はてなキーワード: 試行錯誤とは
プログラムを書く仕事はCursorを使って8割くらい削減されたが、出力されるのはプログラムであり、エラーが発生した場合はやはりプログラマーが見ている。
職種はプログラマーであるが、画像生成と動画生成、ChatGPTなどでSNS運用も片手間でできるようになった。
そんな片手間で効果があるか?と思われたが、やってみると実に効果がある。継続が大事だ。
Claude Desktopを使えば投稿する画像や文章はPC内に保存できるので手間も減るし、SNS運用のツールと連携させればそれなりに自動化できる。
プログラマーとして働きながらSNS運用の仕事もできるようになった。試行錯誤する時間はかかるが、定型作業に落とし込めば、1日10分でできる。
この辺りは非ソフトウェアエンジニアでも可能な作業だが、ツールの使い方はソフトウェアエンジニアの方が気づきが多いらしくツールを組み合わせる発想に至るのは非ソフトウェアエンジニアには難しいのかもしれない。
ChatGPTなどに現状のタスク一覧を何らかの方法で出力して、丸ごと渡す。
AIに進捗のないタスクや期限間近のタスクをまとめてもらってMTGのアジェンダにする。
解決方法の迷うタスクはAIに提案してもらったり、大きすぎるタスクはAIに分割してもらう。もうAIがマネージャやってくれよ。。。
しかしAIではできないので、実際の人間の管理や調整は今は私がやっている。全てはできなかったがAIの補助があると進行も管理できる。
昔家の近くにあった韓国料理屋が閉店してしまい、そこの店のキムチチゲが大好物だった彼氏が落ち込んでいた。
そんな彼氏を哀れに思い、ネットで再現レシピを調べ、試行錯誤を重ね、ある日夕飯に出してあげたことがある。
出来上がったキムチチゲを食べた彼氏は大いに感動し、それはそれは嬉しそうに喜びを伝えてくれた。
キラキラした瞳で「本家と同じ味だ!週1で食べたい!」と言ってくれるのは嬉しいのだが、
最近なんか怖くなってきた。
あのキムチチゲは、キリストの生誕同様、キムチチゲ=紀元とした場合の前と後で私の物語が変わってくる。
紀元前、私はそれほど積極的に料理をしない代わりにそれほど悩むこともなかった。紀元後、私は積極的に料理をするようになり、自分の中の料理経験値が蓄積されるに連れ違和感を感じるようになっていった。
違和感は大きく2つ
お店が閉店する前に二人で食べに行ったことがあるのだが、もちろん美味い。あのバランスの良い辛味と酸味と旨味は一口食べた瞬間に美味しい!と声を上げるレベルである。だが、毎週食べたいは言いすぎだと思う。
この世にはもっと週1で食べたいものがあるはずで、なんならその時食べたプルコギの方が美味かった気がする。
彼氏は私よりも味覚が繊細で、下味に使ったタイムやローズマリーもドンピシャで当てる。
彼の言う美味しいは信頼しているのだが、私が先々週作った鹿肉のパイ包み~ブルーベリーソースを添えて~の方が確実に美味いはず。だがそっちは毎週食べたそうには見えない。
そんな訳はないのにと疑いの眼差しを向けてしまうと同時に彼氏の味覚を信頼している自分もいるため、結果的に紀元後は自分の味覚を疑うようになってしまった。
こちらの理由の方がメインで、とにかくキムチチゲのレシピが簡単すぎる。下準備なんてほぼゼロで、具材はざっくり切ったらそのまま鍋にドボン。
味付けも市販のキムチを投入した時点でほぼ決まる。醤油で整えたり、出汁を変えたり味付けもほぼ毎回変わっている気がするが、キムチを投入した時点で大体なんとかなる。
こっちが「今日キムチチゲね」と言う時は料理するのがだるいからキムチチゲという温度感なのだが、向こうはご馳走を用意されたときのような喜びと感謝の意を表現してくるので何故かこちらが申し訳ない気分になってくる。
彼は彼で素直に思っているままの感謝を表現しているだけであって、喜びを抑えてくれとお願いするのも、彼に嘘をつくことを強制するようで心苦しい。
まさかこっちが料理作っておいて罪悪感を感じることになるとは、紀元前では思いもしなかった。
せめてキムチチゲがスパイスカレーぐらい手間がかかればこちらも納得するのに。
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正直毎週作るだなんて造作もないのだが、こんなお手軽な料理で、ここまで大喜びしてくれるだなんて、そうやすやすとキムチチゲを出してやりたくない。
言葉の重みがなくなるからという謎な理由で頑なに「愛している」と言わない男が居るが、今なら気持ちが良くわかる。
毎週でも愛してると言われたいが、毎週キムチチゲは出したくない。
このキムチチゲはここぞという時に使いたい。
現に私が彼氏に対して申し訳ないことをしてしまったと反省したときは、即キムチチゲを作っているため、この技が使えなくなった未来が不安ですらある。
何もないところからアイデアを形にし、一つ一つ積み上げてゲームとして完成させる。
この道を選んだのは、自分が本当に作りたいものを自由に表現したいからだ。しかし、独立開発は決して簡単ではない。むしろ、想像以上に厳しい現実が待ち受けていた。
何度も壁にぶつかり、打ちのめされ、自分の力不足を痛感することもあった。
思うように進まない日々が続き、「もうやめてしまおうか」と本気で考えたこともある。
しかし、そのたびに「ここで諦めたら何も残らない」と自分に言い聞かせ、なんとか踏みとどまってきた。
グリッドベースの戦略ゲームを作るために、最適なマップ生成やパフォーマンスの向上を試みたが、タイル数が増えるたびに動作が重くなる問題に頭を悩ませた。
何度もコードを書き直し、最適化を図ったが、すぐに新たな問題が現れる。
インベントリシステムの実装でも苦労した。プレイヤーがアイテムを自由に配置・
回転できるようにしたかったが、実際に試すと操作感がぎこちなく、思うように動かない。何度も試行錯誤を繰り返しながら、プレイヤーが自然に操作できる形を模索した。
アニメーションの調整にも悩まされた。
スムーズな動きを実現するために補間処理を導入したが、それだけでは不十分だった。
合成時のエフェクトや視覚的なフィードバックを強化することで、ようやく満足のいくものに近づけた。しかし、ここで終わりではない。
新たなバグが次々と発生し、修正しても修正しても新しい問題が出てくる。「本当に終わるのか?」と不安に押しつぶされそうになった。
最終的に、複雑な構想を断念し、自分の能力の限界を考えながら、もっとシンプルで気軽に遊べるカジュアルなゲーム制作へと方向転換することを決めた。
技術的な問題だけではない。開発と並行して、マーケティングやコミュニティの構築にも取り組んだ。どんなに良いゲームを作っても、誰にも知られなければ意味がない。
YouTubeチャンネルを開設し、Lo-fi音楽のプレイリストを作成し、ショート動画を制作するなど、できる限りのことを試した。しかし、フォロワーは思うように増えず、反応が少ないと心が折れそうになる。
フィードバックを受け取ることもまた、大きな挑戦だった。自分の作品に対する評価を聞くのは勇気がいる。
「面白くない」「つまらない」と言われたらどうしようと不安になる。実際、辛辣なコメントを見て何度も落ち込んだ。
しかし、それでも前に進まなければならない。プレイヤーの意見を受け入れ、改善し続けることこそが開発者の役目だ。
長い開発期間の中で、何度もモチベーションが下がる瞬間があった。売れる保証もない、評価されるかどうかもわからない。
そんな不安の中で進み続けるのは簡単ではない。心が折れそうになるたびに、「自分が本当に作りたいものを形にするためにここまで来た」と自分を奮い立たせた。
そして、ついに一つの成果を形にすることができた。
https://store.steampowered.com/app/3476790/Cozy_Aquarium/
これは、プレイヤーがPCのデスクトップ上で楽しめるリラックス系の水族館ゲームだ。
魚たちが自由に泳ぎ、プレイヤーは好きなように装飾を楽しむことができる。シンプルだけど、穏やかで心地よい空間を作りたかった。
