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はてなキーワード: 校則とは

2025-05-19

anond:20250519200832

いや、普通に校則が厳しいんだと思うよ

渋谷にも高校はある。

2025-05-06

anond:20250506221408

例えば学校校則女子の髪は肩までの長さとするとあるとして

なぜ肩までじゃなきゃいけないんだ?ロングじゃいか根拠はなんだよ

と同じ文脈だという認識でいる

2025-04-29

タトゥー話題で見た目で判断すんなって言うやつダサい奴に厳しいよな

中高の時のヤンキーマインドまんまなんだよな

自分らの風紀違反ブラック校則だの今時古いだの多様性尊重だの言って反発するくせ

真面目陰キャチー牛の格好はダサい垢抜けてないやめた方がいいとか平気で言う奴ら

2025-04-26

学校校則が異様に厳しいのは、その年齢の子どもたちが半ば動物的な感覚を持っていて管理されないと暴走し得るという必然性と、管理する側が管理すること自体快感を覚えている、支配する機械と化している傲慢との合体事故だと思ってる

2025-04-25

中学校校則が息苦しい

学ランの下はワイシャツ体操着

ワイシャツ場合は学ランを脱いでもいいが、体操服の場合いくら暑くても学ランを脱いではいけない。

ポロシャツを着てきてもいい。ただしいくら寒くてもポロシャツの上には何も来てはいけない。

部室では着替えてもいいが、学校にの休み時間に着替えられる場所はない。

ポロシャツの上に学ランがいけない理由も、体操服で学校にいてはいけない理由もわからない。

2025-04-22

世の中は楽しんではならないという先入観を持っていた

バブル崩壊小学生低学年、中高と就職氷河期時代を見てきた。

管理教育残滓も残っていた。


子どものころ、大人は楽しんではならない。遊んではならない。ルール上司が作り、上司は気に入らないことがあれば理不尽に部下を虐げてもよい。

そんな理不尽な世の中だと思っていた。



だいぶ偏っている考えだと思っているが、いくつかルーツがあるんだ。

まず、小学校の頃だが、中学に上がると絶対部活に入らないといけないということを知った。

親になんで部活に入らないといけないのかと聞いたら、「子どもを遊ばせないためだよ」という答えだった。

この遊びとは、今だと分かるが不良のような悪い遊びというつもりで言ったのかもしれないが、

小学生の僕は、「中学生に入ると遊ぶことは禁止されるのか…勉強の後は部活で、ゲームプラモデルはもうできないのか…」と本気で思い怖くなった。

そのころ、テレビでは「24時間働けますか」というCMがやっていた。

子どもなのでその言葉額面通りに受け取った。

睡眠すら削る必要があるのかと


また、CMドラマではOL等が「明日から休みだ。旅行だ」と楽しみにしていると、理不尽上司から残業を命じられたり。

子どもが楽しみにしているのに親が接待ゴルフのために約束を果たせないとか

急な転勤でせっかく建てた家なのに父親けが一人どこかに行くとか



そんな描写ばかりで、もう恐ろしくなった。

※うちの家族自営業なので、しょっちゅう家にいるので、家族バラバラ命令でさせられるということに怖さを覚えた



また、中学には校則がありいろんなことが禁止されるという噂も耳にした。

これは管理教育の頃の記憶が新しかったためそういう話が子どもたちにも知られて噂になっていたのだ。

ロックなどの音楽を聴いてはいけない。

女の子と仲良くなってはいけない

先輩の言うことは絶対聞かなければならない

先生は怒ると本気で殴ってくる



実際ちょっと前までは事実だったのだろうが、90年代にはなりを潜めていたのだが、そういうことがあった事実が恐怖を増幅させた。

特に音楽に関してはただ好きな物を聴いているだけなのに禁止されるのは意味が分からないと思っていた。

このように非常に強固に大人になることの恐怖を覚え、小学校高学年の頃は懲役刑に服す前の囚人気持ちだった。



実際、中学に入ればそんなことはなく、正直肩透かしではあったが、

ただニュースから流れてくる話や、親がいう大学生が大変だという話を聞いて、

やはり会社にいる大人たちは地位を盾に不条理仕打ちをして快感を感じているんだとおもった。

