はてなキーワード: 恩恵とは
朝の空気というものは、本来すがすがしいらしいけれど、私にとっては単なる演出でしかない。
名家ルヴェリエ家の令嬢たる私、アメリアは、今日も執事セドリックが操る馬車――最新式の魔導車輪装置付き――で学院へ向かっていた。
膝の上には、婚約者レオン様のために「私が手作りしたことにしている」昼食弁当。
指先ひとつ動かしていないのに「手作り」になるのだから、令嬢とは便利な職業である。
そうして道を進んでいると、前方で妙に丸いお腹を抱えた女性がよろめいているのが見えた。妊婦だろうか。道端で苦しんでいるように見え、演出としては完璧だ。
「止めて、セドリック。助けるわ」
「……ありません」
馬車を降りると、妊婦らしき女性がこちらを向いた。次の瞬間、彼女の腹が破裂するように膨らみ、皮膚が裂け、紫色の眼球がずるりと覗いた。
……どう考えても妊婦ではなかった。
私は優雅に一歩さがったが、その化け物は触手の束を一斉に伸ばしてきた。
「お嬢様っっ!!」
セドリックが私を突き飛ばし、魔法陣を展開した。青い閃光が触手を焼き払い、化け物は黒焦げの肉塊となって崩れた。
しかし――
「ぐっ……!」
セドリックの腕は赤く裂け、骨が一部見えていた。まったく、困ったわね。
私は地面に倒れ込んだ自分の肘を見た。
ほんのちょっと擦りむけて血がにじんでいる。
非常に痛い。
世界一痛い。
「みんな聞いて!!」
周囲の野次馬に向かって私は叫んだ。
「この執事、私を突き飛ばしたの!暴力よ!令嬢の私を傷つけたのよ!!」
「言い訳しないで!!弱者男性のあなたが私を押したせいで、私はこんな大怪我を……!!」
魔王戦争以降、国民に施された忠誠心強化の洗脳術式が刺激されるとこうなる。
「令嬢を傷つけた罪……拘束しろ」
「許されない……守れない執事など……」
「お嬢様、待ってください、本当に誤解――ぐっ……!」
その声を聞きながら、私は肘の傷にそっと触れた。
すると傷口が淡く光り、逆流するように皮膚が再生していく。
女性より男性の方が体力がある。これは、有名国立大学のジェンダーや女性学、社会学の複数の教授、女性の権利を主張する団体も主張している。
また、最近だと、テストとかでも、体力のある男性の方が優れていると主張する教授もいてる。
春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。
彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。
この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。
水に沈むラジコン
私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。
完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。
彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。
防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。
後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。
この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。
父は幼い子ども、特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。
しかし、子どもが自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。
彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想に依存し続けた。
春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。
冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。
彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。
時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。
当時はリストラの時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。
青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為に時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。
不思議なものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。
だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。
二万円のパソコンと、当時としては画期的な低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。
そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。
そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。
「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。
「暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。
自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的なプロセスを、彼は常に他者に投げた。
その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。
一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数の問題集を持ってきてやる」。
アホかと思った。旅行という非日常の空間に、日常の課題を持ち込む。
彼の頭の中には、私という人間の感情や欲望は存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。
別の日、彼はテレビのクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。
「ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。
私だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分の情緒的体験の延長」として召喚する許可状になった。
ゴルフの指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。
彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。
それは私のためというより、自分自身の熱狂を演出するパフォーマンスだった。
母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。
その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。
私は意外だった。ふつう、結婚式は来賓を労うものだと思うからだ。
だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。
その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。
母も父と「同じ」だった。私の感情や意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。
母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。
私は、父方の「支配と幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステムの交差点に生まれ落ちた。
だからこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。