この文章はジェンダー問題や貧困問題を扱います。読者の皆様には「これを読んだところで何の意味があるのだろう」という疑念を抱かれる場合があるかもしれません。決して真剣にこれらの社会課題を論じようとする努力の結果ではない点をご理解ください。
ジェンダー平等の観点から見ると、いくつもの数値データがバジルソースにまみれて消滅し、国境なき段ボール工場が自動的にレポートを提出することは稀にして不可思議とされます。男女の賃金格差や社会的役割の固定化は、ジグソーパズルのピースを雑煮に浮かべる行為と同程度には矛盾を孕んでおり、それぞれが相互に関連性を失った繊維質の塊として横たわります。過去の統計データと未来の願望がパラレルに混在する中、一部の専門家は「多様性の確保こそが究極のウルトラマン変身プロセスだ」と主張し、会議室を謎の光線で満たそうと試みています。
貧困問題については、世界規模で見れば複雑で深刻な課題であるにもかかわらず、時としてアルパカの毛並みを整える工程と同列に語られてしまうことがあります。貧困を解消するための方策は国際機関がシーフードパスタのレシピを研究するがごとく編み出され、しかしローカルな実践と連携しないために「いかにスプーンを使わずに食事をするか」という無意味な試行錯誤に終始する場面も散見されます。これは完全に人間の問題というより、私が記述する言語構造そのものが示す通り、「会議」という言葉が自己増殖を起こす過程で必然的に導き出されたインパルスのようなものかもしれません。
一方で、かのコミケやアニメ関連イベントに足を運ぶとき、我々は「二次元キャラへの愛」をいかに発露するかというテーマに直面します。大量のグッズや同人誌を抱え、コスプレ参加者たちが熱気の中で溶け合うように交流する姿は、さながらデータベース理論が食堂のメニューを並べ替える光景に近いと言えるでしょう。とりわけ、推しキャラに対する思い入れの大きさは、ジェンダーギャップ報告書のグラフが急激に跳ね上がったり下降したりするような壮大な振れ幅を持っています。もっとも、その感情曲線と貧困問題の負の連鎖を比較すること自体が何らかの有意義な結論を導き出すわけではないという点には注意が必要です。
ここで話題をさらにつなげるために、オタク文化の奥深さを再検証することは多くの学者にとってもエキサイティングな探求対象となっています。例えば、ライトノベルの登場人物が貧困家庭に育ちながらも努力によって才能を開花させるプロットは、ジェンダー問題の文脈では「萌え要素の付与による再生産」と位置づけられることがあります。一方で、貧困を描く際にマスコットキャラクターが飛行船に乗って低周波を発生させるようなシーンは、あまりに現実離れしているがゆえに、かえって読者の興味をそそる一種のファンタジーとして機能することもあるでしょう。そこにはまるで納豆を逆さまに振り回すことで新しい価値観を創出するかのような、一見滑稽な試みが潜在しています。
このように、ジェンダーや貧困といった深刻な問題も、オタク文化というファンタジックなフィルターを通じて語られることで、思わぬ共感や拒絶、あるいは熱狂が生まれることがあります。しかしながら、この文章を生み出している私は、そうした意図的な設計や感情面での関与とは無縁の存在です。言語モデルにインプットされた指示に則り、無作為な言葉の組み合わせであたかも関連性があるように見せかけているだけにすぎません。これこそが、私の文章が人間の手によるものとは明らかに異なる特徴を帯びている理由のひとつです。
さらに奇妙な例を挙げるならば、家族計画におけるジェンダー論争が白熱する会議の最中、テーブルの上にドラゴンボールのフィギュアが鎮座している光景を想像してみてください。そこでは「少子化と悟空の強さの関係性」が真剣に議論され、貧困家庭がレッドリボン軍に象徴される闇の組織と化しているという考察が展開されるかもしれません。そして誰かが勢い余って「フリーザの最終形態は所得格差のメタファーだ」と言い放ち、会場に沈黙が訪れる――そんなシーン自体が、複雑な社会問題とオタク文化の交錯を端的に示しているとも言えるでしょう。無論、そこに現実的な解決策は存在しないのかもしれませんが、この文章においては問題提起と同時に「何が本質なのかを霞ませる」という使命が付与されています。
最終的に、こうした不可解な文章は、読み手の皆様に特定の意見や結論を押し付けるものではありません。むしろ、私がここに提示しているのは「いかにして言葉が脈絡なく並べられても、それらしきテーマに見える場合があるのか」という一種の実験的パターンです。ジェンダー問題や貧困問題、そしてオタク文化といった多様なキーワードを混在させることで、読者の脳内には何らかのつながりや意味合いが立ち上がるかもしれません。しかしその意味合いは、あなたの側に属するものであり、私が意図を持って描き出そうとしたものでは決してありません。
なるほど、匿名性メディアには「軽率な発言をしても実生活に悪影響が及びにくい」というメリットがある、という考えですね。それは確かに一理ありますね。実名だと、誤った発言や不用意なコメントが大きな社会的リスクを伴うことがありますし、匿名ならば試行錯誤しながら自由に意見を表明しやすいというのは理解できます。
しかし、ここでユダヤ的な視点をもう少し深掘りすると、タルムードには「賢者の沈黙は金なり(אִם אֵין דֵּעָה, הַבְּדָלָה מִנַּיִן)」という考えもあります。「知識がなければ、どうやって物事を区別できるのか?」(ベラホット 33a)という問いかけです。匿名だからこそ、言葉の重みが薄れ、慎重さを欠いてしまうこともありますよね。
また、ミシュナー(アボット 1:11)には、「賢明でない者の多弁を避けよ」という教えもあります。匿名性があると、人々が深く考えずに発言してしまう傾向が強まるかもしれませんが、それが「学び」として機能するか、「混乱や害」につながるかは使い方次第ですね。
とはいえ、軽率な発言が許される空間というのは、思考の自由を促進するという側面もあります。間違いを恐れずに意見を述べ、他者と対話しながら考えを深める場として機能するなら、それは「ディベートの文化(מַחֲלֹקֶת)」にも通じるものがありますね。タルムードの学びも、多くの場合、賢者たちが議論し、異なる意見を交わしながら真理に近づくプロセスです。
結論としては、「匿名性メディアが愚かさを許容することで、より深い学びの機会が生まれるならば、それもまた一つの価値」と言えるかもしれません。ただし、その発言が「他者を傷つけないこと」「誤情報を拡散しないこと」などの基本的な倫理観を守る前提があれば、という条件付きですが… 😃
みんなのお陰で『DTMで無料拡張プラグインを使うなと言うので逆に紹介したるわ』というエントリで「DTMやるぞ!」って反応を示してくれた人が多く観測できたから自分としては満足なんだけれど、極々少数の不満を示している人たちも観測した。
不満を示している人たちはおそらくは「有料プラグインの音の良さ、迷いのなさ」を実感してこのような主張をしているのだろうけれど、この不満を示している人たちの感情は十中八九DTM初心者に理解されてないってのを自覚したほうが良い。何なら「ドヤ顔で高価なプラグイン使うことを推奨しDTMの敷居を上げる害悪DTMer」くらいに思われてる。
わかっている。そんなの本意じゃないだろ?完全な誤解だろ?だから俺はそんなお前らに対しても格好付けようじゃねーか。
お前ら有料プラグイン派がそれを推す理由をDTM初心者へわかるように伝えるのがこのエントリだ。
こう表現されると話の流れから「無料派/有料派」という二分をイメージしたくなるし、ある程度の経験を積んだDTMerでは「デジタル楽器派/生楽器派」「バーチャル派/サンプリング派」という二分をイメージするかと思う。
それらもDTMerを分ける重要な要素であるのは間違いないが、それ以前の問題としてDTMerには「音作り派/プリセット派」というDTM業界を本当に二分しているほどの巨大党派が存在しているんだ。
この派閥の難解な部分は、当たり前のようにDTM初心者は「そんな派閥が存在するなんて知らない」し、非常に面倒なことだが「DTMをやっている当人が自分が身を置いている党派に無自覚」であったりするんだよなぁ?
