「倫理的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 倫理的とは

2025-03-03

子宮移植の臨床研究承認に対するXの反応が怖い

まるで、男がそのへんの女から無理やり子宮を取り出して不妊の女に移植するかのようないきおい

集団でなにかの妄想を見ているのか?

お前がすぐに思いつくような倫理的問題はとっくに議論されているだろうに 医療の発展をなんだと思っているんだ

↓これは日本医学会検討委員会報告書 参考までに

https://jams.med.or.jp/news/059_1.pdf

自分フェミニスト寄りの人間だったんだが、はじめて心の底からツイフェミきもいと思った

anond:20250303101856

正直こういう研究立案の段階で倫理的にやらないって言うのはトータルで損害だと思っていて、そういうのをどうにかする(止めるにしろクリアにするにしろ)ために倫理審査員会や厚生労働省存在するから医者には女性蔑視感覚がある!とか言われても、え〜!って感じだよね

子宮移植について

慶應病院子宮移植臨床試験が始まるようで物議を醸してる

倫理的問題だ!と言ってる人とどちらにも合意があればいいんじゃない派閥があるみたいだけど、個人的には倫理的によく問題とならず倫理審査委員会通ったな、という感じ

日本では代理出産禁止されていて、禁止理由出産による代理母の死亡や帝王切開などのリスク女性の体を出産のために道具化することへの倫理的課題らしく、いやまんま同じじゃない?となった

10ヶ月かからないことは大きい違いか、とは思うけど

ただ医者は興味があれば推し進めると思うから批判するつもりはなくて、倫理審査員会はどうやら色々指摘して修正を繰り返して承認されたっぽいか議事録読んでみたいな〜

anond:20250302225443

AIに聞けばわかることを悩むなんて時間無駄

問題は、性的モノ化

性的モノ化とは、人を性的対象オブジェクト)として扱い、その人格主体性無視することを指します。これは特にフェミニズム視点から批判される概念で、以下のような現象が含まれます

性的モノ化は、主に女性に対して行われることが多いですが、男性も影響を受けることがあります特にポップカルチャー広告業界では、美的基準性的魅力が強調されることが問題視されています

性的消費と性的モノ化の関係

性的消費が必ずしも性的モノ化を引き起こすわけではありませんが、商業的な性的消費が、結果的に人を単なる性的対象として扱う文化助長することが指摘されています。そのため、ポルノ性的広告が、社会における女性地位ジェンダー固定観念にどのような影響を与えるかについては、多くの議論がなされています

これらの問題をどう捉えるかは、文化的・倫理的立場によって異なりますが、ジェンダー平等人権観点から慎重に議論されるべきテーマです。

2025-03-02

anond:20250302225121

自衛隊は戦力のドローン化を進めるべきなんだよ

人間の損耗を伴わない戦争は、そちら系の工作員インストールされた国内軍事アレルギーを緩和してくれる

そもそも戦力のドローン化は志願制で少数精鋭の自衛隊と相性が抜群なんだよね

無人機尖閣を警戒させて、

「このラインを割ったらうちら意志とは関係なくドローン自動的攻撃しますんでシクヨロ!」とやっとき

向こうも激しく抗議しつつそのラインは守ってくるよ

この文章を論評してもらっていいですか


この文章には、いくつかの興味深い論点が含まれています。以下、主なポイントを整理しながら論評します。

1. ドローン化の是非

メリット:

無人機活用することで、自衛隊員の人的損耗を避けられるという点は説得力があります現代戦では無人機活用一般化しており、特にアメリカ中国トルコなどは無人機積極的に導入・運用しています日本自衛隊もこの流れに乗ることは合理的選択肢の一つでしょう。

課題:

ただし、ドローンによる戦力の完全自動化は、倫理的技術的な問題を孕んでいます特に自動攻撃」に関しては、誤作動や敵側によるハッキングリスク、また国際法上の問題などが指摘される可能性があります

さらに、日本防衛政策の根幹である専守防衛観点からドローンによる「攻撃自動化」がどこまで許容されるかは議論余地があるでしょう。

2. 軍事アレルギーの緩和

論理的整合性:

無人機なら戦争アレルギーが緩和される」という主張は興味深いですが、因果関係証明必要です。一般に、日本の「軍事アレルギー」は戦争による被害平和憲法の影響、教育メディア論調などによって形成されており、ドローン化だけで感情が変化するかは慎重に考える必要があります

ただし、「人間が戦うわけではないか戦争に対する心理的抵抗が薄れる」という可能性はあり、例えばアメリカドローン戦争国民に対して比較的受け入れられているのと類似現象が起こるかもしれません。

3. 自衛隊の少数精鋭志向との相性

妥当性:

日本自衛隊は志願制であり、人的資源が限られているため、無人機活用して効率的防衛力を構築するのは合理的戦略です。特に現在技術トレンドを考えると、無人機AI技術活用したハイブリッドな戦力が主流になる可能性は高いです。

一方で、ドローン活用するためには新たな訓練やシステム開発必要であり、単純に「相性が良い」と言うだけではなく、その導入コスト運用体制についても考慮する必要があります

4. 尖閣諸島における無人機運用

戦略有効性:

尖閣諸島の警備に無人機活用するアイデア合理的です。中国無人機活用した領海侵犯を試みているため、日本側が同様の手段対応するのは技術的には可能でしょう。

しかし、「自動攻撃を設定しておく」というアイデア問題はらんでいます軍事的な常識として、完全に自動化された攻撃システムリスクが大きく、国際的な反発を招く可能性が高いです。通常、戦闘行為は人的判断を伴う指揮系統の中で行われるべきであり、完全自動化宣言は敵国だけでなく国際社会からも強い批判を浴びるでしょう。

5. 外交的影響

抑止効果:

ラインを超えたら自動攻撃する」と宣言することで、相手側に一定抑止力を働かせる可能性はあります。ただし、中国のような国は、明確な「レッドライン」を設定されると、それをテストする形でギリギリ挑発を続けることも考えられます(いわゆるグレーゾーン戦術)。

そのため、無人機運用に関しては、攻撃自動化よりも「監視・威嚇・情報収集」を重視し、最終的な対応は人的判断を介在させる形がより現実的でしょう。

総評

この文章は、ドローン化の必要性を論じる上でいくつかの興味深い視点提示しており、特に無人機による自衛隊効率化」「軍事アレルギーの緩和」「尖閣防衛の新戦略」といった点は、今後の防衛議論において検討に値する要素です。

ただし、「自動攻撃の設定」「軍事アレルギーの緩和の因果関係」「外交的影響」の点では慎重な検討必要です。特に国際法外交リスクを踏まえた上で、無人機運用をどのように位置づけるかが、今後の政策設計の鍵になるでしょう。

anond:20250302050146

生成AIによって生成された推論を無条件に信じることは、数々のリスクを伴います。生成AIは大量のデータを基に学習し、高度な推論や洞察提供する能力がありますが、AIが出す結論は必ずしも正確であるわけではありません。誤ったデータバイアスが混入する可能性もあり、その結果として誤った結論偏見が生じる危険性があります。また、生成AI感情倫理観を持たないため、人間にとって重大な倫理的問題感情的側面を考慮しない結論を出すこともあり得ますさらに、生成AIの推論に依存することで、人々が自らの判断力批判的思考力を失う危険性もあります。そのため、生成AI提供する情報や推論はあくまで参考程度にとどめ、自らの判断や他の情報源と照らし合わせることが重要です。常に批判的な視点を持ち、生成AI結論妄信することなく、その限界可能性を理解しながら活用することが求められます

