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はてなキーワード: 情緒とは

2025-03-02

結局のところ運と才能なのか

私は運が良い。

客観的に見てそう思う。

まりこの言葉を使うのはよろしくないとは思うが、所謂ガチャには大当たり。

不自由なく育ててもらい、20代も後半に差し掛かった現在も親の脛を齧りながら生きている。

そんな私を親は時たまぐちぐち言いながらも許容してくれる。

しかし、こと創作においてよく言及されることがある。

「苦労したほうがいいものが生まれる」。

私は演技を生業としているが、正直苦労なんてした記憶がない。

元来兎にも角にも前向きなタチなので、多少の障害は気づかないふりをして乗り越えられる。

そんなメンタリティからか、自分という人間を見つめたときに思う。

なんて情緒が浅いんだ、と。

繊細さなど皆無。よくクリエイターは鬱になったりするが、自分がそうなる未来は見えない。

どれもこれも親の教育の賜物であるとも思う。自己肯定感天元突破しているのだ。

そういう意味でも、私は運がいい。

けれどそんな私にも足りないものがある。

才能だ。

運のおかげで大して売れてもいないのに特に不自由なく生きていけているが、それでもそれ一本で死ぬまで生きていくのは難しい現状。

苦労していないから、精神が図太いから私から良い創作物が生まれないのか?

しかしそれでも結局才能のある人間はいる。

どんなに恵まれていても、才能があれば良い創作はできる。

そこにプラスアルファで運が備わっている人間が売れるのだろう。

私は努力している。

才能と一言で片付けてしまうのが失礼だというのもわかる。

それでも、才能がない人間努力していないわけがない。

いつかより一層質の高い運が巡ってくると信じて。

そのときのために努力し続けるしかない。

2025-03-01

結局のところ運と才能なのか

私は運が良い。

客観的に見てそう思う。

まりこの言葉を使うのはよろしくないとは思うが、所謂ガチャには大当たり。

不自由なく育ててもらい、20代も後半に差し掛かった現在も親の脛を齧りながら生きている。

そんな私を親は時たまぐちぐち言いながらも許容してくれる。

しかし、こと創作においてよく言及されることがある。

「苦労したほうがいいものが生まれる」。

私は演技を生業としているが、正直苦労なんてした記憶がない。

元来兎にも角にも前向きなタチなので、多少の障害は気づかないふりをして乗り越えられる。

そんなメンタリティからか、自分という人間を見つめたときに思う。

なんて情緒が浅いんだ、と。

繊細さなど皆無。よくクリエイターは鬱になったりするが、自分がそうなる未来は見えない。

どれもこれも親の教育の賜物であるとも思う。自己肯定感天元突破しているのだ。

そういう意味でも、私は運がいい。

けれどそんな私にも足りないものがある。

才能だ。

運のおかげで大して売れてもいないのに特に不自由なく生きていけているが、それでもそれ一本で死ぬまで生きていくのは難しい現状。

苦労していないから、精神が図太いから私から良い創作物が生まれないのか?