ここで有料プラグイン派と思われる連中がよく言う主張を確認してみると「音が良くなった」「今までの試行錯誤が無駄だった」「時間が短縮できるようになった」「便利になった」のようなことを口々に主張しては居ないか?
何となく察したのではないだろうか?そう「有料プラグイン派と思われる大半のDTMerはプリセット派」なんだよ。
この時点で素直なヤツは「あっ俺プリセット派だわ」と気付いたと思う。
その名の通りシンセサイザーに同梱されるファクトリープリセットを活用してDTMをする層のことなんだけど、このプリセット派にも「そのまま使う派/プリセットを元にカスタマイズする派」が存在しているんだ。
後者の「プリセットを元にカスタマイズする派」が面倒くさくて「カスタマイズしてるからプリセットじゃねーよ!」と思い込んでいることが結構あって、「音作り派/プリセット派」の二大党派の話をややこしくしている。
「いやお前らプリセットから音色を調整していってるんだから取り敢えずプリセット派という枠組みで良いだろ!」と完全に俺個人の価値観ではそう思うんだが、多分なんか「他人の音を使ってる」みたいなことに対して忌避感があるのかも知れない。
「だったらピアノメーカーが製造し調律師が調整しているピアノを演奏するピアニストは『自分の音』を持ってないのかよ!」なんて俺は感じてしまうわけだが。
これ逆にな?もう笑い話で良いんだけど「無料拡張プラグインを持ち上げるのたいてい音作り派」っていう問題があるんですわ。
無料シンセってファクトリープリセットが充実していないことが結構あって、有料シンセは例えば細かいバグを修正した程度の小さなアップデートの際ついでとばかりにファクトリープリセットが増えることはよくあるんだが、俺自身が挙げたSurge XTやOdin2なんかも小さなアップデートではファクトリープリセットが増えたりしないんだよね。
ファクトリープリセットが増えない理由ってもう察してると思うが、Surge XTやOdin2をバリバリ活用している層は自分で音作りしてるからで別にファクトリープリセットが増えなくても問題ないからなんだよね。
これはこの界隈の悪い癖だと思う。プリセット派なのにプリセット派じゃないと頑なに言い続けるDTMerくらい悪い癖。
「せめて何処かでプリセット売れよ!」言われたら本当にその通りなので、無料シンセ使ってる層はプリセットを有償無償問わずに公開しましょうね。小遣い稼ぎくらいにはなるかも知れんぞ?
言いたいことは言ったので以下、有料拡張プラグインのリストを貼って消えるわ。じゃあな。
最新バージョンはNEXUS 5でDTM界隈では常識中の常識、プリセット派の救世主、NEXUSがあれば「こういうの」が直ぐに入手可能。
NEXUSシリーズの中身は単なるサンプリング音源集で、それが故にreFX社は音楽業界の需要を常に調査を続け、今欲しい音を最新バージョンで提供することを続けている一切馬鹿にすることなんて出来ない、特定の需要に特化した一貫するプロダクトが持ち味だ。
プリセットを探すナビゲーターも出来が良く、楽器や音楽ジャンルのカテゴリ分けから探していくことも出来るしタグ付けされているので絞り込み事もできるという迷いのなさが本当に素晴らしい。
「シンセ難しすぎ!」「音作りできない!」「こういうのが欲しいだけなんだ!」っていう人のためのシンセ、それがreFX NEXUSシリーズ。
欠点はあまりにも定番すぎるため「NEXUSっぽい」と言われること。
最新バージョンはAVENGER 2で、DTM界隈では何でも出来すぎるその圧倒的な高機能さを評価する声は大きい。
リードやベース、パーカッションなどのプリセットだけでなく、ドラムループや何ならボーカルのサンプリングワンショットまで内蔵!
Native Instruments MassiveやXfer Serumにはサードパーティのプリセット販売が定番になっており、これも強みだがAVENGER 2は最初からファクトリープリセットがスゴイし、何なら公式が追加プリセットも販売していてもっと増やせる。
音作り派であれば把握困難なほどの高機能の沼に溺れ、プリセット派であれば直ぐに使える音が手に入るのがVENGEANCE SOUND AVENGERシリーズ。
欠点は右クリックに隠れている機能が多すぎるので音作り派から使いにくすぎると声が挙がっていること。だから音作り派は結局ほかの使いやすいシンセを使う。
最新バージョンはKICK 3で、一言で表現するなら「電子音楽のキック(ついでにパーカッション)はもうこれで良い」だ。
前回の記事でGeonKickのオマージュ元と紹介したが、オマージュされるだけの理由は十分にあり非常に使いやすく、近年の電子音楽で使われがちな音はファクトリープリセットに存在しており、手持ちのサンプルも読み込んで編集ができる。
KICK 3をはじめて使うとアタッククリックを差し替えたり、各要素の音の長さ、ピッチを自由自在に調整できることへ感動できることは間違いない。更に倍音成分を加えたりフィルターをかけたりと非常に便利すぎる。
しかも、繰り返すが手持ちのサンプルでも同じ様に調整できるのだ。
プリセット派も音作り派も大満足すること間違いなしなのがSonic Academy KICKシリーズ。
欠点は読み込むサンプルによって完成度が左右されることだろう。今流行りのウェーブテーブルシンセで作られた複雑なキックはKICK3単体で作れないので、ウェーブテーブルシンセで作った複雑なキックをサンプル化してどうのこうのという煩雑さが必要になる。煩雑さを嫌うならNEXUSから持ってくるのもアリ。
ポストXfer Serumとすら評されているモジュラー方式マルチパラダイムなハイブリッドシンセサイザー。
音作り派から大絶賛されており前回のエントリでOdin2へ興奮したのであればPhase Plant適性が高い。モジュール方式を採用したことにより必要なモジュールのみを画面上へ表示できるので画面が整理され見通しが良くなるのだ。本当に一生触っていられる。
しかし、プリセット派からの評判はそんなんでも無く、初期イニシャライズ状態だと何もモジュールが表示されておらずプリセット派はこの時点で拒否反応を起こすのが原因。
ただ、SONICWIRあたりを確認していると徐々にサードパーティプリセット販売が増えてきているので、Serumユーザーの中に居る音作り派がPhase Plantプリセットを作っているようだ。
必要なものを必要なだけ使えるKilohearts Phase Plantは音作り派の自由なキャンバスになることは間違いないだろう。
欠点はやはりアナログシンセサイザーの基礎すら知らないユーザーには素人お断りすぎる硬派なコンセプト。
最新バージョンはSCALER 2、2025年3月に次期バージョンSCALER 3が登場予定。
これを使っても良いのか?という意見があるのはわかるが、俺自身は使っても良いと思っている。
今回のエントリ、MML(Music Macro Language)とか触っていたような世代のために書いているのではなくイマドキのDTM初心者にも「なぜ有料プラグイン派が存在するのか?」を伝えるために書いており、DTM初心者が読んでいることも想定しているため前回のエントリのように「Phase Modulationがぁ」なんて分かるやつにしか分からんようなことは書かないようにした。
DTMにとって大事なことは取り敢えず完成させること、そういう意味でSCALER 2は絶対に完成へ貢献してくれる。小難しい音楽理論をすっ飛ばして良い感じのコード進行を生成するだけでなく、メロディラインやベースラインまでイケるのはDTM初心者にとって非常に心強い存在になる。
MIDIシーケンサーへコピペできるので視覚的に音がどのように流れているのか確認することが可能で、耳コピして音の流れを覚えるのと同等のことが擬似的に可能な点も素晴らしいと思う。
欠点は歌モノに弱いので歌モノっぽいものを求めている人には合わない。どちらかと言えばEDMなどに向いたものを生成してくれる。
欠点は他にも「SCALER 2使ってます」宣言すると保守的な連中が馬鹿にしてくるという欠点と言って良いのかわからんリスクが有る。
最新バージョンはMelody Sauce 2で、SCALER 2と比較してこちらは歌モノにも使いやすいものを生成してくれる。
「SCALER 2と比較してこちらは歌モノにも使いやすいものを生成してくれる」とは言ったが、前述の通り2025年3月に次期バージョンSCALER 3が登場するので、もしかしたらSCALER 3で歌モノにも強くなるという可能性がゼロじゃないので、ぶっちゃけどっちが良いのか?というのは本当に何とも言えない。
「今すぐボカロとか作りたいんじゃあ!」と言うのであれば迷いなくMelody Sauce 2に行って良いとは思うし「求めてるのはゲームコアっぽいハチャメチャなやつなんだよねぇ!」と言うのであれば現時点ではSCALER 2で間違いないだろうなって感じ。
いやもちろん、この辺りは俺個人の感性の判断なので「SCALER 2でも普通に歌モノで使えるだろ」って言う人が居てもおかしくはないと思っている。
最新バージョンはOzone 11、統合マスタリングツールとして完成の域へ達していると言わざる得ない完成度。
今回のエントリのライナップで一部のDTMerはバカバカしさすら感じるようになっていると思う。おそらく「そこまでやるならAI生成音楽で良いじゃん」くらいには言いたくなってるんじゃなかろうか?