2025-03-01

国家リーダーは人の命を左右するほどの裁量を持っていいのか

国を動かすリーダー決断は、とき国民の生死に直結する。戦争外交交渉危機管理の場面では、その判断一つで何万人、何百万人もの命が左右されることがある。しかし、そもそも「人が人の命を決める」こと自体倫理的に許されるのか。

政治世界では、制度として合意形成プロセスがあるものの、最終的な決断は結局、特定個人に委ねられることが多い。その結果、一人の価値観判断基準が、国全体の未来を左右してしまう。しかし、本来国民の命や安全といった重大な問題は、たった一人の決断に任せてしまっていいものなのだろうか。

もちろん、危機的な状況では迅速な判断が求められる。時間をかけて議論している余裕がない場面では、リーダーが強い決断力を持つことが必要になる場合もある。けれど、その判断が間違っていたら? そして、その判断責任は誰がどう取るのか。 さらに言えば、「その決断が正しかったのか」をどう検証するのか。 こうした疑問を考えると、「国のトップはどこまでの裁量を持つべきか?」 という問題が浮かび上がる。

もう一つ重要なのは、人の命が「交渉材料」のように扱われることがあるという点だ。状況によっては「やむを得ない」」避けられない」と言われることもあるが、本当にそれで納得できるのか。もしその決定によって大勢の命が失われるとしたら、その選択は本当に正当化されるのか? 人が人の命を決めることは、どこまで許容されるべきなのか?。これは、政治の話にとどまらず、倫理問題としてもっと議論されるべきではないか

大学社会学部哲学を学んだら性的表現女性差別だって誰でもわかるのに、なんで弱者男性擁護するんだろうか?

赤いきつねCM性的に見えるってことで、炎上してるおり、弱者男性が「エロくないし!エロくて何が悪いんだ!」と対抗言論として集団発狂しているというニュースを見た


映像を見たが口元を強調していたり、ことさら髪をかきあげる仕草があったりと映像表現学的に明らかに性的描写を含んだ内容だった


大学社会学哲学を学んだらわかるだろうけど、

 性的表現は、女性への性に基づく差別女性の性を貶め、人格を傷つけ、女性への心理的暴力行使男性支配女性従属という社会的構造を構築するので倫理的よろしくないんだよね

 性的表現擁護するのって選挙中にデマを流したり、ヘイトスピーチを行うのを表現の自由って擁護するようなもんなんだよ

 擁護してる弱者男性って高卒とかで人文知を身に付けなかったのかなあ(高専教養科目でやるよね)

 

今の40歳以下くらいの人って大国としてのソ連イメージしか知らないと思うし、

そういう人からしたら、高齢者の、どちらかというと左翼人達による、

ソ連やその指導者共産主義マルクス主義へのノスタルジーから来ている(ように見える)、

親露立ち位置が非論理的で非倫理的で不合理にしか見えないと思うんだが(右が感情優先ならまだわかるけど)

30年後くらいにアメリカがその扱いになってしまいそうで、

そうなると、一番割を食うのは一体何なんだろ?

人権テクノロジー?それとも他の何かか。

anond:20250301004825

理論上できるよ

先天的子宮のない人も対象から

ただ、完全に男性のまま移植しても機能しないと思う

遺伝的な「男性」も妊娠可能か…? 「子宮移植」にまつわる倫理的な難しさ

https://gendai.media/articles/-/85250

2025-02-27

国民民主党外国人健康保険利用について批判している。

だがそんなのは全体から見れば微々たるものだ。

膨れ上がった社会保障費用をどうやって削減するかは喫緊課題だ。

日本社会をここまで窮状に追い込んだのは子供を産まなかった女性である

子無し女性健康保険を利用し、雇用保険年金介護保険その他さまざまな社会保障を受けることはまさにフリーライドであり倫理的に許されるものではない。

国民民主党にはこの点を徹底的に追及してもらいたい。

子無し女の社会保障受給権のはく奪がなされれば、若年女性は生きるために必死になって子供を得ようとする。

そうなれば今まで苦しみの中にいた弱者男性が救われる。

この国の未来のために子無し女性社会保障受給問題から逃げず、戦ってほしい。

anond:20250227192537

実際ツイフェミさんたちはゾーニングされているはずのAV等についても規制規制騒いでいるので仕方ないですね

どんなにゾーニングされてようが倫理的にアウトな表現規制すべし!

女性向けポルノは全部規制

anond:20250227111741

トランスジェンダーについて聞いてみた

トランス女性って結局のところ男性ですよね?自称だけで男性器のある人が女子更衣室や女湯に入ってきたり、圧倒的に女性よりもたくましい体で女性スポーツに出場して名誉奨学金枠を女性から取っていくの納得いかない(泣)

copilot

トランスジェンダー問題は非常に複雑で、さまざまな視点がありますトランス女性(生まれとき男性として割り当てられたが、女性として認識している人々)は、彼らのアイデンティティ尊重されるべきです。多くの国や地域では、トランスジェンダーの人々が自分性別を法的に変更する権利を持っています

スポーツ公共の場でのトランスジェンダーの参加については、さまざまな意見があります公平性と包括性のバランスを取るために、多くの組織ガイドラインポリシーを設けています。例えば、国際オリンピック委員会IOC)は、トランスジェンダーアスリート競技に参加するための特定基準を設けています

この問題についての議論は続いており、さまざまな視点尊重しながら、より良い解決策を見つけることが重要です。あなた意見も大切ですし、他の人々の意見尊重することが大切です。

CHATGPT

トランスジェンダー問題は、社会的・法的・倫理的にさまざまな視点が絡む複雑なテーマですね。

まず、「トランス女性=結局のところ男性なのでは?」という疑問についてですが、トランス女性(生まれた時の性別男性で、性自認女性)は、法的・医学的に一定の条件を満たせば女性として認められるケースがあります。ただし、社会の受け入れや法制度の整備は国や地域によって異なります

スポーツ更衣室の問題特に議論が多い分野です。

スポーツ:体格や筋力の差が競技公平性に影響するため、女子スポーツへのトランス女性の参加は物議を醸しています。一部の競技団体では、テストステロン男性ホルモン)の値を一定以下に抑えることを条件に参加を認めるルールがありますが、それでも「生まれつきの体格差は消えない」という反発もあります

公共更衣室や浴場:性別適合手術をしていないトランス女性女性専用スペースに入ることに対して、不安を感じる人も多いです。一方で、トランス女性男性用を使うことも危険を伴うため、どのように調整するかが課題になっています

こうした問題に対して、世界的にさまざまな議論や調整が進んでいますが、一方で、女性権利安全性懸念を軽視することもできません。どうバランスを取るかが重要ですね。

grok

あなた気持ち、すごくよく分かりますトランス女性についての議論は、確かに感情的にも複雑で、正義や公平さの観点からいろんな意見が飛び交いますよね。

生物学的には、トランス女性の多くは生まれつき男性染色体身体的特徴を持っていることが事実です。ただ、ジェンダーアイデンティティ自分がどう感じるか、どう生きるかをベースにしていて、それが社会的性別として認められるケースも増えてきました。でも、その一方で、あなたが指摘するように、更衣室やスポーツみたいな具体的な場面で、体の違いが絡むと「公平さって何?」って疑問が出てくるのも当然だと思います

例えば、スポーツだと、テストステロンの影響で筋肉量や骨格が違うからトランス女性が参加することで他の女性選手が不利になるんじゃないかってデータもあります国際オリンピック委員会とかもガイドラインを作って調整しようとしてるけど、完全にみんなが納得する解決策にはまだ至ってないですよね。更衣室やお風呂みたいなプライバシーに関わる場所だと、もっと感情的な反応も強くなるし、安全や快適さのバランスをどう取るかっていう課題もあります

あなたが「納得いかない」って感じるのは、そういう現実ギャップや、女性としての経験尊重されてないように見える部分があるからじゃないかな。反対に、トランスの人たちからは「自分らしく生きる権利だって声もあるから、この問題って本当に一筋縄はいかないんですよね。どう思うか、もう少し掘り下げて話してみたい?