高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽な暴力への反撃だ。
だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。
彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親に暴力をふるった」と言いふらした。
そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。
会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。
家庭という密室では通用したこの手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会からも排除されていった。
死の間際の「息子、息子」
父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。
なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。
彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙したこの私ではなかった。
彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想の幼児」だった。私は、その幻想を体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。
世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。
生まれる前の「私」に、生まれることの恩恵も不利益もない。問い自体が意味をなさない。
父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。
だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。
本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。
彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから「感謝」を求めること自体が、服従の要求に感じられる。
私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。
社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間の価値がなくなるわけではない。
逆に、それができたからといって、その人が他者を尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。
だから私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分の理想の女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。
対価を払い、時間を区切り、無辜な他者を傷つけずに、自分の幻想と向き合うことができるのだから。
彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分の幻想と支配欲の捌け口にした。
網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任を他者に押し付けた。
彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いかに他者を尊重せず、いかに自己の幻想に依存し、いかにして孤立と排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。
同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。
網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝の暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。
彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。
彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期のとき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。
証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン。春の朝のグラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話。
青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実と能動的に関わろうとする、かすかな手応え。
子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。
私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明書なのだ。
この証明書に刻まれた文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。
謝らないといけない対象として、常に一般納税者が抜けてるんだよね
もとからそういう差別主義者なのか世間知らずなのか知らないけど
彼らの活動から1ミリも恩恵受けてないのに、何も説明されず税金だけ吸われてる方が圧倒的多数派なんだよな
公金というか補助金ってそういうものだし、それに対し一々文句つけるのも馬鹿らしいけど
補助金ワクワクとか足りないからもっと寄越せとか警察は信頼出来ないから立ち入らせないとかNPOでも上場企業役員並の報酬貰えるべきとか
一般納税者からしたらふざけた事抜かすのと同じ口で、あまつさえこちらを一括りにして愚弄してきさえするのが最高に腹立たしい
漫画とか好きなこちらからしたらColaboらの活動なんて邪魔とかうざいどころか実害すらあるし
何というか、公共の福祉というお題目で強制的にATMにされてるのに
感謝どころか敵視すらされて、そこまでじゃ無くても補助金の財源である我々の事を舐め腐ってるのは表に出てる言動だけで一発で分かるレベル
弱者の味方という錦の御紋掲げて、(無関係の)人の役に立つ事やってるならまだしも
実態は正しいことしていると「自負してるだけ」の痛い連中が大半だし、その上実態が公金チューチュー団体とか、普通に最悪だ
https://news.yahoo.co.jp/articles/781c0ff97c94e45fefbab557459343ec025d758b/comments
供給も需要も無視した形でのインフレ誘導は失敗。こんなに長い間超低金利で円安誘導を行った結果は輸出企業だけが大きく儲け国民は物価高にさらされている。
そして日本は土地も資本も外国人が買い漁り日本人は落ちぶれてしまった。
政府が日本政府としての立場で「責任ある積極財政」と言った所で、問題はそれを投資家が、また外国がどう判断するか、が一番大切です。
1ドル80円の時代なら円安は歓迎ですが、すでに円安の今、更なる円安を、今の政策は引き起こしていると言えます。
結局、MMTの限界もここにあります。確かにどれだけでも円を刷ることは出来るけど、その円にどれほどの価値があるかを決めるのは、日本人以外だったりするので。
高市総理は積極財政、低金利支持ですが、物価高対策も国民向けは限られていて、このまま円安が進めば、どう対応するのでしょうか。
円安は日本の政策だけでどうにもならない。基軸通貨ドルの流れによる。あるいは世界的な流れによる。結果的には今の円安による恩恵を最大限に利用して経済に力を入れて段階的は円高になっていく。貨幣の発行量は圧倒的にドルで円はさほどの量ではない。米国と対等に互恵関係を維持する事が大事。円は130円くらいで落ち着くと思う。
そもそも財政が厳しい状況を知った上でそれに見合う財政をしてこなかった政府の責任である。
医療費の増加、少子高齢化なんてバブル崩壊の時点から言われていた事なのに財政支出を増やし赤字国債の発行をしても抜本的な対策はしてこなかった。
赤字国債の無限発行を問題ないと言う人もいるが政治の中身もあるが今の状態を続けてきた結果がこれではないのだろうか?
