「自己犠牲」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己犠牲とは

2024-12-02

母方の祖父が死に、祖母を引き取ったり家の片付けとかしてるんだけど

うちからお金出してうちがほとんど片付けてるの嫌だ

母には兄がいるし(私から見て)叔父の方が色んなもの相続してるし片付けてる家だって叔父相続してる

何代も住み続けてきた古い家だからゴミも多いし業者呼んだりなんだりのお金を私も出してる

葬式の時おじの嫁はずっと座ってて何もしないし、叔父と従兄弟が読む挨拶原稿とかも私が書かされてそれを読んで他の親戚から感動したとかでお小遣貰ったりよくできた息子だと褒められるのは叔父叔父嫁と従兄

身を切ってまであの家を何とかする必要はないから辞めろと母を説得するも私がやらなきゃ……の自己犠牲精神で辞めないし、金は無心してくるし、いたわらなきゃ発狂するしで全員死んで欲しい

2024-11-26

母親による子殺し擁護している人達って「母親」と聞いただけで勝手

愛情深くて、健気で献身的で優しくて自己犠牲的な人物像を思い描いて

あらゆるケースに無条件で当て嵌めてる気がする。

これこそまさしく母性押し付けだと思うんだけど自覚がないらしい。

2024-11-24

Giver &Taker の本を読んで

最近giverとtakerの文字をよく見るようになったから元になった本を読んでみた。

双方の中間点にMATCHERというやつがいるということと、giverも人を変えてtakerにtakerも人を変えてgiverになることができるということも読んで思った。

ネットでgiverだのtakerだの言ってるやつは大体takerだと思ってる。

takerの居る層にはtakerかMatcherしかいないし、matchesは与えた分返してくれるタイプから自分から与える姿勢を見せて見極めたほうがいい。

何が言いたいかというと、本も読んでないで受け売りかつ、自己犠牲もする気のない、隣人を愛する精神もないのに、相手に無条件に愛されて、損はしたくないというびびりが言う言葉だと思う。

2024-11-21

仕事を辞めたら、妻が出て行った

先日、会社を辞めた。理由簡単だ。15年働いた会社での仕事限界を感じたからだ。上司や同僚には恵まれていたし、給料もそこそこ良かったが、ここ数年は何をやっても満たされない感覚が拭えなかった。

辞める前に妻には相談していた。「辞めたいと思っている」と伝えたら、「あなたの好きにすればいい」と言われた。反対されると思っていたので拍子抜けしたのを覚えている。それが裏目に出たのかもしれない。

辞めた翌日、妻が突然こう言った。「実家に帰る」。理由を聞いても曖昧な答えばかりだった。「一人になりたい」とだけ言って荷物をまとめ、家を出て行った。

その瞬間、すべてが頭をよぎった。「自分仕事を辞めたことで彼女生活不安定にしてしまったのではないか」「本当は辞めることに反対だったのではないか」……でも聞き直すことすらできなかった。

それから数日、家には一人でいる。冷蔵庫の中身もそのまま、リビング時計の音だけが響いている。気づいたことがある。俺はこれまで「仕事をすることで家族を支えるのが当然」と思っていた。それに対して妻は何も言わなかったが、心の中では違う感情を抱えていたのだろう。

「好きにすればいい」という言葉も、本当にそう思っていたのではなく、呆れていたのかもしれない。家族のために仕事を続けるのは自己犠牲ではなく、自分の中の安心感を得るためだったのだろう。

正直、今はどうすればいいのか分からない。妻が戻ってくるかどうかも不明だ。ただ、これだけは言える。仕事を辞めることは自分自由だが、それが周囲にどう影響するかをもっと考えるべきだった。特に家族には、思っている以上に大きな影響を与えている。

しかすると、妻が帰ってくることはないかもしれない。でも、俺自身がこれからどう生きるかを考え直すきっかけにはなった。今はそれをひたすら考える日々だ。

2024-11-18

割と真面目な話、40過ぎて結婚したいとか子供どうしようとか実家出るべきかとか言ってるの恥ずかしい

自分自身がそう感じているのでたぶん世の中の独身の大半はそんな感じだろう

子供自由無責任であり続けられる自分が何より大事になりすぎて、他人がやってる自己犠牲とかくだらねーって思えていたのも30代までだった

漫画とかでよくある「自分だけは自分を認めよう」って言葉に何度も救われたけど、同じような人が自分より年上でどうしようもない人間だったことを知ってから頭の回路が破壊されたように何にも面白くなくなった

