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2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。したがって「全集ものリファレンス指定することが難しい。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強だから単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンによるものが世評が高い)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山幸雄に至っては、二回、ショパン作品の(文字通り)連続演奏会を開いている(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない。リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせてCD99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。ただ、優れたピアニストであるハワードでも、短期間に大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ちなみに膨大な量のハワードCDを一巻ずつ紹介している古いサイトがあり、これまた頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのものだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。ちなみにパガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。ちなみにペトロフ映像は中々手元を写してくれないので、「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

anond:20241212003420

というかもう女の価値暴落してるのよね

女の自意識だけ肥大化したとしても実質的価値暴落してるの

スマホ検索すればエロ動画は見れるし

ちょっと金払えば女は買える

便利な家電家事代行も拡大してる

制度崩壊して嫁や子供価値も激減

一方、女の年収はろくに上がってない

え、女と結婚なんのためにするの???

その結果、恋愛という強烈な妄想必要になったしまった

恋愛という妄想を除いてしまったら女の価値って極小なの既に

2024-12-11

anond:20241211160624

どっから転載したのか知らないけど、クソデカ自意識と下手な文章底辺高校生らしさを醸し出していていいんじゃないでしょうか

anond:20241211154845

実際そういう自意識でいたのは事実からぐうの音も出ない

けど、俺の方はどうなのというのは置いておいて友人の怒りっぽさとかはまともな交際をしてたら改善する部分だと思うんだ

結局男同士の友人関係だと被害者側がめんどくさくがって喧嘩にすらならないことが多いし治しようがない

2024-12-10

婚活途中経過備忘録的に書く(あまりうまくいっていない)

私の婚活について、あまり進捗が芳しくない。

そのために気持ちが落ち込むことや、婚活億劫に感じてしまうことが増えてきた(いわゆる婚活疲れ)。

そこで、増田を利用して現在の私の状況について整理することで、状況や課題が明確になって何かしらの進展を得られるのではないかと考え、この文章を書いている。

自分の特徴

身体的特徴
  • 年齢:28
  • 体型:普通。痩せているとは思わないが、特に太っているとも感じない
  • 容姿:それなりに自信がある。同性異性ともに容姿を褒められることが少なくない。というか自分でも自分の顔がめっちゃ好き。
社会的特徴
精神的特徴

婚活を始めた理由

一人で生きていける人間ではないと思ったか
  • 人と話すのが億劫なくせに孤独感だけは強いから、このままだといつか友人関係も疎遠になり、ただ一人で生きていくことになる
  • そうなった際に、自分は間違いなく精神を病んでしまう自信がある(なんなら今でも孤独感あるし)
子供が欲しいか
  • 元々死の恐怖がかなり強い人間で(タナトフォビアっていうらしい)、小さい頃は寝る前に自分が死んだ後のことを考えて飛び起きるようなことをしていた
  • その後、自分が死んでも自分遺伝子が残れば全て無になるわけではない、と考えるようになりある程度恐怖は薄れたが、そもそも子供がいないとそれは達成できないことに気づいた
  • これはかなり利己的な理由だと思うが、多かれ少なかれ子供が欲しい理由ってエゴなんじゃないのって気もしている

婚活概要

活動媒体
相手に求めること
進捗

悩みと要因

上述の通り、アプリを開始してから3ヶ月経つにも関わらず、未だ恋人、ないしは恋人候補となるような相手出会えていない。

これが客観的に長いのか短いのかはわからないが、自分メンタル的には結構落ち込んでいる。

うまくいかない要因は大きく以下だと考えている。

高望
  • 先に書いた「相手に求めること」で人を絞っていくと、対象となる異性の数はかなり限られると思う
    • まず同世代年収400万以上の方だけでも半数程度まで絞られ、その中で(私が満足するレベルで)ルックスの良い人は5分の1程度
    • また、「あると嬉しいこと」に記載したものも、加点要素というよりは足切り要素として見ており、複数個要素を備えていないと「この人と結婚した時が想像つかない」とフェードアウトしてしま
    • 更に、要素を揃えていても「なんか違う」という理由で連絡を取らなくなってしまうこともあるため、実際は私の満足する異性は相当狭まっていると推測できる
  • 加えて、もし満足するような異性がいたとしても、そのような相手は当然ライバルからも魅力的に映っており、競争率が非常に高く自分以外の同性と付き合ってしまうだろう
試行回数(がまだ足らない)
  • 婚活は運と縁」という言葉があり、私はこれを信じている(というか、そこに縋っている)
  • 婚活結婚相手ガチャと捉えれば、「私が満足する相手で、かつこちらを魅力的に感じてくれる異性」というSSR試行回数を増やすことでいつか巡ってくるはず(天井システムはないが、、、)
  • 実際、「私が満足する相手で、かつ2回目のデートに来てくれた異性」は2人いた訳で、この層の人数が増えてくれば3回目デートに応じてくれる方、実際に付き合ってくれる方も現れるのではないかと考えている
    • 懸念点として、2回目デートと3回目デートでは重みが大きく違うので、「2回目来てくれて、3回目も来てくれる割合」は実はかなり低いかもしれない