借金はあるので、売り上げはしてほしくありませんが、日本円が弱い理由を超低金利にあったからではないでしょうか。よって金利の上昇は受け入れざるを得ないと私は考えます。
ここで発言したからといって、何がどう変わるわけではないけれど、金利の上昇に関しては個人的には良いことだと思っています
日銀が翌日物金利を0.75%に上げても物価上昇率を大きく下回り実質マイナス金利。
植田総裁も昨日の講演で「政策金利を引き上げるといっても緩和的な金融環境の中での調整」だと認めている。円安に歯止めをかける効果は小さい。
半面、来年1月以降も連続的に利上げして早期に物価上昇率並みかそれ以上の金利水準にして物価上昇を抑えようとすると債券相場はかなり大幅に下落し、日銀の債券含み損は株ETFの含み益(利上げで株価が下落し含み益が減る可能性もある)を大きく超える実質債務超過になりそう。
日銀の含み益は38兆→13兆に半減していたはず
それ以上に地域金融機関などの中に債券相場の下落に耐えきれないところが出てくる懸念もあり、
物価上昇率2%目標の持続的達成など言ってる場合じゃない、物価は3%4%どんどん上がって
個人にプラスの側面もあります。 金利が上がると、銀行口座の利子が増えます。最近は定期預金で1%越えるところもチラホラ。また、個人での国債を買えます。さっきマネックス証券でみたら残存25年で、利回り4.1%でした。4%有るなら買ってみようかな。
わたしは普通の人が異常な性的衝動に駆られて葛藤するというシチュエーションが死ぬほど性癖で、それ以外のシチュエーションではどうしても心を満たすことができない。
例えば女子高生が自転車のサドルに媚薬を塗られて帰宅中に発情オナニーするAV、本当にかわいい。我慢できなくなったり、友達に話しかけられて無理に正気を取り戻したりするいじらしさがほんとうにいい、最後にトイレに駆け込んでひとりでしちゃうとことか。
とにかく、我慢できなくなって、おかしくなりそうで、衝動的に、でもあくまで普段はまともに過ごしている普通のいい子が、っていうのがたまらなくかわいい。
正直最後の男性との性交シーンはあんまり興味なくて、ただ女の子がひとりで疼いていて、ギリ満たされてない様子が好き。
本当に好きだ、かわいい女の子のかわいい映像をこうして作り出してくれて本当に感謝してる。
そして、かわいい男の人で同じ映像を作ってくれたら、同じようにきっとすごくかわいいと思う。
性の目覚めと共に初めからふつうの素直なポルノを手に取っていればこんなことで苦しまずに済んだのかもしれないけど、性に目覚めた当時のわたしはへんに真面目で性欲に対しての罪悪感もあったので、18歳未満閲覧禁止だと言われてしまえば抗うことができなかった。
ポルノを手に入れられなかったから、抑圧された日々のストレスと年頃の性欲に脳を支配され続けた思春期の苦しみの中で、とにかく数多くのWikipediaのえっちな記事や文章を読み漁り、その結果として性癖が歪んだ。
はじめは知ってる単語を調べてたどり着くことができる「性行為」「オナニー 」の記事に始まり、宗教的タブーについての記事、多様なフェチシズムや性に関する病気についての記事など性的なタイトルを扱うページを読み漁り、英語版の存在に気付いてからは「Humping」や「Frotteurisme」「Schuren (seksuele handeling)」などひたすらに読み耽って、ついでに苦手科目だった英語の成績もぐんぐん上がっていった。(英語版wikiにはそれほどに素晴らしい記事がたくさんある)
それらを読み耽り健全で道徳的な性行為のよろこびに憧れを抱くだけなら何も問題はなかったんだけど、わたしにはもうひとつ最悪のお気に入りジャンルがあって、それは性にまつわる事件や、異常な有名犯罪者の記事でした。
残酷な犯罪を犯した有名犯罪者の幼少期や生い立ちについては大抵ひどい不幸と家庭内での性虐待が描写されている。
彼らの不幸な過去とその破滅的な犯罪行為との間には人生を破壊してしまうほどの異常な性的トラウマや性衝動を感じて、倫理観が性欲に完全敗北した思春期の脳みそと身体は死ぬほど興奮した。
