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はてなキーワード: 美談とは

2025-10-06

なにより心配なのは、岸田、石破と続いて高市もたいした長期戦略もやれないまま短期で終わるんじゃないかってことなんだよ

ノアよりデカイ舟を操縦してんだからさ、急に面舵一杯なんっていっても曲がれないわけでさ。

そもそも前の二人もなんでやめたのかイマイチわかんないのよ。

選挙で負けたから?

そしたら一番まけてるとこででてきた高市さんリリーフつか、捨て石の扱いってことじゃないの?

喜ぶにも喜べないわ。

今頃、外国情勢も含めた首相教育みたいなのを高級官僚に受けてるんだろうけど、

今までそんなに勉強してなかった(ように見えるよ、対外的には)人が付け焼き刃で勉強してもちゃんと御神輿に乗れるのかなぁ?

最近、こりゃ絶対に採算がとれないだろうな~っておもいながら半年通ってた店がさ

やっぱり、突然、潰れてる(無期限臨時休業)がっかり

そういうのは、やっぱり、みてりゃわかるんだよ、どうもバランスおかしいな……って。

 

岸田は3年で石破は42日。42日って。

そんで次の人は馬車馬でやりますって。

政治家しろ投票した民にしろ年寄りじゃん。

高齢化ってかもう、完全に、年寄り

年寄りはそんな馬車馬的に働かせたら死んじゃうか、ヘタすると余計に医療費喰うだけだし

人的資源を食い潰しますってロシアみたいなこというじゃん。

はぁ。

追記

・石破は1年あるとのブコメあざす。

https://x.com/May_Roma/status/1974956975202152501 と

https://x.com/mnm56767187/status/1974469978754879711 (承前マジで馬車馬やれそうなのかい……ちょっと期待。株価も四万八千いったって。

https://x.com/sayakatake/status/1975010914324938998 え、まだ受けてなかったの? 納税してない人は総裁なれないけど介護もさ……ぜひここは「人任せ」にしたいけど日本サービスが「女性が働けるよになってない」体現者じゃん……

https://x.com/thirtysmtggirl/status/1974522409035378721 えー役人ってマジすか~?ハナホジ。

https://x.com/Terada_Onyou/status/1974591817103601915 えっそれも知らんかった、もっと教えようぜ。お札の5000円枠こんなにおるんか。

・(元ツイ不明)副総裁麻生80歳 16歳下の高市さんをしっかり支える美談になるのか?

https://x.com/morningstar0212/status/1974828836056694791 馬車馬ってワークライフバランスあるんじゃないか説。そうきましたか

https://x.com/Sumikada009/status/1974782089338974288 ぐえー死んだンゴ

https://x.com/kasumi_mbcsj/status/1974445422128337263 み、身内って手厳しいからさぁ……gkbr

https://x.com/anzu_hozuki/status/1975060487084835255 「自分のやれることをなんでもする」アンティーク千早……

2025-10-04

自民党初の女性総裁誕生したけど、不都合データがヤバすぎる

高市早苗女性初の自民党総裁になって「歴史的!」って騒がれてるけど、誰も触れたがらない研究結果があるんだよね。

日本企業1990社を18年間追跡した研究で「女性取締役が増えると企業利益率が下がる」って結果が出てる。これガチデータしかアメリカ研究者が140以上の研究メタ分析したら「性別多様性企業業績の関係はほぼゼロだって

女性活躍!」「多様性!」って叫んでる人たちには都合悪すぎて見えないフリしてるけど、マッキンゼーの「多様性で業績アップ」研究だって、よく見たら相関関係因果関係ごっちゃにしてるだけ。

70年かけてやっと女性総裁欧米から見たら「まだそこ?」って話だし、でも焦って女性登用して失敗したら「やっぱり女性は」って叩かれるの目に見えてる。詰んでない?

メディアは「ガラス天井を破った!」って美談にしたがるけど、現実はそんな単純じゃない。性別で騒ぐより政策見ろよって話なのに、みんな「女性初」に釣られすぎ。

ぶっちゃけデータ的には女性総裁で良くなる保証なんてどこにもない。むしろ日本では逆効果可能性すらある。これが現実

でも誰もこの話したがらないよね。政治的に正しくないから。​​​​​​​​​​​​​​​​

2025-10-03

本来介護って必要ないんじゃないかと思う。

昔は年寄りだって働けるうちは畑に出て、家事をして、子や孫を支えた。だけど働けなくなったら「姥捨山」に置かれる。言い方は過激だけど、要は「人としての役割を終えた」とされていたわけだ。

現代はどうだろう。医療で無理やり寿命を引き延ばし、介護で寝たきりの身体を支え続ける。結果、現役世代労働力が「出涸らしみたいな老人」の世話にどんどん吸われていく。しかもそれは「美談」として語られる。親を看取るのは立派なこと、介護職は尊い仕事。もちろん否定はしない。でも、現役世代次世代を育てることより、老いを支えることに人手と資源を持っていかれる状況って、本当に健全なのかと思う。

未来に残る子供の世話より、先の短い老人の世話を優先してしま社会言葉を選ばず言えば、本末転倒だろう。

「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会リソースを割くのか」って話は、本当は分けて議論されるべきだ。けれど日本ではそれをタブーにしてしまたから、現役世代介護疲弊し、子供を産み育てる余力を失う。

