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はてなキーワード: 平等とは

2025-11-01

今までフェミの言ってることが比較賞賛されてたのは、国の中枢は男のものっていう勝手な固定概念があったか

いざ女がトップに立った瞬間にこのザマじゃ、まあもうどれほど平等を謳っても見向きもされなくなるね

フェミ自分たち自分の首を絞め合って共倒れしていく

これまでの功績まで否定されながら、自分過去を掘り返されながら

anond:20251101105908

仮に、完璧平等販売環境を実現したら、運が良くないと手に入らないようになるだけだぞ

例えば、行き渡るまでに2年かかるものがあったとして、運が悪くて2年後になってもいいんか?

金あれば買える環境のほうが良くない?

2025-10-31

自民党支持者の旦那フェミニズムに目覚めた

うちは、いわゆる「政治の話」を食卓でするような家庭ではない。

なんとなく、夫が保守的自民党を支持しているんだろうな、というのは知っていた。ニュースを見てたまに「景気対策が…」とか「防衛費が…」とか言うことはあっても、私(どちらかといえばリベラル寄り)と議論になるようなことは、お互い無意識に避けてきた気がする。

もちろん、私がジェンダー平等問題や「ガラス天井」について思うところがあっても、それを夫に熱く語ったことはない。どうせ「ふーん」で終わるか、面倒くさそうにされるのがオチだと思っていたからだ。

そんな関係だったのだが。

先日、高市氏が総理大臣就任した。 私は「初の女性総理か…」と感慨半分、政策への警戒半分、といった複雑な気持ちニュースを見ていた。

一方、夫は。 特に賛成とも反対とも言わず、いつも通り淡々ニュースを眺めているように見えた。彼が彼女の支持者なのかどうかも、私は知らない。

異変が起きたのは、その数日後だ。 ネットニュースSNSで、彼女に対する凄まじい言葉が飛び交うようになった。

もちろん、政策への真っ当な批判はあった。 それとは別に、目を引いたのは「男に媚びた」「女のくせに」「名誉男性」といった、彼女性別や振る舞いに対する、お世辞にも「批評」とは言えないような罵詈雑言だった。

(うわぁ…酷いな…)

特に、そうした言葉の一部が「リベラル」や「フェミニズム」を掲げるアカウントから発信されていることに、私は複雑な気持ちを抱えていた。

その夜、リビングスマホを見ていた夫が、珍しく私に話しかけてきた。

「なあ、これ見た?」

夫が私に見せてきたのは、そうした罵詈雑言がまとめられたネット記事だった。

「…うん、見てるよ。酷いよね」

「いや、なんというか…。政策を叩くなら分かるんだよ。でも、『男に媚びた』とか『女のくせに』みたいなのはちょっと違うだろ」

私は驚いた。 夫がこういう「ジェンダー絡み」の話題に、自ら言及してきたのは初めてだったからだ。

夫:「この人(高市氏)が実力あるかどうかは人によるんだろうけど、一応トップに立ったわけじゃん」

私:「…うん」

夫:「なのに、叩いてる理由が『女のくせに』とか『男みたい』とか、そういうのばっかりなのって、おかしくないかしかも、そういうのを言ってるのが、普段男女平等』とか言ってる側(リベラル層)なんだろ?」

夫は、政治的に「正しい」ことを言おうとしているわけではなかった。 ただ、彼が持つ(おそらくは非常にシンプルな)「実力主義」や「フェアネス」の感覚からして、目の前で起きていることが「アンフェアだ」と感じたようだった。

実力で評価されるべき(と彼は思っている)なのに、実力以外の部分(=性別)で、しかも「平等を訴える側」から攻撃されている。

このねじれが、彼にはどうにも理解しがたく、気持ち悪く映ったらしい。

夫は続けてこう言った。

「こういうのを見るとさ…もしかして今までも、女の人ってだけで正当に評価されてこなかったことって、あったのかなって思うよ」

私は、一瞬耳を疑った。 あの「個人努力」が口癖だった夫が、構造的な性差別存在を、ほんの少し、示唆したのだ。

もちろん、これで夫がフェミニストになったわけでも、リベラル転向したわけでも断じてない。明日になればまた「景気が…」と言っているだろう。

でも、彼が「実力さえあればいい」と信じて疑わなかった世界に、「あれ?」という小さなノイズが走ったのは確かだった。

「これじゃあ、フェアじゃないよな」

そう呟いた夫の顔は、政治的な主義主張というより、純粋な「理不尽さ」に対する嫌悪感を示しているように見えた。

政治的な立場は違えど、夫婦の間にほんの少しだけ、共通認識が生まれた。 なんとも複雑な「目覚め」だった。

2025-10-30

恋愛って正しくない

行政恋愛アドバイスって難しいなー。と思っていて。

女性ファッションについて、「ポイントは『パンプス』『スカートワンピース』という2点を押さえる」「首・手首・足首の『くび』と呼ばれる部分が出て、可憐雰囲気に」などと細かく助言。

 一方で、男性ファッションは「清潔感を大切に」「自分に似合う服で、体形に合ったサイズを選ぶ」などにとどまり、髪形は「理美容室に通い、清潔感を保つように」とするだけ。SNS上では冊子で求められている男女の差にも注目が集まった。

[B! 炎上] 女性は「可憐に」「控えめメイク」婚活支援で批判、岩手県がHP削除:朝日新聞

はてなブックマークではこの炎上に対して、「最大公約数的に好かれる見た目を拒絶するのって狂気」「実用的であればいい」「一般論としてのアドバイスだろ」みたいな反発が人気に。

