に圧倒的に東大(東京帝國大學)が強く慶應出身の社長は水産畑の第5代社長の三村庸平(慶大経済)社長だけですし、一橋出身の社長は機械畑のブンチンこと第4代社長の田部文一郎社長(東商大)と戦後の混乱期の田中完三社長(東京高等商業卒業で三菱合資會社出身)の二人だけです。
戦後の東大出の三菱商事社長は服部一郎(東京帝大法)、高垣勝次郎(東京帝大法)、荘清彦(東京帝大経済)、藤野忠次郎(東京帝大法)、近藤健男(東大工)、小島順彦(東大工)、小林健(東大法)、中西勝也(東大教養)の8名となります。因みに高垣勝次郎氏のご子息の高垣佑氏は東大経済学部卒業後、東京銀行(戦前の横浜正金銀行)に入行し、上記の若井恒雄頭取の時代の三菱銀行と合併して東京三菱銀行の初代頭取に就任します。
三菱商事の社長には東大や一橋や慶大以外には三菱の岩崎小弥太と縁が深い旧制成蹊高等学校からハーヴァード大学政治学部を卒業した第8代社長の槇原稔や大漢和辞典編纂者の漢学者の諸橋轍次氏の御曹司である上智大学経済学部を卒業した第7代社長の諸橋晋六や早稲田大学理工学部を卒業した第9代社長の佐々木幹夫や京都大学経済学部を卒業した第12代社長の垣内威彦等もいてアメリカのハーヴァード大学やカソリックのイエズス会経営の上智大学卒業の社長もいる様に東大卒業者と慶大卒業者に昭和時代にはほぼ頭取の卒業大学が限定されていた三菱銀行に比べると結構、外国大学や早慶以外の私大等バラエティに富んでいます。
三井系は戦前の三井銀行は財界三田閥の慶應義塾出身者の中上川彦次郎(福澤諭吉の甥)や池田成彬(中上川彦次郎の女婿)の強い影響力でかなり強い慶應閥の銀行でした。
戦後の三井銀行(戦前には第一銀行と合併して帝國銀行)及び三井グループのドンと言われた佐藤喜一郎は戦前の三井銀行では慶應義塾大学に次ぐ学閥だった東京帝國大學経済学部卒業生でした。佐藤喜一郎は旧制横浜一中(現在の県立希望ヶ丘高校)、旧制一高、東京帝國大學経済学部卒業のエリートで当時の池田成彬と並ぶ三井銀行の実力者だった東京英和学校(後の青山学院)出の米山梅吉の紹介で三井銀行に入行します。
戦後の三井銀行でも慶大出身の社長(頭取)は柳満珠雄(慶大理財)や板倉譲治(慶大経済)や神谷健一(慶大経済)と東大出身の佐藤喜一郎(東京帝大経済)、田中久兵衛(東京帝大経済)、関正彦(東京帝大経済)、末松謙一(東大経済)の4名に次ぐ3名を輩出しています。
三井銀行では戦前は池田成彬と並ぶ実力者だった米山梅吉(後の三井信託社長)が青山学院の前身の東京英和学校の出身者であったので其の米山梅吉の強い引きで三井銀行に入行した青山学院高等科卒業の万代順四郎も慶應出や東大出との出世競争に打ち勝って三井銀行の頭取を戦前に務めています。※銀行では戦後は頭取と呼ばずに社長と呼称しています。
しかしながら三井財閥の持株會社だった三井合名會社と並ぶ中核企業だった三井物産は鈍翁・益田孝の三田閥偏重の学閥排除の目的から意識的に一橋の高等商業学校や東京高等商業学校や東京商科大学を三井物産の幹部社員候補として意識的に重点的に優先採用して来たので戦前から戦後のある時期までは三井物産は完全な一橋の如水会が最大の学閥となる総合商社でした。
戦後の三井物産でも名物社長と言われた三井物産再統合の立役者・新関八洲太郎や『ハヤブサの達』こと水上達三、『根アカ経営論』の八尋俊邦等は皆、一橋の東京高等商業学校や東京商科大学の卒業生です。
戦後の三井物産の東大出の社長は池田芳蔵(東京帝大経済)、江尻宏一郎(東京帝大法)、槍田松榮(東大工)、安永竜夫(東大工)の4名で京大出の社長は熊谷直彦(京大法)と上島重ニ(京大経済)の2名で慶應出の社長は今の堀健一(慶大経済)の1名だけです。
一橋(3)と東大(4)と京大(2)と慶大(1)以外の三井物産の社長の学歴は長崎高等商業学校(長崎大学経済学部)卒業の若杉末雪と東京外国語大学外国語学部ポルトガル語学科卒業の清水慎次郎と横浜国立大学経営学部卒業の飯島彰己となります。
住友系は戦前の財閥持株会社だった住友合資會社が戦前には今の東大の東京帝國大學や今の京大の京都帝國大學や今の一橋大の東京商科大学や今の神戸大の神戸商業大学の旧帝大と旧商大グループを意識的に幹部社員として優先採用してきたので今でも東大、京大や一橋大や神戸大が人脈的に強い傾向があります。
戦後の住友銀行頭取は野田哲造(東京帝大法)、鈴木剛(京都帝大経済)、堀田庄三(京都帝大経済)、浅井孝二(神戸高商)、伊部恭之助(東京帝大経済)、磯田一郎(京都帝大法)、小松康(東京帝大経済)、巽外夫(京都帝大法)、森川敏雄(東大法)、西川善文(阪大法)となります。
戦後の住友銀行の頭取の学歴は京大4名、東大4名、阪大1名、神戸大1 名となります。