からこそ、安楽死制度必要だと思う。

今の制度は「どんなに本人が望んでも死なせない」という前提に立っている。結果、本人は延命される地獄を味わい、家族介護者は精神的にも経済的にも摩耗する。誰一人幸せじゃない。

本人が「ここまででいい」と決断できる制度があれば、家族社会も過剰な負担を背負わずに済む。安楽死は「命を軽んじる制度」ではなく、「命の終わり方を自分で決める制度」だ。

いっそ「国有安楽死公園」みたいなものを作ってしまえばいいと思う。

人生詰んだと感じたらそこへ行く。静かな森の中で最期を迎え、死体公務員が回収して火葬して無縁塚に埋葬する。誰にも迷惑をかけず、本人の尊厳を保ちながら死ぬ現代姥捨山だ。タブー視されがちな“死”のプロセスを、国家オープンに支える。

もちろん今すぐ「姥捨山に戻れ」とは言わない。けれど、次世代を育てる余力を削ってまで、無理やり命を支える社会にどこか歪みがあるのは確かだ。そしてその歪みを是正する唯一の現実的方法が、本人の意思で終末を選べる制度——安楽死制度の整備だと思う。

2025-09-29

anond:20250929170356

皇室を試すような行為のものが不敬だと思うが、どうして美談にしちゃうかなあと思って見てる

2025-09-27

子どもを持たない幸せを語っちゃダメなの?

子どもを産まないのは社会保障タダ乗りしてる」って言う人、けっこういるよね。

でもそれっておかしくない?

それって同性愛の人とか、子どもを産めない女性とか、障害を持ってる人とかを否定するのと同じじゃん。

過剰な出生主義というか。


子どもがいない人だって負担ゼロなわけじゃない。

子持ちの人の分まで残業したり、休日出勤引き受けたりしてる。

街中では子どもを優先して譲ったり、配慮したりする。

別にそういう気遣い人質にしたいわけじゃなくて、言いたいのは「人間社会ってそもそも損得のバランスが公平じゃない」ってこと。

(もちろん子育てってめちゃくちゃ大変で難しくて重要タスクだなって分かってる。社会負担が大きいなと思う気持ちは察するし、本当に尊敬する。)


結局、社会って「得」と「損」が入り混じってできてるんだと思う。だから「お互いさま」じゃん?

それに、子供を持つことや働くことを一切しない人だって社会にはたくさんいるよ。

そう言う人が生きていけるのは素晴らしいことだと思う。

博愛的なことが言いたいわけじゃなくて、障害があっても人生を全うできる社会の仕組みはシンプルにすごいと思う。大変なことは多いと思うけど。)


なのに、「子どもがいて幸せ」って言うのは許されるのに、「子どもがいなくて幸せ」って言うと叩かれるの、めっちゃ不思議

なんで「子どもがいる幸せ」は美談になるのに、「子どもがいない幸せ」は自己正当化とかフリーライドとか言われちゃうの?

子持ちが写真をアップする時に、いちいち「子持ち"も"幸せですよ〜」なんて配慮と共に書く必要はないのに、子無しは配慮とか罪悪感を暗に示すことを求められるのは、なんか嫌な社会だな。


どっちもその人にとっての素直な幸せじゃん。

もちろん少子化問題とかはある。(私が肯定する社会保障こそ、「世代交代」で維持されるものからね)

でもそれって、個人生き方幸せの形を否定するための正論になるのか?すごく疑問に思う。




続・子供産まなくてよかったです、マジで

https://anond.hatelabo.jp/20250926225859

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念の為追記

私は元増田ではありません。

子育てをしたい人が安心して子育てできる環境を整えること

子どもを持たない選択をした人も尊重される社会を築くこと

この両方が実現してこそ、多様な人々が幸せに生きられる社会だと思う。

でも残念ながらトラバでの主題

「なぜいちいち子無しの幸せを主張するのか(そうすることでなぜ子持ちに攻撃するのか)」という議論になっていて、相互理解の難しさを感じた。

マイノリティマイノリティであることを主張すると、なぜそれがオーソリティへの批判だと受け止められるのか。

相対化は人を不安にさせることは明白なので仕方ないにしても、

そろそろソレを恐れずに多様化を受け入れる社会にならないと、それこそ少子化による社会問題社会福祉循環の破綻)は防げなくなるのでは?

最後に、

この増田を読んで傷付く人を無くしたいので言っておくと、子育てしてる人はすごいし、大変な中で子供たちに愛を向けるのは本当に尊いことだと思う。

子供たちははまじで可愛いです。ずっと幸せでいて欲しい。

2025-09-24

推し活がなぜ肯定されるか?

