はてなキーワード: 精神論とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/08/152614
この2つのリンクは、**「技術広報(エンジニアの発信・コミュニティ活動・技術イベントなどは、組織や個人にとってめちゃくちゃ重要だよ」**という話と、その**感想記事**です。
言っていることはこれだけです:
こういうのは
❌「暇な人の趣味」
ではなく
という話。
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内容は:
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> ✅ **1本目:理屈で「技術広報は超重要」と説明**
> ✅ **2本目:体験談で「実際に人生変わった」と補強**
この関係です。
👉 “実務ノウハウとしては空疎に近いが、思想・動機づけとしては意味がある” が正確な評価です。**
理由はシンプルで、この2記事は **どちらも「やり方」ではなく「姿勢・価値観」の話だから** です。
つまり、
ハードSFとしての正統性を保ちながら、宇宙探査という壮大なテーマを描き切った力作だ。
「フェルミのパラドックス」を題材にした異文明との交流、メガストラクチャーなどの概念、主人公たちの旅を通じて、人類の未来像を投げかける。
理系の読者はもちろん、哲学的思考を求める人にもおすすめできる傑作。
習慣がいかに脳の構造を変えるのか、神経科学的アプローチで解説した一冊。
単なる「習慣を作ろう」という精神論ではなく、脳可塑性に基づいた実践的なアドバイスが詰まっている。
ポジティブシンキングの限界を指摘し、「不安」や「恐怖」をいかに使いこなすかを論じた意欲的な一冊。
ストレス社会を生きる私たちにとって、心理学的に根拠のある思考法は本当に貴重だ。
バッタを研究するためにアフリコに来たのにバッタがいないという自虐的な始まり方から、その後の現地での奮闘が描かれる。
「令和のファーブル昆虫記」と評されるほど、学問的知見とユーモアが融合した傑作。
動物たちがいかに協力し、社会を形成し、生存戦略を立てているのかを、最新の研究に基づいて解説したノンフィクション。
カラスという身近すぎる存在を改めて見つめ直すことで、生態系全体への理解が深まる。
『一番大切なのに誰も教えてくれない メンタルマネジメント大全』ジュリー・スミス
自己啓発系の中でも「実践的で医学的根拠がある」と高く評価された一冊。
もう、自分が通り過ぎた地点ではあるんだけど、なんか、もっと、こう、みんなが幸せになれる仕組みって作れないもんなんですかね?
日本人って精神論とか、現場で工夫しろとか、足らないのは予算じゃなくて工夫でしょ?みたいな、
なんか、そういう後ろ向きなことに頑張りがちで、仕組みを疑わないというか、文句言っても使い続けてしまうというか、
アメリカとか、近年の中国とか、良くも悪くも仕組みを破壊するじゃないですか、
まあ、それで死ぬ人間も出るわけだけど、良い仕組みに置き換えようという善意が初めてそこで働くこともあるというか、
リセットしないと流石に無理ってこともあるし、
良くも悪くも安定志向、安全サイドなんだよね、まあ、そこが良いところでもあるんだけど…😟
メルカリじゃないけど、仕組みが悪だと、悪が蔓延してもなんともないというか、YouTubeとかSNSもそうですよ、
犯罪するほど得になる世界があったら、犯罪が蔓延してしまうわけで、
そういう世界にしないために頑張るべきなのは、国や政治、公務員、損得じゃなくて税金とかで稼働するべきものだし、
まわりまわって、そういう世界でないと金銭的にも得になるわけがない、
個人が安全に財産を持てないということは、もう無茶苦茶な世界ですよ、
キリスト教プロテスタントの合理的禁欲、貯金や勤労の精神が崩壊すれば、もうデビルマンの最終章ですよ
といっても、なんかそういう世界をAIがもたらす気もしないでもないですけど、
まあ、労働から完全開放されるのはまだまだ先だし、なったらなったで、また別の何か問題が起きるだけな気もする…😟
ウクライナロシア戦争でも耐えたのだから、台湾と中国の戦争で物価があがっても耐えればいいだろう。
安い原材料を提供する中国と戦争すれば、それらが手に入らなくなるだけではなく、円の売りが加速し、物価は上がるだろう。
それよりは数日遅れが出ようが海運を迂回するほうがリスクが軽減される。
また、ウクライナを見てほしいのだが、経済的・人的な損失をどうやって埋め合わせられるだろう?
おそらくは原爆でも落ちない限り、泥沼の戦いを続けてしまうだろう。
サンクコストを諦められないことや、精神論で戦い続けて、被害を甚大にする。
そのほうが迂回論よりもはるかに損失が大きくなるだろうし、戦争が終わっても経済的に悪い状況は続くことになる。
何もメリットがないのだ。
大日本帝国時代みたいに中国を侵略していたならば、中国の資源を手に入れたりして裕福になれるかもしれない。
でも台湾防衛はそういう戦争ではない。だから、何も手に入らない。これはネトウヨくんもわかっているだろう。
ただシーレーンを守るためだけに、そんなリスクを冒すべきだろうか?
