はてなキーワード: 療育とは
「ステータス重視」に見えても実際は現実的な選択をしているせいも多いのでは?
また周産期うつは、妊娠や出産によるホルモンバランスの急激な変化が影響して10〜20%が発症
この場合、妻だけでなく夫も無理に仕事を休んだり、辛い思いをします。
境界知能(知的障害まではいかない層)は約14%いるとされており※3
子どもが発達障害の場合、平日の病院通いや療育への参加が必要となり
もし不登校になった場合、どちらかが仕事を休まざるを得ませんが、
共働きでギリギリの生活をしている場合は家計が相当厳しくなります。
また老後の貯金も難しくなり、日常生活での不安感につながるかと。
子供が境界知能の場合でも通常の授業についていくのが困難になるので、不登校リスクが上がります。
精神的な病が長引くこと
それが原因で夫婦関係が悪化し離婚やシングルマザーになることを避けたいと思う人は多いでしょう。
どの女性がプライドで選び、どの女性がリスクを避ける選択をしているのか、外野が見極めるのは難しいのでは。
◆ソース
https://st.benesse.ne.jp/ninshin/content/?id=27367
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/935206
ダイバーシティとかインクルージョンとかまじでクソ喰らえだから。
最初で最後の定型発達と関われる場所だし!とダウン症や知的障害、発達障害の子を保育園に預けようとしないで欲しい。物凄く迷惑。
まず他害がエグい。ノーモーションで他児に噛みついたり髪を引っ張ったりする。水筒の蓋を開けた瞬間隣の子に殴りかかるみたいな。ただただ健常児の子供たちは我慢するだけ。
日々の活動の意味が理解出来ないし、周囲を見て模倣する事も出来ないから基本的にふらふら1人離れて活動の邪魔をしにくるので定型発達の子どもたちはあいつは何なんだ・自分はダメであいつは許されるのはどういう事なんだと不満が溜まる。
自由遊びなんか最悪で各々楽しく遊んでる最中におもちゃを盗ったり組み立てたおもちゃを壊したり。1.2歳児だから当然悲しくなって泣いたり怒ったりするんだけどその反応が楽しくて障害児はやってしまう。関わり方を知らないから。
勿論健常児の親には被害は言わない。まだうまく話せない1.2歳児の子たちは自分で親に説明も出来ず定型発達の子たちからはヘイトがひたすら溜まる。世の中の仕組みを理解しはじめた様な1.2歳児が障害者を理解するなんて到底無理な話。障害児がいるクラスといないクラスでは明らかに子どもの落ち着き方が違う。
障害児を見る為の加配の保育士が障害児1人に対して1人配置されるが焼け石に水。そもそも定型発達ですら圧倒的に人が足りない。兄弟や地域の子ども同士関わりのあった昔の子ならいざ知らず、子ども同士の関わりが極端に少ない一人っ子のイヤイヤ期の子ども6人を1人で見れる訳がない。そんな中に6人分以上に手のかかる子どもが入ってきて加配1人と言われても無理。
そもそも障害児専門の保育士ではないから障害児にとっても定型児にとっても利点はない。保育士にスキルはない。死なない様にする為の増員。園によっては定型児から距離をとって一歩でも近づこうとしたら拘束してる所もある。精神科の拘束具みたいなもんかな。
奇声をあげて気に入らなければ暴れてとコミュニケーションが一切取れないので保育者から可愛がって貰えずスルーされたり無視される子もいる。加害の時だけ腕を引っ張って怒鳴られるのでそれがコミュニケーションだと思って加害行動を繰り返す障害児も居る。
障害児教育に対しての専門職が1人もおらず、効果的な関わりも一切無くただただ時間ばかりが過ぎていくだけで障害児の子どもにとって一切の利点がない。正直、保育園に入れる親はそこを理解して無い気がする。
保育士は国家資格ではあるものの専門学校に金さえ払えば簡単に取れる資格だから他の専門職に比べて能力に疑問のある人が結構多い。よくニュースになってるけど極端な例ではなくてバレてないだけで割とそこそこ居る。
人格面だけでなく常用漢字が書けなかったり簡単な暗算が難しい、親とのコミュニケーションが難しかったり境界〜軽度知的だろと言いたくなる様な奴も結構いる。まともな人は辞めていくので蠱毒化してる感もある。
ごく稀によくこれだけまともな人間だけを集めたな?と言いたくなる様な園もあるが障害者には厳しい園ばかり。どちらにせよ障害者にとって良い環境ではないのは明白。
要は障害児にとっても定型発達にとっても育ちの機会を保証されていない最悪の環境なんだよ。全部がめちゃくちゃになる。
じゃあ障害者の親はどうすればいいんですか?!働くなとでも言うの??とヒスった声が聞こえてきそうなんだがそう言うわけでもない。保育園に来ないで欲しいだけで。
地域的な格差はあるものの、障害児の保育園として児童発達支援センターが機能している場所もある。障害児は絶対にこっちに入った方がいい。
PTやSTみたいな専門職が発達の具合を確認して一人ひとりの課題に応じた療育が受けられて伸びが全然違う。保育士の配置も子ども5人に保育士3人とかめちゃくちゃ手厚い。保育園じゃ着替えも1人でろくに出来ず暴れてるだけの子と同じ障害・知能指数でも1人で着替えて歯磨きもして椅子に座れる様になる。(最初は保育園の子と同じ様なもんだが)
問題はそう言った児童発達支援センターがめちゃくちゃ少ない。地域によっては0だったりする。
生産性がない・コストがかかる・無駄と切り捨てられてる結果、障害児・定型発達児共に発達の機会を奪われてんだよな。
・専門性の高い児童発達支援センターを増やし、障害児を保育園に入れさせない
・資格を筆記と面接の更新制にしてやばい奴を弾く仕組みに変える
・障害児対応ができる保育士を専門職を新たに国家資格を創設。(PT・ST・心理士の基本的知識を有する保育士)
みたいな事やってくんねぇかな。
昔は専業主婦が子育て→幼稚園コースで情緒の安定した子どもが多かったが今は共働き10時間預けコースが常態化してるから定型発達・障害児ともに疲労がピークなんだよな。少しでも子どもの負担を減らさないと将来まともに大人になる奴が居なくなる可能性が高い。
正社員をしながら子供2人の発達障害の療育をして3人分の育児をして家事をするの無理じゃね?と考えて釣りかと思ったんだけど夫が自営業ということは子供の面倒を(一応は)みられて可能なのか…?