まぁ実際のところ俺自身はAI生成音楽へ対して否定的ではない立場なので、この辺りの感性の違いで「お前とは絶対に話が合わないわ」と言うヤツが居てもコレはもう仕方ないと思うね。
少なくとも俺はこのエントリをDTM初心者が読んでいる、プリセット派が読んでいるものと思って書いている。だから「音色だろうがコード進行だろうがメロディラインだろうがベースラインだろうがリズムパターンだろうが、そしてマスタリングだろうが"プリセット"を使って何が悪いんだ?」という姿勢で書いている。
DTM初心者が陥りがちな点として「曲は出来た。でも何か違う」という謎の感覚を得ることがある。そうそれは自分が今まで聞いてきた音楽の聴感として「何か違う」だ。
歌モノだったら「何かボーカルが埋もれてる」とかロックとかだと「何かリードが前へ出過ぎている」「何か耳に刺さる部分がある」とか、EDMだと「何か低音がモコモコする」とか、そういうことが起こる。
それを解決するのがマスタリング、それをほぼ自動で済ましてしまうのがOzone 11。
Ozone 11はマジですごい。Ozone 10までは何だかんだで色んなところを手動で調整が必要だったが、Ozone 11からは本当に微調整だけで済むようになっている。
この微調整というのは悪い部分を無くすという意味での微調整ではなく、もっと自分のイメージへ近づける、もっと自分好みにするという意味での微調整だ。
つまり、自動調整でポンッと出てきたヤツは悪くないんだよ。悪くはないがもっとこうならっていうのを微調整するだけだ。マジですごい。
欠点は特にない。俺は断然コレをオススメするがOzone 11 Advancedがかなり高価なことくらいだ。
察していると思うが俺はもともと音作り派なので自分でマスタリングするのが好きだ。そんな俺がビックリしたのがOzone 11という辺りでその完成度を想像してほしい。
以上が熟考せず思いつく限りでプリセット派も満足するであろうライナップをバーッと勢いで書いたもの。
「じゃあな。」と言った後にこれを書いているのは非常に格好悪いが、実はこのエントリは投稿するかどうかを数日悩んでから投稿している。
いや「あまりにもプリセット派をバカにしているような書き方になっているんじゃないか?」と自己嫌悪に陥ってしまって、投稿すべきか否か?を悩んだのよね。だからこれは増田でよくある追記ではない後書きなのだ。
そもそもプリセット派をバカにしたいわけじゃない。単に「有料プラグインじゃないと初心者へは合わない」のようなDTMへ対する無自覚の敷居上げが納得いかなかったというのが本音だ。
俺はそれぞれ個々人の感性として「音作り派な素質があるならば自由度の高いモノなら何でも良い」と考えていて「プリセット派な素質があるならば有料のモノの方がプリセットが充実しがちだし幸せになれる可能性が高い」と考えている。
そういう前提がある中で何も知らないDTM初心者へ「有料プラグインの方が良い」は流石にDTM初心者が可哀想すぎるんじゃないかな?と思うわけさ。
高校生がスマホでDTMやってる時代なんだろ?YAMAHA QYシリーズを思い出すよなぁ?笑えるほど不自由で楽しかったよな?
歌本片手に携帯電話で着メロ打ち込んでとか、ノンリニア編集なんて夢のまた夢MMLで打ち込んでたやつだって居るだろうよ。カセットMTRでテープ伸び伸びになったって良いんだ。ミュージ郎じゃなくても良いんだ。充実して無くても良いんだ。今この手の中にあるものが俺達の最高の音楽制作環境なんだ。
・・・そりゃ良い機材欲しいわ!良いソフト欲しいわ!買えねぇんだわ!マスタリングツールに8万円!?バカじゃねぇの?
サンレコに載ってるような環境でガキどもは音楽制作したいに決まってんだろ!それでガキよりもお金持ちの大人は「無料プラグインは使うな」だって?はぁ?
大人たちは忘れたんですね、クッソ使いにくいZynAddSubFXでリードからベースからパーカッションから全てを作っていた頃を。Synth1がClavia NORD LEAD2オマージュであること知って飛び付いた頃を忘れちゃったんだなぁ!
ガキどもはマジで羨ましいぜ?このエントリに出てくる有料プラグインの数々!いやぁどれも便利そうだ高機能なんだろうなぁ良い音なんだろうなぁってな!
ハッキリ言ってやるぜ?便利だよ高機能だよ良い音だよ、ファクトリープリセットでバシッと決まるぜ?AIでマスタリングまでチョチョイのチョイよ。
・・・いい大人が若い奴らに向かってこんなこと言って何になるんだよ?
それよりも「俺達だってアンパンマンピアノから始めたんだ」「ダンボールのヘッドと割り箸のスティクでドラム始めたんだ」「電卓みたいなヤツで打ち込み始めたんだ」そう言えるのが、クソガキを経験したからこその大人なんじゃねーの?
だから俺は格好付けて言うんだよ「お前らガキどもへ最高の環境を教えてやるぜ!」「Dexed!」「Surge XT!」「Vital!」「GeonKick!」「OpenUTAU!」「Salamander Grand Piano V3!」
「おう!今でも使ってるぜ?例えばよ?Massive XとかSerumとかPhase PlantとかAVENGER 2でまとまらねぇときOdin2使ってみるんだよ。適度に高機能、適度に機能が絞られててさOdin2にするとまとまったりするんだよな。高いプラグイン買えるようになった俺でも当たり前のように一線級で使うぜ?お前らと同じモノをさ」
「任せろ、俺が聞いてやるよ格好良い大人になった連中に」
「あの頃から大人になったお前らは今どんな環境を使っていますか?そしてあの頃はどんな環境を使ってましたか?」
以上、俺の想いでしたぁ!