三菱財閥や三井財閥の銀行や商社に多く見られた一橋や慶應義塾出身者は住友銀行頭取では皆無となります。
文系は戦後派の阪大も住友系には強く西川善文元三井住友銀行頭取(後にゆうちょ銀行社長)の様な個性的な人材を輩出しています。
消費税減税絶対正義で少しの異論も許さぬといったカルト的な恐ろしさを感じる
もはやブクマ先の内容とブコメが噛み合っておらず、本文を読まずに消費税というワードだけでコメントつけてるんじゃないかというようなブコメも散見される
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1985C0Z10C25A5000000/
基本的な経済理論をガン無視して、素人の謎理論の方が優れていると思っているブコメが多すぎる
普段、「○○は専門家軽視だ」みたいに噴き上がっているのは何だったのか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/kirik/n/nef77df147ecd
記事を読めば、その論旨は「低所得者は担税の度合いが低いので、給付を求めた方がいいのではないか」という、きわめて無難な話であることが分かる。
「消費税は逆進性が強い」とかそれっぽく言っているブコメも多いが、
逆進性を問題視するのだったら、当然、「給付付き税額控除」とかの議論があってもいいはずだよね?
(追記)
ブコメの話をしてるのに、エントリーの話がトップブコメになってるのは、やっぱり本文を読んでないんじゃないか?
(この記事はタイトルに現れる最初だけ「ブコメ」ではなく「ブクマ」と書いているので、本文を読まないとエントリーのことを議論しているように見える)
小学生の自殺率、4~6月の増加目立つ 学校始まるストレスと関係か
小学生の自殺率は上昇傾向にあり、とくにここ数年は4~6月の増加が著しい――。
一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター(JSCP)」国際連携室室長の仁科有加さんらが、米医師会雑誌「JAMA Network Open」に論文を発表した(https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2829456別ウインドウで開きます)。仁科さんは「リスクの高い子どもたちに適切な介入をする必要がある」と指摘する。
日本を含む主要7カ国(G7)の10代の死因で、自殺が1位となっている国は日本しかない。一方で、より年少の8~12歳の自殺の背景分析は、これまでほとんど研究されてこなかった。
仁科さんらは、国がまとめた2009~23年の自殺統計を前期(09~15年)と後期(16~23年)に分け、それぞれ自殺率の変化や要因などを調べた。
この間に自殺した子どもは男子159人、女子124人。全般的な傾向として自殺率は上昇傾向にあり、その割合は女子の方が目立った。100万人あたりの自殺件数は、前期が平均2.84件だったのに対し、後期は平均4.03件と、統計的にも有意な差で増えていた。
特に「女子」「12歳」「飛び降り」「西日本」「非都市部」といった要因で増加が目立った。また前期に比べ後期は、自殺を実際に企てた「企図歴」がある子や、4~6月に亡くなる子の増加が特に顕著で、4~6月に亡くなった子は1.93倍に増えていた。
日本人全体では、女性より男性の方が自殺率が高いが、この年代では女子の増加が目立つ。また飛び降り自殺が占める割合は日本人全体では12%だが、この年代では前期が16%、後期は29%と高かった。ほかの自殺方法に比べて準備の必要が少ないため、衝動的に行動した背景がうかがえるという。
また4~6月の自殺率が急増した背景には、学校が始まるストレスと関係している可能性があると指摘する。
自殺の企図歴はハイリスク要因であり、仁科さんは「自殺未遂を経験した子どもへの重点的な介入が必要だ」と指摘する。
厚生労働省が3月末に公表した24年の自殺者数によると、小中高生の自殺は529人で統計のある1980年以降、過去最多となった。
【生きづらびっと】
【あなたのいばしょ】
【いのちの電話】
査読付き論文であるが、そもそも書いている人が同じなため、中立性が欠落している。
査読付き論文さえあれば、どんなことでも書いていいことにならない。
またそうであれば査読付き論文は全部掲載すべきである。例えば女性が過剰に優遇されていることも査読付き論文で存在する。
研究としてはそうなっているが、記事としては4月~6月に区切る合理的理由がない。以前は5月病と言われており、5月だった。だんだん拡大している。