・新しい経済活動から、めずらしく景気の良い話

人間が何かを応援するという美談的な構図だから

ブームから

特に迷惑はかけていないか

 

否定される理由

価値観が受け入れられない

・儲かっててずるい

キモい

2025-09-09

走れメロス日本法律で再解釈する

走れメロス日本法律解釈すると、ほとんどの登場人物違法行為に引っかかる。

まず王様

人質を取って友人を拘束するって時点で刑法220条の逮捕監禁罪にあたる。

裁判なしで処刑しようとしてるから刑事訴訟法31条の適正手続(デュー・プロセス)も完全に無視

死刑刑法11条に規定されてるけど、もちろん法に基づく判決が前提で、王様が気分でやるのはただの殺人罪刑法199条

次にメロス

期限内に戻らなかったら友が死ぬ、っていうのは契約的に見ると「第三者生命担保にした契約」で、民法90条公序良俗違反で当然無効

しか不可抗力(天候とかトラブル)で遅延したらどうするかというリスク分配の条項ゼロ

契約法的に完全アウト。

セリヌンティウス立場も考えると、本人の同意があったとしても、強制力が背景にある時点で民法95条の意思表示瑕疵にあたる。

現代法では「真正同意」じゃないか人質としての合意無効

さら人権条約でも人質禁止されてるけど、日本憲法でも13条の幸福追求権、31条の適正手続、36条の拷問・残虐刑禁止に全部引っかかる。

で、最後の感動シーン。

メロスが走って戻ってきて契約履行した、みたいに描かれてるけど、そもそも民法90条違反無効契約から履行する必要すらない。

セリヌンティウスからすれば「勝手危険に巻き込まれ勝手に助けられただけ」で、不法行為責任民法709条)で逆にメロスを訴えてもおかしくない。

要するに走れメロスって友情美談じゃなくて、日本法律に当てはめると刑法民法憲法オールスター違反集。

友情より先に訴訟だし、走らせるべきはメロスじゃなくて弁護士

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-09-05

アニメ高校生女の子推し貢ぐためにバイト入れて

稼いだ金をアイドルに注ぎ込む美談があったんだけど美談なのかこれ

どこがホスト貢ぐのと違うんだ微妙な気分になるよ

2025-08-30

障害者感動ポルノ消費

タイトルはあえて障「害」評価した。

殴り書きなのでひっちゃかめっちゃか、話は行ったり来たり、誤字脱字チェックもしてないよ。、

私は健常者。

でも両親と兄弟知的障害統合失調、鬱、身体障害というザマ。

知的障害の気のある父親は、知的障害のある無垢な妹ばかりを可愛がり、私のやることなす事全て否定的。すぐ怒鳴るし、私のことが本当に気に入らない様子。

それは親戚からも私は可哀想な子扱いされる。

それは今も変わらないし、私の認知性格が歪んだ原因だと思う。

正直、妹が嫌いだ。父親も嫌いだ。一緒に行動したくない。将来は介護責任とか知らない。飛行機距離に嫁ぐ気でいる。だって私に介護してもらえると思ってんの?という扱いだったからね。仲良くする努力はしたしもう私も大人から割り切る。

割り切りたい。そこでタイトルに戻る。

から2◯時間テレビとか、最近障害者の苦労とそれを乗り越えた漫画とかのいかにも「苦労を乗り越えた主人公は素晴らしい」みたいな感動ポルノは世に蔓延ってる。

うん、そうだねー、がんばってるねー、よかったねー。

はい

この手のってさ、きょうだい児透明化されてて、はらわたが煮え繰り返りそうになる。その他の作品群やドキュメンタリーが受け入れられている現実ゲロを吐きかけてやりたい気分だ。

「苦労を乗り越えた主人公」へのお涙頂戴。「はい、かんどうてきですねー、なけますねー。」、それは実際周りにヘンな人がいないから言える事だよね?

周りに障害者がいる人だってきょうだい児のこと透明化してるよね。

知的障害があって難しいことがよく分からずいつもニコニコしてる妹と比較学校でもいじめらていた姉のことは可愛くないとまで言った、片方の娘が見えない私の父親みたいに。

見えてないよね、きょうだい児のこと。

もう私は児という歳でないけど。

家族きょうだいのおかげで乗り越えられました!美談!だけじゃないんですよ。家族愛!無償の愛!ハンディキャップなんてものともしない愛!

そんなのは綺麗事ですよ。そういうこと言われるとさ、障害のある妹や糖質父親のこと嫌いな私が人間失格みたいじゃないですか。

絶対子供産まない。この家系ですよ。知的障害遺伝もあるらしいですよ。健常者が産まれるわけがない。少子化ガーとか言ってる人たち羨ましいよ。自分の子供が障害を持って産まれ可能性にすら及ばないゴキゲンな頭で。

なるか、反出生主義者。

2025-08-19

お情けで一発やらせてくれた女友達感謝してる

女がよく言う

彼氏(夫)が私の気持ちに寄り添ってくれて感謝

みたいな発言って

から見れば

「お情けで一発やらせてくれた女友達感謝してる」

「落ち込んでたときフェラしてくれて嬉しかった」

みたいな印象なんだよね

 

