はてなキーワード: 指南とは
私は、「え〜残してもいいんじゃないの」と思っている。結論として、上品フェミニン服の他に、パンツスタイルを入れるとか、クール系の顔立ちでも似合うようなシンプルな服を載せれば良かったのでは。指南自体を削除すべきではない。
思っていることをつらつら書く。
最近になって、「多様性」とか「自己表現」という単語が目立つようになってきた。
(論点のすり替えと言われるかもしれないが)就活でもそうだ。ビジネススーツではなく、ビジネスカジュアル、なんなら私服で良いと言われることもある。
ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツ、伸び切ってボサボサの髪で面接に登場するのはどうだろう。「これが盛ってない僕の自己表現です!」ということだ。
私は採用活動もやったことがあって色々な学生に会って来たが、「自己管理ができていない」「相手からどう見られるか意識できない」と判断してしまう。せめて髪は洗ってブラシでとかしてから来いよ…採用側は弊社のブランドを傷つけないよう、ベルトボロボロになってるから買い換えようとか、靴磨いておこうとか、それなりに気を遣うので、「こっちに失礼だと思わんのかね」と思うこともある。これが多様性の時代なのか。
ボロボロジーンズ君の中身が最高の技術者であったとしても、弊社製品が不具合起こして客先に謝罪する時には間違っても出せない。うちの会社の看板背負わせて大丈夫かな?と考えてしまう。最近はそういう、「会社の看板」という考えが古臭いのかもしれない。でも逮捕された時にはニュースに会社名出ますよね?
(一方で入社したときはリクルートスーツだったはずなのに、ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツで出社してくる入社25年目オジサンもいる。今回は議論対象から外したい)
ちょっとググって、就活サイトやらスーツ屋さんが出しているビジネススーツの着方を読んでシャツをズボンの中に入れたり、ネクタイを緩めず締めたり、爪を短く切ったり、と基本をおさえて来てくれたら、面接0秒目にNGを出すことはない。結局、見た目が良くても、面接で大事なのは内容だが、その第一歩に入れてないよという学生もいる。
リクルートスーツは中古で買ったりお下がりでもらったり、安いのだと2-3万円くらいでも買えるし、そこで9割の会社の0次面接を突破できるなら確実だし安いくらいじゃないの?と思う。そのくらいの情報収集ができる学生に来て欲しいなあ…
就活から婚活に話を戻すと、リクルートスーツほどルールがないのが婚活だと思う。
自分も婚活市場に居たことがある。マッチングアプリ中心にやっていたからか、実際会ってみると、とんでもない逸材ばかりだった。清潔感(髪に気を遣え、爪をととのえろ)を意識させたりという指南がなかなかないのか?ちょっとググって、何を着たらいいのか、髪を前日に洗った方がいいよとか、おさえてきてほしかった。楽しそうに色々な話をしてくれたが、相手のパスタの上に降りかかるフケが気になって話に集中できなかった。
〇〇県が指南を出してくれていたのはありがたい。自治体だし、9割の人が好印象をもつためにはどうしたらいいか?を書いてればいいんじゃないの。ニッチな趣味や「素の姿」は2回目以降会うときにお互い出してください。でも、指南書に出す清楚系ふわふわフェミニンだから怒られちゃったんじゃないの。「キュート」ならこれ「クール」ならこれ「フェミニン」ならこれって6種類だっけ?出したら喜ばれるんじゃ。
間違っても制服コスや着ぐるみで来ないでねと書かないと、最近は「自己表現」する人がいるので。
男性側もそれなりに気を遣って来るはずなので、相手に失礼だと思わんのかね。
「この人はちょっとググることもできないの?」「この人は集団行動ができない人なのでは?」と相手に思わせる行動が、ビジネスの面でも、婚活の面でもプラスに働くのかマイナスに働くのかよく考えて欲しい。
本日逝去の報せがあった村山氏だが、自社さ連立政権の成立により突如首相の座に登る事になった。
ところが周囲は賛意を送りながら頭を抱えてしまった。村山氏はロクな服を持っていなかったのだ。
背広(スーツでなく)の肘は伸びて出、ズボン(パンツでなく)は生地が薄くなって穴が開いた箇所をパッチと裏あてで繕ってあり新品のラインは無くなりオールドジーンズのようなラインになっていた。シャツも昭和中期の商店街の洋品店で買ったようなワイシャツ(襟が大きくて開いてるデザイン)で、やはり袖口や襟元がボロボロ。