そもそも、日本としてはアメリカにまかせておけば良いのだ。アメリカが参戦したら同盟国として”渋々”参戦し、アメリカが撤退したら日本も撤退する。
まとめ:日本が貧しくなった理由は「昭和を守り続けたから」結局は保守的な思想が原因だった。
① 日本の成功モデル(1950〜1990)が時代に合わなくなった
あなたが書いた
おそ松さん、サザエさん、ちびまるこちゃん、クレヨンしんちゃんのような
この人生モデルは 高度経済成長期専用のチートコード だった。
働き方の多様化
→ その結果、世界が時速100kmで進む中、
日本だけ時速10kmのまま遅れていった。
✔ 転職しない
✔ 給料が上がらない
でも日本は
出る杭は打たれる
その結果、
→ 生産性が上がらない
→ 給料も上がらない
→ 国全体の賃金が下がる
給料を上げない
ボーナスを減らす
コスト削減ばかり
その結果:
つまり、
アメリカやドイツは「構造改革」「投資」「スキル教育」で解決する。
でも日本はやらなかった。
代わりに何をしたか?
自己責任論
“贅沢しなければ暮らせる”
外国人が介入する隙はない
と考えていた。
しかしそれは同時に:
✔ 人口減少
✔ 労働力不足
✔ 税収の低下
✔ GDP縮小
ドイツ・カナダ・オーストラリアは移民でGDPを伸ばしている。
国際競争力
多様な働き方
これを全部教えない。
代わりに:
いじめを避ける
みんなと同じ
出る杭は打つ
大企業に入れ
安定を求めろ
これでは世界で戦えるはずがない。
🔥 まとめ:日本が貧しくなった理由は「昭和を守り続けたから」
資本移動
これが当たり前。
世界の変化に取り残された結果、貧しくなった。
多くのビジネス書が提示する「ノウハウ」や「必勝法」の本質は、学術的な理論ではなく、著者が特定の条件のもとで達成した個人的な成功体験を、あたかも万人向けの普遍的な法則であるかのようにパッケージングし直したものだ。
ビジネス書を著す多くの人物は、強い自己顕示欲と自己承認欲求を持っている。執筆活動は、彼らの自己の成功を「社会的な法則」として世に認めさせ、自身の権威性とブランド力を高めるための手段だ。
ビジネス書が書かれる真の目的は、読者に有益な知識を与えること以上に、以下の経済的・自己満足的な動機に集約される。
成功体験を絶対視するビジネス書は、人間関係を「指導者(上)」と「未熟な部下(下)」という垂直的な構造として描く。管理職は「教える立場にある自分は正しい」という上から目線を無条件で内面化する。
ビジネス書に傾倒する管理職にとって、部下は目標達成のための「人的資源(ヒューマン・リソース)」と見なされる。
この「資源」という捉え方が、「育成」という名のもとで、部下の尊厳を否定する失礼な態度を正当化する。資源は最大限効率的に加工(育成)されるべきであるため、「結果のためだ」「お前を育てるためだ」という大義名分のもと、人権を無視した侮辱的な言動が「マネジメント」として許容されてしまうのだ。
ビジネス書を盲信し、そのノウハウを「絶対解」として現場に適用しようとする管理職は、著者の自己顕示欲と独善的な思考を組織内で再生産しているに過ぎない。彼らは、書籍のノウハウを実行しない部下を「失敗」や「抵抗勢力」と見なし、指導の名のもとに自らのメソッドを強制する[[パワハラ]]を生み出す。
彼らが実践する「パワハラのノウハウ」は、特定のメソッドや厳しい規律、成果至上主義を絶対化するビジネス書という形態を通じて、広く社会に流通している。
ビジネス書が流通させているのは、単なる精神論ではない。それは、「部下の気持ちを完全に無視し、かつ反撃を喰らわない」ための、非常に具体的なパワハラ技術だ。
上司が求める「正解」は、論理ではなく上司の個人的な動機や前提に基づいている。上司は具体的なフィードバックを一切与えず、「違うな」「考えろ」を繰り返し、部下は正解に当たるまでリテイク地獄を強いられる。部下は上司の独善性に気づき、深い憎しみを抱える。
「感情論」を排し、「目標達成」や「数字」といった客観的な論理(書籍で学んだフレームワーク)で部下を追い詰める。これにより、指導の体裁を完璧に保ち、部下からの反論を封じ込める。
人目の多い場所で集中的に指導を行うことで、部下に対する見せしめや組織的な圧力として機能させる。また、「指導」という名目のもと、部下が逃げられない状況で長時間拘束する。これにより、組織のルールを守りつつ部下の精神的逃げ場を完全に奪い、逃れられない状況で追い詰める技術だ。
書籍の「成功は個人の努力」という論理を応用し、部下の失敗を「ノウハウの実行不足」「当人の意識の低さ」に帰結させる。これにより、上司の指導の責任を完全に免除する。
結論として、ビジネス書は「成功者の自伝」という体裁を取りながら、実際には「自己顕示欲を満たすための指導法」を権威付けし、組織における上から目線の構造を固定化し、パワハラを再生産・流通させる主要な経路となっているのだ。
