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地方自治体の独裁者
独裁者が存在するのは必ずしも国家だけではなく、地方公共団体等国の内部の組織でも独裁者ないしはそれに準じる権力者が出現する事例も存在する。例えば近年では日本の兵庫県の知事である斎藤元彦はしばしば独裁者であると批判される。斎藤は以前からパワハラ等で批判され、内部告発を受けて彼に対する百条委員会が設置される等議会との対立を深めていたが、当人は告発内容が事実ではないとして受け入れず、告発した者を停職3ヶ月の懲戒処分を下すといった強権的な手法で応じた。しかし本来は公益通報者保護法で告発者への不利益な扱いは禁じられており、同時に真実と信じるに足りる相当の理由等がある場合には報道機関等外部への通報も保護の対象となる。そのような事を踏まえ、斎藤のこの対応は事実を確かめない拙速過ぎるものであり、独裁者が反対者を粛清するのと同じ、や、斎藤にとって耳の痛い都合の悪い話でも告発者を責めず、利害関係のない第三者や有識者による精査を行うべきだった、またそもそも告発文書には前述のように法的に保護されるべき公益通報が含まれている可能性があり、それを一部だけ取り上げて否定した斎藤やその政権高官らの対応は公益通報者保護法に違反している、といったように批判され、自分への告発者を「公務員失格」等と呼んだ事はいわば公開パワハラであるとの意見もある[9]。なおこのような事例は決して日本や斎藤に限った事ではなく、内部告発をされた側が告発者に対して示す反応の一つの典型的なパターンである。その内容としては特に本質的で重要な不正を告発した告発者に対して一部虚偽や誇張を織り交ぜた人格攻撃を加え、同人を悪魔化して悲惨な末路を押し付け、見せしめにするのである。これはまさに独裁者に立ち向かう事は自身の破滅に繋がるという運命をでっち上げる事で告発を抑止する典型的な恐怖政治であり、これは前述したように独裁者の粛清の構図であり[10]、実際に斎藤を告発した職員が2人自殺に追い込まれており、これらも斎藤のパワハラが原因だと言われているためこれが事実ならば彼らは斎藤によって粛清されたに等しい[11]。
結局斎藤は百条委員会の不信任決議により失職。しかしその後の2024年兵庫県知事選挙では再当選を果たした。その理由としてはSNSでの斎藤の人気があげられ、兵庫県議会への敵意を煽る斎藤の主張が拡散され、街頭演説では斎藤支持者による「斎藤」コールも発生。その中には自殺した告発者を非難する発言や、斎藤は議会に嵌められた、斎藤の対立候補であった稲村和美は外国人参政権を推進している等と言った陰謀論も数多く存在した[12]。このように対立者や外国人・他民族をスケープゴートにして敵意を煽り、権力者の独裁を確固たるものとする手法はかつてのナチス・ドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーが用いた手法と同じである[13]。また斎藤当選後には涙を流して喜ぶ高校生等の有権者もおり[14]、これは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の独裁者金正日が死亡した時に同国国民が号泣したのと似ており、個人崇拝が行われている事を示している[15]。
ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見のパターンなんだよね。
まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマの帝国が繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥスが指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争や暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体も政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。
でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代の暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまったことは記憶に新しいだろ?
そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツのヒトラーなんて、極端な意見や感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。
だから、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激な意見に共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。
逆に、極端すぎる意見は、「君の立場や視点に共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的な思考」が抜け落ちて、他者との対話や理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史や哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情や暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?