なろう系があんなに流行ったのは、創作人間自分自己投影させてひたすら可哀そうってことを認めさせたいだけなんだよ

感情的馬鹿な悪役に主人公殴らせて仕返しして、ハーレム作るってシチュエーションに特化したものをひたすら摂取していれば幸せだった

いじめられた原因だって本当は自分キモいだけなのに、それを忘れたくて「いじめかばたから」なんて他人行儀の理由にしがみついていたいだけなんだよ

女にもてないから、男から仕事できる仲間と思われたいから、とにかく創作だけは何とか自分癒してくれるだろうってことでそれだけのために読んでいる

けどそれももう無理っぽい


思考10から変わっていないのに世間はどんどん変わっていくし、自分を指さす言葉も「コドオジ」や「弱者男性」なんてものに変化している

自分がそういうカテゴリーに入ったらもうそから動くことができなくなっていた

オタクとか言われていた人も似た感じだったのだろうか

たぶん結婚したり親になったりしても人間本質なんてのは変わらないんだろうが、少なくとも環境は劇的に変わるだろう

今の考えのまま80代になっていくのかと思うと、恥ずかしいし怖い

2024-11-15

推しの子最終話まで読んだ感想困惑

推しの子単行本派だったけどあまりにもTwitterがザワついていたため耐えきれずWebアプリ最終話まで読んだ。読んだらもっと耐えきれなくなったので初めてはてブを書いている。匿名で……。

推し有馬かなで絵も可愛く全員好きだったが、果たして──

打ち切りエンドすぎる

ツクヨミは?ビデオレターは?タイトル意味は?

真犯人ニノだったら「アイドル」と小説意味も違ってくるぞ!と思ってたけど結局カミキだった。ぽっと出のニノ黒幕よりは良かったけども。

・これだから自らの命を蔑ろにする奴はダメなんだ。結局その瞬間の甘美な自己犠牲(笑)に酔って後先考えていないだけ。命を有効活用するにも無駄遣いすぎる。アクアもっと上手くやれたはずだし、先手で不意打ちなんだからこちらがコストを払う必要はないはず。自分の命を勘定に入れるのは最終手段にしようや……。もうお前だけの命じゃないんやぞ

ルビー有馬かなとあかねがあまりにも可哀想すぎる。全員で草。有馬かな、正ヒロイン競争では勝ったけどそもそも恋愛」というもの価値意味をなさなくなったか相対的に負けた。ルビー人生に負けたんだ。

こんな負けヒロインもあるんだ……勉強になりました……。

ハーレムもの主人公が全員から好意一定に保ったまま誰からも恨まれことなく死んだから地獄。大切な人を失った女の子が3人生まれました、あーあ。

・アイは生まれもった「愛情」の欠如から来る闇を「嘘」で覆い隠してアイドルをやっていたけど、ルビーは元から素直だし、現世では愛も受けてるし、アイのことも世間公表して復讐も終わったからこのままだとただの素直なアイドルになってしまう。「私は今日も嘘をつき続ける(=それが魅力)」をやるために、「最愛の人を喪った悲しみを表に出さない」という闇?を抱えさせられた?の?だろうか?と解釈して納得したけどいらね〜!!!大団円バースの別ルートを見せてください。

アクア〜〜〜〜!お前の存在は大きいぞ〜〜〜!!!

・てか自分から死んどいて死ぬ瞬間は「苦しい、後悔、生きたい」とか思うの本当に勘弁してほしい。これだから自殺は(自殺アンチ)。馬鹿馬鹿馬鹿アーホ!ドージ!マヌケ!大切な女の子待たせてんじゃねえぞ!せめて自分から死ぬなら苦しまないでほしい。アヘ顔ダブルピースのまま「うれし〜〜〜!きもち〜〜〜!ありがとうございました!」つって死ねる奴以外は死ぬなよナメてんのかカスがよ死ね

ツクヨミ何?

・「同じ轍を踏むわけねえだろ!」まではいい感じだったのにな〜〜〜〜😭😭😭😭

ここも黒川あかねCIAではありませんが……?にはなったけど。自ら望んだとはいえそんな危険役回りをやるなやらせるな

最終話周辺の2-3話、コマだけの無言カットが多くてどこまでが赤坂アカ先生ディレクションしたのか気になる。メンゴ先生負担デカくないか

・えーーん、バッドエンド嫌だ……って思って読み進めてたけど、その割に最終話はあっさりしてるしまるで打ち切りすぎるよ。人気も時間予算もあったと思うんだけどな……。

有馬死体ビンタネットではめちゃめちゃ叩かれてたけど思ったより気にならなかった。直後のミヤコさんビンタ相殺されてるし、その後の台詞文脈聞いたら泣くしかないでしょこっちも。むしろよく発狂しなかったまである