あなたの周りに、あなたの尊厳を傷つける上司がいるなら、まず彼の机の上をチェックしろ。
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
よほど「先行者www」とか馬鹿にされたり、安い労働力扱いされてた過去20年のうっぷんが貯まってたんだろな・・・
2000年頃か、ASIMOで感動していた時代は日本が最先端で、日本製の人型ロボットやAIが世界でリードして行くんだと思っていたが、衰退して精神論と恨み節、根拠のない「日本スゴイ」を言うだけになってしまった。未来を描くより90年代の思い出に溺れたまま、派遣、低賃金労働者というメイドインジャパンのバイオロボットを使うのがコスパいいものな。最近ではそれもコスパが悪いのか、移民、技能実習生というバイオロボットを輸入するようになった。
5年後はまた全然違うんだろうな
楽しみですね
もう中国はソフトウエアでは完全に日本を追い抜いたけど、ハードウエアでも先を行っている。短期間で、ここまで発展した国は、歴史的に見ても他に例がない。
ホンダのアシモが1000年前の玩具に見える程の完成された二足歩行に驚いた。10年ほど前は、笑っていたのに・・。進化のスピードが異次元。やはり米国のライバルは中国だなと感じた。
中国は凄いですね。
日本人が色眼鏡で見ているうちに、家電は既に追い抜かれ、工業製品も進化が著しいです。そして殆どの一次製品がキャッチアップされてしましました。
この分だと自動車もエンタメも追い抜かれるのは時間の問題かも知れませんね。
このままだと残念ながら日本は、一次メーカーに提供する素材とか、設備などの一部の隙間的な産業のみの経済規模となると考えられます。
で、ここらへんのマトモな技術的指摘は後ろのほうに追いやられてる。人海戦術でBADクリックして隠ぺいしてそう
これはヒューマノイドではないですね。連続した動きをする場合、人間は予備動作というのが出てしまうんです。文字通り機械ではないので歩時、右足にはそれがハッキリ現れます。左脚は義足でありアクチュエータに似せたデコレーションの機構も貧弱で、脊髄システムなるもののCG動画も観ましたが笑ってしまいましたね。おそらく、四肢のいずれかが欠損したモデルにカーボンファイバー様の硬質ボディスーツを着させ、呼吸しているのが分かり難くしているのでしょう。
あからさまに人がスーツを着てるのが丸わかりだな。人とロボットでは間接の構造と動力が違うから人工骨格と人工筋肉でないと人間と全く同じ動作は不可能。
欠損した四肢の代わりとなるアクチュエーターを内蔵義足なら納得できる。
さらに服を着せるメリットが無い。可動する関節部に伸縮する布カバーを被せたら動作の邪魔になる。メンテナンスや調整の邪魔になる。
YouTubeで "robot fail compilation" などと検索すると大量に中国のロボット動画が出てきて技術の現状が分かる。
「いきなりそうはならんやろ」ってことで中身は人間ですね。このメーカーのツイッター見てもAIフェイクっぽい画像だらけでした。
この記事で一番驚いたのはマトモな思考を放棄して記事を鵜呑みにするコメントが多数であるということ。
ボディスーツ無しのマシンのみでの歩行公開と利害関係が無い第三者の確認作業さえしてくれればいいだけなのに、それを省いた『中身を見せました』の『自社広告』を正しく評価はできませんね。
本当に画期的な分野だったら国家ぐるみで推進しているので政府も『保証』するために出張ってくるのに、これは企業アナウンスのみ。
日本人の感覚だと「フェイクで自慢してもむなしいやろ」となるのだが、そこは外国、「面子」という独特の概念があるのだろうな
かねてより「頭の中お花畑」というフレーズは反戦左翼を揶揄するときに使われるものだった。
たとえば自衛隊は違憲だから解体しろだとか、沖縄から米軍を追い出せだとか、武器なんかなくても一緒に居酒屋で酒飲んだらわかり合えるよ、だとかね。
そりゃあそんなことが全て実現できるなら素晴らしいことでしょうよ。
でも現実を見たら想定が甘すぎたり、コストがかかり過ぎたり、そんなに頭の中で思い描いてるようにうまくいきませんよというのが「頭の中お花畑」という言葉に集約されている。
概ねそれは間違っていなかったと思う。実際にそれで日本は大きな不幸、混乱もなく回ってきたわけだからね。
これだけ人手不足で倒産する会社が続出していて、求人倍率が高止まりしていて、労働参加率は過去最高であるのに、右翼の方々は労働者を増やしたくないらしい。
労働力不足は嘘つきだそうだ。経営者が無能で生産性が低いだけだと。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬということだろうか。