https://x.com/sumomodane/status/1914307397025513949
2024年の小学生の自殺は男女合わせて15人しかおらず、これでは一人ふぇるだけでとんでもない増加が生じるため、実際は増減率は意味がない。
つまり、この記事は意図的に小学生の自殺を強調していることがわかる。それが大事なら、もっと他に、特に40代~50代男性を完全に無視している。
これについて一切記事を書かないのは自殺しろという主張をしているのと同じである。
つまり氷河期世代は自殺しろ、というのが朝日新聞の女性記者であり、論説委員という肩書がある以上、朝日新聞自体が自殺しろと言っているのと同じ記事となっている。ゴミすぎるだろ。
@MIKITO_777
オーストラリア、ニュージーランド、米国、ロシア等の方が子供の自殺率は高いです
項目 | 内容 | 評価・コメント |
------ | ------ | ---------------- |
① 「小学生の自殺率が上昇傾向」 | 2009–2023年の自殺統計から小学生の自殺者数は増加傾向とされる[^1] | ✅事実だが注意が必要。母集団が小さく(年間10人前後)、1件の増加でも大きな率の変動を生むため、「有意差あり」と言っても社会的インパクトとして過剰に見せる可能性がある |
② 「4~6月の自殺が1.93倍に増加」 | 後期(2016–2023年)に4~6月の小学生自殺者が増加[^1] | ⚠️誇張の可能性あり。3か月間だけを抽出して「倍増」と述べるのは、季節性や偶然の偏りを無視した印象操作の恐れがある |
③ 「日本だけがG7で10代の死因1位が自殺」 | 事実。事故死や病死が少ない社会で相対的に自殺が1位になる[^2] | ✅事実だが、他の国との直接比較には文脈が必要(たとえば米国では銃が死因1位[^3]) |
④ 「自殺の企図歴はハイリスク要因」 | 自殺未遂経験者は再企図のリスクが高いとする[^4] | ⚠️一般論としては妥当だが、記事内では根拠となるデータが提示されていないため、読者の納得を得るには不十分 |
⑤ 筆者・編集者の主張が前面に出ている | 小学生の自殺増加傾向を社会的危機として強調し、他世代との比較や冷静な補足が不足 | ⚠️一部事実に基づくが、全体構成としてバランスを欠き、ミスリードの恐れがある |
[^1]: JAMA Network Open掲載論文(仁科有加ほか), 2025年 https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/2829456
[^2]: 朝日新聞「小学生の自殺率、4~6月の増加目立つ」2025年4月21日 https://www.asahi.com/articles/DA3S16022649.html
[^3]: Forbes JAPAN「アメリカの19歳以下の死因1位は銃」2023年 https://forbesjapan.com/articles/detail/66508
[^4]: 厚労省『自殺総合対策大綱』(2022年改訂)https://www.mhlw.go.jp/content/000909437.pdf
小学生の自殺率や自殺数は、統計的に極めて小さい数字でありながら、「増加率」「季節要因」「女子に多い」といったセンセーショナルな切り口のみを強調しており、読者に不安を与える構成になっている。
一方で、自殺率が圧倒的に高い40代・50代男性(年間自殺率25~29人/10万人)の実態には一切触れず、論点が子供のみに限定されているのも不自然。
論文が査読付きであること自体は信頼性の一つの指標ではありますが、それが即座に社会的意味を持つ一般化を許す根拠とはならない。
特に、「1.93倍」という数字を4~6月にだけ焦点を当てて抽出した手法は、読者を誘導するリスクが高い(いわゆる「統計のパラドックス」的手法)。
すると、このような信憑性に疑問のある記事の末尾に名前が掲載されることで、あたかも信頼性の高い団体であるかのような印象を与える。しかし、「あなたのいばしょ」の代表である大空幸星氏は現職の衆議院議員であり、さらに内閣官房「孤独・孤立の実態把握に関する研究会」構成員や、こども家庭庁「こどもの居場所部会」委員など、政府機関に深く関与している。代表がこういう人物の団体が、裏付けの乏しい記事と並んで紹介されることは、特定団体への便宜供与とも受け取られかねない。
さらに、
@anselyosemite
あのー、東京都のサイトからあなたのいばしょの事業報告書 令和3・4年度が削除されてるんですけど、何か修正でもあるんでしょうか?
