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2026-05-01

オタクVSサブカル兄弟喧嘩

俺は今でこそサブカル系音楽映画が好きだが、10代の頃はずーっとアニメを観ていたオタクだった。

中高生の頃はスクールカースト底辺だったか自分の席でコソコソとラノベを読み、教室の隅で数少ない同好の士と今やってる

アニメの話に花を咲かせる学校生活だった。

当然音楽映画には一切興味なかったし、そういうサブカルっぽいものを好む友達もいなかった。

そしてスクールカースト底辺の席は既に俺たちオタクがその多くを占めていた。

残りの席に座っているのは何を考えているんだかわかんないようないわゆる「無」の奴。

歴史的には、オタクサブカルは元は同族で後に分離して、同族嫌悪する関係になったらしいが、確かにそれは実感としても理解できる。

ギターをしょっている軽音部の奴なんか見るといけすかねぇなとしか思わなかった。

決してスクールカースト1軍にはなれないが、2軍、3軍くらいには腰を下ろせたのがサブカル系ではないだろうか。

童貞率もオタクよりきっと低い。

もちろんサブカルの中にもカーストがあるのだろうし、大槻ケンヂの『グミチョコレートパイン』なんか読んでると、音楽映画は好きだが何の部活も入らず仲間もいない孤独な奴が出てくるので、俺たちオタクに近い位置にいたサブカルも多いのだろう。

からこそ俺はオタクだったがグミチョコ物語には共感した。

しかし、グミチョコの作中でもあるように、オタクサブカルに見下されていたことは事実

同族ではあるが、やはりオタクサブカルは別物なのだ

だってサブカルの人ってアニメ漫画を見るにしても、エヴァとかガロ系とかの、いわゆる(2chアニメ一覧にあるような)質系、アングラ系でしょう。

そういうのも好きだけど、オタクといえば萌えロボット、剣、魔法でしょう。

サブカルがたとえばゼロの使い魔ルイズ萌え~とか言っている姿は想像できないし(例えが古くて失礼)、ガンダム宇宙世紀の年表を熱心に眺めているとも思えない。

オタクサブカル兄弟ではあるんだけど(どっちが兄で弟だ? 多分歴史的にはサブカルが兄だろう)、時代を経て兄弟喧嘩するような仲になってしまった。

余談だが『NHKにようこそ!』はその点で言うとオタクサブカル架け橋する稀有作品だ。

ドラッグメンヘラなどのアングラカルチャー親和的ではあるものの「萌え」のオタクカルチャーをそこに接続している。

ただ、オタ要素はあくま山崎だけであって、作品全体からオタクというよりアングラ空気感が漂うのでサブカル寄り作品ではあると思う。

同時期連載の『げんしけん』と比較すればそれはよくわかる。

NHKのオタ要素は添え物という感じ。

オタクサブカルうまいこと融合した作品がなかなか見つからないなぁ。

元に戻れとは言わないが、反発し合っているとオタクサブカルどっちも好きな俺はおさまりが悪い。

2026-04-28

anond:20260428153648

君は人をAI、slop扱いして侮辱できるくらい感性死んでるから、本当に秀でた中国製ゲームをいつまで経っても雑に貶すことしかできないし、本当にメーカーに感銘を受けて勧める人の存在も信じられないんだろう。

俺は増田自分が良いと思った(けれど頭の堅い人にはまだ受け入れられていない)ものを広めるポジティブな場として使っているが、キミらは偏見をより強固にして新しいものを拒絶するレッテル貼りネガティブ活動のためにしか使っていない。

ただ先のトラバの中には真実を突いている部分が一つだけあって、「アニメオタクまでもが仲間かのようにふるまい」って部分。

おそらくミホヨの中の人たち的にはあらゆるゲームオタクカルチャーと肩組みして仲間意識をもって内輪ノリをしてる感覚テキストとか書いてる部分があるんだと思うけど、ホヨバのことよく知らない外部から見たら競争関係にあるライバルIPに対して異様な近さで言及しているような同人オタクノリに見えて、生理的にキツく感じるんだろう。

中の人たちがほぼガチオタクなだけあっていい意味でも悪い意味でも二次創作的な「共有者」的マインドが染み渡ってて、それが長年のホヨバプレイヤーである自身にも影響してて、共有者的マインドポジティブものとして受け入れている側面はあると思う。

でもだからこそ、丹精こめて作り上げられ、金稼ぎのためにゲームを作ってはサ終売り逃げを繰り返している大多数のモバイルゲームメーカーと違ってファンと長く続く豊かなゲーム体験を作ることに注力している、だけでなくその実現力がある、この稀有メーカーの良さを広めようと思うわけ。

難癖思考ちょっとでも気になる部分があると唾を吐いてしまタイプの、文化的差異の吸収力ゼロな人にまでは勧められるとは思ってないけど、静かにROMってる誰かの参考になればいいと思っていつも自分情報収集した結果を書いてるんだよ。

そういう意味ではAIっぽいかもしれんけどさ、他人に向かって言う事じゃないだろ。

2026-04-24

冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません

https://anond.hatelabo.jp/20260424140434

編集者仕事しろ

■主張(要約)

作品への登場を通じて「他者自分という存在のために時間と労力を割いてくれること」の尊さを実感し、それが自己肯定感や生きた証としての深い愛着に繋がっている。

■元記事問題点

冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません(内容から推察すると「自己存在証明承認」にあたります)。

また、全体として「嬉しかった」という感情記述が先行し、なぜそれが「銅像」や「バレンタインチョコ」の比喩に結びつくのかという論理的飛躍が見られます

さらに、特定ネット文化はてな村)の内輪話に終始しており、普遍的な「創作物個人関係性」という視点が不足しています

書き直して

創作物における自己投影:『はてな村奇譚』に見る承認の形

特定創作物に対して、批評的な良し悪しを超えた「抗いがたい愛着」を抱く瞬間がある。

私にとってのそれは、WEB漫画はてな村奇譚』という作品だ。

かつて「はてな村」と呼ばれたコミュニティ舞台にした本作に対し、なぜこれほどまでの思い入れがあるのか。

その理由は、単に知人が描いたからという近接性にあるのではなく

創作という行為を通じて「自己存在他者の手に委ねられ、肯定される」という稀有体験をしたからに他ならない。

本作に深く傾倒する理由は、主に三つの力学に整理できる。

第一に、記号化された自己客観である

私は本作に「金髪魔法使い」という、自身トレードマークを反映したキャラクターとして登場した。

高校時代から敬愛するプロの手によって、自分という存在が「四天王」という物語上の重要役割(たとえそれが「最弱」という道化的な立ち位置であっても)を与えられ

独自ビジュアルで再定義される。この「他者視点による自己再構成」は、単なる自意識の延長では得られない新鮮な自己肯定感をもたらした。

第二に、作品を介した読者との双方向的な距離感だ。

本作は連載中、常に5,000人規模の読者から展開を予想され、議論対象となっていた。

私というキャラクターが登場することを読者が期待し、実際に登場すれば熱狂生まれる。

この「期待と充足」のサイクルを当事者として観察する体験

私を単なる読者から物語共犯者へと引き上げた。

作者から直接献本された書籍も、その密接な関係性の象徴となっている。

第三に、そして最も本質的理由は、他者リソース自分という存在のために費やされることへの感動である

かつての私は、偉人銅像や記念館に対し、本人の名誉欲を満たすための虚栄に過ぎないという冷ややかな視線を送っていた。

しかし、いざ自分物語の一部となり、誰かが私を描くためにペンを動かし

読者が私という存在について思考を巡らせる時間を割いている現実に直面したとき、その認識は一変した。

自分のために誰かが手間暇をかける」という事象のものが、生存証明として機能するのである

これは、バレンタインチョコ価値が味そのものにあるのではなく、贈る相手自分を想起し、準備に費やしたプロセスに宿るのと同義だ。

結論として、この作品は私にとっての「生きた証」であり、名刺代わりのアイデンティティとなった。

たとえ数百万の発行部数を誇るメジャー誌でなくとも

特定コミュニティにおいて明確に記憶され、誰かの創作意欲を刺激したという事実

人生無意味さを打ち消すに十分な重みを持っている。

私たち創作物に深く惹かれるのは、そこに描かれた物語の質もさることながら

その背後にある「自分に向けられた他者眼差し」を感じ取ったときなのかもしれない。

【読者への問い】

あなた特定作品サービスに強い愛着を感じる時

それは「内容の素晴らしさ」に感動しているのでしょうか?

それとも、それに関わることで「自分存在が認められている感覚」を得ているからでしょうか?

2026-04-17

映画】search/#サーチ2 を見た

稀有サイバーセキュリティ啓蒙ミステリの良作で77点。

 

幼い日に父親脳腫瘍で亡くした主人公は母一人子一人で頑張っていたが、最近母には中国系恋人ができウキウキで気に入らない。ある日、母親はカレシと2人でコロンビア旅行に行くことに。ティーン真っ盛りの主人公はこれ幸いとパーティー三昧。あっという間に時は経ち、2人の帰国の日になり空港に2人を迎えに行くもいつまでたっても降りてこない。2人が止まっていたホテル電話すると、荷物を全部置いて出て行ったとのこと。2人に何が起こったのか。PCの中の大探索が幕を開ける。

 

まぁ、よくできてたわね。

前作はPC内だけで話が進むギミック映画の良作として有名だけど、今作でもその部分は活かした上で、とにかくミステリというか謎解きゲームとしての脚本の強度が異常に高い。

ギミック映画としては前作はプログラマおじさんが主役だったけど今作ではゴリゴリデジタルネイティブティーンが主役なのもよい。冒頭の母親失踪までの間のくだらないSNSの乱用シーンで彼女がどういうカテゴリ人間なのか、そして彼女がどれくらいSNSを使いこなしている人間なのかをテンポよく説明してて良い。

そしていざ両親が行方不明になり、そこがコロンビアFBIにも捜査権がないとわかると積極的母親Googleアカウントログインを試み、それに失敗するとその彼氏アカウントログインを試みる。そしてログインのために彼のSNSを片っ端から開き、最もセキュリティが緩そうなサイトコールセンターパスワードを失くしたと電話をかけ、本人確認質問SNS上の情報をつなぎ合わせて回答しまんまとパスワードを聞き出し、そのパスワードを使って彼氏Googleアカウントを割ることに成功する。

そしてGoogleアカウント割れたことで、彼が使用するあらゆるサービスアクセス可能になる。パスワードが分からなくてもパスワードを忘れた場合こちら、でGmailに新パスワードが送られてくるからだ。こうして彼女母親彼氏使用するサービスから彼の軌跡と裏の顔を知るようになる。

このあたりの柔軟さはいかにデジタルネイティブ世代SNS感だなと思うし、パスワードの使いまわしは辞めようねという制作陣の強い啓蒙姿勢を感じる。

謎解きゲームとしての強度という話だと、パーティ三昧した主人公母親空港に迎えに行く直前まで眠りこけてしまっており家はめちゃくちゃ。なのでギグワークサービスを使って家の片づけを雇う。という展開が冒頭である。それがその後、コロンビア母親が泊まったホテル監視カメラ映像確認する必要が出たがFBIはあてにならず映像が消えるまでに時間制限がある、というときに同じギグワークのコロンビアで展開するサービス検索し、そこで人を探し雇って見に行かせる、という展開につながっている。

他にもパーティースマートウォッチを忘れて帰ったアンポンタンが出てくるけど、そのスマートウォッチちゃんと後半で生きてくるし、母親が何するにしてもsiriに頼むというデジタルポンコツエピソードが冒頭に出てくるけど、それが最後の大逆転で作用するし、ウザいくら過保護なのにも意味がある。とにかく出てくる情報無駄がない。

 

一方でテーマ性としては1でもフィーチャーされていた「自分が見ている相手ネットの中の相手は同じ相手なのか」という部分から絶妙にズラしてさらに規模を大きくしているというのは偉大な1に挑む続編として意気やよし。

