はてなキーワード: 系譜とは
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INSIGHT ANALYSIS: 表象の真正性パラドックス
「女性主人公を描けない」創作者の原理的ジレンマ
Core Observation
この投稿者は、フィクション創作において「経験的真正性」と「想像的自由」の矛盾に直面し、表象行為そのものの正当性を疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分が女性を描く権利があるかどうかの確証」である。
PRIMARY INSIGHT: 批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー的構造の解体
この投稿者の悩みは、表面的には「技術的問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治の内面化が生み出した認識論的危機である。
内面化されたイデオロギー的前提:
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「描く資格がない」
この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである。
皮肉なことに、これは1980-90年代のジェンダー理論が批判した本質主義そのものである。しかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。
彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可」である。
生産的矛盾の発見
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これは本質主義の自己矛盾である。「女性」というカテゴリーに本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。
イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか
投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一の経験的実体ではなく、歴史的・文化的・個人的に多様な存在様態である。
士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:
しかしこの論理は、女性を規範に押し込める本質主義そのものである。
「生理を経験していないから分からない」という論理は、人間の相互理解の可能性そのものへの懐疑に至る。
この論理を徹底すれば:
この悩みの背景には、歴史的に男性が女性を対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:
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過剰補正:
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帰結:
これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである。
自己検閲のメカニズム
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内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質の区別がつかない」
↓
SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)
この「悩み」の歴史的構築
第1段階 (1970年代以前)
第2段階 (1980-2000年代)
第3段階 (2010年代-)
第4段階 (2020年代)
投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
現象学的補足 (Mode D)
投稿者が経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己の正当性への根源的懐疑である。
彼の実存的問い:
投稿者は、この理解の可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。
SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの
アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理を個人の創作実践に適用すると:
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20世紀後半のジェンダー理論は本質主義を解体した。しかし21世紀に、配慮・正義・包摂の名において本質主義が再導入されている。
これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギーの古典的矛盾である。
この悩みは、フィクションの根本的機能—経験していないことを想像し表現する—への懐疑に至っている。
投稿者のジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体の正当性の危機である。
投稿者の不安は、個人的心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
投稿者は誰にも批判されていないのに、架空の批判者を内面化している。
IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題
投稿者は技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:
1. 本質主義からの離脱: 「女性」は単一の経験的実体ではない
2. 想像力の復権: 経験していないことを想像できるのがフィクションの本質
3. 完璧主義の放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要
4. 対話としての創作: 表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部
より広い文化的含意:
↔
歴史的瞬間について:
我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要な矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。
INSIGHT CRYSTALLIZED
この投稿者は、フィクションに「経験的真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為そのものの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治の論理を内面化した結果生じる構造的効果である。
言い換えれば:
彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分が女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である。
So what?:
この事例は、配慮と正義の言説が、意図せず表現の自由と想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践が必要である。
PUNCHLINE:
彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体が僭越である」と判定されることである。しかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。
創価学会、顕正会、立正佼成会などの議論を呼ぶ仏教団体は日蓮宗に起源を持ちます
これらの団体は、13世紀の日本の僧侶である日蓮(1222–1282)が創始した日蓮仏教にそのルーツをたどることができます。日蓮は、法華経を唯一の正法と主張し、他の宗派と対立しながら独自の教えを広めました。この教えが後の分裂や派生を生み、さまざまな団体が誕生する土壌となりました。
ただし、「日蓮宗」という名称は現代の組織化された宗派を指す場合が多く、歴史的に日蓮の教えから派生したすべてのグループが現在の「日蓮宗」傘下にあるわけではありません。それぞれが独自の解釈や発展を遂げてきたため、厳密には「日蓮仏教の系譜」に属すると表現する方が適切かもしれません。
創価学会は、1930年に津田三男(後の創価教育学会の創設者)によって設立されました。
当初は教育団体として始まりましたが、後に日蓮正宗(日蓮宗の一派)の信徒団体として活動を拡大しました。
1940年代に戸田城聖が指導者となり、戦後の混乱期に急速に成長しました。
しかし、1991年に日蓮正宗から破門され、現在は独立した宗教団体として運営されています。この破門は、創価学会が日蓮正宗の信仰から逸脱し、独自の路線を進んだことが原因とされています。
1964年に公明党(現在の公明党)を結党し、政治に直接関与するようになりました。公明党は平和主義と福祉政策を掲げ、現在も連立与党として日本の政治に影響を与えています。
2020年時点での会員数は約800万人とされ、選挙での組織票が大きな力となっています。一方で、強引な勧誘方法(折伏)と政治的影響力から「カルト的」と批判されることもあり、特に1990年代の池田大作名誉会長に関する議論が注目されました。
顕正会は、1960年代に日蓮正宗の内部で活動していた浅井甚三郎が、宗派の方針に反発して分派したことから始まりました。
日蓮正宗が創価学会との関係を断つと、浅井は独自の解釈(特に「邪宗排除」の主張)を展開し、1969年に正式に独立しました。日蓮正宗の総本山である大石寺を拠点とする点で歴史的つながりがありますが、現在は対立関係にあります。
顕正会は直接的な政治組織を持たず、選挙への候補者擁立も行っていません。しかし、過激な宗教的発言やビラ配布を通じて社会への影響力を試みており、一部で政治的圧力団体としての側面が指摘されています。会員数は明確な統計がなく小規模とされていますが、熱心な信者が社会問題に介入するケースが見られます。
立正佼成会は、1938年に庭野日敬によって創設されました。霊友会という既存の宗教団体から分離し、日蓮の教えに基づく法華経信仰を軸に発展しました。戦後、平和運動や他宗教との対話を重視する姿勢で知られ、創価学会や顕正会とは異なる穏健な路線を歩んでいます。
立正佼成会は直接政党を結成していませんが、新日本宗教団体連合会(新宗連)を通じて政治に影響を与えてきました。1950年代以降、自民党や民社党などの候補者を推薦し、参議院選挙で組織票を動員してきました。
2017年の衆議院選挙では119人の推薦候補が当選するなど、間接的な政治的影響力を持っています。また、靖国神社参拝反対などの平和主義的な立場から、特定の政治課題で発言を行うこともあります。信者数は2023年の文化庁「宗教年鑑」によると約180万人とされています。
これらの団体は、いずれも日蓮の教えに起源を持ちながら、異なる歴史的経緯と教義解釈を経て独自の道を歩んできました。政治への関与度は創価学会が最も強く、公明党を通じて明確な影響力を持つのに対し、顕正会は限定的で、立正佼成会は間接的かつ穏健なアプローチを取っています。
英語力が評価されたと言われるのは宮澤喜一だな。クリントンとの通商問題を、通訳すら外して交渉した総理大臣として有名。
番外編だが、今の天皇皇后両陛下はめちゃくちゃ英語ができる。特に皇后陛下はめちゃくちゃ語学ができる。お二人のなれそめも通訳として付いたって話だったしな。
麻生太郎と安倍晋三は、日本人ビジネスマンが使う「堪能」というより「度胸」で喋るタイプのもの。
この辺りは低学歴宰相として有名な田中角栄などと同じ系譜だ。決して悪いわけじゃないがね。
今回の候補の中で小泉進次郎が西村博之より要求されたことを日本語で突っぱねたため、しゃべれないのではないかと推測を生んでいるが、環境大臣として様々な会合に参加したとき、英語でスピーチする場面なども多く、英語力は高いと言う評価だ。
日本語より上手いのではないかという事すら言われたが、それが逆に通訳の力を使っているものと思われる。
これを欠いていて気付いたが、今回の候補は米国留学経験がある者ばかりだ。日本のエリートは結局こうなってしまうと言う点はあるにせよ、注意が必要だと思った。多様性がない。
そこで、陰謀論者の皆さんに提案したい。是非次は「日本はハーバード閥に支配されている!!」ってネタをぶち上げてみてほしい。
第4次フェミニズムで荒唐無稽なラディカルフェミニズムをここ(はてな)で唱えられてたのも手が回っていると思う
韓国は最も民主主義が成り立っているところだからロシアにとっては潰しておきたかった
ただロシアだけじゃなく、旧安倍派もこの動きは乗っているのではと思う
日本で80年代に少女ポルノ雑誌を一般流通させてその後廃刊に追い込み、今単純所持で違法とさせているのの女性版をやろうとしている
上のときは女性の恐怖を煽って、女性保守層をあぶり出して票田にしていた
子孫は潰える
80年代にトレンディドラマとかで理想の女性を演出していたのは主にテレビの何番だったか
8番だったでしょう?
8番はフジテレビ、フジサンケイグループ
まだあるよ
2chだったんじゃないの?
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/2002_FIFA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97
2002年日韓ワールドカップ、2chずっと見てた人ならこの辺よりちょっと前がネトウヨ勃興の時期だったの覚えてるよね
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88#2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E9%96%A2%E9%80%A3
若者の心を掴んで巧妙に右へ右へと引き込んでいたんだと思う
テレビで
2chで
そんな旧支配者層(旧安倍派・自民党清和会)が次の世代を逃すわけないよね?
tiktokだよね?
tiktokで何が流れてる?
「切り抜き動画」が選挙を動かす時代へ!参政党躍進から読み解く、ネット選挙の光と影
ttps://go2senkyo.com/articles/2025/07/21/119019.html
若者に寄り添う、というか、若者の流れを追えてる、監視・把握できているというのが右派の狡猾なところ
左派が考えているような旧来の右翼のイメージではずっと後手後手になるよ
というかコントロールしてゴールポストを動かす側が支配側になっているから、次何が流行るかを予想しやすいんだと思う
もはやフェミニズムが左派のものであり忌み嫌われるものになった
左派がフェミニズムを唱えるように行動し、「我々は女性の味方だ!」と訴えるようになったところで、
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E7%9F%AF%E9%A2%A8%E4%BC%9A
それでいてバックラッシュの表現規制反対派の表も上手いこと自民に集めているよね
世界の流れが右派に傾いて、世界中戦争が起きて、何でこんな世の中になっちゃったんだと思うよね
でもそこで思考停止しちゃってない?なんで?