逆に「自分に魅力がないために婚活がうまくいっていない」とは、正直言ってほとんど考えていない。

アプリで受け取るいいねの数、通話できるまでチャットした数、実際にあった数において、同世代比較しても多い方だと考えているためだ。

基本的にはこちら側からフェードアウトだし、フェードアウト後に「ぜひ会いたい」などの連絡をいただくことも少なくない。

ここまで書いた文章見直して思ったこ

いやこいつ見てキショすぎるだろ、、、

どんだけ自信過剰やねん、本当にそんな魅力的ならもう恋人できてるわ

そもそもこれまでに恋人1人しかいなかった人間が書いていい文章じゃない

あと、自分性別をあえて書かないようにしているのも自意識が透けて見えてキモい

要するに勘違いしてる痛い奴が勘違いしたまま婚活して順当な結果に終わってるだけなんじゃないの???

普通に深夜2時にこんな長文書いている時点で終わっとる

ここまで書いて「そういえば自分ってこういうキショいやつだったな」って思えたことは一定成果だったかもしれない

仕事してる時は自分のことについて振り返るような機会はなかったから長らく忘れていた

元々キショい奴が婚活してすぐうまくいくわけないし、まあダメ元で続けていくのが良いのかなー

婚活途中経過備忘録的に書く(あまりうまくいっていない)

私の婚活について、あまり進捗が芳しくない。

そのために気持ちが落ち込むことや、婚活億劫に感じてしまうことが増えてきた(いわゆる婚活疲れ)。

そこで、増田を利用して現在の私の状況について整理することで、状況や課題が明確になって何かしらの進展を得られるのではないかと考え、この文章を書いている。

自分の特徴

身体的特徴
  • 年齢:28
  • 体型:普通。痩せているとは思わないが、特に太っているとも感じない
  • 容姿:それなりに自信がある。同性異性ともに容姿を褒められることが少なくない。というか自分でも自分の顔がめっちゃ好き。
社会的特徴
精神的特徴

婚活を始めた理由

一人で生きていける人間ではないと思ったか
  • 人と話すのが億劫なくせに孤独感だけは強いから、このままだといつか友人関係も疎遠になり、ただ一人で生きていくことになる
  • そうなった際に、自分は間違いなく精神を病んでしまう自信がある(なんなら今でも孤独感あるし)
子供が欲しいか
  • 元々死の恐怖がかなり強い人間で(タナトフォビアっていうらしい)、小さい頃は寝る前に自分が死んだ後のことを考えて飛び起きるようなことをしていた
  • その後、自分が死んでも自分遺伝子が残れば全て無になるわけではない、と考えるようになりある程度恐怖は薄れたが、そもそも子供がいないとそれは達成できないことに気づいた
  • これはかなり利己的な理由だと思うが、多かれ少なかれ子供が欲しい理由ってエゴなんじゃないのって気もしている