サラっとネタバレすると、彼氏はもともとはネット上で名前を変えてロマンス詐欺を繰り返す詐欺師だったが逮捕さていたネット上で誰でもなかった人間だし、なんなら母親証人保護プログラム名前過去も変えた人間だった、そして死んだと言われていた父親は薬中のDV野郎刑務所にぶち込まれていた。

登場人物の多くが「知っている人間ではなかった」ことが母親失踪とその真実に迫る中で次々に明らかになっていく。そしてそのことがゆえに、恋人同士の失踪が、ロマンス詐欺から誘拐に変化し、さらには恋人を利用した意図的失踪へと疑惑が変化していくという、小さな謎が解けるごとに本流の謎が大きく変化していく形式上本当によくできていると思う。

DV夫による連れ去り被害とか証人保護プログラム問題とか現代的なテーマも配置されていて隙がないよね。

 

かい謎解き用のピースの配置に余念がなく、さらには大きな話の流れとしてもダイナミックで無理がない。そして小さな謎が回収されてみれば別にそれはそれで問題なくて、というような迷路意図的に作られた行き止まりみたいなものもちょこちょこ配置する余裕。PC場でだけ話が展開するというギミックを除いても脚本の強度が本当に強く良くできてるなと思った。

まぁ、1と同じでこいつ24時間facetimeつけてるな、どんだけナルシストやねんと思う部分はあるがさすがに映画という形式上、主人公の顔が本当にぜんぜん映ってなかったらさすがに画が持たないよなとか思う部分がなくもない。あと、コロンビアのギグワークおじさんとのけんかパートはさすがにとってつけた感すごすぎて、なにこれってなった。

前作でも登場したネット名探偵たちの無責任方言の数々や積極的に消費しようと群がってくるマスメディア。今回はネトフリで見たんだけど作中でネットフリックスの担当者映像化にご興味ありませんかって電話かけてきてて笑ったし、最後最後、どうやって助かったの?というところを後に作られた再現ドラマちょっと派手に見せてくれるのも楽しいし、映画の冒頭で前作も同じ再現ドラマ配信されているという展開があるのもニクい。

 

そんな感じかな。

まぁ謎解きゲーム映画としては本当に真摯にフェアに作られた良作だと思うので二段階認証は設定するのオススメ

2026-04-01

優秀な人材ガッツリホールドされるよなぁ

優秀なやつは自分から動かなくても良いポジションで職が見つかる、見つかるというかどこからともなく働いてくれと言われる。

そりゃそうだよなぁという感じ。

フラフラしてて優秀な人というのは本当に稀有フラフラしてる人はたいてい問題がある。

2026-03-30

歳を取った友達付き合いが難しい

子供の頃って友達と遊ぶのに大した理由なんていらなくて、とりあえず集まってそっからなにするか決めたりとかしてた。

大学くらいまでの間に徐々に遊ぶ目的必要になっていって、それでもまだ友達と遊べる選択肢は多くて迷うなんてことはなかった。

社会人になって遊びの質は変わっていき、趣味友以外での遊びが激減していった。

一応自分にも友達と呼ぶほどの関係値ではないけど仕事仲間、

今は一緒に働いてないが今でもたまに会うような人がいたりはする。

だけどたまに連絡して最近どう?じゃあちょっと今月どっかでメシか飲みにでも行きましょ、みたいな感じで軽く会って話す程度だ。

同じ趣味を共有してたり、業種が同じだから仕事の話もできたりってのもあるんだけど、話が弾むということがほぼない。

お互いにあまりにも歳を取りすぎて、もはや伝えたい事があまりない、というのが一番大きい気がする。

互いの事に関心が持てないわけではない。でも~で~って感じだね、でほぼ全てが伝わってしまうし、それ以上言うことがない。

仕事の事、家族のこと、趣味のこと、あらゆることに熱量を持って共感し合うということがもはやないのだ。

から見ればそれが大人であって、そんなもんだと思うけど、つまらないのも事実だ。

そういう付き合いというのも、言葉少なく顔だけちょっと見て、くらいのも居心地が悪いわけじゃないし良いものだとは思う。

でも内心どこかで、誰かと無邪気にくだらないことをして遊びたいと思っている。

大人同士での遊びとはなんだろう。

所ジョージみたいなことだろうか?芸能人じゃなくても、あんな感じで遊んでる大人はけっこういる。

でもどこか違和感がずっとある。「こういうのが楽しいんだよな」と無理やり言い聞かせてるようにも見えてしまうのだ。

もちろん本気で無邪気に楽しんでる面はあるとは思う。

だけどそれは個人的な心の持ち様であって、一緒に遊んでる人同士にはそこまでその「楽しんでる」を共有できてるようには見えない。

「こいつと遊んでるから楽しい」はもはやそこにはないのかなと思う。

ところで、知り合いで長い間なにかのMMOゲームだかで繋がってる友人関係を持つ人がいる。

話を聞いてるととても楽しそうで羨ましい。

彼らの間では既にオフラインでの付き合いもあり、互いの実社会での顔も知ってはいるんだけど、

それはそれとして今でも無邪気にゲームで遊ぶということができてるらしい。

話を聞く限りでは、彼らの中には「こいつらと遊んでるから楽しい」がまだ残っているように感じられる。

これはなかなか稀有なことではとちょっと衝撃を受けた。

ゲーム世界に入り浸ることはどちらかと言えば現実逃避と思ってきた。

いやだからこそなのかもしれない。

コミュニケーションツールとしてオンラインゲームをうまく使っている彼らは賢いし、今の時代に合っている。

彼らの間の関係値もそれなりの希薄さはあるらしい。離れる人を引き止めるようなことはないし、

たまたまずっと一緒にやってきて長く続いた、みたいなとこはあるとのことだ。

だけどそれってやっぱり重要なのだ

それにゲームの中であれば歳を取ってもちょっと時間さえ合わせられればすぐに集まれる。

爺さん婆さんになっても続けられる趣味としても合っている。

金も大してかからない(たぶん)

FFオンラインでもやっとけばよかったかなとちょっと後悔してる。

まあ実際は色々あるんだろうけど・・

2026-03-29

数学できたら稼げるってさ

数学で稼げるポジション自体が世の中稀有なのにな

あと、人間よりAIの方が数学できるようになるやん

適当なこと言いやがって胸くそ悪い

2026-03-24

地元に帰ってきて、「小学校にいた」女子に心を救われたのだったという話

なんということはない、増田学生時代実家に帰ってきていわゆる自宅合宿コース免許を取った時のことである

 

増田中学校から県庁所在地にある中高一貫校に通っており、東京の有名私大に進学した。弊学のインカレサークルでは周りの底辺女子大女学生が弊学の男子大学生を狙うという事がよくある光景だったのだが、増田が入っていたサークル活動内容的に、増田はそのような関わりとは無縁に大学時代を過ごし、そして就職してしまった。しかし、一回だけ、「小学校にいた」女子と接点を持った機会が、車校だったのである

 

別に小学校同窓生と車校で再会したわけではない。みなさん、地元公立小学校にいなかっただろうか。少し気だるげな雰囲気自分のことをウチと呼び、ちょっとおつむは足りないけれどテンション愛嬌がある、作り物じゃないけど、少しそれを被ってもいるようなギャルっぽい女子。そういう女子が、僕の通ったコースにちょうどいたという話だ。マニュアル免許の自宅合宿コースは人が少なかったから、普通自動二輪免許をすでに持っていた坊主頭のお兄さんと、僕と、その女子(仮に山田と呼んでおこう)だけが、同じ日に同じコースで入校したのだ。しかし、その坊主ニキは学科授業がない分どんどん進んでしまい、イチから免許を取るために四苦八苦しているのはいつの間にか僕と山田だけになった。

 

ぶっちゃけ仮免許学科試験なんて簡単であるパターンは決まっているし、ほとんど至って常識的なことしか聞いていないし、気をつけるのは車両別進入禁止標識がどこまでを対象にしているかくらいなモノなのだ。僕は勉強を少しずつ進めて、模擬試験を数回やって、大体90点は間違いなく越えられるようになっていた。彼女の初回の模擬テストの点数は今でも覚えている。46点だ。2択なのに、確率に負けていた。「模擬試験と一切同じ問題がでるなら、マルかバツかを50問分覚えて本番の仮免許学科試験受ける」と山田は言い切った。僕は爆笑した。いつの間にか賢ぶる人間ばかりと関わっていた人生だったから、ここまで素直に、自然体な「小学校にいた」女子に会えた事がとっても驚きと感動だった。模擬テストと本番の試験が異なることを知った山田の顔はさら面白かった。さすがにオートマ免許教習じゃないからってクリープ現象を知らないのは不味いからね…なんて話した気がする。

それから技能教習でも山田は扱いきれないマニュアル車を一生懸命エンストさせてはエンジンを掛け直し、クランクで縁石に乗り上げては後退しを繰り返しながら必死運転していた。1人1台運転教官なしで指定された教習所内のコースを巡る日は、コースや車の位置どりがわからいからと、山田希望で僕が1号車に乗らされた。そして僕に置いて行かれた途端、2号車の山田コースを間違えた。おい。教習が終わって車を降りると、山田はやっと終わったと言って飛び跳ね、教習カード教官から返してもらうと待合スペースにスキップで帰っていった。もう笑うしかなかったのである

 

こういうタイプの人を単純に馬鹿こき下ろすのは性に合わない気がする。だって僕は一緒に過ごしていて楽しかったのだ。一喜一憂体現したり、ものすごく気だるそうに車に乗り込み、坂道発進で車を後退させながらも(マニュアル車って坂道発進難しいんですよ、普通に僕も慣れない)最後試験には間に合わせながらフフンって言ってみたりしている彼女と教習を受けるのは、なかなかにしかったんだ。彼女自身が楽しく生きていることに巻き込まれて楽しかったと言えるのかもしれない。それがさらに僕の日常生活までに踏み込んできたと仮にしたらそれは楽しくないかもしれないのだけれど、車校同級生という関係がなかなか絶妙な按配をしていたようだ。

 

教習が終わり、僕と山田はインスタさえも交換せずに会わなくなった。会わなくなったのは当たり前である。少なくともきっと、生きている地理的世界が違うから。僕は賢いふりをする人たちの世界に戻った。きっと僕が賢いふりをすることに山田も疲れていたと思うし、それはそれとして平和は続いているのである

 

だけどあの免許教習はとても面白時間だったし、稀有な思い出になったと思う。もうすぐ色の変わる免許を財布から取り出してまじまじと見れば、そんなことを考える。

2026-03-20

アメコミの良さを知ってほしい

自称漫画好きに「好きな作品は?」と聞くと色々な作品を次々と挙げてくる。

しかアメコミが一冊も出てこないことが結構ある。

そのたびに思う。

浅いな、と。

別にアメコミ読んでない=漫画きじゃない、とまでは言わない。

だがアメコミにも名作は多い。そういった作品を全く知らずして「漫画好き」を名乗るのは、ちょっと違うんじゃないかとは思う。

そこで今回は、アメコミにおいて名作と呼ばれる作品を五つ紹介しよう。

キングダムカム

老いスーパーマンが再び立ち上がる物語、と要約することもできるが本質はそこではない。

この作品が問うているのは「ヒーローは誰のために存在するのか」という一点だ。暴力エンタメ化した世界で、かつてのヒーローたちは古くさくなり、代わりに制御の効かない“新しいヒーロー”たちが台頭する。