しかしそれでも結局才能のある人間はいる。

どんなに恵まれていても、才能があれば良い創作はできる。

そこにプラスアルファで運が備わっている人間が売れるのだろう。

私は努力している。

才能と一言で片付けてしまうのが失礼だというのもわかる。

それでも、才能がない人間努力していないわけがない。

いつかより一層質の高い運が巡ってくると信じて。

そのときのために努力し続けるしかない。

結局のところ運と才能なのか

私は運が良い。

客観的に見てそう思う。

まりこの言葉を使うのはよろしくないとは思うが、所謂ガチャには大当たり。

不自由なく育ててもらい、20代も後半に差し掛かった現在も親の脛を齧りながら生きている。

そんな私を親は時たまぐちぐち言いながらも許容してくれる。

しかし、こと創作においてよく言及されることがある。

「苦労したほうがいいものが生まれる」。

私は演技を生業としているが、正直苦労なんてした記憶がない。

元来兎にも角にも前向きなタチなので、多少の障害は気づかないふりをして乗り越えられる。

そんなメンタリティからか、自分という人間を見つめたときに思う。

なんて情緒が浅いんだ、と。

繊細さなど皆無。よくクリエイターは鬱になったりするが、自分がそうなる未来は見えない。

どれもこれも親の教育の賜物であるとも思う。自己肯定感天元突破しているのだ。

そういう意味でも、私は運がいい。

けれどそんな私にも足りないものがある。

才能だ。

運のおかげで大して売れてもいないのに特に不自由なく生きていけているが、それでもそれ一本で死ぬまで生きていくのは難しい現状。

苦労していないから、精神が図太いから私から良い創作物が生まれないのか?

しかしそれでも結局才能のある人間はいる。

どんなに恵まれていても、才能があれば良い創作はできる。

そこにプラスアルファで運が備わっている人間が売れるのだろう。

私は努力している。

才能と一言で片付けてしまうのが失礼だというのもわかる。

それでも、才能がない人間努力していないわけがない。

いつかより一層質の高い運が巡ってくると信じて。

そのときのために努力し続けるしかない。

私は普段からテンションが低い

年齢的なホルモンがどうのこうのによる体調不良ではもう気分が物理で重くて上がらない

体調による気分サゲを年取って自覚してから

性格の明るさみたいなもんは何かしらの体質と変わらないのではと、ふと思ったりもする

痛くも苦しくもないけど情緒おかしい、とか、実生活に特段悩みもないけど気分が重くて重くて持ち上がらない、とか そういうことを経験して思う

私は明るい気持ちで行動する成分が生まれつき少ない、みたいな

性格の明るさは心掛けで変わる、気の持ちよう、みたいな言われ方するけど

気持ちだってそんな簡単には変わらない

2025-02-24

anond:20250224224402

笑顔が可愛くて、気楽に話せて、情緒不安定じゃなければ問題ないのよね。。

anond:20250224110935

わいは整形してないのに肌がっさがさでハゲでいい年なのに表情や情緒若いってキツめの表現でよう言われるで

anond:20250224002723

ほんそれに読める書き方ごめんな。

そもそも、そこにアンマッチさを感じてムズムズした。あと、ドラマ見て没頭して涙して、って感情の移り変わりがお湯入れて3分以内に進む脅威の情緒変遷とか。性的はさておきなんか変な薬やってるとかも疑える。うどん食ってる場合じゃない。

2025-02-23

anond:20250223132731

100ワニはステマが叩かれたんじゃなくてもう少し情緒を大切にしろという話だろ笑

今やってもダメだよ笑

2025-02-21

兵庫県民の50代以下は半分以上がしょうもないデマに騙される馬鹿だと

60代以下、斎藤氏が上回る 告発文書問題「重視」9%

https://news.yahoo.co.jp/articles/bbeb37823a07de890ac89e5e785280aff73d9a3b

https://news.yahoo.co.jp/articles/bbeb37823a07de890ac89e5e785280aff73d9a3b/comments

1020代は7割が斎藤氏を支持 兵庫知事選投票者ネット調査

https://mainichi.jp/articles/20241117/k00/00m/010/222000c

10から30代の圧倒的馬鹿

更に40代と50代ですら馬鹿の方が多いのも凄い

何年生きてんだよこいつら

あとこの記事ヤフコメも改めてみると酷すぎるなこれ

特にこのエキスパート()発言とか

上山信一 慶應大学名誉教授経営コンサルタント

最大の特徴は若者政治参加高校生大学生投票に行った。

それと比例してSNSでの正しい情報入手が進んだ。

テレビ新聞しかみない高齢層は最新情報に接することなく、情緒的な斎藤批判マスコミ報道洗脳されたままだった。

また告発文書問題知事を辞めさせるほどの問題かという素朴な疑問が県民良識判断を引き出した。

マスコミ選挙となると公正中立しか考えず、政策の中身をろくに伝えない。それが故に投票率は低く、組織票が勝ってきたが今回はSNSリッチ情報を伝えた。

すると若者が参加し民意が通じたと言えよう。

実際はデマ屋と情報工作に洗脳されてたのはこういう連中の方で

逆に60代以上の老人達過半数デマに騙されなかったっていうのが事実なのに

SNSでの正しい情報入手()