婚活概要

活動媒体
相手に求めること
進捗

悩みと要因

上述の通り、アプリを開始してから3ヶ月経つにも関わらず、未だ恋人、ないしは恋人候補となるような相手出会えていない。

これが客観的に長いのか短いのかはわからないが、自分メンタル的には結構落ち込んでいる。

うまくいかない要因は大きく以下だと考えている。

高望
  • 先に書いた「相手に求めること」で人を絞っていくと、対象となる異性の数はかなり限られると思う
    • まず同世代年収400万以上の方だけでも半数程度まで絞られ、その中で(私が満足するレベルで)ルックスの良い人は5分の1程度
    • また、「あると嬉しいこと」に記載したものも、加点要素というよりは足切り要素として見ており、複数個要素を備えていないと「この人と結婚した時が想像つかない」とフェードアウトしてしま
    • 更に、要素を揃えていても「なんか違う」という理由で連絡を取らなくなってしまうこともあるため、実際は私の満足する異性は相当狭まっていると推測できる
  • 加えて、もし満足するような異性がいたとしても、そのような相手は当然ライバルからも魅力的に映っており、競争率が非常に高く自分以外の同性と付き合ってしまうだろう
試行回数(がまだ足らない)
  • 婚活は運と縁」という言葉があり、私はこれを信じている(というか、そこに縋っている)
  • 婚活結婚相手ガチャと捉えれば、「私が満足する相手で、かつこちらを魅力的に感じてくれる異性」というSSR試行回数を増やすことでいつか巡ってくるはず(天井システムはないが、、、)
  • 実際、「私が満足する相手で、かつ2回目のデートに来てくれた異性」は2人いた訳で、この層の人数が増えてくれば3回目デートに応じてくれる方、実際に付き合ってくれる方も現れるのではないかと考えている
    • 懸念点として、2回目デートと3回目デートでは重みが大きく違うので、「2回目来てくれて、3回目も来てくれる割合」は実はかなり低いかもしれない

逆に「自分に魅力がないために婚活がうまくいっていない」とは、正直言ってほとんど考えていない。

アプリで受け取るいいねの数、通話できるまでチャットした数、実際にあった数において、同世代比較しても多い方だと考えているためだ。

基本的にはこちら側からフェードアウトだし、フェードアウト後に「ぜひ会いたい」などの連絡をいただくことも少なくない。

ここまで書いた文章見直して思ったこ

いやこいつ見てキショすぎるだろ、、、

どんだけ自信過剰やねん、本当にそんな魅力的ならもう恋人できてるわ

そもそもこれまでに恋人1人しかいなかった人間が書いていい文章じゃない

あと、自分性別をあえて書かないようにしているのも自意識が透けて見えてキモい

要するに勘違いしてる痛い奴が勘違いしたまま婚活して順当な結果に終わってるだけなんじゃないの???

普通に深夜2時にこんな長文書いている時点で終わっとる

ここまで書いて「そういえば自分ってこういうキショいやつだったな」って思えたことは一定成果だったかもしれない

仕事してる時は自分のことについて振り返るような機会はなかったから長らく忘れていた

元々キショい奴が婚活してすぐうまくいくわけないし、まあダメ元で続けていくのが良いのかなー

2024-12-06

anond:20241206154044

作り手からこういう過剰演出にノセられる程度のキモオタどもと同じ括りにされているようで嫌(意訳)みたいなことを新橋九段が書いてたときはお前の自意識気持ち悪いよ死ねと思ったものだが、実際にそういうクソアニメを見ると寒いを通り越してムカつくことはある

2024-12-04

anond:20241204123948

>おっさん独り公園ラジオ流しながらラジオ体操を本当にしてたら絶対通報されるやろ?

そんなんで通報されるわけがない、いい年して世間知らずの上に自意識過剰非モテ童貞がそのまま年取ったのかと思う

他人に関心を持っていたら早朝に公園で1人で体操してる中高年なんて実は珍しくもなんともないことくらい気付くはずだし、普段自分いか他人を見ていないか自覚がない

そのくせ自意識だけ強くて通報されるとか極端な事を考え出す、自分の事なんて誰も関心を持っていないという事が分かっていない

ラジオ体操なんていくらでも公園でやればいいしそれすら出来ないならメンタルクリニック臨床心理士カウンセリングを受けるべきだ

anond:20241204194459

素養じゃなくてやる気がなくて怠惰なだけやろ

それでいて自分意見を正しいと支持して欲しい、自尊心満たしたいみたいな自意識が見える

2024-12-03

anond:20241203145952

個人的には百合好きでしょ!絵面たまらんでしょ?!みたいな感じでチラチラ自意識漏れてる百合が苦手

というか創作物の女、そういう意味自信過剰キャラ多くて違和感あるけど皆あんまなんも思わないのかな

美少女しかさない影響なのかどいつもこいつもニコ生主(イメージ)みたいな性格してんなと思う もしくは私なんて…私みたいなので良いなら… みたいな両極端

2024-12-01

anond:20241130193708

好きにすればいいのに具体的な金額とか書いてしまうところが、金銭的余裕が出始めてそれを自慢したいが素直に書けない37歳男性らしい自意識が透けて見えてウッ…となりますガールズバーとかで嘲笑されるタイプですね。