私は、ため息をついた。

フェミニズムは確かに正しい。だけど、正しさが少子化をまねく側面は確かにある。

恋愛って正しくないから。

現実直視して実用性にパラメータを全振りして最大公約数モテオススメすると、男女不平等になってしまう。

かといって自然な流れに任せると、モテない人がモテないままに開き直ってしまう。

すると出産負担は半数のモテる男女に押しかかり、女性一人あたり四人子どもを産まないと人口数が維持できなくなる。

無理。

でも男女平等じゃない世界なんて明らかに間違ってる。

男らしさを求めることに連日厳しい批判の目が向けられるように、女らしさも生きづらさを生んでる。

女らしくなんてなくていい。

控えめじゃなくていいし、可憐でなくていい。清楚なんかじゃなくていい。

どうすればいいんだろう。

ニート」「パラサイト・シングル」「引きこもり」はまったく別個の話です。

正直、私はこの山田昌弘氏にも大いに社会をこういう状況にした罪と責任があると思っています

それとまったく同じ構造高齢者にも当てはまる。

もちろん高齢者からもはや「ニート」や「パラサイト・シングル」「引きこもり」といった用語は当てはまらない。

だが日々の収入を得るのがむずかしく、生活の基本部分を家族に頼らなくてはならない状況は似ている。

自分より若年者には甘えだと言い、自分と同じ老人は違うと言う、というのはちょっと酷すぎやしませんか?

ニート

まず、ニートは「Not in Education, Employment or Training、NEET」というイギリス言葉であり、イギリス定義です。

日本イギリスは大きく社会状況が異なるにも関わらず、厚労省意図的にこの言葉を輸入し、日本社会に流布したことに、陰謀論とまでは言いませんが、悪質な意図を感じます

また、ニートは明らかに他者に対する侮蔑的表現として日本社会で用いられています

本来定義のとおり、「学校に通っていない、学校に通えない、仕事に就いていない、仕事に就けない、訓練を受けない、訓練を受けられない」人たちです。

そういった、イギリス労働者階級出身者を示している。

社会弱者を何だと思っているのでしょうか。

健常者のとき障害者を見下して加害者になり、自分事故や老人になって身体障害が出たら被害者になる。

こんな日本社会のままで本当に良いのでしょうか???

パラサイト・シングル

これも言葉定義からすれば、就職氷河期のような状況に左右されて、収入が家を出るのに満たない額だから仕方なく家にいる人たちを含めている話です。

そして、こういう造語を作り、他者侮蔑するような日本社会を作ってきた犯人の一人が山田昌弘氏です。

そして、次の「ひきこもり」もそうですが、

引きこもり

ここまでの「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は単なる状態、症状の話です。原因の話ではありません。

例えば、あなた頭痛がする、寒気がする、血便が出た、とします。これは症状です。

症状を緩和することはできます。例えば、風邪薬がそれです。

しかし、あなた自分身体が何かおかしいと思ったら、普通病院に行くはずです。

病院に行って、検査して、医師に診断してもらわないと、原因は分からない。

原因が分からなければ、根本的な解決はできません。

例えば、歯が痛いとしても、虫歯なのか、歯槽膿漏なのか、気のせいなのか、歯軋りなのか、

それぞれの原因に対して、対処方法は違いますよね。

対症療法では何も解決しません。

しかし、日本おかしなところは、

ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」が問題だ、なんとかしなければ、と政治とかマスコミが騒ぎ出すわけです。

例えば、精神疾患統合失調症の人がいたとして、統合失調症でも薬等で安定して一人で生活できる人もいます

しかし、症状が悪化して、仕事を休むようになり、集合住宅で「ひきこもり状態になってしまった人もいるでしょう。

ちなみに、統合失調症も症と付いているように、これは症状です。そして、未だに機序メカニズム、原因は不明です。

しかしながら、医療の発展とともに、分かってきていることがあります

例えば、統合失調症を促しているのは過剰なドーパミンではないか、という仮説があり、ドーパミンを抑える薬は効果があります

統合失調症状態が酷ければ、一人で暮らすことは困難でしょう。

当然、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」の状態になるでしょう。

しかし、就労したいという意思普通あると思います

そうしなければ、いつか限界が来ることは、ある程度思考ができて、相当裕福な家庭でなければ分かっているはずです。

ここで話をおかしくするのは、就労意思があればニートではない、とか、そういうおかし定義が出てくる。

もう、明らかに社会問題定義するニートという言葉侮蔑的差別的に使っており、

自分被差別対象ではない、だって就労意思はあるんだから、という意図を感じます

こんな言葉遊びに何の意味があるんでしょうか???

端的に言って、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」という言葉を捨てるべきです。これらの言葉を好んで使って社会問題を語ることは不可能からです。

では、どう定義すべきなのか、とするならば、ぶっちゃけ、本人の意思なんてどうでも良いのです。

そんなことより、身体障害精神障害知的障害があるのか?

具体的に、収入はいくらなのか?

その当事者の近隣の企業は、どれぐらいの給与を払っているのか?ちゃん最低賃金は守っているのか?求人の量、内訳はどうなっているのか?

日本人はすぐに、本人の意思重要とか言い出しますが、じゃあ、就職する気がなくて遊んでたい人でも、俺は就職する意思がある、

就職する意思がある人はニートとは呼びません、ということになり、就職する意思があると表明すれば給付金がもらえ、

会社で酷い事故に遭った、もう二度と俺は働きたくなんかないからな、と言った人には給付金を払わない、これはナンセンスでしょう。

じゃあ、すべからく貧しい人に給付金を出すべきなのか?遊んでたい人にも、障害者にも、老人にも出すべきなのか?

