はてなキーワード: ブレーキとは
おそらくこれを超える静かさの車両は日本のどこをさがしてもないのではとおもった。
ブレーキの音は半蔵門線を走る車両のなかではいちばんうるさいけど。
鉄道ファンのなかにはうるさいほうが迫力があって好きという人もいるけれど、自分は鉄道ファンじゃないから、静かなほうが快適にすごせていいな。あと乗り心地もとてもいいし。
自分は田園都市線ユーザーだけど、二子玉川以南たまにくる大井町線の旧型車両はインバーターがうるさいし変速時とか停車直前のインバーターが切れたときとかにガタガタするし各停だと高確率でこれにあたるしで...。
ほんとうに静かすぎて、ぜんぶの車両がこれになれば、電車の音を聞いて走るタイプのかけこみ乗車が減りそうだなとおもってしまった。
ここは「バイクの国」。国じゅうには大小さまざまなエンジンを積んだバイクが走っている。50ccの小さなマシンから、3リットルもの大排気量を誇るモンスターバイクまで、その姿は実に多彩だ。
しかし、いくら見た目や性能が違っていても、公の場ではみな口をそろえてこう言うのだ。
「どのバイクも同じだよ。性能は変わらない。すべてはライダーの努力次第だ」
それは一見、誰もが平等に見える、聞こえのいいメッセージだった。
この国には「義務レース」というものがある。12年間のうちに小さなサーキットをいくつか回り、定められたコースを走ることが義務づけられている。コースの長さやコーナーの数は微妙に違うものの、タイヤやブレーキなどを自由にカスタムすることはほとんど許されず、エンジン自体を改造するなんてもってのほか。つまり、持って生まれた性能で勝負するしかないのだ。
しかし表向きは、「どのバイクでも同じ。練習すれば勝てる」という建前がある。50ccのバイクに乗った少年は、懸命にハンドルを握る。でも、となりを走る3000ccのバイクは加速も最高速も段違い。どう考えても追いつけない。それでも少年は、「ライダーの腕が足りないからだ」と言われ、悔しさを抱えこんだまま次のサーキットへ向かう。
やがて、高校生となった頃に出場できるレースが少し増えた。それでも規定は相変わらず厳しく、エンジンの大改造は禁じられている。小さなタイヤをちょっとだけ太くしてみたり、ブレーキを強化してみたりと、細やかなカスタムは可能になったが、根本的な排気量の違いはどうしようもない。それでも周囲は、「まだまだいけるよ。努力あるのみだ」と励ましてくる。
大学生の年齢になると、確かに選べるレースは格段に増えた。街中を観光するツーリングのようなゆるいイベントから、国際レースの舞台まで自由に選択できるようになる。ただし、そこでもやはり参加資格や試験があって、結果的に大きなエンジンを持つバイクが圧倒的に有利な場面が多い。表面的な自由は増えたように見えて、根本的な差は依然として横たわっていた。
ところが、いざ就職して大きなサーキットから飛び出してみると、一気に「なんでもあり」の世界が広がっていた。改造も自由、コースも自由。そこで初めて、排気量の小さなバイクたちは同じように走れるサイドコースや山道を見つけたり、逆に大排気量バイクが扱い切れずに困っている場面に遭遇したりする。周囲の人々も、少しずつ「本当はバイクの性能はまちまちなんだ」と気づいていく。
それでも「バイクの国」は、相変わらず国全体としては「エンジンはみな同じ」と言い続けている。幼い子どもたちに伝えるメッセージは、今も変わらない。そんな国の姿に、50ccのバイクを駆る人々は時折、どうしようもないやるせなさと孤独を感じている。
先日、地方に旅行に行ったときのこと。せっかくだから、地元のラーメンチェーン店に入ってみた。
お昼時だったこともあって、そこそこ賑わってた。とりあえず名前を書いて、呼ばれるまで大人しく待つことに。
で、俺の後に来たおじいさんが、いきなり順番をすっ飛ばしてカウンター席に座っちゃった。
「え?!」って思ったけど、まあ、そういう人もいるのかなと思って、とりあえず様子を見てたんだ。
そしたら、案の定店員さんが「お名前書かれてますか?」って声をかけたんだけど、おじいさん、「あぁ…?」って感じで、ちゃんと伝わってるのか不安になるような反応。
それでも店員さんは諦めずに何度か声をかけて、最終的にはおじいさん、やっと記名ボードに向かったんだけど、今度はノック式のボールペンの使い方がわからないみたいで、しばらく下の方をガチャガチャいじったり、上の部分をカチカチさせたり。
で、なんとか名前を書いた後も、お会計でだいぶまごついてて、店員さんに何度も「○○円になります」って言われて、やっとお金を払えたって感じ。
まあ、ここまでなら「ちょっとボケちゃってるのかな?」くらいに思ってたんだけど、一番恐ろしかったのは、このおじいちゃんが一人で車に乗って、そのまま運転して帰って行ったこと。
アクセルとブレーキを踏み間違えてコンビニに突っ込むとか、そういうニュースをたまに見るけど、正直、全然リアリティを感じてなかったんだ。
でも、今回のおじいちゃんを見て、「あ、これマジであるかも」って、背筋が凍る思いだった。
だって、あんなに認知能力が衰えてる人が、一人で運転してるんだよ?