シン・オジサン構文。

2024-11-30

anond:20241130201126

シルバーアクセドン引きする感覚を持つお前がいるおかげで俺の自意識確立できるんだからありがたいことだよ。

anond:20241130133426

絶対にそんなのなる訳がない

アメリカ支援してきた中東を見てると尚更ね

自意識も過剰なんだね東京の人って

そんなの地方代表アメリカとの付き合いは変わらないって宣言したらなんにもしてこないか

2024-11-29

30半ばくらいから急にちゃんと働けるようになった

から自己肯定感低くて責任負う仕事が怖くてずっと逃げ回って引きこもったりたまにバイトみたいな仕事して暮らしてたんだけど

急になんか重め仕事やってみてもいいかって気持ちになって請けてみたら出来ちゃってそれから割とまともに働けるようになった

ずっと己を縛ってきた過剰な自意識とか自己否定とかが薄れてきて急に真人間なっちゃった

別に後悔してるとかでもないからいいんだけど

俺はずっとなにを悩んでたんだろうか

2024-11-28

中途半端自意識が育つ前に着たいもの全部着ておくべきだった

2024-11-21

今思えば、”小学校高学年”時代バランスの良さは異常だった

小学校高学年って大人子供の「いいとこ取り」ができる貴重な2年間だと思うんだよね。

身体が丈夫になるし、自意識が芽生えて大人ぶったり恋愛ごっこが始まる一方で、休み時間放課後はみんな仲良く外で遊ぶし、小学生ということで社会的にも「子供」でいられ、甘やかしてもらえるもんな。

これが中学生になると「いいとこ取り」のバランスが崩れてしまう。

中学に上がった途端に環境への不適応を起こしてしまう「中1ギャップ」という言葉があるけど、これは「競争」を意識した受験や、学年による上下関係の生まれ部活が始まることなどが原因とされている。

要は「大人社会」に引き込まれることで起こる問題だよ。

人には能力の差があり、身分の差があるという「大人社会」の現実中学生から見せつけられるわけだ。

恋愛ごっこ恋愛になるし、

休み時間放課後はそれぞれのグループに分かれるし、

中学生社会的に「半分大人扱い」になり、自立を求められもする。

親や先生は甘やかしてくれない。

小学生の頃は受験上下関係恋愛携帯責任もなんもなかった。

もちろんそんなもの幻想にすぎないことは分かってる。

過去を美化するあまり、あの頃の負の部分を隠してしまっていると思う。

それでも、俺にとっては”小学校高学年”時代は紛れもなく幸せだった。

あぁ~、あん時代があったことが信じられねぇ。

戻りてぇなぁ。

2024-11-19

ジャンルオタクが嫌い

 これは自分が好きなジャンルオタクあくまでもTwitterによって可視化された一部のオタク)への悪口だ。

 私は私と同じジャンルにハマっているオタクの「コンテンツの変わっているところや界隈の身内ネタ内輪ノリみたいなものを列挙し、そしてそれを対外的面白おかしく(全然面白くない)見せようとする」投稿が苦手だ。そしてそうした投稿の背景には「自ジャンルは他と違って知識教養必要」という他ジャンルへの見下しと自ジャンル上げ、「そして自分はそんなコンテンツにハマっている」といった自意識があるように思う。これがかなりキツい、というかこれこそが私が感じている不快さの本質だろう。

 このキツさを例えるならば、オタク小中学生が「周りの同級生とはちょっと違う自分」と気取っている様子を側から見ている感覚というのがいいだろう。そして自分もまたそのオタク小中学生と好きなものが被っているだけに余計に恥ずかしさを覚えているという状況だ。これが本当に小中学生ならまだ可愛げがあるし、「そういう時期もあるよね」と言える。しかし私が好きなジャンルのメインとなるファン層は30歳前後からそれより上の年代だし、私も私で成人している。小中学のそれとはキツさのレベルが段違いだ。

 ジャンルのことを話すと見せかけて自意識がはみ出てるツイートが本当に苦手だ。でもそもそもSNS自意識を発信するものだしその表現は人の自由であると言われたらぐうの音も出ない。私がキツいと思っている投稿別に規約に反してるわけではないのだから、それを不快に思うのは私の問題だということも理解している。

