はてなキーワード: 投票とは
自分の脳みそで物事を考えられない人未満の猿に人権のみならず選挙権まで与えたのってマジでクソ左翼最大のやらかしだろ
文字もまともに読めない頭も悪い仕事もできない社会のゴミに政治に関われる権利なんて与えてもまともに使えるわけねーべ
実際今じゃそんな権利だけ持った知恵遅れ共が優秀な人間が作り出したスマホやインターネットやSNSを我が物顔かつ最悪の形で利用し
そこで流れてる馬鹿みたいなデマを心の底から信じ混んでガイジに投票して社会全体に迷惑かけてる始末
マジでクソ左翼ってのは害獣に餌やって被害増やすクソ動物愛護馬鹿と同類
人類は皆平等とかお花畑な事をほざいてバカウヨになるようなキチガイには分不相応な人間様の権利を何でもかんでも与えてんじゃねぇよ
そのせいでバカウヨ共が勘違いしてもっと俺達を優遇しろ尊重しろとつけあがってるだろうが
あんな真面目に努力もしなけりゃまともな成果も出せない生み出せるのはクソ程度の人材の廃棄物はさっさと社会から退場させるのが一番って
みんな大好きJTC SIer の労働組合、電機連合の組織内候補 平戸航太 の支持をお願いします。って回ってきたんだけど
こいつ、劣化自民党だよね。主張をNotebookLMにつっこんで解説させたのがこれ
これほぼほぼ経団連と言っていること一緒。その下位互換という感じ。
結局、大企業の労働組合って会社のロビー活動の別働隊みたいになってて、特にその純度の高い連中が集まっている国民民主党はどこまで行っても劣化自民党だよね。
言っていることは同意出来る部分はあるよ?
劣化自民党じゃなくて、普通に自民党に投票するよね。彼に投票する理由ってなくないか?
労働組合に求めることってさ、普通に労働者の代表だと思う訳よ。だけど劣化自民党やってどーすんのさって思う。リスキリングがんばりますとか、労働者をしばき上げる話ばかりしてるじゃん。
そうじゃねえダロって思わない?
まずやるべきは、電機連合の構成企業、NFTHとかで蔓延ってる黒字リストラ・脱法整理解雇の規制強化とか、労働者保護法制の直接的な実現とかじゃないの?
必要なことだけ書く。
まず、スマホでいいからレコーダーを持っていく。「録音しますが構いませんね」と机の上に置く。
だいたいは「じゃあこっちも録音しますね」でレコーダーを持ってくる。渋られた場合は「録音を禁止する根拠は何ですか」(そんなものない)とかで粘ってもいいが、そこで渋る時点でだいぶ話が通じない役所なので共産党(後述)に頼んだほうがいいかもしれない。
録音していることを相手に知らせると、向こうは後で専門家(弁護士・判事等)に聞かれて困るような言いくるめをできなくなる。
なんなら書類さえ無くても厚労省に申請を上げなければならない、ということになっている。
「申請があれば受理して審査をする義務があるはずです。その上で却下であれば仕方ありませんが、今この場で受理していただきたい」と強く主張しよう。
http://www.saibanren.org/welfare/002-faq.html#link4
「扶養照会を行わなければ生活保護は受けられない」は明確な誤り。
「令和3年2月26日および令和5年3月31日の厚労省通知で扶養照会については要保護者の意向が尊重されることになったはずだ」
「私の場合は2月26日通知の"扶養義務履行が期待できない者"の類型3番目(虐待等の経緯がある者)に相当するはずであり、扶養照会を行ってほしくない」
以上の二点を主張しよう。
「それでも扶養照会が行われる場合がある」と言われるかもしれない(可能性としては正しい)が、「扶養照会は受給要件ではないはずです。構わないので申請します」と突っ込もう。
2/26通知
https://www.mhlw.go.jp/content/000746078.pdf
3/31通知
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc7588&dataType=1&pageNo=1
近所の共産党議員の事務所に電話しよう。共産党は硬直した全体主義に見舞われもはや政党として終わったと俺は思っているが、福祉に突っ込む技術は流石のものがある。
っていうか、投票イベってどこの界隈でも文句出るのにやるよね。
実際グッズ出ると嬉しいけど、半分より下にいる子はそもそもグッズ出ないとかSNS更新頻度低いとかで不平等やなって思ってます。
自分は今回は好きなキャラがほぼ全員半分より上にいるけど、そうじゃない子もいるし、SNSでそういう子たちにいっぱい票つっこんでる人たちってグッズないのにサン◯オにお金使ってて偉いなあとか、つらそうだなあって思っちゃうよ。
人は自らの無能さや無力さを受け止めるのが1番大事な能力。ここをうまくやれない事で、自分や他人への怒り、セルフネグレクト、人生の破壊的行為、社会不適合につながる。
例えば仕事ができない時、自分の無力さから目を逸らし愚痴を言って暗黒撒き散らしたり、プラスでない辞め方したり。
人は無能さ無力さから目を逸らし、逃げるために怒るのだ。子供を虐待する親なんか最たるものだ。親として社会的に子供に責任を取れない無力さを子供への怒りに変える。自分がなにに怒るか、ハンターハンターじゃないけどよく観察しないといけない。
怒りのコントロールが必要で、怒りの根源は無力感だ。怒りを感じた時は同時に「自分にとって今はある種の限界なんだ」と認めないといけない。怒りという生命維持活動が行われるほど危機的状況なのだ。
誰かのせいにも自分のせいにもせず、まず今の状況が「「自分の手に余る」」のだと自覚する事。「「自分は困っているのだ」」と。何もかもそこから始める。無能や無力の自覚こそが、人生破壊的な行動やメンタルダウンを回避するきっかけになる。
ただし自公維テメーはダメだ。政治みたいなマクロな要因からの人生困難は投票やデモでどうにかするしかないから、皆、参院選は投票に行こうな!!!!