正義とは何か。力とは何か。

そして人間を守る存在人間を超えてしまったとき、それはまだヒーローなのか。

神話現実に引きずり下ろすような、重たい一作。

必読である

ウォッチメン

みんな大好きロールシャッハの登場作品

あと青い全裸のおじさんことDr.マンハッタンもいる。

舞台冷戦真っ只中。核戦争一歩手前の世界

ヒーローがいるのに世界全然マシになっていないどころか、むしろ終わりに近づいている。

この作品の特徴は、とにかくリアリズムに徹しているところだ。

ヒーローがいたら世界は救われる。なんていう都合のいい話は一切ない。

中でもロールシャッハ象徴的で、彼の正義は徹底している。善悪絶対に分かれるもの。だから妥協はしない。その姿勢一見ヒーロー的だが、同時に極端で、社会とは決定的に相容れない。

この作品がやっているのはヒーローという存在解体というより「正義とは何か」を冷戦という現実の中に放り込んでいることにある。

その結果として示されるのは、正しさは必ずしも倫理的ではない。

読後、ヒーローという言葉を以前ほど単純には受け取れなくなるだろう。

バットマン: ダークナイトリターンズ

引退したバットマンが、再びマント羽織物語

だがこれは復活劇ではない。むしろ「なぜ彼はやめられなかったのか」を描いた作品だ。

老い身体。変わってしまった社会。それでもなお暴力に身を投じるしかない男の執念。

ヒーローというより、もはや強迫に近い。

正義美徳ではなく衝動として描かれるときヒーロー像はここまで不穏になるのかと気づかされる。

Vフォー・ヴェンデッタ

仮面の男独裁国家抗う

といった構図だけ見れば分かりやすい。

だがこの作品本質は、Vではなくエヴィーという一人の少女の変化にある。

恐怖に縛られていた彼女が、Vとの出会いを通して“自由とは何か”を問われ、やがてそれを自分意思で引き受けていく。

Vの行動は明らかにテロリズムであり、正義とは言い切れない。

だがその暴力が、抑圧された人間に何をもたらすのか。

この作品は「自由は与えられるものではない」という命題を、極めて危うい形で提示している。

正義暴力境界はどこにあるのか。

読後、その問いを読者は引き継ぐことになるだろう。

マーベル

ヒーローを「市民の側」から描いた作品

語り手はフィルシェルドンという一人の写真家

彼の目を通して、スーパーヒーローたちは“憧れ”であると同時に“理解不能存在”として映る。

超人たちの戦いは当事者にとっては日常でも、周囲の人間にとっては災害に近い。空を飛ぶ神のような存在人間はどう見ているのか。

この作品は、その視点のズレを丁寧に積み上げていく。

ヒーロー物語を、ヒーローの外側から見直すことで初めて見えるものがある。

マーベルズはそういった新たな視座を与えてくれる、稀有作品であるといえるだろう。

終わりに

アメコミは派手なアクションや分かりやす勧善懲悪ばかりと思われがちだ。実際、確かにそういう側面もある。

だがその先には「力を持つとはどういうことか」「正しさとは誰が決めるのか」といった、答えの出ない問いがずっと流れ続けている。

それは日本漫画とはまた違う形で積み重ねられてきた、もう一つの物語歴史”だ。

ヒーローの話だと思って手に取った作品が、いつの間にか自分倫理観を揺さぶってくる。

そういう体験が、ここにはある。

アメコミにも日本に負けず劣らずの名作があるということを知って、一読してくれれば幸いだ。

2026-03-17

足指の形でメインヒロインかどうか分ってしま漫画がある

柚銀さんが描かれている『青を踏む』という漫画だ。

普段私はnoteガンガン書いてるのだが、流石に今日増田で書かせてもらう。

今日note休み! フォロワーはこの増田を呼んでくれ、という気持ちだ。



柚銀さんの作品の特長

柚銀さんは結構から同人活動雑誌での短編掲載をしていて、足フェチ系の創作を続けられてこられた方だ。

「脚」じゃなくて「足」の方のフェチで、素足を始め制服裸足だとか靴下や靴に入っている足フェチ、または足形なんかにも関心の領域がある。一方で(足の)匂いフェチにはあまり振らない。

爪先も足裏も物語のなかで上手に描く。顔は可愛らしいデフォルメ系だが足は当然リアル感があり、そのギャップもとても良い。とても良い。とても良い。

また足フェチに対しては大変ストイックで、女性の足ばかり愛でてしまう業や罪悪感(足ばかり見てしまうこと、嵩じて結局犯罪行為に進みかねないこと、そもそも女性気持ち悪がられてしま可能性)なんかもしっかり作品で描かれることも多い。

まり、無理やり足を愛でたり、催眠などを使って愛でたり、SM的な構図を過度に持ち出したり、という「それで終わり」なインスタンスな足フェチプレイへの傾向は薄い。

日常の延長で足フェチとして振る舞えるモードを突き詰めて、足フェチが好むシチュエーションを存分に描くのだが、その先にあるリスクや業といった薄暗い感じも射程に含む構造作品が多い。


フェチへという業への向き合い方

一方でそうしたリスクや業を乗り越える可能性も作品のなかで示してくれる場合がある。

まり、重度の足フェチ男のことを性的嗜好丸ごと含んで「あり」と考えてくれるヒロイン存在だ。

柚銀さんには、足フェチの先輩と、先輩を慕う後輩安城たまきとの連作がある。

「恥ずかしいけど…私の足で 先輩が満足してくれるなら…」とのモノローグがある安城たまきは、性的嗜好を丸ごとのんでくれる代表例だろう。

安城さんは大人しそうな雰囲気だが足フェチ先輩のことを慕っていて、先輩がめちゃ好みそうなフットカバーを履いたりちょっと積極的だったりする。

甘酒に酔った振りして先輩に靴を脱がせてあげたりする。

フェチの業をいかに解消(あるいはアウフヘーベンと言ってもいいかもしれない)するのか。柚銀さんはここに一つの可能性を作品で描いている。


『青を踏む』という商業連載が始まる どちらがヒロイン

そんなとてもしっかりした作風を織りなす柚銀さんは、令和7(2025)年1月からCOMIC FUZ(芳文社)で『青を踏む』の連載を始めた。

戦前雑誌意識させるような風雅なネーミングで、アホみたいな頻度で女子の爪先や足裏が登場する漫画だ。

さてそのあらすじを述べると、主人公は重度の足フェチ高校生跡辺。彼は同じクラスの天川さんに恋い焦がれている。

ところがひょんなことから同じく同級生の荊さんに足フェチがバレてしまう。

他人性的嗜好漏れ出だすところに興奮する荊さんに脅され操られるような形で、跡辺は天川さんに足フェチシチュエーションふんだんに接近していくことになる。

さて、天川さんは天真爛漫な少女で、荊さんは主人公を操る通りミステリアスでややサディスティックな印象を持つ。

どちらが物語上のヒロインか? 1話の時点で明確に推理をした感想がある。

No.25

この先生ギリシャフェチからエジプト型の天川さんじゃなくてギリシャ型の荊さんが勝ちヒロインだろうな。

2025/01/12 15:03:55


1話から天川さんも荊さんもアホみたいに制服で素足を晒すのだが、足の形に明確な違いがある。

諸賢もご存知の通り、足の形には「ギリシャ型」だとか「エジプト型」や「ケルト型」「スクエア型」などがあるのだが、ここで問題となるのが<b>柚銀さんは極めて重度のギリシャフェチ</b>ということだ。

先述の安城たまきもきれいなギリシャ型の足指をしている。

私は柚銀さんにスケブリクエストする方が「ギリシャ型をお好みと重々承知しておりますが、エジプト型の足でお願いできますでしょうか?」といった内容の発言をしているのを見たことがある。

さて天川さんと荊さんの足の指の形はどうだろうか? なんと天川さんはエジプト型、荊さんはギリシャ型なのである

上記感想を書いた方は練達の足フェチであり、また同時に柚銀さんの大変優れた読者だ。どー見ても、足指の形で天川さんは不利だ。というか当て馬だ。

ミステリアスギリシャ型のきれいな足指をしている荊さんにどーみても分がある。



意外な展開

事態は意外な展開をみせた。(以下ややネタバレ注意)









2巻の巻末に驚くべきことが書かれていた。まず、優秀な読者が予見した通り、本来主人公と天川さんとの関係は崩す予定だったという。

ここまでは天川さんと荊さんの足指をつぶさに見れば指摘可能だったかもしれない。(なお私は柚銀さんキャラ分けのためにエジプト型の足も描いてるなぁ、くらいにしか考えていなかった)

ところが予定は覆された。2巻巻末には、読者の反応や編集担当とのやりとりで天川さんとの関係を切らない展開を、悩みながらも選択されたことが書かれている。

実際に2巻の表紙には元気な天川さんが膝を立てて座っており、可愛らしいエジプト型の爪先と足裏とを晒している。

これは色々な意味革新的だ。

今まで同人作品を読んでいるときには、ギリシャヒロインで作者は描き、読者はそれを享受していた。そーいうもんだ、そーいうフェチなんだ、で納得・完了していた。

商業連載となるというのはこういうことなのだろう。生き残るために、読者のリアクションを加味したり、編集担当との協議が加わる。

その結果、柚銀さんの(従来の)フェティシズムを超越した事態作品の中で発生してきている。

ご本人にはご当惑があることだろう。だが、商業作品となることで読者としてはものすごい経験をさせてもらっているような気がしている。

柚銀さんの作品エジプトヒロイン以外が機能している。

最終的には負けヒロインになるかもしれない。それでも、本来想定し得なかったエジプトヒロイン作品の中で、同じコマで、あるいは連続する近いコマで、ギリシャヒロインと素足を並べている。

こういう現象に対しては、ただただ「ありがたい」と思うばかりである

これは私がエジプト型の足指が好きだからエジプトヒロイン活躍して嬉しいだとか、そういう次元の話をしているのではないことはご理解いただけるかと思う。

実際指の長いきれいな足というものギリシャであることも多く、柚銀さんのフェチには、作品から感じ取れる背景哲学含め個人的にもとても共鳴していたところだ。

単純に足指の形の好みという話ではない。

商業作品となることで、今まで想定し得なかった状況、すなわちこの作家作品のなかでエジプト型とギリシャ型の足が一堂に会する状況が現出するということが「ありがたい」のである

稀有と言っても良い。状況が「ありがたい」わけで、私たち読者はただこの状況を肯定しことほぐ他ない。




おわりに

いかがでしたか

柚銀さんは商業連載で大変な点も多かろうと思うが、存分に足を描き、足が映えるシチュエーションを描き、そして根底哲学のあるフェティシズムを描き続けて欲しいと思う。

柚銀さんの描く足やシチュエーションが大好きだし、足フェチ理解しノってくれる安城たまきと先輩との関係性みたいなあり方の提示も大好きだ。

あと爪先をちょっと上げて床/サンダルと足裏と爪先とを同時に描くのマジうますぎ。あと足首で足をクロスさせて爪先と足裏を両方見せる技法も見事という他ない。

このジャンルは奥が深い。世界中に足フェチの先輩たちがいる。西洋にも中国にも「兄貴」たちがいる。柚銀さんに良い形で作品が広く知られ、読まれることを願ってやまない。

2026-03-14

復刊ドットコム @fukkan_com 『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノー

『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノートアニメ制作普遍教科書 読み継がれる理由と復刊の価値

復刊ドットコムに集まったリクエストを受け、2005年KADOKAWAから復刊された、『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』。

世界的な映像クリエイターである押井守氏が監督を務めたアニメ映画機動警察パトレイバー2 the Movie」の演出についてまとめられた本です。

初版が発行された1994年当時は、アニメ制作の基礎を知る術がまだ少なかった時代。同書はアニメ制作を志す人にとっての教科書的な位置付けとして重宝され、多くの人が手に取りました。

また、同書の執筆には押井氏自らが積極的に関わっていたこともあり、アニメ制作を志す人だけでなく、押井守氏のファンにとっても魅力的なものでした。監督言葉作品制作の裏側や同氏の思考垣間見ることができる稀有体験提供する本だったからです。