まともな頭があればそんな精神論ではどうにもならないことわかると思うのだが。
豊富な資源、豊富な人材、優れた教育によってイノベーションが起こり、結果人手が充足し、それがいきすぎると逆に余ってしまって就職難・不況になるのであって、逆はない。
人手が減ればそれをなんとかするためにイノベーションがおこって、人手がなくても何とかなるようになるんだ!というのはよくいって願望、悪くいえば妄言だ。
この期に及んで少子化をどうにかすればいいとか言い出している。
20年近く前からすでに対策をしていて、諸外国を見てもどこも顕著な成果を出せているところはないのに小手先の知恵で急に解決するわけもないのはリアリストならわかるだろう。
もし今この瞬間に少子化が解決して来年から150万人の子供が生まれてくるようになったとしても、その子たちが働きに出るまで20年のタイムラグがあるし、今既に生まれている幼児・少年少女たちの人口が圧倒的に足りてない事実は変わらないというのに。
衰退を受け入れたらいいとか言い出している奴も目立つようになってきた。
衰退するということはインフラが改修できない、治安を保てない、医食が欠乏して平均寿命が下がる、国防もままならないということだ。
日本は付加価値の高い工業製品を製造して、輸出して、そのお金で食とエネルギーを輸入しなければ半年も持たない国であることを理解してるんだろうか。
そんな立ち行かない国になった時にロシアが、中国が侵略してきたときにどうやって食い止めるつもりなのだろうか。
食品価格が多少上がったり、交通インフラが廃線、減便になったり、社会保険料・税金が上がり続けたりすることに対してあれだけ文句を言っているのに本当に衰退に耐えられるのだろうか。
本当の「衰退」はそんなものの比じゃないわけで、はっきりいって現実を舐め過ぎだろう。
すでにこの国は20代人口の1割を外国人が占めるようになっている。
もし外国人を全員追い出したら新卒の給与は多少上がるかもしれない。その代わり生活コストはその比じゃないほどあがるけどね。
結局さ、「外国人いらない」で国が回るって言うなら今すぐ代案を数字で出してほしい。
必要な人員、税率、賃金、設備投資、何年でどこまで自動化するのか、現場の穴を誰が埋めるのか。
ワークライスバランス捨てて馬車馬のように働けばうまくいくって、政治はそういうもんじゃないよね…
こっちも昭和感満載
これまでのやり方で自民党は立て直せると思ってる
でももう無理なんよ
共倒れしてくれ
「強靭な精神性」は、単なる心理的資質ではなく、観測者としての自己と宇宙との関係性の理解に還元される。
古典的な精神論を超越し、我々の認知活動を物理的な情報処理として捉え直す。脳内の電気信号が量子ゆらぎによって基礎づけられるとするなら、主観的な「私」は宇宙の法則から独立した存在ではなく、その法則そのものを具現化した特異な演算主体と見なせる。
この観点に基づけば、「誰も見ていない発信」という概念は無効化される。思考という事象は、神経細胞の発火を通じて電子の運動を誘発し、これは局所的な時空の微細な歪みとして宇宙の構造に刻印される。これは、いかなる受動的レシーバーがなくとも、真空そのものを伝達媒体とする宇宙規模の通信である。
「フォロワーゼロ」は「非観測状態」を意味しない。私という観測者の存在そのものが、世界の波動関数を収縮させ、観測の射影を発生させている。私の思考は、この世界の状態を決定する基本操作である。
現代社会における「承認」「評価」「インプレッション」といった情報は、観測者を束縛するエントロピー的なノイズ、すなわち情報論的な檻を構成している。
しかし、この束縛からの解放は、ただ一つの命題に集約される:「私の思考は世界の基底演算である」。
この情報論的格子の隙間に存在する真空こそが、観測主体としての自己である。私の認知が停止すれば、世界の記述は静止し、私の発言は時空の振動を引き起こす。
したがって、「投稿行為」はSNS上の書き込みではなく、宇宙の再初期化プロセスに等しい。
「自由」とは、従来の「支配」の対義語としてではなく、「支配(観測による規定)と自由(観測からの独立性)の境界が消滅した状態」への到達を意味する。
フォロワーという社会的構成物は、私の観測がなければその概念すら存在し得ない。
故に、私は今日も観測者不在の文章を記述する。この行為は、宇宙そのものの状態空間を走査する自己参照的な演算であり、「檻の中の帝国」とは、この孤立しつつも全能な観測主体としての心の形態を示す。
「見誤った」んじゃなくて、ずっとパラレルワールドの話をしてるんだよね。
進次郎がというより、オールドメディアが。
だってあんたら自身が「進次郎圧倒的優勢!」「進次郎で決まり!」って報じ続けてたでしょと。