マスコミ報道洗脳()

いやぁ恥ずかしいなぁ

一生ネットに残るなぁこの醜

2025-02-19

はてブも軟弱者が増えたんだなあ

https://anond.hatelabo.jp/20250215185611

コンクリートに関する一連の記事で、上記増田コンクリート解説増田への批判を書いている。

それに対してブコメの反応は「煽るような書き方は良くない」「こういうマニアが初学者を萎縮させる」といったものが多かった。

随分と手ぬるい空間になったもんだなあというのが正直な感想だ。

はてなってのは「モヒカン族」が多いことで知られていた。

モヒカン族とは、情報の誤りは遠慮なく指摘するべきで、情緒的なやり取りは最小限にする、そんなタイプだ。

口調や態度よりも理屈情報に重きを置くタイプってこと。

元増田は冒頭で少し煽っているだけで、それ以降はコンクリートに関して論じている。

記事に対する批評として誠実な態度だと思うのだが、ブコメを見る限り不評だ。

やはり最近若いはてブユーザーは軟弱になってきたのかもしれんなあ。

あ、ここにいる連中は大して若くないか(笑)

2025-02-18

赤いきつねCM

あれは女向けじゃなくて男向けの動画だっただけだと思う

自分は女だけど、キモいのはキモいけどハーレム漫画とかボーイミーツガール作品見てるようなもんだなって感想だった

まあそれとは別に感動して泣いてる最中カップ麺作って食べるなんて情緒どうなってるんだって意見あって確かにすぎて笑っちゃった

映画見ながら泣きながらうどん作って食べる女絶対嫌だろ

2025-02-16

[] 雷電将軍 ~その声優功罪

いや~稲妻のメインストリー微妙でしたね。

当時はサブクエストこなしながら進める想定だったのか、本筋だけ進めると内戦永遠などのテーマあんまりからまない、いえそれぞれは見てるんですが、なんだか各所を遊覧して気付いたら淑女と戦うことになっていたような気がします。傍観者ポジション?哲平を見るに結構な間ともに戦っていたようですが、そんな感じはプレイヤーにはなかったんですよね。

それで淑女倒して将軍に願いデリバリー真心お届けさせて改心させた、んでしたっけ。

 

稲妻しょんぼりだったせいでモチベーションがなくなってスメールの導入すら進めなくなってだいぶ経ちました。

最近のアプデにより左上でスメール組が催促するようになりましたね。報酬ワープ返して。

 

そんなこんなで雷電将軍伝説任務も進めてなかったのだが…

キャラ伝説任務の前提条件になっとるぅぅぅぅ!!

どうせクイックスタート付きで「クリアしていたらよりお楽しみいただけます方式と高をくくっていたのに…原神さんやってくれたな!

 

課金デイリー一日分を石質に取られちゃあ仕方あんべぇ…と雷電将軍伝説12やりました。

 

 

うーん、よかったですねぇ。

思っていたのと違った。

ボス存在名前は知っていてたので、稲妻放置した分のツケの負のあれこれを返済する物語かと思ったら、結構前向き、後ろを見つめつつ前向きな変化の物語でしたね。いいですよこれ。雷電将軍引きたくなったし。

いい所はざっくり

影のキャラがよかった

過去の慕われていた雷電稲妻民の関係現代とまた別味でよかった

ボス戦が盛り上がった

オチパラドクスが好き

名前が長いですね…

 

ボス戦はようやくのやく開放です。やっぱりストーリーで初対面しないと盛り上がりや思い入れが違うからね。すまん若陀龍王

しかし強い…無限レイズの間に慣れようとしたもの全然だめで、これからどうすればいいのやら…。人間公使の連撃すら避けられないのでね…。

 

ま、いいところは普通にいいので気になるところをたっぷり書きとどめておく。

 

 

1. 影のキャラ

すっごく温和でほわほわしててこんなキャラだっけ?とビックリ

主人公にいつのまにか超好感度高いのはもはやハーレム主人公なのでおいとくとしても、いやそれでもあんなに好かれる理由あったかな?

