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2024-10-22

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。一方で同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


2024-03-18

anond:20240318224114

政権交代から数えて12年、自民党結党から数えて68年、前身政党最初といえる立憲政友会まで含めると124年間日本滅亡の試みが失敗してて草

2017-10-14

立憲民主党枝野さんの演説を聞いてきたので全文を書き起こす

どういうわけか小学生の息子が選挙演説を聞きたいと言ってきたので、まあ勉強になるだろうと思っていっしょに枝野さんの話を聞いてきた。

(その後、希望の党小池さん自民党安倍さんの話も聞いてきたので参考まで

小池さんhttps://anond.hatelabo.jp/20171015174223

安倍さんhttps://anond.hatelabo.jp/20171019182506

政治家演説をまともに聞いたのは初めてだけど、だいぶ感銘を受けたので書き起こしてみようと思う。

枝野さんの話、興味ある人も多いと思う。ぜんぶで20分くらいの話だった。

2017.10.14 池袋にて 立憲民主党 枝野幸男 演説

みなさんに背中を押していただき、党を立ち上げてよかったと思っています

民主党民進党時代に積み重ねてきた原則理念を改めてこの時代に大きく前進させて新しい旗を立てさせていただきました。

右でも左でもなく、そしてこれまでの政治が上から政治になってしまっている、暮らし現場からの、下からの、草の根から民主主義を、暮らし現場から政策を下から前へ進めていく、新しい選択肢国民のみなさんにお示しをさせていただきたい、そう考えています

アベノミクス。豊かな人をさらに豊かにします。確かに株価は上がりました。大きな企業を中心として企業内部留保、いわば企業の持っている預貯金過去最高に登りました。豊かなものさらに豊かにすれば、強いものをより強くすれば、そのうちその豊かさが国民の隅々まで行き渡る。安倍さんはそう説明しています。でももう5年経っている。

私はこうした、上から強くして行く、上から引っ張り上げるこのアベノミクスの考え方を、一概に全否定するつもりはありません。

実は日本の高度成長、戦後復興20世紀日本はこういうやり方で1億総中流世界で有数の経済大国を作り上げました。若い皆さんはご存じないかもしれませんが、安かろう悪かろうメイドインジャパンは値段が安い、世界にどんどんものを売って事業が儲かって、膨大なお金日本全国津々浦々に行き渡って、今の日本の豊かさを作り上げてきました。

安倍さんはその成長体験に基づいて、同じことをやればうまくいくといまだに勘違いをしているんじゃないでしょうか。時代が変わっているんです。右肩上がり人口が増える、アメリカヨーロッパにまだ日本が追いつき追い越そうとしていたその時代と、新興諸国から追い上げられる立場になった日本少子高齢化人口が減っていく日本時代が違う社会が違うのに、過去成功体験に引っ張られて新しい道が示せていない。

例えば、ただでさえ若い人が減っている。そんな中で奨学金と言う名のローンを組まないと進学できない若者が増えてしまっています貧困格差の拡大によってぶ厚い中間層と呼ばれた、1億総中流と言われていた日本社会がどんどんどんどん分断されてしまっていて、遠心力が働いています

これでは当事者のみなさんが困るだけではないんです。これでは日本社会が前に進んでいけない。どんどん社会が荒れていく荒廃をしていく。

例えば、ただでさえ数の少ない若い皆さん。学びたいと言う意欲があっても能力があってもお金問題で進学を断念する。そんな若者がたくさんいて、誰が日本未来を切り開くんですか。それどころか親の世代貧困によって、読み書きそろばん、最低限の社会生活、そうしたものすら身に付ける機会のないまま義務教育を終える、そんな子供たちがたくさん出てきてしまっています。これでは当事者のみなさんが困るだけではない、社会が誰を支えていくんだ、誰がこれから社会を支えていくんだ。

景気だって良くなるはずありません。年収100万、150万いつクビになるかわからない、非正規雇用。若干数字改善したと言いながらもまだ働く人の4割、そのうちの少なくとも半分は本当は正社員になりたいけれども残念ながら非正規で働いている。そんな若者がたくさんいます