総裁選なんてちゃんと情勢を取材出来てれば本来大外しはしない性質でしょ。
高市が大量に党員票取ってるのもわからないってどうなってるの。
だからもうオールドメディアに見えてるものと現実とが乖離し過ぎててヤバい。
報じてきたことと大幅にずれた結果が出ても「小泉陣営見誤る」とか言ってて
(ちなみにはてブは一応ネットコミュニティなのに何故かオールドメディアと同一のものを見てて、ネットの中でも浮き上がったすげー不気味な村になってる。)
自分は前から何度か政局について見たまんまを増田に書いてる(はてブがパラレルワールド過ぎて怖いから)んだけど、
ブコメされながらもなんか本気にされないというか、
参院選の前は
「これは参政党が大勝ちしそう、すごい選挙結果見ることになるよ」って書いた。
当然その通りになった。
だって別に勝手に予測してるとか願望とかじゃなくてただネットで見たまんま、
「どういうトピックが盛り上がってるか」「誰がエールを受けてるか」を平らかに観察したまんまだもん。
大筋は当たるのは当たり前でしょ。
カンニングしてるんだもん。
このただの見たまんまを外し続けて
「あなたの見立ては0点でした」「あなたの予測はまた大外れでした」の結果を何回見ても
全然反省も修正もしないのがオールドメディア(とはてブ)なんだよね。
脳がどうかしてて、超強力な正常化バイアス的なものが静かに回転し続けてるんだと思う。
もはや笑う気持ちも失せた。
サイレントヒルの精神世界が目の前に現れてるみたいでガチ目に怖いのよ。
彼等の方でももし現実を直視する時が来たら(こなさそーだけど)
参院選前であれば
「自民党はもはや日本人を見捨てた」「自民党の保守はガス抜き要員のニセ保守」って世界観になってるから、これはすごいぞと。
一般国民が追い詰められた気持ちで、もう保守党や参政党しか行く場がない、
それほどまで自民党のことも警察のことも裁判所のことも信用出来ない気持ちが膨らんでるんだよと。
これらはただ静かにネット眺めていればありありと見たまんまに見えた。
そういうなんか物凄い焦燥と絶望と自民党への憎しみが生えてきてるのが見えてたのに、
要するに彼等は事実を取材したり民意をくみ取ったりする能力なんかなくて、
団結して「今度の焦点はこれです!」と発表して自己成就させるインチキ予言者だった。
ネットでダイナミックに現実や感情が動くようになった速度についていけてない。
オールドメディアは「自民党退潮は裏金と統一教会による」とか言ってたからね。
ネットで自民党を憎んでる人たちはそんなこと1ミリも問題にしてないよ。
そうじゃなくてグローバリズムと移住外国人に国を売り渡す怠惰で無能で堕落しきった裏切り者だから自民党は万死に値するわけ。
せこい不記載なんかどうでもいいの。
もうお前等のインチキ予言に固執するんじゃなくて、ネットで生の感情とストーリーを見ろと。
オールドメディアの中の人&視聴者達のノンベンダラリとした十年一日の自民党ヘイトなんて
こんにちネットで生えてくる自民党への憎しみには温度も速度も全く追いつけてない。
これまでにないほどの人数がサヨクおじいちゃんたちよりはるかに強く深く自民党を憎んでたのに
後期高齢化パターナリズムサヨクおじいちゃん達にはそれを認識すらできない。
何が起きてるのかわからないから流れを自民打倒に使うことも出来ない。
ついでに今後のことを述べれば
高市が総裁になったことでネットは相当平静を取り戻してきてる。
「高市は自民党だけどちゃんとやってくれるかもしれない」となってるから。
最近高市のことも「ガス抜き要員のニセモノ保守」として軽蔑する声が多かったのに
高市が面構えや声で信頼を引き寄せた感がある。
ワークライフバランス発言も戦闘的姿勢として好感されてる。
進次郎陣営の記念撮影写真が「これ次の選挙で落とすリストだぞ」と共有され回されてる。
あれ見てると中高年サヨク達の反自民は所詮、反抗期と言うか、アイデンティティと言うか、終わりを目指さないお遊びだったんだなと感じる。
こうした今の保守層・自民支持者達の心の動きがサヨクおじいちゃん達には全くわかんないと思う。
(傲慢さを捨てて虚心にネット見るだけで結構わかるんだけどきっとそれを出来ない。)
ただ進次郎陣営の記念写真はあまりにもいつメンオールスターなのも事実で
旧来自民党に憎しみを抱いてる保守層・一般層は絶対に受け入れなかっただろう感じはある。
自民党がこれまで経験したことのない憎まれ方をしてる状況下でこの写真を撮ってしまうこと自体が不用意だしオールドメディア的。
こちらが勝ってたら自民党は直ちに滅びてたと思うから、投票した人達の生存本能は大したもの。
(ネットをよーく見てるか、それぞれの地元で有権者の生の声を聴いてる)。