これって完全に「去勢」の発想だよね
子供が自分の意思を持ち、その年齢らしい反抗や試行錯誤をする事を認めない
聞き分けが良く素直で可愛く障害者になり媚び諂ってペットや2級市民としてお情けで生かしてもらう事を言ってる?
何ともグロテスクな話だ
で、そうやって小学校に入学する前からお前は発達障害者だとスティグマを植え付けて育てられた子供は
早期に「わきまえて」セルフ断種を選び恋愛や結婚を諦めるだろうから、孫の顔は見れないね
いまだ だいすけ
@QSeSlEN6j1YAKO
発達障害は早期診断した方がいい
できれば小学生になる前に
そうすれば、まだ頭が柔らかいから、特技を身につけさせる(絵や楽器演奏、演劇、作文など)とか、療育をして健常者の世界で生きれるように訓練するとかができる。思春期以降になり自我が固定されたら手遅れなんだよ。
夫43、私40歳。
子供3人もいる。
正直もう性欲とか湧かない。
もう10年くらい前、子供を産んだ瞬間から無くなっていたけど、夫婦の義務だと思って続けてた。
夫が嫌いなわけではない。
夫は私としかできないタイプの人なので、可哀想だという気持ちもあった。
でも私はさっき、夫の誘いを「やだ」と言って、逃げた。
「セックスレスだ…」
といって夫は残念そうにしていた。
しばらくしてまた普通の会話に戻った。
私がなんで今になって断ったのか、言語化したい。
そして
『私の痛みとか苦しみ、辛さなんかの感情には一切寄り添えない』
ということがわかった。
一番近くにいて見てくれていたと思っていたのに、
夫は1mmたりとも共感はしていなかった。
夫の「ありがとう」「ごめんなさい」「大丈夫?」などの相手を思いやる言葉はロボットでいうプログラミングされたものを実行しているだけにすぎなく、そこに感情はないのことがわかった。
それどころか、辛さや悲しいさなんかの負の感情を表すと、見下したり被害意識をつのらせたりする。
私が例えば「◯◯がつらいから◯◯してほしい。 」といえば、迷惑そうな顔をし、「また文句?」と言ったりする。
逆に私が「ありがとう」と言うと、『お前は俺より下』と思うらしい。
私が「大丈夫?」とか言うと、『俺より下のお前が俺の心配するなんて馬鹿にしてるのか』と怒り出したりする。
感情周りの認知の仕方が全然違いすぎて、私が消耗することが多い気がして。
つらいとか、くるしいとか、言わなくなった。
すごく孤独だった。
『こんなにあらゆることを耐えてるのに、
これを夫に言うと夫は…
なんというかはわからないけど、
「俺はお前のためにこんなにたくさんいろんなことをしてやってるのに」とか?