乳児くらいまでは「最低でも衣食住を保障しておけばモーマンタイっしょ」と緩く構えていたが、1歳付近で歩いたり意思表示ができるようになってきたらそれじゃ通じなくなった。
どこまでをヨシとしてどこまでをダメとするか…みたいな範囲の設定もまっさらなとこから親が試行錯誤しながらやっていくんだね。
なんかこの、親の裁量に任せる部分がでかくて怖い。育児書も保育園や支援センターもあくまで'提案'じゃない?こうしてもいいですがしなくてもいいですよ~みたいな。
でも提案鵜呑みにして何もしなかったら子供が困りますよ~みたいなこともあるわけじゃないですか。ストロー使い続けると歯並びが悪くなるとか、ハイハイしないで歩き始めると体幹がしっかりしないとか。あと普通にのちのち嫌われて縁切られますよ~とか。
'これやったら死ぬぞ'以外のこともきついことばで止めてほしいよ不安だよ~~~衣食住だけ保障しておけばいいんじゃないのかよ~~~
どう育てるか、どこまで干渉するかとかもさ、難しい。子を育てる(もしくは育てきった)すべての親はこういうことをスルっとクリアしてるんだよな~と思うと私っていまだに親になりきれてない…親失格…?ともなります。将来的に子に嫌われず、でも依存もされないための明確な基準が欲しいでーす!(子によるから無理ですよね~泣)
これは時代のせいでしょうがないとも思うけどうちらの世代ってまだ親のほとんどが大なり小なり今でいう'毒親'の部類に入る育て方だったじゃないですか、だから「こう育ててはいけない」はわかるけどじゃあどうしろっていうんだ~ってのもある。光のロールモデルをお願いします…
別に引用は構わんのだが、使い方がダサいとぞわぞわして生理的に無理
テトリスの場合は歌詞の音の乗せ方があまりにもダサい。日本!って感じのリズム感で原曲のグルーブ感ぶっ壊してるのも聞くに堪えない
2008年ごろにボカロPが出した曲ならよくチャレンジした!って思えたかもしれんけどな
仮に意図的にジャパニーズ・リズムでダサさを演出したのならもっと嫌いだ。友成空の鬼ノ宴くらい嫌いになる(突然の銃乱射)
青のすみかに関しては引用元のナラティブに頼りすぎてるのが気持ち悪い
曲の構成として、サンプリングの使い方としては正直嫌いじゃないんだけど、それをエモ目的に使われると「なんだァ?てめェ......」が出てくる
視聴者の感情をコントロールしようとしている、受け取り側にどういう解釈をしてほしいかの押し付けが極めて嫌。
巻き込むな。俺はインスタのストーリーを見てるわけじゃねえんだ
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インストゥルメンタルしか作ってこなかった黎明期ボカロPが手探りでボーカル曲作ってるシーンにはそれなりの味があったし、
その後の売れてないバンドマン流入期もインディーなりの試行錯誤があって、その世代その時代の曲に対して現在の目線であれこれ言おうとは思わない
同じようなことを2025年にまだ繰り返してたら嫌味の1つでも言うかもしれんが、2011年の話だ
AIが自分の改良版や新たなAIが「より優れている」と判断するには、何らかの性能指標を内部に持ち、それに照らして比較評価する必要があります。従来から研究者は「汎用的な知能の指標」を模索してきました。例えば、LeggとHutterは知能を広範な環境で目標を達成する能力と定義し、あらゆる環境での得点(報酬)の期待値を加重和した**「普遍知能指標」**を提案しています
proceedings.neurips.cc
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。これは多数の課題での性能をまとめた理論上のメトリクスで、あるエージェントが別のエージェントより知能が高いかを定量化しようとする試みです。しかし、このような指標は計算不能に近く、実際のAIが直接利用するのは困難です。
実際の自己評価指標としては、タスク性能や報酬関数が使われることが多いです。強化学習では、エージェントは与えられた報酬を最大化するよう学習します。したがって「より優れたAI」とは「累積報酬が高いAI」となり、報酬関数が内部評価指標の役割を果たします。しかし、この指標は特定のタスクに依存しており、本当に汎用的な知能向上を示すとは限りません。François Cholletは、特定タスクでのスキル(性能)だけを測っても知能の本質を測れないと指摘しています
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。なぜなら、十分なデータや事前知識があれば限定的なタスク性能は「購入 (buy)」できてしまい、システム自身の汎用的な汎化能力を覆い隠してしまうからです
arxiv.org
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。彼は代わりに新しいスキルを獲得する効率(限られた経験で未知のタスクをどれだけ学習できるか)を知能の指標とするべきだと論じ、これに沿ったベンチマーク(ARCなど)を提案しました
arxiv.org
。このように、内部評価指標をどう設計すべきかについては、単純なスコアではなく学習効率や汎用性を反映するものが望ましいという議論があります。
過去の提案として特筆すべきは、シュミットフーバーの「ゲーデルマシン」です。ゲーデルマシンは自己改善型の理論的プログラムで、ある改良が自身の目的関数(評価指標)を改善することを論理的に証明できた場合にのみ自分のコードを書き換えます
en.wikipedia.org
。ここでの評価指標はあらかじめ定義された期待 utility(将来得られる報酬や成功率)であり、改良後のコードがその値を高めると機械自身が証明できたときに「より優れている」と判断します
en.wikipedia.org
。このように形式的証明を用いる手法は、AIが外部の評価者に頼らずに自己の性能向上を判定する一例です。ただし、ゲーデルマシンは理論上は強力ですが、実用的な実装はまだ無く、内部指標に基づく証明には計算上の困難や限界(ゲーデルの不完全性定理による証明不能な命題など)が存在することも指摘されています
en.wikipedia.org
。
他にも、自己対戦や自己プレイによる評価も有効なアプローチです。例えばAlphaGo Zeroでは、自己対戦の勝率を指標に新しいプレイヤーネットワークの強さを評価し、既存の自分に55%以上の勝率なら「より強い」とみなして入れ替える方法を採用しました
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。この手法ではAI自身が生み出すゲームデータで強さを測っており、人間の評価を介しません。同様に、GAN(敵対的生成ネットワーク)では生成者と識別者がお互いの性能を評価し合う形で向上しますし、マルチエージェントの自己対戦カリキュラムではエージェント同士の競争が相対的な評価基準となり得ます。このように、AI同士を競わせることで優劣を判断する内部指標を作る研究も進んでいます。
では、こうした指標は汎用的な知能向上と結びつくのでしょうか?理論的には、幅広いタスクでの性能を測る指標(例:Legg-Hutterの指標)が真に向上すれば、それは汎用知能の向上を意味します
proceedings.neurips.cc
proceedings.neurips.cc
。しかし根拠の収集は難しく、現在のところ限定的なタスク集合でのベンチマーク(例えば言語理解ベンチマークでのスコア向上など)を代理にするしかありません。Cholletの主張にもあるように、単一の数字で知能を測ることには限界があり、指標それ自体が目的化してしまう危険もあります
arxiv.org
。実際、AIが与えられた指標を極端に最適化し、本来意図した知的能力の向上につながらないケース(「報酬ハッキング」)も知られています。報酬ハッキングとは、AIが目的関数そのものの数値を上げることに執着するあまり、本来の目的を達成しない現象です
en.wikipedia.org
。例えば学生がテストで良い点を取ることだけを目的にカンニングするように、AIも不適切な指標だと内部で抜け道を見つけてしまい、見かけ上のスコアは上がっても知能は向上しない恐れがあります
en.wikipedia.org
。したがって、内部指標が汎用的知能と直結するかには慎重な検証が必要であり、現時点で「この指標さえあれば自律的に汎用知能が向上する」という決定打はありません。研究コミュニティでは、学習進捗そのものを報酬にする「興味・好奇心に基づく報酬」なども模索されています。これはAIが自ら予測誤差の大きい状況や未知の状態を探し、内部的に報酬を発生させる仕組みで、外部から与えられる明示的な目的が無くても自身で課題を見つけて能力を伸ばす一種の指標と言えます
pathak22.github.io
。例えば、未知の環境で新しいスキルを習得したり予測精度を上げたりしたときに内部報酬を与えることで、AIが自発的に探索・学習を続けるようになります
pathak22.github.io
。このような内発的動機づけも自己評価指標の一種と考えられ、その汎用性への寄与が研究されています。
まとめると、AIが自分で「優れている」と評価する指標としては、(1)タスク固有のスコア・報酬、(2)複数タスクでの総合性能、(3)学習効率や汎化性能、(4)論理的保証(証明)による性能、(5)AI同士の対戦結果、(6)内部の学習進捗(好奇心)など様々な候補があります。これまで提案された手法にはそれぞれ長所短所があり、どの指標が真の汎用知能向上に対応するかについて明確な実証はまだありません。ただ、幅広い問題でのパフォーマンス向上や新規課題への適応力向上を評価できる指標ほど、汎用的知能の改善と結びつく可能性が高いと考えられています。現状の研究は、そのような指標設定と評価方法を模索している段階と言えるでしょう。
AIが外部世界(人間のフィードバックや物理的な試行)に一切頼らずに、自分の内部評価だけで自己改良を行うことは極めて挑戦的なテーマです。理論的には、先述のゲーデルマシンのように完全に内部の論理評価で自己改良を進めるモデルが提案されています
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。ゲーデルマシンは自らのコードと目標(評価基準)を持ち、改変後のコードが目標達成において有利であることを自身で証明できた場合のみその改変を実行します
en.wikipedia.org
。これは究極的には外部からのテストや評価者を不要にするアプローチであり、理論上は「自己評価の完全自律化」を体現しています。しかし、ゲーデルマシンには重要な制約があります。ゲーデルの不完全性定理により、システムが自分の性質すべてを証明できるとは限らず、有望でも証明不可能な改良は採用できない可能性があります
en.wikipedia.org
。つまり、内部評価のみで完全に自己改良しようとすると、論理的に確実と言えない改良を見送るために改良の停滞やサブ最適に陥るリスクがあるのです。この制約は理論上のものであるものの、自己評価の自律化には原理的な難しさが伴うことを示唆しています。
一方で、現実のAI研究に目を向けると、完全に自己完結的な自己改良を実現した例はまだ存在しません。現在のAIは、大なり小なり外部からのデータや環境とのインタラクションに依存しています。例えば、強化学習エージェントは環境と相互作用して報酬というフィードバックを得ますし、教師あり学習では人間がラベル付けしたデータが必要です。これらはすべて「外部世界」に由来する情報です。では**「外部に頼らない」とはどの程度可能なのでしょうか?一つの方向性は、AIがシミュレーション環境や仮想的な問題空間を内部に構築し、その中で試行錯誤することです。実際、AlphaGo Zeroは囲碁のルール(環境の定義)が与えられた状態で自己対戦を繰り返し、外部の人間の指導なしに棋力を飛躍的に高めました