その涙、最終話で引っ込んだけど……。

星野アクア死んだって聞いて可哀想だと思ってたけど自殺すぎて許せなくなってきた。

・「ママとお兄ちゃんが照らしてくれた、未来を!」じゃないよほんとにこれでこの漫画終わったんか???自分でも言ってたじゃないかアイドル寿命は短いって。「どうしようもないほど楽しいお仕事!」が終わったときルビーちゃん自殺しちゃいそうで怖いよ。みんな病んでる。何!?別にタイトル回収というわけでもテーマに沿ったわけでもないからこのエンドにした目的がわからなくて怖い。逆にルビー因果が集まりすぎてて、天童寺さりなの命にはそれほどの価値があったのか?(疑問)になってしまっている。

両親を失った命の重みに耐えられなくて闇堕ちしたカミキに対して、様々な人の命の重みを背負って嘘をつきながらアイドルをやってる星野ルビーの善性と強さをもって勝利としたのか?

いや、文字でまとめてたらしっくりくる理解はできるんだけど、読後感としては、最悪でした。

2024-11-10

お前らの「非モテしぐさ」教えて

弱者男性しぐさでもいいよ

まず俺から

電車

移動編

  • 人込みは大げさに避ける(全体を見て自己犠牲できる自分に酔っているため)
  • エレベータに女が1人で先に乗っていたら、見送るまたは階段を使ってしまう(怖がられるのが怖いため)
  • 夜に女が一人で歩いており、自分が同じ方向に歩いている場合、過度に距離をとりすぐに追い抜いてしまう(怖がられるのが怖いため)

会話編

服装

  • 30になってもいまだに高校生の頃の服を着ている(まだ着れるため)

髪型

恋愛結婚観編

仕事

2024-11-01

ドーナツ人間22世紀の旅

プロローグ

22世紀人間食生活は大きく変わり、合成食品が主流となった未来しかし、伝統的な食文化を守るため、特定の「食品擬人化プロジェクト」が進行していた。その結果、生成されたのが「ドーナツ人間」、愛称ドン」。彼はドーナツの見た目と性格を持ちながら、人間と同じ知性と感情を備えた存在である

あらすじ

ドンは、22世紀に生きるドーナツ擬人化第1号。彼の夢は地球上のあらゆる「伝統的な食文化」を探訪し、ドーナツ文化起源を見つけ出すことだった。しかし、彼は自分がいつか腐敗してしまうという「賞味期限」という運命を背負っている。彼の旅は、時間との戦いでもある。

登場人物

ドンドーナツ人間好奇心旺盛でポジティブだが、賞味期限を気にしている。

• マキ:未来のフードサイエンティストドン製造に関わった科学者で、ドンに親しみを抱きつつも、科学者としての冷静さを保とうとする。

シバAIガイドドンの旅をサポートするが、時折皮肉屋。

第1幕:旅の始まり

ドンは、22世紀東京で「伝統的な食文化博物館」を訪れ、古代ドーナツスイーツの展示を見て心を動かされる。そこで彼は、かつてのドーナツ職人たちが、何世紀も前からドーナツを愛し続けたことを知る。マキは、彼の夢を応援し、ドンの旅の計画を手伝うことを決める。

第2幕:味覚の旅

ドンシバは、時間場所を超えてさまざまな料理体験する旅に出発する。彼らは、イタリア伝統的なデザート南米揚げ菓子フランスクロワッサンなど、さまざまなデザート文化を探求していく。ドンは、各地で自分と似た「スイーツキャラクター」たちと出会い友情を築いていくが、次第に自分賞味期限が迫っていることを感じ始める。

第3幕:賞味期限との葛藤

旅の途中、ドン自分ゆっくり劣化していくことに気づく。彼の表面にひびが入り、少しずつ硬くなっていくのだ。それでも彼は旅を続ける決意を固めるが、賞味期限が迫るたびに自己存在意味について悩むようになる。シバは、冷静なAIとして「記録を残すことで不滅になれる」と助言するが、ドン「記録」だけではなく「体験」が大事だと反論する。

第4幕:最後目的

ついにドンは、ドーナツの「起源」を探し出すために、かつてのアメリカへ向かう。そこで彼は、現地の人々と交流し、古代ドーナツ作りを見学しながら、自分が「愛される食べ物」として生まれたことに喜びを感じる。