まぁ、なんでもいい。
悲しい。
私は夫と愛のある営みをしたかった。
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追記させてください。
自分の気持ち整理用に書いた日記でしたが、励ましから耳の痛い言葉まで本当にありがとうございます。
一つ一つに返信できずごめんなさい。時系列が雑多なのもすみません。
正社員・子供3人は本当ですが、夫は経営者で私の収入は小さなもの。夫からすれば
「働かなくていいのに勝手に働いて辛いとか言うのは意味不明。放デイなど行政に助けられてるのにこれ以上誰か(=俺)頼るのは甘え」
という感じです。
私が働いているのはリスクヘッジのためです。
この生活に耐えられず離婚することになっても子供を守れるように。
また専業主婦になれば夫の「支配」が強まるのが目に見えているからです。
夫のASD特性上、私の気持ちは一生理解されないと諦めています。
先々月、長男のノートを買いに出た30分の間に、留守番していた次男が行方不明になりました。
パニックになって探したところ、知らないお爺さんが次男を保護してくれていました。
本当に無事でよかった。
夜になっても既読つかず、朝にようやく返事。
帰宅後、私は「どこに行ってもいいから連絡だけはできるようにしてほしい」と伝えました。
すると夫は
「自分はSIM契約してないからすぐ連絡できない。仕事も問題ない。〇〇(=私)が言うなら新しく契約するけど?」
と。
私は契約の話ではなく、「心配かけてごめんね」と言ってほしかっただけでした。
「相手の気持ちを想像する」ことが極端に苦手な特性が出ているだけ。
そして多分私や子供たちがどんな気持ちでいたかなんて想像できる能力がそもそもないだけです。
そして謝罪の概念が「服従・敗北」と結びついているので、絶対に謝りません。
その時の「何言ってるんだ?」という夫の顔が忘れられません。
『この俺が契約を新たにしてやると言ってるのに感謝するどころか謝れと?』。
頭がおかしい人をみるような、見下したような顔。
その瞬間、心がポッキリ折れました。
こいつといい、
https://anond.hatelabo.jp/20251015112650
ブクマ米といい、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251015112650
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251013192216
なんで個人のコミュ力や意識の問題に矮小化したがる人がこうも多いのかねえ。
統計からはまず何よりも、「経済的に余裕がなくて将来にも希望が持てないから恋愛どころではない」という事実が明らかなんだが。
それに対して有効なのは賃上げや労働環境の改善、子育て支援ではない全般的な社会保障の充実であって、個々人が清潔感だのコミュ力だのを磨いて対応したところでそんなの焼け石に水なんだよ。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この週のオープンチャットは、生活・仕事・家庭・技術が自然に交差する現代生活のスナップショットとなった。
AIや経済への高い関心とともに、家族・子育て・住宅など身近な現実的テーマが根強く語られているのが特徴。
テクノロジーが進化しても、最終的に焦点は「人と人の関係」「生活の実感」「安心して暮らすこと」に戻る流れが一貫して見られた。
全体として、情報感度の高さと共感力の両立が感じられる成熟したコミュニティの会話であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
ADHDを公言している人は、遅刻が多かったり忘れ物が多くても、まあ〇〇さんは仕方ないからな〜という雰囲気でなんとなく許されてる。
健常者は許されない。
自分はASDだが公言していない。公言すれば〇〇さんのように優しい対応をしてもらえるのだろうか、いや煙たがれて終わりだろうなと羨ましいし妬ましい。
遅刻や忘れ物はないものの、明確な指示出しがないとめちゃくちゃ不安だし、頓珍漢なことを口走ってしまうせいでいじられ役になって傷つくし、メンタルが弱いから嫌なことがあればすぐ希死念慮に襲われる。療育のおかげでこういう時は不安になりがちだけどこういう風に行動すれば大丈夫と学習して社会に対応できるようになった。でもなあなあで回っている部分に直面してどうしようと不安に駆られることは度々ある。人生こんなもんだと思ってたけど、健常者はそうじゃないらしい。ADHDも同じ発達障害なのに、それほど不安じゃなさそう。もちろん私がわかっていないだけで相当の苦労をしているのだろうが。
自分が自意識過剰で被害妄想しているだけであって、実際は誰も自分に期待も失望もしていなくて、ただ自分の仕事をすればいいだけだとはわかっているのに、怒られたらどうしよう、なんであいつがここにいるんだ身の程知らずだなと思われてたらどうしようと反芻している。自他境界が分けられていないのは自覚しているが、療育で受けた相手の気持ちを考えようという指導は、自分にとっては相手の気持ちを想像し過ぎてしまう結果に終わったらしい。
最初の発語は、1歳半くらい。
Ball、アルファベットのE、いずれも書かれていた単語をみてそう読んだ。
ずいぶん遅いし、こっちが喋ったののオウム返しじゃなくて看板の文字からってのが変な感じだったが、自分も喋るのが遅かったそうなので気にしなった。
その後進歩がない。数字→アルファベット→ひらがなの順でなんとなくわかってる風だった。
「だ、る、ま、さ、ん、が」と順に指をさしたりしてたので。
2歳半くらいのときに、iPadのパスコードを教えたら、6桁を一発で覚えてしまった。