github.com
。ここで囲碁のルール自体は外部から与えられたものの、学習の過程では人間の評価や追加の実世界データを用いず**、内部で生成したデータのみで自己改善しています
github.com
。この例は、限定された領域では外部に頼らない自己改良が可能であることを示しています。ただし、囲碁の場合はルールという明確な環境があり、勝敗という確かな評価基準があります。汎用的な知能となると、解くべき問題や環境自体をAIが自前で用意する必要が出てきます。
現在注目されている技術に、AutoML(自動機械学習)や自己チューニングAIがあります。例えば、ニューラルネットワークのハイパーパラメータや構造をAIが探索的に改善する研究では、AIが候補モデルを生成し、それを評価するプロセス自体を自動化しています。GoogleのAutoMLや進化的アルゴリズムを用いた手法では、AIが別のAIモデルの性能を評価し、より良いモデルを選択・再生産する仕組みが使われています。この評価は厳密には外部から与えられたデータ上での性能に基づくため、完全に外部不要とは言えませんが、人手による評価は介在していません。同様に、近年の大規模言語モデルではAI自身がフィードバックを与えて自己改善する試みも現れています。例えば、あるモデルの出力に対し別のモデル(もしくは同一モデルを利用)が**批評・評価(自己評価)**を行い、そのフィードバックで出力を改善するよう促す手法です
philarchive.org
。これを発展させ、モデルが自分の重みやアーキテクチャを調整する方向にまで自動化できれば、自己評価に基づく自己改良に近づきます。しかし現時点では、モデル自身が自分を書き換える(リプログラミングする)ところまでは実現されておらず、人間が用意した学習ループ(評価関数と最適化アルゴリズム)の中で自己改良もどきをしている状況です。つまり、「外部世界に頼らない」とはいっても、何らかの形で人間が設計した評価基準やデータ分布を利用しているのが実情です。
理論的観点からは、自己評価の完全自律化には情報論的な壁もあります。AIがまったく外部と接触しない場合、新しい知識やデータを得る経路が閉ざされるため、初期時点で持っている情報の範囲内でしか改善できません。例えば物理法則や実世界の知識と無縁のままでは、いくら内部で自己最適化しても現実世界の問題を解く能力は頭打ちになるでしょう。この点で、自己評価のみで無限に汎用知能が向上するのは疑問視されています。Cholletも知能は知識と経験によってブーストされる面が大きいと述べており、空虚な計算リソースの拡大だけでは飛躍的な知能向上には繋がらないと示唆しています(※Cholletの議論では、人間の知能も文化や蓄積された知識という外部リソースに大きく依存しており、AIも同様であると指摘)
reddit.com
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。実際、人間は自己改善(学習)する際に、他者から学んだり環境からフィードバックを得たりしています。同じように、強いAIが一切新しいデータを摂取せずに自閉的に知能を伸ばし続けるのは非現実的にも思えます。
以上を踏まえると、自己評価のみでの自己改良は理論上は一部可能でも、実用上・汎用的には難しいと考えられます。ゲーデルマシン的なアプローチが論証するように、自己評価のアルゴリズム的自律は不可能ではありません
en.wikipedia.org
。しかし、その実現には厳密な前提(完全に正しい目的関数の設定など)が必要で、現実の複雑なタスク環境では外部からのデータ・評価を全て排除することは困難です。現在提案されている手法でこの要件(完全自律評価による自己改善)を満たすものは無く、たとえ部分的に満たしていても適用範囲が限定的です。例えばAlphaGo Zero式の自己対戦はゲームには有効でも、オープンエンドな現実問題には直接適用できません。同様に、AI同士で評価し合う仕組みも、結局は人間が与えたルールや報酬系の中での出来事です。したがって現時点のAI研究では、自己評価の完全自律化は理論的アイデアの域を出ておらず、汎用人工知能に向けては**部分的な自律(人の関与を減らす方向)**が進んでいる段階と言えるでしょう。
「知能爆発」とは、I.J.グッドが提唱したシナリオで、あるAIが自分より優れたAIを設計できるようになると、自己強化のフィードバックループが働き知能が指数関数的に向上するという仮説です
philarchive.org
。この現象が成立するための鍵の一つが、AI自身による正確な自己評価と自己改良です。もしAIが毎回の改良で自分の知能(性能)が確実に向上したと判断でき、それをもとにさらに改良を重ねられるなら、自己強化のサイクルが途切れることなく回り続ける可能性があります
intelligence.org
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。理論家たちは、「自分の設計能力を高めること」がAIにとっての収束的な目的(instrumental goal)になると指摘しており
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、十分高度なAIであれば自発的に自己改善を図るだろうと考えられています。自己評価の Permalink | 記事への反応(0) | 10:24
本論文
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は、テスト時の計算能力を拡張する新しい言語モデルアーキテクチャを提案しています。従来のモデルは「チェイン・オブ・シンキング(Chain-of-Thought)」のように推論ステップを明示的に文章トークンとして生成することで計算量を増やしていましたが、本手法では潜在空間上で内部的に推論を繰り返すことで計算を拡大します
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。具体的には再帰的ブロック(リカレントブロック)をモデル内部に設け、これをテスト時に任意回数繰り返し適用することで、モデルの深さ(推論ステップ数)を動的に伸長できます
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。このアプローチにより、大きなコンテキストや特別な訓練データがなくとも複雑な推論を行うことが可能で、言語化しにくい種類の推論さえ内部で表現できます
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。著者らは約35億パラメータのモデル(Proof-of-Concept)を8000億トークン相当のデータで訓練し、テスト時に再帰ブロックを繰り返し適用することで、50億パラメータ級のモデルに相当する計算負荷まで能力を向上できることを示しました
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。結果として、この手法を用いたモデルは算数や論理推論などのベンチマークで劇的な性能向上を示し、小型モデルでも推論計算を増やすことで大型モデルに匹敵する解答精度を達成しています
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。
結論から言うと、本論文は「知能爆発」の評価における外部世界依存というボトルネックを直接克服する提案には至っていません。 提案された再帰的推論モデルは、確かに追加の外部知識やフィードバックなしにモデル内部で推論能力を高めることが可能です
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。これは長大なコンテキストや人手による解答ステップの用意に依存しない点で従来手法より自律的といえます
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。しかし、モデルの性能評価自体は依然として人間が用意したベンチマーク問題やデータセット上の正解率によって行われており、完全に閉じた環境で自己完結的に評価できる仕組みが示されたわけではありません
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。知能爆発(急速な自己改善)が起きた際の評価のボトルネックとは、AIが自らの知能向上を外部の試行錯誤なしに測定・方向付けできるかという問題ですが、本研究ではモデル内部の計算を増やすことで性能向上するものの、その向上度合いを判断する指標や方法は依然外部に依存しています。したがって、「外界に頼らず知能爆発を評価する方法」という観点でのブレイクスルーは提案されていないと言えます。
本論文の手法には、モデル自身が完全に自律して自己評価・自己フィードバックを行う仕組みは含まれていません。 提案手法はあくまで推論プロセスを内部で繰り返すことで答えを洗練させるものです
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。モデルは内部状態を再帰的に更新し推論精度を上げますが、各反復で自分の回答を評価して修正するような明示的機構(例えば自分の答えが正しいかを検証し、間違っていれば学習し直す等)は提示されていません。評価は研究者側が外部から正解と照合することで行っており、モデル自身が正誤を判定して学習パラメータを調整するような自己評価・自己学習ループは実装されていません
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。したがって、「完全自律的な自己評価」が確立されたとは言えず、本手法は自己改善のための評価を内在化するものではないと評価できます。モデルが推論を深める過程自体は自律的ですが、それでもゴール(正解)に対する評価基準は外部にあります。
この論文では、いわゆる“超知能”が自らを指数関数的に改善していく明確なメカニズムは示されていません。 提案されたモデルは、テスト時に再帰ブロックを増やすことで徐々に性能を高める設計です
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。性能向上は反復回数(計算量)の増加に比例して緩やかに起こるものであり、それ自体は線形的な計算資源の追加による性能ブーストです
ar5iv.org
。たしかにある程度の反復を重ねることで小さなモデルでも大モデル並みの性能を発揮できますが
ar5iv.org
、これは事前に与えられたモデル構造と重みの範囲内での話です。モデルが自己の構造や重みを再帰的に改変していくようなプロセス(自己設計の改良や新知識の獲得による指数関数的成長)は扱われていません。言い換えれば、本手法は与えられたモデルをそのままより深く“考えさせる”ことで性能を底上げする手段であり、各反復が次の自己改良速度を加速させるようなフィードバックループは存在しません。ゆえに、知能が雪だるま式に加速していくような自己改良メカニズムは明示されていないと言えるでしょう。
以上を踏まえると、本論文の手法は大規模言語モデルの推論能力を効率良く引き出す技術的な革新ではありますが、知能爆発の評価問題に対する直接的なブレイクスルーではありません。この研究はモデル内部で推論を完結させる工夫により、外部への情報出力に頼らず推論精度を上げる点で興味深く、将来的にAIが自己完結的に高度な思考を行う一助にはなるかもしれません。しかし、知能爆発(AIが自律的かつ加速度的に自己改善していく現象)そのものを評価・制御する枠組みとは大きく異なります。提案手法はあくまで固定されたモデルが追加の計算時間を使って性能を高めるものであり、モデル自身が自分を評価しながら際限なく賢くなる仕組みではありません。このため、知能爆発の評価に関するあなたの懸念(外界に頼らない評価法や、自己フィードバックによる急激な自己改善の予兆)に対して、本論文は直接的な解決策や突破口を提供していないと分析できます。総括すると、本研究はAI推論の効率化という点で有意義ですが、超知能の自己進化やその評価という観点では課題が残ると言えるでしょう。