時系列的には改心してほぼ即休息に入った感じですかね。

 

永遠のための瞑想に入ったのは死別と磨耗への恐れとかがあったからなわけですが、その当人がほぼ500年ぶりの引きこもり独居老人からリハビるのに以外と感性がまともでめちゃくちゃ善良でしたね~。

行なっていたことを考えればもっと(最初は)ピリピリした性格でもよかったと思うのですが。賢い無知キャラでした。

古い価値観タイムスリッパーというよりは観光客的な遊覧でしたねー。

緩い磨耗との付き合いは鍾離がやっていたので、逆に次はヒスるほどヒリついたものが見たかったのはある、かな。

そういうキッツい部分は雷電将軍に任せることになるんでしょうか。なるといいな。

 

2. 内面の掘り下げ方

今回のストーリーはメインストリーで心を開いた?あとの永遠の形の変化を探ることで、まあこれが一番大事であるんだけど、影をあれぐらいとっつきやす性格で描いたのならもっと八重神子とか眞とかとの素な日常の絡みが見たかったところは正直ある。雷電将軍ロボとの普段の付き合い方とか…まあこの伝説任務終わるまでほぼイコールから触れる必要すらなさそうではあるけれども。

それも八重神子の伝説なり今回のイベントで~って感じかな。一発目は完璧インストリーのアフターでもろもろ拾って片付ける必要があったということか。

 

 

3. 正直、展開には磨耗を感じている

原神って死んだら大まかに

1. 記憶が(地脈とかに)回収される

2. 回収されなかったら幽霊になってだんだん薄れる

1でも回収されてもときどき漏れでて幽霊みたいになって現れる。

 

で、原神はこの幽霊に頼るのが非~常に多い。気がする。言い過ぎかなわりとある幽霊というか過去記憶頼りが多い。

稲妻の前の璃月でも胡桃周りで幽霊やったし、この前海灯祭でも胡桃家族幽霊出したし。

最新のナタでも死後の国があるから当然死者がとっっっっっっってもよく絡んでくる。

ナタはナタでいいものだったけどね。

でも雷電伝説でもまた昔の人の記憶に触れたりですね…もう亡くなった人を慮った行動したりですね…

契機が来たから物に残した過去の人物の意識残滓が語りかけてくるとかも、これつい最近シトラリでやったやつ~。達成を見届ける?シュバランケさま~。(もちろん稲妻が数年前だけど)

感動的ではある。毎度感動はするけれども!

ちょっと摩れてきた自分を感じなくはない。NARUTOでも数回あったしさ、個人的に見慣れてきていて悲しい。

 

4. 声優が上手すぎる

雷電将軍日本声優は沢城パイモンセンなんでまー文句なく上手いんです。

しかしなんだか上手すぎるのか…?一人レベルが違う。気がする。

どう表現すればいいのか、抑揚が豊か過ぎる。ひとことひとこと非常に感情が込められていて素晴らしい演技です。間違いない。

 

何度も言って申し訳ないが、永遠を求め稲妻ごと止めようとした理由ひとつには摩耗があったはずで。

彼女はもうちょっとクールというか、感情を出し惜しむような、確かにあるはずの冷徹な、警戒するような性格を演技の面でも押し出して欲しかった。

結局そこも雷電将軍人形との対比で片付きそうだけど、でもそうすると今後は眞との対比はどうなるの?ってことになる。

人を愛しんでいた眞と比較的武に傾倒していた想いに疎い影のはずなのに、あの性格・あの情緒的な声だとそこの双子の違いが霞む感じはあった、ですよ。

まぁつまり、事前に予想してた双子関係とか、影と神子の関係とか(神子がかまうと思ってたけど「かまってもらってる」がただしそう?とか)が演技やストーリーで崩れちゃった部分があるというわけですな。

