はてなキーワード: 江戸とは
納豆汁って生まれて初めて聞いた。ググると山形秋田辺りの郷土料理、冬の季語とのこと。物知りやねえ / 恵方巻きと呼んでる太巻きは普通に通年だが。関西の寿司屋来い
納豆汁ってなんだ/恵方巻きって太巻きだよ…?切ってないのが買いたいということか、普段から具のバリエーションがほしいということかしらん
納豆汁てなに?ナットウキナーゼ全滅じゃないの?納豆パスタと同じようなネバ豆であることに全振りタイプ?オクラでも食べてろよ。
モスのラッシーナンタコス ラミー 冷麺…は市民権得てきたか 納豆汁は大戸屋かどっかで出てるの?通年の家庭料理に思えるが…
こんなにおいしいのに何故通年メニューじゃないのか
- [増田]
ちらし寿司は雛祭りで食べる風習があるからこの時期に目立つだけで頼めば通年食べられる。納豆汁も冬食べる事が多いというだけ。特定の店舗のお話をしているならそれはその企業の戦略。期間限定は売れるんや
そうか?
フランス革命で民衆が多数であることを武器に王侯貴族をギロチンかけまくったのを見るに、
そしてそこからの怒涛のほぼ世界を巻き込んだ「弱者にも人権を!」活動の主な活動者は男であることを鑑みるに、
女と同じ形じゃないので「理解できない」「理解したくない」というだけじゃない?
江戸では、往来でケンカして劣勢になったほうが地面に大の字でひっくり返って
「弱者に過度の手出しできない」を逆手にとったタンカを切ったというが
現代のそれは、バカが論理を理解できなくなったときに勝とうとして言う
「頭のいい人って、バカにもわかるように説明できるんですよねえ!」がそれ
>男の場合、ホモソーシャルにおいて弱者ポジションを取って利益を得られることが一切ないから、女の弱者の生存戦略に対する共感や同情は一切ないんだよね
こう見るとAIの使い方が下手、基本的にな学識に欠けるやつがやっても意味ないんだよな
下手のAI休むに似たりってか
まず安易に「江戸市中」って使ってるけど、どこまでどこからかを定義させないと
江戸時代の江戸市内における馬の数については、具体的な統計データは残っていませんが、いくつかの資料からその状況を推測することができます。
江戸時代初期(1603年 - 1700年頃):
江戸時代を通じて、馬は江戸市内で重要な役割を果たしており、武士や商人、農民など、さまざまな階層の人々に利用されていました。
江戸時代の馬に関する詳細な情報を知りたい場合は、上記のリンクを参考にしてください。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。というのも、いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。
江戸時代の江戸市内における武士の馬の保有数については、具体的な統計データは残っていません
江戸時代の江戸市内では、乗馬に関して厳しい規制がありました。特に、身分によって乗馬が制限されていました。
これらの規制は、江戸の治安維持や風紀を保つために設けられていました。
江戸時代の乗馬規制について、さらに詳しく知りたい場合は、以下のリンクを参考にしてください:
江戸時代の農工商身分にとって乗馬技術・乗馬できることはどれほど一般的なスキルだったか
江戸時代の農工商身分にとって、乗馬技術や乗馬できることは一般的なスキルではありませんでした。以下にその理由を説明します。
1. **農民**: 農民は主に農業に従事しており、馬は農作業や運搬に使用されることが多かったです。しかし、農民が馬に乗ることは稀であり、馬を使う場合は荷物を運ぶための手段として利用されました。
2. **職人**: 職人は物を作ることが主な仕事であり、乗馬技術は必要ありませんでした。職人が馬に乗ることはほとんどなく、移動手段としても徒歩や駕籠(かご)が一般的でした。
3. **商人**: 商人も同様に、乗馬技術は一般的ではありませんでした。商人は物資の運搬や商取引のために馬を利用することはありましたが、自ら馬に乗ることは少なかったですはなぜ差別された ...](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)。