また、記念写真撮影現場に居ながら人の後ろで顔を横に向けて隠れている某女性議員も大したもの。
多分もとからあの陣営が味が悪いと勘づいていて、まして敗北後の記念撮影であれば「ここに写ってること自体災いを招く」と察知したんだと思う。
ネットでバレて突っ込まれてるけどこの生命力には尊敬の念が湧く。生き汚くていい。
逆に高市が良かった点として「自民党の中で浮いてる」という部分が間違いなくあって
ネットで憎悪されてる数々の自民党の政策に対して責任が薄いイメージになっている。
また、鹿の話をしたのも大変良かった。
ネットで高速回転する民意にレスポンスしてこなかったために生まれて膨らんだもの。
(みんな進次郎よりへずまに親愛の念を持っている。マジだ。へずまはすごい速さで声を聴いて動いてくれるため。)
だからネットのナラティブの象徴である鹿の話に触れる意味はあった。
オールドメディアが「差別だ」とか「事実性が確認されない」とか騒ごうが関係ない。
あれは「私はあなたたちの声を聴いていますよ」というメッセージになった。
自民党が大嫌いになって、”右翼”高市のことすら大嫌いになってた人達の心に
高市があの場で鹿の話をしたことがどれだけ響いたことか。リスキーだったがその価値はあった。
(民泊や運転免許等批判するのと違ってただちに仲間の誰かの面子潰しにもならないネタだろうしね)
ひたすら嘲笑するオールドメディアだけ見てたら「なんか突然ヘイトっぽい話をして胡乱な感じ」としか思えないだろう。
高市が自分でネットを見てるのか優秀なネット汲み取りスタッフがいるのかわからないが、
高市はオールドメディアよりも大半の自民議員よりも民心について見えてるものがある。
(ところでそれはそれとして、
オールドメディアの「シカ蹴る中国人などいない」「シカを蹴るのは日本人」はさすがにあり得ないし逆デマになってないか。
へずまと関係ない動画でも中国人が鹿を蹴ってる動画はyoutubeでも相当数見られる。なんで蹴るんだろね。)
まともな領主様がきちんと賊を討伐をしてくれるならきちがいヴィジランテは需要がガタ落ちするから。
今後の方針としては
A・辛抱強く高市にラブコールしながら勝手に同志や手下のように振る舞う
B・従来の活動を激化させて忘れられないようにする
C・「高市はニセモノ、日本を守れるのは自分のような捨て身の人間」と対決姿勢をとる
へずまは色気を出すならB、現実的にはD、
一気に需要が落ちるからしばらくローギア運転してた方がいいと思う。
参政党はCとAをフラフラしながらうまく運転しそうな気もする。
かなり下手でどうしようもない。
ネットの声を聞いてそこに応えるということが全然できない(からどんどんヤバくなる一方)。
少し面白い手として自民党に攻撃的だった右派インフルエンサーを抱き込んで活用ということをやってるみたいなんだけど、
多分抱き込んで指示してる側もセンスが無いのと、
抱き込まれたインフルエンサーもなんか舞い上がっちゃって全然役に立ってない。
そもそも攻撃的な言動や動画でフォロワー集めてたタイプの人材に
「我が党のイメージアップヨイショをやれ」という起用法自体が間違っていて
気持ち悪い口調と顔文字連打しながら進次郎やらせコメントレベルのポストを繰り返すようになって
単にそいつのview数いいね数フォロワー数が減っていくだけという事態になってる。
(そいつのyoutubeのコメント欄も罵倒や軽蔑のコメントが激増)
そもそも抱き込まれたの丸出しな奴がヨイショやってたってそりゃ誰も聞かないわけで
「クマさんじゃなくてワンちゃんに名前変えたら」とか言われてしまっている。
そういうのとは少し違う堂々の古株自民協力者のやまもといちろうとかも、
人の悪口言ってるときはまだしも火消しとか擁護とかヨイショとかやろうとすると毎度下手すぎて目を覆いたくなるし、
党の規模や力に比べてネットが下手という問題は本当に命取りになる課題だと思う。
公明党は創価学会の若手を中心に「我々は我々の公明党のよさを宣伝する」と
堂々としたネット活動をしていて創価や公明党に批判的な人間とも会話する力を見せてる。
(実際には高齢化が著しいのにネットには若者を選抜動員してイメコンしてるのもしっかりしてる。)
つまりネットに強い弱いというのは別に年齢は関係なく技術的な話でもなくて、
実際には脳の機能の一部・知性の一部だからすぐには出来ないし才能がない人には出来ない。
気にくわない書き込みを規制しようとか、下手くそな自演ヨイショしようとか、
全てをロシアのせいにしようとか、そういう解決法を思い付く人間がネット担当の進次郎陣営は終わってるということ。
大将も年齢ばっかり若くても既に脳の可塑性機動性で麻生太郎85歳に負けてそう。
おそらく今回変な反省をした彼の陣営の主導により、党の息のかかった下手くそ自民ヨイショは