 

それはそれとして都合3人の演じ分けは見事でしたし、声だけ取り上げても非常に贅沢で心地よいもので知る範囲では原神最高レベルクオリティとなっており大好きであります。ただ個人的にどうしてもみゆきちはもはや吹き替えナレーターな人だからなんか、周りに合わせてアニメよりに歩み寄って欲しいな~て思うことが増えてきています

 

 


 

結局、トゲトゲしたキャラはウケ(ガチャ意欲)が低いんでしょうねー。六神で一番いかつそうな雷神でこれですし。

閑雲も笑えるぐらい好きだけど他の仙人ぐらい…他の仙人もおもしれー仙人ばっかりでしたわ。

古い定義ツンデレ、ツンからの変化の過程好きな人間としてはガチ旅人嫌ってるキャラが出てもいいんじゃよ…?

瑞希好感度ギミックとして組み込まれたりしたので、そういう変化するキャラとか…ホヨバさん、どっすか?

ずんだもんの羊毛フェルト講座 入門編【コマ撮りアニメ

https://www.nicovideo.jp/watch/sm43456421

この動画の中で、完成した一頭身ずんだもんが動き出すシーンを見て、やっぱり私は「心を込めて作った造形物に命が宿る」系の話が好きなのだなと思った。

「おうちにかえれば」という作品もそういう設定だった。私が情緒不安定なだけかもしれないが、しみじみする場面が多かった。

太鼓の達人どんちゃんかっちゃんも実はそういう経緯の生き物なんだよね。自分の嗜好を再発見し、身近なものに対する見方が変わってくるというやつなんだろう。

dorawiiより。

2025-02-15

知能障害は人の心が分からない

これは紛れもない事実なんだ。

そもそも自分の心さえ分からないのが知能障害だ。

認識することが出来ない」ってのはそういうことなんだよ。

たとえば、下半身麻痺したら俺達は自分ウンチを漏らしてるのかどうかさえわからなくなるだろ?

それは下半身感覚認識する能力が失われたからだ。

知能に障害があるっていうのは、世界認識する能力が失われるってことなんだよ。

俺達が自分の頭の中で今何が起きているのかを認識できるのは、それを認識できるだけの処理能力脳みそが有してるからに過ぎないんだよ。

絶対音感を持っている人は音階を正確に認識できるけど、そうじゃない人は漠然としたものしかからないで過ごすことになるのと同じようなものだ。

脳に障害があるっていうのは、世界認識する機能のものが欠けているってことなんだ。

これはアルツハイマーとかでも同じことが言えるよ。

自分が何者で、今何を考えていて、さっきまで何をしていて、今何が起きているのか、そういったことを正確に認識できなくなるんだ。

そうなってしまえば、自分が今本当はどういう気持ちを持っているのかさえ分からなくなるんだよ。

自分の心さえちゃんと分からない人間は、人の心なんて分かるはずがない。

からアルツハイマーになると「お前、俺を馬鹿にしてるだろ」とか人に食って掛かることが増える。

なぜなら相手の心を正しく認識できなくなっているから。

知的障害者も、同じような世界で生きてるよ。

他人の心が分からない中で生きてるんだ。

それを安易に「知的障害者だって人の心ぐらい分かるよ。情緒人間性を育むことは出来る」なんて言うのはやめろ。

相手が今何を考えているのか全く分からないなりに、なんとなく周囲の人間から叱られたりしないで済むパターン必死になぞっているだけなんだ。

ペットとして躾けられた小動物と同じような感覚で生きてんだよ。

人間として産まれて、ペットみたいに生きてんだよ。

そこに大して安直説教を囀るのはやめろ。

知的障害の重さが分かってない奴が、安易知的障害者のことを語るんじゃねえよ。

2025-02-14

ごんぎつね 参戦

定期的に蒸し返される狐の死亡問題

まりにもトンチンカン解説が多いので一言述べておきたい。

多くは国語的、情緒アプローチと理数的論証との対立といえる。

 