国内では若者自動車離れが進んでいると言われます

当たり前じゃないですか。年収100万、150万、いつ首になるか分からいからローンを組めない、これでは自動車離れは当たり前。買える力がないのに買おうとする意欲が出るはずないじゃないですか

少子化だってそうです。

恋愛をし、希望すれば結婚し家庭を持つ、子供を産み育てる、そのためには定職があって一定の安定した収入があって、その願いを、家庭を持つという夢を、子供を産み育てると言う夢を持てない、そんな人たちを増やしていてどうして少子化に歯止めがかかるんですか。

から経済政策ではなくて、格差をこれ以上広げるのを止めて、格差是正して貧困を解消しましょう。これこそが21世紀政治社会経済再生です。

安倍さんは、規制緩和自由競争そして自己責任、そうしたものを煽ってきました。しか自由競争には大前提があります競争を煽るだけでは政治役割を果たしません。自由競争は公平公正なルールに基づいて行われなければなりません。ルールに基づいた競争を進めることが政治役割じゃないですか。

競争を煽るだけでは政治役割を果たしたことにはならない。公平公正なルールを作り守らせる、それが政治役割。その本来役割を、まっとうな政治を私は取り戻したい。

格差が拡大している背景には、例えば労働法制の行き過ぎた緩和があります20数年前、派遣法と言うのはむしろまれた、手に職持った技術を持っている特別仕事しか認められませんでした。それをあらゆる職種にどんどん規制緩和していった結果として、働くと言ったら正社員が当たり前だった、そんなまっとうな社会を壊してきたんです。

労働法制を強化しましょう。派遣法をもう一度元に戻していきましょう。段階的に戻していこうではありませんか。

安倍政権はこの選挙の前、残業代ゼロ法案をまとめています。ただでさえブラック企業サービス残業過労死自殺、働いてもそれに見合った給料がもらえない、おかしなことが横行しています

残業代ゼロ法を作る前に、今のサービス残業ブラック企業過労死自殺を止める、長時間労働規制する、労働法制を強化しなければならないんです。そのことによって働いたらまっとうに給料がもらえる、働くと言うのは基本は正社員として安定して働く、そのまっとうな世界を取り戻そうじゃありませんか。

そしてもう一つ格差是正するために社会を下から支え押し上げていくために、典型的な例があります

介護職員のみなさん。給料を上げましょう。

おかしいですよ今。私たちの国は資本主義です。自由主義経済価格、値段というのは市場で決まります需要があって供給が少なければ値段は上がるんです。介護職員の数が足りない、命にも関わる責任の重い仕事、重労働にもかかわらず賃金が安すぎる。志を持って介護仕事に就いた人が暮らしていけない。おかしいじゃないですか、供給不足なんでしょう。人手不足なら高い給料を払ってでも人を集める、それが市場原理のはずなのに、そうなっていないから、特別養護老人ホームには空きベッドが1万以上ある。でも待ってる人は一万人以上いるんです。ベッドはあるけど働いてくれる人が足りない。だったら給料払うのが資本主義です。自由経済

保育所どうでしょう保育所が足りないのは土地建物問題もあります保育士資格を持っている人はたくさんいるのに、でも保育所増設しようとすると保育士さんを集めるのが大変です。

なぜですか。

やっぱり重労働責任が重いのに給料が安いから。資格を持っている人でももっと給料が高い他の仕事に移ってしまっている。だから人手不足です。おかしいじゃないですか。

需要があるんだから、値段が安すぎて賃金が低すぎて人が集まらないなら、その給料を上げる、なぜそんなことが起こっているのか、そこは政治の責任です。

保育士給料介護職員給料も、広い意味政治が決めています介護保険の仕組みで例えば看護師さんは医療保険の仕組みの中で、保育士さんの給料も保育にどれくらいのお金を流すのかによって、保育士さんに払えるお金に上限があるから人手不足でも給料が払えない。そうした需要があるのに、安過ぎる給料に限られた政治を直していきましょうよ。