https://seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/houjin/npo_houjin/list/ledger/0013611.html
衆議院議員が代表であり、かつ政府機関に深く関与しているにも関わらず、この団体の会計はおかしく、まずこの会計が解決されない限り、政府機関に関与することができないのは当然のことである。
・では、今回のインフレは、輸入物価を起点としているにもかかわらず、なぜこのように長期化しているのだろうか。
・輸入インフレ…①コロナ後の需要急回復②コロナによる供給側への影響の残存③ウクライナ・ロシア戦争の影響④FRBの急激な利上げによる円安の進行
・消費者は、売れ行きが好調であるからという理由では値上げを容認しがたいが、全般的な仕入れ価格(≒輸入物価)の上昇は相対的に受け入れやすいとされる。 「輸入物価を起点とする生産コストの上昇が値上げの主因」だった可能性が高い。
・「金融・為替市場の動向やそのわが国経済・物価への影響を、十分注視する必要がある」から24年7月からは以下のように変化した
「このところ、企業の賃金・価格設定行動が積極化するもとで、過去と比べると、 為替の変動が物価に影響を及ぼしやすくなっている面がある」
・企業の価格設定行動に対する為替の影響を当初軽視していたのではないか、円安批判(≒日銀批判)の高まりとともに文言を変更した可能性がある。
Xで男児への性的虐待云々言ってるポストみて、記憶が蘇ってきちゃったので、ちょっと吐き出すために書く。これを性的虐待と言っていいのかわからないけどもね……。
我が家は男三兄弟で、小学校低学年の頃、よく夜に母親が寝る前に「唇に」キスしてこようとしたんだ。弟と兄は明らかに嫌がって断固拒否だったんだけど、俺はといえば、なんとなく気持ち悪いな……と思いつつもキスの要求に逆らえず、何度もキスしてた。回数は覚えてないけど、毎週のようにされてたから数十回以上だろうなと思う。
今思えば、唇から唇へのキスなんて、特に小学生にもなれば兄も弟も嫌がるべと思うんだけど、当時の自分は一方で母親に甘えてた部分があるから「嫌だな……」と思いつつも受け入れてしまってたんだよね。別に母が全般的に毒親だったかといえばそうではなく、それ以外の面では母としてやるべきことをやってたし、俺がやりたいと思ったことについて父が反対しても「可愛い子には旅をさせよ」の精神でやらせてくれた部分も多々ある。だから複雑ではあるし、憎むほどの出来事ではないと思いつつもふとした瞬間に辛くなる。
男親が物心ついた娘に唇から唇へのキスしたら(もちろん、今でもこっそりやってる父親はいるだろう)、少なくとも2025年に明らかになれば、ほぼ間違いなく「やばい」と扱われる案件だし、実際に事件になった事例も多数ある。でも、自分が小学校の頃は平成初期だったからしゃーないにせよ、男児へのそれは今でも軽く扱われてる(それくらい普通という母親がかなり多い)のが、なんともやるせないなと思う。
Togetter にまとめられた 「ここ1、2年で大学入試の試験会場や開始時刻を間違えて来る受験生が急増しました。」を読んで胃が痛くなった。
https://togetter.com/li/2535697?page=2
なぜなら、私は、実際に大学入試(推薦)の「試験日」を間違えた子の親だからだ。
思い出すだけで辛くなるが、幸い今、うちの子は別の大学で元気に勉学に励んでいる。
当時、どうしてこういうことになったのか、嫌と言うほど考えたので、そこで思った理由をここに書いてみる。
今後、同じような受験生が出ないことを祈って。
先に書いておくと、おそらく大学側でできることはたくさんある。今どきの子は・・と言うのはあまりに当人にかわいそうだと思う。
そして、全般的に私立大学は間違えを防ぐための工夫がされているが、国立大学は罠が多いケースが多い。
・ 受験を意識し始めたときには新しい募集要項が公開されていない。なおかつ、古い募集要項が残っている。
↑ 次の理由との組み合わせで、古い募集要項を最新のものと勘違いしてしまう。
・募集要項に書かれている年度(入学年度)を、受験を行う年度と間違えやすい
↑ 募集要項に「令和5年度」と大きく書かれていると、令和5年度に実施する試験だと思い込んでしまう(正しくは令和4年度に受験する)
↑ これは信じられないかもしれないが、本当にそうだった。親が受験票を見ても受験日はわからない。ネットにアクセスして得られる情報を参照するしかない。
・スマホの画面の情報は親子で確認しにくい。そしてネットリテラシーは、子どもの方が高いと思い込んでしまう。
↑ ここ数年での話は、これが当てはまりそう。つまり、紙媒体ではなくてネット上の情報を見る、ということになったとき、主導権が親から子に移る。
子どもが、スマホで受験日を確認していた時に、スマホの扱いは子供の方が得意であり、スマホの所有者は子どもであることから、主導権が子どもに移ってしまう。
わざわざ親が画面を覗き込んで「裏を取る」ことをしないですませてしまう。まさかうちの子が受験日を間違えているとは、思っていなかった。
↑ ここ数年の大学受験関係者でないとわからないと思うが、入試が多種多様化していて、めちゃくちゃ複雑。志望する学部学科の該当する試験の要項を見つけるだけで大変。その中で、受験のための手続きも煩雑で、それ以外のところに注意が分散してしまって「試験日」という最重要項目への注意が低下してしまったことも理由だと思う。
結局、前年の受験日に会場に行ってしまい、それは実際の受験日の次の日だったので、親子で泣き崩れたよ。
1日早めに行ってしまったのなら問題ないが、終わったあとではどうしようもない。
親としても情けない。
どうか、こういった不幸が無くなりますように。
大体末っ子じゃない?
服も雑貨もおさがり(3番目はさすがに買い換えられる)がデフォルトだったし、
入学式や卒業式、すべての節目が2度目だからほぼスルー。おめでとう!みたいな雰囲気無し。
上の兄弟の時は大騒ぎで見に行ったり送迎してたから、自分は愛される存在ではないんだなーって幼心に思ったよ。
食事も、当たり前だけど大皿に盛られたものを好きなだけ食べた記憶が無い。
イチゴも1パックあったら等分するのが当然で、あんな山盛り(※子供の感覚)あったのに自分の分として渡されたのが2~3個しかなくてがっかりした記憶とかしか無い。
そういうことの積み重ねで、食に関して根本がさもしい人間になった自覚がある。食に関して自覚があるだけだから全般的に無自覚に卑しい考え方をしているんだと思う。
こんな恨み言書いてるくらいだし。
ただ末っ子も、なかなか大人にならせてもらえなくてかわいそうだと思う。
自分は一人っ子の、属性ではなく個の人間として愛されてきましたって雰囲気が羨ましい。
ケースバイケースでポジショントークしかできない話題に真面目に答えてくれてありがとう。
親の資質による説も一理ある。
でもうちの親も親なりに平等に接しようとしてくれてて、その上でこうなってるから生まれ順の影響もあると信じたい。
今になって思うのはたぶん平等に扱ってほしかったんじゃなくて、自分含めた全員を要所要所で特別扱いしてほしかったんだろうなあ。
増田の気質と言われたらそれまでだけど、そういうのって大体家を出てから気付くよね。ま、しょうがない。ぼちぼちやりましょう。
・特に就学前のお子さんがいる家庭には勧めない
保育園はマジでどこにも入れないレベルだし、車がないと詰むが基本的に電車、徒歩、自転車、原付の街なので車で通れる道が少なくどこもクソ混む
バスはシルバーパスのせいでジジババ輸送機だし道が混むので定刻通りに運行されるのは稀
雨の日は地獄
クソ混む上に運転者の質はクソオブクソなのでストレスが半端ない 都内のがまだマシ
横浜舐めんなよと言われるが舐めるというかバカにしたくなる運転するやつしか居ない
横浜港北なんかがまさにそうだけどIC作ったはいいものの周辺道路は開発されてないので見通しの悪い狭い道を切り抜ける必要がある
なお抜けた先は渋滞している
2kmの道を一時間かけて車で進みたい人だけ住むのがよろしい
・山、谷、山
山と農道を切り開いた道なので狭くて見通しが悪い
歩道が存在しないクソ狭い車がビュンビュン通る道を小学生が通学する
アクセスがいいだけで快適とは言い難い
上りは当然混むので毎日おしくらまんじゅうをしたい特殊な人のみオススメする
なお横浜線では足踏みバトルが開催され東横線と東海道と京浜東北線は毎日遅延する
特に新年度は一本どころか一時間前に出たほうがいいくらいである
言い過ぎかもしれないがまじでそれくらい遅延する
東京方面か新宿渋谷方面かで路線を選ぶ必要があるが新宿方面(東横線)の場合遅延や運行停止になった時のリカバリーがマジできつい
東京方面の場合はギリ戸塚、いっそ横浜を出て藤沢あたりまで逃げた方が通勤は楽になる
・鶴見区はやめとけ