第5幕:自己犠牲と新たな始まり

ドン劣化限界に達し、崩れ始める体を感じながらも、最後メッセージをマキとシバに送る。彼は、自分がただの「食品」ではなく「愛された存在」として旅を終えたことを感謝する。そして、ドンの残した記録と旅の思い出が、次の世代の「擬人化食品」のプロジェクトに活かされ、新たな「スイーツキャラクター」が生まれる。

エピローグ

ドンの旅は終わったが、彼の存在と記録は後世に語り継がれる。マキとシバは、ドンを思い出しながら、彼の遺志を継いだ新たな擬人化キャラクターたちの旅が再び始まる場面で幕を閉じる。

テーマ

ドーナツ人間22世紀の旅」は、有限な命の中で自分存在価値を問い、自らの意義を見出していく物語ドンは、人間と同じように存在意味を探し、限られた時間の中で何を残すかというテーマを描いている。

2024-10-27

何故、はてブ歴18年の俺が石丸推しなのか教える

石丸嫌いの皆様、こんにちわ

 

今日は何故俺が石丸推ししているのか教える。

 

最初石丸ネットで話題になり立ての安芸高田市長だった頃、

お前らと同じように、人気取りのためにバズらせる動画を作ってドヤッてるキモい市長って思ってた。

近所で話題になった時に、レスポンス出来るように1次ソースをしっかり確認するってのは

ネットのお作法から、そうしたのさ。

 

そうすると、どこにもツッコミするところが無かったのよ。

安芸高田の1次動画ほぼ全部見たけど、

自己犠牲既得権と戦ってる戦士のものだった。

1次ソースを一通り見て切り抜きを見てみると、景色全然違った。

 

1次ソース情報が無い状態で見ると、キモい市長のものだけど

1次ソース情報入れて見てみると、勇猛果敢に既得権と戦う若い戦士

 

んで、ややこしいのが、

1次ソース情報が無い状態で、カッコイイだの何だのってワーキャーしてる層も居るわけ。

1次ソース情報が無い状態で、カッコイイだの何だのってワーキャーしてる層を、馬鹿にする連中も居るのよ。

 

1次ソース情報が無い状態で、カッコイイだの何だのってワーキャーしてる層と

1次ソース情報がある状態既得権と戦う若い戦士応援している層は、

お前らから見たらどっちでも良くて、同じく馬鹿にする対象に見えてるのが現状。

 

で、お前らとしては、恐らく以下に分類される

1.何か嫌だから嫌層

2.何か嫌だし、ポスター未払い問題解決してないと思っている層

3.何か嫌だし、市長ほっぽり出したから嫌層

4.何か嫌だし、都知事落選後に国政に出るとか言って支離滅裂と思ってる層

5.複合条件で、嫌だと思ってる層

 

1次情報をしっかり確認しないと、

石丸虚像感の奥にある真の既得権との戦いが見えないので

ここで1個づつ言及しても無駄だと思うから、1個だけリンク貼っとくわ。

 

「踏み倒し」か「ぼったくり」か~石丸ポスター訴訟を冷静に分析してみた

https://note.com/nanap_oda/n/n81e1f01ab395

 

 

ということで、前置きが長くなって申し訳ない、本題に入る。

 

俺は世の中が良くなって欲しいのよ

世の中が悪くなっていくと治安が悪くなる。

生活し辛くなる、経済が回らなくなる。

俺や俺の周りが不幸になる。

 

から世の中良くなって欲しい。

で、世の中を良くするには、なるべく無駄の無いクリーン政治必要

なるべく無駄の無いクリーン政治にするためには、

腐敗した既得権政治を変えていかなければならない。

でも、既得権政治は様々な人に恩恵があるし、変えるのは簡単ではない。

 

から頭が良い人達で少しづつ悪い部分を可視化しながら

しづつ直していく必要がある。

ってのを、頭が良い人達ネット最近やってると思っている。

石丸さんはその一端に居る、だから俺は石丸推し

石丸だけ、石丸から推してる訳じゃなく、

世の中が良くなって欲しいというディスカッションをまともに行える人達を俺は推す。

お前ら、SNSやまとめに踊らされず、しっかり1次情報を見て判断しろよな。

2024-10-25

そもそも「魅力的な主人公」を作ろうとすると、性別わず自ずと「男らしく」なってしまうのではないか。あるいはここで言う「男らしさ」さえも、「例えば魅力的な主人公のような振る舞い」を模範としてるかもしれない。鶏が先か、卵が先かだな。鋭い決断力とか、不屈の根性とか、憶せぬ度胸とか、強い責任感とか、高いプライドとか、厭わぬ自己犠牲精神とか、一途な恋心とか、ここぞの勝負強さとか、「主人公の魅力」とされるものを掻き集めると、男らしさの集大成みたいなマッチョが出来上がる。