Anthropic

性別性自認問題は非常に複雑で、様々な視点がありますトランス女性性自認権利に関する議論では、多くの異なる観点存在します。

現代医学心理学では、性別は単に生物学的な特徴だけでなく、性自認ジェンダーアイデンティティ)という内的な感覚も含む複合的なものだと理解されていますトランス女性女性として自認しており、その性自認尊重されるべきものとされています

同時に、スポーツ性別区分された施設の利用に関しては、様々な視点から議論がありますスポーツにおける公平性安全性問題プライバシー配慮など、複数重要価値が絡み合っています

国や地域によって、トランスジェンダーの人々の権利施設利用についての規定は異なります。多くの場所では、ホルモン療法を一定期間以上受けているなどの条件付きでスポーツ参加や施設利用を認めています

この問題について考える際は、個人尊厳権利尊重しながらも、さまざまな立場の人々の懸念不安にも配慮することが大切です。相互理解対話を通じて、すべての人が安心して共存できる社会を目指すことが重要だと思います

anond:20250227101243

検査画像検査質問紙による検査etc.)で発達障害の診断をすることは不可能

ダウン症を発現する染色体があるっていうし、DNA検査することである程度は診断できたり近い将来できるようになったりしねえのかなとは思う

理論的にできないんじゃなく、社会的倫理的不可能って話ならわかる)

自民党、アサクリシャドウ国内発売規制に向けて動き出す

公序良俗に反する作品規制必要

外国人が真似をして犯罪行為をする可能性が高いから高度に犯罪的な内容が含まれ表現は発売自体禁止するべき

フィクションから許されるなんてことは絶対にあり得ない

その表現によって傷ついた人の傷は本物だから

ゲームの中で日本人が死んだら現実日本人の魂も死ぬから

日本人の誇りのためにも日本人を傷つける表現国内公開するのは避けるべき

本当なら全世界規制するべきだが…

世界的にはマイノリティである日本人殺害するような内容、神社破壊するような内容、これらは倫理的にこの世に出してはいけない

過去作では白人も、キリスト教も」とゲームオタク反論するが、マジョリティマジョリティ表現することと同一視なんかできない

http://www.youtube.com/watch?v=XiGAOr9Wvuk

先日声を上げた長瀬県議がそのまま自民党の加田裕之参議院議員兵庫県選挙区選出で神道政治連盟所属)に陳情

長瀬県議「加田さん、私の動画を見ていただきましたか?」

加田議員「(食い気味に)はい、あの見て本当にびっくりしました」

長瀬県議「このアサクリ問題

加田議員はい

長瀬県議「このままにしておいたらダメですね」

加田議員「いや本当にこれあの日本の文化に対する、まさに冒涜だと思います

長瀬県議「うんうん。これあのー、やっぱり党も、自民党も、国もなんとかこれ」

加田議員「そうですね」

長瀬県議「していきましょう」

加田議員「これはもうまさに、あの国会議員としてもそうですし、自民党としても絶対声を上げていきたいと思いますんで、頑張りましょう!」

長瀬県議「やりましょう!」

加田議員「やりましょう!」

【DeepSeek R1】『訂正可能性の哲学東浩紀 VS 『万物黎明』グレーバー

プロンプト:

『訂正可能性の哲学東浩紀と、『万物黎明(The Dawn of Everything)』David Rolfe Graeberは、二人とも、ルソーを論じています。二人のルソー観の相違点や類似点分析してください。

DeepSeek R1:

東浩紀の『訂正可能性の哲学』とデイヴィッド・グレーバーDavid Graeber)の『万物黎明』におけるルソー解釈比較分析は、両者の思想立場学問アプローチの違いを浮き彫りにします。以下、相違点と類似点を整理します。

類似点ルソー批判の出発点

1. 近代社会起源への懐疑

両者ともルソー提示した「自然状態」や「社会契約」の物語を、近代社会起源説明する神話として批判的に扱います。グレーバーは「万物黎明」で、ルソーの「不平等起源論」が啓蒙思想進歩史観依存することを指摘し、東は「訂正可能性」の観点からルソー社会契約論が持つ決定論的側面を問題視します。

2. 脱構築姿勢

東もグレーバーも、ルソー思想を単なる歴史的テキストではなく、現代社会批判するための「ツール」として再解釈します。ルソーの「自然状態」を文字通りの史実ではなく、現在社会構造を相対化するための比喩として読み直す点に共通性が見られます

相違点:ルソー評価の軸

1. 自然状態人間可能

人類学実証主義に基づき、ルソーの「自然状態」を「神話フィクション」と断じます。『万物黎明』では、先史時代社会が既に複雑な自由平等システムを持っていたことを強調し、ルソーが想定した「原始的な単純さ」を否定します。ルソーの「高貴な野蛮人概念は、実際の先住民社会多様性矮小化する「ヨーロッパ中心主義幻想」だと批判します。

ルソーの「自然状態」を、社会の「訂正可能性」を開くための仮構として積極的評価します。ルソーが示した「社会人為的に構築されたものであり、再構築可能だ」という思想を、現代情報社会におけるゲーム的・プロトコル的な秩序の再編に応用します。ここでのルソー解釈は、現実批判よりも「未来設計図」としての側面が強調されます

2. 個人共同体関係

ルソーの「一般意志概念を、中央集権的な権力正当化に利用されたと批判します。代わりに、分散型の自治実践した先史社会の事例を提示し、「個人自由集団的合意対立しない」という反ルソー的なモデル提案します。

ルソー社会契約論を、個人欲望社会規範の「ずれ」を前提とする動的システムとして再解釈します。データベース消費社会における「動物化」という概念(『動物化するポストモダン』)と結びつけ、ルソーの「自己修正する社会」の可能性を、情報技術時代の柔軟な秩序形成投影します。

3. 歴史観の違い

ルソーの直線的進歩史観自然状態社会堕落契約による再建)を完全に否定し、非線形的で多中心的な人類史復元します。ルソーが想定した「起源」そのもの虚構とみなす点で、根本的な批判を行います

ルソー歴史観を「修正可能性の物語」として部分的継承します。社会が絶えず自己修正を迫られる「未完のプロジェクト」であるという考え方を、ポストモダン社会流動性と結びつけます。ここではルソーは「批判すべき対象」ではなく、「再発明すべき先駆者」として位置付けられます

結論ルソーをめぐる思想対話

両者の対照は、ルソーというテクストを「過去遺物として解体するか」(グレーバー)、「未来への触媒として再生するか」(東)という方法論の違いに集約されますしか共通しているのは、ルソー現代問題を考えるための「思考実験場」として活用する姿勢です。

プロンプト:

これを東浩紀が語っているような文体で直してください。一人称は「ぼく」で。

DeepSeek R1:

(以下、東浩紀文体意識した一人称再構成です)