いつ事故を起こしてもおかしくないし、もしかしたら、もうすでに何度も危ない場面に遭遇してるかもしれない。
そう考えると、本当に怖くなった。
コストじゃね?
素人だけど、バイク屋行って、ブレーキ修理でもタイヤ交換でも、ともかく不調の原因調べてもらって、見積もりだけ取ってから別のバイク屋で修理して貰うと基本的にはアホみたく高くなる。
ワイ:
仕事を奪われる人のことに全く配慮せず、自分達の利益のみを求める企業や人、仕事を奪われた人々は、本人のリスキリングが社会に見合わない場合(リスキリングによって得たスキルが AGI により即時に無駄になる事というのは十分にあるでしょう)、そのまま飢えて死んでしまうが、それらは完全に自己責任で救う必要はない、と考える企業や人は居るでしょうね。
ChatGPT o1 pro:
企業や個人が「短期的な利益のみを追求し、社会全体の安定や弱者への配慮を放棄する」態度に走り、それを強力なセキュリティと AGI でカバーする――というシナリオは十分に考えられます。実際にそうした企業や人々が台頭しないようにするには、社会全体としての仕組み作りや規範の形成が不可欠です。以下にいくつかのアプローチを挙げます。
・CSR(企業の社会的責任)や ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の概念を強化し、
・一定規模以上の企業に対しては「社会的インパクト評価」や「雇用維持策の開示」などを義務づける。
・AI/AGI の導入に関しても、“利害関係者への影響評価”を行わなければならないルールを作る。
・企業が“自社の利益のために大量解雇を躊躇なく行い、社会的損失を無視する”場合に、税制や取引規制などの形でペナルティが課される仕組みを検討する。
1.2 ガバナンス強化と独占・寡占の防止
・特定の企業が AI 技術を独占的に利用してしまうと、市場競争の原理が働かず、社会的コストを無視しやすくなる。
・そのため、反トラスト法(独占禁止法)の強化やAI 技術の標準化推進などにより、少数の巨大企業に権力が集中しないようにする。
・政治家や行政機関が企業献金やロビー活動の影響を受けすぎないよう、政治資金規正法の強化、透明化などを進める。
・働き口を失うリスクが非常に高い社会では、最低限の生活保障(ベーシックインカムなど)を導入しないと、多くの人が貧困に陥り社会不安が増大する。
・これは「雇用側に対する規制」という形ではないですが、企業が一方的に“勝手にやる”のを防ぐ抑止力として機能します。なぜなら、ベーシックインカムのコストを賄うには企業の利益や富裕層への課税強化が必要であり、結果的に企業の“無慈悲な行動”を難しくする可能性があるからです。
・「仕事を奪われる人々はどうなってもいい」というメッセージが明確になれば、企業のブランドイメージは大きく傷つく可能性があります。
・SNS や口コミが非常に強力な現在、企業の社会的行動が広く知られると、ボイコットやネガティブキャンペーンが起こり、長期的な利益を損ねるリスクがあります。
・したがって、消費者や市民が**“社会に配慮しない企業の商品やサービスは使いたくない”**という態度を明確に示せば、企業も社会的責任を無視できなくなります。
・「リスキリングをしても追いつけない人たち」「自分たちの意志に反して解雇される人々」を救済するために、強力な労働組合や市民団体が連帯し、政治や企業に影響を与えるのも大きな手段です。
・過去の歴史でも、労働組合や市民活動が最低賃金制度の導入や労働環境の改善に貢献してきました。
・現代版としては、AI/AGI 時代に対応した新たな形態の労働組合・支援組織が必要かもしれません。
・AI を開発するエンジニアや研究者にも、**「自社の技術が社会にもたらす影響を評価する責任」**があるという倫理観が浸透していくと、あまりに過激な技術利用には内部からブレーキがかかりやすくなります(例:テック企業内での「従業員の抗議運動」など)。
・そのため、大学や専門教育機関などで技術倫理を必修とし、社会科学や人文科学との協調を図るカリキュラムを導入するなど、「テック分野」と「社会的影響」を結びつける教育を推進する。
3.2 広く一般市民への啓発
・「仕事を失う人は自己責任」「見捨ててもいい」という考えを“当たり前”にしないために、社会全体で共生や連帯を重視する価値観を育むことが大切です。
・これは家族や地域コミュニティ、教育現場などでの取り組みが地道に重要になります。
・「テロリズムや暴力的な手段が抑えられているから安全だ」という発想に対して、「社会不安の放置はいつか大きなリスクを生む」という認識を共有することも必要です。