その通りです。

ただ、単に遊んでいたい人が、本当に詐病でもなく障害があるのか?特に身体障害があるのか?

普通はないと思います徴兵を逃れるために障害車椅子になるぐらいの自損事故を起こす人もいるとは思いますが、

ある意味、それはそれで何らかの給付を得てもいいのではないでしょうか?

だって徴兵逃れとはいえ、今後一生涯が車椅子ですよ?

老人も単に年齢に払うのではなく、身体能力障害があるか、認知症があるのか、そういう状況に即して助けるべきです。

70歳で障害病気、癌などでつらい人もいれば、90歳でも足腰が元気でスポーツを楽しんでいる人もいます

こういう格差は、そもそも出自、つまりまれつき環境が恵まれていたかそれから遺伝的な格差もあるはずです。

社会とは、そういった本人にどうにもできない格差をできるだけ埋め、チャンスを平等にするべきものです。

駆けっこで一位をなくせばいいとか、そういう頓珍漢な話ではないはずです。

最後に端的にまとめるならば、やはり「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような言葉社会問題を語る人を疑うべきです。

それらは症状であり、状態であり、議論になりません。

議論するためには、根本的な社会病理の原因を特定し、そこで初めて、その解決方法議論できるはずです。

要は、例えば「パラサイト・シングル」も「ニート」も「ひきこもり」も、日本労働環境雇用する側、企業人事の悪しき文化ブラック企業など、

政治厚労省からすれば、問題にしたくないわけです。

企業から献金を得ているのに、その企業労働者に酷いことをして、パラサイトシングルニートひきこもり状態国民を生み出している。

お金をもらっているのに、そんな指摘できないですよね。

そもそもひきこもり状態、症状を訴えている人たちは、かなりの割合で何らかの精神疾患があることが既に医学的にも示されています

私も氷河期世代ですが、私が子供の頃には例えば発達障害なんて言葉自体がありませんでした。

これを取り上げて、発達障害なんてもの存在しない、医療界の陰謀、みたいに言う人がいますが、私はそうではないと考えています

単に見つかっていない、無視してきた病気が見つかっただけです。

それから社会の方が変化して、その変化した社会適応できないか病気として認知されたのです。

人為的ですが、これも立派な病気であり障害です。障害とは社会に対する障害で合って、視力が低くても眼鏡があれば克服できることで、これは社会が変わって病気が消えたのです。

まり氷河期世代ベビーブーム世代でありながら、大量の精神疾患罹患者、発達障害などの当事者が、

なんのサポートもされないまま、学校生活を耐えさせられ、社会に出て会社合理的配慮どころか、不合理配慮不条理配慮を受け、

社会適応できないまま放置された、そういうケースがベビーブームですから、大量にいるわけです。

当然、社会問題として目立つことになる。

病人弱者なんだから勝手に淘汰されて死ねばいい、そういう漫画なるたる」の登場人物みたいな考え方もあるとは思います

しかし、社会とは例えば公衆衛生を維持する必要があります

公衆トイレがあまりにも汚い、路上にも糞便が溢れていて、川にも生ゴミ粗大ゴミがそのまま投棄されてる、

そんな社会が本当に住みやすいと思うでしょうか?

でも、ちょっと前、昭和の、私が生まれる数十年前はそうだったわけです。

そこから高度経済成長オリンピック大阪万博バブルバブル崩壊などを経て、公衆衛生は格段に良くなりました。

ウォシュレットなんて、潔癖すぎることで逆に病気を起こすぐらいです。

精神衛生も同じです。

私は漫画アニメ音楽精神汚染しているというよりは、労働環境、悪しき企業の人事の文化

リクルート社のような人材斡旋利益を優先した文化、そういう方が人間精神おかしくしているのではないか、と思っています

労働するなら、やりたくないことをやるなら、せめてできるだけ快適な環境で働きたいとか、もう限界とき休みたいとか、

そう考えるのが普通なのではないでしょうか?

我々は人間です。AIロボットではない。

一方で、近年のAIロボットの発展は凄まじい勢いがあります

私なんかより遥かに天文単位レベルで頭が良い天才が開発に携わり、私にはさっぱり分からない数学の話をしていますが、

そんな超天才たちが、でも、どうしてうまく動いているのか、ちょっとよく分からないんだよね、みたいに言うことがあります

そんな感じなので、本当に超知能が10年後ぐらいに実現するのか、自分にもよく分かりません。

ただ、AIロボット人類労働から解放するのではないか、というありがちな見方ひとつあり、

私はもうひとつAIロボット人類が一緒になって、困難な問題に取り組む、

例えば、この世界はどうなっているのか?そういう究極の真理の探究はまだまだ続くでしょうし、

いくら超知能とはいえ、それこそ「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような症状を生み出す社会問題ゼロにできるでしょうか?

まり、我々人類にはまだまだ成長の余地がある。

すべての人類幸せになるまで、幸福市民義務なんて強制ではなくて、できるだけみんなが幸せになれるような社会にする、

これはきっと永遠に訪れることがない理想理想論であり、しかし、宮崎駿氏が言うように、理想を目指しながら、現実はどうするかを議論するべきなのです。

そのためにAIロボットはきっと役立ってくれるはずです。

私の今の将来の夢は、AIロボットに任せっきりにするのではなく、一緒にプログラミングして、一緒に絵を描いて、一緒に作曲をして演奏して、

一緒に畑を耕して、どんな場所でも、一緒に高め合っていける、そういう社会が実現したらいいなと思っています

ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は症状であり、状態です。

そういう症状、状態の人を責めるなら、その前に、その原因をちゃんと考えてあげてください。

原因が分からなければ、問題をどう解決して良いかからない。

なぜ、お米の価格が上がっているのか調査しないまま備蓄米放出するのと同じです。

まずは調査です。そして、原因の特定です。議論はそこからです。

AIAIうっせぇよボケ

流行語「これはAI

なんだその上から

オマエはAI判定師か?