江戸時代の社会では、乗馬は主に武士階級に限定されており、農工商身分の人々にとっては一般的なスキルではありませんでした。乗馬は武士の特権とされ、他の身分の人々が馬に乗ることは制限されていました。
はなぜ差別された ...](ttps://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/): [士農工商とは](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではないので、物資および"馬自体"の高速な輸送はできなかったか
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではなかったため、物資や馬自体の高速な輸送は難しかったです。しかし、江戸時代には他の輸送手段が発達していました。
1. **水運**: 江戸時代の物流の中心は水運でした。江戸は河川や運河が発達しており、物資の大量輸送が可能でした。特に、廻船(かいせん)と呼ばれる船が全国各地から江戸に物資を運びました。
2. **飛脚(ひきゃく)**: 飛脚は重要な文書や小荷物を迅速に運ぶための専門職で、江戸から大阪までの距離をわずか数日で走破することができました。
3. **陸上輸送**: 陸上輸送も行われていましたが、馬車や荷駄(にだ)を使った輸送は限られていました。特に、江戸時代の街道整備により、物資の輸送が効率化されました。
これらの手段を組み合わせることで、江戸時代の物流は効率的に行われていました。物資の輸送は水運が中心であり、飛脚や陸上輸送が補完的な役割を果たしていました。
まず、「馬尾馬尾」ってのはあだ名だ。本名は記録に残ってないけど、江戸の町ではこの名前で呼ばれてたらしい。なんでそんな変な名前になったかっていうと、こいつの髷(まげ)が馬の尻尾みたいに長くて特徴的だったから。普通の武士や町人なら整った髷を結うもんだけど、馬尾馬尾はその辺がだらしなかったんだろうな。
身分は町人と農民の間くらいの、ちょっと曖昧なポジション。こういう中途半端な立場って、どこにも完全に受け入れられないんだよね。だから彼は、どこにも属さずフラフラと生きてた。でも、その中途半端さがかえって彼の強みになったんだ。
馬尾馬尾には、典型的な弱者男性の特徴があった。無駄に博識で、細かいことに異常にこだわるくせに、空気を読めない。たとえば、祭りの準備でみんなが忙しいときに、「いや、それは非効率だ!」とか言い出して反感を買うタイプだ。しかも本人はそれに気づかないんだよ。
でも、完全に嫌われ者ってわけでもなかった。独特の正義感と意外な器用さで、トラブルを解決することもあった。そういうときは「あいつ、意外とやるじゃん」って評価されるんだけど、またすぐに余計な一言で台無しにしちゃうんだな。
そんな馬尾馬尾だけど、実はスゴい特技を持ってたんだ。それが、江戸時代版の「ガジェット」作り。木や竹、紙なんかを使って、小さな仕掛け時計やパズルを作るのが得意だったんだ。子どもたちにはこれが大人気で、「馬尾のおっちゃん、おもちゃ作ってよ!」って頼まれてたらしい。
特に有名なのが、木製の「動く人形」。ゼンマイ仕掛けで茶碗を運ぶような簡単なからくり人形だけど、それが当時の人たちにはめちゃくちゃ新鮮だった。職人としては一流だったのに、弱者男性としてのコミュニケーションの下手さで、広くは評価されなかったんだよな。
馬尾馬尾は、晩年にはすっかり人々の記憶から薄れていった。家族もいないし、友人も少ないから、孤独な生活を送ってたらしい。彼が亡くなったとき、葬儀を開く人もいなくて、遺品のガジェットたちだけが彼の存在を物語ってたんだってさ。
でも、彼の作ったものは、その後骨董品として弱者男性学の専門家に注目されるようになった。一部のコレクターには「江戸の天才職人」として評価されてるらしい。皮肉だよな、生きてる間に評価されないなんて。