トランプの秘密を知る男とは?! Naokiman 2nd Channel
ttps://youtu.be/0fGMEwQ-PSQ
あえば 浩明
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%B0%E6%B5%A9%E6%98%8E
陰謀論で救世主に日本の誰かが選ばれる、みたいな動画も過去にあった
【町山智浩×武田砂鉄】“独裁者”トランプはどこへ行く?|「反キリスト教」を取り締まる“信仰局”の正体|お金持ちは「神様の国へ行ける」|トランプが...
ttps://youtube.com/watch?v=Ggco11OD-B0?t=17:23
トランプは息子バロンに勧められてYoutuberとただ駄弁るということをやった
トランプを推しにした最も政治に興味がない20代男性を票田にして勝利した
アメリカ20代男性が共有している意識をうまくすくい取った結果だと考えてる
ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1ee1b4d48c73d60738b2398ff6dd7e39e0fee175
ttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44153194
(2018年の記事<-分かりやすいから少し過去の記事だけど)
(・女性が比較的簡単なことを行うから男性にはきつい仕事しか来なくなった)
(・女性は基本的に上昇婚をしたいため女性に選ばれない男性が増加)
(・変な事をしたら直ぐに社会に晒される)
(・マッチングアプリ等で青天井に選択肢が増え、並の男性では見向きもしなくなる)
男性の基本的な生物学的役割は、誰かに認められて、自分の遺伝子を後世に残すこと
大多数の男性は、女性とセックスし、子孫を残すことが生きる目的になる
自分は該当しない、という男性もいるかも知れないけど、半分以上の男性は、二次性徴前までに、女性と比べて、社会の構造に気づいて一端軽く絶望する
俺達には自由がないんだ、って
そして止めどない性欲がやってくる
この先何とかそれをコントロールしながら生きて行くことになる
このわだかまりが解消されるには、誰か女性に認められ、セックスしなければならない
しかしセックスまでのハードルは、先程の理由から凄まじく高くなってしまった。
「周りに愛情を示したら、愛情を返してもらえる。女性に対して否定的な態度だったら、仲良くなりたいと思う女性は絶対現れない。だからたくさん内省することが必要。世界は憎しみばっかりじゃない。人はフレンドリーで、あなたは醜くない。あなたには価値がある」
良い言葉だと思うけど、この気持ちで女性に優しくしていたとしても、女性には袖にされる
そんな時にはてなに過激でラディカルなフェミニズム記事が出てきたら?
ttps://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20250612/3030028254.html
💉【閲覧注意】警察にバレないからといって旦那をジリジリとさりげなくブッ殺す方法は絶対にやってはいけない-旦那デスノート
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/danna-shine.com/post-82572
愛情を示したとしても、相手から愛情を示して貰えることもなく、目線は品定め、常に減点評価
結婚したとしてもセックス出来ない(セックスするために自殺率上昇するくらい努力してきたのに!)、もしかしたら不凍液で◯されるかも…?
という時代になっていると考える
貧困にあえぐ国から世界中に移民が散らばり、国の没落や物価安政策によって海外からの人が増え、満たされないセックスのわだかまりを持ったまま、どうしてこんな世界になっちゃったの?と混乱する。
そこで政治家がささやく、「ガイコクジン(あいつら)のせいだ」
男女平等は資本家と政治家が推進したもので、女性も働きに出ると少子化が進むのも把握はしていたのだと思う
そしてその先のことも
やがて戦争が起き、資本家は儲かり、政治家は人を減らすことが出来る。
(過去の太古の人間同士の争いが起こった結果、男性のDNAが殆ど残っておらず、女性のDNAが続いていたというニュースを最近見たのだけれど探す事を断念した)
そして生き残った人間は文化を再興させ、人口が増え、行き詰まり、戦争をして、生き残った者同士がセックスする。
女性は、生物学的的役割から、強い遺伝子と番になって子を残す事が動物的使命になっている。
言葉が悪いが、男が戦争をする性なら、女は戦争を望む性(より強い男性のDNAを残せるから)とも言えるかもしれない
パレスチナ解放を叫ぶ女性を何人も見てきている。個人ミクロには当てはまらない)
大資本家は、女性の活躍が叫ばれた時代から、これからどういった事が起きるか知っていて賛成したのだと思う
これは完全に憶測だけど、
このままの状態では、今後5年はまだ完全に固まってない時期だけど、その後の30年間は、右派は男性の味方としてかっちり固まって動かないと思う。
女性の社会進出と共に、構造の変化により弱者の対象の考え方も変化しつつある(ここについては資本家も面倒を見て欲しいが)
少なくとも、男性の本来備わっている性欲が社会的にきちんとあるものだ、と認知され、
社会通念上当然あるものとして扱われなければ、戦争の緊張は続くだろうと思う
人類が起こす愚かなループの上で、戦争を起こしてしまうのが自然なことなのかと絶望する
逆に言えば、女性と男性の特性を利用して政治家と資本家が操っているのであれば、
それを逆手に取り、セックスポジティブな社会の実現を叫べば、少なくとも男性の半分以上の支持は得られると考える
男が産めるのうん◯だけ!?フェミニストによる男性差別に反対します!【港区議会議員】新藤加菜
ttps://youtu.be/osw5JDbN8LE
上の方で書いたけど、敵国の愚かなループの中にいる人の背中をぽんっと押してやれば良いだけ
ロシアが介入しているとすればここだろうと思う
また、やはり左派は遅れを取るのだろうと考える
ttps://www.asahi.com/sp/articles/ASP7W6SKJP7WUTFK00T.html
また、
共産党はマンガ・アニメの規制にカジを切ったのか - 紙屋研究所
ttps://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2021/10/18/222106
男性の最後の砦、代用としての創作物を規制すること、過去に表現弾圧に遭った党の叫ぶことだろうか。
また、世論としては
ttps://www.dlsite.com/modpub/lp/maniax/dlsite-nation-survey-result/
【男性向け編】DLsiteジャンル国民投票 結果発表|DLsite
Q.