他者から奉仕美談として拡散して、奉仕を当たり前のものとしようとする社会運動なんですよね

からきちんと叩かなければならない

2025-08-18

京都性風俗で成り上がった街

舞妓告発した「お風呂入り」「給与月5万」… 弁護士も“花街違法行為” と指摘「現代奴隷のもの」 

https://news.yahoo.co.jp/articles/ec8d1f52e1d56f84cff3ec685ff09a449b644627

京都いけずには「流石舞妓っていう性風俗観光の目玉で一大産業土地は違いますねぇ! ^^」でおk

舞妓さんちの賄い飯」で憧れてなる子も多いんやろなぁ、NHKでも舞妓入りを美談して放送してはるし

日本で唯一合法的に15歳がセックスする売春婦、それが舞妓

舞妓を目指す子が現れないように、舞妓卒業後は高級ソープ嬢になるのもいる、が併せて認知されますように。

舞妓売春婦と知っているか京都出身の舞妓はいない。

2025-08-12

あずきバーがうっすら嫌い

過激派というわけではないが、あずきバーというもの全般がうっすら嫌いだ。

子供の頃からほとんど食べたことがないし、そもそも美味しさのポイント曖昧しか覚えていない。

噛んでもなかなか減らないので、大半の時間が「これ今何してんの?」になってしまい、食べても何だかからない。

知ってるフレーバーを挙げろと言われても、プレーンと白あずきと抹茶くらいしか出てこない。あと期間限定の何か?

甘いものは好きだから、他のアイスの新商品ニュースを見て羨ましいなとも思うが、どうにもあずきバーは好きになれない。

スーパーで安売りされているのを見るのは嬉しかった。でもそんなに長続きしないよねあれ。

知り合いから「固くて歯がやられそうであんまり食べなくて」と興味がないことを開示されると、その人への信頼感が爆上がりしてしまう。

「昔から売れてる定番なんだよ」と聞いた時は何だかしかった。そのまま消えちゃえばいいのにとすら思った。

個人的に、扱いが創◯学会とかと同じになってる。

嫌いって言いたいけど集団の中に必ずその属性人間が1-2人いるから迂闊に言えないと言うか。

公の場で嫌いなものを声高に叫ぶなという話はそれはそうなんだけど。でもあずきバー嫌いな人は良い人に思える。

でも国民おやつなんだし、好きになれたら楽になれそうなのに、なんでこんなに嫌いなんだろうとも思う。

理由を考えてみたけど、一番でかいのは「子供の頃に食べたい別のアイスを悉く親に却下されて買わされたのがあずきバーから」に尽きるんだと思う。

これは真夏も冬もそう。

ウキウキしながらアイスコーナーに行ってチョコパッケージを手に取った時、「今日あずきバーにしなさい」と言われた時の絶望感。

家で食べる瞬間に、歯に響くあの固さでやる気を削がれた時の行き場のない怒り。

冷凍庫を開けたらいつものカップアイスではなく茶色い棒の列が並んでいるのを見た時の冷めた感情

でも逆に言うと嫌いな理由がほぼこれしかない。この一点だけでそんなにも恨めるものかと自分でも驚いている。

家族そもそもあずきバー信者でもなかったので、某メーカーの「家族みんなであずきバー」みたいなこともなかったのに。

歯医者で「あずきバー危険から注意してね」と言われたこともないし、あずきバー愛好会の勧誘を受けたこともない。

でも「おやつタイムにずっと踏みつけにされてきた」という恨みがある。

捻れた思いなんだろうけど、根深く残ってるのでどうにも消せない。

好きな人がめちゃくちゃ多くて、「昔ながらの優しい味」として揺るがない地位を築いているので、基本的に態度がでかい

テレビに出てくるあずきバー好きな人って基本的ルイ15世なのか?ってくらい態度がデカくない?あれ何???

そして甘味好きな人がやりがちな「皆これ好きだよね」という傲慢さを隠そうともしない。

しろ全面に出してくるし、勧めてくる。嫌いだっていってんだろ、食べても変わんねーよ。

健全だと名乗る割に固さにまつわる迷惑千万武勇伝。他のアイスを見下しても良いという態度。

歯が欠けた話を「笑い話」にして美談で持ち上げられてるのも気持ち悪い。根本的に昭和臭いが色濃く残る感じも嫌。

そら長年売れてますもんね、やめられないよね。ニヤけたおっさんたちの気色の悪い顔が付きまとうんだが。

ガリガリ君にもあるだろうって言われそうだけど、ガリガリ君のが印象はまだマシなんだよね。

軽いし、味のバリエーション豊富だし。季節限定フレーバー楽しいし。

同じ棒アイスでも、あずきバーのあの「昔ながらの健康おやつです」みたいなでかいツラして、都合の悪いこと(固すぎ問題)誤魔化してるのが特に虫唾が走る

被害妄想がだいぶ入ってるし、うっすら嫌いってレベルじゃなくて唾棄するレベルじゃないか?と書いてて思った。

ただ製造してる人や売ってる人が嫌いとかじゃないんだよね、あずきバーという概念存在集団が嫌いなんだ。

いつかもうちょっと嫌いな感情が緩和されることを祈りつつ、夏の冷凍庫で鎮座するあずきバーを見てまたヘイトを上げつつ、暑い季節を過ごしている。

https://anond.hatelabo.jp/20250811180308

2025-08-11

スタンド応援する補欠を美談にするな!」←何甘えてんだよ

多数の屍踏みつけて頂点に立つからこそ、そいつらに希少価値が生まれるのに、いったい何をすっとぼけているんだか

巨大コンテンツと化した高校野球はじめ学生スポーツで、今更そんな原則論が通るわけないだろ

野球で強いからメスが大谷発情するのであって、マイナースポーツお山の大将だったらだーれも相手にしない

誰でも入れて誰でも出られるなら高等教育意味はないし

イケメンと同じ顔が街に溢れたら、もう清潔感も全部なくなっちゃうの

これが現実

野球がうっすら嫌い

過激派というわけではないが、野球というもの全般がうっすら嫌いだ。

テレビの中継もろくに見たことがないし、そもそもルール曖昧しか覚えてない。

ボールがなかなか動かないので大半の時間が「これ今何してんの?」になってしまい、見てても何だかからない。

知ってる選手を上げろと言われても、長嶋茂雄イチローとオオタニサンくらいしか出てこない。あと村上様?