要するに昭和の古い社会主義者そのままの出で立ちであった。しかも家にある予備も全部同じ状態。
「世界一貧しい大統領」と呼ばれたウルグアイのホセ・ムヒカとそっくりだ。因みにホセ・ムヒカ氏も今年に亡くなっている。
それで、労働者や弱者の為の政治する社会主義者としてならそれも良いかもしれないが、日本の首相としてはかなりマズイ。洋服の青山に行って「どのような場面での服をお探しですか?」「今度首相をする事になりまして」と言う訳にもいかない。しかも総理の親任式では天皇陛下の前に立たねばならないのだ。
という事でスタイリストとファッションコーディネーターが付くことになったのだ。大急ぎで身の丈計って服を数セット揃え、美容(と言っても洗顔方や調髪に関して程度だが)の指南などをする人が付くことになった。
こういう職業人をいきなり探すというのも難しいので、どうも自民党関係者が紹介したらしい。
村山氏の総理在職時の写真を見ると、かなり服装はシャキッとしているし、ネクタイもTPOに合せてコンベンショナルなガラ、カジュアルなガラと使い分けている。しかもネクタイの結び目も細い(昭和は結び目が太くなる結び方が一般的だった。昭和オヤジの襟が広い&デカい結び目は民民の玉木代表を参照のこと)。
それら全ては派遣されたコーディネーターらが指定した通りのものを着用した為であったのだ。
ただ、この人らは付き人のようにずっとそばにいるんじゃなくて、最初につきっきりで服装指導やスーツの購入をしたら、状況別の服の組み合わせを置いて行って何か特別なことが無い限りは来ないという風にしたそうである。
総理退任後の写真を見ても結構シャキッとした服装をしているので、服装のセンスは総理経験で上昇したようである。
ついでに言うと、高市氏はタレント出身なのに化粧が変なことがよくある。コンベンショナルな化粧じゃなくて変な色のリップを塗ったり、フラッシュを焚かれる仕事なのにUVファンデを厚塗りしてきて顔が真っ白く飛んだ写真が新聞に載ったりとメイクの基礎がおかしい事があるのだ。肌の黒ずみを気にしているようなのだが。多分だが、年を重ねて若い時のメイクが通用しなくなっているのだと思う。
リターンか入金力のどちらかが相当高くないと成立しない。
例えば、毎月10万円を積み立てても、年利7%なら7年後は約1,000万円。
つまり、元本が数千万円規模か、あるいは年15〜20%の利回りを継続している計算になる。
「普通の会社員」としては、ややスピード感が現実離れしている。
「2018年にeMAXIS Slim バランス(8資産均等型)をNISAで80万円一括購入」と書かれていたけど、
当時の制度上限は、一般NISAが120万円、つみたてNISAが40万円。
小さな点だけど、こういう部分で“本当にやってる人”かどうかのリアリティが出る。
普通は半年〜1年分くらい、300〜500万円は現金で持つものだ。
「健康体だから保険料を払うより貯めた方が安心」という考え方はわかる。
ただ、会社員なら最低限の医療保険や共済くらいは入っている人が多い。
完全に「ゼロ」というのは、現実の生活感よりも“思想の主張”に寄ってしまう。
「副業や株の勉強は時間の浪費」など、断定的な言い切りが多く、
このトーンのズレが、読者を少し冷めさせる。
「普通の会社員」「副業なし」「親の援助なし」「たまたま投資で1億」
──この組み合わせが、あまりにも綺麗すぎる。
少しの失敗や焦り、迷いが描かれていた方がずっとリアルだ。
この“整いすぎた成功譚”は、SNS時代のある種のテンプレートになっている気がする。
数字そのものよりも「どんな気持ちで市場にお金を預けてきたか」に目を向けたほうがいい。
お金の話ほど、“ちょっとした違和感”が大きな説得力の差になる。
リアルを装うより、リアルに迷っている姿のほうが、ずっと信頼できる。
投資 資産形成 NISA インデックス投資 再現性 匿名ダイアリー
──
このまま、はてな匿名ダイアリーにコピペで投稿可能な構成になっています。
ご希望があれば、
政府がいくらビザ緩和や移民受け入れをしようが、当の外国人が書類を作成して提出しなければ在留資格が得られないのだから、根源はビザ申請をのべつまくなしに斡旋している行政書士だと思う。