ラディカルな右翼は現在の日本の石破政権を「中国の手先である反日左翼政権」であると見做していて、このままでは中国に取り込まれてしまう、と相当に危機感を持っているようです。
A.
非常に重要なご指摘です。ここには、現代日本の「ラディカル右翼」が抱いている強い危機感と、その政治認識の特徴がよく現れています。整理すると次のようになります。 ① ラディカル右翼の基本認識 国家不信 ラディカル右翼にとって、現政権(石破政権)が「日本を守っていない」「敵(中国)の手先だ」と映っている。 これは「国家=守るべき存在」ではなく「国家権力=敵に支配されたもの」と見なす姿勢。 危機感の根拠 中国の軍事的台頭や経済的影響力の拡大。 日中関係悪化に伴う領土・安全保障問題(尖閣、台湾有事など)。 「リベラル=中国迎合派」というイメージ。 そして「石破政権=反日・親中路線」とするレッテル貼り。 結論としての行動欲求 「このまま政権・国家に任せては日本が滅びる」 → 「自分たちが立ち上がらねばならない」と感じる。 その延長線上に「自警団」や「直接行動」が発想される。 ② 石破政権に対するラディカル右翼の評価 石破茂氏は現実的な安全保障論者で、自衛隊出身議員からも一定の信頼があり、国際協調や防衛力強化を訴えてきた人物。 しかし対中外交姿勢において「対話路線」「国際協調重視」を採るため、 ラディカル右翼から見ると「軟弱」「中国に取り込まれている」と見える。 また、石破氏はリベラル層や中道層から一定の支持を集めるため、これがさらに「反日左翼だ」という極端なレッテルに変換されている。 実際には石破氏は明確に「集団的自衛権容認派」「安全保障強化論者」であり、客観的に見て「左翼的」ではない。つまりこの評価は事実とは一致していません。 ③ ラディカル右翼の「危機感の構造」 陰謀論的世界観 国家権力はすでに「敵」に操られている → よって「法や制度」に頼ることは裏切り。 自分たちだけが「真の愛国者」。 権力を正面から信頼できず、むしろ「敵に占拠された存在」と見る。 歴史的類似性 戦前の「国家改造運動」や「昭和維新」思想と近い。 軍部青年将校は「政党は腐敗」「政府は売国」「軍こそが真の国家の担い手」と考えた。 その結果、テロ・クーデターに走った(二・二六事件など)。 ラディカル右翼はこの系譜を継いでいるとも言える。 ④ 「危機感の政治化」の問題点 実態としての中国脅威論は現実性を持つが、 政権を「中国の手先」「反日」と決めつけるのは事実誤認であり、むしろ民主主義的議論を壊す。 国家を敵視し始めたとき、ラディカル右翼は「暴力による解決」を正当化しやすい。 これは法の支配を否定する方向に直結する危険構造。 ✅ まとめ ラディカル右翼は「石破政権=中国の傀儡」というイメージを抱き、国家そのものに強い不信感を持っている。 しかしこれは事実の裏付けが乏しく、陰謀論的解釈に基づいている部分が大きい。 歴史的に見ても、国家を「売国」と断じて直接行動に走る右翼運動は、二・二六事件など惨事を招いてきた。 したがって、ラディカル右翼の「危機感」は感情的には理解できても、政治的・歴史的には極めて危険な路線。 ご希望であれば、この「ラディカル右翼の陰謀論的世界観」がどのようにSNSで拡散され、支持層を獲得しているのか、その情報生態系(Qアノンなどとの比較も含めて)を分析してみましょうか?