政治家の夢は日本全体主義

石破はよく自衛隊員待遇改善を叫んでいる。

自衛隊はずっと人材不足から、これ自体問題ない。

しかしそれと同時に「自衛隊員に最高の誉れを。お国の為に最前線で戦ってくださるのだから。」ともよく言っている。

また、彼は石原慎太郎と対談した時も、夜通し子供勉強を教えた昔の教師を例に挙げ、自己犠牲の上に成り立つ社会美徳とする趣旨発言をした。

高市の悪質さが際立ち過ぎて相対的にまともに見えるが、石破も石破で立派な全体主義者だ。

彼ら全体主義者の推し進めたい、自己犠牲で成り立つ社会もっと邪魔ものは「クソみたいな権力者の道具として死ぬかよバーカ🖕」という考えだ。

例えば、はだしのゲンは直球でそういう考えを扱った作品なので「作者の個人的思想イデオロギー」を理由に、学校教育の副教材から削除された。

もちろん日本には表現の自由という建前があるので、中国のような強制的なことは出来ない。

から全体主義者は、はだしのゲンのように適当理由でっち上げ検閲するか、「お国の為じゃなく家族の為だよー(やる事は同じだけどなw)」とソフトランディングさせる作品を推す戦法を取る。

2024-10-18

送りバント戦法はやはり有効である理由

前に書いたことの追記

https://anond.hatelabo.jp/20240928071446

先の投稿では、これまで言われてきた「送りバント得点確率は低い」というエビデンスは、送りバント戦法はそもそも安打が出にくい状況で採用される傾向がある、というだけの可能性を排除できていないこと、そして送りバント有効性・無効性をエビデンスで示すことは、投手力・打力や得点差などの条件を細かく丁寧に揃える必要があることなど、考えられているよりはるかに難しいことを論じた。

その上で、個人的には送りバント有効性の高い作戦であると考えている。その理由は以下の二つである

一つ目は大きな理由で、チームプレーへの意識を高めることである

送りバントは「犠打」と呼ばれるように、その作戦自体自己犠牲という意味が込められている。次の打者は、「アイツが犠牲になってくれてチャンスで打席に立っている」という感謝気持ちを持つようになる。もしヒットで打点が入れば、「アイツのおかげ」「ベンチの作戦のおかげ」ということになり、自己満足的なプレーよりもチームプレーを優先する気持ち自然と身につくようになる。たとえ目の前の得点確率が高いわけではなくても、安定的に勝てるチームをつくることになる。とくに高校野球指導者送りバント戦法を好む最大の理由は、おそらくこの教育的な効果であろうと思われる。

二つ目は小さな理由で、とにかく併殺のリスクを避けることである

無死一塁強硬策による併殺は、とくに接戦の場合には球場ファンからも「あー、送りバントしておけばよかったのに」というため息がもれて、相手チームに一気に流れを渡してしま可能性が大きくなる。僅差で勝っている終盤の場面での強硬策は特にリスクが高い。送りバントなら点が入らなくても、試合の流れを大きく変えてしまうことは基本的にない。送りバント積極的得点を取りにいくというよりも、最悪のリスク回避するための作戦として評価しなければならない。

最後に指摘しておきたいのは、現場野球指導者送りバント戦法を放棄していないということが送りバント有効性があることの、なによりの証明であることである一塁へのヘッドスライディングや追い込んだ後の「一球外し」など、かつてよく見られたが現在は廃れたプレーや戦法はたくさんある中で、送りバントは廃れる気配が一向にない。過去送りバントほとんどしなかったチームは、「山賊打線時代西武など、強力打線のチームに限られる。大雑把なエビデンス送りバントドヤ顔否定する前に、なぜ現場送りバント採用し続けているのかを真面目に考えてほしいと思う。