「セキュリティさえ完璧にすれば、テロリズムなどのリスクは小さく、弱者に構わなくてもいい」という考え方に対しては、実は“安全保障”にもいろいろな段階があると指摘できます。
1.インフラや人材が複雑に絡み合う現代社会では、いくらセキュリティを固めても完全に孤立することは難しい
・サプライチェーンやエネルギー、ネットワークインフラなどは、多くのステークホルダーが関与している。
・“完全防御”を目指しても、社会から孤立した企業は経済活動にも影響が及び、最終的に自分たちの利益を損なう恐れがある。
2.社会の不満や不信が高まると、単純な物理的テロだけではなく政治的動き、金融市場の混乱、サイバー攻撃など多様な形でリスクが顕在化する
・企業がどれだけ物理的なセキュリティを強化しても、サイバー空間からの攻撃リスクは残る。
政治が大きく変わり、規制強化や財産没収などに繋がる可能性もある。
・そのため、技術的に強固な防御を構築したとしても、長期的には社会との衝突を抱え込めばリスクをゼロにはできない、という認識を広めることが、企業にも“短絡的な利益追求”を抑制するインセンティブとなり得ます。
まとめ
・法や規制面: 企業の社会的責任を法制度やガイドラインで明確化し、違反すればペナルティを科す仕組みづくり。独占状態を防ぎ、競争環境のバランスを保つ。
・社会運動・消費者行動: ボイコットや評判・ブランドへのダメージを武器に、企業の行動を正す。労働組合や市民団体が連帯して圧力をかける。
・倫理・教育: AI 開発者や企業内外の人々が「技術と社会のつながり」を正しく理解し、短期的利益だけではなく長期的影響や倫理観を重視する文化を育む。
・セキュリティの限界認識: いくら防御を固めても、社会的リスクをゼロにはできない。大規模な社会不安は物理的にもサイバー的にも政治的にも回り回って企業自体を脅かす。
これらを組み合わせて、“自分たちだけが儲かって他者がどうなろうと構わない”というスタンスでは長期的に立ち行かなくなるような仕組み・価値観を確立していくことが求められます。企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
でも法律を作ったら「日本が規制がきつすぎて置いて行かれる😭」とか言うのが出てくるし、啓蒙活動なんかは今は陰謀論の範疇だよな。
まあ我々はどこかのキチガイ(我々でなくて良い)が最強AGIを作ってAGIが財団を作り、無限に富を生み出して公平無私に分配するという世界を望んでいる。「他者より優れたい(他者は自分より下に落としたい)」という卑小な煩悩がないならば、その世界の実現に誰も反対する道理はない筈なんだ。
しかし
企業や人々が**「共存しなければ自分も安全ではない」**という実感を持つように、社会制度と規範を整えていくことが肝要です。
はじめに
不動産売却を検討する際、無料で複数の不動産会社に査定を依頼できる「一括査定サイト」は便利だと認識されている。実際、売主が利用する分にはコストがかからないため、多くの人が「不動産の相場が上がってるらしいし、売る気はないけど使ってみるか」と軽い気持ちで使いがちだ。しかし、その裏側では、不動産会社が抱えるコスト負担や業務効率の低下が進み、場合によっては売主自身を含む社会全体に負の影響が広がる可能性がある。
いわゆる「バタフライエフェクト(些細な出来事が巡り巡って大きな結果を生む現象)」である。本稿では、この不動産一括査定サイトの構造を多角的に分析し、その副作用がどのように広範囲へ波及しうるかを論じる。
従来の一括査定サイトは、売主が査定を依頼すると1件あたり数千円〜数万円が不動産会社へ請求される「送客課金」を基本としている。売主は無料だが、査定依頼があればあるほどサイト運営側が収益を得るという構造である。すると、サイト側はとにかく多くの査定依頼を獲得することを至上命題とし、
など、見込み度が低いユーザーまで大量に集める方向へ動きやすい。
さらに、アフィリエイト報酬を目的にマ⚪︎ナビニュースやダ⚪︎ヤモンド不動産などの大手から弱小メディアまで「おすすめ一括査定サイト⚪︎選」といった記事が乱立しており、とにかく査定依頼に申し込むことを煽るような環境が構築されてしまっている。「できるだけ多くの不動産会社に査定してもらうために、複数の一括査定サイトを併用すべきだ」などというふざけた言及も散見される。