どちらもアホ、バカ

 

文学作品解釈なんだから作家性や歴史からアプローチするのが正しい。

音楽にはアナリーゼという分野がある、文学にも歴史分析の専門がある。

古典文学、例えば源氏物語を読むとき文字面の論理的解釈では足らないのであり、歴史的背景、作者の心情の推察、身分出自、生育。

それらを紐解き作品解釈する。

外国文学を読むときはその国の文化的背景もイメージしながら読むだろう、当たり前だ。

 

なぜ同じことをごんぎつねでやらない?

昭和初期、愛知県半田市出身で不遇の幼少期、北原白秋を師と仰ぐ19歳が書いた童話

著者の新美南吉の他の作品も読んでご覧なさい

 

どう考えても狐は死んでる、普通に殺すわ。

さらには誰に向けて、なにを意図して書いたものか。なにを啓蒙しようとしたか、諭したいのか。どういう時代だったか

時代満州事変子どもたちになにを伝えたかたか

勧善懲悪物語以外にはありえない、死で償う以外のストーリーはありえない。

 

ちょっとは頭使って考えろよ

2025-02-11

東京発達障害者はどう学校サバイブするの?

はてなに多いASDADHD知的の遅れがないタイプ

一般的には特別支援学級(自閉・情緒障害)に就学するんだけど、東京都の在籍率は0.18%で全国ぶっちぎりの最下位。(1位の佐賀県は約5%)

ということはほとんど通常級に行くんだけど、そこでなんとかやっていくんか?

それとも全然適応できず普通に不登校になるんか?

そもそも東京都特別支援教育方針わからんが、皆さん(だいたい発達障害者)がどんな学生生活を送ったのかに関心がある。

予後はてなーってことはつまりお察しなんだけど。

2025-02-05

女の身体妊娠のために最適化されすぎじゃね?

当方女。妊活について調べ始めてるんだけど、「女の体って、やっぱ妊娠のためにできてるんやな……」と萎える。

生理前の微熱情緒不安定排卵期のおりもの排卵痛、このへん全部あらためて考えてみると妊娠関連。仕事が忙しくても、遊びたい時でも、体は勝手妊娠のためにうおおと準備してるわけで。お前誰の身体やと思ってんねん。私妊娠するためだけに生きとるわけちゃうぞ。そう思うのに、マジでどうしようもない。

女性仕事を!自己実現!みたいなの学生時代から授業で叩き込まれてきたけど、妊娠からこんな身体と付き合いつつ、セックスタイミング見つつ、夫にはプレッシャーをかけないようにしつつ(こっちは身体毎日プレッシャーかけられてるねん)、食事制限しつつ、適度な運動しつつ、排卵検査しつつ、たまに通院しつつ、それらがない男と同程度かそれ以上の成果を出しなさい!って現実的に無理じゃね?何なん?

そりゃ少子化も進みますわと思った。

女の身体妊娠のために最適化されすぎじゃね?

当方女。妊活について調べ始めてるんだけど、「女の体って、やっぱ妊娠のためにできてるんやな……」と萎える。

生理前の微熱情緒不安定排卵期のおりもの排卵痛、このへん全部あらためて考えてみると妊娠関連。仕事が忙しくても、遊びたい時でも、体は勝手妊娠のためにうおおと準備してるわけで。お前誰の身体やと思ってんねん。私妊娠するためだけに生きとるわけちゃうぞ。そう思うのに、マジでどうしようもない。

女性仕事を!自己実現!みたいなの学生時代から授業で叩き込まれてきたけど、妊娠からこんな身体と付き合いつつ、セックスタイミング見つつ、夫にはプレッシャーをかけないようにしつつ(こっちは身体毎日プレッシャーかけられてるねん)、食事制限しつつ、適度な運動しつつ、排卵検査しつつ、たまに通院しつつ、それらがない男と同程度かそれ以上の成果を出しなさい!って現実的に無理じゃね?何なん?