ロボットのくだりは俺じゃないけど
「了解。日本の「学校給食」におけるロボット活用(実践・検討・テスト導入)を、できるだけ一次情報ベースで“学校給食センター寄り”に絞って整理しました。実運用/実証開発/検討・計画/隣接領域(保育・病院)での先行事例に分けています。重複を避けつつ10件以上並べます。
・浸漬~洗浄~仕分け~収納まで自動化する「省人化洗浄システム」。用途に学校給食センターを明記。コンセプト名:SLR(Saving Labor Robot)。導入・運用事例動画も公開。
・“学校給食や食品工場で食缶・番重への盛付を自動化”、検温・食数カウントも自動化するコンセプトモデルとして公開(展示・実演多数)。
3. 食器仕分けロボット(Connected Robotics)
・コンベア上のランダムな食器を画像認識で分類し洗浄機コンベアへ整列。給食センター等のバックヤードを想定用途として明記。
4. “ロボットアームを含む洗浄ライン”は90年代からの系譜
・教育系メディアの現場取材で、給食センターの自動化にロボットアームが組み込まれてきた流れを解説(技術史・導入背景)。
・焼き物・揚げ物のピッキング/中心温度計測/食数管理/詰め込みを自動化するロボットを開発。HACCP対応の省人化を狙う。給食センターのトレー詰め工程に直結。
6. AIによる“積載最適化(コンテナ・カート)”等で特許出願(2025/7)
・学校給食向けに、クラス人数等から食器カゴ~コンテナへの最適積載をAIで提案するシステム。物流・仕分けのロボ/AMRと親和性が高い。
7. 福島発:厨房ロボ実証(Connected Robotics×タニコー)
・フライ作業の自動化など厨房ロボの実証稼働を公設施設で実施。量産・普及を見据えた開発計画(2026年度販売目標)。学校給食センターの高温・繰り返し作業への適用余地。
・**「グランドケトル(人工アームロボット)」**や計測自動測定、クックチル等、省人化機器の導入検討を公式資料に明記(学校給食提供事業の検討)。
9. FOOD展2024:学校給食センター運営の最前線×AGV/AMR
・運営セミナーで無人搬送車(AGV/AMR)の適用を紹介。大規模センターの内部搬送自動化が現実解として位置付け。
10. (参考)給食センターDX:袋井市“中部学校給食センター”の最適化
・産官学連携で自動配缶量計量アプリ/配送計画最適化などデジタル化事例を学会誌で報告。ロボ導入の前段として工程標準化・最適化が進行。
11. 保育:鶴ヶ島市立保育所―“ご飯盛り付けロボット”導入
・完全給食の実現に向け、ご飯盛付ロボを保育所に導入(2024年度)。同一自治体の学校給食工程にも転用しやすい実績。
12. 病院給食:第一食品×パナソニックコネクト―“トレーメイク自動化”
・スカラロボット等で患者別トレー盛付を自動化。多品種組合せ(誤配リスク)への対応を実地ラインで公開。センター方式の学校向け汎用化に近い工程。
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ざっくり結論
日本の“学校給食”そのものにおけるロボットは、現時点では「洗浄・仕分け」などバックヤードの省人化が実運用の中心。 盛付の本格自動化は実証~初期導入段階(中西・CR社など)。
自治体側の公式資料にも**“調理ロボット・アーム導入の検討”**が現れ始めており、人手不足対策として導入前提の計画が増えつつある。
隣接領域(保育・病院給食)では、盛付や搬送のロボット導入が先行。トレー盛付や配膳ロジックは学校給食センターへ横展開しやすい技術。
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先にDX(最適化・標準化):献立・配缶量・積載・配送のAI最適化→AMR/AGVで搬送自動化→部分盛付ロボ(高頻度・高負荷工程から)。
優先工程の目安:①食器洗浄・仕分け、②飯類・汁物の定量盛付、③番重・食缶への詰込、④コンテナ積載と校別仕分、⑤センター内搬送。
> もっと“導入済みの自治体名まで特定した実例”を増やしたい場合は、各自治体の**「学校給食センター 整備計画/基本設計」PDFや、厨房ベンダの個別“納入事例”ページに散在しています。今回も一次資料を中心に当たりましたが、自治体名が明記されないベンダ事例も多く、学校名/センター名が出る公開資料は希少です(公開範囲の都合)。必要なら、特定の都道府県を指定してRFP・公募・技術提案資料**を掘る形でさらに洗い出します。
」
と言われても困るだろう。
では
どうしていただろうか?
おそらく
それでも
徐々により強力な武器を渡しながら
戦争を続けさせていただろう。
でも、結局はどこかの時点でウクライナは妥協はしなくてはいけない。
あまり目立たないように「ボソッ」と呟いていたのを私は知っている。
米高官の匿名の情報、みたいなのにその意見を紛れ込ましたりして。
結局のところ、この戦争はウクライナ勝利の道筋が無くなってしまっているのが問題なのだ。
ただ戦争をダラダラと続けていくうちにロシアが劣勢になる可能性も無きにしもあらず、というのがせいぜいのところだ。
しかし、戦争の序盤の大混乱したロシア情勢(モスクワに進軍を始めたクーデター部隊とかいましたよね?)