その後、勝手にiPadを開くようになったので番号を変えたら、何度も失敗されて3日くらいロックされてしまったので、元にもどして自由に使わせるようにした。
キーボードを触らせたら、すぐに配列を覚え、必ずアルファベット24文字を大文字と小文字で打ち、1から10まで数字を打つというルーティーン。
単語として最初に打ったのが、1one2two3three4four5five6sixで、3歳になる手前。
相変わらず、いくつかのアルファベットと英単語の他は喋らない。
しかも、画面や本にむかってつぶやくだけで、対人コミュニケーションはゼロ。
これはと思い受診。児童精神科への3か月おきの通院と児童発達支援センター(以下児発)での療育が始まる。
児発が好きらしく、休日に児発に行こうと脱走を試みて確保される。
確保されても「イィー!」しか言えない。
発達障害は自己肯定感が低くなりがちという言説を聞いたことがあるが、長男は真逆で「自分が絶対的に正しい」というスタンス。
どんなに周りに心配されても叱られても、本人的には「ブツブツうるせー」としか思ってないので、好き勝手行動してしまう。
道順とか一発で覚えてしまうので、道順が違うと騒ぐし、玩具屋のほうに誘導される。
「パパいた」と呟くのを目撃される。ようやく2語文。
弟のことをフルネームで呼んだところを目撃される。
家庭内で苗字をつけてよぶことなんかないのにフルネームってのが長男らしかった。
こっちがかける言葉への反応はずいぶんと良くなったような気がしたが、基本的に、利害が一致したら従う、それ以外は無視というスタンス。
例えば「公園でかけるよ!」と言ったらシュババっと出てくるけど、「ご飯できたよ!」といっても無反応。
当時、オムツを履いてないときはトイレにいけるが、オムツを履いてるとオムツにするという拘りで、トイレさせるためにフルチンで過ごさせていたのだけど、フルチンのときに数字をカウントアップする動画を見ると必ずちんちんをしごいて大きくしてた。どういう条件反射だ。
4歳の頃もそうだったが、5歳のときは物欲の権化だった。これが欲しいとスイッチが入ったら、ガンとして聞き入れない。
どんなに優しく言っても、怒鳴りつけても、叩かれても引かない。
自己肯定感の塊だから、ママに嫌われたら怖いという感情がない。
この時期、会話能力は伸びなかった。
相変わらず、都合がいいときだけ反応するのみ。
しかし、「ちょっと待って」と言われて文字通りちょっとだけ待てるようになった。
本当に「ちょっと」しか待たずに勝手にどっか行ってしまうのでヤバかったけど。
そこはさ、空気読めよって思うんだけど、自閉ってそういうもん。
全く持って、コミュニケーション意欲がない。
Big, Small
Long, Short
Hot, Cold
と対義語を並べて言い続けるだけ。
それと、時々だが「Yes!」と「OK!」と「No!」を言うようになった。数を数えるのは英語だった。
問に答えるっていうことができないからちゃんと調べられなかったけど、ちゃんと位取りもわかってるみたいで、100くらいまで数えられるっぽかった。
「Yes!」と「OK!」と「No!」が板につき、けっこう答えてくれるようになった。
テレビゲームをしながらよく「Yes!Yes!Yes!」と叫んでた。「イィー!」から進歩。
相変わらず対義語を言う遊びはよくやってた。
英語と日本語を並べたり日本語で対義語を並べたりもするようになった。
Hot Cold
Hot あつい
Cold つめたい
あついつめたい
という感じ。
少しずつ発音もよくなってきたが、トイザらスから力づくで強制退場させるときに「Help! Help me!」と大声で叫ばれていろんな人にこっちを見られて焦った。
シンカリオンとニンテンドーラボを飽きずに何度もバラしては組み立てを繰り返してた。
説明書の文字はそこそこ読めるらしい。たぶん8割図からだろうけども。ミニ四駆も手伝われながらも理解して組み立ててた。
マリオオデッセイ、ピクミン4、スプラトゥーン2(ヒーローモード)を最後までクリアした。
ゲーム内の仕組みをわかってるし、数の概念もだいぶ育った気がする。
座ってられただけで凄いのに初めての「はい」
急に日本語を喋るようになった。
「いくわよー」
「だめよ」
「あかだよ」
という感じで、語尾に「よ」をつけるのは、学校の先生を真似てるからだろうか。ラッパーみたいでかわいい。
親とのコミュニケーションのなかで覚えるんじゃなく、「お勉強」で言葉を覚えるタイプのようだ。
例えば、スーパーマリオ3Dワールドのセーブデータを弟に消されたが、全く怒らなかった。
長男にとっては、どこにグリーンスターがあるかを覚えるのが重要で、セーブデータには興味がないっぽい。
女親のほうが中学受験に狂うって、たぶんそれが原因だよ。
専業主婦は仕事で何者かになるって無理じゃん。働いてたって、有給使いまくりで時短で残業できないって働き方だと、デカい仕事任されないしさ。
国はさ、楽しろってつもりで児童手当だしたり育児休業とか推進してるけどさ、そんな「生かされてる」状態は心が満たされないわけ。
うだつが上がらない独身はpixivで絵師を目指したり、YouTuberになる。定年したジジイは蕎麦打ちを始める。
みんな何者かになるために、喜んで苦しい道に入って狂う。
発達障害や知的障害の育児も、仕事で自己実現の道がなくなるのは同じ。
健常児よりたいへんだから、夫婦揃って仕事で自己実現の道は閉ざされる。
仕事で自己実現する道が閉ざされたからって、子供に英才教育するって道もない。趣味に生きるわけにもいかない。
まさに「生かされた」状態。
そこで、増田のように生かされてればいいのに、既に言ったように大半はそうはいかない。