で、なんで行政書士がそんなことに手を出してしまうかというと、行政書士という職業のシステムに大いに問題があるのでそれを説明する。
まず、行政書士になるためには行政書士という資格を取らなきゃならんのだが、本屋で士業系資格の本ってあるでしょ、行政書士だの司法書士だの公認会計士だの。
そんで、これを言ったら元も子もないが、「弁護士と同じ士業」「独立開業できる資格」ってことで、人生一発逆転させたい奴がこぞって受験する資格になってるんだよ。
大体の受験生は、行政書士がどんな仕事をしてどんな業務が受任できるかなんて知らないまま、司法書士とどんな違いがあるかなんて分からないまま、参考書買ったり予備校に行ったりして、一端に「行政書士受験生」を気取る。
予備校なんて何十万もかかるが、まあとにかく大人気資格。美男美女講師で揃える予備校や、オンラインで気ままに学習できる予備校など多彩なラインナップから選べる。
試験は毎年大体6万人が受けて6000人が受かるって感じだ。
合格率10%というのはまあ、数だけ見ると難関資格なのかもしれないが、落ちた奴には「ガチの無能による一発逆転狙い」も多いから、まず受けるのにスクリーニングされる司法試験とはワケが違う。
そんでもってまあ、6000人の行政書士資格持ちが毎年生み出される。
そして、先輩の行政書士事務所に雇ってもらうというのも、殆ど無理。求人が無い。
行政書士事務所は7割が1人事務所で、補助者と呼ばれる人を数人雇うこともあるがこれは資格無しでもできるので家族や仲の良い知人等のことが多い。
全く知らない行政書士事務所に履歴書を送っても、「なんか事務所に知らない人から求人応募きたんだけど!そんなに稼いでるように見えるかな(笑)」とSNSでマウントに使われるだけである。
その為多くの新人は、何も知らないところから即独立開業しなくてはならない。
悲惨な人は、試験勉強のために会社を辞めたりしている。もう後に引けないが、前にも進めないからとりあえず独立開業。
しかし、なんのビジョンもなく予備校に通い、試験を合格してきた奴らだ、面構えが違う。
業務のことは何一つ分からないまま、何十万円かを地域の書士会に支払って、安くないオフィスを借り、名刺を作り、そこではたと気がつく。
お客さんがいない。
今まで、会社やアルバイトでは、先輩がいて、お客さんがいて、その需要に合った業務を提供していればお金がもらえたのに、先輩もお客さんも、自分の前にいないことに気がつく。
個人事業主やってた人ならそんなん当たり前だろと思うだろうが、サラリーマンから即独立した人間ってマジでこの感覚が無い。お店開いてれば自動的に客は来ると思ってる。
曲がりなりにも試験に受かっているなら、ある程度の業務はこなせるんじゃ?と思う人もいるだろうが、なんと行政書士試験は、実際の業務に関連することはほとんど学べない。
試験に受かることと、業務ができることは、全然違う世界の話なのだ。
ちなみに、こういう路頭に迷った行政書士を集めて「業務セミナー」「営業塾」を開いてさらに金を搾り取る、通称「ひよこ狩り」と呼ばれるスキームも行政書士界隈が一番大手である。
そして、絶望した独立開業行政書士の前に出てくるのが、待ってました、「外国人業務」である。
いわゆる、日本に滞在する外国人のためのビザ(厳密にはビザではなく、在留資格という)を取るのを手伝ってあげる仕事だ。
行政書士の業務にも、飲食店の許認可申請や建設業許可など色々あるが、上記のような「ビジョン無しでとりあえず独立開業してしまった人」には、外国人業務が一番手っ取り早い。
入管のホームページにはわかりやすい指南が載っているし、外国人と言ってもある程度は日本語が話せる人なので英語力もそんなに問われない。
何より毎年多くなっている移民の数。
手当たり次第、外国人に営業していけば、日本の在留資格がほしいor更新したい人なんて山ほどいるから、すぐに仕事になる。
もちろん、これらは合法だし、外国人からしたらこのような行政書士は手助けをしてくれるヒーローである。
だが、問題は、稼げない行政書士の「最後の頼みの綱」になってしまっている点だ。
上記のように、会社を辞めて試験勉強し、合格したは良いものの後に引けなくなって独立開業した多くの行政書士は、家の家賃やオフィスの使用料、書士会への上納金など、経済的も精神的にも不安な毎日を送ることになる。
ある程度在留資格の取り方を覚えたら、もっと多くの顧客(外国人)が欲しくなるだろう。