しかし、そんな貴重な内容でありながら、同書はやがて絶版に。

同書が入手困難となっていた時期から、「後世に残すべき本である」「文化的な損失である」といったコメントとともに復刊リクエストが寄せられるようになりました。

初版から30年が経った今でも、その魅力や価値は色褪せていないためか、2005年に復刊が実現した後も、品切れとなる度に再刊を求める声は絶えず寄せられています

記事では、復刊されるべくして復刊した『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』の見所と価値をご紹介します。

2005年に復刊された『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』(KADOKAWA刊)

押井守の「レイアウト」とは

当時、押井守氏がアニメ制作において特出していた点は、実写映画カメラワーク的な要素を取り入れ、アニメ映像表現の新たな境地を開拓したというところにあります

『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』で解説されているのは、そうした表現可能にした「レイアウト」の手法、そしてそこに込められた演出意図です。

では、そもそもレイアウトとは何でしょうか? 同書の中で押井氏は以下のように定義しています

P.3 「アニメーションにとってレイアウトとは何か?」より引用レイアウト”とは要するに画面(カット)の設計図のことであり、“レイアウトシステム”とはこの設計図を基本にして映画(正確にはフィルム)を制作する方法のことです。設計図としてのレイアウトには、様々な情報が込められています

(中略)

それは各部署に分かれて作業するスタッフにとっては、作業基準となる仕様表であり、演出家にとっては演出する作品撮影前に検討するためのシミュレーション過程でもあります

アニメを作る、と聞けば、絵を描き、動かすという作業が一番大事だとのイメージを持つ人が多いかもしれません。ですが、アニメ制作現場では、絵を描くアニメーター(原画マン作画マン)以外にも、背景美術演出撮影など、さまざまな専門を持つ人たちが分業して作品を作り上げています

監督としての押井氏の役割は、作品の骨子(絵コンテ)を作り、各工程コントロールし、自身が思い描く完成像を具現化すること。

そして、そのイメージを各担当者に共有するために重要となるのが、ここで言うレイアウトです。

ですが、同書が出版された当時、このレイアウトという概念はまだ曖昧ものでした。レイアウトに限らず、アニメ制作の進め方は監督現場によってさまざまだったからです。

例えば、監督一口に言っても、宮崎駿氏のように自ら原画を描いたり、作画修正をしたりする「アニメーター」を出自とする監督もいれば、押井氏や高畑勲氏のように演出スタートとして全体の舵取りに徹する監督もいます

そんな中で、押井氏が提示した「レイアウトシステム」の徹底は、当時のアニメ制作現場において、押井氏が作品の出来を背負う監督として、求心力を持ちえた理由ひとつではないかと言われています

すなわち、押井氏のレイアウトとは、蓄積した映画記憶アニメ制作現場体験を活かし、イメージ意味を具体化してゆき現場意識作業方向性を示すためのものでもあったのです。

今では、このレイアウトという言葉概念アニメ業界一般化しているといいます

それは、押井氏のレイアウトを参考とした人たちがアニメ制作を積み重ねていった結果に他なりません。

同書で語られたレイアウトは、押井氏のアニメ制作エッセンスであるだけでなく、その概念の成立においても重要意味を持ち、後進のアニメ制作技術的な面でも精神的な面でも下支えするものとなっているのです。

全てのクリエイターが“学べる”本

ところで、アニメ制作への関心が高まり、種々の指南書が出版されている今現在、『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』の内容はどのような価値を持って受け止められているのでしょうか。

結論から言えば、現代における同書の大きな価値は、アニメ制作に携わる人に限らず、全てのクリエイターに刺激を与え、学ぶ意欲を掻き立てうるというところにあると言えます

同書を開けば、アニメ制作するにあたって押井氏が考えていたことの量と密度に、誰もが圧倒されることでしょう。映像の迫力や精密さ、リアリティといった部分だけでなく、作品世界物語に直接関係しない要素にまで、しっかりと意図存在するのです。

例えば、「パトレイバー2」の中で描かれる“鳥”について、押井氏は同書で次のように書いています

P.45 より引用P2」(筆者注:パトレイバー2)に登場する鳥たちにはどのような象徴的な意味もありません。強いて言うならば、それはこの作品で描かれた「世界」と「物語」に混入されたノイズであり、記号の体系を掻き乱すための異質な記号のものに他なりません。本篇の外側にあって物語をアウトレンジし、作品自律的に完結させようと目論む演出家の意図を長距離から射程に収め、射程に入れるそのことだけで脅威となる厄介な長距離砲。それがつまり、“鳥”なのです。

視聴者が気付かないほどの細部でさえも意図を持って描かれていることを端的に示す、「パトレイバー2」の鳥。

このエピソードは一例に過ぎませんが、何か作品を完成させる上で、どこまで計算し、考えるか、という、全クリエイター共通する普遍的な問いに対して、一つのアンサーを提示していると言えるのではないでしょうか。

そして、もちろん、アニメ演出教科書としての価値も健在です。

2020年代アニメ制作現場は、本書が書かれた当時よりもCG環境進歩していますが、ほとんどの作業アナログであった時代技術方法論がまったく“古く”なっているわけではありません。ツールは違えど、先達が積み重ねてきたものは、現在アニメ制作現場にも脈々と受け継がれているからです。

また、押井氏の演出の影響は、アニメ以外の映像制作にも及んでいます

実写映画知識教養バックグラウンドに持つ押井氏ならではの演出シーンは、日本に限らず海外映画特に想像」によって世界を再構築することが必要とされるSF作品に大きな影響を与えているのです。

天才押井守の頭の中を垣間見る喜び

ここまで、『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』の見所や価値を紹介してきました。

一度は絶版になりながらも、多くの復刊リクエストを集め、復刊後も絶えず求められ続けている同書。それほどまでに支持される理由は、時代を経てもその内容が色褪せることなく、むしろアニメ歴史の一部を担い、全てのクリエイターに刺激を与える本として、普遍的な価値を持って受け止められていることにありました。

ごく一般的なアニメファンにとって、同書の内容は非常に高度で、全てを理解することは難しいかもしれません。

ですが、天才と呼ばれる押井守氏が作品制作の際に、何を、どういう視点で、どのように捉え、何を考えているのか、という思考垣間見ること、そしてそのあまりの高度さに衝撃を受けることもまた、同書を読む上での醍醐味と言えます

白紙状態から、全てを人の手で描き、作品世界を構築していく上での凄まじいこだわりと努力を目の当たりにできる本は決して多くはありません。

大人から子どもまで、誰もが当たり前に、大量にアニメを楽しむようになったからこそ、同書はこれからも読み継がれていくべき本なのです。

『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート押井守)』 販売ページ復刊ドットコムにて『METHODS ~押井守パトレイバー2演出ノート』(押井守)を販売していますwww.fukkan.com

2026-03-12

終わりなきMT/AT論争

今日今日とてXでは、またMT/AT論争が巻き起こっている。まるで北緯38度線のように、争いがいつまでも終わらない。停戦状態にあるだけ、38度線の方がマシかもしれない。

私のTLを観測している範囲では、MTからAT派への攻撃を見かけることが多い。健常者ならMT乗れて当たり前とか、MT挫折してAT限定にしたやつは公道走るなとか、まぁそんな具合だ。

かくいう私も最近ATからMTに乗り換えた。峠を攻めたいとかサーキットでかっ飛ばしたいとか、そういうわけでは全然ない。単に車の運転に刺激が欲しかったのだと思う。

その上で私見を述べるなら、現代日本道路事情において積極的MT選択する必然性は「ほぼ皆無」であるし、AT限定を批難する要素も見出しにくい。

MT派によるAT批判を見ていると、いわゆる老害共通する部分が多いように感じる。なぜ人間は、便利な新技術の登場をかくも毛嫌いするのであろう。MTにも乗れないなら車をちゃんと動かせないなんて言う奴は、手書きじゃないと心がこもっていないなどと言って電子的に作成した履歴書否定したり、お腹を痛めて出産しないと母親にはなれないなどと言って無痛分娩否定する連中と同レベルではないか。幸いなことに現代では、人間がわざわざ手動でギアチェンジしなくても機械がやってくれるようになったのだ。それだけの話だ。便利さ重視でATに乗りたいならATに乗ればいいし、トラディショナル操作にこだわりたいならMTに乗ればいい。

クラッチを含めた両手両足の操作ができなきゃ安全運転できないという意見もあるが、これではかつての「交通戦争」の事実を全く説明できない。誰も彼もがMTを動かしていた時代であっても、交通事故はそこら中で発生していた。だからMTに乗れるなら安全運転できるということにはならないし、ATから危険運転を産むというのも短絡的な考えだ。少なくともAT全盛の現代の方が事故発生件数は少ないのである。これはミッション方式というよりも道路事情安全技術の発達によるところが大きいかもしれないが、

というかAT運転できる程度の身体自由があるなら、MTだって乗れる人が大半だろう。出だしの飲み込みのスピードは人によって差があるから、初手で苦手意識を植え付けられる人も出てくる。しか時間をかけて練習すれば克服は決して難しくないし、出だしのペースと最終的な技術の習熟度は必ずしも一致しない。ただ現実的はいつまでもだらだらと教習所に通えるわけではないから、時間的・経済的心理的負担増を嫌ってMTATに切り替えている人が多いだけではないかと思う。実際、現代日本AT比率を考えれば、余計な苦労を背負ってまでMT固執する必要はどこにもない。あくまでも本来目的は「自動車免許の取得」であって「MTを動かすスキル」ではない、という人は相当数いるだろうし、MTATに切り替えることで無事に本来目的を達成した人もまた相当数存在する。それできちんと運転できているなら、何も悪いことは無い。

ATに対するMTの優位性はシーンに応じてドライバー自由ギア選択できる点にあるが、そもそも公道ではMTに乗ってまで積極的ギアを変えるべき場面というのがそこまで多くない。ATであってもそうした場面には十分に対応可能だ。たとえば長い坂道を下るときには低めのギア選択してエンジンブレーキを使い、フットブレーキのみに依存しないことが大事になるが、ATであってもBとかSとかLとかのギア選択すれば同じ目的を達成できる。なにもMTである必然性はない。普段運転するエリアアップダウンの乏しい平地であるなら、なおさら些末な問題になる。高速合流時などにおいても、低めのギアで十分に加速することが求められるが、やはりSなどを使えばATでも十分な加速が得られる。

またMT自由度の高さは、操作煩雑性や諸々のリスクと表裏一体である信号待ちからの発進一つとっても、ATアクセル踏み込むだけでたちどころに加速していくが、MTは矢継ぎ早に1→2→3と切り替えながらスピードに乗っていかないといけないし、回転数をマッチさせる運転ができないと乗り心地が極端に悪化する。急坂ではサイドブレーキも使わないといけない。シフト操作ミスがあればオーバーレブリスクも出てくる。交差点のど真ん中でエンストしようものなら、他車の交通を阻害したり追突されたりする要因になる。

そうしたことを考えると、「余計な操作心配に煩わされずに街中をスムーズに走る」という部分においては、圧倒的にATが有利になる。最近AT燃費も優秀だから経済面でのMTの優位性もたかが知れている。新車販売においてはMTの方がATよりも若干安価だが、街中ではATの方がずっと多いのだからユーザーはそんな価格差は気にしていないのだろう。車重の軽量化メンテナンス性の高さなどもあるが、車重全体のわずか数パーセントしか満たない差を必死に削り出すようなドライバー稀有であろうし、多少ラフな使い方をしても問題なく長距離を走れるATは多い。やはり、ATMTよりもずっと便利で取り回しのしやす機構だという結論になる。

ただ、この利便性の高さがドライバー思考力を奪っている点は否定できない。余計な操作心配に悩まされない状態というのは、必要操作心配までをも忘れてしまリスクを跳ね上げる。上述した下り坂でのエンブレの件にしても、ブレーキランプを煌々と照らしながらダウンヒルする車を見かける機会は少なくない。上り坂で先行車が後退してくるリスクを考えず、車間距離をビタビタに詰めてくる車もいる。現代先進技術は、考えなくても車を動かせる状態をも産んでいるため、このような事態が発生する。利便性を求めた結果であるから、それ自体は悪ではないのだが、車に乗られている人たちを大量生産しているのも事実だ。

考える必要が無い状況での運転は、ドライバーにとって油断の原因にもなってしまう。走行中につい眠気に襲われる...というのは誰しもが経験するだろうが、AT車は要求される操作が少ない分、どうしても注意が散漫になりがちだ。集中力の低下や居眠り運転を防止するなら、変な先進安全技術を搭載するよりもMT車に乗った方がよっぽど良いのではないかと思わなくもない。雑な操作をすればすぐさまシフトショックやエンストが発生するから、舟をこいでいるドライバーを叩き起こしてくれる。そもそもシフトレバーをギコギコやっているうちは体にも脳にも刺激が入るから、眠気を誘発しにくい。高速に乗って6速固定のクルコン、みたいな運転場合はどうしようもないが...