多いのは、男だと、障害があるからこそお金が大事と考えを転換して仕事に燃えるやつ。
女だと、あらゆる療育を頑張るやつ。
高速を使って新幹線を使って、実験的な療育を試しまくる。やればやるほど成果が出るというわけじゃないし、成果が出たようにみえてもただ時間が解決したのと区別がつかないんだけど、不妊治療や中学受験と一緒で、時間とお金をたくさん投資しちゃうと、やめられなくなる。
ABAとかさ、あれ売り方は集金主義っぽいけど内容は良さげだよ。
おめめどうのグッズとか、子供が荒れずに過ごすためのサポート用品てけっこうお金かかる。
何も知らなかった頃思い描いていた普通はないけども、その子の能力の範囲内で、できるだけつらくない人生を送ってほしいとは思うわけで…それにはカネが必要なんだよな、世知辛い
読んでないと思うけど追記。
お子さんと無関係に増田には趣味とかないの?子供が大きくなって留守番できるようになれば、夫婦で外食とかもできるでしょう。療育がうまくマッチすれば、子供も静かな店とか短時間のファストフードとかなら外食できるようになるかもしれない。子供だけで留守番がどうしても難しいようなら、ヘルパーさんに来てもらって親はレスパイト外出という手もあるし。
今現在だって、増田が仕事に行けているのだから夫婦で交互に趣味や外食を楽しんだっていいし(家族みんなでできないのが虚しいのだろうとは思うけれどそれでも)。
子供自身も、なにか楽しみな「余暇時間(発達障害の勉強してると出てくるやつ)」があるといいのだけど…。
異世界転生したらハンディキャップを背負ったが、元々の意識の尊厳をボロボロにしながらも療育を必死に受けて市民権を得た。
しかし、サツバツでガンガン民族主義な世界観では異様な療育のような仕組みは「魔王」と忌み嫌われたリベラルの作ったものだった。
彼、あるいは彼女、あるいはソレは尾や羽根のあるなしに構わず民族や人種の「るつぼ」を作ってしまった。
それは1つになった大きな世界の内戦、つまり世界大戦を引き起こした。
召喚士は細い鎖をいくつか手繰って魔物を操る。パーティーメンバーに攻撃しないように小さい魔物に、その旨の契約書とともに複数の鎖を付ける。
召喚士が最後の一人になった時、共闘用の雑魚は魔界に返し、鎖を太いものに替え、クソデカい怪獣を大乱闘させるのが習わしである。
(ワープには途方もない魔力か、入念な下準備のどちらかが必要だ。しかし、被召喚魔物は常にケツに魔界へのゲートがくっついているようなものなので、その準備が常にできているとも考えられる。その場で消えて戻るくらいのことなら、手綱を引いてムチを叩くくらいの手間で簡単にできる。大怪獣乱闘においても卑怯なくらい被弾が少ない)
(太い一本の鎖でデカブツを手繰るというのはリスクでもある。敵が格上であれば太い鎖を断つことも不可能ではない。その場合、召喚士がよっぽど弱いか強いかでない限り、被召喚魔物はまっさきに召喚士を狙う。弱い魂は要らないし、強い相手は魔界にとっては太客でもあるので歯向かわない)
(魔法でも高度なものは、祈祷系で語られるところの「物語性」を帯びる。そのため、人語を解さないものには効果が薄い。召喚術でさえ、ままならないこともある。(敵、魔界、召喚士の間の契約書を満たさないので、被召喚魔物に敵を討つ義務が生じない。)また、対魔界戦闘を成立させるために魔界語を習得する高度召喚士もいる)
何も繋いでいない鎖は、自由端の鎖になる。動く金鋸の刃
仕事でもそこそこのキャリアを築きたいと思っている自分にとって、あまりにもコントロール不能すぎる。
31歳で出産し、子どもはふたり欲しいと思っていたがひとり産んでほぼ断念している。今くらいの時期に新入社員として入社した次の世代の人たちがもっと楽になれるよう制度とか整えていきたい。子どもが好きなので。
きっと我々の前の世代のワーキングマザーはもっと厳しい中で過ごしてきたのだろうと思うと尊敬しかない。そして生存バイアスこわい。
そういう備忘録。
理系院卒総合職フルタイム勤務です。夫と収入はほぼ同等と思ってください。
1.つわり、人によりすぎ
二ヶ月吐き続けた。幸運にも客先とかない職種で、約2ヶ月間で何らかの結果を出せばいいので、トイレとお友達になりながら仕事していた。
理系なので社内に女の先輩がほぼおらず、つわりのピークは妊娠初期のセンシティブな時期で誰にも妊娠していることを言えなかった。今思うと絶対に休職すべき。
復職後は後輩の女子社員にアドバイスを求められる立場になり、その旨伝えて実際につわりで休職した話を何人かから聞くので心から安心した。みんな、辛い時はちゃんと休もうね。
2.夫が戦力になるか、未知数すぎ
統計的に妻の収入割合が上がっても夫の家事負担が増えないというグラフは本当に恐ろしい。何故? それならせめてハウスキーパー代ポンと出せるくらい稼いでくれよ。
夫はたまーに「わたしの方が家事・育児してない?」ってムカつくことはあるがそう思う時は大体相手もそう思っていることがあると思うので戦力になってくれていると思う。
それでも特に産んだ直後は産後クライシスで何回も喧嘩している。夫婦ふたりで過ごしていた頃は喧嘩なんてほとんどなくて、こうなることは子供を産むまで全く想像したことなかった。
あと、後の項の子どもの体調不良で休みを半分負担してくれるかどうかで働きやすさが全然変わってくる。4日連続で休むか2日飛び飛びで休むかは全然違う。ほぼ頼んだ通り休んでくれる夫にはとても感謝。
↑の夫の家事負担の話になると夫がものすごいイクメンであり、実に協力的で素晴らしいパパだという善意のジェンダーバイアスに溢れた感想をよく言われる。何故ならわたしが夫と同程度に稼いでいるということはわざわざ口にしないからだ。
収入が同じなのに全然家事・育児負担してなかったらその男カスすぎない?
(もちろん、互いが納得の上で主な収入と主な家事・育児を分業するという家庭ももちろんあると思います。悲しいことにママ友がいないのでこれ以上言及できません)
そんな簡単に時期選んで子どもを妊娠して産めたら苦労しません。妊婦さんがどれほど気をつけていても早く産まれてくる子は産まれてくるし、予定日ちょうどに産まれてくる子もいるし、予定日を過ぎる子は過ぎるのです。
無事に保育園に入れても、今度はいわゆる保育園の洗礼と呼ばれる体調不良が連続する。0歳で保育園に入るより1歳で入る方が当然ながら身体が大きくなって体調が安定する傾向にあるが、遅くなるほど保育園の空きは少なくなるというジレンマを抱える。貯めてきた有給は溶け、謝罪メールを何度書いたか覚えていない。
しかもこの体調不良の頻度は子どもによるのである! もしかすると出生体重などと何かしらの相関があり復職前に予測が可能かもしれないが、どうにかすることはできない。通っている保育園の規模とも関係があるかもしれないが、そもそも枠がパンパンで入所できるだけありがたいことなのである。
殆ど休まずに仕事にまい進するワーママがいる一方で、復帰直後にまともに出社できないママもいる。誰も悪くない、けど辛い。
わたしは職種的に社外に直接関わるお客さんがいないので、社内の謝罪で済むのが本当に幸いである。でもそうでない職種の人はさらに辛い思いをしているだろう。どうにかならんか……? つわりとも関連するがみんながみんなそうではないので整備が進まないのだと思う。
発達に遅れがあると療育などに通う必要がある。保育園に通いつつ療育。フルタイムでそれは無茶オブ無茶である。フルリモートフルフレックスなら可能だろうか?ちなみにわたしは違う。
上記の通り子どもが比較的丈夫で、かつ発達過程がおおむね標準通りだろうと感じた時の安堵といったらない。これから不慮の怪我や、何らかの病気にかかるなどは当然ありえることで、その心配は常に胸中にある。
本来ならこういったことの対応を考えるのは母親と父親が平等であるべきなのだと思う。でも世間は母親が何とかすべきという論調に溢れていて、わたしがうっすらとした不安を抱え続ける中で当然ながら夫なんて能天気なものだ。
わたしは第一子で多くの幸運を引き、そして幸運でない道の険しさを知り第二子をほぼ諦めました。
極端に有能でない男性も生き残れる社会で、女性ばかり幸運または極端に有能な人またはゴリラしかビジネスマンとして生き残ることができない状況、どうにかなりませんかね。(どうにかしたい)
ワイもそもそも嫌なことやってきてない。やったら基本的に創造性死ぬよ。それはAIですら同じ
でも好きなことしかやってきてないと他者への理解力が死ぬんだよな
やりたくないことをせざるを得なかった人たちへの
ワイは『やりたくないことをせざるを得なかった人たち』って文字には起こしてるけど、
認知的理解(AIでもできる)と実体験を伴った理解(当事者としての理解)は違うってやつ
そもそも発達障害の診断自体を受けずに無自覚に定年まで働いている人もめちゃくちゃいる
でも、そういう人たちの話をしても、きっと無限に働けない理由をあげてくるだけだよね?
(絵が上手くなりたい~https://anond.hatelabo.jp/20241121004956# の話題の時とは真逆だよな?)