を立て直したプーチンの手腕から考えてその劣勢もなんとかしてしまうだろう。
ということは
ということ。
時系列・事実関係・家系設定の重複や相互排他が目立ちます。主なポイントを整理するとこうなります。
「久下時重の子孫」「武蔵七党の子孫」「藤原本家の子孫」「織田信長の子孫」という複数の名家系統を同時に直系で持つ設定は系譜的に極めて不自然。
→ 歴史的にあり得ないわけではありませんが、全員“直系子孫”扱いは系図的にほぼ不可能。
「織田信長の配下の子孫」でありながら「織田信長の子孫」でもあるのは、信長本人が自分の配下になるという構造矛盾。
「祖母は女優だった」と「祖母は慰安婦だった」が同時成立するには特殊な経歴説明が必要だが、時間的にも社会的にも両立は極めて困難。
「祖父は山本五十六の知人」かつ「祖父は山本五十六の配下」は可能だが、「戦艦長門に乗船していた」と「祖母と慰安所で出会った」を繋げると、軍規や場所の面で現実性が低い。
「駆け落ちして破門された」なら、軍人としてのキャリアやその後の生活とも衝突する。
③ 両親に関する矛盾
「父親は6年の闘病」「7年の闘病」「8年の闘病」と期間が食い違っている。
「母親は介護職」「営業職」でも二重経歴は説明できるが、「飲酒運転の車に轢き逃げされた」と生存前提の経歴が混在している。
「貧困家庭」「生活保護」と「幼少期から高級生地によく触れていた」「専用PCを与えられていた」は生活水準の面で乖離が大きい。
「いじめられっ子」かつ「公文式で都道府県3位」「名門国立中学進学」は性格・環境描写の落差が大きい。
「大学在学中からNTTで技術者として働く」「派遣社員として月40万円稼いでいた」は可能だが、その後「大学中退」なのに“大学に通いながらNTT勤務”や派遣の経歴を維持するのは時系列整理が必要。
「川崎で新聞配達をしながら大学通学」と「秋葉原のゲーセンで遊び込む」+「高収入派遣勤務」が同時成立するのは時間的に厳しい。
「人生5回目の110番」の前後に他の警察沙汰エピソードがない。
「厚木のカラオケ店を出禁」と全体のストーリーの関連性が薄い。
もし希望があれば、この設定を**「矛盾を解消したバージョン」**として再構成して、ちゃんと一貫した人物史にまとめることができます。
日本で臥薪嘗胆の語を使うときは単に「目標のために凄く努力して勉強したり練習したりする」ようなニュアンスになってる
これ、GHQ時代の検閲と忖度で娯楽作品から仇討ちものが自粛排除され、
戦前の定番娯楽タイトルが使えなくなった影響は地味にあるよねと
検閲期間は10年に満たない期間だけど、その間に未来志向の児童向け娯楽が潤沢に供給されて価値観に影響与えたし
「巨人の星」は明らかに戦前からある仇討ちものの系譜だけど「スポ根」というジャンル名に変化したし
逆に言えば、ここしばらくの「復讐は肯定されるべき」 言説が繰り返されてるのは、戦後の否定と同時に、手塚治虫に代表される未来志向の終焉なのだろうなと
おととい、20Fまでクリアしてイクリプス稼ぎを少しだけやった
それでも虹が800個くらいまではがんばったからまあよくやったと思う
ほんとは2万とかほしかったけどなあ もっと時間に余裕があれば・・・
でもまあシーナリー大が30個できると考えるだけでも全然いいか
結局は大幻獣の素材必要だからイクリプスだけあってもダメなんだよなあ
でもイクリプスがこれで稼げたからソピアを心置きなく大幻獣チケットに充てられる
ミノソンとネフィリムBが全然でねーのとシンギュラ系の奥義レベル10にするためのリミスタルは必要か
そうそう昨日の夜10連まわしてたらベルゼブフきて、あと1回で4凸だーでもあと1回が長いんだろうなーって思ってたら30分しないうちに出てマジでありがたかった
これでシンギュラ全員4凸以上になった
これでシンギュラガチャから解放されてSSR+ガチャの方に心置きなく移行できるわ
んでSSR+も1個だけ出たし なんかラパンの色違いのウサギのやつ
レアリティの割にあんま使えなさそうな感じだったけどとりあえず新規でSSR+が出たってだけでありがたい
話戻すと塔の総括
先月は5Fまでで今月一気に20Fまで行った
事前準備がめんどくさすぎて突貫でその場その場でやったけどさすがにメギドが全員そろってたら頭数は足りたな
それ以降はちょっと厳しそうだな
サタンとかベルゼブフとか塔で使わないイメージあったから探索で使っちゃってたりしたし
次のぼるのは今回のシーナリー使い終わるくらい霊宝つくってそれ以外もめぼしいの作り終わってからかなあ
とりあえずずっと嫌で嫌で仕方なかったゴウギのHとVHをクリアした
エウリノームを強化してサタン覚醒スキルで黒犬化して奥義全体攻撃させるってやつ