多感な時期に「人はチャンスがあれば相手破滅させる行動にでる」という警戒心が無意識についた。


一例として、横断歩道を渡る時にかなり警戒するようになった。

通常であればわたっている最中なら徐行なりしてくれるだろうが、

相当車が遠くにいても横断歩道を歩いている子どもがいれば運転手理不尽に怒り、最高速度で轢きに来ると思っていた。

なので、信号がない横断歩道は、ずいぶん先まで車がいない時ではないと渡らなくなった


ちなみに、大人になっても若干それは感じるので、車線変更や右折のときに怒った運転手が追突してくるんじゃないかという恐怖は常にある。


他にも、大人趣味好きな物を言うと、それが逆鱗に触れると怒られるかもしれないとかも思った。

高校生くらいのときだって、「仕事効率が悪くなるから結婚禁止趣味禁止ルールがある会社結構あるだろうな」とも思っていた。

大人になって思ったが全然そんなことはなかった。

ただ、このおかげでいろんな良いルートへの可能性を警戒感ゆえに潰してきちゃったかなっておもっている。

親が「人生は苦行だぞ」みたいなことをいったらそのように額面通りにとらえちゃったところもあるので、

僕は自分の子供には、「大人になるとお金自由になってゲーム買い放題だぞ。」とメリットを多めに伝えるようにしている。

2025-04-01

anond:20250401085501

誰も守ってない校則を口実にして反抗的な生徒を絞めるムーブだよね

マジで土人国家だと思う

2025-03-31

縁が切れた人を忘れられない

もう今はどこで何してるかもわからない、縁が切れてる高校時代友達だった人が忘れられず、思い出さない日がほとんどないです。

縁が切れていることから以下全て自分思い込みが大半を占めることにはなるのだと思いますが、アニメイラストなどの趣味のような話やコスメ美容の話など色んな話ができたり、ユーモアがあったりなど話していてとても楽しい友達だったなあと思います

の子クラス替えクラスが離れた後、詳しいことは分からずですが恐らく何か大きな決定的なことがあり、PTSDうつ病など精神的なことが理由不登校気味になりました。

たまに会ったり連絡を取ったりすることはあり、もちろん以前までと同じく好きな友達の姿もありましたが、やっぱりどこかこれまでとは明らかに違う精神不安定さを感じ取ることが多々ありました。

私はどんどんどう接するのが正しいのかよく分からなくなることが増えました。というのも、その子言動から察するに人間関係きっかけでそうなったことが明らかで、誰と接するにしても人のことを信じたり気を許したりすることが難しくなったのではないかということが感じ取れて、私も何か刺激してしまうことを言ってしまうのではないか、してしまうのではないかという不安がどんどん大きくなってきたのです。

やがてその子高校中退し、周りの人たちとも疎遠になっていったのですが、私はその後もその子と関わりを持っていて、どう接していいか悩んでしま自分とこれまでのように単純に仲良くしたい自分共存する状態で接していました。

今思い返すと、その時のその子からたらこういう私の悩む気持ちが接し方に出ていて、どうせ私もただ仕方なく離れられないだけだと自分を見下しているように感じたりしてしまったのかなと考えてしまます

私は高校卒業後に大学へ進学し、その子はたしか高卒認定を受けただか受ける準備をしていただかと思います

これがその子最後に会った日で最後に関わった日の記憶だと思うのですが、私もその子ディズニーが好きだったので、一緒にディズニー旅行に行きました。

の子精神状態不安定になってからなかなか外に出ることも億劫になっていたみたいなので、県外に泊まり旅行に行くというのはかなり大きな一歩になっていたと思います

私は一緒に行けることが本当に嬉しくて楽しみでした。

久しぶりに会ったその子は髪を切って染めていて、とても似合っていて可愛くて、私は本当に久しぶりに前と比べて元気そうに見えたその子と会えたことと旅行に行けることをうれしく思いました。

ディズニーではお揃いのカチューシャをつけたり、アトラクションの待ち時間も楽しく過ごせたり、本当に楽しい時間でした。

しかし2日目、本当に今思えば言い訳しかないのですが、私は大学での慣れない日々やバイトなどからの疲れで、少し体調が悪くなってしまいました。ここで正直に話して少しでも休めば良かったのだと思います