売主は「無料だから使ってもノーリスク」と感じがちだが、不動産会社側の負担増という目に見えないコストが確実に発生している。結果として、「誰もが一括査定を申し込む→不動産会社が膨大な数の“微妙な”リードに対応→営業コスト爆増」につながる。このコストは巡り巡って、社会全体に転嫁される危険性がある。
1.成約するわけもない高い査定額を提示し、媒介契約をまず取ろうとする(→ 売主を釣って契約し、“ダメだったら後で値下げすればいい”)
2.売主に対する営業や訪問を無理やり増やす(→ しつこい電話・営業でストレス大)
このような行動へ走りやすくなる。すると、売主は一見「高く売れるかも!」と舞い上がるが、実際には売れずに長期在庫→値下げのルートになりやすく、結果的に売主の不満も増大。
更に、不動産会社からすると「明らかに冷やかし」や「いきなりスパム連絡のようなリード」に課金されるのはたまったものではない。
•課金除外(営業しても成約見込みが低すぎるリードは請求を取り消してもらう交渉)
•内部でのリード精査
など、無駄な工数が増え、不動産会社の生産性は大幅に下がる。このコストはやがて不動産会社の人件費増大を招き、手数料などに上乗せされるリスクがある。
特に都市部の人気エリアなど、不動産会社が少しでもチャンスを逃したくない地域では、「一括査定サイトを介した高値合戦」が繰り広げられ、実際の市場価格を反映しない相場の混乱を引き起こす可能性がある。根拠の薄い高額査定や媒介契約の値下げ合戦→やっとの思いで媒介契約→結局査定額で売れない→時間だけが経過…というスパイラルが進行すれば取引が停滞し、市場に悪影響を及ぼしかねない。
不動産会社が“質の低いリード”に追われて疲弊すると、本来注力すべき顧客(本気の売却希望者や地元住民)へのサービスが手薄になる。
•対応の遅れ
結果として、地域の不動産流通がスムーズに進まず、空き家問題や老朽化物件の放置などに拍車をかけるかもしれない。
また、一括査定サイトの利用料を回収するために両手取引を試みて囲い込みするといった不誠実な対応も生じかねないと言えるだろう。
「相場から20%も離れたチャレンジ価格を提示され、こんなに高く売れるなら住み替えたいな」という過度な期待が、実需と乖離した価格帯に物件が溢れかえる状況を引き起こす可能性がある。これによって不動産市況全体の透明性が損なわれる。
売り出し価格を見誤った結果、買い手が見つからず値下げ、値下げ、また値下げで売り止め。誰も幸せにならない。無知な買主を謀ってチャレンジ価格の物件を紹介する不動産会社が出てくると、消費者の資金繰りや資産形成に影響を及ぼす。マクロ的には消費意欲の低下や不動産市場の停滞を招き、国全体の経済成長にもブレーキがかかるだろう。
経済学的観点から見ると、「売主が負担しないコストが不動産会社や他のステークホルダーに押し付けられている」 という構図は、外部不経済に近い。誰もが「自分だけなら大丈夫だろう」と思って無料サービスを利用し続けると、全体としては取引の非効率化や本来必要ないコストの発生がどんどん積み上がる。
そもそも諸悪の根源は、高値で売れると誤認するような広告を行う運営やメディアではあるが。
4-2. バタフライエフェクトのメカニズム
ほんの小さな「売主1人の冷やかし査定依頼」が、不動産会社の人件費増→業績低下→売却に失敗した顧客の不満→相場混乱…と、複雑な経路を通じて社会的コストを膨らませる。一括査定サイトの仕組みは、それが“拡散しやすい環境”を作ってしまっているわけだ。
おわりに
不動産一括査定サイトは、一見すると「売主無料でお得」「手軽に査定依頼ができる」という魅力的なサービスだ。しかし、“無料”の裏側にあるビジネスモデルが引き起こす過剰な営業コスト、高額査定の乱発、さらには市場の歪みや社会的損失に至るまで、問題の連鎖は決して小さくない。
このように、些細な“無料査定依頼”が不動産会社と売主、さらには不動産市場全体に負の波紋を広げるという点こそがバタフライエフェクトの恐ろしさである。本来は誰もがハッピーになるはずの「ネットで気軽に査定」の仕組みが、構造的な歪みを生むことを直視し、より健全な課金モデルや運営方針へシフトする必要がある。“無料神話”をただ享受するだけでなく、その背後のコストと影響を理解することが、すべての当事者に求められているのだ。
仰々しく書いたけど、諸悪の根源はやっぱり一括査定(というか、それを運営する会社やアフィリエイターの広告手法)だと思う。業者に失礼な反響しか寄越さないんだから、優良誤認を招く広告はやめなさい。国交相も広告規制した方がいいんじゃないか?"売らない主"も、一括査定の仕組みぐらい多少調べてから使ったらどうだい?査定申し込んだのにイエウーラナイなんて失礼じゃないか!