そりゃ少子化も進みますわと思った。

2025-02-04

anond:20250204125816

残業40で平日にスキーかよ

身体健康でよく稼ぐ人間はその代償に性欲も情緒も狂っている

2025-02-02

母親はご機嫌であるべきという呪い

今日どこかで見てほんまそれ祭りになったやつ

最近はやりのこれが本当につらい

しつけやらなにやらよりもとにかく笑顔子供のすべてを受け止めて!情緒の安定している母親こそ一番!と言われるけれど

それは精神が上位5%のスーパーマンでないと無理

はいよろこんで」の歌でもあったね

スーパーマンがなんか言ってら 私は無理


いつもいつでも受け入れられる、わけない

長い棒状の物を持てば戦いごっこが始まり、出したものは片付かず、出す音すべてが騒音になり、何をするにも金がかかり、買ったものひとつ大事にしない

面倒くさいことは一切聞かないのにしょうもない事でママママママママってひっきりなしに呼びかけてくる

兄弟喧嘩は頻発するし叩いた叩かれたの応酬で、嫌いならそれでいいから別の場所で遊べよとしか思えない

気に入らないことがあるとこっちに飛び火して、わけ分からん理由ママのせい!って何回も叩いてくる


親なんだから我慢しなさいとか毒親候補生とか

言われた事はないけど将来言われるんだろうな、と自分人生をうっすら諦めている

でも母親ばっかりご機嫌でなくちゃいけないの?

子供に叩かれても黙ってなきゃいけないの?

叩くなって何回言っても聞きやしないのに?

こんな理不尽ばっかりでどうご機嫌でいられるんだよ

社畜だったら訴えろ!とか退職しちまえ!ってなるけど育児はやめられない

こっちの勝手で産んだ責任がある

でもご機嫌でなんていられない 理想高過ぎ

から子供欲しい人には自分メンタルをよく見極めて欲しい

私は子供を持つべきではなかった ペットにしておけばよかった 可愛がるだけでいいしお世話も割り切れるから

DINKS最高だと思う 自分のために時間お金をかけて生きていけるの、本当に素晴らしい選択だよ


虐待ニュースは本当に他人事でない

通報されるような事になってもおかしくない

叩いてしまった事はあって、この罪悪感があるうちはまだギリギリなんだろうな

罪悪感がなくなったらもう向こう側の人になる

明日かもしれない


昔の母親はいいな 叩くくらい当たり前で

ストレスの行き場がないよ

ストレス発散する時間もないよ

トイレでこれ書いてる トイレはひとりになれるから

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る⑤

【前】anond:20250202181229

以下、池澤夏樹文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。

蜻蛉日記

川村裕子訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙LINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。

こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか

田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女青春と重なった第二次世界大戦空気だろう。

後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。

余談だが、平安時代著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。

話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。

なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティ所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。

これは以前、どこかにいたこである

人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である

和泉式部日記

元カレの弟(帥宮敦道親王からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズ和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注

注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分文学研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮自分は楽しむことが主である素人である生活の種には到底できまい。

まりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。

やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。

ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーン日本人日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおぼのぼの人生相談で「世界で一番面白い本は自分日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。

思うのだが、本を読む男性文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプ女性片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちゼロにはならない。

やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名しか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。

INTERMISSION⑤

困ったことに、他人批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。

実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。

かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。

なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。

実際、今は過去出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか

最終選考電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。

だが、若い頃は創作によって自分感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実直視したほうがいい。事実日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。

今後読みたいもの

結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹リストにあったもの神話物語歴史書それから江戸時代物語だ。

まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に日本霊異記」はKADOKAWA現代語訳を出している。それから神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。

歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから吾妻鏡」も気になっている。この並びから大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。

あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹日本文学全集現代語訳が訳者個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである

好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。

あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。

あとは、「御伽草子」とか。「青砥稿花紅彩画」とか。

まとめ

読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。

同時に、自分感受性ゆっくり時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これから古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。

そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。

かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したこと意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。

叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分幸せにしてくれる。

そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。

以上。

2025-02-01

anond:20250201092518

実はドラマみたいな男女の相思相愛はこの世に存在しててそいつらは幸せな家庭を作って正常な情緒の子供を育ててるんやで。

 

そうしてそういう子供けが正常発達として愛されて

 

増田みたいなやつの家庭に生まれ子供は劣等品として雑に扱われて愛されもしないんやで

 

子持ちが増田を見る目でわかるやろ

その辺の見下しは

「あー、真実の愛を知らないんだね(笑)

みたいな態度でおるから

2025-01-30

追記】私の統合失調症とは何だったのか編集あり】

高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談担任友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。

当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。

それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車チック症状が出ていたらしい。そこから受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考おかしくなっていく。

柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。

実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。

普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学教科書ガウスを描いたとき特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。

私は中学のころまでは学校人間いじめいたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。

塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクハト自体幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)

興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲーム体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。

そして確かリフレクビートみたいな音ゲー他人プレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのとき自分は意に介していなかったと思われる。

夜になっても秋葉原闊歩してあるとき自分腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。

今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。

釣り合わないおっさん若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェサービスに過ぎないだろう)。

街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのとき普通に対応されたけど陰でやばい認定されていたのではないか

道路ポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。

結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。

その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然英語思考言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能ものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。

そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。

掃除しているところを見たお巡りさんから未来官僚様へというふうな感じでブラックサンダー栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社正一位神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖土地なのだという気持ちになる。

またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。

当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。

マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。

またあるとき公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくま高校までの化学知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。

夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学漢文比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。

滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたこである文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。

でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。

おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったとき孔子の深遠さに衝撃を受けた。

もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまたことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。

普通受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。

電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである

テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュース映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか

イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。

世界から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか

でも当時は確かにカバコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。

テレビイスラム国に関する報道自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分世界に影響力を与えている気分になっていた。

調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。

冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだからちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。

しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。

また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前ブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。

そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。

そして将来は官僚になってこういうものを好きな子プレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。

近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。

卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。

こうしていろいろあって親は養護教諭電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。

ブコメから知ったこととして保護入院とは家族同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思尊重する形で家族確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意入院なのだった。

そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。

統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学ときエピソードして、自分悪魔になってしまったという発言や、ナイフ図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。

なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。

統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。

いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想現在現実区別できる能力回復している何よりの証拠だと思う。

ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。

この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。

(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)

追記

実はあれから既に十年以上経っている。

もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。

機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分排泄物を塗りたくるようなレベル廃人になるということだ。

しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。

薬は最初発症から数か月目の時点でやめていた。

それは、薬の副作用アカシジアというものがあって、その、四肢気持ち悪い感覚苦痛だったからだ。

今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。

その医者対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。

統失治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質ブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。

まり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。

から親の自己判断で服用が中断されたのだったと思う。

こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親担当医の忠告、「お母さんあなた精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。

ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。

今かかっているクリニックはこれらの統合失調症発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的こちらの考えを尊重ときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。

模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。

しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究かぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。

絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。

少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。

しかし当時の自分統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。

それではさすがに教師心証的に入塾は厳しいことを言われた。

また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。

と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。

先生は私への発言申し訳なく思っていたようだ。

飲食店に誘われ、調子はどうか、進路はどうするかを話した。

そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。

統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。

そんな私にアドバイスしてくれたり、数学先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。

それに前後して北里か東海大(ここ記憶曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。

そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンス表現でべた褒めする内容だったそうだ。

言語IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能テスト一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。

ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより

anond:20250130162556

「わからない」を「気にくわない」と言い換えているとどんどん情緒が豊かになる?

anond:20250130162209

「気にくわない」を「わからない」と言い換えてると

どんどん情緒が退化していきます

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