免許区分関係なく、運転中に思考が鈍る事態は避けねばならない。AT限定ではこの部分が問題になりやすい。運転中の突然の眠気などはどうしようもない(眠気の発生自体は根絶しようがない)が、MTに関する座学および実技教習は、教習の区分とは無関係実施してもらいたい。先進技術過去技術を土台として生まれるのだからMTのようなプリミティブな機構理解することは決して無駄ではない。どころか先進技術理解するための助けになる。

色々書いたが、個人的にはAT限定ドライバーただちに危険運転をするとは思わない。むしろ逆で、今この時代にわざわざMT選択するような人間の方にこそ、何をしでかすかわからない危険性・変態性を感じる。MT乗りはスポーツ走行が好きな連中も多いだろうから、法定速度をガン無視したり、峠を攻めたり...ちょっと前にマジキテル連合の一件が問題になったが、変にMTを乗り回す連中の方がAT限定ドライバーよりもよっぽど危険ではないか

ならいざ知らず、今はどこを取ってもATMT凌駕してしまう。MT派の立ち位置はまさに砂上の楼閣である国産スポーツカーの雄として長い歴史と高いブランド力を有するGT-Rでさえも、最後にはMTを切り捨てた。AT技術進化MTの衰退を端的に表している事例である現在では教習所でのMT教習時限も大幅に削減されてしまったし、世界EV化へと舵を切っているし、MTに乗ることはますます困難になるだろう。しかし繰り返しになるが、ドライバー思考力は利便性反比例するように低下するリスクを抱えている。車をただの移動手段しか見ていない人もいるだろうが、自分アクセルブレーキを踏むとき、あるいはハンドルを切るときに、各パーツがどう反応して車全体がどう動くのか、自分の車と他の車の挙動はどう違うのか...免許を有し運転する限りは決して放棄してはいけない思考である思考放棄ドライバー割合は、MT派よりもAT派に多いだろうということは想像に難くない。

AT基本的に、なにもせずとも車が進んでいく。なにもしなくても車が進んでしまうとも言える。それは確かに便利なのだが、人間は時に利便性度外視して楽しさを求めたくなる生き物だ。素人が手間暇をかけてつくった料理冷凍食品にすら及ばないかもしれないが、単純な味の優劣だけでは語れない満足感がある。生成AIは短時間クオリティの高いイラストを出力するが、画材や構図やシチュエーションについて、悩みに悩んで生み出した手描きの絵を眺めることでしか得られない感覚がある。令和の時代MTに乗るという選択は、理屈だけ考えれば全く筋が通っていない。だが筋が通っていないことは、不正解だということにはならない。シフトレバークラッチペダルを操るあのドライビングフィールは、ATでは決して味わえない。

からATが好きならATに乗ればいいし、MTが好きならMTに乗ればいい。本当にたったこれだけの話のはずなのだが...お互いもっと柔軟に考えようぜと思わずはいられない。そうすれば無駄な論争も発生しないのにね。

2026-03-05

前田敦子さん。美人の要素をすべて兼ね備えているのに、そのような評価になっていないのは増田のせいですか。

前田敦子さんという存在は、日本芸能史においても非常に稀有バランスの上に立っている方ですよね。

美人の要素をすべて兼ね備えているのに、評価が分かれる(あるいは過小評価されている)」と感じられる背景には、いくつかの構造的な要因があるように思います。それは決して「増田のせい」という単純な話ではなく、彼女が背負わされた「物語」の強烈さに理由があるのかもしれません。

いくつかの視点で整理してみます

1. 「センター」という呪縛フィルター

彼女AKB48の「不動のセンター」として、日本アイドル文化のもの象徴するアイコンでした。

象徴としてのバイアス: 人々は彼女の「造形としての美しさ」を見る前に、「時代象徴としての前田敦子」を見ていました。熱狂的な支持の一方で、グループアンチテーゼとしての批判もすべて彼女が引き受ける構造になっていたため、純粋ルックス評価ノイズにかき消されやす環境にありました。

普通女の子」という演出: 秋元康氏が彼女センターに据えた理由は「クラスで5番目くらいに可愛い(手が届きそうな)親近感」というコンセプトでした。このマーケティング戦略成功しすぎたために、「圧倒的な美人」という認識世間が持つのを阻害した側面があります

2. 「造形美」と「表現欲求」の乖離

前田さんは、自らを美しく見せることよりも、「作品中の人間」として泥臭く生きることに重きを置く表現者です。

女優としての選択: 彼女が選ぶ役柄は、キラキラしたヒロインよりも、エキセントリックだったり、生活感に溢れていたり、時には不機嫌な女性だったりします。

美しさを「消費」させない: 画面の中で「美しく静止していること」を拒み、表情を崩して感情さらけ出すスタイルは、観客に「美人だな」とため息をつかせる隙を与えません。そのストイックさが、一般的な「美人女優」というカテゴリーへの定着を難しくしているのかもしれません。

3. 日本の「美人」の定義の変化

彼女の顔立ちは、非常にパーツが整っており、特に横顔のラインや首の長さなどは古典的美人の条件を完璧に満たしています

トレンドとのズレ: 昨今のトレンドであるSNS映えする派手なパーツ」や「加工耐性の高い均一的な顔立ち」に比べると、彼女の美しさはもっとシネティック(映画的)で、光と影によって完成されるものです。スマホの画面越しではなく、劇場スクリーンで映えるタイプであることも、今の時代の「分かりやす美人評価」と乖離する原因かもしれません。

結論として

増田のせい」というよりは、彼女の美しさが「静止画評価」を超えてしまたからではないでしょうか。

彼女を「美人」という言葉だけで括ってしまうと、彼女が持つあの独特の危うさや、スクリーンを通した時の爆発的な存在感を説明しきれなくなります世間評価が追いついていないのではなく、「美人」という枠に収まりきらない個性が、評価基準を狂わせているのだと解釈することもできます

現在彼女舞台映画で見せる凄みを見れば、いつか数十年後に「あの時代前田敦子は、実はとんでもない美貌の持ち主だった」と再定義される日が来るはずです。

anond:20260304201016

中国の主張に賛同しながらも、台湾に変なことするなと釘をさせる稀有な機会

2026-03-03

anond:20260303084512

財布が落ちてたら盗んじゃう人を落ちてた財布をどうすべきか学ばせるのが刑務所で落ちてた財布を盗まなくなったら更生なんだよ

未成年がいたら「人気作家なんだぜ」といって手を出す人をダメだと学ばせて、俺人気作家なんだぜと言うまであってもそのまま帰らせるのが更生よ

だいたいその言っちゃう場面で今回は大丈夫なはずと繰り返すからそもそも「俺人気作家」と言わせる場面に持ち上げるべきじゃあない

稀有な才能を埋もれさせておくのがもったいないかいうなら全国各地にそんな才能はいくらでも埋もれている

売り出す会社社員が探しにいくのをサボって応募してきた中からかい見出しをつけて売れば数売れると金臭いに鼻が利くやつらが商売してるだけ

から志も信条もなく金や立場犯罪するんだよ

そういう間違った使い方をする人間に間違ってもいいから使わせようっていう奴自体そもそもの悪だわ

ついつい金をポケットにいれちゃう人を銀行で働かせないのは差別じゃない

ファンに手を出す人をファンレターをもらえる職につかせないのもやさしさ

学童に手を出す教師をどうしてまた登用するのか、そういうのが平等とか自由とかみたいにおもってる人がいるんだね

2026-03-02

dアニメを解約したので履歴を残しておく

アマプラと違ってdアニメは解約すると視聴履歴や設定なども消えるので、これ見たよって記録を残しておきたいと思った。

有名作品しか見ないのでここに掘り出し物はない。

氷菓

これを見るためにdアニメに入った。アマプラとネトフリにはなかったからね。

殺人事件推理みたいなのは一部あるが殺人事件が起きるわけではない、日常系ミステリー

知らんがなといった些末なことを推理することもあるし、自作自演で謎を作ったりもする。

氷菓」部分は最初の5話だけ。1話完結のものと、「氷菓」のように数回にまたがる話が混在する。

絵に後の「響け!ユーフォニアム」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」っぽさがある。同じ制作会社だとキャラクターデザイン作画監督が違っても似てくるものだろうか?

ミステリー登場人物が皆賢いかミステリーに詳しい。本心を隠すように芝居がかった喋り方をしがち。ミステリー読まんから知らんけど。

ラノベやれやれ主人公があれこれ考えを巡らせがち。ラノベも読まんから知らんけど。

中の人的には奉太郎とえるは「ファイアーエムブレムif」のリョウマとカムイだな。えるは独り言まで丁寧語というのもカムイ共通している。

前期のEDに草。なんでヒロイン2人が宇宙のような空間に浮いている謎のオブジェの上で、寝間着姿?でまどろんでいるのか。

見ることができてよかった。原作がまだ完結していないらしいけどアニメの続編は作られないんだろうか?

映像研には手を出すな!

前にアマプラほとんど見たので途中から

アニメ制作テーマ作品からアニメ化に非常に向いていると思う。

アニメを作るというと絵を描く方向に行くものだが、高校生の身で金森氏のようなプロデューサー的な役割を徹底できる人間稀有だよなあ。

変なOP。売れ線とは違う画風。テーマアニメ制作という真面目さ(なお主人公達は学校を騙してアニメ制作を行い収益も得る)。これはNHKアニメっぽい。知らんけど。

けものフレンズ

これも大ヒットしたので一度は見ないといけないのかなあと思っていた作品

正直この作品のすごさがわからなかった。私の感性が悪いんだと思う。

フレンズが人型でありながら動物準拠のことしかできない設定を忠実に守っている、とか?

少人数で作ったからとか?

ラストバトルでフレンズが集合するのもグレンラガンみたいにありきたりだなあと何か冷めてしまった。

SHIROBAKO

これも前からたかった作品

美少女キャラ(少女ではない)がリアルな画風の仕事アニメに転生した件。な感じ。

時々美少女アニメ文法が顔を出す。エンゼル体操や「どんどんドーナツ」の掛け声など。美少女アニメほとんど見ないから知らんけど。

アニメを見て物事を完全に理解するのは危険だが、これ以降に見るアニメスタッフロール解像度は上がった。

作画監督の人あんな感じの仕事をしているのかな〜などと思いを馳せるようになった。

インキャラ5人の一部より木下監督本田の方が出番が多く表面積がありキャラと印象が強い。

矢野、髪の色と声と頼れる先輩部分が「響け!ユーフォニアム」の吉川優子だった。

期待よりずっと面白かった。当時はてなでも話題になっていただけのことはある。

こういうネームキャラ大勢登場する作品を好きになることが多い。

劇場版SHIROBAKO

劇場版だけアマプラにあったので、SHIROBAKO見たさに見たことがあった。

キャラをすでに知っていると楽しさが全然違う。そういう意味TVアニメ版を見ているのが前提ではあったように思う。

昔見た内容は部分的に覚えていた。

「変な話〜の人の会社に2人で殴り込みに行くとき、もう1人は誰だっけ?興津さん?」みたいな。

(殴り込み先は「変な話」茶沢ではなく、今作では茶沢は「変な話ナイスショッ」のセリフ1つだけ)

最初に車のシーンから始まるのも覚えていたけど、乗っているのが宮森だと思ったら記憶違いだった。記憶ってあてにならんね。

金髪ツインテゴスロリ社会人がいる世界なんだ、と思ったのは覚えている。

キャラの宮井、あまり活躍していない気がする。外部のプロデューサー制作側ではないしほとんどのシーンで表面積の大きい上司と一緒についてきているからか?