オタク趣味から野球ファンに対する手厚いサービスなんかを聞いて羨ましいなとも思うが、どうにも好きにもなれない。

デパートに関わるチームが優勝するとセールになるのは嬉しかった。でもそんなに長続きしないよねあれ。

知り合いから「野球あんまりからなくて」と興味がないことを開示されると、その人への信頼感が爆上がりしてしまう。

「人気が落ちてきて、テレビ中継も減ったんだよ」と聞いた時は何だかしかった。そのまま消えちゃえばいいのにとすら思った。

個人的に、扱いが創◯学会とかと同じになってる。

嫌いって言いたいけど集団の中に必ずその属性人間が1-2人いるから迂闊に言えないと言うか。

公の場で嫌いなものを声高に叫ぶなと言う話はそれはそうなんだけど。でも野球が嫌いな人は良い人に思える。

でもメジャーものなんだし、好きになれたら楽になれそうなのに、なんでこんなに嫌いなんだろうとも思う。

理由を考えてみたけど、一番でかいのは「子供の頃に見たい番組を悉く潰してきたのが野球から」に尽きるんだと思う。

これはプロ野球もだけど、甲子園もそう。

夜7時台のアニメ死ぬほど潰された。延長なんぞするなとずっと祈ってた。

うきうきしながらチャンネルを変えた時にマウンドが見えた時の絶望感。

延長が長引いて放送キャンセルになった時の行き場のない怒り。

朝の番組が終わった時、いつもの子ども向け番組ではなく応援ブラバンが鳴り出すのを聞いて「またこれか」と思う冷めた感情

でも逆に言うと嫌いな理由がほぼこれしかない。この一点だけでそんなにも恨めるものかと自分でも驚いている。

家族そもそも野球を見なかったので、某球団の「父のキゲンは巨◯が決めている」みたいなこともなかったのに。

体育の授業で野球をやったこともないし、野球部の応援強要されたこともない。野球からイジメを喰らったこともない。

でも「野球にずっと踏みつけにされてきた」という恨みがある。

捻れた思いなんだろうけど、根深く残ってるのでどうにも消せない。

好きな人がめちゃくちゃ多くて、「健全メジャースポーツ」として揺るがない地位を築いているので、基本的に態度がでかい

テレビに出てくる元野球関係者って基本的ルイ15世なのか?ってくらい態度がデカくない?あれ何???

そしてスポーツ好きな人がやりがちな「皆これ好きだよね」という傲慢さを隠そうともしない。

しろ全面に出してくるし、押し付けてくる。嫌いだっていってんだろ、試合見ても変わんねーよ。

健全だと名乗る割に甲子園にまつわる迷惑千万行為の数々。他の部活蔑ろにしても良いと言う態度。

陰湿いじめ傷害事件と呼べ)を甲子園栄光のもとに隠蔽する体質。クソ暑い中、熱中症アラート永遠に無視して行われる試合

女子マネージャー献身的な態度が美談で持ち上げられてるのも気持ち悪い。根本的に昭和臭いが色濃く残る感じも嫌。

そら金が動きますもんね、やめられないよね。ニヤけたおっさんたちの気色の悪い顔が付きまとうんだが。

サッカーにもあるだろうって言われそうだけど、サッカーのが印象はまだマシなんだよね。

ボールが常に動いててわかりやすいし、テレビ番組さないし。各県にチームあるし。

ワールドカップはまだなんかオリンピックみたいなモンなので許す。

スポーツ特有隠蔽体質とかはどれも変わらないとは思うけど。

野球のあの「ボクたち健全です」みたいなでかいツラして、都合の悪いこと誤魔化してるのが特に虫唾が走る

被害妄想がだいぶ入ってるし、うっすら嫌いってレベルじゃなくて唾棄するレベルじゃないか?と書いてて思った。

ただ選手が嫌いとかじゃないんだよね、野球という概念存在集団が嫌いなんだ。

いつかもうちょっと嫌いな感情が緩和されることを祈りつつ、甲子園で潰れた番組でまたヘイトを上げつつ夏を過ごしている。

野球好きもあんま知らないトリビアちょっと披露させてくれ

野茂英雄大阪府成城工業(平凡な無名校)時代にはもうすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた


小笠原道大高校通算0本塁打ながら恩師のコネNTT関東野球部入社できたのは本当だけど、暁星国際高校時代にはすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた

ヤクルト青木宣親東京六大学通算0本塁打(ちなみに投手江本孟紀でも六大学通算7本塁打)

高卒入団即16勝で新人王を獲得した怪物松坂大輔は、実はオープン戦ではボロっカス本来なら開幕一軍先発ローテ入りなどありえないような成績だった(防御率6点台)

・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上スポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている

・「長嶋茂雄巨人入団まで、東京六大学野球こそが野球において花形プロ野球より格上だった」というのは大体合ってるが、

その遥か以前から野球レベル自体職業野球のほうが別次元に高く、また給料も当時の財閥大会社部長あたりより良かった


1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)

90年代プロ野球MLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)


大阪桐蔭仙台育英東海大相模のような甲子園優勝校より東京六大学のほうが圧倒的に強い(東大野球部でもいい勝負かも)


筑波や鹿屋体育大に限らず、野球で入れる国公立大学は実はたくさんある

統計的ストレートは角度がついていないほうが空振りを取りやすい(一応強調しておくと"ついているほうが"ではない)

2025-08-10

クラスのやつが飛び降りとき担任が“みんなで乗り越えよう”とか言ってたけどさ、正直1人減って座席に余裕できたし、授業中も静かになってだいぶ快適になったんよな。しかもその子、学年でも成績下から数えた方が早かったから、ぶっちゃけ学力的な損失ゼロやし。

なんなら遺書に“クラスの皆さんありがとう”とか書いてて、美談ポイントまでついてきた。死んだことでようやく役に立てたって考えたら、これ割と“正解ルート”だったんちゃうかな。

2025-08-09

そろそろ存命の有名高校野球監督過去糾弾されてもいいと思うの

練習中に部員死んでるの美談にしてるレジェンド監督いるからな

よく年寄が働いている美談めいたのみるけど

伝統工芸とかならともかくも、たんなる商売人とか従業員でいえば

そんな年齢までは働かないといけないくらいサボって生きてきたということでしかないよな

税金もたいしてはらってなかっただろうし人間の屑やん

2025-07-30

anond:20250729013213

R18ポルノ未成年が買える状態でその辺で売ってることを問題ないと考えてるのなら終わってる

同じBLでも同人誌未成年に見せないようアカウント分けたり身分証明書提示させたり対策が以前より厳格化しているし、どうしてもほしい同人誌を成人の仲間に買ってもらって数年後に未成年だったファンが手に入れる美談とか発生してるぞ

表現の自由を掲げる連中はド級馬鹿から攻撃するならBL規制するぞで脅せると思ってるが、未成年でもない限り腐女子作品ゾーニングがR18になったところで購入を諦めるようになるとは到底思えんわ

結局BLがR18に区分されてないのは社会女性向けのポルノを売ることに対応してないからでしかない

この手の主張ってそれで長年悩んできた腐女子歴史侮辱してるよな、彼女らがBLというジャンルを守るために男に攻撃されてもやり返してきたし、ゾーニング必要だと発信してきたのに、楽な方に流れるためだけに男側の主張に乗ってBL有罪だけど男にお目溢ししてもらっているという立場を獲得しようとしてる

そいつらがBL存在から否定して攻撃してきた人間ほとんど同じだということをゾーニングを主張する腐女子経験で知っているというのに

2025-07-24

change.orgより

日本社会は今、危機に瀕しています

きっと底知れぬ不安や生きづらさを抱えている人が、たくさんいるはずです。

でも、その原因は、特定集団政策によって引き起こされているような単純なものではありません。

私たちが暮らすこの社会はとても複雑なシステムをしているため、そこからまれ不安や生きづらさの原因も複雑です。

ムラ社会、長時間信奉、自己責任論、家父長制、自他境界の弱さと侵害人治主義の横行などなど。

社会的・文化的要因が非常にたくさんあり、それらが複雑に絡みあって、この国の危機が生じているのです(※思いついたものを文末に18ジャンル108項目ほど掲載してみました)。

ですが、これだけたくさんの社会的な病理を抱えているにもかかわらず、私たち日本人はこれまでしっかりと解消・改善を進めて来たでしょうか?

政治に限らず、学校職場、家庭、地域マスメディア。あらゆる場面であらゆる取り組みが必要なはずなのに、残念ながらほぼ全て手つかずの状態ではないでしょうか?

そうして不安や生きづらさの社会的要因や文化的要因を解消・改善しようという努力ほとんどして来なかったこと。

それこそが、私たち日本人が感じている不安や生きづらさの最大要因なのだと思います

ところが最近、この構造を極度に単純化し、私たち日本人不安や生きづらさが「○○のせいだ」と、特定集団物事等が原因であるかのような言説が広がっています

リベラルのせい、オールドメディアのせい、ワクチンのせい、財務省のせい、フェミニズムのせい、ジェンダーフリー教育のせい、ポリコレのせい、等々。

信者によってターゲットは様々ですが、その中でも昨今急速に広がっているのが、外国人移民や、彼らに対する優遇が原因であるかのように語る言説でしょう。

ですが、私たち暮らし不安や生きづらさを生み出している原因は、本当に外国人移民なのですか?

私たちを日頃苦しめている物価高も、所得の伸びや労働分配率が低いのも、無くならないイジメハラスメントも、もたらしているのは外国人移民なのですか?

日本人ファースト」なるもの外国人移民に対する規制を厳しくして、それらが解決するのですか?