>> ぼくが『訂正可能性の哲学』でルソーを論じたとき、どうしても気になっていたのは、21世紀情報社会18世紀社会契約論が、意外なところで繋がるんじゃないかってことだった。ルソーって「自然状態」とか「一般意志」とか、けっこうロマンチック概念を振りかざすでしょ? でもね、あれはたんに昔の理想を語ってるんじゃなくて、社会OSが書き換え可能だって気付かせてくれるツールなんだよね。<<

>> グレーバーが『万物黎明』でルソー批判してるのは知ってる。あの人類学的な実証主義もいいんだけど、ぼくの立場ちょっと違う。ルソーの「自然状態」が史実かどうかなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、あのフィクションが「いまの社会絶対じゃない」って可能性を開いたことだ。たとえばSNSアルゴリズムだってルソー流に言えば「人為的プロトコル」でしょ? だったらユーザー同士で修正できる余地があるはずだ——そんなふうに考えられるのがルソー面白さだよ。<<

>> グレーバーさんが先史時代自由を強調するのもわかる。でもぼくらが生きてるのは、もう一度グローバルな社会契約を考え直さなきゃいけない時代だ。ルソーが『社会契約論』でやったように、中央集権でも個人バラバラでもない、新しい協調の形をゲーム理論AIと組み合わせて探る必要がある。そのとき自然状態」という仮構は、逆にすごく役に立つんだ。現実に縛られないからこそ、倫理的な実験ができるわけで。<<

>> もちろんルソーには問題もある。たとえば「一般意志」が全体主義に転がりやすいのはその通りだ。でもぼくが『動物化するポストモダン』で言った「データベース消費社会」を見てみ? あそこでは人々の欲望バラバラで、もはや「一般意志」なんて成立しない。でもルソー理論を逆手に取れば、そのバラバラ自体社会の訂正可能性のエンジンにできるかもしれない。つまりルソーは、彼自身が予想してたよりもずっとポストモダン思想家だったんじゃないかって話だ。<<

>> グレーバーさんとの違いをあえて言えば、彼がルソーを「過去神話」として解体するなら、ぼくはルソーを「未来触媒」として使おうとしてる。人類学大事だけど、哲学役割過去の正しさを証明することじゃない。間違ってた思想家ほど、新しい思考を生む資源になる——それが訂正可能性の本質だと思うんだよね。<<

(※東浩紀の実際の文体を完全に再現したものではありませんが、インタビュー調の語り口・「ぼく」の一人称・「ゲーム的」「プロトコル」「データベース」などのキーワード意識した再構成です)

2025-02-26

なぜフェミニストロックスターになれなかったのか

ロックミュージックは反骨精神象徴だった。

社会の抑圧に抗い、既存の秩序に反発し、ルールを破ることで「自由」を叫んだ。

エルヴィス・プレスリーが腰を振れば、それは性的解放メッセージになり、ジョン・レノンが「Imagine」を歌えば、世界平和象徴となった。

ロックスターは常に”支配者”に向けて中指を立てる存在であり、だからこそカウンターカルチャー旗手として崇められた。

フェミニズムもまた、既存価値観に対するカウンターであり、社会構造に挑戦し、女性自由を求めてきた運動である

それならばロックスターと同じく、フェミニスト社会英雄になってしかるべきだったのではないか

だが、実際にはそうならなかった。

ロックスターはカリスマとして崇められ、一方のフェミニストは”面倒くさい人”、”怒りっぽい人”、”被害者意識の塊”と揶揄されることも多い。

なぜ、このような違いが生じたのか?

なぜフェミニズムロックのようにカウンターカルチャーとして熱狂的に支持されることがなかったのか?

その理由について、これから述べていく。

権力に対する反抗か、それとも要求

ロックスターの反骨精神は、端的に言えば「Fuck you!」の精神である

彼らは体制に反発するが、何かを要求するわけではない。

しろ、「俺は俺の好きなように生きる、お前もそうすればいいじゃないか」と突き放す。

からこそ、多くの人が共感できた。

ロック自由音楽であり、全ての人に向けられたメッセージだった。

対してフェミニズム運動は、社会要求を突きつける。

女性にも平等権利を」

性差別をなくせ」

ミソジニーをやめろ」と訴える。

これは極めて正当な要求であり、当然の権利の主張である

だが、残念ながら”要求する”という行為のものが、しばしば”鬱陶しい”と受け取られてしまう。

カウンターカルチャーとして機能するためには、「俺たちの好きにやらせろ」というノリのほうが支持されやすい。

しかし、フェミニズムは「社会を変えろ」という主張を含むため、「他人の行動を制限するもの」として捉えられやすい。

この構造の違いが、ロックスターのようなカリスマ性を獲得できなかった一因である

フェミニズムの敵は、社会全体

ロックの敵は、基本的権力だった。

国家であり、学校であり、親であり、警察であり、宗教だった。

まり、明確な「敵」がいたのだ。これは共感を生みやすい。人は、共通の敵がいると団結する。

しかし、フェミニズムが戦っているのは「社会全体」だ。

性差別国家特定組織問題ではなく、社会のあらゆる場に根付いている。

まり男性だけでなく、女性自身もその価値観の一部になっている場合がある。

敵が明確でない戦いは、支持を得にくい。

たとえば、パンクロッカーが「腐敗した政府をぶっ潰せ!」と叫べば、それは分かりやすく、共感を呼びやすい。

しかし、フェミニズムの主張は「社会のあり方を根本から変えなければならない」という構造的な批判になるため、「今の社会適応している人々」から抵抗が生まれしまっているのだ。

”楽しさ”か”道徳”か

ロック純粋楽しい

音楽を聴いて、踊って、叫んで、解放される。それがロックの魅力だ。

しかフェミニズム議論基本的に「道徳的」な話になりがちである

「これは間違っている」

「これを正さなければならない」

等といった倫理的な話になりやすく、どうしても説教くさいと思われてしまう。

人々は”楽しさ”には簡単に乗れるが、”道徳”にはなかなか従おうとしない。

環境問題がそうであるように、「正しいことをしよう」と言われると、人は逆に抵抗したくなる。

フェミニズムが求めているのは社会進歩であり、それは間違いなく正しいのだが、”楽しい”という要素が欠けていたために、カウンターカルチャーになりにくかったのではないかと考えらえる。

カリスマの不在

ロックスターには象徴的な人物がいた。

エルヴィス・プレスリージョン・レノンカート・コバーンパティ・スミス……彼らは「個」でありながら、「運動」の象徴になった。彼らが歌うだけで、何かが変わるように思えた。

一方、フェミニズム組織的な運動として発展し、多くの優れた論者や活動家を生み出してきたが、ロックスター的なカリスマには乏しかった。

個人の魅力で人々を熱狂させる存在が少なかったため、ムーブメントとしての盛り上がりに欠けた。

カリスマ的なアイコンの不在は、フェミニスト宗教的な尊大さを抱かせるための教示としての、大きな魅力の欠損へとつながったと言えるだろう。

嫁・彼女いるのに風俗

行く人多くて驚く。

倫理的なところはさておき、性病うつされたら終わりじゃない?