性質上、何度も同じ外国人が高頻度でリピートしてくれるようなものではないので、多くの新規顧客が必要となる。
それでも足りない。
…と、ここまで長々と書いてしまったが、移民が今ものすごく増えているのはこういう行政書士が毎年増え続けているからというのも理由の一つなんじゃないかと思うねあたしは。
あたし自身は右翼でも左翼でもないが、右翼の人に言いたいのは、仮に外国人が日本を侵略しようと悪さを企んでいたとしても、日本に来る在留資格が無いと滞在できないし、その在留資格のほとんどは日本の行政書士が申請書類やら取り継いで出てるってこと。
そして、その行政書士は何も売国しようと思ってやってるんじゃなくて、来月の家賃のため、養ってる家族のために外国人を一生懸命日本に入れてる。
まあ稼げない行政書士も悪いけど、毎年6000人も合格させちゃう行政書士会と、何もビジョンが無い一般人をその気にさせちゃう予備校もバタフライエフェクト的にこの移民問題の一助になってると思うよ。
お前の文章は一見論破指南に見えるが、実際は自己放尿に等しい。
つまり「他者をバカと呼ぶ快感」に溺れているだけで、論理構造は穴だらけだ。
まず「バカに欠けているのは論点維持と部分と全体の理解だ」と言うが、それは単なるレッテル貼りであり、証明にはなっていない。
お前は「バカ」を定義していない。定義がない対象に「欠けているもの」を与えるのは、空のコップに「水が足りない」と叫ぶようなものだ。
さらに「論点維持」と言いながら、自分自身が論点を逸らしている。冒頭では「知恵が欠けている」と言ったのに、途中から「論点維持の概念」と「部分と全体の概念」という二つのスキルに話をすり替えている。
まさにお前が「バカの典型」と定義した行為そのものを実演している。自己矛盾の自己放尿ショーだ。
そして「部分と全体」を理解していないのはお前自身だ。この文章全体のテーマは「バカを論理的に分析すること」だったはずなのに、部分部分でただの罵倒や優越感の発散にすり替わっている。全体性を守れていないのはお前の側だ。
結局お前の言葉は「サルが棍棒を持った」どころか「自分の尿を振り回して悦に入るサル」だ。論破の形をとっているが、実際には自分の快感のために「論」を捨てている。
だが救いはある。お前が本当に「論点維持」と「部分と全体の関係」を理解したいなら、まず自分自身の文章をその基準で読み返せ。
「人は中身だよ」だの「清潔感が大事」だの、恋愛指南のテンプレみたいなセリフが世間にはあふれてるけど、俺は声を大にして言いたい。結局、エロいやつが一番モテる。いや、これマジで。
あからさまに露骨な下心をギラつかせろって話じゃない。けど、どっかで「こいつ、エロいことちゃんと考えてるな」「いざというとき一線超えそう」そんな空気を持つやつが、男女問わず異様に強い。学生時代からそうだ。可愛い後輩が男を選ぶとき、イケメンでも優等生でもなくて、どこかに「こいつ肉食そう」みたいな予感を漂わせてる奴だった。
清楚、小柄、仕事一筋、そんな女子だって、恋愛話になると「実はあの人、なんか色気あるんだよね~」とか言い出す。しかもそういう奴らが、合コンや飲み会の空気を一発で掻っさらっていく。「お前は顔も性格もフツーなのに、なぜ…?」そう思っていたけど、答えはシンプルだった。エロいからだ。
エロいというのは、つまり「生き物としての活力」がにじみ出てることだ。自分の欲望にちゃんと向き合って、自信もって振る舞ってる。無意識に出るアイコンタクト、さりげないボディタッチ、声のトーン。全部、「俺(私)、ちゃんとそういうのOKだよ?」というチャンネルを発信してる。だから惹かれる。安心して身を預けてみたくなる。
一方で、中身で勝負!みたいな奴ほど、そのエネルギーを恐れて避けてる。「真面目さ」「誠実さ」――それは否定しない。けど“根本的なエロさ”がなきゃ恋愛は始まらない。実際、「いいやつ」で終わってるやつ、大体「エロさゼロ」で退場してる。
そもそも人間なんて動物だ。生殖本能、承認欲求、肌のぬくもり――全部ひっくるめて生きてる。エロ抜きで成立する恋愛なんて、ビールの泡だけすすってるのと同じだ。「中身で勝負」は、せめて“エロさ”ありきの話にしてくれ。
年を重ねてさらに痛感してる。モテてる奴はみんな、どこかエロい。この法則は揺るがない。端正な顔も、ハイスペックな肩書も、最終的には劣る。エロいことに自覚的なやつが、結局一番強い。