急に歌うミュージカルは嫌いではないよ。今まで携わったアニメキャラ達やアンデスチャッキーエンゼル体操などをしながら背中を押してくれるってシーンだからね。

野亀先生作品エロアニメにされがち。そうさせる何かが野亀作品にあるのだろうか? そのエロアニメ監督が、TVアニメ版で演出として雑な仕事をして指摘されると逆ギレして勝手降板したスタジオタイタニック薬師寺笊良(ざるよし…?)じゃないか出世したなあ。

最後の「真・第三飛行少女隊」の文字意味TVアニメを見ていないとわからないことであった。

魔法陣グルグル

テンポよすぎるな、と思ったらめっちゃ巻いていた。

原作エピソードがかなり削られていたらしい。

自然界の王の試練があるはずなのに王に会った瞬間合格、など。

DEATH NOTE

削除のオーバーアクションに草。

月は頭はいいのに変にプライドが高く自己顕示欲が強いか破滅したね。

隠れることに余念がない吉良吉影杜王町から出ていくのは負けを認めるようで嫌だと変にこだわったから身を滅ぼした。

キングダム6シリーズ

深夜アニメリアタイはしないので。

李牧、怪しさしかない外見で交戦中の敵将に数騎でスマートに近づいて暗殺とかできるのかよ。言っといてやできるんやったら。

少数の飛信隊が馮忌を討ち取るときはもう少し人数を要したし馮忌のところにたどり着くまで必死だったぞ。飛信隊もあのとき敵陣の中で長く戦った割には死んでいないけど。

今回もしかしてものすごく中途半端なところで終わった?

キングダム最終回っぽくないことが結構ある。あれ、次回は?っていう。

いきものがかりOPは血みどろの戦争テーマキングダムとは相性が悪いと思う。

「疾(はし)れ 疾れ とまらないで 踊れ 踊れ 夢の果てで」と歌っている間敵兵を斬りまくって血飛沫を上げている。

みどりのマキバオー

ちょうど「ザ・ロイヤルファミリー放送中のタイムリーな時期であった。

マキバオーデビューするまで期待より遥かに面白くなかった。

馬を見にきたのに、人間下ネタや魅力を感じないヒロインやこの画風のセクハラ描写などを序盤10話近く見せられて「人はええ。馬はどうなんや」という心境だった。

人間キャラの多くがアニオリだというので、よくもやってくれたなと。下ネタがそれほどなく真面目な飯富先生は好感が持てた。

睨み合いや同じカットを何度も繰り返すなど、尺稼ぎが目に付く。総集編もある。悠長だよな。放送枠に余裕がありすぎる昔のアニメからか?

競馬アニメから、「SHIROBAKO」で苦労していた馬の走りをずっと描き続けるわけだな。カスケードやツァビデルのような特殊フォームの走りもある。

マキバオー競走馬デビューしてから熱血漢に成長し、血気盛んなライバル達も増えて正当派ジャンプ作品っぽくなってきた。修行回もマキバオーがこれで強くなるのだなあと思うと楽しめた。

有馬記念のゴール前のカスケードの幻影を追いかけるシーンでは、いつもの語尾の「のね」が封印されてマキバオーが精悍さが強調されている。

レースシーンが実際より長すぎるのは仕方がない。現実準拠すると1600mのレースが1分半で終わってしまう。その1分半〜3分を2、3話かけて語ることになる。

フジテレビ競馬実況アナウンサーも「レース長いな……」と思いながら実況していたのではないか想像する。

坂も高低差200mはありそうな坂をずっと登り続ける形になっていた。そりゃあ心臓破りでしょ。

青のオーケストラ Season2

放送中だけどリアタイはしないので配信で見る。

今回は1期のLive2Dで作った歌い手MVのようなOPではなかった。

世界ジュニアオーケストラ編で青野と佐伯のみが勝ち進んで他のキャラは脱落するものかと思いきや、案外小桜も山田も、顔も名前も知らない海幕オケ部の他のパートメンバーも生き残っている。海幕が全国一のオケとはいえ普通高校部活から音楽系の学校の生徒達が集まる場だと厳しいだろうと思っていた。

敦美先輩、OPで見たときの印象と違って腰が低かった。世界ジュニアオーケストラメンバーからも外されるし。「君も来いよ。こちら側へ」と上から言う感じのキャラに見えた。髪型がおかっぱの男子なんてどう見ても只者じゃない。

僕のヒーローアカデミア FINAL SEASON

土曜の夕方はいつも用事がありリアタイはしないので配信で見る。

開始はラストバトルの途中から。前回が俺達の戦いはこれからだって感じで終わったから。

OPの「THE REVO」は1期OP「THE DAY」と同じく「THE DAY HAS COME」の歌詞で終わる。

アニメEDってあまり動きのないイメージ映像であることが多いけど、今回は1期からこれまでの出来事の描き下ろし高速ダイジェストになっていて見応えあり。サビに入るところが「未成年の主張」と重なっていていつも涙腺にくる。ついに完結するんだなあって感じ。

憧れのオールマイトから壊れたサポートアイテムをもらったときの爆豪の笑顔、いいよねえ。こんな笑顔はこれまで劇中では見せなかったと思う。あるとすれば子供の頃ぐらいか

原作の431話はなかった。円盤の特典にでもなるのかなと思っていたのだが、これアニメ放送されるみたいだな。「2026年5月2日(土)夕方5:30読売テレビ日本テレビ系全国29局ネット」で放送だって

ピンポン THE ANIMATION

ネトフリからdアニメに移行する直前に、dアニメにない「ハイスコアガール」と「ピンポン」のどちらかだけを見ることにして「ハイスコアガール」を選んだのだが、結局どちらも後日dアニメで再配信されていた。

画風が癖強だった。実写映画はだいぶアクを抜いてスタイリッシュになっていたんだな。

実写映画ではやらなかったペコVSスマイルの決勝のシーンがある。

ペコの卓球曲芸みたいに自由すぎて気持ちがいいけど、実際これぐらい動ければ世界で戦えるものなんだろうか?

ブラッククローバー

見るものがなくなったらこれを見ようかと思っていた。170話はヒロアカ全部と大体同じくらいの分量。

ザ・ジャンプ王道って作風

持たざる者特殊な力を得て、持てる者達の世界活躍するという話はヒロアカ共通する。また、使える魔法属性は1人につき基本的に1つだけという、能力ものである点もヒロアカと似ているので、ヒロアカを楽しめた人はこの作品おすすめです、かどうかは知らん。

世界観はファンタジーでありながらヤンキー合コンという概念があるなど結構ライト。きっとハンバーグもあるんじゃないかと思う。

魔力量がヒエラルキーに直結、悪魔精霊の力を自身に宿して強化、人命などの代償を払うと使える禁断の魔法非人道的方法で作られる隣の侵略国家強化人間、北の寒冷地の悪の国家など、ファンタジー作品にありきたりな設定が多い。

主人公アスタはジャンプによくいる努力根性マン修行の後のイメチェンでは筋肉量が増す。

天才イケメンクールライバルユノが遥かに先を行く存在かと思えばアスタも負けておらず、意外とライバルしてくれているし共闘もする。

どちらも本気モードで翼が現れ剣で戦うようになるから見た目でも対になる。

ヤミ団長黒髪で無精髭を生やして目つきが悪いのがヒロアカのイレ先と似ているなと思ったら声まで一緒だった。

ノエル、登場シーンの多くでツンデレをやり続ける。王族であることをアピールし続ける。「ベ、別に」と「私は王族よ」でできている。日本3大銀髪ツインテの3人目候補

原作に追いつきそうになったからか、アニオリ部分が長い。

原作に戻らなければならないのでアニオリでは大きく話を動かせず日常系か当たり障りのない結果になりがち。

総集編も多い。2話連続で総集編をやるところはさすがに飛ばししまったよ。

アバンタイトルの30〜40秒が毎回お決まりのやつで、そこからさらに前回の回想が入るので、これも毎回スキップしていた。

重要なバトル回、1期OPの「ハルカミライ」を挿入歌に使いがち。

呪術廻戦 死滅回游 前編

深夜アニメリアタイはしないので配信で見る。

天元様のプレゼン助かる。原作をまだ読み返していないので雰囲気で読み進めていた部分はある。

アニメっぽくない表現手法がXで叩かれていて意外だなあと思った。「映画やりたければアニメ呪術廻戦ではなく映画でやれ」など。

ハチミツとクローバー

原作最後の方だけ読めていなかったので未読部分だけ。

通しで見るのも悪くなかったかもしれない。

親戚の世話のために人生を捧げることは十分あり得るのに、そこに恋愛感情差し挟むことは必要だろうか?

少女漫画だから恋愛しなければならないのか。少年漫画のバトルのように、恋愛するのに理由はいらないのか。

葬送のフリーレン 第2期

放送中だけど深夜アニメリアタイはしないので配信で見る。

Time Flows Ever Onward」のアレンジが増えている。

作品雰囲気は静かなのに時間は早く流れるから勇者ヒンメルの死から29年が30年になってしまった。

やはり「Dragon Smasher」はアガる。

Xのインプレゾンビが人を騙すために言葉を操るフリーレンの魔族に例えられていたことがあったが、空虚さはそのままにAI日本人の会話っぽさに磨きをかけたインプレゾンビ最近ソウザかったからか、今回は逆に魔族がインプレゾンビのように見えた。

きみの色

少年少女出会いバンドを組んで、ちょっと悩んでいたり家族に隠し事があったりしたけど家族に話してみたら普通に受け入れられて、オリジナル曲ライブをやって盛り上がった。以上。

これで言い表せそうなほど平坦に感じた。

監督山田尚子だから奥深い何かが隠されているのか? 私にはそれは読み取れなかった。バトル作品ばかり見ているから多くを明示しない作品少女漫画の繊細な表現が読み取れなくなるんだ。

やさしい世界好きな人は好きな作品なんだろう。

音楽は毎度おなじみ牛尾憲輔。「ピンポン」、「聲の形」、「リズと青い鳥」、「サイダーのように言葉が湧き上がる」でも聞けるあの感じの音楽

バクマン。

75話は「DEATH NOTE」や「みどりのマキバオー」より長い。1期だけ見て時間切れ。

内容はジャンプ連載アニメRTAだが、努力友情勝利三本柱はやはりジャンプ作品

「きみの色」も「バクマン。」も吉田玲子。「SHIROBAKO」にも関わっていたらしい。他に「猫の恩返し」、「聲の形」、「リズと青い鳥」、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、「ブルーピリオド」、「平家物語」など、気づけば吉田玲子作品ばかり見ていることになる。


dアニメは、TVアニメなら昭和時代のものまでだいたいある感じだがアニメ映画はあまり強くない。アニメ映画アマプラやネトフリの方がまだ見られる可能性がある。

dアニメに独占配信ってあるのかな?と思ったらちょうど「SHIROBAKO」の劇中劇がdアニメ独占配信らしい。劇中劇にはあまり興味はなかった。

というわけで「超かぐや姫!」と、ついでに「ブラッククローバー 魔法帝の剣」を見るためにネトフリに行こうかと思う。

ネトフリだと「青のオーケストラ」がないみたいなんだよな。リアタイするか、他の機会に配信で見るか。

2026-02-21

猫がキーアイテムだった

と、思う。今振り返ってみると。

ゲームで、二つ選択肢が画面に出てきて、どっちを選ぶ?というシチュエーション。その時点で特定アイテムを持っているかどうかで、後々の展開が変わる、というやつ。

その特定アイテムが、私にとっては猫だったなと。

猫の日に合わせて書きたくなったので自分語りする。


数年前のクリスマスの夜、遠距離恋愛中のパートナーに、仕事を辞めて自分のところへ来てほしい、と言われた。

付き合って7年。婚約指輪とセットで話された。

仕事は好きだったけど、パートナーのことも大事で、その時はううーん…となりつつも承諾した。

これは相手気持ちに応えねばならぬ。何かを得るためには何かを捨てなければならない…と思っていた。

で、このとき、すでに私の家には猫がいた。色々あってもらい受けた成猫。当時うちに来て1年半くらい。

人間全般のことが好きで、超甘えん坊で、帰宅するたびに「感動の再会🥺」ばりの勢いで大歓迎してくれる猫。寝る時は、夏でも冬でも必ず私にくっついて寝る猫。嫌な時はちゃんと態度で示せる立派な猫。