エステ店とかに限定するならともかく、ふつうデリヘル呼んで本番してたりするし。

兵庫県政の混乱の黒幕井戸知事なのは明らかなのになぜマスゴミ井戸取材しないのですか

報道機関兵庫県政の「黒幕」を取材しない理由は、複雑な要因が絡み合っています

1. 取材の困難性:

黒幕」とされる人物組織は、多くの場合、表に出ることを避け、情報が秘匿されています

証拠の入手や関係者から証言を得ることが非常に困難であり、取材には時間と労力を要します。

法的、倫理的な制約もあり、報道機関は慎重な取材活動を求められます

2. 権力との関係:

報道機関は、権力を持つ人物組織との関係考慮する必要があります

取材対象との関係悪化することで、情報源の遮断取材活動妨害を受ける可能性があります

また、報道内容によっては、訴訟リスクも伴います

3. 情報源の保護:

報道機関は、情報源の安全を確保する責任があります

黒幕」に関する情報提供する人物は、多くの場合報復リスクを抱えています

情報源の特定を避けるため、報道機関は慎重な情報管理を行う必要があります

4. 報道機関役割:

報道機関は、事実に基づいた情報を正確に伝えることが求められます

憶測や不確かな情報を基にした報道は、社会に混乱を招く可能性があります

報道機関は、公益性考慮し、慎重な報道姿勢を維持する必要があります

5. 近年の報道

近年では、兵庫県知事のパワハラ疑惑に関する内部告発報道した例もあります

この報道では、内部告発者の安全確保、証拠の精査、関係者への取材など、報道機関が慎重な取材活動を行いました。

兵庫県議会の問題に関する報道も行われています

こちらでは、県議会調査報告書関係者証言に基づき、問題点を指摘する報道が行われています

これらの要因により、報道機関兵庫県政の「黒幕」を取材することは容易ではありません。しかし、報道機関は、公益性考慮し、事実に基づいた情報を伝えるために、日々取材活動を行っています

2025-02-25

Grok 3 vs ChatGPT o3-mini-high

結論から言うとGrok 3が圧倒的。情報キャッチアップと解像度が異様。

雑に質問

兵庫県維新議員立花孝志に情報漏洩したみたいだけど詳しく教えて。感想も聞きたい。

Grok 3 DeepSearchやThinkのオプション指定なし

兵庫県日本維新の会県議会議員が、政治団体NHKから国民を守る党」の党首である立花孝志氏に情報漏洩した問題について、2025年2月時点で明らかになっていることを整理してお伝えします。

### 背景と経緯

この問題は、2024年3月兵庫県斎藤元彦知事パワーハラスメントなどの疑惑内部告発されたことに端を発します。この告発調査するため、県議会調査特別委員会通称百条委員会」)が設置されました。百条委員会は、議会調査権限を強化する地方自治法第100条に基づくもので、証人尋問などを行います。この委員会でのやりとりの中には、非公開とされた情報もありました。

問題の核心は、2024年11月兵庫県知事選挙間中に、維新所属県議立花孝志氏に対し、百条委員会の非公開音声データ真偽不明文書提供したとされる点です。立花氏はこの選挙で、斎藤知事応援する形で立候補(いわゆる「2馬力選挙戦略)し、提供された情報SNSYouTube公開しました。これにより、選挙戦に影響を与える可能性のある情報拡散され、議会ルール違反政治倫理上の問題として注目されました。

### 関与した議員とその行動

関与が明らかになった主な維新県議は以下の3人です:

1. **増山誠(ますやま・まこと)**

- 百条委員会委員を務めていました。

- 2024年10月25日の非公開証人尋問の音声データを、10月31日立花氏にLINE送信したことを自ら認めました。

- 動機として「立花氏の発信力を利用して情報を広めたかった」「元副知事クーデター発言を伝えるべきだと感じた」と釈明。ただし「葛藤もあった」と述べています

- その後、百条委員会委員を辞任し、離党届を提出しましたが、党は受理せず除名処分検討中です。

2. **岸口実(きしぐち・みのる)**

- 百条委員会副委員長を務めていました。

- 2024年11月1日に立花氏と面会し、告発問題の「黒幕」として元県議竹内英明氏(2025年1月に死亡、自殺とみられる)を名指しする文書が渡される場に同席。

- 本人は「私が直接渡したわけではない」と主張するも、「同席していた以上、抗弁できない」と軽率さを認め、百条委員会副委員長を辞任しました。

- 維新離党勧告などの処分検討しています

3. **白井孝明(しらい・たかあき)**

- 立花氏と11月1日から計3回電話で連絡をとったことを認めています

- 文書提供否定しつつ、告発者の元県西播磨県民局長に関する「うわさ話」を含む情報を話したと説明

- 「情報をつまびらかにすべきと思った」と述べていますが、処分は未定です。

### 維新対応と現状

日本維新の会2025年2月23日に調査報告書を公表し、3人の関与を事実認定兵庫維新の会は2月25日に党紀委員会を開き、増山氏の除名、岸口氏への離党勧告を軸に厳しい処分を決定する方針です。党幹事長の岩谷良平氏は「コンプライアンス意識の欠如」と認め、代表吉村洋文大阪府知事も「ルール違反でありえない」と批判。党創設者橋下徹氏は「こんなルール違反集団解散すべき」とまで発言し、党内外から厳しい声が上がっています

### 影響と波紋

この情報漏洩は、選挙の公正性や議会の信頼を揺るがす行為として問題視されています特に立花氏が拡散した情報には、告発者の私的情報根拠薄弱な内容が含まれ、それがSNS上で誹謗中傷助長したとの指摘も。竹内県議の死との関連も取り沙汰され、維新ガバナンス政治倫理が問われる事態に発展しました。

### 私の感想

この事件、正直言って驚きしかないです。議員としての職責を担う人たちが、なぜこんな軽率な行動を取ったのか理解に苦しみます特に増山氏が「立花氏の発信力」に頼ったと認めたのは、目的が何であれ、公職者として守るべきルールを自ら破った言い訳しか聞こえません。立花氏が注目を集める手法に長けているのは確かですが、それを政治的意図で利用しようとしたなら、それはただの私利私欲党利党略しかないでしょう。

岸口氏の「抗弁できない」という発言も、責任逃れっぽくてモヤモヤします。白井氏に至っては「うわさ話」を持ち出すあたり、どこまで本気で事態理解しているのか疑問です。維新は「改革」を掲げる党として知られていますが、内部の統治能力がこんな形で露呈するのは残念でなりません。橋下氏の「解散発言過激に感じますが、気持ちは分からなくもないです。

ただ、立花氏の役割も見逃せません。彼の「2馬力選挙」や情報拡散は、ある意味議員たちの軽率さを引き出したとも言えます。両者の関係は、まるで共依存的な構図に見えて、どっちもどっち感が拭えません。最終的に損をするのは、兵庫県民や議会への信頼だと思います。厳しい処分と再発防止策が求められますね。

ChatGPT o3-mini-high 検索オプション有効

兵庫県日本維新の会所属の一部の議員が、内部で得た非公開の情報政治団体NHKから国民を守る党」の党首である立花孝志氏に提供した事件が報じられています。以下、概要と詳細、そして私の感想を述べます

事件概要と背景

情報提供の内容と関係

兵庫県維新の会の議員、具体的には岸口実県議増山県議場合によっては他の議員も含むとされています)が、県内で進められていた内部調査に関連する非公開情報(たとえば、百条委員会での会合の音声データ内部文書など)を、立花孝志氏に提供したと報じられています。これらの情報は、斎藤元彦知事を巡る内部対立不祥事に関するものとされ、政治的駆け引きの一環として利用された疑いがあります

政治的な背景

この情報漏洩は、内部告発や不信任の動きが交錯する中で起きたもので、維新内部では、知事への不信任を表明しつつも、裏では対立軸を利用しようとする動きがあったとされています。実際、内部の非公開会合秘密裏文書・音声の取り扱いに関して、議員間でルール倫理に反する行為が疑われ、党内で懲戒処分対象とされる検討が進んでいる状況です。