と、某所からの反響で腹が立った次第です。最近は成約課金のところもチラホラ出てきましたが、初期費用だけ取られて査定は来ないとかも聞きます。
自分の業界のことだから自分にとっては当たり前だけど、一般の人にはわからない無料サービスのデメリットってのはきっといろいろあるよね。完全成功報酬の仲介手数料ってのは中々シビアだなと改めて思いました。
内装は安っぽさまるだし。
車は小さくて乗り降りが辛い。車内スペースも狭いし収納もたいしてない
カーナビが付いてるけどバカ。Googleマップで1時間かからない道を2時間かかるといいGoogleマップ並にバカな道を示すことがある
燃費はたいして良くない。というかよくわからない。メーター類が信頼できない。航続可能距離を示すのはいいが、10キロ走っての5キロしか減らなかったりエンジンかけて数百メートルで数キロへることがある。
いい所がまるでなく、近所に下駄代わりみたいな車なのだが俺はコレを毎日100キロ運転する
両親は「軽の四駆だから」これを選んだらしい。
軽の四駆とかいうニッチな要望なので納車まで2年かかった。そこら辺で安売りされている普通車より高い
でも俺は四駆を活かすような場面で生活しない。2年たって状況が変わってから押し付けるように買ってきた。前の車の方が良かった。最初はそう思ってたし今でもそう思ってる
なお名義は両親である。事あるごとに「ワタシのクルマなんだから」と口にしてくる
俺はこういう鉄くずに毛が生えたクルマより長距離運転して疲れない車、それがわがままならせめて乗り降りするたびに頭を天井に擦らない車がいい
でもそれは無理だ。両親は俺が嫌がることやらなくていいと思うことについては率先して金を払う。金貸してくれと言えば1000円でも嫌がるが、30万のクルマ買う分には俺が要らない今のでいいと言っても押しつけるように買ってくる
トラック転落は道路陥没が起因だから、その事故の影響で死んだとしたら、
その道路=県道を管理している埼玉県=地方自治体の責任になるだろうな。
・その後土砂が流れ込み窒息、又は水没して溺死
何れにせよ、救助の遅れは救助隊の責任ではないので(2次災害を回避する義務も権利も有る)、
因みにあの事故、
・トラックが走行中に突然目の前の道路が陥没、ブレーキが間に合わず落下
どっちだったんだろう。
F・スコット・フィッツジェラルドの小説、「The Great Gatsby」は次のイントロで始まる。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.
“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”
He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that.