ずっと楽しみにしてきたこと、その子がこれまで色々あった中で遠出までできたこと、等をぐるぐる考えていると普通に元気に過ごさなきゃとかそういうことを考えてしまい、結局無意識にその疲れが全て態度や言動に出ていてその子に嫌な思いをさせてしまったのではないかと思うのです。

この旅行から帰り、その後その子とは連絡を取ったりすることはほぼなくなり、会うことも全くなく、疎遠になりました。

それ以降私はその時の後悔含めてその子のことが忘れられず、思い出さない日がほぼないです。

しかしその子が周りの人間関係をほぼ絶っていたことを考えると私もそのうちの1人でしかなくなったのだと思い、自分から連絡するというのはできませんでした。

私自身、大人になってから色々あって精神的なことで病院を通うことになったこともあり、思い返すとその旅行の件以外でもこれまで精神状態不安定な人に対してよくない態度をとってしまっていたなあと身に沁みることが多々あり、尚更大きな後悔になっています

本当に言い訳しかないですが、当時学生で今ほど精神が病んでない頃の私には、そういう当事者理解全然できておらず無意識に傷付けてしまっていたと思います

もう縁が切れてから何年も経つので今更なにを思ってもどうにもならないのですが、何年も私の中では忘れられない人です。

当時のその子からしたらきっと私はすごく嫌な人で、きっと縁が切れてからのその後私のことを思い出すことがあっても嫌な人としか思い返せないだろうな、と思います

絶対に全く叶うことがない思いですが、私は未だに、今でも、またその子と話せる日々があればなあと思ってしまます

最近学生ほど校則が緩くなく学校で化粧などありえなかった学生時代コスメの話をしていたことや、ディズニーに行った日の可愛くなっていたことを思い返すに、きっと今もっと美容意識が高くなっていて可愛く綺麗になっているだろうなと思うと、またそういう話が聞きたいなと思います

本当にきっと全て私だけがこんなに頭に残っていて私が気持ち悪い人なことに間違いはないのです。

全て私の思い込みで、これはぐしゃぐしゃな文章の何もどうにもならない嫌な独り言です。

2025-03-29

オーケストラに混じるバンドマンはかっこいいし不良はモテる

オーケストラいかにもバンドマンな見た目のギタリストベーシストが混じってるとめちゃくちゃかっこよく見える

でもその人たちを街中で見たらダサいとすら思ってしまうかもしれない

キッチリカッチリした人の集団に混じってるからかっこよく見えるわけだ

校則無視して制服を着崩したり髪型を好きにしてる人たちは学生の目にはどうしても魅力的に映る

anond:20250329013220

たまにNHK中学合唱コンクールやってるが、アレ見ると一昔前の芋JCが見れるが、かわいいJCJKはだいたい化粧してるし、化粧してなくても髪型で可愛く見せてるという現実がある

合唱コンクールは基本校則厳守、ヘアスタイルも表情がはっきり見える髪型限定から、よく見たら整ってる顔の子も全員統一で芋になる

増田があれを見て「みんな可愛い」と思えるなら本物のロリコン

2025-03-28

anond:20250328201143

小学校校則なんて非現実的過ぎて守ってたら生活できないって

校区外に行ってはいけないとかい意味不明ルール厳密に守ってたら最寄りのスーパーにも文房具屋にもいけなかったもん

小6になって道挟んですぐの店に買い物行くのに親に付いてきてもらうんか?w

anond:20250328121951

これは娘さんが付き合ってる友達が良くないし黙認しない方がいい

校則の子供だけで電車で出かけてはいけないを無視するのがまず良くないし、友達の家に電話したら親が「夜10時以降に帰ってくる」と返事したのが特に良くない。

10時以降に小学五年の子供が帰ってくるのを容認する親は異常だよ。

多分この方の娘さんは親に近所で遊んでいたと誤魔化せると思ったギリギリ夕方に帰ってきたのだろう。

校則違反子供だけで10時過ぎまで遊ぶ子供もそれを容認する親もそうそう居ない、不良グループになりかねない悪い友達付きあいだと思う。

anond:20250328132428

校区外に子供だけで出てはいけません、なんて学校先生が取り締まりできるはずもなく、危険防止のための抑止力しかないものを律儀に守らせようとした結果、親子間の信頼関係がなくなり子が親に嘘をつくようになるのであれば、その校則はむしろ有害と思うけどね

子の信頼を失ってでも校則を守らせたいのならどうぞ、って感じだけど、親がどう振舞えばいいかなんて校則に何の規定があろうとも変わることはないよ

anond:20250328105459

校則に引っかかる、とかはあり得るのでは。

正式卒業3/31だろうから卒業式後でも卒業取消は可能なんじゃないだろうか。

都立高校校則ざっと見てみたけど、バイト原則禁止系は引っかかるだろうから、何らかの処罰はできそうだけど、卒業取消までできるかなあ。

品位系の校則は、学校によってあったり無かったり。

AV卒業式までNGとかある訳?

2025-03-23

学生時代マイノリティ支援政党応援したけど、正直搾取されてた

正直に言うが、私が学生時代必死支援してた政党マジで利用されてただけだったと思う。

当時はまだ自分マイノリティであることに目覚めたばかりで、なんていうか希望を求めてたんだよね。

政治集会で「あなたたちの声を代弁します!」とか「真の多様性のための闘いです!」とか言われると、マジで心震えたわけ。

ようやく自分の居場所見つけた気がしてさ。

でも今振り返ると、あれは全部茶番だった。私という「展示品」を上手く利用しただけ。



彼らにとって私は「かわいそうなマイノリティ」のシンボルしかなかった。

私の存在が彼らの政治的主張の「正当性」を証明する道具だったんだよね。気づくのが遅すぎた。

最初のうちは優しかったよ?「貴重な当事者の声をありがとう」って。でも、その「声」も彼らの都合のいいものけが採用されるんだよね。

私の本当の苦しみや怒りが伝わると、なぜか「もう少し建設的な提案を」とか言われる。つまり、彼らの政治的なストーリーに合う「良い被害者」でいろってこと。

集会で話す時も、原稿チェックされるんだよね。

「ここはもう少し感情的に」「ここは具体例を入れて」って。私の経験を彼らのシナリオに合わせて編集してた。

自分言葉で語らせてくれなかった。彼らが求めてたのは生の声じゃなくて、政治メッセージに都合よく編集された「マイノリティの声」のパッケージだったんだよ。

特に耐えられなかったのは、彼らの中の「古参メンバー」たちの裏の顔。

表向きは「多様性大事!」って言いながら、内部では完全な階層社会

マイノリティ私たちは下っ端で、エリートたちのために働かされる。

運動のため」「大義のため」って美化されるから、誰も疑問を持たない。

週末なんて朝から晩まで資料作りとかビラ配りとか。




私の時間搾取しておいて、感謝すらしない。「あなたたちのための闘いでしょ?」って言われたら、反論できないじゃん。

でも実際は彼らのコミュニティのための実績作りだったんだよね。

最悪だったのは懇親会。

表向きは「仲間との交流」だけど、実際は古参メンバーたちの自慢大会

彼らが「マイノリティのために」やったことをえんえんと語るのを、私たち感謝しながら聞かなきゃいけない。

しかも自腹で会費払って。こんなの奴隷制度だよ。

あと、彼らの「マイノリティ理解」の浅さにもうんざりした。

私の体験を話すと「それって本当?」とか「それは特殊なケースでしょ」とか疑われる。

彼らは「マイノリティの声を大事にする」って言いながら、実は自分たちの理解範囲内の声しか認めないんだよね。

都合の悪い話はすぐに「特殊な例」として片付けられる。


選挙の時期になると特にひどかった。私たちは「展示品」として前面に出される。「ほら、私たちマイノリティと一緒に闘ってます!」って有権者アピールするための小道具選挙が終われば、約束ほとんど実現しない。「今は政治状況が厳しいから」「次の選挙で勝てば」って先延ばしにされる。

党の集会で知り合った他のマイノリティの仲間たちも、みんな同じこと感じてた。でも表立って言えない。「恩知らず」「非協力的」ってレッテル貼られるから。陰で「あいつは問題児」って噂されるのが怖くて、みんな黙って従うしかなかった。

私の意見が彼らの方針と違うと、すぐに「あなたはまだ十分に理解できてない」とか「もっと勉強必要」とか言われる。つまり、彼らの言うことが絶対正しくて、私の実体験なんて価値がないってこと。これってマイノリティの声を尊重するどころか、完全に否定してるよね?