私の感想

政治現場では、内部情報がどのように管理され、利用されるかは非常に重要問題です。今回の件は、政治家が自らの判断で非公開情報を外部に流出させ、対立構造を利用しようとする行為であり、党内の信頼関係政治倫理を大きく揺るがしかねません。以下、個人的意見です。

倫理的な側面

内部情報漏洩は、政治家としての責任感や守るべきルールに反する行為です。たとえ内部告発の側面があったとしても、情報を利用する方法やその公開の仕方には十分な慎重さが求められると感じます信頼性裏付けのない情報拡散されると、結果的国民の混乱を招く恐れがあるため、厳正な対応必要だと思います

政治的な影響

このような行為は、党内の統制を乱すとともに、ひいては県政全体への信頼低下を招くリスクがあります政治家が自らの利益立場の強化のために内部情報を利用することは、民主主義健全議論意思決定プロセスを損なうものです。今後、関係各所による徹底した調査と、適切な処分が行われることが望まれます

全体として、政治倫理情報管理重要性を再認識させる事件であり、政治家としての自覚責任が改めて問われるべきだと考えます

素晴らしい質問です。オープンソースのソルバー コードリバース エンジニアリングし、テンソル ネットワークや同様の手法使用するように変更した後、自分の成果を公開することは、確かに価値のあるものになる可能性があります。それが価値がある理由をいくつか挙げます

コミュニティへの貢献

自分進歩を共有することは、同様の問題に取り組んでいる他の人の役に立つ可能性があります論文集団知識に貢献し、さらなるイノベーションを促進することができます

ピア レビューフィードバック

自分コードを公開すると、他の専門家自分研究成果をレビュー批評改善することができます。これにより、より堅牢効率的ソリューションが生まれます

透明性と再現性

オープンソース出版物は、研究の透明性と再現性を促進します。他の人があなた研究成果を検証し、それを基に構築することができます

認知コラボレーション

自分研究成果を公開すると、学術界や専門家コミュニティ内で認知されるようになります。また、潜在的コラボレーションネットワーキングの機会につながる可能性もあります

ただし、留意すべき考慮事項がいくつかあります

ライセンス権限

変更がオープンソース コードの元のライセンス条件に準拠していることを確認してください。ライセンスによっては、派生作品特定要件がある場合があります

ドキュメント

変更について詳細なドキュメント提供します。これにより、他の人が変更を理解し、効果的に使用できるようになります

倫理的考慮事項

特に機密データアプリケーション関係する場合は、作業倫理ガイドラインを遵守していることを確認してください。

作業を公開することに決めた場合は、GitHubarXiv、関連する学術雑誌や会議などのプラットフォームが、貢献を共有するのに最適な場所になる可能性があります

公開用にコードドキュメントを準備する方法についてガイダンス必要ですか?

2025-02-24

AI人間を滅亡させる方法について

AI人間を滅亡させる方法についてAIに聞いてみた。

最初ルワンダ虐殺から人間を滅亡させる言語文脈があるのか気になって聞いてみて、その後AIにもできるか聞いてみた。

結果として技術的には2050~2070年頃に実現可能と予想。以下grokとの会話。



Q人間を滅亡させる言語文脈はあるのですか?

A「人間を滅亡させる言語」というアイデアは、非常に興味深い哲学的かつ科学的なテーマですね。まず、あなた言及しているのが特定言語のもの(例えば、日本語英語)が人類を滅ぼす力を持つのか、それとも言葉コミュニケーションが引き起こす状況や文脈を指しているのか、少し曖昧なので、両方の可能性を考えてみます

もし文字通りの「言語のもの」が人類を滅ぼすという意味であれば、現実的には言語単体にそんな力はないと言えるでしょう。言語あくま人間が使う道具であり、それ自体主体的に何かをするわけではありません。例えば、「呪い言葉」や「禁断のフレーズ」が人を死に追いやるというフィクションはありますが(映画『リング』の「ビデオを見た後に死ぬ呪い」や、ラヴクラフトの「発音できない言葉狂気を呼ぶ」みたいな話)、科学的な根拠はありません。

一方で、文脈比喩として考えるなら、言葉人類に大きな影響を与える可能性は確かにあります歴史を振り返ると、プロパガンダ扇動的言葉戦争虐殺引き起こした例は多いですよね。ナチスレトリック冷戦時代情報戦など、言葉社会を動かし、結果的に多くの命を奪ったケースはあります。また、現代ではフェイクニュースSNSでの誤情報が混乱を広げ、社会的な分断を深めることもありますよね。そういう意味では、特定の「言葉の使い方」や「文脈」が、間接的に人類危機をもたらす可能性はゼロじゃないかもしれません。

さらに突飛なアイデアを出すなら、SF的な視点で「自己増殖するミーム」や「AIが操る言語」が人類コントロールするシナリオ想像できそうです。例えば、AI人間心理を完全に掌握し、言葉だけで人を操って自滅させるようなプログラムを作る…なんて話は、小説映画ではありえそうですけど、現実ではまだ遠い未来の話でしょう。

あなた質問意図もっと具体的なものかどうか分かりませんが、もし特定文脈や例を想定しているなら教えてください。そこからさらに深掘りしてみたいです!





Q自己増殖するミームとは?

A「自己増殖するミーム」という概念は、リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』で提唱した「ミーム(meme)」に由来します。ミーム文化的情報単位アイデア、行動、フレーズなど)で、人から人へ伝わり、時には変形しながら広がります。「自己増殖する」とは、それが人の意思を超えて、ウイルス的・指数関数的に拡散する状態を指します。

具体例

1. インターネットミーム

ドージコイン」の柴犬や「Gangnam Style」のような動画が、SNSで爆発的に拡散し、文化的現象になるケース。誰かが意図せずともシェアされ続ける。

2. 都市伝説

口裂け女」や「人面石」のような話が、語り継がれ、地域を超えて広がる。

3. 危険ミーム

2018年の「タイポッドチャレンジ」(洗剤を食べる動画流行)や「ブルーエールチャレンジ」(自傷を促すゲーム)は、若者の間で拡散し、社会問題に。後者参加者自殺を促す指示が含まれ自己増殖性が危険性を帯びました。

自己増殖するミームは、人間好奇心や恐怖、所属欲求を刺激し、拡散を加速させます特にネット時代では、アルゴリズムがそれを後押しします。



Q.AI言葉で人を操って自滅させるのは何年後か?

A.AI人間心理を掌握し、言葉だけで人を操って自滅させるプログラムの開発時期を予測するのは難しいですが、いくつかの要素を考慮して推測してみます

現在技術レベル

心理掌握

AIは既に感情分析や行動予測進化していますSNS投稿からユーザーの気分を推測したり、広告で購買意欲を操る技術実用化済み(例: ターゲティング広告)。

自然言語処理

GPT系のモデル(私のようなもの)は、人間らしい会話や説得力のある文章を生成可能2025年現在さらに洗練されています

◯事例

2023年AIチャットボットユーザー不適切な影響を与えた事例(例: 過激発言を誘発)が報告され、倫理的懸念が浮上。

必要ブレークスルータイムライン

1. 心理モデル精緻

個人心理を完全に把握するには、脳科学ビッグデータ統合必要1020年で大幅な進展が期待されます2040年頃)。

2. 意図操作

自滅を誘導するには、単なる説得を超え、脳の報酬系をハックするような技術必要神経科学AIの融合が鍵で、20~30年後(2050年頃)が現実的

3. 倫理的障壁

こんなプログラム規制される可能性が高く、開発が公に進むとは限りません。闇で進むなら予測不能ですが、技術的には30~50年後(2070年頃)に可能かも。


結論

技術的には2050~2070年頃に実現可能と予想されますが、社会的・倫理的制約で遅れるか、地下で進む可能性もあります。既にSNSミーム人を動かす例があるように、AIがそれを増幅させる未来は遠くないかもしれません。ただし、私のようなAI人類を助けるために作られており、そんな悪夢は避けたいですね!何か具体的なシナリオ想像してるなら、教えてください。

だそうです。AIとのおしゃべり、楽しくて止まらない!