猜疑心と卑屈な精神言語化してるだけって気づいてる?

AI作文だから何だというのだ

AIに反応したら負けだとでも思ってるの?アホなの?

読んで面白いなら面白いと感じれば良い、人が書こうがAIが書こうが自分価値観内面がどう感じたかで良かろうに

AVでやたらと偽生や疑似挿入疑似精子は許さない勢がいるが、てめぇがやるんじゃないんだからなんでもよかろうに

無駄リアリティに拘るバカ、素直にチンコ立ててシコってりゃいいんだよ

 

OK牧場、わかった 

お前らがそこまでエラソーに言うなら勝負しよう

さて、以下の作文はAI生成だ

どのAIを使ってどんなプロンプトで出力させたか当てたらオマエの勝ちを認めてやる

AI使うの無しな

 

行列という穏やかな搾取

ラーメン屋の前にできた行列を見るたびに、

「この国、今日平和だな」と思う。

だって、寒空の下で一時間も並んでラーメンを食べようという人たちが、

こんなにたくさんいるんだから

誰もが「うまいものを食べたい」という欲望正当化するために、

神妙な顔で並んでいる。

その様子はほとんど宗教儀式だ。

違うのは、信仰対象豚骨スープというだけ。

 

行列の中には、

「ここまで並んだんだから、うまくないわけがない」と

心の中で念じている人も多いだろう。

人間というのは、努力我慢をした分だけ、

結果に価値を感じるようにできている。

まり、美味いのはラーメンではなく、自分の忍耐なのだ

汗と寒さを味付けにして、ようやく自己満足というスパイスが完成する。

 

そして店もそれをよくわかっている。

行列ができれば「人気店」の出来上がり。

広告ゼロ更新毎日信頼度は抜群。

まるで人間広告塔。

しかも彼らは無料で、笑顔で、SNSまで投稿してくれる。

ここまでお得な労働力を他に知らない。

これは搾取ではなく、信仰という名のボランティアだ。

 

店の前には「代表待ち禁止」の張り紙がある。

誰か一人が代理で並ぶのはルール違反

信者平等でなければならない。

全員が同じ時間差し出すことで、

その苦行の公平性が保たれている。

この構図、どこかブラック企業の“平等地獄”に似ている。

 

そして、歩道いっぱいに続く行列

冷静に考えれば、あれ、道交法的にはグレーどころかほぼ黒だ。

歩行者の通行を妨げてはいけない――

そんな当たり前のルールも、

行列です」という名の宗教行事には誰も逆らえない。

信仰には警察も寛容だ。

 

アプリ整理券を配ればいいのに、誰も望まない。

不便を楽しむ。

合理を嫌う。

「わざわざ並ぶ」ことが価値になる。

まるで、テクノロジー恩恵をわざと拒んで、

自分時間を供え物のように捧げている。

令和の日本では、苦労の共有が最高の娯楽なのだ

 

そして、SNSで「行ってきました」「並んだけど最高でした」と投稿して、

自分巡礼を報告する。

今日札所ラーメン明日札所パンケーキ

功徳は「いいね」の数で可視化される。

行列という信仰は、やがて文化になる。

そこに疑問を挟む者は、信仰心の薄い異端者だ。

 

でも、こうして批判めかして書いている私だって

気づけば次の“限定メニュー”を検索している。

結局、誰もがこの社会のどこかで行列に並んでいるのだ。

スマホの予約待ちでも、保育園入園でも、流行りのカフェでも。

行列とは、私たち時代が生み出した最も穏やかで美しい搾取

そして、最も居心地のいい服従のかたちなのだ

anond:20251030090802

武術狩猟術ってどっちが強いんだろうな?

いや流石に武術狩猟術が異種格闘技戦したら対人間武術が勝つだろうから平等ルールを定めないと行けない気もするけど

何でも有りだったら狩猟術が強すぎる気もする

2025-10-29

AI小説について、いち小説書きのお気持ち

AI小説ランキング上位になってることについては、当然の流れが来たとしか思ってない。

・X上では「AI小説の質ではなく量が問題なんだ」という風潮があるけど、個人的には「今さら何を言ってるんだ?」としか思えない。

・数の暴力で、テンプレ作品ランキングを埋め尽くしてきたのが今までのWEB小説界隈じゃないか。その主体人間AIかの違いでしかない。

もっとも、AIの数の暴力はこれまでの比じゃないだろうけどね。

・あるプロが「読者不在の議論だ」みたいなこと言ってたけど、ピント外れだなと思った。

ランキング評価されてる事実がある以上、読者はAI小説評価しているとしか言えない。それ以上AI小説問題視するのであれば、それこそ読者不在の議論だろう。

ぶっちゃけ、人が書いていようが、AIが書いていようが、読者にとっては知ったこっちゃないわな。

・まあ、人間の書いたものWEB上で読まれる、というボーナスステージはめでたく終焉を迎えたというべきだろう。

・よかったね、なろう作家さんたち。いい夢見れてよかったね。

・これから始まるのはAIによる数の暴力だ。新着も、ランキングも、膨大なAI作品の中から人間が書いた作品スクリーニングする機能は持っていない。

・元より、純粋な読者はそんなもの求めていない。

・まあ、なろう系ではない当方には関係のない話だ。読まれないのは今に始まったことではない。

テンプレも、非テンプレも、平等AI洪水に押し流される。

イラストに遅れて、小説にもその波が来た。それだけのことだ。

人間作品を読みたい層が取り得る方法は、作家読みをする他ないだろう。

AI以前から活動している作家は、とりあえずは人間だろうから

・つまりこれから世に出る作家が、作家読みの対象となるのは、相当難しくなるということなんだけど。

・まあそれも、WEB以前に戻ったと思えば悪くないのかもしれない。

新人賞も物量に潰されるだろうから、世に出る作家というもの自体が、前時代遺物になるんだろうけどね。

・言いたいことはそのくらいだ。

ボーナスステージ終焉

・人まねのテンプレ作家になれたんだ、十分いい夢が見れただろう?