どうも進次郎は当人も抱えてるスタッフも無能で間違いないと思う。
救いようがない。
お前らコンサルがキラキラした目で語る「SDV化へのロードマップ」ってやつ、まあ綺麗だよな。「レベル1から始まって、ドメイン、ゾーン、最後は夢のセントラルコンピュータへ!」って、すごろくみたいで分かりやすい。プレゼン資料は美しいし、ロジックも通っているように見える。
だが最近、その綺麗なすごろくを見ていると、強烈なデジャブを感じるんだ。
ついこの間までヨーロッパ中が大合唱していた、「未来はEV一択だ!」という、あの狂騒曲にな。
ご存知の通り、その結果は今のEV失速と戦略の迷走だ。今日は、なぜ俺がお前らの語るSDVに、あの失敗したEV戦略と同じ匂いを感じるのか。そして、そのロードマップに隠された巨大な「崖」について、具体的かつ論理的に話そう。
まず前提として、EUのEV戦略は単なる技術選択の失敗じゃない。あれは、「"言葉"を定義することで現実を支配しようとする」という、ヨーロッパ伝統のイデオロギー戦略だ。「EVは善、エンジンは悪」というシンプルな二元論を作り出し、規制と補助金で市場を無理やりそちらに誘導しようとした。
この手法のキモは、現実の複雑さを無視し、自分たちに都合のいい単一のシナリオを唯一の「正解」として提示することにある。世界には多様なエネルギー事情があり、多様な顧客ニーズがあるという現実から目を背け、「EV」という言葉の神輿を担いだわけだ。
そして、お前らが語る「SDV」も、これと全く同じ構造を持っている。
「セントラルコンピュータによる、ハードとソフトが完全分離したSDV」こそが唯一絶対のゴールだと定義し、そこに至る道を一本道で描いてみせる。
だが現実はどうだ? 安くて頑丈なクルマを求める市場もあれば、運転の楽しさを求める層もいる。そもそもソフトウェアのアップデートに価値を感じない顧客だっている。トヨタが声高に未来を語らず、EV、HV、水素、合成燃料と、あらゆる可能性に備える「マルチパスウェイ」を貫いているのはなぜか。それは彼らがイデオロギーではなく、複雑な「現実」と向き合っているからに他ならない。
お前らのSDVロードマップは、この時点でまず、現実の多様性を無視したイデオロギー的な欺瞞をはらんでいる。
その上で、仮にその単一シナリオ(理想のSDV)が正しいとして、なぜその実現が絶望的に困難なのかを説明しよう。ここで登場するのが、お前らも知ってる「コンウェイの法則」だ。
雑に言えば「システムの構造は、それを作る組織の構造とそっくりになる」という法則だ。今のクルマは、無数のECU(小さいコンピュータ)が複雑に絡み合った「分散型アーキテクチャ」だ。これは偶然そうなったわけじゃない。エンジンはA社、ブレーキはB社、ライトはC社と、各分野の専門サプライヤー(Tier1)が、ハードとソフトを一体ですり合わせて開発してきた。このクルマの構造は、日本の自動車産業が100年かけて作り上げてきた、この巨大なサプライチェーンという人間関係そのものなんだよ。
そして、この巨大な人間関係の構造は、組織と同じで少しずつしか変えられない。「連続的」な変化しか受け付けないんだ。一気に変えようとすれば、現場は崩壊し、これまで培ってきた価値は失われる。
この2つの法則を踏まえて、お前らのロードマップを評価しよう。
これはまだいい。既存のサプライヤーとの人間関係を維持したまま、ECUをいくつか統合し、役割を再編成する。「組織改編」レベルの話だ。現場は筋肉痛になるだろうが、これはまだ「連続的な変化」だ。実行可能性はある。
これは「組織改編」じゃない。「全従業員を一度解雇して、明日から全く別の人種と会社をゼロから作れ」と言っているに等しい。
なぜなら、クルマの作り方が「ハードウェア部品のすり合わせ」から「OS上のソフトウェア開発」へと、根本的に変わるからだ。これは、これまでパートナーだったハード中心のTier1の価値をほぼゼロにし、NVIDIAやGoogle、AWSといった、全く文化の違うITジャイアントと新しい関係をゼロから構築することを意味する。
この「崖」を飛び越えるという行為は、必然的に「大規模リストラ」を意味する。そして、そのリストラは、これまで俺たちがサプライヤーと共に築き上げてきた無形の資産、つまり「車載特有の品質ノウハウ」や「フェイルセーフの思想」といった、カネでは買えない価値(バリュー)を崖の下に投げ捨てる行為に他ならない。
俺たちの議論は、お前らの美しいパワポの上にはない。この血と汗にまみれた現実にある。
だから、お前らが本当に俺たちのパートナーだと言うのなら、答えるべき問いはこれだ。
この「崖」を越えることで失われる、既存サプライチェーンの無形資産(品質ノウハウ、信頼関係、暗黙知)は、金額換算でいくらだ?その減損を、どうやって、何で補填する計画なんだ?