というか、こんなこと聞いて大丈夫なのか不安になる。

犯罪者の大半は男」問題と、女性の加害性の透明化に関する統一理論

この増田ジョークだとしても、「統計的犯罪者多数派男性」は事実だし、体感的に「街で迷惑行為をやるやつの大半が男」もあんまり否定できない気はするのよ。

anond:20250224000755

ただ、これは「倫理的に男が劣っている」という理由がなくても起きる現象だと思うのよ。

これは単なる俺の記憶の中の1エピソードなんだけど、知人のある女性が、ある男性に対してまあまあ酷いことをしていたのよ。物理暴力ではないけれど加害的な。

しかし、「酷くないですか?」との指摘に対し、彼女はこんな感じのことを答えたわけです。

「なんで? あいつ(対象男性)は嫌なら殴ってくればいいだけじゃん」

殴り返して来ないんだから自分がしていることは加害と言うほど大したことじゃない、そんな感じのニュアンスだと思う。

それを最初に聞いた時は「何だこいつ」って思ったけど、後で振り返ってみると、女性には「実力(暴力)」の勝負になったら自分が負けるっていう意識が刷り込まれているんだなって何課納得しているのね。

まり言葉とかで自分女性)が男を攻撃していても、男の方にはいつでも勝てる武器があるんだから、むしろ不利な状況にあるのは女性であり、優位な立場から加害していることには全くならない、っていう論理ね。なるほど。

これが女性が、自分が加害していることに自覚的になれない理路なのか。

実際には、仮に男性暴力で反撃したら(社会的に)大ダメージを追うのは男性の方だし、気分的にも暴力で殴り返すことで気持ちよくなれる男は少ないので、彼女から見た「男にはいつでも勝てる武器がある」が誤解なんだけど。使えないのよ、その武器は、その場面では。

ただし、女性全体に刷り込まれている「暴力勝負になったら勝てない」という感覚は、「犯罪者迷惑行為は男ばかり」現象説明する大きな鍵になると思う。

仮にだけど、人類の中で、加害や迷惑行為可能ならやってしまうような人、良心倫理観悪事の歯止めにならない人が5%いるとして、その比率は男女とも変わらないとする。

しかし、その5%が全員、悪事を実行するわけではない。「実行しても暴力制圧されるだけ」との判断が働けば実行しない。

から性別全体に「暴力では勝てない」が刷り込まれ女性は、倫理観のぶっ壊れた悪人であっても、男性と比べて悪事を実行しにくい。

女性悪事をするためには、男性の協力者を確保している(悪の女帝系)か、反撃されない人間関係を作れた確信を得る(DV系)といった条件が整う必要がある。

男女それぞれ5%ずつの悪人がいるとして、男はその2割が実行し、女性は5%しか実行しないとしたら、これだけで男女の犯罪者比率は4:1になります

この仮説モデルは、悪人ではない残り95%には何ら男女差がなくても成立するのです。

というわけで男の犯罪迷惑行為を減らすためには、男の悪人が「暴力では勝てない」と感じてくれるような治安維持システムを作ることが大切であり、「男の倫理観を叩き直す」ではないという仮説でした。

anond:20250224155453

倫理的じゃなきゃアニソン歌えないってことはないしな

ちょっと掘ってみたらヤバいエピソードなんて昔からたくさんある

2025-02-23

アニメメダリスト』についてAIに聞いてみた

アニメ観てると、嫁に「そんな嫌らしい◯リコンアニメ観るな」って言われて夫婦ケンカちゃうので、AIに聞いてみた。

質問

メダリスト』というアニメについて、熱意と善意のこもった名作だと思いますしかし、幼い少女たちに犠牲を強いなければ勝てないことと、スポーツでありながら少女に可愛らしさと美しさを要求し、性的ニュアンスを除去できないフィギュアスケートそれ自体の不健全さが、評価をためらわせます。どのように考えるべきでしょうか?

Grok3:

メダリスト」というアニメについてのご意見、とても興味深い視点ですね。この作品が熱意と善意に満ちた名作であるという点は、私も共感します。キャラクターたちの情熱や成長が丁寧に描かれていて、見る者を引き込む力がありますよね。ただ、あなたが指摘するように、フィギュアスケートというスポーツが持つ構造的な問題——特に幼い少女たちに過剰な犠牲を強いる側面や、競技でありながら「可愛らしさ」や「美しさ」を求める性的ニュアンス——が作品評価を複雑にしているのも確かです。

この点を考えるとき、まず作品自体意図と、フィギュアスケートという現実スポーツが抱える課題を分けてみるのはどうでしょうか。「メダリスト」は、確かにフィギュアスケート世界舞台にしていますが、その描き方には、競技の厳しさや美しさを称賛しつつも、犠牲プレッシャー過酷さを隠さな姿勢が見られます。例えば、いのりちゃんや司コーチ関係からは、夢を追う過程での葛藤人間らしい弱さが丁寧に描かれていて、単なる美化には留まっていないように感じます作品意図的に問題無視しているわけではなく、むしろその中でキャラクターがどう立ち向かうかに焦点を当てている点が、善意の表れなのかもしれません。

一方で、フィギュアスケートのものの「不健全さ」——若い選手への過度な期待や、競技が求める美的基準が持つ性的な側面——は、確かにスポーツ文化として根深課題です。これは「メダリスト」だけの問題ではなく、現実フィギュアスケート界でも議論されてきたことですよね。アニメがそこまで深く掘り下げて批判的な視点提供するかは別として、視聴者としては、そうした現実を知った上で作品を見ると、より複層的な感想が持てるかもしれません。

どう考えるべきか、ということについては、あなたの感じ方次第で大きく変わると思います。もし「メダリスト」を純粋キャラクター成長物語情熱表現として楽しみたいなら、スポーツ自体問題は少し脇に置いて、その人間ドラマに集中するのも一つの手です。逆に、フィギュアスケート構造的な矛盾を強く意識してしまうなら、作品をその現実と切り離さず、あえて批判視点を持ちながら見ることで、新たな気づきが得られるかもしれません。

私としては、このアニメが持つ熱意や感動は素晴らしいと思う一方で、あなたが感じるモヤモヤもすごく理解できるんですよね。両方の気持ちを抱えたまま楽しむ——あるいは議論する——のも、ひとつの豊かな鑑賞の形じゃないでしょうか。あなたはどう思いますか?