だから俺は声を大にして言う。どうせなら堂々とエロく生きろ。下手な小細工や自己犠牲なんかいらん。モテる奴の秘密は、やっぱエロいってことよ。人は理屈では「中身」とか「清潔感」とか言いたがる。けど俺は経験で思い知った。結局エロい奴が一番モテる。異論?受け付けない。
思い返してみろ。友達の間で「なぜか女が寄ってくる奴」って、大抵どこかエロさを醸し出すんだよな。あからさまな下ネタじゃない。「いざとなったらこの人、絶対ヤれる」感覚。動物的な直感が発動して、本人も気づかないうちに惹きつけられてる。スーツが似合うとか、ほどよい筋肉とか、視線の送り方とか、全部そこに集約される。
逆に「いい人」止まりのやつは、どこかエロさが抜け落ちてる。安心感はあっても、恋愛のスイッチは入らない。女性同士の話でよく聞く。「性欲なさそう」「男として見れない」。これ、本人の努力だけじゃなく“無意識のオーラ”みたいなもんなんだって。
モテるためにテクニックとかLINE術とかいくら仕入れても、このエロさオーラがゼロだと本当に意味がない。むしろ「危険信号」として女は感じ取る。
はっきり言って、世の中はエロい奴が残る。エロさこそ、生存本能と生き様の証明。恋愛も人付き合いも、全部そこに拠点がある。恥ずかしがるな、堂々としろ。エロい自分を否定してはいけない。モテてる奴の正体は、圧倒的な“エロ力”なんだよ。
あらゆる意味で有名な牧場物語オリーブタウンを遊んでまいりますわ。失踪したら、そういうことだと思ってくださいまし。
◆前回のお話ですわ
https://anond.hatelabo.jp/20250924224338
おはようございます。二日目の朝ですわ。起きたら目の前にヴィクトル様がいらっしゃってたまげましたわ。
心配していた農具は、二日目に頂けましたわ。それにしても、緑地を直接耕すんですのね。ところで、家はいつになったらいただけるんですの???
え?なんでそんなに親切に教えてくれるのかだって?いやいや、キミのじいさんにはお世話になったからな。孫であるキミに恩を返したいんだよ。
恩返ししてぇなら、テントじゃなく家をよこしやがれですわ~~~!!!
それにしても、道具袋の出し入れがかったるいですわね…?決定&キャンセル以外、空いてるボタンがたくさんありますのに。道具袋を一発で開け閉めできるようにすればよろしいのに…カメラも道具扱いなのが、ちょっとかったるいですわね。-ボタンあたりから呼び出せたら…あっ、き、きっと別の機能が-ボタンにつくんですわよね。他のボタンにも新たな機能が増えるはずですわ。きっとそうですわ。本家牧場物語がそんな半端な作り方しませんわよ!
それにしてもきょうびスローライフ系のゲームで、360度視点が変えられないのも珍しいですわね。DS時代の方々には馴染みあるアングルなのでしょうけれど、自然で暮らすのに見回せないのは少し残念ですわ。見渡してもガビガビの木ですけれどね。あと、やすらぎの樹を思い出すカメラワークで、胃がきゅっとなりましたわ。
二日目はほとんど何もできず終わり(いくら何でも疲労持越しすぎじゃありませんこと?)、三日目はクラフト系の指南ですわ。
あらあら?もしやわたくしって、開拓しにオリーブタウンに来たんですの?ここは既に、開拓された土地だったはずでは?
そもそもおじいさまの代が開拓して、おじいさま亡きあとにわたくしが来て、それなのに足の踏み場の無いほど木や石があって、家畜小屋はボロボロ、母屋は跡形もなく…一体どうなってますの?この有様は。
それにしても、他のエリアにはいつ行けるのかしら…?まさかこれ以上無い…なんてことありませんわよね?イオリ様の庵(激ウマ)が「街のはずれ」らしいので、一抹どころか万抹の不安を抱いてますわ。もしや牧場物語史上、最小の街じゃありませんこと…?GBシリーズでも、もうちょっと行ける範囲広いですわ。
ヴィクトル様曰く「資材とお金でログハウスにできる」…あの、おじいさまのご自宅はどうなさったの?ねぇ?
家畜小屋と思わしき残骸は、ギリ生きてますのに…もしかしてわたくし、何か説明呼び飛ばしてしまいましたかしら。それかもしかしてわたくしのおじいさま、めちゃ嫌われてましたの?
畑を作って種をまいて水まきという、ようやく牧場物語らしいことがルーティンに組み込まれましたわ。
それにしても、○○メーカーの類もお道具箱も、全部4マス取りますのね。こんなに敷地が狭いのに。もうメーカー置いたら耕せるところありませんわよ!!