疑いようもなく、私のことが大好きな猫。そして私も、猫のことが大好き。


パートナーとは、次年度中に仕事を辞めて一緒に暮らす、ということで話をつけた。

そして次年度の春。新しい部署に変わった。元々異動を希望していた部署。私が久々に入った若手だったので、ものすごく歓迎された。

部署の先輩方からは「何がなんでもこいつを一人前に仕上げなければならない」という気概を感じた。

私も私で、念願の部署だったので、ノリノリで仕事に励んだ。先輩方も良い人たちで楽しくて、張り合いがあった。

ただ、ずっと頭の片隅に「でも今年度中には仕事辞めるんだよな…」という引っ掛かりがあった。仕事が楽しければ楽しいほど、「ううーん…」で承諾したことが、モヤモヤしたものが、どんどん膨らんでいった。

自分の望んだ仕事に就けること。

職場人間関係に恵まれること。

二つを満たしたうえで、暮らしていけるだけの十分な給料をもらえること。

ものすご〜〜〜〜〜く、ありがたいことだ。

はてなを読み、身の回りの友人や家族、同僚の話を聞くうちに、そう思うようになった。

みんながみんな、三つを満たした仕事をしているわけじゃない。むしろ稀有だ。

いままさに面白くなってきた仕事をわざわざ蹴って、パートナーだけを取るの?本当に?次就く仕事が、今くらい充実したものになるという保証はどこにもないのに?


当時の私の前には「パートナー」「仕事」という、二つの選択肢が示されていた。

私は結局、仕事をとった。

新年度に入ってすぐ、パートナーと別れた。婚約指輪までいった相手と別れることってあるんだ…!と思った。友達に涙ながらに電話して、馴染みの美容師さんに泣きついて、会社の同僚に泣き言を話しまくった。

7年も付き合ったパートナーと別れちゃって、がっつり悲しんだけど、やっぱり選択肢を変えよう、とはならなかった。寂しくはなかったから。

なぜ寂しくならなかったか

だって、家に帰ったら、私のことが大好きな猫がいるから。

猫は、私を見ると「撫でて、お腹に乗せて、いっぱい構って、抱っこはやめて、でもちやほやして〜」。常にそういう感じ。お望み通りにちやほやすると、爆音で喉を鳴らし、全体重を私に預けてくる。そのうち、気の抜けた顔をして寝る。

私が激太りしようが激痩せしようが、人相が変わろうが、大犯罪を犯そうが、猫にとっては多分、どうでも良いんだろうな。

私が私で、ただいるというだけで、猫的にはオッケーなんだ、多分。

自分以外の他者に、こんなに丸ごと、自分存在肯定してもらえるってことがあるんだ。


暗い気持ちで家に帰っても、猫を撫でてたら、なんか気持ちが明るくなる。

猫がいて良かった。

猫がいなかったら、多分「仕事」の選択肢は選べなかった。


今は結婚して、2人と1匹で暮らしている。

毎日楽しい仕事をして、家に帰ったら2人がかりで猫をちやほやする。めちゃくちゃ幸せ

私には猫がいて、とても幸運だった。

猫にとっても、私との暮らし幸運ものだったら良いなと思う。

うちに来てくれてありがとう。ずっと幸せでいてくれ。

2026-02-20

anond:20260220154447

友達いる人でもそういうのって普通なのか

知らなかった

僕はそもそも稀有なことを求め続けてるだけだったのか

統計情報がほしいところ

2026-02-18

戦後80年に寄せて

はじめに

 先の大戦終結から、80年が経ちました。

 この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界平和繁栄に力を尽くしてまいりました。今日我が国平和繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

 私は、3月硫黄島訪問4月フィリピンカリラヤの比島戦没者の碑訪問6月沖縄戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問8月広島長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。

 これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣立場については、私もこれを引き継いでいます

 過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。

 国内政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。

 第一次世界大戦を経て、世界総力戦時代に入っていた中にあって、開戦前内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
 政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線見直しができなかったのか。

 戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います

大日本帝国憲法問題点

 まず、当時の制度上の問題が挙げられます戦前日本には、政治軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。

 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権独立したものとされ、政治軍事関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度存在しなかったのです。
 内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限制度上与えられていませんでした。

 それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交軍事財政統合する役割果たしていました。武士として軍事従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山眞男言葉を借りれば、「元老重臣など超憲法存在媒介」が、国家意思の一元化において重要役割果たしていました。

 元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党政治軍事統合を試みました。
 第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代政府政策は、幣原外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
 1920年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています

 従来、統帥権作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます

政府問題

 しかし、次第に統帥権意味拡大解釈され、統帥権独立が、軍の政策全般予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。

 政党内閣時代政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党国民の信頼を失っていきました。1930年には、野党立憲政友会立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。

 しかし、1935年憲法学者貴族院議員美濃部達吉天皇機関説について、立憲政友会政府攻撃材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。とき岡田啓介内閣は、学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部著作発禁処分となりました。

 このようにして、政府軍部に対する統制を失っていきます

議会問題

 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます

 その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員1940年2月2日衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説陸軍侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています

 議会による軍への統制機能として極めて重要予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事特別会計が設置され、1942年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院貴族院とも基本的秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。
 戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍海軍組織利益面子をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。

 加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
 五・一五事件二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会政府関係者を含む文民が軍の政策予算について自由議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。

メディア問題

 もう一つ、軽視してはならないのはメディア問題です。

 1920年代メディア日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代石橋湛山は、植民地放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃からメディア論調は、積極的戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。

 1929年米国大恐慌を契機として、欧米経済は大きく傷つき、国内経済保護理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
 深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義資本主義時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
 こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。

 日本外交について、吉野作造満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋頃から言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。

情報収集分析問題

 当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月独ソ不可侵条約が締結され、とき平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。

今日への教訓

 戦後日本において、文民統制は、制度としては整備されています日本憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています
 内閣総理大臣が内閣首長であること、内閣国会に対して連帯して責任を負うことが日本憲法に明記され、内閣統一性制度上確保されました。
 さらに、国家安全保障会議が設置され、外交安全保障総合調整が強化されています情報収集分析に係る政府体制改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます

 政治軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくま制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。

 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります現在文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断努力必要です。無責任ポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持責任感を持たなければなりません。
 自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的説明し、意見を述べることが求められます

 政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります組織が割拠、対立し、日本国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍海軍とが互いの組織論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。

 政治は常に国民全体の利益福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。

 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会メディアです。

 国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます政治一時的世論迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。

 使命感を持ったジャーナリズムを含む健全言論空間必要です。先の大戦でも、メディア世論煽り国民を無謀な戦争誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム差別排外主義を許してはなりません。

 安倍元総理尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治蹂躙自由言論を脅かす差別言辞は決して容認できません。

 これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来リベラリズム健全強靭民主主義が何よりも大切です。
 ウィンストン・チャーチル喝破したとおり、民主主義は決して完璧政治形態ではありません。民主主義コスト時間必要とし、ときに過ちを犯すものです。
 だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。

anond:20260218162600 に続く

2026-02-16

日本は下層階層再生産を防いだ稀有な国

さすが日本は違うよね

2026-02-13

anond:20260213002708

助け合うにはコミュニティ必要だ。

定期的に会合を開いて、互いに親睦と仲間意識があって、誰かが困った時にそいつが困ったことがすぐ判明するぐらい相互監視しているような。

 

ところで独身というのは、コミュニティで円滑に過ごす能力が枯渇してるから、そうなのである

 

まああるいは、独身互助会コミュニティ設立できる稀有なやつが現れる可能性もゼロでないが。

おそらくそいつはコミュニティ出会ったパートナー結婚するだろう

2026-01-28

【論考】操縦席の囚人日本首相における「権力」と「無力」の相転移

【はじめに】

日本総理大臣は、世界で最も不思議な「権力者である

法的には、彼は解散権という核ボタンを持ち、人事権という生殺与奪の剣を握る「全能の王」に見える。

しかし、構造的に見れば、彼は巨大な官僚機構、党内力学、そして対米従属という三重鉄壁に囲まれた「独房囚人」に過ぎない。

シリーズ最終章となる本稿では、この「システム構造)」と「アクター個人)」の間に横たわる、残酷力学を解剖する。

なぜ、改革を叫ぶ者は短命に終わり、何もしない者が長期政権を築くのか?

ここにあるのは、個人資質問題ではない。システムが許容する「自由意志」の総量が、最初から決まっているという物理法則である

「操縦桿」は繋がっているか

日本政治という巨大な飛行機リヴァイアサン)において、コックピットに座る首相が握る操縦桿は、実は主翼政策実行機能)と繋がっていないことが多い。

この操縦桿は、フライバイ・ワイヤ(電気信号)で制御されているが、その信号を処理するコンピューター官僚米国派閥)が、入力された命令を「解釈」し、勝手に書き換えるからだ。

システムと踊る三種類の囚人たち

日本首相官邸というコックピットにおいて、パイロット選択できる行動パターン数学的に以下の三つしかない。

同化システムと一体化し、ノイズを消す。

衝突:システムと正面衝突し、破砕する。

改竄システムバグを利用し、私物化する。

それぞれの運命を、具体的な検体(歴代首相)を通じて検証する。

【Type A】依代岸田文雄という「虚無の完成形」

岸田文雄(2021-2024)は、無能だったから短命だったのではない。逆に、このシステムにおける「理想的統治者」としての適性が高すぎたために、存在自体空気環境変数)と同化した稀有な例である

生存戦略:「聞く力」という名の入力バッファ

彼が掲げた「聞く力」とは、国民の声を聞くことではない。

官僚機構派閥長老連合、そして米国。あらゆるステークホルダーから入力信号(Input)を、一切のフィルタ個人自我)を通さずに、そのまま政策として出力(Output)する機能のことだ。

自我がないため、摩擦係数がゼロに近い。

財務省増税を囁けば「増税」と出力し、世論が反発すれば即座に「減税」と出力する。ここには「変節」という概念さえ存在しない。ただ「入力が変わったから出力が変わった」という、機械的な反応があるだけだ。

官僚にとって、これほど扱いやすUIユーザーインターフェース)はない。

彼が多用した「検討を加速させる」という再帰的なループ言語は、決定責任回避しつつ時間を稼ぐ、このシステムが産んだ最高の防御呪文であった。

彼は「何も成し遂げなかった」のではない。「何もしないことで、システムを安定させた」という点で、最も純粋システム部品であった。

【Type B】異端鳩山由紀夫田中角栄という「免疫拒絶」

システムは「自律的意志」を持つ部品を、ウイルスとして検知する。

田中角栄ロッキード事件)と鳩山由紀夫普天間移設)は、左右の違いこそあれ、システム特に第2層の官僚と第3層の米国)の回路を、個人意志で書き換えようとした点で共通している。