なので、発達障害があり、さらに広範囲の知的な困難もある(通常学級への進学が難しいレベル)けれど、
一般企業で正社員として働き、自立した生活ができる収入を得ている人や、パラアーティストとして生計を立てている人の話に話題を絞る
『この子は生涯誰かの支援が必要だからこそ、常に礼儀正しく、正直で、ルールを守れる人になってもらおう。
たとえ泣き叫んでも、決して譲らず、叱らず、生きていく上で必要なことは、たとえ嫌いなことでも、できないことでも、できるようになるまで訓練を続けよう。
将来、少しでも自由に外の世界で過ごせるように、人としての尊厳を持って生きられるように、必要な力を育てていこう』
『型にはめることよりも、子どもの楽しむ心、ゆっくりでも自ら成長する力を信じて、やりたいことを徹底的にサポートし、興味や才能を伸ばしていこう』
国立特別支援教育総合研究|学校教育に期待すること
https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_d/d-210/d-210_03_01.pdf
ある方は、発達障害特有の極端な手先の不器用さ(微細運動が困難)があり、中度の知的障害もあるにもかかわらず、現在16年間も正社員として働いている。時には朝9時から深夜0時近くまで働くこともある
通常の認知能力があれば、PCを使う仕事を選ぶことで手先の極端な不器用さの問題を回避できるが、この方の場合は知的障害もあるため、生活できる収入を得るにはどうしてもフィジカルワークをする必要があった。フィジカルワークでは常識的な手先の器用さは必須だ
そこで小さい頃から、毎日欠かさず手先を使う訓練を続けたそう。運筆練習、折り紙、ビーズ編み、絵を描く、日記を書く、ピアノ(これは20年も続けたそうです)などなど
この気の遠くなる積み重ねによって、仕事に必要な手先の器用さを獲得したわけだね
あと、発達障害によくある極端なこだわりやパターンを変えることへの強い抵抗感も、幼少期からの訓練で克服に取り組んだ
だからこそ、突然の残業にも柔軟に対応でき、作業所ではなく一般企業で正社員として働けているわけ
正社員として働いているおかげで、単なるお小遣いではなく、自分の給料で電動自転車を買ったり、ゲーム機やソフトを購入したり、両親にプレゼントを贈ったり、好きなアニメ映画を観に行ったりと、自由で尊厳ある生活を送れている
結局のところ、特別な困難があっても、極端に才能がなくても、時間とコスト度外視で、真摯に積み重ねていけば、ある程度の水準には到達できる
だから、通常学級に進学できる程度の能力がありながら、単にやりたくないことを "できない" と言い換えるのは、率直に言って誠実ではないし、単純に嘘つきだよね
正直に『やりたくないからやらない』『タイパ/コスパが合わないからやらない』と言うべきだ
広範囲の知的な困難がなく、一定以上の応用力がある人なら、自分が出来ること/出来ないことを見極め、自分に合う仕事を試行錯誤で見つけるべき。それが社会人になるってこと
それがどうしても難しいなら最初から障害者向けの求人を探すのも一つの選択肢
まぁ、何がなんでも『嘘なんかついてない!!通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張でも別にいいよ?
それは一概に否定はできない
だって、自分の本当のことは自分にしかわからないし、人それぞれに個性があるし、そういうケースもあるのだろう
なので、Bタイプの支援方法で素晴らしい成長を遂げたケースで特に印象的なケースを2つ紹介する
(具体的な団体名の記載はやめておく。パラアーティストについては検索すれば多くの事例が見つかるし、不得意なことへの向き合い方は団体やご両親の考え方それぞれなので)
1つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、文字の読み書きが出来ない方のケース
この方は自分の興味に従って試行錯誤を重ね、驚くべき適応能力を身につけた
特筆すべきは、これらのスキルを誰かに強制された・教えられたわけではなく、自分で楽しみながら習得したこと
例えば、
2つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、幼い頃からスピーチセラピーを受けている方のケース(この方の詳しい話は、はてなブログで見ることができる)
たくさんのことをして日々楽しんでいらっしゃる
こういった例を見ると、本当に人間の可能性は無限大だなと感じるよね
結論として、もし『通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張に嘘偽りがないのなら、
出来もしないこと(働く)を無理にしようとはせず(無理なものは無理)、自分がワクワクすることを見つけて、それを楽しみながらのんびり続けていくのがいいんじゃないの?
それが、どこかで仕事にいつか繋がるかもしれないし、べつに経済的自立を焦る必要性はない
*1もっとも、頑張れば絵が上手くなれる、気合いで絵が上手くなれるとか言ってる人たちに、才能がない場合にかけなければいけない膨大なコストの認識、やり抜く覚悟、どちらもあるとは思っていないけどね
知的障害の兄がいる。今40代だが精神は6歳児程度の発達だと言われている。
会話は基本オウム返しで、「人を叩いたらいけません、叩いたらちゃんと謝って」と教えたら「ごめんなさい」と言いながら叩くような人に成長した。
もっとも、兄が叩くのは身内だけなので警察沙汰になったことはない。
ひとりで留守番はさせられないし、ひとりでお出かけするのも難しいが、事前に決めた駅までなら電車に乗って作業所に行き、少しのお金を稼ぐこともできる。
自分の家はなかなか特殊で、きっと他の家よりも大変なんだろうと思っていた。
しかし大人になってASDやら境界知能やらの存在を知って、SNSにあふれる主に母親たちの投稿を見て、そちらのほうがかえって大変そうだと思った。
前述の通り兄とは会話らしい会話が成り立たない。「○○する?」「○○する」「わかった?」「わかった」みたいなやりとりだけでコミュニケーションを取ってきた。
それは逆に言えば相手の言動がこちらの想像をほとんど越えないことを意味する。対応が比較的楽ということだ。
兄よりも明らかに「賢そう」な子供の話には賢いゆえの大変さが見える。
買い物をする能力があるが故に散財していることに気づかずにお金を使いすぎていたり。
遠くに行く能力があるから親の目を振り切ってとんでもないところに行ってしまったり。
そして重度の知的障害者として一生を色々な福祉にお世話になることが確定している兄と違って、大人になったら「普通の大人」として扱われて社会に放り出される。そして周囲とトラブルになって、その原因を自分ではどうすることもできずに苦しむのだ。
そう考えると「賢さ」とは何なのだろう。
普通よりもちょっと劣っているくらいが一番生きにくいというのもなんだか皮肉ではある。
高すぎても生きにくいらしいが、こちらはそもそも絶対数が少ないからか話を見かけること自体が少ない。
とりあえずはきちんと公的機関の助けを受けて兄の療育を投げ出さずにずっと続けてきた両親に感謝すると共に、今苦労しているボーダーライン上の人々やその家族がもう少し生きやすくなることを祈るばかりだ。
知的障害の兄がいる。今40代だが精神は6歳児程度の発達だと言われている。
会話は基本オウム返しで、「人を叩いたらいけません、叩いたらちゃんと謝って」と教えたら「ごめんなさい」と言いながら叩くような人に成長した。
もっとも、兄が叩くのは身内だけなので警察沙汰になったことはない。
ひとりで留守番はさせられないし、ひとりでお出かけするのも難しいが、事前に決めた駅までなら電車に乗って作業所に行き、少しのお金を稼ぐこともできる。
自分の家はなかなか特殊で、きっと他の家よりも大変なんだろうと思っていた。
しかし大人になってASDやら境界知能やらの存在を知って、SNSにあふれる主に母親たちの投稿を見て、そちらのほうがかえって大変そうだと思った。
前述の通り兄とは会話らしい会話が成り立たない。「○○する?」「○○する」「わかった?」「わかった」みたいなやりとりだけでコミュニケーションを取ってきた。
それは逆に言えば相手の言動がこちらの想像をほとんど越えないことを意味する。対応が比較的楽ということだ。
兄よりも明らかに「賢そう」な子供の話には賢いゆえの大変さが見える。
買い物をする能力があるが故に散財していることに気づかずにお金を使いすぎていたり。
遠くに行く能力があるから親の目を振り切ってとんでもないところに行ってしまったり。
そして重度の知的障害者として一生を色々な福祉にお世話になることが確定している兄と違って、大人になったら「普通の大人」として扱われて社会に放り出される。そして周囲とトラブルになって、その原因を自分ではどうすることもできずに苦しむのだ。
そう考えると「賢さ」とは何なのだろう。
普通よりもちょっと劣っているくらいが一番生きにくいというのもなんだか皮肉ではある。
高すぎても生きにくいらしいが、こちらはそもそも絶対数が少ないからか話を見かけること自体が少ない。
とりあえずはきちんと公的機関の助けを受けて兄の療育を投げ出さずにずっと続けてきた両親に感謝すると共に、今苦労しているボーダーライン上の人々やその家族がもう少し生きやすくなることを祈るばかりだ。
人が怒ってるとき、
泣いているとき、
困っているとき、
変な顔だって
授業中だろうが
病院だろうが
葬式だろうが
最近は知恵がついてきて、
そうやって笑えば
人がまた更に眉をしかめたり、
それで周りから避けられるようになって
「なんでみんな僕のこと嫌いなの?」
って本気で言ってる
〇曜日は安静が必要なタイプが多いから△曜日に変更できないかと依頼された
実質出禁というわけだ
昨日は傘を差した友達が突風にあおられてこけてしまったところ見て大笑いしていた
私が「ちがうでしょう」といえば
笑う口元を必死で歪ませながら「ごめんなさい」と謝り
「こういう時はお友達に何ていうの」というと
「大丈夫?ってきく」と一応社会的ルールは覚えているようだった
母親の私も最近は一刻も早く自立して何処かに言ってくれないかなと思い始めている
増田のように本当に賢く生きられるようにするには
どうしたらいいんだろうね
医療少年院に勤めていた精神科医の本が話題になるたびに思い出す人がいる
ゲームが好きだった
ど田舎で特別支援学校が近くにないという理由で小中は知的障害のある子も割といる学校だったからその頃はあまり目立たなかった
Aはよく泣く男だった
理由を聞いても答えない
小中の出来事は忘れたけど
高校では
授業中に当てられて泣き、
テスト返却で泣き、
当番になって泣き、
マラソン大会で泣き、
そしてケーキが切れずに泣いた
4人一班で2人は片付け、1人は先生に呼ばれたのでAに切るのを頼んだ時、Aはケーキを見つめ包丁に手を伸ばさなかった
どうした?と声をかけると泣き出してしまった
その時は均等に切らねばいけないとプレッシャーを感じてしまったのかもしれないと思っていたが
学年主任の先生に入試用書類の添削をしてもらってたらクラス担任が駆け込んできた
一度も教員に見せずに勝手に志願書を提出してしまった生徒がいる
疲れ切った学年主任が戻ってきた
今日忙しくなっちゃったからまた今度と言われ教室に行くとAが泣いていた
近づいくと机に鉛筆で書き殴られた入試関係の用紙が置いてあった
自己PRの楽しかった事みたいな欄に虫をすりつぶした事と書いてあるのが見えてしまい何も言わずに教室を出てしまった
何か障がいがあるんだろうとは思っていたが
提出書類を鉛筆で書いている、しかも線や枠をはみ出している、虫を殺したことを書いている、それをもう郵送してしまった
必ず先生に見せることも
何度も何度も言われていた
十数年たった
Aも今だったら色々な支援を受けもっと穏やかに学校に通えてたんじゃないかと思う
そして学生時代Aは少しみんなと距離はあったけど無視されたりいじめられたりはなかった
友達もいた
何か一つ欠けていたら自殺や他害、犯罪の方に走っていたかもしれない
少年犯罪を起こした子達も環境が違えば正しく前に進めた子もいたかもしれない
夏が来る度にそんなことを考えてしまう