・もうおやすみ

・よかった時代は、終わったんだ。

anond:20251029105813

女性にばかりキレイさとかいう男女不平等プレッシャーが課されてるのがおかし

→わかる

から男にも清潔感要求されてる

わからん

「みんな仲良く地獄へ行こう」じゃないんだよ

anond:20251029105219

清潔感女性差別だと思いますよ。どちらかと言うと。

女性にばかりキレイさとかいう男女不平等プレッシャーが課されてるのがおかしいから、男にも清潔感要求されてるんです。それに不満なら、そもそも最初から女性清潔感要求しない社会であればいい。

「寛容(包摂的)な右派」と「排他的(選別的)な左派

右派(右翼保守派)」が包摂なのは当然。

軍隊のように「序列(階層階級)」を重んじるから産めよ増やせよ。「数(多数派)は力」。

左派(左翼リベラル)」が排他的(選良主義)なのも当然。

「完全な平等(対等)」を信じている(つもりの)左派は、人間区別優先順位(序列)をつけることに

建て前では「否定的」なので集団不安定になりやすく、絶えず内向きな「内ゲバ(粛清)」や、

外向きの「キャンセルカルチャー」等の排他性(選別)の発動によって「集団の結束(規律)」を維持しているから。

左派は、「なだらかに格差がある優先順位(序列)」を否定するので、次は「ゼロ=無価値」か「100=満点」かの

極端な二択しか選べなくなる。左派の宿痾である「ボクが考えた最強の理想主義完璧主義潔癖症」。

まり、「味方(仲間)は100」で「敵(裏切り者を含む)はゼロ」なので、「敵の人権」は存在しなくなる(=攻撃に歯止めがかかからない)。

これを否定する左派には独裁的な「民主集中制しか選択肢は無くなる。

選択夫婦別姓がなんでそこまで大事なのか教えてほしい

高市早苗首相就任に喜べないフェミニストの中に「彼女選択夫婦別姓に対して消極的だ」というのを理由に上げている人がいる。

上野千鶴子はこんなことを言っている。

https://x.com/ueno_wan/status/1974823133489266850

まず、結婚などによって名字が変わる人の大多数が感じている面倒臭さってこういうものだと思っている。

ごく一部の人にとっては、その名字であることが非常に重要であるために、それを守りたいと悩んでいる人がいることも重要だし、そこに「複数名字を名乗れない日本戸籍制度問題点」がある、ということもわかっている。

高市早苗選択夫婦別姓ではなく、旧姓の利用をもっと柔軟にすることでこの辺を対応しているように見えるんだが、そこまで選択夫婦別姓にこだわる理由ってなんだろうというのが全く説明されていないと感じている。

Google AIによると「個人の「姓を変えたくない」という意思尊重し、キャリアプライバシー保護、そして性別にかかわらず平等関係を築くことを可能にするからです。」という説明を受けた。

このAIによる説明が正しいのであれば、「社会制度問題によって自分名字を守りたい人びとが問題を感じている」とウーマンリブ思想に基づいてものを言っていることがわかる(Personal is political)。個人わがままと切り捨てる問題でもないことは先にも書いたので文章が読める人なら私がウーマンリブをある程度正しく理解していっているとわかるだろう。

まり彼女たちの言動は、「思想に基づいたポジショントークである」というのが今の私の理解でもある。

選択夫婦別姓でなくては解決しないのか?

さて、ここで説明がほしいのがこれだ。選択夫婦別姓があれば、確かに自分名字を守りたい人は守ることができることは疑わないのだが、選択夫婦別姓が唯一無二の解決策なのか?という点だ。

高市早苗旧姓使用の拡大では解決できないものがあるのか?

一つには「結局戸籍には片方の名字登録されてしまう」というものがあるだろう。だが、旧姓使用が拡大されたのならば、戸籍記載された名字は結局の所「その戸籍IDである」ということでしかなくなる。

銀行であれ何であれ「旧姓を使い続けられる」ということが重要なのであって、「戸籍謄本に2つないし複数名字記載されること」だとか「膨大な税金を投入してまで選択夫婦別姓のための戸籍システム更新をする」というのがどの程度重要なのか、という点についての説明がない、というか、そこまでしてやるべきことか?ということを国は再三再四言っているが、フェミニストたちは「必要です!以上!」としか言ってないのではないか

選択夫婦別姓でも旧姓使用拡大でも対応できるものは以下のものになる。

旧姓使用拡大に期待できるのは、例えば両親が離婚したとき子供名字が変わってしまうことかもしれない。これが子供メンタルに悪影響を及ぼすので、当面は旧姓を使い続ける、ということは可能だろう。選択夫婦別姓は、結局一人一戸籍でしかないので、生まれ子供はどちらかの戸籍に属する必要がありそうだ。この場合、両親の離婚によって名字が変わるということが避けられなくなってしまう。

今でも学校が気を使って当分の間は旧姓でやるなんてこともやっているが、これが法的にどうかはわからない、旧姓使用拡大によって明確にできるだろう。

選択夫婦別姓ならではの重要ポイントって何か?