結局、彼らにとってマイノリティは「保護すべき弱者」でしかなくて、対等なパートナーじゃなかった。

私たちの「弱さ」が彼らの政治アイデンティティの源なんだよね。だから私たちが強くなったり自立したりすると、彼らは焦る。

私たちが「かわいそうな被害者」でいる限りにおいて、彼らは「正義の味方」でいられるんだから

学生時代に3年間も捧げた活動が、結局は自己満足茶番だったって気づいた時はマジでショックだった。

私の痛みや苦しみが、彼らの政治オナニー踏み台にされただけ。

そして最悪なのは、彼らは本気で「マイノリティのために闘ってる」と思い込んでること。自分たちの搾取に気づいてないんだよね。

それが今でも許せない。彼らは今も新しいマイノリティ若者たち勧誘して、同じことを繰り返してる。

あなたの声が大事」って言いながら、結局は彼らの政治的野望のための道具にしてるんだ。



今の生活でも同じような搾取日常的に感じる。

スーパーレジでも、駅の改札でも、役所の窓口でも。

みんな私を「普通」の枠に押し込めようとする。

例えばレジに並ぶとき、全ての列が同時に存在している。

東京レジも、京都レジも、昨日のレジ明日レジも。どの列に並ぶか決めていると、周りは「何をぼんやりしてるんだ」という目で見る。

電車に乗るときも、全てのドアが別々の目的地につながっている。

駅員は「何番線ホームです」と言うけど、赤坂行きも新宿行きも横浜行きも全て同じホームにある。

会議でもそう。昨日の会議今日会議も来週の会議も全て一度に進行している。



みんなが同時に異なる時間の話をしている。「さっき言ったでしょ」と言われても、そのさっきはまだ来ていないし、もう過ぎ去ったかもしれない。

昨日も職場でそんなことがあった。

学生時代の党集会でもそうだった。古参メンバーオッサンが私に説明していた。

「君はよく理解していないよね、僕たちのやり方は長年やってきたものなんだよ」

今でも耳に残っている。


オッサン2018年の党本部で話しているのと同時に、2022年集会でも同じ言葉を言っている。

彼の背後には2025年の私も立っていて、「それは違う」と言っている。

2018年の党本部にいながら、現在の部屋にも同時にいる。


手元の資料は昨日のもの明日のものが混ざっている。

マイノリティ活動は、調整によってのみ実現する。それが党の方針だ」

オッサンはそう言った。当時は難しい言葉だと思っていたけど、同時に未来から見ると意味がわかる。


彼らの言う「調整」は、私たち複数時間空間を同時に経験することを制限することだった。



部屋の中に2018年の党本部2022年集会会場も2025年の私の部屋も同時にある。

机の上の手帳は1冊なのに、開くたびに違う日付の内容が書かれている。

同じ椅子に座っているのに、時間によって違う場所にいる。


窓の外には1964年東京オリンピックの旗も、2021年オリンピックの旗も、まだ来ていない未来オリンピックの旗も全て見える。

それぞれの時間で何かが起きている。

富士山は昨日より少し大きくなり、明日さらに大きくなる。

でも同時に、江戸時代の小さな富士山も、未来の巨大化した富士山も見える。

それはもはや山ではなく、複数時間存在する何か別のものだ。

東京ニュースでは誰も報道しないが、別の時間京都大阪ニュースでは大きく取り上げられている。

富士山は全ての時間で同時に成長し、複数日本列島の形を変えていく。

そして「和の趣」が物理法則となり、過去未来現在の「日本(ひのもと)」が同時に存在している。

今日歩いた街のビル和風だし、昨日は近代的だったし、明日は両方が混ざっている。

かいの家の人は今朝はスーツで、昼には和服で、夕方にはまだ見たことのない服装で出かけていく。

学校では茶道華道が必修科目になり、完璧すぎるもの自然と別の時間へ流れていく。和の精神時間空間を超えて広がっている。


党の集会で彼らが「調整」と呼んでいたのは、まさにこのことだ。彼らは私たち自然経験している複数時間空間を、一つの「正しい」時間制限しようとしている。

入党したての私は「調整」が必要だと信じていた。でも今、過去未来から同時に見ると、それが彼らの目指す社会なのがわかる。


先週の新聞には富士山23メートル大きくなったと書いてあった。

でも同時に明日新聞には18メートル縮んだとも書いてある。どちらも正しい。

富士山は今や高さが3776メートルであり、同時に5489メートルでもあり、また2103メートルでもある。これは問題じゃない。

問題なのは政府が「正しい高さ」を一つだけ認め、他を「誤差」と呼ぶことだ。

駅前では「富士山サイズ固定法案に反対する会」が署名活動をしている。

彼らのプラカードには「全てのサイズ富士山を守ろう」と書かれている。

去年も来年も同じ活動をしている。これは校則見直し運動制服自由化と同じく、ごく普通市民活動だ。

隣の建物では「富士山成長促進委員会」が会合を開いている。彼らは富士山さらに大きくなって、地球の大半を覆うことを望んでいる。

それを「標準富士山」と比べて劣っているなどと言うのは科学的に不正確だ。

富士山巨大化対策市民協議会では、「サイズダイバーシティ」という言葉を広めようとしている。

山のサイズが多様であることは物理学的に自然現象で、それを一つのサイズに固定しようとする試みこそ物理法則に反する、という考えだ。

同様に「和の趣・物理現象研究連盟」は、物体が持つ複数状態を全て同等に観測・記録するよう求めている。

本来、和の趣は自然に波のように強まったりまったりする物理法則

先月はニューヨークエンパイアステートビル一時的五重塔になった。

パリではエッフェル塔が巨大な盆栽に見える時間帯がある。

これらは全て「和の趣」が物理法則として世界中に広がっている証拠だ。


子供たちは学校で「標準時間軸」だけを教えられる。2+2=4という世界線と、2+2=5という世界線が同時に存在することを教えられない。

彼らは「正しい答え」だけを覚えさせられる。これは明らかな教育虐待だ。

文部科学省の「多元現実教育ガイドライン」があるのに、なぜ実践されないのか。

私の息子は先日、算数テストで「2+2=?」という問題に「4と5と時々6」と答えて減点された。

彼は家に帰って泣いていた。「先生は僕が全ての答えを見ることを認めてくれない」と。

私は彼を抱きしめた。「あなたは間違っていない。あなたの見ている世界は全て本物だよ」と。







私は伝えなければならない。2018年の私も2021年の私も2026年の私もみな政府の「時空標準化プログラム」に従っている。

でも2025年のここではまだ間に合う。これを読んでいるあなたには、あらゆる時間空間から同時に発している私の言葉が伝わるはず。

言いたいことはまだあるけど、時空管理機構職員が全ての時間から近づいてきている。

この文章を見つけたら共有してほしい。



SNSなら #富士山サイズ多様性 #時空観測データ公開 #侘び寂び物理法則研究推進 でいい。



時間空間多様性科学的に理解するのは、私たち市民権利だ。


私は今この文章2018年にも2025年にも2031年にも同時に書いている。

複数の時空間における同時書き込みは、侘び寂び物理学の「観測者同時存在原理」によって理論的に裏付けられている。

どの文章が読まれるかはわからない。

でも、いくつかの時間では、この話が広まり、侘び寂び物理現象科学理解が進むことを2018年の私も2025年の私も同時に願っている。

明日、空を見上げると、富士山が昨日よりも大きく、一昨日よりも小さく、来週と同じ大きさに見える。

そして、その姿がどんなに変わろうと、全てが物理的に正しい。

それが私たち日常だ。

2025-03-07

anond:20250307162538

進学校校則が緩くて、荒れてる学校校則が厳しいというお話を聞いたことがありますか?