法律的地位、法的性格 商号等 管理者例 開始 廃止 概要 住所
自動車運転過失致死傷被告事件 被告人 ヤン コンバイン シュレインバイク オドノ
公衆に著しく迷惑をかける暴力行為等 被告人 ※本晃裕 裁判員裁判対象事件
器物損壊被告事件(少年審判) 被告人 田辺勝月、新部雄大、外2名
生活保護に関する開始廃止などにつき 久保田知恵子 板橋区 昭和42年 福祉課 蓮根2丁目
受けた所長
個人 飲食業 一休ラーメン 令和元年11月30日 延岡市大貫
有限会社 県北ランセンター 前田勇吉 昭和54年 平成19年
消費生活協同組合法による 東京大学第2購買部 平成29年8月
延岡拘置支所
東京高等裁判所総務課
バハムートは唸りクジャタの紅玉の石板を揺るがす。アッバースの重みにより世界は均衡を取り戻す。
イスラムという新たな宗教によって統一された初期のアラブ・カリフ国家は、西は地中海を渡り、東方はペルシアへと急拡大していった。
この世界において、アッバース朝の首都バグダードは学問と文化の中心地として栄華を極めた。
そこでは、アラブの学者たちが天文学や数学、哲学、芸術を研鑽し、知の都を築き上げていく。
フランスの眼前には未完成の世界が広がる。それは、まだ何者にも彩られていない空白のキャンバスだ。
断頭台の長い影にはじまり、革命の赤青白の花形帽章、轟音を響かせるナポレオンの大砲、ベル・エポックの「光の街」、そして鉄の針を思わせるエッフェル塔へ――こうしてフランスは姿を現す。
フランス革命を経てこの国は、君主制から共和制、そしてまた逆戻りと激動の移行を果たした。
しかし、第三共和政は束の間の安息をもたらした。広がる並木道、発展する産業、華やぐサロン。
やがて大きな嵐に見舞われるとも知らずに。
日は昇り、明治は花開く。
江戸幕府が開国を余儀なくされた後の混乱は新たな統一国家、明治日本を生み出した。
江戸の礎の上に西洋の政治と技術を取り入れた日本は、すさまじい勢いで拡大し、ヨーロッパ列強の覇権に挑んだ。
civilizationいいね。文章が好きだ
「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら乳首やアナル刺激だけで絶頂に至る」というメスイキ嗜好が、かつてはニッチな特殊フェチと見なされていたにもかかわらず、数多くの日本人男性に受け入れられている現象は、以下のような複合要因によって説明される。
- 江戸期以前からの春画文化、男色・女形文化による“柔軟な性意識”
- 戦後の二次元表現(漫画・アニメ・同人)の独自発展と、ファンタジーで過激表現を可能にするモザイク規制の裏事情
- 長時間労働などで疲弊する男性にとって、被受動的立場は強いカタルシス
- 男らしさの呪縛から脱却したい(orそもそも求めない)草食系男子が仮想空間で自由な性を模索
- ASMR、バイノーラル録音、VRなどが「音声や視覚の没入度」を高め、“メス化”没入を容易にした
- DL販売や通販の匿名性が“恥ずかしいフェチ”を気軽に楽しめる環境を整備
- 日本固有の「二次元=自由な欲望発散」「現実=建前を重視」の文化が、過激な倒錯表現を大衆に広める土壌を形成
- 現実社会でのジェンダー問題解決とは直結しないが、男性の“自己開放”への潜在的欲求を刺激
こうしたマクロ要因が絡み合い、メスイキ嗜好やサキュバス責め・ふたなり支配などがもはや“スタンダード”の一つとなりつつある。その背後には、男性性の固定的あり方が崩れ、男女の役割分担が流動化している現代社会の姿が映し出されていると言えよう。
このような倒錯表現の流行が、男性性からの解放や女性上位のイメージを肯定的に扱っているからといって、直ちに現実の女性の権利向上に結びつくわけではない。むしろ男性中心のファンタジーとして再生産されている面もある。今後、社会的なジェンダー平等とどう折り合いをつけるのかが注目される。
表現の自由を最大限認める風潮と、フェミニズム・児童保護など公的利益を名目とする規制が対立する構図は今後も続く可能性が高い。二次元表現の規制に向かうのか、それとも創作と現実を明確に分離して許容するのか、社会的合意をどう形成するかが問われる。