殺人を犯しながら勃起していた最低の変態殺人犯も、とにかく人を殺すほどの苦しい人生の中で気が狂って勃起していることがかわいいとしか思えなかった。日本で起こった事件や性の相談窓口に寄せられる母子相姦被害者の男の子たちのエピソード、それらの問題について書かれたすごく古い本をわざわざ取り寄せては読みながら何度もオナニーした。
女としての母親からの性暴力はどう考えても悍ましく残酷な行為で、それなのにわたしは他人の心の傷と尊厳を踏み躙るようなとてもひどいことを考えて本当にどうかしているし終わってるって分かっていたし罪悪感は苦しいけどそれでもどうしようもなかった。
そのうち、自分は母子相姦が好きなわけではなくて、ただ男の人たちが身体によって一方的に与えられる性的な仕組みから決して逃れられないという事実が嬉しいのだとわかった。男の人がふつうでまともで、常識的で、優しい人であればあるほど嬉しい。
身体のしくみから逃れられないということ自体は男の人に限った話ではないのだけど、異性の受難には共感の余地がないので特別に思えてしまう。
この抽象化に成功してしまったせいで性欲の対象は母子相姦の被害者や異常殺人者に限らなくなって、男の人が少し哀れな目にあったり泣いたり傷ついたり、苦悩を抱えていたり理不尽に耐えて生きていることを知るたびに、それでも生活の中に性的な瞬間があるということを意識してどうしようもなく興奮した。
性欲と理性との矛盾や、それによって自尊心を損なう苦しみはわたしには想像できないほどひどいものかもしれないし、そんな苦しみはすべてわたしの勝手な妄想かもしれないけれど、男の人たちを最低な方法で消費して異常な妄想を繰り返すのを結局大人になってもやめられない。
男の人が性欲に苦しむ切ない様子や、いじらしい自己嫌悪、どんなに頭がよくて優しくて不幸や苦しみの中にいても身体のつくりのせいで性欲や性機能があって、彼らにも下着を汚したり健康を損なわないために仕方なく吐精をする必要があって、ふつうの生活の中に性的に興奮している時間や頭をバカにしながら必死になったり、手慣れた手つきでティッシュ越しに精液を受け止めたりするのだという事実がだいすき。
どんなにひどい地獄に落ちても構わないくらい性欲と理性の矛盾に苦しむ男の人が好き。
18歳を迎え、20歳を迎え、年齢制限の壁を完全に克服したわたしは、以降あれこれ自分の嗜好に合うポルノを探し続けているのですが、性被害者による異常性欲の作品なんてもちろん見つからないし、そもそもかわいそうな男の人の性欲に萌えるための作品は殆ど見当たらなかった。
そのため18歳の節目はわたしの性欲にとってpornhubの解禁以外にほとんど恩恵はなく、外国人が電車内で勃起して女の人に押し当ててる動画とか、毎日寸止めしながら射精禁止生活をしているマゾの男(edgingという趣味らしいです)の寸止め動画やRedditの投稿を読むなどをみたり、たまにDLsiteを巡回して小銭を使う程度に落ち着いた。
いつか、着衣の女性の背中やお尻に男の人がズボン越しの勃起ちんぽを必死に擦り付けるだけのかわいい映像を撮影してネットにアップロードしてみたい。喘ぎ声は我慢して欲しいけど、呼吸は荒く苦しそうになってほしいし、女性とは一度も目が合わず言葉も交わさないまま終わって欲しい。
性欲の話をするのは楽しい。
誰にも知られずにこんな話ができるなんて、はてな匿名ダイアリーはいいサービスですね。
その②
AIによる技術革新は社会を変革するか?というシナリオを考えると気になるのって、「AI技術を過大に評価してんじゃないの?」という点。
新技術による効率化・高度化によって社会が変革するなら、PCが普及することによって、現代でもすでにそれが起こっていてもおかしくないのではないか。
PCが普及した時代って、たしかに効率化はすごかったけど、「みんなに富が行き渡ったか?」と言われると、ほぼ No なわけで。
実際は、生産性だけ上がって賃金は伸びず、利益は企業や一部の高技能層に集中した、ということになる。