彼らが語る「日本危機」の大半は、「生活の中で直面している不安・生きづらさ」ではなく、「ネットの誰かによってもたらされた不安」や、「スマホが無かったら生まれなかった不安」に思えてなりません。

少子化問題でも、子供を産まない働く女性や、男女共同参画のせいにするような言説が叫ばれています

国家のために出産意思に介入しようという発想自体が非常に問題ですが、明らかにそこに因果関係はありません。

女性職場進出日本より進んでいるのに日本より出生率が高い国もたくさんあるのがその証左です。

選択夫婦別姓家族が壊れる」という言説も同様です。

このように、複雑な構造の極端な単純化デマによって、特定集団政策等に不当に原因を帰属させ、責任転嫁する他責的言説のことを「スケープゴーティング」と言います

ケープゴーティングで最も典型的なのはナチス政権でしょう。

ドイツ国民が感じていた経済的不安社会的不満・敗戦屈辱感などの原因を、ユダヤ人共産主義者ヴェルサイユ条約、その他の少数派に転嫁する形で支持を拡大しました。

まさに今、それと非常に近しい「他責言動」が広まっているように思うのです。

その背景にはやはり、SNSの普及とその構造問題があります

アテンションエコノミー

エコーチェンバー/フィルターバブル

レイジベイティング(※怒りを呼ぶデマ投稿お金にする方法

タイパ重視に伴うわかりやすさの過剰評価と、「事実<分かりやすさ」への価値逆転

そういう環境下だからこそ、インフルエンサー、まとめ動画情報商材などによる「スケープゴーティングコンテンツ」が、陰謀論反知性主義ストローマン相手意見を歪めて攻撃する手法)等とともに急増しています

注目すべきポイントは、選挙に限らず、様々な分野でそのようなコンテンツ言動が広がっている点。

そして、政治思想支持政党関係無く、スケープゴーティング自体が、ポピュリズム等とともにネットカルチャーや人々の思考回路に深く浸透してしまっているという点です。

まり、①SNS構造問題により、②陰謀論反知性主義ストローマン等とともにスケープゴーティングが生じやすくなり、③その結果ポピュリズム排外主義の拡大に“も”つながったという流れがあります

一部の人々は、排外主義に反対の声をあげており、それ自体絶対必要なことです。ですが、①という根っこの部分に対応しない限り、排外主義蔓延も止まらないように思うのです。

そこで私たちは、ITプラットフォーマー、国・政府マスメディアに対して、以下のような方法でスケープゴーティング蔓延を止めるよう強く要請したいと思います

(1) ITプラットフォーマーに対して…スケープゴーティング拡散を抑える仕組みを速やかに整備・強化すること。たとえば、アルゴリズム見直しや(広告も含めた)ファクトチェック/スケープゴーティングチェック表示機能など。

(2)国・政府に対して…(1)を進めるための法令を整備すること。地域学校デマやスケープゴーティングに対する注意喚起・啓発を行うよう要請すること。

(3)マスメディアに対して…スケープゴーティング問題について積極的警鐘を鳴らすこと。政治家・著名人インフルエンサー発言ファクトチェックや「スケープゴーティングチェック」を選挙関係くその都度行うこと。

是非ご賛同いただければ幸いです。

なお、この署名特定政治家・政党対象とするものではありません。あくまでスケープゴーティング自体問題を問うものであり、同じ問題意識を持っている方は、支持政党関係無く賛同をお願いします。

加えて、デマ差別収益問題に関しても、規制を求める署名キャンペーン「#デマ差別収益化を法律禁止して !IT企業対応義務付けてください」を実施しておりますこちらも合わせてご賛同よろしくお願いいたします。

一方で、私たち市民一人ひとりも、スケープゴーティングに対してしっかりと防衛しなくてはなりません。

情報リテラシー継続的改善

自分自身情報に対する認知客観視できる視点の構築

日常会話の中におけるこまめな情報源の確認(たとえば「え、それってどこに載っていたor誰が言っていた情報?その情報源って信用できるの?信用できるかどうかってどうやって決めているの?」という問いかけ等)

多様な属性の人々との対話

人権社会構造等にある程度理解のあるAIチャットサービス活用した簡易チェック ※ただしハルシネーション(AI事実に基づかない情報を生成すること)に注意

やれることはたくさんあります

また、個人だけではなく、学校職場、家庭、地域市民活動など、暮らしのあらゆる場面でもスケープゴーティングを止める多様な取り組みや活動必要です。私たちのこの活動もその一つとして機能できればと思っています

◆(参考)日本が抱える社会問題社会的/文化的要因(108例)◆

人権の未確立権威主義序列社会ノブレスイミュニテ/プルブレス・オブリージュ、身分制人事/身分制給与スクールカースト

ムラ社会同調圧力排他性、成文化されていない規範の強さ、均質性至上主義縁故主義/ネポティズム集団への過剰な帰属意識他者目線に対する過剰反応自己検閲

事なかれ主義、過度なリスク回避主義泣き寝入り圧力の強さ、組織の自浄能力の欠如、形式的反省評価社会加害者更生意識希薄

空気至上主義迷惑回避至上主義文脈理解の難しいハイコンテクストコミュニケーション忖度社会アサーティブコミュニケーションの未発達、コンフリクトマネジメントの未発達

形式主義前例主義手段の目的化名誉への過剰な執着、事前審査偏重社会、長期的視点の欠如、申請主義/プル型公共サービス

根性論、長時間信奉、自己犠牲至上主義忠誠心評価社会顧客至上主義遅刻過剰嫌悪社会ケア労働の無報酬性・低評価メンバーシップ雇用年功序列

⑦ 家父長制、ミソジニーホモソーシャル、himpathy、toxic masculinity、性別役割分業、貞操崇拝

⑧ 各種ハラスメント、DEIの未発達、アンコンシャスバイアス、マイクロアグレッション、セクシズム、レイシズム/ゼノフォビアエイジズム、ルッキズム/ボディシェイミング、感情労働の過剰要求レイプカルチャー/ポルノカルチャー/買春カルチャー性的消費の横行、未成年性的対象