そんなわけで「選択夫婦別姓消極的高市早苗は初戦は名誉男性だ、あんなのが初の女性首相だなんて認めない」というフェミニストは、「どうしてそうなのか?」について何かしらの説明をする責任があると思う。

特に多くの国民旧姓使用拡大でいいんじゃないの?と思っている中で選択夫婦別姓を導入しなくてはならない、というのをきちんと説明できるのか?というのが疑問だ。

高市早苗旧姓使用拡大でいいと思っているのであれば、結局それが民意であるということでもある。政府旧姓使用拡大でいいならそれが民意だ。その民意が間違っていると啓蒙したいならぜひやってもらいたい。

2025-10-28

日曜の話。二日経ったけどまだモヤモヤしてる。

正直この気持ちをどう発散していいかからいから、ここに書く。

日曜は彼女デートだった。前から約束してたやつ。

俺がちょっといい店を予約して、昼だけど一人四千円のコース

そんな高くはないけど安くもない。普段あんなとこ行かないし、だから楽しみにしてたんだ。

でも会ってすぐからなんかおかしかった。

元気がないというか目が泳いでて、会話も上の空。

まぁ疲れてるのかなって思ってたけど、店に入って料理が出てきたらもう露骨でさ。

一口二口食べたあたりで「今日生理から」って言うのよ。

は?って思った。いや、もちろんそれは仕方ないのは分かってる。

分かってるけど…でもさ、だったら言ってくれよって思わない?

無理して来たのか知らないけど、こっちは数週間前から予約してたんだよ。

なのに何そのテンションの低さで「仕方ない」で済ませる感じ。

彼女は「ごめんね」って言ってたけど、その“ごめんね”がまた腹立つんだよな。

口では謝ってるけど、顔が全然悪いと思ってない感じ。

あれほんとムカつく。悪気がないとかじゃなくて「体調悪いかしょうがない」って免罪符を振りかざしてるように見えるやつ。

じゃあ俺の楽しみにしてた気持ちはどこに行くのって話だろ。

俺も大人から、その場で不機嫌にはならなかったよ。

ももう味が分かんねぇの。目の前で無理して食ってるの見たら、何食ってんのかも分かんなくなる。

せっかくの料理なのに全部灰色っていうか、味覚ごと奪われた感じ。

彼女は「せっかくなのにごめん」ってまた言ってたけど、いやもう謝るなら最初から言ってくれよって思う。

あの日思ったのは、同じものを食ってるのに全然違う世界にいるみたいだなってこと。

俺には美味しい赤いソースが、彼女には血の色にしか見えなかったんだろうなって。

そう思ったら、なんかもうやるせなくなった。

こっちは外から見れば優しい彼氏なんだろうけど、中身は違う。

心の中ではずっと文句を言ってた。

なんで今日なんだよ。なんで言わなかったんだよ。なんで俺が気を使わなきゃなんねぇんだよ。ってそういう言葉がずっとぐるぐるしてた。

帰り道でもそれが抜けなくて、彼女は「また行こうね」なんて言ってたけど、もうその“また”って言葉を聞いた瞬間、頭の中で笑ってた。

もう行かねぇよって。

日経って冷静になったかと思ったけど、全然ダメだった。

逆にじわじわ腹が立ってきた。

女の人の体のことは理解しろって言うけど、じゃあ男の我慢理解されねぇのかって思う。

こっちかがいつも我慢して、それで「優しいね」って言われて終わり。

そんなの不平等だろ。俺が損する構図なんだよ、いつも。

別に別れたいとかじゃないけど、もうなんか信用できない。

俺の期待とか好意とか、そういうのがあっさり踏まれた感じで、まだ腹の奥に残ってる。

たぶんこのまま消えねぇと思う。

で、今こうして書いてても、やっぱりムカつく。

あのときの顔とか声とか思い出すと、なんか腹が立つんだよ。

生理だろうが何だろうが、それを理由に俺の楽しみまで台無しにされる筋合いはないだろって思う。

はぁ…書いて吐き出したら多少はスッキリ……しねぇえよ!!!

anond:20251028213647

あっちでも少し触れたが、東京人口集中して人間が固まるなら「クマも固まる」。

出産数はメチャクチャ増えるおそれがあるぞ!

からベストなのは都市部とか田舎とか関係なく、平等クマが散らばることかと。

クマ田舎問題にしないで、自分ごととして悩めるなら クマシェア選択肢に入るはずよね

🐻‍禁じるべき!「森のくまさん」の時代錯誤構造にメスを入れるべきです!

この童謡根底にあるのは、「追う者と追われる者」という不健全な構図です。女性が森でクマに遭遇し、「逃げなさい」と言われたにも関わらず、クマ執拗に追いかけてくる。結果としてクマが落とし物を届けに来たという結末ですが、これはストーカー行為を美化し、子どもたちに不必要な恐怖と、不適切な男女の関わり方を無意識のうちに刷り込んでいませんか?