 私が一人で勝手不快に思って、一人で勝手悪口を言っているだけ。だから別にジャンルに紐づいた自意識が滲み出てるツイートをすること自体否定も反対もするつもりはない。

 私がムカついているのはここからだ。上に書いたように側から見たら自分たちだってイタくてキツいくせに、人の好きなものを平気で踏みつける物言いをする自ジャンルオタクが心底ムカつく。自分のイタさには目を背けているくせに、自分が踏みつけられることには敏感なくせに、自分自身が持つ差別意識には無自覚オタクが嫌いだ。「『自ジャンルは他と違って知識教養必要』という他ジャンルへの見下しと自ジャンル上げ」は見ててキツいと前述したが、こうした「見下しと自ジャンル上げ」が定期的に、そしてとき内面化している差別意識を表すものとして流れてくる。

 自分と同じものにハマっていて、自分より年上の人がそうしたことを平気で鍵パカアカウントで発信しているというのが本当に見ていられない。

 まあでも結局ここにこういうことを書いてるという時点で私も嫌いなオタクたちと同じことをしてるようなものなんだけどね。

anond:20241119183544

バカにされてるかどうかに敏感すぎるだろ自意識どうなってんだ

anond:20241119021011

人格自意識が生じた時点でそれはもうAIではないとおもう

人類最初に出逢う対等な知的生命体だよ

2024-11-17

AI絵師がやってるウォーターマーク実質的無意味な件

集団ヒステリーしか思えない反AI絵師のやってるウォーターマークやらノイズやらが実質的に全く無意味な事を彼らは認識していない

まずインターネットに自らが上げる画像100%強固なプロテクトを仮にかける事ができたとしても、商業イラストレーター同人作家商業流通品や頒布物を小汚いノイズまみれにするわけにいかない(明らかに売り上げに対してマイナスしかならないので市場容認しない)ため、実質的に納品イラスト同人誌のものにかけられない。

で、Lora作る為だけなら別にインターネット画像なんて絶対使わなきゃいけないという仕組みでは無いので商業作品サンプル画像や、商品自体からスキャンすればいいだけだし、同人誌なんて違法アップロードが平然とされるようになって久しいので簡単無料クローリングなんて今まで通り出来てしまう。

まり商業活動してるイラストレーター同人誌を出してる同人作家実質的にそのウォーターマークつけてる作業、Loraで絵柄模倣したい人間からしたら全くもって無意味なんだよね。徒労お疲れ!としか言いようがない。

商業活動同人活動もせず、インターネットにアップするオンリー作家ならある程度効果があるかもしれないが、そんな無名ぶっちゃけ画力もお察しの絵師様()の絵なんてハナからLora作る需要無いんだよね。

ブスが容姿に見合わない肥大化した自意識で過剰に自己防衛してるだけなのと同じ。お前に需要は無い。

ま、集団ヒステリーを続けても無意味なのを2年経っても理解出来てないお子ちゃま達はおまじないとして頭にアルミホイル巻き続けるんだろうけど。

2024-11-15

自己責任論とかいう個責論

言わんとする事を言おうとすれば、タイトルのようになるしかないのだが、この事実が既に矛盾を抱えていて、「自己責任論という対象への批難をする他己責任論」の蔓延であるように思える。というと、他己責任論者と詰られたと勝手に感じた自意識過剰ずんぐりむっくりの干渉的なタイプ人間が、あんたはじゃあ失敗のすべては個人責任で、被抑圧的な対象に同情しないんだね、みたいなことを言ってくるのだが、まあまて。

誰もそんな事言ってなければ、あんたを責めもしていないから、一度聞け。

そんな自分を責めている被抑圧者の要求がなにを求めているのかといえば、あんたの勝手自意識の解消ではなく、まず問題の正しい把握である

自己責任論が批難される理由は、まあ端的にそういうことなのだが、自己責任論とは個人に生じた悪い現象自業自得だとする論理だ。

しかし、世の中通り一片では語れない。

ここでは、

悪い現象責任個人に帰責するのはやめろ→自己責任論は諸悪の根源攻撃→他己責任論者への転回(自己責任論への詰責、被害者加害者への転身)