⑨ 標準家庭神話機能不全家族積極的自己選択ではない家族形成、過剰な家庭教育責任論母性神話

管理教育自己肯定感育成意識の欠如、多様なアイデンティティの未発達、ブラック校則集団行動至上主義リテラシー教育の欠如

反知性主義、幼稚性賛美、正義フォビア/公正さフォビア、真面目フォビア/正論フォビア、イジメ陰湿

⑫ 自他境界の弱さと侵害認知の歪みの放置わら人形論法の横行、二元論/二項対立思考ルサンチマン惹起構造

民主主義コミュニケーション能力の未成熟性、議論フォビア、抗議フォビア、政治話題忌避主義ロジカルシンキング/クリティカルシンキングの欠如

立法不作為と失政、ジャーナリズム崩壊人治主義/治外法権組織の横行、司法警察恣意的判断の介入、セクショナリズム蔓延

利他主義社会貢献意識の欠如、冷笑主義新自由主義公共概念消滅セーフティネットの欠如、依存先の多元化不足/共助コミュニティ崩壊

公正世界仮説自己責任論/自助圧力権力勾配性に対する無理解特権構造障壁に対する無理解

経済格差/教育格差社会資本格差負担給付の一致という前提に欠けた政治議論血縁跡継ぎ社会

⑱ ハレの偏重とケの軽視、穢れの思想休日分散化の未発達、美談化による本質回避主義

ワンクリック賛同







…アホかこのサイト

2025-07-14

anond:20250714185459

今の万博感想も半世紀経ったら美談しか残らないんだろうかw

2025-07-13

悪いものを見習うな

他人の真似をするのは恥ずかしいことではない。というより、恥ずかしいとすら思えないほど日常の中に溶け込んでいる。言葉遣い、身振り、口調、態度、考え方。自分という存在のかなりの部分は、誰かの断片でできている。「人格」とはそんなコピーの連なりにすぎないのかもしれない。

問題は、どの断片を真似たかだ。

たとえば、前の職場にいた上司仕事を舐めきっていた。遅刻日常、報告は適当、部下を使うだけ使って手柄はかすめ取る。にもかかわらず、なぜか評価されていた。最初は「おかしいだろ」と思っていたが、しばらくするとこう考えるようになった。「あのくらい適当にやっても問題ないんだな」と。

気づけば、同じことをしていた。朝少し遅れて出社し、報告は必要最低限、資料も雑なまま提出。最初はバレなかった。楽だった。息がしやすかった。けれど、やがて誰も何も頼まなくなった。顔色を伺う目が、警戒に変わった。上司には「最近、雑だね」と言われた。

自分には「適当でも許される背景」なんてなかったのだと知った。

真似た相手自分は、同じ地面に立っていなかった。ただそれだけのことだった。それにすら気づかず、うわべだけを真似した結果、地面が崩れたのは自分だけだった。

一方で、誰にでも丁寧に接し、ミスにも淡々対応し、地味に信頼を積んでいく同僚がいた。最初バカにしていた。「あんなのやってられない」と。だが何年か経って、明らかな差が生まれていた。そいつには信用があり、仕事が回っていた。自分には何も残っていなかった。真似するならそっちだった。気づいたのは後になってからだった。

でも、分かっていても、悪い方を真似たくなるときがある。

悪い例は、ラクで、要領よく見えて、短期的に得をしているように映る。自分の中の浅ましさが、それを真似たくてうずうずしてくる。道徳では止められない。損得でしか判断できない人間性の貧しさが、判断を歪める。そして、分かっていたはずなのに、また同じことをやる。

自分が「これは良くない」と思っていることを、それでもやるのは、もう敗北だ。良心との決裂。自己評価放棄。その場限りの処世術で、人格が一枚ずつ剥がれていく。気づいたときには、自分が何を大切にしたかったのかすら思い出せなくなる。

良いと思ったものだけを真似る。それだけが自分という人間を最低限、保っておくためのラインだと思っている。美談ではない。ただの延命措置だ。それでも、真似るなら、せめてましなものにしておいた方がいい。そうでなければ、死ぬまで自分劣化コピーで終わる。

2025-07-08

anond:20250708080038

現在でも、死期を悟った老人がきれいに死に支度を済ませて誰にも迷惑をかけずにぽっくり死んだみたいな話が美談風に語られて、それに「自分もこんな死に方したい」みたいな称賛のレスがついたりするもんな。

早く死ねって同調圧力がすごくなりそう。

2025-07-05

anond:20250705183623

美談じゃねーよ

今まで感謝言葉を述べなかったことに気づいたって言えという話だよ

おまえはなんで女を攻撃するんだよ

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