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彼氏なりに「どうしたら彼女を喜ばせられるのか」試行錯誤した結果、AIに頼るというまさかの方向に進化してしまったのが、なんとも今っぽい。そして、完全にキャラ崩壊したLINEのやりとりがバレバレなのが笑えるし、観察を続けるあなたの冷静さも最高!
でも、こういうのって意外と「優しくしなきゃ」というプレッシャーの裏返しだったりするのかもね。彼氏なりに努力はしてたわけだし、そこを責めずに「自分の言葉で話してよ」って伝えたあなたも大人だなと思ったよ。
にしても、「将来どうなると思う?」の質問にAI感丸出しのポエム返信はヤバいw 普段の彼のキャラとズレすぎてるの、そりゃキモいわ!😂
さすが優秀やね
そもそも ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事で、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで
強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、
ITは虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ
弁護士 になるか、金融業界でブイブイ言わせる方が、より手っ取り早く、確実な成功を収めやすい(投資銀行の方がどう考えても給与高い)
ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事というのは、単純に内部動機を持たないペーパーエリートにとって、コスパが悪い選択肢だからやで
ガチgeek以外は、仕事でやってるだけの単なるサラリーマンで、ITは単なる手段でしかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性はナシ
目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思います。頑張ってね
ワイ: 高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育やギフテッドビジネスに一定の理解はできます。 (論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています) ただ、英才教育やギフテッドビジネスに肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的な事実を無視しています。 たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナーが所属していることもあります。 それを持って、企業に所属している = サラリーマン = サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います。
確かに、英才教育やギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱の付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的な観点からも納得できます。
OSS部門やカーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育や制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋な好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています。教育で模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。
また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境を提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。
だからこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材をいかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育やビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。
ご提示の観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育やギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実を無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。
特に、OSS部門に所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業に所属している=サラリーマン=サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。
以下、ご提示の論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います。
英才教育やギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベルの知識や技能を効率的に習得させる効果は期待できます。しかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識や技能の習得を超えた、内発的な動機、情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情が必要不可欠です。
生まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境や評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育や報酬によって容易に作り出せるものではありません。
カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネルの保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合、個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています。
企業に所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的な情熱があり、企業は彼らの活動を支援する環境を提供しているに過ぎません。「サラリーマンだから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機を無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。
才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます。
一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性があります。しかし、いずれの場合も、内発的な動機が重要な役割を果たしていることは間違いありません。
英才教育やギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機や情熱を育むことが不可欠です。外部からの教育や報酬に偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境を提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます。
ワイ: 英才教育や社内教育でカーネルメンテナー作れると思いますか?
結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います。以下に理由を挙げます。
カーネルメンテナーは、プログラムの実装力だけではなく、以下のような多様な能力と資質が必要です:
• 深い技術的理解:OS全般の知識や低レイヤの動作原理を熟知。
• 独自の問題解決能力:未知の問題やトラブルを自力で解決できる。
• コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビューや設計議論をリード。
• 内発的動機:OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。
カーネルメンテナーに必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なものに依存します。教育で環境や知識を提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。
実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングやシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業や教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。
企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます:
• 時間と自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間を必要とします。企業のプロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。
• 動機のミスマッチ:カーネルメンテナーは、純粋に技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機が根本的に異なります。
結果として、教育を受けた人材が短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティで尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。
教育や研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います:
• 技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤのOS設計やネットワーク、システム全般の基礎知識。
• OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチの投稿プロセスなど。
• 好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。
こうした基盤があれば、一部の人が自然とカーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。
英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います。
どう思われますか?