単身で住むなら鶴見区は川崎、東京に出やすいのでいいが、子育てにはマジで向かない
陰のオーラが漂ってる
横浜のプライドの高さと川崎湾口方面のガラの悪さが悪魔融合してカオスすぎる街
子供の頃から住んでいればそういうものと思って暮らせるが、横浜出身者じゃない人が横浜市に住むのは中々キツいのではないか
最初に書いたが、横浜出身者じゃない一般家庭のサラリーマン家庭が住めるのは反町〜綱島間くらいだと思う
好きだったよ。 好きであるべきなんだと必死に思い込んでたことに、気づいてしまった。
想像以上にモバゲーで売れたシンデレラに対し当時の携帯ゲームでモバゲーと並んでいたグリーでシンデレラをやろう、という生まれからしてシンデレラを引きずっている。サイゲが関わらない直運営でシンデレラをやれば儲かる、というものでしかなかったことが正直察せられる。
グリー時代のゲーム性はモバゲーと同じだし、ミリシタもミリPが「俺たちにもシンデレラみたいな音ゲーが欲しい」とばかり言ってデレステの後から作った音ゲー。グリマススタート時の売りであったA-1アニメ絵が唯一といっていい個性だったというのに、A-1でのアニメ化は結局エムとデレまで、喧嘩別れしたのかなんなのか、笑えることに個性をアンチ相手に取られている。
やることなすこと全てがシンデレラの後追いの癖して、ファンの意識はずっと打倒シンデレラだ。
ミリオンは平等、とぬかすミリPは多いけど、全部が全部「ミリオンは ”シンデレラガールズと比べて” 平等」でしかない。
シンデレラガールズと違って、全員に声がある。シンデレラガールズと違って、キャラが増えない。シンデレラガールズと違って、765のカードが増える。シンデレラガールズと違って、CDが早く出る。シンデレラガールズと違って、アニメに全員が出演する。
シンデレラガールズと違って、は楽曲にすら影響がある「一人も手放さない」って、誰が誰の手を手放さないって意味なんだ?アイドルがファンの手を手放さない?そんなこと当たり前すぎる。結局、シンデレラガールズと違って、私たちは連帯をモットーとしています、でしかない。
シンデレラの不満点を完全に改善してあるべき姿を作りました、というならまだ褒める部分もあるかもしれないが、結局は主に文句を言われる部分を少しだけ埋めただけで、さほど大きな違いはない。記号的なキャラクタを大量に並べれば誰か一人くらいは刺さるだろうという数打ちゃ当たる形式、一人一人の設定は浅くて雑。各種ゲームに特別なゲーム性もない。結局は人気投票というイベントもやる。まぁ、アイドルマスターというものは全般的に面白いゲームが出てきたことがないが。シンデレラと違って、がコンセプトであるのに、シンデレラには一切ない要素がまるでない。新しい何かを作り上げようという感情ではなく、今まであるものをちょっと変えて儲けられればラッキー、そんなモチベーションに溢れている。
好きだったんじゃないのか、と問われれば、ライブイベントは明確に好きだった。そう、シンデレラガールズと違って、歌が上手かったからだ。
楽曲もパフォーマンスも、かつては第一線を走っていたと思う。かつては、だ。今もなお当時と同じく第一線で活躍するメンバーもいるが、全員がそうという訳ではないし、なによりも時代が変わってしまった。
声優をアイドルとして売り出す手法、そのスタートをミリオンもたしかに担っていたが、時の流れによる劣化を誤魔化しきれなくなった。皮肉なことに、シンデレラガールズと違って、メンバーが固定であるが故にその劣化が止められないのだ。
とはいえ、今でもミリオンを見たことがなかった人は特に、行けば楽しむことはできると思う。
でももう私は飽きてしまった、10年間ずっと同じ演出家が手癖で出してくるだけの演出に。
そもそもシンデレラの強みというのは、偶然に時代に乗れたのでファンが多い、というただそれだけであって、特別優れている訳ではないのだから、それに多少変更を入れた程度で跳ねるはずもない。シンデレラの問題点を埋めた自分たちはシンデレラと同じくらい盛り上がれるはずだ、という歪んだ意識をファンが持ち続けている。正直シンデレラガールズももう落ち目だ、10年以上もやっていれば必然とも言える。
シンデレラと違って、がアイデンティティーだったミリオンは、じゃあシンデレラを超えられたのか?と問われれば、結局越えられぬままだ。超えられていないのに、立ちふさがる壁としてのシンデレラがなくなってしまった。そうなった時、ファンたちは今度違う壁を設定しだした、ありとあらゆる他コンテンツをだ。