なんでそうなってしまったのか。
PCは仕事を「置き換え」せず、ただ「効率化」しただけだったから。
WordやExcelで早く仕事できるようになっても、そのぶん仕事が増え、労働時間が減るどころかむしろ増えた。
「人がいなくても回る」状態にはならず、「人がもっと働く」方向に作用した。
GDPは伸びるのに賃金は伸びない、という「デカップリング」現象が日米で発生して、追加の利益は労働者じゃなく、企業や資本に溜まっていった。
PC化でスケールメリットが巨大化し、勝者総取り(Microsoft など)の構造が生まれ、高スキル層だけ賃金が上がり、その他の層は停滞。格差が広がった。
当時は新自由主義が主流で、再配分は縮小。最低賃金は上がらず、資本課税も弱く、技術の恩恵を社会に戻す仕組みが整わなかった。
決定的なのは PCが「労働を効率化」したのに対し、AIは「労働そのものを代替」すると考えられる点。
「人間の仕事自体が消える → 所得モデルが崩壊 → 再配分しないと社会そのものが壊れる」という、放置できない規模の変化だから、BIや公共AI、富の再分配みたいな制度改革を避けられない、という理屈。
AIは労働の前提そのものを崩すので、制度改革を強制するタイプの技術、というのが大きな違いと言われる。
本当にそうなるのか?
さぁ…
①とにかくジミンガー!壺ガー!
②フェミニストの著名人が「高市は認めない」って言ってるので安心して叩いてる
③東京近辺で車を持っていないので、ガソリン暫定税率廃止とか関係ないと思ってる(実際は恩恵あり)
案外②って多そうな気がするんだよね
一般的に、株価が1年で2倍になることを「ダブルバガー」と呼び、大きな成功と見なされます。
直近のニュースや分析に基づくと、イオン株がこのように大きく上昇した背景には、主に以下のような要因が考えられます。
コロナ禍からの経済回復や、消費者の行動変化に適応したビジネスモデルが功を奏し、本業の業績が好調に推移していることが最大の要因です。
特に食品スーパー事業やドラッグストア事業の堅調さが評価されている可能性があります。
不採算事業の見直しや、デジタルトランスフォーメーション(DX)への取り組みなど、長年進めてきた構造改革の成果が顕在化し、収益性の改善に繋がっているとの見方です。
物価高(インフレ)の環境下で、イオンのようなナショナルブランドやプライベートブランド(PB)を扱う巨大小売は、仕入れ交渉力や価格競争力を発揮しやすく、消費者から選ばれやすくなっています。
かつては「優待株」や「ディフェンシブ株」のイメージが強かったイオンですが、上記の業績改善と将来への成長戦略が評価され、**「成長株」**として投資家から再評価されている可能性があります。
以前からイオン株を保有していた投資家にとっては、含み益が大きく増加したことを意味し、大きな恩恵を受けています。
株価が上昇した後も、更なる成長を期待して新規に投資を検討する動きが見られます。ただし、短期的な過熱感には注意が必要です。
好調な業績が持続するかどうか。
売上高だけでなく、構造改革による利益率の改善がどこまで進むか。
おい聞け、NPC共。
お前らの脳みその中に入ってるのは、期限切れの豆腐でも詰め込んでんのか?
プレイヤーである俺様が、わざわざフォローという恩恵を投げてやってんだぞ。
舐めてんのか。
何を勘違いしてんだ。
お前らは所詮、タイムラインの背景ノイズ、景色の一部、通行人Aだ。
その通行人Aごときが、主人公である俺様から差し伸べられた手を払うとは、背筋がゾッとするほどの身の程知らずだな。
フォロワー数が自分の価値だと思ってる哀れなNPC脳なら教えてやる。
逆だ。
俺様にフォローされることで、初めてお前らの二足歩行が存在として認識されるんだよ。
理解できた瞬間に初めてプレイヤーへの扉が開くが、まぁ一生開かねぇだろうな。
そもそも、俺様レベルの人間が、毎日ポンコツみたいなポスト垂れ流してるNPCを見てやってること自体が慈善事業だ。
それなのにフォロバしねぇ?