2024-10-13

なんとなくワンピースを見たら泣けて来た。

なんとなくワンピースを見たら泣けて来た。

ワンピースが好きなわけでは無い。

連載がこれだけ長く続いているのも知っている。

すごい事も認める。

ただ正直勧善懲悪

自称陽キャとか都合のいい時だけ仲間連呼とか

そういうファンがいるので、

そういう人間たちと同じ者を見たく無いという感情の方が強かった。

クズがド底辺が都合のいい事だけ楽しんでんじゃねーよと思えてならなかった。

しかし真面目に生きてきた自分人生は苦しくてたまらない状況だ。

それでもワンピースは売れづけている

仲間だなんだと言い続けている。

仲間の為に自己犠牲をみたいなストーリーを続けている。

オリジナル部分はあるがよくあるストーリーの組み合わせだ。

本当にそれがその通りなら良いけれど

上っ面の嘘っぱちで都合の良いことばかり言って

それに調子に乗った自称陽キャ達がそれを見て楽しんで

ウェーイとかやっているのだと思うと

それが悲しくてたまらない。

2024-09-28

送りバント戦法は間違っているのか

野球オタク以外はどうでもいいネタ

長らく「手堅い作戦」「野球セオリー」とされてきた「送りバント」の評判が最近きわめて悪い。「実は送りバント戦法は得点確率が低いことはエビデンスでも出ている。バント固執する指導者老害」という意見が主流になっている。以下の記事典型的ものだ。

“非効率作戦”とわかっているのに…日本プロ野球で「送りバント」は、なぜ減らないのか? 歴史的な「投高打低」に拍車

https://news.yahoo.co.jp/articles/e6ac76b5d59c79948a1c6544838cffc53813633f


自分は、送りバント有効性を否定する議論は、全体としては間違いだと考えている。否定派は、そもそも問題として、バント有効ではないことのエビデンスを示すことは、一般に考えられているよりもはるかに難しいことがわかっていない。巷で出ている「送りバントは非効率」というエビデンスは、実際にはほとんど役に立たないエビデンスと言っていい。

例えば、バント戦法がより選択される可能性が高い状況を想像して欲しい。それは、一点を争う投手戦である。例えば、戸郷と才木が0ー0で投げ合って無死1塁という状況では、バント選択される可能性が高くなる。しかし、投手能力的にヒットを打つこと自体が難しいので、当然ながら点が入る確率は低い。

逆に強攻策が採用される状況は、既に点差が開いている状況で、投手調子が悪かったり、実力的に2、3番手が投げていることが多い。例えば3−8で負けていて無死1塁という状況では、バント選択されることはほぼない。投げている投手調子能力も高くないので、強攻して普通に安打が出やすい。

このように「バント得点確率が低い」という巷のエビデンスは、単に打てる確率の低い状況と高い状況を比較しているだけ、という疑似相関の可能性を考えなければならない。そもそもバントをあまり採用しないチームがあるとしたら、今年では横浜がそうであるように、強打者が揃っているチームである。なので、単純に打撃のいいチームと悪いチームを比較して、「バント得点確率が低い」と結論づけてしまっているだけの可能性もある。

以上のように、真にバント戦法の有効性を検証するには、投げている投手調子レベル、チームの打撃力といった条件を細かく丁寧に揃える必要がある。そうしたエビデンスは今のところ見られないし、おそらく複雑すぎて難しいだろう。送りバント有効性については、「勉強時間を1時間増やしたら点数が10点上がった」というレベルの明白なエビデンスは期待できないのである

私見では、そもそも送りバント指導者にが好まれるのは、得点確率が高くなるからという以外の根本的な理由がある。それは、「犠打」と呼ばれるように、そもそもバントにはチームのために自己犠牲にする、という象徴的な意味がある。自己犠牲姿勢を見せることによって、全ての選手に「チームのために」という意識づけをして、自己満足的なプレー抑制することが期待されているのであるしかし、こうしたバント効用については、データに基づくエビデンスで示すことはできない。結局のところ、送りバント有効性は、現場指導者選手経験に基づく実感でしか判断できないのでないかと思う。

2024-09-22

個人主義社会を維持するの無理ゲー

自分個人主義者だし、個人主義じゃないとストレスが貯まるので、個人主義万歳だ。

しかし、昨今の人間社会の様子を見るに、コミュニティへの献身がないと成り立たないと感じる事が多い。

個人主義という楽を知ってしまった以上、自己犠牲なんて払いたくない。

自分死ぬまでは現在社会が保ちそうなので、どうでもいいかと思うのは個人主義が故か。

現在社会問題に対する新しいソリューションは開発されるのを見れたら嬉しいが100年以上は難しそうだ。

同じ時代に生き、同じ社会で頑張ってるみんな、頑張って生き抜こうな!

2024-09-14

苦情の電話が嫌なら兵庫県職員辞めればいいじゃん

こいつらバカなのか?

なんで退職しないんだ?

それか兵庫県知事が嫌なら山上を見習って行動すりゃいいだろうに

なんでこいつらそうしないのか謎

自己犠牲精神なさすぎ

2024-09-11

40歳を目前にして学んだこと

子ども高校PTAをしている。

任期は3年。

想像の通り不本意ながらやらざるを得なかった。

1年目は業務に都合が付けられたので

参加できる活動積極的に参加した。

夏休みボランティア全日参加した。

関係ない役員の手伝いもやった。

2年目の今年、社内異動があり

どうしても業務に都合が付けられない部署に配属となった。

人手不足希望日に休めない。

当然PTAの参加はほぼできなくなった。

何回目かのPTA役員会、

もちろん休日申請したが人時都合で休めない。

役員会を欠席したところある役員からLINEが来た。

直訳すると

あなた立候補してPTAになって欠席したせいで

ほかの役員迷惑かけている」

だそうだ。

昔のわたしなら

会社迷惑をかけてでも休むか

いつまでもグチグチ言っていただろう。

しかしたら

PTA辞めてやる!!」

なんて大騒ぎしたかもしれない。

話は変わってわたしは今年で40歳になる。

体脂肪率40パーセント超え、

正社員だが手取り15万で大した取り柄もない。

そんなタイミングでの社内異動、

万年人手不足のしがない部署へ飛ばされた。

しかしここが転機。

朝8時勤務が朝10スタートに変わったのだ。

この体脂肪率のまま、

手取り15万のまま、

なにも楽しくない人生のまま生きるのか?

ゆったりした朝時間で考えるようになった。

「そうだ、ジムへ行こう」

本当に何となく思った。

いままでダイエット挫折キング自分

なぜそう思ったかは分からない。

以前いた部署の先輩のアドバイスに従い

から1番近いジムに申し込んだ。

器具の使い方もわからない、

運動方法も分からない。

適当に入会して気づいたが

ここのジムは本格的な人ばかりで明らかに浮いている。

でもわたしは今年で40歳になる。

恥も外聞もない。

ジム代を払っている以上前に進むしかないのだ。

きんに君の動画を見ながら、

周りの方々をチラチラ見ながら真似して毎日通った。

これを書いている今日がちょうど3ヶ月になるが

素人なりに10kg減量できた。

話を戻して。

PTA怒りのLINEが来た時、

ジムで結果を出しているわたし

「どうでもいい」と思ってしまったのだ。

どうでもよくはない、周りに迷惑をかけている。

だがどうだろう、PTAボランティアだ。

報酬なんてないし会社を休んでも肩代わりして貰えない。

PTAになったら仕事を、

プライベート犠牲にするのが然りなのか?