最後に、孔子の言葉を借りるなら「愚者は過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄に感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。
これの中で「もっとトランプ支持者やそれに類するメディアの意見を聞くべきだったのでは?」
とか書いてあるけどそれは間違いだし無駄だよ
何故ならトランプ支持者の殆どが陰謀論による思い込みを信じている様な連中だから
もし健常者がその意見を聞いても理解する事は不可能だし寄り添う事もできない
実際、健常者が「インフレが苦しいのでトランプ(インフレを更に加速させる)に投票した」という頭のおかしい人間を目の前にしても立ち尽くす事しか出来ない
電車の中で独り言を言ってるキチガイが居る時に誰もその内容に注意しないのと同じ
陰謀論にハマるか否かの差は単純に知能の差で
健常者が教祖に洗脳されるカルト信者の気持ちが理解できない様に
これが”分断”の本質
リベラル連中には「相手も同じ人間なので話が通じる筈」と思い込んでいるやつが多いが
同じ人間でも知能に差がありすぎると別の言語を話してるレベルで会話が通じないから
だから人類は大抵の場合その差を戦争による衝突でどうにかしてきた
ナチス・ドイツや大日本帝国が現代では地上に存在しないのは、かつてのリベラル連中がナチス・ドイツや大日本帝国と話し合ったのではなく
ドイツはナチスの反省をした結果今のイスラエルを生み出して結果的にパレスチナ人を殺してるわけじゃん。
つまりドイツ人は現在進行系でパレスチナ人を殺してるわけよ。ナチスから何一つ変わってない。ナチス・ドイツは今現在も生きている。
一方我らは先の大戦を中韓への犯罪という狭い枠組みではなく人類に対する犯罪として正しく認識しているから宗主国であるアメリカの行いを除いて全ての戦争犯罪を正しく非難できている。
イスラエルの行いをドイツ人が称賛しているのと違い、中国のウイグルへの行いを強く批判しているし、ロシアの侵略もイスラエルの虐殺も非難できている。
「ポリティカル・コレクトネス」(形容詞形「ポリティカリー・コレクト」、略して「P.C.」)は、特定の社会的集団のメンバーに対して侮辱や不利益を避けることを意図した言語や政策、措置を指す用語です。1980年代後半以降、この用語は、包摂的な言語を選択し、排除、周縁化、または侮辱と見なされる可能性のある言語や行動を避けることを指して使われるようになりました。特に、民族、性別、ジェンダー、性的指向、障害によって定義される集団に対する不利益や差別が問題視されています。公的な言論やメディアでは、この用語は一般的に否定的な意味で使われ、これらの政策が過剰または不当であるという含みがあります。
「ポリティカリー・コレクト」というフレーズは1930年代に初めて登場し、ナチス・ドイツやソビエト連邦のような全体主義体制における教条的なイデオロギーへの執着を表現するために使われました。1970年代から1980年代にかけて、左派による初期の使用例では、自己批判的な風刺として使われており、真剣な政治運動の名称ではなく、むしろ皮肉的な意味合いを持っていました。左派の間では、政治的正統性に過度にこだわる人々を風刺するための内部ジョークとされていました。現代における否定的な意味での使用は、20世紀後半にニュー・レフトに対する保守派の批判から生じ、多くの人がこれを検閲の一形態と見なしています。
アメリカ合衆国の左派の論者は、保守派が「ポリティカル・コレクトネス」の概念を利用して、実質的な差別行為から注意をそらそうとしていると主張しています。また、政治的右派も、自分たちが支持する集団やイデオロギーに対する批判を抑制するために独自の「ポリティカル・コレクトネス」を行使しているとも指摘されています。アメリカ合衆国では、この用語はリベラル派と保守派の間の文化戦争において重要な役割を果たしてきました。
ぶっちゃけコロンブスがそんな批判されるような奴だなんて知らんかったわ。気になったからChatGPTに聞いた。
評価が変わった偉人や英雄の例を以下に挙げ、それぞれの以前の評価、現在の評価、そして評価が変わった原因を説明します。
クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus)
- 以前の評価: アメリカ大陸の「発見者」として賞賛され、探検家や冒険家の象徴。
- 現在の評価: 植民地化と先住民に対する残虐行為の象徴として批判されることが多い。
- 評価が変わった原因: 植民地時代の負の歴史(先住民の虐殺、奴隷化、搾取)に対する認識の変化と、それに基づく再評価。
トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson)
- 以前の評価: アメリカ独立宣言の起草者、第3代大統領として民主主義の象徴。
- 現在の評価: 奴隷所有者としての側面や、個人的な矛盾が強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 人種問題や奴隷制度に対する現代の感覚が変わり、歴史的人物の持つ複雑な側面が再評価された。
ウィンストン・チャーチル (Winston Churchill)
- 以前の評価: 第二次世界大戦におけるイギリスの英雄、ナチス・ドイツに対する勝利に貢献した指導者。
- 現在の評価: イギリス帝国主義の象徴として、植民地政策や人種差別的発言が批判されることが増えた。
- 評価が変わった原因: 帝国主義の批判と、チャーチルの発言や政策の再検証による評価の見直し。
マハトマ・ガンディー (Mahatma Gandhi)
- 以前の評価: インド独立運動の父、非暴力主義の象徴。
- 現在の評価: その思想や行動に対する複雑な視点が増え、一部の人々からは人種差別的な発言や行動が批判される。
- 評価が変わった原因: ガンディーの南アフリカ滞在時の発言や、女性やカースト制度に対する態度が再評価されたため。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King Jr.)