あとはもう石と木で地面が埋まってますし!そもそも、水たまりがあるところが耕せないのはどういうアレですの?畑もまともに広げられませんわ。
それと気づいてしまったのですけれど、木ってぼこぼこ生えてきますの?無限湧きですの?オリーブタウン、観光業ではなく林業で街を盛り立てていった方がよろしいのではなくて?
竹の如く生え散らかしてきて、牧場物語ではなく林業物語になりつつありますわ。生えかけの木を除去できませんし…こういう採取系って、牧場ではなくお山とかの役割じゃないんですの?
あと採取物えらい少ないですわね?木と石が邪魔で見えてないだけかしら???コナミの特許のせいですの???(前回参照)
起きて、水やりして、木を除いて、小さい街で話しかけて…あの、夕方早くには体力も尽きて、やることすべて終わってしまうのですけれど???
とりあえず行けるエリアを広げなければ畑も満足にできませんし、家を建てるスペースなんか…いや、これわたくしまだ納得できてませんわ。家も無いって何ですの?
カブ(バイク)は壊れ、土地は荒れ、牧場だった面影すらなく、家も無く…ええい!どなたか泊めてやる気概のある方はいらっしゃいませんの?現代人は冷たいですわ…よよよ…。
摩擦が無いっていうのは、接触や出来事が無いってことじゃなくってよ…まさか、もう決めてしまったんですの?今後は短期消費ユーザーをターゲットに、無難で万人向けのあっさり味の商品を提供するって…。
かなしいですわ…ニンニク特盛背脂豚骨ラーメンの有名店で、誰でも召し上がれるやさしいおだしの素麵を出された時のような気持ちですわ…。
とりあえず橋はかけますけれど、これ橋を渡った別エリアってなると移動がえらいめんどくさい気がしますわ…ワープ機能があったとしても(ありますの?)、ゲーム内日数のはや数日でゲームバランスに不安を感じておりますわ。
よもや、SNSで散見される「効率重視なら鉱山物語になるよねw」「牧場物語って実質鉱山物語でしょ?w」という発言を真に受けて、家(テント)のすぐそばに鉱山を作ったわけではありませんわよね?そうでないことを信じたいですわ。
そうでないことを、信じたいですわ…。(暗雲)
とりあえずは動物小屋を直さないと、いくらその辺をうろついてる動物を撫でまわし手懐けようとしても意味が無いらしいので(どうしてですの?)、まずは小屋の修繕優先ですわ。人間には立派なテントがありますものね。ぺっ!
この街にはもう慣れたかね。まあ、大都会に比べたら不便なところもあるが、暮らしやすい街だろう?みんなで力を合わせて作ってきた自慢の街だよ。
わたくし街どころか、街の外でテント暮らしなのですけれど???
そんな家ひとつ無い可哀想なわたくしに、観光客が少なくて悩んでいると愚痴るヴィクトル様。愚痴りたいのはこっちの方ですわ。家も無ければ、カブさえもどこに行ったかわかりゃしませんもの。
都会の人たちのハートをがっちりつかむには、どうしたら良いと思う?
▶都会の人の心を癒す
そうですわね。まずは街に来た人を、いきなりテントにぶち込まないことが大切だと思いますわ。
このゲーム、もしかして田舎に漠然とした憧れを持ってはいるけど、自分は別に行きたいと思わない系の都会人が作ったゲームですの?