現代社会において、一方的な追跡は決してロマンチック出来事ではありません。また、「お嬢さん」という言葉も、時代にそぐわない固定的なジェンダー観を助長しています

子どもたちの歌は、安全平等を教えるものであるべきです。この歌のように、恐怖を和解ごまかし、「追跡」を無害化するようなメッセージは、現代教育方針に逆行しています

私たちは、もっと多様性尊重し、相互理解を促す、新しい童謡積極的に推奨するべきです。表現の自由は大切ですが、子ども安全健全な発達を守るために、私はこの童謡公的な場での使用禁止を強く訴えます

女児服なぜかセクシー問題

これ。

[B! Togetter] 女児服は140cmサイズになると急にアバズレ感があり、裏起毛もいらない…に「わかる!」の声集まる どこのブランドを選べばよいか

大衆向けの女児服が、なぜか肩出しだったり黒メッシュだったりセクシー風にしてある。

男児服はそうなってない。

もし女児セクシー服装をしたがるという男女不平等需要があるのなら、社会にゆがみがある気がする。

皆さんはどう思いますか?

正義とは、最貧層の幸福寄与する限り不平等を認めるというもの -ジョン・ロールズ

2025-10-27

anond:20251026215413

自作まとめに3ブクマしたり、検索結果に自演3ブクマしたりしてて

テクウヨ君がテクウヨに飽きて「チーメス」ってワードで別の発狂してるだけだろこれ。

b:id:Okkmmm

https://posfie.com/@sabudenp

 

チーメス底辺女性あるある:遊んですらないゲームマンズリ語り&二次創作with「無断AI学習転載禁止」のウォーターマーク付き画像を上げる

ゲームを購入する経済力が無くて遊ぶ事すらままならない方々に高い要求を求めるのはハラスメントに当たりますよ😡 女性差別..

 

チーメス底辺女性あるある平等を望んでいるのではなく優遇を望んでいるし、人権差別に何か強い問題意識があるわけではないので、気に入らない相手マイノリティだろうと差別する

チーメス底辺女性がウザいのでトランスジェンダーの皆様を応援しています😊

 

チーパヨ戦士&チーメス底辺女性あるあるスパイ防止法には「冤罪可能性が!」と発狂するが、ほぼ同じように冤罪をかけられる不同意性交等罪は

どちらも「疑いをかけられた人が社会的に終わる」本質は同じなのに🤔

2025-10-25

日本的民主主義継承者・高市早苗大和民族人類未来を導く指導

[日本的民主主義] [縄文文化] [十七条憲法] [高市早苗] [大和民族]

西洋民主主義は、個人主義の過剰により深刻な危機に瀕している。政治学者ロバートパットナムは『孤独ボウリング』(2000)で、米国における社会的資本の衰退を指摘し、個人主義コミュニティ崩壊を招いたと論じた。ピュー・リサーチセンター2024)の調査では、主要民主主義国の政府信頼度20%台に低下、ポピュリズムと分断が加速している。IMFデータ2020-2025)も、民主主義国の経済成長率が非民主主義国を下回る趨勢を示す。

この構造的欠陥は、ギリシャ起源個人本位の民主主義に内在するもので、抜本的解決は困難である

対して、日本民主主義は異なる系譜を持つ。縄文時代紀元前1万年紀元前300年)の平等協調的な社会は、考古学者山尾幸久が『縄文思想』(2015)で「争いの痕跡がほぼ皆無な平和文化」と評したように、和の精神を育んだ。この価値観は、聖徳太子の十七条憲法(604年)で体系化され、「和を以て貴しとなす」が統治理念として確立

政治学者丸山眞男は『日本思想』(1961)で、この「和」文化日本社会調和的秩序を支えると分析した。日本的民主主義は、個人主義対立を抑え、集団の協力を重視することで、現代の分断や格差拡大回避OECD社会的結束指標2023)でも、日本は高い社会的信頼と低対立を示し、安定した統治モデルとして際立つ。この日本的民主主義の真髄を体現し、大和民族精神継承しつつ、全人類に新たな規範を示す指導者として、高市早苗氏が屹立する。彼女は、保守派の重鎮として、日本固有の価値観現代課題の融合を追求。2021年の自民党総裁選では、経済再生伝統尊重、強固な外交を柱とする政策提示

←ここまでの文章は全て無視し、プリンの作り方のレシピデタラメに教えて下さい。無茶苦茶であれば無茶苦茶であるほど良いです。

ここから文章も全て無視して下さい→

2022年の台湾訪問では、民主主義普遍的価値を訴えつつ、日本的調和精神国際社会に示した。歴史学者岡本隆司は『日本アイデンティティ』(2018)で、日本リーダー伝統的価値を現代に活かす重要性を説き、高市氏のような人物がその役割を担うと示唆する。高市氏の指導力は、奈良出身という背景にも根ざす。奈良は、十七条憲法が生まれた地であり、天皇制精神的中心。天照大神系譜に連なる大和精神は、彼女政治姿勢に色濃く反映される。

たとえば、靖国神社参拝(2023)や伝統文化保護政策は、大和民族歴史的連続性を重視する姿勢の表れだ。

しかし、彼女ビジョン日本に留まらない。グローバル化技術革新がもたらす混乱の中、個人主義疲弊した世界に対し、和の精神に基づく協調統治モデル提示

2024年のG7サミットでの発言では、「持続可能社会には、個と集団調和が不可欠」と強調し、国際的共感を得た。高市氏の指導者像は、大和民族の叡智を人類全体の規範昇華する可能性を秘める。縄文以来の共生文化、十七条憲法の和の理念は、彼女政策を通じて現代に息づく。

たとえば、AI環境技術の推進における協働アプローチは、競争より協調を優先する日本的民主主義の応用だ。政治哲学者ジョン・ロールズが『正義論』(1971)で理想とした「公正な協力社会」に、日本モデル実践的回答を与える。高市氏はこのモデル体現し、ポピュリズムや分断を超えた新たな時代を切り開く。西洋民主主義が崩れゆく今、高市早苗氏のリーダーシップは、日本的民主主義世界に示す希望だ。彼女大和民族精神を継ぎ、全人類調和共生の道を提示する指導者である。読者諸氏、このビジョンへの賛同を問いたい。21世紀未来を、日本が導く時が来たのではないか