増えたものは必ず消費に回るんです。そして需要がたくさんあるんです。人が集まってくるなら、どんどん雇用の場として広がっていくんです。そこに払った給料も消費に回るんです。こういうことによってさまざまな分野で所得給料を下支えをして、底上げをしていこうじゃありませんか。そして最後、保育や、老後の安心子育て安心につながっていく。

二度、三度おいしいんです。

から株価を上げる経済政策ではなくて、こうして地に足つけて暮らしと結びついたところから社会を下支えをして底上げをしていきましょう。右でも左でもなく底支えをして前へ行く、そうした新しい経済モデルを、私は皆さんに自信を持って示していきたいと思います

そしてもう一つは上から問題総理大臣はなぜ総理大臣なんですか。

安倍さん選挙に勝ったからだと勘違いをしているんじゃないでしょうか。それは答えの半分でしかありません。ましてや選挙で勝ったら何をしてもいいと思っていたら大きな間違いです。

選挙は選ばれる人に白紙委任を与えるものではありません。そもそも国会議員内閣総理大臣も、与えられている、お預かりしている権限権力は、憲法によって決められているんです皆さん。

憲法で定められた手続きで選ばれているから、憲法で定められた範囲権限をお預かりしている、その立憲主義の基本が分かっていないのではないでしょうか。

集団的自衛権平和問題としても深刻。しかし私はそれ以上に立憲主義、これを破壊する行為だと一貫して思っている。

集団的自衛権行使しない、できない。その憲法解釈は、誰が作ったのではありません。アメリカから押し付けられたわけでも、当時の野党が大きな声を出したから決まったわけでもありません。

歴代自民党政権自らが、政府自らが今の憲法9条解釈をして、日本領土領海が攻められたらそれは全力で守るけれども、日本が攻められてもいないのに戦争はしない。自民党自身が決めてきたルールなんですよ。

それを合理的説明もない、論理的整合性もない、そんな形で勝手に変える。自分たちを縛っているルール勝手に変える。それじゃあルールも何もあったもんじゃないじゃないですか。自らの権力権限正当性根拠である憲法を守らない権力は、権力のもの正当性がない。

まずは憲法に従って仕事しろ

立憲主義と言うのは戦前でさえ言われていたんです。大日本帝国憲法明治憲法のもとでも政友会民政党という二大政党がありました。どちらもあの時期、立憲政友会立憲民政党と言う名前だったんです。憲法に基づいて仕事をするんだと言うのは明治憲法のもとでさえ常識だったんです。それを壊してしまっている安倍政治19世紀政治です。

時代錯誤政治を辞めさせなければなりません。立憲主義だけではありません。森友学園自衛隊日報問題国民のみなさんに情報公開しない、そして開き直る。

情報公開だけでもありません。国民のみなさんにきちっと説明して理解してもらって、説得して賛成してもらうと言う意思、意欲をみなさん安倍政権に感じますか。

本当の民主主義はそんなもんじゃありません。確かに民主主義多数決はつきものです。しか民主主義多数決イコールではありません。民主主義と言うのは、主権者まり国民のみなさんみんなで決める、これがほんとの民主主義です。

全員の意見が一致することはありません。だから選挙議員を選ぶんです。だから最後議会の中で多数決で決めるんです。

でもその前提はみんなで決める。できるだけ多くの皆さんに理解をしてもらって賛成をしてもらって、国民理解の上で物事を進めていく。それが民主主義です。情報を公開してみんなが議論できるようにして、その上で最後最後どうしてもと言う時に多数決で決めるんです。

初めから数があるから由らしむべし知らしむべからず、俺たちの決めたことを言うことを聞け、こんな上から民主主義は本当の民主主義ではありません。

私たちは本当の民主主義をこの国に作り上げたい。本当の立憲主義をこの国に取り戻したい。上から政治ではなくて、国民のみなさんとともに暮らしの中から湧き上がる本当の政治を取り戻したい。そんな思いで党を立ち上げました

このままでは自分所属できる政党がない。国民のみなさんも入れたくなる政党がない。そんな声をいただきまして10月2日政党を立ち上げました。前にいる若い仲間から背中を押されました。