ここ最近の作品はなんだか、「普通の平和な街を、観光客で賑わわせるついでに牧場をやる」的なものばかりで、住人同士の関係性や絆が、二の次三の次…五の次くらいじゃなくって?その傾向自体は、ずっと前から薄々感じてましたけれど…。
ヴィンテージ牧場物語お嬢様としては、少し人間関係も設定も空気感も簡略的で、物足りないですわね…。
牧場物語お嬢様の中には、乙女ゲームとしての側面を期待して買われてる方もいらっしゃるかもしれませんけれど(そちらの評判もオリーブタウンは芳しくないという噂ですわ)、元々は恋愛も含めた「生活・暮らしを楽しむライフシミュレーション」的なゲームだったと思うのですけれど…そのような牧場物語はもう、出ないのでしょうか…素麵をすするしか、ヴィンテージお嬢様に道は無いのでしょうか…よよよ~…。
タケルは、第六幕で生み出した「上州げんこつバーガー」が群馬の名物となり、多くの人々を笑顔にする姿を見て、深い満足感に満たされていた。彼はもはや、ただの神の分身ではなかった。泥にまみれ、汗を流し、人間として生きる喜びに目覚めたのだ。しかし、彼の心にはまだ、ノゾミが彼に残した最後の謎が残っていた。
ある日、タケルは群馬の古い街道沿いを歩いていた。そこに、一軒の小さな茶屋があった。店先からは、甘く香ばしい匂いが漂ってくる。それは、醤油と砂糖を混ぜたような、どこか懐かしい香りだった。
店に入ると、優しそうな老夫婦が二人で店を切り盛りしていた。タケルは、壁に貼られたメニューを見て「焼きまんじゅう」という文字に目が留まった。彼は、その名前が持つ不思議な響きに惹かれ、それを注文した。
老婦人は、串に刺さった白いまんじゅうを、丁寧に火鉢の上で焼き始めた。ジュウジュウと音を立てながら、まんじゅうはキツネ色に変わり、その表面にタレが塗られていく。第四幕で老婦人が作ってくれた生姜焼き、第五幕で男が作ってくれたげんこつハンバーグ。それらとは違う、もっと静かで、そして深い、歴史の重みを感じさせる光景だった。
やがて、焼きまんじゅうがタケルの前に置かれた。一口食べると、ふんわりとした生地の中から、甘じょっぱいタレが舌の上で広がる。それは、特別な材料や技巧が凝らされた料理ではない。しかし、タケルはその味に、今までのどの料理にも感じたことのない、途方もない深淵を見た。
タケルは、神の分身としての能力を使い、この焼きまんじゅうの情報を解析しようと試みた。しかし、彼の脳裏に流れ込んでくる情報は、彼が求めていた答えとは全く違うものだった。
それは、小麦粉とイースト菌が織りなす発酵の歴史、醤油と砂糖が作り出す味の化学変化、そして何よりも、この焼きまんじゅうが群馬の風土と人々の営みの中で何世紀も受け継がれてきたという事実だった。タケルは、この一つの料理の中に、悠久の時の流れと、無数の人々の想いが詰まっていることを知った。それは、ノゾミが彼に教えようとした「温かさ」や「喜び」を遥かに超える、この世界を構成する「真理」そのものだった。
タケルは、焼きまんじゅうを一口、また一口と食べ進めるうちに、彼の意識は、膨大な情報と時間の渦に飲み込まれていく。彼は、自分がただの一つの点に過ぎないことを悟った。広大な宇宙、無数の星々、途方もない時間の中で、彼の存在は、一瞬の光に過ぎない。しかし、その一瞬の中に、ノゾミという少女と、彼女が残してくれた愛の温もり、そして今、彼の目の前にある焼きまんじゅうが教えてくれた、この世界の深淵が凝縮されていることを理解した。
タケルは呟いた。それは、単なる料理の作り方ではなかった。人間として、この世界のすべてを受け入れるための、最後の指南書だった。
その時、タケルの手から、串が滑り落ちた。彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。それは、悲しみでも、喜びでもなかった。ただ、あまりにも壮大で、そして温かい真理に触れてしまったことへの、純粋な感動だった。
タケルは、その場で静かに意識を失った。彼の胸の中には、焼きまんじゅうが教えてくれた、この世界のすべてを愛するための、温かい光が灯っていた。そして、それは、彼が再び目覚めた時、彼をまったく新しい存在へと変えるだろう。
(第七幕・了)
いい視点です 👍
「冷蔵庫に物を入れすぎないほうが節電になる」という一般的なアドバイスには、ちょっと誤解が含まれているんです。
冷蔵庫に物(特に飲料や食材など水分を多く含むもの)を入れると、その分だけ「熱のタンク」として働きます。
開け閉めのときに外気が入っても、中の冷えた物が吸収するので温度変動は小さくなる
コンプレッサーのON/OFFが減って効率的に運転できる場合がある
この意味では「ある程度入っていたほうが省エネ」になるのは正しいです。
冷気の通り道をふさいでしまう → 冷えムラができ、センサーが誤作動して余計に冷やす
扉ポケットや手前の食品が断熱材みたいになり、奥が冷えにくくなる
隙間が少ないと出し入れのときに探す時間が長くなり、扉の開放時間が延びる
冷蔵室:適度な余裕を残す(7割程度) → 冷気が循環するため
冷凍室:できるだけ詰め込む → 熱容量が大きいほど保冷効率が上がる
まとめ
冷蔵庫に物を入れすぎないほうがいい、というのは「冷気の流れを確保するため」であって、
「熱容量が大きいと損する」という意味ではない。
なので、冷蔵室はスカスカでもパンパンでもなく中庸、冷凍室は満杯が理想です。
ご質問の「熱容量が高いほうがロスが小さいのでは?」はまさに正しくて、
それ自体は省エネ効果があります。ただ、空気の流れが妨げられるとそのメリットを帳消しにしちゃう、というのが本当のところです。
👉 もしご自宅の冷蔵庫が「ほぼ満杯」になりがちだとしたら、冷気の流路をふさがない配置のコツをまとめてみましょうか?