日本発の「メス化」「ふたなり」などが海外でも一部マニア層に人気を博しているが、文化的差異や言語壁が大きい領域でもある。翻訳やローカライズが進めばさらに市場が拡大するかもしれないが、逆に海外規制や宗教的批判に直面する可能性もある。
男性が「メス」として扱われる性嗜好は、単なる“倒錯”という括りに収まりきらないほど大きな市場と支持層を得ており、そこで語られる「メスイキ」「乳首オナニー」「サキュバス責め」「ふたなり支配」などのキーワードは、現代日本社会のジェンダーと欲望のあり方を色濃く反映している。本来の男性性を脱ぎ捨て、女性的役割を演じて甘やかされたい、支配されたいと願う心理の広がりは、戦後日本が培ってきた“男はかくあるべし”の呪縛や、厳しい労働環境がもたらすストレスを映す鏡でもある。
現時点では、この“メス化”や“被受動的性快感”が社会全体のジェンダー観や性規範を大きく変革するかどうかは未知数である。しかし、男性性の揺らぎや多様化、そして二次元・音声メディアのさらなる発展を考慮すれば、今後もこの流れがより洗練化・拡大していくことは十分に予測される。そこには、単なるエロティックな消費だけでなく、日本人男性の深層に横たわる“自己解放”や“癒やし”の欲求が凝縮されているからこそ、多くのユーザーを惹きつけてやまないのである。
以上、本稿では、現代日本において急速に台頭した「男性のメス化(メスイキ)嗜好」をめぐる諸相を、歴史・社会・文化・メディア技術の多面的視点から検証した。今後の研究・議論を通じて、こうした男性性の再定義やファンタジーの実践が、どのように社会や個人を変えていくのかをさらに注視していく必要があるだろう。
近年、日本国内の一部男性のあいだで、「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら、乳首オナニーで“メス”のように喘ぎ、ペニスに触れずに射精する」「サキュバスのペットとして甘サドな責めを受ける」「ふたなり女性にアナルを“オマンコ”として犯されながらエネマグラと乳首刺激だけで連続絶頂を味わう」など、男性側が“女性的役割”を演じて被受動的に快感を得る性表現が大きな注目を集め、数多くの関連コンテンツ(音声作品・同人誌・アダルトゲームなど)がヒットしている。本来はニッチな性的倒錯と思われていたこれらのシチュエーションが、いまや数万人〜数十万人規模の市場を形成し、日常的に消費されるまでに至っているのはなぜか。
本稿では、この現象を「メスイキ」というキーワードを軸に整理し、以下の諸点を検討する。
このアプローチを通じて、単なる「変わった性趣向の流行」で片付けるのではなく、現代日本社会が抱えるジェンダー観やストレス環境、表現文化の特性などを総合的に捉え、ひいてはその社会的・歴史的意義に迫ることを試みる。
「メスイキ」という言葉は元々BL(二次元のボーイズラブ)文脈などで使われ始めた俗称で、男性が女性的な快感を得る状況を指す。一例としては、アナルや乳首など“男性にとってはサブ性感帯”とみなされがちな部位のみで絶頂に至る、いわゆる“ドライオーガズム”や“ノーハンド射精”である。それ自体は医学的にも「前立腺オーガズム」という可能性が示唆されており、必ずしも架空の概念ではない。
しかし、単に身体的な前立腺や乳首への刺激以上に、“女性的役割を演じる”ファンタジーが欠かせない場合が多い。すなわち、「男性であるにもかかわらず、女性のように可愛がられたり、喘いだり、“メス”として扱われる」心理的興奮が「メスイキ」の本質に含まれる。作品中では、下記のような演出が典型的である。
こうした要素が組み合わさることで“男性性からの逸脱”がより鮮明となり、結果的に「普通のオナニーにはもう戻れない」「自分はメスとして淫らにイキたい」といった強度の快楽イメージを打ち出す。
具体的には、以下のような状況が作品やプレイ実例として語られる。
「サキュバスの甘い囁きで毎晩乳首オナニーをさせられ、ペニスは触っちゃダメと言われるまま禁欲→限界に達し“メスイキ”させられる」
「ふたなりの姉さんキャラがアナルを穿つ音声を聴きながら、エネマグラ・両手による乳首刺激だけで連続絶頂に至る」
「サキュバスが襲来し、男性を“メス奴隷”に仕立て上げるシチュエーションで、男性はひたすら甘サドな責めにより何度も射精するが、いずれ自我も奪われてしまう」
「ふたなりキャラを用いた逆アナルもの。男性は自分のアナルを‘オマンコ’として使われ、女のように喘ぎまくる」
かつてであれば「かなり特殊な倒錯」と見られたこうした表現が、音声DLや同人誌マーケットで1万〜数万ダウンロードを記録するヒット作を次々と生み、隠れた大衆的支持を獲得しているという現実は、今日の日本社会におけるジェンダー観・性表現観の変化を如実に示している。
江戸時代の春画には、男女の交合や同性愛、豊満な性描写などが豊富に描かれ、多くの庶民や武士に愛されていた。公序良俗の名目で厳しく取り締まられていた時期もあるものの、実際には十分に流通しており、“性”を愉快に捉える庶民文化が存在していた。
武家社会では年長の武士が若い少年(若衆)を愛する男色の慣習が知られ、文化的にも一定のステータスを備えていた(衆道)。この風習の中で、受け手となる若衆の“女性的役割”が一定の様式として認知されていた可能性がある。また寺院などでも同性間の関係が容認される余地があり、“男性が被受動的立場を担うこと”への抵抗感が、キリスト教文化圏ほど強固でなかったと指摘される。
歌舞伎の女形文化は、男性が女性のしぐさや姿態を美しく表現する芸能として発展した。「男性が女性を演じる」ことは芸術的に認められ、現代の“男の娘”や“女性役を演じる男性キャラ”の系譜と捉えられる面もある。これら江戸以前の文化からも、日本にはもともと「男性=常に支配/攻め」の固定観念が絶対視されず、多様な性表現を“芸能”や“風俗”として許容する土壌があったと推察される。
近代国家形成とともに、西洋の性道徳や刑法の導入により、一定の規制(わいせつ罪)が敷かれた。一方で戦後の復興期にかけてアンダーグラウンドなエロ文化やストリップ、ピンク映画などの分野は逞しく生き延びる。さらに、実写AVに対する“モザイク修正”が長年法制度上定着したことにより、直接的な生殖器描写の回避策として、触手や人外キャラ、ファンタジー設定が豊かに発展する下地を作った。
1970〜80年代以降のアニメ・漫画の隆盛、1980年代〜90年代の同人誌文化の爆発的成長が、二次元における極端な性表現を加速させた。
これらの歴史的・文化的脈絡が集約した結果、「男性がメスとして扱われる」コンテンツがファンタジーの枠内で多彩に展開され、自然と受容されていくという経路が形成されたとみなせる。
日本はOECD諸国の中でも長時間労働やサービス残業が常態化しており、過労死やメンタル不調が問題化している。そうした社会的圧力下で多くの男性が「仕事では常に責任を負わされ、強さを求められる」状態に置かれ、プライベートで“逃げ場”を欲する。被受動的な性的快感は、その逃げ場として大きな魅力をもつ。サキュバスやふたなりキャラの“圧倒的支配”を受けるファンタジーは、日常の疲れを洗い流すカタルシスを提供するのだ。
近年、恋愛や性行為に積極的でない「草食系男子」という現象が頻繁にメディアで取り上げられてきた。こうした男性たちは、そもそも“男性が攻める/リードする”という役割に強いモチベーションを感じていない。草食化は、男性性を誇示しなくてよい新しいライフスタイルを指向する動きとして捉えることができ、メスイキや被受動的性行為をファンタジーとして消費するのは、彼らの価値観と自然に合致する面がある。
逆に、依然として「強くあるべき」「稼ぎ・リーダーシップ」を社会・家庭から強要される男性も多い。その反動として、「せめてプライベートの性の場面くらいは、自分が支配される側になりたい」「女性的立場に没入したい」という欲求が生じるパターンも指摘される。“甘サドな責め”や“徹底的にメス扱いされる”シチュエーションは、過度な責任感から解放される手段として歓迎されやすい。