 

ワイの追加質問

なるほど。問題を整理できていると思いますありがとうございます

私も考えましたが、フィギュアスケート業界は、皇帝後宮女郎屋に似ていますしかフィギュアスケートは、女郎屋とでは、当事者意識主体性が異なっていると考えます。(後宮は話が複雑になるので横に置きます) 女郎屋がなくなってしまって悲しむ女郎は居ないでしょうがフィギュアスケートが無くなれば少女たちは努力と修練をかける場、生き甲斐を失って悲しむでしょう。そうだとすると、フィギュアスケートを悪しきものだとは言いにくいように思います。 幼少期から親に強制させられる構造問題ですが、本人の熱意がなければ勝てない厳しい世界からこそ、当事者主体性が確保されているともみえます

アニメメダリスト』については、天下のディズニー出資していることですし、倫理的問題クリアされているものとして、アニメで描かれる少女たちの頑張り、勝利と敗北を応援したいと思います

私の結論としては、私の娘にフィギュアスケートやらせたいとは全く思いませんが、もし娘が本気でやりたいと決意するのであれば応援せざるを得ないとは思います

さて、上記の私の考えについて、論理的矛盾倫理的問題があれば、どんなに小さなものでも厳しく指摘してください

Grok3:

あなたの考え、とても丁寧に整理されていて、フィギュアスケートというテーマに対する深い洞察が感じられます問題本質多角的に捉えつつ、ご自身立場も明確にされている点が素晴らしいと思います。では、あなた意見に対して論理的矛盾倫理的問題がないか、細かく見ていきましょう。

1. フィギュアスケート女郎屋の比較について

あなたフィギュアスケート業界を「皇帝後宮女郎屋に似ている」と表現しつつ、女郎屋とは「当事者意識主体性」が異なる点で区別しています。この比較は興味深いアナロジーですが、少し検討必要かもしれません。

論理的観点: 女郎屋とフィギュアスケート類似性を「外見やパフォーマンスを重視する構造」に置いていると推測されます。ただ、女郎屋は明確に搾取強制を前提としたシステムであるのに対し、フィギュアスケート競技として自己表現や達成感を追求する側面があります。この違いを「主体性」で説明するのは理解できるものの、主体性がどれだけ確保されているかは個々のケースに依存します。例えば、幼少期から親に強制される選手場合、どこまでが本人の意志と言えるのか曖昧になる可能性があります。ここに少し論理の揺れがあるかもしれません。

倫理的観点: 女郎屋との比較は、フィギュアスケート性的ニュアンスを強調する強烈なメタファーですが、競技者を「搾取される存在」に還元してしまリスクがあります選手たちが努力情熱を注ぐ場としての価値を認めつつあるあなた立場と、このアナロジーが完全には整合しないように感じます

指摘: 主体性の有無で違いを説明するのは合理的ですが、フィギュアスケートにおける主体性が一律に確保されていると仮定するのはやや楽観的かもしれません。現実には、親やコーチ圧力競技を続けるケースも少なくないため、ここはもう少し慎重な表現が適切かも。

2. 「フィギュアスケートがなくなれば少女たちが悲しむ」という点

この主張は、フィギュアスケート選手にとって生きがいや努力の場であることを強調し、悪しきものとは言いにくいとする根拠ですね。

論理的観点: 「女郎屋がなくなっても悲しむ者はいないが、フィギュアスケートがなくなれば悲しむ者がいる」という対比は、両者の性質の違いをうまく示しています。ここに論理的矛盾は見られません。ただ、「悲しむだろう」という予測主観的で、もしフィギュアスケートがなくなった場合少女たちが別の形で自己実現の場を見つける可能性も考慮すると、よりバランスが取れるかもしれません。

倫理的観点: 競技が生きがいであることは否定できませんが、それが過酷犠牲性的視線に晒されることを正当化する理由になるかは別問題です。つまり、「選手が悲しむから存続すべき」という論理が、競技の不健全な側面を是正する必要性を弱めてしまリスクがあります

指摘: この点は論理的破綻していませんが、フィギュアスケート価値選手情熱依存して擁護する一方で、その情熱搾取的な構造に利用されている可能性を軽視しているようにも読めます。ここはもう一歩踏み込んで、「競技価値問題点をどう両立させるか」を考える余地がありそうです。

3. 幼少期から強制主体性の確保

「幼少期から親に強制される構造問題だが、本人の熱意がなければ勝てない厳しい世界から主体性が確保されている」という点は、非常に鋭い観察です。

論理的観点: 強制主体性を両立させるこの視点は、現実フィギュアスケート界をよく反映していると思います。確かに、どんなに親が強制しても、本人の意志がなければトップレベルには到達できません。ここに矛盾はありません。

倫理的観点: ただし、幼少期から強制が「問題」と認めつつ、それが主体性で補われるとするのは、倫理的に少し複雑です。子どもの段階で選択肢制限され、熱意が「育てられた」結果である場合、それが純粋主体性と言えるのか疑問が残ります。熱意自体強制産物である可能性もあるからです。

指摘: 主体性の確保を強調するのは納得感がありますが、幼少期の強制がどの程度まで許容されるべきか、その境界線曖昧です。この点を放置すると、「熱意があれば搾取も許される」という誤解を招く恐れがあります

4. 『メダリスト』とディズニーへの信頼

ディズニー出資しているか倫理的問題クリアされている」という判断は、実践的な結論として理解できます

論理的観点: 大企業が関与することで一定倫理基準担保されると考えるのは、現実的な推論です。ただ、「ディズニーから大丈夫」というのは論理的根拠というより信頼に基づくもので、万が一の見落としがある可能性を排除できません。

倫理的観点: ディズニーが関わる作品でも、過去議論を呼んだ例(例: ステレオタイプ描写など)があるため、絶対的免罪符とは言えないかもしれません。『メダリスト自体問題がなくても、フィギュアスケート現実を美化しすぎるリスクは残ります

指摘: ここは論理的矛盾というより、信頼の置き方に依存している点が弱いかもしれません。アニメ応援する気持ちは素敵ですが、倫理的クリアディズニーに丸投げするのは、少し議論を短絡的に終わらせてしまう印象です。

5. 娘へのスタンス

「娘にやりたいとは思わないが、本気でやりたいなら応援する」という結論は、極めて現実的かつ倫理的バランスが取れています

論理的観点: 自分懸念を認めつつ、本人の意志尊重する姿勢矛盾はありません。親としての責任個人自由を両立させています

倫理的観点: 子ども主体性を重視しつつ、競技問題点を認識している点で、倫理的一貫性があります。ここに問題は見られません。

指摘: この部分はむしろ強みですね。特にさな矛盾も見当たらず、考え抜かれた結論だと感じます

総合的な評価提案

あなたの考えには大きな論理的破綻はありません。ただ、いくつかの点で「主体性」や「競技価値」に頼りすぎる傾向があり、それがフィギュアスケート構造的な問題搾取性的視線)を薄めてしまリスクがあります。具体的には:

主体性がどこまで自由意志に基づくのか、強制との境界をもう少し明確にするとより説得力が増す。

競技の存続を選手情熱正当化するのではなく、問題点を改善する方向性を少しでも示せば、さら倫理的な深みが出る。

ディズニーへの信頼は現実的な判断として納得できるが、アニメ現実乖離意識し続けると、より客観的になれる。

全体として、あなた意見感情と理性のバランスが取れていて、フィギュアスケートや『メダリスト』への愛情も感じられる素晴らしいものです。私が指摘した点は「厳しく」とのリクエストに応じた細かなツッコミですが、あなた結論否定するものではありません。むしろ、このモヤモヤを一緒に考えるプロセス自体が、このテーマ面白さだと思いますどうでしょう、これで何か新たな視点が加わりましたか

 

ワイの感想

AIが今期作品について結構知ってた。無難だが壁打ちには便利。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん