はてなキーワード: エシカルとは
この物語は、三匹の子ぶたがそれぞれ異なるコンセプトのカフェを開き、流行りの波に翻弄される姿を描いています。長男は手軽さ重視の「インスタントコーヒースタンド」、次男は「クラフトカフェ」、そして末っ子はこだわり抜いた「完全予約制・サステナブルカフェ」をオープンしました。
最初に話題をさらったのは長男のカフェ。SNSに「コスパ最高」と書かれ、学生や若者が殺到します。しかし、すぐに「味が薄い」「マグカップが使い捨て」などの批判コメントが相次ぎ、長男は意気消沈。次男のカフェはオシャレな内装と手作りスイーツで一時的にブームになりましたが、「量が少ない」「値段が高すぎ」と評判が悪化し、結局閉店。
末っ子のカフェは、初めから「来たい人だけどうぞ」という姿勢を貫き、完全予約制で地道に運営を続けました。やがて有名グルメ雑誌に取り上げられ、「本物志向のカフェ」として話題に。長男と次男は羨ましさ半分で訪れましたが、店内で飛び交う「オーガニック」「エシカル」といった会話に圧倒され、居心地の悪さを感じます。
そこへ現れたのが、近所の狼です。狼は「カフェなんて誰も覚えていない」と笑いながら、自分の大手チェーンカフェを自慢しました。それを聞いた三匹の子ぶたは、「結局、流行りよりも自分が楽しめる方がいい」と気づき、それぞれ新しい道を歩み始めました。
この物語の教訓は、「流行は風のようなもの。本当に満たされるのは、好きなことを続ける覚悟があるかどうか。」です。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
「好きと良いは違う」に対して還元主義(?)的に考えていった結果、良いと悪いは好き嫌いの多数決でしかないのではないかという結論に至った。
この服はなぜ良いのか?
着心地が快適だから。なぜ着心地が快適だと良いのか?快適である状態は良い事だから。快不快の問題だ。
かっこいいから。なぜかっこいいと良いのか?そもそも「かっこいい」の定義は?かっこいいものを身につける事は精神的充足に繋がるから。かっこいいとは見ていて嫌悪感を抱かず、むしろ快楽や憧れの念を抱かせるような事である。快不快の問題だ。ちょっとトートロジーめいてる気もする。
安いから。なぜ安いと良いのか?可処分所得の減少が少なくなるから。なぜ可処分所得の減少が少ないと良いのか?可処分所得の消費による購買の機会を増やし、効用の追求機会が増えるから。快不快の問題だ。
高いから。なぜ高いと良いのか?高額な消費であればより大きな効用を得られるだろうという誤謬めいた判断が快楽をもたらすから。高額の消費、及びそれを誇示する服を着ることが収入の高さ、引いては社会的評価の高さを示唆し、自尊心の向上や社会的承認が得られるから。快不快の問題だ。
もっと言えばエシカルコンシャスネスだとか、造形の斬新さや精緻さ、テーマ性の反映度合いや精神性が云々だとかいくらでもあるけど、それらを測る評価軸はどこから湧いて出きたのかという事になる。
いずれの評価軸も快不快、好き嫌いの問題へと収束していくはずだ。デニムなんかで着心地が悪いからこそ「良い」みたいな美意識もあるだろうけど、それも然りだろう。
いつからかあってこれからもあり続けるであろう自然法則を所与の前提として持つ自然科学と違って、何が良いかという判断においては意図的に何かを前提として置かなければならないのだから、感覚的な部分に頼らざるを得ないのは当然に思える。
ただそれだと必ずしも多数派に支持されない「権威」の存在の説明がつかない。
ハイメゾンの攻めたコレクションを見て賞賛を送る人間は多数派だろうか?もっと定量的にいけばジャンルを変えてトマトメーターでも見れば分かるけど、権威と大衆の意見は必ずしも一致しない。それなのに権威の意見が良し悪しの評価に無影響だとは受け取られていない。
謎すぎる。
世界共通の自然法則に支配される存在であって、かつ誤差みたいな個体差はあれどほぼ構造も似たような生き物同士なんだから、何かしら共有されている本質的な感覚があるのだろうか。
それはまああるか。
様々なノイズを除去しながら、そういった本質的なものを見極めて評価の対象物と照らし合わせる技能を持った人間が伝導師として権威を握っているんだろうか。
ただ人類の共通の感覚って言ったって大枠のものに過ぎない気もする。ドブ川の水を啜って美味いと感じる人間は多分いないだろうけど、椎茸を美味いと感じる人間もいれば嫌いな人間もいる。
アレルギーでもなきゃ、食わせ続ければいつかは美味しさを「理解」して好きになるのか?
宗教規範から脱却したように思えてその実人々が未だ様々な信仰に基づいて生きている点は全く変わらないように、本質主義だとか教養主義だとかが社会の中で生き永らえているだけの話なのか?
多数派が好き(あるいは嫌い)だと思わないようなものについても、新たな価値判断の基準を提示して「言われてみれば、確かに……」という共感を呼び、考えを変えてしまうような魔力を持った主張の出来る人間が権威を握るのか?常にそれが達成される訳ではないにせよ。
論理的に分析してみた所でそれが良いか悪いかは論理ではなく基準の問題なので、共感の方が重要に思える。
基準に沿った判断は合理的にやっていけるけども、基準そのものの妥当性はより上位の基準でしか判断出来ない。好き嫌いというのは恐らく最上位の基準であって、それ以上の基準はなく共感によって一変してしまうのかもしれない。
これなら原則として良い悪いが好き嫌いの多数決によって決まるという説の中でも得意的に良い悪いへの影響力を持つ事がさほど矛盾しない気がする。一番しっくり来るかもしれない。
哲学の世界ではとうにこんな議論もグチグチと交わされてるらしいけどおれの中では前向きなニヒリズムが一番納得感があるし、それ以上の理屈を求めようという気にもあまりならない。
チャリ乗りたくなってきた。高校以来乗ってない。同級生が乗ってたGIANTのやつ欲しかったな。
前はロードバイクだのクロスバイクだのシュッとしてて、側溝にひっかけそうで見てるだけでなんか不安になるような細さのタイヤ流行ってた。
最近じゃ逆にぶっといタイヤのゴツいやつが流行ってるけど、あれもかっこいい。モペットみたいな見た目の電動チャリもいいね。どれもバカ高いけど。
こち亀で中川のチャリの値段聞いた両さんが、エンジンもない癖にバイクより高いってキレてたけどまさにそんな気持ちだ。電動はともかく。
流行ってるとは言いつつ、目立つだけで実際に買って乗ってる人はそんなにいないのかもしれない。
エシカルコンシャスネスにうるさいファッションの世界でも、サステナブルなチャリこそが現代のスマートでイケてる乗り物だぜ!的なムーブがあるっぽい。
環境への配慮とかっこよさは全く別の話だと思うし、おれはバイクの方がかっこいいと思うけど、でもまあチャリにはチャリの良さもある。
GTAとか洋画に出てくるチャリってなんか妙にかっこいい。そこらを走るママチャリと何かが違うんだよなと思っていたけど、カゴの有無がデカいっぽい。ママチャリもカゴ外せば結構かっこいいよなって思う。カゴとは別に、鉄パイプ曲げた背もたれがついてるやつは「ザ・アメリカのチャリ」って感じであれもかっこいい。
チャリのオタクには叩かれてるらしいけど、やっすいルック車でも買ってしまおうか。あの手の価格帯じゃ最近流行りの感じのはないけど、ここは昔の憧れを追ってシュッとしたやつに乗ってみようかな。BMXとかマウンテンバイクなんかもかっこいい。性能はなくとも見た目だけで十分。
コスパって自分の中の尺度としては使うかもしれない。でも他人と共有するのは難しいと思う。
コストって誰にとっても同じ。マックのチーズバーガーは誰が買っても200円。そこに趣味嗜好思想信条を挟む余地はない。でもパフォーマンスはそれが全て。どう受け取るかなんだから。
ベジタリアンか潔癖か肉が好きかジャンクフードか嫌いか。痩せたいからと低カロリーを好むか、金が無いからより高カロリーなものを求めるか。エシカルコンシャスネスみたいな点ではネオリベかレイシストか共同体主義者かどうかだって無関係じゃないだろうし。何を求めるかもバラバラならコスパだって不揃いになる。
まあハンバーガーならシンプルに味が一番の興味になる事が多いだろうけど、味なんて好みの分かれるものの代表例だろうし。評価の物差しすらも常に共有されてる訳じゃない。
車とかならまあ分かりやすいかもしれない。単に移動手段と割り切る人は少なからずいるだろうし、それなら車体が安く燃費も良い、操作性が快適で安全性も高い、そういうのがコスパの優れた車って事になると思う。
ただそれは単なる移動手段と目的を定めた場合であって、そのコスパをもってしてカッコイイ車を求める人を非合理的だとなじるのはナンセンスだし。
都市部/地方に住むか、車や家を持つ/持たないか、ブランド品を身に着ける/身に着けない事のコスパを論じるのってインターネットで大人気だけど、それは相手が自分と同じ目的でなければコスパの議論なんて始まらないし、人間が全員同じ目的で生きてるなんて事もない訳だし。
相手が自分と同じ思想信条を共有していると断定した上で「コスパの悪い生き方をするバカ」みたいな事を言う人もいるみたいだし、宗教の時代って全然終わってないなって思う。
消費者やマーケットが、「密猟ウナギが混ざってる店からは買いたくない」「偽装うなぎや脱法うなぎは買いたくない」「高くてもいいので確実な非密猟うなぎだけを食べたい」と強く主張・実践していることだね
うなぎを売ると、密猟じゃないですよね?と問い合わせ殺到するとか、安さよりも保全が大切だと国民の多数派が考えているとか。
そしたら、「密猟ウナギ不使用」がその企業の宣伝文句・マーケティングとして有効になる。企業は利益を出さなきゃいけないので「持続的ウナギ」「正規ウナギ」を必死で売りますよ
エシカルビジネスしか利益が出ない社会だとね、そんなに難しくないんですよ
日本は倫理的・物理的に問題があっても気にしない、社会の仕組みを知らない頭や教養が足りない、正義を感想だと思ってるクソみたいな顧客でマーケットが構成されて利益が出るからねビジネスでどんどん犠牲が生まれる
歯科 麻疹 司会者 シシカバブ 奈良シカマル ヤクシカ 可視化 石狩支庁 石川県 石川啄木 石川五右衛門 石川さゆり 石川佳純 石川島播磨重工業 西川史子 西川きよし 士官 史観 アシカ 海鹿島 足利 足枷 エシカル 押角 起死回生 串カツ 串かつ けしからん 腰掛け 腰かけ 差し替え 弟子屈町 都市化 西海岸 西葛西 西神田 西関東 西観音町 西春日井郡 西鹿児島 西川貴教 西勝間田 石川工業高等専門学校 石川島 石狩市 牛飼 下士官 貸方 既視感 ケシ科 都市間 無資格 もしかして 吉川市 吉川 具志川市 具志川村 具志川 具志頭村 資格 視覚 刺客 死角 母子家庭 死活問題 しかみ像 死海 鹿内 カモシカ 鹿追町 仕掛品 シカゴ 志方町 師勝町 しかと シカト 志賀島 鹿ノ下通 鹿部 色麻町 飾磨郡 飾磨区 鹿町町 しか 然別 鹿渡 鹿賀 チェブラーシカ 公使館 大使館 監視カメラ 電子化 電子回路 電子カルテ 電子殻 原子核 原子価 男子会 篤志家 投資家 明石海峡 アカシカ 東京医科歯科大学
すごい分かる。
cocaとかZARAとか着てて贅沢ができてない。
私が大学ぐらいのときにファストファッションが日本に入ってきて、
初めてのファッション体験がそこになっちゃったから、社会人になってからもその頃の金銭感覚から抜け出せないんだよね。
でも、それでもルミネのそこそこのお店で5万超えのコート買うぐらいのレベル。
それで「うわ〜うわ〜き、きるぞ〜〜〜」って思いながらうっすらと後悔するぐらいのチキン。
あと、特別何かのオタとかファンでもないからドドン!と自分の欲望にお金を使うことに慣れていないというのもある。
私の場合は唯一の趣味が海外旅行なので、年に1回だけまとまったお金を使うが、
とはいえ学生のような旅行が好き(安宿にとまって博物館・美術館巡り)なのでそこまで浪費もしない。
浪費しなくても欲望は満たされてるので、ますます他での浪費も減るという。(こんなことにお金使うなら旅行に使お〜って思う。まあ節約したとこで旅行でも使わない好節約循環?なのだが。)
加えて、酒タバコギャンブルやらない。太りたくないから自炊。使うとこない!
「まぁまぁお金がある独身女性向けに、ブランド力こそないが価値がある商品を売りつけたい!」みたいな依頼を受けて仕事をしたりしている。
フェイク入れつつ具体的に言うと、
「ブランド力はない、でもモノはいい。そこに社会的付加価値をつけることによって、年齢・収入的にきちんとしたものを欲しいと考える堅実な大人女性にアプローチしたい!だからエシカルブランドとして認知させましょう!」みたいなわけわからん企画とかやってるわけ〜
うちらみたいなファストファッションに慣れ腐った人間が「社会的に正しいから」って理由で4万円するリサイクル素材のワンピ買うか〜????みたいな疑問をめっちゃ抱えながら仕事してる。
だったら、
・モノは良いし老舗なんで、ベーシックなもの買えばリセールの潰しが効きますよ〜とか
・低収入ファッション全振り勢にターゲット定めて、めっちゃモードにする〜とか
・流行りの診断系とまとめて20万でヘア・メイク・骨格・ファッション・アクセのフルスタイリングでセット売り〜とか
・体験とセット売り(ブライズメイド用で花嫁とその周辺向けにワンピ4着まとめて売る)〜とか
…の方がまだ買うかな〜って感じはする。
保険か強い欲望か、他の浪費とくっつける方がまだ買う気がする。
まあそういうコスパ意識したものって贅沢品の企画では好まれないんだけどさ。
マジで誰が買ってんだろうね、贅沢品。