正直迷いました。おかげさまで8期やってましたんで、まあ無所属でも自分選挙区は戦えるかなあと思っていました。ふだんは大宮マイクを握ってるんです。

でも多くのみなさんが背中を押していただきました。このままでは困る、このままではこの国の民主主義立憲主義も困る。枝野なんとかしろ枝野立てと、みなさんが背中を押していただいた。

そのおかげで私は立つことができました。ですから立憲民主党を作ったのは枝野幸男ではありません。立憲民主党を作ったのはあなたです。あなたが作った政党立憲民主党です。

本当はこの前に立っている仲間に一票を投じてくださいと、立憲民主党比例代表で一票を投じてくださいとお願いをするべきなのかもしれませんが、お願いしません。

それはこの戦いは候補者政党の戦いだと思っていないからです。私の背中を押していただいた、日本に本当の民主主義を取り戻そう、作り出そう、自分たちの声を届ける器をしっかり作らせようと思っていただいた、みなさんの戦いなんです。

政治を諦めている、どうせ変わらない、どうせどんな結果になったって俺たちには関係ない、そういって諦めてしまっている人たちが、みなさんの周りにはたくさんいるんじゃないでしょうか。

みなさん一人ひとりが当事者として、そうして諦めてしまっている人たちに声をかけませんか。いっしょにたたかおうと言いませんか。諦めないで立ち上がっていけば、それは大きな輪になるかもしれない。日本民主主義の新しい一歩を踏み出せるかもしれない。だから周りで諦めている人に、しらけている人に、あなた当事者として声をかけていただきたいんです。

一緒に政治に参加しよう、新しい民主主義を一緒に作ろうと声をかけていただきたいんです。みなさん、金もい組織もないなかで奮闘してくれています。お時間がある方は、余裕がある方は、30分でも1時間でもいいんです。それぞれの近くの事務所に顔を出してくれませんか。

そして一緒にビラをまいていただいたり証紙をはっていただいたり、一緒に政治をやりませんか。一緒に民主主義をやってくれませんか。

一緒に戦いませんか。

この戦いは第一歩です。私自身も24国会に送っていただいて、永田町の古い常識に影響されていた部分があったのではないか反省しています。でも新しい旗を立てました。自信を持って戦います

これまでの永田町の、内側を向いた上から政治ではなくて、あなたと一緒につくる新しい民主主義を、そして暮らしを下から底上げをして、日本未来を切り開いていく新しい日本社会を、しっかりと作っていく第一歩をこの選挙を通じて実現をさせていきたい。踏み出していきたいと思っています