という一連のプロセスが発生しているのであるが、これは個人的にも社会的にも同時並行で進行する。

個人問題社会の大問題拡張されうれば、

護身のための具術は他人へ剥ける牙にもなり得るのだ。

デフレへの視点で捉えるとわかりやすい(経済的問題はいつも視点が一点集中していて、多角的視点からつの現象を捉えようとはしない。)

通り一片というのは、負の側面だけを捉えているということで、個にとって悪質な自己責任論を撤廃、廃絶させてしまった先に何が残るのかという事を、《自己責任論者》は考えようとはしない。

そもそも彼らがしているのは、存在しない自己責任論者に対するテクストの訂正行為じみたもので、勝手に「自己責任論」という議題を設定して問題を追求しようとしているようなものだ。

まり、そのような対象(自己責任論者)は現実人格としては存在しないに等しい。だから、それに対する攻撃は、そもそも何に対して怒っているのか、攻撃しているのかがわからない。

から彼ら自身が《自己責任論者》となる。

が、彼らの攻撃自己責任論者として現実人格を叱責する。換言すれば、自己責任論の問題現実に帰責し、具体化する(してしまう)ことで、無関係他者を詰問する。

このような状態人格二元性と名付ける。この名称自体にそんな錯誤と矛盾が表れている。あたかも「自己責任論」のように。

そのような状態では言論攻撃的か、批難的か、あるいは攻撃的に批難的かになる。

整理しよう。

自己責任論の負の側面は悪い現象自業自得になるということだが、では正の側面は良い現象自業自得=本人の努力という捉え方に回収される事だろうか?

注意してほしいのはここで人格二元化された観念的な状態区別することだ。

まり、”自己責任論の正の側面として何らかの良い現象を受けている個人なんていないということ”だ。

たか上級国民に向けられる復讐根性のように、これ自体が正の論理から、負の論理はわからないとか、そういう事もない。

なんていうか、まずその、あなたの負の状況というものが無い。その穴も都合よくつくられたシチュエーションである

自己責任論も単なる視点にすぎず、良い現象も悪い現象もない。

にもかかわらず自己責任論が個人である私を批難しているように”現実において”感じるとしたら、それはたぶん観念的な他者への他責社会意識にまで拡張された時代からで、だからって別に一方的他責されてる被害者がいるわけではない。そんなふうに思うやつがいれば自身が目の敵にする迫害者と同じ。だが、そんなふうに思うやつが実在するわけではない。

その社会においては、皆が被害者で、加害者だ。

しかし、そのような変質を受けたものではない、自己責任という語句意味については肯定されるべきで、本当に憂いるべきは誤った負の観念が正しい意味まで同時に否定してしまう事だ。

さて貴方が本当に否定したいのは、自己責任論ではなく、それ自体誤った自己責任論の状態であり、求めているのは、廃絶という意味ではない負の否定である。負は無限に廃絶されるべきだ。だがその循環自体廃止は誰も望んでいない。

負の状態否定するために廃止を望んではならず、この廃止を望んでいる状態廃止された状態が負の状態といえるのではないか

一定結論を出すために、個人個人責任を持つべきだし、持てる社会状態が結局は望まれている。

しかし、「自己責任論」に限らずに、誤った観念がそれを阻害している。その状態改善こそが求められている。だから問題なのは自己責任論」そのものではない。「自己責任論」という記号問題にまつわる状態の全て。「自己責任論」がどのように社会において問題にされているかというシチュエーションが最も討議すべき根幹的な問題。それを問わない結果が誤った方向に行く。諸悪の原因は本当はこれ。なので、誤った社会的観念における誤った状況の防止のために、誤った社会的観念個人の逸脱の原因という意味で、社会責任のがれなんかせずに、「自己責任論」なんて議題の設定の仕方はやめて「個人責任」とか「個責主義」とか、もっと現代的な抑圧論に結びつけて考えたらいいし、そうするべきだと思う。

問題なのは自分の及ばない範囲問題まで自分責任にされているというか、そうだからって自己責任否定するんじゃなくて肯定するのが大事だっていう事なんだけど、その自己責任っていうのは正しい言葉意味肯定しようってことで、社会的に捻じ曲げられた仮置の信号として解釈すべきでなく、そこに置くべきではない。社会的には個人社会責任があるという自負でよくないか

自己責任論の提起のされ方がどこか病理的に思える。

テクストの訂正と、自己責任《論》

2024-11-13

anond:20241113232453

からAIにそんなことするような人格自意識も無いと何回いえば😔

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