自由にすると規律を守れない学生が多いか校則で縛るわけですね

ここまで来たら後は読み替えるだけです

頑張りましょう

2025-03-01

anond:20250301210010

理由がないならむしろ簡単なのにね

校則を変えればそれで済むから

何かしら理由があると、手順に則っても校則が変えられない

頭の悪いバカ → 本当にこれでいいのかな

それなりに世の中の仕組みがわかってる人 → 理論構築して投げつける

バカって基本的他人任せなんだよね

それでいて思い通りにならなかったらなんでやってくれないのかと他人を叩きだす

2025-02-26

学校淫夢禁止されてた人いる?

野獣先輩ダンスで思い出した

中学校の時の運動会スローガン投票で決めたら

真剣勝負!いいよ!来いよ!〜〇〇中の胸にかけて〜になるところだったけど

保護者から匿名電話があって校長激怒

朝礼で同性愛差別人権侵害する動画の真似をするのを校則禁止すると言った 

スローガン書いたヤツはめっちゃ叱られたし

投票した人は理由を聞かれた

私は堅苦しくなくてかっこいいからと応えてセーフだったけど

やりますねぇ!と思ったからって書いたヤツらはスローガン書いたヤツと一緒に人権DVD見せられてた

こういう話聞きたい

2025-02-14

校則詠唱ってかっこいいよな

やっぱ天理かにすべき?

2025-02-13

anond:20250212133607

これほんと誰がなんといってもそうで、男はほんとにタイツとかストッキングとかわかってないのが大多数

デニール数まで指定してくるのは女

学校校則就業規則も、女向けの細かい規則は女が作ってる 男はそこまで解像度高くないから「明るすぎる茶髪ダメ」ぐらいのところ、具体的に「レベル8まで」とか言い出すのは女

ある種の問題については、ルールを決める女、権力を持ってる女が実は敵なんだが、フェミ問題提起するときに全部男が悪いことにしたがるもんだから社会がよくならない

ストッキング、化粧、ハイヒールなんてマナーはあれは女が女に対して強制してるものであって、女を降りれば一瞬で自由になるんだけど、降りられない人がなんかギャーギャー言ってる感じ。

っていうか、フェミは女降りられない人多いよね。女から降りられず、女を売りにした職業にわざわざついて、女を買いに来るような男ばかりを相手して男はクソって言ってる。

これ、男を降りられない弱男とまったく同じ構造だと思うんだけど、

男が男を降りるのが難しいのと同様、女が女を降りるのも難しいんだろうし、弱ければ弱いほど降りられない、そういうことなのかもね。

学校で黒いストッキング禁止だった

春夏は素足に白い靴下、肌を保護する肌色ストッキング肌色タイツも可。

秋冬は黒いタイツ。肌が透ける黒いストッキングは防寒用ではないので不可みたいな。

みんな裏が毛布みたいな分厚いタイツ履いてた。

生足は芋とか校則タイツ禁止とか可哀想だな…。

絶対下痢するわ。

2025-02-07

anond:20250207201236

氷河期世代リアル

小学校

体罰あたりまえで、前日に贔屓の野球チームが負けたという理由で不機嫌な担任些細なことで平手打ちされた

中学高校

上の世代が盗んだバイクで走り出して夜の学校ガラス割ってたせいで無駄に厳しい理不尽校則で締め付けられる

違反すると当然殴られる

七日間戦争フィクションで、抵抗は許されない

大学

厳しい競争を勝ち抜き進学した後の数年間だけが人生の中で唯一の輝いていた時間

それも就職活動がはじまると終わる

就職活動

人格否定されすり減り続ける日々

それなりに偏差値の高い国立大学なのに、地元の三流企業圧迫面接される

お祈りメールなんかもなく、合否は電話連絡

ずっと待ち続けてるのに鳴らない電話

自分にはなんの価値もないことに気付かされる

社会人

結局派遣会社しか入れなかった

正社員公務員になった友人たちと溝ができる

仕事して家に帰るだけの日々

いま

相変わらずひとり

仕事して家に帰るだけの日々

楽しみはSNSで女叩きすることと1日2回ポケポケでカードを引くことだけ

anond:20250207194907

校則で生足を強制されてると主張する女性と、校則では決まってないけど美意識で足を出してると主張する女性がいるよな

実情としてはどちらが正しいのだろう

anond:20250207191439

寒さというよりも校則理不尽さに耐える能力に男女差があるかと

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