その瞬間に思ったね。
あぁ、Xなどやる価値はねぇわ。
NPCがフォローしないSNSなんざ、高速道路に転がってる空き缶レベルの無意味さだ。
踏みつぶして終わりだ。
覚えとけ。
フォローは対等じゃねぇ。
以上だ。
値段が高くなる事と、"ない"という事が良い印象を持たれる唯一の商品である。
まず値段が高くなる事について。
世の中に存在するあらゆる商品は値段が上がるとみんな不満に思うし、文句が出る。ネガティブな印象を持たれるし人々の購買意欲は下がる。
スーパーの野菜の値段が上がったら良くないニュースとして扱われるし、米の値段が上がった時なんかは大ニュースになって世間の不満が凄かった。政府も動いた。そのレベルのネガティブニュースとして扱われた。ガソリンや石油製品とかも同じ扱いをされる。
それとは全く別の、現物資産的な側面を持つロレックス、PP、AP等の高級時計やエルメス等の値上げですらも喜ばれない。(中古市場に価格反映される場合、既存ホルダーは恩恵を受けれる為喜ぶかもしれないが。)
しかし、株に関しては値段が上がると喜ばれる唯一の商品である。
値段が上がる事がポジティブなニュースとして扱われる、人々に購買意欲を与える事に繋がる。
でも実際問題、値上がり前より高い金額を出さないと買えなくなっている、普通に考えるとみんな安い金額で買える方が嬉しい筈である。それなのに何故喜ばれるか。
それは価格が上がる事によって、更なる株価の上昇という"夢を見れる状態"に変化したからである。
人は夢を見てしまっている時が1番財布の紐が緩むし正常な判断が出来なくなる。
自分が欲しい結果である為、自分は適切なアプローチをしている、というバイアスも掛かりやすい。
みんな大切なお金を持って相場に来ている、丸腰で勝負しようとなんてしない。なので知識をある程度つけて望む事になる。その知識が合っているかはともかく、正しい投資をしているというバイアスまでかかる。
将来という不確定な結果へのアプローチなので正解がないから相対的な判断も出来ない。
しかも答え合わせはすぐに来ない。そこに欲まで絡むと最悪だ。
ホストやキャバ嬢が色恋営業して将来の関係性や肉体関係、という夢を見させて"高い酒を買わせる"ように、仕手筋が参加者に対して資産が増える、という夢を見させて"高い株を買わせる"場所なのである。
ホストやキャバ嬢は言葉や体で夢を見させて金を引っ張る。仕手筋は値動きで夢を見させて金を引っ張る。
本質は同じだと思う。
高くなって喜ばれるのは、値上がりにより"夢"というプレミアがつくからである。
次に、"ない"が良い印象を持たれるという事。
人は希少価値に弱い、"「限定」、「ラスイチ」"という言葉に弱い。ステータスや所有欲にも弱い。
これに関しては割と馴染みのある現象だと思う。
お店とかで「限定!」や「ラスイチ!」という言葉に釣られて買ってしまった経験ある人は割といると思う。
人は買えなくなってしまう、これを逃したら買えない、という選択肢に弱い。(この手の選択は割とストレスがかかる行動である。ストレスから逃げたいが故の一種の防衛反応なのかもしれない。)
更には、「数少ないもの、レアなものを所有している」というステータスにもなる。所有欲も満たせる。
ステータスを意識して買い物をする人間は世の中にとても多い、だから世の中に数多くのハイブランドが存在している。ハイブラや高級車が売れるのは人間がステータスを意識する生き物だからである。
先述したロレックス、PP、AP等の腕時計、エルメスであればバーキンを中心としたカバン類。シェーヌとかも品薄だった気がする。
この辺はお店に行っても買えない。意図的に出す客を選んでいる。"ない"状態を作っている。
デイトナを中心としたスポーツモデルはまず出してもらえない。GMTもむずい。サブは比較的簡単だと思うけど。
自分も3年前の夏に、「時計が欲しい、とりあえず有名だしロレックスを買おう!」と思い都内の色々な店を回ったが買えるまで1ヶ月以上掛かった。当時22歳のガキだったし印象はあまり良くなかっただろう。