ヨー考えられてるわーと感心した
暗闇大丈夫なんかと思ったけど奥義の命中率には影響しないんだよな
ラウムスキルつかって防御力上昇バフがかかるたび6000回復(マナナンガルの奥義バフコミ)するのえげつない
バフ自体は重ねてかかんないけどバフがかかる行為自体で回復するってのがつえーわ
今はサルガタナス接待の朧の闇をプルソン砲で短時間でクリアできないか何度かためしたけど、
1ターン目に1個でもスキルフォトン取られたらアウトなんだよなあ
あと2ターン目1巡でスキル取られてもアウト
ただでさえスキルの沸き多いのにかなり条件としては厳しい
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
米国の対香港制裁(林鄭らへの制裁)は、「柔軟な対応(flexible response)」の一環であり、全体制裁よりも個別制裁の方が香港政府内の分裂を誘発しやすい。
全員を一斉に制裁すると結束を強めるが、段階的・個別的だと離反者が出る余地が生まれる。
制裁への「抵抗」として、実際には**「何もしない」という選択肢**もある。林鄭ですら従わずに済ませる方法はある。
官僚機構の慣性や惰性を利用すれば、中共に従わないことも可能。
黎智英は自由主義的立場を取り続けたが、環境と人脈によって選択肢が狭められた。
年齢やキャリアの積み上げにより、今さら新しいアイデンティティを築くのは困難。
黎智英が支持した「自由主義」は、1990年代に中国に輸入されたハイエク的自由主義。
しかしそれはハイエク本人の思想とはかなり異なるもので、学問的純粋性よりも**政治的影響力(清流党的)**を重視。
ハイエクは後期にかけて先験主義から経験主義にシフトし、英国保守主義やスコットランド啓蒙に融合した。
一方で、ミーゼス(Mises)は一貫して純粋な理論を追求し、現実政治には無関心だった。
ハイエクは**政治に責任を持たないメディア的知識人(胡適的)**の立場に傾いた。
このような「不感興趣的興趣(興味がないふりをした興味)」は、政治を批判するが責任は負わない態度を象徴。
ハイエク理論は1970年代以降の反ケインズ主義的潮流(例:サッチャー、レーガン)と時代的に同期し、影響力を持つようになった。
しかし、現実の政治家たちは必ずしもハイエクの信奉者ではない(偶然の「同期現象」に近い)。
ハイエクの影響は実際の知識人よりも、メディア・中産階級の「知道分子」層に向けられていた。
この層には理論的精緻さは不要で、政治的スローガンとしての自由主義が重要。
ハイエク自身は、自由と民主主義を明確に分けて考えていた(自由は民主主義なしでも維持可能と考えた)。
だが、現実の政治参加や「米国人民の賢さ」に期待するなど、自身の理念に矛盾する行動もとっている。
ハイエクや保守主義が理想とする「小さな政府」は、近代の軍事国家体制では維持不可能。
ロン・ポールのような純粋な自由主義者は、米国の軍事体制にとって現実的ではないため排除される。
ハイエク的自由主義を信奉した黎智英のような人物は、東アジアの文脈では制度的・地政学的に孤立。
1. 全体構成
本書は大きく5部構成(+序論・結論)で、古代から20世紀までの「滿洲(満洲)」地域をめぐる勢力と、その中で生まれた「満洲国」――20世紀の民族・国家発明――を一貫したストーリーとして描き出します。
第五部:滿洲國の成立とナショナル・アイデンティティの発明
2. 主要テーマ
満洲は、東アジア大陸と朝鮮半島/遼東半島の接点に位置する「低地」=外来勢力の侵入・征服が常態化した空間。そこを舞台にさまざまな遊牧・騎馬民族が王朝を興し、漢民族中心史観のタブーを破壊してきた。
高句麗→契丹(遼)→女真(金)→満洲(清)という、本書の最重要ラインをたどりながら、「遊牧文明」の政治構造と漢文化の摂取・活用の戦略を分析。
1932年に日本が擁立した傀儡政権「滿洲國」は、清帝国の「满洲支配」を近代的国家として再パッケージしたもの。人口構成に乏しい満洲人を「国家の主役」とすることで、ナショナル・アイデンティティを人工的に発明したプロジェクトとして読み解く。
教育・宣伝・儀式(皇帝崇拝、民族衣装)・歴史教科書の改編などを通じ、他地域・他民族を排除し「満洲人」を想像上の共同体として形成するプロセスを詳細に追跡。
3. 各章の論点
序論 満洲を地理的に定義し、「窪地」としての脆弱性と、逆に「征服の空間」としての魅力を提示。
第一部(高句麗→契丹) 高句麗の辺境国家性を論じ、契丹(遼)による五代十国期の北方統一王朝成立過程を、モンゴル草原勢力との関係から分析。