ここ数年、YouTubeやニコニコ動画を中心にASMRブームが起き、耳かき音や囁き声などの癒し系コンテンツが人気となった。この流れがアダルト方面に波及し、“サキュバス責めASMR”や“乳首オナニー誘導音声”などが同人販売プラットフォームで人気化する現象が起きている。
DLsite等の大手プラットフォームでは、同人音声・漫画・ゲームが簡単に購入でき、購入者はレビューやコメントで感想を共有する。こうしたコミュニティの存在が、「メス化するのは自分だけじゃない」と気づく機会を与え、“暗黙の同志”が多数いることを可視化する。結果として、さらに関連作品を漁るユーザーが増え、新たな作品が生み出されるという好循環が生まれる。
男性が実際にアナル開発を行い、“メスイキ”をリアル体験する人が増え、経験談をネットに投稿→さらに興味を持つ人が増える。
VR空間内で自分視点が女性化キャラになるものや、ふたなり相手にアナル責めされるシミュレーションなど、より没入度の高い次世代コンテンツの登場も指摘される。
メスイキ嗜好が大きく受け入れられている事実は、「男性は常に強く・攻める立場でなければならない」という従来のステレオタイプが揺らいでいることを示唆する。しかし、フィクション上で男性が“メス化”することと、現実社会で男性が女性的立場を尊重したりジェンダー平等を実践したりすることは必ずしも直結しない。
一見、サキュバスやふたなり女性による男性支配は“女性の主導権”を肯定しているようにも見えるが、実際は「男性にとって都合の良い女性上位ファンタジー」だという批判もあり得る。
日本では、歴史的に「創作と現実を分ける」風潮が強く、男性がメス化するような過激な二次元表現が広まっても、現実社会でジェンダー平等が急進するわけではない。この乖離が“自由な表現市場”を守ると同時に、“現実の制度や意識の変革”には直結しないというねじれを生んでいる。
欧米では実写ポルノ規制が緩やかな一方、コミックやアニメに対しては厳しい風潮があったり、宗教的道徳感から「悪魔・淫魔」要素が強く忌避されることもある。一方日本は、モザイク規制や現実の同意年齢の議論など、実写への規制は独特に厳しいが、二次元のファンタジー領域では極めて寛容である。この対照性が「サキュバス責め」「ふたなり」などを日本発で世界に広める要因になっていると見られる。
個別ユーザーの嗜好に合わせ、AIがリアルタイムでサキュバスやふたなりキャラを生成・ボイス指示するような“フルカスタム・メスイキ体験”が一般化するかもしれない。
日本の同人音声やアダルト漫画が海外にも翻訳され、海外ファンを取り込む動きが活発化。文化的差異を越えて受容されるか、あるいはローカルな好事例に留まるか注目される。
フェミニズム団体や保守団体による表現批判、あるいは国際的な法規制強化との軋轢が起こり、これまでのような自由度が維持できなくなる可能性もある。
いくら努力をして、老後に必要な資金数千万円を貯蓄していても、たった一度の地震や豪雨で吹き飛んでしまう
絶対に倒れない家を建てるより、倒れてもすぐ建て直せるような家、リカバリーできる社会が日本には合ってるんじゃないか
江戸の長屋はよく燃えたが、火消しは消火をするのではなく、延焼を防ぐために、まだ燃えてない家を破壊するために存在した
長屋ぐらしは貧乏ではあったが、貯金はせずとも生きていけた、そういう文化が日本にはあったのだ
これが自己責任になり、一人一人が家を持ち、老後は数千万円を自分で蓄えろ、共助公助をあてにするな、というアメリカ型社会になった、これは網理科に敗戦したからでもある
東日本大震災のとき、仮設住宅にコンテナを使ったものがあった、輸送用のコンテナを部屋にして、積み上げるだけで数階建ての建築物になった
寧ろ、仮設住宅こそが日本のような震災大国、災害大国に相応しいのではないだろうか
立派な一戸建てや、立派なタワマンに暮らす、自分で35年以上のローンをかかえ、長い人生ローンで破産することもある上に、地震や災害のリスクもある、これは日本に相応しいだろうか?