金なし、女なし、趣味はあるにはあるが低迷しているという状況で、暴飲暴食と自慰行為だけを楽しみに生きている。
休日の滑り出し。午前中は洗濯と部屋の掃除をして、午後から資格の勉強をしようと思っていたが、下半身からふつふつと湧いてくる衝動に負け、自慰モードに入ってしまった。ふと、今日はあっさりとしたいつもの自慰ではなく、月に1〜3回ドライオーガズム達成を目指して挑戦している肛門自慰をしようと思い立った。結果、ついにやりました。
金の匂いがする怪しいドライオーガズム指南へのアンチテーゼとして、そして自分が再体験するための備忘録としてこれを書く。
達成のためのポイントは、
・3日程度の禁欲
・空腹状態で水分は摂っておくこと
・浅い部分を刺激すること
・中で感じている女性になりきること
以上の4つだろう。休日初日の朝というシチュエーションも大事と言えば大事だったかもしれない。
まず、腹に何か入った状態だと副交感神経が優位になりすぎて興奮できない。ドライに限らず食後の自慰・性行為はつまらない。散々食って飲んだ後に行く風俗などは最悪である。
しかし水分は適度に摂っておかないと膀胱が膨らまず、解剖学的位置関係的に前立腺が刺激しにくい。摂りすぎも尿意のせいで集中力が削がれるだろうが、行為前に排尿し、オカズや乳首への刺激などで気分を高めている最中に少しだけ膀胱が膨らんでくるのが理想である。
次に、浅い部分を刺激すること。これが最も重要だった。使用したのはよくあるエネマグラ(アネロス?)のパチモンだが、別に正規品でなくても全く問題はない。綿棒とかだと流石に厳しいだろうが。
何となく全部入れたくなってしまうし、奥の方にこそ感じるポイントがあるだろうと思ってしまうのが人情だが、騙されたと思って器具は半分未満までの挿入にしてほしい。
浅すぎて括約筋の力で器具が飛び出しそうになるのを手で抑えながら、勝手に前立腺周辺がヒクヒクし出すのを待つ。しつこいようだがこれが最大のコツである。姿勢は横向きに寝て膝を曲げるのが良いだろう。その上で股関節の内転筋を少し意識すると、前立腺にエネルギーが溜まってくる感がある。
そして、中で感じている女性になりきること。重要なのは、「中で感じている」の方だった。
これまでの失敗し続けてきた肛門自慰では、メインのオカズとして女性がクンニで絶頂する様子を収めた音声を使用していた。だが、クンニ、すなわち陰核でのオーガズムは、所詮オスイキである。それをオカズにしてしまうと、どうしても射精という方向に引っ張られてしまい、結句ウエットで締めておしまい、という風になってしまう。
今回はモデルが好みのタイプで、なるべく演技臭くない普通の性交を収めた無修正動画をオカズとし、そのモデルに全自己を投影するというイメージで臨んだのが良かった。今までは音声の方が集中できるかなと考えていたが、横向きの姿勢で楽に見られるなら、普通に動画の方が興奮できると思う。
ちなみに催眠音声に関しては、性格的に疑い深くなくてすんなり入り込めるという人以外にはおすすめできない。
ドライオーガズムがどんな感覚だったかと言うと、普通の射精が「ジュワ〜……ツーン! ドピュ」だとすると、「ビクンッ! ビクンッ! ビクンッ!」という感じ。自分で書いてて意味不明だわ。
もう少しマシな表現に変えれば、射精の0.8〜3倍くらいの快感が数十秒続く。意識が飛びそうと言うとやや大げさになるが、視界にお星様が舞うようなイメージではあった。
射精の何十倍だとか比べ物にならないとか言われることもあるが、それは言い過ぎだと思う。別種の快感なので比べられないと言えばまぁそうなのだが。
念願のメスイキを達成して一人遊びの幅が広がったことは間違いないが、一方で射精は射精で捨てたものでもないよな、とは思う。女の方が何倍も気持ちいいとはよく言われるけど、普通の男の射精だってシチュエーションが良ければ十分すぎるくらい気持ちいいよ。
こういうと「お前が体験したのはドライじゃないだろ」とか言われそうだけど、17年ああでもない、こうでもないと試行錯誤して、「これってドライなのかな?」みたいなのも何度も通過した上での確信なので、おそらく間違いないとは思っている。