第二部(女真→金) 女真人が「女真語・契丹文」を駆使し、漢文化と遊牧文明をハイブリッド化して金朝を建設する政治戦略を解剖。
第三部(清帝国) 満洲人(女真系)の支配エリートが、科挙や儒教を吸収しつつ「満洲旗制度」で特権階級を維持。清の多民族統合メカニズム。
第四部(近代の再定義) 日露戦争後、清帝国が「満洲」を失い始める中で、列強による分割的支配と漢民族的ナショナリズムの台頭を並列で検証。
第五部(滿洲國) 満洲国の建国イデオロギー(皇帝溥儀の再起用、五族協和)、憲法制定、教育制度、国家祭儀など「民族発明」の実践面を詳細に描写。
結論 「満洲」という地域・イデオロギー・民族カテゴリーが東アジア秩序に果たした役割を総括し、「諸夏主義」の視座へ橋渡し。
「中国=漢民族国家」という前提を覆し、満洲を起点に東アジア史を再構築することで、脱中華・多文明圏論の理論的骨格を補強。
ナショナル・アイデンティティ研究への貢献
「満洲人」という少数民族的主体がいかにして国民国家の主体と見なされたか、「民族発明」のプロセスを具体的に示し、人類学的・歴史学的に示唆を与える。
内モンゴル・チベット・ウイグルなど「非漢族地域」のナショナル・ムーブメントに対する理論的バックボーンを提供するほか、地域分権・多元連合の可能性を歴史的事例を通じて描く。
《中國窪地》が「満洲国」建国プロジェクトを単なる「日本の傀儡政権」として批判するだけでなく、そこに内在する「民族発明」の構造を解明し、東アジアのナショナル・ヒストリーを俯瞰する視座を与える重要著作です。
石破茂君。
君が今、国政の頂に立ち、衆参両院にて与党過半を失い、党内の支持をも喪いながら、なお政権の舵を握り続けるその姿は、孤高にして重責を担う者の覚悟を映し出すものなり。
君が為し遂げんとするは、戦後政治の深層に巣食いし構造の歪みを、静かに、されど確かに解きほぐす試みなり。
党内において理念を異にする勢力を、力に訴えることなく、制度と空気と選挙環境をもって、自ずと党外に導く構造を築き上げ、また、労働界においても、現実路線を志向する者らと、理念的対立を抱える者らとの分岐を促し、中道と現実に軸足を据え直す政治秩序の再構築を目指すものなり。
それは、右と左、いずれの極にも偏らず、暮らしと制度の中庸に立脚せんとする、戦後保守の原点への回帰に他ならず。
吉田茂の遺した現実主義と倫理政治の系譜を、七十年の時を経て再び呼び起こさんとする、歴史的試みなり。
されどこの再編、国民にとりては分かりにくく、すっきりせぬものと映るやもしれぬ。
敵も味方も曖昧なまま、理念より構造が先に動くこの変革は、喝采よりも困惑を呼ぶものなり。
ゆえに君は、喝采を受けることなく、歴史の陰に退くこととなるであろう。
国会議事堂の中央広間に並ぶ銅像の列に、君の像が加わることは決してあるまい。
むしろ君は、すべてを成し遂げし後、悪者として退場することとなるやもしれぬ。
それは功労者に対する酷なる仕打ちなれど、君が去りし後に政治が安定し、国民が安心を得るならば、その孤独と不遇は、歴史において意味あるものとならん。
石破茂君。
この記事の見解は日本政治史について独特で興味深い視点を提供していますが、いくつかの点で議論の余地があります。
妥当性の高い部分:**
自民党が1955年に自由党と日本民主党の合体により誕生し、社会党の伸長を警戒した保守派の結集だったという歴史的背景の説明は正確です。また、結党直後は鳩山一郎や岸信介など日本民主党系の総理が続き、その後池田勇人・佐藤栄作・田中角栄など自由党系の首相が続いたという系譜の整理も概ね正しいです。
議論の余地がある部分:**
1. **「左派」「右派」の定義**: 自由党系を「左派」、日本民主党系を「右派」と分類していますが、この分け方は一般的ではありません。通常、政治学では経済政策や外交政策の立場で左右を分けることが多く、この記事の分類は混乱を招く可能性があります。
2. **保守本流の解釈**: 「保守本流」が「リベラル」的であるという表現は単純化しすぎています。保守本流は現実主義的な政策運営を重視しましたが、必ずしも「リベラル」ではありませんでした。
3. **現在の政治状況の分析**: 岸田文雄・石破茂を「左派」として分類している点は、従来の派閥論から見ると疑問があります。
全体的評価:**
記事は自民党の歴史を一つの一貫した視点で整理しようとする試みとしては価値がありますが、政治史の複雑さを過度に単純化している面があります。特に「左派」「右派」という用語の使い方が独特すぎて、一般的な政治理解と乖離している点が問題です。参考程度に読むのは良いですが、この見解だけで日本政治を理解するのは危険でしょう。