ぜひ一緒に戦いましょう。

2017-10-03

「立憲」という用語意味について

日本の天地は複雑怪奇なる新情勢に突入し遂に立憲民主党が結成されたわけなのだが、上記のような呟きを意外と見かける気がする。

私としてはちょっとしたカルチャーショックだったんだけど確かに辞書を調べると「憲法制定」の意味しか載っていない。

立憲(リッケン)とは - コトバンク

それだけでなく「かつては憲法制定を目指して「立憲」を政党名につけたのであって改憲政党[*1]でないとおかしい」という呟きもあり…。

恐らく立憲改進党(と立憲帝政党)を念頭に置いての意見だと思うのだけど、明治憲法下で結成された立憲政友会立憲民政党も忘れてはならないだろう。

立憲政友会立憲民政党憲政の常道を主導する二大政党だったのだから、両党が改憲政党なら明治憲法不磨の大典だったとする言説は大嘘ということになってしまう。

結局、ここでいう「立憲」とは「憲法立脚する」(≒立憲主義)くらいの意味だと取るのが普通なのではないか

実際戦前でも立憲という言葉立憲主義に近い意味で使われていた。

例えば寺内正毅首相ビリケン宰相揶揄されたが、その風貌だけではなく「非立憲」にもかけられていた[*2]わけだ。

違憲とは言えないでも超然内閣は非立憲的、つまり憲法趣旨に則っていないという批判だろう。

現在でも、立憲君主政や立憲民主政、立憲政治など「立憲」だけでほぼ立憲主義的という意味で使われる用語もある。

そもそも会見からして、立憲民主党は立憲民主主義から取ったのだろうと推測できる。

何にせよ立憲=憲法制定という一義しかないという前提は過去現在用法を見ても違和感を覚える。

余談

とある物理学先生が党の英名について立憲はRickenなのかなみたいなことおっしゃってたけど、

立憲主義がconstitutionalismなのを考えれば立憲がconstitutionalなのは予想できたんじゃなかろうか。

constitutionalismって直訳すれば憲法主義[*4]だから立憲に結びつかないのも分かる気はしないでもないけど。

まあさすがにRickenはそういうギャグなんだろうけどね。

余談2

立憲って「明治かよ!」って突っ込みを聞くけど立憲民政党ギリギリ昭和に結成なので…。

まあ維新って聞いても「明治かよ!」ってならないし平気だろう(てきとう)。

余談3(10/3 22:30 追記)

「何故今になって立憲なのか」という疑問は分からなくないけど民主主義の国で民主党を名乗るのは「何故今になって」とは聞かれないよね。

それにかつて佐々木先生が語った(後述[*2]参照)ように違憲と非立憲は違う。

そして合憲であることは易くとも立憲的であることは存外難しいだろうし、名乗った以上立憲的に振舞わねば強い非難を浴びるだろう。

まあ安倍首相念頭に置いた命名なのではないかとは思わないでもないけれども、名乗る以上はその重みを噛み締めてほしいところです。




[*1]

そもそも枝野氏が護憲派かというと微妙かもしれないのだが。

もちろん立憲主義は必ずしも護憲意味しない。

※以下 10/3 22:00 追記

もちろん立憲主義は必ずしも護憲意味しない。大事ことなので2回書いた。

ただ憲法改正限界説に立てば現在憲法価値の中核に反する改憲、例えば国民主権君主主権にするような改憲はできない。

96条改正もこのあたりで色々議論があるんだけど、結局何を「中核」とするかはやっぱり細かい部分で意見が分かれるんだよね。

どちらにせよそこに注目すると立憲主義が”ある条件”下では護憲的に働くように見えるかもしれない。

まあそれを立憲主義表現するのが正しいのかも自分知識ではよく分からないのだが…。

正直限界説についてはよく分からいから各々で調べてもらえるとありがたい。

※以下 10/4 18:00 追記

ここでいう「護憲」の意味は俗的な意味での「護憲」です。

はてブでご指摘がある通り護憲改憲対義語でない用法もありました(第一次護憲運動第二次護憲運動等)。

[*2]

このあたり立憲デモクラシーの会話題になっておりメディアにも「非立憲」という言葉が載ったこともあったのだが思ったよりも知られていないのかもしれない。

そういえば立憲デモクラシーの会設立した時にも改憲集団でないならその命名はおかしいという意見はあったのだろうか?

ちなみに非立憲絡みで言えば昨年には佐々木惣一先生大正時代に出した著書「立憲非立憲」が文庫化している。

曰く「政治は固より憲法違反してはならぬ。而も憲法違反しないのみを以て直に立憲だとは云えない。違憲では無いけれども而も非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実に此の点を注意せねばならぬ」。

ここでいう「立憲」も明らかに憲法制定」を意味しないし今でも通用しそうな警句ですね。

[*3]

かに立憲君主制という言葉に比べると立憲民主主義って聞かないけどね。かつては教科書にも載ってなかったし。

しかしたら立憲民主主義という言葉が盛んだったのは芦部信喜先生奥平康弘先生あたりの時代最近だとあまり強調されないのかもしれない。

このあたりは立憲主義民主主義が緊張関係にある側面が指摘されるようになったからなんだろうか。

ちなみに緊張関係で言えば、自由主義民主主義も、自由平等も緊張関係にあるとも言えるので立憲民主主義という言葉特別おかしいわけではない。

[*4]

なんかこんな話を南野先生が著書「憲法主義」で書いてましたね。

 
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