- 以前の評価: アメリカの公民権運動の象徴、非暴力抵抗の指導者。
- 現在の評価: 公民権運動の功績は評価され続けているが、個人としての問題や欠点もより注目されるようになった。
- 評価が変わった原因: 公開されたFBIの調査資料や、個人のスキャンダルに関する報道。
ナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte)
日本人だとどんな例があるんや?
もちろん、日本人の例もあります。以下に、評価が変わった日本人の偉人や英雄の例を挙げます。
豊臣秀吉 (Toyotomi Hideyoshi)
- 以前の評価: 戦国時代の英雄、農民から天下人に成り上がった出世の象徴として評価された。
- 現在の評価: 朝鮮出兵や高圧的な統治政策、晩年の暴政などが強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 近代の歴史研究の進展や、戦国時代における倫理観の変化。
織田信長 (Oda Nobunaga)
- 以前の評価: 戦国時代の革命児、革新的な統治者、天下統一の基盤を築いた英雄。
- 現在の評価: 過激な政策や宗教弾圧、暴力的な手法が批判されることが増えた。
- 評価が変わった原因: 史料の再評価や、信長の行動の道徳的側面への注目の高まり。
昭和天皇 (Emperor Hirohito)
- 以前の評価: 戦後日本の復興と経済成長を象徴する象徴天皇、戦時中の役割は曖昧にされた。
- 現在の評価: 第二次世界大戦における戦争責任やその役割に関する議論が増えた。
- 評価が変わった原因: 戦後の歴史研究の進展や、公文書の公開、戦争責任に関する社会的な議論の深化。
徳川家康 (Tokugawa Ieyasu)
- 以前の評価: 江戸幕府を開いた名君、平和と安定をもたらした統治者。
- 現在の評価: 統治初期の抑圧的な政策や、反対勢力への冷酷な対応が強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 歴史研究の深化と、彼の政治手法に対する現代の視点からの再評価。
福沢諭吉 (Fukuzawa Yukichi)
- 以前の評価: 明治時代の啓蒙思想家、「学問のすすめ」の著者、日本の近代化に貢献した教育者。
- 現在の評価: その思想の一部が欧米中心主義や差別的であるとして批判されることがある。
- 評価が変わった原因: 近代化に伴う欧米化の影響や、その思想の背景にある差別意識の再評価。
山本五十六 (Isoroku Yamamoto)
ブライアンマックリッグって書いた人の本がソースで最新の研究に基づいて算出したみたいなこと書かれてるが信憑性がよく分からん。
次のような批判もあるが経歴とか出してる本とか見る限りでは問題を特に感じない。
リッグの論文とその提案方法は、ラウル・ヒルバーグと英国の歴史家デヴィッド・セサラニによって批判され、彼らはそれらをセンセーショナルで完全に正しいわけではないと定義した
https://it.wikipedia.org/wiki/Bryan_Mark_Rigg
彼の著書『ヨーロッパのユダヤ人の破壊』は、著者によって何度か改訂されており、ナチス・ドイツの官僚機構が「申請書」を使って実施した、いわゆる「ユダヤ人問題の最終解決」に関する最も権威ある研究の一つと考えられている。
リリアナ・ピッチョットによれば、ヒルバーグはショアの最も著名な学者の一人とみなされ、1961年に「基礎的著作『ヨーロッパユダヤ人の破壊』 […]彼は感情に流されることなく、理性的な精神でショアを読むことを彼から学びました。