それよりも、いっそ仮設住宅に最初から住んでいればいいのではないだろうか
震災が起これば、そんな仮設住宅はすぐに壊れ、津波で流されてしまうだろう、しかし、仮設住宅はすぐにまた建てられるのである
絶対に倒れない、絶対に安全な建物、社会を作るより、壊れても、壊れても、すぐ建てられる、すぐ復旧できる社会、破壊されることが前提の社会の方がよほどロバスト性のあるものではないだろうか
自己責任というのは、言い換えれば、自分だけ助かればいい、という考え方である
俺は努力した、貯蓄もした、おまえは努力していない、貯蓄していない、仮におまえが被災者であり、それで破産したとしても、それはお前の貯蓄が足りない、つまり、努力が足りなかったからだ
こういう考え方が、今の日本人に染み着いている
こんな考え方で共助ができるだろうか?
自助の次は共助というが、余りにも自助に傾きすぎていて、これで共助ができるだろうか?
こんなので共同体、つまり社会を形成する意味があるのだろうか?
自分で銃を持ち、高い外壁に囲まれた家に住み、国や社会がどうなろうと俺は知らない、俺は俺の家族と俺の財産を守れればそれでいい、そういう考え方である
アメリカに地震はない、いや、ないわけではないどころか、地震も台風も竜巻もある
しかし、それで被災して、一文無しになった人たちを誰も助けない、これからもっと助けなくなるだろう
助ける意志があるのは本来のキリスト教の精神である隣人愛であり、トランプが廃止したFEMA、米国連邦緊急事態管理庁の役割でもあった
しかし、これらはトランプになり、尚更、急速に失われていくだろう
キリスト教を名乗りながら金の亡者である福音派によって、隣人愛はなくなり、もしかしたら残っていたはずの合理的禁欲さえなくなってしまうかもしれない
我逞兵皆な君に小田原に従ひ微兵を以て対抗する最も難しと為す如ず
主君が不在のあいだに城を攻められ、留守居役の武将が「我らの精兵は主君に従って小田原にいる、残ったわずかな兵で対抗するのは難しいだろう」と言っているようだ。
「東北の藩のわずかな兵をもって明治政府の軍とよく戦ったのには理由があることを知るべきである」といった感じだろうか。ちゃんと「びへい」とふりがながあるので「微兵」であることに間違いない。
「あの大軍に私がわずかな兵をもって立ち向かっても利益はないだろう」といった感じ。
縦令信長請に応せすとも我今軍を出さすんは貞昌か死亡眼前に在り是を救はすして豈弓矢の本意ならんや然れとも微兵を以て大軍に当ること容易に非らす
徳川家康が「たとえ信長が援軍に応じないとしても、私がいま軍を出さなければ(奥平)貞昌の死は目前であり、これを救わなければ武士として失格だが、とはいえ、わずかな兵で大軍に当たるのは容易ではない」と言っている場面。
家康の使者として秀吉に謁見した本多忠勝を、「特に去年の長久手の戦いで、(忠勝は)龍泉寺でわずかな兵を率いて、私の三万八千の大軍を相手に活躍していたときは、すぐに討ち取れと言ったものだが、今はもう講和を結んだので、家康の家臣は私の家臣も同じだ」と秀吉が称えている場面のようだ。
今従兵僅か七八騎に過ぎず。此微兵を以て大敵に向ひ、横死して何の益かあらんや。
桶狭間戦記と似たような文章。四戦紀聞の成立は1705年らしい。