努力はしている、休日申請もしている。

だができない。

しかたがないのだ。

ジムに通うことによって

知らない間に周りの自己犠牲同調圧力ものともしない

精神力を少し手に入れていたようだ。

今ならわかる、

なぜ真面目にルールを守って生きてきた人より

ヤンキー達の方が豪華な生活をしているように見えるのか。

自分正義に従い

自尊心を守り

人間関係を築く訓練ができているからだ。

校則違反をしてでもオシャレを守り、

たまに学校をサボってでも友達円満関係が築けている。

対して偏差値低低馬鹿真面目高校に通ったわたし

ちょっと後ろ向きな事を言われるとお豆腐メンタル

明らかにおかしルールでもなんの疑問も抱かず従う、

極めつけは人見知りが祟って

大した人間関係も築けて居ないのだ。

なんとつまらない人間なのだろう。

そんなこんなでわたしジムに通っている間に

少し精神力、忍耐力が鍛えられていたようだ。

PTAがなんだ努力はしたんだ、

文句があるならそもそもPTAにもならず

逃げ回っているその他に言え。

言いやすい人をサンドバックにするな。

既にPTAで浮いているわたし

恐れるものなど何も無かったのだ。

PTAはあと一年半、

仕事はあと20年続く。

どっちを優先するかなんて明白だ。

自分自己犠牲押し付けるな。

わたしは今年で40歳になるのだ。

からでも遅くない、

自尊心を養うのだ。

今なら深夜の車すら通っていない赤信号でも

渡れる勇気が出そうだ。

そもそも夜は外出しないが。

余談だがLINEを送ってきた役員

後日直接謝罪にこられ、

LINEでも謝罪が届いた。

昔のわたしなら当然許しただろうが

今は違う。

直接謝罪はアーハイ、とスルーした、

LINEも未読で非表示にしたので読んでいない。

読んで自分の貴重な1日に影を落としたくない、

孤独になっても付き合いたくない人とは関わらない、

自分に正直に生きるんだ。

今はそう決断できる勇気を持てた自分が誇らしい。

わたしはあと2ヶ月で40歳になる。

手取りは15万のまま、

心は少し豊かになり体脂肪は少し減った。

41歳までの目標はあと20kg減量すること。

あと歌が好きなのに下手なので

あえてインターネット歌ってみた動画をあげること。

ふつう軽音部」のように受けるところにはウケるんじゃあないか

と思っていたりする。

40歳、既に色々失ってこれ以上すり減るものもない。

あわよくばそんなわたし

どうか友達になってくれると嬉しい。

人間力を、自尊心を養うのだ。

今度こそ人と関わっていくのだ。

どうぞ宜しくお願い致します。

2024-09-09

いくつかの研究によると、結婚寿命に与える影響は男女で異なることがわかっています

結婚した男性長生きする理由

社会的サポート: 結婚している男性は、配偶者からサポートを受けることで、ストレスを軽減し、健康的な生活習慣を維持しやすくなります

健康管理: 配偶者がいることで、定期的な健康チェックや病気の早期発見が促進されることが多いです。

生活習慣の改善: 結婚生活を通じて、食事運動などの生活習慣が改善されることが多いです。

結婚した女性が短命になる理由

ストレス: 結婚生活における家事育児仕事の両立などが女性にとって大きなストレスとなることがあります

自己犠牲: 女性家族健康幸福を優先する傾向があり、自分健康管理を後回しにすることが多いです。

社会的期待: 社会的役割や期待が女性に対して高く、それがプレッシャーとなることがあります

これらの要因が組み合わさることで、結婚が男女の寿命に異なる影響を与えると考えられています

生成AI

いくつかの研究によると、結婚寿命に与える影響は男女で異なることがわかっています

結婚した男性長生きする理由

社会的サポート: 結婚している男性は、配偶者からサポートを受けることで、ストレスを軽減し、健康的な生活習慣を維持しやすくなります

健康管理: 配偶者がいることで、定期的な健康チェックや病気の早期発見が促進されることが多いです。

生活習慣の改善: 結婚生活を通じて、食事運動などの生活習慣が改善されることが多いです。

結婚した女性が短命になる理由

ストレス: 結婚生活における家事育児仕事の両立などが女性にとって大きなストレスとなることがあります

自己犠牲: 女性家族健康幸福を優先する傾向があり、自分健康管理を後回しにすることが多いです。

社会的期待: 社会的役割や期待が女性に対して高く、それがプレッシャーとなることがあります

これらの要因が組み合わさることで、結婚が男女の寿命に異なる影響を与えると考えられています

生成AI

2024-09-03

パターン認識と反射だけでコミュニケーションをする人

根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。

変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。

ハラスメント問題かに関して、「オープン対話大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。

通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)

どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。

反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない

要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーション定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。

部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。

から最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやす環境」とか「相談事がしやす雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。

どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。

彼らは時に、「本心を言わず相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。

たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーション成功の瞬間なのだ

相手がこういう人だとわかってくると、自分最近関わることにリスクを感じてくる。

もちろん、人間コミュニケーションってあやふやものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。

まり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。

でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。

実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから

*なお、念のため付け加えておくが、私はハラスメント加害者ブラック企業擁護する意図はない。

パターン認識と反射だけでコミュニケーションをする人

根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。

変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。

ハラスメント問題かに関して、「オープン対話大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。

通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)

どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。

反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない

要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーション定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。

部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。

から最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやす環境」とか「相談事がしやす雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。

どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。

彼らは時に、「本心を言わず相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。

たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーション成功の瞬間なのだ

相手がこういう人だとわかってくると、自分最近関わることにリスクを感じてくる。

もちろん、人間コミュニケーションってあやふやものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。

まり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。

でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。

実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから

*なお、念のため付け加えておくが、私はハラスメント加害者ブラック企業擁護する意図はない。

パターン認識と反射だけでコミュニケーションをする人

根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。

変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。

ハラスメント問題かに関して、「オープン対話大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。

通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)

どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。

反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない

要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーション定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。

部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。

から最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやす環境」とか「相談事がしやす雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。

どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。

彼らは時に、「本心を言わず相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。

たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーション成功の瞬間なのだ

相手がこういう人だとわかってくると、自分最近関わることにリスクを感じてくる。

もちろん、人間コミュニケーションってあやふやものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。

まり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。

でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。

実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから

*なお、念のため付け加えておくが、私はハラスメント加害者ブラック企業擁護する意図はない。

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