シュミット先生は『合法性と正当性』にて「技術信仰の明証性は、技術において、ついに、絶対的、最終的に中性的な基礎を見出したと信じることができた」とか「ここでならば、あらゆる民族、国民、あらゆる階級、宗派、あらゆる年齢層、性別が、急速に合意することも可能であるように見える。なぜなら、技術的快適さの利益、便利は、万人が同じ自明さをもって享受するのだから」と書いている。
この人が生きていた時代はAI技術なんて考慮すらされていなかったので、ここでいう“技術信仰”における技術ってのは“科学的な体系や、その分野の専門家”などを指しているわけだが、現代でいうならここにAIも含まれることになるだろう。
このあたりの“技術信仰”の是非は他の人も語ってて、シュトラウス先生は『ホッブズの政治学』で
技術の中立性が仮象であることがわかるにつれて、「絶対的かつ究極の中立的基盤」を発見したり、いかなる協調を実現しようとする試みの不合理さも明らかとなる。いかなる代価を払ってでも協調が実現されるべきだとすれば、それは人間生活の意味を放棄するという代償を支払って得られる協調でしかありえない。なぜなら、そうした協調は何が正しいかという問いを断念するときのみ、実現可能だからだ。そして人間がそうした問いを断念するとき、かれは人間であることを断念することになる。
完全なる協調を求めるならば闘争を治めるしかない。そのためには皆が“何が正しいのかという問題”を放棄すればいい。或いは、価値一元論のもと解答先を決めて、皆がそれに従う世界にすればいいかもしれない。その“解答先”こそが“技術”であり、ひいては“AI”ってわけだ。
本質的に技術そのものは中立であり、その解答は客観的で偏りがないとされる。価値一元論のもと解答を求めるならば、AIはこの上ない存在だろう。しかし、シュミット先生は「技術は全ての人に仕えるという、まさにそれ故に中立的ではない」ともいっている。技術そのものが中立的であっても、そうではない人間が紛れ込む時点で中立性は損なわれるからだ。
ちょっと前に、朝日新聞フォトアーカイブをAIでファクトチェックしようとした人が話題になったけど、あれなんて典型例だろう。使う側が「この画像はおかしい」という含意のもとAIに尋ね、その結果を「AIがいっていることだから正しい」という前提のもと解答としている。もちろん、あの件をAI技術の未発達が原因だと論じることは可能だけど、それって人間側の未熟さを棚にあげるってことで「人間であることを断念」してないか。人間性を放棄しといて民主も自由もなかろうに。
人間が何が正しいかを真剣に問うならば、そうした問いのもつ「解きがたき問題構成」に直面して、紛争が、それも生死を賭した紛争が勃発するのである。何が正しいか真剣に問うことによって、政治的なもの(人類の敵味方への集団化)はその正当な根拠を得るのである。
これも『ホッブズの政治学』に書かれてたことだけど、つまり何が正しいか真剣に問わない世界ってのは政治的闘争もないってこと。というより、技術(AI)が絶対的に正しいとするならば、そこに民主的な考えや自由な考えが入り込んで対立する余地がない。あったとして、それは茶番や娯楽でしかない。だから人間は真剣でなくなるけど、争いは減るからまあ平和的ともいえる。
そういえば最近、シロクマ先生はAIに選挙を任せることの是非についても語っていたけど、ブコメで「AIの言ったとおりに投票する自由はあるだろ」といった旨のこと言ってる人がいたな。まあ理論上ではあるけど、「(AI)技術が本質的にもつ中立性」と「自由主義が追い求める中立性」って相性はいいんだよね。
ただ先ほどもいったように技術を誰でも仕える時点で中立性は損なわれている。その点を抜きにしても、技術が人間に服従していて、かつ人間よりは有能でないからこそ成り立つ話でもある。今後AIがより有能になり、むしろ人間側がすすんで服従することがマストの風潮になっていくならば、その先に自由なんてないわけで。奴隷が「その先に自由がないものを選ぶ」ことまで“自由”という括りにするのは欺瞞的だ。
とはいえ、価値一元論における解答者がAIになるような世界が実現した場合、そもそも人間による政治そのものが必要なくなり、選挙もする必要がなくなる(AIの判断が最も正しいのならば、国家レベルで「人間同士が正しさを競う場」なんて必要ない)。なので、いまの選挙のように「人間が政治的に争う場」がまだある現段階では、多少AIが介入したところで民主や自由は残ってるといえなくもない。
AIは現状「人間の労力と、その結果に対する責任を誤魔化すためのツール」の域を出ないからこそ、まだ悠長に語れている話ではある。シュトラウス先生が現代に蘇れば「私たちが語ってた頃よりも技術がヤバいことなってるのに、お前らまだそんな吞気なこと言ってんのか」って思うかもしれんが。
---
いかがでしょうか?他に気になる方向性や、こんなキャラクターでネタを作ってほしいなどのご要望があれば、ぜひ教えてください!