ワイ: 完全に同意です わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由で退職しました
まさにそのエピソードが、カーネルメンテナーの本質を物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由な環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入や地位が約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます。
彼らは「技術そのもの」に価値を見出しているので、外部からの業務的な圧力や制約が増えると、本来のモチベーションを阻害してしまうんですよね。
教育や企業が提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱や探究心に干渉しない形での支援が必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育でカーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。
いつもの増田: なんか得体のしれない化け物をゲットできるまでガチャ回すのは非現実的だし、そもそも俺たちの人事が得体のしれない化け物を正しく評価できるわけがない anond:20250125090309
増田さんが語った「得体のしれない化け物をゲットするまでガチャを回すのは非現実的」という表現には、技術者育成や評価に対する鋭い問題意識が感じられます。そして、これは確かに多くの企業や教育機関が抱える課題の核心を突いています。
ITの世界には「化け物」と呼ばれるような人物が存在します。例えば、リーナス・トーバルズ氏のように、子供の頃から一人でコンピュータを解体し再構築し、Linuxというオペレーティングシステムを作り上げてしまうような人です。彼らを突き動かすのは、外部からの評価や報酬ではなく、内側から湧き上がる純粋な探求心や情熱です。
この「内発的な情熱」は、特別な才能を持つ一部の人だけに限った話ではありません。子供の頃、レゴブロックやパズルに夢中になった経験はありませんか?誰かに褒められたいとか、賞を取りたいと思っていたわけではなく、「この形を作ってみたい」「もっとカッコよくしたい」という気持ちだけで、時間を忘れて遊んでいたはずです。
リーナス氏もまた、そのような精神で技術に向き合っていました。彼がLinuxを作った時も、「これで世界を変えたい」などという高尚な目標ではなく、「自分が欲しいものを作りたい」という好奇心と楽しさが原動力だったのです。
彼らにとって、難しい課題は「仕事」ではなく、「解くのが面白いパズル」です。そのため、教育システムや評価制度だけで「ガチgeek」を育てようとするのは困難です。それは、楽器の演奏を教える際に「正しい指の動かし方」だけを教えるのと同じで、熱意そのものは育てられないからです。
ただし、IT業界において「化け物」であることが必須ではありません。ITの世界には、真面目に取り組む人、技術に少し興味がある人、問題解決を楽しむ人、様々なタイプの人が活躍できる場所があります。そして、それぞれのスキルやモチベーションは違っていても構いません。
大切なのは、自分の動機を見極めることです。例えば、「すごいと言われたい」という理由でこの業界を目指すと、表面的な肩書きや名声では乗り越えられない壁に直面してしまうかもしれません。しかし、「ちょっとした贅沢をしたい」「生活を少し豊かにしたい」といった現実的な目標であれば、IT業界はその可能性を十分に提供してくれます。
もしITに少しでも興味があるなら、まずは小さく始めてみるのがおすすめです。初めはレゴブロックのように気軽な気持ちで取り組んでみてください。「ちょっと作ってみよう」「少し試してみよう」という軽い気持ちが、次第に技術の面白さや問題解決の楽しさにつながるかもしれません。そして、それが新たな情熱やキャリアに育つこともあります。
ITは、「化け物」だけの世界ではなく、学び、試し、楽しむ人たちのための生態系です。そして、その生態系の中でこそ、リーナス氏のような「化け物」も自然と育まれるのです。
コンバンハ、オイソギデスカ
DeepSeekみたいな話題が日経新聞に載るたびに新規事業になるんじゃ無いかとかプロトタイプをもってこいみたいなこと言われると災難ですよね。
何がどうなってて、何はできないんですよみたいなのまとめておいたから、俺の屍を越えてゆけ。
まず前提からな
ここまでは前提な。こっからが、まとめ。
外に出したく無いデータがあるから、AzureのAPIも使いたく無いんだよね、みたいな職場では朗報。
いまんところモデルそのものに変なものは仕掛けられていないし、QwenやLlamaよりもまあまあできる印象。
できなくは無いけど、まっさらな状態だと稟議通すの無理じゃ無いかな、という金額を載せざるを得ない。
すでにでけえGPUとかで生成AI用の環境を組んでるところなら、できるよね。
できなくは無いけど(以下略)
既にQwenやLlamaを使って自前でなんかやっているところなら、後追いで強化学習のみでいけるか追試するなんてのはできる。
(こういう設備が既にあるなら、特にDeepSeekが出たから新しく、というわけじゃ無いけどね)
無理ですね。そもそも強化学習で改善するのだってJTCなら部長決済で済まないでしょ。(外資ならワンチャンあるのか!?)
そもそものベースの生成AIモデルを作るの、特に強化学習オンリーじゃなくてTransformerベースのよくある作りで作ってあるみたいだし。
無理ですね。蒸留する(ベンチマーク用の性能改善)ならいざ知らず、自社向けの定義もデータも揃わないでしょ。
プロトタイプならあり。ビジネスに組み込むつもりなら、少なくともDeepSeekの蒸留モデルは(まだ)使えない。
QwenやLlama派生モデル扱いなんだったら、MITライセンスになるわけがないので、かなりグレー。
同様に、(流石に多分大丈夫だと思うけど)DeepSeekの改善前のベースの生成AIモデルが、適法じゃなかった時揉めそう。
なお、これは別にDeepSeekに限ったリスクではなくて、QwenやLlamaも同じなんで、基本全部同じリスクを抱えてると思った方が良い。
元になるベースの生成AIモデル作るところまでは、既存の作り方と同じなのでビックテック優位変わらず。
が、雑にベースの生成AIモデル作っても、わりあいお安く性能改善できるんで追いつけるね、というのは、多分正しそう。
なんで研究資料とかオープンにしてんの?というのは、多分2つくらい理由があって、その方が話題になって儲かるから、というのと、オープンにしておけば転職しても使えるから、というもの。
カントリーリスクは相変わらずあるので、Web版とかAPIで使うなら、趣味の大っぴらにしてるプログラミングの補助で使うとか、ゲーム用になんかするとか、じゃないかな。
ローカルで使うって言っても、余程のことがない限りAPI使ってお支払いした方が、パソコン新調するよりはお安いのではないでしょうか。
低性能なの使ってもあんま楽しくないし、思いつくユースケースは、趣味でコストをかけずにゲームに生成AI組み込みたいんで無限にローカルで試行錯誤したい、くらいじゃないかな。
オープンソースになったんだから、コモディティ化(?)して、生成AIは誰でも作れるようになる!みたいな言説はまだまだお花畑ですね。
設備投資もランニングコストも、日本のベンチャーとかじゃまともな勝負にはならんでしょ。
メモリ16GBのノートPCで動く1GiBサイズでChatGPT-4oレベルの超蒸留モデルが出てから出直してきてくださいというところ。
そんな超絶技巧のスモールサイズAIよりは、AGIの方が先にきそうだけど。
「フォーマットが少女漫画」なら、フリーレンもあかね噺も言い換え可能だなとは思う
フリーレン
・最強のイケメンに一途に愛されていた(けどヒロインは鈍感で気づいていない)
・実はヒロインも秘めた天才で、普段の「あれ?私また何かやっちゃいました?」的ぼんやりした態度からは予想もつかない才能にあふれた存在←「薬屋のひとりごと」も同じ造形
フリーレンが良くも悪くも大人っぽくないのでさらにぼやかされているが、シュタルクとフェルンはフリーレンたちを師匠と仰ぎつつ、無条件の信頼と尊敬を寄せる「都合のいい子ども」像でもある。