姉川の戦いの場面か。「家康の家臣たちは味方の兵が少なくても朝倉の軍に立ち向かうことをまったく恐れなかった」みたいな感じか。
中国視点で「あまつさえ秀吉は、日本が小国で、兵がわずかであっても大人しくせず、朝鮮を侵略した」みたいな感じか。朝鮮征伐記は1665年の成立だが、だいぶ怪しい史料ではあるらしい。
此度大坂陣長重手エ得ル首級都合十四、是僅ナリト雖モ、長重討死ニ決シ、微兵ヲ以テ粉骨ヲ尽シタル戦功ハ、具ニ上聞ニ達シ公籍ニ載ラレ、且諸侯伯知之所也
「大坂の陣で丹羽長重はそれほど首級を挙げることはなかったが、長重が討ち死にの覚悟を決めてわずかな兵で頑張ったことは、みんなが知っているので安心してください」といった話か。丹羽歴代年譜っていつ成立したんだろ。
大正7年『泗川新寨戦捷之偉蹟』
忠恒公ハ本丸ヘ入此合戦味方纔ノ一千有余ノ微兵ヲ以テ敵ノ百倍ノ猛勢ニ接シ衆寡ノ勢天地懸隔ストイヘドモ其戦略図ニ中リテ一挙ニ大敵ヲ鏖殺ス
朝鮮出兵で「島津忠恒が一千あまりのわずかな兵で百倍の敵を皆殺しにした」という話。
「朝廷に訴えて幕府を残せないかとわずかな兵を挙げて同志を伴って甲州黒駒まで至ったが田安中納言(徳川慶頼)に諭された」でいいのかな。一夢林翁というのは林忠崇という人物のことらしい。
昭和以降は略。
今回は「微兵を」で検索しただけなので「微兵の」とか「微兵たる」とか「微兵にて」とか他にも用例はあろうと思う。
文語調の古めかしい文章には多く登場している一方で、口語としてはまず見かけず、昭和以降ともなるとほぼ古文書の引用とかでしか出てこない、という印象。
ともあれ「徴兵(ちょうへい)」ではない「微兵(びへい)」という言葉がかつて存在していたことは確実で、「OCRの読み取りミスによる存在しない言葉である」と切り捨てるには惜しいのではないかと思った次第。
あのね…
ピロートークってのは、情事の後に二人でごろ寝しながら他愛もない話をする、という類の意味なの。
ピローは確かに英語で枕の事だし、その事を知ってることは偉いけど、だからってオススメの枕のAmazonのリンクを貼るって流れではないわけですよ。
いるんですよね、こういう、部分的に話を理解して無理くり自分の得意なフィールドに持ち込もうとしちゃう人ってのが。
そういう人っていうのは何も昨日今日現れた訳ではないようで、江戸の町で床屋をしていた益吉もそんな性分だったようです。
ごめんよぅやってるかい。
あー森島の旦那!今ちっと塞がってるからね、もうしばらく待ってもらえるかい。
と、こういうのが話の枕。
では失礼したします。
時代劇とかで、武士がひとり参内するたびに全員で「おはよう」だの「こんにちは」だの合唱するようなシーンを見たことがあるか?
江戸の庶民とかも「おう」とか「へい」とかそんな呼びかけをするだけで、出会うやつ出会うやつにいちいち挨拶するようなことはなかった。
日本人としてはそれが当たり前の態度であって、人に会ったら挨拶をするものだというのは錯覚にすぎない。
ましてや「挨拶しないと失礼」みたいなところまでいったのは学校教育の影響が大きいだろう。
学校で画一的に「おはよう」「さよなら」を合唱していたのが社会人になっても抜けきれないわけだ。
そういうガキっぽいやつが、いま会社でデカい声で挨拶をして、それに返答がないからって勝手にキレてるんだよ。
やってることは失礼クリエイターと変わらん。