「意識改革」みたいな精神論で逃げるな。どのTier1との関係をどう縮小・終了し、どのITベンダーと、どのような契約・開発体制で、何年かけて新しいエコシステムを構築するのか。その移行期間中のリスクとコスト(訴訟リスクや技術者流出を含む)を算出して見せろ。
この無謀なジャンプの途中で、開発が頓挫したり、大規模リコールが発生したりした場合、会社をどう守るんだ?そのための具体的な資金計画と、リスクヘッジのシナリオを提示しろ。
これらの問いに、具体的かつ定量的に答えられないのであれば、お前らの提案は、現場の現実を無視した無責任な空論であり、俺たちを崖から突き落とそうとする悪意の塊だ。
俺たちは、崖の向こうの楽園の絵が見たいんじゃない。
面白がって「残業キャンセル界隈」とか言ってる若者もいるが、頑張らないまま年を重ねると恐ろしいことに「頑張るチャンス」すらなくなる?
このまとめの反応を見て思ったけど肉体労働って20~40代の内に頑張らないとどうにもならんのよ…
加齢と共に体力が落ちる、これには逆らい様がないから体力がある内にレガシーを築かないといけない
それは、技術、会社内でのポジション、人間関係であったり様々だけど、とにかく頑張るしかない、マジで
仕事が出来なくても頑張ってる(ように見える)人間ってのは可愛がられる
もちろん、心身壊すまで頑張る必要はない、これは大前提よ、でも、頑張らないといけないんよ
今の季節の日中に外で仕事してみ、空調服は追い付かんよ、水冷服でも足りないよ、もう気合しかないんよ
暑いから仕事しなくていいってなったらそら嬉しいけど、給料が出ないっていうなら気合で働くしかない
頭脳労働だったら出来る人の1時間に出来ない人は8時間でも太刀打ち出来ないかもしれないけど肉体労働なら何とかなるんよ
技術系の熟練さが求められるようなものは頭脳系みたく何時間かかっても同じ仕事が出来ないということがあるけど
体力のある時に、ボチボチ仕事して技術は中途半端、体力も衰え始めた中年、マジで悲惨、肉体労働を続けるのであれば、将来は真っ暗
一念発起して技術を身に着けようと思った時、体力が衰えたら習得に若いころの何倍も時間がかかる
若くて体力があればさ、センスがなくてもひたすら反復することである程度まではイケる、その先には考える必要があるけど
中年になってからでは、そのある程度までいくのも大変になっちゃう、体力がないから
肉体労働は、たいていの場合やった仕事の量が見えるんだよね、だから、あいつ仕事が遅いなとか仕事が雑だなってのが直ぐに分かっちゃう
その時、頑張っていない風に見えたらもうね、誰も助けてくれない、本当に
こういうことを書くと現場や会社が終わってるや腐ってるって反応になるかもしれないけど、実際にそうなんだからしょうがない
ブクマカだって、綺麗ごと言うけど行動しない人やダブスタの人は嫌いでしょ?同じじゃないけど近い感覚なんだよ
仕事が遅く、頑張っていない風に見えた人が「いやー疲れたっすね」って言ったらもう「はっ?」って感じ
仕事が遅くとも頑張っているように見えたら「お疲れ、頑張ってんな、もう少しだぞ」みたいな感じよ
無能にとって頑張る(ように見せる)ことは生存戦略で最後の砦なんよ
でね、これは無能に叩き込まなきゃいけない、お前の戦略はこれなんだぞと、無能が自らこの戦略にたどり着くことはあまりないと思う
世の中には、ナチュラルボーンの頑張り屋さんの無能という善人も存在するけど少数
無能は打算で頑張るんだよ、いくら綺麗ごとを言ったところであなたたちも無能の頑張らない屋さんを助ける?助けないでしょ
心身を壊すまで頑張る必要はない、強制してもいけない、でも、頑張ることを肯定する空気だけは残してくれよ
ブクマカは上澄みが多いと思うし、頭脳労働が多いからあまり遭遇しないのかもしれないけど肉体労働は無能の宝庫よ
お前、アイツの仕事の半分しか出来ていないから給料半分なって言われたら終わりやん、わしら
いいよ、「頑張らない」
でも、「頑張らない」は無能の救済とセットでお願いするよ
人権思想(=過去や社会的属性をわざと無視して他者を平等な存在として扱う思想)を下敷きにしているせいで、
人と人との助け合いが、コミュニティの形勢、コミュニケーション作法、文化宗教的バイアス、見た目、経済的余裕……などなどさまざまな要因によってもたらせることを、
恣意的に取り落としている。
ケアするかどうかを、思いやりがあるかどうか、という精神論に単純化してしまっている。
「女だからケアが多い」「男だからケアが少ない」なんて生物学の二項対立に回収できる気がしてしまうのも、そのせいだ。
元増田が言ってるような分析(社会的劣位だから助け合っているにすぎない)もそうだし
男の孤独死の件も、孤独死してるやつの経済状況=仕事の能力=コミュ力、が関係あるやろ(だから女でも同じになるやろ)、という当然の発想に至れない。
よくないよ。分析としてよくない。