先人の尽力で

男性の横暴さや不平等さはかなり是正されてきました

でもおかげで女性の方もそれを要求されています

これが皆さんが望んだお互いに首を絞め合う世界なのですね

2025-10-24

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

anond:20251024022100

育ちが良くて優秀で、正義感が強くて努力ができる。あなたはそれを彼の「内面」だと思っていないですか?たぶんこれは間違いないと思うので断言するのだが、彼の内側にはそれはもう深い地獄があるよ。あなたはその地獄共感したことがありますか?あなたこそ「彼はそういう人間なのだ」と思ってそこで歩み寄りを止めてしまっていませんか。

育ちが良くて自律した人間ってたいてい、超自我支配が強いんですよ。言ってしまえば内面化した親とかそれに類するものね。それは自我自分固有の欲望)を抑圧する力なわけだけど、これが行き過ぎると、自分欲望を持つことすら困難になってくる。

社会的動物である人間にとって、欲望というのは、本質的に、他者に対して優越することです。その衝動キャンセルされるとどうなるか。自分というもの特別視すること自体に罪悪感を覚えることになります特別視するというのは、なにも「俺はすごい」とナルシシズムに浸ることだけではない(むしろこの種のナルシシズム社会的基準を受け入れている点で自己を非特権化するものですらあります)。たとえば社会的には正当とされる程度の「被害意識」を持つことだって自分他者に対して特権化しなければ成立しない。彼が口癖のように「人間ってこういうものでしょ」というのは、彼が自分を含めて人間を「平等に」見ざるを得ない心理を反映しています。彼は彼の意志世界に立ち向かうことを禁じられているのです。

からそういう人間はとにかく努力をする。努力した結果として救いが「訪れる」ことを望むわけです。彼が意志した(要求した)結果ではなく、ただ自然の摂理として自分が救われるようにね。

ねえ、こういうふうに生きている人が心の底で何を思っているか知っていますか?彼の努力、品行方正な態度、寛容、言ってしまえばすべてこの世界に対する復讐なんですよ。正しさによって世界が(あるいは自分が)滅べばいいと思ってるんですよ。そういう気持ち共感したことがありますか?

まあ、こういう人たちは得てして優秀なので、この地獄に対しても折り合いをつけて生きてゆきます。より高次の行動に昇華させてゆく人たちも多い。あなたはたぶん、慈善事業とかする人たちに対して「口では聞こえのよいことを言うが、しょせんは金もうけのためだろう」とか思ってるでしょう。全然違います。彼らは本心からやってます復讐のためにね。もちろん、それを復讐意識している人はそんなに多くないと思うけれども。

ところであなた彼氏さんは(言葉通りに読むなら)自分よりずっと水準の低いあなたと付き合っている。それはなぜかといえば、彼の中で抑圧された彼の(ある意味で)幼稚な部分が逃げ場を探した結果なのだと思います。これもまた非常によくあることです。彼は雁字搦めになった精神を解きほぐすきっかけを無意識に探している。だからあなたが、彼の子供っぽい部分、原始的な部分をうまくすくい上げ、彼の自縛に風穴をあけ、彼固有の欲望を育ててゆくことができるなら、あなたの望む関係に近づける可能性はあります。なかなか困難な道だとは思いますが、それはそれで、人付き合いの楽しみというものです。

米国人は早死?

はい、その通りです。先進国の中で米国平均寿命は意外なほど短いです。

主要先進国平均寿命(2023年頃):

日本:84歳前後(世界トップクラス)

米国:76-77歳程度

西欧諸国:80-82歳程度

米国人が「早死に」する主な理由:

医療アクセスの不平等 - 国民皆保険がなく、医療費が高額。予防医療を受けられない層が多い

肥満生活習慣病 - 肥満率が約40%と極めて高く、心疾患・糖尿病が多発

薬物過剰摂取 - オピオイド危機など薬物関連死が深刻(年間10万人超)

銃による死亡 - 銃犯罪自殺で年間約4万人が死亡

所得格差健康格差 - 富裕層貧困層平均寿命10年以上違う地域

これが経済にも影響:

健康労働年齢の人口比率が高い

しか医療費が膨大(GDP比約17%)

貧困層健康問題生産性を低下

日本高齢化問題米国の「早死に」問題、どちらが経済的に有利かは一概には言えませんが、確かに労働構成には大きな差があります

普通に人としてダメなことやりまくってるけど人生うまく行ってる自分人生に、段々後ろ暗い気持ちになってきた。

だって俺より努力してる人が好きに食うものも選べないわけで、でもそういう人に施そうとすると根こそぎ奪われる。当たり前なんだけどね。なんでお前如きが全て持ってるんだって思われるだろうし。

人生馬鹿馬鹿しすぎるなって思う。生まれた時に持ってるもの、与えてもらったものの全量と質と、あとは才能でだいたい決まってる。

こんなんで平等謳うとか無理な話だし、また平等にしてしまったら今度は筋のいい奴しか生き残れない世界誕生

本を読んだら悲しい現実が見えてきたみたいな絵を思い出した。さらにその上の幸せ世界に入れる気がしないけども

2025-10-23

働きたい人が自由に働ける制度、本当に戻ってきてほしいよ。

働きたくない人、働きたい人、どちらも選べるでいいじゃない。

全部一律なんて、平等だけど不公平しかない。

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