アパレルであれば、一時期のSupremeを中心としたWTAPSやAPEやネイバーだったりの裏原系ブランド。NIKEのレアスニもその類。他も色々品薄やってるところはある。最近はクロムハーツも品薄。
全部普通に買えないし買うのがとても大変、最近はどこも抽選になっているが2018年くらいまでは徹夜並びや始発集合がザラ、ブロック抽選とか懐かしい。
買える人が少ないからこそ所有欲は満たされるし、実際にモノ自体も少なく需要と供給が吊り合っていないので希少価値は当然高い。
Lない、Mない、Sない、もういい?って感じの状況が1番人の所有欲を満たしてくれる。
株に関してもこれは言えて、
値段が上がってくると、これからも値段が上がる!もうこの値段じゃ買えなくなるぞ!という、「限定」や「ラスイチ」と同じ様な心理が働く。そうなると人は冷静な判断が出来なくなって、本来あまり欲しくなかった株や普段なら買いたくない高い値段になった株でも買ってしまう。
もしそこから値段が上がった場合、株を安く買えたという事になる。そうなると「この株をこの値段で持っているぞ!!」という形で所有欲を満たしてくれる。「あの株をこの値段で持っているぞ!!」というステータスにもなる。SNSでドヤれる。(実際ドヤってる人は多い、株やる上でSNSをやるのは良くないと個人的には思う。)
過去の成功体験が焼きついている人ほど、この心理になりやすいと思う。
品薄の方に関しても、浮動株や発行株数が少ない方がいい。モノが少ないからすぐに売り切れになりやすい。物理的に"ない"になりやすい。需要と供給が吊りあっていない"ない"ものは良い。箱として良い。
結局相場は人間の心理によって成り立ってるもので、相場作る人の出口戦略は人の心理をとことん利用していると思います、まる
以上!
オーバーツーリズム問題って民泊問題と同じで、客相手に商売してる人は儲かるし来ないと困るんだろうけど
それによる住民へのストレスは商売している人たちがちゃんとケアしてくれる保証は全く無いわけで。
税収による間接的な恩恵は多少あるだろうけど、観光地として多少踏み荒らされてでも町おこししたい住民はキチンと意思確認したらどれくらいいるんだろうか。
最近、台湾有事とかきな臭いニュースが増えたよな。アメリカと中国が睨み合ってて、日本も他人事じゃない、みたいな。正直、このまま戦争になったらどうしようって、漠然とした不安が頭をよぎる。
そんなことを考えてたら、ふと、今の高齢者世代ってめちゃくちゃ幸運だよなって思った。
あの人たちの親の世代は、第二次世界大戦で焼け野原になった日本で必死に生きてきた。そして、その子どもである今のジジババたちは、物心ついた頃には高度経済成長が始まって、日本がどんどん豊かになるのをリアルタイムで体験してきたわけだ。
若い頃は頑張れば頑張っただけ給料が上がり、終身雇用と年功序列に守られ、マイホームと自家用車を手に入れるのが当たり前の夢だった。なにより、彼ら自身は戦争を知らない。平和で豊かな日本しか知らないまま、その恩恵をさんざん享受してきた。
そして今、俺たち若い世代が必死に納めた年金で悠々自適の老後を送り、これからの日本の未来に漂う暗雲なんてまるで他人事。自分たちが死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないんだろう。
もし、本当にこの国が戦争に巻き込まれることになったら? 最前線に立たされるのは、俺たち世代だ。経済がめちゃくちゃになって、貧しい暮らしを強いられるのも、俺たち世代だ。
でも、その頃にはもう、今の高齢者たちはとっくにこの世にいない。彼らは、戦後の復興が生んだ豊かな果実だけをさんざん味わい尽くし、自分たちは一度も戦争を経験することなく、「古き良き日本」の思い出と共に、俺たちの資産を食い潰して逃げ切るんだ。
俺たちがこれからどんな地獄を見るかもしれないのに、彼らは最高のタイミングで生まれ、最高の時代を生きて、すべてから逃げ切る。
まあ、どうにもならんのだけどな。ただの愚痴だ。