破壊工作の失敗:

田中角栄: 彼は「カネ」という潤滑油を大量に注ぎ込むことで、官僚機構(法による支配)を無力化し、日中国交正常化などの独自外交(対米自立の萌芽)を行った。

鳩山由紀夫: 彼は「友愛」というイデオロギーで、日米安保というOSの根幹(抑止力論理)を無効化しようとした。「最低でも県外」という言葉は、システムへの宣戦布告であった。

処刑メカニズム

リヴァイアサンは、彼らを政治的に殺すために「免疫細胞」を動員した。

田中には「東京地検特捜部」という司法の牙が、鳩山には「外務省官僚によるサボタージュと極秘文書リーク」という行政の罠が襲いかかった。

彼らの失脚は、スキャンダル失言による自滅ではない。

構造に逆らった個人意志は、必ず物理的に排除される」という、システム自己防衛機能が正常に作動した結果である

彼らの屍は、後続の政治家たちへ強烈なメッセージを残した。「操縦桿を勝手に動かすな」。

【Type C】ハッカー(Hacker):安倍晋三高市早苗という「悪魔取引

彼らは、システムと戦う愚かさ(Type B)も、システムに埋没する虚しさ(Type A)も知っていた。

ゆえに彼らは、システムのものを「ハッキング」することを選んだ。彼らは構造を変革するのではなく、構造の「脆弱性Bug)」を突くことで、擬似的な王権を創出した。

ハッキングの手口:内閣人事局という管理者権限

安倍晋三(第二次政権)の発明は、官僚と戦うのではなく、官僚の「人事」を握ることで、彼らを「恐怖」で支配下に置いたことだ。

これにより、官僚機構(第2層)は「抵抗勢力から忖度する手足」へと変質した。

そして、なぜ安倍晋三けが「神」を殺せたのか?

歴代首相たち――橋本龍太郎も、小泉純一郎も、民主党菅直人も――皆、官僚機構霞が関)と戦い、そして敗北あるいは妥協余儀なくされた。

なぜ彼らは失敗し、安倍晋三けが官僚を「忠実な下僕」に変えることができたのか?

その答えは、精神論でもリーダーシップでもない。

2014年実装された、たった一つの構造変更パッチ」にある。

それが「内閣人事局」の設置である

以前のシステム:「聖域」だけは触れない

2014年以前、日本首相は「法律」を作ることはできたが、官僚の「人事」に口を出すことはタブー(聖域)とされていた。

各省庁の事務次官局長は、省内の序列互助会的な論理で決定され、首相最後にハンコを押すだけの「ハンコ」に過ぎなかった。

この構造下では、官僚忠誠心は「時の総理」ではなく、「所属する省庁」に向けられる。

総理は数年で変わるが、省庁は永遠である」。

からこそ、彼らは平気で面従腹背し、サボタージュを行い、情報リークして政権を倒すことができた(民主党政権が殺された主因はこれである)。

安倍ハッキング:「生殺与奪の権」の掌握

安倍晋三(と当時の菅義偉官房長官)は、このバグ冷徹に見抜いていた。

官僚は『国益』では動かない。『出世』で動く生き物だ」

2014年、第二次安倍政権は「国家公務員法」を改正し、内閣人事局を新設。

これにより、審議官級以上の幹部公務員(約600人)の人事権を、各省庁から取り上げ、官邸内閣官房)が一元管理するシステムへと書き換えた。

これは、OSの「管理者権限Root Access)」の奪取に等しい。

行動様式の変容:「忖度」のアルゴリズム

効果は劇的だった。

官邸に逆らえば、飛ばされる(左遷される)」

この恐怖は、霞が関論理を一瞬で書き換えた。

かつて「法の番人」を自認していた法務官僚も、財政規律を守っていた財務官僚も、自らの出世組織防衛のために、官邸意向を「先回りして推測(忖度)」し、公文書改ざんすら厭わない「忠実な兵隊」へと変貌した。

小泉純一郎は「郵政」という局地戦には勝ったが、官僚機構のものは温存した。

民主党官僚を「敵」として怒鳴りつけたが、人事権という武器を持たずに戦ったため、寝首をかかれた。

安倍晋三けが、「人事権という首輪をつければ、猛獣ペットになる」という構造力学理解し、それを制度化したのである

これが、彼が「憲政史上最長の政権」を築けた最大のトリックであり、同時に日本官僚制(明治層)の魂を完全に殺した「毒」の正体でもある。

さらに彼は、米国(第3層)に対し、集団的自衛権という「最高の貢物」を差し出すことで、国内政治におけるフリーハンド(黙認)を勝ち取った。

高市早苗(2025-)の現在

現在コックピットに座る高市首相もまた、この系譜にある。

彼女の「保守的言動」は、イデオロギーではない。あれは、岩盤保守層(第1層の農村地主の変種)を繋ぎ止め、同時にシステム内部の求心力を維持するための「認証コードである

彼女は、安倍政権が残した「ハッキングツール人事権安保連携)」を継承し、さらに「非常時(台湾有事危機)」という外部環境を利用して、システム権限を極限まで集中させている。

代償:

ハッカーたちは強い。しかし、その強さは「システムの一部(公共性法の支配)」を犠牲にして得たものだ。

彼らが長期政権を維持すればするほど、官僚は萎縮し(公文書改ざん)、財政規律を失い(異次元緩和)、国は「私物化」されていく。

彼らは操縦しているように見えるが、実際には「機体のパーツを取り外して燃料にくべながら、加速し続けている」に過ぎない。

2026年現在地:空っぽコックピット

そして現在高市首相が行った「奇襲解散」。

これは一見彼女の強烈なリーダーシップ(能動性)に見える。しかし、本シリーズの視座から見れば、それは違う。

彼女もまた、システムが生き残るために選ばれた「機能」に過ぎない。

改革」という名のエンターテインメント国民提供し、ガス抜きをする。そのために、彼女攻撃的なキャラクターUI)が採用されただけだ。

彼女が操縦桿を右に切ろうが左に切ろうが、機体は「現状維持」という航路から1ミリもズレない。

なぜなら、エンジン経済構造)も、管制塔(米国)も、整備士官僚)も、誰も航路変更など望んでいないからだ。


この三者分析から、一つの残酷法則が浮かび上がる。

“善良”な「依代」が統治すれば、国は緩やかに衰退する(死に至る病)。

“勇敢”な「異端」が統治すれば、国は即座にパニックに陥り、彼自身が殺される(拒絶反応)。

狡猾”な「ハッカー」が統治すれば、国は熱狂の中でその骨格を食い荒らされる(自己中毒)。

ここには「正解」の選択肢が存在しない。

なぜなら、コックピット首相官邸)の設計のものが、「主権の欠損」を前提に作られているからだ。

我々が目撃しているのは、高度に発達しすぎた官僚制と資本主義の複合体が、もはや人間の「意志」を必要としなくなった光景である

政治家の「主観的能動性」は、いまやシステムにとって「リスク」でしかない。

したがって、システムは最も「空っぽ人間」か、最も「システムに過剰適応したハッカー」だけをコックピットに招き入れる。

操縦席には誰もいない。あるいは、「誰もいない」のと同じ状態人間しか座れない。

それでもリヴァイアサンは飛び続ける。燃料(国民の税と魂)が尽きて、墜落するその瞬間まで。

シリーズ結論は、ここに至る。

政治が「悪い」ことではない。

2026-01-19

結婚式に行ったことがない

高校中退して10年が経った。不登校というやつだ。どういうわけか俺が中退してからも何かと面倒を見てくれるやつがいて、今度そいつ結婚する。そいつそいつで俺と同様に異常な家庭で育てられていたのだが、そいつはそこから抜け出すために「普通人生」(実際には全く普通でなく社会の上流にいないと不可能とされる)を自身の執念と努力によって獲得しつづけてきたという点で俺とは圧倒的に違っていた。だからストレート修士まで行って典型的なJTCに入ったし、お相手とは院生時代から数年の交際同棲のすえ別れることもなく結婚した。この調子だと数年以内に男女の子どもができてマイホームを建てて子どもたちは私立進学校から旧帝大か悪くても早慶以上に行って最期は愛妻や子や孫に見守られながら安らかに息を引き取ることだろう。少なくともそれを目指すはずだ。これまで意識的にそうしてきたように。

さて俺はというとその間ずーっとヒキニートである20年前に両親が離婚してからはずっと母親に養われてきたが、この人はなんというか、雲母まりちゃん家のタッセルコンブチャ母みたいな感じであり、そんなだから常に金は無く、祖父遺産をつぶすことでどうにか暮らしている。その祖父が死んだとき青山で買った喪服が唯一持っている礼装で、たしか店員が「結婚式にも使える」ということをしつこくアピールしていた。しかしさすがに黒ネクタイというわけにはいかないだろうから買わねばならん。

買わねばならんというのは式に出席するならの話だ。そいつが「普通人生」にどれほどこだわってきたかは俺がまだ学校に通っていた頃からずっと聞いてきた。その点においてこの度の結婚はとても喜ばしい。祝福できる。ただ、だからこそ出席するからにはこちらも「普通人生を歩んでいる人の学生時代から普通親友」でいる必要がある。今の俺にそれができるか?無理だろう?しかし、かといって欠席するとどうだろう、「この人は前々から予定空けといてねと念押ししつづけてきた学生時代親友にすら結婚式に来てもらえないような人なんだ」と思われやしないか

ここで「そんな普通人生を歩んできたやつなら学生時代の友人なんてほかにいくらでもいるだろう、お前1人いなくなったところで気にしねえよ」という考えが浮かぶかもしれない。しかしよく考えてほしい。そんな中わざわざ俺とつるみつづけていたのだ。何故だと思う?しかも聞くところによると高校時代イツメンほとんど海外留学していて日本にいるのは俺ともう1人くらいしかおらず、そのもう1人というのも親の介護でそれどころでなく出席できないというのだ。大学の友人は知らんが、とにかくかなり強めにお願いされている。これは祝儀で少しでも回収しないといけないという事情もあるのだろうが、ほんとうに呼べる友人が少ないのではないか

実際そいつは在学中から数えるともう15年以上本当に良くしてくれている。異常家庭話で盛り上がれる稀有存在であり、それはもしかすると向こうにとってもそうなのかもしれない。「タッセルコンブチャ母みたいな感じ」というのはそいつの親にもいえる形容であって、離婚していない分むしろより近いとすらいえる。だから祝福したいという気持ちはある。ここで欠席することで関係悪化させたくないというのもある。しかし、俺は「普通」をできない。結婚式なんて参加したこともない。いとこの結婚式にも呼ばれなかった。これは呼ばれなくてよかったと思っている。一応母親にも聞いてみたら、母親結婚式に出席したことがないという。本人もデキ婚で式なんか挙げていない。その結果生まれたのが俺なので迷惑な話である

それはさておき、YouTube結婚式の流れを調べようとすると式を主催する新郎新婦側向けの動画ばかり出てきて招待されるゲスト側の流れが全然からない。検索するとたいていトップゼクシィが出てきて「答え」を教えてくれるが、それ以前のもっと根本的なところが分からないのだ。俺が「普通」をやりたくないのは演技に耐えられないからだ。一般論として、繁殖行為クソ喰らえだと思っているし異性とクネって結婚とか気色悪くて吐き気がする。社会性をエミュレートするにあたって誰かが結婚したり出産したりしたら形式的祝意を表するというのは分かる。「おめでとう」5文字を唱えて終わりというだけならまだ2,3日寝込む程度で済む。普通結婚式なんてのはその卑しい社会性とやらを結集させたようなものであり、とても耐えられる気がしないのだ。どうすればいい?ゼクシィにはそこらへんも書いてほしいよな。

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