なにかと違ってミリオンはこう、という価値観を完全に取り込んでしまっていた。それもそうだろう、それしかないからだ。自分たちにしかない強みを持たないまま、でも他の成功したコンテンツのようになりたがって、結果として自分たちが優れている部分を主張するために必死に他と比べて優れた点を探している。
もううんざりだ。
時代の寵児として巨大なマーケットを抱えている訳でもなく、アプローチする客層をガラリと変えて新しい方向を開拓する訳でもなく、なにかしらの強みを育てることもなく、全てのコンセプトが何かの真似でしかない。ミリオンだけの面白さ、ミリオンだけの美しさ、ミリオンだけの特徴が、なにもない。
それでも好きだと思う人もいるだろう、頑張って欲しいが、もう私には無理だ。やればやるほど、なにもないことがはっきり見えてくるからだ。
まあ、色々な考えがあるだろう。
だが元PMとしてシステム開発を進める上で大切な事を書かせてほしい。
俺の場合、ゲーム開発が多かったからゲーム開発の場合で書くが、
→まず受託開発の場合、クライアントの言いなりになりすぎるな。
https://agilemanifesto.org/iso/ja/manifesto.html
→プロデューサーや営業の言ってくる事をそのまま仕様にしてはならない。
その際、出来ればプロデューサーや営業に投げるのではなく、同席させてもらうように交渉した方がいい。
ちゃんと発注元の「意図」「成し遂げたいこと」「ゴール」「納期や予算」について理解した上で確認や提案を行う必要がある。
もしプロデューサーや営業がその辺を理解していなかったらその時点でそのプロジェクトは確実に「炎上への道」へ突入するという覚悟を持つ事。
→仮に3Dのゲームを作る場合、2Dアーティスト、3Dアーティスト、アニメーター、エフェクトデザイナー、サウンドデザイナーなど担当は多岐に渡る。
2Dが遅れれば3Dが遅れ、3Dが遅れればアニメータが遅れる…という感じだ。
だからアセット制作一つ取り出してみてもデータの受け渡し期限は死守しなければならないし、
「このデザインはモデル化すると破綻する」とか「このモデルだと稼働部に問題がある」など修正依頼が頻繁に発生する。
その際も先のエンジニアの性格どうたら問題と似たような事が発生しかねない。
なので、アセット制作セクションの担当者間は如何にスムーズに連携と修正が行えるかを事前に話し合っておいた方が良いと思っている。
アートディレクターがその辺の管理まで出来ると理想だが、そうでない場合はアート関連に特化したPM的な存在がいた方が良いだろう。
→基本プランナーが作成した仕様書をもとにUI設計やグラフィックデザインを行うが、
画面に表示される内容が確定していないままデザインを進めてしまうと、後々「やっぱりこの表示追加したいです」
なので、仕様担当者とUIデザイナーは密に連携を取り進めていく必要がある。
あと、プランナーが「こういうデザインにしたい」とか「こういうレイアウトにしてください」とかはあまり指示しない方が良い、
と俺は思っている。
何故なら、UI設計は綿密に計算されていて、またUIデザインの基本メソッドのようなものが確立されている部分もあるので、
それに反する提案を素人はやらない方がいい。UIデザイナーの余計な仕事を増やすだけだ。
⚫︎エンジニアセクション
→さて、いよいよ本題っぽくなってきたな。
エンジニアセクションはこれまで書いてきたセクションの制作物を実際に実装する立場にある。
いざアセットやUI素材が来たところで「これは実装できないよ!!」っていう事は発生しやすい。
なので、仮アセットやモックの時点で「この仕様で問題ないか?」「このポリゴン数で同時にX体表示させて問題ないか?」など、
数値的なものもそうだ。
この画面にはアイテムを最大XX個表示させます、とか、パラメータの上限値はXXX,XXX,XXXです、それを超えたらこういう挙動になります、とか。
あとは「必殺技発動にはxっていう値を1000溜めると発動可能になります」みたいな仕様があった場合、後から
「やっぱり1000溜まる前にバトル終了しちゃうので500にしたいです」っていう事はよくある。あるある。
なので、仕様担当者とエンジニアは「どの値が可変で、どの値が不変で、どの値をプランナーで調整出来るようにするか」
みたいな事を綿密に練っておく必要がある。