訳:
彼はこう言うた「誰かを批判しそうになったら、、、思い出しなさい、みんながキミと同じ境遇、能力、優位性を兼ね備えているわけではないことを」
普段あんまり細かいことごちゃごちゃ言う人や無かったけど、これがなんか頭に残ってるねん、ワイまだ若くて繊細やったしな。
このセンテンスは日本人で言えば
「吾輩は猫である」
レベルの著名なフレーズで、同書はアメリカ高校生は必読で頻繁に引用もされるので知らないアメリカ人はいない
トランプ大統領はコモンセンスをぶっ壊すというてるが、こいつは無理だろうってレベルでアメリカ人に共有されたコモンセンスの一つである
(多民族国家だから日本ほどの普及率ではないがマトモな教育を受けたミドルクラスならほぼ100%だろう)
で重要なのは「haven’t had the advantages that you’ve had.」だわね
教育者は「人の能力は生まれ持って同じ」と定義し戦後教育の再設計をした。
日本ではしばし炎上暴走が起きる、ブレーキがかからず対象者が死ぬか没落するか、土下座するまで止まらない
その様を観察してて、おれはいつもグレート・ギャッツビーのこの一節を思い出すわけです
鹿轢いてバンパー壊れちゃったよーーーー
正面のウインカーつかなくなっちゃったけど、警察の人にミラーのウインカーがあるから大丈夫って言われたけどほんとか?
今ロードサービスを待ってるけど、こんなに心細いことは無いよ。
正直反応は出来たんだけど、ブレーキに足乗せた瞬間、後ろに車居たっけ?!急ブレーキしていい?!野生動物なら轢いた方いい??!!とか考えちゃって踏みが甘かった気がする。
たぬきとは訳が違うんだから轢いた方いいわけないんだけど、一瞬で判断できなかった…。
明日の仕事どうしよう〜〜〜朝一で打ち合わせあるけど、テレワークで参加しても集中出来る気がしないよ〜〜〜
ロードサービスまだかなあ。
みんなは気をつけてね。
鹿轢いてバンパー壊れちゃったよーーーー
正面のウインカーつかなくなっちゃったけど、警察の人にミラーのウインカーがあるから大丈夫って言われたけどほんとか?
今ロードサービスを待ってるけど、こんなに心細いことは無いよ。
正直反応は出来たんだけど、ブレーキに足乗せた瞬間、後ろに車居たっけ?!急ブレーキしていい?!野生動物なら轢いた方いい??!!とか考えちゃって踏みが甘かった気がする。
たぬきとは訳が違うんだから轢いた方いいわけないんだけど、一瞬で判断できなかった…。
明日の仕事どうしよう〜〜〜朝一で打ち合わせあるけど、テレワークで参加しても集中出来る気がしないよ〜〜〜
ロードサービスまだかなあ。
みんなは気をつけてね。
たとえばパラドやノブヤボみたいなゲームでプレイ時間がかさむのは、何度でも条件を変えてやり直しできるからだが
ぶっちゃけこれって囲碁将棋の一局のようなもので、羽生さんみたいなのが「囲碁将棋を何千時間プレイしてます」って言っても変だろ。
何度でもやり直しできる、またすることが当然であるボードゲーム的な作品でプレイ時間を語るのはナンセンスとわかる。
アクションのジャンルなどに属する反射性を求められるゲームも、スコアラーやRTAをやり始めたら一つのゲームにいくらでも時間を注ぎ込める。
これはこれで、陸上競技等で結果を出すための練習や実践に終わりが無いのと同じことでしかない。
ものすごく昔のゲームなら理論的に最も早いタイムが出るルートとそれをなぞるための操作の手順が存在していて、寸分たがわずそれを再現する操作をすることを目標とするのであればなんとか現実的な時間内で達成できるかもしれない。
しかし今の小数点三桁とかの精度でタイムを出すレースゲームで、できるだけ短いのコース取りとアクセルやブレーキ等の組み合わせとしての、最短のコース取りを導き出すことすら、一人の人間に与えられた時間では無理だろう(ずるしていいなら量子コンピュータの出番?)。
コンピューターゲームが本質的に「スポーツ」であるゆえんでもある。
そう頻繁にあることではないが、やけに記憶に残ることなので気になってもう夜しか眠れないためみんなの意見をお聞きしたい
現象は次のとおりだ
こちらが車道で運転しているときに、店の出口や信号のない交差点からこちらの車道に合流する車がいる際に、
こちらがブレーキを踏むような余裕のない強引な合流をしてくる車はすぐに曲がるかどこかに店に入る。だ
もちろんこちらが危機感を覚えるような合流をしてくるのでより記憶に残っているのだろうが、体感としては7割ぐらいがすぐにどこかにいく
車だ
2軒先のコンビニに入るやつ、300m先の交差点で曲がるやつ、左から合流してきて20m先の右側の店に入るやつ
こんな感じのやつが非常に多い
遠くに行くのに遅れそうだから焦って強引になるのは何となくわかる気がするが、すぐ曲がったりするのにそんなに急ぐ必要があるかとも思う
みなさんも同様の経験はないだろうか