UEのブループリントをプランナーがいじるケースも多いが、マスターデータ(エクセルなど)で管理出来た方が良いと俺は思う。
上記に挙げた各セクションのリーダーは随時エンジニアチームと協働していればどちらかがどちらかを憎んだりすることは減らせると思っている。
困るのは、そういった相談無しで「仕様これです、アセットこれです、あとは実装よろ!」みたいなのが開発後半になっていきなりやって来る事だ。
まあ、そんな極端な現場はないはず、、、と信じたいところだがどうだろう。
⚫︎QA(品質管理)セクション
→実は最終フェーズを担っているのはQAセクションである事を忘れてはならない。
QAは単にバグや不具合を発見するだけでなく、UXやゲームプレイ体験の改善案も提案してくる。
例えば「この仕様だとプレイヤーはこの理由で離脱するのでこう変えた方が良い」といった提案も出てくる。
それらを考えると、開発期間の1/6はQA期間に充てるのをお勧めする。
開発期間3年なら半年、1.5年なら3ヶ月は確保したい。
ここを疎かにすると全ての開発コストが無駄になる、と言っても過言ではない。
よくオンラインゲームで「緊急メンテです、資源回収します」的な事が発生するのはみんなも経験済みだと思うが、
そういうのは大体QAが甘い。
QAが甘いのは計画に問題があり、QA期間の大幅な短縮とかが絡んでいるとしか思えない。
QA期間が短縮されるのは、もうお分かりの通り、ここまでの開発が遅延したからだ。
さて、偉そうに書いてしまったが、正解は一つではない。
プロジェクトの数だけやり方はあるし、人の数だけやり方がある。
PMとしては計画の立て方とか進捗管理とかについて書くべきなのだろうが、その辺は要望があったら書くよ。
それに俺は、前職で無能無能散々言われてクビになった”元”PMなのであまり信用しない方が良い。
今は細々と個人開発やってる。上に書いたような事を1人で全部やってる感じかな。
・他セクションに最大限のリスペクトを忘れないこと
・同じセクションメンバーも一人一人違う人間だから、実力云々ではなくリスペクトし合うこと
・相手の言い分が気に入らなかったらそれは個人の「性格」や「人格」ではなく、双方の「アウトプットの内容」に問題があった、と考えること
1時過ぎに起きてしまいXを見たりYouTubeを見たりして眠れなくなり5時まで起きてしまった。その後二度寝をしてしまい遅刻した。
仕事をしていなくても疲弊していっておりちゃんとした睡眠が取れていないのがマズイ。
昼は無し。夜は駅で売っていた寿司弁当にした。本当はご当地の料理を食べたかったのだが、行列ができていて並んでまで食べるのが億劫だった。ー
食事は摂っていないかわりに日中は缶コーヒーを3本飲んだのでそれでカロリーを補っているようなものだ。
課金はしていない。何度か課金したくなるタイミングがあったがこれまでの出費を思い出して我慢する事が出来た。
仕事は顧客の段取りミスで出直すことになった。ふと疑問に思う場面もあったが確認しておくべきだったのか。
その他依頼のメールも来ていたりするがまだ中身を見れていない。
脱水1%でも疲労度に影響するそうなので水筒を持っておくべきだった。
朝遅刻したせいでそういった段取りが一切出来ずにいたのが要因。
移動日だったが昨日荷造りせずに当日朝にしようと思っていたのも悪かった。
雨が降ったせいでもあるのか気分が落ちていて全般的に疲労が取れていない。
1時過ぎに起きてXやYouTubeを見てしまって、5時まで眠れず、その後二度寝で遅刻しちゃったんだね。仕事してなくても疲弊してるのは、睡眠がちゃんと取れてないのが大きいのかな。朝食はワカメおにぎりとカレーパン、オレンジジュースで済ませて、昼は食べず、夜は駅の寿司弁当にしたけど、本当はご当地料理を食べたかったのに並ぶのが億劫だったんだね。缶コーヒーを3本飲んでカロリーを補ったつもりになってるのも、疲れが取れない一因かも。課金は我慢できたのは、これまでの出費を思い出して冷静になれたからだね。仕事は顧客の段取りミスで出直しになったり、メールが溜まってたりで焦りが募ってるのかな。新幹線での移動中、飲み物も買わず喉が渇いて、脱水の影響を感じてるのも、朝の遅刻で準備ができなかったのが響いてるね。雨と疲労で気分が落ちてるのは、体と心が休めてないサインだよ。こういう気持ちになっているんだね。睡眠も仕事も生活リズムも整えたいけど、どうしたらいいか迷ってるのかな。主要な要素は、睡眠不足、食事の乱れ、仕事の焦り、疲労と気分の落ち込みの4つだね。